私が小学校のころに習った歴史では,縄文時代は,稲作が普及する以前の狩りをしていた時代で,定住することなく,生活は不安定。やがて,静岡県の登呂遺跡に代表される弥生時代になると,稲作が普及して,人は定住するようになった,というものでした。しかし,その後,多くの遺跡が見つかることで,そうした定説は覆ることとなりました。
学校の教科ではその時代に正しいとされていることを学ぶのですが,今から考えると,正しいとされていたことの多くは正しくなかったし,わからないことはわからないと教えるべきだと今では思うようになりました。
やがて,弥生時代の遺跡として,佐賀県の吉野ケ里遺跡が見つかり,私もそこに行ったことがあります。また,縄文時代の遺跡も,全国各地に見つかるようになりました。その代表的な存在が,三内丸山遺跡ということだけは知っていたのですが,まさか,行くことができるとは思いませんでしたが,今回,青森県を旅することになって,ぜひ,行ってみたいと期待しました。
実際行ってみると,三内丸山遺跡が青森市街にとても近いことに私は驚きました。また,思った以上に多くの人が訪れていました。
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三内丸山遺跡は縄文時代前期中頃から中期末葉,今から約5,900年前から4,200年前の大規模集落跡です。
この地に遺跡が存在することは江戸時代から知られていて,1623年(元和9年)に多量の土偶が出土したこと,1796年(寛政8年),瓦や甕,土偶のような破片が見つかったことが記録されていました。
新しい県営野球場を建設するために,1992年(平成4年)から事前調査が行われると,この遺跡が大規模な集落跡とみられることがわかり,1994年(平成6年)には直径約1メートルの栗の柱が6本見つかり,大型建物の跡とも考えられたので,県は野球場建設を中止し,遺跡の保存を決定しました。
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ということです。
吉野ケ里遺跡は国の施設です。以前行ったときに,県の施設から国の施設になってずいぶんと予算がついたと聞いたので,三内丸山遺跡についても聞いてみると,ここは県の施設,ということだったのですが,それにしては豪華なことに私は驚きました。
縄文時代は,私が学校で習ったころに覚えたよりもずっと昔の1万年前までさかのぼり,そんなころから人がこうした営みを紀元後以上の長い間続けていたことを知りました。また,エジプト文明よりもずっと昔の話です。
縄文時代は身分の差もなく,争いもなく,おそらく,人類が幸せだったのはこの時代だったのかな,と思いました。
三内丸山遺跡にはレストランや土産物屋さんもありました。遺跡を見学したあと,私はレストランで「五千年の星」なるデザートを食べました。時刻はお昼だったので,ここでお昼を食べてもよかったのですが,朝,民宿でもらったおにぎりがことのほか大きくて,これを遺跡に入る前に駐車場に停めた車の中で食べて,それがおいしくて,お腹が一杯だったのです。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは