しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ: MLB・NFLを見る

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 私は,これまで,シアトル,ニューヨーク,そして,フロリダと,イチロー選手が属したチームがホームゲームを行ったときに,すべて見てくることができました。つまり,3つのユニフォームを着たイチロー選手を見たわけです。今日の写真はそのときに写したものです。
 そのイチロー選手が生まれ育ったのは愛知県の豊山町で,その場所に自宅を改築したときに造られたイチロー選手の記念館があるようなことを聞いていたのですが,これまで行ったことはありませんでした。また,それが,私がよく利用する県営名古屋空港の近くだということは知っていたのですが,それらしきところも案内標示もないので,どこなのかな? とずっと思っていました。
 そこで,調べてみると,週末は外出しない私ですが,コロナ禍以前は平日も開館していたそうですが,現在は土日のみの開館ということだったので,やむを得ず,2024年8月18日日曜日に行ってきました。

 私は家から近いので,簡単に行くことができましたが,車でないと行くこともできないところなので,多くのイチロー選手のファンは「アメリカに行くより遠いところだ」と書いています。
 イチロー記念館は,正しくは,「アイ・ファイン(I - fain)」といいます。名前の由来はわからないのですが,I am fine. から来ているのかな? また,パンフレットには「THE ICHIRO EXHIBITION ROOM」とあるので,イチロー展示ルームと和訳してあるものもあります。
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 「アイ・ファイン(I - fain)」は,メジャーリーガーだったイチロー選手所縁の品が展示されている施設で,2000年(平成12年)にオープンしました。施設には,イチロー選手の現在に至るまでのコレクションが展示公開されています。
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 敷地の南側の部分が,今回訪れたイチロー記念館で,北側にイチロー選手の親御さんが住む住居があります。

 開館は午前10時30分から,ということだったので,そのころに行ってみたら,すでに駐車場には6,7台の車があって,私が停めたのが最後の1台でした。思ったよりも小さいなあ,と感じたのですが,拡張するにも,周りの人たちが土地を売らないから,ということでした。
 すでに,引退して数年経つので,今はどのくらいの人が来ているのかな,と思ったのですが,10人程度の人がいて,未だ,存在感は健在でした。
 展示は1階から3階までで,まず,エレベーターで3階はで行って,そこから階段で降りていくかたちになります。メジャーリーグ時代のものは少なく,子供のころから日本のプロ野球で活躍していたときのトロフィーや表彰状などのコレクションが公開されていました。それにしてもすごい数でした。それでも,ほとんどは日本で活躍していたころのもので,メジャーリーグでのものはアメリカにあるそうです。
 階段を降りるとき,公開されていない奥まった部屋が垣間見れましたが,そこには,テレビで見たことがあるイチロー選手がトレーニングをする機械が存在していました。
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 コロナ禍以後,アメリカに行く機会もなくなり,興味も薄れていましたが,昔,憧れていたころの夢が少し蘇ってきました。楽しい時間でした。

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 以前,「プロ野球の2軍戦でも見にいくか」を書いてから,行く機会をさがしていたのですが,2024年6月25日に,実現することができました。2軍の公式戦,中日VS阪神,ナゴヤ球場です。
 試合開始は午前12時30分ということで,午前11時に自宅を出て名鉄電車で山王駅まで行って,そこから歩きました。山王駅は,以前はナゴヤ球場前駅という名前でした。そして,その前は中日球場前駅でした。久しぶりに歩いてみると,けっこう距離があるのにおどろきました。

 私は,20代前半までは,地元名古屋の中日ドラゴンズのファンで,よくゲームを見にいきました。当時の球場が,このナゴヤ球場でした。座席は狭く,観客のガラは悪く,場末感にあふれていました。その当時,読売巨人の本拠地であった東京の後楽園球場を見て,えらく違うなあ,と衝撃をうけたものです。
 現在,中日ドラゴンズの本拠地は「バンテリンドーム ナゴヤ」,つまり,ナゴヤドームです。移転したのは,1997年といいますから,今から27年前のことになります。このころには,私は,日本のプロ野球というものに,まったく興味がなくなっていたから,ナゴヤドームには1度しか行ったことがありません。ロサンゼルスのドジャースタジアムは5度も行っているのに。
 私が日本のプロ野球に興味をなくしたのは,アメリカでMLBを見て,その違いに衝撃をうけたことと,そのころ,広島カープのスタジアムでやっていた鳴り物入りの応援がほかのチームにも広がり,うるさくてそれに嫌悪感を抱いたことです。そもそも,ベースボールというのは,ピッチャーが構えたときに球場内がシーンとなることが醍醐味だったはずです。
 それ以来,阪神タイガーズのスタジアムでやっていた風船飛ばしも他球団に伝染し,もう,これは絶望的な状況です。それに比べて,MLBの何とすばらしいこと!

 私は,アメリカではメジャーリーグよりマイナーリーグのほうが好きなくらいです。日本でも,マイナーリーグ,いや,2軍のゲームなら,1軍のゲームよりのんびりと楽しく観戦できるのでは…,という期待を持って,行ってみました。ゲームがはじまる前は,アメリカのマイナーリーグの雰囲気を思い出し,購入したコカ・コーラもアメリカサイズのカップで,これなら,と思ったのですが,それも,わずかな時間でした。
 ナゴヤ球場が中日ドラゴンズの本拠地でなくなってから,幾度かの回収を経て,外野を後ろに下げてグランドの広さはナゴヤドームの広さと同じにしたそうです。客席は少なくなり,スコアボードも新しくなり,以前の場末さはなくなりました。せっかく改修するのなら,もっと徹底的にやればいいのに,と思ったのですが…。また,アメリカのボールパークは,グランドに手が届くほどフェンスが低いのに対して,何だこれは! 周囲が異常に高い金網で囲まれていて,まるで檻の中。格闘技の金網デスマッチではありませんか。
 それにしても,選手にとっては修行の場でも,見にきた観客には娯楽の場。お金を取って見せている以上,アメリカのマイナーリーグのように,とまではいかずとも,もっと楽しませる工夫があってもいいのに,と思いました。これもまた,国民性の違いなのか。
 そもそも,日本の野球に興味がなく,ひとりの選手も知らないから,そんな私が見にいくのが場違いなのでしょう。3回まで見て,退屈になって,引き揚げました。

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 アメリカへよく出かけていたとき,興味をもったのがベースボールのマイナーリーグでした。
 アメリカでは,プロベースボールのすそ野が広く,ルーキーリーグからはじまり,1A,2A,3Aとあって,その上位にメジャーリーグが存在します。国が広いので,マイナーリーグも全国の中小都市にまたがってしますが,特に,多くのチームがスプリングキャンプを行うフロリダ州に多くのチームがあります。
 私は,今から30年近く前,夏にフロリダ州をドライブしたとき,毎晩のようにマイナーリーグのゲームを見ました。夜,走っていると,大平原の向こうに明かりが見えてくるのですが,それがそれがマイナーリーグのゲームなので,思わず寄ってしまうのでした。
 メジャーリーグとは違って,スタジアムも小さく,観客席もさほどいないのですが,それでも,ちゃんとした娯楽興行で,楽しいものでした。

 日本では,マイナーリーグは2軍といって,1軍の予備的な扱いとなっていて,若手の修行の場やベテランの調整のために存在しているという位置づけで,ファンを対象としたものではありませんでした。
 現在は,2軍の扱いは,チームによってずいぶんと違うようです。アメリカのベースボールを手本にして野球をショービジネス化しようと力をいれている日本ハムのようなチームでは,2軍もそれなりにファンサービスに力を入れているようです。その一方で観客席もないようなところでゲームをしていたりする場合もあります。私は,アメリカのマイナーリーグを見て,日本ももっと2軍戦を大々的に宣伝して,特に,子供たちを無料で入れたり,選手のサイン会でもやればいいのに,と思っていました。

 ということを書こうと考えながら調べていると,なんと,つぎのような情報を手に入れました。
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【プロ野球2軍 2024年から14球団へ】
 プロ野球の2軍の公式戦に2024年から新たに静岡,新潟のふたつの球団の参加が内定しました。 
 「ハヤテ223(ふじさん)」と「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」です。
 2軍の公式戦は,イースタン・リーグ7球団とウエスタン・リーグ5球団にわかれて行われていますが,野球のすそ野を広げることを目的に,2軍の試合に参加する新たな球団を公募し,その結果,オーナー会議で,静岡市を本拠地とする球団の創設を目指す「ハヤテ223」と,独立リーグ BCリーグの「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」のふたつの球団が2軍の試合に参加することが内定しました。
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 新規に参加する球団の選手でこれまでプロ野球でプレーしたことがない選手が12球団に入団するためには、ドラフト会議で指名される必要があるということです。それ以外の選手については、人数を制限した上で、シーズン中に12球団へ移籍することも可能になる見通しだということです。

 新球団の地元で様々な球団との試合を見てもらおうと、来シーズン、2軍の公式戦で既存の12球団がリーグを超えて新球団の本拠地を訪れて試合を行う日程が組まれることになりました。 これまでもリーグを超えて戦う交流戦は行われていますが、1軍と異なりチームによって試合数にばらつきがあり、シーズンによっては組まれないカードもあるのが現状です。

 私は,アメリカのマイナーリーグを見にいくのは,今では難しいので,日本の2軍戦でものんびり見にいきたいなあ,と思ったりします。大相撲でも,幕下の取組を見ることがおもしろいように。

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 一時夢中になったアメリカ・メジャーリーグで,私は30チームのボールパークにすべて行きました。
 はじめのうちは,アメリカのボールパークに行くと,かなり感動したものです。アメリカでは,ベースボールのスタジアムをボールパークといいます。それは行ってみれば明白にわかることですが,日本のほとんどの野球場とはちがい,まさに,テーマパークで,単にベースボールを見る,という場所ではないだからです。また,スタンドでふと我にかえると,私以外にはほとんどがアメリカ人で,英語を母国語とする人がこんなにも集まっているというあたりまえの状況なのに,かなりのときめきを感じました。そしてまた,ある種の孤独も味わったものです。
 そのうちに慣れっこになって,また来ちゃった,と思うようになったものです。
 それにしても,チケットが高くなったもので,今や,アメリカでベースボールを見るのはかなりの贅沢になってしまいました。以前は無料だった駐車場も,チケットよりも高額なほどになってしまい,安価で気軽に楽しめた,そのよさの多くがなくなってしまいました。そこで私は,もし,今,見にいくのなら,メジャーリーグよりも素朴なマイナーリーグの方がいいなあ,と思うわけです。

 私は,日本のプロ野球にはまったく関心がないのですが,噂では,北海道の札幌に本拠地を置く北海道日本ハムファイターズが新球場を作って移転したとか。その新球場というのが,メジャーリーグを模したものなのに,全く観客の入りが悪いとか,そんな話です。
 その理由について,訳知り顔でとやかくいっている人がいるのですが,私は当然のような気がします。そもそも,日本とアメリカでは文化がまるで異なるわけで,車で郊外まで出かけて野球観戦をする,ということだけでも,日本では不自然なのです。日本人がボールパークに求めるのはそんなことではないわけです。うるさいだけの応援をはじめとして,楽しむ,という目的そのものが根本的に違う。それが,私が日本の野球嫌いの理由でもあるわけですが,そもそも,日本はベースボールではなく,野球,いや,ブシドーなのです。

 さて,それはともかく,今の私が楽しみにしているのは,NHKBS1で放送されているメジャーリーグ中継を英語音声で見ることです。私は,ベースボールに限らず,NHKのスポーツ中継の日本人のアナウンサーの独特の言い回しが好きではありません。また,解説者も同様です。これらは,私の求めているスポーツ中継とは本質的に違うからです。そしてまた,英語の子気味いい音声が流れると,アメリカにいるような気がするのもすてきなことです。
 はじめてメジャーリーグが日本で放送されたころは,アメリカの放送がそのままだったので,アメリカのコマーシャルも見ることができたりして,それはそれは楽しいものでした。今でも面倒なことなどせず,そのまま現地の放送を流せばいいのに,と思います。
 ABEMAでもメジャーリーグ中継をはじめたようですが,その多くは日本語のアナウンスと解説で,二か国語放送もないので,見る気になりませんでした。今は見ていないからわからないけれど,まだ同じなのだろうか?

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 NHKBS1のMLB中継を見ながら,放送している都市の思い出を書いています。今回はミネソタ州ミネアポリス(Minneapolis)です。
 私がミネアポリスに行ったのは2012年のことでした。
 そのころの私は,アメリカ50州制覇をしたいと思いはじめたころで,その手はじめにとノースダコタ州へ行きました。まず,サウスダコタ州に着いて,ノースダコタ州をドライブして,その後,ノースダコタ州の州都であるビスマルクから空路,ミネアポリスに行きました。そして,ミネアポリスを観光して,ミネアポリスから帰国便に乗りました。
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 私は,すでに書いたように,2004年にモンタナ州ビュート郊外で交通事故にあって左足を骨折してアメリカの病院に入院しました。1週間後,日本の病院に転院するために,看護師同伴で帰国するときに寄ったのがミネアポリスの空港でした。そのため,ミネアポリスは,私には甘酸っぱいところでしたが,今度は自力でミネアポリスの空港にやってきて,懐かしさとともに当時のことをよき思い出として振り返ったわけです。

 さて,ミネアポリスは,その西側に同じくらいのセントポールという都会があって,このふたつの都市をふたごの意味でツインシティーズといいます。そこで,ミネアポリスにホームをもつMLBのチームがミネソタ・ツインズです。
 スタジアムはターゲットフィールド(Target Field)です。
 2009年までは,ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム(Hubert H. Humphrey Metrodome)をホームとして使用していました。このドームを手本にしてつくられたのが東京ドームです。屋根の開かないドーム,かつ,人工芝という不人気スタジアムでしたが,老朽化,屋根が墜落するという事故まで起きて,新スタジアムを建設することになりました。
 ターゲットフィールドは,天然芝の屋外球場で,これによって,人工芝を使用しているのは,私がすでに酷評したトロント・ブルージェイズのロジャーズ・センターとタンパベイ・レイズのトロピカーナ・フィールドのみとなっています。

  ターゲットフィールドがあるのは,ミネアポリスのダウンタウンから気軽に歩いていくことができる場所にあって,私はびっくりしました。銀座からJRの有楽町駅にいくような感じで,これほどアクセスのよいスタジアムを私は知りません。
 スタジアムの外壁は,ミネソタ州の各地で見ることができる少し黄色掛かった深みのある石灰岩「カスタストーン」(Kasota limestone)が使用されています。また,屋根はミネソタ州の大自然に浮かぶ雲をイメージしています。
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 ミネアポリスとセントポールは公共交通機関で便利に移動できるし,治安も悪くないし,ミネアポリスの空港はミネアポリスのダウンタウンまで電車で簡単にアクセスできます。また,空港の近くにはモールオブアメリカという商業施設もあり,さらに,東京からミネアポリスには直行便もあるので,日本からとても簡単に行くことができます。そこで,日本から行く学生さんのホームステイ先ともなっているのですが,問題は,冬がとても寒いということだそうです。私は夏にしか行ったことがないので実感がありません。
 また,ミネアポリスにはミシシッピ川で唯一の自然の滝 セント アンソニー滝(Saint Anthony Falls)があり,1800年代後半から1900年代後半までこの滝の水力を動力とした大きなミル工場がいくつもあったので,「ミルシティ」(Mill City)ともよばれます。「ミルディストリクト」は,現在は歴史地区となっていて,製粉工場や倉庫の建物がその姿を保存したままリノベーションされ,ミネアポリスきっての観光スポットとして多くの観光客が足を運ぶ地区となっています。

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 NHKBS1のMLB中継を見ながら,放送している都市の思い出を書いていますが,今回はテキサス州ヒューストンです。
 私がヒューストンに行ったのは2003年だから,もう20年近く昔のことになります。早いものです。ヒューストンといえばアポロ計画で宇宙船と交信を行った基地があることで,我々世代はなじみがある地名です。当然,ここにはNASAがあって,私も見学しました。また,テキサスはステーキのおいしい町。ということで,今最も記憶に残っているのは,ここで巨大なステーキを食べたことです。
 あるレストランの前で,私はこの店に入ろうかどうか考えていました。そこに,今,その店から出てきた男の人が,ここはおいしいぞ,今から紹介してやる,と言って,再び店に入って,私を紹介したのです。こうなれば入るしかないのですが。
 確かに巨大なステーキは美味でした。きっと今ならすごく高いと思うのでしょうが,そのころは日本よりアメリカの方がずっと物価が安く,そんなことは思いませんでした。

 さて,テキサスには,ヒューストン・アストロズとテキサス・レンジャーズというふたつのチームがあります。この旅で,私はそのふたつのチームのスタジアムに足を運び,ともに見ることができました。その中で,今日はヒューストン・アストロズのお話です。
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 テキサスは暑いことと虫が多いことで,屋外でのゲームには向いていません。私が行ったころは,テキサス・レンジャーズは屋外のスタジアムでゲームをしていましたが,さすがに不評で,現在は屋根つきのスタジアムに移転したようです。
 ヒューストン・アストロズのほうは,当初から屋根つきのスタジアムでした。
 現在は2代目のミニッツメイドパーク(Minute Maid Park)ですが,はじめは,1965年に建設された世界初の屋根つき「アストロドーム」をホームとしていました。
 子供のころ,アメリカでは野球場にも屋根があると聞いて,アメリカはすごい,と思った反面,フライが天井にぶつかるのではないのかな,と心配したことがあります。アストロドームは,当時ヒューストン・アストロズのオーナーだったロイ・ホフハインツ(Roy Hofheinz)は,古代の地中海世界にあった7つの驚異的建造物を指す「世界7不思議」を意識して「世界8番目の不思議」と形容するほど画期的なものでしたが,実際は,球場所有者のハリス郡に支払う高額の使用料が「世界9番目の不思議」と揶揄されたそうです。
 屋根の高さは,ベーブ・ルースが打ったとされる史上もっとも高いフライより高い208フィート,約63.4メートルになったそうです。しかし,天然芝が育たず,人工芝を世界ではじめて使用しました。さすがに老朽化には勝てず,また,天然芝屋外型球場への回帰が進んでいたことで,1999年のシーズンを最後として新しく作られた開閉式屋根を備え天然芝のミニッツメイドパークへ移転しました。

 ミニッツメイドパークは比較的小さくて,しかも屋根が閉まっていると反響が大きくて,その盛り上がりがすごいものでした。
 私が行ったのは,移転後3年目のことで,そのころは,タルの丘(Tal's Hill)といって,センターフェンス手前に傾斜30度の坂がありました。名前の由来は球団社長を務めたタル・スミスからきていました。この丘にはフラッグ・ポールが立っていたのですが,これではまるで草野球。インフィールドにこんなものがあっては危なくて,選手には不評でした。カルロス・ベルトラン(Carlos Ivan Beltrán)がFAになった際に「これを取り除かないとアストロズとは契約しない」と発言したといいます。ついに,2016年のシーズン後に撤去されました。
 また,ボールパークが駅の跡地であることにちなんで,外野左中間上方27.4メートルのところに蒸気機関車があって,ヒューストン・アストロズの選手がホームランを打ったときには汽笛を鳴らしながら約243.8メートルの線路を走ります。私も走るのを見ました。走り終わったらしずしずともとの位置にバックします。さらに,左中間に突き出たバルコニー風の立ち見エリアにはガソリンポンプがあって,ヒューストン・アストロズの選手が開場以来このスタジアムで放ったホームランの合計が表示されています。
 私が見たゲームは終了後も観客が席を立たないのでどうしてかと聞くと花火のショーがあるということでした。花火は日本とは違ってグランドに設置されたコンピュータ制御の無人の打ち上げ機から次々と発射されました。これにも驚きましたが,私が巨大な室内で花火を見たのは,このときだけでした。

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Harvest Moon 2022.

薄い雲が趣を添えました。
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 いつものように,見るでもなく見ないでもなく,テレビで流れるMLB中継。驚くのは,ロサンゼルス・エンゼルスが,前日までフロリダ州セントピーターズバーグでゲームをしていたのに,その翌日はカナダのトロントでゲームをしているということです。MLBの移動はまさに熾烈を極めます。
 フロリダ州セントピーターズバーグとカナダのトロントは距離にして約2,100キロメートル,車で移動するとアメリカを縦断して20時間,飛行機だと2時間44分で,この距離は,札幌市と鹿児島市に相当します。前日のゲームが延長戦だったらどうなっていたことでしょう。
 ということで,前回書いたように,現在,MLBでカナダにある唯一のチーム,トロント・ブルージェイズのズのホームであるロジャーズセンター(Rogers Centre)は,オークランドアラメダカウンティコロシアム,トロピカーナフィールドの次に位置する,メジャーリーグファンの選ぶワースト3のスタジアムだといわれています。
 しかし,テレビ画面を見る限り,かなり豪華なスタジアムであり,観客の入りも悪くなく,また,雰囲気もとてもよいところです。

 私は,1997年にここに行ったことがあります。当時はスカイドーム(Sky Dome)といいました。
 ロジャーズセンターは,世界初の可動式屋根付き多目的スタジアムで,当初は市民からの公募でスカイドームと命名されたのですが,カナダの大手通信企業ロジャーズコミュニケーションズによる買収に伴って2005年からロジャーズセンターに名称が変更されました。
 ロジャーズセンターの特徴は,ホテルが併設されていることで,ホテルの部屋からゲームを観戦することができます。この日のゲームも,部屋から観戦している日本人が写っていました。
 また,隣には高さが553.33メートル(1815.39フィート)の CNタワー(Canadian National Tower)があります。CNタワーは通信と観光用の塔で,開業から2007年までの32年間,世界で最も高い塔でした。
 今考えると夢のような贅沢な旅ですが,私がトロントに行ったときは,まったくMLBのことなどわかっておらず,単に,私と一緒ならこころ強いと,プリンスエドワード島とナイアガラの滝とニューヨークの旅に行こうと誘われて,のこのことついて行っただけのことでした。そして,ナイアガラの滝のツアーの拠点がトロントでした。トロントで1泊したのですが,MLBのゲームを見ることができると聞いて観戦に出かけたわけです。しかし,途中で飽きてしまい,スタジアムを出てCNタワーに登ったのですが,その展望台からスタジアムを一望できたことが最大の思い出です。
 トロントは映画でニューヨークのシーンを撮るときにその代わりにロケ地となる都会であり,ともても落ち着いたところであり,魅力に富んでいて,印象もよいのですが,私は,このときに行ったことですっかり満足していて,再び行ってみたいと思ったことがありませんでした。なぜだろう?

 さて,話をロジャーズセンターに戻します。どうしてロジャーズセンターがワースト3なのでしょうか。その理由は
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 MLBで3番目に大きいボールパークが特長だが,これが見事なまでにアダとなって大き過ぎる!, やたらと広い人工芝が不安な気持ちにさせる!
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 要するに「醜い大きなコンクリートの円盤にニセの芝が植えられている」ということだそうです。
 これが私の調べた情報ですが,まず,私には「3番目に大きい」というのがよくわかりません。1番目と2番目がどこなのかもわかりませんでしたし,大きさというのも,インフィールドのことではないく,それよりも,建物全体がバカに大きいこととファールグランドが広すぎることだと思います。その理由は,外野後方にあるホテルが仇になっているのです。すごい圧迫感です。
 今風のボールパークは,外野後方が広く空いていて,そこから外の美しい街並みを見ることができることと,ファールグランドがぎりぎりまで狭いことが特徴で,このふたつを完全に逸しているのです。このふたつの欠点は,オークランドアラメダカウンティコロシアムにも当てはまることです。また,もうひとつの不人気の原因である人工芝,これは,トロピカーナフィールドにもいえることです。ロジャーズセンターは,天然芝に張り替えるという話を聞いたことがあったので期待したのですが,どうやらそれは誤報で,今もまだ人工芝のままのようです。
 これらの負の要素は,巨人や中日をはじめとする日本の多くの球団の本拠地が当てはまるわけで,それが,私がまったく日本のプロ野球に興味がないという原因のひとつとなっています。

 ただし,やる気の感じられないトロピカーナフィールドとは違い,2022年,トロント・ブルージェイズは,2億3000万ドル(約311億円)を投じてロジャーズセンターを大改築する計画を発表しました。人工芝を天然芝に変える予定はないものの,両翼のブルペンを高くし,外野の壁の幅と高さを調整し,外野席は一部増築するとともにバーやテラスを追加,この改築を機に,クラブハウスやウェイトルーム,トレーニングエリアといった選手用施設の改修と拡張も行うといいます。
 しかし,冬が寒く,天然芝に変えても管理するのがたいへんだといったハンディもあり,ホテルを壊すわけにもいかないから,この大改装で欠点が克服されるわけでないのですが,これが精一杯のところなのでしょう。
 なお,この日のゲームでは,ロサンゼルス・エンジェルスの大谷翔平選手とトロント・ブルージェイズの菊池雄星投手の対決があって,現地のアナウンサーが「日本では大騒ぎでしょうね」という放送をしていました。

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 2019年2月に,次のようなニュースがありました。
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 アメリカの公式サイト「MLB.com」が「名前は確実に知っているはずたが,ブリュワーズのユニホームを着ていたことは覚えていないだろう」として,ミルウォーキー・ブリュワーズでプレーしたにも関わらずその印象が薄い選手を特集して,日本人からは野茂英雄投手が選ばれました。
 野茂英雄投手は,1999年にブリュワーズに加入すると,シーズン途中の5月にメジャー昇格し,12勝8敗の成績を挙げ,先発ローテーションのひとりとして活躍しました。しかし,翌年にはデトロイト・タイガースに移籍したことでブリュワーズ在籍はわずか1シーズンでした。
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 ミルウォーキー・ブリュワーズに所属したときの野茂英雄投手は,MLBで壁にぶつかって低迷し,それまで所属していたロサンゼルス・ドジャースからニューヨーク・メッツに移籍し,さらに,シカゴ・カブスで契約したもののメジャーに入ることすらできなかったころでした。
 結果として,ミルウォーキー・ブリュワーズで復活を遂げて,再び活躍をはじめたのですが,私がミルウォーキーに行って,ミルウォーキー・ブリュワーズのゲームを見たのは,その1年前,1998年のことでした。
 現在,ミルウォーキー・ブリュワーズは,新しいアメリカンファミリーフィールド(American Family Field)でプレーしていますが,私が見たのは,カウンティスタジアム(Milwaukee County Stadium)という古いスタジアムでした。
 それがまあ,レジェントというにははばかられるほど老朽化したところで,町工場みたいな感じでした。なんだか,とても悲しくなりました。もし,日本からあこがれてメジャーリーグに入ったとしても,これでは都落ちだ,と思いました。そんな印象をもったところに,私が行った翌年,野茂英雄投手が入団したということが私にはとても衝撃的でした。
 華やかで豪華なボールパークばかりだと思われるMLBにも,以前は,こんなスタジアムでプレーしているチームもありました。

 さて,この日もまた,暇にまかせて,いつものように,見るでもなく見ないでもなく,MLB中継を英語にしてつけていたら,フロリダ州のタンパベイからゲームを放送していました。そこで思い出したのが,カウンティスタジアムであり,また,このタンパベイ・レイズのホームであるトロピカーナフィールド(Tropicana Field)です。今日の話題は,先に書いたミルウォーキー・ブリュワーズではなく,タンパベイ・レイズなのですが,このタンパベイ・レイズのホームは,ミルウォーキー・ブリュワーズとは違って,今でも,カウンティスタジアムのような,そんな,さえないスタジアムです。
 まだ,アメリカのことをほとんど知らなかった1998年のアメリカ旅行で,私が行ってゲームを見たのは,ミルウォーキー・ブリュワーズだけでなく,シカゴ・カブス,アトランタ・ブレーブス,そして,タンパベイ・レイズのホームタウンでした。当時,タンパベイ・レイズはできたばかりで,タンパベイ・デビルレイズというチーム名でした。私は,道に迷いながらトロイカーナフィールドに着いて,チケットを買おうと歩いていたら,チケットが余ったからあげるよ,と言われて,タダで見たことがあります。そのころは,スタジアム内にもショップがほとんどなく,まったくやる気が感じられないところという印象だけが残りました。
 2000年のはじめ,多くの新しく豪華なボールパークが建設されましたが,トロピカーナフィールドは,依然として現役のままなのです。
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 トロピカーナフィールドは,1990年,フロリダサンコーストドーム(Florida Suncoast Dome)の名称で開場しました。その後,1998年に Tropicana Products 社のネーミングライツによりトロピカーナフィールドとなり,デビルレイズの誕生に伴い,野球専用球場に生まれ変わりました。その際,選手の負担を考慮して最新式の人工芝を導入し,ダイヤモンドを除く内野部分はアンツーカー(人口土)へと改装されました。
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 ということなのですが,チームが新設されたときに,新しいボールパークを作るのではなく,従来からあったスタジアムを急ごしらえにMLB専用に改装しただけというわけです。先日書いたオークランド・アスレチックスのオークランドアラメダカウンティコロシアム(Oakland Alameda County Coliseum)に続く,メジャーリーグファンの選ぶワースト2のスタジアムですが,その理由は,MLB唯一の密閉式ドーム型スタジアムであり,映えない人工芝であり,悪い照明・酷いフィールドであり,ということで,私も同意します。スタジアムに魅力がないのでお客さんも入らず,ポストシーズンのチケットでさえ売れ残ります。

 トロピカーナフィールドの場所はセントピーターズバーグにあるのですが,その隣のタンパの方がベースボール人気があって,チームはタンパに移転したいのですが,2018年に発表された移転計画では,スタジアムの建設が900億円という巨額に膨れ上がり,予算オーバーでとん挫しました。そこで,翌年,苦肉の策として考え出されたのが,セントピーターズバーグとカナダのモントリオールの2都市フランチャイズ制でした。夏の暑い時期はフロリダを去って,涼しいカナダのモントリオールでゲームをしようというわけです。
 しかし,そもそも,以前モントリオールに存在したモントリオール・エクスポスが,そのホームであったオリンピックスタジアムが古く魅力がないこともあって,あまりに不人気だったためにワシントンに移転して,現在はワシントン・ナショナルズに変わってしまったことから見ても,そんな計画,うまくいくわけがないのです。モントリオールでも,オリンピックスタジアムは老朽化しているから,やはり,新しいスタジアムを作る必要があるのですが,そのお金もないのです。
 このように,このタンパベイ・レイズの最大の問題は,移転計画が決まらない,ということです。ここに書いたように,さまざまな計画が上がっては消えてしまい,当分,結論が出そうにもありません。仕方なく,トロピカーナフィールドを2027年まで使い続けるということです。
 フロリダという地は,金持ちが老後に住み,しかも,ものすごい発展を遂げているところです。チームが強いのに,これではもったいない話です。どうしてこんなことになるのでしょう。不思議な話です。
 今日もまた,NHKBS1では,このトロピカーナフィールドからの中継があるので,スタジアムに注目してご覧ください。また,ロサンゼルス・エンジェルスは,この次は,カナダのトロントに移動して,トロント・ブルージェイズと対戦しますが,実は,トロント・ブルージェイズのホームであるロジャーズセンターも,オークランドアラメダカウンティコロシアム,トロピカーナフィールドの次に位置する,メジャーリーグファンの選ぶワースト3のスタジアムなのです。


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 NHKBSPで放送された映画「夢を生きた男/ザ・ベーブ」(The Babe)を見ました。
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 「夢を生きた男/ザ・ベーブ」は,1992年の映画で,ベーブ・ルースの生涯を映画化したものです。
 1902年に7歳で少年矯正施設に送られ,そこで野球をはじめてから,プロ野球選手となって1935年に引退するまでを描いています。
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 将棋の藤井聡太五冠の活躍で再び注目された加藤一二三九段のように,大谷翔平選手の活躍で再び脚光を浴びるベーブ・ルースです。
 この映画は,べーブ・ルース(George Herman "Babe" Ruth, Jr.)が両親と離れ離れになつた生い立ちから,プロ野球選手として大成し,多くの功績と晩年までの豪快な人柄を,ボストン・レッドソックスがベーブ・ルースを手放した経緯,ホームランを2本打つとを約束した少年がその後に元気になつたこと,予告ホームラン,最後は現役,あるいは,メジャーの監督にこだわりアトランタ・ブレーブスに売り飛ばされたことなど多くのエピソードを交えて綴られていて,とても興味深いものでした。

 この時代,今とは違って,ニューヨーク・ヤンキースは弱小チームでしたが,べーブ・ルースの活躍によって徐々に発展してゆく様,また,当時のユニフォームやグローブ,スタジアムなど,私の知りたいことが忠実に描かれていて,アメリカへの憧れがまた復活しました。
 こうした映画を見ると,当時のベースボールは,お行儀が悪い,ベーブ・ルースは人間的にはダメなどと上から目線で偉そうな感想を語る,もとから恵まれた家庭に生まれぬるま湯社会に育った日本の若者がいますが,元来,ベースボールに限らず,アメリカ社会というのは,昔も今もこんなものです。移民国家のアメリカでは,みんなゼロから実力で這い上がってきたのです。その生存競争には厳格なルールがあり,そのルールに従って,スポーツも政治も経済も,そのすべてが知恵比べ。つまり,ゲームであって,強いものが勝ち。日本のような,精神論に裏打ちされただけの,権力者によるルール無視さえまかり通る,家柄やら伝統やら忖度やらが支配する社会とはまったく違うのです。
 また,だからこそ,アメリカ人は,こうした成功物語が好きで,「42〜世界を変えた男〜」(42),「Ray/レイ」(Ray),「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody),「ドリーム」(Hidden Figures)など,多くの映画があって,事を成しえた人たちを称えるのですが,そのエンドロールに,ヒーローの偉業とその後がつづられるのが,いつものパターンです。これもまた,「妬み社会」の日本とは異なるものです。

 ベーブ・ルースを演じたのはジョン・グッドマン(John Goodman)ですが,こうした映画のどれも,よくもまあ,ホンモノに雰囲気が似た人物を探し出すものだなあと,いつも感心させられます。
 ベーブ・ルースが終盤の引退を決意したときのさりげない演技とロッカー・ルームを去る最後のカットが,成功者であるがゆえの人生の哀愁を漂わせていて,実に感動的でした。
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 今日の写真は,私が見てきた「ルースが建てた家」ヤンキースタジアムのとなりに新設された新しいヤンキースタジアムとそのスタジアムの中の博物館にあるべーブルースの遺品,そして,ニューヨーク州クーパーズタウンにあるアメリカ野球殿堂博物館(National Baseball Hall of Fame and Museum = HOF)にあるベーブ・ルースのプレートです。
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 I won't be happy until we have every boy in America between the ages of six and sixteen wearing a glove and swinging a bat.
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 On Tuesday, Ohtani accomplished yet another feat on the diamond that puts him in a class previously only occupied by The Bambino.
 Against the Athletics on Tuesday night, Ohtani pitched six scoreless innings, allowing just four hits and three walks. He struck out five batters on 91 pitches in the Angels’ 5–1 win, moving his record as a starter to 10–7 on the season.
 Ohtani also hit a solo home run during the game, his 25th of the year.
 That puts him at double-digits in both homers and pitching wins for the first time, after he won nine games in 2021. The only other player to reach those milestones in a single season: Early in his career, Ruth was a similarly impressive two-way player, posting win totals of 18, 23, 24 and 13 from 1915 to 1918, before slowing down his play on that side.
 In 1918, he hit a then-career-high 11 home runs, making him the first player to hit double-digits in both wins and homers.
 Now Ohtani has matched him and is set to blow Ruth’s numbers as a full-time two-way player out of the water.
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 MLBロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手が,オークランド・アスレチックスとのゲームで先発して,6回4安打5三振無失点で今季10勝目を挙げました。また,指名打者としては日本人メジャー通算700号となる25号アーチを打ちました。これは,1918年ボストン・レッドソックスに在籍したベーブ・ルース以来,104年ぶりに「2桁勝利と2桁本塁打」を達成したことになります。
  ・・・・・・
というビッグニュースがありました。これで晴れて大谷翔平投手は「バンビーノ・クラブ」のメンバーです。

 このゲームをテレビの中継で見ていたのですが,オークランドというサンフランシスコの近郊で行われていたこともあって,大勢の日本人観光客が観戦していました。ゲームの内容は他に譲って,私が思い出したのが,はじめてMLBを見たときのことです。
 私がはじめてMLBのゲームを見たのは,今から40年以上前のことです。はじめてのアメリカ旅行はサンフランシスコとロサンゼルスを巡るツアー旅行で,当時の金額で298,000円也でした。このときに,オプショナルツアーとして,ロサンゼルスのドジャースタジアムでの観戦があったので,それに参加したのです。
 今では,MLBなんて,ネットでチケットを購入したり,直接窓口で購入したり,現地にある合法的なチケットショップで購入したり,あるいは,ニューヨークでは,地下鉄の改札口で売っていたダフ屋から買ったりと,自由気ままな私ですが,当時は,そんなことは到底無理でした。
 オプショナルツアーはすごく高価で,実際の値段が当時の相場で1,000円程度のチケットが食事と送り迎えつきで10,000円以上もしました。食事といっても,単なるパックの助六寿司でした。海外旅行は,移動手段がない,言葉が通じないという,いわば「2重苦」の人たちは,足元をみられるのです。こうした経験で,世間知らずだった若き日の私は,世の中を知りました。
 テレビでこのゲームを見ていたときに画面に映ったスタンドにずらりと横に並んでいた日本人の観光客は,おそらく,そうした観光ツアーに参加した人たちだったのでしょう。私の若き日がダブりました。しかし,いくらツアーが高かろうと集団で群れようと,こういった歴史的なゲームに遭遇した人はそれでも幸運です。とはいえ,MLB30チーム中でも,ワースト1だか2だかに値するオークランド・アスレチックスのボールパークではじめてのMLB観戦を体験して,これが本場のベースボールか! -それでも日本の球場よりは立派なのですが- と,それでMLBを知ったと思うのか,そして,感動したのかどうか。でも,どうせ見るなら,これぞアメリカ,というような最新式のボールパークを体験しないことには,本当のことはわからないのになあと,私は,複雑な気持ちになりました。

 ところで,今日の2番目と3番目の写真は,メリーランド州ボルチモアにあるべーブ・ルースの生家です。2016年に行ってきました。
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 ベーブ・ルースことジョージ・ハーマン・ルース・ジュニア(George Herman "Babe" Ruth, Jr.)は,1895年に,メリーランド州ボルチモア市ピッグタウンエモリー通り216番地(216 Emory Street in the Pigtown section of Baltimore, Maryland)に生まれ,1948年に亡くなりました。1914年から1935年まで通算22シーズン活躍しました。 童顔であったことから「バンビーノ 」(The Bambino)「ベーブ」(Babe)とよばれました。
 ドイツ系移民であった両親のジョージ・ハーマン・シニア (George Herman Sr.)とケイト (Kate) は酒場を自営し,その2階で暮らしていました。母は病弱で,ベーブ・ルースが15歳のときに結核で亡くなり,父は酒場の仕事で忙しく,両親から適切な教育を受ける機会のなかったことから,腕白坊主へと成長し,学校をサボっては通りをうろつき,町の不良たちと喧嘩に明け暮れ,商店の品物を万引きしたり酒を飲んだり煙草を吸ったりするなど,様々な非行に手を染めた悪童でした。
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 現在,ボルチモアにホームをもつのが,ボルチモア・オリオールズで,オリオールパークアットカムデンヤーズ(Oriole Park at Camden Yards)がホームグランドです。このボルチモアという都会は,治安がかなり悪いことで知られていて,私もずいぶんと友人のアメリカ人に行くのをとめられましたが,ボールパークから歩いて5分もかからないところにホテルをとって,万全を期して行ってきました。ボールパークはかなり豪華でした。それが今日の4番目と5番目の写真で,若き日のべーブルースの銅像もありました。
 が,一歩外に出ると,別世界。特に,ゲーム終了後がヤバかった…。これぞアメリカでした。しかし,せっかくアメリカに行ってMLBを体験するのなら,こういうところでMLBを堪能するといいのでは…。

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 子供のころは,日本のプロ野球のオールスターゲームが楽しみでした。
 しかし,3ゲームもあったし,せっかくのお祭りだというのに,読売巨人の王貞治選手や長嶋茂雄選手が出ずっぱりで,他のチームの選手が出場しても代打くらいでしか出られず,また,別のチームの投手の球種を盗むだのといったようなレギュラーシーズンの思惑ばかりを解説していたので夢も冷め,すっかり嫌になりました。日本はそういう国です。

 一方,アメリカのオールスターはたった1ゲーム。しかも,開催される都市は,ゲームだけでなく,開催される前日から街全体が開催を名誉としフェスティバルとなります。いいなあ。
 さて,そんな,ミッドサマー・クラシックと称されるアメリカのオールスターゲームですが,もう,私は興味から卒業して,今は特に関心があったわけでもないのですが,いつものようにメジャーリーグベースボールを見ようとテレビをつけたら放送していて,今日が,というか,現地時間では昨日の夜ですが,ミッドサマークラシックなんだと気づきました。2001年にハリウッドのマクドナルドで置き引きに遭って以来,大嫌いになったロサンゼルスだったのに,2018年に再び行って以来,その気持ちが変わり,今ではなつかしいロサンゼルスです。そのロサンゼルスの古ぼけたドジャースタジアムが,なぜか今年のオールスターゲームの開催地でした。
 それにしても,いつもそうですが,現地の放送を英語で聴きながらメジャーリーグベースボールを見るのは何とこころときめくことか。すっかり現地に出かけてスタンドで見ている気持ちになりました。しかし,相変わらず,NHKBS1では時折放送に挟まれるニュースと日本のスタジオからの音声で,私の夢がさまされるので,幻滅して消音にしては,そのたびに勝手にしろ,と思うのです。

 さて,今年は,アルバート・プホルス(José Alberto Pujols Alcántara)選手現役最後の年ということでした。
 ボルチモア・オリオールズに所属したカル・リプケン(Calvin Edwin Ripken Jr.)選手,ニューヨーク・ヤンキースに所属したジーター(Derek Sanderson Jeter)選手など,現役最後の年にオールスターに出場するというのは,何と幸せなことでしょう。
 アメリカ人は,そういう,業績を残した人の最後をみんなで称えお祝いするの大好きなのです。それに対して,日本人は「やっかみ文化」。劣等感とひがみがその根底に存在しているので,一度は成功した人が没落する様を見るのが大好きなのです。
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 アルバート・プホルス選手は,2001年のデビューから2010年までの間打率.300・30本塁打・100打点を10年連続で達成したMLBにおける最高の打者のひとりです。
 1999年のドラフトでセントルイス・カージナルスから13巡目(全体402位)で指名されて入団しました。やがて,2011年12月にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと10年間の契約に合意し,移籍しました。契約終了後,2021年5月にロサンゼルス・ドジャースと契約し移籍,11月にFAとなった後,セントルイス・カージナルスに復帰しましたが,2022年限りでの現役引退を表明しました。
  ・・・・・・
 私は,2019年,大谷翔平選手とともに,アルバート・プホルス選手を現地で見たことがあります。

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 NHKBS1でMLB中継が放送されていると,いつも私は英語モードにして見ているというか,つけっぱなしにしています。それは,アメリカの空気に触れたいためです。
 日本語の放送なんて聴きたくない。だからABEMAのMLB中継は見ない。NHKBS1のMLB中継の途中に入るニュースなんて迷惑なだけ。
 そんな私のMLB中継ですが,5月14日は,ロサンゼルス・エンゼルスがオークランドに遠征してきたので,珍しくオークランド・アスレチックス(Oakland Athletics)のホームであるオークランドアラメダカウンティコロシアム(Oakland Alameda County Coliseum)からでした。
  ・・・・・・
 オークランドアラメダカウンティコロシアムはカリフォルニア州オークランドにあるのですが,オークランドはサンフランシスコの隣町で,バート(BART=Bay Area Rapid Transit)という近距離列車でサンフランシスコから直通で行くことができます。
  ・・
 オークランド・アスレチックスはアメリカンリーグ西地区所属です。アメリカンリーグ創設時から存在し,ワールドシリーズ制覇9回・リーグ優勝15回を有する古豪チームです。
 1893年にペンシルベニア州フィラデルフィアで発足し,1955年にミズーリ州カンザスシティに移転。そして,1968年に現在の本拠地であるカリフォルニア州オークランドに移転しました。
  ・・・・・・

 アメリカ西海岸にあるMLBのチーム,シアトル・マリナーズ,ロサンゼルス・ドジャース,ロサンゼルス・エンジェルスなどには以前より多くの日本人選手が所属していますが,オークランド・アスレチックスには2005年の藪恵壹選手,2010年の岩村明憲選手,2011年の松井秀喜選手,2013年の岡島秀樹選手が所属したのみであり,しかも,成績が下降したころにトレードされてきたという選手ばかりで,サンフランシスコというとても日本ではなじみのある都会の近郊にあるにもかかわらず,オークランド・アスレチックスはあまり知られていないチームです。
 また,オークランドアラメダカウンティコロシアムは老朽化がはげしく,かつ,2020年までNFLのオークランド・レイダース(Raiders)との兼用で,外野に巨大なスタンドがあったり,ファールグランドが異常に広いといったようにベースボール観戦にはまったく適していないことや,さらに,ボールパークのある周辺の治安が悪いなどの理由で,まったく魅力がありません。
 そこで,2011年にシリコンバレーの東にあるフリーモントに移転し,新しいスタジアムを建設する予定でしたが,地域住民の反対などで中止となるなど,経営面で苦戦をしいられています。
 やっと,2018年になって,2023年にオークランドとサンフランシスコを結ぶベイブリッジ近郊のウォーターフロント地区に建設を予定している新しいボールパークに移転するという発表がありました。とはいえ,またうまくいかないのではという懸念があるのですが,2022年2月の報道によると,計画は1歩ずつ前進しているということなので,順調に進めば,現在のボールパークはこれで見納めです。
 この計画が実現すれば,MLB全体で,新しいボールパークの建設計画がうまくいっていないのはタンパベイ・レイズのみとなります。

