しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > コロラド州

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●ダイナソア国定公園(Dinosaur National Monument)
 2014年夏,ロッキーマウンテン国立公園に訪れたあとでデンバーへ行き,さらに50州制覇のためにネブラスカ州にほんの少しだけ入って1泊してから引き返して,ワイオミング州の南側を横断するインターステイツ80でアイダホ州に向かう途中のこと。
 「地球の歩き方」の「アメリカの国立公園」編に,ちょっと寄り道として「ダイナソア国定公園」とあったので,興味があったので行ってみました。アメリカで恐竜とあればまさに本場。行くしかないでしょう,という感じでした。
 ところが,その,ちょっと寄り道,というのが半端な距離ではありませんでした。延々と大平原を進んでいくのですが,ほかの車とはまったくすれ違いません。こんなところにだれがいくのだろう? と思いながら走っていくと,やがて,遠くに国定公園のビジターセンターの建物が見えてきました。建物の手前に大きな駐車場があったのですが,そこには,多くの車が停車していました。
 アメリカでいつも思うのですが,こんなに遠く不便なところで,行くまではまったくと言っていいほど車を見ないのに,到着するといつも多くの車があって人が来ているというのが不思議なことです。
  ・・
 ダイナソア国定公園は,人間の作ったテーマパークではなく,ここにしかない,人の手をはるかに超えた大自然の作りえたものです。
 その建物を通って裏の出口を出ると,その先に,小高い山に行く2両連結のシャトルバスの乗り場があって,それに乗ってはるか山の上にある展示室に行きました。
 展示室は,恐竜の化石が発掘されたままの地層を目の前で見ることができるように覆いがつけられたものでした。
 恐竜を見せる建物は,化石が出土した崖に沿って作られているもので,中は3階建てになっていて,それぞれの階から壁になった崖に,恐竜の化石がそのままの状態で展示されいて,興味深く見学することができるのようになっていました。
 話によると,この建物を作るには,かなりの苦労と工夫が必要であったということでした。
  ・・
 恐竜が登場したのは約2億3,000万年前の三畳紀後期のはじめで,初期の恐竜は小型で3メートルから4.5メートル以上のものはいなかったのですが,約2億1,200万年前から1億3,000万年前のジュラ紀になると,環境に適応した結果,様々に進化していきました。
 ところが,6,500万年前,恐竜は忽然と地球上から姿を消してしまったのです。
 最近の研究では,それは,小惑星衝突説が有力となっています。直径10キロメートル,重さ1兆トンもある隕石の衝突事件が恐竜を滅ぼしたというこの小惑星衝突説は,1980年にカリフォルニア大学のアルバレス(Walter Alvarez)らによって発表されたものです。その証拠は,恐竜が絶滅した6500万年前の地層から各地で発見されたイリジウムという物質です。
 1億4千万から5千万年前のユタ州周辺は,浅い海になったり陸地になったりしていて,多くの恐竜が闊歩する沼地でした。恐竜絶滅ののち,ロッキー山脈が出来たときの隆起によって太古の地層が押し上げられ,そのために,現在,ここ一帯で恐竜時代の遺跡を発見することができるのです。
 このダイナソア国定公園にある博物館は,1909年,ピッツバーグにあるカーネギー博物館のアール・ダグラス(Earl Douglas)が研究の結果,「このあたりには恐竜の化石があるに違いない」という結論に至り発掘したところ,たくさんの骨が出てきたというところです。
 1942年まで発掘を続けて,22体の完全な恐竜の化石とともに多くの骨が発見されました。ここに露出している骨片の数はなんと2,300もあるということです。

 さて,これまでグランドサークルの国立公園を紹介してきましたが,私が行っていないのがキャニオン・デ・シェイ国定公園(Canyon de Chelly national Monument),メサベルデ国立公園(Mesa Verde National Park)です。
 キャニオン・デ・シェイ国定公園はグランドキャニオンを小型にしたような断崖で,ナバホ族の居住地です。化石の森国立公園から2時間ほどだったので,行こうと思えば,行けました。また,メサベルデ国立公園は今から1400年ほど前にこの地に住んだ先住民の遺跡です。フォーコーナーズから行くことができます。
 ともに,2020年に行こうと思っていただけに,実現できなくて残念に思っています。


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 2014年夏。
 これまで書いていたキャニオンランズ国立公園とアーチーズ国立公園に行ったあと,私はインターステイツ70をさらに東に走って,デンバーまで行きました。
 インターステイツ70は,モニュメントバレーとグランドキャニオンを足したようなユタ州を過ぎてコロラド州に入ると,風景が一変して,山の形も変わってきます。周りは緑が豊富で,スキー場だらけで,コロラド川の周りはどこも高級リゾートとなります。地元の人に聞くには,このあたりから宿泊するホテルがすごく高額になるそうですが,私は当然,そんな高級なところには泊まり(れ)ません。

●ロッキーマウンテン国立公園(Rocky Mountain National Park)
 デンバーへの途中にあるのが,今日紹介するロッキーマウンテン国立公園です。
 私がこの国立公園で記憶に残っているのはあわや遭難しかけた,ということです。
 …というのは少し大げさですが,それは,国立公園の入口を入ってさらに北上して,ミルナーパス(Millner Pass)という標高が3,279メートルの地点,つまり,大陸分水嶺のあるあたりの駐車場に車を停めて,トレッキングをはじめたら,途中でマウントアイダホの登山コースに行ってしまい,わけもわらなぬまま登山をはじめてしまったということでした。
 そもそも,私が行きたかったのはアルパインビジターセンター(Alpine Visitor Center)に行くトレイルのはずだったのですが,おそらく,ふたつにわかれた場所を間違えたのに違いありません。こんな軽率なことで,よくも無事だったものです。
 途中ですれ違った人たちがそんな格好で登るのかとか水も持っていないのかと心配して,水をくれたり食べものをくれたりと,散々迷惑をかけてしまい,そのうちに,もう引き返した方がいいよといわれ,下山することになったのでした。
 あの親切な人がいなかったらいまごろどうなっていたことでしょう。
 私がここで学んだことは引き返す勇気ということでした。
 私が登ってたのは富士山の山頂ほどの標高だったわけですが,そもそも,登山なんてする気はまったくなかったのです。
 下山する途中で,野性のエルクが3頭,草を食べているのに遭遇しました。
  ・・
 その後は,いいかげんな私の観光ペースにもどって,国立公園の展望台ごとに車を停めながら景観を楽しみました。
 国立公園を横断するのはトレイルリッジロード(Trail Ridge Road)。この道路のすごいのは,かなりの傾斜であり,片側は断崖絶壁,しかも,車線の幅が狭いのに,ガードレールひとつないことでした。日本なら,きっと,景観など度外視して,頑丈なガードレールが作られたり,注意を喚起する見苦しい大きな掲示板が作られるに違いがありません。
 当然,みんな運転が慎重で,のろのろと登って行くのですが,断崖の方が私の進行方向であったから,このときほど,この国立公園を逆から来るべきだったと後悔したことはありませんでした。そんな恐怖を感じながら,それでも,すばらしい景観を,ときには眺めながら走っていくと,やがて,フォレストキャニオン展望台(Forest Canyon Overlook)に到着しました。
 今思い出してみても,高山病にもならず,こんな高い所を無謀に散策していたわけだから,これもまた不思議な話です。
 断崖絶壁なのにガードレールがないのもアメリカらしいのですが,緊張しました。
 こんなところを知ってしまうと,日本で山登りをする気にもならないというものです。


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 試合が終わった。試合内容はまったく覚えていないが,ものすごく楽しかった。
 これから私は,車で,今日の宿泊先まで行く。目的地は,ネブラスカ州である。
 以前にも書いたが,私はアメリカ合衆国50州制覇をめざしている。その中で残されたいくつかの州のうちのひとつネブラスカ州に足を踏み入れるというだけの理由であった。
 というわけで,試合は楽しみたいが,万一延長戦にでもなればどうしようかと思っていた。まことにせわしない旅,所詮は,私も「せこい」日本人にすぎない。

 クワーズ・フィールドを出て,駐車場に向かった。
 ナイトゲームも美しいが,メジャーリーグはデイゲームがすばらしい。なにせ,景色がきれいだし,終了後が安全でいい。多くの観客は,これから楽しく夕食なのであろう。
 近くの街灯の柱に自転車をくくりつけた若者やら,野球グッズを売る店やら,アメリカらしい風景が一杯であった。また,ダウンタウンは,人生を楽しむ人たちであふれていた。
 私は,ダウンタウンを歩いて,駐車場に着いた。車を駐車場から出した。ネブラスカ州には,デンバーからまず北に向かうことになる。
 駐車場から出て,少し西に走れば,すぐにインターステイツ25に入ることができる。あとは,インターステイツ25をひたすら北に北に進んで州境を越えてワイオミング州に入り,シャイアンという町でインターステイツ80に乗り換えて,進路を東にとれば,ネブラスカ州に達するのだ。
 約300キロメートル,ほんの3時間のドライブである。

 ここまで来ると,「ほんの3時間」という感じなのではあるが,実は,今回の旅の予定はこれで終了してあとはアイダホ州に戻るだけなのであった。しかし,今日泊る予定のネブラスカ州はその反対方向なのである。つまり,ネブラスカ州に足を踏み入れるというのは,アイダホ州とは反対方向に回り道をすることになるわけである。
 駐車場を出て,インターステイツ25でひたすら北に向かって行く。とはいえ,夕暮れの大都会,帰宅を急ぐ車の数が半端じゃない。アメリカの都会の車の数は日本の比ではないのだ。だから,4車線も5車線もあるインターステイツに,ものすごい数の車が走っている。そりゃ,圧巻である。
 走っていくと,やがて,渋滞になった。その先が道路工事中なのであった。渋滞なく順調に走っても,到着は夜の8時ころなのだ。いったい,私は,無事にネブラスカ州に到着できるのか,だんだんと心配になってきた。しかし,幸運なことに,渋滞は思ったほどのこともなく,環状道路とのジャンクションに差しかかるにつれて,車の数は減っていき,それと共に車線も5車線が4車線となった。
 やがて,デンバーの市街地を出ると,インターステイツは,さらに,4車線が3車線,そして,最終的には2車線となっていった。そして,いつものように,のんびりとしたアメリカの郊外の雄大な風景が車窓から眺められるようになってきたのだった。

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 ほんの10分前には全くその兆候すらなかったのに,突然,雨が降ってきた。それも試合開始直前のことであった。私は,山岳地方の天気が変わりやすいように,この雨は一時的なものだろうと思った。それにしても,昨年行ったボストンでは,やっとの思いでチケットを購入したゲームが雨で中止になってしまうし,これでは,晴れ男失格ではないか。

 ダウンタウン同様,この球場も屋外でもフリーwifiがつながったので,アプリで天気予報を見ると,デンバー付近の雲の様子が明確に表示された。それによると,雨を降らす雲の一団が北西から押し寄せてきて,30分もすれば,再び晴れあがるようであった。
 私は,屋根のある立見席で昼食を取りながらこの天気予報を見ていたが,隣にいた人が,これは,今年の開幕ゲームと全く同じ状況だと言った。その時も,試合開始直前に雨が降り出して,すぐにやんだのだという。
 私は,彼に,アプリの天気予報を見せてあげた。

 やがて,場内放送がかかり,試合開始を30分遅らせる,というアナウンスがあった。そんなわけで,中止になるといった心配もなく,この一時的な雨は,しばしの休息となった。
 本当に30分もすると,あれだけ真っ暗だった空が晴れあがって,あれはいったいなんだったのだろうか,という快晴になった。
 試合が始まった。
 雨が降ったおかげで,レフト側の向こうには,ロッキー山脈が,美しく見えるようになった。

 試合は,いつものように,国歌の斉唱からはじまって,さまざまな演出があって盛り上がり,日本でいうところのゆるきゃらのような,被り物をした人がグランドでレースをしたり,まあ,どちらかといえば,アトラクションの合間に試合をしているような,そんな,雰囲気であった。被り物は,アトラクションが終わると,私の座っていたところの隣の通路を歩いて退場していったので,私の近くに多くのファンが押し寄せて,彼らを取り巻いていた。

 MLBを見るなら,よほど見たいプレイヤーでもいない限り,一番安価な座席のチケットを買って,最上段で見たほうがうんと楽しい。しかも,試合がはじまれば,指定席もあってないようなものだから,動き回って,いろんな場所から試合を楽しむといい。
 今回も,私はゲーム自体はどうでもよくて,雰囲気が楽しくて試合を見ているだけだったから,どっちが勝とうと負けようと関心もなくて,アメリカにいるんだなあ,という幸せを感じながら,のんびりと試合を見るつもりであった。が,実は,試合開始直前の雨が幸い? して,通路ごとにいるはずの係員がみんな引き上げてしまったから,このゲームでは試合開始前からすでに座席の指定などあってないようなものとなって,私は,値段の高い上席の空いているところに陣取って,試合観戦と相成った次第であった。

 そんなわけだから,試合の結果はほとんど記憶にないが,予想どおり,ロッキーズの惨敗に終わったような気がする。
 それにしても,ロッキーズ対カブスというのは,この年の最下位同士のどうでもよいゲームなのであったが,観客は,さらにそんなことはどうでもよくて,「ゲームを見ること=人生」を心から楽しんでいた。こういうのを見ると,やたらと勝つことにこだわっているヤンキースなど,最も愚かなことのように思えてくるのが,また,不思議なことである。
 人の生き方も,また,同じである。

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 私は,いつものように,球場のまわりを何度も歩きながら,探検をした。アメリカの球場は,どこも広いコンコースがあって,球場のまわりを1周できるのである。まだ試合開始前だったから,会員制のレストランの中も頼んだら見せてくれた。このように,この球場,ものすごく親切なのであった。私がこれまでに見たアメリカの20以上の球場の中でナンバーワンである。
 日本の,腹黒い,しかし,表面的だけのおもてなしとは別世界であった。
 さまざまな対応が温かく,本当に,この球場は,心から楽しむことができるところであった。

 これまで行った球場で,私が一番楽しかったのは,すでにブログに書いたが,ボストンのフェンウェイパークであった。シカゴのリグレーフィールドもおもしろかったが,フェンウェイパークにはかなわない。
 反対に,とてもデラックスでお金がかかっていることは実感できるが,ヤンキースタジアムは,金持ち相手の球場で,庶民には馴染めないところであった。
 いずれにしても,こうした球場でベースボールを見てしまうと,人工芝に屋根の開かないドーム,さらに,左右対称でおもしろみもなく,コンコースは狭く,遊びの精神に欠けていて,観客は鳴り物でどんちゃかどんちゃかとうるさく,風船ばかり何度も飛ばす日本の野球(場)には,たとえ1億円もらっても,私は行きたくない。

 場内に入ると,レフト後方にロッキー山脈が見えた。これがまたすばらしかった。
 この球場ができる前のはじめの2年間間借りしていた球場にはセンター後方に野球観戦用に増築した仮設スタンドがあったそうだが,その名残りとして,このクアーズ・フィールドには「ロックパイル」という名の観客席(=2番目の写真の中央左の上部が半円形になったスタンド)がある。私もここで見ようと思ったが,人気があって,売り切れであった。

 観客席は,いずれの階も伝統的な落ち着いた緑色に統一されているのだが,3階席20列目だけがチームカラーの紫色に塗ってある(=1番目の写真)。これは,この位置が,ちょうど標高1マイルの高さだからなのである。
 このように,標高の高いこの球場は気圧が低いために打球が飛びやすく,守っていても,フライやライナーがグ~ンと伸びてしまうのだそうだ。また,走ると足が速くなったと感じられるともいう。 
  ・・
 試合開始前,スタンドはどこも自由に入れたので,私は3塁側の内野スタンドの一番前で練習を見ていた。アメリカの球場にはバックネット以外には金網のネットなどという無粋なものはない。それに比べれば,日本の球場は,まるで檻である。
 ちょうどこの日の相手チームであるシカゴ・カブスの選手が練習中で,監督やらキャッチャーやらがスタンドのファンに気軽にサインをしていた。サインなどする気がない,という態度見え見えのヤンキースの選手とは全く違っていた。また,外野では背番号11をつけた藤川投手がランニングをしていたので,日本語で「がんばれー」と声をかけたらびっくりしていた。

 次第に観客増えてきた。
 外野側のコンコースでは,バーベキューをやっているし,1塁側の内野と外野の間にあるコンコースには,人気レストランの「マウンテンランチバー&グリル」があって,大変賑わっていた。また,3塁側内野には「ロッキーマウンテンオイスター」という名物フライ料理を出す売店があった。
 私も,お腹が空いてきたので,ちょっと分量の多いホットドッグとポテトとコーラを買って,昼食となった。といった感じで,試合前の楽しい時間もあっという間に過ぎて,やがて,試合開始の時間が近づいてきた。
 3塁側で練習をしていた藤川投手が,なにやら空を気にしはじめていた。先ほどまでは,とてもよい天気であったし,ここデンバーは雨の少ないところと聞いていたのに,なにやら,雲行きが怪しくなってきたようであった。
 見上げると,北西の空から真っ黒い雲がすごい勢いで向かってくるではないか。
 そして,まさに,試合開始直前,晴れ男の私に挑むかのように,突然,雨が降り出した。

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 ユニオン駅の周辺は,かつてデンバーの中心街として栄えた場所である。
 そのころのデンバーのことは知らないが,今から30年以上に行ったときのアメリカの大都市は,どこも,街の中心街がスラム化して,治安も悪かった。ニューヨークもサンフランシスコもロサンゼルスもそうであった。
 私は,憧れの大国アメリカのそういう姿を知って,どうにかならないのかなあ,と悲しくなった。

 それが,近年は,どこも,そうした,かつての退廃した中心街は,まず,ボールパークなどの集客施設を作り,そのまわりを栄えた時代の面影を残しながら再開発して,レストランやショッピング施設を整備,治安も回復して活気をよみがえらせているのだ。
 私の知る限り,それがなかなかうまくいっていないのはデトロイトであるが,アメリカ人のダイナミックさは,それもやがて克服するであろう。
 それに比べると,日本の駅前の惨状は悲劇的である。郊外に巨大なモールを作り客が逃げ,市内の駅前通りはどこも寂れて商店街は落書きの書かれたシャッター街と化してしまっている。

 アメリカの鉄道駅は改札がないから,ホームにまで自由に入ることができる。
 ちょうど,アムトラック(大陸横断鉄道)が到着する時間であったようで,多くの乗客が電車を待っていた。
 また,別のホームには市外に走る電車が客待ちをしていたところであった。
 広い駅舎はとても美しかった。
 まだ,工事中のところが若干残っていて,クアーズフィールドへ行くまで少し遠回りをする必要があったけれど,試合開始2時間前の開場の時間に,到着することができた。

  ・・・・・・
 クアーズフィールド(Coors Field)は,コロラド・ロッキーズ(Colorado Rochies)の本拠地である。
 コロラド・ロッキーズは1993年にナショナルリーグの拡張球団として誕生した。最初の2年間は,NFLデンバー・ブロンコスの当時の本拠地マイルハイ・スタジアムを間借りしていたが,1995年4月に誕生したのが,このクアーズフィールドであった。
 球場は,周辺の古い倉庫と同じ赤レンガと鉄道駅の敷地だったことにちなんだ鉄鋼を組み合わせた歴史を感じさせる構造になっていて,素晴らしい建物である。
  ・・・・・・

 アメリカの球場は,写真や中継で見る以上に,行ってみると,どこもものすごく豪華である。そして,観客の熱狂がものすごいものである。私は,MLBを観戦するときは開場と当時に中に入ることにしているが,そのころから,すでにものすごい盛り上がりであった。
 実は,コロラド・ロッキーズは,球団ができた当時は,けっこう強豪であったのだが,このところ,弱小球団になりさがっていて,ずっと,最下位を続けている。
 2012年に行ったミネソタ・ツインズもその頃は弱小球団であったが,そんな順位はファンには全く関係がなく,球場は熱狂的なファンであふれかえっていた。
 彼らはこのチームの現在の順位を知らないのではないのか,と錯覚するほどであった。

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 コロラド州議会議事堂を見学した私は,再び,16番ストリートモールを今度は北西に向かって歩いていった。きょうは,このあと,ダウンタウンをのんびり歩いて,クアーズフィールドでMLBを観戦するのである。

 私が昨日以来,ズボンのベルトを探していたのを覚えておいでであろうか? 海外旅行では,飛行機で座っていることが多いために,少し大きめのズボンをはいているのだが,搭乗時のセキュリテイチェックでベルトをはずす必要があるために,めんどうだから,ベルトをしていないのである。元来,私は,腕時計もしないし,できるだけ何も身につけたくない。さすがにアメリカの町歩きをするときはスニーカーを履いているが,機内ではサンダル(クロックス)である。
 しかし,今回は,少しズボンが緩すぎた。それで,ベルトを買おうとずっと思っていたのだが,その機会を逸していたというわけであった。

 紐でもなんでもよかったくらいだったのだが,そうしたものもなく,ついに,デンバーまで来てしまった。
 ストリートモールを歩いていたら,1軒のお土産屋さんがあったので,中に入った。
 さすがカーボーイの国アメリカ。結構な数の高級品のベルトが置いてあったので,意を決して(大げさだ),ここで,その中で最も高級でないベルトを購入することにした。そんな次第で,このときはじめて,私のお腹まわりに,それでもけっこうぜいたくなベルトがまかれたのであった。

 次に,コーヒーブレイクをすることにした。私が入ったのは,カリブーコーヒー(Caribou Coffee)というお店であった。
 カリブーコーヒーは,アメリカでスターバックスの次に大きなコーヒーショップである。ここのスローガンは,「Life is short. Stay awake for it.」 なのでだそうだ。
 このお店も屋外にテーブルとシートがあったので,そこで,のんびりとコーヒータイムを楽しんだ。
 驚いたのは,屋外でもフリーwifiがつながることであった。
 コーヒーを飲みながら街の様子を楽しんだあとは,再び街歩きである。アメリカの都会は広く美しく,人だらけでないので,こうした街歩きがとても楽しい。

 そのあと,さらに,ダウンタウンを北西に歩いて行った。
 ここは,ロードー地区というところである。
 ロードー地区(LoDo)には,ユニオンステーションがあって,ここから北東に歩いて行ったところに,メジャーリーグのコロラド・ロッキーズの本拠地クアーズフィールドがある。
 ロードー地区は,大掛かりな工事が行われていて,それもほぼ完成に近づいていて,昔からの美しい街並みが再現され,駅も当時の様子を残したまま,近代的な建物に蘇っていた。
 日本は歴史が古いのに,それを大切にせず,アメリカは歴史が新しいのにもかかわらず,それらを上手に再開発していることが,うらやましくあり,日本が情けなくもなる。

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 やがて,私は,金色のドームがひときわ目だつコロラド州議会議事堂に到着した。この金色は純金である。
 この議会議事堂は,シビックセンターパークという広い芝生広場の一角にある。この広場を挟んで,西にはシティカウントリービルディングがあり,南にはデンバー美術館と図書館があり,東にコロラド州議会議事堂がある,というかそびえている。
 と文字で書いてはみたが,写真で見るように,実際は読んだだけでは想像できないほど広いところなのであった。
 どの州も,こんな感じなのである。これだけでも,この国の豊かさが実感できるというものだ。
 私は,34年前にはじめて首都ワシントンに行って,よくもまあ,こんなすごい国と戦争をしたのものだ,とあきれたのを覚えている。

 今日の1枚目の写真がコロラド州議会議事堂なのだが,シビックセンターパークからは東側にあたるから,早朝にはこの正面は逆光になるので,どうやってもうまく写真が写せない。
 そして,その正反対の方角の建物であるシティカウントリービルディングのほうは,とても美しく写真を写すことができる。
 私が行った日もそうであったが,この建物のまわりには,きれいな花が植えられていたり,そうした作業をしていたりして,むしろ,こちらの建物の方が存在感があり,美しかった。

 コロラド州議会議事堂に到着したのは,まだ9時前の早い時間だったので,確か,まだ早すぎて中に入れなかったように記憶している。
 そこで,入口でしばらく待っていた。
 日本でいえばこの州議会議事堂は県庁のようなものに思えるかもしれないが,正確にいえば,県庁でなく,アメリカは合衆国,いや,正しくは「合州国」だから,むしろ国会議事堂というべきだろう。
 そして,それぞれの州の議会議事堂は広く一般に公開されていて,自由に中に入ることができるし,見学ツアーも行われているから,観光で行く人も多い。

 そして,こちらの州議会議事堂の中はものすごく豪華で,一見の価値がある。
 内部が自由に見学できるということこそ,民主主義の国だということが実感できることなのだ。
 つまり,この建物は,特別な人たちの専有物ではなく,みんなのものなのだ。国民主権なのだ。そこが,国民から選ばれた人たちが国民より偉い(近頃は憲法より偉い-そのうち私は私は神だと言い出すであろう-)と錯覚しているえせ民主主義,実は殿様国家の日本とは根本的に違うところなのである。以前,愛知県に鈴木礼治という知事がいた。彼は引退するときに,県民ではなく県会議員に向かって辞めると表明した。これだけを見ても,根本的に考え違いをしていることがわかるであろう。

 やがて,コロラド州議会議事堂に入ることができる時間になったので,内に入った。
 ここの議会議事堂は,自由に入ることが出来るとはいっても,非常にセキュリティが厳しくて,空港並みの検査があった。
 まだ見学ツアーには時間があったので,私は,それに参加するのはあきらめ,セルフツアー(アメリカではツアーに参加せず自分で見学することをこういう)でまわることにした。
 3番目の写真は,州議会議事堂の建物の中にある州の最高裁判所である。
 アメリカの州議会は,ネブラスカ州を除いて連邦議会と同じように上院と下院の2院制で,それぞれの議会があり,さらに,このように,議会議事堂には州の最高裁判所も同じ建物の中にあることが多い。
 そして,使用していないときは,こうして自由に中に入って見学することができる。もちろん,議会開催中は傍聴もできる(私はワシントンでアメリカ連邦議会を傍聴したことがある)。
 その後,上の階に登ると,ドームのまわりの部屋に,この建物を作ったときの貴重な写真などが展示されている広い展示室があった。
 一番下の写真のように,建物の中はすべて大理石で作られていて,気品にあふれていた。

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 この芸術センターには,ミュージカルをやっている劇場がたくさんあった。ニューヨークでいえば,ブロードウェイとでもいえる場所であろうか。
 まだ,朝早かったので,どこも劇場は閉まっていたが,周りを見渡すと,この一角はそうした文化街であった。

 デンバーのダウンタウンは,16番ストリートモール(16th Street Mall)を中心に,通りが北西から南東に,北東から南西に,碁盤の目のように走っている。
 この16番ストリートモールは,デンバーの代表的な通りで,並木道が美しい。
 市内は,フリー・モールライド(Free MallRide)とよばれるハイブリッドシャトルバスが走っているし,ライトレール(Light Rail)という市電も走っている。
 また,ダウンタウンにはフリーwifiも完備されていて,どこでもネットが接続できる。
 本当に素敵な町であった。

 アメリカでは,ミネアポリスも同じようであったけれど,このくらいの規模の都会のダウンタウンは,日本の同じくらいの人口の都市とは比べ物にならないほどすてきなところだ。
 東京のように人だらけではないし,車も多くなく,また,公共交通も無料だったりするし,治安もよいので,本当に楽しく歩き回ることができるのだ。また,屋外にはカフェなどもたくさんある。
 おまけに,自由に利用できるバイク(自転車)も完備させていて,その自転車の駐輪場も街の一角にある。

  私は,まず,劇場街を出て,16番ストリートモールを南東に10ブロックくらい歩いて,コロラド州議会議事堂に向かった。
 コロラド州議会議事堂は,ダウンタウンの南の端にある。
 議事堂までいく途中にコンペンションセンターがあって,このビルに寄り掛かるように巨大なクマの彫像がある。大きさは,ビルの3階くらいまであって,これが,デンバーのランドマーク的な存在なのだそうだ。

 とはいえ,デンバー市内の観光といっても,他のこうした規模の都会と同じように,見るべきところは,他の都市と同じように,美術館と科学博物館くらいのものだ。
 アメリカのどの都市にもあるのは,こうした美術館と科学博物館のほかには,シンフォニーホールと野球場とフットボール競技場とバスケットボールのアリーナである。 
 デンバーにも,デンバー美術館とデンバー自然科学博物館というものがあった。
 デンバー美術館は,コロラド州議会議事堂の南にあって,ネイティブアメリカン・アートのコレクションで有名なのだそうだ。しかし,特に,私の興味を引くようなものもなさそうだったので,行く気がしなかった。きっと,ものすごく大きな落ち着いた美術館であろう。
 デンバー自然科学博物館は,動物のはく製のジオラマとかプラネタリウムが人気だそうだが,なにせ,こちらのほうは,ダウンタウンから5キロメートルも離れていたので,行くことができなかった。
  ・・
 というわけで,デンバーのダウンタウンは,どうやら,デンバー州議会議事堂以外には,ウィンドウショッピングでもしながらのんびりと散策して,そのあと,MLBを見るのがもっとも私には合っているところのようだった。また,それだけで十分に幸せになれる街であった。

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☆6日目 8月7日(水)
 昨日,念願のデンバーに着いた。そして,6日目の朝が来た。
 窓から見えるデンバーの朝の景色が美しい。
 宿泊してもほとんど記憶にないホテルもあるが,ここはとてもよく覚えている。どうしてだろうか?
 デンバー(Denver)は、コロラド州の州都で人口は約60万人,アメリカ中部の金融・経済における中枢として顕著な発展と人口増加が続いている大都会である。

 ここは,標高1マイル(約1.6キロ)に位置することから,マイル・ハイ・シティー(The Mile-High City)の愛称でよばれていて,コロラド州会議事堂の階段やメジャーリーグのコロラド・ロッキーズの本拠地であるクアーズフィールドのアッパーデッキの座席の列などに1マイルを示す特別なカラーリングが施されている。
 クアーズフィールドの座席の写真は後日載せる。
 また,農業においても重要な平原に位置することから,平原の女王都市(Queen City of the Plains)ともよばれている。

 デンバーという地名は,アメリカ陸軍からカリフォルニア州州務長官や連邦下院議員を務めたジェームズ・W・デンバーに因むものである。
 内陸部の高原に位置するために,気温の日較差および年較差が大きく,また,10月から4月は降雪がある。しかし雪の日はそれほど多くなく,積雪が長く残ることは少ないのだそうだ。
  ・・・・・・
 デンバーは,昔は鉱山都市であったが,現在は,商業,経済,金融の中心地として発展する傍らで,今でも鉱産資源を生かした精錬所があって,農牧業の発展による食肉加工業も盛んである。
 また,今日ではエレクトロニクス,半導体産業の進出が目立っていて「シリコンマウンテン」とも呼ばれるハイテク工業地域を形成している。
 その一方で,ロッキー山脈を近くに控えて,スキー場が多く、山岳リゾートの拠点としても発展しており,観光都市としても注目を浴びている。
  ・・・・・・

 ホテルの朝食は,フロントのある本館の奥にあるレストランに用意してあった。
 いつものように,時間が惜しいので,早朝レストランに行った。まだ,ほとんど人がいなかったが,すでに食事をすることができた。ここの朝食は,写真のように,卵料理もフルーツもあって,なかなかのメニューであった。
 朝食後,早々にチェックアウトをして,ダウンタウンに向かった。こちらに通勤ラッシュがあるのかどうか知らないが,まだ,街が動き出す前の静かなダウンタウンであった。
 昨日の晩に下見をしたように,昨日と同じ駐車場に向かい,車を駐車した。ここの駐車場は,昨日はわからなかったが,ダウンタウンの一角にある芸術センターの駐車場であった。作晩は1階の駐車場からそのまま外に出たが,今朝はそのビルを上がっていくと,そこは芸術センターになっていたのだった。

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 前回書いたように,車でホテルを出て,ダウンタウンに向かった私は,ホテルから東に,インターステイツを跨ぎ,橋を渡ってデンバーのダウンタウンに着いた。歩くととんでもない距離であるが,車だとあっという間であった。

 これまでにも書いたことがあるが,アメリカの都会は,日本とは比べ物にならないくらい広いが,ともかく,どこかに車を駐車して,まわりを歩いてみないことには様子がわからない。この日の目的は,あすのダウンタウン観光の下見であった。
 デンバーのダウンタウンは,碁盤の目の区割りになっていて,非常にわかりやすいのであるが,ただひとつ錯覚するのは,他の地域が京都のように東西・南北に区割りされているのにもかかわらず,ダウンタウンだけが,北西から南東,北東から南西と斜めに区割りされていることなのであった。
 私の宿泊したスーパー8は,ダウンタウンの西,川とインターステイツ25を渡ったところにあって,スピア・ブルバード(Speer Blvd)を南東に走っていくと,ダウンタウンの13番ストリートあたりに出る。そこから北東(ななめなので煩わしい!)に向かって,14番ストリート,15番ストリート,…,というように,数字が大きくなる。

 私は,2,3ブロック北西に進んで駐車場を探した。
 ビルの一階に,手ごろな駐車場を見つけたので,とりあえず,そこに車を停めることにした。アメリカの駐車場は駐車料金が日本に比べて非常に安いから,ともかく,どこでもいいから停めてみることをお勧めする。車から外に出て,車を停めた場所がどこかだけはしっかりと確認して,近くの交差点の写真も写してから,とりあえず,ダウンタウンを歩いて見ることにした。
 デンバーは非常に治安のよい都会ということであったが,それでも,とにかく,アメリカの都会,しかも夜であるから,油断は大敵である。
 私のデンバーの第一印象は,ミネアポリスと似た都会だなあ,ということであった。端的にいえば,好印象の都会であった。

 まず,明日MLBを見るクワーズフォールドへ行ってみることにした。
 歩いている人に聞いてみると,6ブロックほど北東に歩いていけばよいということだったので,そのままダウンタウンを歩いて行った。途中は,とても人通りが多く,屋外にレストランがあったりして,すてきな町であった。
 クワーズ・フォールドに近づくと,少しずつ人通りが少なくなってきた。
 どうやら,この地区は,ヨーロッパでいうところの旧市街みたいなところで,現在再開発中,そうした場所に,まず,ボールパークを作るのは,他の都会と同じである。

 やがて,明るい照明が見えてきた。
 クワーズフォールドは,試合の真っ最中であった。というか,試合がもうすぐ終わるところであった。私は,明日に備えて,ボールパークまわりを1周して,手ごろな駐車場を探してみたが,やはり,その周辺は,野球の開催時間だけは駐車料金が異常に高いのも,他の都会と同様であった。
 しかし,明日はデーゲームだから,それほど近くに停める必要もあるまいと思った。
 ボールパークの照明とこだまする歓声を聞いていると,だんだんと,明日の試合が楽しみになってきた。

 そのあと,少し遅くなったが,夕食をとることにした。
 デンバーには,桜スクエアという日本人街がある。その辺りに日本食の食べられるレストランがあるのでは? と思ったので,行ってみた。交差点の角にビルがあって,日本料理という看板があったので,そのビルの2階に上がってみたのだが,残念ながら,私の思ったような日本料理店ではなく,中国料理店であった。しかも,誰もお客さんがおらず,店は暗く,やっているのかどうかさえよくわからなかった。
 入口が開いていたので,中に入って,食事ができるか聞いてみると,無愛想な中国人風の女性が大丈夫だという。そこで,焼きそばを注文して,寂しく夕食を食べたのだった。
 まあ,この日は,そんな程度で,再びダウンタウンを歩いて駐車場に戻った。
 結局,私の駐車した場所からクワーズ・フィールドまでは20分くらい歩かなければならなかったが,駐車場はダウンタウンに近く,インターステイツにも近いから,明日も,今晩駐車したところに停めることにした。
 なんでも,この駐車場にはアメリカお得意の「アーリーバード・スペシャル」つまり,早朝割引というのもあるらしい…。日本でいうところの「早起きは三文の徳」というものである。

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 スーパー8はインターステイツ25沿いにあった。片側4車線のインターステイツ25を南に走って行くと,NFLの名門デンバー・ブロンコス(Denver Broncos)の本拠地スポーツオーソリティ・フィールド・アット・マイル・ハイがそびえていた。それを過ぎてジャンクションを降りると,まもなくホテルに到着した。
 古く大きなホテルであったが,私には何の問題もなかった。このホテルは,スーパー8なのだが,建物にはラマダインと書かれてあった。きっと,昔は,少し高級なラマダインだったのが,古くなって格下のスーパー8に買収されたのであろう。
 車を停めて,ラマダインと書かれた建物の1階にあるフロントに行って,チェックインした。
 部屋は,フロントのある建物の隣の建物の2階であった。けっこう広い部屋で,往年の高級ホテルの面影があった。大きなプールもあって,夜になったら,カップルがじゃれあっていた。

 さっそく荷物を入れて,再びホテルから外に出た。夕暮れで,遠くに見えるデンバーのダウンタウンの景色がとても美しかった。ダウンタウンまではシャトルバスが出ているということであったが,待っているのも煩わしく,インターステイツ25を跨ぐ高架橋を歩いて,ダウンタウンに向かうことにした。
 ということで,歩き始めたのだが,実際歩いて見ると,それが半端な距離ではない。
 もう,少し暗くなりかかっていたが,女性がふたりで同じ道をのんびりと歩いていたりしたので,治安は問題なさそうであった。しかし,この先歩いてダウンタウンまで行っても,戻るのがまた大変そうであったので,一旦ホテルに引き返して,再び車でダウンタウンに行くことにした。

 このこともいつもブログに書いているが,アメリカの都会は,とにかく,ダウンタウンのどこかに車を停めて,そのあたりを30分くらい歩き回ると,土地勘が芽生えてくるから,それから観光プランを考えるといい。特に,私のように車で旅行をしている者には適当なガイドブックがなく,どこに車を停めるかは,自分で考える必要があるのだ。
 私は,明日1日,デンバーを観光する予定であったから,きょうはその下見のつもりでダウンタウンに行くことにしたのだった。
 改めて車で高架橋を渡ると,そこはすでにダウンタウンであった。

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 問題は,この後であった。今,これを書きながら,調べてみても,やはり,私がどこを走ったのかよくわからないのだ。
 このあたりのことを整理してみる。
  ・・
 すでに書いたように,私は,デンバーへ行く途中でボウルダーを経由しようと思っていた。地図を見ると,エステスパークからボウルダーを経由してデンバーに行くのは,箱根から東京を目指すのに横浜を通るくらい自然なのである。そして,私がボウルダーを経由したかったのは,高橋尚子さんのとレーニング場所だったというそれだけの理由であったのだが,結論をいうと,私は,ボウルダーに行きそびれた。

 国道36を走っていくと,時々,ボウルダーという道路標示があって,そのまま走って行けば何も問題ないように思えた。しかし,そのうちに,国道36はこの先工事中で,迂回路という標示があったのだった。このあたりから,私は訳が分からなくなった。
 第一,アメリカで迂回路と書かれていたときにきちんと迂回路の道路標示があるなんて思えないであろう。そうなのです。以前,バーモント州の州都モントビリアという「全米唯一マクドナルドのない州都」へ行ったとき,やはり,道路工事中で迂回路を走って訳がわからなくなったことがあるのだが,その時と同じであった。
 しかも,アメリカは,どうしようもなく広いから,一度走り出したら,数十キロは覚悟を決めて先に走るしか方法がない。で,私は,何が何だかわからなくなったのだった。

 私の走っている国道36の迂回路にも,この先ボウルダーという道路標示が時折あったから,私はそのまま走っていったのだが,道路はだんだんと山の中に入って行って,今日の写真にあるように,U字路どころか,道路はカーブだらけになった。
 周りは結構豪華な別荘地であったが,見晴らしも悪く,あまりのカーブに,方角も定かでなくなり,果たしてデンバーに近づいているのかさえ,疑心暗鬼になっていった。しかも,どれだけ走っても依然そんな調子だったから,デンバーって,こんなに遠いのだろうか? と不安になっていった。
 これを書きながら,今,GoogleMaps のストリートビューを見ても,自分がどこを走ったのか,さっぱりわからないのだ。

 しかし,そうこうするうちに,遥か遠くに町並みが見えてきた。どうやら私は,山の中を延々と走リ回った結果,ボウルダーの西なのか東なのかはさっぱりわからないのだがそのどちらかの道を南に向かって走り,ボウルダーの町を過ぎてしまってから,どこかで進路を東に変えて走ってきて,車は,西から東に向かって,無事デンバーを目指して山を下っていたのであった。
 やがて,はるか左前方に大きな湖が見えてきた。湖の周りは大平原であった。そして,その湖の向こうに,デンバーのダウンタウンのビル街がシルエットになっていた。
 もう迷う必要はない。デンバーへはあのシルエットを目指せばよいのであった。
 それにしても,私の行きたかったボウルダーはどこへ行ってしまったのであろうか?

 左前方に見えた湖はスタンドリーレイクという名の湖であった。どうやら私は,そこまでどう走ったのかはわからないが,最終的に国道72を西から東に走ってきたようであった。
 スタンドリーレイク(standley Lake)というのは,約5平方キロメートルの貯水池である。もともとデンバーの北西周辺の地域の農業灌漑用の水を提供する目的で構築されたが,現在は水道水の供給として利用されている。また,レクリエーションの基地ともなっている。
 次第に,車はデンバー近郊の住宅地に入っていって,多くの車が走っている流れに乗って,インターステイツ25にたどりついた。もうあとは,今日予約したホテル・スーパー8まで行くだけであった。

◇◇◇
2013アメリカ旅行記―日の出と日の入りと⑩

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 これから,ロッキー山脈国立公園からデンバーまでの道のりを追っていく。
 私にとって,デンバーはずっと行きたかったあこがれれの都会であった。
 全天に多くの星々があっても,1等星はわずか21個しかないように,アメリカ合衆国に多くの都会があっても,大都市というのはわずかしかない。そしてまた,多くの日本人の訪れるアメリカはこうした大都市がほとんどである。

 私は,これまでにそのほとんどに行ったことがあるが,この時点では,これまで私がずっと行きたくても行く機会がなかったのが,ソルトレイクシティ,カンザスシティとともに,デンバーであった。
 これらの都市は,ニューヨークなどのように,わざわざその都会へ行くだけの動機に弱く,また,そこを経由して次にどこかへ行くという中継地としても魅力に欠けるのが,これまで行く機会がなかった理由であった。
 しかし,この旅で,私は,ついにソルトレイクシティとデンバーに行くことができた。その1年後には,カンザスシティにも行った。そして,私の認識が愚かな間違いだったことに気づいたのであった。

 すでに,ソルトレイクシティについてはブログに書いた。ソルトレイクシティは,ユタ州の国立公園やイエローストーン国立公園の玄関口であるし,以前フロリダへ行ったときの帰りに乗り換えの中継地でもあったから,これまでにも空港へは行ったことがあった。
 デンバーには,そうした機会すら全くなかった。
 ここはデルタ航空のハブ空港でもないから,その気にならないと行く機会がなかったのだ。しかし,すでに書いたことがあるが,私は,中学校1年生の時の英語の教科書でこのデンバーという町の名前を知って以来「気になる存在」だったから,「あこがれの君」でもあったわけだ。
 そのデンバーについてこれから書いていくわけだが,行ってみると,実に美しく治安のよい素敵な都会であった。そして,多くの日本人の住むところでもあった。

 では,先を急ごう。
 帰国後に調べてみると,どうやら,私は,ロッキー山脈国立公園から国道34を走り,分岐点で国道36に入り,道なりにどんどん国道36を走ったらしい。そして,デンバーに行く途中でボウルダーに立ち寄りたいという一念でエステスパークまで到着したのだった。
 エステスパーク(Estes Park)はロッキー山脈国立公園の東の玄関口にあたるリゾートタウン,人口は約6,000人である。
 今日の写真のように,私がこの町を訪れた季節は,まさに,観光のピークだったから,多くの観光客で町はごった返していた。ここはデンバーに近く,先に書いたようにデンバーには多くの日本人が住んでいるから,この町を訪れた日本人の書いたブログも存在するが,それらによると,ここエステスパークのホテルの宿泊代がとても高いということが書かれてあった。
 私は,エステスパークの宿泊代が高いというよりも,デンバー近郊のリゾートタウンすべての宿泊代が高いという方が適当であると思う。むしろ,デンバー市内に宿泊したほうが安価なのである。

 車の中から,エステスパークの美しい町並みを眺めながらさらに走っていくと,道はT字路になった。私は詳細な地図を持っていなかったので,もはやこの辺りの地理はさっぱりわからなかったから,道路標示だけが頼りであった。
 T字路で国道36と書かれた道路標示にしたがって右折して,さらに進んだ。そして,そのままさらにエステスパークの街中を進んでいくと,今度はY字路になった。再び,国道36と書かれた道路標示にしたがって進路を右にとった。
 そうしているうちに,いつのまにか広くもないエステスパークを出て市外地になって,そのまま国道36を南東に,一路,ライオンズという次の町を目指すことになったのだった。

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 トレイルリッジ・ロードは,このように標高の高いところをずっと走っていくが,それでも,野生の動物がいたり,見晴らしもよいから,日本の山岳道路のような感じとは違っていた。
 残念だったのは,ベアレイクへ行き損ねたことであった。
 ベアレイク(Bear Lake)は,トレイルリッジ・ロードの東端から南に分岐するベアレイク・ロードを走った終点にある湖である。私は帰国後にこの文章を書きながらいろいろ調べていて,こんなすばらしい所を見損ねたことにはじめて気づいたのだった。そこはロッキー山脈国立公園一番の見どころとでもいうべきところだったのだ。もし,これからここを訪ねられる方があれば,忘れずに行かれるといい。

 ベアレイクでは,ハレットピーク(Hallett Peak)が目の前にそびえている湖畔のトレイルを一周40分かけて歩くと,最高峰4,345メートルのロングズピーク(Longs Peak)を湖面に写す絶好のポイントに出会うそうである。
 また,ここからは,ハイキングトレイルもあるし,ベアレイク・ロードの途中には,モレーンパーク(Moraine Park)やスプラグレイク(Sprague Lake)の湖畔トレイルもある。
 ああ,本当に惜しいことをした。
 しかし,その時は,そんなことも知らず,私は,ひたすらロッキー山脈国立公園から東に,デンバーに向かって走って行った。
 
 ところが,さらに調べてみると,ベアレイクへ行くときに走るベアレイク・ロードへ出る分岐点というのが非常にわかりにくいのだ。
 トレイルリッジ・ロード,つまり国道34を走っていくと,やがて分岐になり,ここを自然に直進すると国道36になってしまうので,国道34へ行くには,ヘアピンカーブを左折しなくてはならないのだが,その分岐の場所での道路標示は地面に書かれた指示だけなのである。しかし,ベアレイク・ロードへ行くには国道34ではなく36の方へ向かう。そうすれば,その先に分岐があるのだが,その辺りは,多くの道路が枝分かれをしていて,どこを曲がればその道がベアレイク・ロードなのかがよくわからない。
 だから,もし,私がベアレイクに行くことを知っていたとしても,きっと,その時は苦戦したに違いない。
 行かれる方は,このあたりの詳細な地図を持参するか,カーナビが必要である。

 はじめに,この国立公園は"Γ"の形に道路があると書いた。要するに,ベアレイクはその一番右の端から南にベアレイク・ロードがあって,そこを下ったところにあるということなのだ。そしてその道を往復するわけだ。
 このように,私は,この時はベアレイクへ行かなかったので,そのまま国立公園の一番右の端にある東の出口を出て,ひたすらデンバーに向かって進んでいった… はずであった。
 地図で見る限りでは,この先ほんの数キロメートル南東に進めば,デンバーのダウンタウンに出るように私には思えた。ちょうど,京都にたとえれば,高尾の神護寺のある愛宕山から京都市内に行くとでもいえばいいだろうか? あるいは,さいたま市から東京都心へ行くとでもいえばいいだろうか。そんな感じであった。

 私の車にはカーナビがなかったので,地図だけを頼りに走っていたが,この時はすでに,もうわずかでデンバー… そんな楽観した気持ちであった。しかも,デンバーへ行く途中にはボウルダーという町がある。ボウルダー(Boulder)は,高橋尚子が高地トレーニングをしたところである。だから,私は,デンバーに行く途中で,ボウルダーにも立ち寄って行けばいいといった余裕であった。
 国立公園の出口からどんどん山を下っていって,そのうちに,あたりは平原になった。
 さらに進んで,やがて,エステスパークという町に到着した。ここは,この国立公園の東の玄関口にあたるきれいな町であった。
 ところが,実際は,この後が,またまた,たいへんなのであった。

◇◇◇
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 私はミルナーバスからのトレイルのどこをどう歩いたのかいまもってよくわからないのだが,さんざん迷惑をかけながら,なんとか,ミルナーバスの駐車場まで戻ってくることができた。
 すでに午後4時過ぎ,さすがにこの時間になると,これからトレイルを歩いて行くという人もいなくて,だんだんと心細くなりながら,戻ってきた。
 こうして,私は,エルクを目の前に見ることができたことと,カメラのバッテリーがほとんどなくなりかけてきたことだけが思い出として残ったのだった。
 車に戻って,ようやくカメラのバッテリーを交換した。
 この先,まだ,ロッキー山脈国立公園は先が長い。さあ急いで回ろう。

 出発して,周遊道路である国道34を進んでいくと,やがて,アルパイン・ビジターセンターに到着した。
 今調べてみると,私が引き返したミルナーバスからのトレイルを地図通り歩いて行くと,このビジターセンターに到着するらしいのだが,もし,私がその地図どおりにトレイルを歩いて,この場所に着いたとしたら,それはそれで問題であった。車はミルナーバスに駐車していあるのだがら,いったいどうやってそこまで戻ればよかったのであろうか? シャトルバスがあるらしいのではあるが,バスを待つ時間などを考えると,私のような急ぎ旅がすることではないであろう。

 このビジターセンターには広い駐車場があったが,多くの車が停まっていた。阿蘇山の山頂に登る手前のロープーウェイ乗り場の駐車場のような感じの場所であった。
 私もなんとかスペースを見つけて車を停め,しばらくそこからの展望を楽しんだ。こういったところで展望を楽しんでいるのは大概家族連れやグループで,ひとり旅の私が彼らに話しかけたりする余地はまるでない。

 さて,このビジターセンターから先は,トレイルリッジ・ロード(Trail Ridge Road)という名前で,国道34が続いている。その道に並行して,オールド・ウォールリバー・ロード(Old Fall River Road)という未舗装の道路もある。
 トレイルリッジ・ロードは世界でも有数な山岳道路で,この道路が通行可能なのは,5月下旬から10月中旬である。このロードはロッキー山脈を横断する全長40マイルの山岳道路で,通り抜けできる舗装道路としては全米最高地点3,713メートルを通り,国立シーニックハイウェイにも選ばれている。標高から考えると,なんと,富士山の山頂付近を走っているようなものである。
 オールド・ウォールリバーロードは,1920年に開通したロッキー山脈越えの道路で,トレイルリッジ・ロードが開通するまではこの道を通行していたという。途中の眺めはよいらしいのだが,未舗装道路である。

 私は,もちろんトレイルリッジ・ロードの方を走って行ったのだが,この道路のすごい所は,かなりの傾斜であり,片側は断崖絶壁,しかも,車線の幅が狭いのに,ガードレールひとつないことであった。日本なら,きっと,景観など度外視して,頑丈なガードレールが作られたり,注意を喚起する見苦しい大きな掲示板が作られるに違いがない。
 当然,みんな運転が慎重で,のろのろと登って行く。断崖の方が私の進行方向であったから,この時ほど,この国立公園を逆から来るべきだったと後悔したことはなかった。
 …という恐怖感を感じながら,それでも,すばらしい景観を,時には眺めながら走っていくと,やがて,フォレストキャニオン展望台に到着した。
 あたりはまだ雪が解けておらず,また,遠くには,多くのロッキーの山々が見渡せた。なにせここには4,345メートルのLongs Peak をはじめとして,標高が4,000メートルを超える山が14もあるのだ。
 今思い出してみても,高山病にもならず,こんな高い所を無謀に散策していたわけだから,これもまた不思議な話である。

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 私は,帰国後,これを書きながら,大いに反省するのである。地図も持たず,何の準備もせず国立公園のトレイルを歩くなどというのはかなり無謀なのである。
 おまけに,このときは,私の持っていたカメラのバッテリーがほどんどなくなりかけていたのに,予備のバッテリーも持っていかなかったので,せっかくの景色をたくさん写すこともできなかった。
 かえすがえす,私は懲りない人間なのである。自分でも呆れかえる。

 このミルナーバスの駐車場から湖の畔を通ってトレイルが伸びていて,老若男女,多くの人が歩いて行くのが見えた。
 実は,帰国した今でもよくわからないのだが,一体,このトレイルはどこに向かっていたのであろうか? 改めて調べてみても,実際,本当によくわからないのである。
 そのいきさつは次のとおりである。
 私は,このミルナーパスには美しい湖はあるけれども,ロッキー山脈の景色を見渡すには,もっと高い展望台に登る必要があると思った。だから,ここから延びるトレイルをほんのわずか登れば,そうした絶景が現れると思っていたのであった。
 トレイルを戻ってきた女性に,この先に何があるのか? と聞くと,何が見たいのかと言ったので,雄大な景色だというと,ならば,このトレイルに沿って歩いて行くと道がふたつに分かれるからそこを右に行くといい,と言われた。右ですよ,右と何度も念を押された。そこで,私は,歩きはじめたというわけであった。

 私は,これを書いている今でもまだ,そのふたつに分かれたところを左に行くとアルパイン・ビジターセンターに行くトレイルで,彼女が言ったように右に行くと,どこかの山頂に登るトレイルなのだと信じているのだが,今,どう調べても,ここからのトレイルは,アルパイン・ビジターセンターに行く1本のものしかない。
 一体この時の私はどこを歩いたのであろうか?
 というよりも,こんなめちゃくちゃなことをしてはいけないのだ。
 この時の私は,この女性の言ったように,右へ右へと言い聞かせながら,ふたつに分かれた場所を右に回った。そのときほかにも歩いている人がいて,やはり,その場所でどちらへ行くべきか迷っているようであった。

 さらに進むと,次第に見晴らしがよくなって,視界が開けてきた。しかし,どこまで行ってもずっと道が続いているだけで,私は一体何を目指して歩いているのか次第にわからなくなってきた。そのころ,後ろから歩いてきた男の人がいて,飲み物は持っているか? 上に羽織る服はあるか? 食べ物を持っているか? と親切に聞いてきた。私はそんなものひとつも持っていないのだ。私が気になっていたのは,バッテリー切れ寸前のデジカメだけであった。
 親切な彼は,私に,自分の持っていた空のペットボトルに水筒から水を移して私にくれた。さらに,チョコレートを半分に割って,私にくれた。
 そのまま話をしながら歩いて行ったのだが,私だけがだんだんめげてきた。気温も下がってきた。なにせ,標高は3,300メートル近くなのである。ここは,日本の富士山の山頂の標高に近く,穂高やら槍ヶ岳やら北岳より高いのだ。

 親切な男の人は,君はもう引き返した方がいい,と言った。やがて,向こうから降りてくる人がいたので,彼らについて降りていくといい,と言った。
 私は,ひとりでこのまま登っていたら,ひょっとしたら遭難していたかもしれない。こんな標高の高い山に,何の準備もなしに歩いてきたのだ。さんざん迷惑をかけておいてひどい話だった。
 このとき私がわかったのは,途中でやめることは,それを続けることよりも,ずっと勇気がいるということであった。それとともに,こんな簡単? に標高3,300メートルが登れるのだから,日本の山登りなんて興味がなくなってしまったのだった。これもまた,傲慢でひどい話だ。
  ・・
 トレイルはこの先もずっと続いていたが,結局,私は引き返す事になった。向こうから降りてきた人はすでに私よりはるか前を歩いていて,私はひとりで引き返した。帰り道,いろんな野生の動物に出会った。ちょうど夕食の時間だったのかもしれない。その中でもびっくりしたのは野生のエルクであった。
 人の姿に驚くでもなく,私の目の前で,黙々とエルクが3頭,草を食べていたのであった。私はそのうちの1頭のエルクとにらみ合った。

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 この国立公園は,「Γ」の字に道路がつながっていて,左下,つまり南西の入口のグランドレイクと右上,つまり北東の入口のエステパークがある。
 多くの人はデンバーからアクセスするだろうから,エステパークから国立公園に入ることになるが,私は,これまで書いてきたように,反対側から進んできたから,グランドレイクからこの国立公園に入った。

 実は,私は,今回の旅ですでに四つの大自然の中の国立公園へ行ったので,このロッキー山脈国立公園はほとんど期待していなかった。しかし,よい意味で,その期待は裏切られることになった。
 ともかく,アメリカの国立公園にしてはポピュラーで人多すぎだから,この時は,まあ,その程度の気持ちで,私は料金所を通過した。
 この国立公園も,トレイルを歩く,サイクリングをするといった様々なアクティビティがあるのだが,さらに,乗馬,そして,フィッシングもできる。冬になれば,そこにクロスカントリーが加わるわけだ。
 ガイドブックによれば,乗馬はエステパークにたくさんの牧場があって,10時間もかけてロッキー山脈を横断するとか,そういったコースまである。きょうの写真にあるのがどのコースのものかは知らないが,こうした何気ないシーンでも,ひょっとしたら,彼らはすでに10時間も乗馬をしてきたのかもしれない。

 いつものことで,たいした下調べもせず,私は「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編 -それも10年も前に発行されたもの- だけを頼りに,ここまでやって来た。その本によれば,国立公園の入口を入ってさらに国道34を北上して行くと,ミルナーパス(Millner Pass)というところに到着する。ちょうどそこは「Γ」 の形の左上のかどっこにあたる部分である。ミルナーパスは標高が3,279メートルの地点で,この地点から東の水流はミシシッピリバーを経て大西洋に注ぎ,西側はコロラド州を経て太平洋のカリフォルニア湾にながれ込むのだそうだ。つまり,大陸分水嶺である。
 私のようないいかげんなビジターがこの国立公園を歩くには,ベアレイクという場所を起点としてハイキングをするべきなのだが,そのときはそんなことも何も知らない私は,ともかく,まず,このミルナーバスの駐車場に車を停めて,外に出た。駐車場は,すでにほぼ満車状態であった。
 外にでると,それがまあ,気持ちのよいこと。そして,目の前には,それはまあ,美しい湖が広がっているではないか!

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 タバーナッシュを過ぎて,さらに,国道40をしばらく走っていくと,すばらしい高原になった。大都市デンバーを控えた観光地だけに,ユタ州のリゾート地とは趣をことにしていた。さらに走っていくと,グランビー(Granby)という町になった。
 国立公園に行くには,ここで右折をして,国道40から別れを告げて国道34に入ることになる。
 さらにしばらく走っていくと,右手に大きな湖が見えてきた。この湖をグランビーレイク(Lake Granby)という。

 グランビーレイクはコロラド州で3番目に大きい湖である。
 この湖はグランビーダムの人造湖として1950年に完成した。グランビーレイクに溜まった水はポンプでくまれて,運河に注いでいる。
 この湖は釣り人に人気の場所で鮭鱒を釣ることができる。また,ここにあるヨックラブは,世界で最も高い標高にあるヨットクラブである。また,湖畔には別荘地が並んでいるのだが,なかなか湖全体の景観を撮ることができる場所が見つからなかった。どこかに車を停車して,湖畔を歩き回ればよかったのだが,ためらっていると,湖が終わってしまった。

 しかし,そのままさらに進むと,別の湖が見えてきた。
 この湖はグランドレイク(Lake Granby)という。グランドレイクはコロラド州で最も大きく,最も深い自然の湖で,ここがコロラド川の源流なのである。
 この湖は約12,000 年前のバインデール氷河期からある。ここの湖畔も,また,素晴らしいリゾートタウンであった。確かに素晴らしいところで,日本の白樺湖リゾートなどとは比べることも失礼なほどであったのだが,それでも,私は,雄大なユタ州の国立公園を5つも制覇した後だったから,贅沢にも,それほどではないなあ,と思ってしまった。
 人は,人の手にかかっていない大自然を見てしまうと,人が作ったものというのは,すべて,情けないものに思えるようなのである。

 私の目指すロッキー山脈国立公園に行くには,このあたりで道路が右に折れていくように地図には書かれてあったので,私は右に回ることができる道路を見つけて,そこを右折した。
 しかし,そこは国立公園にいく道路ではなく,私は,そのまま湖畔のリゾートタウンに入り込んでしまった。好奇心からそんな別荘地帯をひとまわりして,ふたたび元の道に戻ってしばらく行くと,今度は,道路標示があって,国道34はそのまま坂道を登っていくようになった。
 そしてさらに進んでいくと,やっとロッキー山脈国立公園に到着したのだった。

 ロッキー山脈国立公園は,ロッキー山脈の未開発な自然環境が保存されている広大な地域である。
 ロッキー山脈国立公園には数本の道路があるだけで,ホテルや店舗,家々や商業的建物は全くない。この約265,000エーカー(107,000ヘクタール)の広大な敷地には,多数の野外キャンプ場と少数の整備されたキャンプ場,そして,数百マイルに及ぶハイキングと乗馬用のトレイルがある。
 この国立公園は,商業的な観光施設を排除して,山脈の自然美の良さを理解したい人々のために作られたものなのである。

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 国道40は,片側1車線の快適な高原道路であった。
 道路は,北西方向に進みながら,山に登って行った。とはいえ,日本の山道のように急に標高が高くなるのではなく,なだらかに昇って行く。地図で見ると,このあたりは,ヘアピンカーブの連続のように見える。だから,時には西に進み,かと思えば,東に向きを変えて,しかし,だんだんと北に向かって進んでいく。しかし,ヘアピンカーブのようなくねくね道かというと,それと全く縮尺が違っていて,走っているときは,それとは気づかないほどなのであった。つまり,日本とは比べ物にならないほど,距離があるのだ。

 そうして,ずいぶんと走っていったのだが,あたりは,どんどんと人里を離れて,高原になっていった。そのまま北に進んいけば,すぐにでも国立公園に到着しそうな感じになってきたのだが,そのうちに,写真のように,再びすっかりリゾートタウンになってしまった。
 この町の名前を,フレイザー(Fraser)という。標高が2,600メートル,年間の平均気温摂氏1度,人口1,000人あまりの美しい町である。一帯は,スキー場であったから,ここは,そのリゾートタウンということになる。このように,アメリカの大都会の近郊には,というか,周りには,こうした観光地があるのだが,さすがにここデンバーの近郊は,それが素敵なスキー場なのであった。

 私は,SAFEWAYという名のスーパーマーケットの駐車場に車を停めて,飲み物を買った。
 SAFEWAYは, 私が行った後の2015 年1 月,サーベラス ・ キャピタル ・ マネジメントを率いるプライベート ・ エクイティに買収され,全米2位になったアメリカのスーパー マーケットチェーンである。
 それにしても,わずか9時間で日本から行くことができるほど身近な世界なのに,アメリカでどういうマーケットがあるかとか,どんなものを売っているか,とか,日常のことに対する情報が全くないのが,とても不思議な気がする。そうして,日本では常識だったり,こうするものだ,と教えられていたりすることが,アメリカでは,非常識だったり,どうでもよいことだったりするのも,また,不思議なことである。
 特に,現在は,日本人は好んで「おもてなし」とかいう言葉を使い,そして,日本は安全な国だと信じているが,残業を美徳とし,やらたとペコペコし,これだけ毎日のように殺人事件が起こる国が,ほんとうに,素敵な国なのであろうか?

 ところで,私が,今日,朝から,ズボンのベルトを探していたことを覚えておいでであろうか。
 私は,このマーケットでも,やはり,ズボンのベルトを物色したのであるが,犬の首輪は売っていても,ズボンのベルトは見つからなかった。
 一体,私は,朝から,何にこだわっているのだろう?
 ここの住民は,ベルトをどこで買うのだろうか,とそんなくだらないことを思いながら,再び,車に戻って,先を急いだ。
 フレーザーを過ぎ,タバーナッシュ(Tabernash)というリゾートに差しかかった。周りは,見渡す限りずっとスキー場のゲレンデであった。 

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 インターステイツ70は,これまで書いたように,ユタ州からコロラド州まで,様々な景観を見せ,素晴らしいドライブルートであった。
 車の数も増え,周りには家が増えてきて,そろそろ大都会デンバーに近づいてきたように思えてきた。
 今日の予定は,デンバーの手前で北上して,ロッキーマウンテン国立公園という景観地に足をのばしてから,デンバーに行き,予約したホテルに宿泊することであった。
 ロッキーマウンテン国立公園は,デンバーの北西にある。
 今走っているインターステイツ70をそのまま走って行けばデンバーに到着するのだが,時間もあるので,寄り道をすることにしたのだった。

 デンバーへ行く手前で国道40に左折して,北に向かって行けば,ロッキーマウンテン国立公園にたどり着くように地図からは読み取れたのだが,いつも書いているように,日本とは距離感が違いすぎて,しかも,私は,毎度のことだが,ロッキーマウンテン国立公園がどういうところかよく知らなかった。しかも,ここを走っていたころは,すでにユタ州の四つの国立公園へ行った後だから,ロッキーマウンテン国立公園はそれに比べればそれほど規模も大きくなさそうだったから,全く期待をしていなかった。
 第一,現地の人ですら,その国立公園の存在をしらない,ということがあってびっくりした。ロッキーマウンテン国立公園はどこかと聞くと,このあたりがすべてロッキー山脈だ,といわれたくらいであった。

 私は,ユタ州の,辺鄙でほとんど人がいない,ものすごく雄大な国立公園に比べれば,こんな都会の近くの,日本の上高地を少し大きくしただけのような国立公園なんて,まったく興味がなかったのだった。それに,距離感で言えば,デンバーが東京でロッキーマウンテン国立公園が八ケ岳のような感じなのである。
 しかし,後に,いつものように,これがとんでもない誤解だと気づくのであったが…。

 やがて,インターステイツ70は,ジョンソントンネルに差し掛かった。アメリカのインターステイツでトンネルというのは本当に珍しい。トンネルは,日本でいえば,中央道から東京に向かって走ったときに,首都高中央環状線の新宿あたりにあるものと,同じような感じであった。
 トンネルを過ぎると,また,風景が変わった。さらに都会の雰囲気がしてきた。眼下には大きな湖が見えてきたり,車の通行量もどんどんと増えてきて,デンバー近郊のリゾート地のようになってきた。
 やがて,交差する国道40が近づいて来て,その道へ降りるとロッキーマウンテン国立公園に続くという道路標示があった。そして,国道40へ続くジャンクションに着いたので,道路標示にしたがってジャンクションを降りた。
 国道40は,片側1車線の快適な高原道路であったが,ほとんど車は走っていなかった。
 私の気分では,すぐにロッキーマウンテン国立公園に到着するように思われたが,実際はまだまだ遠かった。いわば,名古屋から東京に行くときに,すこしばかり時間があるからといって,中央道でちょっと遠回りをして八ケ岳へ向かったのに,まだ,恵那山トンネルを出たばかり,というようなものであった。

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 私は,さらにインターステイツ70を走っていった。早くも朝の10時を過ぎ,少し休憩をすることにした。
 ちょうど再びリゾートタウンがあったので,そのジャンクションで,一旦,インターステイツ70を出た。それが,今日の1番目と2番目の写真である。
 ここは,マイルマーカー173地点のヴェイルという町であった。町は,多くの観光客で溢れていた。
 ヴェイル(vail)は, マウント・ヴェイルの山麓に広がるスキーリゾート地で,このヴェイル・スキーリゾートは,1962年にピートとイートンによって設立された。1970年代には,インターステイツ70に,私がこの後通ることになるデンバーからのトンネルが完成し,また,ジェラルド ・ フォード大統領が家族で休暇を過ごしたことで,さらに,世界的にも有名になった。
 私は,この町でコンビニに寄って,飲み物などの買い物をした。
 ジャンクションの周りはロータリーになっていた。表示にしたがって,インターステイツ70にもどった。

 その後も,インターステイツ70は,リゾート地が延々と続いていて,やがて,右手に大きな湖が見えるようになった。それが3番目と4番目の写真である。
 3番目の写真は,マイルマーカー195地点,4番目は203地点,ここは,レイク・デュロン(Lake Dillon)とよばれる人工の湖(貯水池)であった。
 レイク・ディロンの湖畔はリゾート向けに整備されていて,雰囲気はとてもよいところ,遊歩道やサイクリングロードが巡らされていて,所々にベンチがあったりすると,この地を訪れた人が書いていた。
 さらに,次のように書いてあった。

 いつもアメリカの公園で思うのは,どこも公衆トイレがきれいなことだ。トイレットペーパーもきちんと補充されているし,洗面台にはハンドソープやペーパータオルもあり,蛇口からはお湯も出る。山岳の国立公園など,水道の設備がないところでも,ハンドソープが設置してある。
 また,このレイク・ディオンの周辺には,大型の食料品店もあるし,食べ物に限らず,生活に必要なものは何でも近場に揃っている。また,レイク・ディロンの周囲にはいくつかの町が点在して,それぞれに特徴がある。
 実際,私も,アメリカを旅していて,トイレがきれいなことに驚く。
 若いころに旅したときは,アメリカには退廃ムードが漂っていて,都会はスラムばかりだったし,公共トイレなど,恐ろしく,汚く,とても利用する気にならなかったが,現在は,大概の場所は,日本よりもずっときれいであるし,ここに書いてあるように,水のない国立公園の山の上のトイレも,日本とは比較にならないほどきれいなのである。

 デンバーには多くの日本人が住んでいるが,その人たちは,その気になれば,こんなリゾート地でのんびりと休日を過ごすことができるということだ。私は,先を急ぐ旅行者だから,とてもこうしたところでのんびり過ごす時間がないから非常に残念なことである。
 この旅も,そして,このブログも,先を急ぐことにしょう。

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 ニューキャッスルでズボンのベルトが手に入らなかった私は,車に戻って,先を急ぐことにした。
 しばらく行くと,グレンウッドスプリングス(Glenwood Springs)というリゾート地に入った。グレンウッドスプリングスは,その名の通り温泉地で,人口は1万人程度。ホテルやスキー場がある。
 昨日,私はグランドジャンクションを過ぎると手ごろがホテルがないというアドバイスに従ってグランドジャンクションに宿泊したが,走っていると,その意味がとてもよく分かった。
 インターステイツ70は,すでに書いたように,この,グランドジャンクションを過ぎると,しばらくホテルのある町がなく,すれを過ぎると,その後は,このようなリゾート地ばかりであった。
 したがって,私のような貧乏旅行者が宿泊できるような安価なホテルがないのだった。

