しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > ユタ州

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●アーチーズ国立公園(Arches National Park)
 これだけ雄大な国立公園ばかりを巡って食傷気味だったのですが,最後に行ったアーチーズ国立公園もまた期待以上でした。
 アーチーズ国立公園は世界で一番たくさんのアーチ,というか,穴の開いた岩が集まっているところです。今から約4,000万年前の地殻変動でこの地方一帯の土壌が隆起して,コロラド川やグリーン川による浸食がはじまりました。上部の層は浸食され,塩の背斜構造が地表近くに露出し,水が塩の層を溶かし,支えを失って谷や割れ目が生じました。
 この谷や割れ目がさらに雨などの力で広げられフィン(fin)という薄い板状の岩を形成します。
 この岩は,ひとつには雨に含まれた二酸化炭素が岩の炭酸カルシウムと反応することで,もうひとつには岩の霜弱い部分に水が入り込んで凍結し岩を崩すことで,その結果穴が開き,その穴は内側から崩れはじめてアーチができたといわれています。
  アーチーズ国立公園はその外周を車で巡ることができますが,ところどころに車を停めてトレイルをかなりの距離歩く必要があります。歩かないと,アーチの近くまで近づけないからです。
 中でも,デリケートアーチ(Delicate Arch)が真打ですが,1.8マイル,約3キロの勾配のあるトレイルを歩かないと到着できません。私も汗だくになりながら歩いてみてきました。
 以前,アメリカの国立公園といったって赤茶けた土があるだけ,なにがおもしろいの,と行ったこともない人に言われたことがありますが,そのスケールの大きさを知らない気の毒な人なのでしょう。また,そこに広がる雄大な景観を見て自然の驚異に触れると,謙虚になれるというものです。
  ・・
 ユタ州に広がるこのような大地に訪れると,地球創成のころに想いを巡らせます。


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●キャニオンランズ国立公園(Canyonlands National Park)
 今日はキャニオンランズ国立公園を紹介します。
 キャニオンランズ国立公園と次回紹介するアーチーズ国立公園はさすがに遠いので,行くのがかなり困難です。そこで,行ったことがある人もそれほど多くないものと思われます。これらの国立公園へ行くには,インタ―ステイツ70を東に向かってひたすら走っていくことになります。
 私はインターステイツ70を走って驚きました。そして,感動しました。
 この道路は,アメリカのインターステイツのうちでもっとも景観のすごい道路だったのです。インターステイツ70は,モニュメントバレーのダートロードにインターステイツが作られたような大平原のなかを延々と走ることになります。
 しかし,現地の人が言うには,この道路は麻薬を運ぶ道路だとか…。その真実は私にはわかりかねますが,とにかく,現実離れした道路であることは間違いがありません。
  ・・
 インターステイツ70を離れ右折して州道191に入り南下します。しばらすくすると,左手,つまり東側にアーチーズ国立公園があり,右手の道路に入って,さらに進んでいくとキャニオンランス国立公園に行くことができるのですが,どこも遠いので,1日にふたつ行こうとすると時間との勝負になります。
 キャニオンランズ国立公園ですが,ここの雄大な風景は,グランドキャニオンとモニュメントバレーがともに存在するようなところです。とにかく雄大過ぎます。
 キャニオンランズ国立公園は,オフロードを4WDで走ったり,遊覧飛行で空から楽しむべきだと書かれているので,その覚悟でたっぷり時間をとって味わうべきところなのでしょう。私のような無計画な旅人が小さな車でやって来て,国立公園内の展望台に車を停めては,少しだけトレイルを歩いて,展望台からに風景を見てそのあまりの雄大さにため息をつくだけではもったいないのです。
 しかし,それでも私は興奮しました。
 この風景を知らずして狭い日本でちまちまと生きている人なんて,どれほど財産があろうと,偉かろうと,気の毒になってしまいます。


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 私は,ザイオン,ブライスキャニオン,キャニオンランズ,アーチーズと4つの国立公園を巡ったのですが,どこもすごく雄大なところでした。こういうのを見ると,グランドキャニオンなんて目じゃない,というか,そんな景観はアメリカの至るところにあるじゃないか,と思ってしまうのですが,それも,行くことのできない今となっては夢のようです。
 行けるときに行って本当によかったと思うのですが,こういう経験をした結果,日本の雄大だといわれるすべての場所にまったく感動がなくなってしまったから,よかったのか悪かったのか…。これも贅沢な悩みです。
 いずれにしても,これらの国立公園は,それぞれ移動するのに3時間ほどかかるので,移動だけでも大変です。1日にふたつ行くことができれば十分ですが,本当にそのよさを堪能しようと思えば,1年くらいは滞在する必要があるかもしれませんから,私は,ほんの入門者でしかありません。

●ブライスキャニオン国立公園(Bryce Canyon Nationa Park)
 さて,ブライスキャニオン国立公園で思い出すのは,まるで地球でないようなループトレイルと尖塔群の延々と続く大地です。特に,ループトレイルを下る様は地球離れしているというか,別の惑星に来たようなそんな雰囲気があります。また,あるいは,行ったことはないのですが,写真で見たエジプトの王家の墓あたりにこんな場所があるような,そんな気もしました。
 このトレイルを深く深く歩いて下っていくことになるのですが,その先にある展望台で忽然と視野が開け,キャニオンが姿を現すのが絶品です。
 私は,このトレイルを引き返すときの汗だくになったのを書きながら思い出しました。
 ブライスキャニオンは南北に長く,すべてを巡るにはレンタカーが必要です。
 夏季は見どころのあるビジターセンターあたりの北の部分だけ無料のシャトルバスが通っているのですが,シャトルバスの行かないところのほうが人が少なく,こころ置きな雄大な景観を楽しむことができます。
 アメリカは国家としての歴史は日本よりずっと新しいのですが,大地の歴史は日本とは比べものにならないほど古いものです。私は詳しくないのでそのよさがわからないのが残念ですが,地質学に興味があれば,これほどこころときめくところもないことでしょう。


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 2014年の夏,ユタ州の南に広がる国立公園を巡りました。これらの国立公園も,また,グランドサークルに属しています。
 このあたりは,これまでに紹介したグランドキャニオン国立公園やモニュメントバレーの北側になりますが,これらの国立公園がロサンゼルスからアクセスしたのに対して,私はユタ州を南下してアクセスしたので,まったく別の場所のような気がしているのですが,地図で見るとけっこう近いところです。
 これから紹介するのは,西から順に,ザイオン国立公園,ブライスキャニオン国立公園,キャピトルリーフ国立公園,キャニオンランズ国立公園,アーチーズ国立公園となりますが,キャピトルリーフ国立公園だけは行っていなので,省略します。キャピトルリーフ国立公園に行かなかったのは,キャピトルリーフ国立公園への接続道路がだけが舗装されていないからというのが理由です。アメリカでは,通常,レンタカーでのダート道の通行は禁止となっていることが多いのです。
  ・・
 私がアメリカを旅していた目的は国立公園を巡ることではなかったのではなく,あくまで観光の「ついで」ということだったのにもかかわらず,振り返ってみると,そのほとんどに行ったことに驚きます。しかし,はじめから国立公園巡りが目的だったら,いくら時間があっても足りませんから,私のように,結果的にそうなった,というのがよかったのかもしれません。

●ザイオン国立公園(Zion National Park)
 では,今日は,ザイオン国立公園です。
 ここはインターステイツ15から近く,とても便利なところです。便利であるだけにとても混雑していて,早朝に到着しないと,駐車場が満車となってしまい,遠いところに停めることになってしまいます。また,ハイシーズンは国立公園内のマイカーの運転が禁止されていて,駐車場に車を停めて,無料のシャトルバスに乗って巡ることになります。
 私はずいぶんと早い時間に到着したので,問題なく広い駐車場に停めることができました。
 公園はさまざまな色彩の花々,大小多彩な鳥や小動物,巨大な岩山,美しい渓谷など,変化に富んでいて,とてもすばらしいところです。こうした景観を,シャトルバスに乗って,気の向くまま降りて,そこからトレイルを歩くという方法で楽しむことになります。
 ザイオン国立公園の最大の魅力は,ナローズ(The Narrows)というトレイルをバージン川(Virgin River)の流れをさかのぼって歩くことだそうですが,終点まで行くとまる1日を要してしまうということです。私は,他の国立公園にも行ってみたかったのでそうした余裕がなく,少しだけ歩いて引き返すことになってしまったのが残念なことでした。
 こうしたことが,ある意味で国立公園巡りを目的とした旅でないというメリットでもあり,デメリットでもありました。


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 この建物,つまりビジターセンターの奥の出口からシャトルバスが出ていた。行き先は,恐竜の化石が発掘されたままの地層を目の前で見ることができるように覆いがつけられた博物館の建物であった。それはかなり高い山の上にあるが,そこまでトレイルがあって,シャトルバスに乗らなくても歩いても行けるということだった。また,そのトレイルには,恐竜の化石が今でも転がっているとかいう話であった。しかし,かなりの山登りをしなくてはならないし,この暑さではとてもではないが,それを歩くという気にはならなかった。

 シャトルバスの乗り場には,2両編成のバスが停まっていた。
 その乗り場の手前で,太陽観測をやっているおじさんがいて,みんなに太陽を見せていた。
 使っていた望遠鏡は,太陽観測をするための「coronado」という正規のものだったので,いいかげんな見世物ではなかった。どうやら来た人に黒点を見せているようであった。私も,おじさんの誘いに乗って太陽を見た。それは,単に啓蒙用として見せていたのか,あるいは,「coronado」の宣伝用であったのか,その真意はわからないが,きっと,前者なのであろう。
 私は,太陽を見ながら,2017年のアメリカ横断皆既日食の話で,そのおじさんと盛り上がっていた。

 思えは,太陽なんて,望遠鏡で直視したのははじめてであった。
 私が子供のころは,おもちゃ -そのころはおもちゃとはおもえなかったが- に毛の生えたような天体望遠鏡が欲しくて,親にねだって買ってもらったことがあった。そうした望遠鏡には,すべて,なぜか,サングラスとムーングラスというものが付属品としてついていた。接眼レンズにはめ込んで使用するものでサングラスは真っ黒でムーングラスは緑色をしていた。
 当時の専門家曰く,ムーングラスなど必要ない,と雑誌に書いてあったので,子供心にも,これはまがい品のにおいがしたが,実は,問題だったのは,ムーングラスではなくサングラスの方であった。実際はあんなもので太陽を直視したら危険なのであった。さすがに,現在売っている望遠鏡にはそうしたものは付属していないが,当時は,サングラスというのは当たり前の付属品であった。流石にニコン(当時の日本光学)の望遠鏡だけは,このサングラスというまがい物はついていなかった。
 思えば,昭和というのは,こうした,危うい時代だったのだ。
 もちろん,ここで使用していた「coronado」は,正しい遮光を用いた現代の望遠鏡であった。アメリカはいい加減に見えて,こういうところは日本よりずっとしっかりしているのだ。

 恐竜の化石を見せる建物まで行く2両連結のシャトルバスには,女性の運転手が乗客を待っていた。
 次第にお客さんが集まってきて,やがてバスが出発した。かなりの坂を登って行くと,あたりは,見晴らしのいい頂上になった。そして,建物に到着した。
 恐竜を見せる建物は,化石が出土した崖に沿って作られているもので,中は3階建てになっていて,それぞれの階から壁になった崖に,恐竜の化石がそのままの状態で展示されいて,興味深く見学することができるのであった。
 話によると,この建物を作るには,かなりの苦労と工夫が必要であったらしい。

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 私は,インターステイツ70に戻って,グランドジャンクションを目指して,つまり,ユタ州からコロラド州をめざして,ひたすら夕日に背を向けて走って行った。
 今日の写真にあるように,すでに,ユタ州のメサが連なる岩山の景色は過ぎて,あたり一面の大草原になった。こういうところを走ると,本当にこの先に再び人が住む都会があるのかと心配にもなる。
 やがて,私は,ユタ州から州境を越えて,コロラド州に入った。
 雑な言い方をすれば,メサが遠くに見える赤茶けた大地や大草原の続くユタ州からコロラド州に入ると,突然,周りの山が近くなる。コロラド州の方が,雄大ではあるが,日本人にはなじみのある景色かもしれない。
 ロッキー山脈というと,標高の高い山々を山岳道路が通っているようなイメージかもしれないが,実は,山というよりもむしろ高原であって,どちらかというと,中部地方の伊那谷を走る中央自動車道よりも,九州地方の久住高原を走る道路に近い。スケールだけは,全く違うけれど…。

 コロラド州に入って約40キロメートル,次第にインターステイツ70のまわりに家々が見えてきた。そこが,グランドジャンクションであった。私がグランドジャンクションにホテルを予約した理由は,コロラド州は,この先,インターステイツ沿いには安価に宿泊できるホテルがない,と聞いたことによる。これを聞いたときは,その意味がよくわからなかったのだが,実際に行ってみて,それが正しいことを実感した。やはり,現地に住む人の言うことは聞くべきだ。
 私は,デンバーのクワ-ズフィールドで行われる明後日のMLBのデーゲームのチケットをもっていた。そこで,明日までに,デンバーに行くことにしていた。その途中のどこに宿泊するか,ということが今日の問題だったのだ。

 グランドジャンクション(Grand Junction)は,コロラド州のメサ郡にある郡庁所在地である。州都デンバー市の西南西400キロメートルにあり,人口は約6万人。
 コロラドリバーに,南からガニソンリバーが合流する所にある。
 名前のグランドはグランドリバーに由来し,1921年にグランドリバーはコロラドリバー上流に改名された。そして,ジャンクションはコロラドリバーとガニソンリバーが合流する所を意味している。
 グランドバレーとよばれる長さ50キロメートルのアーチ状のバレーの中間近くに位置し,果物の産地である。特徴ある谷とメサの連続であるコロラド国定記念物が市の西から見下ろしており,地域の大半は公有地に囲まれている。また,ブック断崖がグランドバレーの北側境界になっている。

 もう,日も暮れかけた頃に,私は,グランドジャンクションに着いた。あとは,ホテルにチェックインすればいい。夕食は,チェックインを済ませてからにしようと思った。
 ところが,ここでもまた,私の認識不足が露呈したのだった。
 グランドジャンクションなんていう小さな町は,着いてしまえば,インターステイツを降りて,すぐにホテルが見つかるものだと思っていた。こう書くとかなりいい加減に思われるが,私は,グランドジャンクションのホテルを予約したときに,一番わかりやすい空港の近くのホテルを予約した。そして,しっかりと,そこへアクセスするルートも確かめたのだった。
 私の調べたグーグルマップでは,グランドジャンクションという町は,町の中央を東西にインターステイツ70が横断し,町の中心でインターステイツを降りてそのまま北に走れば空港に着くというわかりやすい町で,それで私はすっかり安心していた。しかも,今,帰国後に地図を見ても,やはりそうなのである。
 ところが,実際に行ってみると, グランドジャンクションの市外から州道50がインターステイツ70と平行して走っていて,グランドジャンクションの市街地に入る手前で交差して,この州道が「インターステイツ70ビジネス」となり,「インターステイツ70」の2キロメートルくらい南を平行して走る一般道になるのだった。
 降りてはいけないのに,私は,この2つの道路が交差するジャンクションEXIT26で,インターステイツ70ビジネスに降りてしまったから,その先,一般道を走ることになってしまったのだった。
 その時点で,もう,私は,さっぱりどこを走っているかわからなくなった。

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  私は,これまで書いたように,キャニオンランズ国立公園とアーチーズ国立公園に行って,再び,インターステイツ70に戻ってきた。さあ,あとは,今日宿泊先であるグランドジャンクションまで,ひたすら走って行くいくだけであった。

 今日は,インターステイツについての話の続編として,アメリカ大陸を縦断するインターステイツを紹介する。アメリカでは大陸を南北に縦断するインターステイツは奇数番号5,15,……,95となっている。
 なお,インターステイツ45は短く,テキサス州のダラスからヒューストン,さらにガルベストンを通ってメキシコ湾岸まで走るテキサス州のみの道路,また,インターステイツ85は,北はアラバマ州モンゴメリーのインターステイツ65から分かれ,南端はバージニア州ピーターズバーグのインターステイツ95に接続,アトランタ,シャーロットなどの都市を経由する道路である。
  ・・・・・・
●インターステイツ5
 インターステイツ5は西海岸沿いを縦断する。北端はワシントン州のブレイン付近にあるカナダとの国境で,南端はカリフォルニア州のサンディエゴから数マイル南にあるメキシコとの国境である。その経由地点は,ワシントン州オリンピア,シアトル,タコマから,オレゴン州のポートランド,セイラム,ユージン,カリフォルニア州のサクラメント,ロサンセルス,サンディエゴなどのアメリカ合衆国西海岸にある主な大都市圏であるが,サンフランシスコは経由していない。サンフランシスコはインターステイツ5から西へおよそ80マイル(130キロメートル)離れた場所に位置している。
 私は,このインターステイツを利用して,かつて,ポートランドからカナダ国境まで行って,ここでカナダ国境を越えたことと,ロサンゼルスからサンディエゴを経由して,メキシコ国境を越えたことがある。
  ・・
●インターステイツ15
 今回走ったインターステイツ15は,北はモンタナ州のカナダ国境からヘレナ,ビュートと南下して,ユタ州のソルトレイクシティ,ネバダ州のラスベガス,そして,ロスアンゼルスを越え,サンディエゴまで達する。
 このインターステイツはとても走りやすい。私にはとてもなじみのあるインターステイツである。
  ・・
●インターステイツ25
 インターステイツ15の東を走るインターステイツ25は,ワイオミング州のバッファローでインターステイツ90から分岐して南下,ニューメキシコ州のラスクルーセスでインターステイツ10に合流する。
 このインターステイツは,ワイオミング州,コロラド州,およびニューメキシコ州を南北に通る主要な高速道路で,ワイオミング州のキャスパー,シャイアン,コロラド州のフォートコリンズ,デンバー,コロラドスプリングス,プエブロ,ニューメキシコ州のサンタフェ,アルバカーキ,ソコロ,およびラスクルーセスを通過する。
 私は,昨年の春に,この道路はサンタフェで通行した。サンタフェでこの道路が「N」字型に迂回していて,ノースがサウス方向だったり,サウスがノース方向だったりして迷ったことは,すでに,ブログに書いた。また,ニューメキシコ州のホワイトサンズからテキサス州のエルパソまでの少しの区間も走った。また,今回の旅では,デンバーから北にワイオミング州のシャイアンまで走ったが,このときのことは,この旅行記でこれから書く。
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●インターステイツ35
 インターステイツ35は,北はミネソタ州のラルースというスペリオル湖畔の町から南下して,ミネアポリス,アイオワ州のデモイン,カンザスシティ,オクラホマ,テキサス州のフォートワース,サンアントニオと経由して,メキシコ国境のラレドという町まで達する。
 私がアイオワ州のデモインから南にこの道を走ったときは,この道路の標示で,映画「マジソン郡の橋」のロケをしたフランチェスカハウスに行くことができたのだが,このことも,すでに,ブログに書いた。
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●インターステイツ55
 インターステイツ55は,シカゴから南下して,セントルイス,メンフィスと経由して,ルイジアナ州のニューオリンズに到達する。私はニューオリンズで,少しの距離だけ走ったことがある。ミシシッピ川に巨大な橋がかかっていて,その道路が,このインターステイツ55であった。
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●インターステイツ65
 インターステイツ65は,シカゴから南下して,インディアナポリス,ナッシュビルと経由して,アラバマ州の港町モビールまで55とほぼ平行に行く。私は,このインターステイツ65は走ったことがない(と思う)。
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●インターステイツ75
 インターステイツ75は,北はカナダ・オンタリオ州との国境のミシガン州スーセントマリーのスーセントマリー国際橋南詰から,デトロイト,シンシナティからアパラチア山脈の西側に沿ってチャタヌーガ,アトランタと経由して南はフロリダ州ハイアリアのフロリダ州道826「パルメット・エキスプレスウェイ」(Palmetto Expressway)まで続いている。インターステイツ75のマキナック橋は,ミシガン州を構成するふたつの半島,アッパー半島とロウアー半島を結ぶ吊り橋である。
 私は,この道は,アトランタからその北にあるチャタヌーガまでタクシーで走ったことがある。当時,今ほど旅慣れていなかった私が,HISでアトランタに予約してくれたはずのホテルが間違ってチャタヌーガだった,というのがその原因であった。本当に困った出来事であった。
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●インターステイツ95
 最後のインターステイツ95は,東海岸に沿って北はメイン州のカナダ国境から大西洋岸のフロリダ州のマイアミまでを結ぶインターステイツで,ボストン,ニューヨーク,フィラデルフィア,ボルチモア,ワシントンDCからマイアミまでの大都市を結んでいる。私は,2年前の夏に,この道を,ボストンから,メイン州のバンゴアまで走ったが,交通量の多い,また有料区間の多い道路であった。また,このインターステイツは,若い頃に,グレイハウンドでボストンからワシントンDCまでを走ったし,さらに,フロリダ州ではデイトナビーチからケープカナベラルのロケット打ち上げ基地までをレンタカーで走ったことがある。

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 このようにして,私は,きょう,予定通りというか,予定以上というか,キャニオンランズ国立公園とアーチーズ国立公園のふたつの国立公園に行くことができたのだった。
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 もう夕暮れであった。あとは,できるだけ早くインターステイツ70に戻り,すでに予約しててあったグランドジャンクションという町のホテルに行くだけであった。
 が,国道191の帰り道にミルキャニオンとよばれる渓谷があることを「地球の歩き方」で知った。国道191を走り,マイルマーカー141の地点を過ぎて左折する。あとは3キロくらい走ると到着するのだという。そこには,1億5千万年前に堆積したアロザウルス,ステゴザウルスなどの恐竜の骨やら足跡が散在しているのだそうだ。
 近いので寄ってみようと思ったのだが、私は,そのマイルマーカー141が見つからない。どうやら見落としてしまったようだったので,断念した,というよりも,どうでもいいやという気持ちのほうが強かったのかもしれない。
 それにしても,マイルマーカー以外に何の標示もないわけだから,きっと大したところではあるまい。と,これはでは,イソップ物語の「キツネとブドウ」ではないか!

 結局,私は,その後,コロラド州へ行った帰りに延々と4時間も走り,ダイナソ国定公園に行くことになったのだから,こんな大したことのない(と思われる)ところはパスして正解だったのかもしれない。
 本に書いてなければ気にもならないところだ。しかし,ネットで調べたら,それでも行った人はいるようで,そこにはこんな記述がしてあった。曰く,
  ・・・・・・
 線路を越えて道は未舗装になり,小さな標識に従って進む。数分後,駐車場らしき場所で車を停める。国立公園でも国定公園でもないためか駐車場には他に1台も車が停まっておらず,建物も建っていない。
 未舗装路になってからは1台もすれ違うことがなかった。人気がないのだろうか?
 トレイルを歩きはじめる。化石のある部分に小さな標識が立っているのだが,標識に従って化石のある場所を探すのだが,ほとんど「これかなぁ?」といった感じではっきり化石と判別できたのはひとつぐらいしかなかった。
  ・・・・・・
 行かなくてよかった。

 来るときにも書いたように,国道191は,鉄道に沿って走っているから,時折,車窓からは貨物列車が眺められた。
 私は,その後も延々と走り,やっと,遠くにインターステイツ70が見えてきた。今日の最後の写真に「Grand Junction→」の道路標示が見えるがおわかりだろうか?こういう標示は,何か,とてもうれしいものだ。

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 きょうの1番目の写真のように,デビルズガーデンからの帰りを急いだ。来るときとは逆方向に走っているだけなのだが,とても風景が新鮮に思えた。デビルズガーデンから途中の三叉路までは,南東方向に進んでいくので,太陽が順光で,風景がとてもすばらしい色彩に輝いていた。 これが2番目の写真である。
 やがて,左折をすとデリケートアーチへと通じる三叉路に出会った。

 デリケートアーチ(Delicate Arch)には行かなかった,というか行けなかったが,ガイドブックから少し紹介してみよう。
 このアーチは,数あるアーチの中で,真打ちといわれるものだそうで,その完成されたアーチの姿は,オペラ座のステージに立つプリマドンナのごとく気品と荘厳さんを漂わせているのだという。
 ここに行くには,トレイルの2.4キロメートルの急勾配を片道1時間ほどかけて歩く必要がある。このトレイルは,まず小川を渡り,しばらくは草原を歩いているような気楽なトレイルなのだが,途中からは巨大な一枚岩の上を左側から回り込むように登るような感じになるという。そうして登り切ると,今度は,粒子の細かい砂場やら小さな岩がごろごろしたところがあって,やがて,幅の狭い断崖に出会う。
 そして,突然,壁が途切れるとデリケートアーチの姿が忽然と現れるのだそうだ。
 日没後,夕日に染まる姿が絶品だということなので,気力が残っていたらならば行くべきだったのかもしれない…。
 以前も書いたが,アメリカの国立公園のトレイルは行けば行くほど奥が深い。

 さて,先を急ごう。
 私は,車でどんどんと戻って行った。次第に,遠くに,はじめに行ったコートハウスタワーズが見えてきた。さらに車を走らせる。下り坂なので,さらに素晴らしい眺めであった。
 やがて,コートハウスタワーズに着いた。私は,巨石群を再び眺め,写真を写した。
 夕暮れで,東側にある巨石は美しい写真が写せるのだが,西側のものは逆光になるので,岩の黒さと空の白さのバランスが極端で,どうしようもない。
 上から3番目が,スリーゴシップス(Three Gossips)である。3本の岩が突き出て,まるで,人が3人寄って内緒話をしているかのように見えることから,この名がついた。
 そして,4番目の写真が,オルガン(The Organ)である。これは,本当にでかかった。真下まで行くと,その巨大さが実感できたのだが,巨大なビルよりもさらに大きなものであった。
 この場所には,他にも,バベルの塔(Tower of Babel),シープロック(Sheep Rock)などといった名のついた巨大な岩が数多く存在していた。

 アーチーズ国立公園は地下の岩塩層の上にあって,この岩塩層がアーチや尖塔の形成の主たる原因なのである。
 岩塩層は,この地域に流れ込んだ海水が蒸発したおよそ3億年前に堆積したものである。やがて,この岩塩層の表面下の動きが地表を形成し,地表の浸食は新しい岩石層をはがした。そして,これらの層は,長い期間をかけて,水が表面の割れ目やこれらの層の褶曲部に浸透し,氷が裂罅の中で形成されて大きくなり,周囲の岩に圧力を加え,粉々にした。
 その後,風が緩んだ欠片をきれいに吹き飛ばし,そこに薄い板が残ったが,風と水がこれらの薄い板を襲ったことで,多くの薄い板が倒れて,ちょょうどよい硬度とバランスをもつ他の薄い板が一部分を失いながらも生き残り,これらがアーチとなったのだった。

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 デビルズガーデンとは「悪魔の庭」という意味である。ここは,ものすごく広く,一番奥まで歩くと,1周11.5キロメートルで,約5時間かかる。
 もう,時間も午後6時近くであって,私は,ちょっと待てよ,と思った。
 いったいどこまで歩けばよいのであろう…。

 帰ってくる人に聞くと,絶対に行って損はないという。
 何かよくわからなかったが,ともかく,アーチーズ国立公園に行って,ここにあるランドスケープアーチ(Landscape Arch)へ行かねば,絶対に後悔すると思ったので,そこまでは行く決心をした。それでも,往復3.2キロメートル,約1時間の道のりであった。
 トレイルは,今日の写真にあるような感じの赤土の道が続いていた。

 トレイルを出発して,すぐにトンネルアーチ(tunnel Arch)とパイン・ツリー・アーチ(Pine Tree Arch)があった。パイン・ツリー・ツリー・アーチとは,アーチの窓の部分に小さな松の木が生えていることからそういう名がついているのだ。
 さらに,延々とトレイルを歩いていく。
 岩山が間近に迫って,その間に上ってきた月が見える。
 すごいことには違いがないが,たった2日で国立公園を四つ,日本に住む普通の人には一生出会えないような景色を見すぎたために,なんだか感動も麻痺しつつあったことと疲れで特に印象もない。ただ,多くの人が歩いていたのにつられて歩いていただけであった。

 やがて,遠くに「ランドスケープアーチ」が見えてきた。
 差し渡し89メートル,世界最大級のアーチである。
 このアーチは,最も細いところはわずか1.8メートルしかなく,近頃も何度も崩落があって,いつ崩れてもおかしくないのだそうだ。そう考えると,このアーチが無事なうちに見ることができて幸せだったというべきか。
 危険なので,真下まで行くことはできなかったが,近くの展望台から,その勇士を楽しむことができた。
 近くに沈みゆく太陽があったが,惜しむらくはアーチの間を沈むというロケーションではなかったことだった。

 デビルズガーデンは,この先,さらに奥まで歩いていくと,ウォールアーチ(Wall Arch),ナバホアーチ(Navajo Arch),ダブル・オー・アーチ(Double O Arch)と続くのだそうだ。そして,その向こうに,タワー状の岩ダークエンジェル(Dark Angel)へとさらに続く。
 そこからの帰路には,プリミティブ・トレイル(Primitive Trail)というワイルドなコースを歩くこともできるが,私は,さすがにランドスケープアーチより先にいく気持ちは失せてしまっていたから,ここで折り返すことにしたのだった。
 帰路,そのプリミティブ・トレイルから戻ってくる人たちに出会った。彼らは,どこまでもアグレッシブだ。この国で生きて行くには,これだけのバイタリティが必要なのだろう。
 バイタリティのない私は,目の前の月を眺めながら,来た道をへたりながら延々と歩いて,やっと駐車場に舞い戻ったのであった。

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 ウィンドウズセクションを見終えて,来た道を戻って,今度は,最北端のデビスズガーデンに向かうことにした。 結局,このアーチーズ国立公園は,時間がないといいながら,全ての見所をまわることができた。それは,広いとは言っても,この国立公園が手ごろな広さであるからだった。
 デビスズガーデンへ向かう途中の道は,風景が一変して,今日の1番目の写真のような高原になってしまった。独特な色彩で気持ちがよい道路であった。このように,ここ,アーチーズ国立公園は,全体が赤茶けた大地なのではなく,数箇所の見所をこのような道路がつないているのである。そして,ここをドライブして眺める景観がすばらしいのである。

 途中に,ファイリーファーニス(Fiery Furnace)という場所があった。ファイリーファーニスとは,燃え立つ焦熱の地とでもいう意味である。
 それが2番目の写真である。
 灼熱の大地に鎮座まします岩の群像が独特な景観を見せているところであった。
 ここは,ちょっとした展望台があって,そこから眺める分には問題がないのであるが,展望台から奥に続くトレイルがある。しかし,このトレイルは,コースにほとんど目印がないのでひとりで行くと迷いやすく危険なのだそうだ。レンジャーツアーというのがあるので,トレイルを歩きたい人はそれに参加するのだそうだ。

 ファイリーファーニスを過ぎ,さらに走ると,目の前に,再び,巨大な岩山が迫ってきた。その道路の終点がデビルズガーデン(Devils Garden)で,さほど広くない駐車場と,道路沿いに駐車スペースがあった。ここが,アーチーズ国立公園の最北端である。
 ここは,駐車場に車をとめてから,かなり先までトレイルを歩かなければアクセスできないので,どうしようかかなり迷ったけれど,とりあえずは行ってみることにした。
 駐車場はすぐに満杯になるそうで,早朝に着くのがよいらしいのだが,私は,逆に,夕刻だったから,車を停めるスペースを確保するのにさほど問題はなかった。

 車から降りて,やる気満々の観光客が,めいめいトレイルを歩く準備をしていた。
 それにしても,アメリカ人というのは,どうしてこうも好奇心旺盛で,元気で,活動的なのか,といつも思う。
 私は,車は停めたものの,トレイルの入口にはまだかなり遠く,それに,ずいぶんとめげていたのだが,その場の雰囲気で,ともかく,トレイルを歩いて行くことにした。でないと,ここまで来た意味もない。
 そんな精神状態だったから,トレイルを歩いている途中で,カメラのバッテリーはなくなってしまうし,暑いし,散々であった。
 しかし,先にあったものは,素晴らしい景色なのであった。
 アメリカの国立公園は,もっともっと時間をかけて,体力をつけて観光しないといけないのだ。ああ。貧乏な年寄りには辛い。 

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 私は,ウィンドズセクション(Windows Section)に到着した。道の突き当たりに広い駐車場があって,多くの車が停まっていた。私も車を停めて,外に出た。
 この先に,アーチ状の岩が見えて,これぞ,アーチーズ国立公園だと思った。しかし,遠い。しかも,坂道である。
 ここへ来るまで,車窓からは,アーチ状の岩がいくつか,見えたり消えたりした。穴の空いた面に向かないと,単なる岩にしか見えないので,遠くにあるときには確かにアーチ状だったのに,角度が変わると,どこかに消えてしまったりして,あれ,あのアーチどこへいっちゃったのか? と思いながら走ったものだった。
 
 駐車場から,長いトレイルを歩いた。だいぶ疲れていて,いささかげんなりしていたが,今日の写真にあるように,歩いて近くにまで行かないと,どうしようもない。さらに,これだけの人が行くかららには,その向こうが気になった。
 暑い日だった。
 このアーチを,北の窓(North Window),南の窓(South Window)という。
 手前には,タレットアーチ(Turret Arch)というのがあって,そこに上って見ると,間に立つ岩を鼻として両目のように見えるから,別名をメガネ(Spectacles)とよぶのだそうだ。

 私は,他の観光客の行くのと同じように,北の窓に向かって歩いて行った。20分くらい歩いただろうか,やっと,アーチのあるところまで来た。そこから先を見ると,モニュメントバレー状の岩山と平原が延々と続いていて,絶景であった。
 その先にタレットアーチが,その遙かむこうの高台に見えた。もう,これ以上登る気も失せたので,そこへは行かなかったから,残念ながら,タレットアーチからの景観を語ることはできない。

 駐車場に戻って,「地球の歩き方」を見ると,反対側に,ダブルアーチ(Double Arch)というのがあるのだそうだ。これが,今日の4番目の写真である。
 駐車場からよくよく見ると,今行ってきたアーチの反対側,遙か先に,確かに,そのダブルアーチがあった。そこは,広い駐車場のはるか反対側であったが,そんな有名なところは見逃せない。疲れた体にむち打って,そこまで歩くことにした。
 早朝に雨が降ったらしく,駐車場のぐちゃぐちゃな歩道をかなり歩くと,やがて車道に出て,その向こうに,再び広い駐車場があって,それを越えたところが,このダブルアーチであった。
 多くの観光客が散策をしていて,このダブルアーチは,角度によって,様々な形に変化して見えた。時には,ダブルアーチというよりもトリプルアーチのようにも見えた。
  ・・
 ダブルアーチまで行ってしまったから,また,ずいぶんと歩いて,やっとのことで駐車場に戻った。車を出発させて,指示に従って走らせていくと苦労して歩いたダブルアーチが近づいてきて,先ほど越えた道路を通った。
 なんだ,こんなことなら,苦労して歩かなくても,こうして車で来ることができたのか,と少しがっかりしたのだった。

DSCN5922DSCN5924DSCN5929 アーチーズ国立公園を進む1本の道路を北に,三叉路に向かった。今日の1番目の写真がそれである。
 しばらくは,赤茶けた大地が続いているだけであったが,だんだんと,目の前は,別の岩山が見えてきた。ここは,アーチ状ではないが,有名な見逃せないポイントであった。2番目の写真がそれで,これをバランスロック(Balanced Rock)という。
 頂上に乗った岩が,今にもごろんと落ちてきそうな感じで乗っかっている。実は,乗っかっているのではなく,きちんとくっついているのだが,乗っかっているかのように見える。

 その右側にあるのは,バランスロックの赤ちゃんのような感じの岩だが,これを,Chip-Off-the-Old-Block というのだそうだ。こちらも,昔はバランスロックだったのだが,1976年の冬に,嵐のために崩れてしまったというということだ。
 そんなことを知ると,このバランスロックも,いつ崩れるかわからないではないか。
 近くまで行ってみたが,思った以上にでかい。もし,崩れたら,どういうことになるのか,心配になってきた。

 三叉路にバランスロックがあって,それを過ぎて少し行くと,右手に道が見えてきた。ここで右折すると,その先にウィンドズセクションに続いていくので,私も,ためらわず,そこを右に曲がった。
 目の前に走っていたのが,写真にあるように,キャンピングカーである。
 アメリカでは,国立公園の中の道路でも,道幅が広いから,こういった車もそのままそれを使って周遊をしている。しかし,「せこい」日本人の一員である私は,スピードも遅く,不安定なこういう車の後を走るのは気が進まない。
 今回も,どこで追い越そうかと想いながらずっと走っていたが,追い越す間もなく,目的地に到着してしまったのだった。

 ところで,映画「インディー・ジョーンズ~最後の聖戦~」の冒頭で,若き日のインディが描かれているが,ここで登場するのが,このアーチーズ国立公園のパークアベニュー,バランスロック,そして,このあと私が行くことになるダブルアーチなのである。

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 私はパークアベニューのトレイルを戻って,再び,車で舗装道路を進んだ。 きょうの1番目の写真の左側を走る道路がそれである。写真で見ると,日本の単なる山道のように見えるかもしれないが,実際は,片側1車線の舗装された快適な道路である。
 すでに書いたように,この国立公園は,州道191から北に入ったすぐのところにゲートがあり,そこから山道をくねくねと上っていくと,この場所に着く。そして,この道路が1本,国立公園の北に向かって30キロくらい続いていて,そこが三叉路になっていて,右に走るとウィンドセクションという見所へ行く。
 直進して,さらに10キロくらい進むとまた三叉路になっていて,右に走るとデリケートアーチという見所へ行く。
 直進して,さらに20キロくらい北西に行くと,最北端のデビルズガーデンという見所へ行くことができる。

 このように,この国立公園は,周回道路ではなく,1本の道路が枝分かれしながら続いていて,車さえあれば,容易に全てを見ることができるのだが,それぞれの見所は,駐車場に車を停めて,そこから歩く必要がある。
 ザイオン国立公園のように,便利なところではないから,夏とはいえ,それほど観光客はいないから,渋滞することもない。

 2番目の写真は,次の見所であるラ・サル・メサ・ビューポイント(La Sal Mths Viewpoint)。そこは,一面に続く赤茶けた大地であったが,神々しい雰囲気に包まれていた。
 かわいらしいフィンがひとつだけあった。遠くから見るとまったく想像できないが,間近に行くと,これだって,とんでもない大きささなのである。
 そして,その先は,3番目と4番めの写真コート・ハウス・タワーズ・ビューポイント(Courthouse Towers Viewpoint)であった。多くの車が駐車場に停って,景観を楽しんでいた。ここから多くのフィンを圧倒的な迫力で見ることのできるのだが,見学は帰りにして,私は先を急いだ。この場所の詳しい説明は,帰路で行うことにする。

 時刻は,かれこれ午後5時に近くなっていて,夕陽がまぶしかった。太陽の光が順光になるところで写真をとると,色が深く幾分露出不足になるが,くっきりとした写真を写すことができる。
 しかし,逆光になると,もういけない。どう露出を補正しても,うまく写すことができないのだ。
 私は,オートで写して,その結果かなりの露出不足にがっかりし,いろいろと露出補正を試みて撮り直すのだが,どう工夫をしても,満足できる写真が写せないのだった。きっと巨大なストロボが必要なのだろう。そんなわけで,今見ても,逆光のものは,やたらとたくさんの写真をうつしたのだけれど,お見せできるようなものがほとんどないのが残念である。

 旅行に持っていくカメラは,小さくて扱いやすくシャッターチャンスを逃さないものがよいのだが,実際に使ってみると,なかなか満足できるものが少なく,それぞれどこか不便な点がある。ネット上にはカメラ好きの人のさまざまな書き込みがあり,カメラ雑誌にもいろんな記事があるが,私は,それらの多くが,実体験から書いているのだろうか? と疑問を感じる。カタログ性能や他人の意見やらだけで書き込みをしているものも多いし,工夫をすればうまく写せるのに,使う側がそれを知らないこともよくある。これもまた,ドリル学習だけで大人になったこの国の人たちの悪しき影響なのであろう。これではメーカーも大変だが,使っていると,メーカーの人は本当にこのカメラを使ったことがあるのだろうか? という操作性のものも多々ある。
 そしてまた,アメリカを旅行すると,景色が雄大だから,日本では考えられないほどの広角レンズが欲しくなる。次回旅行をするときは,魚眼レンズか超広角レンズを持って行こうと思っているが,なかなか満足できる写真を残すのは難しいものである。

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 いつものように,そこで,料金を払い… -そう,今これを書いていて知ったのだが,実は,キャニオンランズ国立公園とアーチーズ国立公園の共通パスというのがあるのだ。しまったことをした!- ゲートを越えて,道なりに岩山を上っていった。
 これもすでに書いたことだが,この国立公園を「たいしたことない」と思っていたのとは全く違って,その先がすごかったのだった。

 公園は,国道191の北側に広がり,公園内に全長35キロメートルにわたって舗装道路が続いていた。見学者はこの道路を走りながら景観を楽しみ,気に入ったところで車を停めて,そこからトレイルを歩くことになる。
 ビジターセンターからスイッチバックの急坂を上っていくと,まず目の前にあったのが,フィンとよばれる巨大なつい立て状の岩がビルのように立ち並んでる姿であった。このあたりを「パークアベニュー」という。パークアベニューというのは,ニューヨークのマンハッタンの目抜き通りの名である。つまり,ここでは,フィンが摩天楼であるわけだった。
 私は,いつものとおり不勉強だから,このアーチーズ国立公園というのは,岩がくりぬかれてアーチのようになっている景観が続いているものだと思い込んでいた。実際は,こうしたアーチのほかにも,モニュメントバレーのような,メサやフィンが赤茶けた大地に延々と続くところであった。そして,キャ二オンランズ国立公園とは,また一味違った雄大な国立公園であった。

 このパークアベニューからは,トレイルがずっと続いていて,歩いて行けば,最終地点は次の展望ポイントであるコートタワーズ展望台というところなのだそうだ。だから,ガイドでもいれば,車を次の展望ポイントまで持っていってそこで待っていてもらうのがいいとガイドブックには書かれてあったが,なにぶん,私はひとり旅なので,パークアベニューの駐車スペースに車を停めて,少しだけトレイルを歩くことにした。
 それが,きょうの一番下の写真である。
 舗装した道路から,赤茶けた土のトレイルをどんどん下っていくと,フィンがだんだんと大きくなって,目の前に迫ってくるのだ。
 以前行ったサウスダコタ州のバッドランド国立公園で歩いたトレイルと同じで,まさに,火星のような感じであった -火星には行ったことはないけれど-。
 その巨大さと迫力は,絶対に写真ではわからない。巨大ビルよりも大きいのだが,距離が遠いので,小さく見える。だから,近づくと,すごい勢いで迫ってくる。やはり,旅を体験しなくては,そのすごさはわからないのだ。
 それにしても,きょう1日で,これほどのど迫力を何度味わえばよいものだろうか。
 ユタ州の国立公園は,本当に凄すぎる。せっかく地球に生まれて,どんなに偉くなろうと金持ちになろうと,これを知らないなんていう選択肢はない。
  ・・
 このトレイル,さらに進むと,どんな景色が広がっていると思われるだろうか?
 フィンを通り過ぎると,その先は,メサ。まるで,グランドキャニオンのような景観が一面に広がっている。つまり,アーチーズ国立公園は,モニュメントバレーとグランドキャニオンを同時に体験できるところなのだ。

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 ビジターセンターにも立ち寄りたかったのだが,あまり時間がなかったので断念して,ビジターセンターを通りすぎて,さらに北に進んでゲートを出て,さらにずっと北に走った。
 私は,このとき,まだ,デッド・ホース・ポイントに行こうかどうか迷っていた。しかし,どれだけ走ってもそこへ行く分岐がない。そろそろ道路標識があるかな,と思ってもなかなか現れず,こんなに先なのかな,きっと,見落としたのに違いない,でも,もういいや,とあきらめたころに,やっと,デッド・ホース・ポイントへ右折する道路標識を見つけた。

 しかし,そのときはすでにどうでもよくなってしまっていたので,私は,右折をせず,そのまま,国道191に向かって走って行った。
 来るとき,キャニオンランズ国立公園よりも遙か手前で,道路際に車を停めて,写真を撮っていた若者がいたのを思い出した。帰路,再びその場所を通ったとき,彼は,まだ,写真を写していたのだった。
 辺鄙な山里からふもとに降りたような感じであったころ,やっと,国道191まで戻った。時間は,すでに,午後4時近くであった。

 今晩泊まるのは,このあとさらにインターステイツ70に戻って,さらに1時間ほど東に走り,コロラド州に入ったところにあるグランドジャンクションという町のホテルであったが,すでに予約をしてあるので,よほど遅くならない限りは大丈夫であった。しかも,アーチーズ国立公園も,24時間開いているから,せっかくここまで来たのだから,アーチーズ国立公園にも行こうと,このとき決めたのだった。
 つけ加えると,アメリカは夏時間なので,午後4時といっても,実際は午後3時なのだ。

 私は,このように,キャニオンランズ国立公園に行ってから州道313を戻り,国道191に入り,モアブ方向に右折して,アーチーズ国立公園を目指した。
 アーチーズ国立公園のゲートは,国道191に面しているから,キャニオンランズ国立公園のような辺境という感じはしない。
 国道191から,道路標示にしたがって左折して,そのまま,公園のゲートに到着した。

 アーチーズ国立公園は,世界で一番たくさんの穴のあいた岩が集まったところで,面積はそれほど広くないのだが -それでも300平方キロメートルある-,そこに,約1,500ものアーチ型をした岩が点在している。
  ・・・・・・
 約2億5千万年前,この地方は大きな内海であったのだが,高温で乾燥していたために海水が蒸発して塩分が堆積した。そこにまた海水が流入して,を繰り返して,フィンが出来たのは,すでに述べたキャニオンランズ国立公園と同じである。
 このフィンが,酸の力と霜の影響で岩を崩し,穴をあけ,ひとたび穴があいていしまうと,岩が内部からくずれてくるのである。これが,この国立公園にみられるアーチ型の岩である。
 こうしたアーチの形成はいまも続いているのだ。
  ・・・・・・

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 キャニオンランズ国立公園は,ゲートを越え,10キロメートルくらい南に進んだところがYの字の三叉路になっていて,そこをさらに南に10キロメートルほど進んで,前回の写真を写したアイランド・イン・ザ・スカイへ到着したのだった。その最南端まで行く間には,他に,メサアーチ,バックキャニオン展望台といった別の展望台があった。
 アイランド・イン・ザ・スカイからの帰り,私は,まず,この三叉路まで戻った。その途中のバックキャニオン展望台から見た景観が1番目の写真である。
 そして,三叉路を,今度は北西に進むとすぐに,グリーンリバー展望台があった。そこからさらに10キロメートルほど行くと,アプヒーバルドーム(Upheaval Dome)に行くことができるのだった。私は,せっかくここまで来たのだから,アプヒーバルドームまで行くことにした。

 アプヒーバルドームは,キャニオンランズ国立公園の他の展望台からの景観とは全く異なる風景が広がっていた。それが,2番目と3番目の写真である。
 ここのトレイルは,駐車場に車をとめてから,少し,いや,かなり? 歩くことになるのだった。
 暑かったことに加えて,期待とは裏腹に,このトレイルは雑草の生えた単なる荒野に続く道だったので,私は,少しめげてきた。これまでの景観が素晴らしすぎたことも手伝って,私には,何か拍子抜けであった。
 やがて,なんとか小高い山の頂に到着すると,そこから火口クレーターのような複雑な地形が見渡せた。説明板によると,この地形は,地面が隆起したという説と,隕石孔であるという説があるのだそうだ。
 隕石孔だとすれば,一見の価値があるのだが,これまでの風景があまりに雄大だったから,それと比べてしまうと,正直言って,ここはそれほど感動する場所ではなかった。

 車に引き返し,帰路を急ぐことになった。車窓からは,キャニオンランズ国立公園の雄大な景観が眺められ,とても素晴らしかった。途中のグリーンリバー展望台に少しだけ車を停めて景色を見わたした。それが4番目の写真である。
 グリーンリバー展望台からは,メサの間をグリーンリバーが流れ,その流れが,何億年もかけて浸食した景観を眺めることができた。ここからの展望は,川による浸食が明快でそこにメサが隆起したことでこうした景観が作られたという実感がわいて,自然の偉大さと驚異に,改めて感動することができた。
 歴史が作り上げた雄大さが印象的であった。
 ここから眺める風景は西側だから,さぞかし夕景は素晴らしいものに違いがないであろうと思った。次に来るときは,国立公園の近くにホテルを予約して,こうした夕景を楽しみたいものだ。
 それにしても,何度も書くようだが,このキャニオンランズ国立公園は,本当に辺鄙なところにあった。

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 かなりの距離を走って,私は,やっとキャニオンランズ国立公園のゲートまで到着した。いつものように,料金を払って,さらに進んだ。展望台は,まだこの先ずいぶん先なのである。
 前回書いたが,この国立公園は広大だが,車で容易に行くことができるのは、北側の一部だけで,ほとんど未開なのである。公園には,ビジターセンターはあるが,売店もレストランもガソリンスタンドもない。だからこそ,すばらしいわけで,私が今回行った五つの国立公園の中で,最も気に入ったところであった。

 この国立公園のある地域は,ペンシルベニア紀(古生代・石炭紀の後半,3億2千万年前から2億9千9百万年前には,沈み込む堆積盆地と隆起する山脈が存在していた。そして,沈み込んでいく盆地にとらわれた海水が,厚い蒸発岩の堆積を生み出して,近隣の山脈から浸食された物質と共にパラドックス層となり,やがて流動始めた。
 その後,暖かな浅い海が,そうした層を覆って,石灰岩,砂岩,頁岩ができた。そしてまた,新たな浸食期が起こり,不整合と呼ばれる地質の断絶が生まれた。
 こうした,堆積が起き,海が覆い…,を幾度も繰り返し,そのたびに,地層の不整合が起きて,現在のような景観になったわけである。
 つまり,ここから見ることができる風景は,3億年以上にわたって形成されたものなのである。

 ゲートからまっすぐに南下してビジターセンターを過ぎ,さらに20キロメートルも南へ,草原の中を延々と続く道路を走った。ここを走っていると,その周りが崖になっていて,展望台から雄大な風景が眺められるとはとても信じられなかった。
 グランドキャニオンへ行ったときもそうだったが,目的地に着くまでは,そんな雄大な絶景がこの先にあるとは思えない,普通の草原が続いているのだ。

 やがて,アイランド・イン・ザ・スカイから伸びる道路の最南端の展望ポイントであるグランド・ビュー・ポイントに到着して,駐車場に車を停めた。
 ともかく私は,時間がないのだから,展望ポイントは最南端から先に制覇しなくてはいけない。そのグランド・ビュー・ポイントからの絶景が,きょうの3番目と4番目の写真のところである。
 これまでにも,グランドキャニオンを始め,多くのこうした絶景を見たが,それぞれ,個性がある。詳しいことはしらないが,創成の違いがこのような差を生じるのであろう。
 ここからの展望が,この国立公園で最高であった。

 私は展望台へ行って,この先,どこまでこんな景観が続いているのだろうかと,とても不思議な気がした。ここは我々が住む地球と同じところなのだろうか…。
 もちろん手すりなどないから,崖から先をのぞき込むと,恐怖を感じる。
 あまりに雄大で,距離感がおかしくなっているから,本当はきっとものすごい標高差なのだろうが,その高さが想像できない。
 なにか,ここから飛び降りたくなる衝動に駆られるのも,また,不思議なことであった。
 それに,じっとしていても,結構風が吹いているから,吹き飛ばされそうで,それもまた怖い。
 観光客が多くないというのもすばらしかったが,そのうちの何人かは,勇気があって,こんな崖の先端に佇んでいたり,じゃれあったりしているので,それもまた,驚きであった。
 私は,しばらく,このアイランド・イン・ザ・スカイから絶景を楽しんだ。
 聞こえてくるのは,風の音だけだった。

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 今度は間違えないように,私は注意深く道路標示をさがし,州道313に入ることができた。そこは,有名なキャニオンランズ国立公園がこんなところからアクセスするのか? と思うほどあっけなく,また,辺鄙な感じの交差点であった。これでは見落とすはずである。
 もし,日本なら,巨大な看板でも立てられるに違いない。
 しかし,州道313に入ると,ちゃんと「キャニオンランズ国立公園25 マイル先」の道路標示があった。道路は踏み切りを渡り,その先は,先ほどよりもさらに辺鄙な直線道路が延々と続いていた。

 キャニオンランズ国立公園(Canyonlands National Park) は,コロラド高原に位置し,約1,400平方キロメートルの面積を占めている。ちなみに四国の面積は,約1,900平方キロメートルである。
 この公園は,北西からグリーンリバー,北東からコロラドリバーが流れてきて,このふたつの川がYの字で合流してグリーンリバーがコロラドリバーに吸収されているところで,この2つの川によって浸食された峡谷にある。
 川を境として,ふたつの川の北側は,アイランド・イン・ザ・スカイ(Island in the Sky),グリーンリバーの西側をメイズ(The Maze),そして,コロラド川の東側をニードルズ(The Needles)という地区に分けられている。
 三つの地区は峡谷で隔てられているから,公園内で行き来することはできない。橋もない。
 それらに加え,飛び地として公園の北東にデッド・ホース・ポイント州立公園(Dead Horse Point State Park),北西はるかに遠くにホースシュー・キャニオン(Horseshoe Canyon)という地区がある。

 私のように,多くの観光客は,州道313を南に下って,キャニオンランズ国立公園にアクセスするから,アイランド・イン・ザ・スカイ地区に行くことになる。ふたつの川の間にある広く水平なメサを公園のおおよそ中央部まで舗装道路が続いていて,眼下365メートルにあるグランドキャニオンのような,砂岩のホワイト・リムとよばれる景観と,さらにその300メートル下を流れるふたつの川を見渡す多くの展望台があって,絶景である。
 ちなみに,メサ(mesa) というのは,差別侵食によって形成されたテーブル状の台地のことで,卓状台地とよばれている。また,さらに浸食が進み孤立丘となったものはビュート (butte) と呼ばれる。日本には皆無であるが,アメリカ,特にロッキー山脈あたりを旅していると,そんな景色はいくらでも見ることができる。

 グリーンリバーの西にあるメイズ地区は,最も辺鄙で不便な地区で,地図をみても,道もなく,どうやってアクセスするのだろう,と思う。トレイルとキャンプ場はあるから,そこへは延々と歩いていくのだろう。行く人はすごい!
 ニードルズ地区は,そこにそびえる赤と白の縞模様の岩の尖塔に因んで名付けられたそうだが,峡谷,地溝,池,多くのアーチのように,自然によって彫刻された岩の様々な形態が観察できるらしい。
 この地区には州道211を南東から道路が延びていて,この州道211は,私がもアブまで行って引き返した国道191をさらに南下するとアクセスできるので,車でも行けそうではある。しかし,見所であるほとんどのアーチはそのまた奥地の峡谷にあるので,そこからさらに長時間歩くか四輪駆動車でしか行くことができない。
 北東のデッド・ホース・ポイント州立公園へは,州道313をアイランド・イン・ザ・スカイへ向かう途中で左折したところで,コロラドリバーの流れによって形成されたガチョウの首と呼ばれる半島の朝夕の色彩がすばらしいということだ。
 北西に離れたホースシュー・キャニオン地区には,古代プエブロ人より前から存在した狩猟採集民族によって岩の板に描かれた絵があるということだが,この地区へ行くにも,まったく違うルートを走っていかなくてはならない。
  ・・
 このように,ここキャニオンランズ国立公園というのはとんでもない辺鄙なところで,しかも,広大な公園の北側のほんの一部しか容易にアクセスできない,というところなのである。
 そんな途方もないところに,時間の少ない私が,絶景が見られればいいや,という軽い気持ちで,しかも,道に迷いながら,走りに走って,どうにか,公園の入り口にやっとたどり着いたのであった。

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 いつものことであるが,アメリカを走っていると,ほどんど車の通っていない道が延々と続いて,この先何があるのだろう,と思っていると,突然大きな町に出るのだ。 
 アーチーズ国立公園のある岩山を走り終えると,目の前に川が流れていた。コロラド川であった。そうして,コロラド川を渡り終えると,やがて,周囲には町が広がってきた。そのころになると,どうしたことか,国道191は,再び,片側1車線に戻ってしまったのだった。さらに進んでいくと,再び道路は2車線になって,町中に入り,国道191から多くの道路が分かれていった。
 どうやら,ここはモアブのダウンタウンらしい。昨日宿泊したハリケーンという町とよく似たところであった。
 このようにして,私は,モアブの町に到着したのだった。