 私は,2015年,サンフランシスコに行ったときに,ぜひ行きたかったサンフランシスコ・ジャイアンツのホームである,現在の名前をオラクルパーク(Oracle Park)という,パシフィックベルパーク(Pacific Bell Park)とともに,オークランドアラメダカウンティコロシアムに行ってみました。こちらは特に行きたいところではなかったのですが,MLB30チームのボールパークをすべて制覇しようという目的のために行ってみたわけです。
 確かに,周辺の治安はよさそうになく,しかも,ナイトゲームでは,ゲームが長引くと帰りの列車がなくなるという話だったので,早々に引き上げました。ボールパーク自体も,日本によくあるコンクリートむき出しの古い建物で,最新式のパシフィックベルパークとは天と地の差がありました。
 しかし,というか,だからというか,ファンサービスは抜群で,チケット売り場をはじめとして,チームの職員の親切さはMLBのなかでもとびぬけてよくて,私は感動しました。

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 ワシントン・ナショナルズ(Washington Nationals)は,ナショナルリーグ東地区所属のチームです。2004年まではモントリオール・エクスポズ(Montreal Expos)として,カナダのモントリオールを拠点としていました。まったく人気がなく,かなりのお荷物チームでした。
 モントリオール・エクスポズは,1969年の球団拡張によって新設されました。1976年のモントリオール・オリンピックで使用されたオリンピックスタジアムを本拠地としました。1995年のシーズン前に主力選手をほとんど放出してファンの怒りを買い,さらに,オリンピックスタジアムの老朽化で,年間動員がたった64万人と,マイナーリーグ以下となりました。2000年シーズンからは地元メディアの英語によるテレビとラジオ中継が消滅し,フランス語圏のモントリオールでは,フランス語のみになってしまいました。
 私は,こうした場末感が好きで,そもそも陸上競技場でどうやってベースボールをやっているんだろうという興味もありましたし,1980年代の日本のロッテ・オリオンズという球団が使っていた川崎球場のように,ほとんど観客のいないスタンドというのも見てみたいものだと思っていました。そんなわけで,ぜひモントリオールに行ってみたいものだと思っていたのですが,フランス語圏ということも手伝って踏ん切りがつかず,かないませんでした。
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 当時の写真を見つけました。それが今日の最後から2番目のものですが,観客がまばらなだけで,意外と「まとも」です。それに比べて,最後の写真は川崎球場ですが,こういうのを見比べると,所詮日本はアジアの東の端の貧しい国だと実感します。

 さて,チーム自体は,不人気のモントリオールに見切りをつけて,2005年にアメリカの首都ワシントンDCに移転しました。メジャーリーグサッカー(MLS)のDC ユナイテッドとナショナルズの併用であったロバート・F・ケネディメモリアルスタジアムで当初の3年間ゲームを行ったのち,2008年からは新装なったナショナルズパーク(Nationals Park)を本拠地としました。私は,これまでにアメリカMLB30チームすべてのボールパークに行ったことがあるのですが,2017年,その中で最後に行くことができたのが,このボールパークでした。
 ワシントンDCは政治の中心,アメリカの首都。ボールパークが建設できるような場所があったかな? 一体どこにあるのだろうと疑問に思っていたのですが,それは,ワシントンDCのダウンタウン南部を流れるアナコスティア川(Anacostia River)沿いで,近くにはワシントン記念塔や議会議事堂を望むことができ,地下鉄で簡単にアクセスできるというとても便利な場所でした。
 モントリオール時代とは違って,近年は強豪チームとなり,ワシントン・ナショナルズは人気もあります。ボールパークも美しく,また,非常に親切でファンサービスもよく,すばらしいところでした。30球団すべて見た私の独断と偏見では,チケットが高価でエラそうでファンサービスがいまいちの代表がニューヨーク・ヤンキース,ファンが田舎者で近寄りがたくファンサービスも最悪なのがカンザスシティー・ロイヤルズですが,それとは真逆でした。
 また,治安が悪いといわれるワシントンDCですが,その場所は治安もよさそうで,安心しました。
 しかし,2021年7月17日,ナショナルズパークのすぐ外で銃撃があって,ゲームは6回途中で中断。観客が避難したという痛ましい事件があって,私はショックを受けました。

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 アメリカの古都フィラデルフィアには1度は行ってみたかったのですが,なかなか行く機会がなく,2016年にやっと念願がかないました。ダウンタウンは落ち着いていて,モールに大きなレストランがあったり,巨大市場には大衆食堂があったり,また,公共交通網が整備されていたりと,車も必要なく,なかなか観光のしやすいところでした。
 この町にあるMLBのチームがフィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies)です。
 フィラデルフィア・フィリーズは,ナショナルリーグ東地区所属のチームです。
 1890年に設立された古参球団で,チーム名のフィリー(Philly)は,フィラデルフィアの略称およびフィラデルフィア市民の通称です。歴史が長いのに弱く, 長い間,次のような「ビリー・ペンの呪い」(Curse of Billy Penn)にかけられていました。
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 フィラデルフィア市庁舎タワーの屋上にはアレクサンダー・ミルン・コールダー(Alexander Milne Calder)が建てたウィリアム・ペン(William Penn)の銅像があります。近年までフィラデルフィアには「ウィリアム・ペンの銅像より高く建造物を造ってはいけない」(No gentleman would build taller than the "brim of Billy Penn's hat".)という紳士協定があったそうです。
 やがて,1985年に作られた「リバティ・プレイス」(Liberty Place)によって,その協定が破られ,そしてさらに2008年には,それよりもさらに高いコムキャスト・センター(Comcast Center)が建てられました。
 しかし,紳士協定が破られてからというもの,フィラデルフィアの全てのプロスポーツチームはチャンピオンシップシリーズで勝てなくなり,全て敗北してきたのでした。これが「ビリー・ペンの呪い」(Curse of Billy Penn)といわれたものです。
 2008年,MLBのフィラデルフィア・フィリーズがワールド・チャンピオンとなり,ついにこの呪いが解けました。そして,このとき,ウィリアム・ペンのレプリカの銅像をコムキャスト・センターの屋上に設置したのでした。
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 また,フィリーズは長年に渡って黒人選手の受け入れを拒んできました。
 フィラデルフィアの宿舎が黒人選手の宿泊拒否を通告したり,ジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューした時,当時のフィリーズの監督や選手が「ロビンソンが出場するなら,フィリーズ選手はフィールドに出ない」と発言し,大きな波紋をよんだこともあります。
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 チームのマスコットはフィリー・ファナティック (Philly Phanatic)という緑色の架空の生き物で,MLBでは最も有名なマスコットです。1978年,何の予告もなく何気なくスタンドに現れて以降,お茶目でいたずら好きなパフォーマンスが人気をよび,フィリーズのマスコットとして愛され続けています。
 日本人選手が属したこともほとんどなく,これまでに全盛期を過ぎた井口資仁選手と田口壮選手が1,2年加入していた程度なので,日本ではほとんど知られていないチームです。

 以前の本拠地はベテランズスタジアム(Veterans Stadium)でフットボールとの共用のものでしたが,クッキーカッター型のまるで人気のないものだったので,私は見にいく気さえありませんでした。しかし,2004年に新しくシチズンズバンクパーク(Citizens Bank Park)が作られたので,一度は見たいものだと足を運びました。
 あまり期待もしていなかったのですが,場所はフィラデルフィアの南にあって,地下鉄で行くことができて,とても便利なのにまずは驚きました。そして,地下鉄を駅を降りて,さらに驚いたのは,その場所がものすごく広大で,かつ,フィラデルフィアにあるプロスポーツのスタジアムがすべて集められたコンプレックスだったことです。
 シチズンズバンクパークはベテランズスタジアムの東隣に建設されたので,ボールパークまで歩いている途中にかつてここにベテランズスタジアムがあったというプレートがありました。
 シチズンズバンクパークは,レンガと鉄骨を組み合わせた外観や左右非対称のフィールドという特徴をもつ典型的な新古典主義の野球専用球場で,センター最深部があまり長くないうえ,両翼のポールまで一直線になっているので,右中間と左中間がおそろしく狭いという特徴があります。 打者にとって向かい風も少なく,本塁打の出やすいボールパークです。
 お昼間にのんびりとベースボールを楽しむにはいいところです。

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 マイアミ・マーリンズ(Miami Marlins)はナショナルリーグ東地区所属のチームです。球団拡張政策によって1993年に誕生しました。ときどき突然強くなって,これまでワールドシリーズに1997年,2003年に進出,ともに世界一に輝きました。そしてまた,優勝するたびに「ファイヤーセール」を決行してスター選手を切り売りして弱小チームとなるのです。
 マーリンズは,何と,経常利益が30球団のうち1位です。それは選手の年俸が安いからなのです。
 いろんな意味で変なチームで,フットボールならともかく,ベースボールなのに,「マーメイズ」(Mermaids)というチアリーディング・チームがあります。

 本拠地は,現在はローンデポパーク(LoanDepot Park)という名前だそうですが,私が行った2016年当時はマーリンズパーク(Marlins Park)といいました。2012年に開場した新しいボールパークです。
 かつて本拠地だったサンライフスタジアム(Sun Life Stadium)は,左中間奥にフットボール用スタンドが収納されていて,フットボールの開催時はレフトの窪みに増設スタンドを引き出してはめ込むといった仕様でした。また,マイアミの中心部から遠く,雨天の多い土地柄であるものの屋根がなく,観客席がホームベースではなくフィールド中央を向いていたりするなど、まったくもってひどいところでした。
 が,私はそのような場末のものが大好きで,そのボールパークでぜひ観戦してみたかったのですが,ついにその夢は実現しませんでした。
 現在の本拠地はマイアミのダウンタウンにあって,治安がいいのか悪いのか,それもまた,私が行ってみても,どうもよくわかりませんでした。噂では悪いという話だったので,私が泊まっていたコンドミニアムから歩いても10分程度と近かったのですが,途中,公園もあって,歩いて行く気にならず,車で行きました。ところが,大概は大丈夫なのに,このボールパークのオフィシャルパーキングは事前に予約しなければ停められませんでした。仕方がないので,近くの民家がパーキングをやっていて,そこに停めたのですが,こりゃ,まるで日本と同じだと思いました。ということで,今では,見ず知らずのアメリカ人の家の庭に車を停めたのが1番の思い出だったりします。
 新たに建設されたボールパークは野球専用で,3塁方向からライト方向へとスライドして開閉する屋根があって,ボールパーク自体は四角く,レフト方向の外野席は膨らみがほとんどない変な形をしています。いびつな形であるうえに外野中央部のやや左にフェンスが丸くフィールドへと張り出した部分があり,この部分に「ホームラン・フィーチャー」(HR Feature)と名づけられた高さ10メートルほどの巨大なオブジェがあって,マーリンズがホームランを打つと電飾や花火でそれを祝う仕掛けとなっていたり,南国ムード一杯です。また,本塁の右後方バックネットの下には地元フロリダの海を泳ぐ熱帯魚が入れられた大型水槽が備えられています。

 私は,このときの旅でアメリカ50州制覇を実現するためにサウスカロライナ州とノースカロライナ州に行こうと計画して,せっかくだからと,フロリダ州の最南端キーウェストからフィラデルフィアまで東海岸に沿って駆け抜けたのですが,今にして思うに,ここもまた,本当に行ってよかったことでした。
 また,このとき,偶然にもイチロー選手がこのフロリア・マーリンズに在籍していて,しかも,3,000本安打まであと3本ということで,とんでもなく盛り上がっていました。
 結局,1本打ったっきりで3,000本目を見ることはできませんでしたが,いい経験をしました。

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 サンディエゴ・パドレス(San Diego Padres)は、MLBナショナルリーグ西地区所属,1969年のリーグ拡張時に創設された新しいチームです。現在の本拠地はカリフォルニア州サンディエゴにあるペトコパーク(PETCO Park)です。
 サンディエゴは軍事都市であり,また,メキシコに隣接しています。
 アメリカ西海岸の都市は,北から順に,シアトル,ポートランド,サンフランシスコ,ロサンゼルス,サンディエゴとありますが,私は,その中で,サンディエコが最も好きです。ただし,日本からは直行便がなく,ロサンゼルスからインターステイツ5を走ることになります。
 サンディエゴのダウンタウンはとても歩きやすい街です。
 八神純子さんが若いとき,このすてきな都会に憧れて「サンディエゴ・サンセット」という歌を歌いました。その歌にぴったりの街です。

 ダウンタウンの南に本拠地のペトコパークがあります。ペトコパークは2004年に開場した新しいものです。
 サンディエゴ・パドレスはチームの創設以来,クアルコムスタジアム(Qualcomm Stadium)を本拠地にしていました。クアルコムスタジアムはNFLサンディエゴ・チャージャーズ(San Diego Chargers)との兼用でしたが,スタジアムの老朽化が進んでいたことから、新しいボールパークを建設したものです。
 私は,以前,クアルコムスタジアムにも行ったことがあります。そのときの対戦相手はニューヨーク・メッツで,偶然,当時,ニューヨーク・メッツで活躍していた,今は北海道日本ハムファイターズの監督である新庄剛士選手を目の前で見たことがあります。それも今ではいい思い出です。

 新しいボールパークができたということで,ずっと行ってみたかったのですが,幸運にも,2018年に足を運ぶことができました。ここもまた,今となっては行ってよかったと思います。
  ・・
 ペトコパークは,他の新しいボールパークのような「赤レンガに黒い鉄骨の梁,深緑の観客席」ではなく,インド産の砂岩に化粧漆喰を施して,白い鋼鉄の梁,ダークブルーの観客席のように,「サンディエゴの砂浜と青い空,海に浮かぶボートの白い帆」をイメージしたものになっています。
 外野が広いうえに複雑な形状となっていて,レフト方向は海風の影響を受け,右中間は深く本塁打が出にくいという欠点があったことから,2012年のシーズンオフに,右中間を狭くして打者不利を是正する改修工事を行いました。
 ウェスタン・メタル・サプライ・カンパニー・ビルディング(Western Metal Supply Company Building)はボールパークが建設される予定地内に建っていた地元金属メーカーの築100年の旧本社社屋で,当初は解体予定だったのですが,なんと,これをボールパークの一部として組み込むことにしたので,ビルの角が左翼ポールになっています。このビルの1階にはチームストア,2階と3階にはスイート席,4階にはレストラン,屋上には800の観客席が設置されています。
 また,バックスクリーン右側に砂浜があって,そこは子供たち専用のプレイ・スポットとなっていますし,左翼スタンド大型スクリーンの背後には,ペトコパークと同じ芝と土が使用された小さな野球場が併設されていて,そこで子供たちが野球を楽しむことができます。

 上記のように,外野後方に広い公園があるのですが,ここもまたボールパーク内なので,チケットを買ってスタジアムに入った人が行くことができる遊び場となっていて,この場所は,スタンドで観戦するよりもずっと楽しそうです。デートスポットとしても最高でしょう。
 また,このボールパークは,食事が他の多くのボールパークのような「高いだけでまずく,かつ,量が少ない」ということはなく,私が食べたハンバーガーはものすごくおいしいものでした。
 ペトコパークは,私が行った多くのボールパークの中で最も美しいところでした。

