しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ: 旅のエッセイ

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【Summary】
On April 3, 2026, I took a day trip to the Shima Peninsula as a preliminary survey for future hiking by train. Driving to Kihoku, I visited Shiobama Sanmura Square, expecting scenic coastal views, but found only a fishing port, realizing my misunderstanding before heading home.

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 先に,2026年4月22日に行った松坂市のことを書きましたが,その少し前の4月3日,ドライブを兼ねて,日帰りで志摩半島へ行きました。遠いところにはずいぶん行っているのですが,むしろ,近場を知らず,特に,三重県は通り過ぎることはあれど,これまで,桑名市や四日市市の旧東海道を歩いたり,ずっと気になっていた尾鷲市に行ったくらいで,それ以外のところは,子供のころに父親に連れられて毎年行っていた伊勢神宮や二見浦のほかには知りませんでした。
 そんなわけで,この先,気候のよいときを選んで,近鉄電車で,気の向くところで降りて,ひと駅かふた駅くらいをハイキングしようと思っているのですが,その予備調査,ということでもありました。

 まずは,高速道路で紀北町まで行くことにしました。 どうして紀北まで行こと思ったのかというと,塩浜山村広場というところが,いつか見たネットに紹介してあって,ずっと,気になっていたからでした。自宅から約3時間です。
 蟹江インターチェンジから東名阪自動車道に乗って関ジャンクションまで行き,そこから伊勢自動車道で勢和多気ジャンクションまで,そこで近畿自動車道紀勢線に乗り換えて,紀伊長島インターチェンジで降りました。 途中,桜が満開で,美しい風景が続いていました。伊勢自動車道から南はとても空いていました。紀伊長島インターで降りてから,そのまま一般道を少し進んで,JRの紀伊長島駅に着きました。紀伊長島駅はさびれた無人駅でした。
 以前,列車で紀伊半島を1周しようと特急「南紀」でこの辺りを通ったことがありました。列車の窓から見える海岸の景色はすばらしいもので,いったい,どんなところなのだろう,とずっと思っていました。とはいえ,実際,車で走ってみると,道路は狭く,また,海岸に沿って道路があるわけでもないから,このごろは,こうした風景は,列車の窓から見るのが一番だと思うようになりました。
 
 塩浜山村広場は,紀伊長島駅からは数キロメートルほど戻ったところでした。しかし,行ってみて驚きました。
 私は,とんだ勘違いをしていたのでした。塩浜山村広場からは,志摩半島のリアス式海岸が美しく眺められると思い込んでいたのです。しかし,単なる漁港でした。どこかに車を停めて,30分ほど山に登ると高台に行くことができるようでしたが,車をどこに停めればよいのか,皆目わかりませんでした。
 まあ,どんなところなのかわかってよかったわい,と納得することにして,そのまま,さまざまなところに寄りながら,自宅をめざして戻ることにしました。


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【Summary】
In Matsusaka,I visited historic sites including Gojoban Yashiki, Harada Jiro Former Residence, and Former Ozu Seizaemon House. These reflect samurai and merchant life. The area, also linked to Mitsui Takatoshi, prospered as a merchant town due to few resident samurai and active commerce.

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 松阪城跡を出て,「旧長谷川治郎兵衛家に響く弦の調べ・歴史を紡ぐ音~ヴァイオリンとヴィオラの共演~」が行われる旧長谷川治郎兵衛家まで行く間に,松阪市の見どころを巡ることにしました。
 はじめに行ったのが,御城番屋敷(ごじょうばんやしき)でした。
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 現在の松阪市は,江戸初期には紀州藩領となり,支城として維持された松阪城の警備を担当するため,紀州藩士10家族が派遣され,1853年(嘉永6年),そのために建てられたのが御城番屋敷でした。
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 御城番屋敷には,明治以降も子孫が住み続け,町並みが破壊されずに残っています。1戸のみ内部公開していて,武士の生活空間が見学できました。

 次に訪れたのが原田二郎旧宅(はらだじろうきゅうたく)でした。
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 原田二郎旧宅は,松阪の豪商・原田二郎の邸宅で,明治期に建てられ,松阪の豪商文化を象徴する,静かで気品ある近代和風邸宅です。御城番屋敷とは対照的に,明治以降の松阪商人の財力・美意識・生活文化を体感できる場所となっています。
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 武家屋敷でも町家でもない豪商の近代和風邸宅という点が魅力で,書院造を基調とした上質な和風建築です。
 その次に訪れたのが,旧小津清左衛門家(きゅう・おづ せいざえもんけ)でしたが,その途中で昼食をとりました。
 松阪といえば松阪牛。「牛銀」という店が有名ですが,私はひとりだったので,近くにあった「牛銀」が経営する「肉うどん青柳」という店に入りました。後で聞くところでは,「牛銀」に隣接する「洋食屋牛銀」はひとり旅でも昼食がたのしめるということだったので,次回行くときは利用しようと思いました。

 さて,旧小津清左衛門家です。
 小津家は,伊勢商人の代表格で,江戸で紙問屋として成功し,現在の小津和紙へと家系は続いています。
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 旧小津清左衛門家は,江戸時代に伊勢商人として活躍した小津家の本宅で,17世紀後半に建てられたとされる町家です。
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 江戸期の町家建築がほぼ完全な形で残る点が最大の魅力です。旧長谷川治郎兵衛家が豪商の大規模町家なら,旧小津清左衛門家は江戸進出を果たした伊勢商人の原点を感じる町家です。
 松阪市は,また,三井家発祥の地です。
 旧長谷川治郎兵衛家,旧小津清左衛門家,原田二郎旧宅と並べると,三井家発祥の地は松阪商人のはじまりそのものとして位置づけられます。
 三井家発祥の地は,江戸時代初期の三井高利を生んだ三井家の本宅跡で,現在は記念碑と説明板が整備された史跡です。三井高利は三井財閥の祖で,江戸で「越後屋」を開き現金掛値なしの画期的商法を導入し,のちの三越・三井財閥へとつながる巨大経済圏を築いた人物です。

 松阪の地が商人の町になったのは,武士が少なく商人が多い町だったことから,藩主が常駐せず,城代支配で武士人口が少なかったため,商業活動が活発になったことが理由といわれます。

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【Summary】
Motoori Norinaga, an Edo-period scholar from Matsusaka, transformed the study of the Kojiki, previously unread due to its archaic language and low status. Through his 44-volume Kojiki-den, he revived it as a central Japanese classic. His study, “Suzunoya,” symbolized purity, Shinto spirit, and his unified scholarly identity.

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  天守台の周りには,松阪市立歴史民俗資料館と本居宣長記念館,そして,本居宣長が実際に暮らしていた邸宅を移築した「鈴屋」(すずのや)がありました。 
 松阪市立歴史民俗資料館は,1978年(昭和53年)に開館した,松阪市の歴史,民俗,商人文化を紹介する博物館です。建物は,1912年(大正元年)に建築された旧飯南郡図書館です。
 1階は,松阪商人の歴史資料が展示され,2階は小津安二郎記念館となっています。
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 小津安二郎は,1903年に生まれ1963年に亡くなった日本映画を代表する映画監督です。「晩春」「麦秋」「東京物語」など,家族の姿を静かに深く描いた作品で知られ,サイレント映画から戦後まで約35年にわたり54本を監督しました。
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 小津家はもともと 伊勢商人の名家・小津新七家の分家で,小津安二郎自身も,1913年に松阪へ移住し,少年期を松阪で過ごし,松阪は小津安二郎の原風景と言える土地です。

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 本居宣長は,1730年に生まれ,1801年に亡くなった,江戸時代中期から後期の国学者で,「古事記伝」を著して日本古典研究を決定的に変えた人物です。現在の松阪市出身で,町医者として生涯を送りながら,国学を体系化しました。
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 荷田春満・賀茂真淵・平田篤胤と並ぶ国学の四大人のひとりで,「古事記伝」44巻を35年かけて完成 しました。33歳のとき,松阪を訪れた賀茂真淵と出会い,これが「古事記」研究への決定的な転機となりました。
 書斎「鈴屋」(すずのや)は,移築されて現在も松阪城跡に残り,見学することができます。本居宣長が実際に暮らし,研究した書斎で,中二階の四畳半で,階段が取り外し式という独特の構造をもっています。「鈴屋」というのは,鈴が本居宣長の学問,精神の象徴だったからで,本居宣長自身が深い意味を込めて名づけました。鈴は,①「すずし=清らかで澄んだこころ」とし,本居宣長は「古典を読むには心を澄ませることが大切」と考えました。②「神前の鈴=神道的な清浄の象徴」とし,本居宣長は,古代の神道を重んじ「古事記」や「日本書紀」に宿る古のこころを探ろうとしました。本居宣長にとって,鈴は 古代のこころへ通じる清めの象徴でした。③「鈴屋大人」(すずのやのうし)という号を自ら名乗った本居宣長は,自分の雅号として「鈴屋大人」(すずのやのうし) を用いました。そこで,「書斎の名=自分の学問の名=自分自身の名」という一体化した世界観を持っていました。

 本居宣長が「古事記伝」を書く18世紀まで,「古事記」はまともに読める人がほとんどいなかったというのが実態でした。存在は知られていましたが,内容は理解されていませんでした。本居宣長は,そこを根本から変えた人物です。
 「古事記」が読まれなくなっていたのは,言語が古すぎて読めなかったというのが理由のひとつでした。特に問題だったのは万葉仮名の表記と文法の古さでした。
 ふたつめは,「日本書紀」の方が権威があったので,学問の中心は「日本書紀」で「古事記」は周縁に追いやられていたことがあげられます。そのため,本居宣長以前に「古事記」を本気で読んだ人はほぼおらず,本居宣長は 「「古事記」は久しく読まれず荒れたる書なり」と書いています。
 本居宣長によって,はじめて「古事記」が読める形になりました。その結果,「古事記」は「忘れられた書」から「日本古典の中心」へ復活しました。私が今,「古事記」を楽しめるのも本居宣長のおかげなのです。

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【Summary】
I climbed the tenshu base of Matsusaka Castle and looked out over the city. From there, I could see the layout of the former castle town and imagine its history. The view gave me a clear sense of how the town developed around the castle and its enduring historical atmosphere.

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 多くの人がそうであるように,私も,三重県というと,伊勢志摩,というイメージが強く,ほかの場所のことはあまりよく知りません。家から近いこともあり,桑名市は行ってみたことがあるし,四日市あたりの旧東海道は歩いてみましたが,それ以外の場所は通り過ぎることはあっても,観光をしたことがありませんでした。それでも,松阪市は,松阪牛と本居宣長生誕の地,ということで,どんなところなのかなあと,ずっと気になっていました。
 昨年2025年4月に放送されたNHK「ブラタモリ」で松阪市がテーマで取り上げられました。そこで知ったのは,松阪市は,かつて松阪商人の町だったということで,立派な商家の建ち並ぶ魅力的なところでした。そこで,ぜひ,機会があれば行ってみたいと思うようになりました。そうした折り,2026年4月12日に,松阪市の旧長谷川治郎兵衛家で「旧長谷川治郎兵衛家に響く弦の調べ・歴史を紡ぐ音~ヴァイオリンとヴィオラの共演~」が行われたので,それを機会に,朝から松阪市に行って,街を巡ることにしました。
 ところで,松阪か松坂か? 疑問に思っていたので,まず,松阪か松坂か,について書きます。
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 江戸時代の文献や古地図では松坂と書かれているものが多く,江戸期の表記は松坂が一般的でした。 明治以降,地名表記の整理が進む中で,大阪・阪神など阪の字が使われたこともあり,松阪となりました。現在の正式表記は松阪が正しい地名で,1945年(昭和20年)の市制施行時に松阪市と表記が統一され,現在に至ります。
 いずれにしても,読み方は,ともに,まつさか,です。
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 名古屋駅から松阪駅までは,近鉄電車の特急を利用しましたが,1時間6分,特急料金込みで2,870円でした。私はさらにひとり席のデラックス車両に乗ったので,320円が追加されました。到着した松阪駅はJR関西本線と共有でした。もともとは,近鉄電車が独占のような形でしたが,近ごろは,近鉄電車の特急と時間がほぼ同じで普通料金だけで行けるJRの快速「みえ」が1時間8分,1,690円で運行しているので,多くの乗客がJRを利用しているようです。私は近鉄電車を利用したのですが,ぜいたくしなければJRのほうがずっとお得です。
 松阪駅で降りて,まず,松阪城跡へ行ってみようと思いました。はじめて来た地はよくわからないので,とりあえず見つけた「豪商のまち松阪観光交流センター」で説明を聞いて,街歩きの地図をもらいました。
 松阪城跡は歩いて20分ほどでした。松阪城跡までの街並みは美しく,歩いていて快適でした。
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 梯郭式の平山城・松阪城は,1588年(天正16年)に蒲生氏郷が築いた「石垣の名城」で,蒲生氏郷が会津へ移封後,服部一忠,古田重勝・重治と続きましたが,1619年(元和5年)以降は紀州藩領となりました。
 本丸西隅に三重五階の天守がありましたが,1644年(寛永21年)の大風で倒壊し,その後再建されず,さらに,明治期の失火・破却で建物はほぼ失われてしまいました。
 現在は,天守台,本丸・二の丸・三の丸跡,御城番屋敷,本居宣長旧宅が隠居丸跡に移築されています。
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 私は,まず,天守台に登って,松阪市街を眺めました。
 ほとんど観光客もおらず,私好みの静かなところでした。2022年11月に行った高知県檮原町(ゆすはらちょう),先日行った白河市など,日本にはこうした落ち着いた美しい,そして,意外と知られていない小都市があります。住みたいと思える街でした。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Tourist Pass, I visited several places around Anjo Denpark, the Anjo City Museum of History, Hekinan Seaside Aquarium, the Hekinan City Tatsukichi Fujii Museum of Contemporary Art, and the Takahama Kawara Museum and Library. I also drove through the Kinuura Tunnel. The pass allowed me to visit 31 of 35 sites, making it a rewarding way to discover many places I might not otherwise have explored.

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 4,500円で,愛知県の施設35か所に入ることができるという「あいち・なごや周遊パスポート」を使って,さまざまな施設を訪れていますが,期限の3月13日も近づき,3月12日は,デンパークとその周辺を訪れました。これが最後となりました。

●安城産業文化公園デンパーク
 安城産業文化公園デンパークは, 安城市がかつて「日本デンマーク」と呼ばれた歴史を背景に、花・農業・北欧文化をテーマにした公園として整備されています。1989年「農業公園をつくろう」という市議会の要望からはじまり,1997年4月29日に開園しました。私は,開園したことに行ったことがあるとおぼろげに記憶しているのですが,何も覚えていませんでした。
 中に入ってみると,デンマークの街並みを再現したフローラルプレイス(花の大温室),高さ19メートルのデンマーク風の風車などがあり,メルヘン号という100パーセント電気で動く汽車型バスが走り,子ども向けの屋内外遊び場や屋外の木製アスレチック,幼児向け遊具などがあって,小さな子供から大人まで楽しめる施設でした。
 お昼は,ローラルプレイス内の「カフェ&ブロムスター」で,安城産のチンゲンサイやイチジクソースを使用した「デンバーガー」をいただきました。程よい規模の楽しい施設でした。

●安城市歴史博物館
 安城市歴史博物館は,安城市の歴史を古代から中世の安祥城と松平氏ゆかりの歴史,近代農業の発展,市民の暮らしの移り変わりなど,多角的に紹介する博物館です。
 常設展では,安祥松平家と安祥城の歴史が詳しく展示されていました。また,企画展では「村中安全-江戸時代の村と人々の営み -」が行われていました。これは,江戸時代の農村の暮らしについて多くの資料が展示されたものでしたが,こういう展示はあまりないので,ためになりました。
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 ちなみに,安城では安祥(あんしょう)とかかれたものを目にします。これの違いを調べてみました。
 安祥は中世の地名,城名です。安祥は,平安時代から室町時代,戦国期に使われた歴史的な地名で,安城市歴史博物館のある場所に築かれたのが安祥城で, 徳川家康の祖先である松平家4代の本拠地として重要な役割を果たしました。
 江戸時代以降,地名表記は,安祥(あんしょう)から安静(あんじょう),安詳(あんじょう),安城(あんじょう」と変化し,安城へ統一されていきました。

 安城市から南に走ると,碧南市に着きます。私は,碧南市には行ったことがないと思っていたのですが,途中で,本證寺の横を通って,来たことがある,と思い出しました。また,碧南市芸術文化ホールではヴァイオリンのコンサートを聴いたこともあるし,明石公園に行ったこともありました。
●碧南海浜水族館
 碧南海浜水族館は,「地域密着型の本格水族館」として,約260種から300種を展示する施設で,1982年(昭和57年)に学習,観光拠点として誕生しました。
 矢作川や三河湾など地元の水環境をテーマに整備されています。
 日本沿岸の魚類を中心に,絶滅危惧の日本産淡水魚の保護,展示をめざし, 幅15メートル,水量200トンの大水槽があり,クロアチアから寄贈されたホライモリ(ドラゴンズベビー)を日本で唯一展示しています。
 大きな水族館ではないのですが,きちんと説明がされ,すばらしいところでした。

●碧南市藤井達吉現代美術館
 碧南海浜水族館から少し南に県道50号線を走っていくと,かつて,見たことがあるお寺を通りました。そのとき,ここはどういうところなのか? と思ったのですが,再びその場所を通るとは思いませんでした。それは,法応山西方寺という寺院でした。そして,道を隔てて,碧南市藤井達吉現代美術館がありました。
 藤井達吉は,碧南市出身の美術工芸家です。碧南市藤井達吉現代美術館は,藤井達吉を顕彰しつつ,現代美術・工芸・教育普及を行う地域文化の拠点として,2008年に開館した公立美術館です。ここでは,藤井達吉の作品は小さなフロアに展示されていただけだったのですが,2階には「HEKINANからそれぞれのスピリッツ展」が開催されていて,多くの作品を鑑賞することができました。

 そして,最後に訪れたのが高浜市やきものの里かわら美術館でした。
●高浜市やきものの里かわら美術館・図書館
 高浜市やきものの里かわら美術館・図書館は,1995年に開館した「瓦のまち高浜」を象徴する,日本で唯一の「瓦をテーマにした美術館」と図書館が一体となった文化施設です。
 外観は瓦を運んだ千石船をイメージした建築となっていて,常設展示では,世界の古代瓦,鬼瓦,飾り瓦,鬼師(おにし)の技術紹介や,三州瓦の歴史が展示されていました。今回は何もやっていなかったのですが,企画展や特別展も行われるようです。 

 こうして,結局,「あいち・なごや周遊パスポート」の設定した35カ所のうち,31カ所に行くことができました。残ったのは,南知多ビーチランド,愛知県美術館,そして,期限内には設定がなかったクルーズ名古屋,行ってみたけれど,休館日だった小原和紙美術館でした。
 おそらく,こんな機会でもなかったら行くこともなかった場所も多く,有意義でした。
 最後に,自宅に帰る途中で,衣浦トンネルを通ってみることにしました。
●衣浦トンネル
 衣浦トンネルは,半田市と碧南市を結ぶ日本初の,海底に沈めた函を連結する工法である沈埋式海底トンネルで,全長は約1.7キロメートル。1973年(昭和48年)に開通した重要な港湾インフラです。現在は新旧2本のトンネルがあり,車道は有料・歩行者自転車道は無料で利用できます。
  普通車の通行料金が260円の有料道路で,無料の衣浦大橋を通ればいいのですが,一度通ってみたかった,というのがこのルートを選んだ理由でした。車道とは別に無料の人道トンネルが設置され, 地下11階相当まで階段で降りて,全長約480メートルの海底通路を歩いて渡ることができるので,時折,旅番組などにも出てきます。

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【Summary】
I visited Okazaki Castle and the Mikawa Samurai and Ieyasu Museum after changing my plan because Denpark in Anjo was closed on Tuesday. Okazaki Castle is known as the birthplace of Tokugawa Ieyasu. Although historically important, the reconstructed concrete castle and the area felt less attractive than the lively surroundings of Inuyama Castle.

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 4,500円で,愛知県の施設35か所に入ることができるという「あいち・なごや周遊パスポート」は,2025年5月26日から2026年1月31日に販売されて,使用できる期間は2025年5月26日から2026年3月13日まで。はじめて使った日から90日間有効というものです。
 知ったのが1月30日でしたが,私の性格上,全部行ってみようと考えて,それ以来,天気のよい日を見つけては訪ねあるいていたのですが,それもあと数日となりました。しかし,さすがに,三河地方は遠く,まだ10カ所以上が残っていました。
 2026年3月10日火曜日は,安城市の安生産業文化公園デンパークをはじめとして,西三河の対象施設を巡ろうを考えて家を出たのですが,何と,安生産業文化公園デンパークは火曜日休みではないですか。そこで,急遽変更して,岡崎城と三河武士のやかた家康館に行くことにして,安城市の周辺は,また後日,ということにしました。
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 何度も書ききますが,三河地方は遠い。愛知県はおなかのふくれた金魚のような形をしていて,おなかのあたりになる,西尾市,碧南市,安城市,高浜市あたりは,愛知県に住んでいてもその地方に住んでいなければ縁が薄い。なにせ,交通の便が悪いのにも関わらず,自動車産業トヨタの地盤なので,トラックの交通量が多く,わざわざ行こうとも思わないのです。位置関係もよくわかりません。
 それでも,岡崎市は,東名高速道路が走っているので,便利なほうです。とはいえ,以前,東名高速道路が工事をしていて,大渋滞を引き起こしていたとき,一般道もまた,異常な渋滞となり,どうにもならなくなった思い出があります。この日は,そんなこともなく,岡崎インターチェンジまでたどり着きました。ここから,岡崎城は,国道1号線を西に,岡崎市内まで引き返すことになります。

●岡崎城
 三河国の仁木氏の守護代であった西郷稠頼は,永享年間(1429年から1441年)に,乙川の南岸の明大寺付近に居館「平岩城」を構えていましたが,1452年(享徳元年)から1455年(康正元年)に,乙川北岸の龍頭山とよばれる半島状段丘の先端に砦を築きました。これが旧岡崎城に当たるものです。
 3代目当主・西郷信貞(=松平昌安)は「平岩城」を居所としてこの地を支配していましたが,1524年(大永4年),松平清康(徳川家康の祖父)の命を受けた大久保忠茂等が奇襲により西郷信貞の持城・山中城を落城。松平清康は西郷信貞に岡崎城を明け渡させ,本拠としましたが,のち,龍頭山の砦へと本拠を移し,本格的な岡崎城を構えた。これが現在の岡崎城です。
 1535年(天文4年)に松平清康は尾張国の陣中で家臣の謀反により命を落とし,子の松平広忠が跡を継ぎました。そして,1542年(天文11年)に城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれました。
 1549年(天文18年)に松平広忠が死去し,岡崎城は今川家の支城として城代が置かれました。
 1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると,徳川家康は岡崎城を取り戻しましたが,1570年(元亀元年)に徳川家康は本拠を浜松城に移し,岡崎城は子の松平信康が入りましたが,謀反の疑いをかけられて自刃し,以後,重臣の石川数正,本多重次らが城代を務め,1590年(天正18年)に徳川家康が関東に移封となると豊臣家臣の田中吉政が入り,城を整備,また,城下町の整備も積極的に行い,現在の岡崎城の原型を造りました。
 関ヶ原の戦いののち,1602年(慶長7年)に徳川氏譜代の重臣である本多康重が上野国白井より5万石で入城し,以降,徳川家康誕生の城として重要視され,譜代大名が歴代の城主を務めました。
 明治維新後の1873年(明治6年)の廃城令によって廃城となり,曲輪と石垣,堀などの遺構を残すのみとなりましたが,1959年(昭和34年)天守が復興されました。この時代に復興された城は,外観こそ江戸時代のままですが,建物は鉄筋コンクリートで,何の魅力もないものです。

●三河武士のやかた家康館
 三河武士のやかた家康館は,岡崎城の敷地内にある歴史博物館です。
 1977年(昭和52年)に,トヨタ自動車が岡崎市に5,000万円を寄付。これを基金として造られたものです。1982年(昭和57年)開館。館内は,地下1階の常設展示室ほか,1階展示室,特別展示室,甲冑試着体験室,映像コーナー,書籍コーナーがあります。常設展示室では,徳川家康や徳川家康に仕えた三河武士の人間像,時代の移り変わりなどが展示されています。
 また,2023年(令和5年)に,大河ドラマ「どうする家康 岡崎大河ドラマ館」として整備され,ドラマ終了後は,展示を改装し,リニューアルオープンしました。
 私は,「どうする家康 岡崎大河ドラマ館」のときに一度訪れたことがありました。この日は,企画展として「幕末維新の刀剣・新々刀」が行われていました。展示されている刀は,先日行った名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールドのものも多くありました。

 このように,この日は,岡崎城と三河武士のやかた家康館に行きましたが,気の利いた食事処もほとんどないか,お休みしていて,前日に行った犬山城とそのまわりの観光地に比べると,あまり,魅力のないところでした。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya sightseeing passport, I visited the Museum Meiji-Mura and also went to Inuyama Castle. Although I had visited Meiji-Mura recently, I returned mainly to see Inuyama Castle again. The castle, one of Japan’s national treasures with the oldest surviving wooden keep, offered beautiful views from the top.

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 4,500円で,愛知県の施設35か所に入ることができるという「あいち・なごや周遊パスポート」を使って,さまざまな施設を訪れていますが,2026年3月9日は,明治村行ってきました。そして,そのついでに,「あいち・なごや周遊パスポート」の対象外ですが,犬山城にも行ってきました。
 明治村は昨年12月に行ってきたばかりだったのですが,「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設だったので,再び行ってみたわけですが,主たる目的は,犬山城でした。犬山城もまた,2018年6月に行ったことがあるのですが,なかり以前のことだったので,また,行ってみたかったのです。

●明治村
 3月9日に行ったときは,早朝雪が降ったこともあり,駐車場までの道路にはまだ雪が残り,また,園内も雪がいい雰囲気を残していたのですが,今回はそんなこともなく,また,思ったよりも混んでいました。学生さんの遠足なのか,修学旅行なのかで,ざわざわしていました。
 私は,行ったばかりということもあり,特にやりたい,みたいというところもなかったので,ゆったりと写真を撮ってまわることにしました。ここは絵になります。また,昼食,前回は,かなりぜいたくして牛鍋を食したので,今回は,明治時代のカレー,とやらにしました。
 明治村では,集客のために,さまざまなイベントが行われています。私は,そもそも「鬼滅の刃」そのものをまったく知らないので,関心がありませんが,「鬼滅の刃×博物館明治村特別任務録」というイベントが3月7日からはじまったところだったので,これを目当ての,授業のなくなった3月の大学生が多数来園していました。

●犬山城
 この日明治村へ行ったのは「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設だったからですが,実際の目的地は犬山城でした。「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設ではないのですが,以前行ったのが2018年6月と,ずいぶん前だったこともあり,また,大河ドラマ「豊臣兄弟!」の舞台でもあることから,行ってみたかったのです。
 ここは,国宝5城のうちのひとつということもあり,ずいぶん多くの観光客が来ていました。
  ・・・・・・
 犬山城は,1537年(天文6年)に織田信長の叔父・織田信康が築城した現存する日本最古の木造天守をもつ城です。木曽川沿いの断崖に建つ「後堅固」(うしろけんご)の城です。
 江戸時代以前から残る「現存12天守」のひとつで,その中でも望楼型,3重4階地下2階という最古の様式を伝えます。また,木曽川沿いの絶景が,中国の詩人・李白が詠んだ「白帝城」を連想させたことから,荻生徂徠によって「白帝城」と名づけられました。
  ・・・・・・
 幸い,この日は天気もよく,天守最上階からは,岐阜城や小牧山城を見ることもできました。

 室町時代の1469年(文明元年),応仁の乱の最中に岩倉織田氏当主の織田敏広の弟・織田広近がこの地に砦を築いたのがはじまりといわれ,1537年(天文6年),清洲3奉行の織田信秀の弟・織田信康が,乾山の砦を造営して移り,現存する天守2階まではこのころ造られたと考えられています。
 1544年(天文13年)に 織田信康が加納口の戦いで戦死し,子の織田信清が城主となりましたが,1564年(永禄7年)に織田信長と対立して敗れ,甲斐に逃れたので,以後は,池田恒興や織田勝長などが城主を務めました。
 1582年(天正10年),本能寺の変後,尾張国を領有した織田信雄配下の中川定成が城主となり,1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いで,大垣城主・池田恒興が織田信雄から奪取し,尾張国における西軍の橋頭堡となりましたが,1587年(天正15年)に織田信雄に返還されました。その3年後に織田信雄が改易されると,豊臣秀次の領地となり,その実父・三好吉房が城代を務めましたが,1596年(文禄4年)に豊臣秀次が切腹すると,石川貞清が城主となりました。
 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで,西軍の拠点となりましたが,岐阜城が落城すると,石川貞清は犬山城を放棄し関ヶ原に参陣し敗北しましたが助命されました。そして,その翌年に,小笠原吉次が城主となりました。さらに,1607年(慶長12年), 平岩親吉が城主となり,甥の平岩吉範を城代に置きました。
 1617年(元和3年)には,尾張徳川藩の付家老・成瀬正成が城主になり。以後,江戸時代を通じて成瀬家9代の居城となりました。
  ・・
 1871年(明治4年)廃城。犬山城は,天守を除いて櫓・城門などほとんどが取り壊されました。
 1895年(明治28年),愛知県から旧犬山藩主・成瀬正肥へ条件付き無償譲渡され,1935年(昭和10年)当時の国宝保存法に基づき,国宝(旧国宝)に指定され,1952年(昭和27年)には,文化財保護法に基づき,改めて国宝(新国宝)に指定されました。
 犬山城は成瀬家(犬山成瀬家)の当主が城主として個人所有する物件でしたが,維持が困難なため,犬山成瀬家は個人所有を断念し,犬山成瀬家第13代当主・成瀬正浩の妹・成瀬淳子が財団法人犬山城白帝文庫を設立して理事長に就任し,犬山城は法人所有となりました。
 よくまあ,この時代の荒波に耐えて,生き残ったものだと思います。

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【Summary】
On March 5, 2026, I visited several sites in central Nagoya using the Aichi–Nagoya Tourist Pass. I explored the Nagoya Sword Museum, which displays an extensive collection of swords and armor. I also walked along the historic “Cultural Path,” visiting Futabakan and Shumokukan and enjoying early-blooming Okanzakura cherry blossoms.

