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 名古屋市の繁華街・栄の東側である名古屋市東区泉二丁目と三丁目を隔てる南北の道路は,いろいろ調べても名前がわからないのですが,この通りの「桜通泉二」交差点から「芳野二」交差点北まで全長約1. 4キロメートルにわたって「オオカンザクラの並木道」があって,毎年この時期は,名古屋市内でいち早く花見ができる名所となっています。
 私はそのことをまったく知らなかったのですが,昨年のこの時期,偶然,車で通りかかって,桜が満開なのに驚きました。しかし,この通りや付近には,ほとんど駐車場がなく,また,車が頻繁に行き来しているので,車を停めることができないので,桜を愛でることもなく通り過ぎてしまいました。
 そこで,今年は,事前に車を停める場所を調べておいて,そこに駐車して,名古屋市市政資料館を経由して歩いていきました。
 今年もまた,桜は美しく咲き誇っていましたが,天気もよく,暖かで,どうやら私が行った3月15日が最も美しいときだったようです。

 1961年(昭和36年)の春,「名古屋で1番早く咲く桜を植えていただきたい」という地元の希望がかない,16本の苗木が植えられました。今では,当時植えられた木で残っているのはわずか6本ということですが,その後に新たに植えられたものも含めて,現在では約140本の桜が並木道をつくり,今,桜の花が見ごろをむかえているわけです。
 ここに植えられている淡紅色の桜は,オオカンザクラ(大寒桜)です。
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 オオカンザクラは,バラ科サクラ属の落葉高木で,樹高は5メートルから10メートルあって,花は中輪,一重咲きで淡紅色。花は半開状で,下を向いて咲きます。開花時期は,ソメイヨシノ(染井吉野)より1週間ほど早く3月初旬に咲きはじめます。
 オオカンザクラは,カンヒザクラとヤマザクラ(山桜),またはカンヒザクラとオオシマザクラ(大島桜)の雑種といわれています。カンヒザクラは,バラ科サクラ属で,桜の原種のひとつです。樹高は5メートル程度です。花は小輪,一重咲きで濃紅紫色。また,釣り鐘状の花が特徴で,下向きに咲く花や,パッと大きく開かない花が多く見られます。開花時期は3月中旬です。カンヒザクラはヒカンザクラ(緋寒桜)ともいわれますが,ヒガンザクラ(彼岸桜)と区別するために,現在はカンヒザクラとよぶようになりました。
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 この通りの一部は,前回書いた「文化のみち」になっているので,「文化のみち」を歩いていると出会います。
 かなり知れ渡ったので,こんな春の日は,平日にもかかわらず,私のような老人がほとんどですが,すごい人混みになっていました。誰しも考えることは同じです。また,歩道の端には,絵を描いている人たちがたくさんいました。 
 この通りに沿って北に向かって歩いて行くと「白壁」の交差点があります。交差点の南西一帯は,名古屋で有名な女子校である金城学院高等学校があります。また,交差点の北西に少し行ったところに,金城学院中学校があります。
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 金城学院は,1889年(明治227年)にアメリカの長老教会,南長老ミッション宣教師ミセス・ランドルフ(Anne E. Randolph)が開校したもので,1921年(大正10年)に日本ではじめてセーラー服を採用した学校です。高等学校の構内にある栄光館講堂は国の登録有形文化財建造物に指定されています。
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 この日は,金城学院中学校の卒業式だったようで,卒業式を終えた生徒やその親がたくさん歩いていました。

 名古屋市市政資料館から出発した私は,「文化のみち」を散策する前に,この「オオカンザクラの並木道」まで行って,十分すぎるくらいの桜の景色を堪能したのちに,「文化のみち」を歩こうと思っていました。
 というわけで,「オオカンザクラの並木道」を北に「白壁」の交差点まで歩いて,そこで引き返し,このあとは,二葉館を通って,撞木館,旧豊田佐助邸,そして,旧春田鉄次郎邸へと向かうことになります。「オオカンザクラの並木道」から1筋入ってしまうと,それまでの喧騒はどこへやら,静寂の「町並み保存地区」になります。
 このことは,また,次回。

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