かつて,ニューオリンズはフランス領でした。
フランスがフレンチ・インディアン戦争でイギリスに敗れたことにより、これらの領土はミシシッピ川を境としてイギリスとスペインに割譲されたのですが,フランスは,秘密の条約でスペインから一旦は領土を取り戻しました。
その後ナポレオン・ボナパルトが全ルイジアナを破格の1,500万ドルでアメリカ合衆国への譲渡を決めたことによって、フランスの支配は終わりを告げました。
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そんなこともあってか,ナポレオンのデスマスク,世界に4個あるうちの1つがガビルド(ルイジアナ州立博物館の一部)に展示されています。ガビルドはナポレオンがジェファーソンにルイジアナを売却する調印を行った議会場です。
ナポレオンは,ニューオリンズと縁もゆかりもあるわけです。
ニューオリンズがディープなのは,深南部ということ以上に,このような複雑な歴史や文化が絡み合っているからです。
知れば知るほど,ディープなこの地の名物のひとつは,ケイジャン料理です。
アメリカの料理は,どこもそれほど代わり映えがしないのですが,ニューオリンズの料理は異彩を放っています。それは,歴史的にフランス・スペインの植民地時代を経ていること,そして,奴隷制度。そのため,いろんな国の食文化とアフリカ系アメリカ人が持ち込んだスパイス類,それらがメキシコ湾やミシシッピ川でふんだんに捕獲される海産物を材料として融合され入り混じっていることが理由です。
ケイジャン料理は,香辛料の効いた田舎風の濃い味付けが特徴です。代表的な料理は、ザリガニの濃厚なスープであるクローフィッシュ・ビスク、ザリガニの姿蒸しグローフィッシュ・エトゥフェ、豚肉の腸詰アンドゥイーユなどです。
ケイジャンとは,17世紀にフランスからカナダの南東部に入植し、アケイディアンと呼ばれていた人々が,その後ニューオリンズの地へ移り住みケイジャン(アケイディアンの訛ったもの)と呼ばれるようになったのが語源だそうです。
グローフィッシュ・エトゥフェはかなりスパイシーです。味は,ロブスターに似ているのですが少し独特のクセがあります。そのクセを消すために,強いスパイスで茹でられているのです。でも,思ったよりも美味しいです。私は,そう思いました。
もうひとつの名物は墓地です。ニューオリンズの墓地は美しいのです。
この街は,海抜マイナス2メートルの土地に形成されていて,その地理的な理由から,水害に悩まされて来ました。近年のハリケーンカトリーナのように,浸水は頻繁に起こるので,遺体を地下に埋めると動いてしまうのです。
その昔,土に埋めた死体が洪水などで流れ,街を泳いでいるような状態になったそうです。そこで,ここでは土葬でなく,地上に葬るのです。お墓がそれぞれ建物になっていて,その中に棺が納められているのです。
墓地の多くは街から近い所にあるのですが,治安がとても悪い所だそうです。私も,見たいといったら当地に住む人に反対されました。ガイドブックにも「ひとりで行くな。ツアーで行け」と書いてあるようです。でも,行ってきました。
そんなこともあってかどうかはは知りませんが,ニューオリンズはアメリカで最もスピリチュアルな街としても有名で,ブードゥー教も盛んだったそうです。バーボンストリートにはそんな怪しげなお店もあるし,その女教祖のお墓や,幽霊が出ると言われるお屋敷を訪ねるミステリーツアーも多くあります。
そして,3つ目の名物はスワンプです。
ミシシッピ川の河口の南ルイジアナには,広大なスワンプと呼ばれる湿地帯があって,かつては先住民の交通路,海賊の隠れ場所として使われていたそうです。インターステイツ10も,ニューオリンズの近郊はこうした沼地の上を延々と走っていて,すばらしい景観を味わうことができます。
網の目の様に広がった水路を小さなボートで探検するスワンプツアーもたくさんありますが,ツアーに参加しなくても,車で少し郊外まで走るとスワンプを散策するコースがあります。スワンプを歩いていると,運がよければ(悪ければ?)ワニに遭遇することもできます。私も,しっかりと子ワニを観察してきました。
こんな,一見アメリカらしくないアメリカ,でも,ここも確かにアメリカ。これも,アメリカを旅するの魅力のひとつです。
やはり,この地を訪れることなしに,アメリカを語ることはできないのです。
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とにもかくにも,アメリカのどこを探してもニューオリンズのような街はない。いや,ニューオリンズこそ,アメリカではないのかもしれない。
「わが心のディープサウス」(ジェームス・M・バーダマン・森本豊富訳)より
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カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > ルイジアナ州
「人生っていいもんだ」-わが心のディープサウス②
ディープサウス,どこか心に響くこの言葉。
陽気だけれど,どことなく哀愁のただようアメリカの深南部は,重い歴史と蒸し暑い空気が相まって,旅人に,生きていることの大切さと意義を改めて考えさせてくれます。
テキサス州からIインターステイツ10を東に車を走らせ,ニューオリンズにむかうと,バトンルージュを過ぎたあたりはリバーロードと呼ばれる地域で,多くのプランテーションが現存しています。プランテーションは,かつて,サトウキビの栽培で財を成した地主たちの豪邸で,そのいくつかは現在も保存されて,往年の栄華を今に伝えています。
南部の独特の雰囲気は,こうした地主たちの栄華とアフリカ系アメリカ人の悲哀が絡み合って作られています。
こうした人たちの人生は,映画「Driving Miss Daisy」や,98歳にして初めて文字を習ったアフリカ系アメリカ人の自伝「Life Is So Good」を読むと深く感じ入ることができます。
「Driving Miss Daisy」は,アメリカ南部を舞台に、老齢のユダヤ系未亡人とアフリカ系運転手の交流をユーモラスに描いています。
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未亡人デイジーと彼女の専用の運転手ホークの奇妙で不思議な関係は、1台の車の中で、しだいに何物にも代えがたい友情の絆を生み出していきます。やがて,いつしか頭がボケ始めたデイジーは施設で暮らすようになるのですが,デイジーとホークの友情は、変わることなく続くのでした。
ある朝,デイジーの家を訪れたホークは、錯乱しているデイジーを発見します。デイジーを優しく宥めるホーク。そんな彼に対し、デイジーは,
"You are my best friend."
