ぐっさんが大型トラックのぐっさん号に乗って日本中を走る「トラック旅」。
第1弾が2015年10月末に放送された日本の高速道を鹿児島から北海道まで縦断する「列島横断2,800キロ!ニッポン高速道路トラック旅」。第2弾は2016年5月7日に放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!″1号線” 東京~大阪の巻」。
第3弾は,2016年11月5日に放送された「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!“2号線”大阪~北九州の巻」。第4弾は,2017年4月8日に放送された九州の佐世保から北海道の釧路までを再び横断する「「ぐっさんのニッポン高速道路トラック旅!」でした。
そして,第5弾が「ぐっさんのニッポン国道トラック旅!”3号線”北九州~鹿児島」。九州地方を襲った大雨のために2017年7月15日の放送が見送られていたものが,やっと陽の目をみました。
北九州市から鹿児島市までの国道3号線は,思い出してみれば,私も数年前に九州を車で一周したときにそのほとんどは高速道路でしたが,ところどころ走ったことがあります。そしてまた,地震で損傷するまえの熊本城にもいくことができました。
この番組では,今回も,高さ62メートルの観音様や重要文化財の芝居小屋などの見どころとともに絶品グルメの紹介,そして,復興がはじまった熊本城など,興味深いものがたくさん登場しました。興味深いものばかりでしたが,番組の時間枠で扱うにはちょっと内容詰め込み過ぎで大忙しでした。なかでも私が一番興味深かったのは福岡空港のお話でした。
また,国道3号線の終点は鹿児島市の照国神社ということだったのですが,私も数年前の九州一周で鹿児島に着いたとき照国神社に行ったのを思い出しました。
本州に住む私は,九州や四国というところは,行ってみるとその文化や歴史感の違いは予想以上のもので,非常に興味深いです。あまり思い入れがなく行った動機もいい加減なものなのですが,なぜか,月日が経つごとにじわじわとすごく懐かしい感情が沸き起こるのが不思議です。これは,海外に行ったときには感じることのない独特な旅情です。福岡は中州が飲み歩くにはとても楽しそう都会だったし,熊本は「くまモン」だけでない暖かな街だったし,鹿児島という都会は島津の殿様の偉大さがわかるとても魅力的なところでした。
歳をとって今のような旅行ができなくなったとき懐かしく思い出されるのは,これまで出かけた海外でのさまざまなアグレッシブな経験などではなく,こうした何気なく訪れた日本の各地の懐かしさではないのかな,と悔しいけれど思ったりします。私は日本を旅をしているときにはそれほどときめかないのですが,不思議なものです。
さて,トラック旅は,国道を走るシリーズのほうは,3回目は九州を縦断する国道3号線でした。順調に1号線,2号線,3号線とシリーズが続いています。さて,次の4号線は東京から青森ですが,このシリーズもまた第4回は当然国道4号線でしょうか……。
それにしても,これからいくら何度も再放送をするからそのときに見ればいいだろうって,BSプレミアムでこの番組が放送されている時間にNHK総合では「ブラタモリ」を放送しているのは,NHKさん,何を考えているのでしょうね。このふたつの番組,見ている層の多くは同じ人たちですよ。
◇◇◇
「高速道路トラック旅」①-日本が狭いことを実感した
「ニッポン国道トラック旅」①-画像処理の様な旅
「ニッポン国道トラック旅」②-グルメこそ楽しみ
「高速道路トラック旅」②-日本にあるのは廃墟だけ?
幻の「ニッポン国道トラック旅」-自然に戻すことこそが…
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博多の秋の大相撲観戦⑩-相撲観戦は猫の着ぐるみで行こう!
先日,NHKBSで「発見!体感!古代ロマンとネオンの街 福岡那珂川紀行」という番組をやっていました。福岡に行く前にも見たのですが,帰ってから見直すと,その町のよさがとてもよくわかりました。やはり,旅はするもので,見るものではありません。
私は,11月22日の早朝,博多駅のコインロッカーにカバンを預けて,途中で朝食を食べてから,歩いて大濠公園まで行きました。
途中の中洲は,焼き肉屋の前で,深夜まで働いた若者たちが帰宅するところだったり,まだ遊び足りない人たちがたむろっていたりと,私には無縁の,しかし,いかにも日本の盛り場らしき雰囲気がしました。そして,博多から中洲を超えて福岡に入ると雰囲気が一変するのがわかりました。
福岡城はもともと天守がなかったらしく,というか1600年代にすでに取り壊されたらしく,もし,天守があれば,ずいぶんとこの町の様子もちがっていたように思いましたが,お城のあたりは,鴻臚館跡も存在していて,広大な敷地。これだけの場所に,明治以降,計画性もなく,グランドやら官庁やら,美術館やらといったいろいろな施設をくっちゃくちゃに作っていったように,私は感じました。
残念なことだなあと思って調べてみると,福岡市は,今後30年くらいかけて,この場所を大規模に整備,ニューヨークのセントラルパークのようにしていくということなので,完成すれば,もっともっと福岡は素晴らしい都市になっていきそうです。
大濠公園から大相撲の会場である福岡国際センターまでも歩くつもりだったのですが,さすがにめげて,地下鉄で呉服町まで戻りました。
呉服町の駅から北西に「大博通り」を歩いていくと,やがて,寄せ太鼓が聞こえてきて,交差点の目の前に福岡国際センターがありました。
この「大博通り」は,サンフランシスコのゴールデンゲイト・ブリッジにつながるパーク・プレシディオ・ブルバードという通りに感じが似ていました。以前,私は,このブログに「サンフランシスコもボストンも京都に似ている」と書きましたが,ボストンは確かに京都ですが,サンフランシスコは福岡に似ていると訂正します。
市内にホテルがとれないというのも似ています。
やがて,大相撲が終わって会場を出て,優勝バレードを見ようと鉄柵に足を乗せた瞬間,私は,右足のふくらはぎに肉離れを起こしてしまって,あとは,歩くのもままならない状態になってしまいました。幸い,ちょうど来たバスにのって,博多駅まで戻り,駅から必死に15分足を引きずりながらホテルに行ってチェックインしました。そんなわけで,夜の博多を散策する予定もとりやめ,近くで夕食をとり,おとなしく寝ました。
翌日は,ホテルからのシャトルバスで空港へ。
無事帰宅,といいたかったのですが,またまた,フライトが,今度は1時間ほど遅れました。
フライトはともかく,お相撲はとてもおもしろかったし,福岡はとってもよいところだった,という印象が残った旅でした。
・・
そうそう,書き忘れていたことがあります。
横綱白鵬が「猫ダマシ」という奇策を弄したことが話題になっているのですが,そんなに批判をしたいのなら,みんな猫の被り物でも着て客席に座っちゃえばいいのです。「ハクホウにゃ~」とかいって…。日本人は,そうしたユーモアのセンスないのですね。
日本のプロ野球のうるさいだけの応援が大嫌いで,私は絶対に見に行かないのですが,大相撲の応援はなんだかMLBの応援に似ているので,好きです。千秋楽は,表彰式の前に君が代がかかるので,さらに,ゲーム開始前に国家が演奏されるMLBみたいです。そうであれば,なおさら,白鵬の「猫ダマシ」を批判するなら,着ぐるみを着ていって,イス席で「にゃ~」と叫びましましょうよ,みなさん!
博多の秋の大相撲観戦⑨-セブンイレブンが好調なのは?
さて,11月22日は九州場所の千秋楽。私は,これを見るために博多に来たのですが,すでに書いたように,前日,福岡市内にホテルが見つからず,泊まったのは,佐賀県の鳥栖でした。
ホテルには朝食がついていなかったことと少しでも早く博多に戻りたかったので,早朝6時にチェックアウトして,再び,弥生が丘の駅まで,まだ暗い道を歩いて行きました。本当に,アメリカを旅行しているときと同じペースでした。
弥生が丘まで歩いている時間は,まだ真っ暗で星空が美しく,ものすごく遠いところに来たように感じました。きっと,何年も経って思い出すのは,こういう風景なのだと思うのです。
人かげのないホームで電車を待って,やがて来たほとんど乗客のいない電車に乗り込み,およそ40分で,来たときとは違って途中で乗り換えずに,直通で博多駅に戻りました。
ちなみに,福岡と博多はともに福岡市なのですが,江戸時代は,川を隔てて東側が博多という商人の町で西が福岡という武士の町と別れていたのが橋がかかったことから双方の行き来がはじまって,その真ん中の中洲が繁華街になったのだそうです。
こんなことは,地元の人には常識ですね。私は,ミネアポリスとセントポールを思い出します。
博多駅に着いて,この日に必要なスマホとカメラと双眼鏡だけを小さな肩掛けカバンに移して,残りを駅のコインロッカーに預けました。
コインロッカーは交通系ICカードがロッカーキー代わりになるということでした。このICカードは本当に便利なのですが,これもまた,つかう場所や利用する電車の種類でポイントが付いたり付かなかったり,お金がクレジットカードからチャージできなかったりと,何かひとつ不便で複雑です。しかも,同じカードがJR東海とかJR西日本とかのそれぞれの区間では日本中でどこでも使えるのに,それをまたぐと使えないとか,まるで,わざと工夫して複雑にしているかのようです。
日本人は本当に頭悪いです。
また,ここで,余談です。
コンビニのポイントカードも,nanacoやらpontaやらいろいろあるのですが,セブンイレブンが好調なのは,このnanacoカードがチャージができることと店舗が多いという理由で使いやすいからだと思います。
今や,お金がチャージできない単なるポイントカードほど,意味のない不便なものはないからです。そのうち,どのポイントカードもチャージができるようになっていくのでしょうが,そうすると今度はまた,どのカードにどれだけチャージがしてあるかわけがわからなくなることでしょう。
私はいろいろと試してみましたが,財布の中に入れておくのは,交通系ICカードとnanacoカード,それに,クレジットカード(私はAMEXとMaster),それだけで十分です。それでも4枚も必要です。さらに,現金が1万円くらいは必要です。それに比べたら,アメリカなら本当にクレジットカードが2枚と予備として10ドル紙幣が2~3枚あれば十分,それ以上のカードも現金も全く必要ありません。本当に,つくづく日本というのは不便な国だと思います。
そうそう,カードとはまったく関係ありませんが,いつも書こうとして忘れていたことを思い出しました。それは,アメリカ人が一生懸命に手を洗うということです。
アメリカでは,公衆トイレで洗った手を拭くペーパーが設置されていないということは皆無です。もちろん,電動式の乾かし機があるところもありますが,そうした場所でもペーパーが大量においてありますし,その乾かし機から発する熱風の強さも日本の比ではありません。だから,手を拭くためのハンカチを持っている必要がありません。そうであるからかどうかは知りませんが,アメリカ人は,いつでもとても丁寧に一生懸命に手を洗います。一度,注意して見てください。日本で手も洗わない男性がいたりするのですが,そういう姿を見ると,この国は,本当に発展途上国だなあと思います。
閑話休題。
私は,駅を出て歩きはじめました。
大相撲がはじまるまで,まだ2時間以上あったので,駅の近くの「松屋」で朝食をとってから,昨日行くことのできなかった大濠公園まで,散歩と観光を兼ねて歩いていってみることにしました。
博多の秋の大相撲観戦⑧-サンフランシスコを思い出す。
この日,ホテルの見つからない福岡で,やっとの思いで予約できたホテルの場所は,佐賀県の鳥栖(とす)でした。
「乗換案内」によると,博多駅からJR鹿児島本線の快速に乗って二日市まで行って,そこで各駅停車に乗り換えて弥生が丘という駅まで行くのが最寄りの駅になるということでした。所要時間は約40分だったので,そのくらいの距離なら,ということで,そこに決めました。
博多のホームで向こう側のホームにJR九州の特急電車が停まっていたので見とれているととてもユニークで,のんびりと電車で九州を旅行をするのも悪くないなあ,と思いました。
いつも書いているように,私は京都が好きでよく出かけるのですが,このところ京都は異常な混み方です。これでは以前のように京都をのんびりと旅をする気持ちにならなくなってきました。東京は,観光というよりもN響のコンサートでよく行きます。東京はこれまで,コンサートに行った折にほとんどのめぼしいところに足をのばして行きましたが,どこもさほどおもしろいなあと思ったところもなかったので,私には東京は観光地ではないなあ,というのが実感です。強いていえば,おもしろいのは浅草くらいでした。
また,今日では,日本だけでなく,アメリカでも,都会にあるお店は,全国,いや,今や全世界チェーン店ばかりで,どの都会に行っても,同じような店と景色ばかりなので,その都会の繁華街にはにあえて行く意味がなくなってしまいました。それに,何かほしいものがあれば,わざわざ足を運ばなくてもネットで買えます。
そういう意味では,今では旅の楽しみというのは,ショッピングではなくて,その土地でしか味わえない独特の風習やら自然を味わうことにありそうです。
予約したホテルは,弥生が丘の駅から,さらに西に15分くらい歩いたところにありました。
駅前はさびれているわけでなく,これから発展するところのようだったのですが,夜はほとんど人もなく真っ暗で店もなく,この駅で降りる乗客も私以外にほとんどいませんでした。この先にホテルがあるとは思えない感じでした。
駅からホテルまでは,新興住宅街につながるできたばかりの道路で,電柱もなく,広く美しい道が続いていました。何か,日本ではないような感じでした。少し前を,不似合いな外国人の若いカップルが旅行カバンを転がしながら歩いていました。彼らも同じホテルを目指しているような気がしましたが,実際そうでした。
私は,このチサンインというホテルをホテルズ・ドット・コムで見つけたのですが,きっと,彼らも同じなのでしょう。今や,世界中のホテルはこのようにして予約できる時代です。
ホテルは,アメリカによくある全米チェーンの安ホテルのような感じで,好感がもてました。違いといえば,アメリカに比べて,部屋がものすごく狭いこと。それでも,このホテルは日本のホテルの中では広いほうでした。そして,Wifiがつながるとかかれてありましたが,それは有線LANで,無線LANの設備はありませんでした。これも,また,日本の遅れたところです。
チェックインを済ませて一度部屋に入り,夕食は,ホテルの近くにあった「」一心不乱」という名前のラーメン屋さんにしました。おいしいラーメンでした。
この夏6月に行ったサンフランシスコのことはすでにプログに書きました。
そのとき私は,サンフランシスコのダウンタウンからBARTで南の方向に始発駅である「ミルブレー」駅まで30分乗って,駅から広い道路にそってホテルまで20分てくてく歩いたのでしたが,まさに今回もその時と同じような感じだったので,なんだかアメリカを旅行しているかのような気がしました。
では,今日は,最後に,そのサンフランシスコの写真を載せておきましょう。
今回の旅行でずっと後まで記憶に残るのは,きっと,この晩の,ホテルまで歩いた夜のことなのだと思います。旅の思い出というのは,いつも,そういうものです。
博多の秋の大相撲観戦⑦-私は「鴻臚館」を知らなかった。
すでに書いたように,11月20日金曜日のフライトがキャンセルになって,苦労して予約したホテルもキャンセルしなくてはならなくなりました。東横インに電話をすると,すでにキャンセル料の発生する時間であったにもかかわらず,フライトのキャンセルなら(ホテルの)キャンセル料はいただきません,と言われました。
それに対して,ジェットスターのいい加減なところは,フライトがキャンセルになっても,その補償の詳細をカウンタの係員が説明できないことで,私は,あいまいな説明を受けましたが,このことについて今さら何を言っても糠に釘でしょう。格安航空を利用するときは,そのくらいのことは覚悟する必要があるということなのでしょうか。
新たに振り替えた,翌日午後1時5分のフライトは,なぜか無料で広い座席に変更になり,今度は極めて快調に,定刻に福岡に着きました。もし,はじめっからこうなら,随分と違った印象だったことでしょう。順調に飛行をしたときは,きわめて快適です。係員も親切,笑顔は無料ですから…。まるで,調子のいい時だけ寄り添ってくる友人みたいなものです。
このように,日本人の考えるシステムは,何事も順調に事が進むときだけは,きわめて快適なのです。
たとえば,道路の設計は,条件のよい晴天のお昼間を想定しているように思えます。しかも,車は走るだけなく停まるものだという当たり前の認識がないのです。警察官の取り締まりも事故など起きない天気のよいお昼間にこそこそとやっています。やればいいという既成事実を積み重ねているだけです。
だから,雨の日の夜になると,道路に書かれた表示も見えず,道路標識も見づらく,意味のない警告ランプだけが,その意味も分からず輝いて,凶器となるし,車が駐車していると,たちどころに無秩序状態になります。
到着は午後3時過ぎでした。
当初は今日の早朝から1日福岡観光をする予定だったので予定がくるってしまいましたが,ともあれ,旅慣れた私のこと,すぐに地下鉄に乗って福岡市博物館に金印を見に行きました。
博物館の最寄りの地下鉄の駅は,空港線の「西新」で,その駅までは,空港から乗り換えなしで行くことができました。はじめて乗る福岡の地下鉄は,何か外国の都市に来たような感じでした。意識過剰かもしれませんが,乗っている人たちの顔立ちも少し違うような…。
「西新」駅からは少し距離があって,両側に西南学院とかいう学校のある通りを北に向かって歩きました。この通りは「サザエさん通り」と名づけられていました。長谷川町子さんがサザエさんの構想を練った通りとかいう話です。
そういえば,長谷川町子さんの生まれ育った町は福岡です。しかし,通りの名前以外には特に何もありませんでした。以前はサザエさん像というのがあったのですが,こころない人が壊してしまったのだそうです。性善説に基づいた町おこしは,日本には無理です。表立ってはおとなしいくせに,陰に隠れると突如傍若無人になります。見られていなけれは,像を壊したり盗んだり,本当に情けない国です。
東京・桜新町にも「サザエさん通り」があります。こちらは,長谷川町子さんが上京後に住んだところです。
金印は,普段は常設展で200円で見られるのですが,ちょうど行ったときは「新・奴国展」をやっていて,これが幸いなのか運が悪いのか,金印はこちらの特別展のほうに移動していて,見るには1,200円も必要でした。しかし,この特別展自体はすばらしいものでした。
2年前に行った吉野ヶ里遺跡もそうでしたが,九州というところはヤマトよりも大陸のほうが近いのです。九州に来ると,ヤマト政権を中心とした学校で習う日本史など,いかにもヤマトから見た見解だと実感します。九州に来るたびに,本当は,朝鮮半島からやってきた人たちの政権が,ヤマトにあった別の政権と争ったのが「倭国の内乱」なのではないか,という歴史を思い浮かべます。
自己中心的に考えるのは,何も天動説だけではないのです。
常設展のコーナーに,「鴻臚館の時代」と書かれてあって,私は,「鴻臚館」というものが何モノなのか知らなかったで,戸惑いました。しかし,福岡の人には常識なのでしょう。
「鴻臚館」というのは,平安時代に設置された外交と海外交易の施設で,遺構が見つかっている唯一のものが福岡市にあって,現在,発掘が行われています。私は,日本史が好きで,ずいぶんとたくさんの本も読んだのですが,やはり,実際に足を運ばないとそんな知識は役に立たないと,ここでも,また,実感しました。
・・
展覧会を見終わって,ヤフオクドームの方へ少し歩いていると,天神へ行くバスが来たので乗りました。バスの窓から福岡の観光をしたような感じになりました。天神で降りて中洲を歩いて突っ切り,櫛田神社を経由して,博多駅に行きました。ぜんざいがおいしそうでしたが,先を急ぐ私は残念ながらパス。
この写真にある「川端ぜんざい広場」は,博多祇園山笠の八番山笠が1年中飾られている上川端商店街で金,土,日に限り名物のぜんざいを味わうことができる広場です。小豆は北海道の大納言を使用。粒がきちんと残ったつややかなぜんざいの上に、香ばしい焼きたてのもちが2個,といったもので,しっかり甘いのが特徴なのだそうです。
フライトが遅れたために,この日はわずか数時間の滞在になってしまいましたが,福岡・博多はとてもすてきな町だと思いました。クリスマスのライトアップで美しい博多駅からJRに乗って,今日のホテルへ行くことにしました。
博多の秋の大相撲観戦⑥-福岡には泊まるホテルがない!②
結局,この日は気に入ったホテルを探すことができず,最悪の場合は,カプセルホテルを覚悟しました。しかし,カプセルホテルも,マッサージつきとかにすることで値段を高く設定して,いかにも客から金をむしりとろうか,という感じが見え見え。本当に,日本人の「せこさ」はいつでもどこでも腹立たしく思います。
本当にこの国は,何事も,笑顔の裏にずるがしこい浅知恵が見えかくれしていて,好きになれません。そして,それを,「おもてなし」だとか,「お客様第一」とか見え透いた嘘で塗り固めているので,油断がなりません。日本は表の顔と裏の顔が違いすぎるのです。私には,はじめっから,お金が第一,と本音が出ていて,単純で明快なアメリカのほうが,よほど素直で気持ちがいいです。
次の日,知人に,福岡のホテルがみつかならない,そんな話をしていたら,東横インは? と言われたので,その晩,ホテルの検索予約サイトをやめて,東横インのホームページでホテルを探すことにしました。また,3連泊で探すのもあきらめて,1泊ごとにホテルを探すことにしました。
すると,20日(金)と22日(日)は,博多駅近くの東横インを簡単に見つけることができたので,すぐに予約しました。
問題は,21日(土)なのでした。
福岡市内には全く空室がなく,郊外の東横インに,喫煙可の部屋が辛うじてあったのですが,私は,たばこの匂いが世界一嫌いなので,やめました。そこで,東横インをあきらめて,再び,ホテルの検索予約サイトを探していくことにしました。
私は福岡近郊の地理がよくわかりません。車で行くのでないから,地名だけでは公共交通機関を利用するともそこまで行くのに便利なのかそうでないのかがよくわかりません。そこで,空室のあるホテルを見つけては,その場所を「Google Maps」で探し,アクセス方法を「乗換案内」で調べ,何とかなりそうなら,とりあえず予約をしておいて,もっと条件のよいホテルがあれば,改めてそこに予約を入れ,すでに予約を入れたホテルをキャンセルする,ということを何度か繰り返しました。そうして,なんとか佐賀県の「鳥栖」(とす)という場所にあったチサンインというホテルを確保しました。
このような苦労をして,どうにか3泊のホテルを予約することができました。
後日,別の友人にそんな話をしていたら,彼も少し前に福岡に行ったとき,やはり,福岡はホテルを取るのが大変だったということでした。私が行くこの時期は,様々な学会やらコンサートやらがあってさらに困難で,すぐにホテルが満室になってしまうのだそうです。そんなわけで,福岡市に行く人は,私のように,佐賀県まで足を延ばすとか,北九州市まで行くとか,ホテルを探すのに苦労をするそうです。車であれば郊外に宿泊できるところがもっとたくさんあるのかもしれませんが,公共交通機関を利用したときに気軽に宿泊できるホテルが少ないのです。これでは,せっかくチケットが手に入っても,気軽に大相撲を見るために福岡に行くことができません。
千秋楽当日,私のように偶然名古屋から見にきた人とお話ができたので聞いてみると,福岡市内にホテルを予約するには8月ごろでないと無理,といわれました。でも,そのころでは,チケットが取れるかどうかもわかりません。
実際,九州場所を見にきた人の多くが,東京や名古屋の人だったことを考えると,チケットの売れ行きが悪いことを嘆くよりも,もっと前売り開始の時期を早くしたり,東京や名古屋から行く人のために,ホテルとフライト付の「安価な」(「高価な」ものならいくらでもあります)相撲観戦パックを用意するとかの努力をするべきでしょう。ねえ,日本相撲協会の新しい理事長さん,考えて!
博多の秋の大相撲観戦⑤-福岡には泊まるホテルがない!①
今回からは,2年ぶりに行った九州・福岡市の旅行記を書きます。
私は,この秋,大相撲九州場所を見るために九州の福岡市に行きました。一昨年は,アイソン彗星を阿蘇の外輪山で見ようと計画して九州へ行ったのですが,彗星は消滅してしまい,観光旅行に変更して熊本市からスタートして,九州をくるりとドライブしました。しかし,そのときは福岡市には行かなかったので,今回,福岡市に行くことができたのは幸いでした。
福岡市は今から30年くらい前に何度か行ったことがあって,「漢委奴国王」の金印も見た記憶があるのですが,ほとんど覚えていません。また,別の機会には,ちょうど「博多どんたく」の真っ盛りに,そうとは知らずに行って,泊まるのにえらく苦労したことをなんとなく覚えています。
いずれも,旅慣れていなかったころの懐かしい話です。
・・
私の今はアメリカ旅行ばかりなので,京都や東京以外の日本国内を旅行することはまれになってしまいました。今回のように,空路で九州へ旅行をすると,アメリカへ行くのと少し感じが似ていて,また,その似ていて異なることで,逆にとまどいました。それは,たとえば,ホテルを予約したり,レンタカーを利用したり,国内線に乗ったりするときに,その流儀が違うからです。
日本のほうが,何事も不便であり,非合理です。
いずれにしても,私にとって,九州はいろんな意味で「ミニ・アメリカ」みたいに思えます。
今回は,ともかく安価に行こうと考えて,ネットでいろいろと調べて,予約をしました。
はじめは深夜バスで行こうと思ったのですが,名古屋からは12時間もかかります。これでは,名古屋からデトロイトへ行くより大変です。新幹線は高く,在来線でもずいぶんと時間がかかります。困っていたときに,ジェットスターという格安航空を見つけたというわけです。しかも,連休とはいえ,座席があって,簡単に予約できました。
それよりも,むしろ問題だったのがホテルの予約でした。
11月20日金曜日の夜に出発して11月23日に帰ることにしたので,3泊4日。そこで,福岡市内に3連泊しようと,ネットでホテルを探しました。簡単に見つかるものだと思っていたのですが,まったく泊まるホテルがないか,あっても,ものすごく高価なのです。
だんだん「マジ」になってきました。
近ごろは,ネットでのホテルの予約もずいぶんとシステム化されてしまったので,どのサイトを探しても,同じような情報しか出てこなくなりました。「掘り出し物」がないのです。そして,簡単にキャンセルができるからなのか,ホテルの宿泊代がどんどんと高騰しているのです。それは国内も海外も同様です。
価値感というのは人それぞれですが,私には,ホテルなど,寝ることさえできればいいので,ベッドがあって,バス・トイレのついた部屋であれば事足りるのです。というより,日本のホテルは,私には無用の設備はあれど,未だに無線LANがつながらないとか,テレビが地上波しか映らないという,私の常識ではもはや「ありえない」ことが多いので,何も期待してはいないのです。こんなことアメリカでは考えられません。
買物をするときも,未だにクレジットカードが使えない店が多いし,そればかりか,やたらと○○ポイントカードだらけです。ポイントカードを持っていないと,損をした気持ちになります。そんな中で,ここ数年,日本で便利になったなあと思うことは,公共交通機関ならほぼどこでもICカードが使えるようになったことだけです。
道路は混んでいるし,旅番組で紹介されたところには観光客が押しかけるし,さらには,マナー知らずの観光客が煙草を吹かしたり温泉を独占したりと,逆に,めんどくさく不便にさえなってきています。
そのようなわけで,大相撲のチケットを入手できた日から,私は,泊まるホテルを探すために,机の前にiPadを2台並べ,1台には「Google Maps」を,もう1台には「乗り換え案内」を起動し,さらに,その横にパソコンを用意して,画面にホテルの予約サイトを起動して,ホテルの場所や福岡市内のアクセス方法を確かめながら,ホテルを探しはじめた,というわけでした。
その際,この6月に,同じようにして,宿泊先の見つからないサンフランシスコのホテル探しをしたときの経験が役立ちました。なんだか,今回も,アメリカ旅行を計画しているような,そんな錯覚に陥りました。
博多の秋の大相撲観戦④-見に行かなけりゃわからないこと
旅行でも,コンサートでも,スポーツ観戦でも,何事もそうですが,テレビではわからない,行かなければわからないことを味わうのが,実際に見にいく最大の楽しみのひとつです。
好奇心旺盛な私は,MLBを見にいくときも,お相撲を見に行くときも,会場に着くと,テレビではわからない楽屋裏の,これまで不思議だなあと思っていたことを解明するために,会場をくまなく歩き回ったり,係の人に聞いたりするようにしています。今日は,そんな裏側を少しだけ紹介したいと思います。
1番目の写真は,前回書いた九州場所のマス席です。この写真は,取組開始前に,マス席の最後列から写したものです。このように,一番後ろの列だけがふたり用になっていてテーブルがあります。そして,腰かけるようになっているのですが,背もたれがただの木の板なので,居心地はよくないことでしょう。そして,写真のような,座布団ならぬ括り付けマットレスになっています。この上に座布団を敷くのならともかく,これだけです。
地方場所のふたりマスというのは,以前,相撲人気が下火になったときに,どうせ空席なら,ということで作られたのがことのはじめです。その時に,たてにふたりにしようとしたのですが,ある親方が,前後ろではカップルが手も握れんわとか言って,横並びにしたというのをある記事で読んだ覚えがあります。
2番目の写真は,入門したばかりの行司さんで,取組開始後2番目の行司さんとして登場します。名前は「木村拓哉」といいます。
行司さんの名前は,現在では木村と式守のふたつあって,どちらに入門するかによって,その名前になります。きっと,この行司さんの本名は,○○拓哉さんだったと思うのですが,木村姓を名乗ったので,このようになりました。
ちなみに,木村と式守の違いは,軍配を上げたときの軍配の持ち方が違います。上から持つのが式守で,下からすくうように持つのが木村です。立行司だけは,式守伊之助が木村庄之助になるので,どちらを名乗っても,姓が一度は変わることになります。
3番目の写真は,力士の場所入りです。
場所入りというのは,お相撲さんが会場に来ることですが,近年は,ファンサービスとして,支度部屋に行くのに,専用の入口から入るのではなくて,お客さんの入口と同じところから入るようになりました。
東京では,JRの両国駅あたりから国技館までの歩道に,そうしたお相撲さんを見るためのファンで一杯ですが,地元なので部屋のある場所によって,歩いてきたり,車で来たり,あるいは自転車!で来たりと様々で,なかなかすべての関取をみることが難しいのです。
その点,地方場所はそうした姿に接するには最適です。
名古屋は真夏なので,会場の外で待っているのは大変ですし,会場内も,スペースが狭いのが残念です。それでも,以前のように裏口からさっさと入っていくよりはずいぶんと身近かになりました。
大阪は,会場の外で待つのが最高です。このことは,以前書きました。
九州は,会場の外でも中でもよく見ることができました。
お相撲さんが来るのは,十両力士は十両の土俵入りの30分くらい前まで,幕内力士は,幕内の土俵入りの30分くらい前までなので,全部の関取の場所入りを見ていると,残念ながら,幕下と十両の取組をナマで見ることができません。
お相撲さんの来る順番が決まっているわけでもなく,力士の性格によってずいぶん早く来る力士と遅い力士がいて,個性が出ていて面白いです。あくまで噂ですが,聞いた話では,一番遅く来るのは千代大龍関だとか…。この写真は千代大龍関なのですが,しかし,この日は,最後ではありませんでした。
また,着物姿もいろいろで,羽織はかまで大イチョウで堂々とやってくる力士がいれば,そうでない力士もいてその違いも楽しめます。いずれにしても,長身の力士は見栄えがします。近年のお相撲ファンの女性は,相撲の取組よりも,この姿を追っかけている人もいます。確かに,まわし姿よりもかっこいい力士が多いのです。
写真撮影はいいですが動画はやめてくださいとガードマンが言っているのですが,今時,スマホもカメラも,静止画を撮っているか動画を撮っているか区別する方法があるとでも思っているのでしょうか?
4番目の写真はテレビの放送席です。
この日は千秋楽なので,解説は北の富士さんでした。
東京場所は,1階のマス席の後方にありますが,地方場所はこのように,会場の一番上に作られています。なお,ラジオの放送席は,マス席の中段あたりにあるので,もし,会場に行かれるのなら探してみてはいかがでしょうか? 私は名古屋場所でラジオの放送席の後ろのマス席に座ったことがあって,取組終了後に,解説の舞の海さんに握手をしていただいたことがあります。
5番目の写真は,優勝力士の表彰式の写真を写そうと,正面土俵下に陣取ったカメラマンです。ものすごい数でしょう。
お相撲の取材をするカメラマンの持っているカメラが毎年どんどんと変わっていくのを見るのも,また,面白いものです。
昔は「スピグラ」の愛称で呼ばれた「スピードグラフィック」。進駐軍の米兵たちが横流ししたり帰国時に手放したりしたことがそのきっかけで1950年代には新聞社への特別輸入枠で正式に購入,シャッタースピードは1/1000秒だったので,スポーツなど動きの速い被写体も撮れ,フィルムは「シノゴ」とよばれた4×5インチのもので,大きい分だけ画質もきれいでした。1970年ごろまで使われていたようです。その後は,会場の上のほうにカメラマン席が作られて,望遠レンズを使って一眼レフで写されていました。そのころの私は,そうした高級カメラをうらやましそうに眺めてばかりいました。今は,そういった姿もなくなって,土俵下でデジタルカメラを使って写しています。
土俵下のカメラマンはストロボに室内灯補正用のオレンジのフィルタをつけています。これはテレビ中継でもわかるので注意してご覧ください。あのオレンジのフィルターは,ストロボ光の色温度がおよそ6000ケルビンで国技館の照明の色温度が3400ケルビンなので色温度が高すぎて照明が青い光として写ってしまうので,カラーバランスをとるためのものです。もし,オレンジフィルターなしのストロボを使うと,力士が青い光に照らされて写ったり,背景がオレンジになってしまってバランスが崩れるのを,ストロボ光の色温度を下げて会場の照明の色温度に合わせるのです。会場ごとに電灯が異なるので,違った色を使用しています。カメラマンも大変です。
博多の秋の大相撲観戦③-相撲を見るしかないところ
11月22日(日)。千秋楽の取組開始は,通常よりも遅く午前10時過ぎということで,私は9時過ぎに福岡国際センターに到着しました。すでに,寄せ太鼓の音が響いていて,雰囲気満点,思ったより大きい建物だというのが第一印象でしたが…。それは誤解でした。
入口付近で近くにいた人に写真を撮ってもらって,名古屋から来たのですが,といったら,私は埼玉です,といわれました。
もう開場されていたので,中に入ってみたのですが,大阪とは全く違って,入口あたりに,こじんまりと売店があるだけで,あとは何もなし,まだ取組がはじまっているわけでもなし,場内に相撲甚句が流れているわけでもなし,全くすることがありません。いやが上にもゾクゾク感が湧いて来た大阪とは真逆で,すでに,失望感が…。
会場は正方形で,狭いからこそ見やすいのは評価できるのですが,デラックス感もなく,さらに,イス席は名古屋と同様,駅のベンチみたいなもので,およそ,入場料をとって座ってもらう様なものではない。狭く,こんなところで何時間も座っていられるか! という感じでした。大阪だけは,イス席にも座布団が括り付けられていたので,許せたのですが…。
日本の人は,体育館の座席はこんなものだろうと思うのでしょうが,アメリカでは,MLBのスタジアムは無論のことNBAの会場でも,今やこんなところはありません。日本の国力は,所詮,こんなものなのでしょう。
これは相撲協会のせいではないのですが,名古屋とか福岡のような大都市であっても,この程度の体育館しか作れ(ら)ないのです。わびしい話です。
会場をぐるりと回ってみたのですが,1階のマス席の下には通路があって,そこを一周すると,インタビュールームとか呼び出しの控室とか,さらには,奥には支度部屋につながる通路がありました。
係の人に,レストランはあるのですか,と聞いたら,外に出ないとありません,とのこと。お弁当は一応売店で売っていたのですが,お茶屋さんがないので,華やいだ感じもありませんでした。
MLBボストン・レッドソックスのフェンウェイパークも狭いのですが,ここは,外の通路までもがゲームの当日はボールパーク扱いで,チケットゲートはその外側の道路につけられていてます。体育館が狭いのなら,そんなふうにして,入口の外に福岡お得意の屋台茶屋でもできないものかなあ,と思うのですが,これもまた,「日本人の知恵と発想の限界」でしょうか?
さらに,場内の4隅のイス席の通路の角も,ここでは観戦しないで下さいと書いてあるのですが,あんなスペースがあるなら車椅子の人の観戦場所にすればいいのに,そんな考えは頭の端にもないのでしょう。観客席のまわりをぐるりと車椅子の観戦スペースが取り囲むアメリカとの違い! これが日本です。第一,そうするにしても,エレベータもないから,無理でしょうが。これでは,お年寄りは観戦できません。
喫煙コーナーは作っても,そういう配慮ができないのが,日本人の「おもてなし」なのです。
マス席にあるのは座布団でなくマット。1マスに2人分の長方形のマットが2セットおいてありました。これも九州場所だけのことで,布団を投げられなくするためにこのようになったということですが,座り心地の悪いマットでは,マス席の観客も思いやられます。客の入りが悪いという最大の原因は,この会場が,マス席もイス席も居心地の悪い狭い場所で相撲を見る以外に何もすることがなく,身障者にも配慮がないということだと,私は確信しました。また,お茶屋さんがないというのは,座席にいても,何も売りに来ない,ということでもありました。
このように,地方場所もところによっていろいろと違うのだなあと,改めて実感したものです。
ただし,肝心のお相撲自体はものすごく面白く,盛り上がりました。幕下の優勝決定戦で将来の人気ナンバーワン力士になるであろう宇良の熱戦を見ることができたのもよかったです。
また,力士の場所入りは,九州場所が一番見やすいです。テレビで十両の取組の時に観客が少ないのは,会場に来た人の多くが会場の入口で幕内力士の場所入りを見ているからなのですが,私もずっと見ていて,周りにいた人にどこから来たのですか,と聞くと,福岡という人はひとりもいなくて,東京,名古屋,そして,なんとオーストラリア。近いところでも,佐世保,熊本… でした。
・・
今回もまた,「神送りの儀式」まで見て,さらに,優勝パレードを堪能しましたが,これで,私は,MLB30球団制覇の前に,大相撲4会場を制覇したことになりました。その結果,大相撲を見るなら,国技館を含めて,やはり,大阪が最高だと確信しました。
ところで,北の湖理事長が急逝されました。私は大阪場所を見に行った時に,会場のレストランで偶然お見かけし,お願いして一緒に写真を写したのが,よい思い出となりました。
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浪速の春の大相撲観戦②-大阪場所は最高だった。
博多の秋の大相撲観戦②-九州場所が「鬼門」なのは?
大相撲のテレビ中継では,千秋楽が最後まで放送されなくなってずいぶん経つので,うわさに聞く「神送りの儀式」とやらを見届けようと,今年の3月,大相撲大阪場所の千秋楽のチケットの先行予約の抽選に申し込みました。それがビギナーズラックで当選して相撲観戦をしてからというもの,大相撲を見るなら千秋楽ということになりました。ところが,それ以降,毎場所先行予約を申し込んでいたのですが,すべてはずれでした。
大阪場所のチケットを購入したときのような初心がなくなり,このごろは雑念ばかりの上に,さらに,異常な相撲人気が手伝って,チケットはまったく手が届かなくなりました。それでも高価なマス席ならまだ何とかなるのでしょうが,私の狙っているのは安価なイス席です。これではやはりムリなのかなあと思って,ついに,行く手段も考えず,比較的入手の楽な九州場所千秋楽の先行予約にチャレンジしたら,チケットが当たってしまったのです。こうなったら,チケットを入手するには,もう,不人気な九州しかない,と友人に話していたのですが,本当にそうなってしまいました。
私は,九州で大相撲を見るなんていうことは生涯ないと思っていたのですが,考えてみれば,人生一度くらいはそれもいいかも,と思い直して,九州場所を開催している福岡に行くことにしました。
時に,11月22日(日),千秋楽です。
九州場所は福岡国際センターで行われているのだそうです。九州場所は,これだけ相撲ブームになっても観客の入りが悪く,1年前から続いていた満員御礼も2日目に途切れてしまいました。私の行く千秋楽はともかく,平日,特に前半戦はテレビで見ていても,ずいぶんと空席があります。
「鬼門」の九州といわれます。どうして九州で大相撲は盛り上がりを欠くのか,といった記事がありました。今日はそのお話です。
福岡国際センターは約7千人の収容ができます。両国の国技館が1万1千人,名古屋が8千人,大阪が8千3百人なので,大きさはそれほど変わらないようですが,テレビで見る限り,とても小さそうに見えます。私には,名古屋よりも大阪のほうが収容人数が多いというのがむしろ驚きで,だだっ広いだけの名古屋に比べると,大阪のほうがずっと客席が土俵に近く見やすいです。
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九州が「鬼門」である理由がいろいろと書かれてありましたが,そのひとつは,九州場所はチケットを手配する相撲案内所(相撲茶屋)がないということだそうです。それはいえます。その逆に,名古屋なんて中日新聞が主催だし,相撲案内所もあるから,名ばかりの先行予約だらけです。先行の先行? まであって,全くフェアーじゃないのです。
次に,会場が繁華街から離れていて不便なことだと書かれてありました。私はそれはたいした理由にはならないと思います。ヤフオクドームだって同じです。
さらには,東京や大阪では目立つ(特に欧米からの)外国人客の姿が少ない,と書かれてありました。私はこれが大きいのでは,と思います。今の大相撲ではとても多くの観客が外国人なのです。東京など,イス席は外国人のほうが多いくらいです。
福岡は遠くから出かけるにはとても不便なのです。交通機関は便利なのですが,ホテルに空室がないのです。それで観戦を諦める観光客もいる,とも書かれてありましたが,今週末など,11月21日はEXILEのコンサート,11月22日はホークスの優勝パレードがあるとかいう話で,ホテルがまったく予約できません。私の場合がまさにそれで,ホテルを探すのが大変でした。
こんなことだから,私は国内旅行なんてしたくないのです。人は多いし混んでるしマナー悪いしホテル取れないし…。 アメリカの国内を旅行しているほうがずっと楽なのです。
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ともあれ,私は,フライトの突然のキャンセルで,予定よりも19時間遅れて,やっと福岡にたどり着きました。
博多の秋の大相撲観戦①-まさか,また飛行機が飛ばない!
大人気の大相撲,チケットがとれません。特に,千秋楽は。
私は,大阪場所で千秋楽に見にいって以来,夏,名古屋,秋と千秋楽のチケットの先行予約の抽選に応募して,ことごとく外れました。そして,行く予定もなかったのに,思わず応募した九州場所が,なんと当たってしまったので,急に博多に行くことになりました。
せっかく行くのだからと,金曜日に出発して,3泊4日の旅を楽しむつもりでした。このことは,また,帰ってから書きます。で,今日のブログは,実は,私の乗るはずの飛行機が出発間際に,急にキャンセルになってしまった,という話です。
名古屋から博多まで,結構時間もお金もかかるので,一番楽に安く行く方法を調べたら,ジェットスターという格安の航空会社が見つかりました。新幹線の半額以下,高速バスよりも安い,というものです。きっと何かわけありだろうとは思ったのですが,ともかく,ものは試しで一度乗ってみることにしました。まさか,立ち席? ということはあるまい,とは思ったのですが,はたして何が起こるか興味深々でした.
それが ,まさか,ドタキャンの常習犯? だったとは…。
飛行機は定刻の午後6時30分出発の予定で,搭乗が開始されました。
座席が狭いとは聞いていましたが,わずか1時間30分,どおってことないなあというのが第一印象でした。機内は満席でした。
ところが,定刻になっても離陸しません。そのうちに,貨物室のドアを閉めるのに手間取っている,という機内アナウンスがありました。しばらく待っていたら,定刻より20分も遅れて,今度は,機長が操縦席から出てきて,油圧系統の故障で貨物室のドアが閉まらないので,出発をキャンセルしますと話しました。
私は,今年,3度アメリカに行って,すべて,デルタ航空を利用したのですが,1度目は,行きの名古屋発の出発便が2時間遅れ,さらに,帰りのカンザスシティからの便が一度離陸したのに,コクピットから煙が出て引き返し,乗り換え便に間に合わなくなりました。このことと航空会社の日本人職員のあざやかな? 対応は,すでにブログに書きました。
そして,2度目は,サンフランシスコからシアトルへ行く便が1時間以上遅れましたが,乗継便には連絡がしてあって支障なく帰国できました。
3度目は,ポートランドからアイダホ州ボイジーへ行く便がチェックイン開始寸前に,突然,キャンセルになりましたが,これも,すぐに代替機と私の座席が用意されていました。
こんなわけで,これまでに今年乗った飛行機14回,今回も入れると15回,さらに,帰国便が変更になったので,さらに2回増えて,17回のフライトを利用したのですが,なんとその中で合計5回の遅れとキャンセルが生じるということになりました。
これほど,航空便というのは,定刻に出発するのが困難なものなのでしょうか?
そして,こうしたときこそ,会社の本性が出ます。これがサービスというものです。これこそが料金に比例しているわけです。朝ドラの「まれ」でも言っていました。「高くておいしいのは当たり前,安くておいしいケーキを…」。
ジェットスターが安価にフライトを設定している以上,利用者は何も言えないのかもしれません。しかし,ずいぶん待たせておいて,もう,代替措置もなくなった時間になって突然キャンセルでは,乗客は怒ります。そして,そのあとどうすればいいかという指示が明確でないのです。
お金を返せばいいだろう,という態度ではいけません。
幸い,私は明後日の朝までに行くことができればいいので,すぐにカウンタに行って,明日の便に振り替えて,一旦家に戻ったのですが,今日中に帰らなければならない人にとってはえらい迷惑なことでしょう。さらに,旅慣れていない人や,お年寄り,言葉のわからない外国人は,どうしたらいいか,途方にくれてしまうことでしょう。
かなり怒って係員に詰め寄っていた人がいましたが,きっと暖簾に腕押しでしょう。こういうときは,係員の対応とともに,どう対処するかという我々の能力も試されます。
端的に言って,十分なコストがかけられていない組織では,こういうときの対処について十分な教育がされていない,そこに,日本という国の組織の特徴である,融通性がなく個人で何も判断できない,ということが加わって,それがもろに露呈します。アメリカなら個人の自由度が強いから個人個人で対応が全く違うので能力のある係員を探せばよいのですが,日本では,誰ひとりとして能力がない,というより,能力があっても,それを発揮できないような組織になっているのです。
それは,団員の個性を排除する「劇団四季」のミュージカルと演じる役者によって同じ役柄にも個性があるブロードウェイのミュージカルとの違いのようなものです。だから,対応に誠意が感じられない。これが,私がこれまでにさんざん味わってきた日本の「おもてなし」の本質です。
・・
日本では,一般に,個人商店は心から親切ですが,組織となったときに,個人は完全に消え去るので,その組織が「コスト」だけを追求しているようなところはでは,何かトラブルが起きたときの対処は最悪です。つまり,対応する係員に全権が委任されていないので,単なる指示待ち人形になってしまうのです。そうなると,何を言っても糠に釘なのです。そして,霧の中に,責任というものが消え去っていきます。責任者はいないのです。
おまけに,日本の空港は,アメリカと違って,搭乗口に航空会社の実務的なカウンタがない,というのも大欠陥です。これがいつも書いているように「日本人の能力と思考の限界」なのでしょう。とても不便です。
私は,こんなことでもなければ,飛行機を使って国内旅行などしないから,もう今回限りでジェットスターを利用することもないと思いますが,格安航空というものがどういうものか,期せずしてわかったように思いました。「ブランド」がないというのは,こういうことなのかなあ,とも,今回は思いました。 また,いい経験をしました。
九州で日本人について考えた-鹿児島から④
では,このことを別の面から考えてみると,その地に何の縁もゆかりもない大名が,国替えによって配属されているわけだから,そこに配置された大名を,もし,自分がその大名であったという立場で考えてみると,それはそれでまたたいへんなことです。そこで,その大名の能力が如実に明らかになります。
たとえば,土佐の山内家は,こうした土着の武民を統制できなかったために徹底的に冷遇しました。
このことは,現代でも,突然,その組織に,これまで縁もゆかりもない上司が現れるという状況と同様な話です。それは,お互いに迷惑で不幸なことなのです。
しかし,これが合理的でないということすらわからない人がほとんどであるのも,やはり,この国のおかしなところなのです。
そして,そういった不合理さを棚に上げて,「そこを何とか頑張ることが大切だ」と,そう強いるわけで。
このことは,バイオリニストがとつぜんフルートを演奏しろと言われてもできないのと同様なのですが,それを精神論でなんとかせよ,というようなものなのです。
そもそも,この国では,大臣というのが,その道の専門家でない。素人が地位だけ手に入れて,上司づらをするのだから,そこで働く人は大変です。
この国は,根本的に,専門家というものをリスペクトしていない,だから,医者以外の仕事は,どんな大学のどんな学部を出ていようと関係がない,すべてが素人集団なのです。つまり,この国は,素人が専門家を支配しているということなのです。そして,有識者とかいうよくわからない人たちを集めてそれにお墨付きを与える…。
いったい,有識者ってなんなんでしょうか?
民主主義だと言いながら,国民が首相を選んでいるわけでもないのに,ところが,首相は何を勘違いしたのか,国民が自分を選んだと勘違いをして,国民が望んでもいないことを独断で専攻する…。
役人はそれなりのプロなのに,その上に立つ大臣が素人だから,その地位として言うことに従っていても,だれも,その地位にある人を尊敬していない。それは,江戸時代も今も全く変わりがない。
将軍は家柄さえあれば4歳でもなれるわけなのです。
ひょっとしたら,この国で,一見,封建制度のように見えて,もっとも実力社会なのが相撲界なのかもしれません。頂点(横綱)には,実力があれば,誰でもなれるから。
鹿児島について書こうとはじめたのに,どんどんと話が変わってしまいました。
鹿児島は,とてもよいところです。住んでみたいなあ,とも思いました。
でも,この幕末と,そして,太平洋戦争の,たとえば特攻機地になってしまった知覧ような地の抱えた過去の歴史を思い出してしまうので,私には,荷の思いところでした。
九州で日本人について考えた-鹿児島から③
ところで話は変わりますが,1月2日に「1914幻の東京~よみがえるモダン都市~」という番組を見ました。その番組の中で,明治時代に作られた旧国鉄の東京駅には八重洲口がなかったということをいっていました。この駅は,皇居に面した丸の内だけが入口で,その中央は天皇のための入口であったということでした。
前にも書いたように,ずっと今も昔も,大衆など人とも思っていないというのがこの国の本質です。そして,実際は,その人とも思われていない大衆が,なぜか,権力者に対して非常に物わかりがいい,それだけならともかくも,人々は人とも思われていない大衆であるにもかかわらず,権力者に声援を送り,意を唱えれれば,非国民扱いをする,という本質は,今も昔も,何ら変わっていないわけです。
私には,難しくてそれ以上のことは書く能力がありませんが,ただ,言えるのは,こうした意識の根底こそ,いつの時代も,この国からある種の明るさを奪っている原因だということです。
この,人を人と思わぬ,つまり,人権という概念の欠如がなしているということが,この国の特質なのです。それは,民主主義のふりをして,国民の意見を聞かぬ政治家しかり,仕事上の上下関係はあくまでビジネス上のものであるのに,その認識のない上司しかり,教師は学問を教えることに対して教師であって,教師なら生徒に体罰をしたり,ぞんざいな言葉を使ってもいいということとは違うということさえ理解していない教育者しかり,です。
そのことを,この国の歴史のあり方から考えるなら,徳川政権が大名をどのように配置したかということについて徹底的に考えてみると面白いと思います。
そもそも,「国替え」といって,将棋の駒のように,大名を再配置することは,あくまで,徳川政権を守るということがすべてという前提で行われたことであって,国のことはもちろん,そこに住む人(=大衆)のことなど全く考えていないということなのです。そんな制度では,幕末の国難時に,諸外国に対抗できようもないわけです。
つまり,国替えという徳川家を守るというだけのための施政で,この国は作られていたわけです。
みずからの政権を守るためだけに国民を統制しているというのは,現代のどこかの国と変わりはありません。
江戸時代の日本は,本質的に国として成り立っていないわけだから,幕末の動乱のそものそもの原因は,江戸幕府の成立にさかのぼる必要があることになります。だから,明治維新に,諸外国と対抗できうる国を作るために,あれだけの犠牲が必要になってしまったのだといえなくもありません。
九州で日本人について考えた-鹿児島から②
「逆説の日本史」。この本を私は第1巻からすべて読んでいます。
ずいぶんと昔のことになるでしょうか,この本の第1巻を読んだときは衝撃的でした。現在は,出雲大社は高さが何メートルもある柱の上に乗っかった社殿であった,ということは,いろいろなものに書かれていますが,それをはじめて知った,あるいは,紹介したのはこの本でした。
でも,その後,順に何巻か読み進んでいくと,時々,この著者の考えは私とは違うなあ,と思うところが増えてきて,もう読むのを辞めようと思うようになりました。そんなこともあって,この本には興味を失いつつあったのです。しかし,この第20巻は非常に面白い内容でした。そしてまた,非常に難解で,読むのにたいへん苦労しました。それは,この本が難しいとうことではなく,日本の歴史の中で,幕末という時代が難しいということがその原因です。
その中でも,特におもしろかったのは,海軍は薩摩が作り,陸軍は長州が作ったと書いてあったことでした。そう考えれば,ひとりよがりの? 平和を振りかざす現在の首相のその思考の根底に流れる思想がわかるような気がします。
物理学で学んだ力学の,物を投げたときに描く運動のように,初期値でその後の運動のすべてが決まるという考え方をすれば,私は,明治維新という初期値の結末が必然的に太平洋戦争だと思っているので,素直に明治維新そのものを肯定する気になれないのですが,それとともに,こういう歴史を今読んでみると,やはり,日本人というのは,救いがないなあ,ということを改めて感じてしまうのです。
幕末には,何とかほんの一握りの秀才によって,この国は生き延びることができたのですが,それ以外のほとんどの人物は相も変わらぬ,私の嫌いな日本人の本質である精神論やらを振りかざすだけです。それは,現在も変わりはありません。
太平洋戦争でも,ゼロ戦は,燃料ダンクに被弾すればひとたまりもないという欠陥戦闘機で,それを知っていた技術者が軍に改良を申し出ても,それは大和魂でなんとかしろといって受け入れなかったということを聞いたことがありますが,そうした精神論を,現代も振りかざしている人は大勢います。
九州で日本人について考えた-鹿児島から①
私は,昨年鹿児島に行きました。鹿児島というところを訪れて,九州の南から日本を考えると,本州に住んでいる私には,これまで感じたことのない不思議な気持ちになって,とても新鮮なところでした。それは,たとえば,いつもテレビでお相撲を見ていて,正面からのテレビ中継に慣れた人が,実際に見に行って東側から眺めたときのような,そういう感じに似ていました。
また,鹿児島は,想像していた以上にとてもきれいな街でした。市電のレールは芝で覆われていました。まるでニューオリンズみたいでした。
やはり,その地に行ってみないと,わからないことがたくさんあるんだなあ,と改めて思いました。
特に印象に残っているのは,次のふたつのことでした。
そのひとつは気候でした。私は,熊本に宿泊していたので,鹿児島の有料道路のゲートで,これから熊本へ車で帰ると話したら,熊本はいいところだけれど,寒いからね,と言われてびっくりしました。確かに,鹿児島と熊本は霧島連山にさえぎられていて,九州自動車道を走ると30近いトンネルと超える必要があります。そうして,山を越えてみると,気候が全く違っていて,鹿児島は熊本に比べると確かに温暖でした。
同じ九州でも,陸路であれば,鹿児島から北へ行くには,山を越える必要がある,このことは,昔の人にとれば,同じ九州であっても,鹿児島が独立国のようなそんな感じを抱いたのではないでしょうか。
ふたつ目は,鹿児島の殿様・島津家は,戦国大名でないということです。博物館でその系図を見たとき,私が知っている時代区分のどこにどの殿様が該当するのかがわかりませんでした。どこから江戸時代なんだ,とか,そういうことがよくわからないのです。そうです。島津家は戦国大名でないということに,私はこのとき気がつきました。私のなじみのある織田家やら,まして,その家臣であった豊臣,山内,… みんな,所詮は戦国の成り上がりです。それに比べて,島津のお殿様は,はるかに格上です。
そうしたこともあって,鹿児島というところは,私が思っていたよりもずっとおもしろいところでした。だから,私は,鹿児島について書こうと思いました。そうしたころに,偶然「逆説の日本史」の第20巻を読みました。
ところが,読み進んでいくうちに,,簡単に鹿児島については書けないな,という気持ちがどんどんと強くなってきたのです。鹿児島の持つ歴史,そう,これだけの歴史の重みを背負ってしまった地について,よそ者には語る資格などないのです。
九州で日本人について考えた-吉野ケ里にて②
吉野ケ里歴史公園は,東口と西口があって,西口エリアには,弥生の大野とよばれる広大な芝生広場があるそうなのですが,こういったレジャー施設と東口の遺構を混在させた公園を作ってしまったことが,いかにも日本的というか,他のどの施設にも共通した哲学のなさが露呈されていると私は思いました。それはともかく,私は西口には興味がないので,東口エリアの歴史的遺構を見学しました。
これだけの規模の弥生時代をすべて網羅するような遺跡が,やがて顧みられなくなってしまって,その結果,工業団地を造ろうとした現代,そのまま姿を見せたことも不思議ですが,この地に立ってみると,中国から朝鮮半島を経て,多くの人が渡ってきたことを実感します。そして,私のような,本州に住む人間がどうしても奈良というところが大和朝廷のはじまりであったように感じるのとは別の感覚が生まれてきたのが不思議なことでした。
今から約2,000年も前に,人はこの地に確かに生きていたのです。しかも,序列化され,今よりも身分制度厳しく,社会保障もない時代に,何を感じ,何に夢を持ち,日々の生活をおくっていたのかと考えると,複雑な気持ちにもなりました。
本当に人というのは不思議な生き物です。仏教では,生きるのではなく生かされているという考えがありますが,まさに,何かをしたくて生きているというよりも,生きるために何かをせざるをえないということだったのでしょうか。そう考えると,復元した様々なものに,時折,現代人の価値観を感じ,???と思うことがあるのが興味深いところでもありました。
私がもっともおもしろかったのは,北墳丘墓でした。ここは,博物館になっていて,さまざまな展示がありました。この博物館の係の方とお話をしました。吉野ケ里では「巨大環壕集落」というのですが,その「壕」は「濠」ではないということです。それは,堀は水で満たされていたわけではないということを意味します。しかし,文献のみに頼っている学者さんの中には「濠」という字を使う人がいて,その人は,実際に吉野ケ里を見ていないのではないか,と言っていました。
このように,文献に頼る学問,そして,プリント学習ばかりをしている現代の教育は,こういう遺跡を訪れて,実際に体で感じることが不足しているわけです。
私は,もし,こういった遺跡を見ずして歴史を教えている教師がいたら,その人は信用できないな,と思いました。
先に書きましたけれど,ここの復元は,どれほど信頼性があるのでしょうか?
私は,これまで様々に学んできたものの多くが,その後,別の学説になってしまったり誤りだったり,書き換えられたりしてきたことを知っています。特に,若いころに学んだことは,強く印象に残っていることもあり,その後,その学説が変わったことを知らないで,びっくりすることが少なくありません。だからこそ,学問はおもしろいのですが,それを,何もかも正解・不正解で仕分けする現代の受験教育はやはり間違っていると思います。いずれにしても,吉野ケ里で,私は,邪馬台国とか大和政権とか,そうした,日本が中央集権の国家を作っていったなどという簡単なことではないよなあ,と強く思いました。
高校の歴史の教科書には,たった5ページの記述があって,何もかもわかったように書いてある弥生時代ですが,私にはどんどんと謎が深まってきました。もう一度,古代史を学んでみたいなあと,強く思いました。このように吉野ケ里は興味深いところでした。
九州で日本人について考えた-吉野ケ里にて①
九州旅行の最後に吉野ケ里歴史公園へ行きました。
吉野ケ里は,平成元年に全国に報道され,非常に有名になりましたが,私は,高校で歴史を学んだころから今までずっと邪馬台国は大和にあると思っていて,特に,箸墓は卑弥呼の墓だと信じているので,たいして興味はありませんでした。
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小学校のころは,弥生時代の遺跡といえば,静岡県の登呂遺跡で,高床式倉庫や,竪穴式住居の模型を作ったりもしたので,その記憶が今も鮮明です。子供のころの,物を作ったり星を観察したり,そうしたテストでない教育は非常に大切だと,今にして思います。
きっと吉野ケ里は登呂遺跡を少し大きくしたくらいのものだろうと想像していました。しかし,この機会を逃したら行くことはないだろうと思ったので,少し足をのばしました。
私は,国道442号線を大分県の竹田市から西に走って行ったのですが,九州自動車道の八女インターチェンジに近づいていくころに,様子が一変しました。
それまでほとんど車の通っていなかった国道に,久留米ナンバーの車が多くなってきたのですが,なぜか,この久留米ナンバーの車は,運転マナーがちょっと違うのです。それは,やたらと速度が遅いことでした。たとえば制限速度50キロメートルの道だと,40キロメートルくらいでのろのろと走るのです。それも1台や2台ならたまたまその車がそうであるといことなのでしょうが,どの車も似たようなものなのです。宅急便の車やら貨物を積んだトラックもまた,似たようなものなのです。吉野ケ里に近づいて,あたりは田んぼの中の見通しのよい道になってもそれは同じなのでした。
私は,これは,久留米の自動車学校の教育が違うのか,それとも,弥生時代から,この地はそうした民族の住むところなのかと今でも不思議に思っています。
閑話休題。
ともかくも,私には珍しく旅先での雨の中(アメリカでも雨に降られました。ついに晴れ男はその神通力を失いつつあるようです),吉野ケ里歴史公園に着きました。
そこは,想像を絶する広さでした。まるで1970年の大阪万博の会場のようでしたし,私には,サウスダコタ州のマウントラシュモアの国定記念物を訪れたときのような感じでもありました。聞いたところでは,平成4年にこの場所が国営になってから,整備されるお金の額が激増されて整備されたということで,その点で,マウントラシュモアと同じ匂いを感じたのかもしれません。地方公園の田舎臭さや,さもお金がないのでいつまでも整備中といった愛知県の愛・地球博記念公園のような感じがなく,ここは威厳のある公園でした。
入口で入場料を払って,傘を借りて中に入りました。雨でほとんど観光客はなく,それでも,帰るころには団体がバスで到着しました。
私は,室内にも大きな博物館があるのかなあ,と思っていたのですが,その期待は裏切られました。しかし,屋外に復元された展示には圧倒されました。それとともに,この復元はどれほど歴史に基づいたものなのかが,非常に気になるところでした。
園内を歩き始めましたが,その広さに眩暈がしました。私が登呂遺跡を少し大きくしたものだという認識は完全に誤りであったことを認識しました。そして,日本の観光施設で,はじめて,よい意味で期待が裏切られました。
九州で日本人について考えた。-どうして自然を壊すのか
阿蘇の自然は雄大でした。特に,阿蘇山上から東登山道を北にJRの阿蘇駅に向かう道路は日本とは思えないほどでした。私は,ノースダコタ州のセオドア・ルーズベルト国立公園を思い出しました。
また,JRの阿蘇駅を越えて,国道212号線をさらに北に走ると,大観望展望所に行くことができますが,この展望台から眺めた阿蘇山麓は,この辺りで最高の景色だと思います。
私は,ここで,雄大な夕日を眺めることができました。
さらに,阿蘇から国道57号線を東に走ると,滝廉太郎の「荒城の月」で有名な竹田市へ行くことができます。そこから国道442号線を北西に走ると,北に久住高原を眺めながら,これも日本離れした高原道路をドライブすることができます。
私は,ここを走ったとき,夏に行ったニューハンプシャー州を思い出しました。
このように,九州の中央部は,阿蘇山を中心に,広大な風景が広がっていて,きっと,アメリカを走ったことがない人は,この雄大さに魅了されてしまうことでしょう。
私は,今のようにアメリカを旅行することの面白さを知らなかった若いころ,さんざん北海道をドライブしました。おそらく,北海道の国道で走っていない道はないと思います。
その頃にも思ったのですが,このように日本にもすばらしい風景があるのです。その風景を観光地に活用したり,人が訪れたときにいつまでも感動できるように保存したりしていけば,どれほど素敵なことだろうかと思います。
ところが,どうも,この国の人は,そういった風景を台無しにすることが得意のようです。
北海道も,足を運ぶたびに,どんどんと開発されて,意味のない道路ができ,道路ができると広告やら看板やらができ,その景観に調和しないホテルができてきて,汚くなってきたことが残念でなりませんでした。
アメリカの国立公園には,きびしい法律があって,自然を残すために多くの規制があります。また,訪れる人にも多くの義務があります。すべてを比較することはできないのでしょうが,私は,日本ももう少しなんとかならないものなのかと思うことが少なくありません。
阿蘇も,確かに,日本の中では美しく雄大でしたが,この地におそらくはバブル期に作られたのであろうリゾートホテルひとつをとっても,その地に調和しているとは思えませんでした。また,あと,数十年もして,運悪くそのホテルが活用されなくなったときに廃墟となってしまった状態を想像すると,ぞっとしました。
たとえば,琵琶湖大橋を東から西に渡ったところに,今は使われなくなった観覧車がさびたままその虚勢を誇っていることを知っている人は多いことでしょう。これまでに作られて廃墟となってしまったテーマパークが全国のあちらこちらにあって,まるでお化け屋敷のようになっています。
すでに書きましたが,日本では,道路ひとつにしても,景観などまるで度外視して,標識やらガードレールを設置したり,家を建てる時も,それぞれの家は素敵なデザインであっても,そのそれぞれがまったく周囲と調和なく作られてしまうのは一体どうしてなのでしょうか。
日本には「借景」という考えがって,京都のお寺を訪れると,お寺の庭と自然が一体となってその美しさを引き立たせています。そういうことができるのに,どうして,街づくりをするときには,そうした考え方ができないのか,私にはずっと不思議でなりません。
きょうの写真をご覧ください。日本にもこんな雄大ですばらしい風景があるのです。
私は,建築学は全く知りませんが,そういった景観に対する研究はされているのでしょうか。
私は,日本を旅するたびに,どうしてこの国は自然を大切にしないのか,不思議でなりません。そして,やっぱり,日本では雄大な風景を期待して旅をすることを期待してはいけないんだなあと,残念ながら感じてしまうのです。
私は,ものすごく悲しくなりました。それと同時に,アメリカの手つかずの自然が,これまで以上に素晴らしく思えてきました。
五大湖のクルーズ,ロッキー山脈,… どうして,それらは,あれほど雄大で心を打つのでしょう。
◇◇◇
今年も年末。各地でベートーヴェンの第九演奏会がはじまりました。
今年のN響は,偶然にも私が夏にボストン郊外のダングルウッドのコンサートで聞いたエド・デ・ワールドさんの指揮でした。
数年前の第九で,第3楽章でそのときの指揮者とオーケストラのテンポが合わず,指揮者が1小節で演奏をストップさせたというハプニングがありました。このように,近年の第九は,スピード競争,指揮者の早いテンポとそうはさせじと抵抗するオーケストラのテンポのしのぎあいが聴きものだったのですが,今年は,そうしたこともなく,落ち着いた第九になりました。毎年,個性豊かな第九が演奏されるなか,久しぶりの昔流の第九を聴いた気がしました。
私は,かれこれ40年も前,最晩年のローゼンストックさんの指揮で,できたばかりのNHKホールで第九を聴いたことがあります。それ以来,もう一度,と思いながら演奏会場で聴く機会がありません。残念だったのは,2011年のスクロバチェフスキーさんの第九。あれは行くべきでした。近年まれにみる名演でした。
2015年からパーボォ・ヤルヴィさんが首席指揮者に就任するので,彼が第九を振るときは聴きに行こうと思っています。すごくテンポが速いと思いますが…。
ちなみに,N響の第九は毎年4日間やるのですが,お勧めは初日です。演奏するごとに指揮者の個性が薄れ,やがてオーケストラの主張が勝って,最終日は毎年変わらぬ「N響の第九」になっていくのだそうです。
九州で日本人について考えた。-民衆不在の歴史
考えてみれば,ここ10年以上京都,奈良,東京,鎌倉くらいしか日本国内の旅行をしていないので,こうして,九州を周遊するような旅は,はじめてのようなものでした。しかも,その間,アメリカ国内は随分と旅行をしたので,私にとれば,どうしても,アメリカを旅行することと比較して考えてしまうのです。
そうして旅をはじめてみると,日本を旅行するときには,どうも,アメリカを旅しているときのような明るさや楽しさをまったく感じないのです。
くまモン以外は。
その理由のひとつは,前回書いたように,ドライブをしていて爽快感がないということがありました。
ふたつめは,名所旧跡を訪れた時に気づいたあることなのですが,きょうは,そのあることについて書いてみたいと思います。
私は,この旅を通して,日本という国は,2,000年以上も昔から,「御上」という権力者が庶民を意のままに押さえつけるという国だということに,いまさらながら気づいて,ショックを受けました。現代は違う,日本は民主主義国家だという人もいるでしょうが,はたして,それはこの国の本質でしょうか? それなら,どうして,選挙の公約にもなっていない,世論の多くが反対するような法律が早急に制定されてしまうのでしょうか。
そこには,民意などなく,政治家は,民衆など意にままになるという2,000年来のこの国の権力者のありようが今もなおまったく変わっていないからなのです。
たとえば,戦国時代。
天下統一といっても,武士という特権階級が,その覇権争いをしただけのことです。むしろ,石山本願寺や一向一揆といった運動のほうが庶民による行動ではありませんか。それを鎮圧するという権力者の行動が,この国を作り上げたのです。
明治維新。
これも,武士という特権階級が作り上げた政治体制の変革であることに変わりはありません。この時代,庶民がやったのはお伊勢参りです。
西郷隆盛は,そうした,変革時についていかれず不平を抱いた武士たちの先頭に立たされて,新しく作られた明治政府を守るために犠牲にされたシンボルなのです。
考えてみれば,この国では,庶民が立ち上がって自らの権利を勝ち取ったなどという事実は,これまで一度たりともないのです。
それは,イギリスの圧制から立ち上がって独立を勝ち取ったアメリカの庶民による独立運動や,黒人差別から立ち上がったキング牧師,そういった,庶民が立ちあがて自らの権利を勝ち取ったアメリカの歴史とは,まったく正反対のものなのです。
だから,日本の観光地にある名所・旧跡は,当時の権力者が,庶民の税金で作り上げた豪華な城であるとか,屋敷であるとか,特権階級同士が戦った戦の跡であるとか,そういったのものしかないのです。そして,もし,その当時に自分が生きていれば,そうしたものは,自分とは全く縁のないものなのです。あるいは,日夜そういうものを作るために労役に駆り出されたことでしょう。
そう考えると,城壁も,御殿も,家老の住んだ家も,どれもが,不快なものに思えてきました。しかも,どこも,この部屋から奥は客人が入れなかったとか,謁見の間であるとか,下女の住んだ部屋であるとか,そういったものばかりで,それは,同じ人間をその「格式」で差別したものではないでしょうか。そこには人権などという概念のかけらもありません。
なんだか,そういうものを見学することすらばからしくなってきました。
アメリカで公開されている億万長者の御殿だって,それらは自らの能力と努力で作り上げたものであるし,わけのわからぬ「格式」など存在しません。アメリカにもかつては奴隷制度があって,人種差別が行われていました。現在,そのころの奴隷の住んだ家なども公開されていますが,それば,まさしく日本の御殿の使用人の住んだ家と同じようなものです。
この国の歴史は権力者の歴史であって,そこに庶民の姿はないのです。さらに,私は,吉野ケ里遺跡と知覧の特攻平和会館を訪れることで,この衝撃は決定的になりました。
2,000年も前の吉野ケ里遺跡にすでにみられる身分制社会は,今の日本人の持つ「御上」の源流にほかなりません。高千穂渓谷にみられる日本神話も,別の意味でその源流なのでしょう。
そして,名もなき民衆は,理由はともあれ,不幸にも戦争になれば,真っ先にそうした権力の犠牲となってしまうのです。それが,大塩平八郎の乱であるとか,ひめゆりの塔であるとか,知覧から飛び立っていった特攻なのです。
こうしたことに思い当たった私は,どんどんと不機嫌になってきました。
そういえば,以前,奥州の平泉に行ったときも同じことを感じました。すべて,権力者の遺構にしか過ぎないと。
だから,この国の観光地には,アメリカを旅行しているときに感じる明るさや陽気さや人間(=民衆)の尊厳のかけらも感じられないのです。それがこの国の歴史なのです。
九州で日本人について考えた。-日本でレンタカーを借りた。
阿蘇の外輪山で地平線付近のアイソン彗星を見ようと熊本行きを思い立ったのですが,残念ながら,彗星は消滅してしまいました。
しかし,せっかく旅行の予約をしたので,九州旅行をすることにしました。
・・
もともと九州に興味があったわけでもないので,なんの予備知識もガイドブックも持っていなかったのですが,この機会を逃せば,一生行く機会もないだろうと思ったので,自分の知識で行きたいなあと思ったところを全て回ることにしました。というわけで,自分でも思いもよらぬ九州旅行をすることになりました。
空路,熊本に降り立ち,そこからレンタカーで気ままに目的地を目指しました。宿泊地は阿蘇山の麓のリゾートホテルを3泊予約してあったので,4日間の九州周遊旅行でした。行ったところは,吉野ヶ里,竹田の原城跡,高千穂渓谷,熊本市,阿蘇周辺,中岳,南阿蘇,鹿児島市,そして,知覧でした。
吉野ヶ里では,2,000年も前から存在した階級社会に衝撃を受けました。高千穂では日本の神話について考え込みました。鹿児島では,西南戦争での西郷隆盛の無念の死について感じ入ることがありました。そして,最大のショックは知覧でした。17歳になった若者が,どうして,特攻で死ぬ必要があったのでしょうか。
私には,この国の人に流れる様々な価値観や人生観が,だんだんとわからなくなりました。
このようなわけで,いつものように,ガイドブックには書かれていない九州の旅の雑感をお送りしたいと思います。
実は,このような,飛行機とレンタカーを使った気ままな旅は,アメリカではずいぶんと経験していても日本でははじめてのことでした。そして,この旅で感じたのは,日本人ってなんなのかなあ,ということでした。そのことについては,これから,いろいろと書いていきたいと思います。
今日は,旅のシステムから話を始めます。
まず,国内線についてです。
私は,ほとんどデルタ航空ですが,ずいぶんとアメリカの国内線に乗ったことがあります。
アメリカではその国土の広さから,移動手段といえは空路になるので,国内線はずいぶんと混雑しています。また,機内もそれほどきれいなものではないのですが,とても合理的です。
飛び立って,しばらくすると,客室乗務員が手際よくソフトドリンクとスナックを配ります。そして,3時間ほどのフライトで目的地に到着して,乗客は急ぎ足で降りて行きます。まるで,日本の新幹線のようなものです。
日本では,空港自体とても空いていることもあり,機内でも,空席だらけ,ビジネスクラスもなく,配られたのも,種類が少ないソフトドリンクだけでした。スナックが欲しければ300円ほど出して購入する必要がありました。
わずか1時間ほどのフライトでした。こんな短い時間のフライトなので,この時ほど日本は狭い国なんだと思ったことはありませんでした。
空港でレンタカーを借りたのですが,空港からレンタカーの事務所まではシャトルバス,まあ,これは,シャトルバスが単なるワゴン車だということ以外はアメリカとさほど違いはないのですが,レンタカーの事務所は単なるプレハブの建物だったし,レンタカーの駐車場といった広い場所がある訳でもないのは,そもそも需要が決定的に違うからなのです。
私には,これだけのことでもアメリカとは非常に勝手が違って,何かとても変な気がしました。私は,本当に日本に住んでるのでしょうか?
レンタカーを借りました。日本の道はいつも乗り慣れていると入ってもレンタカーでドライブする時には,なにか,アメリカに着いてレンタカーを借りたときのような錯覚に陥りました。ところが,すぐに,ここは日本なのだという現実に戻されたのでした。
日本の道は狭く,ゴミゴミとし,やたらとガードレールが美観を損ね,だからと言ってドライバーが運転しやすいような気配りがされているとは思えませんでした。道路には意味もなくやたらと線が引かれているので,何に注意をすればいいのか,初めての町ではよくわかりません。アメリカでは,統一が取れているので,どの町を走っても同じだし,道には左側(日本では右側)に蛍光の黄色い線が必ず1本引かれているので,真っ暗な夜でも,雨の日でも,その線を頼りに走れば安全なのです。日本では,何を頼って走ればいいのでしょうか。
道路ひとつ考えても,やらたと多くの,様々な意味のない工夫や道路標示が多くて,何に注意をすればいいのか本当に疲れます。走っている車も,制限速度はいい加減,やたらと追い越したり煽ったりといった車も多く,さらには路上駐車もあって,普通に左車線を制限速度を守って走ることすら大変です。
このようなあいまいさや意味のない細かさ,そして,本音と建前の使い分け… 道路ひとつとっても,本当に,日本人って,何なのかなあ,と改めて思ったことでした。