【Summary】
The February 2026 Kyoto Symphony concert, conducted by Jan Willem de Vriend, paired Schubert’s youthful, dramatic Symphony No. 4 with Bruckner’s rarely heard Third Symphony in its original 1873 version. The performance highlighted contrasts between lyric intensity and raw, expansive writing, emphasizing silence as a vital musical element.
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京都市交響楽団の2月定期演奏会を聴きました。
2026年2月13日に行われたこのコンサートは,指揮が首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーントさんで,曲目がシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」(Tragische)とブルックナーの交響曲第3番第1稿(初稿)でした。
シューベルトとブルックナー,いつものように,なかなか魅力的な組み合わせです。
京都市交響楽団のXに
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今回は初稿を演奏しますが,マエストロはこの曲で
「「静寂」を音楽として響かせたい」と語っていました。「信じられないほど多くの休止が打たれていて,こんなにも「静寂」がある交響曲を他に知りません。今回の演奏で,この大胆さ,力強さ,そして静寂を,音楽として響かせることができたらと願っています。
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とありました。
1816年,シューベルトが19歳のときに書かれた交響曲第4番は,シューベルトの交響曲の中では珍しい短調(ハ短調)の作品で,ベートーヴェンの影響を感じさせつつもシューベルトらしい旋律美と和声の豊かさが光ります。
深い静けさと緊張感をたたえ「悲劇的」な雰囲気をもつ第1楽章の導入部から一気にエネルギッシュな主部へと展開しくので,若きシューベルトの情熱と構成力が感じられ,少し影のある美しさが魅力的な曲です。
ブルックナーの交響曲第3番は第1稿ということです。私は,かつて,NHK交響楽団の定期公演で,ブロムシュテッドさんが指揮をしたものを聴いたことがありますが,ほとんど演奏されません。
そもそも,ブルックナーの交響曲は,オーストリアの田舎者が書いた素朴で洗練されていない交響曲と揶揄されますが,だからこそ,多くの人がやんのやんのとケチをつけるので,改訂を経るうちに,それでも,なんとか都会らしさを身につけていきました。そこで,改訂されていないものは,その泥臭さがふんだんに残っています。
ここで何度も書いているように,私は,交響曲第8番の第1稿を聴いたとき,聴きどころになると変なメロディが出てきて邪魔をし,突然おかしなことになり,こりゃないぜ,と思いました。それは,おそらく,聴きなれた第8番だったので,それと違うものに戸惑いがあったということでしょう。しかし,ほとんど聴くことのない第3番は,そうした先入観がないだけ,第1稿に新鮮さを感じます。
ということで,1873年に書かれ,後年の改訂版に比べて自由で荒削り。ワーグナー的な響きや長大な構成が残っている「そのままのブルックナー」を感じさせる,なが~い第3番の第1稿を「「静寂」を音楽として響かせたい」と願うマエストロですが,それは,音の間や余白にまで神経を感じるものに違いないものになる,と期待したのでした。
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