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 4,500円で,愛知県の施設35か所に入ることができるという「あいち・なごや周遊パスポート」を使って,さまざまな施設を訪れていますが,2026年3月5日は,名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールドと文化のみちにある二葉館と橦木館に行ってきました。 ともに,名古屋市内の中心部にあります。

●名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールド
 名古屋市立科学館の近くに,名古屋刀剣博物館/名古屋刀剣ワールドができたことは知っていましたが,そもそも興味がなかったこともあって,これまで行ったことはありませんでした。とはいえ,特に日本のこうした武具に興味のある外国人にとってあこがれの博物館だと聞いたことはありました。
 今回,「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設ということで,通常は決して安くない入場料なので,行ってみることにしたのです。
 なお,私は認識がなかったのですが,名古屋刀剣博物館と名古屋刀剣ワールドは同じもので,名古屋刀剣ワールドは名古屋刀剣博物館のニックネームのようなものですが,刀剣ワールド名古屋・丸の内別館は別物で,無料の施設です。さらに,刀剣ワールド桑名・多度別館という無料の施設もあるようです。もともと,東建コーポレーションの社長さんが趣味で収集していた刀剣,甲冑,火縄銃,浮世絵などを,財団化して博物館として展示しているもののようです。また,多くの貸し出しも行っているようです。とはいえ,そもそも,刀は武器です。そう考えると複雑な気がしました。それを芸術にする日本人というものにも,また,複雑な気がしました。
 収集されているものが半端な数でないということで,館内に入って驚きましたが,ここまで徹底すれば,大したものです。また,館内にはレストランもあって,落ち着いて過ごすこともできました。興味のある人にはたまらない施設でしょう。

 次に訪れたのが名古屋市東区・白壁エリアにある文化のみちでした。この場所は,名古屋城の東側にある,江戸時代は武家屋敷の建ち並んだ場所で,現在は,料亭やら名士の家が続く,落ち着いた場所です。そこに,いくつかの歴史的な建造物が,元から存在していたり,移築されて,観光化しています。以前にも来たことがあって,さまざまな施設に入ったのですが,今回は「あいち・なごや周遊パスポート」の対象施設ということで,二葉館と橦木館(しゅもくかん)に入ってみました。
●文化のみち二葉館
 文化のみち二葉館は「大正ロマンの象徴」で,日本初の女優・川上貞奴と「電力王」福沢桃介が暮らした和洋折衷の邸宅を移築・復元した文化施設です。
 移築して開館したのは2005年(平成17年)で,和洋折衷の大正ロマン建築として,オレンジ色の洋風屋根,ステンドグラスが輝く大広間,螺旋階段や吹き抜けの高い天井,和館部分は創建当時のまま残されています。また,川上貞奴・福沢桃介ゆかりの資料も展示されています。
●文化のみち橦木館
 文化のみち橦木館は輸出陶磁器商・井元為三郎の旧邸宅です。
 2009年(平成21年)の開館で,洋館+和館+茶室+蔵の複合邸宅で,敷地は約600坪と,武家屋敷の区割りを継承しています。
 ステンドグラスが美しい洋館で,襖・欄間など細部にこだわり,茶室が庭園に佇み,四季の風情を楽しめるようになっています。
 かつて,囲碁のタイトル戦の会場になったこともあるようです。

 このあたり,東区泉二丁目と三丁目を隔てる南北の道路は,また「オオカンザクラの並木道」としても有名で,名古屋市内でいち早く花見ができる名所となっています。1961年(昭和36年)の春,「名古屋で一番早く咲く桜を植えていただきたい」という地元の希望がかない,当初16本の苗木が植えられました。当時植えられた木で残っているのは6本,その後,新たに植えられたものも含めて,現在では約130本の桜が並木道をつくり,早い春が楽しめます。
 この日は,6分咲き程度でしたが,暖かな陽気だったので,気持ちのよい散策ができました。

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【Summary】
Constantly known for ceramics and home to Central Japan International Airport, Tokoname has a walking route highlighting its pottery heritage. The former shipping merchant house Takita House preserves Edo-Meiji life and a rare lamp by Tanaka Hisashige. At INAX Live Museum, visitors explore pottery history, world tiles, historic kilns, and hands-on ceramic experiences.

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 4,500円で,愛知県の施設35か所に入ることができるという「あいち・なごや周遊パスポート」ですが,今回は,2026年3月2日に行ってきた常滑市のふたつの施設について紹介します。
 常滑市は,セントレア・中部国際空港のある町なので,飛行機に乗るために行くのが目的で,セントレア・中部国際空港を利用しても,常滑市で降りることはないから,常滑市を観光したことはだた1度,それもわずかな時間でした。
 それでも,外部から,特に,外国からセントレア・中部国際空港にやってくる人の中には,常滑市の観光をする人も少なからずいるので,常滑市は,観光資源である常滑焼を目玉に,遊歩道が整備されています。そんなインバウンドを対象としているので,その多くが英語表記が優先されているのですが,セントレア・中部国際空港の利用客は中国人が多いから,私には不思議なことでした。とはいえ,このところの情勢から,今回行ったときは,中国人は皆無でした。

●廻船問屋「瀧田家」
 常滑市の廻船問屋「瀧田家」(たきたけ)は,江戸時代から明治時代にかけて廻船業を営んでいた住宅で,現在は常滑市指定有形文化財として一般公開されています。
 1850年ごろに建てられたこの建物は,常滑市によって復元・整備され,2000年(平成12年)4月から公開がはじまりました。館内では,当時の廻船業や暮らしを伝える資料が展示されていて,特に見どころなのがからくり儀右衛門(田中久重)が製作したとされる無尽灯(むじんとう)という灯火具。菜種油を燃料に使い,銅や真鍮で作られた精巧な構造と美しい外観が特徴で,全国でも現存数が少ない貴重な品,ということでした。

●INAXライブミュージアム
 INAX(イナックス)の前身は伊奈製陶株式会社です。1924年に常滑市で創業され,当初は陶管や衛生陶器の製造を行っていました。その後,住宅設備機器の分野で成長を続け,2001年にはトステムなどと統合してINAX株式会社となり,さらに2011年にはLIXILグループの一員となって,現在はLIXILブランドの一部として活動しています。
 INAXライブミュージアムは,常滑市の陶磁器の歴史や技術を体感できるやきもののテーマパークです。館内は6つの施設にわかれていて,それぞれが違う角度からやきものの魅力を伝えていました。
 館内の敷地にはイタリアンレストランがあったので,私は,まず,そこで昼食をとりました。私が利用したときは時間が早かったから空いていましたが,かなり混みあうので,予約必須ということでした。
 その後,館内を見学しました。
 世界のタイル博物館では,世界中の装飾タイルがずらりとならび,色も模様も多彩で,万華鏡のよう。窯のある広場・資料館では,実際に使われていた登り窯が保存,ものづくり工房では,タイルアートや陶芸体験ができるように,また,建築陶器のはじまり館では,明治時代の建築に使われた陶器の装飾を見ることができ,土・どろんこ館は体験型施設,やきもの工場館は,INAXの工場の歴史や製造工程が学べる場所,ということで,楽しく時間を過ごせる充実した施設でした。

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【Summary】
After crossing the Tokyo Bay Aqua-Line, I visited the grave of Kōzō Masuda at Jōei-ji Temple in Karasuyama Temple Town. Masuda, famous for his motto “New moves for life,” became Meijin in 1957 and was a pioneering shogi innovator, developing the influential Masuda-style Ishida strategy.

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 東京湾アクアラインを越えて,神奈川県に入りました。このまま上野駅まで行ってもまだ時間が早かったので,かねてから行きたいと思っていた将棋の升田幸三実力制第4代名人の墓に行ってみることにしました。東京の墓地には多くの有名人が眠っていることを知って,ならば,と調べてみたところ,世田谷区烏山というところにある常栄寺に墓があると知りました。
 着いてみて驚きました。烏山寺町,つまり,北烏山2丁目から6丁目にかけて,寺町通りを中心に,立派な寺院がたくさん並んでいたのです。実際,ここには26もの寺院が軒を連ねていて,小京都とよばれるそうで,ここが東京かと思うような白壁の連なりが落ち着いた雰囲気をかもしだしている場所でした。
 烏山寺町のおいたちは,1923年(大正12年)の関東大震災の後,浅草,築地,本所,荒川など都心部で被災した寺が少しずつ移転し、昭和10年代に現在の形となったそうです。もっとも早く移転したのは妙壽寺で,最後に移転したのは多聞院ということです。私は車で行って,付近のコインパークに車を停めたのですが,公共交通機関だと,京王電鉄の井の頭線久我山駅,または,京王線「千歳烏山駅」で降りて,徒歩15分の場所にあります。
  ・・・・・・
●弁天池が風情ある高源院
 烏山寺町でもっとも北に位置し,境内には弁天池があり,朱色の橋が架かる姿が情緒ある風景をつくりだしていて,この風景は「せたがや百景」にも選出。秋には鴨が飛来することから鴨池とよばれています。
●見どころの多い妙壽寺
 烏山寺町にもっとも早く移転した妙壽寺は見どころの多い寺です。
 「鍋島客殿」は,旧肥前国蓮池藩鍋島家の邸宅を19267年(昭和2年)に移築したもので,木造2階建ての立派な屋敷です。本堂の正面には竹林が広がり,毎年秋に,この竹をつかった灯籠能会が行われます。
●庭園風の境内が美しい玄照寺
 高源院や妙壽寺から少し離れた場所にある玄照寺は美しい寺です。
 石柱門の上に狛犬が鎮座しているのも珍しく,門をくぐると庭園風の境内に長い参道がつづきます。 境内を進むと,竹林もあります。
●古代インド様式の本堂・妙祐寺
 渋谷宮益坂から移転した妙祐寺は,1962年(昭和37年)に建立された本堂が特徴的で,築地本願寺と同じ古代インド様式です。
  ・・・・・・

 升田幸三実力制第四代名人の墓がある常栄寺は,江戸時代初期のころより約400年の歴史を有します。
 1639年(寛永16年)6月8日に示寂した正教法師を第1世とし, 寺は創建当初,浅草烏越の地にありましたが,1617年(元和3年)に本願寺12代宗主・准如上人が築地本願寺の前身・浅草御堂を浅草横山町に創建したときにこれに従って浅草へ移転しました。
 降って,1657年(明暦3年)の江戸の大火により灰壗に帰し,江戸幕府は八丁堀海上,方百問の土地を代替地として付与し,これを埋立てた折りに同地に移転しました。そして,関東大震災によって甚大な被害を受けて,1924年(大正13年)に現在地へ移転し,1932年(昭和7年)に本堂を,1991年(平成3年)に庫裏・客殿,2012年(平成24年)に山門を再建しました。
 升田幸三実力制第四代名人は,1918年(大正7年)3月21日,広島県三良坂町(現在の三次市)生まれで,1956年(昭和31年),第5期王将戦で当時の大山康晴名人に香車を落として快勝し,翌1957年(昭和32年)の第16期名人戦で大山康晴名人を破り初の名人を獲得し,史上初の三冠王(名人,九段,王将)に輝きました。
 「新手一生」を掲げ,定跡にとらわれない新手を数多く繰り出し,序盤戦術の進歩にも貢献。特に「升田式石田流」は、現代将棋の最先端の戦法であり続けています。1979年(昭和54年),A級在籍のまま現役引退。生涯成績は544勝376敗。タイトル獲得数は通算7期(名人2期,九段2期,王将3期)。1991年(平成3年)に73歳で亡くなりました。

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【Summary】
I drove back to Ueno via the Tokyo Bay Aqua-Line and stopped at Umihotaru, a unique parking area built on an artificial island between the tunnel and bridge. Originally planned to improve access between Kanagawa and Chiba, the route opened in 1997. I enjoyed clam soba and beautiful panoramic views over Tokyo Bay.

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 鋸山を出発して,上野駅に戻ります。
 カーナビは,東京湾アクアラインを経由する道路を示していて,こりゃいいわ,と思いました。まさか,自分が東京湾アクアラインを通ることが起きるなんで,想像ができなかったからです。無計画な旅は,こういう幸運があるのです。
  ・・・・・・
 東京湾アクアラインは通称アクアラインといいます。
 かつて,神奈川県と千葉県を行き来するには,東京湾を周回するか,フェリーを使うしかなかったので,物流や通勤に時間がかかっていてたので,東京湾を挟んで向かい合う神奈川県と千葉県の交通アクセスを劇的に改善したいという長年の構想がありました。
 そこで,1960年代から「東京湾横断道路構想」が浮上し,1970年代には本格的な調査がはじまりました。しかし,海底トンネルを掘るのは大変で,技術的にも資金的にも大きな挑戦でした。最終的に,川崎側はトンネル,木更津側は橋というハイブリッド構造で建設されることになり,1997年に開通しました。
  ・・・・・・

 東京湾アクアラインの途中には「海ほたる」というパーキングエリアがありました。私は驚きました。東京湾のど真ん中に,まさか,パーキングエリアがあるなんて。しかし,これがなければ,このすばらしい景観を見る場所するないわけで,粋なことをするわい,と感動しました。実際は,「海ほたる」は浮いているわけではなく,トンネルと橋の接続点にある人工島で,観光スポットとしても人気だそうです。 
 東京湾アクアラインは,川崎側から海底トンネル(=アクアトンネル)が続いき,そのトンネルの終点に「風の塔」という換気施設があって,そこから先は海上橋(=アクアブリッジ)になる,という構造で,その切り替え地点に「海ほたる」があるのです。
 私は,千葉県側から走ってきたので空いていましたが,神奈川県側からは多くの車が走っていて,「海ほたる」に駐車したい車が列をなしていました。

 せっかく来たので,「海ほたる」に車を停めて,ここで昼食をとることにしました。
 レストランもあったし,フードコートもありました。どの店もあさりに関したメニューがあって,どうやら,ここの名物はあさりのようでした。私もあさりをのせたそばを注文しました。
  ・・・・・・
 「海ほたる」の名物は「あさり」です。「あさりまん」や「あさり焼きそば」がなどが有名です。
 「海ほたる」がある場所は,もともとあさりの名産地・木更津沖に位置していて,このあたりの干潟は,昔からあさり漁が盛んな場所で,特に,春から初夏にかけてはぷっくりと太ったあさりがたくさん獲れるそうです。そこで,「海ほたる」のパーキングエリアでも地元の味を活かした「あさり料理」が名物になっています。また,木更津の潮干狩りも人気で,春になると家族連れでにぎわいます。
  ・・・・・・
 昼食後,「海ほたる」からの景色を楽しみました。

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【Summary】
I visited Mount Nokogiri, once a filming location for the NHK historical drama Hikaru Kimi e. I saw the Great Buddha at Nihon-ji and climbed to the summit, enjoying impressive views despite missing Mount Fuji. Later, I learned the actual filming site was deeper in the mountains, near Komagiriyama.

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 NHK大河ドラマ「光る君へ」のロケ地のひとつだった鋸山,おそらく,そういうことを知らなければ行くこともなかったでしょう。とはいえ,鋸南町(きょなんまち)という標示は頻繁に出てくるのに,鋸山という標示が見当たず,とまどいました。
  ・・・・・・
 鋸南町は鋸山のふもとに広がる町で,温暖な気候と海の幸に恵まれ,春には水仙や菜の花が咲き誇る花の名所としても知られています。
  ・・・・・・
ということなので,鋸南町は,鋸山と関係があるのでした。
  ・・・・・・
 鋸山は,富津市と鋸南町の境にある標高329.4メートルの山で,その名の通りのこぎりの刃のようなギザギザした稜線が特徴です。かつては房州石の採石場として栄え,今でもその切り立った岩肌が残っていて,独特の景観が楽しめます。
 山頂付近には「地獄のぞき」とよばれる断崖絶壁の展望スポットがあって,そこから東京湾や三浦半島,天気がよければ富士山まで見渡すことができます。
  ・・・・・・

 私は,まったく予備知識もなくやってきて,ともかく,鋸山日本寺の大仏を見ることができました。当初は,ここから山頂の展望台まで,歩く気になっていたのですが,自分の歳をわすれていました。そんなわけであきらめて,再び,駐車場に戻りました。山頂に行くには,車で国道127号線をもう少しだけ北上すると,有料道路があって,それを登れば,山頂の近くまで行くことができるということだったので,そうすることにしました。
 有料道路を登ると,広い駐車場があったので,車を停めました。ここから山頂までは容易,ということでしたが,いやいや,そこからがまた大変でした。
 途中,道がわかれました。左手には百尺観音(ひゃくしゃくかんのん)がありました。
  ・・・・・・
 百尺観音は鋸山にある巨大な観音像で,高さが約30メートル(=百尺)ありました。戦没者の慰霊と世界平和を祈って昭和初期に彫られたもので,鋸山の石切場跡の岩壁に直接彫り込まれているものです。
  ・・・・・・
 ここで行き止まりとなったので,わかれ道まで戻って,今度は右手に山頂を目指しました。

 想像以上の石段を登り,やっとのことで山頂に到着しました。すばらしい景色が広がっていました。登った甲斐があるというものです。残念ながら,霞んでいて,富士山は見えませんでした。
 駐車場まで戻ると,今度は,左手にローブウェイで登ることができる別の展望台に行く道があったのですが,さすがにまた同じような石段を登る気にならず,断念しました。
 鋸山,なかなかのところでした。
 ところで,大河ドラマ「光る君へ」のロケ地ですが,一向にそのような場所がありませんでした。帰ってから調べると,鋸山からさらに山深く1時間ほど歩くと標高約200メートルほどの小鋸山(こまぎりやま)があって,鋸山から縦走ルートで行くことができるようです。また,石切り場のロケ地は,普段は立ち入り禁止の場所だった可能性もあります。
 千葉県も奥が深いものだ,と思いました。

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【Summary】
I stopped at Mount Nokogiri and visited Nihon-ji Temple. It was not a suspicious new religion but an ancient temple founded in 725 by Gyoki. I was amazed by the huge stone Great Buddha and the dramatic cliffs overlooking Tokyo Bay. The site’s long history and magnificent scenery deeply impressed me.

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 念願の九十九里浜海岸に行くことができたので私は満足しました。白子温泉は,活気ある温泉観光地,ということもなかったのですが,のどかなところで,すっかり気に入りました。
 この日は,夕方までに東京へ戻り,レンタカーを返却して,夜,サントリーホールで名古屋フィルハーモニー交響楽団の東京特別公演を聴きます。ということで,この後,どういうコースで東京へ戻ろうかと考えましたが,何の計画もありませんでした。はじめは,千葉県の中央部に何かあるのでは? と思って検索してみたのですが,特に何も見つかりませんでした。しかし,後日,改めて調べてみると,マザー牧場,養老渓谷,清水公園,東京ドイツ村などが点在するようなので,機会があれば,行ってみたいと思っています。
 そこで,私が思い出したのが鋸山(のこぎりやま)でした。

 NHK大河ドラマ「光る君へ」の第35回のことです。あらすじは
  ・・・・・・
 藤原道長は中宮・彰子の懐妊祈願のため,息子の藤原頼通と共に御嶽詣(みたけもうで)へ向かう。しかし,険しい行程と悪天候に悩まされ,目的地である金峯山寺への到達に手こずっていると,藤原伊周(これちか)が武者を引き連れ,不穏な動きを見せる。
 そのころ,まひろの書く物語に興味を持った一条天皇が,まひろに物語の真意を尋ねては,自身の境遇を重ね…。さらにまひろは彰子の本心を知り…。
  ・・・・・・
なのですが,ここで,御嶽詣とは,身を清めて吉野の金峯山(きんぷせん)へ参詣しに行くことをいいます。平安時代の人々が切なる願いをかなえるためにおこなったもので,藤原道長は,御嶽詣で娘・彰子の懐妊を祈願しようと考えたのです。
 金峯山には金峯山寺があります。これは,奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗の総本山の寺院で,山号は国軸山(こくじくざん),開基は役小角(えんのおづね)と伝えます。かつては「山下の蔵王堂」とよばれていました。本尊は巨像として著名な蔵王堂に安置される蔵王権現立像3躯で,中尊は約7メートルもあり,普段は非公開であることから「日本最大の秘仏」とも称されます。
 なお,金峯山寺仁王門の金剛力士立像2体は,2025年5月16日,奈良国立博物館で「超国宝-祈りのかがやき-」が行われたとき,見ました。
 「光る君へ」で御嶽詣と想定したロケ地が鋸山だと聞いたことがあって,かねてから行ってみたかったのです。とはいえ,鋸山がどういうところかは,まったく知りませんでした。

 GoogleMaps がいうままに走っていくと,内房の海岸線に出ました。後で確認すると,おそらく首都圏中央連絡自動車道(圏央道),京葉道路と走り,鋸南保田インターチェンジで降りて,国道127号線を北に走ったものと思われます。そのうちに鋸山日本寺という案内板がありました。無料駐車場とあったので,とりあえず車を停めました。駐車場にはほとんど車はいませんでした。
 日本寺,あまりに仰々しい名前で,いかがわしい新興宗教なのか,と疑問に思いましたが,とりあえず石段を登っていくと,鋸山日本寺の料金所がありました。聞いてみると,鋸山一帯が日本寺というところで,散策には1時間ほど,ということだったので,拝観料を払って,さらに進むと,それはまあ見事な巨大な仏像が目の前に登場しました。鋸山日本寺の大仏は薬師瑠璃光如来像で,高さ約31メートルあり,奈良の大仏が約15メートル,鎌倉の大仏が約13メートルなので,それよりもかなり大きいものです。江戸時代に造られましたが,風化や地震で損傷し,1969年(昭和44年)に修復されたものです。
  ・・・・・・
 鋸山日本寺は,日本一大きな石仏「大仏様」や、断崖絶壁に突き出た「地獄のぞき」があり,山の上からの眺めも最高で、晴れた日には東京湾や富士山まで見えることもあります。
 鋸山日本寺は,725年(神亀2年),聖武天皇の勅願を受けて,行基によって開かれました。開山当初は法相宗に属し,その後,天台宗や真言宗を経て,江戸時代の徳川家光の時代に曹洞宗になり今に至ります。最盛期には七堂十二院百坊を備えた大寺院で,良弁,空海(弘法大師),円仁(慈覚大師)といった名僧たちが滞在した記録も残ります。空海はここで100日間護摩を焚いて石造の大黒天を彫ったと伝ええられています。さらに,源頼朝もこの寺に立ち寄って武運を祈願し,自ら蘇鉄(そてつ)を植え,今も境内に「大蘇鉄」として残っています。
  ・・・・・・
 いかがわしい新興宗教ではありませんでした。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
I stayed at Shiroko New Seaside Hotel, which looked old at first, but it had excellent hot springs and delicious meals. I enjoyed a private rooftop bath under the stars and a quiet early morning bath. Although I missed the exact sunrise time, I saw the sun briefly through clouds and enjoyed the peaceful ocean view.

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 ほかに手ごろなところがないというだけで選んだ「白子ニューシーサイドホテル」は,外見が古く,第一印象はがっかりでした。しかし,宿泊客が多く,どうしてなのか,不思議でした。その理由が宿泊してみてわかりました。ここはいい。旅先の宿泊は,混んでいない温泉があって,食事がおいしい,というのが二大条件です。少なくとも私には。ここには,そのふたつが完璧にありました。

 まず,温泉ですが,何と,屋上に,個室の露天風呂がありました。45分限定で予約制。チェックインしたときに時間を決めます。天気がよかったこともあって,月や星を眺めながら温泉につかることができました。露天風呂というのは,どんなに寒くても,お湯につかっているときは大丈夫ですが,出たとたんに地獄になります。これを避けるには,体の水分を完璧にとればいいのですが,それが大変です。しかし,ここは,暖房が効いていて,まったくそういう心配もありませんでした。
 館内には大浴場もあって,こちらは,多く温泉旅館にあるように,宿泊客でなくとも時間限定で利用できます。しかし,宿泊客のみが利用できる時間帯があるので大丈夫です。早朝5時からということだったので,私は,その時間に利用しました。ほかにだれもおらず,これもまた,最高でした。

 次に食事です。夕食は,量,質とも問題がなく,今回もまた,地酒を飲みながら,楽しい時間を過ごしました。私は,普段はまったく飲まないのに,旅先では,その土地の酒を飲むのを楽しみにしています。旅先で,どこでも飲めるビールを選ぶ人が私には理解ができないわけですが,まあ,ひとそれぞれでしょう。
 朝食はビュッフェ形式でしたが,混雑することもなく,これもまた,問題はありませんでした。
 せっかくこれだけのサービスがあるのだから,古びた設備やら外装をお金をかけてこまめに手入れすればいいのに,と残念に思いました。

 さて,せっかく九十九里浜海岸に来たからには,日の出が見たいわけです。天気は微妙でした。晴れていても,地平線付近に雲があったのです。
 日の出は午前6時35分ごろだと,私のiPhoneに入れたアプリがいうので,午前6時20分ごろに部屋を出て,海岸に向かいました。しかし,私はここで大きな失敗をしていたのです。千葉県は,私の住む愛知県よりも東にあり,日の出の時間がもっと早かったのです。とはいえ,海岸に着いたときは地平線付近は雲が邪魔をしていて,海から昇る太陽は見えなかったのが幸いしました。そのうち,なんとなく東の空を見ていたら,雲の隙間から太陽が見えはじめました。まだ時間は午前6時25分ごろで,意外に感じたのですが,この時にはじめて私が思っていた日の出時間が違っていたことに気づきました。
 太陽が見えていたのは,このときからわずか15分程度で,また,厚い雲の中に隠れてしまいました。
 そんなわけで,海から昇る太陽こそ見ることができませんでしたが,幻想的な早朝の日の出を波の音を聴きながら鑑賞することができました。

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【Summary】
I arrived at Shirako Onsen near the southern end of Kujukuri Beach and found a quiet resort town with iodine-rich hot springs. Although it was off-season and nearly empty, I enjoyed the peaceful atmosphere. The beach was beautiful at sunset, even without the famous ocean view.

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 海も見えないし,時折ある海水浴場も大したことないし,期待外れだったなあ,と思いながらだらだらと走っていくと,やがて,私が宿泊する白子温泉に到着しました。ところがどうでしょう。これまでとは打って変わって,白子温泉のあたりは,すてきな温泉街,というか,観光地だったのです。
  ・・・・・・
 白子温泉は。千葉県長生郡白子町,九十九里浜の南端近くに広がる温泉地です。温泉の最大の特徴は,ヨウ素を豊富に含むナトリウム・塩化物強塩泉で,全国的にも珍しい泉質。ほんのり黄色いことから「黄金の湯」ともよばれていて,美肌効果や保湿効果,冷え性や疲労回復にもよいとされています。
 もともとは,昭和30年代に農業用の井戸を掘っていて偶然発見されたもので,その後,1989年に本格的に温泉地として開湯しました。
 白子町は夏は海水浴やサーフィン,春は桜,さらに,「テニスの町」としても有名で,海沿いにはテニスコートやリゾートホテル,民宿がたくさん並んでいます。
  ・・・・・・
 とはいえ,東京都心からは近くなく,また,シーズンオフだったこともあって,閑散としていて,私好み。いつものこととはいえ,幸運でした。

 宿泊先の「白子シーサイドホテル」は,外見は古びていて期待外れだったのですが,ものすごく広い駐車場があって,明日が平日なのに多くの車が止まっていて驚きました。これは何か理由があるのでは… と思いました。チェックインして,さっそく,海岸に行くことにしました。海岸まではすぐでした。海岸沿いは桜まつりが行われていて,早咲きの桜が満開でした。早咲きの桜は,伊豆の河津さくらと同じ品種だそうです。
 海岸に着きました。ここからの眺めは最高でした。これぞ,私が想像していた九十九里浜海岸でした。ちょうど日が沈むころでしたが,九十九里浜海岸は東向き,つまり,夕日よりも日の出,です。実際,太陽は東側の山のほうに沈んでいくところでした。なのに,いつのように,Copilotのアクア君がいうには,九十九里浜海岸は夕日美しい名所,だとか。その理由を聞いてみました。
  ・・・・・・
 九十九里浜の南端に近い白子町や一宮町あたりでは,海岸線が少し南東向きになってる場所があって,季節や天候によっては,太陽が沈むときにちょうど海の方に傾いて見えることがあります。特に,冬場は太陽が南寄りに沈むから,水平線に沈む夕日が見えるチャンスが増します。それに加えて,海面に反射する夕焼けの光や空のグラデーションがとても幻想的で,まるで海が夕日を抱きしめているような光景になります。
  ・・・・・・
ということでした。
 この日はそんな景色は見られませんでしたが,ほとんど人もいない静かな海岸は,とても美しいものでした。

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【Summary】
On February 23, 2026, I rented a car at Ueno Station and drove toward Kujukuri Beach with no clear plan. Expecting scenic coastal views like Australia’s Gold Coast, I instead found ordinary roads and limited ocean scenery. When I finally reached the beach, I felt rather disappointed.

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 2026年2月23日午後1時,上野駅の日産レンタカーで車を借りました。これから九十九里浜海岸を目指して走ります。到着してからの予定はまったくの白紙でした。というより,何があるのかまったくわかりませんでした。
 はじめは,銚子市まで行って,そこから九十九里浜海岸に沿って南西南に走るつもりで,カーナビに従って,東関東自動車道路を走っていきました。カーナビなどなかった時代を過ごした私のような古い人間は,地図を参考にして走るのに慣れています。現在に比べて不便だったのですが,確実にどこを走っているのかを把握していました。今は,走った後も,一体,どこを走ったのか,まったくわかりません。それに,アメリカの道路事情とは異なり,日本の道路事情は複雑で高速道路と一般道が入り混じり,地図を見ても,何が何だかわかりません。インバウンドで,日本でレンタカーを利用する外国の人がいるようですが,そもそも,日本人でもわかりにくいこの国で,運転ができるとは思えません。

 できれは,九十九里浜海岸に着く前に,いくつかおもしろそうなところに寄ろうかと考えていたのですが,延々と走っても,成田国際空港にさえ着かず,えらく遠いものだ,と実感しました。こんな調子で走っていては,夕食までに白子温泉に着けません。以前,頻繁に成田国際空港を利用して海外旅行をしたいたころは,東京駅から定期バスを利用して成田国際空港まで往復していたのですが,成田国際空港がこんなに遠いとは思いませんでした。やがて,やっと成田国際空港まで来ました。見慣れた景色でした。東関東自動車道路は,成田国際空港までは時速120キロメートル制限で片側3車線でしたが,成田国際空港を過ぎると2車線となり,制限速度も下がりました。突然田舎になりました。
 このまま銚子市まで行ったら,この日宿泊する白子温泉に到着するのが予定よりもずいぶんと遅くなるとあせってきたので,方針を変えて,銚子市まで行かずに,東関東自動車道路の最終地点の潮来から南下することにしました。この先は一般道でしたが,さすがに茨城県と千葉県はアメリカの道路のように道幅が広く,車も少なく,とても走りやすいものでした。そうこうするうちに,どうやら九十九里浜海岸に至ったようでした。とはいえ,海岸沿いに走る県道30号線は海の見える海岸線に沿って走っているわけでもなく,両側に民家が続く単なる一般道で,がっかりしました。しかも,左手はすぐ先が海岸なので道路がないから県道30号線は十字路がほとんどなく,したがって,信号もなく,延々と道路が続いていました。これは完全に期待外れでした。

 何とか海が見たいものだと思っていたら,いくつか,〇〇海岸という道路標示があって,そういうところは夏は海水浴場となるところらしく,十字路と海岸に向かう道路があったので,何度か左折してみました。そうすると,駐車場があって,車を停めると,その先が堤防で,そこを登ると,海を見ることができました。オーストラリアのゴールドコーストのような海岸線が続いているのかと期待したのですが,それほどでもなく,私は,この時点では,かなりがっかりでした。

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【Summary】
On February 23, before driving to Kujukuri Beach, I walked around Ueno Park. I visited Ueno Toshogu Shrine and saw the final day of the Winter Peony Festival. The peonies were beautiful, and because the day was unusually warm, plum blossoms and early cherry blossoms were already in bloom.