「貴方は一番のお友達よ」
と告げるのです。
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「Life Is So Good」(George Dawson and Richard Glaubman著 日本語の翻訳は「101歳,人生っていいもんだ」忠平美幸訳)のジョージ・ドーソンは,101歳,株なし・銀行預金なし・カード類なし,持っているものは何枚かのシャツとスーツ1着・帽子1個。
その彼が,シンプルで幸せな人生を語るのです。
彼は,100歳を過ぎてもユーモアと楽観主義を忘れません。
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"People worry too much. Life is good, just the way it is."
「みんなあれこれ心配しすぎなんだよ。人生っていいもんだよ、今のこのままでね」
10歳のとき,「黒んぼ」なるがゆえに無実の身で幼なじみがリンチを受けたことから,それ以後、権力者としての白人には慎重に接し,白人社会が押しつけた規範をはみ出さないよう注意し,低賃金にも苦情を漏らさず生きていきます。
勤勉な庭師として引く手あまただった頃,ある大邸宅で昼食が出ました。犬と同じ場所で,犬と同じ食事が提供されたのです。彼はいつもどおり仕事を片づけ,昼食には一切手をつけませんでした。そして,別れしなに雇用主に言ったのです。
「わしは人間なんです」
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彼の人生哲学であるシンプル・ライフ,楽天性,勤勉,矜持…。
これは,米国の開拓期の精神と重なります。
たとえ人生が不条理だとしても,その中でしたたかに生き抜いたこうしたひとりひとりの人生の重さが,南部を訪れる旅人の心を打つのです。
素晴らしき世界-わが心のディープサウス①
ミシシッピ川に浮かぶ蒸気船は「わが心のディープサウス」(ジェームス・M・バーダマン 森本豊富訳)を思い起こします。陽気だけれど,どことなく哀愁のただよう南部の空気に触れると,生きていることの意味を改めて考えさせられます。
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They told me to take a streetcar named “Desire”, transfer to one called “Cemeteries” and ride six blocks and get off at “Elysian Fields”!
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「欲望」という名の電車に乗って「墓場」という駅で乗り換えて「極楽」という駅で降りたいの。
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そんなシーンではじまる映画「欲望という名の電車」は,第二次世界大戦の戦勝国アメリカ中の誰しもが,アメリカン・ドリームを夢みた時代の物語です。
時代の片隅に追いやられた者たち。現実との葛藤,逃避,心の闇、渦巻く欲望と暴力…。
ニューオリンズ,この街にやってきた一人の女 性。都会の雑踏の中で生きていくにはあまりにも痛々しく繊細な風情のその女性に,ひとりの青年が近づいてきます。そして,彼女はこう道を尋ねたのです。
ニューオリンズという地をはじめて訪れたとき,この地を知らずに,アメリカを語ってはいけないなあ,としみじみ思いました。
カフェ・デュ・モンドで出されるベニエの甘い香り,リバーウォークマーケットのケイジャン料理のスパイスの匂い,ライブハウス「プリザベーションホール」のトランペットやジャクソン広場で流れるバンジョーの音,そして,バーボンストリートのどこか退廃した賑わい。そうした華やかな世界のすべてに横たわっているこの街の栄光と苦悩が,旅をする私たちの心を揺さぶるのです。
ルイ・アームストロングが生まれ育ったのは,そんなニューオリンズの比較的貧しい居住区でした。
子供の頃にピストルを発砲して送られた少年院のブラスバンドでコルネットを演奏することになったのが,彼の楽器との最初の出会いでした。次第に町のパレードなどで演奏するようになって,彼は人気者となっていったのです。
彼は,「この素晴らしき世界」で,次のように歌います。
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I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself,
what a wonderful world
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木々は緑色に,赤いバラもまた
わたしやあなたのために花を咲かせ
そして,わたしの心に沁みてゆく。
何と素晴らしい世界でしょう。
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人の強さと悲しさがこの街の歴史と繁栄を支えているのです。
本当に,世界はなんと素晴らしいのでしょう。