しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > アイオワ州

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 1998年というから今から23年前,友人とアメリカに行き,はじめてアメリカをドライブしました。行先は,シカゴとアトランタとフロリダでした。
 シカゴではレンタカーを借りて東に走り,シカゴのあるイリノイ州を越えて,アイオワ州に入りました。そこで,念願のミシシッピ川を見ました。
 目的地は州都のデモインでしたが,アイオワ州で偶然見つけたのが,映画「フィールド・オブ・ドリームズ」(Field of Dreams)を撮影した場所でした。しかし,この場所を訪れたときには,まだ,私はこの映画を知りませんでした。それが今では「フィールド・オブ・ドリームズ」は私の大好きな映画のひとつです。
 この映画は,その後の保守派政治で失われてしまったアメリカの1960年代のノスタルジーです。 「金はあるが心の平和がないのだ」。
 そして,この映画のもう一方の主題である「夢を自分に託そうとした父親との関係」では父と息子の葛藤を描いています。
 「夢は,あきらめなければいつかそれは実現する」それを象徴するのが「フィールド・オブ・ドリームズ」なのです。

 さて,2020年7月,アイオワ州ダイアーズビル(Dyersville)でMLBシカゴ・ホワイトソックス対ニューヨーク・ヤンキースのカードが組まれました。しかし,新型コロナ・ウィルスの感染の影響で残念ながら中止となりました。
 そして,その1年後の2021年8月12日,ついにそのゲームが開催されました。行われたこのゲームは公式戦です。
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 ダイアーズビルはアイオワ州北東部に位置していて,ダビューク市(Dubuque)の中心部から西へ約40キロメートルのところにあります。
 そう,ここは,トウモロコシ畑の中に野球場を作ったらある夜に選手たちが現れ野球をはじめるという,映画「フィールド・オブ・ドリームス」の撮影が行われた場所なのです。
 「フィールド・オブ・ドリームス」を撮影した野球場に隣接した場所に新たに建設されたボールパークで,ゲームは行われました。
 この新たに作られたボールパークは席数8,000,ライト側の外野の壁には窓が設けられ,奥には映画を象徴するトウモロコシ畑が見えるようになっていました。
 シューレス・ジョー・ジャクソン(Joseph "Shoeless Joe" Walker Jackson)が所属していたシカゴ・ホワイトソックスの本拠地コミスキー・パークを意識したデザインになっています。

 私は,20年以上も前に行ったこの場所がその後どうなっているのか気になっていました。
 日本だと,ブームが去ればそれで終わりです。その後は観光客も来なくなり,そのうちに経営に行き詰まり,荒れるに任せ,どこもかも廃墟となっていきます。何事も熱しやすく冷めやすい… のです。
 しかし,ここは廃墟どころか,新たにボールパークまで作られ,公式戦が開催されていたのです。そう考えると,こんな企画を考えるアメリカという国の人は大したものです。そしてまた,いつまでもこの地を愛しているアメリカ人というのは,本当にベースボールが好きなのだなあ,と思います。また行ってみたい!
 今回はこのゲームのみですが,このボールパークは解体せず,今後も何かしらの利用が検討されているということです。
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 They built it, and they’re coming.
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 ”Field of Dreams” comes alive in Iowa : They built it, and MLB came.
 The game between the New York Yankees and Chicago White Sox is the first Major League Baseball game in Iowa.
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 そして,このゲームは,劇的な結末となりました。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 次に,老医者ムーンライト・グラハムのことです。
 1975年に,W・P・キンセラは,ベースボール・エンサイクロペディアの中から,偶然,ムーンライト・グラハムの特異な経歴を見つけ出して,そのエピソードを「シューレス・ジョー」に掲載しました。これが「フィールド・オブ・ドリームズ」の原作です。
 映画が劇場公開されたことから,人々の間にムーンライト・グラハムの経歴が広く知れ渡ることになったわけです。

