【Summary】
Kenrokuen Garden, created in 1676 by the Maeda clan, was later restored and opened to the public in 1874. Though crowded, it felt more relaxing than Kanazawa Castle. However, I found Seisonkaku Villa, built in 1863 as a retirement residence, more appealing, especially its serene "Tsukushi Veranda Garden."
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金沢城の南東に百間堀通りを隔てて,広さが約12ヘクタール(約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度)の兼六園があります。以前行ったことがあると思うのですが,全く記憶にありませんでした。
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1676年(延宝4年)加賀藩5代藩主・前田綱紀が金沢城に面する傾斜地にあった藩の御作事所を城内に移し,その跡地に別荘「蓮池御殿」(れんちごてん)を建ててその周りを庭園化したのが兼六園のはじまりです。
1759年(宝暦9年)宝暦の大火で焼失しましたが,15年後の1774年(安永3年)から1776年(安永5年)にかけて,10代藩主・前田治脩(はるなが)によって再興され,庭園が整備されました。
また,1822年(文政5年)11代藩主・前田斉広(なりなが)の依頼に応じて,白河藩主松平定信が兼六園と命名しました。
明治時代になって,1874年(明治7年)から正式に一般公開されました。
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かなり混雑していたのが難点でしたが,張りぼてだと感じた金沢城に比べたら,くつろげる場所でした。
とはいえ,私は,兼六園の庭園以上に,成巽閣(せいそんかく)に興味をもちました。ここは入館料が必要なので,観光客がぐっと減るのが,また,よいのでした。
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現在,歴史博物館として一般公開されている成巽閣は,1863年(文久3年)に加賀藩12代藩主・前田斉泰が母・真龍院の隠居所として建てれらたものです。
金沢城から見て巽の方角(東南)にあること,京都の鷹司家が辰巳殿とよばれていた事にちなんで, 建築当時は巽御殿(たつみごてん)とよばれていましたが,後に成巽閣と改められました。
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成巽閣は,武家書院造と数寄屋風書院造をひとつの棟の中に組み入れた巧みな様式をもつ建造物で,また,大名正室の御殿ということで,優しい様相を呈しているといわれます。
私が落ち着いたのは,御居間である「蝶の間」に面した「つくしの縁庭園」でした。
京都などには多くの庭園がありますが,ここの庭園はそれに勝るとも劣らないものでした。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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