しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > アイダホ州

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●クレーター・オブ・ザ・ムーン国定公園(Craters of the Moon National Monument and Preserve)
 ポテトで有名なアイダホ州ですが,ここには有名な観光地はありません。だからといって何もないかといえば,ローカルではありますが,いかにもアメリカらしい自然の驚異が存在します。クレーター・オブ・ザ・ムーンもそのひとつです。
 私も現地に行くまで,こんな場所があることをまったく知りませんでした。また,ここば隕石の衝突跡だと思っている現地の人もいました。
 すすめられたようにスネーク川沿いの眠たくなるほほどの大平原を走っていくと,黒々とした大地が現れました。
 その景色はまるで月のクレーターのようだということで,この名前になったようです。しかし,ここは隕石の衝突でできたクレーターではなく,およそ2,100年前に終了した火山および洪水によって運ばれた玄武岩の地帯です。かつて月に行った宇宙飛行士がまるで月のようだと言ったというクレーター・オブ・ザ・ムーンは,アメリカでも最大級の玄武岩質の溶岩地帯です。
  ・・
 今日,クレーター・オブ・ザ・ムーン国定公園は国立公園局によって管理,維持されています。
 外周には道路が整備されていて,ところどころに駐車場があって,そこには丁寧な説明板が用意されていました。
 さらに進むと,公園の入口になって,そこにビジターセンターがあって,ビジターセンターでは,この地域の地質と歴史に関するさまざまな展示がありました。
 私は参加しなかったのですが,ここもまた,スケジュールに従ってレンジャーによるガイドツアーが実施されていました。こういうところがいかにもアメリカらしいことであり,また,どこに行っても,どこから人が来たのかと思うほどの人がそうしたツアーに参加して興味深く説明を聞いています。
 日本だと,京都のお寺でも,高い拝観料さえいただけば,やたらときれいなパンフレットはもらえども,あとはほったらかしで,そのお寺の由来やら仏像の細かい説明が聞けるようなことは,むしろまれです。
 外に出ると,7マイル,12キロメートルに渡ってトレイルが整備されていて,自由にこの大自然を観察することができました。
  ・・
 スケールからみれば,他の多くのアメリカの国立公園に比べれば物足りないところですが,それでも,日本にはありえないほど雄大な黒々とした大地は,一見に値する場所でした。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
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●この地には思い出があった。●
 この日はカーダーレイン(Coeur d'Alene)というリゾート地にあるスーパー8に宿泊した。
 カーダーレインはアイダホ州の北西部に位置する,かつては金や銀の鉱山で栄え,近年はリゾート地として高成長を遂げている町だ。人口は約45,000人である。市の名前は周辺に住むネイティブ・アメリカンのカーダーレイン族に由来するが,これは西部開拓時代にフランス人たちが「錐の心」という意味のフランス語で名付けたもので,その意味するところは「抜け目のない」というものだそうだ。また,この町は Lake City という別名でもよばれている。最初にこの地に住みついたのはネイティブ・アメリカンで,やがて,この地にフランス人の入植者がやってきてカトリック信仰が広がり,カーダーレイン川の河岸に現在のカタルド・ミッション(Cataldo Mission)が建てられた。

 ホテルにチェックインをしたあとでダウンタウンに出てみた。湖に面した町は坂になっていて,ここを訪れたときは,なんだかハワイ島のヒロに似ているなあと思ったが,今考えてみると,ニュージーランド南島のクイーンズタウンに似ていなくもない。
 はじめて訪れた町は駐車スペースを探すのに苦労するのは日本も外国も同じで,それはその国のシステムがわからないからである。特に,外国をドライブするときは駐車違反などぜったいに避けたいから,道路標識の見方がわからないと停める方法や場所を見つけるのがなかなか難しいものである。私は多少歩いても絶対に大丈夫という場所に車を停めて歩くことにしている。ここでもまた,ダウンタウンの外れに駐車スペースを見つけて車を停め,外に出た。 
 湖のほとりにはすてきなレストランがたくさんあり,湖にはクルーズツアーも実施されていたので,多くの観光客が訪れるところだと予想できるが,このときはまだ夏の前,ハイシーズンでなかったのが幸いだった。
 アメリカには,日本では全く知らないこうしたリゾート地がたくさんあるが,ひとり旅の私はリゾート気分とはほど遠く,中華料理のチェーン店であるパンダエクスプレスで夕食となった。

 ところで,私はこの町で泊ったのははじめてでない,ということを後で知った。この地に思い出があったのだ。人の行動というのはいつも同じことをするもののようだ。
 それは,2004年のことであった。そのころは忙しく,9月にわずか1週間の休暇をなんとか取ってアメリカにやってきた。目的地はイエローストーン国立公園に行くことであった。しかし,その旅をしたときの私は今よりもあまりに無知であった。ただアメリカを旅したいという一念での強硬スケジュールであった。今ならそんな旅はしない。
 その時もシアトルからレンタカーを借りた。そのまま途中で宿泊するためのホテルの予約もせず,その日のうちにイエローストーン国立公園まで行こうと考えて先を急いだ。インターステイツ90はアイダホ州に入ると坂道が続くようになった。やがて思ったより早く夜になり,真っ暗な山道を走ることになった。そこで予定を変更して次の町でホテルを探すことにして,やっと到着したのが,どうやらこのカーダーレインであったようだ。今となってはその時に泊まったホテルがどこだったのかさえ思い出せないが,ともかくチェックインしたときは周囲は真っ暗であった。そんなカーダーレインに私は再びやってきたというわけだった。

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●コロンビア川を越える。●
 インターステイツ90をワシントン州の中央部まで走ってきた。ここでインターステイツ90は82と分岐するジャンクションがある。インターステイツ82を南東に向けて走ると,ヤキマ(Yakima)を経由して,やがてはインターステイツ84と合流する。
 ヤキマといえば,おいしいハンバーガー屋さん(Miner's Drive-in Restaurant)のある町である。また,インターステイツ84は,アイダホ州の州都ボイジへ向かう道路である。このあたりは翌年2017年にも皆既日食を見るために再びやって来たので,これを書いている今では身近な道路になってしまったが,このときはまだそこんな未来のことは知らない。過去を振り返ると,この旅で今走っているインターステイツ90をすでに2004年にも走っている。そのとき私は,この先のビュートという町を過ぎたところで交通事故に遭い,重傷を負った。
 人生は筋書きのないドラマだ。思ってもいないのにどういうわけか何度も来てしまう場所というのがある。また,あとから振り返ると,あのときこうしておけばよかったと後悔することもたくさんあるが,そんなことはその時点ではわからない。だからこそおもしろいともいえる。そしてまた,人生は短か過ぎる。いずれにしても,2004年ころの私は,その後にワシントン州がこれほどなじみのある場所になるとは夢にも思わなかった。

 やがて,インターステイツ90はコロンビア川に差し掛かった。この日はあいにく橋が工事中で,そのため道路が渋滞していた。こうなると予定が狂って,いつ到着できるかわからなくなってしまうから,短い日数で旅行をしている身には堪える。しかし,幸い,思ったほどの渋滞ではなく,車は再び順調に走りはじめて,視野の先には美しいコロンビア川とそれにかかる橋が見えてきた。
 コロンビア川(Columbia River)は,カナダ・ブリティッシュコロンビア州のカナディアンロッキーに源を発し,アメリカ・ワシントン州を流れて,ポートランドで支流のウィラメット川(Willamette River)と合流して,オレゴン州のアストリア(Astoria)で太平洋に注ぐ。
 橋の南には水力発電を目的としたワナマムダム(WanapunDam)があるので,このあたりコロンビア川はワナパム湖という大きな湖となっている。西側の湖畔にはワナパム保養地(Wanapum Recraation Area)があってそこには湖の景色を見ることができる展望台がある。その展望台にはこの翌年に行くことができた。

 インターステイツ90はこの長く美しい橋を越えると,山に沿って大きく左折した。さらに進んでいくと山岳地帯を過ぎ_再び平原になった。ここはもう,ロッキー山脈である。
 ワシントン州は太平洋岸に面したあたりは夏以外は天気が悪いことが多いのだが,カスケード山脈(Cascade Range)を越えて東に行くと天候が一変して快晴に恵まれる。あいにくこの日はその逆で,山を越えたら雨が降ってきた。
 さらにインターステイツ90を東に向かって走ってくと,やがてスポケーン(Spokane)という町に着いた。この町がワシントン州の一番東側にある人口20万人ほどの大きな都会である。もともとの地名はスポケーン・フォールズ(Spokan Falls)といった。市内のいたるところに滝が見られるからである。また,Lilac Cityともよばれている。
 スポケーンを越えるといよいよアイダホ州であった。シアトルを出発して約280マイル,450キロであった。それは大阪から名神高速道路と東名高速道路を走って東京に着くほどの距離である。

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●日本人の思考と能力・発想の限界●
 平坦な道路を走っていたが,次第に道路は標高を高くして,山岳地帯にさしかかった。
 実際は全く違う景色なのだが,どういうわけか,この山岳道路を走っていると,私は四国の高知県の山間を走っていたときのことを思い出した。どうしてだろう? それとともに,こちらのほうはとても似た景色なのだが,オーストラリアでブリスベンからクイーンズランド州の山岳地帯を抜けてバランディーン(Ballandean)に向かって走っていたときのことも思い出した。
 いずれにせよ,国道95は非常に景色もよく素晴らしい道路であった。また,写真でもわかるように,ほとんど車が通っていなかった。

 今日の1番目の写真にある道路が山に向かって伸びたところが何かおわかりになるだろうか?
 この支線は,坂道を下るときにブレーキの利かなくなったコンボイが停止するための避難道路である。この険しい山岳道路にはこうした場所がいくつか存在したのが興味深いところであった。
 アメリカでもオーストラリアでも同じであったが(日本はまったく違うが)こうした道路はいくら山道とはいえ道幅が広いから普通乗用車で走っていてもさほど実感がないのだが,実際はかなりの勾配である。したがって,コンボイは坂を登るのが大変で,スピードがまったく出ない。こんな車がたくさん走っていると渋滞して大変である。その逆に,坂を下るときは地球が味方するから,今度はスピードが出過ぎると止まらなくなってしまうのでる。
 そのための避難道路がつくられているというわけなのである。

 アメリカでドライブをするのは日本でドライブをするのに比べて非常に快適であるが,アメリカの自然がとても厳しいということをいつも頭に入れておかないといけない。突然の豪雨とか積雪である。雨が降れば日本では考えられないほどの雨量であるし,たとえ夏でもこうした山岳地帯では温度が異常に低くなることもある。
 それとともに,野生の動物にも気をつける必要がある。今では日本でもクマやシカが出没して様々な問題になっているが,それ以上にアメリカの道路にはさまざまな巨大な動物が出没するのである。

 日本では車というのは早く走ってはいけないものという「車性悪説」があるから,やたらと走りにくくすることに道路行政は力を入れているように感じる。そういう対策を講じるから逆に夜間や雨天では道路が光り,それによって道路に引かれたラインも認識不可能になりますます危険になる。
 もし,アメリカでこんなバカげた道路整備をしたら危険極まりないのである。アメリカでは最悪の条件のときにもっとも安全に走行できるように道路整備がされている。
 これもまた,「日本人の思考と能力」,そして「発想の限界」だと私はいつも思うのである。

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●とても美しい夜明けの道路を走って●
 皆既日食を見るためにアイダホ州ワイザーで2泊3日のキャンプをしたことはすでに書いたが,私はこのキャンプをするために前日に宿泊をしていたアイダホ州のルイストンからワイザーまで,今日の1番目の地図にあるルートを車で走った。
 そこで,今回のキャンプをまとめるために,ルイストンからワイザーまでの行程を書いておこう。

 私は8月19日の朝,アイダホ州の西の境にあるスネーク川畔の美しい町ルイストンのホテルを早朝出発した。まだ夜明け前で東の空には2日後に大役を控えた月齢27の月と金星が美しく輝いていた。
 ルイストンは(Lewiston)の人口はアイダホ州の北部地域ではコー・ダリーンに次いで第2位で約3万人である。スネーク川とクリアウォーター川の合流点にある。スネーク川とコロンビア川にダムと閘門があるためにルイストンには外洋船で来ることができる。ルイストン港はアイダホ州で唯一の海港であり,アメリカ西海岸では最も内陸かつ東にあるという特徴がある。主要産業は農業,製紙,および木工製品であり,また軽工業もある。
 1805年ルイス・クラーク探検隊がこの地域を訪れた。そのころのルイストンにはネズ・パース族インディアンの集落があった。ルイスとクラークは1806年の太平洋からの帰り道でもこの地域を通過した。
 ルイス・クラーク探検隊(Lewis and Clark Expedition)についてはすでに書いたことがあるが,陸軍大尉メリウェザー・ルイスと少尉ウィリアム・クラークによって率いられ太平洋へ陸路での探検をして帰還した白人アメリカ人で最初の探検隊である。
 ところで,ルイストンはこのルイスにちなんでつけられているが,ほかにもワシントン,エドモントンなど,語尾に「トン」とつく地名がたくさんある。この「トン」が何か? 私はずっと疑問で,周りにいたアメリカ人に聞いてまわったところ,それは「タウン」のことだということがようやくわかった。

 町はその北東にあるピアースの近くで1860年に始まったゴールドラッシュの流れで,1861年に設立された。この町はとても美しく,モンタナ州,アイダホ州,ワシントン州につながる山岳地帯にはこのような町がたくさんある。アメリカで私が最も好きな場所である。
 この町を通る国道95は1975年から1979年に建設された新しい4車線の道で,東側は直線に近く急な下り坂でその後に南西に転じていて,ルイストンとクラークストンおよび周辺地域のすばらしい景観を楽しむことができるところである。

 私は夜明けの美しい景色を眺めながら国道95を南下していった。距離にして225マイルだから約360キロということになる。この距離はちょうど名古屋・東京間くらいのものである。所要時間は約4時間ということであったが,インターステイツでないので,渋滞や工事があればどのくらいかかるか予想がつかなかった。なにせ,すでにこの日,オレゴン州は皆既日食を見るための大渋滞がはじまっているという,実際は誤報に近いものであったが,そうしたニュースが流れていたからである。
 しかし,実際走っていて,こんなところが渋滞する理由がないと思うようになった。なにせ,近くに大きな都会がない。これから行くワイザーだって,そこに行くにはアイダホ州の州都ボイシーくらいしか都会はなく,ボイシーから皆既日食を見に行くなら何も北上しなくても東に向かってアイダホフォールズのほうへ行くだろうから,ここに集まる理由がないのである。
 そして,実際もそうであった。

 ほとんど車も走っていないので順調に進み,走行時間の割りに距離が稼げるのでガソリンがなくなってきた。
 こうなると逆に田舎のこと,早朝に営業しているガソリンスタンドがない。というよりも,国道95を走っていても町すらないのである。国道がバイパス化している町を見つけたので(その町の名前はおそらくカルデサック=Culdesacだった)国道を降りて町のダウンタウンに向かった。しかし,そこもまた,町というよりも農村地帯であった。やっと1件のガソリンスタンドを見つけたが店舗は閉まっていた。
 ガソリンは入れられるようになっていたが,問題は給油機のカード読み取り機では日本で発行されたクレジットカードが反応しないことが多いということで,私は近頃はこうした機械にクレジットカードを読み取らせることはやめて直接店舗の中のレジでお金を払うようにしていたから,これではだめだとがっかりした。しかし試しに機械にクレジットカードを読ませてみると,何の問題もなく反応し,無事にガソリンを入れることができたのだった。

◇◇◇
アメリカで再びキャンプをしよう①-2017夏アメリカ旅行記
アメリカで再びキャンプをしよう②-2017夏アメリカ旅行記

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●こうした生活が羨ましくなった。●
 2年前に生まれてはじめてアメリカでキャンプをしたときはたいして楽しくなかったのだが,今回はとても楽しかった。今にして思うに,アメリカでキャンプができるというのはかなり幸運なことであるし,またやりたいものだと強く感じるようになった。とてもすばらしい経験であった。
 アメリカでキャンプをするのは快適だ。それは蒸し暑くなく日差しがあっても日陰に入ればすずしいからである。テントのなかも窓があるから風通しがよいので暑くならない。
 どうしてなのかよくわからないのだが,この写真のような場所には犬のふんひとつ落ちていなければ,ゴミひとつも落ちていないから,草の上をさくざくとサンダル履きで歩くことのができるのである。
 また,これもどうしてなのかわからないが,カとかハエのような虫も見たことがない。セミもいないから静かである。アメリカにはセミがいない,というのには諸説あって,セミはいる,と書かれたものもあるのだが,私はアメリカでセミの鳴き声を聞いたことがないし,こちらに住んでいる人もセミはいない,と主張する。

 テント自体は,今は日本にも輸入されているから同じものを売っているようであるけれど,日本でそんなものを買ってどこで使うのだろうと私には不思議に思える。
 アメリカには郊外に行けばとても広いキャンプ場がどこにもあって,そうした場所は本当に何もなく自分ですべてを持ち込んで自由に楽しみ,帰るときはゴミひとつ残さない,というルールがしっかりできていて,それをみんながきちんと守っているわけだ。
 これもいつも書いていることだが,アメリカは何事も単純な社会で,アウトドアだからといって,日本のように特別なイベントをするのではなくて,キャンプをしても,家のバックヤードで毎週末にやっているように男が肉を焼き,めいめいで好きなようにバンズに焼いた肉と野菜やらチーズやらをはさんで食べるだけの「バーベキュー」であるから,さほどの手間はない。こういうことを知ってしまうと,キャンプは単に家の生活を自然豊かな郊外に持ち出しただけだとわかる。
 今回は日食のためのキャンプだったので特別だが,ふつうのキャンプ地だと,近くに川があったり森があったりするので,お昼間は釣りをしたり猟をしたりと,そういう楽しみをするわけである。
 また,こうしたキャンプをするための道具というものが充実していて,キャンプをするのは特別なことではなく,それも含めたものが日常生活,ということになる。「衣食住」というが,まさに,人が生きるというのはそういうことだというのを実感する。そうした自然との生活を楽しむために,人生の貴重な時間を売って金に換えるために仕事をするわけである。日本とは根本的に違うのである。

 ところで,キャンプでおそらく最も抵抗があるのがトイレと風呂であろう。
 キャンピングカーであればシャワーが完備されているが,そうでなければ,やはり数日に1回はシャワー設備のあるところでキャンプをしたいものだ。
 トイレはどこのキャンプ地にもきちんと整備されている。ウオッシュレットは望むべくもないが,トイレはどこも清潔で悪臭もまったくないから,慣れてしまえばどおってことはない。今回の場所にもきれいなトイレがたくさん持ち込まれていたし,手を洗うための大量の水を積んだトラックもあった。
 ウオッシュレットが当たり前の日本人は,トイレに対して過剰になりすぎてしまっていて,自然災害などが起きたときには,普通以上に困難な状況が生れてしまうであろう。しかし,こうしたキャンプ生活に慣れていない日本人は,今は日本の100円均一に行けば様々な種類のペーパータオルを売っているから,これらのものを買って持っていけば問題なく数日は過ごせるものだと思われる。
 私は2年前のキャンプで慣れたので,今回は非常に快適であった。テントのなかにもベッドがあって,寝袋にくるまってぐっすりと眠ることができたし,こういう生活も悪くないなあ,とすっかりキャンプが好きになった。

 自然と一体となって,風の音を聞き空気の香りをかぎ,ときに釣りをして,夜は満天の星空の下で眠る……。この国に住んで,子供のころから週末にこうした楽しみをしている人たちが心から羨ましくなった。

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●2度目のアメリカでのキャンプ●
☆4日目~6日目
  2017年8月19日(土)~8月21日(月)
 今回の目的は皆既日食であったが,そのために今日から2泊3日で再びキャンプをすることになった。
 すでにこのブログに何度も書いたが,2017年8月21日,西海岸のオレゴン州から東海岸のサウスカロライナ州までアメリカ大陸を皆既帯が横断する好条件の皆既日食があった。この皆既帯が私の親戚のMファミリーの住むアイダホ州マウンテンホームからわずか北側を通ることから,私は数年前からアイダホ州に行くことに決めていた。そして,ともかく,半年前に成田からシアトルまでの往復航空券を手に入れて,あとは行くだけだぞ,と思っていた。
 しかし,次第にこの日が近づくにつれて,どのくらい混雑するのか皆目見当がつかなくなり,だんだん心配になってきた。はじめのうちは皆既日食当日の早朝に家を出て皆既帯に向かえばいいくらいに考えてはいたのだが,それでは渋滞して到着できないのではないか? と思うようになり,ともかく,前日に皆既帯に到着したらどうか,からはじまって,ついには2日前に出かけて皆既帯でキャンプをして当日を迎えようということになったわけだった。
 しかし,そう決まったときにはすでに皆既帯のキャンプ地は予約で埋まっていて,なんとか,アイダホ州のワイザーという小さな町の端にあった空き地が,急ごしらえのキャンプ地となり,そこをなんとか予約することができたのだった。

 今回のキャンプは,私には前回までこのブログに書いたキャンプの延長である。そのときは総勢が私を含めて6人+犬1匹であった。そこに今回はMファミリーのグランパとグランマ+犬1匹が加わったのであった。新しく加わったグランパとグランマが乗り込んだのはキャンピングトレーラー,否,キャンピングカーであった。そしてまた,Mファミリーのピックアックトラックには,トレーラーを接続してあったから,ついに,私がアメリカでよく見かけた,まさに,アメリカのキャンプ,つまり駅馬車隊のようになった。しかしまあ,長いことと旅をしていると,こんなことまで実現するとは,本当に夢にも思わなかった。ついに,私は,アメリカでキャンプというレジャーを体験することができたのであった。

 そのキャンピングカーというのは,Coachmenという会社のPursuitというものであった。大きさは小型バスくらいある。日本でたまに見かけるおもちゃのようなキャンピングカーとは雲泥の差がある。ネットで調べると,手に入れようとすれば800万円ほどであろうか? 私には本当のところはよくわからない。いずれにしても,年に数回使用するために,こうした投資をしちゃうのがアメリカであり,私には,そのための維持費やら手間を考えると,理解しがたいものではある。
 なかを見せてもらったが,1Kのマンションのような感じであった。一番奥に寝室があって,あとはシャワールームとキッチンがある。これもまたいつも書いているように,アメリカは何もかもが同じで,ホテルだろうと宇宙ステーションだろうと,こうしたキャンピングカーであろうと,寝室とシャワールームとキッチンが当然のようにあるわけだ。つまり,ホテルの一室を運んでいる,というようなものなのある。
 今日の写真はそのときのキャンプ場に停まっていたキャンピングカーたちである。

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愛しきアメリカ-キャンピングトレーラーの旅

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●決してジャガイモだけの州ではない。●
 キャンプからマウンテンホームに戻る途中,「Shoshone Indian Ice Caves」というところに寄ったので,今日はそのことを書いておこう。ここは,クレイター・オブ・ザ・ムーンと,私が春に行ったケンタッキー州のマンモスケイブ国立公園を足して「10で割った」ようなところであった。
 「10で割った」というのは,規模が小さいという意味である。

 アイダホ州の全体は一面に広がる大地で,「ちっとそこまで」といった隣町の距離は半端でない。だから,このアイスケイブも規模が小さいと書いたが,それでも山口県の秋吉台を100倍くらいに拡大したものと想像すればよいかもしれない。
 ここは国立公園ではなく,この土地の持ち主が小さな博物館兼洞窟ツアーを実施している感じだがそれでもすごいスケールであった。この洞窟ツアーは45分ほどで,中に入ると,自然の驚異を実感することができるのだった。
 入口にあった博物館兼土産物屋には安っぽい土産が並び,いかにもアメリカの民間の観光地であった。また,ネイティブアメリカンが作ったであろう,木彫りの彫刻などが洞窟の入口に脈絡なく並んでいて,ある種のいかがわしさを醸し出していた。そのまったく垢抜けしていない様子は,国立公園の整然とした規律のある状況とは対比をなすものであった。

 ここで話は変わるが,私が数年前に九州の吉野ケ里遺跡に行ったときに,その豪華さに驚いたものだが,その理由は,吉野ケ里遺跡が国の施設になったから,というものであった。私は,国が管理するかそうでないかというのは,予算の面でそれほど大きな差ができるものなのか,と驚いたのであったが,ここもまたそれと同様であった。
 さらにもうひとつ余談を書く。それは,アメリカでは,どうして観光地の土産物はどこもこうもしょ~もないものばかりが並んでいるのだろうか,ということである。これもまた昔話になるが,以前ヒューストンにあるNASAを見学したとき,土産物売り場をさんざんまわってみたのだが,欲しいものが何ひとつ見つからななかった。
 それdも,近年はかなり「マシな」ものが売られるようになってきた。私がこのときの旅でこの後で行くことになるシアトルにあるボーイング社の工場見学ツアーでは,予想に反して売店にはかなりいいものがたくさん売られていた。しかし,今度は,その値段というものが半端じゃなかった。MLBのボールパークのオフィシャルグッズにしても,ユニフォーム型のシャツなんて10,000円以上ももするのだ。

 話を戻そう。
 ここアイスケイブは「世界自然不思議」のひとつなのだそうで,地下の水が凍っているのだ。そして,そのことが,この洞窟の名前の由来となっている。このように,アイダホ州は,確かにとなりのモンタナ州やユタ州にくらべれば「観光地」と言えるほどの見どころはないのだが,それでもこうした不思議な場所が結構ある。決してジャガイモだけの州ではないのである。

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●「誰がために鐘は鳴る」を完成させた地●
 私が連れていってもらったキャンプ場はリゾート地であるサンバレーから,さらに北にいったSawtoothというところであったが,今日の1番目の写真は,そのキャンプ場の入口にあったビジターセンターである。このキャンプ場は,入口から進んでいくと給水所があって,キャンピングカーは,そこで水を補給できるが,その先は,電気も水道もなく,トイレがあるのみ。しかも,めちゃくちゃ広い。
 日本のオートキャンプ場は,それに比べたら,単に,キャンプと名の付いたパック旅行のようなものである。
 サンバレー(Sun Valley)は,アイダホ州の中央部に位置するリゾートで,ウッドリバーバレーに位置している。人口は約1,400人。標高1,800メートルにあって,観光客はスキー,ハイキング,アイススケート,乗馬,テニス,サイクリングなどを楽しむことができる。
 リゾート地なので年間を通して住んでる人は少なく,オレゴン州ポートランド,ワシントン州シアトル,カリフォルニア州ロサンゼルスやサンフランシスコなど西海岸の大都市や,イリノイ州シカゴ,ニューヨーク州ニューヨークなど遠方の大都市から,短期間来る者が多い。

 1930年代にアーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway)がこの地を大衆に紹介してから,金持ちや著名人が季節によって滞在する場所となってきた。
 アメリカの冬のリゾート地は,ユニオン・パシフィック鉄道会長のW・アヴェレル・ハリマン(William Averell Harriman)が西部の鉄道利用客を増加させるために開発した。1932年にニューヨーク州レイクプラシッドで冬季オリンピックが成功したことでウィンタースポーツを楽しむ人が増えた。そこで,スイス・アルプスで楽しむことができるのと似たような山岳リゾートをアメリカでも作ろうと判断したのであった。そこで,オーストリアの伯爵フェリックス・シャフゴッシュの協力を得て,冬のリゾート地に最適な場所を求めて,レーニア山,フッド山,ヨセミテ国立公園,サンバーナディーノ山脈,ザイオン国立公園,ロッキーマウンテン国立公園,ワサッチ山脈,ポカテッロ,ジャクソンホール,グランドターヒーを旅したが,なかなか最適な地がなかった。
 そうして,その旅の終わりにみつけたのが,ここサンバレーであった。フロリダ州のマイアミビーチを宣伝して成功していた広告業界のパイオニア,スティーブ・ハニガン(Steve Hanigan)が雇われ,そのリゾート地は「サンバレー」と名付けられたのだった。

 サンバレー・インは1937年にオープンした。作家アーネスト・ヘミングウェイが,1939年秋にロッジの206号室に滞在し,「誰がために鐘は鳴る」(For Whom the Bell Tolls)を完成させた。また,ゲイリー・クーパー(Gary Cooper)が何度も訪れて狩猟や釣りを楽しみ,クラーク・ゲーブル(Clark Gable),エロール・フリン(Errol Flynn),ルシル・ボール(Lucille Désirée Ball),マリリン・モンロー(Marilyn Monroe),ケネディ家の数人などが客になった。
 サンバレーは1941年の映画「サンバレー・セレナード」に登場し宣伝された。この映画にはソニア・ヘニー(Sonja Henie),ジョン・ペイン(John Payne),ミルトン・バール(Milton Berle)およびバンドリーダーのグレン・ミラー(Alton Glenn Miller)が出演した。また,1971年,アポロ15号の宇宙飛行士ジェームズ・アーウィン(James Benson Irwin)が月面のハドリー・アペニン(Mons Hadley)に降り立ったとき,熱心なスキーファンである彼は「サンバレーのようだ」と叫んだという。そのほか,サンバレーと関わりがある著名人は,先に書いたアーノルド・シュワルツェネッガーをはじめとして,トム・ハンクス(Thomas Jeffrey "Tom" Hanks),クリント・イーストウッド(Eastwood Jr.),ビル・ゲイツ(William Henry "Bill" Gates III)などがいる。
 私がこのサンバレーを通ったときは夏のハイシーズンで,多くのリゾートを楽しむ観光客で一杯だった。

◇◇◇
 Harvest Moon 2017 
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●野生のムースが突然現れた。●
 お昼間は特にすることもないので,キャンプをしている場所からのんびりと歩いていって,魚が釣れるという池に着いた。
 この池のあたりは,写真にあるように,人ひとりいないような大自然であった。この池は来るたびに水かさが違っていて,だから,池の大きさも違っていて,魚がどれだけ釣れるかもまた違うということだった。この日は水の量も少なく,どこに魚が住めるかと疑問になるほどであった。
 きっと,人間というのは,古代から,こういう自然環境のなかで暮らしていたのに違いないんだなあ,と私は思った。
 それでも,我々は遊び気分だからいいようなものの,魚がつれるかどうかが生活の大問題であるのなら,池の水かさは重大なことに違いないだろう。

 ここで少し話が変わるが,日本のBS放送では旅番組が盛んで,日本各地のさまざまな様子が家にいながらわかる。私もそうした番組が好きでよく見ているが,その中で,以前,「グレイトトラバース」という日本の山に登る番組を放送していた。
 確かに山登りというのは大変に違いがないのだが,私はその番組を見て最も感じたのは,日本は北の果てから南の果てまで,どこへ行っても,結局,人が大自然を無残に切り開いた醜い場所しか残っていないのだなあ,ということであった。そしてまた,険しそうなどの山に登っても,山頂は人で溢れ,その人混みは都会と変わるものではなかった。
 こうした旅番組の影響もあってか,あるいは,それまでは仕事仕事で旅もできなかったからか,日本では定年退職後の健康な人たちが,東に西に北に南にと自然を求めて右往左往しているように思われる。しかし,自然の美しさを求めてどこにでかけても,そんな自然など,日本にはどこにもないのだ。アメリカのこうした大自然を知ってしまった私には,それがとても痛々しく思われる。

 話を釣りにもどそう。
 私の趣味に魚釣りはない。だから,釣りの経験はほとんどない。一度釣り堀で試みたことがあったが,釣り針にかかった魚を見て,私は痛々しくかつかわいそうになった。これでは釣りはできないわけだ。
 今回,私は釣竿を借りて,見よう見まねで糸を垂れた。しかし,そんな私に釣られてしまうような魚はよほど修行が足りないのに違いがない。
 そんな私の影響のわけでもなかろうが,釣りはまったくの不作で,全員でたった3匹しか収穫がなかった。そのたった3匹の魚を持って帰って夕食のときについでに料理して食べたのだが,釣りたての魚というのは,非常に美味であった。

 そんなことをしながら,大自然の中で,暗くなれば寝て,明るくなれば起きて,お昼間は釣りくらいしかすることもなく,今考えると何をして時間を潰したのかも思い出せないが,3日間を過ごした。私はほとんど何の手伝いもせず,お昼間は与えられたものを食べ,夜は寝ていただけであった。
 朝晩は寒かったので寝袋にしがみついて寝たが昼間は快適であった。残念だったのは天気があまりよくなくて,星がまったく見えなかったことであった。
 今これを書いていて思うのだが,わずか2年前のこととはいえ,このときの私は,夜テントで寝るのも苦痛だったし,星が見えないこともまた,とてもとても残念であった。この2年という月日の経験はそんな私を劇的に変身させたのだが,このことはまた後日書くことにする。

 ところで,こうしたキャンプ生活が日常と大きく異なるのは,シャワーとトレイであろう。アウトドア生活の障害というのはこのふたつに尽きる。山登りも同様である。
 シャワーはないから,清潔感を求めるのなら2泊くらいが限度になってしまうであろう。トイレのほうは,日本のアウトドアでのそれに比べて,こちらのトイレは清潔できれいである。そうしようと,みんなが気をくばっているのである。
 日本では,デパートのトイレなどは必要以上にきれいでかつ自動化されているが,駅のトイレなどは無残な状態である。両極端なのである。しかし,アメリカではどこも同じ程度に清潔である。
 おそらく,日本人にとって海外旅行をする上での障害は言葉と移動手段に加えて,トレイであろう。これはウォッシュレットの存在が大きな要因なのである。あんなものが日本だけで普及したから,日本人はそれなくしては生きていかれなくなってしまったのだ。

 さて3日目。帰る日の朝のことである。
 私がコーヒーを飲んでいると,突然,木の陰から巨大な獲物が現れて,私の5~6メートル前をのそのそと歩いて消えていった。それは,驚くことに野生のムースであった。
 聞いてみると,現地に住む人もムースなど見たことがないということであった。

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●今日の食事にする魚を捕りに●
 聞くところによると,アイダホ州は税金が安いので有名人が別荘を構えるのだそうだ。今回,我々の目指すキャンプ場はサンバレーという場所の奥にあるが,サンバレーにはアーノルド・シュワルツネッカー(Arnold Alois Schwarzenegger)の別荘がある。彼は元ボディビルダー,映画俳優,元政治家,実業家であり,2003年から2011年にかけてカリフォルニア州知事を務めた。
 我々は,Mファミリーの自宅のあるマウンテンホームを出発して,国道20を東に走っていった。峠に登ると非常に見晴らしがよくなったが,そこには広い場所があって,この日,ジャスフェスティバルをやっていた。
 その場所の写真がなくて残念だが,想像をはるかに超えた広い大地に,キャンピングカーやらピックアップトラックやらに乗って多くの人がやってきて,特設された野外ステージを取り囲んで,ジャズを楽しむのだという。フェステバルの準備も参加者が各自で行い,日本でも夏になると行われる星まつりやらジャズフェスティバルを数十倍に巨大化したようなものであった。そのためにほどんど車の走らないこの国道20を行き交う車も数多く見られたが,なにせ,広すぎるから渋滞するでもない。しかし,私は,これだけ土地があるのに,町からいい加減離れたこんなところまで行ってでジャズフェスティバルをするとは…… と半ばあきれた。
 どうやら,遊びに関して,この国の人は日本人とは本質的にスケールが違いすぎるようだ。こういう姿を知ってしまうと,日本でアウトドアなんて,まったくおままごとのような気がしてまったく興味がなくなってしまう。

 我々は国道20をそのままさらに進み,途中で州道75に左折して北に向けて進んでいった。冬になると,このあたりは一面雪に覆われるのだそうだ。
 道を1本外れれば舗装道路はなくなって,雄大な牧草地帯となり,広大な敷地をもった農家があるのだが,こんなところで暮らすには,ピックアップトラックと銃がなければ,危険で生きていけない。
 さらに進んでいくと,やがて,リゾート地サンバレーに到着した。ここは,スキーリゾートで,日本でいえば軽井沢のようなところである。

 我々はされに北上して「saw tooth」という山の中のキャンプ場に到着した。入り口にはビジターセンターがあって,そこで水を供給することができるようになっていて,キャンピングカーで来る場合はそこで車に水を補給するわけだ。
 ビジターセンターを過ぎ,延々とキャンプ場の中を進んでいくと,ひと区画が300坪くらいの土地がたくさんあって,そのひとつひとつで自由にキャンプができるようになっていた。
 空いている場所を確保したらその場所を登録して使用料を払うわけだ。すべて無人である。そして,帰るときにはゴミなどすべてを始末して帰るということであった。
 日本にもオートキャンプ場「もどき」があるが,水も電気も自動販売機もそろっているし,中にはシャワー室があったり,レストランさえあったりするから,あんなところは,アウトドアというよりも,単に,ホテルのないリゾートに過ぎないわけだ。

 我々がキャンプをはじめたのは日曜日であったら,週末にかけてキャンプを楽しんでこれから帰るというファミリーが多く,これからキャンプをはじめるというファミリーは少ないので,場所を探すのに苦労はなかった。
 それぞれのファミリーは,我々のようにピックアップトラックにテント一式を持ってきたり,あるいは,キャンピングカーだったり,まあ,それはいろいろで,これひとつを見ても,人まねでないアメリカ人というものがとてもよくわかるのであった。
 我々も,まずテントを設置して,火をおこした。そして次に,今日の食事にする魚を捕りに行くことになった。

 このブログの「2015年夏アメリカ旅行記2」はアイダホ州を出発してモンタナ州へ行き,モンタナ州からアイダホ州に帰って来たところで中断をしています。この後はいよいよ2泊3日でキャンプに出かけることになるのですが,2017年の夏,皆既日食を見るために,私は再び2泊3日でキャンプをしました。そこで,今回からは,この2回のキャンプの様子を順に書いていくことにします。
  ・・
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●はじめてのアメリカでのキャンプ●
☆4日目~6日目
2015年8月2日(日)~8月4日(火)
 今日から2泊3日で,キャンプに行くことになった。はじめて日本に来た外国人が,友人に今日から2泊3日で上高地へキャンプに行くぞ,と誘われてついていったようなもので,私にはただただ初体験のことばかりで,どこへ行くのか,何をするのか,さっぱりわからなかった。
 ともかく,日本でさえ,キャンプなどしたことがないアウトドアとは無縁の生活を送っているのに,本場アメリカでこうした経験ができるというのも貴重なことであった。そんなわけで,ともかく,私は,2泊3日,ピックアプトラックの補助席に乗って,アイダホ州の山の中のキャンプ場に行って,食事を作ってもらい,テントに寝て,帰ってきたのである。こういう経験を夢てみていてもできない日本人も少なくないことであろうが,それができてしまった私の人生の幸運と奇蹟に感謝せさるを得ない。

 日本にもオートキャンプ場があるし小さなおもちゃのようなキャンピングカーで旅行をしている人たちもいるが,日本の場合は,都会の混雑そのままがキャンプ場に引っ越してしまっただけのようで,私はまったく魅力を感じない。日本でこういうアウトドアを試みることにはかなりの無理がある。それに比べれば,まさに,こういう真実のアウトドアこそがアメリカの文化なのだから,私は,そういう経験をすることができたことが,とてもうれしかった。
 ということで,私はただ連れていってもらっただけなので,どこに行ったのかさえ正確に把握していないが,覚えているだけのことを書くことにしよう。

 早朝,Mファミリーと私の総勢6人+犬1匹は,巨大なピックアップトラックに乗り込んで,マウンテンホームの自宅を出発した。
 大都会に住む家族は別として,アメリカの「ふつうの家族」が持っている車は,日常に使用するセダンかSUV車とピックアップトラックである。さらには,キャンピングカー,あるいは,ヨットまである。
 日本でも,何か勘違い? して,ピックアップトラックやキャンピングカーに乗っている人もたまに見かけるが,そりゃ,やめたほうがいい,と私は思う。走る場所がないし使う場所がないからである。
 私は,アメリカを旅行しはじめたころに驚いたのは,道路を走るキャンピングカーの多さとピックアップトラックであった。
 ピックアップトラックなど何に使うのかな? と思ったが,あれは要するに,日本の田舎で走る必殺「軽トラ」だと思えばよいのだ。ピックアップトラックの荷台には,ものすごくたくさんの荷物が乗るから,アメリカの家族の週末の代表的な「娯楽」であるキャンプに行くには必需品なのである。

 我々も,ピックアプトラックの荷台にキャンプ用具一式を載せて出発したのだった。アメリカのキャンプ場は日本のオートキャンプ場と違って,すべてを自分たちでやらなければならない。さすがに,火を起こすのは火打ち石でないにしても……。
 キャンプ場には,その一区画ごとに火を起こすスペースだけが用意してあって,その一区画に,それぞれの家族は,テントを立てたりキャンピングカーを停めたりと,自由に利用するのである。
 私がいつも思うのは,こうしたことすべてが日本とは全く違っていて,非常にマナーがしっかりしている,ということなのだ。近頃,日本では,キャンピングカーが迷惑がられていて,それを停めることや野宿することを禁止する動きがあるという話を聞くが,日本では,ゴミは平気で捨てるわ,ルールは守らないわ,などといった傍若無人な行いが目に余るから仕方がない。そんなことは,家々のポストをゴミ捨て場と勘違いしたかのようにチラシをいれたり,道路の中央分離帯をゴミ捨て場と勘違いしていたり,山の中に平気で粗大ゴミを捨てに行く,この日本という国の「良識の程度」を考えてみれば明白なのである。大自然に敬意を払わず自分勝手に自然を破壊するこの国では,そのうちに,すべての里山は太陽電池パネルでうめつくされてしまうことであろう。

◇◇◇
2015夏アメリカ旅行記2-モンタナ州・ボーズマン⑤

8月21日・旅の6日目,いよいよ日食の日になりました。わずか2分のために何年も前から計画していたまさにその日が来ました。いくら先のことでもその日は来るのだなあという,妙な感想をもちました。
朝5時に起きてテントから出ると天気予報どおり満天の星空でした。東の方にはオリオン座が輝いています。あと6時間25分後に2分間のイベントが始まるのが夢のようです。
朝,日食後の渋滞の方が心配ですぐに帰れるようにまずはその準備をしました。朝食を食べ,再度撮影の確認をしていたら,10時10分,予報通り太陽が欠けはじめました。
食が進むにつれて次第に寒くなり,そしてあたりが暗くなりはじめ,いよいよ11時24分,皆既日食の開始です。ダイヤモンドリングの現れる少し前から太陽は肉眼でも欠けているのがわかりはじめて光の線が八方に伸びてきました。そして皆既。あっという間,ではなく,長い長い2分間に感じられました。私は1999年8月16日のヨーロッパ皆既日食に次いで2度目の体験だったので,肉眼で見ることが最も大切だと知っていました。へたをするとカメラをのぞいていて終わってしまいます。皆既終了後,渋滞を恐れてすぐに店じまいをするつもりでしたが思ったほどの混雑でないので,日食が完全に終了するまで見届けました。
私が日食を見た場所はアイダホ州の西の端の町,人口7,000人のワイザー。見にきた観光客は少なかったのですが,それでも帰りは町を出る車で大渋滞になりました。川を渡らなければ西に行くことができず,川を越す橋のある道路はたったの1本。何せ小さなダウンタウンを走る6本の道路からこの1本の道路にすべての車が流れ込むのですから3分で町から抜けられるところを30分かかりました。しかしその後は順調にインターステイツ84にたどり着きました。インターステイツ84を北上していくと2度ほど大渋滞に巻き込まれましたが,それは皆既日食のせいではなく,工事によるものでした。アメリカのインターステイツは普通,工事で1車線が閉鎖されれば別の車線が作られます。そうしていないオレゴン州はクレイジーです。それでも午後5時,出発から4時間後にはワラワラに着きました。
アメリカ人の多くは皆既帯でなくとも98%欠ければ一緒だと誤解していたようですが,日食は100%でないと全く意味がありません。おそらく翌日それを知って後悔した人も多いことでしょう。私が思っていたように,人口が多く,多くの人が押しかけたオレゴン州セーラム郊外のカニータあたりは薄雲が出たようですし,ワイオミング州では皆既の間雲が覆っていたようです。
日本からのツアーは60万円から100万円もするのに現地2泊から6泊程度の小旅行で,すでに多くの人は皆既日食終了後に帰国しています。私はツアーでないので,日食を見るために使った費用は成田からシアトルの往復航空運賃10万円程度と宿泊代だけでした。旅は自力でしなくちゃね。そしてまた,私の14泊16日の旅はまだまだ続きます。

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5日目。
キャンプも2日目になりました。今日は何も予定はありません。朝昼晩と食事をするだけが日課です。私は何もできないのでご馳走になるだけですが,こちらの人のアウトドアがよくわかって興味深いです。ここは日食を見るために解放した芝生広場でキャンプ地ではないのでただだだっ広いだけ。そこに多くの人がそれぞれキャンピングカーやテントを持ち込んでいて見ていると楽しいです。
私のいるのはキャンピングカーが1台と荷台を引いたピックアップトラックと私が乗ってきたジープ。テントは私が泊まっているものと子供たちそれぞれ,そして親のものと食事スペースの4つ。そこで8人で過ごしています。
日本からの皆既日食観測ツアーが行くのは日本からの直行便のあるポートランドに近いオレゴン州の州都セーラムの近郊かアイダホ州でもイエローストーン国立公園の近いアイダホフォールズです。私が来たワイザーはワシントン州とアイダホ州の州境ですが大きなホテルや観光地がないので,日本からここに来るような日本人は私くらいしかいないので非常に快適です。ちなみにセーラム近郊なんて晴天率がよくないし,アイダホフォールズあたりは日本人多すぎです。
明日は日食の終了後解散して,私はEさんと再び合流するためにワラワラに行くので,その道順を覚えるためにインターステイツ84まで行ってみることにしました。この閑散とした道が日食の終了後に渋滞するのかどうか,予測不能です。昼間は望遠鏡のピント合わせなどをして過ごし,夜は地元ワイザーの高校でやっている日食フェイスティバルに行きました。
さあいよいよ明日です。今晩の空は曇りで,昨晩は見えていた星も全く見えません。もしこれが日食の時間ならば絶望的ですが,明日は午前4時くらいから一日中快晴という天気予報になっています。

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4日目。
今日は午後Eさんと一旦別れて,ルイストンを出発して4時間南下し,モンタナ州ワイザーで親類のMファミリーと合流して2泊3日目のキャンプに行く予定です。目的はウザったい日本人ツアー客のいないベストロケーションでの皆既日食観察でした。
人口7,000人のワイザーは皆既日食の皆既帯にあたるので 当日の人口が20,000人に達するということです。既にオレゴン州では大渋滞がはじまっているというニュースに恐れをなして朝5時にホテルを出たのですが,全く渋滞もなく午前10時前にキャンプ地に到着しました。オレゴン州の渋滞は皆既日食のせいではなくマリファナ(オレゴン州では合法)を買うためにほかの州から押しかけたせいだったそうです。
Mファミリーに連絡を取ろうとWifiの通じるワイザーのダウンタウンにあったマクドナルドに行ってiPhoneを見るとすでに到着したという連絡が入っていて,買ったばかりのハンバーガーとドクターペッパーの入ったカップを持ってマクドナルドを出てキャンプ地に向かうと,すぐに合流できました。
ワイザーの町はすでに日食モードで土産物屋さんあり看板ありでした。夜は今日もBBQ。あとは寝るだけです。もちろんキャンプサイトではWifiはできないのですが,ダウンタウンにマクドナルドがあってそこでつながります。こんな便利なのは日本ではともかくアメリカではキャンプでありません。

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現地のWifi事情から4日ほど遅れてLIVEをお届けしていますが,現地時間2017年8月21日午前11時25分,アイダホ州ワイザーの雲ひとつない青空に皆既日食を見ることができました。
そこで,今日は数日先回りして,皆既日食の写真をご覧ください。皆既になると寒く星も見えます。また,あたりは静寂に包まれて異様な雰囲気になります。これだけは体験しないとわかりません。
太陽が欠けはじめてから戻るまで2時間30分,皆既の時間が2分,生涯最高のショーに大感動しました。
次に皆既日食が手軽に見られる場所に起こるのは,アメリカは2024年4月8日,オーストラリア,ニュージーランドで2028年7月22日,日本では2035年9月2日です。しかし,日食が起きても晴れなければ,といっても皆既の時間に太陽のあるところにたまたま雲があってもダメなのです。
今回の日食のように,アイダホ州の砂漠地帯で晴天率が高くても雲ひとつないというのは稀だから,この日食がいかに好条件だったかは後になるほどわかることでしょう。見そこねた人,逃した魚は思った以上にでかいですよ。

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8時間ほどのフライトでシアトルに到着しました。私の場合,アメリカ入国では税関申告書は不要で入国手続きもキオスクという自動の入国装置でよいのですが,その指示がいい加減で戸惑いました。同様に戸惑っている人がいました。その人はわけがわからずしかと申告用紙を握りしめていました。春にハワイに行ったときは不要のはずなのに書かされました。
今回の旅の目的地はモンタナ州のカナダ国境に接するグレーシャー国立公園です。これまで何度か行こうとして行けなかったところです。
シアトルからドライブするには少し遠いので国内線に乗り換えて国立公園の最寄りの空港まで来るつもりだったのですが,最終日に1日シアトルに滞在しようと考えてフライトをずいぶん探してもうまくいかず,結局シアトルから車で走る方が便利なので,車を借りました。900キロメートル9時間の道のりですが,インターステイツ90をのんびりと走ることにしたので,1泊目は5時間ほど走ってやってきたアイダホ州カーダーレインというリゾート地のホテルになりました。
それにしてもアメリカには日本人の知らないこのような美しいリゾート地がいっぱいあるものです。ここはカーダーレイン湖のほとりにあってダウンタウンには素敵なレストランがあり,湖にはクルーズツアーもあります。まだハイシーズンではないので程よい混雑さですが ,すごくいい街,この旅はここだけでもいいようなところです。
今日は予想に反してすごく寒いのですが,それも今日の天候のせいで,シアトルから東に山の中は小雨,その後高原では晴,アイダホ州に入って再び標高が高くなると雨が降り出して土砂降りになったのに夜はすっかり晴れ上がりました。まるでハワイの天気みたいです。
いよいよ明日は国立公園に到着します。

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●ガソリンスタンドひとつない。●
☆2日目 7月31日(金)
 マウンテンホームで1泊して2日目の朝,私は1泊2日の日程で,モンタナ州の州都ヘレナまで行ってくることにした。
 これまでに幾度となく書いたように,私には,モンタナ州ビュートという町は第2の故郷である。
 前回そのビュートへ行ったとき,帰りの飛行機の出発まで3時間ほど余裕ができたので,往復してきたのがヘレナであった。
 ビュートからインターステイツ15を北上していくと,道路は山間を抜け,この先には人が住んでいる場所などあるのだろうか,と思うほど人家もなく道だけが続くようになる。そして,この先は地の果てかと思った途端,忽然と眼下に都会が見えてきた。そんなその時の印象がずっと私の頭に残っていた。
 しかし,前回はヘレナを観光する時間がなかったので,どこへ行くでもなく町を1周して戻ってきただけであった。
 だから,一度訪れたヘレナという町に私が大いなる思い入れができたのも当然であろう。
 それ以来,私はこの町のことをきちんと知りたいと,ずっと思ってきたのだった。

 今回は,1泊2日だったので,本当はもっと北のグレイシャー国立公園まで行きたかったのだが,それは次回ということにして,ヘレナで1泊して戻ることにしたのだった。
 アイダホ州マウンテンホームからインターステイツ84を東に走り,途中でユタ州に南下していく84とは別れを告げて,インターステイツ86にショットカットして,やがて出会うソルトレイクシティから北のビュートにつながるインターステイツ15に乗って北上する。
 こうしてインターステイツ84,インターステイツ86,インターステイツ15と走っていけば,ヘレナへはわずか6時もあれば到着できるのだ。
 信号と渋滞だらけの日本とは違って,アメリカでは正真正銘100キロは1時間で走ることができるから,例えば1日5時間のペースで走れば,大陸横断は4,000キロだから8日で旅することが可能なのだ。

 インターステイツ15を走っていくと,途中で美しい景色に出会った。
 そこは,クラークキャニオン貯水池(Clark Canyon Reservoir)であった。
 貯水池といったって,愛知用水のため池「愛知池」のような代物ではない。広さだって2,000ヘクタールもあるし,キャンプ地もあれば,ボート遊びもフィッシングもできる。天気がよく,私は,池の袂で,しばし休息となった。
 私は,この後,2泊3日の日程でアイダホ州でキャンプをすることになったのだが,そのスケールがとんでもなくすごいのだ。私が,日本の,狭く,混み混みでゴミゴミのところでアウトドアをするなど,全く興味がないのも,こういう風景を知ってしまったのが原因なのだ。まして,日本で小人が乗るような小さなキャンピングカーで旅をしている人は気の毒にしか思えない。

 そのあと,私は,インターステイツ15を快調に北上していくことになったのだが,今一番印象に残っているのは,アイダホ州は周りが薄茶色の草原と背の低い山と砂漠に覆われていたのに,モンタナ州の州境を越えると,その風景が一変して,山なみは突如雄大になり,緑が茂り,とても美しくなったことだった。
 それとともに,モンタナ州に入ると町がなくなった,ということだった。
 私は,ガソリンを満タンにして走っていたから問題はなかったが,アイダホ州からモンタナ州の州境に進むにつれて,インターステイツ15は走る車も次第に少なくなり人が住む住居もなくなった。だから,忘れたころにあったジャンクションも「ノーサービス」,つまり,ガソリンスタンドがない,というありさまだった。

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☆12日目 8月13日(水)
 東海岸からの帰国と違って帰国便の出発が遅い。
 今回は,ボイジー発が午後1時15分。ボイジーからシアトルまでの間には時差があって1時間32分のフライトなのだが,午後1時47分にシアトル着。そして,シアトルでの待ち時間がわずか2時間と少し,午後3時1分シアトル出発で成田着が翌日の午後4時55分であった。わずか9時間と54分のフライト,アイダホは近くて楽だ。

 まだ8月13日だが,3か月にわたる長い夏休みが終わって,アイダホの子供たちは新学期が今日から始まった。朝,私も一緒に小学校へ行ってみた。
 アメリカの学校の登校風景なんて,パック旅行では行けるものではないから,私には,こうした体験が一番おもしろい。教室で小学校の先生ともおしゃべりをした。
 アメリカの学校はきれいで楽しそうだった。
 日本人は,アメリカの学校に比べて,日本の学校のほうがずっとちゃんとしていると思っているが,果たしてそうなのだろうか…?

 その後,「Chick fil-A」 というおいしいチキンバーガーのお店に寄ってから,ボイジーの空港まで送ってもらった。
 自動チェックイン機で帰りの航空券を発券した。
 ここで,ひとつ,大切なことを書く。
 デルタ航空の自動チェックイン機,国際線はパスポートを読み取らせるだけで航空券が発券されるが,この読み取り機のパスポートを挿入する口が少しパスポートのサイズよりも大きい。大概エラーがでる。実は,パスポートの左側を挿入口に合わせないと読み取らないのだ。これがコツである。こんなことどこにも書いてない。私の経験である。
  ・・
 ボイジーの空港は国際便の発着がなくローカル空港なので,のんびりムードであった。セキュリティで,係官に私が日本に帰るというと,ポケットから小さな会話集を出して,その中から日本語を探し出して挨拶をした。
 とてもフレンドリーでとげとげしさのかけらもなく,セキュリティチェックなどあってないようなものだった。

 ゲートで飛行機を待っていると,ひとりの女性がこちらに向かって歩いてきた。
 彼女は,シアトルで肝臓の移植手術を受けに行くところだと言った。彼女はモンタナ州ビュートの生まれだという。以前このブログに書いたが,私は,モンタナ州で交通事故にあってビュートの病院に入院したことがあるので,その偶然だけで,親しく話ができた。世の中は本当に狭いものだ。
 やがて,ボイジーからの飛行機が出発して,ほどなくシアトルに到着した。
 結局,私は,シアトルでも彼女のかばん持ちということになった。
 彼女は,今も元気でいるだろうか?
  ・・
 シアトル・タコマ国際空港のコンコースは,ギターを弾く女性がいたりして,ボイジーの空港とはまったく違って華やいでいた。私は,この時までシアトルは狭い空港という認識だったので,のんびりしすぎて,危うく帰国便に間に合わないところであった。決してシアトルは狭い空港ではないのだ。空港内に移動のための地下鉄も走っている。
 シアトルからの帰国便は予想通り空席があって,私の隣も空いていた。
 帰国するのがお盆からのUターンラッシュの数日前の平日ということろがポイントなのである。

 私は中央の座席の通路側に座っていたのだが,通路を隔てた窓側の3席を独り占めしていた初老の女性がいた。彼女には似つかわしくない? テニスラケットを持ち込んでいた。
 国際線に乗ると,どういう「人となり」なのかよくわからない人がけっこういて,観察しているとおもしろい。その女性も,旅慣れているのかいないのか? 金持ちなのかそでないのか? さっぱりわからない人であった。なにせ,そのテニスラケットの入ったカバンを座席のうしろの隙間に強引に押しこもうとして,客室乗務員に注意されたりしていた(飛行機は電車ではない!)。しかし,英語がけっこう堪能だったりと,本当によくわからない人であった。
 きっと,私も,他人には謎の人物であろう!?
 離陸直後,その女性が得体の知れない行動を開始した。
 イスを取り外したり,床に這い蹲ったり…。ずっとそういった行動を繰り返していた。しかし,客室乗務員も離陸直後で忙しく,相手にしていなかった。
 私は暇だったから,何をしているのかとずっと見ていると,どうやらイヤリングか何かをなくしたらしかった。やがて,仕事にけりのついた客室乗務員が近づいてきた。聞くでもなく聞こえてきた話では,なにやら高価なものをなくしてしまったらしい。
 結局,数時間の探索ののち,探し物は無事見つかったようであった。
 そんな姿を見ていたら,あっという間に成田に到着してしまった。
  ・・
 成田からのエクスプレスは,行きとは違い順調だった。
 8月14日夜帰宅。この時から,私の2014年の暑い日本の夏が,再びはじまったのだった。

◇◇◇
「2014年夏アメリカ旅行記」はこれで終了です。次回からは「2015年アメリカ旅行記」です。
コクピットから煙が出てフライトが引き換えしたり,その結果帰国便に乗り遅れたり,やっと帰国したのに新幹線が止まっていたり,チェックイン間際に突然国内線のフライトがキャンセルになったりと,2015年の旅行はハプニング満載です。

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☆11日目 8月12日(火)
 次の日に帰国するので,実質上,きょうが最終日であった。
 私の滞在しているマウンテンホームからインターステイツ84で北西に40マイル,64キロメートル行くと,アイダホ州の州都ボイジーに着く。きょうはそのボイジーの市内観光に出かけた。
 アイダホ州も日本で有名なポテトだけではなく,近ごろはハイテク産業が盛んである。ボイジーの付近にも巨大なエルビータメモリの工場があって,インターステイツは交通量が増加しているので,道路は片側4車線にする拡張工事中であった。
 交通量が多ければ道路を拡張する… アメリカは実にわかりやすくていい。
  ・・
 マウンテンホームからボイジーまでの間にはオレゴントレイルの展望台があるので,まず,そこにへ行った。
 オレゴントレイルは,西部開拓時代の幌馬車の通った道である。現在は,そこにハイキングコースが作られていて,何か月もかけて散策を楽しむことができる。
 オレゴントレイルは,ミズーリ州カンザスシティからオレゴン州ポートランドまで続いている。
 日本でも,旧東海道を歩くという楽しみがあるが,それと同じようなものである。
 それにしても,こんなとんでもない距離を歩くなどというのは途方もないことではある。

 ボイジーに着いて市内見学をした。
 アメリカの都会には広い公園がある。ボイジーにも,アメリカの他の都会と同様に,ジュリアデービスパークという公園があって,公園内には,歴史博物館や美術館や動物園などがあった。上野の公園や博物館,動物園を縦横それぞれ10倍くらいにした姿を想像していただければいい。
 この日,あいにく歴史博物館は休館だったので,動物園へ行くことになった。
 この動物園のおもしろかったのは動物ではなく,動く恐竜のモニュメントだった。それらがたくさんあったので,ここは,動物園というよりも,ジェラシックパークとでもいったほうがふさわしいものだと私は思った。
 昼食はボイジー市街のチャイニーズレストランのバイキングになった。中華料理は美味しくて,量もあって,素敵なレストランであった。

 午後は,旧アイダホ州刑務所を見学した。ここは日本の網走刑務所博物館のようなところであった。1872年から1973年まで現役の刑務所であったところで,独房や絞首台も見学することができた。
 そして,最後に行ったのが,アイダホ州議会議事堂であった。
 アメリカの州議会議事堂はどこもドームがそびえている(ノースダコタ州の州都ビスマルクにある州議会議事堂だけは,作られたときにお金がなかったのでドームはない)。この議事堂も他の州のものと同様に内装外装ともにすばらしい建物だった。アイダホ州は大変治安のよい州で,入るときにセキュリティチェックもなかった。
 この日は議会がなかったので,上院と下院の議会会議場,それに州知事のゲストルームにも入ることができた。また,州知事のイスにも座ることができた。
 州議会議事堂には最高裁判所が併設されていることが多いのだが,ここアイダホ州は,最高裁判所は別の建物であった。
  ・・
 州議会議事堂は,日本では県庁,というよりも国会議事堂である。アメリカは「合衆国」,というのは誤訳で,正しくは「合州国」であるから,それぞれの州が国であると考えたほうが正しいのだ。ここには,真の民主主義がある。
 日本の政治家は,海外に視察に行くのなら,こうした州政府の仕事でも見てきてもらいたいものだと思う。日本を江戸時代の封建制国家と勘違いしてもらっては困るのだ。首相は殿様ではない。国民が主権をもっているのだ。だから,法律は国民の選んだ議員が審議して少数意見を尊重した上で多数決で決めるものであって,内閣が決めるのではない。こんなこと小学生でも知っている。審議をお願いする側の首相がやじをとばしてどうする。そんな基本も知らない人が首相をやっていては困る。

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☆10日目 8月11日(月)
 マウンテンホームの町から少し外に出ると,大平原がが広がっている。北側には,巨大なダムがあって,川が流れ,アウトドアには事欠かないし,こうしたことが好きな人には夢のような場所であろう。
 日本の中で,ほとんどありもしない自然を求めて渋滞の高速道路を山に山にと走っている人には信じられない世界であろう。
  ・・
 この日の午前中,マウンテンホームから50マイル,80キロメートルほど東に走って,ヘイグマン化石層国定公園というところ行った。
 この地は特に馬の化石が有名なのだそうだが,それは,大昔,この場所がジャングルで,その頃の馬の化石が多くの出土するからなのだそうだ。
 また,マスの養殖場もあった。ここでマスを養殖して,成長したマスを川に放すことで,自然界の調和を保っているというわけだ。

 アメリカは日本人が考えているようないい加減な社会ではないから,事前に動物や魚の生育を調査して,その年に捕まえてよい数を決めて,登録制で狩りや釣りを行う権利を手に入れるという制度が完備されている。
 そして,実際に手に入れた獲物はきちんと報告したり,税金を納めなければならないし,放置したりしてはいけない。
 日本人は,そういうことすら知らない。

 午後は,町から北東にあるアンダーソンランチリザーバーというダム湖へ行った。
 未舗装の道を延々と進んていくと,川沿いの道に出て,それはそれは冷たい水が流れていた。
 わずか数週間前には,この場所はまだ氷が流れていたということだから,冬の寒さも想像できるというものだ。
 このあたりは,雪が積もると完全に身動きできなくなってしまうということだ。
 ダム湖には,ボートを浮かべて,釣りをすることもできるのだが,水深は100メートルくらいもあるから,ちょっと危険だなあ,と思った。 
 このように,ここアイダホ州も,アウトドアの宝庫なのである。

 私はこういうところに来ると,若いころに見たアメリカ映画を思い出す。そこには,あたり一面に広がる大自然と,そこでキャンプを楽しむ人たちの姿があった。私が星好きになったのは,そんな景色にあこがれたせいかもしれない。
 その一方で,この大自然は,西部開拓時代のアメリカでは,過酷な試練をもたらしたのも,また,事実である。幌馬車に荷を積んで,人は歩いて,この雄大な大地を西に西へ向かっていった。ここはそうした場所でもあった。現在はオレゴン・トレイルとして保存されている。
  ・・
 アメリカに多くある歴史博物館にはそのころの生活を模した多くの展示がある。それは,私には,単に物語の世界に過ぎないが,彼らアメリカ人には,わずか数世代前の先祖が実際に体験した世界なのだ。
 そして,ほんの200年で,彼らはこれだけの大国を作り上げ,今も,進化を続けている。

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☆9日目 8月10日(日)
 私は,アメリカの各地を旅行して,結局,アイダホ州,モンタナ州,ユタ州,ワイオミング州などの雄大さが,アメリカの一番の魅力だと感じるようになった。
 広い空,果てしない台地,ゆっくり流れる時間,そして日々を楽しむ人たち。
 これこそ,日本では絶対に手に入らない世界なのである。

 ニューヨーク,サンフランシスコ,ロサンゼルス,シカゴなどの大都会も確かにアメリカの魅力であるし,ラスベガスやディズニーランドだって,アメリカへ行く動機にはなるだろうが,自然の雄大さにはまったくかなわない。
 また,アメリカは建国300年にもなっていない国で,日本の10分の1もないが,そこにある自然は2億年前の姿なのだ。日本は遠く及ばない。
 私は,グランドキャニオンに行ったとき,これほどの自然に比べたら,人間の作ったものなんてすべてどうでもよくなったことを再び思い出すのだった。
 クールジャパン,といって,日本の人たちはたゆまない努力を自我自讃しているけれど,そして,私もそう思っていたけれど,近ごろは,だがしかし,と思うようになった。
 たとえば,東京の地下鉄では何秒という運行時間のずれをなくすために様々な工夫をしているのだそうだが,だがしかし,そんなことまでして,いったい,何をめざしているのだろう。
 人が生きるというのは,そういうことをめざすことなのだろうか?

 マウンテンホームから200マイル,320キロメートル南東にインターステイツ84を走っていくと,ツインホールズという渓谷に行くことができる。そこは,素晴らしい所で,渓谷には長い橋ががかかっていて,そこの渓谷はグランキャニオンよりも深く,絶景なのである。また,この橋は,風が強いとものすごく揺れるということだ。
 そして,橋の上からはバンジージャンプならぬ,人間グライダーで,人が気持ちよさそうに空に舞い,渓谷の下では,キャンプをしたり,ボート遊びに興じたり,バーベキューをしたりして過ごすことができる。

 この日,私は,そんなツインフォールズに出かけて,のんびり過ごすことにした。
 願わくば,いつも時間など気にしない生活を送れることが一番幸せだと思っているが,なかなか難しいことである。だから,この日,私は,そうした1日を過ごすことができることを嬉しく思った。
 ツインフォールズに着いて,駐車場に車を停め,渓谷沿いのトレイルを散歩した。空気が涼しかった。
 歩いていると,多くの人が橋の中央を見ているのに出会った。聞いてみると,これから人が飛び降りるのだということであった。私は,このあと何が起きるのかがよくわからず,同じように眺めることにした。すると,本当に人が橋の上からはるか下に向かって飛び降りた。びっくりしたが,そのうちに大きくパラシュートが開いて,気持ちよさそうに人が飛んで行ったのだった。
  ・・
 ステイ先の家に戻って,夕刻は,バーベキューパーティをした。アメリカの家は,ヤードとよぶ広い裏庭があって,そこで肉を焼くのが男の仕事だ。スモーキーに味付けされたステーキはとても美味であった。
 これこそ,人が生きているという実感がした。
 アメリカの小さな平和な町の1日は,こうして更けていったのだった。本当に幸せなときであった。

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 インターステイツ84と15の共有区間は,トレモントンという町で別れを告げた。
 きょうの1番目の写真のように,大きな道路標示があって,ここで左側のインターステイツ84に進路をとるとアイダホ州を北西に,私の目指すめざすマウンテンホーム,そして,ボイジーを越えて,オレゴン州に至る。右側のインターステイツ15は北に進み,アイダホ州を越えて,モンタナ州に向かっていく。
 私は,この旅のはじめ,このインターステイツ15を北から南に走ってきたのだった。もうあれから1週間が過ぎたことを実感した。それと共に,この1週間で,数えられないほど貴重な経験をたくさんした。そして,そのほとんどは,多くの日本人が一生かかっても手に入れられないことなのだった。この幸せを感謝しょう。
 
 ここでインターステイツ84に進路をとった。いよいよドライブの最終段階だった。
 途中でRV車のキャンプ場があったので立ち寄って,そこにあったレストランで昼食を取った。アメリカではRV車のキャンプ場がいたるところにある。日本では道の駅などに小さなRV車を停めて真似事をしているのを見かけるが,所詮はおこちゃまの遊びの域を出ていない。
 このキャンプ場では多くのキャンピングカーが停まっていたが,釣りのできる池があったり,スケールの大きさにびっくりした。

 そうこうして,マウンテンホームに到着したのが,この日の午後2時過ぎであった。
 今回は走行距離3,300マイル弱,約5,300キロ,つまり日本の本州を2往復以上できる距離を,アイダホ州,ユタ州,コロラド州,ワイオミング州,ネブラスカ州と走った。
 ユタ州は想像以上のところであったし,念願のデンバーはとてもすてきな都会であった。ワイオミング州はまた来る機会があるだろうが,まだまだ行ってみたいところがたくさんある州だ。
 果たして,私は,また,ネブラスカ州に行く機会があるだろうか…。
 美しく平和な町マウンテンホームから30分くらい南東に行くと広い公園がある。市街地からわずかな距離だが,このあたりは,すでに何もない台地が広がっている。そこには砂山があって,360度の景観を楽しむことができるのだった。
 夕方,そこへ行った。夕日がきれいだった。また,この公園には,天文台もあった。この日はあいにく曇っていて星を見ることはできなかったが,ホールでレクチャーを聞くことができた。
  ・・
 これからの数日は,私がマウンテンホームでホームステイをしたプライベートな休日であった。
 したがって,これまでのような波乱万丈の旅でもなく,のんびりとすごした休日だったので,日常のような生活であった。
 この町の様子は,また,この旅をした1年後,つまりこの夏の様子とも合わせて,「2015夏アメリカ旅行記」でも紹介したい。そこで,次回からは,この後の数日の様子を断片的に記することにして,「2014夏アメリカ旅行記」を終えたいと思う。

今回の旅は2本立てです。
今年は,カンザスシティでせっかくのヤンキース戦だったのに田中投手を見損ね,サンフランシスコでは考えもしない青木選手の故障者リスト入りで見損ねと,すっかり見放されていただけに,奇跡が起きたような感じです。
今日ははじめにこちらの住宅事情について書いてみます。
アメリカは人が移動する道路と住宅がある場所は別なので,住宅地はそこに住む人たちが移動するだけなので,とても静かです。住宅は外からはわかりませんが,広い裏庭があります。
玄関先も芝に覆われていますが,それぞれの家に必ず1本木を植えるとか,芝を管理するとかいった決まりが,その地域ごとにあるのだそうです。芝も値段によって質が違うということで,当然とはいえ,住めば住んだで日常生活はどこも煩わしいことがいろいろとありそうです。
また新築よりも中古住宅を買うことも多く,よく見ると,売りに出されている物件があります。写真にある住宅は当然広い裏庭もあり,2千万円くらいです。

今日は,アイダホ滞在の最終日,考えてみれば,ステイ先のマウンテンホームの町をゆっくりみたことがないので,行ってみることにしました。
小学校や中学校,高等学校,市役所,博物館を経て,最後に行ったのがアメリカ空軍の基地でした。IDを見せて書類を作ってもらって,中をドライブしました。ホンモノの戦闘機がなんとなく停まっていたりしました。そして,基地の中のストアで夕食の買い物をしました。沖縄帰りの軍人さんも多く,日本食がいっぱい手に入ります。
書類を作ってもらうときのダラダラとした軍人の仕事ぶりや,基地の中の午後5時きっかりで完全に仕事が終わって基地全体に国歌が流れるその様子は,とってもアメリカらしく,私は大好きです。これが世界最強のUSAirBaseなんです。それに比べて,日本人はどれだけ遅くまで仕事をすれば気がすむのでしょうか。欧米並みと言うのなら日本人も少しは見習うべきです。
今日もまた普通の観光旅行ではできない貴重な体験をしました。
こうして,今回の旅の第1部は終了しました。いよいよ明日からは第2部の始まりです。

キャンプ2日目の夜,寒さも慣れ,シェラフも心地よく,暗くなれば寝て,明るくなれば起きるという,健康的な生活は,実に快適でした。睡眠時間はたっぷり8時間,とはいえ,時間を気にしていないので,本当のところ,よくわかりません。
時折雨がパラついたりしましたが,太陽の日差しで日焼けすることもなく,過ごしやすい日々でした。
朝,コーヒーを飲んでいると,巨大な野生のムースが横切って行ったのにはびっくりしました。残念ながら,あまりに突然で写真を写せませんでした。何時も来ている人でもはじめてのことだったのだそうです。ビギナーズラックでしょうか。ここでムースを見たという話は現地でも皆無なのだそうです。毎度のことですが私はツイています。
そうこう楽しむうちにキャンプも無事終了しました。
日本にはあり得ない雄大な大自然は,子供のころ行った近くの銭湯の壁に書かれていた大自然に溶け込むような不思議な風景を思い出しました。文章で書いても上手く伝わらないでしょうが,人間が自然と一体になるというのはこういうことだと実感しました。
帰りは,途中で,アイスケイブというとっても寒い洞窟へ行きました。広大な火山で出来た溶岩の下に出来た自然の広大な洞窟でした。
それにしても,アメリカは知れば知るほど奥が深く,どこへ行っても,エネルギーに溢れたすごい国です。
アメリカは日本と違って無意味な「偏差値」よりも自転車で3,000キロメートル走れたり,電気もガスもないところで獲物を仕留め生きていける若者を評価する国ですから,そりゃあ国力違いすぎます。日本の「憲法よりも偉い」そうな永田町の方々や無意味な受験勉強を教え,人を順位付けるしか能のない本当は生きる力もない自称教育者の方々も,一度,アイダホの積雪2メートルの山の中で1週間野営してエルクハンティングでもして,人が生きるということの意味を問い直してみたらいかがでしょうか?

まさかアメリカでキャンプができるなどとは思いもしなかったので,思い切ってついて行くことにしました。行った先は,ステイ先のマウンテンホームからクルマで2時間くらいの高級リゾート地サンバレーから山の中に30分ほど入ったところでした。サンバレーには,シュワルツネッカーの別荘が高台にそびえていました。
キャンプ地はそれぞれの区画になっていて1,200円くらいで場所が借りられるのですが,日本のオートキャンプ場のように人ひとというのとは違って静寂に包まれていて,キャンピングカーで楽しむ老夫婦,テントを張る家族連れなど4組ほどの滞在でした。日本のアウトドア好きにはたまらないところでしょう。
標高が2,000メートルくらいで朝晩は寒いくらいでした。
釣りをしたり川遊びをしたり,悠久の時間が流れて行きました。隣で野生のシカが覗き込んでいました。リスは餌探しに余念がありませんでした。
釣りは3匹ほどかかりました。美味しい夕食の友となりました。サイクリングあり,ジョギングあり,冬には,雪が積もったこの場所で1週間ほどこもってキャンプ生活をしてエルクハンティングをするのだそうです。
ガスも水道も電気もなく,水は持って行きますが近くのビジターセンターでも入れることができます。トイレはキャンプ場にありますが,みんなの心がけでとても綺麗です。お風呂だけは我慢ですがキャンピングカーで行けば車内にシャワーがあるそうです。
多くのアメリカ人はアメリカの至る所で思い思いにこんな夏を過ごしているのです。これこそアメリカ人のレジャーだと実感しました。

これだけ大自然があると,自然とお友達にならないと生きてはいけません。こちらでは,ヨット,川下り,釣り,ハンティングなど,どこへ行ってもそんな遊びばかりです。
実に行動的です。日本ではやりたくても場所がないのですから,私も苦手です。

せっかくの機会なので,2泊3日のキャンプとやらに参加させてもらうことにしました。聞くところによると,電気もガスも水道もWifiもないのだそうです。
遊びは釣りにハンティングにハイキングにバーベキュー。あとは悠久の時間が流れるのだそうです。
毎日のようにこんな生活をしているのだから,そりゃ,価値観は全く違います。ちまちま会議なんてしてる場合じゃないし,子供達だってわざわざ夏休みまで家の中で宿題じゃあなくてテント張って野外生活です。だから,家庭ではつまらないワークブックやってるよりもテントでの生活の仕方とかキャンプクッキングなんていう本を本物のサバイバルナイフを磨きながら読んでいます。
さて,そんなキャンプですが,果たしてどうなることでしょうか。

デルタ航空のマイページに私のフライトの行程が表示されているのですが,いつもなら「upgrade requested」と表示されているのに,今回は「upgrade eligible」となっています。この違いがわからないのです。カウンタで聞いても,デルタ航空の職員もわからない,というのがさすがアメリカの航空会社です。どうやらチケットセンターに問い合わせるしかないらしいのですが,それも面倒なのでわからないままです。
さて,昼食をとってから出国手続きを終えて乗り継ぎカウンタで再び聞いていると,そのうちに,国際線も空席があるからとコンフォートプラスにアップグレードされました。ラッキー。しかし、疑問は解決しないままでした。とにかく何でもいいからアップグレードのボタンを押してみればいいと言われましたけれど本当かなあ? その後、デルタスカイクラブのラウンジでしばしのんびり過ごして,時間になったので,搭乗しました。
わずか9時間のフライトで日本とは別世界美しいオレゴン州ポートランドに着きました。入国を済ませ,あとは国内線に乗るだけ…。ここでついにハプニングが起きました。なんと乗り換えるフライトがずっとon timeだったのに搭乗開始直前に突然キャンセルになってしまいました。慌ててカウンタに行き別のフライトに振り替えてもらって,なんとか1時間遅れだけでボイジーに到着しました。
一時はどうなることかと思いました。いろんなことが起きるものです。ボイジーの空港に迎えに来てくれているから電話を持っていてよかったと実感しました。
今年のボイジーが昨年と違うのは,天気がよく暑いということです。これが普通で昨年が異常なのだそうです。蒸し暑くないので平気ですが。ボイジーは地上を走っているとそうでもないのですが,空から見ると,砂漠地帯だと実感します。
空港まで迎えに来てもらってボイジーからクルマで30分、また再びマウンテンホームに到着しました。長い1日でした。

旅とは待つこと。
日本からアメリカに行くのに一番大変なのは飛行機に乗るまでなのです。
アメリカでは,飛行機なんて鉄道と同じようなものなのですが,日本では一般的な交通手段とはほど遠いので, よそいきなのです。だから,空港までのアクセスも,空港の設備も,国内線の機内の対応も,合理的とはいえません。
空港までのアクセスも,アメリカなら,シャトルバスとかレンタカーとか,電車があるところもときにはありますが,まあ,パターンが決まっているのです。日本は競争なので,いろいろ方法がありすぎて,これでは逆に旅慣れていない外国人が困ります。
国内線は,私は,日本よりアメリカの国内線を利用することの方が多いので,まれに日本の国内線に乗るととまどいます。
空港まで行くのも大変です。昨年は,品川から成田まで行くのに,成田エクスプレスが遅れて焦りました。今年の6月は,成田での国内線からの乗り換え時間が6時間もあって,近くの航空博物館に行こうと思ったら,接続するバスが1時間に1本しかなく,しかもターミナルが違うということで,苦労しました。成田空港のターミナル間のバスを使っての移動なんて,外国人が見たら笑いものです。 飛行機を乗り継ぐという習慣がないのです。

同じことをしたくない私は,今回は,新たな試みをすることにしました。
まず,荷物は事前に自宅から成田空港の送ってしまって,手ぶらで適当に成田空港まで行くことにしました。2,060円でした。
荷物がないので,自宅からタクシーに乗る必要もありません。帰りは,デルタゴールドなので無料で自宅まで送れます。結局,この方が便利で安いわけです。
そして,前日の夜,名古屋から深夜バスに乗りました。
東京から成田空港までは,在来線か京成かバスか調べてみると,バスが一番安そうなので,これを利用することにしましたが,これも,2社あるので,どちらかを選ばないといけません。比較したサイトがあったのですが,このサイトを作った人,別に乗ってみたわけではないのです。ただ,ふたつのサイトをコピーしただけ,いかにも,受験勉強に毒された日本人の作ったサイトでした。
というわけで,私は,実際に乗ってみることにしました。が,今回は「THEアクセス成田」というほうにしました。一番心配だったのは渋滞ですが,時間に余裕もあるので,気にしないことにしました。
というわけで,早朝6時前に東京駅に着いて,そのまま八重洲口へ行ったらバスが停まっていたのでバスに乗り込んだらすぐに出発して午前7時に空港に着いてしまいました。1,000円でした。とても便利です。もう成田エクスプレスなんて二度と乗りません。
結局,名古屋から成田まで4,000円ほどでした。早速,手慣れた自動チェックイン機で航空券を発券して,スターバックスで朝食です。出発まであと7時間。することもないので,ウィンドウショッピングをしてから,ラウンジで読書でもします。
明日はアメリカからお送りします。では,行ってきます。

今年も夏が来ました。
日本の夏は蒸し暑く,かつ,高校野球と終戦記念日が心をさらに暑くします。曇り空が多く,満足に星も見えません。しかし,私にとって,夏は旅の夏,アメリカの夏です。今年は,それにも増して,5月,6月とすでに2回太平洋を横断したので,待ちに待った夏,というよりも,あっという間に来た夏,といった感じです。
とまあ,前置きは長くなりましたが,私はきょうの午後,また,太平洋を渡ります。
先月アイダホに行ったときに,また来月くるからね,と言って一旦お別れしたその続きの旅です。
今年の日本は本当に雨が多い梅雨でした。毎年,梅雨といっても,雨の降る日は本当に少なくて,ただ蒸し暑い日が続くのですが,今年は,涼しい代わりに雨ばかりでした。おかげで,星もほとんど見られませんでした。そして,突然,猛暑になりました。
6月のアイダホは,毎日快晴,雲を見たことがない,といった日々が続いていましたが,現在はどうなのでしょう?
いつも書いているように,私は,アメリカ合衆国50州制覇を目指しています。それもあと3州となりました。今年はそのため? にカンザス州,オクラホマ州,アーカンソー州,アラバマ州など,わざわざ行かなくては行く機会のない州への旅を5月にしたので,この夏にも50州制覇はできるのですが,焦ることもありますまい。続きはまた来年の楽しみとして,この夏の旅は,もう一つの目標である国立公園巡りを楽しみます。
アメリカ国内もこれまでいろんな所へ行きましたが,真の魅力は,実は,大自然なのです。
昨年はアイダホ州から進路を南に,ユタ州の国立公園を巡りましたが,今年は進路を北に,モンタナ州,ワシントン州の国立公園に行こうと思っています。この辺りには,グレイシャー国立公園,オリンピック国立公園,ノースカスケード国立公園,マウントレニエ国立公園,セントへレンズ国立公園…,と数々の国立公園があります。さて,そのうちいくつ行くことができるでしょうか。
今回も現地からのLIVEをお楽しみに。
では,行ってきます。

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 ダイナソア国定公園の恐竜博物館を出て,よほどトレイルを歩いてビジターセンターに戻ろうかとも思ったが,他の誰もがシャトルバスに乗るので,主体性のない私もシャトルバスに乗り込んでビジターセンターにもどった。
 そして,駐車場に停めた車を走らせて,再びインターステイツ80にもどることになった。
 来た道をもどっていってもよいのだが,「V」の字にもどったほうが近いから,私は,ダイナソア国立公園から国道40を西にしばらく走って,三叉路を国道191を北に走り,途中で,来た道とは離れて,北西に州道414を走って行った。
 ところが,この道がまた,途方もない道路であった。これは,まったく想定外であった。

 道路は,例によって片側1車線の舗装された問題のないものであったが,まわりは草原ではなく,信州の山の中のような感じであった。そして,「ウシ出没注意」の道路標識があった。私は,北海道の「クマ出没注意」とか,長野の「シカ出没注意」のようなものだと軽く考えた。
 そういえば,「クマ出没注意」だって,日本では,近年は笑いごとではなくなっているし,シカなんて,星を見ようと深夜に走っていると,国道にいくらでも歩いている。
 先日なんて,可哀そうにクルマにひかれて道路上でのたうちまわっているシカを見たばかりだ。

 ここの道路標識の「ウシ出没注意」は,ほんとうにウシ出没注意なのだった。
 私がはじめに見たのは,道路際をのしのしと歩くウシさんの親子連れであった。かわいいものであった。しかし,そのあとで見てしまったのは,道路を横切る,のではなく,道路にたたづむウシさんの姿であった。
 私だって,これまで,国立公園の周回道路で,バッファローが横切るもの目撃したし,ノースダコタ州では恐怖を感じるほど目の前にバッファローの親子連れが現れた経験もあるけれど,ここは,国立公園ではなく,一般の州道なのだ。ともかく,ウシさんを轢かないようにゆっくりと進むしかなかった。
 そうこうするうちに,はるかかなたに牧場が見えてきた。どうやら,ウシさんは,この牧場の住人らしかった。
 あとで聞いた話では,こうしたウシはすべて誰かの持ち物で,もし,轢いたりしたらえらいことなのだそうだ。1頭200万円は下らないという話だ。
 保険でそれが出るかどうかは知らないが,要するに,そんな道路は走らないのに越したことはなかったのであった。そんなこと,私は全く知らなかった。
 
 ウシに注意しながら,州道414をさらに走っていくと,道路は十字路に差し掛かり,ちょっとした町になった。
 ここは,マウンテンビュー(Mountain View)という町であった。
 マウンテンビューは,ワイオミング州の南西のはずれにある人口が1,200人ほどの狩りと釣りができる,というかそれ以外にレジャーなどない素敵な町である。
 私は,アメリカのこうした田舎町がなぜか大好きなのだ。何かとても懐かしさを感じるのだ。前世は,こういうところに生きていたのに違いない。
 しかし,こんな町に行ったことのある日本人が果たして何人いることであろうか?
 この交差点を右折して,さらに北に進んでいくと,やがて,インターステイツ80に戻ることができるのだ。
 私は,この交差点の角にあったガソリンスタンドで給油して,ついでに自分にも給油? した。
 やっと無事戻ってこられたようなホッとした気持ちになったものだった。 
 右折して,さらに北上を続けた。
 まだまだ先は長かったが,ともかく,こうしてダイナソア国定公園から戻ることが出来た。予想ををはるかに超えた回り道になってしまったが,とても楽しい経験であった。

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