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 2026年2月24日に名古屋フィルハーモニー交響楽団のサントリーホールでの東京特別公演を聴きに東京へ行くことにしました。東京特別公演のことはすでに書きました。名古屋で聴かず,わざわざ東京へ行った理由のひとつは,この機を利用して,かねてから行ってみたかった九十九里浜海岸へ遠出することでした。
 東京近郊の半島は,三浦半島,伊豆半島,房総半島など,これまで行きたかったところはすべて行くことができました。房総半島も,外房,内房とJRを使って巡ったのですが,九十九里浜海岸を通ることがなく,残念に思っていました。
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 九十九里浜海岸は,千葉県の東部に広がる美しい海岸線で,全長約66キロメートルにも及ぶ長大な砂浜が特徴です。九十九里とは,1里が約4キロメートルなので,文字通り計算すれば400キロメートル近くになってしまうのですが,もちろんこれは誇張で,実際は,たくさんの湾曲を意味し,昔の人が「湾が九十九もある」と感じたことから名づけられたものです。
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 それにしても,延々と海岸線が続いている様を見たいものだと思っていたのですが,あまり情報がなく,テレビの旅番組でも取り上げられることはほとんどありません。そこで,この目でどういうところか確かめてみたかったのです。
 とはいえ,行き方がわかりません。公共交通機関を使うと,ずいぶんと不便で,時間がかかります。結局,レンタカーを借りることにしました。また,どこに宿泊すればいいのかもよくわかりません。一体,観光地なのかそうでないのかさえ,判断がつきかねました。できれば,温泉地が希望だったのですが,千葉県に温泉などありそうにないし…。そうこう思案するうちに,白子温泉,というところに安価で2食つきというホテルを見つけたので,ダメもとで予約することにしました。
 招待券をもらった上野公園の国立科学博物館で開催されている特別展「大絶滅展―生命史のビッグファイブ」の最終日が2026年2月23日,名古屋フィルハーモニー交響楽団のサントリーホールでの東京特別公演が2月24日の夜,ということなので,2月23日の午後に上野駅でレンタカーを借りて九十九里浜海岸へ行って白子温泉に1泊して2月23日の午後に上野駅に戻るという計画を立てました。

 特別展「大絶滅展―生命史のビッグファイブ」を見終えて,上野公園でレンタカーを借りる時間までまだ少しあったので,上野公園を散策することにしました。

 以前行ったこともある上野の東照宮へ行きました。ちょうど,これもまた,この日が最終日だったぼたん苑で第44回「上野・東照宮 冬ぼたん」をやっていたので,これを見ました。とはいえ,前にも1度見たことがあります。
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 上野公園内に鎮座する上野東照宮にて,冬の風物詩「上野・東照宮 冬ぼたん」が開催されます。
 苑内では,冬の寒さから花を守るため「わらぼっち」に包まれたぼたんが,本殿や石灯籠,旧寛永寺五重塔といった江戸建築の景観と調和し,趣深い冬景色を演出します。
 冬の時期に咲くぼたんは開花期間が長く,会期中を通して見ごろを楽しめるのも特徴です。
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 ぼたんも美しかったのですが,この日はとても暖かくて,すでに,梅やら早咲きの桜がきれいでした。

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【Summary】
On February 20, 2026, I visited Nagoya Public Aquarium, enjoying dolphins, belugas, and Antarctic marine life in its North and South Buildings. Later, I explored export ceramics at Yokoyama Art Museum. I also stopped by Meitetsu Department Store to see its rare 1960s C-type escalator.

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 2026年2月20日。「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設から,名古屋港周辺にある名古屋港ポートビル展望台,名古屋海洋博物館,南極観測船「ふじ」,名古屋港水族館に行きました。名古屋港ポートビル展望台,名古屋海洋博物館,南極観測船「ふじ」についてはすでに書いたので,今回は,名古屋港水族館です。

●名古屋港水族館
 名古屋港水族館の艦内にはレストランがあるのですが,おそらく混んでいると思ったので,となりにある「ETTY」という複合施設のフードコートに行って,昼食をとって,その後,名古屋港水族館に向かいました。
 館内は,子供たちでいっぱいでした。おそらく遠足か何かなのでしょう。名古屋港水族館は、日本最大級のスケールを誇る水族館で、名古屋市港区のガーデンふ頭にあります。先日行ったばかりなので,今回は,気の向くままに見て歩くことにしました。
 館内は「北館」と「南館」にわかれていて,北館は「35億年はるかなる旅~ふたたび海へもどった動物たち~」がテーマで,バンドウイルカやベルーガ(シロイルカ),シャチなどが暮らし,巨大なメインプールでは,イルカやシャチのパフォーマンスを楽しむことができます。また,南館は「南極への旅」がテーマで,日本から南極までの海域に生息する生き物たちを展示しています。その他にも「くらげなごりうむ」や「ライブコーラル水槽」などに約500種・5万匹の生き物がいます。

 名古屋港水族館を出て,まだ時間があったので,横山美術館へ行きました。
●横山美術館
 横山美術館は,名古屋市東区にある陶磁器専門の美術館で,明治・大正時代に制作された輸出陶磁器を中心に約4,000点を収蔵しています。特に,「オールドノリタケ」や「隅田焼」など,国内ではなかなか見られない貴重な作品が多く展示されています。
 私が訪れたときは「色褪せない日本の美 陶板展」が開催中でした。
 先日,愛知県陶器美術館,あま市七宝焼アートヴィレッジに行ったばかりなので,予備知識が増していて,結構楽しめました。

 さらにこの日は,「あいち・なごや周遊観光パスポート」とは無関係ですが,帰りに名鉄百貨店に寄りました。その理由は,2月いっぱいで閉店する名鉄百貨店にあるめずらしいエスカレータを見るためでした。
●名鉄百貨店のエスカレーターとナナちゃん人形
 それは,8階から9階にあるエスカレータです。このエスカレーターは,正式には「C形エスカレーター」とよばれていて,1960年代に東芝エレベータが開発したものです。その最大の特徴は手すりの端が床に向かってまっすぐストンと落ちるような形状になっていることで,普通のエスカレーターのように,手すりがくるんと巻き込まれないというものです。世界に現存するのはここにある上りと下りの2基だけともいわれるレトロで貴重な存在でした。
 また,名鉄百貨店「メンズ館」1階のエントランス前に存在する巨大なナナちゃん人形は手を振って閉店のあいさつ。名鉄百貨店本店が営業終了までのラスト衣装を公開していて,多くの人が詰めかけていましたが,ナナちゃん人形は当分存在します。

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Worm Moon 2026.

2026年3月4日の夕方に写した1日遅れの満月です。
昨日は皆既月食でしたが,あいにく雨でした。
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【Summary】
On February 20, 2026, I visited the Nagoya Port area using a sightseeing pass. I enjoyed panoramic views from Nagoya Port Building, explored the interactive maritime museum, and toured the historic Antarctic research ship Fuji, reflecting on Japan’s port development and polar exploration history.

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 2026年2月20日。天気がよかったので,この日も「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。今回は,名古屋港周辺です。
 名古屋港周辺で,もっとも知られているのは名古屋港水族館です。とはいえ,それ以外にも,南極観測船「ふじ」が埠頭に浮かび,その向こうには名古屋港ポートビルがあるのですが,なかなかそこまで足を延ばす人がいません。私も,これまで,1度だけ南極観測船「ふじ」にはいきましたが,それ以外は,名古屋港水族館だけを見て帰りました。

 そこで,今回は,名古屋港ポートビルから行ってみました。午前9時30分開館でした。
●名古屋港ポートビル展望台
 まず,展望台にいきました。
 展望台は名古屋港のランドマーク的存在で,白い帆船をイメージした高さ63メートルの建物の最上階にあります。展望室は地上53メートルにあって,名古屋港や市街地,晴れた日には鈴鹿山脈や御嶽山まで見渡せる絶景スポットです。
 時間が早かったこともあり,私以外にはだれもおらず,最高でした。また,幸い,天気がよく,展望室からの360度パノラマビューでは,遠くの美しい山々がよく見えました。さぞかし夜景がきれいだろう,と思ったのですが,夜は開放していないようです。
 私が子供のころは,名古屋港といえば,横浜港や神戸港とは異なり,観光地もなく,近づきがたいところでしたが,ずいぶん変わったな,と思いました。

●名古屋海洋博物館
 名古屋海洋博物館は,名古屋港ポートビルの3,4階にある,海,船,港をテーマにした体験型の博物館です。はじめに展望台に行ったので,そこからエレベータでおりました。
 先日行ったあいち航空ミュージアムの船版みたいなところでしたが,正直いって,あいち航空ミュージアムより楽しめました。撮り鉄,とか,飛行機を撮ることを趣味とする航空ファンの存在はよく知られていますが,船を撮るのを趣味とする人はそれほど多くないと思います。そのように,飛行機飛行機に比べて,船というのは,それほど身近な存在でないので,知らないことが多いのですが,やはり,奥が深いものです。
 あいち航空ミュージアムでは飛行機の操縦シミュレーターを体験したのですが,ここでは,操船シミュレーターがあって,すすめられたのでやってみました。なれていないと難しいものだと思いました。

 名古屋港ポートビルをでて,次に,南極観測船「ふじ」に向かいました。
●南極観測船「ふじ」
 南極観測船「ふじ」は,日本の南極観測を支えた歴史的な砕氷船で,1965年から1983年まで,南極地域観測隊の輸送船として活躍しました。「ふじ」は日本初の本格的な南極観測船で,18回,日本と南極を往復し,氷を砕きながら進む砕氷艦として,南極観測隊の物資輸送や隊員の輸送を担いました。現在は,「しらせ」,2代目「しらせ」に引き継がれています。
 引退後は,名名古屋港は港としての歴史も深く,南極観測の意義を伝える場としてふさわしいということから,名古屋港が引き取って,1985年から名古屋港ガーデンふ頭に係留・展示されることになりました。
 私は,子供のころ,南極観測船「ふじ」の,当時としては大きなプラモデルを作ったことがあって,そのころに関心をもって,いろいろと調べたので,興味がありました。そういえは,そのプラモデルは,当時通っていたそろばん教室でのご褒美でもらったものだということを思い出しました。
 船内では,当時の観測隊の生活の様子や,南極での過酷な任務の記録が展示されていました。この年になると,3か月もの間の狭い船内での暮らしを考えると,その大変さがよくわかります。それでも,戦艦やらの艦内の住居スペースの環境に比べたら,ずいぶんとマシだったのでしょう。

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【Summary】
On February 19, 2026, despite cold, windy weather, I visited attractions covered by the Aichi–Nagoya sightseeing pass. At Chubu Electric Power MIRAI TOWER, I enjoyed panoramic city views. Later, at Ama City Shippoyaki Art Village, I learned about the history, techniques, and beauty of traditional cloisonné enamelware.

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 2026年2月19日。天気はよかったのですが,風が強く寒い日でした。この日もまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。

 まず,名古屋の繁華街・栄にそびえたつ中部電力MIRAI TOWER(旧・名古屋テレビ塔)です。
●中部電力MIRAI TOWER
 中部電力MIRAI TOWERは,名古屋市中区栄にあるシンボリックな観光スポットです。
 高さ180メートルの名古屋テレビ塔は,1954年に完成した日本初の集約電波塔です。子供のころ,何度か登りました。当時は周りにあまり高い建物もなく,当時栄町といった,名古屋の繁華街で特に目立つ存在でした。 
 そのころは,テレビ電波が送信されていましたが,地上波デジタル放送への移行に伴って,主に技術の進化と放送エリアの最適化のため,高さ245メートルの電瀬戸デジタルタワーが2003年に完成し,役割を終えました。瀬戸デジタルタワーは公開されていません。
 2020年にはリニューアルされて,中部電力MIRAI TOWERとして新たに生まれ変わりましたが,これまで登ることはありませんでした。リニューアルされた当初,中部電力MIRAI TOWERにはホテルがあると評判になりました。実際,中部電力MIRAI TOWERには,「THE TOWER HOTEL NAGOYA」(ザ・タワーホテル ナゴヤ)というホテルがあります。世界初の「タワーの中にあるホテル」全15室のスモールラグジュアリーホテルで,地元食材を使ったレストラン「glycine」(グリシーヌ)や「Lily」(リリー)も併設されているそうです。この日は天気がよかったこともあり,展望台からは名古屋の街並みが一望できました。夜景がキレイだろうなあと思いました。

 札幌に行ったとき,札幌の大通公園にもテレビ塔があって,あまりに似ているのに驚きました。高さ147.2メートルの札幌のテレビ塔のほうが名古屋のテレビ塔よりも3年ほど後に作られたそうです。なお,札幌のテレビ塔も役割を終え,現在は展望台となっているようです。

 中部電力MIRAI TOWERから家に帰る途中,あま市七宝焼アートヴィレッジに寄りました。
●あま市七宝焼アートヴィレッジ
 あま市七宝焼アートヴィレッジは,あま市にある七宝焼の魅力を体験できる文化施設です。
 この地で七宝焼が盛んになったのは, 江戸時代,この地域は尾張藩の支配下にあって,名古屋城下とのつながりが強く,武家や裕福な町人の間で装飾品や工芸品の需要が高かったことから,七宝焼のような美しい工芸が発展する土壌があったこと,七宝は名古屋と津島を結ぶ街道沿いにあり,物流の要所で,完成した七宝焼を名古屋や京都,大阪へと運ぶのに便利だったこと,幕末から明治にかけて,京都や江戸から七宝技術が伝わり,それを地元の職人たちが改良・発展させていったこと,特に,梶常吉(かじつねきち)という人物がこの地で七宝焼の技術を確立し,産業として根づかせたこと,明治以降も輸出工芸品として高く評価され,地域の経済を支える重要な産業となり,その誇りが今も受け継がれていること,などがあるそうです。
 七宝焼の展示室では,江戸時代から現代までの作品がくわしい解説とともに展示され,いろいろなことを知りました。これまで七宝焼については全く知りませんでしたが,繊細な色彩と光沢に惹かれました。
 また,体験工房があって,自分だけの七宝アクセサリーや小物を作ることもできるようです。
 この日は,実際に七宝焼の名手が作品の制作をしているところを見ることもできました。
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 2019年(令和元年),天皇皇后両陛下は,即位後初の地方訪問として,あま市七宝焼アートヴィレッジを訪問されました。訪問の際には,尾張七宝の代表的な作品,たとえば「間取り花鳥文大花瓶」や「花鳥図花瓶」などを見られ,また,地元の職人さんが七宝焼の製作工程を直接説明する場面もあったということで,写真が展示されていました。 

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【Summary】
On February 18, 2026, I used the Aichi–Nagoya sightseeing pass to visit several museums. I revisited the Toyota Automobile Museum, enjoyed a guided tour, explored ceramics at the Aichi Prefectural Ceramic Museum, and the charming Maneki Neko Museum. I ended the day disappointed to find the Obara Washi Museum closed.