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 私にとって,アメリカに夢見ていたころ,ロサンゼルス・ドジャースは,もっともなじみのあるチームでした。
 ロサンゼルス・ドジャースは1884に創設された伝統のあるチームです。創設以来,ニューヨークのブルックリンを本拠地としていましたが,1958年にロサンゼルスへ移転しました。
 ドジャースは1947年にアフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソン(Jack Roosevelt Robinson)がデビューを果たしたチームであり,1995年には野茂英雄投手がメジャーリーグデビューを果たしたチームとして日本人にはなじみがあります。
 以前,日本の読売巨人がドジャースのキャンプ地だったフロリダ州のベロビーチ(Vero Beach, Florida)に参加したことがあります。当時,私は,アメリカのことなど何も知らなかったのですが,アメリカでは野球の球団が特別のキャンプ地を所有しているんだと,何かすごい別世界のお話のように思えました。それからずいぶん経った1998年,フロリダ州をドライブしたことがあって,そのとき,偶然,ベロビーチのドジャータウンにどり着いて,ああ,ここだったのか,と感動しました。
   ・・・・・・
 ドジャータウンは,もともと,第2次世界大戦中に米海兵隊航空基地で訓練を受けた海軍と海兵隊ののための海軍住宅基地として建設されました。1948年,ドジャースが恒久的な春季トレーニングサイトを探していたとき,フロリダ州ベロビーチの広大な土地が最適な場所として紹介されたことで「ドジャータウン」として1953年に完成しました。
 2008年,財政的な理由からロサンゼルス・ドジャースはベロビーチを手放すことになりました。
 その後,歴史的なドジャータウンはもともと、通りの真向かいにある第二次世界大戦中に米海兵隊航空基地で訓練を受けた海軍と海兵隊のすべてのメンバーのための海軍住宅基地として建設されました。ブランチリッキーが1948年に恒久的な春季トレーニングサイトを探し始めたとき、彼は地元のビジネスマンであるバッドホルマンによってフロリダ州ベロビーチの広大な土地に、メジャーリーグの完全に封じ込められたトレーニングキャンプを主催するのに最適な場所として紹介されました。クラブだけでなく、他の26のマイナーリーグチーム。ドジャースとベロビーチ市は、「ドジャータウン」という名前の物件を含む最初の5年間の賃貸借契約を結ぶことになりました。スタジアムは1953年に完成しました。 
 2008年,財政的な理由からドジャータウンは閉鎖されることになりました。
 その後、ロサンゼルス・ドジャースのオーナーだったピーター・オマリー(Peter O'Malley)は,妹のテリー・オマリー・サイドラーとふたりの元ドジャースの朴賛浩投手と野茂英雄投手の助けを借りて,ドジャータウンに再投資し,この歴史的なドジャータウンは,2014年に,フロリダヘリテージランドマークになり,現在に至っています。
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 ドジャースは,ロサンゼルスに移転後,当初の4年間はロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(Los Angeles Memorial Coliseum)をホームグランドとしました。今日の1番目の写真です,ここはオリンピックが2度行われたところで,現在はカレッジフットボールのUSCトロージャンズ(南カリフォルニア大学)が使用しています。
 卵型の形状で,左翼から左中間が極端に狭くなるなど野球場には適していないところでした。
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 1962年に現在のドジャースタジアムが完成し,1962年から1965年まではロサンゼルス・エンゼルスも使用していました。かつてのオーナーのピーター・オマリーの「ファンを選手に近づけたい」(Walter O’Malley’s idea of bringing fans closer to the players)と願ってついに完成させた「ドジャース永遠のホーム」(Immortalize Dodger Stadium)でした。
 しかし,今となっては,MLBでは珍しくなった左右対称,外野やファウルグラウンドは広いといった設計が古いものとなりました。また, 晴れた日のデーゲームはロサンゼルスの乾燥した空気と日中の暖かさのために打球が伸び,一方で,ナイトゲームではロサンゼルスの昼夜の寒暖差が大きいためによく霧が立ち込めボールが空気中の湿気を含んで重く成り,球足が遅くなったり,センターからホームへ向かって吹く風が打球を押し戻すことも手伝って,ホームランが出にくいなどの傾向があるといった,決して恵まれたボールパークでもなくなりました。

 私は,1980年,生まれてはじめてMLBを見たドジャースタジアムでしたが,その後は,2000年に一度行ったっきりになっていました。
 2018年,久しぶりにロサンゼルスに行ったとき,前田健太投手が登板することもあり,ドジャースタジアムに行ってみました。
 改修工事が終わって,座席も取り替えられ,ファールグランドは狭くなったとはいえ,やはり,新しくできた多くのボールパークに比べたら見劣りしました。また,このボールパークで販売されているホットドッグ「ドジャー・ドッグ」(The World famous Dodger Dog)は,数多くあるアメリカのボールパークで販売されているホットドッグの中で最も販売数が多く,世界で最も有名なホットドッグとしてドジャースタジアム名物のひとつに数えられているということですが,とくにおいしいわけでもありませんでした。
 ドジャースタジアムは郊外型のボールパークで,ほとんどの観客は自動車で来場するためにものすごく広い駐車場があります。かつては無料でしたが,現在は法外な駐車料金が必要になって,私はがっかりしました。

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 2022年,アメリカ・メジャーリーグはストライクとかで開幕が遅れているようですが,ともかく,今年も球春がやってきました。2015年にこのブログに「アメリカのボールパーク」を書いたときは,まだ行っていなかったところもいくつかあって,そこに行くのが夢だったのですが,その後,それらの場所はすべて行くことができました。
 こうして,私はMLB30チームのボールパークはすべて行くことができたのですが,その後,いくつかのチームが新しいボールパークを作って移転しました。しかし,今は特にそこに行ってみたいということもありません。まあ,私の好奇心がなくなったということは,齢をとったからでしょうか。寂しい話です。
 2020年春にはじまったコロナ禍もまる2年となり,それまで,あれだけ近かった私のアメリカが突然遠いところになってしまいましたが,それまでに,2015年当時に行ってみたかったところにすべて行くことができて,本当によかったと思います。
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 ということで,2016年から2019年の間に行ってきたボールパークについてまとめてみます。
 今日は,幸運にも,2019年に行って,この目で大谷翔平選手を見てきたロサンゼルス・エンジェルスのエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム(Angel Stadium of Anaheim)です。

 ロサンゼルス・エンゼルス(Los Angeles Angels)はアメリカンリーグ西地区所属です。本拠地はカリフォルニア州アナハイムにありますが,ここはロサンゼルス郊外のディズニーランドの近くです。インターステイツ5を走っていくとすぐです。
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 MLBのチームは,長い間,東海岸に集中していました。
 1957年に,ナショナルリーグのブルックリン・ドジャースがロサンゼルスに移転し,はじめて西海岸にMLB球団が誕生しました。また,同じ年にナショナルリーグのニューヨーク・ジャイアンツも西海岸に移転しました。
 同じように,アメリカンリーグでも西海岸に球団を置くことが検討され,1961年にロサンゼルスに新しいチームを設置することが決定します。こうしてできたのがロサンゼルス・エンゼルスです。
 はじめは,本拠地がロサンゼルス・ドジャースと共有だったために人気がなく,新しいボールパークを建設する必要がありました。こうして,1966年に作られたのがアナハイム・スタジアムでした。このとき,チーム名を「カリフォルニア・エンゼルス」と改称しましたが,2016年にチーム名をロサンゼルス・エンゼルスに戻しました。

 日本人メジャーリーガーとしては,1997年から2001年まで長谷川滋利投手が所属していましたが,2010年には全盛期を過ぎた松井秀喜選手が加入しました。赤色を基調としたユニフォームは松井秀喜選手にはまったく似合わないなあと私は思っていましたが,現在,所属するわれらの大谷翔平選手は赤色のユニフォーム姿がとてもよく似合っています。
 このボールパークにはとても広い駐車場があって,いかにも西海岸の昔のボールパークです。
 ボールパーク自体も新しいものでないのですが,改装につぐ改装で,行ってみて,思っていたよりずっとモダンなところだと驚きました。
 アメリカのボールパークは左右非対称であることが魅力なのですが,エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムは左中間に比べて右中間が狭くなっていて,そのために,以前はライトフェンスが非常に高くなっていました。これでは,左のプルヒッターには不利でした。
 2018年から,ライトフェンスのイエローライン,つまり,ホームランラインが変更されて,これまでの高さ5.5メートルからレフトと同じ2.4メートルとされ,はるかにライトが狭くなりました。
 ということで,大谷翔平選手には有利なボールパークなのです。

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 アメリカではすごい野球をやっているというのを知ったのは「巨人の星」というアニメだと思うのですが,私がはじめてアメリカへ,というより,はじめて海外旅行をしたのは24歳のときだから,今から40年以上も前のことでした。皆目見当がつかなかったで,ツアー旅行でした。当時のお金で約30万円もしました。今の貨幣価値では60万円ほどになるでしょうか。
 行った先はロサンゼルスとサンフランシスコでした。
 行ってみたかったのは,はじめてアメリカに行くだれしもが同じように,ディズニーランドとドジャースタジアム。
 まだ,東京にディズニーランドがなかったころの話です。
 ベースボールの観戦も,当然,ツアーのオプションでした。チケットの何倍,いや,10倍もする料金をとられましたが,そうでもしなければ行く方法もないので,かなり足元を見られました。そのころの,というか,今もそうなのかもしれませんが,自分で行動する手段がない,そして,言葉がわからないということが原因で,ツアーで海外旅行に行くと,かなりぼったくられます。私がひとりで自由に海外に出かけるようになった今では考えられない初々しさでした。
 そのころの写真が手元にはないので,今日の写真は2018年に行ったときのものです。

 そして,そのときの旅が私の原風景となっているのですが,今でも強い印象として覚えていることがいくつかあります。
 そのひとつはドジャースタジアムのバカに広い駐車場でした。その駐車場も,当時は無料でしたが,現在はかなり高い駐車料金が必要です。車社会のアメリカでは,チケットよりも駐車料金のほうが高いくらいになってしまいました。
 二番目はスタンドの美しさでした。これもまた,今では広告だらけになってしまいましたが,当時はまったく広告もなく,日本の美的感覚のまるでない広告だらけの球場しか知らなかった私にはとても新鮮でした。
 そして三番目はピーナッツ売りのおじさんでした。お客さんがあえて遠くで声をかけると,ピーナッツ売りのおじさんがコントロールよろしく商品を投げてくれます。そして,お金はバケツリレーのごとく,お客さんが次々にピーナッツ売りのおじさんまで手渡しするのです。犯罪社会だと思っていたアメリカの意外な一面を知った気持ちがしました。実際のアメリカは大人も子供のまま,欲望のままに生きているまるで小学校のような国なのです。
 四番目はオルガンでした。いまはほとんどのボールパークではコンピュータミュージックに代わってしまいましたが,ドジャースタジアムでは今も時折やっているようです。
 そして,最後が,セブンスイニングストレッチでした。7回の表が終わると「Take Me Out to the Ballgame.」をみんなで歌うのですが,これは,今もやっています。私も今ではこの歌は歌えます。
 番外として,当時私が知っていたほぼ唯一のプレーヤーであったシンシナチレッズのピートローズ選手(Peter Edward "Pete" Rose Sr.)を見たことでした。ドジャースの対戦相手チームだったのです。

 あれからずいぶんして,2018年に再び,というか,それ以前にも確か2000年ごろにも一度行ったことはあったのですが,アメリカはそのときからずいぶんと様変わりをしてしまい,私はいろんな面で衝撃を受けています。
 思い出は美しすぎて,なのか,40年前のほうがずっとよかったように思うのは,単に私が歳をとったからなのでしょうか。

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 アメリカには日本とは違うベースボールがあるということをどこで知ったのかは覚えていませんが,私は若いから憧れていました。はじめて見たのは,24歳のときにロサンゼルスに行ったときでした。そこでは,オルガンのサウンドやピーナッツ売りのおじさん,そして,7回の攻撃前に観客全員で歌う何がしかの歌など,さらにその魅力にはまったのですが,そのころは,日本ではテレビで放送されることもなく,残念に思っていました。
 それからしばらくして,何年前だったか,一度民放でMLBのゲームの放送をするということがあったのですが,当時巨人の試合の放送ばかりだった日本と同じで,中継されるのはヤンキースのゲームばかり。すぐに飽きられてしまいました。
 さらにしばらくして,野茂英雄投手が活躍をはじめて,日本でも本格的にMLBの放送がはじまりました。そのころからパーフェクトTVでも多くのゲームが放送されるようになって,私はさっそく契約して見はじめました。こうした黎明期の放送は,アメリカのものをそのまま流していたので,現地で流れるコマーシャルもそのまま見れました。最高でした。

 それから月日が経ち,NHKBS1での放送が主流となりました。
 私も一時夢中になって見ていたことがあるのですが,NHKBS1のMLB放送が今も変わらず気に入らないのは,中途半端に日本の編集が入ることと日本のアナウンサーと解説者が特に現地事情に詳しいわけでもないのに日本の価値観でどうでもいいようなことをだらだと話すことです。そんなことせずとも,アメリカからの中継をそのまま流せばいいのにと思います。私は,英語モードで見ていますが,時折割り込むニュースが興ざめです。
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 やがて,私が50州制覇を機にアメリカ旅行からヨーロッパ旅行に興味が移るとともに,次第にMLB自体にも興味を失くしたので,このごろはまったく見なくなっていたのですが,大谷翔平選手の活躍と,ほかに見たい番組がないのと,英語が耳に小気味いいので,再び,ときどき見るようになりました。さらに,今年からはABEMAでもMLBの中継がはじまりました。
 しかし,多くの中継では日本語の音声が入るのが嫌いです。どうして,変に編集などしないで,また,日本の音声など入れないで現地の放送をそのまま流してくれないのでしょう。その方がずっと簡単なのに…。日本語のアナウンサーやら解説者のおしゃべりというのは,ときに,楽しみの妨げとなるだけで,ほとんど意味がないことのほうが多いのです。
 MLBに日本語は馴染みません。


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 2021年の8月も終わりです。私にとって最悪といっていい夏でした。海外旅行もできず,連日の悪天候でまったく星も見られず,とあっては,私の楽しみのほとんどが奪われて,夜明け前か日が暮れた後で散歩をするというのが唯一の楽しみとなってしまいました。救いといえば,これまでに,行きたかったところにはすべて行きつくしていたことと,欲しいものがないこと。そこで,何かをしたいという煩悩? がなかったことでしょう。
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 こうしたときに,穏やかに暮らすには,優れた音楽をはじめとする芸術に触れること,そして,これまでに経験した思い出から新たなときめきを得ることでしょう。これまでの経験からそうした楽しみが見出せるのはうれしいものです。
 そうした中でも,最もすばらしかったことのひとつが,先日「フィールド・オブ・ドリームズ」のロケ地で行われたMLBニューヨーク・ヤンキースとシカゴ・ホワイトソックスのゲームでした。ゲームが行われたことだけでもすごいことだったのに,そのゲームが劇的な結末となったのが,さらに感動を深くしました。まるで,ベースボールの神様が乗り移ったかのようでした。
 そうしたことが理由のひとつでしょうか,昨日,NHKBSPで映画「フィールド・オブ・ドリームズ」が再び放送されました。

