【Summary】
At Kyoto Symphony’s concert, Dvořák, Wieniawski, and Mozart’s Requiem were performed. The contrast between Mozart’s fragments and Süssmayr’s completion, especially from “Lacrimosa” onward with trombone parts, struck me deeply.
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ドヴォルザークのロマンスヘ短調,ヴィエニャフスキのファウスト幻想曲,この2曲をHIMARIさんの演奏で聴くことができただけでも大満足だったのに,さらにモーツァルトのレクイエム,通称「モツレク」が演奏されるというのは,すごいサービスでした。
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●モーツァルトのレクイエム
モーツァルトの遺作となったレクイエムは,大部分を作曲途中で残し,弟子であるジュスマイヤー(Franz Xaver Süssmayr)がそれを完成させました。
よく知られているのは,第8曲(Ⅲ続唱(Sequentia)の第6曲)「涙の日」(Lacrimosa)の冒頭8小節までをモーツァルトが書き残し,弟子のジュスマイヤーが補筆完成させたということです。なお,自筆譜の「涙の日」の9小節目と10小節目もソプラノが書かれていますが,これは弟子のアイブラー(Joseph Leopold Eybler)による補筆です。
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[モーツァルトが完成させた部分①]
第1曲「入祭唱」(Introitus)
第2曲「キリエ」(Kyrie)
[モーツァルトが草稿を残した部分②]
第3曲「怒りの日」(Dies irae)から第7曲「呪われた者」(Confutatis)までのメロディーラインと低音部
第8曲「涙の日」の冒頭8小節
[ジュスマイヤーが補筆完成させた部分③]
第3曲「怒りの日」から第7曲「呪われた者」,第8曲「涙の日」冒頭8小節までのオーケストレーション
第8曲「涙の日」9小節以降と第9曲「奉献唱」(Offertorium)以降
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さらに,レクイエムではトロンボーンの問題があります。
トロンボーンは特定の箇所で「追加」または「補筆」されています。モーツァルト自身が完成させた部分はトロンボーンのパートが明確に書かれていない箇所もありますが,弟子のジュースマイヤーなどが補筆した部分にはトロンボーンのパートが含まれています。そのため,モーツァルト自身が書いた部分とジュースマイヤーが補筆した部分でトロンボーンのパートの有無が異なります。具体的には
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[モーツァルト自身が書いた部分①②]
これらの部分に,トロンボーンのパートが明確に書かれていないところがあります。
[ジュースマイヤーが補筆した部分③]
これらの部分にはトロンボーンのパートが含まれています。つまり,補筆された部分では非常に重要な役割を果たしています。
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ということです。
私は,トロンボーンが象徴的に演奏される第4曲(Ⅲ続唱(Sequentia)の第2曲)「奇しきラッパの響き」(Tuba mirum)が自筆譜にどう書かれていたのか気になっていました。で,やっと自筆譜を見つけ出しました。この曲では,自筆譜に,確かに,トロンボーンが明確に書かれていました。
今回の演奏では,トロンボーン,とってもよかったです。京都市交響楽団は,本当に金管楽器が上手です。これで,「モツレク」がより引き立ちました。
「モツレク」はこれまで何度も聴いていますが,これほどのめり込んで聴いたのは,今回がはじめてでした。そこで思ったのは,第9曲「奉献唱」以降,がらっと曲の雰囲気が変わる,ということでした。モーツアルトらしい憂いさがないというか…。このことも助けとなって,第8曲「涙の日」の冒頭8小節がより衝撃的に聴けます。そして,こころに染みます。泣けます。
映画「アマデウス」でも,この部分が非常に象徴的に描かれていました。
今回は,ソリストがオーケストラの左右の端に座り,歌うときだけステージの中央,指揮者の横に出てくる,という演出でした。ステージが狭いから,なのかもしれませんが,これが少し煩わしいと感じました。しかし,それはともかく,モーツアルトのレクイエムはすばらしい曲です。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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