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 ムーンライト・グラハム(Archibald Wright "Moonlight" Graham)は,ノースカロライナ州生まれ。
 3年間マイナーリーグでプレーした後,1905年にニューヨーク・ジャイアンツの選手として登録されました。はじめてメジャーリーグベースボールの試合に出場したのはその年の6月29日の対ブルックリン・スパーバス戦で,彼は8回裏にジョージ・ブラウンに替わってライトの守備位置につきました。しかし,続く9回表のジャイアンツの攻撃は彼の打席のひとつ前で終了してしまったために,打席に立たないままその試合を終えることになりました。
 彼は結局,この1試合のみで,メジャーリーグでの経歴を「打席なし」のまま終えることになったのでした。
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 なお,この映画に出てきたムーンライト・グラハムの住む町,ミネソタ州チザム(Chisholm)は,ミネアポリスから北に200キロメートルほど行ったところにある小さな町です。
 また,映画でムーンライト・グラハムを演じたバート・ランカスターは,「フィールド・オブ・ドリームス」の後は3本のテレビドラマへの出演を最後に,1994年に逝去したので,劇場公開用の映画としてはこの作品が遺作となりました。 

 黒人作家として映画で重要な役割をしているテレンス・マンのモデルは小説「ライ麦畑でつかまえて」で知られているJ・D・サリンジャーです。
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 トウモロコシ畑をつぶして野球場を作った,この映画の主人公レイ・キンセラは,彼の作った野球場で,「彼の苦痛をいやせ」(Ease his pain.)という声を聞きます。
 学校のPTA集会において,テレンス・マンの著作「船を揺らす人」(The boat rocker)が槍玉に挙げられているのをみて,レイ・キンセラは,「彼」とは,テレンス・マンのことで,「苦痛」とは,この集会のように彼の作品が非難の的になっていることだと確信して,彼に会いに行きます。
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 テレンス・マンは,1960年代には時代を揺らした若者達の思想的リーダーであったにもかかわらず,その後は非難と好奇心の的となり,失望と無力感の中で隠遁生活を余儀なくされていたのです。
 1960年代というのは,キング牧師とロバート・ケネディが殺され,あのニクソンが再選された,そんなアメリカの時代のことです。このことは,この映画の冒頭に出てきます。日本でもそれが飛び火して,学生運動がありました。そうした時代背景を知らずして,あるいは青春時代にその経験のない人には,この映画の本当の意味はわかりません。
 それに加えて,私には,はじめてこの映画を見てから今日までの間に,この映画のロケ地に加えて,ボストンのフェンウェイパークやミネソタ州にも行くことができたから,一層,この映画の距離感やら空気感がよく理解できるようになっていたのです。
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  If you build it, he will come.
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  それを作れば,彼が来る。
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 この映画は,その後の保守派政治で失われてしまったアメリカの1960年代のノスタルジーです。
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  金はあるが心の平和がないのだ。
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 失われた善が再びよみがえる可能性… 何か,どんどんと保守的で管理主義的で住みにくくなってきている日本にも,同じものを感じます。
 この映画のもう一方の主題である,「夢を自分に託そうとした父親との関係」は,映画「ネブラスカ」にも共通する父と息子の葛藤を描いています。
 幽霊が見える者と見えない者は「Liberal」と「Conservative」の比喩を描いています。
 「それを作る」こと,そして,「最後までやり遂げろ」という声は,若き日の夢を思い出し,行動せよということを語りかけています。
 夢は,あきらめなければいつかそれは実現する… それを象徴するのが「Field of Dreams」なのです。

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 まず,この映画に出てきたホワイトソックスのジョー・ジャクソン選手のことからはじめます。
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 1919年,当時9試合制で行われていたワールドシリーズで,シカゴ・ホワイトソックスは,シンシナティ・レッズに3勝5敗で敗退しました。そのことがきっかけとなって,シリーズ前から噂されていた賭博がらみの八百長疑惑が真実味を帯びて,新聞の暴露記事によって事件が発覚しました。
 その結果,最終的に,ホワイトソックスの主力だった8選手が賄賂を受け取ってわざと試合に負けた容疑で刑事告訴されました。
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 この事件は,アメリカの精神的国技として野球をなかば神聖視する風潮のある米国社会全体に衝撃を与えたのです。

 当時のホワイトソックスのオーナーだったチャールズ・コミスキーが極端な吝嗇家だったことがこの事件の背景にはありました。
 ホワイトソックスの選手たちは低賃金でプレイさせられて,ユニフォームのクリーニング代も選手の自腹だったために,彼らのユニフォームは白ソックスまで常に黒ずんでいました。彼らは「ブラックソックス」と揶揄されるありさまだったのです。
 こうした仕打ちに耐えかねていた選手たちのなかで,まず,八百長に手を染めたのは,一塁手のチック・ガンディルだったといわれています。彼に誘われた者や自ら話を聞きつけて仲間に加わった者など,“シューレス・ジョー”ことジョー・ジャクソンを含む計7人の選手が,問題のシリーズで八百長を働いたとされました。そして,他に八百長の全貌を知りながらそれを球団に報告しなかった三塁手のバック・ウィーバーを含めた8人が事件に関与したということになりました。

 実際は,シリーズの途中で彼らに話を持ちかけた賭博師が破産したので,約束通りの報酬は得られないことがわかり,彼らは八百長とは手を切ろうとしていたのでしたが,事態はすでにマフィアも関与するところとなっていて,試合で全力を出せば家族に危害が及ぶと脅迫されていたということでした。
 問題のシリーズから約1年後に,8人は大陪審で八百長が存在したことを認めたのです。そして,大陪審は,彼らに情状酌量の余地を認めて,無罪評決を下しました。
 事件によって国民的スポーツとしての面目を失いかけていた米球界は,謹厳で知られた判事のケネソー・マウンテン・ランディスを,絶対的裁量権を有する「コミッショナー」として迎え入れました。
 ケネソー・マウンテン・ランディスは,「大陪審の評決に関係なく,八百長行為に関与した選手,また八百長行為を知りながら報告を怠った選手は永久追放に処する」と判断を下しましたから,事件に関与した8人は,メジャーリーグから永久追放の処分を受けてしまったのです。
 その一方で,ケネソー・マウンテン・ランディスは,同じく八百長疑惑のあった,例えばタイ・カッブのような有名選手たちを救済しているのです。また,チャールズ・コミスキーは直接には何ら処分を受けず,そのままオーナー職にとどまることができました。しかも,後に,野球殿堂入りさえ果たして,ホワイトソックスの本拠地球場に「コミスキーパーク」として長く名を残しました。
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 こうした不公平感で,追放処分を受けた8選手は「悲運の8人」(Unlucky 8)として,むしろ悲運のヒーローとして美化されるようになりました。そして,「フィールドオブドリームズ」のような,事件をモチーフにした多くの文学作品や映画が生まれたというわけです。

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 NHKBSプレミアムで映画「フィールド・オブ・ドリームズ」(Field of Dreams)を放送していたので,久しぶりに楽しみました。
 この映画は,1989年に公開されたアメリカ映画で,W・P・キンセラの小説「シューレス・ジョー」を原作にフィル・アルデン・ロビンソンが監督と脚色を兼任してつくられたものです。野球を題材に,1960年代を懐かしみ,夢や希望・家族というとてもアメリカ映画らしいテーマを描きました。 
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 私は,1998年8月にシカゴからアイオワ州デモインまでドライブしたとき,本当に偶然,この映画のロケをした場所となったアイオワ州北東部ダビューク西郊の小さな町ダイアーズビルに行ったことがあるので,本当に懐かしくなりました。
 また,私は,ボストンのフェンウェイパークでのレイ・キンセラとテレンス・マンのシーンを思い出しては,それがどの映画で見たシーンなのかを思い出せず,ずっと気になっていました。
 昨年行ったフェンウェイパークのコンコースには,この球場でロケをした多くの映画のパネルが展示してあって,そこには当然この映画のパネルもあってそれをじっくりと見たのにもかかわらず,いまひとつピンときませんでした。
 そして,映画「フィールド・オブ・ドリームズ」を見て,やっと,私がずっと気になっていたのはやはりこの映画だったんだと気がついたわけです。

 この映画の意見や批評を書いたブログがたくさんあるので読んでみると,なかには,当然,つまらなかった,とかいう意見もあります。そういった意見の多くは,人生経験が少ない人,とか,そうした場所に行ったことがない人,とか,そういう場合が多く,映画を見て感動できるかどうかという要因も,旅と同じように,やはり,自分の実体験やら思い出やら,そうしたものをどれだけ自分が人生の中で育んできたかがとても多くを占めているんだなあと感じます。
 かくいう私だって,この映画をはじめて見たときは,それほど感動したわけでもなく,単にアイオワ州の見渡すばかりのコーン畑を見て、アメリカは広いなあと感じ,どうして八百長で球界を追放になった選手がこの映画で美化されているのかがよくわからないなあ,と思ったくらいでした。
 だから,この映画を見て,つまらなかった,という人の感性もよく理解できます。そして,そう思った人には,もっと人生を経験しなさい,いろんなことを体験しなさい,そして,経験や体験を積んでからまたこの映画に出会ってくださいとアドバイスしたいものです。

 私も人なりに歳をとり,それとともに大リーグの大ファンとなり,アメリカへの旅を何度か経験した今,再びこの映画を見ると,すごくいいなあと思うようになり,さらに,何とも言えない深い感動を味わえるようになったのは,そうしたさまざまな旅の思いが,それをもたらしているからなのです。
 そうしたことも踏まえて,この映画の背景について書いてみます。

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 人生に終わりがある以上,救いはありません。だれしもが老いるということを知るにつれて,あるいは,それに気づきはじめたり,受け入れなくてはならなくなったとき,これを避ける方法はないのです。
 そういうことを認識したとき,はじめて,この映画のラストのシーンがもつ大切な意味を知って共感し,人生の本当の大切さがわかるようになるのです。
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 この小説は,人が老いたその時に,どれだけ自分が自分らしく,そして,自分の夢を大切持ち続けてこられたか,そして,そのことがどんなに大切なことだったかということをテーマにしたものなのです。

 フランチェスカは,自分の抱いていた夢はかなえられなかったけれど,永遠の愛を手に入れることでそれを実現することができたのです。だからこそ,この小説は人の心を捕えたのです。人の心をこれほど深く描いた小説はほかにないのです。
 映画のラストシーンでフランチェスカが子供たちに残した
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 I love you both with all my heart.
 There is so much beauty.
 Go well my children.
 Do what you have to (do),
 be happy in your life.
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 心から愛しているわ。
 人生には美しいものがたくさんあるの。
 子供たちよ,幸せに。
 人生を幸せに生きるために,勇気をもって。
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 この言葉が,フランチェスカの人生をすべて語っているのでしょう。

 当時,日本には「失楽園」という小説がブームになり,映画も作られました。この小説は,不倫をしたカップルが心中をしてしまうというものです。
 私は,この2作の違いは,日本人とアメリカ人の宗教観の違いだと思いました。そして,「マジソン郡の橋」のほうが,はるかに人生を大切に,真摯に,そして前向きに,「生きる」という意味を深く捕えていると思いました。
 だからこそ美しいと思いました。
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 この映画の撮影は「フランチェスカハウス」を中心に延べわずか42日間で行われたそうです。

◇◇◇
私の訪れた「フランチェスカハウス」は,現在も世界中から観光客が訪れているという話が紹介されていたりします。先日もこの映画がテレビで放映されていて,そういった説明がありました。しかし,実際は,2003年に放火にあい,それ以後,家は残ってはいるものの,残念ながら公開されていないそうです。

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 「マジソン郡の橋」はロマンチックな大人の恋愛を描いたものです。私は,小説の舞台となったこの地を訪れた当時,その最後が,小説ではとても衝撃的だったこと,映画ではとても美しかったこと,そして,ロバート・キンケードが使っていたカメラが日本製の「ニコン」だったこと,そういったことがとても印象に残りました。
  ・・