 私はこれまで何度この映画を見たことでしょう。しかし,齢を重ねるにしたがって,この映画のもつ深さがしだいに理解できるようになってきました。そしてまた,これまでに出かけたアメリカのさまざなところが点から線となってくるのがわかりました。不思議なほど,私の経験のそれぞれにつながりがあったのです。
 よく見ていると,映画のセリフ,そのひとつひとつにも深い意味があるのですが,それがわかるには,ずいぶん多くの知識と経験が必要です。いかにアメリカ人にとってベースボールが大切な存在なのか,彼らがどういった教育を受け,どういった場所に住み,生活し,どういった経験を積んで来たのか,また,人生とは何かということをどう考えているのか,そういったことを知らないと,それらはまったく理解できないのです。
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 さすがに,今となっては1919年のホワイトソックスの八百長事件を知る人はいないでしょうが,この映画のもうひとつの軸である1960年代は,私の年代より少し上の人たちは経験しています。
 この映画の語っていることの深さはこの1960年代を知らない人にはわかりづらいかもしれません。私はそれを知るには数年遅いのですが,それでも,若いころ,その時代の空気は感じました。また,そうした1960年代とは真逆になってしまった現代こそ,もういちど,あのころを考えるよい契機であるかもしれません。
 そういった意味でも,この映画に感動できるかどうかは,まさしく,それを見た人の人生の長さや深さによるのでしょう。また,それを知らない若い人は,このような映画をきっかけにして,その時代のことを考えてみるといい機会だと思います。
 この映画によって,私の最悪の夏も,少しは救われました。

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 1998年というから今から23年前,友人とアメリカに行き,はじめてアメリカをドライブしました。行先は,シカゴとアトランタとフロリダでした。
 シカゴではレンタカーを借りて東に走り,シカゴのあるイリノイ州を越えて,アイオワ州に入りました。そこで,念願のミシシッピ川を見ました。
 目的地は州都のデモインでしたが,アイオワ州で偶然見つけたのが,映画「フィールド・オブ・ドリームズ」(Field of Dreams)を撮影した場所でした。しかし,この場所を訪れたときには,まだ,私はこの映画を知りませんでした。それが今では「フィールド・オブ・ドリームズ」は私の大好きな映画のひとつです。
 この映画は,その後の保守派政治で失われてしまったアメリカの1960年代のノスタルジーです。 「金はあるが心の平和がないのだ」。
 そして,この映画のもう一方の主題である「夢を自分に託そうとした父親との関係」では父と息子の葛藤を描いています。
 「夢は,あきらめなければいつかそれは実現する」それを象徴するのが「フィールド・オブ・ドリームズ」なのです。

 さて,2020年7月,アイオワ州ダイアーズビル(Dyersville)でMLBシカゴ・ホワイトソックス対ニューヨーク・ヤンキースのカードが組まれました。しかし,新型コロナ・ウィルスの感染の影響で残念ながら中止となりました。
 そして,その1年後の2021年8月12日,ついにそのゲームが開催されました。行われたこのゲームは公式戦です。
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 ダイアーズビルはアイオワ州北東部に位置していて,ダビューク市(Dubuque)の中心部から西へ約40キロメートルのところにあります。
 そう,ここは,トウモロコシ畑の中に野球場を作ったらある夜に選手たちが現れ野球をはじめるという,映画「フィールド・オブ・ドリームス」の撮影が行われた場所なのです。
 「フィールド・オブ・ドリームス」を撮影した野球場に隣接した場所に新たに建設されたボールパークで,ゲームは行われました。
 この新たに作られたボールパークは席数8,000,ライト側の外野の壁には窓が設けられ,奥には映画を象徴するトウモロコシ畑が見えるようになっていました。
 シューレス・ジョー・ジャクソン(Joseph "Shoeless Joe" Walker Jackson)が所属していたシカゴ・ホワイトソックスの本拠地コミスキー・パークを意識したデザインになっています。

 私は,20年以上も前に行ったこの場所がその後どうなっているのか気になっていました。
 日本だと,ブームが去ればそれで終わりです。その後は観光客も来なくなり,そのうちに経営に行き詰まり,荒れるに任せ,どこもかも廃墟となっていきます。何事も熱しやすく冷めやすい… のです。
 しかし,ここは廃墟どころか,新たにボールパークまで作られ,公式戦が開催されていたのです。そう考えると,こんな企画を考えるアメリカという国の人は大したものです。そしてまた,いつまでもこの地を愛しているアメリカ人というのは,本当にベースボールが好きなのだなあ,と思います。また行ってみたい!
 今回はこのゲームのみですが,このボールパークは解体せず,今後も何かしらの利用が検討されているということです。
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 They built it, and they’re coming.
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 ”Field of Dreams” comes alive in Iowa : They built it, and MLB came.
 The game between the New York Yankees and Chicago White Sox is the first Major League Baseball game in Iowa.
  ・・・・・・
 そして,このゲームは,劇的な結末となりました。

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 私は,家にいるときはテレビもCNNj とアメリカのドラマばかりで日本の番組を見ていないし,日が沈むころに散歩に出かけて人にも合わないし,外出するときは車を利用して公共交通機関を使わないので,今の日本がどうなっているか錯覚していることが多いのですが,それに加えて,久しぶりにMLB,そう,オールスターゲームを録画して現地の音声を聴きながら見ていたら,ちょっと感動したというか,それは,日本と違って,テレビから流れてくる映像から垣間見るアメリカは,完全に2020年以前の元通りの世界じゃないですか。
 あえて録画で見たのは,現地の放送がはじまるまで,日本語のぐちゃぐちゃした音声が流れることと,途中でニュースが入るのが嫌で,それを飛ばすため。私は夢を楽しむために見ているのだから,そんなことしないで,アメリカからの放送をそのまま流せばいいのに…。
 これを見ていたら,何だか,風の便りでは,日本では,オリンピックを無観客でやるとか,新型コロナ感染者がまた増えたとか,相も変わらず今なおそんなお粗末な報道ばかりしているらしいのですが,そんなことがすべてあほらしくなってきました。
 オリンピックだって,MLBのオールスターゲームのように満員の観客入れてアメリカでやればいいじゃないの。ワクチンを作る力もないのに日本でやるというのは分不相応だし,アメリカのテレビ局の都合で,アメリカのスポーツイベント閑散期の真夏に実施するというようなことに日本がつき合わされる必要などないのです。そんな動機でオリンピックを真夏に開催すること自体,オリンピック精神とはかけ離れています。そして,そこまでしてオリンピックやりたい! とアメリカに媚びる必要などないではありませんか。
 アメリカに住んでいる友人たちはもうとっくにワクチン打ち終わって,みんなで集まってパーティ楽しんでいるし。ああ,アメリカ行きたい!

 ということで,昨日は2014年に行ったデンバーのクワーズフィールドの写真を載せたので,今日はその続きで,クワーズフィールドがあるあたりのデンバーの写真を載せることにします。
 こういう写真でも見ていないと,バカバカしくてやってられません。店の入り口で不正確な機械で体温測って適当にアルコール吹っ掛けて形だけのマスクしても,それは店が補助金もらうためにやってますよというポーズをとるためだけで,それは学校の生徒の提出物と同じでやったふりだけ。そんな「儀式」は感染防止にはまったく意味がありません。もう,私は,日本の何もかもが嫌いでつき合いきれません。
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 ところで,私がデンバーに行ったのは,早くも7年も前のことになります。このとき,私はデンバーのダウンタウンでズボンのベルトを探してさまよっていました。それは,ちょっと緩いズボンをはいてきたおかげで,歩いていると下がってくるからでした。そこで,ベルト,となったのですが,欲しいときに限って,探してもなかなか見つからないのです。結局,ちょっと高級なお店で,上等なちょっぴり高価なカウボーイがするようなすてきなベルトをやっと見つけて買ったわけですが,それを今も使っています。

 7年前のデンバーは再開発の途中で,クワーズフィールド近くの鉄道の駅あたりだけ,まだ建設中でした。おそらく今はすっかり完成していることと思うのですが,それでも,すでにこのころには街はすっかり近代的に生まれ変わっていて,ダウンタウンはどこもWifi が使えました。
 こういう写真を見ると,デンバーは,ワシントン州のシアトル,カリフォルニア州のサンディエゴ,ミネソタ州のミネアポリスなどの都会に似ているなあと思います。実際,アメリカは,ニューヨーク,シカゴ,ロサンゼルスのような大都市と,その次の中都市とでは雰囲気がまったく違っていて,広すぎて移動がたいへんな大都市に比べると,中都市のダウンタウンはどこかの駐車場に車を停めて,あとは1日歩いてまわることができる感じのすてきなところが多いものです。そして,そうした都市の多くは,ダウンタウンにボールパークがあります。というか,都市の再開発をするときに,その中心にボールパークを作ったわけです。

 私は,ここ数年,ヨーロッパに目が行っていて,アメリカの魅力をすっかり忘れていたのですが,その想いがよみがえってきてしまいました。また行きたい。困ったな。

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昨晩はすごい雷雨でした。このところずっと天気が不安定です。
雷光を写そうと思ったのですが,難しいものでした。
光ったときにシャッター押してもすでに遅し。でも,なんとか写りました。

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 現地の7月13日,日本では14日午前,アメリカMLBのオールスターゲームが行われます。 
 アメリカではオールスターゲームをミッドサマー・クラシック(Midsummer Classic)といいます。このゲームにはアメリカの子供たち,いや,子供たちにとどまらず,アメリカ人の夢が詰まって います。
 残念ながら,私はMLBのオールスターゲームを生で観戦したことはありませんが,2002年,ちょうどオールスターゲームが行われたころにアメリカに滞在していたことがあって,ホテルのテレビでホームランダービーを見ていた記憶があります。
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 「コロナに打ち負かされた日本」のだれもが開催に反対しているオリンピックとは異なり,それこそ「コロナに打ち勝ったアメリカ」の「ナショナルパスタイム」(National Pastime)であるベースボール2年ぶりのフェスティバルです。それに花を添える,我らが大谷翔平二刀流が先発投手として,また,1番指名打者として出場するとあっては,かつてのMLBファンの私も,久しぶりに燃え,今日は英語放送を聴きながらテレビで観戦です。
 本来「先発投手」と「指名打者」は同一の選手が務めることはできないのですが,今回のオールスターゲームでは史上はじめて特別ルールが採用されて,大谷翔平投手は降板したあとも指名打者としての出場は続けることができるといいます。

 今年ゲームが行われるのはコロラド州デンバーにあるクワーズフィールド(Coors Field)です。ここは,1996年9月17日,野茂英雄投手がノーヒットノーランを達成したボールパークとして有名です。
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 私は中学生のころから英語の教科書に載っていたデンバーに興味がありましたが,2014年,やっと念願がかない,訪れることができました。そして,もちろん,クアーズフィールドでゲームを観戦しました。
 そこで,今日は,このボールパークの雑誌などには載っていない角度から写した写真を載せることにします。
  ・・・・・・
 クワーズフィールドは1995年に完成しました。デンバーは30年以上にわたってMLB球団を誘致してきましたが,1993年にそれが実現し,マイルハイスタジアムで開かれた新チーム・ロッキーズの開幕戦には80,227人の大観衆がつめかけました。そこで,新しく作られたクアーズ・フィールドは,当初は43,800人収容の予定だったを50,445人収容に変更されたということです。
 都市再開発の一環として作られたボールパークはダウンタウンの北東徒歩圏内にあります。典型的な新古典様式のボールパークのひとつで,外観は周辺の倉庫街に調和した赤レンガと,かつてあった鉄道駅に由来する鉄骨を組み合わせたすてきなものです。
 デンバーは標高1マイル,約1,600メートル地点(=マイルハイ)にあって,ちょうどその標高にある3階席20列目の座席だけがロッキーズのチームカラーである紫色になっています。また,ボールパークの建設中に恐竜の化石が見つかったので,ボールパークの名まえを「ジュラシックパーク」にしようとの案が出たそうです。この提案は却下されましたが,チームのマスコットには恐竜の「Dinger」(ディンガー)が採用されています。
  ・・・・・・
 
 私が印象に残っているのは,突然の雷雨です。
 ここは雷雨が多いということで,私の観戦した日もゲーム開始30分前に大雨となってしまいましたが,いつものことさ,と周りの人たちは平気でした。案の定,ゲームがはじまったころは晴れ上がりました。
 このボールパークは,ファンサービスが快適だったこともあって,私のとてもよい思い出となっています。最上階に昇ると,遠くにロッキー山脈がとてもきれいでした。
 さあ,間もなくゲームがはじまります。

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 MLB(アメリカ・メジャーリーグベースボール)で,2021年7月7日,カリフォルニア・エンジェルスの大谷翔平選手が対ボストン・レッドソックス戦に「2番・指名打者」で出場し,5回に32号ソロホームランを放ち,2004年にニューヨーク・ヤンキースでプレイした松井秀喜選手の日本人メジャーリーガーのシーズン最多本塁打記録を更新しました。
 大谷翔平選手は,1994年岩手県奥州市に生まれ,花巻東高校の出身です。数年前,花巻に行ったとき,駅前に大きな大谷翔平選手の垂れ幕を見つけ,ここの出身なのかと私はそのときはじめて知りました。駅には,花巻東高校の生徒さんがたくさんいましたが,どこかで聞いた高校だなあと,そのときは思いました。私は高校野球にもまったく興味がないのです。
 高校3年のときに高校生最速となる時速160キロメートルを投げ,2012年にドラフト1位で北海道日本ハム・ファイターズから指名され入団しました。
 2017年のオフにポスティングシステムでロサンゼルス・エンゼルスに移籍,念願のメジャーリーガーとなりました。

 そもそも,もともと高校卒業時からアメリカで野球がしたいという本人の希望があったのに,北海道日本ハム・ファイターズが指名したことが私には気に入りません。何と勝手なことをするのかと。そこで,大谷翔平選手は人生の5年間を無駄にしました。
  ・・
 私は,日本のプロ野球はまったく興味もないし見ないので,ほとんどの選手を知りませんが,MLBは大好きです。そこで,風の便りにプロ野球での活躍を聞いていた名前の選手がMLBに挑戦し渡米すると,それを見にいきたくなって,実際にこれまで多くの選手をアメリカで見てきました。
 アメリカのボールパークで観戦しているとき,隣に座った人が私が日本から来たと知ると,こうした日本人選手の日本でのことを聞いてきます。しかし,私は,それに対する話がまったくできないのです。これまでに見た,野茂英雄投手もイチロー選手も前田健太投手も岩隈久志投手もダルビッシュ有投手も…,みな,はじめて見たのは,アメリカのボールパークでした。

 2018年の夏,私はロサンゼルスに行きました。目的は,以前から行ってみたかったパロマ天文台でした。しかし,運悪く,私が訪れたときに限って,年中無休であるパロマ天文台が駐車場の工事をしていて公開が中止となっていました。この年,すでに,大谷翔平選手はロサンゼルス・エンジェルスに入団していましたが,これもまた,運悪く,私が訪れたときはロードに出ていて,見ることができませんでした。
 「マイナスとマイナスをかけるとプラス」というように,このふたつの偶然が幸運を呼び込みました。
 パロマ天文台に行けなかったことで,私は,その翌年2019年の夏に,再びロサンゼルスに行きました。このときのことは,すでに詳しくブログに書きましたが,念願だったパロマ天文台を訪れ,1年前だったら曜日の関係でできなかったガイドツアーにも参加することができました。そして,これもまた,念願がかない,ロサンゼルス・エンジェルスのゲームを観戦して,目の前で大谷翔平選手の活躍を見ることができました。

 私は,2013年の夏,ニューヨークでヤンキースのゲームを観戦したのですが,イチロー選手が4打数4安打を放ったそのゲームは,奇しくも,松井秀喜選手の引退試合でした。そして,2019年に大谷翔平選手を見たのですが,その翌年にコロナ禍となり,今は,アメリカに行くこともかないません。
 そんな偶然を思うと,このとき行くことができて,本当によかったと思います。
 大谷翔平選手が出場する今年のMLBオールスターゲームが楽しみです。

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 先日NHKBSPで放送した「人生の特等席」(Trouble with the Curve)という映画が録画してあったのをやっとみました。2012年のアメリカのスポーツ・ドラマ映画です。
 ベースボールがつなぐ親娘の絆の再生物語ですが,日本でつけたこの映画の題名は父親の仕事が娘には「best seat in the house」と思っていたというセリフの日本語訳なのですが,映画のイメージとはちょっと違っていて,原題のほうがずっと意味が深いです。ただし,この原題ではより日本ではわかりませんが。

  ・・・・・・
 クリント・イーストウッド(Clinton Eastwood Jr.)扮するスカウトマンであるガス・ロベルとエイミー・アダムス(Amy Lou Adams)扮する娘ミッキーが,キャリア最後の旅に出る。
 メジャーリーグ最高のスカウトのひとりとして何十年も敏腕をふるってきたガス・ロベルだったが,そろそろ年齢による衰えをごまかしきれなくなってきている。しかし,彼はそのキャリアを静かに閉じるつもりはまったくない。
 苦しい立場に追い込まれたガスを助けられるかもしれない唯一の人物は,よりによって彼が決して助けを求めないであろう娘のミッキーだった。アトランタの有力法律事務所で雇われ弁護士として働く彼女は事務所の共同経営者への昇格を目前にしている。
 子供の時に母を亡くしたミッキーにとって父はずっと遠い存在だった。
 父のキャリアを救おうとすれば自分自身のキャリアを危うくしかねない。不本意ながらも,スカウトのためにノース・カロライナまで行くというガスに付き添うことにする。そして,仕方なく一緒に過ごすうちに,ふたりは,相手に関して新たな発見をし始め,それぞれの過去と現在に関して長く秘められてきた真実が明らかになっていく……。
  ・・・・・・

 ということで,特に映画に詳しくない私はこの映画のことをまったく知らず,単に,クリント・イーストウッドが主演するメジャーリーグに関する映画ということで,一応録画をしたのでした。そして気乗りもせず,そのままにしてありました。やっと見はじめたのですが,おもしろくありません。
 おそらく,今とは違って,10年前の,アメリカ大好き,メジャーリーグ大好きだった私なら,夢中になった映画なのになあ,とそう残念に思いながら,最後まで続かず,少し見ては中断し,を繰り返していました。よほど途中で見るのをやめようかとも思いました。
 今の私とは違って,アメリカはどういうところだろう,とか,メジャーリーグを見てみたい,とか,アメリカの大地を走ってみたいとか,そういう夢が一杯あったころは,映画に出てくるそのすべてが新鮮でした。アメリカはなんとすばらしい国かと思っていました。しかし,今は,まっすぐに続くアメリカの道も,メジャーリーグの豪華なボールパークも,アメリカの雄大な田舎も,気楽に泊れる安モーテルも,私にはすっかりわかったことになっていて,夢ではなくなってしまいました。というよりも,アメリカの社会にも,日本と変わらぬ日常と日本以上の厳しい現実があるのを知ってしまったからでした。
 
 それがどうでしょう。途中から映画にのめり込みました。
 映画の前半でのかずかずのちりばめられた伏線が後半にどんどんと結びついていき,ひとつの無駄もないのです。この映画でも,娘がめちゃめちゃ出来がいいとか,救世主のごとく無名のエースピッチャーが登場するとか,そういった,現実にはあり得ないアメリカ映画の話がうま過ぎる世界は相も変らぬいつものことで,それを単純だ軽薄だという人もありますが,映画の世界など所詮はおとぎ話でいいのです。風采の上がらない女の子にすてきな王子様が白い馬車でやって来ていいのです。いわば,日本でいえば桃太郎の鬼退治の世界なのです。
 アメリカの社会というのは子供のまま大人になった人たちの集まりなので,こういう人生が手本となるのです。単純なのです。何の夢も理想の生き方もなく,人が成功すればやっかんでひがんで,人の目を気にして他人と比べて生きるだけ,表と裏があってやたらとややこしい日本とはえらい違いです。

 映画を見終えて,10年前の私に戻ったかのような気がしました。またアメリカに行ってみたいと思いました,しかし,簡単にはアメリカに行けなくなってしまった今だからこそ,逆に,そのすべてが懐かしく感じられるようになったということも,私がこの映画にのめりこんだ理由のひとつかもしれません。
 私は,映画もテレビ番組も元気をもらえるものが好きです。過度に過激なアクション映画やあまりに現実とかけ離れたSF映画はダメです。むしろ,アメリカの片田舎で生きる素朴な人生を描いたものとかロードムービーのようなものが好きです。しかし,なかなか気に入るものが見つからないのが残念です。
  ・・
 私はすっかり満足して,また,行くことができるようになったら,なにもないアメリカ大陸のまっすぐな道をゆったりとまったりと走ってみたいなあ,片田舎の安モーテルに泊って小さな町のマイナーリーグのゲームを見てみたいなあと思ったことでした。
 はやくその日が戻りますように…。

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 現地の7月17日,日本では18日午前,アメリカMLBのオールスターゲームがワシントンDCで行われました。 
 アメリカではオールスターゲームをミッドサマー・クラシック(Midsummer Classic)といいます。このゲームにはアメリカの子供たち,いや,子供たちにとどまらず,アメリカ人の夢が詰まっているのです。
 今年ゲームが行われたアメリカの首都ワシントンDCにあるナショナルズ・パーク(Nationals Park)は,2年前の夏に行きましたが,すばらしいボールパークでした。特に,スタッフが親切なことにかけてはナンバーワンでした。私にとっては,30球団のボールパーク全制覇の最後を飾ったところとしても印象に残っています。
 日本のテレビの中継では,ボールパークだけでなく,ワシントンDCの街のさままざまな様子も紹介されていました。おそらく,数年前までならば,私はそれを見て,ずいぶんと感動したことでしょう。しかし…

 今の私には,そういった感情をどこかに失くしてしまったのです。それは,ものすごくさびしく,悲しいことです。
 日々の生活を楽しく過ごすには,ひとつでも多く感動できるものがあるのが最も健康的なことです。特に,どんなことであっても,それを生業としている人にとってはそれこそが人生であるから,それを見る側も,同化し感情移入し,同じように感動できるのならばそれは最高にすばらしいことです。
 それがどうしてしまったことでしょう? おそらく,それは,知り過ぎてしまったからなのです。 
 このブログは6年目になります。
 数年前のものを読み直してみると,今の私とは違って,このワシントンDCのボールパークも,行ってみたいなあというその思いが強かったころは,今から考えると幸せでした。
 そして,幸い,2年前にその願いは遂げられたのですが,その結果,私は多くの好奇心と情熱をなくしてしまったようなのです。

 ということで,今年は見るでもなく見ないでもなく,なんとなくゲームが写っているテレビを眺めながら思い出したことがあります。
 それは,子供のころ,日本のプロ野球のオールスターゲームを見ていたころのことです。
 子供心に,オールスターゲームというのは夢のゲームでした。しかし,私が子供のころのオールスターゲームというのは,というよりも,プロ野球というのは,セントラルリーグにくらにくらべてパシフィックリーグといういのは二流半で,テレビ中継もなければ観客もいない,そして,球場もぼろい,という,場末のような世界でした。そしてまた,セントラルリーグというのは読売巨人のためのリーグのようなものでした。
 今から思うと,そんなもの,二リーグ制といえるものでないばかりか,お金をとってその対価として人を楽しませるというショービジネスとしては失格そのものでした。
 当時の日本というのはそういうものがまかり通っていたのです。
 
 そういう状況の日本のプロ野球がアメリカMLBのマネをしてオールスターゲームを3ゲームもやるわけです。
 私は,読売巨人以外のチームから選出された選手が出場するのを楽しみに期待して見はじめるのですが,ゲームがはじまると,レギュラーシーズンと同様に,1塁を守るのは最初から最後までずっと王貞治であり,3塁を守るのは最初から最後まで長嶋茂雄であるわけです。そして,パシフィックリーグのキャッチャーは南海ホークスという,当時大阪難波にあったチームの野村克也であるわけです。
 これでは夢も醒めます。
 それに加えて,テレビで放送される中継の解説といえば,夢のオールスターゲーム,などというもはどこかにいってしまっていて,ここで決め球を見せれば,シーズンが再開されたときに不利になるだとか,そんな「せこい」話ばかりをしていたわけです。この日のテレビ中継で解説をしていた牛島さんはこの時代になっても同じような話をしていました。日本人ですねえ。
 私はすっかり失望しました。

 それから歳をとって,いつの日か,私はアメリカのMLBに詳しくなって,それをもとに,ベースボールだけでなく,アメリカのさまざまプロスポーツを知るようになって,どうやら,こうしたプロスポーツというのは,根本的に日本とは違う発想ですべてが成り立っていることに気づきました。
 今でも,そういうことを知らない多くの日本人は,アメリカMLBのオールスターゲームの前日にホームランダービーという出し物があって,それは,ただ単に様々なチームから選出されたプレイヤーがホームラン数を争うだけのゲームなのに,けっこう高価なチケットを買ってまでして見に来るというのが理解できないようです。
 しかし,アメリカのプロスポーツの本質を知らなければ,その楽しさというのは理解できないことでしょう。
 彼らは,ホームランダービーにせよ,オールスターゲームにせよ,それを見ることが目的ではなく,そうしたものを媒体として,たとえればディズニーランドに行ったような,そんな非日常の世界をすべて楽しんでいるわけです。
 
 私もかつては,そうしたことが理解できるようになるにつれて,その楽しさというものが同じように楽しめました。
 ところが,今の私は,それを知った上で,それを越えて,そんなことのいったい何が楽しいのだろうかと,すっかり冷めてしまったのです。私にはそれが残念でもあり,悲しくもあり,さびしいのです。
 おそらくそれは,私がかかっていた魔法から醒めてしまったからでしょう。
 いつの日か,再び魔法にかかって,そうした夢の世界を楽しめる精神状態に戻してくれないものかなあと,なんとなくオールスターゲームを見ながら強く思ったことでした。

◇◇◇
ミッドサマー・クラシックの想い-1995から2014へ
2016夏アメリカ旅行記-ついに30球団目のボールパーク①
2016夏アメリカ旅行記-ついに30球団目のボールパーク②
2016夏アメリカ旅行記-ついに30球団目のボールパーク③

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 5月4日,突然
  ・・・・・・
Ichiro transitioning from field to front office. Iconic outfielder 'not retiring'; return next season possible.
  ・・・・・・
というニュースが駆け巡りました。
 2012年夏,イチロー選手が電撃的なトレードでニューヨークに去ってからも,シアトルのセイフコフィ-ルドにはイチロー選手の写真がそのまま残っていたし,お寿司の「イチロール」も販売されていたので,私は最終的にはシアトルに戻ってくると確信していたのですが,本人が50歳を過ぎても現役をやるといっているので,その処遇が心配でした。
 今シーズン,シアトルに戻ってきたとき,私はちょっと戻ってくるのが早かったかな? と思いました。「この次」のチームがないからです。
 そこで,この日の突然のニュースに驚くとともに私は安心もしました。これならばイチロー選手の矜持は保たれるし,彼の夢も続きます。

 私はメジャーリーグは大好きですが,日本の野球には全く興味がありません。あのけたたましい応援が大嫌いだからです。しかも何を勘違いしたのか,このごろはチェアリーダーさえ登場しているようです。メジャーで活躍できなくなって再び日本で現役を続けている選手たちにも全く興味がありません。私は,メジャーリーガーとしての選手に興味があるし,メジャーリーガーとしてのプライドを忘れてほしくないからです。
 そうした意味からも,イチロー選手には,絶対に何があっても日本に帰ってまでもプレーを続けてほしくありませんでしたが,その気持ちは,むしろイチロー選手のほうがずっと強かったと確信しています。それこそが彼の矜持だからです。

 イチロー選手がアメリカに渡ったのが2001年でした。早くも,というべきか,まだというべきか,それは今から17年前のことでした。今でこそ,私にはシアトルは隣町のようなところですが,17年前には,ものすごく遠いところでした。
 念願かなってイチロー選手を見ようとアメリカへ出かけることができたのは2004年のことでした。しかし,このときは,アメリカ上陸2日目にして交通事故に遭い,その願いがかなわず緊急帰国。ケガも癒えたその2年後に,ようやくシアトルで私はイチロー選手を見ることができました。

 それから月日が経ち,2012年の夏,私がちょうどアメリカを旅していたとき,ホテルのテレビで,ニューヨークへトレードという衝撃的なニュースが流れました。私は,ヤンキースが契約を更新してその翌年もイチロー選手がニューヨークにいるのなら見にいくと周囲に宣言して,実際,ニューヨークへ行きました。そうして私がヤンキースタジアムでイチロー選手を見たのは,偶然にもヤンキースでプレーした松井秀喜選手の引退試合で,この試合でイチロー選手は4打数4安打を打ち,私はそれを目撃しました。

 その3年後の2016年,今度はアメリカ50州制覇の夢を実現しようと,フロリダから東海岸をフィラデルフィアまで北上する旅に出かけたとき,これもまた偶然にも3,000本安打狂騒曲最中のマイアミで,マーリンズにトレードされたイチロー選手を見ることができました。残念ながら,3,000本安打をこの目で見ることはできなかったけれど,2,998本目の安打も「レーザービーム」も見ることができました。
 こうして,奇しくも,私はイチロー選手の属したすべてのチームで,しかも,すべてホームゲームでイチロー選手を見ることができたのです。

 思えば,私のアメリカ50州制覇はイチロー選手なくしてはなしえかなったようにも思えます。そしてまた,旅を通じて,多くの思い出や友人ができました。そうしたことからも,イチロー選手は私のアメリカ旅行の恩人といっても過言ではないのです。
 ニューヨークに行った2013年には,クーパーズタウンの野球殿堂にも寄りました。そこで,イチロー選手の数々の記録やユニフォーム,そしてバットが展示されているを見ました。ちょうどそこにいた子供に,私はこの選手の出身地から来たんだと誇らしげに自慢したのを思い出します。
 
 本人は引退でないと言っていますが,ひとつの時代が終わったのは事実でしょう。野茂投手が切り開き,イチロー選手の大活躍で日本人プレーヤーの存在が認知されたメジャーリーグには,今年,新たに大谷翔平選手が加わりました。「よき後継者を得た」という感じでしょうか。
 このニュースを知って,私も,新しい夢を求めて再びアメリカを旅したいと,そんな気持ちが沸き起こったことでした。

◇◇◇
2013アメリカ旅行記-野球殿堂へ①
2013アメリカ旅行記-ヤンキースタジアム・再び①
特別編・2015夏アメリカ旅行LIVE PART2⑩
2016夏アメリカ旅行記-「イチロー記録達成か」の日①

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 「フットボール」(football)は相手陣地のゴールにボールを蹴り込むスポーツ全般を意味しています。一般にはサッカーのことでしょうが,アメリカンフットボールやラグビーなど,どのスポーツを意味するかは地域で異なっています。アメリカでは,当然「アメリカンフットボール」のことで,プロリーグであるNFL(National Football League)はアメリカでもっとも愛されているスポーツです。
 ただし,日本ではあまりなじみがないこともあって,詳しく知っている人も多くありません。私はアメリカを旅行するようになって,フットボールを知らないとアメリカのおもしろさの多くの部分がわからないことを知って関心をもつようになりました。しかし,私が旅行をする春から夏にはゲームがないので,残念ながら実際にフットボールを生で見る機会はこれまでありませんでした。この夏,アメリカ旅行をした際に,プレシーズンマッチでしたが,はじめてゲームを見る機会があって,私はすっかりはまってしまいました。