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 2026年2月18日。天気がよかったので,この日も「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設をいくつか見てくることにしました。

 まずは,トヨタ博物館です。ここは,昨年の夏,2025年9月9日に行ったことがありますが,そのときの印象がよかったので,今回も楽しみでした。
●トヨタ博物館
 愛知県長久手市にあるトヨタ博物館は,自動車の歴史をたどる旅ができる場所です。トヨタ車だけでなく,よくぞ集めた! というほどの世界中の名車も展示されているので,見ごたえのある博物館です。
 先日,トヨタ産業技術記念館に行ったことはすでに書きましたが,このふたつの施設はとても見ごたえがあります。さすが,世界の企業だと実感します。
 前回,ひと通り見たので,今回は,約1時間のミュージアムツアーがちょうどはじまる時間だったので,それに参加しました。とても親切で詳しい説明を聞くことができました。とはいえ,参加者は私をふくめてたったふたり。もったいない気がしました。
 その後,館内のレストランで昼食をとりました。

 次に愛知県陶磁美術館に行きました。ここは,トヨタ博物館からさほど遠くないところです。これまで,近くは何度も通っているのですが,愛知県陶磁美術館には行ったことはありませんでした。というか,興味がありませんでした。
●愛知県陶磁美術館
 愛知県陶磁美術館は,瀬戸市にある陶磁器専門の美術館で,日本や世界のやきものの歴史と美しさを味わうことができる場所です。
 広い敷地で,駐車場から入口まで,結構な距離がありました。もっと違う作りにできるのに,と思いました。
 愛知県陶磁美術館は,縄文時代の土器から現代陶芸まで,幅広い時代と地域の陶磁器が展示されていて,特に,地元瀬戸焼や常滑焼など,地元愛知の伝統工芸に触れられるのが魅力です。
 いかにも愛知県の施設。殺風景で,よくいえば,展示室はとっても静かで落ち着いている,悪くいえば,ほとんど来ている人もいない,というところでしょうか。もうひとつ魅力的な工夫ができそうなものです。とはいえ, 陶芸体験もできるようになっていたりと,学習の場としても機能しているのでしょう。
 愛知県陶芸美術館は,1978年(昭和53年)に開館しました。愛知県は瀬戸焼や常滑焼をはじめとする日本有数の陶磁器の産地で,長い歴史と伝統を持っています。そこで,地域の文化遺産を保存・研究・展示するためにつくられたもので,「陶磁器の総合的な拠点」として,研究,保存,教育の三本柱をうたっています。

 愛知県陶磁美術館からさらに北に進むと,瀬戸市街に着きます。そこにあるのが招き猫ミュージアムです。ここもまた,近くまで行ったことはあるのですが,中に入ったことはありませんでした。
●招き猫ミュージアム
 招き猫ミュージアムは,招き猫のふるさとともいわれる瀬戸ならではの施設です。
 館内には,江戸時代から現代までのさまざまな招き猫がずらりと展示されていて,素材も,陶器,木,紙,金属など多種多様! それぞれの表情やポーズに個性があって,見てるだけで福が舞い込んできそうな気分になります。 展示されている招き猫は,全国各地から集められた約5,000点以上もあって,地域ごとの特色や時代ごとのデザインの違いを楽しむことができます。
 また,招き猫の絵付け体験が行われていて,自分だけの福招きを作ることもできるようです。
 1階のショップには,多くの招き猫が売られていましたが,けっこうな値段がするんだなあ,と驚きました。
 瀬戸市では,明治時代から招き猫の陶器が作られ,全国の神社や商店に収められてきました。そのような歴史と文化を後世に伝えようと,1994年(平成6年)に開館したのが招き猫ミュージアムで,地元の陶磁器文化を支える企業である株式会社中外陶園が運営しています。

 これで,今回の予定は終わりだったのですが,まだ,時間がありました。
 そこで,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設のうちで,もっとも遠く,行きにくいという小原和紙美術館まで足を延ばしてみることにしました。招き猫ミュージアムからは車で30分ほど山の中へ行ったところです。
●小原和紙美術館
 小原和紙美術館は,豊田市小原町にあって,伝統的な小原和紙の魅力を伝えるために作られた施設です。小原和紙は,楮(こうぞ)を原料にした手すき和紙で,特に落水紙(らくすいし)という独特の透かし模様が特徴です。これは,水を使って模様をつける技法で,まるで水のしずくが紙に舞い降りたような繊細さがあるものです。
 小原和紙美術館が開館したのは1984年(昭和59年)。地元の伝統工芸を保存,発信するために,豊田市が設立しました。館内では,小原和紙の歴史や製作工程を紹介する展示のほか,実際に紙すき体験もできるそうです。
 ということだったのですが,わざわざ行ったのに,入口には,休館中という無残な文字が…。
 調べてこなかった私が悪いのか,残念な結果になりました。
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【Summary】
After visiting Hiunkaku at Nishi Hongan-ji, I toured filming locations of the NHK BS drama Kyoto People’s Secret Pleasures. Highlights included the historic kimono shop Kondaya Genbei, Doshisha University, a wagashi museum, and the long-established sweet maker Tawaraya Yoshitomi, showcasing Kyoto’s refined traditions.

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 西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)を見て,まだ時間がありました。そこで,現在NHKBSで放送されている「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を巡ってみることにしました。
 京都は,町歩きが楽しいところです。そこで,西本願寺から京都市営地下鉄の烏丸御池駅まで歩くことにしました。
 途中,四条西洞院を通りました。この場所こそ,織田信長の時代に本能寺のあったところです。当時の本能寺は東西西洞院から油小路,南北六角から蛸薬師に及ぶ広大な寺域をもっていました。つまり,本能寺の変は,ここで起きたのです。

 西洞院通から室町通に進路を変えて北に歩くと,やがて,室町三条に着きました。ここは,かつて多くの繊維問屋のあった場所。このあたりが「京都人の密かな愉しみ」のロケ地のひとつです。
●「誉田屋源兵衛」(こんだやげんべえ)
 室町三条にあります。ドラマでは,呉服問屋「伊づ譽」として登場します。
 「誉田屋源兵衛」は老舗の呉服商で,創業は享保年間(18世紀初頭)にさかのぼるとされる非常に歴史ある商家です。特に帯の製作で名高く,伝統的な技法を守りながらも現代的な感性を取り入れた作品づくりで知られています。
  誉田屋の帯は,単なる装飾品というよりも,まるで芸術作品のようといわれます。

 室町三条の最寄り駅は京都市営地下鉄の烏丸御池駅。このあたりには,食事のできる店が多くあります。私も京都文化博物館にあった食堂で昼食をとりました。そして,烏丸御池駅から地下鉄に乗って,今出川駅で降りました。「京都人の密かな愉しみ」のロケ地のひとつである同志社大学は今出川駅からほど近いところにあります。
●同志社大学
 御所の北側にあります。ドラマでは,洛志社大学として登場します。
 1875年に新島襄(にいじま じょう)によって創設された,日本でもっとも歴史あるプロテスタント系の大学のひとつです。キリスト教精神に基づいた「良心教育」を掲げ,「良心を手腕に運用する人物の育成」を目指しています。
 文学部,法学部,経済学部,理工学部,グローバル・コミュニケーション学部など,多彩な学部があって,国際交流にも力を入れています。
 キャンパスは,京都市内の今出川キャンパスと京田辺市の京田辺キャンパスにわかれていて,それぞれ歴史的な建築と自然に囲まれた環境が特徴的です。特に,今出川キャンパスの「クラーク記念館」は重要文化財にも指定されています。

 同志社大学を越え,烏丸通りを北に歩くと,左手に京菓子資料館があります。
●京菓子資料館
 後述する「俵屋吉富」(たわらやよしとみ)が運営する京菓子資料館です。2階には和菓子の歴史や文化を伝える展示があり,1階では,季節の和菓子と抹茶をいただくことができます。
 この1階の部屋で,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」第5回「まことの花」のひとつのシーンが撮影されました。
 その裏手が「俵屋吉富」の店舗です。
●「俵屋吉富」
 同志社大学のほど近いところにあります。ドラマでは,京都の老舗和菓子屋「久楽屋」として登場します。
 格式ある町家建築で,店内には美しい生菓子が並び,ドラマでは,俵屋吉富の繊細な和菓子が季節の移ろいや登場人物の心情を映す小道具としても使われています。
 創業は1755年(宝暦5年)と,江戸時代中期から続く老舗です。特に有名なのが,棹菓子の「雲龍」(うんりゅう)は季節の上生菓子です。見た目の美しさと味の繊細さが絶妙で,茶道の席でもよく使われます。

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月,水星,金星。

2026年2月19日。
夕方の西空。月齢1.9の月,水星,金星です。DSC_1861


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【Summary】
After visiting Nishi Hongan-ji’s Hiunkaku, I walked toward Karasuma-Oike, exploring filming locations from Kyoto People’s Secret Pleasures. Along the way,I saw the former site of Honnō-ji, Ono no Komachi’s cosmetic well, Chaya Shirōjirō’s residence site, and the ruins of the Nanban-dera, reflecting Kyoto’s layered history.

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 西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)を見て,まだ時間がありました。そこで,現在NHKBSで放送されている「京都人の密かな愉しみ」のロケ地を巡ってみることにしました。あまり時間がなかったので,今回は室町三条あたりと今出川あたりに絞りましたが,京都は,町歩きが楽しいところです。そこで,西本願寺から京都市営地下鉄の烏丸御池駅まで歩くことにしました。

 途中,四条西洞院を通りました。この場所こそ,織田信長の時代に本能寺のあったところです。当時の本能寺は東西西洞院から油小路,南北六角から蛸薬師に及ぶ広大な寺域をもっていました。
●本能寺跡
 1582年(天正10年)6月2日,明智光秀に襲撃された場所には,「此附近本能寺跡」という石碑が立っており,近くには「本能寺の変跡地」を示す碑も設置されています。本能寺の変で焼失後,豊臣秀吉の京都改造として,寺町への寺院集約により,1589年(天正17年)ごろに,現在地である寺町通御池下ルへ移転しました。 現在の場所: 京都市役所のすぐ近く(中京区下本能寺前町)に位置しています。 旧地跡: かつての場所には「此附近 本能寺跡」という石碑が立っており、近くには「本能寺の変 跡地」を示す碑も設置されています。 かつては広大な敷地を持っていたため、現在の旧地碑周辺が信長を襲った場所の伝承地となっています。

 次に見つけたのが,小野小町の別宅跡にあった化粧水です。
●小野小町の化粧水
 場所は,西洞院通四条南東。四条西洞院交差点の角にある小さな石碑でした。ここに,小野小町が実際に化粧の際に使っていた井戸があったと伝わるそうです。石碑横の立て看板には「化粧水は西洞院四条の南にあり,いにしへ,この所に小野小町の別荘ありしなり」と,1780年に出された書物「都名所図會」の引用が紹介してありました。

 さらに行くと,茶屋四郎次郎の屋敷跡がありました。
●茶屋四郎次郎の屋敷跡
 場所は,蛸薬師下ル百足屋町の瑞蓮寺脇。
 この付近に,江戸時代初期「京都三長者」のひとりと称された茶屋家初代・茶屋四郎次郎清延の屋敷跡の碑がありました。安土・桃山時代,茶屋四郎次郎清延が,この地に居を構えたといいます。
 茶屋四郎次郎清延は,徳川家の御用達として徳川家康の側近になりました。戦に従い,間者として講和の内使,情報提供,軍需品調達,京都での旅宿手配を務めました。本能寺の変では,その報を徳川家康に伝え,伊賀越えに協力しました。

 次に見つけたのが,南蛮寺跡でした。
●南蛮寺跡
 場所は中京区蛸薬師通室町。
 織田信長の時代,ヤソ会(耶蘇会)によって建てられた南蛮寺は,蛸薬師通室町の地にあったと推定されています。ヤソ会はイエズス会の日本でのよび名です。ヤソはイエス(耶蘇)の音写で,当時の日本ではキリスト教徒をヤソとよんでいました。イエズス会は,1534年にスペインのイグナティウス・デ・ロヨラたちによって創設されたカトリックの修道会で,プロテスタントに対抗するための布教活動を目的としていました。日本では16世紀にフランシスコ・ザビエルが来日して布教をはじめたことで知られます。
 戦国時代末期,京都でのキリスト教布教は,1559年(永禄2年)から本格化し,1561年(永禄4年)にこの付近に礼拝堂が設けられました。数々の迫害にあいながら,ヤソ会宣教師は布教に努力し,織田信長の保護もあって信者は拡大しました。1576年(天正4年),古くなった礼拝堂を再建することにし,数百人の信者の協力と所司代村井貞勝の援助で完成し,献堂式のミサが行われました。これが南蛮寺で,信者の間では珊太満利亜(さんたまりあ)上人の寺ともよばれ,京都におけるキリスト教と南蛮文化の中心となりました。しかし,1587年(天正15年),九州征伐を終えた豊臣秀吉は宣教師追放令を発し,キリスト教弾圧に転じ,南蛮寺もその時に破壊されてしまいました。、ついにこの地には復興されませんでした。

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【Summary】
After visiting Kyoto Ryozen Gokoku Shrine, I went to Nishi Hongan-ji to see Hiuun-kaku, one of Kyoto’s three famed pavilions alongside Kinkaku and Ginkaku. Built in the Momoyama style and linked to Toyotomi Hideyoshi, its asymmetrical beauty felt deeper with age.

