名古屋でマニラ行きに乗り換えることができるので,名古屋便の搭乗口は,多くのフィルピン人がいた。日本人はほとんどいなかった。
やがて,やっと搭乗の時間になって,飛行機は3時間以上遅れて,デトロイトを出発した。
フィルピン人で溢れかえる機内は,少しの空席があって,幸い空席のとなりの席を手に入れた人は,2つの座席を独占して倒れるように眠っていた。私の隣の席も空いていたが,そういうすることをなさけないと思った。
機内には,もう,「Hi!」といって気さくに話しかけるアメリカの香りはどこにもなかった。客室乗務員も,アメリカの国内便のような気さくさや明るさはこれっぽっちもなかった。みんなが不機嫌そうだった。
これからの13時間を越す退屈なだけのフライトが憂鬱だったので,空いた隣のその向こうに座ったフィリピン人の老夫婦が何か語りかけたけれども,返事をしなかった。空いた席を使いたいということだった。私は,勝手にしろ,と心の中でつぶやいた。
やがて,機内にいるのがさんざんいやになったころ,夏の熱気でむせかえる中部国際空港に到着した。夜9時だった。マニラ乗換え便は夜12時発なのだそうだ。
まだ,せめて日本に生まれたのは幸運なことだったかもしれないな,と思った。
バゲッジクレイムにはデトロイトからの到着便の荷物を待つ人は少なく,隣の香港,その隣の韓国からの帰国便は,お土産を一杯抱えた家族連れで,ごった返していた。
空港からの名鉄特急の指定席は満員だった。隣に乗り合わせた,私と歳の近い女性は,韓国からの観光旅行の帰りだった。韓国に行って,日本が韓国でした歴史を嘆かわしいと感じたと話した。とても気が合って,楽しく話をしていたら,あっという間に,名古屋に着いた。
また,ひとつの夢が実現した。そして,またひとつ,夢を失った。今度は,どんな夢を実現しようか?
・・・・・・
自己を高めてくれるものはあくまでも能動的な愛だけである。たとえそれが完璧な片思いであろうとも。
北杜夫「どくとるマンボウ青春記」より
・・・・・・
カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > ミネソタ州
2012アメリカ旅行記-帰国②
やがて,フライトの時間になって,時間通り,ミネアポリスからデトロイトへ向かった。
この旅行では,はじめのうちは,座席がいつも1番前だったのに,ビスマルクのときと,今回は,1番後ろの座席になった。機内サービスのソフトドリンクが来る頃には,もう,着陸態勢に入っていた。アップルジュースを頼むと,グッドアイデアねと言われて -残っている飲み物の種類が限られていたのだろう- 缶からジュースを注いだ残りの入った缶も全て渡された。
デトロイトの空港には「空」という名の寿司屋があって,アメリカ人が上手に箸で寿司を食べていた。
今回の旅行の最後のフライトは出発が3時間遅れなので,20ドルのミールクーポンをくれた。それでマクドナルドへ行って,ハンバーガーをテイクアウトした。以前,このマクドナルドで,セットだったのに,英語が聞き取れずもうひとつサラダを頼んで,2つ抱えて困ったことを思い出した。あれはもう10年も昔のことだ。
さして広くないデトロイトの空港で,本を読んだり音楽を聴いたりして,怠惰に時間を過ごした。時折,日本語の放送「こちらデトロイトはアメリカ東部標準時です。時間をお確かめください」が聞こえる。
この旅では,シアトル,ソルトレイクシティ,ラピッドシティ,ビスマルク,ミネアポリス,デトロイトと,いろいろな空港に降り立った。時差も4回変わった。
この旅は,ノースダコタ州に行こうという動機からはじまったが,結果的に,アメリカを横断することになった。ノースダコタ州はそれほどまでに遠かった。そして,想像した以上にすばらしいところだった。
デトロイトの空港にも日本人はほとんどいなくて,東京便の搭乗口には中国人があふれていた。
名古屋便の表示を見たとき,ああ,帰国するんだなあ,と思った。今回の旅は終わりなんだなあ,と思った。
2012アメリカ旅行記-帰国①
☆9日目 7月29日(日)
いよいよ,帰国である。
きょうは雨。これまで,1日目にラピッドシティに着いたときだけ雨。旅行中は,夕立でこそあったけれど,いつも晴れていた。国立公園に行ったときは,ほとんど快晴で,暑いくらいだった。
この地域は,1日中雨ということはないという話だったけれども,もし,この旅行中,雨天だったら,印象はまったくちがったものだったろう。その意味でも,非常に幸運だった。
早朝,ホテルのロビーに下りてみたけれど,まだ,パンが届いていなかったので,何も買わず,空港で朝食をとることにして,部屋でコーヒーだけを飲んだ。
少し早めにホテルをチェックアウトして ―結局,追加料金なんて1ドルも要らなかった― 傘をさして,電車の駅に向かった。早朝のトラムの駅は,食べかけの食料が散在していて不愉快だった。反対側のホームに,女性がひとり,ターゲット・フィールド行きのトラムを,ぼーっと待っているように見えた。やがてトラムが来たのに,彼女はそれに乗るでもなく,まだ,ホームにいた。
空港経由のモール・オブ・アメリカ行きは,前のトラムが出たばかりだったので,かなりの時間待つ必要があった。やがて,次のトラムがきた。
空港へ向かう車窓からの景色は,自宅から空港へ向かうときの日本の景色とさほど変わらなかったように感じた。やがて雨はあがり,今日もミネアポリスには真っ青な空が広がっていた。
今回の旅で,自分にとって,アメリカも特別な存在でなくなってしまった。少しさびしい気持ちだった。
やがて,トラムはミネアポリスの空港に着いた。
デルタ空港のカウンタに着いて自動チェックインをすると,ミネアポリス-デトロイト便は予定通りだが,デトロイトからのフライトが3時間遅れという表示があって,いやになった。
荷物を預けようと係の女性と英語で話をしていたら,途中で,彼女は,日本の方ですが?と言って,お互い日本語になった。めったに日本語で話ができないのでうれしいということだった。だれも何を言っているかわかりませんから,と言って,雑談になった。アメリカで仕事をしている日本人もアメリカにいるとこちらの文化に同化して,明るく気さくになる。仕事なんて,こういうふうにすればいい,と思う。アメリカでは,組織の中で自分に任された仕事をこなすのに,つねに上司にお伺いを立てたり報告をしたりする必要はなく,自分の責任で決断してやればいいのだそうだ。失敗したときはきびしいけれど,それは仕事だから当然だ。
ノースダコタに行ってきたんですよ,と言ったら,彼女は,ノースダコタがどういうところか知らないと言ったので,ここに住んでいるのなら,空路ビスマルクまで行って,そこからドライブしてメドナに行けば,3日は十分に楽しめますよ,なにせ,アジア人の団体客がいないから最高ですよ,といった話をした。現地在住の,しかも,ノースダコタ州の隣のミネソタ州に住んでいる人にすら,ノースダコタ州は馴染みのない場所なのだろうか。であればなおさら,今回行った価値があると思った。
荷物を預け,ミネアポリスの空港で,さしておいしくもないサンドイッチの朝食をとった。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス⑪
場所も場所だけに,帰りが心配だったので,7thイニングストレッチまでで,スタンドを後にしたが,バス停では,30分くらいバスを待たなくてはならなかった。
バス停は,えらく太った黒人の女性が3人,座り込んで,なにやら,どこかしこに電話をしたり,あるいはタバコをふかしたりながら,また,あるいは悪態をつきながら,同じバスを待っていた。
雨が降ってきて,彼女たちがずぶぬれになったころ,84番の満員のバスがやってきた。ところが,数分先のユニーバシテイアベニューでバスを降りるときには,雨もすっかり上がっていて,私と同じようにバスを降りた彼女たちのうちの一人が私に向かって,あの雨はなんだったの!と言って笑った。
それほど待つこともなくやってきた16番に乗りついだ。バスの中は,中国人の若く美しい女性やら,ウェストがその女性の4倍はある黒人のおばちゃんやら,大学生やら,多国籍文化で華やいでいた。
夜11時頃,無事,ホテルに帰着した。
最後の1日もとても楽しかった。ツインシティは公共交通を使えば十分に楽しめることがよくわかった。
この旅の最後の頃は,観光客というよりも,そこに住んでいるようだった。そして,東京で遊んでいるような気がした。アメリカも,公共交通が発達していれば,大都市の観光は,東京を観光するのとさして変わらない。
それにしても,この国の人は,コーヒーを一杯飲むときや,食事をするとき,音楽を聴くとき,そして,ミュージカルや野球を見ているとき。どうして,みんなあれほど幸せそうに,心から人生を楽しめるのだろうか。
いよいよあすは帰国をする日だ。荷造りをしながら,寝坊しないようにしなくては,と思った。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス⑩
極めつけは,あるイニングの合間に,セイゴ・マスブチという真っ黒に日焼けした日本人が,「リアル・ジャパニーズ・ガイ・ウィズ・カラオケ」とかいって,スタンドの上方で王冠をかぶったカップルを従えて歌を歌ったことだった。
となりの女性に,彼は有名なのかと聞いたら,ここだけで有名だと言っていた。
彼が歌を歌い終わって私の横の通路を降りてきたとき,「アイム・リアル・ジャパニーズ・ガイ・トゥー」と言って,握手を求めたら,彼は変な顔をして,握手をした。
親に内緒でいたずらをしていた子供が親に見つかったときの顔だった。
スコアボードの時計は,これもわけのわからないことに,ずっと12時だった。
レフトのスタンドの向こうには貨物列車が走り,ときおり,長い長い貨物列車をつないだ機関車が警笛を鳴らしながら近づくたびに,ゲームの邪魔をして,場内の放送が,わけもなく「トレイン」と言った。
・・
ここは,ベースボールというよりも,大衆演劇というほうがふさわしいところであった。あるいは,浅草の花やしきであった。
最高だった。
私は,この日のバカバカしいこのゲームのことを一生忘れないであろう。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス⑨
クルーズが終わり,再びミシシッピー川を越え,ダウンタウンに戻って,16番のバスを待った。
バスはちょうど出たところだったが,すぐに次のバスが来た。
早朝に予習したように,スネーリングストリートまで行って,そこで84番に乗り換えて,セントポールセインツの試合のあるミッドウェイスタジアムに向かった。
午後5時,ミッドウェイスタジアムに到着した。
朝とは違って,ものすごい人だった。野球場のまわりはバーベキューの会場で,当日まで知らなかったのだが,ここは,夕食が無料であった。つまり,入場料が12ドルだったが,これは,食事付きなのであった。
ここでも,フォークとナイフだけをもらって,好きな食べ物や飲み物を思い思いに取って,適当に座って,食事を取る。家族連れやらグループやらみんな楽しんでいた。
少し行ったとこにある駐車場では,いたるところで,バーベキューパーティをやっていた。また,駐車場の端には,新車やら他のいろいろなものの展示会もあったり,さらには,ボールすくいやら,輪投げやらもあったり。
ここは,日本でいう夏祭りの夜店ではないか。
10年くらい前に,NHKで放送した「わたしをボールパークに連れてって」という番組で,ここが取り上げられていて,どのメジャーリーグの試合よりずっと面白いといっていたので,わざわざ来てみたのだが,それはこういうことだったのだ。
ダウンタウンにあるターゲット・フィールドが水道橋の東京ドームだとしたら,ここは,北千住の夏祭りか。
夜6時開場。
野球場は,日本の田舎球場とさして変わらないが,外野のフェンスが広告の看板であるのとグランドが美しい全面芝であるのが,アメリカである。
日本のそれがコンクリートの塊なら,こちらはテーマパークである。
しかしぼろい。
予算がないのがよくわかる。でも,さして収容人数の多くない客席は,満員であった。
ここの球団から大リーグに昇格した夢をかなえた選手の銅版がいくつか野球場の壁に埋め込まれてあった。
一番面白かったのは,ファールグランドにも急ごしらえで作られたスタンドがあったことであった。グランド内でも直に野球がみられるのだ。
そして,内野の後方の座席もまた,バーベキュー会場だった。
客席には,マドンナとかいう名前のピンクのかぶりもののマスコット ―いわゆるゆるキャラ― やら,2匹の名物ブタやら,ガート・ザ・フォロートとかいう名前の,やたらと厚化粧のよくわからんおばさんやらがスタンドを闊歩し,試合は,イニングの終了ごとに,観客から数人がグランドに降りて,毎回異なるなにやらわけのわからない競争をした。そして,出場者の家族がスタンドを一番前まで降りてきて,ゲームそっちのけで応援した。
それはまさに町内会の運動会であった。
2012アメリカ旅行記-ミネアポリス・番外編②
アメリカの国技と呼ばれるベースボールは,下部組織がしっかりしていて,日本の国技である大相撲の序ノ口,序二段,三段目,幕下,十両,幕内のように,様々なランクがある。
下はルーキー・リーグから始まり,A,AA,AAA,そして,メジャーリーグである。
アメリカを旅行して楽しいのは,メジャーリーグではなく,こうしたマイナーリーグ観戦があげられる。
日本のいわゆる2軍とは違って,独立採算性であるので,きわめてファンサービスがよく,観客動員にも力をいれている。
試合中に様々な出し物があったり,スタンドにも,床屋さんあり,プールあり,バーベキューコーナーあり,といった具合である。
案内所に出向いて,日本からわざわざ見に来たとかいうと,お土産をくれたりもする。
きわめて低コストで運営されているので,審判は2人,スタンドも,チケット売り場のおじさんがお土産屋さんになったりと大忙しである。
さらに,こうした大リーグ機構とは別に,独立リーグというものもある。
選手は,大リーグ機構でドラフトにかからなかったり,引退したりした選手が多い。
この「セントポール・セインツ」は独立リーグのひとつである「アメリカン・アソシエイツ」に属する強豪?チームである。
日本人や女性もプレイしたことがある。また,指折りの観客動員数を誇っている。
アトラクションに動物を起用した元祖として知られ,球団のマスコットは「マドンナ」である。
確かに,メジャーリーグを見に行くよりも,非常に安価であり,サービス満点であり,子供連れなら,日本でお祭りに出かけるような,あるいは,町内会の運動会のノリで見に行くことができる。
私を案内してくれたおじさんは,私が,このチームを日本のテレビ番組で知って見に来たといったら,ものすごく親切だったし,気を使ってくれた。
スタンドでは,イニングごとに行われるゲームに出場する家族を応援する人たちでごった返し,地元のFM局の放送もある。きわめて座席が少ないために,身近に選手やマスコットに接することができるし,お客さんも「隣のおばちゃん」みたいな人ばかりなので,すぐに,仲よくなれたりもする。
名所・旧跡を訪れるのもよいけれど,あるいは,大リーグを見に行くのもよいけれど,普段着のアメリカを見たければ,訪れた都市のマイナーリーグや独立リーグを観戦することを,ぜひ,お勧めしたい。
日本の野球も,2軍の試合は,子どもたちを無料で招待して,選手と触れ合う機会をたくさん作り,お祭りのように屋台やら夜店やらを加えれば,もっと,ファンが増えると思うのだけれど,2軍は修行の場とかいう,日本的な考えがあるので,受け入れられないであろう。
残念なことである。
2012アメリカ旅行記-ミネアポリス・番外編①
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ミネアポリスはとても素敵な都会だった。
日本からは直行便があるし,公共交通も完備されているから,東京を歩いているように,過ごせると思う。治安もいいし,初めて一人旅をする人にお勧めの都会だ。アメリカまで来たという感慨すらないかもしれなほど身近なところだ。でも,冬の寒さはたいへんらしい。
これまでに書いてきたいくつかの事柄について,載せることができななった写真を,今日は「番外編」として紹介することにしよう。
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初めに,ミネソタ州議事堂の上院と下院,そして,裁判所。
ミネソタ州の州都はツインシティとよばれるミネアポリスとセントポールのうち,セントポールにある。州議事堂は威厳のある建物で,自由に見学ができる。そして,ガイド付きの見学ツアーがある。日本語のパンフレットもある。親切な受付で「パンフレットないですか?」と言ったら,日本語もあるよ。って言われた。
こういった建物を訪れると,その美しさに目を奪われる。
日本でも,明治時代の建物には,京都府庁をはじめ,威厳を感じさせるものもあるけれど,昭和後期以降に建てられたほとんどのものは,観光で訪れるといった魅力がないのが残念である。
日本人は,生きることに思想や誇りがない。
なんの目的もないのに,我慢することだけが美徳だ。
州議事堂の建物の中には,州知事の部屋や,この写真のような上院・下院,そして,裁判所がある。
これは,ノースダコタ州議事堂も同様であった。
ミネアポリスは,スヌーピー,いや,漫画「ピーナッツ」の作者,チャールズ・モンロー・シュルツの出身地である。
チャールズ・モンロー・シュルツは貧しいドイツ系移民で理髪師だった父カールと,ノルウェー系の移民だった母ディナの一人息子として1922年11月26日,ミネアポリスに生まれ,セントポールで育った。生まれてまもなくつけられた愛称はスパーキー。漫画に出てくる馬の名前スパーク・プラグから取った名前だった。今でもスパーキーと呼ばれているシュルツは,漫画にちなんだ愛称と共に,まさに一生を漫画に捧げている。
スヌーピーは,シュルツが1950年から書き始めたもので,ミネアポリスには,写真のような,スヌーピーのモニュメントがたくさんある。
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私が漫画家になるべく生まれて来たことは、なかなかみんなには理解してもらえません。本当に幼い頃から、私の夢は、新聞に連載漫画を毎日描くことだったのです。
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お昼に食べたペーグルは写真のもので,「ここの店には,アイス(ド)コーヒーもあり,すしバーガーもあった。すしバーガーに挑戦しようと思ったが,アボガドの入ったすしを食べる勇気がなかった。」と書いた。
しかし,今,写真を見てみると,どうやらすしにアボガドが入ったものでもないみたいで,やはり,これは注文すべきだったようだ。そうすれば,どんなものかよくわかっただろうに。
アメリカで「アイスコーヒー」というのも興味がある。
以前,ニューヨークのハーレムのレストランで,こぶしの大きさくらいのフライドチキンと一緒にアイスコーヒーを試しに頼んでみたら,そんなものないが,作り方を教えてくれればサービスする,と言われたのを思いだした。
旅に出たら,躊躇しないで,どんどんと興味のあるものは挑戦しなくちゃいけないなあと改めて思う。
ミシシッピ川クルーズの船着き場にいた足長おじさんの写真も写した。隣のおじさんは単なる観光客のおじさんであって,腹出たおじさんではない。まあ,いずれにしても,どんな状況でも,楽しみを見つけるあたりが素敵なところだ。
ミシシッピ川は,ミネアポリスからアイオワ州,セントルイスを通り,最後にニューオリンズまで流れていくのだが,それぞれの場所で,まったく異なる印象があるのが,不思議でもあり,魅力でもある。これまでそうした景色を多く見てきたが,そのどの場所にも素敵な思い出がある。
ミネアポリスのミシシッピ川には底しれぬ明るさを感じる。行ったときの天候によるものかもしれないが…。
この川のセントアンソニー滝は,滝の勾配はあまりないが川幅が広いので,それを堰き止め,粉引き用のタービンを回すのに利用することで多くの製粉工場が作られた。そして,ミネアポリスは小麦粉の一大生産地となった。
アイオワ州で見たミシシッピ川は,何かしら,丘の上から底深く流れる大河のように感じたという印象がある。
セントルイスは,ミシシッピ川の東側がいわゆる「イーストセントルイス」といって治安のよくないといわれているところでもあり,対岸に渡ってはいけないような,そんな印象がある。ここは,南北戦争のときの奴隷開放の要所であって,そうしたことを取り扱った博物館もあり,もっとしっかりアメリカ史を研究してもう一度訪れてみたいところだ。ここでも,ミシシッピー川クルーズがあったが,時間がなく,利用できなかったのが残念だった。この川にもいろいろな歴史があるのだろう。
そして,ニューオリンズ。このアメリカらしくない魅力にあふれた都会のことについては,すでに書いた。とにかく,ミシシッピ川の似合う都会だ。
なかでも,いずれ紹介することもあると思う「ハンニバル」というトムソーヤの故郷から眺めたミシシッピー川が印象的だった。川に沿って,古びた鉄道の線路があって,それが,なにかしら子供のころのなにかの思い出と結びついていくところだった。
このように,旅をするというのは,その土地の空気を味わい,その土地の食べ物を食べ,その土地の人と接することだ。そして,そうした思い出は,月日が過ぎれは過ぎるほど,どんどんと美化され,自分の宝物になっていく。
すばらしいことだ。
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なにか身近かで,親しみやすい近代都市ミネアポリス…。
ミシシッピ川クルーズを堪能した後は,朝予習をしたように,セントポールからバスに乗って,独立リーグ「セントポール・セインツ」の野球観戦に出かける。
抱腹絶倒,この場末の野球チームとは?
大リーグとはまた一味違ったアメリカの「ナショナルパスタイム(国民の娯楽)」の魅力とは?
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス⑧
しかし,橋をわたってたどり着いたのは,ミシシッピ川クルーズの乗り場でななく,ショーボートの乗り場だった。
そこにいた人に,この船はクルーズするのかと聞くと,これは停泊しているだけだ,というではないか。ではクルーズはどこから乗るのかというと「それはいい質問ねえ」とかいいながら,思案げにどこだろうかと彼女の友達に聞いている。憎めない人たちだ。
結局わかったことは,ショーボートの乗り場のはるか100メートルくらい先にクルーズの乗り場があるということだった。
ちょうど時間は午後1時少し前だったので,ちょうどキリがいいところで,午後1時発の船があったとしたら間に合うかな? と思って走って乗り場に向かうと,まさに,ちょうど,船が出るところだった。
乗り場のチケット売り場で急いで聞いてみると,この船は団体専用で,次の一般用の船は午後2時発だという。そして,クルーズの所要時間は1時間30分だということだった。
クルーズをするにはちょうどいい時間だったので,チケットを購入して,船が出るまでの1時間,のんびりとミシシッピ川とその向こうに広がるセントポールのダウンタウンを眺めていた。
気温はかなり高かったが,日陰は涼しくて,とても気持ちがよかった。
時間が近づいたので乗船のために並んでいると,足長おじさんが歩いてきて,船を待つ人たちを楽しませていた。
やがて,乗船。
観光船は,ミシシッピ川を下って行く。
クルーズは,幸い屋外の先頭の座席が1席だけ空いていたので,そこに座って1時間30分のクルーズを楽しむことができた。
船は,まず,ミシシッピ川を1時間ほど南に下り,そこでターンして少し速度を早めて戻るというコースだった。
川岸には,昔の鉄道の跡だとか,いろいろな施設や昔はさぞかし栄えたところだろうと思われる様々な遺構などがあって,ミシシッピ川の歴史がしのばれた。
きっと,ものすごく多くの,それぞれの重い重い人生が,この川の流れの底に横たわっているのであろう。
クルーズは感慨深いものがあり,素敵だったが,いろいろな国籍の人が乗っていて,その中にはかなりマナーの悪い人もいたのは不快であった。いつも,クルーズというのはそういうものであるのが残念なところだ。
まあ,観光地というのは,概して,そういうものだ。
だから,お年寄りの観光客が少ししかいないノースダコタ州は,素敵なところだったなあ,と今にして思い出すのであった。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス⑦
公共交通で観光をするのは結構大変なものだが,こうした偶然もあるし,普通に暮らしている人の姿を見ることができるから面白い。
この時は,乗るバスを間違えたと思ったのに,幸運にも,セントポール大聖堂に着いてしまったわけだ。
朝9時であった。
大聖堂はちょうど結婚式の準備で,花嫁さんが写真をとっていたり,華やいだ雰囲気だった。
こちらの教会ではよく結婚式に出会う。
大聖堂をぐるりと一周して,次に歴史博物館,ミネソタ州議事堂とめぐることにした。
歴史博物館はたいしたことはなかった。ミネソタ州議会議事堂は,土曜日で閑散としていたが,案内所は開いていて,上院と下院の議事堂,そして,最高裁判所の中にも入ることもできた。
その後,セントポールのダウンタウンに向かって歩いて行った。
ダウンタウンは,ミネアポリスから接続されるトラムの工事中で道が閉鎖されたりしていて,歩きにくかった。
それに,ダウンタウンも土曜日で,閑散としていた。
ミネアポリスに比べて,セントポールは観光地というよりもビジネス街と官公庁街であった。
ダウンタウンに「ブルーガーズ・ベーグルズ」という店が開いていたので,ここで昼食をとった。
ベーグルとお好みの肉や野菜をサンドしたもの,スープ,そしてコーラの3品で,トリオという名のセットだった。
ここの店には,アイス(ド)コーヒーもやすしバーガーもあった。
すしバーガーに挑戦しようと思ったが,アボガドの入ったすしを食べる勇気がなかったのでやめた。
昼食後,これからどうしようかと考えた。
科学博物館があるということだったが,まあ,他の都市にもあるのとそう違いがないであろうと思った。そこで,ミシシッピー川クルーズに乗ることにした。
そういえば,ミシシッピー川は,これまで,セントルイスやニューオリンズへ行ったときに何度も見たけれど ―アメリカにあこがれていた若き頃に,ミシシッピ川を一度見ることが夢だった― クルーズはまだやったことがなかった。ダウンタウンの坂を下ると,偶然,そこは,ミシシッピ川の川岸であった。ワバシャストリートに橋がかかっていて,その橋をわたった向こうに船がいた。
どうやら,そこがクルーズの乗り場らしい。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス⑥
16番のバスに乗った。
外を眺めるが,はじめのうちは,どこを走っているのかさっぱりわからなかった。運転手は,次に止まるバス停を放送しているのだが,発音が聞き取りづらい。
必死に小冊子や地図とにらめっこをしていたら,距離感や今どこを走っているか,そして,運転手の発音が,だんだんと明確になってきた。
乗車して20分ぐらいすぎたころだろうか,ミネアポリスとセントポールの中間あたりになって,進行方向の右側に大きなモール街が広がった新興住宅地のような一角にたどりついたころ,スネーリングストリートという放送があったので,降りることにした。
セントポールセインツのミッドウェイスタジアムはスネーリングストリートとコモ公園のところにある。
このバス停で,84番バスに乗りかえて北に5分行けば,目的地に着くということがわかったのは,しかし,のちのこと,しかも,16番の一緒に降りた大学生らしき人物が,その時ちょうど止まっていた84番の北行きのバスに飛び乗ったとき,一緒に乗ればよかったのに,そうしなかったのは,そのときは,バスに乗らなくても,北に少し歩けばコモ公園に着くだろうという間違った認識があったからだった。
結局,スネーリングストリートを北に20分くらい歩いても,コモ公園に着かないので,ついに力尽きて,たどり着いたスネーリングストリート沿いのハムライン大学で84番のバスを待っていた学生がいたので,一緒にバスを待った。
やがてバスが来たので乗ったら,すぐに窓から,東のほうに小さな野球場が見えた。
次のバス停が目的地だった。
ちなみに,バスには自転車も乗せられる。
ここだと思って,バスをおりて,その方向だと思われる道を歩く。しかし,歩けども歩けど目的地に着かない。東西に鉄道の線路が走っていて,その南側に球場があって,歩いていた道は線路の北側なのであった。線路には踏み切りなどというものはなくて,線路を隔てた向こうの野球場に行くことができないのだ。
結局,バスを降りたところまで引き返して,今度は,線路の南側の道を10分くらい歩いていくと,ようやくセントポールセインツの野球場にたどりついた。非常にひなびた,しかも,古い,場末の野球場だった。
朝早いのにもかかわらず,すでに,野球場の外ではバーベキューの準備をしていた。
野球場の場所を確認して,バス停まで引き返し,84番でユニバーシティアベニューまで南に行って,16番のバスを待つ。そこに来たのが,セントポール行きの21番のバスだったので乗りこんだ。
しかし,一緒に待っていた人たちは他に誰も乗り込まなかった。
このバスは,やがて,ユニバーシティストリートを南に離れ,セントポールの住宅地に入っていってしまった。一瞬あせった。このバスは,セントポールへ行くのに,迂回をするようだ。まあ,ともかくセントポール行きだから最後には目的地に着くからとのんびりと構えていると,バスはやがて,セントポール大聖堂へ着いた。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス⑤
☆8日目 7月28日(土)
朝起きて,ホテルのロビーへ降りる。このホテルはロビーにフードコーナーがあって,朝食をいろいろと売っている。甘いパンを食べたくなったので,砂糖をまぶしたパンとフルーツジュースを購入して部屋にもどる。部屋でコーヒーを沸かして,いっぱしの朝食が完成する。
きょうは,セントポールへ出かけ,帰りに,独立リーグ,セントポールセインツの試合を見る。チケットはすでにインターネットで購入済みである。
大問題なのは,セントポールセインツの野球場へどうやって行くか,どうやってホテルまで帰るか,ということであった。バスの路線がよくわからない。車社会のアメリカでは,公共交通を使うときの情報を見つけるのがむずかしい。
ベッドの上にいろんな資料を広げて検討するが,どの地図も,どこかが便利だとどこかが不便で,どれを持っていけば何とかなるか -結局「Where」という地図が一番役に立った- がわからない。
セントポールセインツのボールパークへは,最寄りのバス停はスネーリングストリートとコモだとホームページにあった。バスは5番が84番だというが,このバスにどこで乗ればいいのかよくわからない。はたして,今晩,ちゃんとホテルに帰ってこられるのだろうか? それに,5番にも5Aやら5Bやら,84番にも84Aやら84F やら最終地点が変わるものがあるみたいだ。
とりあえず,なんとかなりそうなものを一式,ナップザックに詰め込んで,出発した。
調べてみると,公共交通を利用するには,6ドルで1日乗り放題券を入手するといいことがわかった。その券は,トラムの乗り場で買えるということなので,まずはメトロドームのトリムの駅まで出かけて購入した。そのとき,ホテルの部屋をちゃんと閉めてあったか不安になって,めんどうだったけれど,一度ホテルに引き返した。
部屋を確認して,再び,出発する。ホテルの前の道の一本南の道をセントポール行きのバスが通っていることは確認してあったので,そこでバスを待つ。
「地球の歩き方」によれば,95番のバスがフリーウェイ経由ではやくセントポールに着くということだったので,それを待つが,来たのは16番のバスだった。
あの本は便利だが,肝心ことがよくわからないことがある。たとえば,ダウンタウン行きといっても,ダウンタウンは広く,バスはダウンタウンのどこまで行くかなど。
そういえば,この本には,決定的に致命的な欠点がある。それは,この本がものすごく重たいということだ。旅で持つ本は,できるだけ軽いものでなければならない。改定するごとに,紙質がよくなって,どんどんと重たくなっていく。この本は,旅行をするためのものから,旅行ができない人が旅行したつもりになるために読むグラビア本に変わってしまったのか。
出版社の人は,この本を持って,旅行したことがあるのだろうか?
実際に旅行をしたときに必要な情報や本の形状や重さはどういうものかを,いくら内容が多くなろうと,もっと旅行者の気持ちになって考えるべきだと,私は,1980年版の軽い本を手元に置きながら,思うのである。
・・
まだ,朝の7時すぎだ。のんびりと景色をながめながらセントポールへ着けばいいと思って,その16番のバスに乗り込んだ。乗車券は運転手のところにある機械を通せばいいのだが,はじめは,それもどうすればわからない。まあ,こんなことは1回聞けばいいだけのことだけれども。
次第次第にわかってきたことは次のことであった。ミネアポリスとセントポールは,ユニバーシティアベニューという道でつながっているということ。現在,その道に沿って,トラムを走らせる工事をしているので,まもなくトラムでつがって,ものすごく便利になるということ。バスは,どこもおよそ昼間は15分,夜は30分くらいの間隔で走っていて,最終のバスは深夜の0時近くまであるので,とても便利だということ。
バスの中に,経路と時刻表の書かれた小冊子があった。結局,この小冊子がとても役に立った。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス④
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試合は,いつものように国歌から始まり,インディアンズを相手に,点を重ね,ファインプレイが続出して,異常な盛り上がりを見せていた。
他の球場なら,比較的どの席も自由に出入りできるのだが,ここは係員がしっかりしていてガードが固い。