 現在,NFLは32チームにより編成されていて,アメリカン・フットボール・カンファレンスとナショナル・フットボール・カンファレンスのふたつのカンファレンスに16チームずつが所属しています。さらに各カンファレンスには東,北,南,西の4つの地区があり,各地区に4チームずつが所属しています。ゲームは9月から12月にかけて行われるレギュラーシーズンで各チームが16ゲームを戦い,各カンファレンスの上位6チームが1月に行われるプレーオフに進出して,トーナメント方式でカンファレンス優勝を争います。そして,カンファレンスで優勝した2チームが2月上旬に行われるリーグ優勝決定戦であるスーパーボウルに出場し,年間王者を決定します。

 私がフットボールの大ファンであるEさんのお誘いで見にいくことができたのは,シアトル・シーホークスのホームであるセンチュリーリンクフィールド(CenturyLink Field)でした。場所は,MLBシアトル・マリナーズのホームグランド,セイフコフィールドの北側に隣接したところです。
 シアトルという都会はマリナーズが弱小チームなので見にいってもさほど盛り上がらず,この街はスポーツは燃えないのかと思っていたのですが,さにあらず,強豪シーホークスのあるフットボール一色でした。
 
 この日はプレシーズンマッチだったのでありませんでしが,リーグ戦,とはいっても8ゲームしかないのですが,ともなると,朝の6時からスタジアムのまわりではテールゲイトパーティが開かれて,1日中盛り上がってしまうらしいです。
 センチュリーリンクフィールドの南隣,セイフコフィールドとの間にはセンチュリーリンクイベントセンター(Century Link Event Center)というコンベェンションホールがあって,そこからもンチュリーリンクフィールドに入ることができます。この館内はまるでお祭り会場で,ゲームあり,ラジオのスタジオあり,オフィシャルショップあり,チェアガールのサイン会ありという見本市のようなところでした。まだゲーム開始にはずいぶんと時間があるにもかかわらず,ここはすでに盛り上がっていました。
 ステージでは応援団のドラムラインが盛り上げていました。そして,いよいよチェアガールのパフォーマンスです。このドラムラインとチェアガールはゲームが始まるとそのままスタジアムに移動して,同じようなパフォーマンスをゲームが始まる前から終わった後まで終始繰り広げるのです。
 要するにですね,男たちはフットボールのゲームとともに,あのかわいらしい30人のチェアガールを見にいくわけなのです。シーフォークスのチェアガールはシーギャルズといいますが,AKB48をもっと大人にして洗練したようなものです。
 そして,ゲームが終われば,その翌日は前日のゲームについて評論家となり,勝てば勝ったで負ければ負けたで1日が過ぎていくわけです。だ~れも仕事なんて眼中にありゃしません。

 アメリカでのフットボールの人気というは,やはり実際にゲームを見ないことには実感がわきません。私も今回見るまで,どうしてこれほど人気があるのかよくわかりませんでした。そうした魅力を知った人たちは,日本にもなんとかそのすばらしさを伝えようと,そして,テレビでも高い放映権を払って放送しているのですが,視聴率がとれず苦戦しています。
 私は,このフットボールというスポーツに熱中するアメリカ人を理解できないでアメリカは語れない,ということを実感しました。また,逆に,アメリカという国を理解したいのなら,まずはフットボールを見にいくことだとしみじみ思いました。

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 2016年,シカゴ・カブスがナショナルリーグを制覇しました。これは何と76年ぶりのことです。そこで,ついに「ヤギの呪い」が解けたと騒がれているのですが,本当に呪いは解けたのでしょうか? というのが今日の話題です。

 「ヤギの呪い」というのは次のお話です。
  ・・・・・・
 1945年,当時16回目となるリーグ優勝を果たしたシカゴ・カブスは,タイガースとのワールドシリーズに3勝4敗で敗退しましたが,2勝1敗とカブスがリードして迎えた第4戦のことです。
 地元バーの店主であったビリー・サイアニス(William "Billy" Sianis)は,カブスの熱狂的なファン。可愛がっていたヤギ・マーフィーとともに試合観戦に訪れていました。しかし,この試合に限って球団側はヤギの入場を禁止し,サイアニスとヤギは球場から連れ出されてしまったのです。理由はヤギの臭いでした。
 これに激怒したサイアニスは「リグレー・フィールドにヤギの入場が許されるまでカブスは2度とワールドシリーズに勝てない」と言い放って球場を後にしたというのです。
 その後チームは本当にワールドチャンピオンはおろかリーグ優勝さえ遠ざかることとなってしまったのです。
 それが日本では,「今後2度と(本拠地の)リグレーフィールドではワールドシリーズができなくしてやるぞ」と言ったと伝わっているので,それが「呪いが解けた」という根拠になっているらしいのです。
 しかし,私が調べた限りでは,正しくは「2度とカブスは勝利を得ることはないだろう」(The Cubs, they ain't gonna win no more.) と言ったそうなので,もしそのとおりであれば,ワールドシリーズに勝たなければ呪いは解けたことになりません。
  ・・・・・・

 そもそも人の噂なんて,曲折して伝わるのです。
 有名なのは,横井庄一さんと長嶋茂雄さん,そして,有森裕子さんの言葉です。
 太平洋戦争終結から28年後の1972年のこと。残留日本兵としてグアム島にいた横井庄一さんが発見されて日本に帰国しました。帰国の際,羽田空港に出迎えに来た厚生大臣に「何かのお役に立つと思って恥をしのんで帰ってまいりました」と伝え,その後の記者会見では「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」と発言したのが,後世「横井庄一,恥ずかしながら帰って参りました」と伝わりました。
 読売巨人軍の三塁手だった長嶋茂雄さんは,1974年現役を引退するときに,「我が巨人軍は永久に不滅です」と言ったのですが,これが後世「永遠に不滅です」と伝わりました。
 また,有森裕子さんは1996年のアトランタオリンピックの女子マラソンで3位になったとき,直後の取材で「初めて自分で自分を褒めたいと思います」と言ったのですが,それが「自分を褒めてあげたい」と伝わりました。

 では,シカゴ・カブスの歴史を振り返ってみましょう。
  ・・・・・・
 シカゴ・カブスの前身はシカゴ・レッドストッキングスといいました。1871年の発足というのだから日本の明治維新のころで,MLBで最も古い球団のひとつです。1902年に現在のシカゴ・カブスという名前になりました。
 1906年,シーズン最多記録となる116勝をあげてリーグ優勝しましたが,ワールドシリーズはシカゴ・ホワイトソックスと対戦し破れました。続く1907年は107勝をあげて2連覇。ワールドシリーズもデトロイト・タイガースと対戦し勝利し,初のワールドチャンピオンに輝きました。1908年はプレーオフの末にリーグ3連覇。2年連続でタイガースとの対戦となったワールドシリーズも制し,2年連続のワールドチャンピオンに輝きました。
 しかし,現在のところこれが最後のワールドチャンピオンなのです。
  ・・
 1910年はリーグ優勝しましたが,ワールドシリーズはフィラデルフィア・アスレチックスに敗退。1916年に現在のリグレー・フィールドに移転し,1918年リーグ優勝を果たしましたが,ボストン・レッドソックスとのワールドシリーズは敗退しました。
 それからしばらく経って,1929年久々のリーグ優勝を果たしましたが,フィラデルフィア・アスレチックスに敗退しました。1932年はリーグ優勝を果たしましたがワールドシリーズではヤンキースと対戦し4連敗を喫しました。
 1935年にもリーグ優勝を果たすもののワールドシリーズではタイガースに破れ,1938年は首位だったパイレーツを猛追し,シーズン最後の直接対決で2連勝しリーグ優勝を決めましたが,ヤンキースに敗退しました。
 そして問題の1945年。
 リーグ優勝を果たしたのですが,タイガースとのワールドシリーズの第4戦で「ヤギの呪い」の元となった出来事が起こったのです。
  ・・
 その後の長い長い低迷ののち,1984年,ついに久々に地区優勝を果たしました。リーグチャンピオンシップシリーズはサンディエゴ・パドレスと対戦し,第1戦,第2戦と2連勝したのですが,その後2連敗。最終戦は6回まで3対0とリードしていたのですが,7回に1塁を守っていたレオン・ダーラム(Leon "Bull" Durham)が致命的なエラーを犯し逆転負けを喫しました。
 1989年に再び地区優勝を果たし,リーグチャンピオンシップシリーズではジャイアンツと対戦しましたが,リーグ優勝はなりませんでした。1998年はワイルドカードを獲得しプレーオフに進出したのですが,アトランタ・ブレーブスに手も足も出ず3連敗を喫しました。
 そして,再び問題の2003年です。
 この年14年ぶりに地区優勝を果たし,ディビジョンシリーズでブレーブスを下しリーグチャンピオンシップシリーズでフロリダ・マーリンズと対戦しました。第1戦は敗れたものの第2戦から3連勝し悲願のリーグ優勝は目前と思われた第6戦のことです。リードして迎えた8回にファウルボールの捕球をなんとカブスファンであるスティーブ・バートマンに妨害されてアウトがとれず(これを「スティーブ・バートマン事件」(The Steve Bartman Incident)といいます),ここから逆転負けを喫し,第7戦も落としたことでワールドシリーズに進出できませんでした。私はこれをテレビで見ていました。
 なお,この事件後,バートマンが座っていた「セクション4,8列シート113」はリグレー・フィールドの名所のひとつになり,バートマンは仕事も住所も変え公の場には一切姿を現していないということです。
  ・・
 2007年は4年ぶりに地区優勝したのですが,ディビジョンシリーズでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに3連敗し敗退しました。翌2008年はナ・リーグ最高勝率で2年連続の地区優勝。しかし,ディビジョンシリーズではロサンゼルス・ドジャースと対戦し3連敗で敗退しました。
 その後再び低迷が続きました。
 2015年は中部地区3位という成績に終わったものの勝率が高く7年ぶりにポストシーズンに進出しました。ワイルドカードゲームでピッツバーグ・パイレーツを下して地区シリーズに進出すると,セントルイス・カージナルスを相手にリーグ優勝決定シリーズ進出を果たしました。この年は映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」でカブスがワールドシリーズで勝利することになっており,映画の再現かと大いに盛り上がりましたが,ニューヨーク・メッツとの対戦となったリーグチャンピオンシップシリーズで,なんと奇しくも「ヤギの呪い」のヤギと同じ名前をもつ「ダニエル・マーフィー」(Daniel Murphy)に4試合すべてホームランを打たれ,勢いづいたメッツを止められず,またしてもワールドシリーズ出場は果たせなかったのです。
 そして2016年。
 8年ぶりの地区優勝を果たし,サンフランシスコ・ジャイアンツとのディビジョンシリーズに勝利し2連続のリーグ優勝決定シリーズ進出を決めました。そしてロサンゼルス・ドジャースとの顔合わせとなったリーグチャンピオンシップシリーズも制し,71年ぶり17回目のリーグ優勝を果たし,ついにワールドシリーズへの出場を成し遂げたのです。この試合,観客に「ファールボールに手を出すな」という注意がされたとかされなかったとか?
  ・・・・・・

 このように歴史を紐解いてみると,呪いがかけられてからはワールドシリーズにも出場できなくなったわけで,もし,この呪いがワールドシリーズ制覇ができないということなら,呪いは1918年にかけられていなくてはなりませんから,私は,出場できただけで呪いが解けたという考えもあながち間違いとはいえないのかなあ,と思うようにもなりました。いずれにしても,ワールドシリーズでカブスが勝てば何の問題もないのですが,もし勝てなかったときに,今年で呪いが解けたのかあるいはまだ解けていないのか,今後も跡を引きそうな…。まあ,どっちでもいい話ではありますが。
 これでは結論が出ないので,アメリカのニュースも調べてみました。そこには「drought」という表現はでてきますが,「呪いが解けた」といって騒いではいないようです。「drought=干ばつ」というのは長い間ワールドシリーズで優勝していないといった意味で,この第1位がシカゴ・カブスの107年,第2位がクリーブランド・インディアンズの67年なのです。 
 2004年に「バンビーノの呪い」の解けたボストン・レッドソックスは85年間,2005年に「ブラックソックスの呪い」の解けたシカゴ・ホワイトソックスは87年間の「drought」でした。つまり,日本と違って,アメリカではどうやら長い間「drought」であるのは「呪い」のせいだといっているようなのです。だから,ワールドシリーズに勝利しなければ呪いは解けていないというのが正解,というのが私の結論です。
 今年のワールドシリーズは,くしくもシカゴ・カブスとインディアンズの対戦。
 クリーブランド・インディアンズは映画「メジャーリーグ」で弱小球団としてあまりにも有名ですが,このチームがワールドシリーズに最後に勝利したのは1948年のこと。つまり,今年は「1908年以来108年ぶり」対「1948年以来68年ぶり」の最長「drought」対決なのです。

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「ヤギの呪い」は解けるのか-2015MLBポストシーズン
「ヤギの呪い」は解けなかった。-2015MLB佳境②


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 昨年のポストシーズンは日本人プレイヤーの出場がなくさびしい幕切れになりましたが,今年は多くのプレイヤーが所属するチームがポストシーズンに進出したので,より楽しみな10月になりました。
 それにしても,人生には運不運があって,たとえばイチロー選手はあれだけの実績がありながらほとんどポストシーズンの経験がありません。弱小マリナーズにずっと在籍していたのもその原因ですが,もう数年早くヤンキースにトレードされていれば思いが遂げられたの残念なことです。というよりも,ヤンキースが斜陽になったのでそのメンバーになれたのかもしれません。

 その反対に,在籍するチームがいつも優勝するという幸運に恵まれた選手もいます。
 田口壮選手もそのひとりです。
 田口選手は2002年にセントルイス・カージナルスと3年契約をして入団しました。
 入団した年はメジャーリーグとマイナーリーグを行ったりきたりをしてわずか19試合の出場でした。翌2003年は43試合の出場でしたが得点圏打率.357を残しました。次第に力をつけて,2004年は開幕からメジャーリーグに定着。109試合に出場して,打率.291,得点圏打率.341を記録しました。ワールドシリーズにも進出を果たし,第1戦で先発出場しましたがレッドソックスに敗退。残念ながらチャンピオンリングを獲得することはできませんでした。
 2005年は143試合に出場,打率.288,8本塁打,53打点,11盗塁を残し,得点圏打率.407を記録しました。
 2006年はプレストン・ウィルソンの加入以降は控え外野手となりましたが,134試合に出場。ポストシーズンにも進出し,デトロイト・タイガースとのワールドシリーズでは第5戦で8番レフトで先発出場し,勝利を収め世界一が決まった瞬間フィールドに立っていた初の日本人選手となりました。
 2007年は打率.290,代打打率.406を記録しカージナルスを後にしました。
 2008年はフィラデルフィア・フィリーズと契約しました。代走や守備固めでの出場が多くなってしまったのですが,チームはワールドシリーズに進出して28年ぶりのワールドチャンピオンに輝きました。
 だから,田口選手はチャンピオンリングを2個も持っているのです。

 以前,このブログに,現在ヤンキースに所属する田中将大投手がMLBと契約するときに,私はドジャースに入ったほうがいいと書きましたが,彼は斜陽のヤンキースに入団してしまったためにポストシーズンを経験することができずにいます。その一方で,前田健太投手は全盛期を迎えているドジャースに入団したために,入団1年目からポストシーズンに出場します。
 ベースボールもひとりでするものでないから,いくら実力があってもひとりでは限度があります。だから,チームの力とそのプレイヤーの力の相乗効果が最も発揮できるのが理想ですが,そこにも運不運があるのが,また,これも実社会と同じです。しかし,不思議なことに,何かを「モッている」強運の人というのはどこにもいるものです。

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