 モアブ( Moab)は,人口約5千人の町である。近くにアーチーズ国立公園やキャニオンランズ国立公園があるので,毎年多くの観光客がやってくる。
 マウンテンバイク乗りや,モアブ・ジープ・サファリに訪れるオフロード車愛好者の基地としても人気がある。
 モアブという変わった名前は,ヨルダン川東岸にある地域にも同じ名前があるが,ユタ州のモアブ市がその名前を使うようになったのは,最初の郵便局長ウィリアム・ピアースが,聖書のモアブもこのユタの地方も,共に,「遙か遠隔の国」にあると考えたからだといわれる。
 また,パイユート族インディアンに起源があり,蚊を意味する「moapa」に起因するともいわれている。

  ・・・・・・
 モアブの近郊では,1910年代と1920年代にウランやバナジウムが発見された。カリウムやマンガンがそれに続き,さらに,石油や天然ガスが発見された。また,1950年代になると,チャールズ・スティーンが,市の南で豊富なウラン鉱脈を発見した。
 いわゆる「世界のウランの首都」となったこの発見は,アメリカ合衆国で核兵器や原子力時代の到来と重なって,このときから,モアブの好況時代がはじまったのだった。
 やがて,冷戦の終焉と共に,モアブのウラン・ブームは去り,それから市の人口は劇的に減少した。1980年代初期までに,多くの家屋が空き家となり,ウラン鉱山の多くが閉鎖された。
  ・・
 また,1949年,すでに10年前にモニュメント・バレーで映画「駅馬車」を撮影していた映画監督ジョン・フォードは,モアブの牧場主ジョージ・ホワイトから,この地で映画を撮影するよう薦められた。
 そのときから,アーチーズ国立公園やキャニオンランズ国立公園を背景に使って,多くの映画が撮影されるようになった。
  ・・・・・・

 今日の地図で示す通り,私は,これまでに書いたようにして,インターステイツ70から国道191に入り,国道191を南下して,その時はそうとは知らずにキャニオンランズ国立公園へ行くための州道313へまがる交差点を見落として,さらに進み,左手にアーチーズ国立公園を眺めながら,モアブまで来たのだった。
 しかし,モアブまで来てしまったのは,実は大失敗だったのだ。
 車を停車して調べてみると,なんということであろうか,めざすキャニオンランズ国立公園へ続く道は,もうとっくに通り過ぎていたのだった。めざすキャニオンランズ国立公園はアーチーズ国立公園よりもはるかに手前で州道313に右折しなければならなかったのだった。ただでさえ,時間がないのに,なんということであろう。
 私は、モアブの町を見る暇もなく,急いで進路を逆にとり,来た道を引き返し,注意深く道路標示を見ながら,やっと見つけた州道313へ交差点を左折した。今日の最後の写真にあるように,道路標示はこんなに小さいのだ。

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 これからしばらくは,インターステイツ70から別れを告げて,キャニオンランズ国立公園とアーチーズ国立公園を訪れる。
 1番目の写真のように,私は,インターステイツ70を右折して,国道191に入った。国道191は,平坦でまっすぐに南に続く片側1車線の道路で,あたりは一面の原野であった。
 こういう道路は,写真にもあるように,前を大きなトレーラーが走っていると本当にたいへんである。簡単に追い越せそうなのだが,何せ,制限速度がはやく,対向車線のはるかかなたに車がいるだけでも,すごい勢いで迫ってくるから,油断ならないのだ。
 やがて,道路の左側側に平行に鉄道の線路が並走するようになった。そのうちに,道路は,片側2車線になったが,そうしてしばらく走っていくと,また,道路は1車線にもどってしまった。
 右手に,キャニオンランズフィールドという名の小さな飛行場が見えてきた。ここは,チャーター便のアクセスしかないということであったが,飛行場の駐車場には,けっこうな台数の車がとまっていた。看板に「ヘリコブターツアー」と書いてあった。

 国立公園も,昨日行ったザイオン国立公園やブライスキャニオン国立公園なら,アクセスも容易だから,多くの観光客でにぎわっていたが,こうして,国道191を走っていると,なにか,最果ての地にきてしまったかのようであった。きっと,ここまでくる日本の観光ツアーはほとんどないであろう。だから,こういう場所に来ることこそ,私のような旅をするものの特権なのだ。なんだかうれしくなってきた。
 いつのまにか,鉄道の線路が道路に並走して右手に見えるようになった。どこかでこの道路が高架になって,鉄道の線路を又いだらしい。そのうち,国道191は州道313ENDのT字路に差し掛かり,それを越すと,ふたたび,片側2車線になった。そうして,中央分離帯が広くなって,道路は,インターステイツのようになった。
 それが2番目の写真である。
 そのまましばらく走っていくと,やがて,左手には断層がむき出しになった岩山がせまってきた。
 どうやら,その向こうがアーチーズ国立公園であるらしい。
 私は,この時点でも,これからアーチーズ国立公園とキャニオンランズ国立公園のどちらに行こうか迷っていた。できれば両方とも行きたいのだが,インターステイツ70の景観に見とれて展望台まで行ってしまったために,予定よりも時間が過ぎていた。もう,午後1時をとっくに過ぎていたし,キャニオンランズ国立公園はここからまだはるかに遠いのだ。
  ・・
 しかし,このふたつの国立公園のうち,ぜひとも行きたいのは,キャニオンランズ国立公園のほうであった。写真で見た限り,グランドキャニオンをはるかにしのぐ景観であったし,アクセスが困難ということで,再び来ることがむずかしいように思えた。さらに,アーチーズ国立公園なんて,岩がアーチ状になっているだけのようで,たいしたことなさそうだった -あとで,これは,とんでもない認識不足だったことを思い知るのだが…。
 キャニオンランズ国立公園へのアクセスは,モアブという町であるということだったので,私は,左手に広がるアーチーズ国立公園をやり過ごして,国道191をそのままさらに,モアブまで走っていったのだった。
 モアブの町は,3番目と4番目の写真である。

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 今日はまず,アメリカ大陸を横断インターステイツを紹介する。アメリカでは大陸を東西に横断するインターステイツは偶数番号10,20,……,90となっているが,インターステイツ30は大陸横断道路ではない。また,インターステイツ50,インターステイツ60は存在しない。
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●インターステイツ10
 インターステイツ10は,メキシコ湾岸に沿った大陸横断道路で,カリフォルニア州ロサンゼルスとフロリダ州のジャクソンヴィルを結んでいる。
 私が昨年の春テキサス州のエルパソからサンアントニオまで,少し前にはヒューストンからルイジアナ州のニューオリンズまで走ったことがある道である。
  ・・
●インターステイツ20
 インターステイツ20は,準大陸横断ルートとでも言うべき路線で,西側は,テキサス州でインターステイツ10から分岐してはじまり,東海岸は大西洋岸のノースカロライナ州まで達している。
 テキサス州のダラス,フォートワースとジョージア州のアトランタの南部の2大都市を結ぶ路線で,私は,フォートワース,ダラス間とダラスから東にニューオリンズまで行く途中で走ったことがある。
●インターステイツ40
 インターステイツ40は,カリフォルニア州のロサンゼルスからアリゾナ州,ニューメキシコ州を通り,オクラホマを経由してノースカロライナ州まで,中南部を横断している。
 ロサンゼルスに通じている大陸横断ルートなので,大陸横断ドライブを試みる旅行者の走行する候補に挙がるルートだが,インターステイツ40を走っても,東海岸の方はこれといった見どころがないから,むしろ,テネシー州内で接続しているインターステイツ81でアパラチア山脈に沿って北上して,ワシントンDC以北の都市群にアクセスするほうが,大陸横断のドライブルートしてはふさわしいといわれている。
 途中にメンフィスやリトル・ロックを経由する。私は,ニューメキシコ州で少しだけ走ったことがある。
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●インターステイツ70
 さて,その次が,今回の旅のメインロードであるインターステイツ70である。
 このインターステイツ70は,現在書いているように,ユタ州で南北を走るインターステイツ15から東に分岐しコロラド州のデンバーに向かう。デンバーからは,カンザスシティ,セントルイス,インディアナポリス,オハイオ州のコロンバス,ピッツバーグと経由してボルチモアに達する。
 大陸横断道路としては,インターステイツ80やインターステイツ90ほどの華やかさはないが,オハイオ州からメリーランド州にかけての区間は「The National Road」ともよばれたかつての開拓道路「カンバーランド道路」に沿って建設されたフリーウェイで,それにちなんで「The National Freeway」ともよばれるなど,東部から内陸への交通路としては由緒正しいルートである。
 ペンシルべニア州内ではインターステイツ76と合流してシカゴ方面への交通網とも一体化しているのだが,インターステイツ70自体は南寄りのルートを取っているために,メジャーリーグの球団を持つ大都会を次々と通って行く。
  ・・
●インターステイツ80
 その北を並行するインターステイツ80は,カリフォルニア州のサンフランシスコから,ニューヨーク市の郊外にあたるニュージャージー州ティネックまでを結んでいる。
 サンフランシスコとニューヨークの両都市を結ぶことは1913年の「リンカーン・ハイウェイ」以来大陸横断道路の主目的のひとつになっていて,インターステイツ80は,中西部ではかなりの部分が「リンカーン・ハイウェイ」のルートをなぞっている。今日の経済社会状況を考えても,歴史的に見ても,この道は大陸横断道路の筆頭格である。そしてまた,このインターステイツ80は,インターステイツ90に次いで長い距離を有するインターステイツである。
 この高速道路の最高地点は,ワイオミング州のシャイアンとララミー間にある海抜8,640フィート(2,633メートル)である。さらにワイオミング州の西で2列の山脈が盆地を構成しているので,この高速道路は2回分水嶺を越えることになる。

 インターステイツ80で景色のよい地点としては,サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジを渡ってサンフランシスコ湾を超える地点(西向きのみ有料),バークレーからのゴールデンゲートブリッジの眺望,カリフォルニア州レイクタホ近くでのドナーパスとドナーレークの横断,そしてネバダ州リノの東西にまたがるトラッキー川に沿って走る地点があげられる。私は,この道もこれまで旅行したたびに通ったことがあるし,今回も,ワイオミング州を東から西に横断した。
  ・・
●インターステイツ90
 大陸横断のインターステイツの最後はインターステイツ90である。
 インターステイツ90は,ワシントン州のシアトルからマサチューセッツ州のボストンまでを結んでいる。世界でもっとも距離が長い自動車専用の高速道路として知られていて,長さは,ほぼ3,100マイル(5,000キロメートル)もある。最東端のマサチューセッツ州の基点はジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港の横にある。私は,特に意識したわけでないのに,結果として,インターステイツ90はすでに3分の2以上は走ったことになるし,シアトルの起点もボストンの終点も利用した。それほど主要な道路ということなのであろう。この道路を制覇することも,また,私の目標のひとつである。
  ・・・・・・

 グリーンリバーは,インターステイツ70のEXIT160,そして,国立公園にアクセスする国道191は,EXIT182を降りる。
 私は,EXIT160を降りて,グリーンリバーのガソリンスタンドで給油をし,昼食を購入した。きょうの写真のように,ガソリンスタンドといっても,広大な大地の中にポツンとあって,これは,まさに,西部劇の世界である。
 車に戻り,再びインターステイツ70をそのあとしばらく走っていくと,やがて,アーチーズとキヤノンランズ国立公園の道路標示が見えてきた。
 こちらの観光地の道路標示は,写真のように,すべて茶色のバックに白地で記されているさりげないものである。わかりやすくて,美的にもよい。また,こうした標示は,たいていひとつしかないから,見落とすと,迷子になりかねない。
 この道路標示を過ぎると,まもなく,国道191へ行くジャンクションがあった。ここでインターステイツ70を降りて,右折し,いよいよ私は,国立公園に向かうことになった。しばらく,インターステイツ70ともお別れである。

◇◇◇
旅行記では,一旦,インターステイツを降りて,国道に入りました。そこで,インターステイツについての話題は,また,インターステイツ70に戻ってから書き続けることにします。

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 インターステイツは,連邦政府レベルでの特別な資金が割り当てられているが,設計・建設・維持管理は州単位で行われ,所有権も各州に帰属している。
 では,インターステイツはいつから作られたのだろうか?
  ・・・・・・
 こうした高速道路システムの計画は,連邦政府が州間高速道路網の構想を打ち出した1950年代以前から存在していた。実際,1907年には,すでに,ニューヨーク州では世界最初の高速道路の建設が開始された。そして,1920年代までに,ニューヨーク市の高速道路と同様のシステムが,州ごとの長距離高速道路計画によって整備されていった。
 しかし,交通量の増加によって,州ごとに独立していたそれまでの高速道路システムを見直して,各州の高速道路を相互に連結してアメリカ合衆国全体としての高速道路網を整備する必要性が高まっていった。また,アイゼンハワー大統領は,第2次世界大戦中に全米を車で横断するのに2か月を要していたことを体感したこともあって,全米の道路整備計画の一環として,1956年の連邦補助高速道路法が制定されて,その整備が開始された。
  ・・
 この法律は,全米のインターステイツ網を250億ドルの資金を投じて10年の期間を費やして完成するという,それまでのアメリカ合衆国の歴史の中で最も大規模な国家プロジェクトであった。
 このようにして進められたインターステイツ網の建設は,当初の予定から大幅にずれ込み,計画から35年後の1991年にようやく完了した。また,整備費用も,計画当初に見積もられていた250億ドルを大幅に上回り,最終的には1,140億ドルを費やすことになった。
  ・・・・・・
 私は,アメリカ全土を走っていて,どこへ行っても,建設中ではなく完成されたインターステイツが整っていることにたいへん驚いた。しかも,道路標示や施設はどこも統一されていて,走りやすいし,わかりやすいのだ。しかも,美しい。
 日本のように,交通量が増えるのに反比例して車線が減ったり,道路が老朽化したり,場所によって表示に一貫性がなかったりはしない。現在も,インターステイツには連邦政府レベルでの特別な資金が割り当てられているが,設計・建設・維持管理は州単位で行われ,所有権も各州に帰属している。

 峠を越えたので,あとは,アーチーズ国立公園とキャニオンランズ国立公園への玄関口である国道191まで,インターステイツ70を東に走るだけであった。
 車内からの景観は一変して,きょうの写真のように,まわり一面大平原であった。ちなみに,写真では片側1車線の道路のように見えるが,この2車線は共に進行方向である。だから,左側に黄色いラインがある。反対車線は,左側の草原(中央分離帯)のはるか向こうにある。
 途中に,グリーンリバーという町があった。私は,ここで,給油をし,昼食の菓子パンを買うことにした。

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 この地点が,このインターステイツ70のクライマックスであった。
 左の地図で赤色で示した曲線がこの日以降私の走ったところで,左下からインターステイツ15,そして,右に折れたところからがインターステイツ70である。そして,青色で示した曲線が国道89で,すでに書いたように,このふたつの道路が交差して,その間が併用区間になっていることがわかる。
 前回書いた展望台は,〇1の場所であった。そして,きょうの写真の場所は〇2である。
 きょうは,このあと,私は,インターステイツ70を離れて南に走り,キャニオンライズ国立公園とアーチーズ国立公園へ行く。そして,再び,インターステイツ70に戻り,東に走ってコロラド州に入り,宿泊先はグランドジャンクションという名の町にあるホテルであった。
 地図で見るだけではどのくらいの距離か実感できないと思うが,大まかにいえば,この地図に載っている左端から右端は,日本の山口県から青森県くらいである。

 このインターステイツ70は,まるで,グランドキャニオンとモニュメントバレーの中をずっと走っているようだったと先に書いたが,そのクライマックスがこの場所であった。 
 走っていて,私は,「なんだここは!」と声を上げた。
 これこそが,アメリカの原風景なのだ。
 これまで,私は,さまざまな場所を旅行し,マイナーなノースダコタ州に感激し,サウスダコタ州のバッドランドに感激し,という経験をしてきたのだが,それに勝るとも劣らない景観なのであった。
 どこも,ほとんど人がいない,というのがすばらしい。
 グランドキャニオンもモニュメントバレーも確かにすばらしいのだが,やはり人が多いから「観光地」なのである。秘境という言葉が,もし,適切であるなら「観光地」は秘境にはなりえない。だから,こういった場所こそ,本当に心ときめくのである。
 しばらく走っていくと,展望台があった。
 車を停めて,この絶景にしばらく見とれていると,別の車が停まって,女性がひとり降りてきて,私と同じように感動して,この景観に見とれていた。
 彼女は「グラドキャニオンよりずっとすごい!」と言った。私も,それに同意したのだった。
 感動を損ねるようで申し訳ないのだが,実は,このインターステイツ70は「麻薬街道」なのだそうだ。だから,マフィアが走っているから気をつけた方がいいと警告された。
 この景観,マフィアに似合わないこともない。

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 今日はまず,マイルマーカーの話である。
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 インターステイツを走っていると1マイルごとにマイルマーカーが表示されている。だから,インターステイツの番号とマイルマーカーを知らせれば,場所が特定できる。
 マイルマーカーは,2桁のインターステイツで偶数番号の道路は各州で西の端から順番に距離がつけられている。また,奇数番号の道路は各州の南の端から順番につけられている。また,3桁の道路には元になる2桁の道路から派生した箇所から順番に距離がつけられている。これらは,地図上にも表示されている。
  ・・
 そして,インターステイツの出入り口の各ランプやインターチェンジ(面倒なので私のブログには「ジャンクション」と書いてある)ではマイルマーカーと同じ番号が出口番号としてつけられているのでわかりやすく合理的である。
 たとえば,インターステイツ70を走って,西からコロラド州に入ると,はじめのジャンクションに「EXIT1」とある。つまり,コロラド州の西端から1マイル地点ということである。
 これもまた,日本では,距離と関係なく1番からつけられてしまうために,すでに1番と2番がある道路で新しくその途中に出口が作られるとつける番号がない。そこで,1-1,1-2,…,といった不自然な番号になってしまうし,場所も定かでないという情けないことになっている。いかにも「発想と知恵」のない日本人のやりそうなことである。
 なお,アメリカで同じマイルマーカーの範囲内で出口が複数ある場合は,出口番号に,更に,A,B,Cなどの連続した記号がつけられている。
  ・・
 蛇足だが,インターステイツは,戦争の際に航空機の滑走路として使用できるように,5マイル(8キロメートル)おきに平坦な直線道路が作られているという都市伝説が存在しているが,これはウソである。
  ・・・・・・

 展望台から反対方向を眺めると,確かに,私が走ってきたインターステイツ70は,雄大な大地の中を通っている。しかし,この2本の別々の道路の中央を,中央分離帯と呼んでいいものであろうか?
 これが,今日の1番目の写真である。
 こんなインターステイツ網を,それもわずか30年余りの間に,全米に完璧に作リあげてしまったアメリカという国の力はどこからくるのであろうか。日本は昔も今も道路工事だらけである。
 私はいつまでもこうしているわけにはいかないので,車に戻り,先を急ぐことにした。
 2番目の写真は,展望台を出てすぐのインターステイツ70の景観であり,3番目の写真こそ,先ほど展望台から眺めたこの道路そのものなのである。
  ・・
 私は,このように,ある展望台に車を停めて,景観を楽しんだのだが,このインターステイツ70では,この後も,いくつか同じような展望台があった。そのそれぞれの駐車場には,ほどほどの車が駐車してあって,それぞれが景観を楽しんでいた。
 そうしてしばらく走っていくと,さらにとんでもない絶景が飛び込んできた。それが,きょうの最後の写真の道の先にある。この場所こそが,まさに,インターステイツ70のベストビューであった。

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 今日はまず,インターステイツの制限速度について書く。 
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 インターステイツの制限速度は,場所によって異なっている。インターステイツの整備計画が立てられた当初は,多くの通行車両が,険しい峠道のように速度を維持できない限定された範囲を除いては,時速75マイル(120キロメートル)から80マイル(128キロメートル)に速度制限が設けられていた。しかし,1973年に発生したオイルショックの影響によって,翌1974年に,連邦政府はガソリン保護対策として,インターステイツの最高速度を時速55マイル(88キロメートル)に引き下げた。
 この規制は,石油の貿易停止が解除された後も安全対策として継続されていたが,それがアメリカ西部地域で大きな不評をかった。
 これを受けて,連邦政府は,1987年に速度規制を緩和して,州の選択により最高速度を時速65マイル(104キロメートル)まで引き上げられる決定を行った。さらに,1995年にはインターステイツ全体の速度制限が撤廃された。
  ・・
 速度制限の完全撤廃後は,最高速度を時速65マイルのまま維持する州がある一方で,最高速度を70マイル(112キロメートル)ないし75マイル(120キロメートル)に引き上げる州があった。
 多くの場合,最高速度を低い速度に設定している州は北東部に多く存在し,逆に高い速度に設定している州は南部および南西部に多く存在する。
 私が走った中で,アイダホ州やユタ州の制限速度は速かったし,走りやすかった。
 アメリカでは,景色が遠く,空が広いので,走っていると,日本の60キロメートルがアメリカの60マイル(96キロメートル)と同等な感じがする,と誰もが言う。私もそう思う。
  ・・・・・・

 インターステイツ70は,これまでとは,急に景色が変わった。
 私は,うかつにも,ずっと前方を眺めながら走っていたから気づくのが遅くなったのだが,気がつけば,まわりの景観がすっかり変わって,グランドキャニオンか,モニュメントバレーのような景色になっていた。この景色は,360度全てそうなのであった。
 道路際はビューポイント(展望台)の表示だらけであった。
 アメリカのインターステイツは,景色のよい所には,たいてい,展望台がある。だから,だれも,道路わきに車を停めて(これは違法),景色を楽しんではいないし,よそ見をする必要がない。
 日本は,道路を作ることに精一杯,しかも,人生は耐えることこそ美徳であって,愉しむことを「悪」だと思っているから,せっかく景観の素晴らしい所に道路があっても,その景色を楽しむ場所すらない。こういったことは,何も道路に限ったことではないが…。
 私は,アメリカを旅していると,本当に,どんどん,この日本という国の人が,何を目的として生きているのかが,さっぱりわからなくなってきた。

 ともあれ,私は,ある展望台の駐車場に車を停めて,景観を楽しむことにした。
 本当は,こんなことをしている時間などなかったのである。それは,このあと書いていくことになるが,この日は,この先,まだ,ずいぶんと走って,やっと,目的の国立公園にたどりつくことになったからである。しかし,この景色を見逃す手はない。私は駐車場に車を停めて展望台まで歩いて行った。すると,さらに驚くことに,絶景が目の前に広がっていたのである。
 絶景を背にして,ネイティブアメリカンの人が自作のブローチやらを広げて売っていた。彼らは,毎日,この絶景を見ながら暮らしているわけだ。しかし,日常というのは恐ろしいもので,きっと,こういう絶景は,非日常であるからこそ,価値があるのかもしれない。
 眺めると,この延々と続く絶景の中に,細い道路が,はるか先まで,まるで,細い芯の鉛筆で画用紙に傷をつけているかのように延びていて,そこをたくさんの車が走っていた。私は,この大地に,景観を見学する道路でも続いているのかな,と驚きつつ見ていたが,そのとき,はたと気がついた。
 この道こそが,これから私が走るインターステイツ70ではないか!

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 今日はまず,インターステイツの番号の話である。
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 アメリカでは町の番地表示も道路を挟んで奇数と偶数というように大変合理的なのだが,同じように道路の番号も非常にわかりやすく振られている。
 インターステイツでは,道路番号が2桁以下のインターステイツは幹線道路である。そして,下1桁が偶数番号の道路はアメリカ大陸を東西に結ぶ道路で,奇数番号は南北に結ぶ道路を示す。
  ・・
 特に下1桁が偶数では0,奇数では5の道路は主要幹線道路である。
 つまり,偶数番号の主要幹線道路は南側から10,20,…,90と道路番号が割り振られ,奇数番号では西側から5,15,…,95と番号が割り振られていているわけで,日本のように,1から順に隙間なく振られているのではない。
 たとえば,インターステイツ10は西はカリフォルニア州のロサンゼルスから東はフロリダ州のジャクソンビルまでを結ぶ路線であり,インターステイツ90は西はワシントン州のシアトルから東はマサチューセッツ州のボストンまでを結ぶ路線である。
 また,インターステイツ5は北はアメリカ西海岸沿いにカナダとの国境から南はメキシコとの国境までを結ぶ路線であり,インターステイツ95は北はアメリカ東海岸沿いにカナダとの国境から南はフロリダ半島の南端までを結ぶ路線である。
  ・・
 さらに,3桁の番号のインターステイツは,2桁以下の道路番号を持つ幹線道路から派生するインターステイツを示していて,100位が奇数のインターステートは幹線道路から派生して他都市へ繋ぐ道路,偶数のインターステートは幹線道路のバイパス道路である。
 たとえば,インターステイツ395は,インターステイツ95から派生したインターステートであることを示し,インターステイツ495はインターステイツ95のバイパスであることを示しているというわけである。
  ・・・・・・
 以上のように,とても合理的でわかりやすい。

 私は,これまでインターステイツ15を走っていたが,ここでインターステイツ70に入った。
 今日の1番目の写真は,南北を走るインターステイツ15から,東西を走るインターステイツ70に入った景色である。
 インターステイツ70に入ると,インターステイツ15に比べて,急に通行量が少なくなった。なんだか,急に,ものすごく山の中に来てしまったように思えた。実際,周りは山ばかりになった。
 次第に,下り坂になって,本当に他に車も見なくなってしまって,とんでもない過疎地に来たように思えた。それが,2番目の写真である。このあたりの場所は,フィッシュレイク国立森林公園(Fishlake National Forest)というところである。
 この写真のガードレールをご覧になって,どう思われるだろうか。それに,道路標示のシンプルさはどうだろうか。
 きっと,日本でこういった道路をつくると,過剰に色が塗られたガードレールと,ライトを当てると光ったり風を受けて回ったりする反射板や回転板が設置されて,カーブ全体に大きく「<」マークが設置されるに違いない。そして,道路にも,派手な色の表示が書かれることであろう。
 この写真を見て,唯一目立つのは,左側のイエローラインであろう。ドライバーは,このラインを頼りに走っていけば間違いがないのである。左側にイエローラインがある限り逆走ではない。このことも,以前,ブログに書いた。

 峠を越えると,昨日,ザイオン国立公園からブライスキヤニオン国立公園へ行くときに走った国道89がそのままずっと北に進んで,私の今走っているインターステイツ70と合流した。こうして,インターステイツ70は,国道89としばらくの間は併用区間になる。併用区間になったところが,リチフィールド(RichField)という結構大きな町であった。これが,3番目の写真である。
 4番目の写真は,写真でわかるように,国道89との併用区間を示す道路標示である。
 国道89は奇数番号なので,大局的には南北を走るわけで,偶数番号のインターステイツ70と併用というのもおかしなものだが,この国道89は,やがて,インターステイツ70と別れを告げて,インターステイツ15の東側を平行に,ソルトレイクに向かって進んで行く。
 きょうの最後の写真では,インターステイツに平行に川が流れているのがおわかりになるであろう。この川は「サリーナ川」(Salina Creek)という。
 このあと,インターステイツ70に絶景が現れるのだが,このあたりを走っているときは,まだ,その兆候すらない。

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 インターステイツ15に戻った私は,快調に,朝霧に霞むインターステイツ15を北方向に,インターステイツ70に向けて走行した。
 今日の1番目の写真は,インターステイツ15から見た早朝の素晴らしい風景である。
 とにかく,何度も書くようだが,このあとに走るインターステイツ70は,これよりもさらに素晴らしい景観の道路であった。
 はじめてアメリカのインターステイツを走るなら,ぜひ,このインターステイツ70を走ることをすすめしたい。
 そこで,このブログでは,これからしばらくは,インターステイツ15を経由して,インターステイツ70を走り,デンバーまで至る車内からの景観を,走った気分になって紹介したいと思う。
 さて,今日の2番目の写真は,ビーバー(Beaver)という小さな町へアクセスするジャンクションである。
 アメリカのインターステイツは,全く家のない大草原を飽きるほど走ると,こうした町が忽然と現れ,そのジャンクションの四角に,おなじみのファーストフード店やコンビニ兼ガソリンスタンドがあるのだ。

 ビーバーを過ぎると,間もなく,インターステイツ70に分岐するジャンクションに差しかかった。
 この日,インターステイツ15は,このあたりで道路工事をしていて,片側1車線通行になった。
 アメリカでは,道路工事の際には,通行量の多いところでは,普段はバカに広いだけの中央分離帯に新たに道路を作ったりして渋滞を避ける配慮がされることもあるが,このインターステイツ15のように,あまり交通量のない道路では,片側1車線になる。その様子が,写真の3番目と4番目である。。
 そして,きょうの最後の写真は,インターステイツ15からインターステイツ70に入るジャンクションである。

 アメリカの旅行記は,ご覧のように,移動距離が長いので,こうしたインターステイツを走行する写真ばかりになってしまう。また,アメリカに行ったことのない人や,大都会しか旅行したことのない人には,このインターステイツという日本とは違ったアメリカの道路網についてあまりなじみがないと思う。
 よくアメリカのロードムービーに出てくるこのシーンにあこがれる人も多いとおもうので,これからしばらくは,こうしたアメリカのインターステイツについても説明を加えてみよう。
  ・・・・・・
 日本でもその管理主体の違いによって,高速道路,国道,県道,という道路の種別があるが,アメリカでも同じように,インターステイツ(Interstate), 国道(US Highway),州道(Primary State Highway, Secondary State Highway),群道(County Highway), 市町村道というような種別があって,現地の地図を見るとしっかりと分けて記載されている。
  ・・
 インターステイツは,日本の高速道路に該当する。その総延長は,現在では7.5万キロメートルにも達する。すべて片側2車線以上で,日本のように片側1車線になったりしない。大都市部では車の通行量が増えるとそれに比例して片側6車線以上になることもある。そうしたところを走ると,車線変更をするだけでも大変である。このインターステイツと日本の高速道路との大きな違いは,ほとんどは通行料が無料であることと,必ず片側2車線以上あることである。中央分離帯がめちゃくちゃ広いというのは,日本人には衝撃的!である。
 よくフリーウエイといういい方がされるが,これは信号がなく交差点がすべて立体交差になっている道路のことで,フリーというのは無料という意味である。
 インターステイツには一部の区間では有料もある。有料道路は一般にはターンパイク(Turnpike)とかパークウエイ(Parkway)とよばれる。有料といっても,通行料金は日本よりもかなり安い。また,大都市の中心部に乗り入れるための橋とかトンネルも有料の場合がある。私の印象では,東海岸に有料道路が多い。
 また,国道(US Highway)は,日本の国道に当たるもので,日本では,高速道路=有料,国道=無料であるが,アメリカでは,国道というのは,インターステイツのような形状の場所も多いが,片側1車線であったり信号があったりするのがインターステイツとの違いである。

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 アメリカは,国の歴史は新しいのですが,その大地は,日本などとは比べ物にならないほど古いものです。アメリカの国立公園は,地球創世の歴史をその目で見ることができるのです。
 多くの人にとって,アメリカの大自然といえば,グランドキャニオンを思い浮かべることでしょう。そうした大自然にあこがれてアメリカに住んだ人が,こちらに来ると,グランドキャニオンなんて,そこらじゅうにあることがわかった,と言っていました。私も,多くの国立公園に行って,こうした景色は,本当にどこにでもあるんだなあ,と思うようになりました。それとともに,それらが,場所ごとに,それぞれ別の個性を持っていることがわかるようになってきて,それまでは全く興味もなかった地球創世の歴史を知りたくなってきました。
 調べていくと,それは,天文学と同じように面白く,また,とても奥が深いものであることを知りました。

 「グランドサークル」のことは,以前,ブログに書きましたが,この「グランドサークル」にあるグランドキャニオン国立公園からブライスキャニオン国立公園までの一連の地層は「グランドステアーケース」(Grand Staircase)とよばれているものです。
 約40層からなるこの地層は、地質学的価値がとても高いものだそうです。
 一番古いグランドキャニオンは、最下層では約20億年前,最上層が約2億5,000万年前の地層から形成されています。そして,グランドキャニオンの最上層は、ザイオンの最下層と同一のプレートで,ザイオンの最上層は、ブライスキャニオンの最下層と同一のプレートというように,地層が上になるにつれて年代が新しくなります。
 こうした地層は,その作られ方によって,模様や色が異なっています。これがアメリカの国立公園にそれぞれ個性をもった景観が見られる原因なのです。
 ここでは,それらを簡単に説明をしてみましょう。

  ・・・・・・
 約2億5,000万年前,地球上は「パンゲア大陸」(Pangea)というひとつの巨大な大陸でした。それが浮き上がったり沈んだりを繰り返しながら離れていき,現在のアメリカ大陸が作られたといわれています。
 その最下層にあるのが,「ヴァーミリオンクリフ」(Vermillion Cliffs)です。
 当時,海に生物が発生したことで光合成によって酸素が作られて,その結果海水中の鉄分が酸化して海底に沈んだものが隆起したのがこの地層です。だから,「ヴァーミリオンクリフ」は,濃い朱色の層になっています。これば,鉄分が酸化した色,つまりさびの色なのです。
  ・・
 その上にあるのが「ホワイトクリフ」(White Cliffs)で1億8,000万年前の地層です。この地層は海底が隆起して地上に現れたときに,岩石が風によって運ばれて積もったものだといわれています。
 「ホワイトクリフ」をよく見ると,地層の下の方は赤い色が混じっていて,上になるにしたがって,真っ白い地層になります。これは,地層を作っているのが砂粒で,砂粒には隙間があるので,長年にわたってそこに水分が入り込むことで鉄分が洗い流され,つまり,酸化鉄が脱色されて白くなったものだと言われています。
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 そして,一番標高が高いのが,ピンククリフ(Pink Cliffs)と呼ばれる地層です。これは,約5,500万年前の地層です。ここは,岩に沁み混んだ水が標高が高いので寒く,凍りついて,その氷が複雑に岩を激しく砕いて作られたものです。ブライスキャニオン国立公園などにみられる独特の岩山は,このようにして作られたものなのです。
 私がこの夏に訪れたグランドサークルにある国立公園の不思議な景観には,こうした地球創生の歴史があるのだから,そうしたことを知って見に行くと,さらに興味深く観光することができます。
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2014夏アメリカ旅行記―ザイオン国立公園③

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