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大河ドラマ「平清盛」を続けます。
第15回「嵐の中の一門」で,常盤御前が登場しました。常盤御前は源義経の母です。
私は,子供のころ,よく京都の鞍馬寺に連れていってもらったので,そこで,「義経背比べ石」というものを身近に見ていました。また,市バスが五条大橋を渡るので,「京の五条の橋の上,大のおとこの弁慶は長い薙刀ふりあげて,牛若めがけて切りかかる。牛若丸は飛び退のいて...」という歌があることを聞いて,牛若丸と弁慶という名を知りました。しかし,そうした知識は童話的であり断片的でした。1993年に放送された大河ドラマ「炎立つ」で,源義経が東北の藤原三代に匿われたことが取り上げられていて,どうしてこの地に源義経が関わっているのか? と驚いたことすらありました。
また,旧中山道を関ヶ原宿から柏原宿まで歩いていたとき,途中に「常盤御前の墓」があって,これもまた驚きました。どうしてここに常盤御前?
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1138年(保延4年)生まれの常盤御前は, 近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女でした。
雑仕女の採用にあたり,藤原伊通の命令によって都の美女千人を集められ,その百名の中から十名を選んだ中で,聡明で一番の美女であったといいますが,これもまた,「平清盛」で描かれました。
やがて,源義朝の側室になり,今若,乙若,牛若を産みました。
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第28回「友の子,友の妻」では,源頼朝の助命と常盤御前について描かれています。
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平治の乱で捕らえられた源頼朝が平家盛の幼いころに姿が似ていたことから,母の池禅尼が哀れんで清盛に頼朝の助命を訴えたとありますが,ドラマでは,これをもとにしています。
また,常盤御前は子供たちを連れて雪中を逃亡したのち,平清盛の元に出頭し,子供たちが殺されるのは仕方がないことだけれども,子供たちが殺されるのを見るのは忍びないから先に自分を殺して欲しいと懇願しましが,その様子と常盤御前の美しさに心を動かされた平清盛は源頼朝の助命が決定していたことを理由に,今若,乙若,牛若を助命しました。「義経記」や「平治物語」では,平清盛が常盤御前によしなき心を抱き,子供の命を盾に返答を強要したという内容が記されています。
その後については、侍女と共に源義経を追いかけたという伝承があり,常盤御前の墓とされるものは岐阜県関ケ原町をはじめ,各所にあります。
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源頼朝や常盤御前の生んだ子供たちの命が救われたことが,やがて,平家滅亡につながるので,このあたりをうまく描く必要があります。でないと,ドラマは成立しません。「平清盛」では,こうした資料をもとにして,うまく物語が作られています。
さて,平清盛に助命を認められた今若,乙若,牛若は,それぞれ別の寺院に送られました。
今若はのちの阿野全成,乙若はのちの義円,そして,牛若がのちの源義経ですが,彼らの姿は「鎌倉殿の13人」にうまく描かれています。
無知な私は,源義経については知っていましたが,阿野全成と義円が源義経の実の兄弟ということすら知りませんでした。
このように,「平清盛」を見てから,改めて「鎌倉殿の13人」を見ると,まさに,伏線回収。その奥深さにのめり込むことになりました。これでまた,日本各地を旅する楽しみが増えたというものです。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは