【Summary】
Kitanofuji, my childhood idol, passed away on November 20, 2024. As a boy, I admired his sumo skills and often watched him train near my home during Nagoya tournaments. His humor and kindness left a lasting impression. Decades later, I met him again in 2021, recalling the autograph he gave me 50 years earlier. Rest in peace.
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2024年11月12日,現役のころから大好きだった北の富士さんがお亡くなりになりました。
私が中学生のころ,学校でお相撲の好きな友達が多く,いつも盛り上がっていました。
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横綱大鵬の引退は1971年(昭和46年)。そして,大鵬の晩年は,横綱北の富士,横綱玉の海の三つ巴の戦いが見ものでした。また,名古屋場所,横綱北の富士の所属していた九重部屋が私の住んでいた家の近くだったこともあり,テレビ中継が終わり,30分ほどすると,車で戻ってきて,宿舎のお寺の縁側にどかっと座って一休みするのです。そして,今がチャンスと,色紙を持って行ってサインをしてもらったのです。「坊,いくつか」と言って話しかけられました。
稽古のときの迫力もすごいものでした。これほどやらないと強くなれないんだな,と実感しました。でありながら,相手の若い力士に顔をひっかかれたときには,「おい,俺は顔がウリなんだ。今日からテレビにでるんだぞ」というような冗談を言っては笑わせていました。
やがて,好敵手だった横綱玉の海が急死し,それ以降は精彩がなくなってしまいました。
引退は1974年(昭和49年)の名古屋場所でした。私の家の周りには多くの報道機関の車が停まり,お寺の本堂で記者会見が行われていました。私も本堂に上がって記者会見を聞いたのですが,翌日の中日スポーツの1面には,横綱北の富士の横の私の顔もありました。
ときは過ぎ,2021年(令和3年)の名古屋場所千秋楽。解説を終えて帰るところだった北の富士さんと会いました。「50年前にサインをいただいたことがあります」というと「えっつ,50年前!」と言われました。
ご冥福をお祈りします。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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