しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > メイン州

DSCN2346 DSCN2344 DSCN2333 DSCN2341

 2013年夏,私はアメリカのもっとも北東にあるメイン州に行きました。今地図を見ても遠いところです。そして,今にして思うに,あと2,3日余分に滞在してカナダ国境を越えればよかったと思います。
 このあたりはなかなか行くことができないところだからです。

●アカディア国立公園(Acadia National Park)
 メイン州には,アカディア国立公園があります。
 アカディア国立公園は,メイン州の大西洋沖のマウント・デザート島(Mount Desert Island)とその南西の小島アイル・オ・オ(Isle au Haut)の大部分,そして,近くのベイカー島(Baker Island)の一部からなり,アメリカ本土のスクーディック半島(Schoodic Peninsula)の一部も含まれます。
 全体で,約150平方キロメートルにわたり,ニューイングランド地方唯一の国立公園です。公園には周回道路が完備されていて,17の御影石の橋がかかっています。 
 アカディア国立公園は,1947年にアメリカ本土のクランベリー湿原(Cranberry Bog)で起きた火事によって焼けました。火事は数日間にわたって続きましたが,自然に再生しました。そして,火事のよって木々の多様性が高まり,風景に深みを与えることになって,公園の美が強化されたといいます。
 のちに書くことになるイエローストーン国立公園もまた,周期的に大規模な火災が起きるのですが,やはり,自然に再生します。
 このように,自然界で起きることは,人の手に寄らずとも,ちゃんと自然界が解決するものであるらしいのです。
  ・・
 バーハーバー(Bar Harbor)は,アカディア国立公園の入口にあるハーバーです。私はここにあるモーテルに宿泊しました。
 私が訪れたのは今からもう8年も前のことなので記憶が薄れているのですが,それでも,このあたりはよい思い出しか浮かびません。美しく,かつ,のどかで,とてもすばらしいところでした。
 漁港といっても,日本で思い浮かべるものとは違って,ずっとあか抜けたところでした。
 キャディラック山(Cadillac Mountain)は,マウント・デザート島の東側にあって,そのピンクの花崗岩の頂上は米国で最初に日の出が見られる場所のひとつであるということで有名な観光地です。また,国立公園の入口は,ほかの国立公園同様,ビジターセンターやロッジがあります。
  ・・
 私は,早朝,急に思い立ってこのキャディラック山に日の出を見にいくことにしました。
 しかし,思い立ったのがわずかに遅かったのです。
 ほとんど車の通らない,しかし,おそらく私と同じ目的で先を急ぐ車が数台,同じように走っていきました。しかし,キャデラック山での日の出は寸前で間に合わなかったのです。それでも,海から昇ったばかりの朝日のある景色は,やはり,絶景でした。
 私は,大西洋から昇ったばかりの太陽をしばらくじっと眺めていました。大西洋からの日の出を見たのはこれがはじめてのことでした。気づけば,多くの観光客が日の出を見にきていました。帰路は,そうした人たちの車でいっぱいでしたが,この国立公園の雄大さが,そんなことをすべて消し去りました。
 考えてみれば,日本では当たり前でも,アメリカ本土で海へ沈む夕日と海から昇る朝日をともに見ることができる場所はないわけで,それを実現しようとすれば,カリブ海の島に行くか,ハワイに行く必要があるわけです。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN2368DSCN2372DSCN2367

 国道2は西へ西へ,私は,町を過ぎるごとにいろんなことを考えて,さらに進む。
 ガソリンは,半分以上なくなったら早めに補給をしなければ,次の町がどれくらい先かわからない。ということで,ある町に近づいたときにガソリンスタンドがあったので,給油をかねて休憩をすることにした。ついでに,朝食もとることにした。
 ところが,入ろうとしたガソリンスタンドは,地元の人たちの車で一杯であった。町の社交場のようであった。

 ホテルには朝食がついているときと,ついていないときがある。今日のように,早朝,ホテルをチェックアウトしてしまうと,朝食を食べ損ねてしまうことも,ままある。
 今回の旅行は,食事をする間も惜しんで動き回っていたこともあり,また,歳をとって,食べることに執着しなくなってしまったこともあり,また,食事の量が半端でなかったこともあり,1日2食が当たり前になってしまった。
 これまで,いろいろな場所を旅行したが,はじめのころは,アメリカの食事はすごく量が多いなあと思った。でも,中西部やらを旅行するようになると,それほど多いと感じることはなくなっていた。
 ところが今回,また,量が多いと思うようになった。
 東海岸の食事の量が多いのだろうか。

 アメリカのガソリンスタンドは,日本でいうところのコンビニとガソリンスタンドが一緒になったものと考えればよい。トイレもあるので,走っていて,ガソリンスタンドがあれば,車を停めて,すべての用が足りる。
 写真をご覧になればわかるが,ここのコンビニは「サークルK」であった。
 コンピニの店内は,日本のものよりも鷹揚な感じだが,まあ,同じようなものだと考えればよい。コーヒーもあればファーストフードが出るところもある。お菓子もパンも飲み物も新聞も,なんでもそろう。
 違いと言ったら,すべてが大きくて,パンひとつ買おうにも,日本のものの2倍はある,ということであろうか。
 町に入るときのガソリンスタンドは,車が一杯で断念したが,町はずれにもっと大きなガソリンスタンドが見つかったので,そこに入った。  
 買ったのは菓子パンとバナナ,そして,ドクターペッパーであった。そういえば,日本では製造中止となったダイエットコークはアメリカでは今でも売っている。
 ガソリンを満タンにして,私のおなかも満タンにした。

 国道2は,片側1車線の広々とした道で,時に2車線になった。一定の間隔で町があって,町に近づくと制限速度が遅くなり,どの車も,ちゃんとその速度を守って同じように減速し,それぞれの町は,墓地・教会・ガソリンスタンド・学校・ダウンタウン… と,同じようなリズムで続いて,町はずれには橋があったり,交差点があったりして,まるで,江戸時代の東海道の宿場町のようであった。
 ある町には気の利いた美術館があったり,美しい渓谷があったりと,少しの個性があって,のんびりと散策したいなあ,と思いながらドライブした。
 しかし,この道は,くねくねとまがっていたり,坂があったり,なかなか距離が稼げない。
 帰国してから地図を見るに,国道2よりも20マイル南の国道302,この道を走れば,きっと,もっと早くメイン州を過ぎ,次の,ニューハンプシャー州で見どころを巡ることができたのだなあ,と思うのだが,それは過ぎてしまったことだ。
 いずれにしても,塞翁が馬。国道2を走ったおかげで,アメリカの素朴な町の風景を十二分に味わうことができた。
 この旅は,あと2日,日程の余裕があるとよかったのかもしれない。
 やがて,思っていたよりもずっと時間がかかって,やっと,メイン州と別れを告げることとなった。

◇◇◇
このブログでも書いたことがありますが,野茂投手が始球式を行うことで「NOMO CURSE」が解けたロサンゼルス・ドジャースが,地区優勝一番乗りを果たしました。4月は最下位だったのに,プイーグが加わって以来快進撃を続け,「ミラクル・ドジャース」と呼ばれました。さて,ディビジョンシリーズはいかに…?
なお,優勝を決めたのは,アリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地チェイス・フィールドで,シャンパン・ファイトのあと,ドジャースの選手たちが,この球場の外野席にあるプールに飛び込びました。ダイヤモンドバックスの選手はこれを無礼だと怒ったそうですが,球団の社長は,確かに無礼だが彼らの古い球場にはプールがないからどんなものか見たかったのだろう,と言って大目に見たということです。
USA2000_1 (2)

DSCN2399DSCN2364DSCN2363

 日本で報道されるアメリカは金融の中心,世界の政治の中心という位置づけだ。日本からの企業もたくさん進出して,ニューヨーク,ロサンゼルス,サンフランシスコ,シカゴ,アトランタは,特に日本人がたくさん暮らしている。ニューヨークには20万人以上の日本人が住んでいるという。
 でも,アメリカの広大な大地を旅していると,そんな表向きの姿でなく,本当は,アメリカは,実は,農業大国なのだ,ということをしみじみと感じる。

 さらに小さな町について。
 人口数百人の小さな町は,それだけは完結しない。
 彼らは,用があれば,数十キロメートルも離れた町まで,巨大な車で出かけていく。
 道沿いに,自分のもつ農場や牧場の大きな看板を掲げて,見渡す限りのひろい土地と一体となって暮らしている。
 巨大なトラクター,スプリンクラー。果てしなく続くトウモロコシ畑,牧場…。
 そんな土地に住む彼らには,ウォール街の金融危機も,M&Aも,全く関係がないのではないか,と思えてくる。
 そうして,ものすごく広い土地に,車が3台も4台も入るガレージと白い広い家。庭には公園くらいの広さの子供の遊び場があって…。 ちょっと隣町まで買い物に,20キロメートル走ったりする。
 そう,ひげをはやしてカーボーイハットかぶって…。
  ・・
 そういえば,子供の時にテレビで見た,豊かなアメリカの家族の姿って,大都会の喧騒のなかで日々マネーゲームをする姿ではなくて,こうした,日本では考えられない,広い広い… 空の下で,自然とともに暮らす人々の姿じゃなかったっけ,という気がする。
 そのような世界に生まれた人にとって,人生って,どういうものなのだろうか。

 そういった姿を目の前にして,私の住む日本について,改めて考える。
 日々の塾通い,偏差値・偏差値… の受験戦争,早朝からの通勤ラッシュ。
 終電まで仕事をして,週末は飲みに行って仕事の話題で盛り上がって,いつも老後が心配で貯金をして,走れもしない狭い道なのに高級車を精一杯無理して買って,ちいさな家のローンを一生払い続けて,数少ない休みは子供のために大渋滞の中を混雑したテーマパークへ出かけて,親の介護をして,雑誌で評判のお店でたまに贅沢に食事をして,団体でバス旅行して,お土産買って…。
 そんなわれわれのパック旅行のような人生って,いったい何なのだろうか。


☆ミミミ
地球から一番近いところにある身近な天体,月。特に天保暦(旧暦)8月5日の月は「中秋の名月」として有名で,供え物をしてお月見をする習慣があります。
2013年は9月19日が「中秋の名月」でした。実は,暦の関係で,中秋の名月は必ずしも満月になるとは限らないのですが,今年は2011年,2012年に続いて中秋の名月は正真正銘の満月でした。残念ながら,中秋の名月当夜が満月であるのは,今年を最後に2021年まで見られません。
正確には,正真正銘の満月は,9月19日の20時13分でした。この時間に撮影した満月の写真です。
FullMoon 2013_9_19

DSCN2406DSCN2407DSCN2373DSCN2357

 まず,人口数万から10万人程度の都会,これまでにも書いた,メイン州のバンゴーとかポートランド,バーモント州の州都モントビリアのような,日本人にはなじみのない都会についてである。
 日本人が思っているよりも,こういう都会は大きい。ダウンタウンには広い通りがあって,ショッピング街やらオフィスビルが立ち並んでいる。そして,公園があり,美術館や博物館がある。うまくいけば,マイナーリーグの野球場やらコンサートホールもあるかもしれない。
 車で,インターステイツを走っていて,このような町に来たときに,まず,気をつけなくてはならないのは,こうした町で別の方向に向かうインターステイツが交差して複雑なジャンクションになっていることが多く,道路標示を注意して走らないと自分の行きたい方向を見失ってしまうことだ。
 次に気をつけなくてはならないことは,この町で降りようとしたときには,町の北側や西側や南側のように出口が複数あって,結局はどこで降りてもさして変わりはないのだが,運転をしていて戸惑わないようにしなくてはならないことだ。どこで降りようかと迷っていると,下手をすると,その町を通り過ぎてしまうこともよくある。
  ・・
 そして,市街地に降りたときは,とりあえず躊躇しないで,駐車場を見つけて車を停めて,ひととおり町を歩いてみよう。30分も歩けば,たいていは,どんな町なのかわかってくる。そして,半日も滞在すれば,ほぼ,見どころはすべて訪れることはできるのだけれど,きっと,どの町も,予想以上に素敵なところだと気に入ることであろう。
 このくらいの規模の町には,幼稚園から高校,そして,大学まであって,教会やらモールやら役所やら,人が快適に暮らす施設は完全にそろっている。
 日本との違いは,ゴルフ場まで備えた広い公園やら文化施設やらといった,人が豊かに暮らす施設が非常に多く充実しているということか。逆にわけのわからぬ盛り場やらパチンコ店はない。
 こうした町を通るときにいつも面白いなあと思うのは,町は,たいてい,川に沿って存在していて,町に入るには,橋を渡り,渡り終わると道がカーブして,そうしてダウンタウンに入り込む… という感じになっていること。町によっては,川に並走して鉄道が走っていることもよくある。
 そうした地形のところだから町ができたのだとも考えられる。

 次に,もう少し小さな町について。このくらいの町が私の一番好きな町である。こうした町は,インターステイツ沿いよりも一般道にそって存在する。
 一般道を走っていて町にさしかかると,制限速度が55マイルの表示になる。そこが町の入口だ。
 町のはずれにはお地蔵様ではなく,たいていはじめに墓地がある。そして,次に,教会がある。そして,町はずれの交差点にガソリンスタンドがある。
 それを過ぎると,制限速度が一段と遅くなって,今度は小学校がある。
 そうして,道に沿って,商業施設やらレストランやら博物館やら普通の民家やらが木立の中にのんびりと存在するようになる。
 町によってはかわいい図書館があったりする。
 これらの施設は,道に沿ってはいても,軒を並べているわけではないので,やたらのびのびとしていて,木々の緑に深く覆われている。
  ・・
 こういう町を通ると,いつも,これで人生が完結しているんだなあ,と思う。
 人の生と死が身近にくっついた町。
 楽しみは週に1度行われるハイスクール対抗のアメリカンフットボールの試合。なのだそうだ。
 こういう町にある学校は,日本人には想像ができないくらいものすごく広いのだ。高校の校庭なんて,あまりにも広すぎて,ゴルフ場と間違えるほどなのである。もちろん,ちゃんとしたスタンド付きの競技場やら野球場があったりする。
 こうした町に生まれ,外へ出たこともなく,一生を終える人がいる,という話をよく聞く。

DSCN2350DSCN2351DSCN2352

 国道2は,メイン州の中央部の山岳地帯を西へ走る。大きな地図を見ないと,ここに道があるようには思われない。
 日本で計画を立てたとき,メイン,ニューハンプシャー,バーモントを横断をするためには,この方向に進まなくてはならないが,果たして,ここに道があるのかいな? と思っていた。この3州を横断する理由は,どこかへ行きたいということよりも「めざせ50州!」のためなのであって,そもそも,私の動機がいい加減なのだ。
 実際には,国道2は,ほぼ片側1車線の道路が,うねうねと西に西に続いていた。かといって,昨年行ったサウスダコタからノースダコタへ北へ一直線に進む国道85のような360度「何もない」という,感動的な道でもない。単なるカントリーロードなのだった。

 特筆すべきことも名所もないので,ここで,アメリカの「町」について書くことにする。こういうことに興味をもたれる人も多いのではなかろか。実際,こういう町を見ることは,ツアー旅行では不可能だからである。

 読んでいる皆さんは,アメリカの町について,どのような印象をおもちだろうか?
 私は,はじめてアメリカへ行ったとき,ロサンゼルスやサンフランシスコで,これは,アメリカじゃない! アメリカの普通に人が暮らす町はどういったところなのだろうか,と思った。
 ニューヨークへ行っても,マンハッタン以外に足を運ぶ観光客はほとんどいないのではなかろうか。ブリックリンの下町を歩いた人がどれほどいるだろうか?
 私は,その時,学校や,スーパーマーケットや,人々が暮らす生活のある,そういった,普通の町はどのようになっているのだろうか,と興味が湧いた。いわば,日本に来た外国人が,東京と京都のお寺を観光バスで巡っても,日本の本当の人々の暮らす町が分からないのと同様である。
 だからといって,日本に住んでいても,自分の住んでいる町以外の町の本当の姿が語れないように,ほんの数日アメリカのカントリーロードを走っても,アメリカの町について語る資格などはないであろう。そんな無理を承知で,ほんのわずかな経験だけで,無謀にも,私の感じたアメリカの町について,主観的に書いてみたいと思う。
 この旅で走った国道2に沿った多くの町は,そんな私の好奇心を満たすには,十分すぎるものであった。もし,時間があれば,いつか,こうした町のいくつかに実際にゆっくりと滞在して,そこに住む人たちに接してみたいものだと思っている。

DSC_1679DSCN2347DSCN2348

 朝から,雄大な景色に感動した私は,まだ,迷っていた。
 メイン州とカナダ国境との境にある町ルーベックへ行きたい。往復250キロメートル。3時間。今,朝の8時…。
 今日の目的地は,バーモント州バーリントン。500キロメートル,6時間。これは移動だけの時間である。しかも,このあたりは,インターステイツがなく,片側1車線,街中を通る国道だから,これ以上に時間がかかるかもしれないし,初めてで全く予想がつかない。悩んだ挙句,結局ルーベックへ行くことはあきらめて,アカディア国立公園から道を西にとって,一路,バーリントンを目指すことにした。
 これは,結果的に正解であった。

 今回の旅では,後半の6日間は,大都会ボストンとニューヨーク,イベントが目白押しであった。それと全く対照的に,前半の4日間は,広い広い自然の中,どこへ行ってなにをするか,皆目見当もつかない状態だった。当初は,2日目から4日目までの3泊は泊まるところも,当日考えようと思っていた。
 きっとそれでも何とかなったであろう。ただし,滞在型ならともかく,移動して,夜,その土地に着いて,そこで宿泊するホテルを探すというのは,経験上,結構めんどうなことであると思った。
 そこで,すでに書いたようように,2日目はバーハーバーのホテルを予約した。これは,正解であった。3日目も,結局,バーリントンのホテルを予約した。したがって,4日目のみが未定であった。
 もし,3日目のホテルを予約していなかったら,この日はルーベックへ行ったかもしれない。その結果,ニューハンプシャー州もバーモント州も行くことができなかったかもしれない。それはそれで,楽しい旅であったとは思うけれど,今晩のバーリントンのナイトクルーズは体験できなかったことであろう。 
 旅は,経験をすればするほど,よくばりになって,その結果優柔不断になる。悲しいことである。
 夢を食べると,感動の敷居がどんどんと高くなっていく…。
  ・・
 そんなわけで,ルーベックに行くことはあきらめて,アカディア国立公園の雄大な景色をあとに,来た道・国道1を引き返し,エルズワースの交差点で,泊まったホテルのある方向と反対の方向に国道1をバンガ―まで戻り,そこで西に進路をとる国道2に乗った。

DSCN2339DSCN2344DSCN2346

 アカディア国立公園は,アカディア・マウント・デザート島と周囲の小さな島々,本土のスクーディック半島の一部からなる。
 全体で,約150平方キロメートルにわたり,ニューイングランド地方唯一の国立公園である。
 公園を訪れる人は,年間200万人にのぼる。 
 公園には周回道路が完備されていて,17の御影石の橋がかかっている。
 何マイルにもわたる景色のよい周回道路は,木々と土地の外観に多大な配慮がなされたうえで建設されたもので,ハイカーや自転車に乗る人に海,島の湖,松の森の眺めで楽しませてくれる。
 バーハーバーは,この国立公園の入口にあるハーバーである。

 アカディア国立公園は,1947年,本土のクランベリーの湿地帯で起こった火事によって焼けた。
 火事は数日間にわたって続いたが,再生が自然に起きた。
 火事は,木々の多様性を高め,風景に深みを与えることにより,公園の美を実際は強化したと言われているというから,イエローストーン国立公園同様,自然界で起きることは,ちゃんと自然界が解決するものであるらしい。
 キャディラック山は,島の東側にあり,そのピンクの花崗岩の頂上は米国で最初に日の出が見られる場所の一つであるため,有名な観光地となっている。

 国立公園の入口は,ほかの国立公園同様,ビジターセンターやロッジがあり,国立公園内は,当然,ごみひとつなく,その広さと雄大さは,ここ,アカディア国立公園も同様であった。
 キャデラック山での日の出は間に合わなかったが,それでも,遅れて到着した国立公園からの景色は,やはり,絶景であった。
 大西洋から昇る太陽をしばらくじっと眺めていた。
 日の出を見た多くの観光客の帰路で,けっこう車は多かったが,この国立公園の雄大さが,そんなことをすべて消し去って,ここでも,自然の偉大さを深く味わうことができた。
 私の先を走っていた車の人は,日の出に間に合ったのかしら,と思った。

DSCN2322

☆3日目 7月22日(月)
 こうして旅をしていると,今日が何日で何曜日か,さっぱりわからなくなってくる。
 夜も,寝たのか寝なかったのか,よくわからない。よって,逆に時差ぼけも感じない。車で走っていても,眠気も感じない。歳をとるとは,このように,自分でも不可解なことである。

 朝になった。午前4時には目覚めていた。
 もう一度眠るか,どうしようか。と思った。
 外は晴れている。
 夏時間なので,夜明けはまだ先のことだと気づいて,せっかくなので,アカディア国立公園の日の出を見に行くことにした。
 日の出をみてから,一旦,ホテルに戻ってこようかと考えたが,このまま出発したほうが時間に無駄がないので,チェックアウトをすることにした。
 急いで支度をして,荷物を車に積んで,ホテルのフロントにルームキー(カード)を返却しに行った。
 昨年のノースダコタ州マンダンのモーテルを思い出す。あのときも,夜明け前に満天の星空を見に行ったっけ。そうして,早朝にチェックアウトをしたっけ。もう,あれから1年になる…。
 ホテルのフロントは朝8時まで閉まっていて,何か用がある人はポストの手紙を,と書いてあった。ポストには手紙が1通入っていた。私は特に用はないが,ポストにルームキー(カード)を返して,自主的にチェックアウトした。

 昨晩,このモーテルに来るとき,「バーハーバー」と書かれた道路標示を見かけたので,そちらの方向へ行けばいいと思っていた。確かに国道1に沿って少し走ると,道路標示があったので,そこで左折した。やがて,道は州道3,通称バーハーバーロードへ出た。片側1車線の気持ちの良い道が続いていた。
 前に1台車が快調に走っていて,どうやら,同じことを考えているらしい。車は,どんどんとバーハーバーを目指して走っていく。
 思ったよりも,バーハーバーは遠く,なかなか海岸線が見えない。GPSの道路標示を見ると,もうしばらく走ると,島に続く道は橋にさしかかって,その辺りで,海岸が見られるように思われた。
 空はどんどんと白んできて,まもなく夜明けのようだ。急がなければならない。

 まだ,バーハーバーには少し距離があったが,左手に海が見えた。海は,朝焼けに輝き,幻想的であった。
 そこを過ぎて,でも,思い直して,Uターンをしたのが正解だった。先ほど海の見えたところは,シーフードレストランの駐車場であった。そこに戻って車を停めて,手前の海岸にむかった。
 日の出はそのほんの数分後のことであった。
 やがて,海が黄金色に輝き,大西洋から太陽が上がってきた。神々しい風景であった。気づくと,日の出を見ている海岸のとなりにあった民家のベランダで,住民が同じように日の出を見ていた。
 お互い,思わず,美しいと声を出した。
 生まれてはじめて,大西洋からの日の出を見た。

◇◇◇
ヘンリー・デイビッド・ソローは,1817年7月21日に生まれたマサチューセッツ州コンコード出身の作家です。自然と人間を愛し,メイン州を旅し,「メインの森」という作品を残しました。
  ・・・・・・
 Life isn't about finding yourself; it's about creating yourself. So live the life you imagined.
  ・・
 人生は,自分を見つけようとすることではなく,自分を創造しようとすることだ。だから,自分の描く人生を生きなさい。
  ・・・・・・

DSCN2311DSCN2314DSCN2315DSCN2316DSCN2312

 メイン州の大西洋岸に面したちょうど中央あたりに,アカディア・マウント・デザート島という丸い島があって,その島の東側の山一帯がアカディア国立公園である。その島の東側の,ちょうど中央あたりにある港がバーハーバーというリゾート地で,その島に渡る橋のたもとにある町がエルズワースである。

 宿泊した「ナイト・イン・エルズワース・バーハーバー」は,エクスペディアで予約をしておいたところである。
 日本で iPad のマップの航空写真で見たときの印象とおよそ同じホテルであった。
 小高い丘の上にあって,きわめて景色がよく,気持ちがよい。このホテルの部屋には,バスタブもあった。
 チックインをするフロントは別棟にあって,感じのよいスタッフが対応してくれた。
 夕暮れの景色がきれいだった。

 こうして,観光地から車で30分も離れたホテルは,もちろん駐車場もあり,きれいでしかも安価に宿泊できる。
 部屋に荷物を入れて,さっそく夕食をとるためにエルズワースのダウンタウンへ向かった。
 ダウンタウンに沿った道路は工事中で車線の規制があった。夕暮れで見通しが悪いので慎重に運転する。日本の道路規制を思い浮かべる人が誤解するが,こちらの道は,車線ひとつひとつが日本よりも広いので,車で混み合うということはないのだが,こういう時の運転の慎重さは,日本の比でなない。
 フリーウェイやターンパイクはきわめて快速に,そして,市内では,きわめて慎重に,というわけである。
 交差点でも,信号のないことが多く,こういう時は,優先通行という概念ではなくて両方一旦停車で,交代に左の車から通行するという暗黙のルールがある。
 ちなみに,信号のある交差点も,例外を除いて,右折は赤でもできる。左から車が来ないことを確認して,ゆっくりと右折するわけだ。これが,まあ,気持ちがよい。また,左折は,直進より前に左折信号が青になる。

 夕食は,来るときに見つけたデニーズに入ることにした。
 お店はガラガラであったが,感じのよい店員さんが対応してくれた。
 アメリカでも,デニーズはメニューに写真が載っているので,注文しやすくていい。アメリカでは,お任せというのはなくて,たとえば,卵料理の方法一つについてもこちらで指定する必要があるので,英語に抵抗がある人は,やはり,ちょっぴり大変だろうと想像する。
 いつものように,とりあえずのコーヒーを注文して,のんびりとメニューをみて,肉と野菜を炒めたものを注文した。
 パンはついていないというので,トーストを追加した。
 食事をしている途中に,別のお客さんが入ってきた。
 なかなかおいしい夕食であった。
 食事を終えて,ホテルに戻った。
 部屋の前には椅子が用意してあって,夜風が気持ちよかった。晴れわたった夜空には星が美しかった。
  ・・
 旅行2日目。きょうは,予定していたよりもどこへ行くにも時間がかかってしまった。長い一日だった。 メイン州自体は素朴なところでちいさな町が多いのだけれど,昨年行ったノースダコタ州とは違って大都会から近い避暑地であるので,思った以上に人と車が多かった。
 短い夏を精一杯楽しもうと,人々が太陽の下を走り回っているようであった。
 うまく計画して,行くところを決めてその地を訪れないと,車を停めるだけでも大変なのであった。
 冬はとても寒いところだと聞いているが,冬に来たらどういった様子なのだろう,と思った。

◇◇◇
ほとんど地上波民放をみないと書きましたが,「世界の村で発見!こんなところに日本人」という番組がおもしろく,はまってしまいました。昨日は,オーストラリア・アボリジニの村に暮らす日本人女性を岡田奈々さんが訪ねるという内容でした。それぞれの人にそれぞれの人生あり,一般論では語れないところですが,人生たった一度,作られたレールの上を無事に終着駅にむかって走るだけが生き方でないととつくづく感じます。

DSCN2301DSCN2302DSCN2309

 ポートランドを過ぎ,インターステイツ295を経由して,再び,リッチフィールドという町でインターステイツ95に戻った。このターンパイクは,そのままメイン州の中央部を北東に走り,カナダ国境を過ぎ,カナダの国道2になる。
 私は,インターステイツ95を200キロメートル行ったバンゴーという町で,この道に別れを告げ,東方向に国道1に入って50キロ,エルズワースという町があるバーハーバー方向に向かう。
 インターステイツ95の途中で,ビジターセンターがあったので立ち寄ることにした。

 インターステイツ95を走っていると,州の境を過ぎたあたりにビジターセンターがあって,案内所では,いろいろとその州の見どころを教えてくれたり,ハイウェイマップをくれる。
 ものすごくたくさんの資料やパンフレットがあって,そのどれもが無料である。
 常に必要なのは,州のパンフレット(小冊子)とハイウェイマップで,これらの資料は,インターネットをしらべるよりも,グーグルマップを見るよりも役立つものであり,現地でなければなかなか手に入らないものなので,アメリカをドライブする人は,ぜひ,立ち寄って手に入れたい。
 特に,ハイウェイマップは,出口の番号が記されているので,運転をするときに非常に便利である。
 メイン州では,州に入った時にインターステイツを通らなかったこともあって,この地図を入手できず,困っていた。どうにかここで手に入れたので,これで安心してドライブができるようになった。

 快調に車は目的地を目指して進んでいるが,なにせ,非常な距離であって,どうにか午後6時を過ぎたころに,目的地エルズワースのダウンタウンが見えてきた。
 昨年行ったノースダコタ州のボーマンという町に似た国道1の周囲にレストランやらガソリンスタンドやらモーテルやらモールやらが立ち並ぶ典型的な国道の中継地点であった。
 中華料理店やデニーズやらマクドナルドやらがあって,きょうの夕飯は確保できるのでほっとする。
 そういえば,今年行ったニューイングランド地方にはどこにもダンキンドーナッツと中華料理店があって,どの中華料理店にも,私には意味のよくわからない漢字の店名がついているのが,興味深かった。
 事前に調べてあったように,「ナイトイン・エルズワース・バーハーバー」はこのダウンタウンを過ぎて,町の灯りがなくなって暗くなったころに,国道1沿いの小高い丘の上にあるホテルだ。
 すでに日が傾き,あたりが見えにくくなる中,なんとかホテルの表示を見つけることができた。

DSCN2291DSCN2297

 フォート・ウィリアムズ・パークは広大な公園で,入口を入ったところにあった広い駐車場はほぼ満杯だったが2,3台空きがあったので,車を停めて外に出た。
 ここは砂浜になっていて,家族連れやグループでハイキングをしたり,ゲームをしたり,好きなことをして楽しんでいた。
 市民パークのようであった。
 どこへ行っても人が多いし車も多かった。でも,公園はさらに広くて,混雑しているという感じではなかった。
 しかし,ポートランド灯台が見つからない。ポートランド灯台へ行くにはここに駐車するのではなく,もっと公園の道,そう,その先の坂道を車で登っていくとその先に灯台があるようだった。

 坂道を登っていくと,下からは見えなかったが,さらに広い駐車場があった。車を停めて,みんなが歩いている方向へついていくと,やがて,絶景が広がった。
 大西洋に面して,白く美しいポートランド灯台があった。その先は広いきれいな海だった。海の青と灯台の白色がとても印象的であった。海にはヨットが浮かんでいた。その向こうに,小さくポートランドのダウンタウンが見えた。

 ポートランド灯台は,カスコ湾に突き出たエリザベス岬に建つ灯台で,メイン州を代表する景色として有名である。英国軍の侵入を見張る目的で18世紀末に作られたもので,1989年までは灯台守がいたということだ。
 砦になっている,こうした広い一帯がハイキングトレイルとなっているので,家族連れでにぎわっているというわけだった。
 青空のまぶしい1日だった。
 天気がよかったので,雄大な景色を堪能することができた。
 ここまで来てよかったなあ,と思った。
 この海は大西洋で,その向こうは日本ではなく,ヨーロッパとアフリカ大陸だということが,信じられなかった。

◇◇◇
9月2日,日本も異常気象ですが,アメリカでもいろいろな災害が起きています。ボストンでは鉄砲水,ノースダコタでは竜巻,サウスダコタでは雹が降りました。カリフォルニアでは山火事です。事故がなければいいのですが。

DSCN2279DSCN2285DSCN2287DSCN2288

 インターステイツは楽だ。
 インターステイツ95を快調に走って,道路標示に従ってポートランドに迂回するインターステイツ295に入ると,やがて,ポートランドのダウンタウンの高層ビルが遠くに見えてきた。
 アメリカをドライブしていて,もっとも感動するときである。
 事前に調べておいたので,ポートランドの市内に入る手前に,公園があって,そこが,ポートランドシードッグスの本拠地であることは知っていた。インターステイツ295を走っていたら,実際,右手に森があって,「ボールパーク」の道路標示があり,森の中にボールパークのナイター設備と客席の屋根が見えてきた。
 到着予定時間をはるかに越えて,もう3時少し前だった。
 少し迷ったけれど,ポートランドにはほかにも見どころがあるし,マイナーリーグの野球を見ることは面白いが,ここでベースボールを見て3時間も使うことがどうでもよくなってしまったので,降りるのをやめて,そのままポートランドの市街地を目指した。
 
 ポートランドは人口6万人あまりの美しい都会である。
 「地球の歩き方」に,見どころは,レンガ造りの家並みが郷愁をそそるオールドポートと,絶景スポット・ポートランド灯台,とある。 
 道路標示にしたがってインターツテイツ295を降り,一般道を西に進むと,ポートランドのダウンタウンに入った。大きなビルが立ち並ぶ,街路樹のきれいな町であった。
 私は,ポートランドは,ロブスターの採れる寂れた漁港と灯台というイメージを持っていたが,それは昔見た北海道の思い出なのであって,ここポートランドはそれとはまったく異なる,近代的で美しい,横浜の赤レンガ倉庫のようなところであった。
 車でそのままダウンタウンを右折すると,そこがポートランドの見どころのひとつオールドポートであった。
 もうひとつの見どころで,メイン州を紹介するガイドブックには必ず載っている有名な「ポートランド灯台」は,ポートランド市内から南に7キロメートルくらい行ったところにあるらしい。「地球の歩き方」には地図外とあって,どこにあるのかわからない。州道77を南に行けということだけがかろうじて書かれてあった。
 この本の「地図外」には,いつも悩まされる。ピッツバーグへ行ったとき,カーネギー・メロン大学を目指してわけがわからなくなったときもそうであった。
 今回はGPSをつけていたにもかかわらず,ポートランド灯台の検索方法がわからず,どこをどう走っていくのかと運転しながら思案した。持っていた地図を見ると,このままオールドポート沿いのコマーシャルストリートを「しばらく」走っていくと州道77に突き当たることがわかった。そして,そこを左折すれば南に行くからポートランド灯台へ行くことができるらしいとわかった。
 だんだんと土地勘ができてきたので,「しばらく」という距離が日本で思うしばらくより「はるかに遠い」ことが感覚的にわかってきた。そうして,本当に「しばらく」走っていったら,予想通り州道77に出ることができたので,交差点で左折してこの道に沿って走っていくと,やがて,大きな橋があった。その橋を渡り,さらに道なりに州道77を進んでいくと,州道77は右に曲がっていくが,まっすくに進む方の道にポートランド灯台の標示があったので,その指示に従ってその道に入った。そうして,さらに4キロメートル進んでいくと,無事,ようやく,ポートランド灯台のあるフォート・ウィリアムズ・パークに到着することができた。

DSCN2672sDSCN3452DSCN3468DSCN3288

 ガソリンといえば,さすがに,カムリは日本と同じように,給油口のふたが,運転席のノブで開くようになっていたが,アメリカ車であると,日本車と違って,ロックがかかっていなくて外から開く。これでガソリン泥棒が横行しないのが不思議である。また,給油口を開けるとキャップにプラスチックの紐がついている。これはアメリカで売っている日本車も同様で,このほうが給油をしたときに置き忘れないのでたいへん便利だと思うのだが,どうして,日本ではそうなっていないのだろうと,昔から不思議に思っている。

 ともかく,車も,私も,給油(食事)が終わって,ポートランドまでの道を急ぐ。
 インターツテイツに入ると,快調に車は進むようになった。時速制限は州によって違うが,ニューイングランド地方はほぼ65マイル(104キロメートル)であった。

 写真のように,車にはたいてい「オートクルーズ」のボタンが四つハンドルのわきについていて(昨年借りたヒュンダイはどこを探しても見つからなかったが),まず,中央のオートクルーズをONにするボタンを押して,アクセルを踏み,目的の速度になったときにオートクルーズをセットするボタンを押す。すると,この速度を保って車は走るのである。先ほど押したONボタンの左の大きなボタンを押したり,ブレーキを踏むと,オートクルーズが解除され,3つ目のリセットボタンを押すと,解除されていたオートクルーズは再びONになって,先にセットした速度に戻る,というものである。
 ほとんどの車はこのオートクルーズによって同じ速度で走っているから,同じ間隔を保っている。後続車にあおられるということもない。だから,運転といっても左手でハンドルを道に沿って操作する以外なにもすることはなく,ラジオもFM局が0.2メガヘルツごとにあって,場所が変わると自動的に新しい局を選局してくれる。日本の番組はやたらとしゃべくりばかりで疲れるが,音楽だけを流しているものが多いのも爽快である。
 そういうわけで,インターステイツでの運転は想像以上に楽なのである。
 まれに,ものすごく運転の下手な人やらハーレーバイクの集団やらがいて,彼らがその秩序を乱すので,それに遭遇してしまうと,その時だけは,それを抜けるのに,悪戦苦闘するという感じである。
 それでも,時折,ハイウェイパトロールに速度違反で捕まっているのを見かけるから不思議である。

 こういった運転に慣れると,本当に,日本で運転することが怖くなる。
 日本では,高速道でもいつも渋滞し,速度を大幅に違反した車が,かき分けかけ分け追い抜いていくし,路肩や分離帯は狭い。
 一般道では,左車線を安全運転していても,自転車が車道を走っていたり,やたらと路上駐車をしていたり(そういえば,アメリカでは,駐車スペース以外に違法駐車をしているのを見たことがない)するので,しょっちゅう右側車線を気にして,車線変更をしなくてはならないし,やたらと信号ばかり多いし,双方一旦停車の交差点では,なんとかして先に突っ込まないと,いつまでも横断できないし(アメリカでは,左側の車から順番というルールがある),運転マナーは悪いし,交差点はゴミだらけだし,スピード制限はあってないようなものだし,制限速度を守っていると後ろからあおられるし,見通しがよく,晴れていて,まったく事故の心配のないところで,意味のない取締りを,多くの警官を動員して行っているし(それよりも,それだけの人員がいたら,それぞれ別の交差点に立たせたほうがいいと思う)。
 私は,しかたなく,日本でも運転をしているけれども,こんな国で,車に凝って,高級車に乗る人の気持ちが,全く理解できない。
 車好きな人は,気持ちよく高級車に乗りたければ,一度,アメリカの大地で思う存分に走ってみましょう。きっと日本のせっかちでマナーの悪い運転が,情けなく,しかもかっこ悪いことだということが身に染みることだろう。

DSCN3289DSCN2496DSCN3127

 海岸沿いの道を離れ,インターステイツ95に戻った。
 メイン州では,インターステイツ95は,通称「ニュー・ハンプシャー・ターンパイク」,つまり,有料道路なのだ。その時は,さすが,メイン州,通る車が少ないから有料だ,と思ったが,そういうものでもなく,東海岸では,やたらとターンパイクが多い。
 これまで,ずいぶんとアメリカを走ってきたが,有料道路なんて,フロリダでしか目にしたことはなく,アメリカの高速道路は無料だと信じていた。ただし,有料道路とはいっても1ドルくらいの料金で,料金所の巨大な機械にお金を投げ入れるみたいな,そんな印象しかなかった。
 メイン州で出会ったターンパイクの料金所は,日本と同じようにゲートがあって,日本と同じように係の人がいた。通行料金は,ここは2ドルだった。
 ゲートで係の女性にお金を払おうとしたら,この車は,トールパスをつけているからこのまま行けと言われた。
 そういえば「EZPass」というゲートと係のいるゲートがあった。そうか,トールパスというのは料金所で「EZPass」のほうのゲートを通ればいいらしいのだなあ,これからはそうしよう,と思った。
 レンタカーを借りたときに一緒に借りた「トールパス」というものの使い方をその時初めて理解したのだが,どうしてそれでよいのか,そのシステムが今もってよくわからない。当然レンタカー料金にプリペイドで含まれていると思うのだけれど,どれだけ有料道路を使えば得なのかもよくわからない。非常に便利なことと通行料金が日本に比べれば非常に安価であることだけは確かではあるが。
 帰国してから,ネットで調べているのだけれど,納得いく答えがみつからない。本当に,だれか詳しく教えてください!

 そろそろ,今回の旅で初めてガソリンがなくなってきた。スタンドが何キロもないということがあるので,半分以上なくなったらガソリンを満タンにしないといけない。
 ガソリンスタンドを探して,ガソリンを入れる。
 それにしても,アメリカでもガソリンは高くなったものだ。シェール石油革命とやらは,あれからどうなっているのだろう。
 今年は,1ガロン3.75ドル~4.00ドルであった(写真のスタンドは3.87ドル)。1ガロンは3.78541178リットルなので, 日本円にして1リットル約100円である。昔は30円くらいのものだった。
 それでも,たとえ東海岸が有料道路が多かろうと,ガソリンが高かろうとも,日本で移動するよりもはるかに安価である。そこで思ったのだが,アメリカ人が1人,人生で移動する総距離は,日本人に比べれば,10倍以上多いと思われる。国が広いこともあるが,彼らは,よく動くし,よく食べるし,よく遊ぶ。

 ガソリンスタンドの機械は,料金を支払うのにクレジットカードを通せばよいのだが,これが曲者なのだ。
 機械によって,というか,ガソリンスタンドによって,というか,どちらかわからないのだが,クレジットカードを何度通してもカードを認知してくれないのだ。ほぼ6割は駄目である。違うカードに変えてもだめである。自分のやり方がわるいのかと現地の店員にやってもらっても同じなのだから,私の方法がおかしいというわけでもなさそうだ。
 そうしたときは,お店の中に入って,あらかじめ〇〇ドル,とか言ってクレジットカードで前払いでお金を払って(このときお店の中にある機械はなんの問題もなく作動するから不思議なのだ)からガソリンを入れることになる。支払った料金までガソリンが入らなかったときは,再び店内に入ってお金を戻してもらうことになる。
 トールパスもよくわからないが,このクレジットカードのことも,どうも,よくわからない。インターネットにもつまらない情報やら同じような情報は氾濫しているのに,こういうことはどこにも書かれていない。
 世の中についていけなくなった老人の気持ちがよくわかる。

DSCN2275DSCN2277DSCN2281DSCN2283

 セーラムで魔女博物館を見てから,朝食を抜いたことを思い出し,マックがあったので,朝昼兼用で食事をとった。
 セットを頼んだが,フライドポテトやアップルスライスなどを選べとか言われて,そんなん日本にないし… とわけわからなくなった。いい加減注文した自分も店員もいやになって,でも,なんとか食事にありついた。
 そうして,一応,おなかを満たして,いよいよ,北上を開始した。

 はじめは,ここから100キロメートルくらい大西洋岸をインターステイツ95ではなく,海岸線沿いに風光明媚な州道1を北上して行くと,メイン州ポートランド(オレゴン州のポートランドはここメイン州ポートランドから名前をとったもの)に着くので,ここで,2時から,マイナーリーグ「ポートランド・シードックス」の野球を見る予定であった。
 そして,その後,300キロメートル先のバーハーバーへ行けば,午後7時には今日の宿泊地に到着する,そんな計画であった。

 セーラムで駐車に戸惑って,予定より時間が1時間遅れている。しかも,それならそれで,朝,間違えて北上しかかったインターステイツ95に乗ってどんどんと北上してポートランドへ行けばよいものを,州道1に未練があって,インターステイツを降りたあたりから,どんどんと予定が狂ってきた。

 優柔不断なのだった。しかも,すでにメイン州に入って州道1を進んでいると思っていたのだが,走っているところはそれよりも南で,まだ,マサチューセッツ州とメイン州の間のニューハンプシャー州だった。そして,それからもうしばらく走って,やっとメイン州に入ったころに到着した海岸の町はそれよりもはるかに北のジョージ・ブッシュ元大統領の別荘のあるケネバンクポートだと思いこんでいた。
 実際は,この町はそれよりも南のヨークハーバーであった。
 このように,州道1に沿って走る海岸道路は,予想以上に車が多く,自分の予定した時間では距離が稼げないのであった。しかも,あせっても,海岸は海水浴場で,路上駐車だらけ,人だらけ,で,なかなか前に進まない。こちらの人はせっかちでないので,一般道路では非常な安全運転で,対向車やら歩行やらに気をつかってのろのろと進む。
 これでは雄大な大西洋を眺めながら快調にドライブ,などという話ではない。こうなったら,いっそアメリカの海水浴場を見てみよう,ということになって,やっと見つけた駐車スペースに車を停めて,海へ向かった。海水浴場では,海岸線に沿って,片側のみ,車が停められるようになっていたのだが,ほとんど車が停まっていて停める場所がなかなか見つからない。駐車できない陸地側は,立派なホテルやらレストランやらが並んでいる夏のリゾート地であった。
 まあ,雄大なことと芋を洗うみたいに人がいないことをのぞけば,江の島と大差ない景色なのだけれど,その,雄大さと人が少ないということが,日本では手に入らない。このような場所で,日本人がひとり,水着を着ているわけでもなく,カメラを片手に海岸を散歩している図なんて,ありゃしない。

 日本でも,海水浴場は子供のころ以外行ったことがないので,今はどうなっているか皆目わからないが,こちらでは,ほとんどの人は,巨大なパラソルの下,ごろりと横になって,のんびりと海を眺めているだけのようだ。私には,わざわざ裸になって有害な紫外線を浴びにくる意味が,お金を出して有害な煙草を吹かす以上に,よくわからない。でも,何もしないでのんびりするということの素晴らしさはよくわかる。
 最近知ったことだが,フランスでは,バカンスをとることが人間としての権利だということで,1年で5週間のバカンス休暇を取ることが法律で決められている。その間,家族でリゾート地へ出かけてのんびり何もしないで過ごすのだそうだ。こういうことを書くと,日本人は,だから遊んでばかりいるのでフランスの経済は… などと言い出すのだろうが,海外では,日本人は,死ぬまで働き続けて,車やカメラを作っている仕事中毒の気の毒な国民とうわさされている。いや,噂ではない。アメリカを旅行していると,直接,そのように言われる。

 そんなこんなで,ひとりで,雄大な大西洋の景色をのんびりと眺めるという夢はあきらめ -この夢はあとで思いがけず実現する- 気を取り直して,混雑する海岸道路をやっとのことで脱出して,なんとかインターステイツ95に戻って,ようやく,一路ポートランドに向かうことになった。

ボストンのホテルを出発して,まず,レキシントンとコンコルドにi行きました。ものすごく綺麗でした。
次に,セイラムにある魔女博物館に行きました。
その後,大西洋岸を北上,ポートランドを経由して,今晩は,バーハーバーというところに泊まります。ここは,国立公園です。
フリーウェイと言いますが,ここメイン州では,有料(1ドルくらい)の道路が多いです。トールパスをつけていたらお金は払わなくていいとゲートで言われました。なので,「EZPass」というゲートを通ることにしました。お金はどのように引き落とされるのか未だに不明です。 誰か教えてください。
暑いなんていうのはどこかへいってしまって寒いです。でも,湿度が高いです。 どこも,思っていたより広く美しいです。
こちらへ来る度に思うのですが,アメリカの豊かさは,日本人の想像をはるかに超えています。海にはヨットが浮かび,飛行場には自家用機が並び,家は広々としていて,週末でなくてもどこも観光客であふれています。高校なんてゴルフ場くらい広くてグランドは,全面芝生です。

画像1 画像1 画像1 画像1

このページのトップヘ