しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ: 大相撲を見る

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【Summary】
Kitanofuji, my childhood idol, passed away on November 20, 2024. As a boy, I admired his sumo skills and often watched him train near my home during Nagoya tournaments. His humor and kindness left a lasting impression. Decades later, I met him again in 2021, recalling the autograph he gave me 50 years earlier. Rest in peace.

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 2024年11月12日,現役のころから大好きだった北の富士さんがお亡くなりになりました。

 私が中学生のころ,学校でお相撲の好きな友達が多く,いつも盛り上がっていました。
  ・・
 横綱大鵬の引退は1971年(昭和46年)。そして,大鵬の晩年は,横綱北の富士,横綱玉の海の三つ巴の戦いが見ものでした。また,名古屋場所,横綱北の富士の所属していた九重部屋が私の住んでいた家の近くだったこともあり,テレビ中継が終わり,30分ほどすると,車で戻ってきて,宿舎のお寺の縁側にどかっと座って一休みするのです。そして,今がチャンスと,色紙を持って行ってサインをしてもらったのです。「坊,いくつか」と言って話しかけられました。
 稽古のときの迫力もすごいものでした。これほどやらないと強くなれないんだな,と実感しました。でありながら,相手の若い力士に顔をひっかかれたときには,「おい,俺は顔がウリなんだ。今日からテレビにでるんだぞ」というような冗談を言っては笑わせていました。

 やがて,好敵手だった横綱玉の海が急死し,それ以降は精彩がなくなってしまいました。
 引退は1974年(昭和49年)の名古屋場所でした。私の家の周りには多くの報道機関の車が停まり,お寺の本堂で記者会見が行われていました。私も本堂に上がって記者会見を聞いたのですが,翌日の中日スポーツの1面には,横綱北の富士の横の私の顔もありました。
 ときは過ぎ,2021年(令和3年)の名古屋場所千秋楽。解説を終えて帰るところだった北の富士さんと会いました。「50年前にサインをいただいたことがあります」というと「えっつ,50年前!」と言われました。
 ご冥福をお祈りします。

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◇◇◇
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 2023年4月5日に大相撲稲沢巡業に行きましたが,そのほぼ1年後,というか,もう1年経つというのが驚きですが,2024年4月3日に大相撲一宮巡業に行ってきました。
 わずか1年で大相撲も様変わりしました。1年前には
  ・・・・・・
 下位の力士を見ても,将来有望,という感じの若者も見当たらないから,当分はこんな状況が続くのでしょう。こうなったら,横綱や大関などといった地位は失くしてしまって,前の場所の優勝者が次の場所で土俵入りをすればいいじゃなか,と私は思ってしまいます。
  ・・・・・・
と書いたのですが,ところが,ところが,です。
 先月の春場所は,青森県五所川原市金木出身の尊富士関が優勝し,また,二所の関親方の秘蔵っ子・大の里関が健闘し,ここ数年でこのふたりが横綱になるのでは,といわれるようになりました。まあ,暴力事件だの部屋の閉鎖だのというきな臭いさまざまな問題は,ここでは抜きにして,やっと本格派の2大巨頭が出てきたという期待でいっぱいです。

 この日は朝から雨で,残念ながら,バスから降りる力士を見ることもできず,早々に会場である一宮総合体育館に入りました。
 私が巡業を見るのは,これで,何回目だろう? 金沢市,刈谷市,稲沢市についで,きっと4回目だと思うのですが,今回は,横綱は土俵入りだけ,4人の大関のうち3人が欠場,さらに,尊富士も欠場と,多くの人には少し物足りなかったのでしょうが,私の目的は,大ファンになった大の里関一点集中,ということだったので,問題ないわけで…。
 毎回,適当に席がどこなのかも知らずチケットを買うのですが,今回もまた,昨年同様,2階席だと思っていたら1階席でした。私は,力士を追っかけて一緒に写真をとったり,サインをねだったり,という趣味はないから,欲をいえば,安価な2階席の見晴らしのいい一番後ろあたりに陣取って,のんびりとお弁当でも食べながら見たほうがよかったなあ,というのが反省点でした。
 いずれにしても,大の里関の写真をたくさん写せたので,満足です。
 大の里関の立派なのはいつもファンサービスをしている,ということで,これなら人気が出るはずです。いまのところ,本場所ではここ一番に弱い,ということが師匠の二所の関親方の現役時代・横綱稀勢の里に似てしまっているのだけ心配ですが…。

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 2023年4月5日,大相撲稲沢巡業に行ってきました。
 コロナ禍でしばらく巡業を見ることもできませんでしたが,復活しました。前日は岡崎市で行われて,この日は稲沢市というように,まるで旅芸人一座です。午前8時過ぎに6台のバスを連ねて,力士が会場である豊田合成アリーナにやってきました。この会場は2年ほど前にできたということで,なかかな立派な建物でした。私ははじめて来ました。
 巡業の楽しみは,なんといっても力士との距離が近いということで,勝負は度外視,1日を楽しむことができればいい,というものです。多くの観客が,会場を右へ左へ,サインを求めたり写真を写したりしようと,人気力士を追いかけていました。それにしても,人気力士は大変です。ファンを邪見には扱えず,かといって,あまりに愛想をよくしていては,自分の時間もなくなってしまいます。
 こういう姿をみていると,私は,アメリカのメジャーリーグなどで,サインボールを持ってボールパークのスタンドをお目当ての選手を探して走り回っているアメリカ人の姿とダブります。どこの国でも同じです。

 今,大相撲は,横綱はケガを押して巡業に参加せざるを得ず,土俵入りだけを務めていますが,これもまた大変な仕事だと思います。まして,現在は,大関も参加していないから,まさに群雄割拠,だれが強いのかどうかも皆目見当がつかず,幕内ではだれが優勝するのかさっぱりわからない,という状況です。
 以前のように,毎場所白鵬が優勝してもまったくおもしろくなく,もし,今,稀勢の里がいたら,ダントツで優勝だろうと思うし,朝乃山が不祥事を起こしていなければ横綱として存在しただろうに,スター力士は喉から手が出るほど欲しいのに,相撲協会は自滅のようなことをやっています。
 しかも,下位の力士を見ても,将来有望,という感じの若者も見当たらないから,当分はこんな状況が続くのでしょう。こうなったら,横綱や大関などといった地位は失くしてしまって,前の場所の優勝者が次の場所で土俵入りをすればいいじゃなか,と私は思ってしまいます。
 これだけ年寄りの多い国では,日夜,暇を持て余した老人が何か楽しみがないかと探し回っているのだから,これはこれでよいのでしょう。今や,権威だとか,誇りだとか,そんな小難しいことはどうでもよく,相撲という名を借りたタレントさんのようなものだと,巡業を見ているとしみじみそう思うわけです。
 人生は暇つぶし。これはこれで,1日たっぷりと暇つぶしができたのだから,こんなすばらしいことはないのでした。

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 二大巨頭。強い横綱がふたりがいて,しのぎ合う,というのが最も理想の姿,なのかもしれませんが,そんな理想の姿を見たことは,これまでほとんどありませんでした。最もそれに近かったは,栃錦と若乃花,そして,輪島と北の湖だったでしょうか。
 あるいは,絶対王者がいて,その王者に挑む若手。それならこれまでもありました。
 しかし,現在の大相撲はそのどちらとも異なっていて,幕内上位はほとんど実力に差がなく,だれが勝つのかわからない,という状況を呈しています。つまり,どの取組も結果がわからないので好一番となるのです。

 また,幕下以下を見ても,将来有望という力士が少なからずいて,その力士見たさに早くから足を運ぶ,ということがありました。古くは,富樫,納谷。このふたりは,のちの柏戸,大鵬です。また,若花田,貴花田。のちの若乃花,貴乃花です。のちに稀勢の里となった萩原もそうでした。 
 しかし,残念ながら,現在は,探してもそういう力士すら見当たらないのです。
 おそらくそれは,高校や大学の相撲部出身者が増えたことで,中学卒のたたき上げが減ったことも理由のひとつでしょう。コロナ禍以前に場所前の稽古を見にいったことがあるのですが,昔の,竹刀でひっぱたくというのがいいわけではありませんが,そんな恐ろしげな稽古場風景とはまるで違っていて,学校の部活動のような感じでした。

 時代が違うからそれはそれでいいのでしょうが,もはや,横綱,大関という,単に強いだけでなく,名誉とか権威を伴った地位というものは,今や,それにそぐわないのかもしれません。だから,横綱になるような力士もほとんど現れないし,大関は横綱をめざすというよりも,その地位を保つだけで精一杯です。
 しかし,それは力士に限らず,何と,行司もまた,木村庄之助が長く空位になっているように,権威のある行司もいないのです。呼出しもしかりです。さらには,以前なら,審判長はほどんど横綱出身者だったのに,そういう親方さえ少なくなってしまいました。現役時代冴えなかった力士が親方となって偉そうにしてもたかが知れています。
 もはや,大相撲も,レーティングで毎場所のランキングを決めて,先場所優勝した力士が次の場所で一場所限りの横綱として土俵入りをする,といった制度に変えたほうがいいのかもしれません。が,それではファンは納得しません。

 私は,権威やら名誉やらというものが本質的には大嫌いだから,今の混沌とした状況はむしろ楽しいです。とはいえ,全体を見回しても,将来の横綱候補もなかなか存在しないし,以前のように,突然覚醒して横綱になった千代の富士のような夢のある力士も見当たらないので,ずっとこんな調子が続くかもしれません。だから,今の大相撲はアマチュアの相撲選手権みたいです。こんな状態が続くと,そのうち,優勝が10勝5敗とか,優勝決定戦に10人,などということが起きるかもしれません。
 ということで,だれが強いのか弱いのかさっぱりわからないけれど,みんなそれぞれ個性があって好感がもてるから応援したくなるし,ある意味,これほどおもしろい大相撲はこれまでにないものです。はたして,来年はどうなっているのだろう…。
 などと思いながら,私が見にいった4日目の好一番は若隆景対阿炎でした。


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 今年も夏になって,暑い名古屋で大相撲名古屋場所が開催されたので,4日目,7月13日に見にいきました。
 大相撲名古屋場所は愛知県体育館,現在の名前はドルフィンズアリーナとかいうそうですが,そこで開催されています。私は,それ以前に開催されていた金山体育舘のころから今は亡くなった父親に連れられて見にいったことがありますが,そのときの様子が今も頭の片隅に残っています。それはかれこれ60年近く前のことでした。

 子供のころのことゆえ,記憶があいまいなので,改めて調べてみると,名古屋で大相撲が開催されるようになったのは1959年(昭和33年)からだそうです。それ以前は,名古屋では,東京での1月場所が終わって3月の大阪場所に向けて移動する途中の2月に準本場所が行われていたということです。これを見たことがあると私の父親が言っていました。
  1957年(昭和32年)11月,名古屋に先駆けて福岡で九州場所が開催され,それに遅れること1年,他の場所と重ならない7月という最も暑いときに,冷房施設のない金山体育館で名古屋で本場所がはじまりました。
 ということは,私が父親に連れられて見にいったのはその数年後であったように思われます。あまりの暑さに通路には氷柱が置かれ,休憩時間には客席へ向けて酸素ボンベから酸素が放たれたというのは有名な話ですが,そんなもので涼しくなったとは思えません。いくら今よりは涼しかったとはいえ,ちょっと尋常ではありませんでした。
 1965年(昭和和40年)にやっと冷房完備の愛知県体育館ができて会場が移されました。その当時,今年からは涼しいぞ,と父親が話していたのを聞いた覚えがあります。
 その愛知県体育館も老朽化が激しく,現在,2025年夏の完成をめざして移転新築計画が進んでいます。新しい愛知県体育館は,延床面積約58,400平方メートル,建物の高さが約41メートルという世界トップクラスの施設水準となるそうです。
  ・・
 私が知っている横綱は若乃花からです。
 当時「栃若時代」といったのに,私は栃錦の記憶はまったくありません。すでに横綱だった栃錦に遅れること3年,若乃花が横綱に昇進したのは1958年(昭和33年)でした。1960年(昭和35年)の5月場所で栃錦が引退したので,私が大相撲というものを意識したのが,ちょうどそのころだったということになります。
 なお,栃錦は,引退する年の3月大阪場所千秋楽で若乃花と全勝優勝をかけた直接対決で負けたものの14勝1敗の好成績でした。しかし,初日から2連敗した次の場所で「桜の花の散るごとく」引退してしまったのです。
 そして,私が最も印象に残る横綱である柏戸,大鵬の「柏鵬時代」の到来は1962年(昭和37年)のことでした。

 大相撲に限ることではないのですが,私の好奇心は,テレビでは知ることができない,たとえば,大相撲の1日の開始はどのようになっているのだろうか,名古屋以外の場所はどのように行われているのだろうか,などいうことに及びました。そこで,大人になってからは,午前8時過ぎから大相撲を見にいったり,東京の国技館をはじめ,大阪や九州にも行ったりと,いろいろエスカレートしました。
 そんなことを何度もして現在に至るのですが,もう,今はそんな好奇心も全くなくなって,一般の人と同じように,午後2時ころに見にいくように堕落? してしまったわけです。
  ・・
 この日もまた,午後1時ころには名古屋城に着いたのですが,まずは腹ごしらえと,「金シャチ横丁」にある1軒のレストランで,ゆったりとお昼を食べました。このご時世,会場ではお弁当すら売っておらず,また,客席では食事もできないので,早く行っても空腹と戦うことになりかねません。
 私はまったく飲みませんが,今場所からは1本に限り,座席でアルコールを飲んでもよくなったそうです。それは,コロナ禍以後,この名古屋場所がはじめてだそうですが,1本に限るというのはどうチェックするのだろう? 隣にいたおじさんはへべれけになっていました。
 こんないい加減な,きまりなのかルールなのか,はたまた,言っているだけのことなのか,いつものごとくやったふりだけの日本らしいアンビギュアス(ambiguous)さで,まあ,これも,もともといろいろとアンビギュアスなお相撲にピッタリなお話です。かつて,高等学校の政治経済の先生が「罰則のない決まりは決まりでない」と言っていましたけれど…。

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 大相撲夏場所が終わりました。
 今場所はテレビ観戦でした。そこで,今日のはじめから3枚の写真は昨年の名古屋場所で写したものです。
  ・・
 大嫌いだった白鵬が土俵を去ったので,再び大相撲中継を見るようになりました。とはいえ,解説が北の富士さん以外のときは,私は,英語モードに切り替えて見ています。そのほうが快適だからです。
 今場所はものすごくおもしろい場所でした。幕内上位はほとんど実力の差がなく,どの取組もどちらが勝つのかわからなかったし,しかも,どの力士もそれなりに個性があって好感がもてるので,どちらも応援したくなるからです。まるで学生相撲選手権みたいでした。
 実際は,体調が万全ならば横綱照ノ富士が抜きん出ているのでしょうが,私はアンチ実力者です。なので,照ノ富士が先場所は全休,今場所は序盤で3敗したからこそ楽しめました。照ノ富士が白鵬みたいなら,私はまた見るのをやめます。

 と,ここまでは前置きで,朝日新聞の5月21日のbe版「今こそ!見たい」に歴代横綱の読者によるランキングが載っていました。今日はそのお話です。
 こうしたランキングは読者の年齢によって知っている横綱も違うので,一概に評価はできませんが,それは別としてなかなか興味深い記事でした。
  ・・
 私が子供のころ,横綱といえば大鵬と柏戸でしたが,大鵬は強すぎました。で,おもしろくありませんでした。しかし,当時,父親は双葉山のほうが絶対に強かったと言っていました。私はそんなものかと思いましたが,双葉山は私の子供のころは時津風理事長で,時津風部屋の名古屋の宿舎で歩いている姿を見たことはあれど,相撲を取っている姿は映像でしか見ていないので実感がわきませんでした。また,柏戸は勝っても負けても土俵から落ちていくのでケガで休場ばかりでした。
 大相撲というのは単にスポーツというだけでなく,いかにも日本らしき価値観である「品格」やらがその存在の意義だということなので,その「品格」やらが実際は何なのかはわからねど,そうした「品格」やらも考慮してのランキングなのでしょう。ということで,私もまた,そうした側面から考えてみます。つまり,強ければいいってもんじゃない,というわけです。
 記事によれば,ランキングの第1位が千代の富士,第2位が大鵬,第3位が北の湖でした。それに関して,やくみつるさんの感想が載っていて「やや意外」と書かれてありました。しかしまあ,やくみつるさんがいかに相撲好きとはいえ,私より若いから,3歳のころから父親に連れられて大相撲を見にいっていた私が知るような,大鵬,柏戸の全盛期なんてほとんど知らないでしょう。「柏戸のつま先立ち」と書かれてありましたが,やくみつるさんの抱く大鵬や柏戸の姿はビデオでその取組風景を見ただけだろうに,と私は思いました。

 千代の富士が第1位なのは,体が小さいのにもかかわらず強かったから,ということでしょう。名古屋場所の宿舎が私の家の近くだったので,私は,北の富士が横綱だったとき,そして,千代の富士がまだ関取りにもなっていないころから目の前で見ています。小さな相撲取りで,横綱になるような器には思えませんでした。それが突然覚醒しちゃったのです。
 強い力士はきらいな私ですが,それだから千代の富士は大好きでした。とはいえ,どういうわけか,というより,解説で人気なので,強くもなかったのに第10位に入ってしまった千代の富士の師匠の北の富士が私は最も好きだった横綱です。「品格」という感じではないですが,これほどかっこいい横綱はほかにいませんでした。特に土俵入りは最高にかっこよかったのですが,その完璧な映像がどこを探してもみつからないのが残念です。その一方で,相撲自体はほどほどに弱く,初日に負けるともうあとはガタガタでまったくダメでした。しかし,その反対に,調子に乗ったときのここ1番はめっぽう強く… といった,人間味あふれ,ムラっ気だらけだったところも最高でした。
 近年は,稀勢の里も大好きでした。もし,白鵬がいなかったら,おそらく稀勢の里はあと5年早く横綱になっていたことでしょう。これが相撲協会にとって不幸でした。
  ・・
 ところで,現在は,この先,だれが横綱になるのか全く先が読めないのですが,私は,千代の富士に似ているといわれる若隆景に大いに期待してます。もっとも横綱らしい横綱になる感じがします。多くの相撲ファンもそう願っていますよ。また,琴ノ若が琴桜になるのも期待しています。
 でも,豊昇龍かなあ? ならば朝昇龍を思い出す。それは絶対にいやだなあ。

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 かつて,「不良老人」の私の暇つぶしのひとつは大相撲観戦でした。
 過去形で書いたのは,今は違うということです。それは,大相撲観戦においても,私は,やりたいことはすべてやりとげたこととともに,今はまったく楽しくないからです。
 では,かつて夢中になったことのある大相撲観戦で,私がやりたかったことをまとめてみます。
  ・・・・・・
●大相撲が開かれている東京,名古屋,大阪,九州のすべてで観戦すること。
●巡業を見ること。
●土俵だまりで見ること。
●天覧相撲を見ること。
●稀勢の里関の横綱土俵入りを生で見ること。=1番目の写真
●史上最弱力士服部桜(現在の勝南桜)の相撲を生で見ること。=2番目の写真
●前相撲からすべて見ること。
●千秋楽の最後に行われる「神送りの儀式」を見ること。=3番目の写真
  ・・・・・・

 現在は,これらのことはやりたくともできなくなってしまいました。そこで,こうしたこともまた,これまでにやっておいてよかったと思うわけです。
 それにしても,私は,勝負ごとにを見るには性格的につくづく適していないなあ,と残念に思います。それは,将棋と同じく,ひいきの力士が負けると,何もかもがいやになってしまうからです。こんな性格の人は,勝負ごとを楽しむことはできません。本当の相撲好きの人がうらやましいです。しかし,今の私には,大嫌いな力士はいても,ひいきの力士は宇良関以外いませんし,今場所の結末を見たとき,もうこんなことでは,今後相撲に夢中にはなれません。
   ・・
 この夏のできごとから,相撲協会をバカにする白鵬と国民をバカにするこの国の首相に同じ雰囲気を感じるのは私だけでしょうか。とても不愉快です。さて,来年の名古屋場所は,新型コロナウィルスが収束して,かつ,白鵬が引退して,再び,こころ置きなく相撲を楽しむことができるのでしょうか。


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 子供のころの感性というのはすごいものです。
 私は,物心がついたころから父親の影響でテレビで,あるいは直接場所で大相撲を見てきたので,仕切りで何をしているかというようなことは,ある意味,当たり前として育ったのですが,大人になってはじめて場所に行ってお相撲を見たという人には,不思議な世界のようです。
 今の私には2面性があって,こうしたしきたりをおもしろいと感じる反面,この不合理さが日本の大嫌いな面を象徴しているようにも思えるのです。
 ある意味,相撲はスポーツというより儀式です。しかし,今の,さまざまな問題を抱えているオリンピックだって,スポーツという媒体に群がる金儲けが目的だけのハエのようなものだから,根底は似ています。というより,むしろ,相撲の方が純粋です。
 柔道が世界の柔道になったことで,加納治五郎が理想としたものとはかけ離れたのと同様に,外国人力士が入ったことで,相撲もまた,さまざまな軋轢を生んでいるわけです。
 まあ,何事もいろいろ問題があります。

 さて,今日は,そんなしきたりの中で,多くの観戦者が知らない,しかし,私がいつも注目して見ている所作をひとつ紹介しましょう。それは,力水を受けるときに力士がそんきょをする際の足の位置です。
 今日の1番目の写真は御嶽海関,2番目の写真は高安関ですが,ともに正しい所作です。右足が俵を踏んでいて,左足が土俵の中にあります。この所作は新弟子のころに相撲教習所で習うとかいう話ですが,これができない関取が結構いて,私は,それができてないだけで,その関取がいかに強かろうと,魅力半減になります。こんなこともできないのか! という感じです。
 これは,日ごろ,そうした形式にこだわることに反感を覚える私なのに,自分のこころの中に存在する自己矛盾でもあります。

 今日のふたつめの話題は,物言いです。幸いというか,何というか,私が観戦した日は3番ほど物言いがつきました。で,この物言い,見ていると,勝負審判たちは話し合いをしているわけでもなく,ただ立っているだけのように見えます。こんなものなら,特にこのご時世,従来のように土俵に上がって「密」談というか「密」会する意味もないように思えます。だって,結局のところ,別室でVTRを見て確認しているのを,審判長がイヤホンで聞いているだけのようだからです。つまり,これもまた,日本人お得意のやったふりのひとつだったりするわけで,そう考えると,これはかなり滑稽な姿です。
 私には,勝負審判は,審判というより土俵上の力士を叱るために監視しているだけの不愉快な存在のようの思えます。審判がプレイ中の選手を叱るとかそれに対して大衆の前で選手が審判にお詫びをするなんていうスポーツがほかにあるでしょうか?
 アメリカのMLBであれば,現在は,ものすごい数のカメラがすべてのプレイを撮影していて,あとでそれをマルチビジョンで再現しているわけです。同じように,大相撲だって,審判の代わりに土俵下に何十台ものカメラとつり屋根の上にマルチビジョンでも設置して,それを使ってきわどい勝負は再現すればいいのにと思ってしまうのですが,そういう発想は,もとから日本人にはないのでしょう。また,そんなことしたら「何事も変えたがらない」多くの保守的な日本人の大反対にあうに違いありません。
 まあ,そんなこんなで,新しいのか古いのか,日本的なのかそうでないのか,よくわからぬけれど,それこそ,そうしたあいまいさと非合理な姿こそが,スポーツだか儀式だか,それもよくわからない不思議な世界をつくりあげているわけです。これこそが大相撲というものなのでしょう。

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 コロナ禍で昨年は開催されなかった大相撲名古屋場所ですが,今年は定員の半分だけ観客を入れて開催するということではじまりました。
 エッ,やるんだ,とはじめ私は思ったのですが,オリンピックがありなら,何でもありでしょう。飲んだくれのおやじが息子に酒を飲むなといっているようなこの国です。私はまったく行く気はなかったのですが,相撲好きの私のアメリカ人の友人が見にいこうと誘ってくれたので,13日目に行ってきました。
 通常なら開始からずっと観戦するのですが,マスクをして長時間見る気もないので,午後3時に館内に入りました。
  ・・
 私にとってみれば,このくらいの観客がちょうどよく,これまでが詰め込み過ぎです。私はひとつおきのイス席でしたが,升席もまた,4人であるところが2人となっていて,このほうがちょうどいいサイズだと思いました。
 思った以上に快適でした。

 今はテレビでもまったく大相撲は見ないので,勝敗もどうなっているか知らないのですが,風の便りでは私の大嫌いな白鵬が勝っているらしいので,無関心に輪をかけているというか,火に油をそそいいでいるというか,そんな感じです。
 以前あれほど熱中していた大相撲でしたが,横綱になってけがをして不本意なまま引退した稀勢の里関がいなくなってからというもの,熱が冷めました。私が今興味があるのは宇良関だけなのです。 
 しかし,実際に観戦すると,不思議なもので,大相撲というのは,結構,勝敗はどうでもよくなります。その場の雰囲気というか,各力士の一挙手一投足がおもしろいのです。今回はそういう姿を写真に収めるのを目的にカメラを持っていき,写真ばかり撮っていたのですが,それはとても楽しいものでした。

 周りを見渡すと,お年寄りの,まあ,お相撲を見ることが一番の楽しみ,という感じの人たちに混じって,若い女性がひとりで来て観戦している姿がけっこうあって驚きます。
 楽しみはひとそれぞれですが,こうして夢中になれることがあるというのはうらやましい限りです。特に,今のような,何か社会全体がどんよりと曇ったような感じになっているとき,こうした楽しみは貴重なものなのでしょう。
 1日も早く,以前のように,こころ置きなく楽しめる日がくるといいのですが。


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 国技館のある両国というところはとても雰囲気のよいところです。大相撲のチケットをもっていなくても,このあたりを散策するだけで異次元空間に入ったような錯覚を覚えます。今回大相撲を見る前に少しこの辺りを散策してみました。
 このあたりには相撲部屋も多くあって,歩いていると意識しなくてもいくつか目にすることができます。今日の1番目の写真が八角部屋で,2番目の写真がそのお隣にある錦戸部屋です。八角部屋というのは現在解説者の北の富士さんが九重親方だったときに育てた横綱北勝海が八角親方として起こした部屋ですが,むしろこちらのほうが北の富士さんが九重親方だったときの直系です。そして,横綱千代の富士が名前としては九重親方として部屋を継いだ形となっていますが,むしろ分家のような感じです。ちなみに九重部屋もこの近くにあります。
 現在両国に部屋を構えるのは結構大変で,よほど昔からの伝統がある部屋かまたは後援会が強くお金があってこのあたりに土地を手に入れることができた部屋に限られてしまっているのが残念なことです。

 3番目の写真は葛飾北斎生誕の地という立て札で,この場所には葛飾北斎美術館もあります。江戸情緒一杯です。
 そして4番目から6番目の写真がその近くにある野見宿禰(のみのすくね)神社です。野見宿禰神社というのは相撲の始祖とされる野見宿禰を祀る神社で,兵庫県たつの市にも同名の神社があります。
 1884年(明治17年),この神社の東側に部屋があった初代高砂浦五郎によって元津軽家の屋敷跡に創建されたものです。境内はさほど広くないのですが,ここには歴代横綱之碑というのが二基あります。そのひとつは1952年(昭和27年)に建立されたもので,初代明石志賀之助から46代朝潮太郎までの名が刻まれています。もうひとつは47代柏戸剛以降の歴代の横綱の名前が刻銘されていて,最後が稀勢の里です。新しく横綱が誕生した際にはこの神社の神前で土俵入りを披露する慣例があります。

 野見宿禰というのは土師氏の祖として「日本書紀」に登場する人物で,天穂日命の14世の子孫で,第12代の出雲国造である鵜濡渟の子であると伝えられています。 
 相撲の最古の記録は「古事記」にあり,そこには,葦原中国平定で建御雷神(たけみかづち)の派遣に対して出雲の建御名方神(たけみなかた)が「然欲爲力競」と言ったのちに建御雷神の腕を摑んで投げようとした描写があります。これが相撲の起源とされていますが,これは神々の世界のこと。
人間同士の相撲で最古のものは「日本書紀」にあり,紀元前23年(垂仁天皇7年)に,垂仁天皇の命により,野見宿禰が当麻蹴速と角力(=相撲)をとるために出雲国より召喚され当麻蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ったと言い伝えられているものです。
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 朕聞當麻蹶速者天下之力士也,各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之
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 蹴り技の応酬ののち,最後に宿禰が蹴速の脇骨を蹴り折り,更に倒れた蹴速に踏み付けで加撃して腰骨を踏み折り絶命させた
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と書かれています。こうしたことから,野見宿禰は相撲の始祖として祭られているというわけです。 

 時代は進み,奈良時代から平安時代にかけて,宮中行事のひとつとして相撲節会が行われるようになり,毎年40人ほどの強者が選抜されて宮中で天覧相撲をとりました。要するに宮中のお祭りのひとつだったのでしょう。力自慢がそれを競い合い,それを見て楽しもうという考えは自然なものです。
 その最初の記録は734年(天平6年)にありますが,時代が下るにしたがって次第に重要な宮中行事となっていきました。しかし,都の政情が不安定になっていくとともに相撲節会は滞るようになり,1174年(承安4年)を最後に廃絶になりました。
 その一方で,神社における祭事として相撲をとる風習が生まれ,これは,農作物の豊凶を占い五穀豊穣を祈り神々の加護に感謝するための農耕儀礼として,現代も地方で続いています。
 相撲はまた,組み打ちの鍛錬として武士の間で広まっていきました。源頼朝は特に相撲を好み,鎌倉を中心に相撲が盛んに行われました。江戸時代に入るとそうした武家相撲は存在意義を失いましたが,土地相撲が興行化して民衆一般に広がり,興行主はこれを神事相撲の「勧進」にことよせて勧進相撲と称した見世物と化し,庶民の娯楽としてさらに隆盛するようになっていきました。そして,職業相撲としての営利的興行へと変化し,スター力士が登場,江戸相撲は黄金期を迎えることとなって,1833年(天保4年)には勧進大相撲が一大歓楽地であった両国を定場所としたのです。

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 大相撲を見にいく楽しみは,アメリカMLBと同様に,テレビでは映らないさまざまな風景をみることができることです。そして,そうした風景を写真に撮ることです。テレビで見ていると結果ばかりが気になるのですが,実際に見にいくとそれほど結果にはこだわらなくなるの不思議なことです。
 今一番の人気は,1番目の写真の炎鵬関です。以前,金沢巡業ではじめて見たときは,あんな小さな体でこれから強くなるのかしらンと思ったのですが,幕内で活躍をしています。この日に勝って勝ち越しましたが,歳をとった私は,そういうのを見るだけで泣けてきます。
 宇良という人気があった小兵力士はその後ケガをしてしまい,今場所も休場をしています。一度ケガが癒えて復帰したのですが,また同じ場所をケガしてしまい,なかなか再起ができません。どうしても小さな力士はこうしたケガが致命傷になってしまいます。
炎鵬関はなんとかケガをしないでこれからも活躍してほしいものです。

 2番目の写真は照強関の塩まき,3番目の写真は阿炎関の四股です。こうしたその力士独特のパフォーマンスも魅力のひとつです。前回名古屋場所を見たときも同じようにこうしたパフォーマンスの写真を撮っていたのですが,照強関の塩まきはすっかり頭から抜けていたので,今回はぜひ写そうと狙っていました。
 こうして高らかに塩をまく力士は,昔の水戸泉関,それに続く北桜関といたのですが,現在は照強関です。

 水戸泉関は水戸市出身で高砂部屋所属。最高位は東関脇で現在の錦戸親方です。新十両の場所の8日目から,付人の奄美富士の「勝ち星に恵まれないときはせめて塩だけでも景気よくまいたらどうですか」という進言により大量の塩を撒くようになったといいます。はじめの頃は1回目から大きく撒いていたということですが,後に制限時間いっぱいの時にのみ大きく撒くようになりました。1回にとる塩の量は何と600グラムでした。
 ロンドン公演で「ソルトシェイカー」と紹介されたというのは有名な話で,私はそのときにシェイカー(shaker=振る人)という英単語を覚えました。それ以降,日本でも「水戸泉といえば豪快な塩まき」として定着しました。
 北桜関は広島市出身で北の湖部屋所属。最高位は西前頭9枚目で現在の式守親方です。 制限時間一杯のとき大量の塩を撒くパフォーマンスで有名になりましたが,そのパフォーマンスをはじめたきっかけは,2000年の名古屋場所14日目の対水戸泉戦でした。初対戦時に負けていたため気迫で負けぬようにと対抗して多くの塩を撒いて勝ったことによります。翌秋場所で引退した水戸泉関は北桜関を「ソルトシェーカー」の後継に指名し,観客に喜ばれる塩撒き法を伝授したといいます。
 塩を撒く前にはゆっくりと大きな深呼吸し,塩を撒いた後には雲龍型のポーズをとって土俵内に入る事でも知られていました。

 四股というのは,両足を開いた状態で膝に手を添え,そのまま片方の足を高く上げて踏み下ろすといった動作を繰り返すものです。力士の足腰を鍛える基本動作で,相撲界では,もっぱら四股を踏まずして強くなることはないといわれています。逆にいえば,強い力士はそれだけよく四股を踏んでいるともいい換えられます。
 四股の語源は「醜(しこ)」という言葉にいきつくとされています。これは四股が大地を踏んで邪鬼払い的な意味があることを示唆していて,その「醜」という言葉を嫌い当て字として用いられたのが「四股」となります。つまり,足で地を踏むことで邪鬼,すなわち醜を払っている神事ともいえます。取組前に力士が土俵で行う四股は,単に準備運動を行っているだけでなく,土俵の邪鬼を払い清めているということにもなるのです。

 今,阿炎関の四股がキレイ! と話題になっています。そんなことを知らずとも,その姿を見ればそれだけでほれぼれします。私は話題になっていることは知りませんでしたが,見ていて思わずこうして写真に収めました。
 お相撲見物のおもしろさは勝ち負けだけに限らず,というよりも,むしろ勝ち負けなどどうでもよいくらい,力士が土俵に上がってから相撲を取るまでの様々な動き=所作にもあるのです。
 阿炎関の四股は,最初は少し膝を曲げながらゆっくりと片足を上げ,その足をピンとまっすぐ伸ばしますが,その状態でも身体がふらつくことがないのです。そして,その上げた足をつま先から土俵にのめりこむように下ろしていきます。

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 服部桜という力士がいます。
 通算3勝164敗1休みというこれまでの成績は,相撲史上最弱という名をほしいままにしています。
 服部桜が勝つところをみるのは,横綱白鵬が負けるのを見るよりも大変です。そもそも15日のうち7番しか取組はなく,しかも登場は一番はじめとなれば,取組を見ることすら困難なのです。
 私はなぜか,いつかはそうしたい,いつかは見てみたい,いつかは行ってみたいと思い続けていたことは奇跡的に実現してきたのですが,今回,この服部桜の取組を見ることができました。いつも13日目までに取組を終えるので期待していなかったのですが,なぜか,14日目に取組がありました。しかも,取組開始の30分ほど前,国技館の建物の外にふと出た時,偶然にもその場所入りに遭遇しました。これを奇跡といわずなんというのでしょう!
 しかし,4勝目は実現せず,順当に165敗目となってしまいました。

 服部桜は神奈川県茅ヶ崎市の出身で式秀部屋,つまり北桜関の起こした部屋所属の力士です。
 身長177センチメートル,体重85.1キログラムで,これまでの最高位は西序ノ口15枚目です。
 小学校時代にテレビで幕下の取組を見て相撲に興味をもち,中学卒業後高校に進学せず陸上競技の活動を継続すべく独自の筋力トレーニングを研究している最中,四股や摺り足が陸上競技に必要な筋肉の鍛錬に最適であることを知り入門を決意しました。
 式秀部屋に単身で訪問し入門志願を直訴,両親の承諾を得たことで正式に入門が認められ,2015年秋場所で初土俵を踏みました。つまり,これでまる4年となります。
 次の九州場所に序ノ口として番付に四股名が掲載されて以降全く勝てない場所が続いていましたが,2016年夏場所6日目の澤ノ富士戦において通算23戦目にして初白星を挙げました。
 皮肉にも服部桜が有名になったのは2016年秋場所3日目,錦城を前に立ち合いで相手に触れる前に転ぶという敗退行為で,これがマスメディアや相撲愛好家に取沙汰された上,師匠の式秀親方が事情聴取及び口頭注意を受けたことによります。これは,稽古で首を痛め立ち合いで恐怖心を感じていたゆえに行為に及んだということでした。
 このとき引退も考えたのですが「今逃げると負け犬になるぞ」と式秀親方から叱咤されて続投を決意したということです。  
 2018年初場所6日目に敗れた時点で70連敗達成,双葉山の連勝記録69を上回る事態となりましたが,2018年名古屋場所3日目颯雅に腰砕けがあったため勝利し,2勝目を挙げ,ついに連敗を89で止めました。そして,2019年初場所9日目に峰雲に寄り倒しで勝利し,3勝目をあげました。
 現在はこの日負けて31連敗中です。

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 今日の1番目の写真のように,両国国技館のチケット売り場は,開場前このような人だかりになっていました。これはわずかな枚数の当日に売り出される自由席券を手に入れて,だれよりも先に会場に入り,よい席に座ろうとする人たちでした。それにしても,よい席といったところで,国技館の最上段の一列でしかありえません。どこに座ろうとたいして差がなさそうに私には思えるのですが,これはこれでこの人たちは一生懸命です。話しかけてみると,並んでいる人には常連さんが多く,私は入り込めますが,一元さんには入れないムードいっぱいでした。
 こうした人たちがいる一方で,午後4時過ぎに観光バスで現れる団体さんもいます。私は,せっかくチケットがあるのに,午後4時から見るのではもったいないなあと思うのですけれど…。はじめの一番から見てこその相撲見物です。

 2番目の写真は先の夏場所の千秋楽でアメリカ合衆国トランプ大統領が優勝者に手渡した優勝杯,通称トランプ杯です。夏場所後は相撲博物館に展示されてありましたが,場所がはじまって,優勝杯などとともに並べてありました。ただし,これが優勝力士に贈られるのは初場所だけだそうです。
 あの騒動は夏場所千秋楽ことだったのですが,今にして思うといったいなんだったのでしょう? 大統領はMLBのボールパークのイメージしかなかったのでしょう。しかも,あれだけ準備して忖度して,来た本人は少しも楽しそうでありませんでした。それにしても,このトロフィーが優勝賜杯よりも大きいというのもなんだか複雑な気持ちです。

 そして,3番目が国技館名物の焼き鳥です。国技館といえば焼き鳥でしょう,というわけで,これを食べ,ビールを飲んで相撲見物をするのが定番となっています。ついでにみつ豆というのもまた国技館名物だったりします。私はビールはめっぽう強いけれどめったに飲まないので,この日もまた焼き鳥とお茶でしたけれど…。
 この焼き鳥は国技館の土俵の下にある秘密? 工場で作られているというのは知る人ぞ知るトリビアなのですが,もっと暖かければいいのに,それが残念なことでもありました。
 国技館というのは,日本の昔から延々と続く「芝居小屋」が今に残る建物で,およそ海外の,特にアメリカのスポーツ施設とは根本的に発想が異なります。それはそれでその国の個性だからいいのですが,升席がせまく4人も座ればぎゅうぎゅう詰め,しかも4人集まらないとチケットも買えないのが難点です。それでもまだ,国技館には2階のイス席がたくさんあり,そのイスも座り心地が悪くないので許せますが,地方場所ではイス席が少なく,しかも,そのイス席というのも駅のベンチのような固いものなので,そんなところに何千円も出して何時間も座らされるのは耐えられません。

 4番目はちゃんこです。
 お相撲は一時人気がなくなったころに結構さまざまな企業努力をして相撲以外にさまざまな企画をはじめたことで,今もそれが続いていていろいろと楽しめるようになりました。託児所もあるようですが,アメリカのMLBのボールパークのように,子どもがもっと楽しめるような遊び場があればいいのになあと思います。一度相撲関係者はアメリカのスポーツ施設を見学に行って研究するといいと私は思います。
 このちゃんこは人気で列ができるのですが,お客さんの回転が早いのでけっこうすぐに食べられます。この企画がはじまったころは相撲教習所でやっていて,なかなか入ることのできない相撲教習所に入ることができたのですが,今は,国技館の地下の会議室,といっても豪華な場所ですが,そこでやっています。せっかくやっているので,会場に大きなテレビでも設置すればいいのに,ここには何もないから,せっかくお相撲を見にきたのに,ちゃんこを食べている間は相撲が見られないというのはかなり残念なことです。
 1杯300円で量はそれほど多くないのですが,それがよくて,これだけでおなかが一杯になってしまったら,ほかのものが食べられなくなってしまうからこれで十分でしょう。私の隣に並んでいた若者はおなかが減ったと2杯頼んでいましたが。

 そして,5番目の写真は力士の入り待ちを待っている人たちです。せっかく相撲を見に来て,土俵を見ず,こうして力士が来るのを待っている人が多いので,午後3時くらいまでは館内が空いてるというわけですが,国技館では,大関以上は車で駐車場に入ってしまうので,ここに立っていても見ることができません。それ以外の力士は待っていると間近に見ることができます。本当は来る力士を待つ「入り待ち」よりも帰るときの「出待ち」のほうが力士がリラックスをしているので,一緒に写真を写したりサインをもらえるのでよかったりします。
 こうした方法は,以前は国技館だけで,地方場所ではやっていなかったのですが,これもまた,人気回復のために地方場所でもはじめました。しかし,昨年の名古屋場所が暑すぎで熱中症で見ていた人が倒れるということが起きてから,名古屋場所では中止となりました。一番見やすいのは大阪場所です。大関や横綱も見ることができるし,入口が狭く,力士とお客さんの入口が同じ場所です。
 私はこの日,ここにいる予定もなかったのですが,ちゃんこを食べて席に戻る途中でふと立ち寄ったまま,3時過ぎまでここにいることになってしまい,そんなわけで結局今回もまた,ほとんど取組を見ないで終わってしまいました。お相撲を楽しむにはどうやら体がふたつ必要なようです。

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 9月20日金曜日から21日土曜日,東京へ出かけて,20日はNHK交響楽団の第1919回定期公演を聴き,21日は大相撲秋場所を見ました。どちらもすばらしく,とてもよい週末になりました。NHK交響楽団のことは後日書くことにして,今日は,私の見にいった翌日22日に御嶽海の優勝で終わった大相撲のことを書きます。
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 一時よりはチケットが購入しやすくなった大相撲ですが,今回は,14日目と千秋楽の抽選の申し込みをして,14日目が当選しました。大相撲に限らず,1日を楽しく過ごすことができればいいので,とても楽しみに両国の国技館に行きました。
 晴れ男の私なのに,どういうわけか両国に足を運ぶときはなぜか天気が悪く,いつも,両国界隈を散策しようとする目的が果たせません。この日もまた,雨こそ降らねど,なんとなくはっきりしない天気でした。しかも,早朝しJRの両国駅を降りたら,何となく小雨が…。しかし,雨はそれ以上は降ることもなかったので,開場まえに,やっと両国界隈を散策することができました。
 このあたり,たくさんの相撲部屋があったり,葛飾北斎や芥川龍之介の住居跡があったりと,なかなかよいところなのです。ちいさな家々がが多いのですが,駐車してある車が高級車ばかりなのがまたおかしなところで,そのアンバランスがまた興味深いところでもあります。
 
 大相撲は14日目と千秋楽は開始時時間がおそく,この日は取組のはじまるのは午前10時45分でした。
 8時の開場時間には,わずかだけ販売される自由席の当日券を買い求めた人たちが列を作り,我先に少しでもよい席をとるために競争を繰り広げていました。
 お相撲を見に来たお客さんのおもしろいところは,こうした自由席を買って毎日のように見に来る人やら,土俵溜まりで毎日観戦している人やら,チケットは持たず国技館の外で力士の場所入りを追っかけている人やら,いろんな人がいることです。しかし,共通するのは,そのどのタイプの人でも,お相撲の話をするとすぐに意気投合してしまうことにあります。
 私は,いつものこと,開始時間から最後までを楽しむために,一番はじめに会場に入って,相撲を見たり,力士の場所入りを見たり,ちゃんこを食べたり,などなど,快適な1日を過ごしました。いつも書いているように,横綱白鵬が出ないときの大相撲はおもしろいのです。それに加えて,この場所は優勝争いが最後までもつれて,一層おもしろい場所になりました。
 では,今日は私がこの日に写した,千秋楽に3敗で並んだ御嶽海関,貴景勝関,隠岐の海関の写真をご覧ください。

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 私は栃錦,若乃花が横綱のころから大相撲を見ています。白鵬ならぬ「柏鵬」が横綱だったころは,圧倒的に大鵬のほうが強く,「巨人・大鵬・玉子焼き」という言葉があったくらいですが,私は,玉子焼きはともかく,巨人も大鵬も嫌いでした。強いものが嫌いというのは子どものときから変わらないようです。強い横綱でも応援していたのは千代の富士だけでした。
 そんな,嫌いな大鵬でしたが,最後の32回目の優勝となったときの強さは今も忘れられません。横綱玉の海から逆転で優勝をしたのですが,結びの1番で勝ち,優勝決定戦でも勝ちました。特に,優勝決定戦では十分な左四つになりながらまったく攻めず,水入りとなって,その後,右を巻き替えてもろ差しとなって,それでも攻めず,最後は玉ノ海が棒立ち状態となったところを寄り切って完勝したのでした。あまりに長い勝負だったので,今,それをカットしないですべて見ることができないのが残念な限りです。

 その大鵬の孫が,1番目の写真の納谷です。お父さんが貴闘力というのは伏せて,みんな大鵬の孫と言います。その昔のこと,のちに大鵬となる納谷と柏戸となる富樫は入門のころから有名だったといいます。このように,将来有望な力士を入門当初から期待するのが「ツウ」というもので,私もいろいろと探します。今,そんな若い力士がたくさん出てきて,幕下上位から十両がとてもおもしろいです。
 2番目の写真は納谷と対戦した塚原,3番目の写真が横綱朝青龍の甥である豊昇龍です。また,4番目の写真が横綱琴桜の孫,琴ノ若の息子である琴ノ若です。
 このように,私がよく知っている往年の力士の子供,だけでなく,孫の代が有望力士として活躍するようになってきたのは楽しみでもあり,自分の歳を感じざるをえません。
 今や,大相撲に限らず,どんな世界でも2世,3世が花盛りです。政治家や芸能人の2世,3世なんて,単に親の七光りなので私は賛成しかねますが,勝負の世界では親の七光りは通用しません。しかし,その遺伝子が才能となるのでしょう。

 今場所は休場していますが,大関になった貴景勝もまた,佐藤というしこ名のころから期待をしていましたし,阿炎,阿武咲,輝なども三段目や幕下のころからとびぬけていました。このように,早朝から大相撲を見にいって,将来有望な力士をさがすのが一番おもしろいのです。しかし,下位のころにはすでに群を抜く強さであっても,幕内まで出世するとなかなか勝てないのだから,厳しい世界です。
 そうした将来有望力士のなかでも,萩原という名であったのちの横綱稀勢の里は断トツでした。どんな大力士となるか,大横綱となるか,末が楽しみでしたが,もう,そんなころも過去のものとなってしまったのです。寂しいです。

 今,私が注目しているのは,5番目と6番目の写真の貴ノ富士と貴源治との双子力士です。しかし,思っていたほどでなく,十両で伸び悩んでいたので,少しがっかりしていたのですが,このところ,やっと力がついてきたようです。
 私が夢見るのは,今,NHKで解説をしている北の富士さんが横綱になったころのカッコよさとさわやかさ,突然強くなって,無敵横綱となったころの千代の富士,そんな力士がでてくることですが,なかなか難しいものです。

 また,それとは別に,何十年も前には,力士は今のように大きくなく,小兵とよばれる個性のある存在がたくさんいました。今はなかなか小兵力士が活躍するのは難しいのですが,そんな時代に現れた,宇良,そして,炎鵬という小さな力士が相撲をおもしろくしています。
 宇良は残念ながらケガをして三段目までさがってしまいましたが,それに代わって炎鵬が活躍しています。この先もケガをしないでいつまでも活躍してほしいものです。
 いずれにしても,このごろつくづく,私は大相撲も将棋も,勝負事というものを楽しむことができない人間だなあ,と残念に思うのです。それは,ひいきにしている人が負けると,世の中が滅亡してしまうほどがっかりしてしまうからです。勝負事だから,勝つこともあれば負けることもあり,そのどちらになっても応援するのが真のファンだということはわかっているのですが,私はどうもそういう精神状態になれません。近年は,将棋の藤井聡太七段が負けただけで世の中が滅亡するほど絶望的な気持ちになります。これではせっかくの楽しみを楽しみとして味わえないのです。我ながら情けない話です。

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 7月12日金曜日,2年ぶりに大相撲名古屋場所を見にいきました。横綱になってからけがをした稀勢の里関の不振で見ていて痛々しく興味をなくした大相撲ですが,引退が決まってホッとしました。そんな折,5月の夏場所の期間,ちょうど東京にいたので,両国の国技館へ力士の入り待ちを見にいって,その独特な雰囲気を思い出したことから,また,相撲を見にいきたくなって,直前に6日目のチケットを買いました。
 どうやら,数年前の熱狂も少し冷めてきていて,以前よりはチケットも買いやすくなっているようです。今年の名古屋場所は3日目,ついにチケットが16枚,最後まで売れなかったといいます。

 名古屋場所が現在の愛知県体育館 -なんでも今はドルフィンズアリーナとかいうわけのわからない名前に変わったそうですが- で行われるようになって50年以上も過ぎて,もともと貧弱な体育館も老朽化しました。私は未だにこんな体育館で本場所が行われていることが信じられないのですが,どうやら新しい体育館ができそうです。しかし,愛知県のやることだから,新しいものを作っても,きっと大したものができることはないでしょう。
 大相撲だけでなく,クラシック音楽でも,愛知県の芸術劇場コンサートホールと大阪のフェスティバルホールでは,こうも違うのかとおもうほど設備に違いがあって,愛知県は貧弱です。スポーツでも芸術でも「遊び」がないのです。「文化」というものはそこに見にいくだけのウキウキ感が必要ですが,そうした遊び心がなさすぎます。おそらく,文化というものにリスペクトがないのでしょう。それは,学校も同じで,愛知県の公立高校はどこもボロボロです。

 ところで,私が大相撲を見にいくときは,いつも開場とともに入ります。
 このごろはAmebaTV で最初から最後まで中継を見ることができるようになりましたが,それまでは,テレビ中継がはじまるまで,大相撲がどのように行われているのか,私は不思議でした。そこで自分のお金でチケットが買えるようになったころから,それを知りたくて朝早く出かけてはじめから見るようになったのですが,それが今も続いています。
 実際,序ノ口とか序二段あたりのお相撲はなかなか風情があり,おもしろいものです。せっかく行くのにこれを見ない手はありません。しかし,今年は所用があって朝から行くことができず,残念ながら,到着したのが午後1時過ぎで,もう幕下の取組がはじまるところで,場内にはすでに多くの観客がいて,午前中の閑散とした雰囲気はありませんでした。

 話は変わりますが,今年の名古屋はまったく暑くありません。昨年は異常な猛暑で,力士の入り待ちをしていた人が熱中症で倒れたりしたので,今年は入り待ち自体がなくなってしまいました。しかし,連日,天候は曇りか小雨で,気温も30度に達せず,しかも,蒸し暑くないので,まったく名古屋の夏らしくありません。
 いつもなら体育館に着くまでに汗だくになるのに,これでは,名古屋場所という感じもありません。こんな状態がずっと続くと,何十年まえだっかにあった冷夏のとき,秋になってコメがなくなったのを思い出して,心配になってきます。
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 1時過ぎから見はじめると,狭いながらも館内を歩き回ることもなくアッというまに十両の土俵入りになってしまいました。この先は,いつも,それこそアッというまにすべての取組が終わってしまいます。なにか物足りない大相撲見物になってしまいました。
 やはり,大相撲は朝の8時過ぎからだらだらと夜の6時まで,食っちゃ見,食っちゃ歩きをしながら見るものです。それが粋というものです。しかし,そうするためには,座布団さえないイス席はせまいし,館内にかろうじてある小さなレストラン以外に特にくつろげるところもないのでは情けない話です。いつもながら。

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大相撲の思い出を語る①-冷房なき金山体育館のころ
大相撲の思い出を語る②-愛知県体育館になって
名古屋の夏は大相撲からはじまる-千秋楽を観戦する①
名古屋の夏は大相撲からはじまる-千秋楽を観戦する②
名古屋の夏は大相撲から2017-今年も千秋楽を観戦する。①
名古屋の夏は大相撲から2017-今年も千秋楽を観戦する。②

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 このところ何かと話題の大相撲ですが,昨年2017年10月14日の金沢巡業に続いて,去る4月7日に刈谷巡業を見にいきました。前回も書いたように,大相撲の巡業は村芝居を見にいくようなもので,勝敗はどうでもいい,というのがメリットでもありデメリットでもあるわけですが,私は,とにかく,気楽に楽しめるのが最高です。
 前回の教訓で,巡業は一般に小さな体育館で行うので,2階のイス席でも十分に近く,逆に1階の席は人の頭が邪魔して,思うほどよく見えないのに,チケットはけっこう高いので,2階席にしました。1階席のメリットとしては,力士のサインがもらいやすい,とか,一緒に写真が写しやすい,というのもあるのですが,そういうことは私としてはど~でもよくて1日が楽しめればよいわけです。

 会場は刈谷市にあるウィングアリーナ刈谷というところで,名前はしゃれていますが,要するに刈谷市の体育館です。
 さすがにトヨタ自動車の町,立派な総合運動公園があって,その一角にあります。広い駐車場があるので車でも便利ですが,車を出すときに混み合いそうだし,刈谷から名古屋に帰るのも時間がかかります。そもそも,この刈谷という町は自動車産業の町にも関わらず,国道23号線はかなり渋滞する不便なところです。
 まったく話は違いますが,天文ファンにはおなじみの,昔「アスコ」というブランドで名をはせたプロ用の大型反射天体望遠鏡を作っていた町工場「旭精光研究所」がある(あった)のはこの体育館の近くです。この会社は尾崎さんという方が家族でやっていた家内制手工業なのですが,その方が亡くなってから息子さんにはその力がなく,当時勤めていた人たちが新たに一宮市に「中央光学」という会社を作って出ていったというのが実情で,使われなくなった工場跡が今も残っています。

 私は名鉄の一ツ木駅から歩いて朝8時過ぎには会場に到着したので,まず握手会というのに並びました。この日の担当は遠藤関と千代丸関でした。
 会場内でははやくも力士の稽古が繰り広げられていて,土俵を関脇栃ノ心が独占していました。その後,横綱白鵬が現れて,隠岐の海関相手に,延々と立ち合いの稽古をしていました。私は白鵬は大嫌いですが,それでも,あれだけなんだかんだと言われたインチキな立ち合いを直そうと時間をかけて稽古しているんだから,強くて当たり前です。他の力士は見習わないといけません。

 プログラムは子供の稽古からはじまって,呼出しさんの太鼓の実演やら初っ切りやら相撲甚やらと,恒例のものが続き,やがて,土俵入りや取組があって,3時頃に終了しました。
 巡業では,土俵入りで赤ちゃんを抱いた力士があがるのですが,赤ちゃんとはいえ,けっこう女の子もいます。あれだけ話題になっているのに女性が土俵に上がっていいのかしらん,と私はいつも(茶化して)思うのですが,まあ,相撲界なんてそんなもんです。しかし,抱っこすればいいのなら,大人の女性だってお姫さま抱っこして上げちゃえば問題ないのでしょうか?
 まあ,このこともまた,何事も本当のことはわけがわからない,日本らしいといえば日本らしい,あいわからず変な「神の国」です。

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 本場所は東京はもちろん,名古屋,大阪,福岡と見にいったので,今回は巡業に行こうと思い立ちました。何事も一度はやってみないと納得がいきません。チケットを買ったのは10月14日の金沢巡業でした。
 私がチケットを購入した後で,もっと自宅から近いところで巡業があることを知って,何も車で3時間もかかる金沢まで行く必要もなかったのですが,これまで満足に金沢を観光したこともなく,また,東海北陸道を走ったこともなかったので,初秋の小旅行も兼ねることにしました。ある事情で直前まで行くことができるかどうかわからなかったのですが,結局,予定通り行くことができました。そしてまた,自宅を出発するときは天気がすぐれなかったのですが,北に向かって走るにつれて天気もよくなり,さすが,自他ともに認める晴れ男は今回もまた健在でした。

 前日の午後出発して,途中で白川郷を見学してから,金沢に着きました。夜は金沢市内を観光しましたが,金沢市は高知市や徳島市のような規模の街,ただし,加賀百万石というだけに,文化の香り高いすばらしいところで気に入りました。しかし,考えてみれば,ここは日本海側,これから春にかけてずっと天気も悪く,住み心地がよいとは思えません。
 翌日は早朝にホテルを出て,さっそく会場である金沢市総合体育館に向かいました。
 途中でどこかで朝食をと思ったのですが,どこにもマクドナルドや吉野家の一件どころか喫茶店すら存在せず,結局,やっと見つけたコンビニになってしまいました。
 開場は8時でしたが,7時過ぎにはすでに列ができていました。力士の乗ったバスが次から次へ到着しました。

 まあ,大相撲とはいえ,これはまさに旅芸人一行様です。きわめて日本らしい娯楽です。これはよい意味で,こういうの私は嫌いではありません。むしろ,どっちが勝った負けたというピリピリとした本場所よりもずっと楽しめます。要するに,観客としては楽しければよいわけです。
 私にはめずらしくもないけれど本場所の行われない地方ではこれが楽しみなのだろうなあ,と思いました。会場内は力士とファンで溢れていて,サインもねだり放題だし,写真も撮り放題,こりゃ,好きな人にはたまりません。もし私も「スー女」なら,本場所よりも巡業のほうがずっと楽しそうです。

 この日から横綱白鵬が参加ということで,4横綱の土俵入りがありましたが,休場の続く本場所よりもずっと豪華です。おそらく,来場所鶴竜が引退するでしょうから,こうした姿もこれが見納めでしょう。
 「花相撲」ですから,勝負の結果などはどうでもよいのですが,こうした巡業での本気度というのはどういうものなのでしょう。私にはそれがずっと気になっています。お互いの阿吽の呼吸というか,どこまでどう演技をしているのか気になります。
 しかし,琴勇輝関は本場所では封印をした「ホーッ」も出るし,最後の取組は横綱白鵬対横綱稀勢の里だし,こんなの,本場所では見られませんから,巡業のほうがはるかに豪華でした。

 なかなかチケットの買えない本場所はもうやめにして,これからは巡業が近くに来たらこちらを楽しもうかな,と思いました。癖になりそう。

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 今年は3月の大阪,5月の東京,7月の名古屋と,すでに3回大相撲を見にいきました。
 3月は新横綱稀勢の里の土俵入りを,5月は皇太子殿下と妃殿下の大相撲観覧の日である初日に連続優勝した稀勢の里関の2枚の優勝額の掲額を見ました。
 このように,私は,見られないと思っていたものをすべて見て念願を果たしたわけですが,それですっかり満足しました。一昨年にははじめて福岡まで行って九州でも大相撲を見ているので,これで,すべての場所で大相撲を見たこともあり,私の好奇心は,残すは地方巡業だけとなりました。
 その地方巡業も10月に見にいくことにしています。

 数年前までは当日でも楽にチケットをそれもディスカウントで買えたのに,このところの大相撲ブームで,チケットの入手もままならなくなって,私のような50年以上の大相撲ファンにとっては大変な時代です。
 しかし,今場所はここ数か月前の状況が夢だったかのように,上位陣に休場が相次いて,ついには,出場しているのが横綱1人,大関1人となってしまいました。
 理事長さんは否定してますが,巡業多すぎです。あの暑い夏にほとんど休みもなく日本中を移動していれば疲れが出るというものです。相撲協会もブラック企業なのでしょうか?
 これだけ休場力士がいても,それにもかかわらず連日満員だそうです。しかしそれも東京だからであって,おそらくは次の九州場所は厳しいでしょう。もともと九州は客の入りもよくないし,今年も福岡ダイエーホークスが優勝したりして,福岡は遠くから出かけてもホテルを確保するのも大変だからです。
 私もまた九州に行こうとは思いません。

 しかし,今場所は,私にとっては,とてもおもしろい場所です。
 それはハリ差しやら変化ばかりの立ち合いで,見ているだけで腹立たしい,かつ,見たくない横綱白鵬がいないことが第一の理由です。そしてまた,ほんとうは見たいけれど,いつもハラハラしてまともに見られない横綱稀勢の里がいないことで,最後までのんびりと安心して,また,勝負をまったく度外視して楽しむことができるからです。
 変な理屈です。
 これは私個人の独断と偏見ですが,というか,もともとこのブログはすべて独断と偏見で書いているわけですが,もし,横綱白鵬がいなくて,5年くらい前に稀勢の里がすでに横綱になっていて,横綱が日馬富士と稀勢の里だけであって,毎場所このふたりで優勝争いをしていたのなら,今よりもずっとずっと大相撲は面白かったことでしょう。

 今から45年ほど前,NHKの中継で解説をしている北の富士さんが現役の横綱だったころのこと,ライバルの横綱玉の海が急死して精神的に落ちこんでしまい,不眠症という理由で休場してしまったときの場所では,まったく優勝候補が不在になって,大混戦だったことを私は思い出します。
 そしてまた,北の富士さんの弟子であった大横綱千代の富士はとても強い横綱でしたが,小さかったことでときどき無残に負けることがあって,それがまた魅力のひとつでした。いまの白鵬にはそうした魅力はありません。今場所のように,だれが一番強いのかわからない状態の方がずっと私には楽しいのです。
 さて,今日,豪栄道関は勝てるのでしょうか? 今日も負けて千秋楽も負けて,もし,11勝4敗で6人くらい(12日目終了現在で4敗が10人います)が並んで,優勝決定戦でもやったら,最後まで目が離せないさらにおもしろい場所になるのですが……。果たして結果はいかに???
 しかしですねえ,この場所を休場して一番悔しがっているのは大関高安でしょう。私も残念です。


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 前回書いたようなわけで,名古屋場所の千秋楽は,私には何の思い入れも盛り上がりもなく粛々と進行していきました。
 今日は,テレビでは放送されないような珍しいシーンを集めてみました。
  ・・
 1番目の写真は序二段の優勝決定戦に出場した桝乃山ですが,残念ながら負けてしまいました。
 桝ノ山を桝乃山と改名して望んだこの場所は7戦全勝でした。2年前の春場所でケガをしてそれ以来4場所全休して序二段まで落ちて復帰したのですが,再びケガで序ノ口まで落ち,復帰後また2場所休場して,先場所3日休場後に再出場し現在11連勝中です。来場所は三段目です。早く関取に復帰してほしいものです。
 2番目の写真は最上段にあるテレビの放送席ですが,3番目の写真は放送終了後に解説の北の富士さんがお帰りになるのを待ち構えるファンと北の富士さんです。こんな感じにファンが取り囲んでしまい,北の富士さんなかなか帰れません。
 4番目の写真は向正面の舞の海さんです。そして,5番目の写真は舞の海さんの帰るところです。こちらもまた,ファンに取り囲まれてしまって,サインをせがまれたりしてなかなか帰れません。
 数年前,相撲ががらがらだったころ,正面花道寄りにあるラジオの放送席の後ろのマス席で見たことがあります。そのときの解説者が舞の海さんで,放送終了後に握手をしてもらったことがありますが,当時はマス席の後方なんて他に観客もいなかったので今のように取り囲まれるようなこともありませんでした。
 
 1991年の3月大阪場所まで,優勝力士に対して「パンアメリカン航空賞」というのがありました。当時はテレビ中継は表彰式の最後まで放送枠に入っていたので,多くの人が優勝の表彰式を見ていました。このとき,「パンアメリカン航空賞」の表彰を担当していて有名になったのがデビッド・ジョーンズ(David Mifka Jones)さんでした。
 パンアメリカン航空極東地区広報担当支配人だったジョーンズさんは1956年の1月場所で観戦した相撲に興味をもちました。パンアメリカン航空はすでに1953年5月場所から幕内最高優勝力士に対して「パンアメリカン航空賞」を出していたのですが,この賞を授与していた担当者が転職することになり,これを機に賞の中止を決めていました。しかし,相撲に興味をもったジョーンズさんは中止に反対し,賞の存続を主張したのです。そして賞の継続が決まったのですが,おかげでジョーンズさん自身が賞の授与を引き継がなければならなくなってしまいました。
 そんなわけでジョーンズさんが担当しはじめたのですが,観客が式に退屈している様子を見て,大声で「ヒョー・ショー・ジョウ!」と読み上げたことから注目を集めたのです。そこでジョーンズさんは俄然やる気になって,その翌場所からは和装で登場し,意図的に読み間違えたり,地方場所では方言で表彰状を朗読するようになりました。こうして,ジョーンズさんの賞贈呈は千秋楽の注目行事となり,NHKの中継放送でもジョーンズさんの登場場面を特別扱いで取り上げるようになりました。
 今とは違い式というのは厳粛であるべきだと当時の私は思っていたのですが,こういうことをするのを不謹慎と思わずになすがままにまかせるのもまた厳格な? 相撲協会の不思議なところだと私は子供心に感じたものです。
 この表彰はパンアメリカン航空の日本撤退後も,1991年に体力の限界でジョーンズさんが引退するまで続きました。今では,多くの外国からの表彰がありますが,この現在のデルタ航空の前身であるパンアメリカン航空の表彰がその草分けです。

 6番目の写真は名古屋市長杯授与で土俵に上った河村名古屋市長です。その前に愛知県知事杯の授与で大村愛知県知事も出てきました。
 私はナマ河村市長をはじめて見ましたがすっかり猫背のおじいさんでした。このとき河村市長がやったパフォーマンスがこのジョーンズさんの名古屋弁での表彰のマネだったのですが,優勝インタビューの白鵬の「サンキュー」同様に見ていた人はしらけました。
 大阪場所で吉本興業杯の贈呈があったときに坂田師匠が出てきて大声援とともに「あほ~」という掛け声がとんだのとは大違いでした。

 さて,授賞式が終わり,場所の最後の行事は恒例の「神送りの儀式」でした。これは土俵祭りによってお迎えした神様を元の場所へお送りする儀式で,「出世力士手打式」の後に続いて行われます。出世力士が土俵祭りに参加していた行司さんの中で一番格下の者を胴上げするです。
 この式をもって場所は終了して,土俵祭りのときに土俵に埋めた供え物を取り出します。
 私は見たことがありませんが,以前,このあと,名古屋場所では土俵に観客がむらがって土俵の土をもっていったとかいう話を聞いて,相撲協会もタガがゆるんでいるものだとあきれたことがあります。現在はそんなことは許されず土俵のまわりをロープでガードしていました。大阪はガードなどしていませんでした。
 名古屋という土地柄はお店が開店するときに店先に並んだお祝いの花を開店前だというのに勝手にもっていってしまうというドロボー文化が根付いているのですが,それと同類なのでしょう。

 ところで,土俵の土をもっていく悪しき習慣が起きるよりももっと前だから今から45年ほど昔のことです。そのころは千秋楽が終わると土俵まわりは無法地帯化していました。だからといってだれも土などもっていきませんでしたが,その代り土俵に上がり放題で,私は土俵の上で一緒に見にいった友達と相撲を取る真似ごとをしたことさえありますし,花道を通って支度部屋まで行って優勝力士だった横綱玉の海と一緒に万歳をしたこともあります。
 このように,今では信じられないようなことが過去にはいろいろあって,当時はおおらかな時代だったなあと思うわけです。このおおらかでいい加減なほうが本来の日本らしいと思うのは私だけでしょうか?

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 2017年の大相撲は1月の初場所に稀勢の里関が思いがけなく優勝し横綱に昇進,さらに3月の春場所は奇跡の逆転優勝となって,フィーバーも最高潮に達しました。しかし,5月の夏場所はケガが完治していなかったこともあって途中休場,そして7月の名古屋場所もまた途中休場となりました。
 私は,稀勢の里関の横綱昇進が信じられず,ともかく土俵入りを見たいという一念で春場所に出かけ,2枚の優勝額の掲額を見ようと夏場所の初日に出かけ,すべての想いは遂げたので,名古屋場所はもうどうでもよかったのですが,千秋楽のチケットが手に入ったので見にいきました。

 東京の国技館は別格として,地方場所は見にいくなら何といっても大阪です。狭く館内にレストランもなく福岡市内にはホテルがとれない九州は論外として,名古屋場所の行われる愛知県体育館は老朽化が激しく,おまけに大阪と違ってイス席には座布団さえないわけです。しかも,愛知県体育館は名古屋城内にあるということで再建もままならず,立派な愛知県芸術劇場を作ったころの財政が豊かだったバブル期に,ついでに体育館も新設すればよかったのにそうしなかったために,今や愛知県は箱モノをつくるお金もないということで,ずっとそのままになっています。
 やっと近頃新しい体育館建設の話が持ち上がってきましたが,いつになることやら…。それでも今場所はなんとかボロボロだった電光掲示板だけが新しくなりましたが,これまでは正面と向正面の2箇所にあったのに向正面の1箇所のみになってしまいました。

 千秋楽は10時開場なので,ゆっくり家を出ました。9時過ぎに到着しましたが,すでに開場していたのでなかに入ると結構な賑わいでした。
 要するに,自由席の客が席取りをしているということなのです。愛知県体育館は,ずいぶん昔は正面と向正面のイス席はすべて自由席で指定席は東西のイス席のみだったのですが,若貴人気以降は自由席は正面と向上面の上の2段のみになってしまいました。
 なんでも15日間通しのイス指定席というのがあるそうで,この通しのチケットを持っている観客のなかでおそらく指定された席が東西なのでしょうか,彼らがそれよりも見やすい正面や向正面の自由席を占領してしまうのです。すると自由席を持っている観客が見る場所をなくすわけです。そこで,自由席のみチケットの確認をするとかいうわけのわからぬことをしていました。
 このように,人気が出過ぎると様々なめんどうなことが起きるわけですが,数年前はガラガラで当日の昼過ぎに金券ショップでマス席が半額でたたき売られていたり,土俵だまりの席が14,000円で簡単に買えたりしたころがうそのようです。

 しかし,ここ2場所は白鵬1強時代に再び舞い戻り,しかも横綱らしくない張り手の立ち合いにごまかしたような相撲ばかり。新横綱の稀勢の里も多くを望めないとあっては,おそらく,人気も今がピークでしょう。
 8月1日に興行のある豊田市の巡業のチケットは未だに売り切れていないということですし,何事もバブルのあとの反動が怖いものです。1986年のハレー彗星の接近でバカ売れした天体望遠鏡業界も,その後にほとんど倒産しましたし,再び大相撲も閑古鳥が鳴くころに舞いもどるのでしょうか? スー女が去ったらそれまでです。

 さて,私はこの日,最初に書いたように,何の思い入れもありませんでした。それに,千秋楽は幕下以下の取組の数も平常の半分で,史上最弱力士・服部桜もすでに今場所も7敗で取組を終えていたし,幕下期待の貴公俊,貴源治兄弟もこの日は出番がなく,さらには,千秋楽とはいえ大阪の府立体育館のような華やいだロビーの雰囲気もなく,楽しみは序二段の優勝決定戦と,ひょっとしたらの十両の優勝決定巴戦くらいのものでした。幕内最高優勝がまだ決まっていないとはいえ,碧山が勝って白鵬が負けるという確率など1%もないでしょう。これまで優勝がかかっていないときに日馬富士が白鵬に勝ったなんていうためしすらないのです。

 テレビ中継では名古屋場所は暑くて場内では観客がみなうちわであおぐ姿が珍しい,といった放送をしていましたが,それは間違いです。
 真相はですね,館内に入るときに入口でうちわをくれるのです。初日とか千秋楽は西濃運輸の軍配型のもの,そして,平日は東海東京証券と書かれたものです。もらったうちわの処遇は,仰ぐしかないわけです。だから観客がうちわを使っている,これだけの話です。
 NHKホールで行われているN響定期では,数年前まで開演45時間前に「開演前のロビー室内楽」をやっていました。そのころ,それをよい場所で見るために大勢の観客が開演1時間前の開場時間から列を作って並んでいました。開場前に並ぶのは一部の自由席の観客がよい席を確保する目的と,このロビー室内楽の観客の席取りだったのですが,それをFM放送では,熱心な観客が開場時間の前から大挙してコンサートを楽しみに並んでいる,などと放送していたのと同じ理屈です。放送で話されていることの真実など,所詮その程度のものです。

 今場所,私は力士の入り待ちをする気もなく,暑いのにちゃんこを並んで食べる気もありませんでした。東京場所とは違って地下の焼き鳥工場で作った焼き鳥もなく,稀勢の里弁当もないので,レストランで1,000円のカツカレーを食べましたが,この日は家から体育館に来るのに,途中の駅まで車で来たのでビールを飲むこともありませんでした。
 暇だったので館内から外を眺めつつ散歩していると,ちょうど八角理事長が来るところでした。写真を取り損ねましたが乗ってきた車だけ写しました。そんなわけで,今日の写真のセンチュリーは理事長の車です。
 入り待ちをしている観客もまたまばらでした。
 さえないしらけた千秋楽でした。

◇◇◇
攻めと守りの十五尺-土俵の上の夢
大相撲の思い出を語る①-冷房なき金山体育館のころ
大相撲の思い出を語る②-愛知県体育館になって
名古屋の夏は大相撲から始まる-千秋楽を観戦する①
名古屋の夏は大相撲から始まる-千秋楽を観戦する②

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 では,大相撲観戦のまとめとして,今日は,当日写した写真をご覧いただきましょう。
 1番目の写真は十両の土俵入りです。先頭は新十両,期待の貴源治関です。若干20歳の若者ですが,その体の大きさから将来の横綱候補といわれています。現在は少し星が伸びていませんが,果たしてどうなることか? 稀勢の里関もこのころから期待を一身に集めていました。
 
 2番目の写真は,初日と千秋楽に行われる恒例の協会ご挨拶です。三役力士を従えて八角理事長が口上を述べます。番付順で向かって左側最上位が横綱稀勢の里関です。
 北の湖理事長のときは,観客の拍手があっても間合いをもたずに淡々と挨拶を続けていて物足りなかったのですが,その点,八角理事長は上手です。
 北の湖理事長が病気休場のとき,一度っきり九重親方が代読したことがありましたっけ。

 3番目が稀勢の里関,横綱土俵入りです。
 今場所は新しく贈られた「北斗の拳」の化粧まわしを着けています。大関昇進時に有志でできた「後援会」の会員だった,当時週刊少年ジャンプの編集長で現在「コアミックス」の堀江信彦社長が,2年前「横綱になったら化粧まわしを贈る」と約束したのですが,それに対して稀勢の里関が「北斗の拳がいいです。ラオウでお願いします」と言ったのがそのきっかけだということです。つまり,お気に入りの化粧まわしということですね。でも私は先場所のものの方が好きですが。

 大横綱大鵬は「心・技・体」の化粧まわしがお気に入りで,そればかりを着けていました。晩年はぼろぼろで,修繕をしてまでもそれを選んでいました。おそらく,それ以外にずいぶんと多くの化粧まわしが贈られたと思うのですが,それらはまったく日の目を見なかったということになります。
 横綱に限らず,一般に関取はどのくらいの数の化粧まわしを持っているのかなあ,と土俵入りを見るたびに思うのですが,実際はどうなのでしょう?
 いつも同じものを着けている力士を見ていると,一部の人気力士以外は意外と少ないというかこれっきり1枚,のような気もしますが…。

 その稀勢の里関ですが,今場所は本人も恐る恐る出場しているようで,なんだか痛々しいです。休場したって誰も非難しないのでしょうが,稀勢の里関見たさに来る観客も多いし,懸賞もたくさんかかっているよう期待が高いので,本人が休むに休めないという感じではないかと思います。なんとか10勝くらいはしてほしいのですが,このところ上位の若手が強いのでなかなか大変です。高安関と取組まないことが救いでしょうか?

 最後は,国技館の入口にある,場所の早朝の寄せ太鼓と取組後のはね太鼓を打つ櫓です。国技館は常設ですが,地方場所ではそれぞれ特別に櫓を組みます。櫓を組む場所のない大阪では建物の3階で打っています。
 この太鼓櫓の上から大空に突き出すように斜め上に向けて掲げられる2本の長い棹には,その先端に麻と幣が結び付けられているのですがこれを「出しっ幣」といいます。土俵の神様を呼び込むアンテナです。
 この太鼓は呼出しさんが打っているのですが,太鼓の音が素敵ですね。寄せ太鼓の音を聞くには朝一番に行く必要があります。はね太鼓は取組終了後に帰るときに聞くことができますが,なかなか粋なものです。
 私の実家からは愛知県体育館が近いので,名古屋場所では家から聞こえます。
 なお,私の行った初日は皇太子殿下と妃殿下がお帰りになるまではね太鼓が打てない(何せこのはね太鼓の目的は帰れ帰れとせかすためのものですから)ので,お帰りになるのを見送った後で,ずいぶん経ってからやっとこの太鼓が打たれました。これもまた,めったにはできない経験でした。

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 両国国技館では,天井の四方に優勝額が8枚ずつ合計32枚掲額されています。国技館の館内に入るとこれが壮観で,地方場所では絶対味わえない粋なものとなっています。私もはじめて国技館で大相撲を見たときにこの優勝額に感激しました。それを見たくて一度は国技館に行ってみたかったようなものでした。

 優勝額は,大相撲の本場所で幕内最高優勝をした力士に毎日新聞社から贈られる額縁です。
 その始まりは1909年(明治42年)の6月場所,大相撲常設館(後の旧両国国技館)の完成に伴って優勝掲額制度が開始されたことによりますが,当時は今よりも小さい白黒の優勝額が用いられていました。とはいえ,そのころの優勝というは時事新報社の行事で協会公認の制度ではなく,協会が優勝を制度化したのはその後の1923年(大正15年)になります。
 1936年(昭和11年)の時事新報社と東京日日新聞(現在の毎日新聞)の合同によって,それ以降は東京日日新聞の事業として承継されました。
 第二次世界大戦で初代両国国技館が消失。戦前の優勝額の多くも焼失し一時期優勝額も途絶えましたが,1951年(昭和26年)から蔵前の国技館で優勝掲額が再開され,等身大の大きさのフルカラー優勝額となりました。
 優勝額は長年,力士の写真を白黒で現像したものに油絵具で着色したものが使われてきましたが,2014年(平成26年),1951年(昭和26年)春場所以来優勝額の着色を担当してきた彩色家佐藤寿々江さんの引退以降は,写真技術の向上もあって,従来の色合いに似せてデジタル処理したカラー写真が用いられるようになりました。

 東京場所の初日に,先々場所の東京場所と先場所の地方場所の優勝額を併せた除幕式が行なわれます。こうして,東京場所ごとに2枚ずつ新たな優勝額が加えられ,古いものから外されていきます。外された優勝額は優勝力士当人に贈られます。
 ということで,今場所は,先々場所の初場所に念願の初優勝をし,翌大阪春場所で奇跡の逆転優勝をした稀勢の里関の2枚の優勝額の除幕があるということで,私はそれ見たさに,ぜひ初日に国技館に行きたかったわけです。
 優勝の順番がこの逆で,地方場所からでは連覇しても2枚同時というのはあり得ないわけです。

 除幕式は中入りの土俵入り後に行われるので,それまでは,掲額された優勝額には白いカバーがかけられていました。
 優勝額は古い順に取り去られるので,これもまた偶然,稀勢の里関の2枚の優勝額は,ちょうど正面に位置することになりました。私の座席のちょうど真上でした。
 これもまた,ツイていました。
 除幕式はテレビで放送されるのでおなじみですが,音楽とともにその白いカバーが上がっていき,その姿が披露されるわけです。
 私が子供のころはこんな演出はなかったわけで,いつだったか覚えがないのですが(今の国技館ができたときからか?),今のような除幕式がはじまりました。私は,その第1回目をテレビで見ていた記憶があります。当時,どういう音楽にするかといった苦労がそのときの放送で語られていましたが,今では,そんなことを知らない人も多いことでしょう。
 今では当たり前でも,実は近年始まったことだというのが,大相撲では多いものです。それを伝統というのかどうかは知りませんが…。十両や幕内力士の土俵入りだって,昔は力士の名前だけの紹介でどんどんと土俵に上がっていき,所作が終わると我勝ちに降りていったものです。

 除幕が終わって,晴れて2枚の優勝額がその姿を見せたので,しっかりと写真に収めました。
 現在,国技館に掲額されているもっとも古い優勝額は把瑠都関のものです。その左側に正面を表す「正」の表示があり,そのさらに左の2枚が今回掲額されたものです。
 周りを見渡すと,さすがに白鵬関の優勝額ばかりですが,近頃は,1年前の琴奨菊関,そしてその2枚後には豪栄道関と,次第に様々な力士の優勝額が増えてきました。
 稀勢の里関の2枚の優勝額のうち1枚は大関時代のもので,もう1枚は横綱になってからのものなので,それもまた,この先にはあり得ない大関と横綱姿の同時掲額となりました。他の横綱もそうですが,横綱の優勝額は太刀を手にしたものが多いです。

 さて,開場とともに国技館に入った私は,この優勝額の除幕式までは,館内を歩き回ったりお弁当を食べながら幕下以下の力士の相撲を楽しんだりと,楽しい時間を過ごしました。
 お弁当は,もちろん,稀勢の里弁当に国技館名物のやきとりということにしました。本当はそれにビール,というのが定番になるのでしょうが,私はビールを飲んでも酔わないので意味がないし,かつ,帰宅するのに電車を降りてから車に乗る必要があるので,それだけはなしでした。
 国技館の地下にやきとり工場があるというのは有名な話なのですが,ここまで有名なのだから,工場をガラス張りにして,見学ができるようにでもすればいいのに,と思いました。
 東京場所と名古屋場所ではちゃんこを食べることもできます。私が以前国技館でちゃんこを食べたときは,その食事場所が併設する相撲教習所だったのですが,現在は場所が変わってしまったそうです。そんなわけで,私は相撲教習所のなかを見たこともありますが,今となってはこれは貴重な経験だったのですね。
 これだけ大相撲人気が過熱して,しかも,外国人観光客が多いのなら,アメリカのプロスポーツのように,大相撲を開催していないときは,相撲博物館だけでなく,館内の見学ツアーでもやればいいのに,と私は思います。大相撲に限らず,日本人には,そういうアイデア,ないんですよねえ。

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 毎場所大相撲のチケットの最速先行を試みているのですが,なかなか当たりません。今場所もダメ元で初日に応募したのですが,なんと当選してしまいました。久々の快挙です。というわけで,私は,5月14日日曜日,東京両国の国技館に夏場所初日を見にいってきました。
  ・・
 先場所・大阪の春場所は新横綱稀勢の里関の奇跡の逆転優勝で大いに盛り上がりました。私はそれをハワイで知りました。
 私はこの大阪の春場所はハワイに行く前の4日目に行きました。このとき私がぜひ見たかったのは,夢にまで見た新横綱の土俵入りでした。
 そして,念願を果たした私がこの夏場所でぜひ見たかったのは,2場所連続優勝の優勝額の除幕でした。そこで,何としても初日狙いだったのですが,私は自分でも恐ろしいほど強運で,チケットを手に入れることができたのでした。

 この日,私はいつものように,場所の初めから最後までを見るために,前日名古屋を出発して,品川で一泊しました。
 朝8時から入れるということでしたが,私がJR総武線の両国駅に到着したのが7時40分ごろでした。そのまま国技館に行くと,すでに入ることができました。
 入口のセキュリティが結構厳重で,ちょっとびっくりしました。しかし,アメリカのMLB を見慣れている私としては,こんないい加減なチェックでいいのかしらんと思いましたが…。
 漏れ聞こえてきた話では,皇族の方がおいでになるとかなんとか。愛子さんが… という声も聞こえてきました。
 そこで白々しく案内所で尋ねてみると,知らない,という話でしたが,これは,しらばっくれているのが明白でした。あえて,詮索しませんでしたけれど。
 私の座席はこれまた幸運にも貴賓席の真後ろで,すでに,多くのセキュリティの人たちがうろうろしていました。
 という次第だったのですが,やがて,3時頃に館内に本日は皇太子ご一家がおいでになるという放送がありました。午後5時ごろ,後半戦から最後まで観戦,ということで,お見えになったとき,館内は総立ちとなりました。
 
 それにしても,私の強運もここまで来ると自分でもとても信じられません。
 アメリカでのMLB,ダイヤモンドバックスを見にいけば,先発はランディージョンソン投手だったし,ヤンキースを見にいけば,松井秀喜選手の引退試合だったし,マーリンズを見にいけばイチロー選手の2998本目のヒットだったし,マリナーズを見に行けば2年連続先発投手が岩隈投手だし,ボルチモアへ行けば相手チームの先発がダルビッシュ投手だったし…。そしてまたお相撲を見にいけば,念願の夏場所初日は,10年ぶりという皇太子殿下と妃殿下の観戦だったのです。
 こうなってしまうと,ゆっくり観戦どころではありませんでしたが,ともかく,私は,この日,念願の大相撲観戦を楽しんだのでした。今日は,とりあえず,この日に写した写真をご覧ください。この続きは,また,後日。