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 京都霊山護国神社に行った後は,西本願寺の飛雲閣(ひうんかく)へ行こうと思いました。
  ・・・・・・
 飛雲閣は,京都の西本願寺にある歴史的な建築物で,桃山時代の華やかな建築様式を今に伝える貴重な遺構です。金閣,銀閣と並んで京の3名閣のひとつに数えられ,その美しさは空に浮かぶ雲のようとも称されます。
  ・・・・・・
 飛雲閣は,学生のころ,日本史の教科書で知りました。見てみたいと思ったのですが,金閣,銀閣とは違い,非公開でした。その後,特別公開があると知って見にいったことがあるのですが,それもまた昔のことで,ほとんど記憶に残っていませんでした。偶然,今回「京の冬の旅」で公開されると知り,行ってみることにしたのです。
 飛雲閣は,2017年7月から2020年3月まで,約20年ぶりの修復工事が行われ,屋根のふきかえを中心に,表具や框(かまち)の修復や畳の表替え,耐震補強などが施されました。
 飛雲閣の特別公開は,近年は9年ぶりの公開として2023年秋,それ以降は,2024年冬,2025年秋にも行われているようです。今回は内部も公開されたようですが,これは事前予約制で,私が試みたときはすでに締め切りで,外観のみの見学となりました。

 京都霊山護国神社から西本願寺まで,どうやって行こうかと考えて,タクシーにしました。私はめったにタクシーには乗らず,およその場所は歩くのですが,歳ですな。タクシーの運転手さんは,以前の外国人の少なかった京都が懐かしい,と言っていました。私も同感でした。
 一般の公開は午前10時からということで,その30分ほど前に着きました。そこで,先に,西本願寺の唐門を見にいきました。
●西本願寺唐門
 西本願寺の国宝である唐門は,見ていると日が暮れるのも忘れてしまうことから,日暮門(ひぐらしもん)ともよばれます。桃山時代の豪華な装飾美を今に伝える貴重な遺構。細部まで彫り込まれた極彩色の彫刻が特徴で,牡丹,唐獅子,鶴,龍など縁起のよいモチーフが施されています。
 豊臣秀吉の伏見城から移築されたという説が有力で,飛雲閣と同じく桃山文化の栄華を今に伝えるものといわれます。しかし,どうやら寛永年間に改造したらしく,そのときに彫刻などで飾り立てたといいます。寛永年間は,徳川家光が日光東照宮を大修築した時期にあたり,日光東照宮の陽明門を連想させます。
 2022年に40年ぶりに修復されたということで,現在は,あでやかな様相を奏しています。

 飛雲閣の公開時間が来たので,中に入りました。多くの人が来てごった返していたら,と心配だったのですが,それほどはなく安心しました。
●飛雲閣
 飛雲閣は,池に浮かぶように建てられた三層の楼閣で,それぞれの階が異なる建築様式になっています。
 1層目は主室の招賢殿(しょうけんでん)や茶室などと,舟入(ふないり)の間があります。 飛雲閣は,滴翠園にある池「滄浪池」(そうろうち)に面して建てられていて,舟を直接正面に着けることができる造りです。書院造風で,落ち着いた雰囲。これは格式ある武家の住宅に見られるスタイルで,実用性と美しさが融合しています。
 2層目は寝殿造の要素が取り入れられていて,貴族的な優雅さが感じられる空間です。柱や欄間の装飾も凝っています。三十六歌仙が描かれた歌仙の間があって,外からも歌仙の絵を見ることができます。
 3層は摘星楼(てきせいろう)とよばれ,物見をする部屋だったといわれています。禅宗様(唐様)で,屋根の反りや装飾がとても華やかなので,この層が雲に浮かぶようといわれるゆえんです。
 また,渡り廊下で結ばれている建物は黄鶴台(おうかくだい)とよばれ,別棟の浴室には脱衣所と蒸し風呂が造られています。
 飛雲閣は,もともとは,豊臣秀吉が築いた聚楽第(じゅらくだい)の一部だったとされ,豪華絢爛な桃山文化の象徴ともいえる建築でした。1587年(天正15年)に完成した聚楽第は,政変の影響で1595年(文禄4年)には取り壊されてしまい,その際,建物の一部が移築され,現在の西本願寺に移されたと伝えられています。西本願寺に移された後,飛雲閣は本願寺第12代門主・准如(じゅんにょ)の時代に再建され,宗教的な場としての役割も担うようになりました。特に,格式高い来賓をもてなすための迎賓館として使われたこともあり,江戸時代には徳川家との関係も深く,幕府との政治的な駆け引きの舞台にもなった可能性があるということです。
 左右非対称の美しさ。これがわかるようになるには,人もまた,年月が必要なようです。私もまた,若いころは,豪華な金閣,渋い銀閣に比べると,何じゃこりゃ,と思ったのですが,今では,ぴかぴかの左右対称な金閣,なにかやつれた銀閣よりもずっとすばらしいと思うようになりました。

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【Summary】
After joining the Kyoto Symphony Orchestra,I began monthly trips to Kyoto. On February 14, 2026, I visited Kyoto Ryozen Gokoku Shrine, stopping at Rokudo Chinno-ji linked to Ono no Takamura, and paid respects at the graves of Sakamoto Ryoma and Nakaoka Shintaro, moved by their historical legacy.

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 京都市交響楽団の定期会員になって以来,毎月,定期演奏会を聴きに京都コンサートホールへ行くようになりました。はじめのうちは試行錯誤だったのですが,その折に,さまざまな場所の観光もすることができるので,今では,これが最大の楽しみとなりました。
  ・・
 私は,岐阜羽島駅まで車で行って,駅前の駐車場に車を停めます。岐阜羽島駅は名古屋駅とは異なり,駅前まで車で行くことができ,また,安価な駐車場が山ほどあります。岐阜羽島駅から京都駅までは新幹線「ひかり」「こだま」ともに,米原駅に停車するだけで30分程度で京都駅に着きますが,自由席はがらがらです。私がいつも利用するのは,岐阜羽島駅午前6時47分発の「ひかり」。京都駅着は午前7時19分です。
 この日2026年2月14日は,新幹線の車窓から雪を被った伊吹山がきれいに見えました。1週間前なら大雪で行くのも大変だったのでしょうが,それも夢のように暖かな日でした。
 京都市交響楽団の定期演奏会が行われる京都コンサートホールには午後1時30分に着けばいいので,それまで6時間程度,さまざまなところへ行くことができます。奈良県へ行くのなら,午前7時36分発の特急か,午前7時37分発の急行,ともに橿原神宮前駅行きが接続しているし,奈良県から戻るときは,竹田駅で京都市営地下鉄に接続していて,しかも,同じホームの反対側に来るので,ストレスがありません。
 京都コンサートホールからの帰りは,京都市営地下鉄の北山駅から京都駅まで行って,そこで,新幹線に乗るのですが,時間を気にせずとも,およそいつも,午後5時33分発の「ひかり」に乗ることができます。帰りは,京都駅のホームで購入した駅弁を新幹線の車内で楽しみます。この日選んだのは「神戸のあっちっちステーキ弁当」でした。

 このごろは奈良を巡っていたのですが,今回は,久しぶりに京都市内を観光することにしました。
 近年は「京都に行く」というと「外国人だらけでしょう?」と言われるようになりました。私も,それが理由で敬遠していました。しかし,実際に行ってみると,そういう場所は限られていて,具体的にいえば,東山,嵐山,伏見あたりを外せはそれほどでもないです。特に今年は中国人の団体客がいないので非常に快適です。私は,これまでに,東山,嵐山,伏見あたりの定番の京都の観光地がすべて行ったことがあるので,そうした場所には行きたいとは思わないし,今私が行きたいところは,ほとんど観光客はいません。
 この日行こうと思ったのは,京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)と西本願寺の飛雲閣でした。京都霊山護国神社は東山にあるので周囲は混み合うのですが,朝早く出かけて,京都霊山護国神社のみに絞れば,それほどのことはありません。京都霊山護国神社には,坂本龍馬や中岡慎太郎など明治維新に関わった志士たちの墓があります。以前行ったことがあるのですが,ずいぶん昔のことだったので,再び行ってみたかったのです。
 墓地のある場所は,午前9時に開場ということだったので,京都駅から京都市営地下鉄烏丸線に乗って四条駅で降り,のんびりと歩いて,午前9時少し前に到着することにしました。

 松原通を歩いていくと,松原橋に差し掛かりました。
●松原橋
 松原通は平安時代の五条大路で,嵯峨天皇の勅命により橋が架けられ,清水寺の参詣道でもあったことから,人の往来が多く,大変賑わった都の目抜き通りでした。元来,この地に架かっていた橋が五条橋で,通りの両側に見事な松並木があったことから五条松原橋ともよばれていました。
 安土桃山時代に,豊臣秀吉が方広寺大仏殿の造営に当たり,この地に架かっていた橋を現在の五条通である平安京の六条坊門小路に架け替え,これを五条橋と称したことによって,この地の橋の名前からは五条が外れ,以後,松原橋とよばれるようになりました。伝説に謳われる牛若丸と弁慶の決闘「京の五条の橋の上」は,この橋のことを指します。
 現在架かる橋は,1935年(昭和10年)の鴨川の大洪水による倒壊流失後に架け替えられたものです。

 この橋を東へ進むと清水寺に行き着きますが,その途中にあるのが,冥界へ通じるといわれる井戸で有名な六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。そこで,六道珍皇寺に寄ってみました。
●六道珍皇寺
 六道珍皇寺は東山区にあり,六道の辻とよばれる,あの世とこの世の境目とされる場所にあります。六道というのは,仏教で説かれる地獄,餓鬼,畜生,修羅,人間,天を指し,人が死後に生まれ変わる可能性のある六つの道を意味しています。 六道珍皇寺には迎え鐘(むかえがね)という鐘があって,お盆の時期に亡くなった人の魂を迎えるためにこの鐘を撞く風習があります。鐘の音はあの世にまで届くと信じられています。また,境内には小野篁(おののたかむら)ゆかりの井戸もあります。
 小野篁は,嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で,参議にまでなった文武両道に優れた人物ですが,不羈な性格で野狂ともいわれ奇行が多く,嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともある人物です。また,閻魔王宮の役人ともいわれ,昼は朝廷に出仕し,夜は閻魔庁につとめていたという,つまり,この世とあの世を行ったり来たりできる人物ということで,この井戸は,小野篁が冥土へ通うのに使ったといわれます。

 六道珍皇寺を過ぎ,京都霊山護国神社に到着しました。
●京都霊山護国神社
 午前9時を待って,さっそく,坂本龍馬と中岡慎太郎の墓に行きました。ここには,桂小五郎と幾松の墓もありました。また,明治維新のころに亡くなった多くの人々の墓が並び,その像絶さには胸を打たれました。
 墓地は京都東山の高台にあって、境内からは京都市街が一望できる場所でした。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Passport, I visited the Furukawa Art Museum on February 12. Located near Nittaiji Temple, it showcases a rich collection of modern Japanese paintings and antiques amassed by entrepreneur Furukawa Tamesaburo, along with his former residence and garden, revealing a previously unknown cultural gem.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月12日に出かけた古川美術館です。

●古川美術館
 古川美術館は,名古屋市千種区の日泰寺の近く,静かな住宅街にある美術館です。いつも近くを通るのですが,大通りから1本入ったところにあるので,これまで,その存在をまったく知りませんでした。今回,「あいち・なごや周遊観光パスポート」の対象施設だったので,行くことができました。
 この美術館は、実業家・古川爲三郎さんが長年にわたって集めた美術品を「私蔵せず,広く人々に楽しんでもらいたい」という想いから,1991年に開館されました。横山大観や上村松園,川合玉堂などの近代日本画を中心に,陶磁器や工芸品,15世紀の装飾写本まで,約2,800点にものぼるコレクションから展示されています。今回行ったときは,「名山巡礼2026」という日本の名山の絵画を集めた展示会が催されていました。
 さらに,近くには,分館の爲三郎記念館がありました。これは,古川爲三郎さんの旧邸を公開したもので,昭和初期の数寄屋造りの建築がそのまま残っているものでした。ここには,日本庭園を眺めながら,茶室でお抹茶や和菓子を楽しめる「数寄屋 de Café」もありました。今回は,襲名記念六代加藤作助展が行われていました。

 古川爲三郎さんは,映画配給と興行の世界で財を成した実業家です。
 もともとは名古屋で宝石・貴金属商を営んでいましたが,1921年に,名古屋・大須の映画館「太陽館」の経営をはじめたのが転機となり,その後,名古屋各地に映画館を展開。昭和30年代には「毎日ホール大劇場」や「中日シネラマ会館」などを開館し,映画配給会社「ヘラルドグループ」を創業し,日本を代表する映画配給会社に育て上げました。さらに,映画だけでなく,ボウリング場やゴルフ場,スキー場などのレジャー産業にも手を広げて,一代で巨大グループを築いた人物です。
 晩年は,美術品の収集にも情熱を注ぎ,古川美術館を設立しました。
  ・・
 六代加藤作助(ろくだい かとうさくすけ)さんは,美濃焼の伝統を受け継ぐ陶芸家のひとりで,特に志野焼や織部焼の分野で知られています。加藤家は美濃の陶芸界で名高い家系で,代々「作助」の名を継承してきました。 六代目は伝統を守りながらも現代的な感性を取り入れた作品づくりで評価されていて,特に志野の柔らかな白と繊細な釉薬の表現に定評があります。
 作品の特徴は,「伝統と革新の融合」。志野は,白釉の中にほんのりと赤みが差す「緋色」(ひいろ)の発色が美しく,朝焼けの雲のような優しい表情をしているといいます。また,緑釉の流れや歪みを活かした造形が特徴的で,どこか遊び心があるのに品格を失わない絶妙なバランスが魅力で,「使ってこそ映える器」というものです。さらに,自然釉の流れや焼成による偶然の景色を大切にし,ひとつひとつが唯一無二の表情をもっています。
 ちょうど受付に本人がみえました。

 こんな素敵なところをまったく知らなかった私を恥じました。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Tourist Passport, I visited the Aichi Air Museum and the Toyota Commemorative Museum of Industry and Technology. I enjoyed realistic aircraft displays, especially a Zero fighter replica, and impressive flight simulators. The Toyota museum’s live machinery and robotic assembly lines showed remarkable technological innovation and craftsmanship.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月9日に出かけた,あいち航空ミュージアムと2月10日に出かけたトヨタ産業技術記念館です。

●あいち航空ミュージアム
 あいち航空ミュージアムは,2024年8月に一度行ったことがあります。今回は,「あいち・なごや周遊観光パスポート」で再び出かけました。
 県営名古屋空港の前身,名古屋空港は,常滑沖に中部国際空港ができたことで縮小され,現在は,国際線ターミナルビルが「エアポートウォーク名古屋」というショッピング施設となりました。そこに隣接するのがあいち航空ミュージアムです。
  ・・・・・・
 あいち航空ミュージアムは,YS-11や零戦の実物大模型をはじめとして,数々の飛行機が展示されています。フライトシミュレーターでパイロット気分を味わうことができます。また,屋上の展望デッキからは滑走路が見渡せて,離着陸する飛行機を間近で見ることもできます。
  ・・・・・・
とありました。残念ながら,この日はとても風が強く,展望デッキに出る気分ではありませんでしたが,ガラス窓から発着するヘリコプタや自衛隊の飛行機を眺めることができました。
 私が興味をもったのは,零戦(ゼロ戦)五二型の実物大模型の展示でした。すでに,ワシントンのスミソニアン・航空宇宙博物館で本物のゼロ戦を見たことはあるのですが,これは,忠実に再現されたレプリカでした。しかし,細部までリアルに作られていて、当時の技術やデザインのすごさが伝わってきました。翼の形や機体の塗装,コックピットの雰囲気まで,おそらく,作られた当時はこういうものだったのだろう,と思いました。
 フライトシミュレーターもやってみたのですが,何度やっても難しいものです。
 なお,類似の施設として,昨年の夏に行った「岐阜かかみはら航空宇宙博物館」があるのですが,そちらの方が充実していました。

●岩倉市史跡博物館
 ここは,無料の施設で,「あいち・なごや周遊観光パスポート」とは関係がありません。家に帰る途中で,寄ってみたものです。ここは,以前,その横の道路を走っていて気がついたところなのですが,どうしてここに縄文時代の住居が? と不思議におもっていたので,今回,立ち寄ってみました。
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 岩倉市史跡博物館は,愛知県岩倉市にある地域の歴史や文化を紹介する博物館です。
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 この博物館には,岩倉市の歴史的な資料や遺跡の出土品,昔の暮らしを伝える道具などが展示されていて,地域の成り立ちや文化を学べる場所として,岩倉城跡に関する展示や,古墳時代から近代にかけての資料が充実しています。
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とありましたが,まあ,単なる歴史公園でした。

●トヨタ産業技術記念館
 トヨタ産業技術記念館は,名古屋市西区則武新町にあり,ここは,かつて,豊田自動織機の工場があったところです。現在は,トヨタグループのルーツをたどることができる場所として,繊維機械から自動車技術まで,非常に充実した施設となっています。実際,とてもすばらしい施設で,トヨタグループの底力を感じました。
 実際に動く機械のデモンストレーションや、職人さんによる実演もあり,とてもていねいに説明してもらえました。なかでも,最新の織物機の実演には恐れ入りました。スピードと精密さは,まるで生きてるみたいに見えました。糸がピンと張られて,シャトルがシュッと走るたびに,まるで水面に波紋が広がるみたいでした。技術の進化はすごいものです。
 自動車の自動組立ラインも圧巻でした。私が子供のころに自動車工場を見学したときは,工員さんが作業をしていたのですが,今はすべてが産業ロボット。 ロボットアームがまるでダンスしてるように,正確に,しかも超スピーディーで部品を組み立てていく様子は,すごいものでした。
 カフェやレストランもあって,ここは,何度でも行きたい施設でした。
  なお,類似の施設として,昨年の夏に行ったトヨタ自動車博物館があります。ここもまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」に該当する施設です。トヨタ自動車博物館はトヨタ車に限らず,世界中の自動車に関する博物館で,どちらも甲乙つけがたいとても楽しめる施設です。

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【Summary】
The Oki Islands feature dramatic nature and history. Dogo offers coastal sights, boat tours, bullfighting, and the famous Candle Rock. The more rustic Dozen Islands boast caldera landscapes, towering cliffs, red rock walls, cattle-filled pastures, and rich exile history linked to emperors and poets.