 この小説が出版されたころ,多くの人が,いろいろな批評をしました。単なる不倫小説だという意見もありました。
 あれからずいぶん年月を経た今,再び,映画を見てみると,この小説は,そういった単なる恋愛映画ではないんだなあ,と思うようになりました。
 当時の批評の多くは,私にはとても薄っぺらいものに思えます。自分が歳をとっていくにつれて,この小説の描こうとしていたことが,だんだんとよくわかってきました。

 夢を抱いた若いころ。いつしかそういった時代を過ぎて,幸せだけど平凡で,日常に追われ,子育てに追われ,自分の夢がかなわなかったと気づくころ。そんなころに突然訪れた出会いと別れ。そして,老いを迎えて自分の人生を振り返るころ。
  ・・・・・・
 女なら結婚して子供を生もうという選択をするわ。そこから人生ははじまり,同時に止まってしまうの。日常生活に追われて,子供たちがひとり立ちできるまで立ち止まって見守る。子供が巣立っていき,さて愈々自分の人生を歩もうとしても歩き方を忘れてしまっている。そういう女にこんな恋が訪れるなんて…
  ・・・・・・
 フランチェスカは,ロバート・キンケードとの別れを決意します。
  ・・・・・・
 だから,一生大事にしたいの。ここを捨てたら,この愛は失われる。心の中の私たちを支えに生きていくわ。
  ・・・・・・
 やっとのことで,彼女は踏みとどまりました。
 彼女の夫は,きっと,妻の満ち足りない思いに気づいていたのです。でも,それを詫びる優しさがあった…。
 これが救いです。フランチェスカが老いを迎えたとき,若き日の自分のかなえられなかった夢は,あの時の4日間の出会いを大切な思い出として心に持ち続けたことで,逆にはかないものではなくなって,永遠に心の中に生き続けられたのです。

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 小説の中でロバート・キンケードが撮影をするために訪れたという有名なマジソン郡の屋根付き橋は,インターセットの周りを取り囲むように約40キロメートルに渡って6個散在しています。
 フランチェスカハウスから未舗装の道をまわりの平原を眺めながら走っていくと少し起伏が現れ,やがて小川と木々に囲まれたところに来ると,「シーダーブリッジ」が見えてきます。
 「マジソン郡の橋」でロバート・キンケードがフランチェスカに花を贈ったという一番有名なローズマンブリッジは,フランチェスカハウスからは40キロメートルも離れていて,小説で想像するよりも距離があります。

  ・・・・・・
 If you’d like supper again
 when ‘white moths are on the wing’ come
 by tonight after you’re finished.
 Anytime is fine.
  ・・ 
 白い蛾が羽を広げるとき,
 もう一度夕食においでください…。
 いつでもお待ちしています。
  ・・・・・・

 そう,フランチェスカがもう一度ロバート・キンケードに会いたいという思いで手紙を貼った橋です。
 この橋には結構多くの観光客がいました。年をとった女性が何を思ってか懐かしそうにじっとながめていました。
 「カトラードナヒューブリッジ」は,インターセットの公園の中にセットのようにありました。「ホリウェルブリッジ」はその向こう,そして,「アイメスブリッジ」は舗装された道からも見ることができました。もうひとつ「ホッグバックブリッジ」があるのですが,は少し離れていたので,行くのを断念しました。
 インターセットは,映画の中で一番美しい,思い出に残るシーン,一度はロバート・キンケードと別れたフランチェスカが,再び姿を見かけたロバート・キンケードが車で立ち去るのを,涙を流しながら見送るシーンで出てくるガソリンスタンドのある小さな町(映画の中では雨がふっているのですが,あの雨は晴れている日の撮影で演出上降らせたものです。)です。ガソリンスタンドは実在します。
 インターセットには,映画「駅馬車」などに出演した名優ジョン・ウェインの生家もありました。
 それにしても,日本人の感覚からは,小説を読んだときに想像していたよりもずっと広いところだなあと思いました。

