次に行ったのが,白亜の洋風建築「佐川文庫庫舎」(旧青山文庫)でした。レトロな洋風建築が少ない高知県で,県内最古の木造洋風建築ということです。
「佐川文庫庫舎」(旧青山文庫)は, 鹿鳴館時代の面影を残した県下最古の木造洋館です。1886年(明治19年)須崎警察署佐川分署として管内各村からの寄付により建築されたのがはじまりで,1922年(大正11年)に佐川警察署として独立,1930年(昭和5年)に新警察署が完成し移転したことによって,青山会に払い下げられました。
当時,佐川郵便局長であった川田氏は,私費を投じて,高知県初の私設図書館・川田文庫を創設しました。それに共感した田中光顕伯爵が基金と蔵書を寄贈,町民有志によって結成されたのが青山会です。名称も,川田文庫から田中光顕伯爵の雅名であった青山文庫へ変更されました。
1963年(昭和38年)に高知県立郷土文化会館が新設されると一時期休館となりましたが,1968年(昭和43年)に,佐川文庫と名称を変え再び図書館として開館しましたが,1978年(昭和53年)に閉鎖され,所蔵物は佐川町総合文化センターへ移されました。 建物自体も再度移築され,今度は民具の展示館として使用されました。そして,2009年(平成21年)に現在の場所へ移築されました。
1階には「らんまん」の写真展示がありました。また,2階には,この建物に関する説明パネルがありました。
その隣にあったのが牧野富太郎博士も学んだ「名教館」でした。
佐川町は,江戸時代,土佐藩の山内家の筆頭家老・深尾氏が城下町として築き上げた町で,深尾氏は代々,教育に力を入れ,文武両道を推奨し,6代・深尾茂澄が「家塾」を開き,1772年(安永元年),7代・深尾繁公が郷校「名教館」を創設しました。1830年(天保元年)に東元町に広大な校舎を建設し,幕末まで数多くの人材を育成しました。
明治に入り,廃藩置県・学制の発令により「佐川小学校」と改名し,中本町に佐川尋常小学校としての校舎の建築,玄関を移設しました。当時の門下生は武士の子どもがほとんどで、町人は牧野富太郎博士ともうひとりだけで,身分による差別があったそうです。明治時代に入っても身分制度の風習が残っていて,士族や武士の子供は上段に,一般の農家や商家の子供は下の段に座って勉強したということです。
「名教館」の建物は,2013年(平成25年)現在の場所に移築されました。
「らんまん」では,佐川町の牧野公園にある「青源寺」(せいげんじ)という寺の裏門とそこに続く石段が「名教館」という設定で撮影されました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは