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 隠岐諸島の見どころを書きます。

●島後
 丸い島です。中心部は500メートル級の山々が連なり,島の海岸沿いを中心に見どころが点在しています。
 まず,南の海側にある西郷という集落に港があり,そのまわりに多くの見どころがあります。町歩きも楽しいし,かっぱ遊覧船に乗って,海岸を周遊することもできます。また,隠岐といって誰もが思い浮かべる牛突きは「モーモードーム」でその実演を見ることができます。
 島の北側にはローソク島というものがあります。夕日が奇岩に重なるとローソクがともったように見えるのですが,これを見るには船に乗らなくてはなりません。これが島後最大の見ものだと思うのですが,天気がよくないと見ることができないので,運次第,とも言えます。
 また,島の内部には,奇妙な形の杉やら,圧巻の滝やら,すばらしい自然の姿を目撃することができます。
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●島前
 島後はすばらしい島ですが,私は,島前に行ってみて,島前は島後の数倍魅力的なところだと思いました。それは,観光地という視点からみたとき,島前のほうがずっと素朴,という意味です。
 もともとはひとつの島だったものが,焼火山を中心としたカルデラの外輪山が3つの島々になったものです。なかでも,西ノ島には,摩天崖という高さ257メートルの垂直に切り立つ断崖が特筆すべきものです。これはすばらしい。日本にこれほど雄大なところがあるのか,と私は驚きました。
 また,知夫里島には,赤壁という圧巻の赤茶色の岩肌を見ることができます。知夫里島といえば,この島に住む人の数約600人に対して,牛の頭数も約600頭というように,牛だらけの島。これがすごい。
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●配流された人々
 隠岐といえば,島流し。
 後醍醐天皇は島後に流され,後鳥羽天皇は島前の中ノ島に流されました。中ノ島には後鳥羽天皇の遺構が多くあります。
 小野篁もまた,島前の中ノ島に流されました。中ノ島の金光寺(きんこうじ)は,小野篁が配流中に籠もった場所と言われています。小野篁は,遣唐使の副使に任命されましたが,渡航に2度失敗し,3度目の航海にあたり,正使「藤原常嗣」(ふじわらのつねつぐ)は,船が破損して水漏れしているとして,小野篁の船と交換してほしいと願い出,これに激怒した小野篁は,体調不良や母の世話を理由に乗船を拒否したことが原因でした。
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 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣舟
 「大海原に散らばる多くの島々を目指して舟を出した」と,都にいる愛する人には伝えておくれ。漁師の釣舟よ。
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 島流しにあたって詠まれた,悲哀に満ちた歌です。
 私が最も興味をもったのは,文覚上人。文覚上人は後白河法皇に暴言を吐いて伊豆へ流罪になりました。源頼朝死去と同時に文覚上人は政争に巻き込まれて,今度は佐渡国へ再度配流の身となりました。今度は,後鳥羽上皇が,謀反の疑いありとして,文覚上人を隠岐国への流罪としました。文覚上人は,いつか後鳥羽上皇を隠岐に迎え取ってやると言い残しながら配流先に向かったと「平家物語」にあります。その遺構が知夫里島にあります。

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【Summary】
I traveled to the Oki Islands for five days in August 2023, visiting Nishinoshima, Chiburijima, and Nakanoshima. Despite limited transport requiring careful planning, the Dōzen islands offered vast, tranquil landscapes. A chance encounter with the Kinnyamonya Festival made the journey especially memorable.

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 2023年8月23日から8月27日の4泊5日で出かけた隠岐諸島。
 前回書いたように,島後の西郷港から,午前8時30分出港のフェリー「しらはま」に乗って,島前・中ノ島の菱浦港に午前9時40分着,10分後の午前9時50分に菱浦港を出港して,午前10時5分に西ノ島の別府港に着きました。
 西ノ島で予約してあったレンタカーに乗って,島内巡りをしました。
 島後も多くの見どころがあったのですが,島前はそれ以上でした。
 その後,また,後日書くことになると思うのですが,種子島,宮古島にも行きましたが,そうした離島に比べても,隠岐諸島の島前はのどかな秘境,とにかく雄大でした。

 島前には,西ノ島以外に,中ノ島,知夫里島があります。そこで,翌日は,中ノ島,知夫里島に行くことにしたのですが,問題は車でした。知夫里島にはレンタカーが5台あるということだったので,ダメもとで電話をすると,午前中なら借りられるとのこと。そこで,次の日は,午前中知夫里島に行き,午後は中ノ島に行き,夜に,宿泊先のある西ノ島に戻ることにしました。
 島前の島は内航船で移動できるのですが,本数が少なく,うまく計画を立てないといけません。島間はさほど距離がないのですが,泳ぐわけにもいかないので,けっこう不便でした。もっと需要があれば,沖縄県の宮古島のように橋を架けてしまえばいいのでしょうが,そういった計画はあるのかな?
 ともかく,内航船「いそがぜ」の出港は午前7時47分で,知夫里島の来居(くりい)港着が午前8時4分,レンタカーを午前8時30分に借りました。

 午前中知夫里島を巡り,午前12時10分の内航船「いそがぜ」にのって,午前12時28分,中ノ島の菱浦港に着きました。中ノ島ではレンタカーに空きがなかったので,電動自転車を借りることになりました。
 中ノ島は,偶然,お祭りだということで,予定を変えて知夫里島からやってきた中ノ島でした。 偶然,年に1度の「キンニャモニャ祭り」というお祭りに遭遇しました。まず,中ノ島の菱浦港にあったレストランで昼食をとり,電動自転車で島の見どころをまわりました。
 お祭りではさまざまな催しがあるので,もっと長く滞在することもできたのですが,宿泊先で夕食をとらなければならないことと,花火は西ノ島からでもむしろきれいに見ることができるということだったので,午後4時47分に出港する内航船で西ノ島に帰りました。
 夕食後,中ノ島で打ち上げられた花火を見ることができました。

 最終日,2023年8月27日。この日は,予定では中ノ島にフェリーで渡り,午前中観光をすることにしていたのですが,その気がまったく失せてしまい,当初は,午後3時45分に西ノ島の別府港を出港して,本土の七類港に戻るするフェリー「おき」に乗る予定だったのを変更して,午前10時20分に西ノ島の別府港から出港する「しらしま」で,本土の境港に戻ることにしました。
 境港到着は午後1時20分でした。
 このように,隠岐諸島は,多くの島があって,それらをすべてに行くには,かなりの知恵と工夫が必要でしたが,それに余りあるすばらしいところでした。
 次回は,それぞれの島の見どころについて書きます。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Pass, I visited Osu Engeijo, a small traditional vaudeville theater in Nagoya. Despite past financial struggles and its hidden location, the weekday performance was well attended and offered over two hours of enjoyable rakugo, manzai, and variety acts.

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 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使ってさまざまなところに出かけています。
 今日は2月5日に出かけた大須演芸場です。

●大須演芸場
 ずいぶん前,漫才ブームというものがありました。また,大阪には吉本新喜劇が有名でした。
 今の私は,東京や大阪によく行く機会があるので,さまざまな演芸場があることを知っていますが,子供のころ,名古屋に住んでいた私には,演芸場というものも無縁でした。父親に聞くと大須にある,という答えでしたが,その存在はあまりにマイナーでした。
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 大須演芸場は,木造の2階建てで1階は椅子,2階は座敷席の小さな劇場で,名古屋市中区大須にある落語や色物などを上演する常設の中京圏で唯一の寄席として知られます。ビートたけしや明石家さんまらがまだ売れない駆け出し時代に出演していたといいます。
 常に経営難で,救いの手をさしのべる人々によって閉鎖の危機を乗り越えたことでも有名です。
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 2000年代には,平日の客入りは10人程度前後となり,2014年(平成26年)2月には,建物明け渡しの強制執行がなされ,営業が終了してしまいました。2015年(平成27年),名古屋青年会議所のメンバーを中心にボランティア団体として一般社団法人・大須演芸場を設立し,再出発をしました。
 かつて,一度行ってみたいと思って出かけたことがあったのですが,敷居が高く,入り口にもほとんど人がおらず,敷居が高く,入ることができませんでした。
 入場場が3,300円もするのですが,今回,「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使えば無料で入場できるとあって,ぜひ,ということで行ってみました。

 平日の午前ということで,観客が何人いるのだろうと危惧していたのですが,意外や意外,入り口には多くの人が開場を待っていました。私が見たときは,約7割程度の入りでした。
 寄席は,前半4人,後半4人。落語が6人,ほかに,漫才と紙切り,それぞれ15分で,休憩を含めて2時間30分ほどと,たっぷり楽しむことができました。なかなか楽しい時間でした。はじまったのが午前11時で終わりが午後1時30分ごろ。ちょうどお昼時ですが,場内で飲食ができます。とはいえ,お弁当は1週間前までの予約ということだったので,軽食を買って入りました。場内ではどら焼きなどがうられていたので,これも購入しました。
 大須演芸場は,大須観音の近くにありながら,1本路地を入ったところで目立たず,これが最大の欠点でしょう。もし,アーケード街に面してあったのなら,ずいぶんと客の入りが違うことでしょう。また,180席と小さいので,結果として,入場料を高くするしかなく,もし,その倍で集客できて,2,000円程度で楽しめるのなら,現在の高齢者社会では,もっと多くの人が楽しめるのかな,と思いました。

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【Summary】
Using the Aichi–Nagoya Sightseeing Passport, I visited four sites in one day: a disappointing LED planetarium, the unexpectedly excellent Noritake Museum, a dated but scenic reconstructed Kiyosu Castle, and the Asahi Archaeological Museum, which offers impressive exhibits on a major Yayoi-period settlement and nearby shell mound.

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 すでに昨年の5月26日から発売されていた「あいち・なごや周遊観光パスポート」ですが,私が知ったのはつい近ごろ,1月30日で,発売終了の前日のことでした。これは
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 平日オトクに愛知を楽しもう! 県内の参画美術館・博物館等を利用できる,平日のお得な共通チケット 「あいち・なごや周遊観光パスポート」。
 愛知県内の参画美術館・博物館等に入場できる,平日限定のお得なチケットです。
 今年は新たに知多エリアも登場し,参画施設数も全35か所と大幅に増加!
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というもので,価格は4,500円。
 1施設目の利用日から90日間,チケットが有効で,チケットの最終有効期限は2026年3月13日です。
 2月3日に行った「名古屋中村大河ドラマ館」へも,これを使っていきました。
 そこで,これを利用して,精力的に,回ってみることにしました。これまで,お金を出してまで行こうとはおもわないけれど,気になっていた近隣の施設が多くあるので,いい機会です。35か所ということですが,その多くに行ってみることにしたので,行った順に書いてみたいと思います。

 2月4日は次の4か所に行きました。
●コニカミノルタプラネタリウム「満天NAGOYA」
 イオンモール「Nagoya Noritake Garden」にあるプラネタリウムです。イオンオールは名古屋駅に近く,5時間無料で駐車できるので,よく行きますが,あえてプラネタリウムに入ろうとは思いませんでした。ここもまた,「あいち・なごや周遊観光パスポート」で入れるということだったので,行ってみました。
 LEDを使ったプラネタリウムで40分間の上映でした。私が見たのは,「星の旅 -世界編- 特別ロングバージョン」と題したものでしたが,正直言ってがっかりでした。星のピントが甘く,また,地平線近くの星々は収差がひどく丸くならず,しかも,解説もなく,私が実際に見てきた南天の星空とは段違いでした。これなら,名古屋市立科学館のプラネタリウムのほうがずっといいです。
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●ノリタケの森にあるクラフトセンター・ノリタケミュージアム
 イオンモール「Nagoya Noritake Garden」に隣接して,ノリタケの本社があり,そこにノリタケの森として,庭園やレストランなどが整備されていて,とても気持ちのよいところなので,ここもまた,よく行きます。その一角にあるのが有料施設のクラフトセンター・ノリタケミュージアムです。あえてこの有料施設に行こうという人もほとんどなく,私も入ったことはありませんでした。
 館内は閑散としていて,というか,落ち着いていて,なかなかすばらしい施設でした。こんな機会でもなければ行くこともないところなので,楽しめました。
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●清州城模擬天守
 次に行ったのは,清州城模擬天守でした。
 清洲城は,現在の清須市にあった戦国時代,織田信長の本拠地及び居城として知られます。京鎌倉往還と伊勢街道が合流し,中山道にも連絡する交通の要所として重視され,守護所として栄え,江戸時代に徳川家康が清州越しを行うまでは尾張の政治の中心でした。
 現在は,本丸土塁の一部が残るのみで,城跡は清洲公園として,織田信長の銅像,以北の城跡は清洲古城跡公園として清洲城跡顕彰碑があります。ここは,何度も行っています,
 清州城模擬天守は,1989年(平成元年)に清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守で,外観や規模は当時を想像して設計されたものです。できたころに一度だけ入ったことがあるのですが,あえて,また行きたいとも思っていませんでした。そこで,今回,行ってみました。展示が古く,その後,予算づけをして新しくした形跡もありませんでしたが,最上階からの眺めは楽しめました。
  ・・
●あいち朝日遺跡ミュージアム
 愛知県で全国最大規模の弥生時代の遺跡である朝日遺跡を紹介する遺跡博物館で,ここも,できたころに一度行ったことがあります。
 朝日遺跡は,弥生時代前期から古墳時代前期まで営まれた全国でも有数の大規模集落で,この地方の生活・文化の中心として栄え,東西日本の弥生文化をつなぐ重要な役割を担っていました。これまでの調査によって,遺跡の範囲は東西1.4キロメートル,南北0.8キロメートルに及び,遺跡の面積は80万平方メートルから100万平方メートルと推定され,北東から南西にかけて流れる谷の南北の微高地に住居が営まれ,居住域を取り囲むように墓域が造られました。
 ここは,名古屋と岐阜を結ぶ国道22号の改良工事の際に大規模な遺跡が見つかって,そのために工事が中断したことで知りました。
 立派な展示館があって,発掘品やジオラマで学ぶことができます。また,屋外には弥生時代の住居跡や高床式倉庫が造られています。また,隣接して,貝殻山貝塚があって,ここもまた,交流館という展示館があります。おそらく,朝日遺跡よりも貝殻山貝塚のほうが先に知られ,施設が造られていたものと思います。本物の人骨の展示には驚きました。

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