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念願のさくらサーカスを見終わって外に出たら午前12時を過ぎていました。帰りの飛行機は午後7時55分なので,たっぷりと時間があります。とはいえ,何をするかという計画はまったくなく,何となく高知市でぶらぶら,そしておいしいものでも食べようか,と思っていただけでした。
しかし,人の多いところはもともと嫌いなので,気が変わって室戸岬までドライブすることにしました。そして,その途中でおもしろそうなところあがあれば寄ることにしました。こうした当てのない旅というのがもっとも楽しいのです。

まずは昼食ですが,チェーン店に行ってもおもしろくありません。今回はクーポンの類はもっていないので,むしろ気が楽です。好きなところに入ればいいのです。
室戸岬まで国道55号線を海岸に沿って走ります。四国では,時折,四国八十八か所の巡礼をしている人が歩いているのを見かけるものですが,今回はまったく見ませんでした。
ずっと海岸線の美しいところを走っているとはいえ,観光地でもないから,なかなか魅力的なところが見つからず,そのうち,安芸市に着いてしまいました。
安芸市といえば,阪神タイガースの春季キャンプ地としてその地名を知っていただけのところですが,今の私は日本のプロ野球にはまったく興味はないので,安芸市で今も春季キャンプをやっているのかどうか知りませんでした。帰ってから調べてみたら,どうも今は安芸市ではやっていないみたいです。
この地は岩崎彌太郎の生まれたところということで,生家跡という案内標示があったので,行ってみることにしました。安芸川に沿って堤防道路を走っていきます。この道路は,NHKBSPで放送している「にっぽん横断こころ旅」の2022年10月13日放送で火野正平さんが自転車で走った道でした。道路の側道が下り上りになっていて,これが小さな子にはジェットコースターに思えた,という内容でした。
私はこの道を自転車でなく車で走ったわけですが,岩崎弥太郎の生家へ行く途中に安芸城というものがあって,その城下が昔のまま残っていることがわかったので,寄ってみました。そこにあったのが,廓中ふるさと館という建物で,食堂が併設されていたので入りました。こういうところでは地産地消のものが食べられます。ほかにお客さんもおらず,願ったりかなったりでした。
そこで食べたのが,名物というかき揚げシラス丼でした。私は普段シラス丼など食べないのですが,名物となれば,これを選択しない手はありません。なかなかのものでした。

すっかり満足して,食後にそのあたりを散策しました。安芸城跡の小高い山にも登ってみました。また,公開されている武家屋敷も入ってみました。
歴史民俗資料館にも行きましたが,そこで私が興味をもったのが,五藤齊三さんの作ったプラネタリウムでした。
五藤光学研究所という,以前は天体望遠鏡を製造していて,今はプラネタリウムを作っている会社が府中市にあるのですが,その会社を創業したのが五藤齊三さん。そして,五藤家というのは,江戸時代,この安芸藩の家老を務めていた家柄ということでした。
高知県は,彗星捜索家として有名な関勉さんが,はじめは高知市上町の自宅で,そして,高知市の空が明るくなってからは高知市の東にある芸西村で天体観測をしていたところだし,「月刊天文ガイド」の裏表紙を長きにわたって飾っていたいかにもホンモノ感あふれた望遠鏡を載せた五藤光学研究所の広告など,子供のころに知ったいろいろなことがこうして結びついてきてとても楽しいです。
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五藤家は尾張黒田の出で,山内一豊の父山内盛豊のときから家臣としてささえました。越前攻めの際,山内一豊は朝倉軍の敵将三段崎勘右衛門の首を獲ったものの自ら顔面に矢を受け,家臣の五藤吉兵衛為浄が山内一豊の顔面を草鞋のまま踏みつけてようやく矢を抜いたという逸話で有名です。土佐へ入国後五藤家は家老となりました。
その子孫である五藤齊三さんは,1891年に生まれ,1982年に亡くなった技術者であり実業家です。
戦前,現在のニコンである日本光学工業は小型の天体望遠鏡を製造していて,五藤齊三さんはこれらの営業を担っていましたが,価格が高く販売が伸び悩んでいました。ドイツから日本光学工業へ招聘されていた光学技術者から「優れた光学機器を作れば必ず儲かる」と聞かされたことで,天体望遠鏡をもっと広く気軽に使える価格とするべく,日本光学工業を退社し自ら五藤光学研究所を設立したのです。
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そして,再び車を走らせて,岩崎彌太郎の生家に行ってみました。さすがに天下の三菱を創設した人の生家だけあって,今は立派に整備されているのですが,岩崎彌太郎といえば,2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で香川照之さんが演じたみすぼらしく貧しい姿を思い浮かべるので,何かイメージ違うなあ,と思ったことでした。
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岩崎彌太郎は,土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮の地下浪人の子として,1835年(天保5年)に生まれました。
岩崎家の先祖は安芸地域を治めていた安芸国虎の家臣だったようで,のち戦国時代に土佐を治めた長我部元親に仕えたといわれています。関ヶ原の合戦後,山内氏が土佐藩主となってからは山野に隠れて農耕に従事していましたが,江戸時代の中期に再び藩に仕えることで下級武士(=郷士)となりました。
しかし,岩崎彌太郎の曽祖父・岩崎彌次右衛門が金に困って郷士の身分を売り払ってしまったことから,農民とほとんど変わらない「地下浪人」という身分に転落してしまいました。
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とあるので,この生家の立派さとそれが私にはうまく一致しませんでした。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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