気が向いたときに旧街道をきままに歩いています。少し前に御嶽宿から西に太田宿まで歩こうと出発したのですが,途中で明智へ寄ったので,伏見宿まででした。その後,今度は加納宿から西へ美江寺宿まで歩きました。ということで,その間の加納宿から伏見宿までが未踏破となっていました。
先日,国道21号線を走っていたときに鵜沼宿を見つけてそれ以来気になっていたので,今回,鵜沼宿あたりを散策することにしました。
鵜沼宿からその次の加納宿までは約17キロメートルもあって,歩くと5時間ほどかかりそうです。その間は平地で,JRと名鉄が通っています。そこで,無計画に出かけて電車に乗りながら歩こうと考えていたのですが,コロナ禍でそんな気もすっかりなくなってしまい,今回は,鵜沼宿だけ行って,後は,車で旧中山道を加納宿まで走ることにしました。鵜沼宿は未踏破の加納宿から伏見宿までの間にあります。
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なお,鵜沼宿から東の太田宿までは8キロメートルですが,ここは登り坂,うとう峠という難所があります。ここを歩く計画を立てていたのですが,これはあとまわしです。そしてまた,私は,坂は下るに限る,という信念? から,もし将来歩くときは太田宿から出発して鵜沼宿に到着するプランを立てることになるでしょう。
さて,鵜沼宿です。
旧街道はどこも昔のままであれば車がすれ違える程度の幅しかないので,車両が通行禁止だったりあるいは一方通行だったりするのですが,鵜沼宿はそんなこともなく,車で通行できました。そしてまた,駐車場も広く,無料でした。ということで,無料の駐車場に車を停めて,散策開始です。
鵜沼宿に残っているのは4,5件の住宅だけなのですが,この住宅が宿場の雰囲気をよく残していました。また,脇本陣が建て直されていて,無料の博物館となっていました。
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脇本陣の東にかつては本陣があったそうですが,持ち主が経済的な理由から売り払ってしまい,そこに分譲住宅が経ってしまっていました。宿場の保存計画がもう少し早ければそんなこともなかったのにと,博物館で説明をしていただいた係の人が言っていました。
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鵜沼宿は日本橋から52番目の中山道の宿場です。
江戸時代は尾張藩領で,南へ約2キロメートルの木曽川対岸に犬山城があります。 鵜沼宿には,神社や石造物,旅籠の面影を残す住宅などが残るものの,周辺の近代化が進んできたために,町屋館(旧武藤家住宅)の修復,脇本陣の復原,宇留摩庵の修復,景観重要建造物(古い家並や酒蔵)の保存改修などが行われ,せせらぎ水路の設置,電線の地中化,案内板の設置,道路の美装化や安全対策が図られ,往時を偲ばせる宿場町として再生されました。
また,一里塚もかつては三箇所にあり,現在は,「山の前の一里塚」は岩の上に石仏が安置されているだけ,「六軒の一里塚」と「新加納の一里塚」は標識が残っているのみになっています。
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ということですが,歩いていると,なかなかいい雰囲気でした。
私は,この国では,こうした風情がもっともこころが落ち着きます。
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月,木星,土星,水星,
レナード彗星。
日没後の快晴の西の空。
月齢4.6の月。東方最大離角の水星。
その周りの惑星,そして,レナード彗星。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは