【Summary】
Honda-no-Mori Park, established in 1978, spans 5.9 hectares on the former site of the Honda family's samurai residences during the Kaga Domain era. It features cultural institutions such as museums, a Noh theater, and is known for its serene and lush environment.
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金沢城,兼六園と続く,さらに南東の地区に,本多の森公園(ほんだのもりこうえん)があります。
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本多の森公園は石川県営の都市公園で,多くの文化施設が整備されています。公園開設は1978年(昭和53年)で,敷地面積は5.9ヘクタール(約5ヘクタールがプロ野球のグランド程度)。本多の森公園は加賀藩期の家老本多家の武家屋敷が軒を連ねていたところで,戦後は金沢美術工芸大学の用地でしたが,現在は,石川県立美術館,石川県立歴史博物館,加賀本多博物館,石川県立能楽堂,石川県立伝統産業工芸館,石川護国神社,国立工芸館などがあります。
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公園内には常緑広葉樹林が多く散歩道が整備され,とても心落ち着くところでした。金沢城,兼六園と観光客でごった返していたのですが,この場所は一転して,ほとんど人のいないすばらしい場所でした。
私は,休日の東京の様を連想して,レストランはどこも激混みだと思って,この場所にあったキッチンカーでカレーを買って,そのあたりのベンチで昼食をとりました。その後,石川県立歴史博物館へ入りました。
なかなかすばらしい場所でした。もし,金沢市に住んでいたら,この場所はお気に入りになっていることでしょう。
さて,こうして金沢市の観光を終えて,そろそろコンサートの時間が近づいてきたので,金沢駅に戻ることにしました。
金沢市の中心街を香林坊(こうりんぼう)といいます。変わった名前で,どこかの寺ではないのかとはじめて来たときは戸惑いました。
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町名の由来は,戦国時代,比叡山の僧であった香林坊が還俗してこの地の町人向田家の跡取り。向田香林坊(むこうだこうりんぼう)となり,以来目薬の製造販売に成功して「香林坊家」として繁栄したという説が有力です。
江戸時代には商店街として共に発展,明治時代になり金沢城に旧制第四高等学校が開校したことから学生向けのカフェや映画館などが集積することとなり,北陸最大の繁華街となりました。
一時期衰退しましたが,現在は,若者の街から大人の街へと変貌しつつあります。
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この日は土曜日ということもあり,昼食をとるところもないのでは,と私はキッチンカーのお世話になったのですが,金沢市街は,意外や意外,食事をとる場所はいくらでもあるのでした。
確かに,現在の金沢市は外国人観光客でごった返しているのですが,彼らのほとんどは,行く場所が限られていて,そこを少し外すと,昔の小京都金沢がまだいくらでも残っているのでした。
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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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