来たときは反対に,休屋から十和田湖畔を北に走り,子ノ口から奥入瀬渓谷沿いを進んでいくと,川は奥入瀬川と蔦川(つたがわ)にわかれます。蔦川もまた,奥入瀬川と同じように,美しい渓谷だったのですが,観光地化していなかったし,車を停める場所もほとんどありませんでした。かろうじて車が1台ほど停まれる場所があったので,そこに車を停めて写真を撮りました。
蔦川に沿って走っていくと,八甲田山に向かって進むことになるので,どんどんと標高が高くなり,周りは雪景色になってしまい,驚きました。
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八甲田山は,標高1,625メートルの岩木山に次ぐ,標高1,585メートルの大岳を主峰とする18の山々からなる複数火山の総称で「八甲田山」という単独峰が存在するわけではありません。
周辺は世界でも有数の豪雪地帯で,1902年(明治35年)に青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇して,210人中199人が遭難死した八甲田雪中行軍遭難事件が発生しました。それを基にした新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」とその映画があって,私は見ていないけれど,そんな過酷な事件があった,ということだけは知っていたので,「八甲田山=雪が多く危険」というイメージだけをもっていました。
その麓に,私がこの日に宿泊する酸ヶ湯(すかゆ)温泉がありましたが,私は,酸ヶ湯温泉がこれほど標高が高い場所にあることすら知りませんでした。
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酸ヶ湯(すかゆ)は,八甲田山系の火山起源の温泉です。湯はその名の通り強い酸性を示し,pHは2.0を切ります。pHは2.0というのは,胃酸並みです。温泉の名は鹿湯(しかゆ)ですが,「しかゆ」が「すかゆ」に変化しました。
江戸時代前期の1684年(貞享元年)の開湯と伝承され,古くから湯治場として有名でした。
1954年(昭和29年)に群馬県の四万(しま)温泉,日光の湯元温泉とともに国民保養温泉地第1号に指定されました。
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ここは一軒宿で,混浴風呂として有名だそうですが,私はそのことも知りませんでした。ここに予約したのは,以前書いたように,青森県2泊3日の旅のモデルコースが書かれてあったウェブページに載っていたので予約しただけのことでした。
チェックインをして案内された部屋は奥まったところにあった湯治客用のもので,なかなか快適でした。
到着した午後5時ころは,夕食前でもあり,ずいぶんと多くのお客さんが風呂に行くところだったので,人混みの嫌いな私はげんなりしました。私が理想とするのは,家族経営の小さな温泉宿で,ほかには宿泊客がおらず,食事も部屋でひとりで取ることができるところなので,あまりにそれとは違う巨大さにあっけにとられました。私が望んだところとはかけはなれていたからです。
そんな時間に温泉に入る気にもならないので,一計を案じました。それは,夕食をできるだけ早く食べて,他のお客さんが食事をとっている時間に入浴しようということでした。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは