しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > オハイオ州

DSCN0256DSCN0268DSCN0278

 国際交流とか,異文化間コミュニケーションとかいうことが,楽しそうに語られることが多いが,実は,異文化を理解することは非常にたいへんなのだ。
 私もよく,外国で知り合った人に日本に遊びに来て,と誘うのだが,実際にその人の立場になって考えると,その誘いに乗るにはかなりのリスクがいるだろうと思う。特に,言葉が通じなければなおさらである。
 もし,この知らない日本という国に誘われてひとりでやってきても,誘った相手がどういったもてなしをしてくれるかということは想像ができないだろう。
 日本人同士であれば,たとえ少し離れたところに住んでいる友人であっても,遊びに行けばどのようなもてなしをしてくれるかという予測はつくけれど,外国人では,そこのところがよくわからないわけだ。
 私は,このことを,今回の旅で身に染みて感じた。

 私のように旅慣れていて,たとえ相手に会えなくても何とかなるというのであればともかく,相手の誘いに乗って,航空券を手配し,あとは現地で相手にお任せ,のような旅を考えていると,大変なことにもなりかねない。だからといって,相手に何をしてくれるのだ,とか,そういったことを直接聞くこともできないから,さまざまな誤解やら憶測を重ねていくことになるわけだ。
 もし,逆の立場であったなら,つまり,私が外国から友人を招くのなら,まず,相手に,どのような旅がしたいか,何を体験したいかを聞いて,それをもとに計画を立てて,その計画を送り,そのあとでホテルや列車の予約をすることになる。そして,準備万端整えて,友人の来日を待つことだろう。だから,私が,今回,そういったことを相手にも期待していたのは事実であった。
 ところが,今回のような旅になるのなら,はじめに,すべて自分で計画を立てておいて,その中の1,2日だけ,向こうで再会を楽しむということにした方がストレスもなく,ずいぶんとよかったに違いがない。これは,自分の非とか相手の非とかいうことではなく,文化の違いなのだった。
  ・・
 それと同じように,国と国との外交というのは,たやすいことではないのである。
 私は,「おもてなし」という言葉は好きではないけれど,こうした,日本の曲折した「おもてなし」文化というのは,日本を外側から見れば,ある意味,人の好いだけの行為にみられるのではないだろうか。もっと悪く言えば,単に相手になめられるだけの行為になってしまうこともあるに違いない。
  
 旅の1日目,私は,夕食をとりながらも,その支払いをどうするかばかりを考えていた。結局,この日は,御馳走になってしまったのだけれど…。この後で,博物館などに行ったときに,その入場料をどう払うのかということもよくわからなかった。さらに,現金ならば,割り勘ができるけれども,クレジットカード社会のアメリカでは,そういうことをどうすればいいかさえ,見当がつかなかったし,相手にどのようにこのことを聞けばよいかもわからなかった。 
 ところが,この後,意外な展開を示す。

Wall111Wall113Wall112Wall114

 クリーブランドには,ダウンタウンの北にあるエリー湖畔とともに,ダウンタウンを東に行ったところに,ユニバーシティ・サークルと呼ばれる地区があって,そこにも,さまざまな博物館や美術館があります。
 今回は,それらを紹介しましょう。

 クリーブランドに着いたときに迷い込んだ東地区をさらに越えていくと,広い公園があって,そのあたりは文教地区でした。周りには,大学やら美術館やら科学館が立ち並んでいました。
 おそらく,エリー湖畔が再開発される前から,このあたりが文化地区だったのだと思われます。
 広い駐車場に車を停めて,まず,自然史博物館に行きました。
 ここは,ルーシーという人類の祖先の骨格の標本が一番の見ものだということで,館内をぐるぐるとまわって探したのですが,なかなか見つかりませんでした。
 恐竜の骨が展示してある広い部屋では,何かのテレビ番組の収録をしていて,いかにも学者という風貌の人が解説をしていました。そして,その横に聞き手の人が座っていて,その周りをテレビカメラ,スタッフが取り巻いていました。収録が終了する毎に拍手が起きていました。
 しばらくそれを眺めて,そのあとも,ものすごく広い館内をさがして,やっと,ルーシーの骨格標本を見つけました。ルーシーの骨格標本は白いもので,本物には見えませんでした。
 ここには,アポロ12号が持ち帰った月の石もありました。決して新しい博物館ではなかったのですが,落ち着いた,よい博物館でした。
 エリー湖畔にあった科学センターよりも,私にはずっと興味深いものでした。

 次に,ウェスタンリザーブ歴史協会/クロフォード自動車・航空機博物館へ行きました。
 行く途中に,無料の植物園がありましたので,立ち寄りました。
 そこには日本庭園があって,枯山水の庭ができていたのですが,芝生があったり,お寺の庭なのに鳥居があったり,また,その鳥居が中国風だったりと,こちらの人が考える日本というものがどういうものかよくわかりました。
 ウェスタンリザーブ歴史協会/クロフォード自動車・航空機博物館では,道に迷って,図書館に入ってしまったりしたのですが,幸運にも,そのことで,こちらの大きな図書館の中を見ることができました。そのあとで,隣接する大邸宅をツアーでまわることもできて,ここも,広くて,見どころ満載でした。
 
 最後に,美術館に行きました。
 水曜日は,美術館は遅くまで開館しているということで,のんびりと見学することができました。しばらく鑑賞して,美術館のレストランで夕食をとりました。テラスでは野外音楽会もやっていて,アメリカの美術館の素晴らしさがとてもよくわかりました。
 夕方になって,年老いた夫婦が大勢,食事をとりながらコンサートを聴くために美術館にやってきました。
 いつも思うのですが,こちらの人たちは,本当に人生を心から楽しんでいます。平日の夜なんですよ!
 こういうことに接すると,生きることや文化を大切していることがとてもよくわかります。
 アメリカに来てよかったと思うのは,こうした時です。

 このように,クリーブランドは,ほんとうに素晴らしい都会でした。クリーブランドは,人が幸福に生きることを知っている都会でした。まさに,ここは「湖畔の失敗」転じて「湖畔の奇跡」なのでした。

◇◇◇
It's the End of the Season and We Know It.
今年は,本当に面白いシーズンでした。

Wall107Wall108Wall109Wall110

 ロックン・ロール・オブ・フェイムと博物館の隣には,グレートレイク科学センターがありました。
 入口を入ると,長いエスカレーターがあって,新しく素晴らしい建物でした。
 アメリカには,たいていの都会に科学館があって,そこにはIMAXが併設されています。
 科学館というのは,日本もアメリカも,その展示されている内容を見ると,見学対象の設定がむずかしいんだなあ,と感じます。
 科学にあまり興味のない人たちに面白さがわかるように,といった展示をするのか,あるいは,かなり高度な内容をわかりやすく展示するのか,いわば,誰を対象にするか,ということが難しいのだと思います。
 私は,そのふたつの部門に分けて,小学生などにはいろいろと遊べるようにして,体験から学ぶような工夫をして,一般の人には,高度な内容をわかりやすく展示する,というようにするのがよいように思うのですが,その点,多くの科学館では物足りなく感じます。そうした展示をする学芸員の人材に負う部分も多くあるのでしょう。
 東京の上野にある国立科学博物館は新しくなって見どころも多く十分に楽しめます。名古屋市立科学館も新しくなったのですが,上野に比べると内容的にかなり見劣りします。
 先日行ったスカイツリータウンにあったプラネタリウム「天空」は,私が見たプログラムがたまたまそうであったのでしょうか,あまりに内容がひどく,せっかくのプラネタリウムの性能が泣いていて,もう二度と行くまいと思いました。しかし,私のような要求は少ないのでしょうね。
 そんなわけで,私は,近頃は,科学館にはあまり興味を感じないので,アメリカに行っても中に入ることがほとんどなくなってしまいました。このグレートレイク科学センターも,私には物足りないものだったので,レストランで昼食をとって,早々に外に出ました。

 次に行ったのが,ウィリアムマザーシップ博物館でした。
 はじめは,エリー湖にもクルーズ船があるのだろうと乗り場を探したのですが,出発までの時間がかなりあったのであきらめて,その乗り場の横に停泊していた貨物船が博物館になっていて中に入れたので,それを見ることにしました。
 船の中は広い展示室になっていて,床に線が引かれていて,その線に沿って歩いていくと,客室やキャビン,デッキなどを見て回ることができました。
 それぞれの部屋には案内する人がいて,いろんな話をすることができました。
 ある部屋では,まるで人形のようにおじさんがソファに座っていて,突然動き出すものだからほんとうにびっくりしました。
 このように,以前にも書いたことですが,こちらの博物館は,ただ見るのではなくて,わからないことはすぐに聞くこともできるし,様々な志向を凝らして,見学者を楽しませる工夫をしていて,本当に楽しく見学することができます。
 この日は,ものすごく風の強い日で,いつもこんなものなのかなあ,と思って案内の人に聞いたのですが,今日が特別だと言っていました。

 エリー湖畔は,再開発で,様々な博物館やらスポーツ施設が作られて,それぞれが有機的に機能して,治安のよい,気持ちの良い観光地として生まれ変わっていました。交通の便もよく,ダウンタウンから歩いていくこともできるので,こうした工夫が,この町の奇跡を生んだのだなあ,と実感しました。
 アメリカは,日本が「失われた10年」と呼ばれたバブル経済崩壊以降の1990年代が,インターネットなどの普及が始まった時期で,マイクロソフトなどといったさまざまなIT関連の新興産業が生まれた絶頂期にあたり,このころに再開発に成功した都会は,このような未来的な町として復興を遂げているというわけです。
 私は,1990年代,雑誌「TIME」を読むと,あまりに日本と違って,IT関連の話題で盛り上がっていることにショックを受けた経験があります。

 日本の「失われた10年」はついに「失われた20年」になりました。
 現在は,安倍政権が1980年代の古い手法で経済を再興させようとしています。これは,民主党政権で経済ブレインだった人たちが円高容認で,(自分の国の通貨が高くていいなどと公言する国はないのに)そういった素人政策をとったために,リーマンショック後の金融緩和が,アメリカや中国とはあまりにその量が違ったので通貨の流通量が決定的に異なって,それが円高要因になっていたのを,単に,安倍政権がアメリカや中国並みの金融緩和政策に変更したために,通貨量が同じになって,円高が緩和され,通常の相場に戻ったことで,輸出企業の業績が戻ったことを,景気が回復したと誤解しているだけだと,私は思います。

Wall103Wall104Wall105Wall106

 泊ったホテルからクリーブランドのダウンタウンまではインターステイツ90を東に20分くらい行くだけだったので,ここに3泊することにしました。
 早朝,ダウンタウンに向かいました。ダウンタウンの中心にボールパークがあって,そのとなりに大きなパーキングがあったので,そこに車を停めました。1日停めても7ドルでした。そこで,きょうは,ここに車を停めて,市内観光をすることにしました。
 車から降りて,ほとんど人のいない早朝のダウンタウンをのんびりと歩いていると,レストランがあったので,卵とソーセージ,トーストとコーヒーといった朝食をとりました。この国の朝食メニューは「アーリーバード・スペシャル」という名がついていることが多くて,そうか,早起き鳥なんだ,こんな時間に朝食を食べるのは働き者なんだ,なんて思ってしまいます。

 ダウンタウンには観光名所がたくさんあります。
 私は,まず,「ロックン・ロール・オブ・フェイムと博物館」へ行きました。今年行ったクーパーズタウンの「野球殿堂と博物館」のように,この国には,こうした博物館がたくさんありますが,どこも,半端な大きさではありません。
 日本でも,国技館に小さな相撲博物館があるのですが,国技という割には規模が小さすぎます。他にも、野球とかサッカーとか,人気のあるスポーツに関した博物館や,これまでそのスポーツで活躍した人の業績をたたえる施設が,日本では,あまりにも貧弱すぎます。要は,何がしかのことをしたという業績や偉業のある人を尊敬する気持ちが足りないのだと思います。嫉みだけは世界一ですけれど。

 ダウンタウンから東12番街を北に向かって歩いていくと,グレイハウンド(長距離バス)のバスターミナル(この街では珍しくダウンタウンど真ん中にバスターミナルがあった)を右手に見て,ギャレリアというショッピングモールのところで東9番街へ道を変えて,さらに北に歩き,インターステイツとアムトラック(長距離列車)とRTAと呼ばれる電車が半地下を通っている橋を渡ると,エリー湖のほとりにある近代的な建物にたどりつきました。
 この日はとても風が強かったけれど,涼しくていい天気だったので,ここから見るダウンタウンはものすごく美しかったです。
 ある旅行記のブログで,クリーブランドが蒸し暑かった,というのを読んだことがありますが,その場所に行ったときの気候次第で、町の印象がずいぶんと違うんだなあ,といつも思います。
 私にとっては,クリーブランドは,風が強く夏でも寒いところなのです。

 「ロックン・ロール・オブ・フェイムと博物館」は,マイケル・ジャックソンやエルビス・プレスリーからブリットニー・スピアーズまで,衣装やらなにやらがそろった,とても見どころが多い場所でした。
 チケットを購入して,まず,エスカレーターで地下の入口へ行きました。
 「スターは展示品を写真に写されるのを嫌っています。カメラを持っていたら預けてください」という粋な表示があったので,残念ながら,写真がありません。
 5階建てで,5階にはジョン・レノンとオノ・ヨーコのレコードのジャケットで有名なベッドなるもの(本物)が展示されていました。また,ジョン・レノンの通知表というものもありました。
 このように,ここも見どころ満載の,とてもすばらしい博物館でした。
 アメリカには,他の都会にもロックンロールに関する博物館が数多くあって,そういったところを訪れることもあるのですが,この博物館に勝るところを,私は知りません。
 この博物館の西には,クリーブランド・インディアンズの,かつての本拠地,ばかでかいだけが取り柄だったミニュシパル・スタジアムがあったのですが,現在は,アメリカンフットボールのクリーブランド・ブラウンズの本拠地ブラウンズ・スタジアムに改造されていました。

◇◇◇
メジャーリーグもボストン・レッドソックスの優勝で幕を閉じましたが,タンパベイ・レイズに新球場の話が浮上しました。レイズは,タンパベイといいながら,実際は,その隣のセントピーターズバーグに本拠地トロピカーナ・フィールドを構えているのですが,開閉しないドームに人工芝という,いささか日本の球場みたいな,古臭くまったく魅力のないところです。新球場は,タンパベイに作られるそうです。
そんな話を読んでいたら,今度は,なんと,アトランタ・ブレーブスが新球場を作って2017年に移転する話が決まりました。ブレーブスの本拠地ターナーフィールドは,アトランタオリンピックの競技場を改装したもので,まだ,16年しか使っていないし,立派な球場なのですが,2016年に使用契約が切れることと,周りに駐車場が少ないなど,様々な問題があって,移転に踏み切ったのだそうです。
私は,メジャーリーグ30球団の球場で魅力のない所といえば,タンパベイ・レイズのトロピカーナ・フィールドとオークランド・アスレチックスのオー・ドットコー・スタジアムの2つだと思っているので,レイズが新球場に移転すれば,あとはアスレチックスだけです。それにしても,この2球団とも強豪だというのも,面白い話ですが。babd7f90-s

Wall099Wall100Wall101Wall102

 2002年7月9日午後3時,私は,インターステイツ279を北に,ピッツバーグからクリーブランドに向かって走っていました。やがて,タ―ンパイク79(オハイオターンパイク)に入りました。
 有料道路と言っても,通行料金はたかが数ドルなのですが,道が広くなるわけでもなく,設備がいいわけでもなく,フリーウェイと何も変わるものではありません。むしろ,ここは,中央分離帯も広いグリーンベルトではなく,コンクリートの壁で仕切られただけだったし,やたらと車も多く,日本の高速道路のような道でした。
 だんだんとクリーブランドに近づき,ターンパイクに接続したインターステイツ76に乗り換えました。インターステイツをさらに80,480,77とジャンクションごとに乗り換えて北西に走って行くと,クリーブランドのダウンタウンが見えてきました。インターステイツ77は今度はインターステイツ90と一緒になって,クリーブランドインディアンズの本拠地ジェイコブズ・フィールド(現プログレッシブ・フィールド)の南を通っていきます。

 高架上のインターステイツから見たクリーブランドの美しい街並みにボールパークがよく調和していて,ものすごく感動しました。ボールパークの横のインターチェンジを降りて,ダウンタウンに向かいました。
 ダウンタウンの一般道路は自然にカーブしていて,やがてダウンタウンを通り過ぎてしまい,自分ではクリーブランドの北に広がるエリー湖に向かっているはずだったのに,なかなか湖が見えてきません。
 まあ,いつものことですが…。
 次第に,道は,アフリカンアメリカンのたくさん住む雑踏のなかに入っていきました。別段,治安が悪い感じはなかったのですが,土地勘がないので,少し怖くなってきました。
 このあたりの道路標示はイースト何番地という名前で,とても分かりやすかったのですが,その番地の番号が次第に大きくなっていくので,私は,北に向かっているのではなく,東に向かっていることに,このとき気がつきました。方向がわかったので,気を取り直し,そこから北上して,やがて,エリー湖畔を走るインターステイツ90のインターチェンジを見つけて,西に向かって走りました。

 ともかく,北にさえ向かえば,湖があるわけなので,この町は走りやすいのです。

 クリーブランドは,西に高級住宅地が広がり,東に低所得者層の街並みがあり,北にエリー湖と,旅行者にとってとても分かりやすいところでした。そして,ダウンタウンは,美しく,とてもいい街でした。
 ジョークで,1等賞クリーブランド1日間の旅,2等賞クリーブランド2日間の旅…(つまり,何もないところなので,長くいるほど退屈するということ),というものがあったそうで,出発するまえに,クリーブランドに行くと言ったら友人から脅かされていたのですが,実際に来てみると,それは過去のこと,とにかく,この町の第一印象は,素晴らしくきれいな大都会,でした。
 インターステイツ90を西に,クリーブランドの郊外まで走ると,他の町のように,雄大なアメリカ大陸の景色が広がるようになってきました。郊外のそんな一角に,マクドナルドで仕入れたクーポン券を持っていた「ホリデーイン」を見つけたので,今日は,ここに泊まることにしました。
 ホリデーインは,すごく広く立派なホテルでした。クーポン券記載されていた料金があまりにも安かった(60ドル程度)ので,こんな安価な料金で泊まれるの? と驚いたほどでしたが,こうしたこともあって,クリーブランドは,いまでも,素敵な町だったなあ,という思い出だけが強く残っているのです。

 この都会も,観光地としては,日本の人たちにはなじみが薄いでしょうから,「湖畔のの町の失敗」から立ち直り,こんなに素敵な都会に変身したクリーブランドについて,しばらく紹介していきましょう。
 このように,アメリカは,農村はどこも広く雄大で,同じような豊かな景色が広がっているけれど,都会は,それぞれが抱えている問題も産業構造も違い,日本のような横並びの意識もないので,町ごとの個性が違っていて,行ってみなければ,その姿はわからないのです。

このページのトップヘ