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このブログで何度か取り上げた吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」の過去の録音から再構成した「吉田秀和が語った世界のピアニスト」という番組が,8月26日月曜日から30日金曜日の午前10時から午前11時にNHKFMで放送されています。これを聴くと,自分の精神が引き締まります。やっぱりいいなあ。

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 今から20年前,ひとつの小説が世界中で話題になりました。「マジソン郡の橋」(「The Bridges of Madison County」 ロバート・ジェームズ・ウォラー著)。映画も作られ,世界的に大ヒットしました。
 この小説の舞台は,アイオワ州マジソン郡ウインターセットでした。
  ・・
 「マジソン郡の橋」は,単調な生活を送っていた専業主婦フランチェスカが,夫と2人の子供が4日間の旅行に出かけたとき,マジソン郡の屋根付き橋の写真を撮りに来たロバート・キンケードに道案内をしたことがきっかけで恋に落ち,家を捨て,キンケードのもとに走るかとどまるかという葛藤の末,4日間の出会いを永遠の思い出に別離の道を選ぶ,という物語です。
 小説は,フランチェスカの葬儀で子供たちが母の日記を見つけ,自分たちの知らなかった母親の一面を知るところから始まります。
「私が死んだら,灰にして,ローズマンブリッジから空に撒いてほしい…」
 意外な遺書に戸惑う子供たち。でも,母親の私記を読んで,母親の人生に理解を示すようになっていきます。そして,自分たちの人生をもう一度やり直そうと決意する…。

 1998年のことです。
 シカゴからミルウォーキーを経由してアイオワ州の州都デモインまでドライブをしました。そのとき,デモインの近くに「マジソン郡の橋」のロケ地で話題になったウインターセットという町があることを知って,立ち寄ることにしました。
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 デモインを通過してインターステイツ35を南下すると, EXIT35の手前で,「ウインターセット」の表示がありました。地図を見ると,ウインターセットはもっと南なんだけれど… と思いながらも,そこで,インターステイツを降りました。
 このことが幸運を呼びました。
 しばらく走って行くと,偶然「フランチェスカハウス」という表示を見つけたのです。
 マジソン郡の橋の小説は読んでいたものの,ロケをしたフランチェスカハウスの場所は知りませんでした。きっと,何かの偶然が私をここに導いたのでしょう。
 アメリカを旅行しているとこういう不思議なことがしばしばあります。
 表示に従って道路を曲がると,未舗装の道がまっすぐに続きました。「ああ,これこれ,映画で出てきた道だ。」そう思いました。すると,道の左手にあの,映画で見た家がありました。
 外に高校生くらいの男の子がいたので挨拶をすると,「家の中にも入れますよ」。そこで,5ドルの入場料を払って見学しました。
 高校生くらいの男の子はこの家のオーナーであるおじさんの息子さんらしいことがわかりました。オーナーである丸顔のおじさんがゆっくりと丁寧に説明をしながら,家の中を案内してくれました。
 「マジソン郡の橋」の映画をクリントイーストウッドが作ったとき,ここにあった古い家を改装して映画のセットにしたということです。煙突はフェイク,部屋の暖炉も急ごしらえだけれどわざとペンキをはがして古く見せて,などなど,映画のあのシーンはこのところでこうして,と,ジェスチャーたっぷりの説明でした。私は,そのときまで,本を2回読んで,さらに原書で1回読んで,映画館とビデオで映画を2回も見てきたから,あの映画に出てきた食堂を見ては感激,あのバスタブに実際に入ってみては感激,感激… でした。
 出演者や筆者のサイン,世界中から寄せられた手紙もありました。

 アイオワ州は「ハートランド」と呼ばれます。一面のトウモロコシ畑に,まっすぐに続く道。そのちょうど中央に州都デモインがあり,その南西50キロメートルくらいのところにインターセットという小さな町があります。そして,フランチェスカハウスはインターセットの町の北東20キロメートルくらいのところの、のどかな場所にありました。

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