試合自体にはそれほど興味もなかったので、最上段の席に登って景色を見ていた。客席から見えるミネアポリスの夜景がきれいだった。
7thイニングストレッチが終わったので,帰ることにした。
外に出て,照明の輝く美しい球場を外から眺め,少し歩いて,ダウンタウンの駅からトラムに乗り,ホテルに帰った。トラムの乗り場からは,ツインズの勝利を祝福する花火がいつまでも上がっていた。
ところで、部屋にある電話の利用案内に,市内通話「complimentary」とあった。無料ということか。「free」なら誰でもわかる。「complimentary」では,日本の高校生はなんのことかわからないだろう。
こうしてアメリカを旅行していると,知っている,あるいは使っている英語が日本の学校で学んだものとまったく違うことを痛感する。
たとえば,バスに乗ったときに運転手が発する停留所の名前,アクセント重視のこの発音はカタカナ英語ではまったく聞き取れない。
野球場で私の隣にいたアメリカ人が家族と話していた言葉は,「Beer Down Over There Left.」。こういう会話で十分通じているじゃあないか。
とにかく,だれでも目があえば,また,バスに乗れば運転手に「Hi!」と言い,そして,別れるときは「Thank you!」という。人に触れてしまえば,「Excuse me.」と言う。外に出ると他人にいつも無言の日本人は,これが自然にできないので,アメリカで,気難しく思われる。時には,おかしな状況さえ生まれかねないだろう。
むずかしい英語の単語を覚える以前に,こうしたあいさつが自然にできなければ,ストレスフリーなアメリカ旅行は決してできないと思うのである。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス③
結局,この日は,ワインズマン美術館に行くのを断念して,ダウンタウンに向かったが,ミネアポリス美術館も徒歩では遠く,それも断念した。
そこで,なんとかミネアポリス名物の「スプーンブリッジ・アンド・チェリー」と呼ばれる彫刻のオブジェくらいは見なくてはならないと思いつき,とにかく,それがある彫刻庭園へ行って,そのあとに,ターゲットフィールドにMLBを見に行くことにした。
アメリカの都会は,すべてが広いから,歩くとなるとかなり大変だ。車がないとこういう時に不便なのだ。
ここでもかなり歩いて,ミネアポリスのダウンタウンを越え,はるかかなたに彫刻庭園に隣接するウォーカー・アート・センターが見えたときは,足が棒状態だった。
やっと到着したのに,ウォーカー・アート・センターは午後5時までだった。私が着いたのが4時30分。チケット売り場で、あと30分しかないけれど,といわれたが,チケットを購入して,中に入った。
ウォーカー・アート・センターは,トーマス・バーロウ・ウォーカーのコレクションを展示してある美術館で,近代美術が数多くあった。
中も当然広いところで,30分しかなかったので,駆け足だった。
次に,となりの彫刻庭園に行った。ここはオープンスペースで,入場は無料だった。
念願の「スプーンブリッジ・アンド・チェリー」で写真を撮った。
そして,いよいよターゲットフィールドへ向かった。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス②
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部屋を出てミネアポリスの観光をして,その後,MLBの試合を見る。それが,今日の予定だった。
ホテルの北側にミルシティ博物館がある。その北にミシシッピ川が流れ,ミネアポリス第一の観光名所,ミシシッピ川唯一の滝であるセントアンソニー滝がある。いずれも徒歩ですぐ行くことができるので,まず,ミルシティ博物館に行くことにした。
ミネアポリスはミルシティとよばれ,かつては製粉の町であった。
ミルシティ博物館は,世界最大といわれた製粉所を改築して2003年にオープンした博物館であった。劇場のようなエレベータがあって,そのエレベータの内部が20人くらいが座れる長方形の客席になっていて,それに乗ると上下して,それぞれの階で止まるとドアが開いて展示が始まるという面白いアトラクションであった。
こういったアイデアを次から次へと考えつくアメリカ人とは一体なんだろう,といつも考えさせられる。
ミルシティの歴史を知ることができるこれらの展示を見終えると,最上階に上って,エレベータから外に出て,展望台からミネアポリスの景色を眺めることができた。
ミルシティ博物館を出て,セントアンソニー滝を一望するストーンアーチ橋へ行く。ストーンアーチ橋はとても長い橋だった。橋は観光客で一杯だった。セグウェイとよばれる電動立ち乗り二輪車による市内散策ツアーの一団もいた。
ところが,この日は,このあとが大変だった。
「地球の歩き方」にはミネアポリスのダウンタウンは徒歩で回れると書いてあったが,そんなもんじゃない。とにかく歩くには広すぎたのだ。
橋を越え,ワインズマン美術館へ行こうと思ったが,それは無謀なことだった。徒歩で行くにはかなり遠い。今にして思えば,うまくバスを利用すれば,簡単に,どこにも行けたのだけど,この時点では,バスの乗り方がよくわからず,躊躇していた。今思うに,空港でトラムに乗るときに,はじめから,1日乗車券を買えばよかったのだが,このときは,バスの経路もわからず,バスの乗り場やバスが来る間隔もよくわからなかった。
もし,1日乗車券を持っていれば,ダウンタウンでは,もっと気軽に,どんなバスであれ来たバスにさえ乗れば,どうにでもなったであろうにと,残念なことをした。
2012アメリカ旅行記-そして,ミネアポリス①
トラムは,空港の駅からは南のモール・オブ・アメリカへ行くものと北のダウンタウンに行くものがあるからホームを間違えないように,と,空港の案内所で言われた。
6年前にこの空港に来た時は,次の便の待ち時間が6時間もあって,となりのモール・オブ・アメリカで過ごした。そのときは,空港からモール・オブ・アメリカまでトラムがあることを知らず,長い間バスを待った。トラムを知っていれば,6時間もあれば,むしろ,モール・オブ・アメリカへは行かずに,ミネアポリスのダウンタウンで観光ができたのにと,あとで後悔したものだった。
そのさらに2年前にこの空港に来たのは,モンタナ州ビュートで交通事故に遭って足を骨折して,車椅子で日本に帰国するときだった。ここにくるたびに,そうしたいろんな思いで一杯になる。
そんなわけで,ミネアポリスのダウンタウンには,今回,はじめて訪れることができたのだった。
行きたいなあ,という思いは,それを思い続けたとき,必ず,実現するものだ。
ミネアポリスとその東側のセントポールはツインシティと呼ばれていて,治安のよい,交通の便利な,落ち着いた町なのだそうだ。ただし,冬の寒さは尋常でなく,両方の町のダウンタウンには,スカイウェイという空中回廊で,外に出なくても移動ができるようになっている。
空中回廊は,冬にたいして寒くもないシンシナティにもあった。シンシナティで空中回廊を歩いたときは,知らぬよその家を通路代わりにして勝手に歩くような,変な感覚があって,面白かった。
まず,トラムに乗って,ダウンタウンに行き,予約をしてあるホテルのチェックインをすることにする。トラムは1ドル75セント。チケットは駅の販売機で購入する。クレジットカードも利用できる。後から思うと,このとき,1日乗り放題6ドルのチケットを買えば,この日の観光に便利であった。
空港の地下の駅から,トラムはやがて地上に出て,北のダウンタウンに向かった。20分くらい乗っていると,メトロドームが見えてきた。
この2日間の宿泊を予約したホテルである「アロフト・ミネアポリス」は,メトロドームから歩いて3分くらいの便利なところにあって,トラムのメトロドーム駅から近かった。駅で降りて,カバンをごろごろと転がして,ホテルに向かう。
「アロフト・ミネアポリス」は,インターネットの予約サイト「エクスペディア」で予約をしてあった。2泊で約16,000円だった。「エクスぺディア」ははじめて使ったので心配だったが,それは杞憂だった。この便利なサイトは,これから,大流行するだろう。
ミネアポリスでは,車のない私にとって,事前にホテルを予約しておいてよかったと思った。
道を隔てた建物には「ワサビ」という名の,日本料理店があった。ノースダコタ州から比べると距離的には遠いのだが,ずっと日本に近づいた気がした。
「アロフト・ミネアポリス」は,ホテルというよりもスポーツ施設のような外観で,中に入ったら,案内所のようなブースがあった。そこがホテルの,フロントらしくないフロントだった。
1階にはバーがあり,かなりゴージャスなホテルだった。アメリカでこんなゴージャスなところに泊まったことはめったにない。本当にこの値段で泊まれるのか,何かの間違いではないか,後で,法外な料金を請求されるのでないかと,だんだんと不安になってきた。フロントでインターネットからプリントアウトした用紙を見せると,この予約は昨日だという。そんなわけはない。確かにきょうが27日金曜日だ。でなければ27日のチケットを持っているMLBが見られなくなる。
いずれにしても,宿泊は2日間なので,たとえ間違いであっても今日は泊まれるしと,なぜか楽観気味であった。確かに,長く旅行をしていると,日にち感覚も曜日感覚もなくなってしまうが,帰りの日にちを間違えたらえらいことになるなあなどと考えていたら,フロントにいたもうひとりの女性が,きょうが27日に違いないと言った。私に応対したフロントの女性が日にちを間違えていたわけだ。
アメリカらしい,いい加減な話だ。この国は,まあ,いつも,こんなふうに素敵なところだ。
そんなこんなで,フロントで話が弾み,地図ももらって,無事,チェックインを終了した。
部屋は5階で,景色もよく,新しく,絶対に,これはなにかの間違いで,あとで,高額な追加料金を取られると固く確信したが,まあ,それならそれでもいいやと思った。
2012アメリカ旅行記-さらば,ノースダコタ③
空港のカウンタにも誰もいなかった。フライトの自動チェックインをした。アメリカの国内便は,荷物を預けると1つ25ドル必要なので迷ったが,結局荷物を預けた。係員が出てきて,かばんにタグを付けた。
結果的には,機内に持ち込んだほうがずっとよかった。到着したミネアポリスの空港が,すでに知っていたこととはいえ,とにかく広く,さらに悪いことに,乗った飛行機の到着ゲートがバゲジクレイムとまったくの正反対のところだったので,移動するのに30分以上もかかってしまったからである。
ちなみに,CARRY-ON SIZEは,インチで14×9×22,センチでは36×23×56。私の持っていたカバンの大きさと全く同じである。
空港のセキュリティを通り,待合室へ入った。待合室には,売店があって,土産を売っていた。
ノースダコタ州の名物は,いまやオイルである。そこで「バッケンオイルシェール」と書かれたTシャツを買った。
ビスマルク空港は,1日に出発する便が数便しかないが,町と同じで,のどかなでこぢんまりとして,きれいな空港だった。
これが,ノースダコタ州の州都であった。
飛行機は,ミネアポリスからの乗客を乗せて,ビスマルク空港に定刻に到着した。そうして到着した飛行機は,折り返し,我々を乗せて,再び,ミネアポリスに向かった。
1時間と少しのフライトで到着したミネアポリスの空港は,とにかく広いところだった。ここは,デルタ航空最大のハブ空港で日本からの直行便もあって,日本語の表示もある。飛行機から降りて,バゲジクレイムの表示にしたがって行くが,行けども行けどもバゲジクレイムに到着しない。やっとのことで到着したら,荷物はとうに到着していて,すでにコンベアは止まり,所在投げにカバンが置き去りにされていた。
カバンを取ると,今度は,ダウンタウンに向かうトラムという市電の駅まで,ずいぶんと歩いた。やっとトラムという表示があったが,そこはトラムの乗り場ではなくて,空港の地下鉄の駅だった。トラムは地下鉄に乗って次の駅から乗るのだった。空港の地下鉄に乗って,次の駅で降りて,やっと,トラムの乗り場に着いた。結局,到着後,空港を出るまで1時間もかかってしまった。
すっかり田舎者になってしまった私は,まさに,田舎のねずみ状態だった。