旅行をすると,なぜか,その土地にある美術館や動物園に行くことになるのですが,それと同じように,私は決して城マニアではないのですが,城に行くことも少なくありません。それは,その土地の名所や旧跡が城だからなのでしょう。
四国地方には,多くの城があります。とはいえ,何をもって城と定義するのかよくわかりません。石垣しか残っていない山城やら,戦国時代以前の城跡まで含めたら相当な数になるでしょうし,現在城郭らしき建物があっても,それが江戸時代からのものもあれば,近ごろの町おこしで作られた城まがいの博物館であったりします。
そこで,ここでは厳密には考えず,適当な話にしておくことにすると,私が調べたところでは,四国で天守のような建物が存在するのは,愛媛県では松山城,宇和島城,大洲城,今治城,高知県では高知城,香川県では高松城,丸亀城,徳島県では徳島城といったところでしょうか。
それらの多くはすでに行っているのですが,松山城,大洲城,今治城には行ったことがありません。というか,四国地方の中で,私は,松山市以外には北西部のあたりへ行ったことがないのです。また,松山市には行きましたが,なぜか,松山城は行った記憶がありません。
そこで,この旅では,2日目の午後と3日目,四国地方の北西部に行こうと思っていたので,このあたりにある今治城,松山城,大洲城へ行ってみようと,今日はまず,宿泊先である松山市に向かう途中にある今治城に寄ることにしました。
何度行っても,四国の高速道路がどうなっているのか,把握できません。
調べる気のない私が悪いのでしょうが,そもそも,四国に限らず,この国の高速道路は,どこが無料区間でどこが有料区間なのか不明なのです。調べても,なかなかわかりやすい情報が得られません。アメリカのように,地図で,有料区間と無料区間が色分けしてあればことが済むと思うのですが,何事も「日本人の知恵と発想の限界」がそうさせているのでしょう。
また,道路の名前のつけ方やナンバーリングひとつとっても,直感ではそれが何なのかわからないのです。これもまた,アメリカのインタ―ステイツのナンバーリングのような明確さがありません。
そんな次第なのですが,調べるのも面倒だったので,伊尾木洞から今治城まで,iPhoneのGoogleMapsが言うとおりに走ることにしました。今回私が借りた日産のNOTEという車は優秀で,車についていたワイヤレス充電器にiPhoeを置くだけでCarPlayが起動して,車のディスプレイに私のGoogleMapsが表示されました。
そうして,高知道を北に走っていくと,やがて,瀬戸内海が見えてきました。太平洋岸とはちがって,瀬戸内海側は家が多いです。川之江ジャンクションで松山道に乗り換えて,西に行くと,ほどなくして今治市が見えてきました。今治城に着いたので,駐車場に車を停めて,外に出ました。
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1604年(慶長9年)築城名人の藤堂高虎によって造られた今治城は別称「吹揚城(=吹上城)」といいます。それは「砂が吹き上げられる浜」に建てられたことに由来します。三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で,香川県の高松城,大分県の中津城日本と並んで,3大水城のひとつです。
1609年(慶長14年)に藤堂高虎は伊勢国津城藩に移封となり,その後は,藤堂高吉を経て,1635年(寛永12年)に伊勢国長島藩より松平定勝の5男松平定房が入り,明治維新まで今治藩・松平氏の居城となりました。
1869年(明治2年)に廃城となり,ほとんどの建築物が破却されたことや,その後に火災が発生したこともあって,城は破壊されましたが,石垣と内堀は江戸時代の姿を残しました。そして,1980年(昭和55年)に現在の天守が鉄筋コンクリートで建てられましたが,今治城の再建天守は,明確な資料が少ないため,史実に基づかない模擬天守です。
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まず,天守に登りました。昭和のころは木造での再建が認められていなかったので,鉄筋コンクリートで,今となっては魅力がありません。最上階からは,しまなみ海道の来島海峡大橋が見えるなど,瀬戸内海を眺望することができました。
その後,天守に連なる多聞櫓,御金櫓,そして,山里櫓,武具櫓とまわりました。
多聞櫓は自然科学館となっていて,魚貝類標本や鳥類の剥製などがありました。おそらく,ここが今治市の科学館なのでしょう。
御金櫓(おかねやぐら)は1985年(昭和60年)に再建された二の丸跡の東隅に立つ二重櫓で,内部は郷土出身作家による現代美術館になっていました。私が訪れたときは「水墨画風景今治の港・海・来島海峡大橋 松本奉山の世界」というものが開催されていました。松本奉山は,1925年に生まれ2010年に亡くなった今治市出身の女流水墨画家ということした。展示されていた水墨画は,私には興味深く思えましたが,ときどきやってくる観光客の人たちはまったく興味がなさそうでした。
山里櫓(やまざとやぐら)は1990年(平成2年)に再建された二の丸北西隅に立つ二重櫓で,内部は武具や古美術品が展示されていました。
また,鉄御門・武具櫓(くろがねごもん・ぶぐやぐら)は二の丸の表門で,2007年(平成19年))に再現復元され,内部が公開されていました。
今治城は,外観から見た景色はなかなかのものでしたが,内部は観光地としては古臭く感じました。
私は,今治というと,上質のタオル,というイメージが強く,愛用していますけれど,今治市自体は,瀬戸大橋で本州からつながっている交通の拠点としての位置づけで,観光地としての魅力はないようです。
私には期待外れでした。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは