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 今年もまた大阪場所はやはり最高でした。
 では,今日は,テレビにはあまり紹介されない裏側の写真を紹介しておきましょう。
 まず,1番目の写真は会場に入ったところです。横綱の実物大のパネルがあります。私はこういうのもこれまで興味がなかったのですが,稀勢の里のパネルと一緒に写真を写しました。中央には優勝したときにもらう天皇賜杯と優勝旗,そして,各優勝杯が展示されています。
 優勝旗は稀勢の里と書かれた幟が見えるようになっていますが,天皇賜杯の下の部分に刻まれた稀勢の里の文字が裏側にあって見ることができず,見にきていた多くの人が探していました。鏡でも置いてあればいいのに,と口ぐちに言っていました。

 2番目の写真は,入口を入って右手にある相撲協会公認グッズ売り場です。数年前は売るために買うと親方の直筆サインを書いてくれたりしたのですが,いまや大人気で,売り切れ続出の状況です。右に並んでいるのは,購入を待つ人たちです。
 この体育館はロビーが広いので,非常に気持ちがよいのです。国技館は別格として,愛知県体育館もロビーが狭く,九州は逆にロビーに売店があるだけで,それ以外の場所はせまく売店が全くありません。

 3番目の写真は単なる階段なのですが,この体育館の欠点はこの階段です。なにしろ凝っていて,そのために,階段の場所がよくわかりません。これでは,何かあったときに,きっと大惨事になります。また,トイレも階段を上った先にあるので,足の悪い人には大変不便です。
 はじめてこの体育館に行って,イス席にたどりつける人は皆無でしょう。なお,エレベーターは存在して,力士使用禁止と張り紙がしてあります。

 4番目はテレビの放送席です。テレビカメラもどんどんと進化していて,現在NHKでは4K,8Kといったスーパーハイビジョンの映像を放送センターに行くと見ることができます。私も見たことがありますが,すごく精細です。
 私は,それよりもアメリカのフットボール上のように3D映像とか,あるいは,会場内にいる人のスマホを対象にビデオ映像を即座に配信してほしいものだと思います。
 放送席は正面の最上段にあります。この席の下のイス席が報道のカメラマンの席です。カメラマンの人とお話をしたのですが,もっと別の角度から写したいけれど場所が決められているので,ここからしか写すことができないと不満を言っていました。
 若いころから相撲を見に行っていると,カメラマンの使用しているカメラの変遷がよくわかって大変に興味深いものがあります。
 なお,土俵下にもカメラマンがいて,彼らはスピードライトを使用していますが,発光口を体育館の照明によって違うフィルターで覆うのだそうです。

 そして,5番目の写真は正面のマス席のなかにあるラジオの放送席です。この日の解説は北の富士さんで,姿が見えます。大阪場所のラジオの放送席は結構土俵に近いところにあります。
 私は名古屋場所でラジオの放送席のひとつ後ろのマス席で見たことがあります。放送席にはモニターがあるので,とても見やすかった覚えがあります。そのときの解説は舞の海さんで,放送終了後に握手をしていただきました。
 アナウンサーも解説の人も,マイクに向かってしゃべっていても,周りにはほどんど何も聞こえません。それより,ラジオの大相撲中継ですが,実況をラジオで聞いていても雰囲気とどちらが勝ったかがわかるだけで,アナウンサーが苦労して描写している割に取組の様子は頭に浮かばないのですが,それは私だけのことでしょうか。
 昔のテレビ放送は,神風(正一)さんと玉の海(梅吉)さんというすばらしい解説陣がいました。ともに冷遇されてはやくして相撲協会を去った人です。そして,おふたりの後,同じように冷遇されて相撲協会を早期退職した北の富士さんをNHKが解説に迎えたのが大正解でした。
 人間的な魅力にあふれた人は組織から冷遇されるのです。しかし,人を悪人にしてしまう大きな組織の役員やら管理職などという仕事は早く見切りをつけたほうが幸せな人生がおくれるのです。

 この日も新横綱稀勢の里は完勝。こうして,私の楽しい今年の大相撲観戦も終わりました。来年はチケットとれるかなあ?

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 そんなわけで,十両の土俵入りから先は,席でじっくりと観戦です。とにかく今日来た目的は新横綱の土俵入りを見ることなのですが,うまく写真が写せるか,近づくにつれてだんだんと心配になってきました。
 数場所前は,宇良関,石浦関と,十両に小兵の人気力士がいて見逃せなかったのですが,今は,幕内に上がりました。また,数年前は,横綱白鵬とほかの力士に力の差がありすぎたのと,有望そうな若手が目につかなったので,幕内はおもしろくなかったのですが,このところ,若手の台頭が目覚ましく,誰が対戦しても上位陣に勝てるかもしれないという可能性があって,幕内の取組が非常に面白くなりました。

 いよいよ,幕内の土俵入りになりました。
 私は,この日白鵬が休場したということを知りませんでした。周りにいた人のおしゃべりから,なんとなく休場? みたいな感じが伝わってきましたが,これまで白鵬は飽きるほど見てきたし,もともと好きじゃないので,別に休場しても見られなくてもどおってことありません。
 ところで,白鵬の土俵入りですが,横綱になったはじめのころは今のような感じではなかったのです。その後,彼はどうやら敬愛する双葉山の土俵入りを研究したんです。で,昭和初期の横綱の土俵入りのような感じになった。つまり,3回目の四股を踏むときに手を上げない,しかもテンポも早くなったのです。それに文句を言ったファンがいるそうですが,そのファンは無知です。そして,それを記事にした記者は不勉強です。

 横綱の土俵入りが確立したのは明治以降であって,しかも現在のようなおおらかでゆったりとしたものになったのは大鵬からですが,私が見た横綱の土俵入りで最もかっこいいと思ったのはなんといっても北の富士です。ほとんど映像が残っていないのが残念です。
 雲竜型の北の富士と同時に横綱になった玉の海の不知火型の土俵入りもまた,現在の不知火型のふたりの横綱とは比べ物にならないほど美しい土俵入りでした。

 稀勢の里の土俵入りは堂々としていて力強いです。昭和45年(1970年),大鵬,北の富士,玉の海3横綱のころの土俵入りを思い起こさせます。
 稀勢の里は新横綱なのに,すでにもともと生まれながらの横綱のようです。やはり,横綱になるべくして生まれた逸材だったのです。しかし,もし,もっと若くして横綱になっていたら,きっと,現在ほどのフィーバーにはならなかったのかもしれません。それは,もう,みんなが見られないとあきらめかけていたときだからこそ,それが実現した今,夢にまで見た,とか,信じられない,という不思議な感覚になるからです。
 私も,何度見ても,本当に稀勢の里の横綱土俵入りを見ることができるのが信じられないと感じるし,見るたびに涙が出てきます。

 稀勢の里の横綱土俵入りがより素晴らしいのは,化粧まわしに品があることに加えて,太刀持ちの高安関と露払いの松鳳山関が横綱より若干背が低くしかも同じくらいの体格でともに浅黒く,非常にバランスがとれているということです。
 私は,大阪場所は本場所初の土俵入りということで初日に見たかったのですが,初日は高安-松鳳山という取組があったので,露払いが松鳳山関でなく輝関だったから,初日に来なくてよかったと思いました。これもまたツイています。おそらく,高安関は名古屋場所では大関でしょうから,この3力士のそろった美しい土俵入りが見られるのもあとわずかです。
 見にいくなら今です。

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 大阪場所の6日目は一番出世披露があります。
 序ノ口の取組前の前相撲は他の場所は3日目からですが入門者の多い大阪場所は2日目から行われます。前相撲はその場所前の新弟子検査に合格した者と序ノ口から番付外に陥落している者が行います。非公開ですが,大阪場所は前相撲の取組数が多いので,開場時間になって入ってもまだ続いていて一般でも少しだけ見ることが可能です。私も昨年見ました。
 前相撲で5日目までに2勝を挙げると一番出世となります。6日目から8日目までに2勝を挙げると二番出世,それ以外を三番出世とします。

 出世披露とは,師匠や部屋の関取の化粧廻しを身につけて土俵に上がり,場内アナウンスによって所属部屋,四股名,出身地が読み上げられます。そして最後に行司が「これに控えおきます力士儀にござりまする。只今までは番付外に取らせおきましたるところ,当場所日々成績優秀につき本日より番付面に差し加えおきまする間,以後相変わらずご贔屓お引き立ての程ひとえに願い上げ奉りまする」と口上を述べます。
 出世披露は三段目の取組中に行われます。客席から盛んに声援が飛んでいました。彼らの力士人生,これからが大変です。

 私はこれを見てから1階に降りました。これまで毎場所見てきたので,この日は力士の入り待ちをする気はなかったのですが,入口に立ち寄ったときにはすでに入り待ちをする人でごった返していたので,少しの間立ち止まって見ていましたが,幕下上位の取組に見たいものがいくつかあったので,2時までで引き上げることにしました。
 この日見ることができた力士は,休場していてこの日から出場を決めた豊ノ島をはじめ,千代丸関,千代の国関,宇良関,高安関などでした。
 他の場所では力士が入ってくると拍手や歓声がすごいのですが,なぜか大阪場所はそういう反応がないのが不思議です。
 ただ,後ろにいた妙齢の女性が「千代丸さんカワイイ~」とか叫んでいるのだから,彼女たちにとれば,お相撲さんというのは女の子が大切に抱きかかえているくまさんのぬいぐるみと同じような存在なのでしょう。

 2時になったので,席に戻りました。
 見たかった取組というのは阿炎(あび),貴公俊(たかよしとし),剛士,貴源治などの幕下上位の将来有望力士のものです。
 今日の一番下の写真が話題の貴源治ですが,現在19歳で西幕下1枚目,誰しもが認める逸材です。勝ち越せば来場所はいよいよ関取ですが,この日は惜しくも負けてしまいました。
 なお,貴公俊,貴源治は双子でそっくりですが,隣にいた女性ファンによれば,口元にほくろがあるのが兄の貴公俊だとか言っていました。ザ・ピーナッツでもあるまいし…。

 大相撲は,このように幕下以下の若者たちを見るのが楽しみです。BS放送で午後1時から放送されるようになって幕下の取組はテレビで見られますが,それ以下は今でも実際に場所に行かないと見ることができないので,私は少しでも早く行ってそれらを見るようにしています。
 多くの人は朝早くからやっていることを知らないし,テレビの放送時間くらいからはじまると思っている人もいるし,せっかくチケットを手に入れたのに4時過ぎに行く人もいるようですが,もったいない話です。
 こうして朝から見るからこそ,いかに上位の力士が強く偉大なのかがよくわかるのです。

 大相撲は最も封建的な社会のように思えますが,学歴もコネも関係なく強ければだれでも横綱になれるわけで,その意味では,日本でもまれな実力社会です。
 それが,引退後は部屋の派閥やらなにやらできわめて人間臭くなってしまい,しかも,現役時代の地位が学歴のように扱われるのもまた人の世の常でしょう。私は昔は引退して親方ともなれば悠々自適だと思っていたのですが,親方衆というのも当然いろんな人がいるだろうし,雑用もたくさんあるだろうし,しかも,後援会とのお付き合いはセールスのお仕事と変わらないだろうし,それはそれでかなりたいへんそうです。どの世界も同じです。

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 「大相撲を見るなら大阪に限る」ということで毎年楽しみにしている大阪場所ですが,相撲人気が過熱して年々チケットが取りづらくなってきました。それに加えて期待の稀勢の里関がついに横綱に昇進ということで,異常なフィーバーになってしまいました。 
 私の今年の目的は新横綱稀勢の里の土俵入りをナマでみることただ1点。そのためにはイス席もマス席も土俵だまりも関係なく新横綱の土俵入りがきちんと見える席でないと意味がありません。そこで,新横綱は果たして東なのか西なのかが場所前に話題になっていました。新横綱は横綱最下位なので,西だと私は信じていましたが,聞くところでは,ほかの2人の横綱がその前の場所に休場した例がないとか。だから,ひょっとすると東では? という噂もあったそうです。
 私はなんの疑問もなく西と信じていたので,正面かもしくは東方ということで座席を探しました。実際はそんな選択ができるような状況ではなく,チケットを入手することさえ困難でしたが,なんとか5日目のイス席を1枚手に入れて3月16日に行ってきました。しかし,たまたま手に入れた席が土俵入りを見るには最高の席でした。東方の正面寄り。毎度のごとくついています。
 私は昨年も偶然5日目に見にいったのですね。あれからもう1年が経ちました。
 新横綱の土俵入りのことはまた後日。

 さて,いつも大相撲を見にいくときは1番はじめの取組からなのですが,今年はその時間に着くのはあきらめて,早朝7時に名古屋を出発して,近鉄特急で向かうことにしました。難波に到着したのが朝9時過ぎ。難波から大阪府立体育会館までは正確に歩くと10分というところですが,何度来ても相変わらず道順がよくわかりません。難波の地下街の表示が最悪なのです。デザイン的に懲りすぎていて,肝心なことが把握できません。
 昨年「5番出口を出る」と書いたのですが,自分でもすっかり忘れていました。
 地上に出て,それでもわからず,何度も聞いてやっと見慣れた景色にたどり着きました。
 今回知ったのですが,大阪府立体育会館を探すよりも南海電車の乗場を目指すほうがわかりやすいのです。そのほうが案内表示が多いからです。

 到着したときにはすでに5日目の取組は始まっていました。行く途中の歩道では前相撲を取り終えた若者や史上最弱力士の呼び声の高い服部桜とすれ違いました。せっかく今日服部桜の取組があったのに見られずそれだけが残念でした。
 彼が見切りをつけて辞めるまでに私は彼の取組を見ることができるだろうか? などということを思いました。
 当然当日券はすでに完売,というかイス席の端っこに僅かだけある自由席だけが当日券なのですが,それでも朝5時に並ばないと買えないということです。会場に入ると,まだ朝9時過ぎだというのに結構なお客さんがいました。この日は平日の5日目,最もチケットの売れない日なのでこの状況は信じられません。数年前なら最後まで売れ残ったマス席で結びの一番まで寝っころがっていられたのですが…。そんな話が嘘のようです。

 場内を歩いていると相撲協会公認グッズ売り場があって11時に開店ということでした。11時少し前に再び行ってみるとすでに黒山の人だかりでした。わたしはこういうのには全く興味がないのですが,今回だけは「稀勢の里キーホルダー」が欲しくなったので,早々に買い求めました。なぜかこれだけ定価の表示がなくて,でも,欲しい人が多くて,まあ,10,000円はしないだろうと冗談を言い合っていたのですが,実際は金700円也でした。人気は稀勢の里関と宇良関でしたが,特に「稀勢の里キーホルダー」の当日分は瞬く間に売り切れてしまいました。
 ほかにも「稀勢の里ジャポニカ学習帳」。これはすでに完売,今日の午後に何冊入るかなあ? ということでした。
 日本人はこういう商売が苦手で,メジャーリーグのように,もっとグッズを工夫して大々的に売ればいいのに,と思ったことでした。頭の古いおじさんの考えるような饅頭やせんべいや手ぬぐいばかりではいけません。新横綱である「今場所しか手に入らない」というレアものをいろいろと開発することが大切なのです。
 しかし,メジャーリーグのように,みんながひいき力士のTシャツを着て応援をはじめたら大相撲らしくなくなります。すでに「稀勢の里Tシャツ」を着た若い女性は結構見ましたが…。

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浪速の春の大相撲観戦①-人気の源流を探る。
浪速の春の大相撲観戦②-大阪場所は最高だった。
浪速の春の大相撲観戦③-アホの坂田師匠と神送りの儀式
浪速の春の大相撲観戦④-2016年もすごい盛り上がり
浪速の春の大相撲観戦⑤-入口は力士の人柄がよくわかる所
浪速の春の大相撲観戦⑥-今も残るディープな大阪

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 横綱の誕生でますます盛り上がる大相撲ですが,こういう話題になるといつものこと,この横綱の「昇進の基準」について話題になっています。
 人はだれしも「英雄」にあこがれるものですが,そもそも同じ人間なのに飛びぬけて実力と人格があるということ自体があり得ないことで,人は誰しも欠点があります。
 地位を「神格化」するということこそ,きわめて日本のスポーツという気がします。それは,さまざまな芸事の「段」というものと同じです。一度その「段」相当の実力に昇れば実力が落ちてもその「段」は安泰なのです。だから「横綱」は弱くなったら引退,というのは,武士道の「責任を取って切腹」と同じ根底の考え方です。
 それに比べて「レーティング」という考えがあります。これはとても西洋的です。
 つまり,日本では「実力」よりも「名誉」というものに重きを置くわけです。

 私はその是非を言いたいのではありません。稀勢の里の横綱昇進も大賛成です。横綱の昇進は今の制度のようなきわめて日本的な曖昧さでいいと思います。だって,日本のスポーツですもの。
 もし,西洋的な「実力」で昇進させたほうがいいというのなら,相撲のシステムから変える必要があります。たとえば,幕内は東西ともに16人ずつにして,東西別に全員対戦のリーグ戦を行い,最終日(千秋楽)の最後に東西の1位同士を対戦させて優勝を決める,そして,次の場所には東西の1位を横綱とする,あるいは,10人ずつにして9日目までは東西別にリーグ戦を行い,上位だけで10日目から決勝トーナメントをする,といった西洋のプロスポーツのようにするなどです。

 私が外国から来た人によく聞かれるのは,「東」と「西」,つまり,この二つに分けてある理由と,幕内だけでも全員が取り組むわけでもないのにそこで優勝を決めることのおかしさ,そして,であるならば取り組む相手は誰がきめているのか? といったことです。このように,西洋的な考え方からしたら,相撲のシステムは,優勝ひとつとっても曖昧なことが多いわけです。
 繰り返しますが,私は今の制度を変えろ,といっているわけではなくて,こうした曖昧さがきわめて日本的であって,それでいいじゃないの,と思うのです。だから,横綱だって,多くの人がこの人は横綱でふさわしい,と思えば昇進させればいいわけです。しかし,横綱だって人間,そこにあまりに多くの期待をもったり「神格化」しては,本人が大変です。

 話は逸れますが,アメリカの大統領が変わりました。オバマ前大統領が55歳で,トランプ新大統領が70歳です。そんなことなら何も大統領を無理やり変えなくてもオバマ大統領にもう1期やってもらったほうがずっと良かったように思うのですが,アメリカという国の偉大さは,8年という決められた任期にきちんと人が従うということです。これが「法治国家」というものです。
 それが,決められた総裁の任期を,政権政党が都合のように簡単に変えてしまうというような発展途上国のようなことをほとんど議論もなくぬけぬけとやってのける日本とは違うことです。天皇の退位についてはあれだけ慎重に慎重にことを運ぶのに,実質的な権力者である内閣総理大臣の任期は,いとも簡単に変えてしまうのです。
 規則(法律)を決めると,それを守ろうとする努力よりも,何とかして抜け道をさがす,ということに懸命になる「せこい」日本がその根底にあります。そこに「法治国家」の矜持(プライド)はありません。文部科学省の天下りをみれば,それがとてもよくわかります。

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 ついに,ついに,稀勢の里関が優勝し横綱になりました。信じられない気持ちです。
 私のような50年以上にわたる相撲ファンには,10代のころの「萩原」は期待の星で,まだ,三段目のころから,「納谷」という名だったのちの「大鵬」が注目されたように,「富樫」という名だったのちの「柏戸」が注目されたように,その後の活躍が待ち望まれました。
 やっと日本人の大横綱ができる,とその未来を信じて疑いませんでした。
 我々世代は,どうしても,大関に昇進してあっという間に横綱に駆け上がった大鵬や千代の富士を,若くして横綱に上り詰めた北の湖や貴乃花を思い浮かべてしまうのです。
 それに比べたら -人と比べるのは最も「愚」なことは承知していても- 稀勢の里の足踏みはまことにふがいないものでした。

 大関になったときも,実は「大甘」の昇進でした。大関がかかったここ1番には勝てませんでした。それでも,将来性と日本人大関を作りたい協会は彼を昇進させました。ファンもそれで満足しました。そして,すぐにでも横綱への昇進を期待しました。
 ところが,その後は,普通は12連勝もすれば勢いでそのまま突っ走るものなのに,たとえ対戦成績が「2-21」であろうと,優勝のかかったここ一番はモノにするものなのに,稀勢の里の場合だけは,そんな過去の例は全く通用しないのです。いつも最後は情けない結果に終わるのでした。
 今場所も,いつものように,私は14日目と千秋楽に連敗して,白鵬の前にぶざまに横たわる姿が思い浮かびました。それが予想に反して? 14日目に稀勢の里が勝って白鵬が負けて優勝を決めたときも,それでもまだ,だれしも千秋楽に白鵬に勝てるとは思っていなかったから,協会は,取組の前だというのに,大関に昇進したときの「大甘」と同じく,早々と横綱だという雰囲気を作り上げました。
 それが…

 そんな稀勢の里とは対照的に,鶴竜という力士は,実力的にも実績も関脇クラスなのに,3場所好成績を上げたら大関,2場所優勝に準じる成績を上げたら横綱,というたった5場所だけ抜け目なく好成績を残し,そろそろ優勝しないと非難されるというときだけ優勝して,横綱の地位に君臨しています。
 それに対して,稀勢の里は,実力は横綱クラスなのに,同じ相手に勝つときと負けるときがひと場所違えばいくらでも優勝できていたのに,優勝がかかるときには負け,影響のないときには勝つ,ということをこれまでどれだけやってきたことでしょう。そんな歯がゆさを誰もが知っていて,それでも見捨てず応援し続けて,でも,ほとんどの人は,稀勢の里は,内心は,ついには優勝もできず,横綱になれず,このまま終わると,そう思っていたのではないでしょうか。だからどうすればいい? と聞かれても,みんな首をかしげるだけでした。
 しかし,稀勢の里は,今場所,横綱らしくもなくハリ差しを武器とする白鵬を,「ここ一番」で堂々と土俵に沈めました。
 とうとう,彼は上り詰めたのです。
 それにしても,この話題に関するテレビや新聞などの報道を比べると,各社の報道力や報道姿勢,さらにいい加減さなどがよくわかって,それもまた,面白いものでした。

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 昨日の続きです。
 1番目が三段目の琴鎌谷です。お相撲見物は,幕下以下の力士を見ながら有望力士を探すのがもっとも面白いのです。
 古くは大鵬,柏戸が納屋,富樫といった時代,貴乃花,若乃花が貴花田,若花田として入門したころ,そして,稀勢の里が萩原としてどんどんと番付を駆け上がったころ,などです。
 この日は,この琴鎌谷です。おじいちゃんが琴桜,お父さんが琴の若ですから,血統書つきです。来年の名古屋ではどこまで番付を上げているかが楽しみです。
  ・・
 2番目の写真は,力士の場所入り風景です。
 今十両の相撲が面白いので,今回それと時間が重なる幕内力士の場所入りを見る予定はありませんでしたが,偶然,宇良関の場所入りに遭遇しました。そこで写したのがこの写真です。
 1年少し前の大阪場所千秋楽の優勝決定戦で見て,このブログに将来の人気力士と書いたのですが,予想通り,大人気力士となりました。
 こうした小柄な力士の活躍に触発されて,この日も,幕下以下にも体の小さい力士が大きな力士に勝つような相撲がたくさん見られました。こうすれば対等に戦える,というお手本があるのが強みです。体の大きなお相撲さんばかりではつまりません。
 これからの相撲界が楽しみです。
  ・・
 3番目は幕内の土俵入りですが,土俵下の角,テレビカメラのとなりでマイクを持っているのがこの土俵入りのアナウンスを担当する行司さんです。この場所で放送していることは意外と知られていません。
 お相撲さんの名前だけでなく,出身地も暗記して放送しているのがすごいと思います。
 その昔はお相撲さんお名前だけを読み上げてどんどんと土俵に上がっていたのが,いつのころからか,こういう形に変わりました。
 これはお相撲の華ですね。
  ・・
 4番目は稀勢の里対豪栄道の大関対決で,懸賞の垂れ幕がたくさん土俵のまわりを回っているところです。
 かけられた懸賞が多く,2回転しました。ちなみに,横綱対決では3回転しました。
 懸賞も華ですが,多すぎると,立ち合いまでの盛り上がりが今ひとつになってしまうのが難点です。
  ・・
 この日,お相撲が終わってから,二所ノ関部屋の名古屋場所打ち上げに連れて行ってもらいました。
 それが5番目と6番目の写真です。
 某ホテルで行われたのですが,これは部屋によって様々な形があるそうです。名門二所ノ関部屋はこのような結婚式場で非常に豪華でした。
 私にははじめての経験でしたが,とても楽しい夜になりました。

 京都旅行も奥が深くて一度足を踏み入れるといくらでも深みにはまるのですが,大相撲もまた,同じように奥が深いものです。もう,こうなると,誰が勝つとか優勝するとか,そういう事とは別世界のものがあるわけで,これこそが,日本の「粋」の世界であって,こういう世界を知ってしまうと,安易に相撲を語ってはならないと思ってしまいます。
 相撲というのは実力社会で,誰でも強ければトップになれるから,封建社会のようであって,実は最も民主主義社会だったりします。

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 梅雨のころ名古屋にお相撲さんがやってきます。稽古部屋に見に行くと,雨の中をお相撲さんが稽古に取り組んでいる姿を思い出します。
 ということで,名古屋の夏の訪れを告げる大相撲が今年も行われて,千秋楽を見に行きました。
 昨年来,春の大阪,夏の名古屋,秋の九州,そして,再び春の大阪と見て,夏の名古屋がやってきました。東京場所以外はすべて見ていることになります。そして,大阪,九州に続いて,3度目の千秋楽の観戦でした。
 結果は私の予想通り,綱取りの稀勢の里は12勝3敗。わかりやすい力士です。ただし私の予想は12勝2敗で勝てば横綱というところで負ける,というものだったのですが…。まあ,結果は同じようなものでした。
 さて,そんな勝負の結果もテレビで見ているとすごく気になっても,実際に見に行くとけっこうどうでもよくて,それよりも雰囲気がいいのです。私はいつものとおり一番初めからの観戦でした。
 今日のブログは,そんなことよりも,楽屋裏の写真をご覧ください。

 まず1番目の写真ですが,これがテレビの放送席です。正面の一番上にあります。
 昔はこの放送席の前にマスコミのカメラマン席がもっとたくさんあって,ここに憧れの一眼レフに望遠レンズをつけたカメラマンがずらりと陣取っていましたが,今はそのほどんとは土俵の下にいるので,この席も1列だけになってしまいました。
 国技館だと1階席の後方に放送席があるので,地方場所の放送席はずっと後ろになります。
  ・・
 2番目の写真は西側の花道ですが,ここに呼び出しさんが大勢控えているのがお判りでしょう。その右横にいる相撲協会の服を着た人が行司さんと決まり手を決める親方です。この行司さんが交代で場内放送をしているわけです。
  ・・
 3番目の写真は向正面になります。この席がテレビの放送で,いわゆる向正面といって解説者とかゲストが座っている場所になります。たまにテレビに映るとその後ろに座った人がピースなんかをしています。
  ・・
 4番目の写真は正面の西端にあるラジオの放送席です。
 今はお相撲のチケットもなかなか手に入らなくなってしまいましたが,4,5年前はガラガラで,特に前半戦など,空席のほうが多いくらいでしたから,イス席のチケットしかないのに空いているマス席に座って見ることもできました。私は,このラジオの放送席のちょうど後ろに座ってずっと見たことがあります。
 その場所のよいのは,ラジオの放送席にはモニターがあるので,終わった取り組みをもう一度見ることができたことです。その日の解説者は舞の海さんで,終了後に握手をしていただきました。
 アナウンサーは実況をしてるのでマイクに向かって話しているはずなのですが,その声はまったく聞こえないのです。
  ・・
 そして,5番目の写真。
 これは放送とは全く関係ないのですが,マス席正面の最前1,2列です。
 お相撲を見るには,その前の溜り席は結構不自由で,飲食できないし本当は写真も写せません。みんな写していますが…。その点,このマス席は飲食もできるし,写真を写すこともできるし,この席が最も上席です。しかも,ここに座っていてもめったにテレビには映りません。この場所に一番初めからずらりと陣取って,常連さんたちが応援しています。いわゆる「スー女」とは違う昔からの女性ファンが多いのですが,この中に入る勇気は私にはありません。

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