 アメリカには,日本とは比べものにならないお金持ちが,日本とは比べものにならないほどたくさんいて,全米にわたって,過ごしやすいところや景観の素晴らしいいたるところに彼らの別荘地やらリゾートがあるから,そうった地は,私のような庶民にはまさに別世界なのである。
 たとえば,ボストンの北,ニューハンプシャー州や,メイン州の海岸沿い,サンフランシスコからシアトルにかけての太平洋岸などである。ここコロラド州のインターステイツ70沿いも,まさに,そうした場所のひとつであった。

 日本のプロ野球なら料金が違っても座席が異なるだけだが,アメリカのMLBだと,入口から使うレストランまで違うのである。それと同じように,新幹線なら料金が違っても座席が違うグリーン車両があるだけだが,飛行機だと,乗る順番も待合室も異なるわけだ。
 そして,そうした格差の基準はすべて「金」なのである。
 アメリカは,平等とはいっても,そうしたセレブになれる機会が平等? であるだけで,実際は,お金持ちとそうでない人の明確な格差社会である,ということを頭に入れておかなくてはならない。

 そんなわけで,インターステイツ70は,コロラド州では,まわりがどこもかしこもお金持ちのためのリゾート地なのであった。
 このあたりから,さらにまわりはスキー場や立派なホテルが立ち並ぶようになった。
 私は,アメリカのスキー場へは行ったことがないし,冬に旅行をしたこともないから想像もできないが,きっと,雪のない夏でさえ結構な賑わいなのだから,このあたりは,スキーシーズンは,さぞかしすてきなリゾートであることだろう。
 グレンウッドスプリングスもまた,このように,そうした広々としたリゾート地であった。
 ここに着いたときに,ニューキャッスルでマーケットに行ってベルトを探さなくても,ここでジャンクションを降りれば,ウォールマートの1軒もありそうだったが,このときはもう,面倒になってしまっていたので,そのまま通り過ぎた。
 この町は,この先もずっとリゾートホテルが続き,その向こうにもスキー場が広がっていた。

 グレンウッドスプリングスを過ぎたあたりが,今日の1番目の写真のマイルマーカー125地点である。そして,2番目は126マイル地点のワゴン・ガルチ(Wagon Gulch)というところである。
 このあたり,山が両側から迫り,片側2車線の道路を平行に走らせるだけの平地がない。コロラド川にそった渓谷沿いには,こうした写真のような道路やトンネルが続いていて,ここもまた素晴らしい景観であった。
 そして,時折あるジャンクションでは,ここで降りると,Hanging Lakeという湖に行くことができるとか,そういう表示があった。つまり,そうしたリゾート地にアクセスできるというわけだ。
 そうしたコロラド州の渓谷を過ぎると,今度は平地が広がってきた。
 3番目の写真は133マイル地点のTurtle Bubingという場所であった。
 そして,4番目は154マイル地点のウォルコット(Wolcott)というところであった。

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 無事に,正しい方向を一路デンバーに向かって進むことになった。しばらくはユタ州の大草原とは打って変わって,変化に富むグランドジャンクションからデンバーまで約400キロメートルの車窓からの景色をゆっくりとご覧ください。
 きょう1日,私は,ずっとこういった景色を眺めながら運転をしていたということです。

 1番目の写真は,インターステイツ70のマイルカーカー61地点,つまり,コロラド州の州境の西から61マイル,つまり,約100キロメートルのところのデベグ(De Beque)という町のあたりである。
 デベグは,人口が約500人の町。町というよりも,静かな田舎,という感じのところである。山々が間近に迫っているとはいえ,まだまだ空も広く,開けている。牧場がおもな産業である。小さな町だが意外にもホームページが充実していて観光案内すらある。この町は,牧場と,コロラド川沿いにあるキャンプ場,そして,景観の美しいリゾートがあるといった紹介がある。日本人には,ここもやはり,夢のようなところである。
 そして,2番目は,マイルマーカー75マイル地点のパラシュート(Parachute)という人口が1,000人ほどの町のあたりである。

 実は,この日,私は,車を運転しながら,ずっと,ズボンのベルトを探していたのだった。
 昨日まで国立公園をずっと散策していて,ズボンがゆるく,非常に困っていた。アメリカへ行くときに搭乗する前のセキュリティチェックでベルトをはずす必要があって,私はめんどうなのでベルトをしていないのだが,逆に,あまりにタイトなズボンだと機上で疲れるから,適当にルースなものを履いているのだが,少しゆるすぎた。ちなみに,履物は,いつもサンダルである。こんな,日本にいる時以上のいいかげんな姿でずっと旅行をしているわけだが,今回のズボンには少し参った。
 そこで,ベルトを買おうと思ったのだが,それが,どこにも売っていない。アメリカのど田舎,食事をする場所ひとつ探すのもたいへんなのだから,ベルトなんて,超レアである。そんなわけで,手に入れるには,こりゃホームセンターに限るワイ,と思っていたわけであった。
 ところが,朝からずっと走り続けていても,町すらない。だから,ホームセンターなど当然あり得ない。このマイルマーカー75を過ぎてさらにしばらく走っていくと,道路際に,やっとモールらしき建物を見つけたので,そのモールに行くことができるジャンクションでインターステイツ70を降りたのであった。

 まだ朝早かったが,すでに店は開いていた。私は,駐車場に車を停めて,店内に入った。
 しかし,予想と違って,この店は,単なる食料品店であった。
 広い店内をくまなく歩いてみたのだが,時計のベルトや,犬をつなぐ紐やらはあるのだけれど,ズボンのベルトがないのだった。これには参った。おそらく,町まで行けば,衣料品店の一軒くらいはあるのだろうが,そんな寄り道をするのもバカらしく,というか,時間もなく,結局,ここでもベルトを手に入れることもできず,私は車に戻ることになってしまったのであった。
 そのときのお店とジャンクションが3番目と4番目の写真である。
 帰国後に調べてみると,そこは,105マイル地点のニューキャッスル(New Castle)という町の外れであった。この町は,少し大きくて,人口が4,500人ほどということであった。

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 前回書いたように,私は,グランドジャンクションで宿泊したホテルがインターステイツ70の南側だったのにずっと北側だと思い込んでいたから,ジャンクションで左折しなければならないのに右折してしまったのだった。だから,インターステイツ70を誤って西方向に進んでいたのに,すっかり正しいと確信していた。
 これを書きながら,今にして,やっとそのことに気づいたのだが,当時は,どうして私が逆方向に走っていたのかがまったく理解ができず,そのことがずっと腑に落ちなかった。それでも,州境を越えてユタ州に入ってしまったときには,理由は不明だったけれど,逆方向だということは認めざるを得ず,ようやく私はUターンをすることに決心したのだった。

 とはいえ,インターステイツ上でUターンはできないから,州境を越えたあとも,さらにジャンクションがあるまで延々と西へ西へと走るほかはなかった。そうしてやっとジャンクションを見つけたので,そこで一旦インターステイツ70を降りて,再び,逆方向に入り直した。このとき,ジャンクションのあったところが,あたり一面の大草原だったことが幸いした。もし,街中だと,逆方向に入り直すために道を探すことすらけっこう大変なのだ。
 それが,きょうの1番目の写真である。

 アメリカのインターステイツは,ジャンクションに近づくと,2番目の写真のように,そのジャンクションの近辺にあるレストランやガソリンスタンドやホテルが表示された案内板がある。そしてまた,病院の表示「H」が一番目立つようにある。
 だから,どのジャンクションでも,これを頼りにして一般道に降りればいいわけだ。
 広いアメリカゆえ,時には,表示にあったガソリンスタンドが,ジャンクションを降りた先のさらに数キロ先,などということもあるが,通常は,ジャンクジョンの周りに存在していることが多いから,非常に便利なのである。
 しかも,そうした表示方法は全米で統一されているし,美観を考慮してあるから,大変わかりやすいし美しい。
 こうした施設のないジャンクションもあるが,そのときには「NO SERVICE」という案内板があるから,そのジャンクションで降りてもなにもない。

 私は,このようにして30分以上も時間をロスをしてしまった。どうしてこういう間違いをしたのかが全くもって腑に落ちなかったけれども,どうにか正しい方向に進むことができた。
 昨日運転をしながら思っていたように,ユタ州からコロラド州に入ると,周りの風景は大平原から山岳地帯に一変し,しかも,ユタ州のような頂上部が平らな「メサ」とよばれる岩山ではなく,日本にもあるような,普通の山々に近いものになってきた。まさに「ようこそコロラド州」である。
  ・・
 ロッキー山脈といえば,険しい山々とそこを走る山岳道路を想像する人も多いと思うが,ユタ州やアイダホ州はそうではなく,大平原や高原を走る雄大な片側2車線の高速道路が続いているのだ。
 私は,逆に,これまでロッキー山脈というのはそういうものだと思っていたから,コロラド州の風景が珍しかった。コロラド州のそれは,むしろ日本の道路に近く,高い山が迫っていてやっとの空間にスペースを見つけて道路が作られているという,日本のような感じになってきたのだった。

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 ホテルを出発した私は,来るときにあれほど苦労したのとは裏腹に,ホテルの目の前のジャンクションから,インターステイツ70にすぐに乗ることができた。
 さて,今日の2番目の写真であるが,アメリカでは,ジャンクションの手前にこのような表示があって,インターステイツ70のどちらの方向に行くかが明確にわかるようになっている。日本とはえらく違う。すでに書いたように,インターステイツ70は偶数番号だから,東西方向を走るわけなので,ここには「70WEST」と「70EAST」という表示がなされている。
 私はこの交差点で南から北に向かっているから,右手がEAST(東),左手がWEST(西)になる。 

 余談だが,アメリカのインターステイツの出入口の形態には2種類ある。
 ひとつは,この交差点のように,右折はそのままインターステイツに入ることができ,左折は,インターステイツの高架下を通ってから,一旦信号で停車して,反対車線をまたいで左折して入るものである。そして,もうひとつは,右折は同じだが,左折は,インターステイツの高架下を通ったら左折ではなく右折して,くるりと時計回りに円を描くようにして270度回転してインターステイツに入り込むものである。こちらは信号で停車する必要がないが,ジャンクションの建設時に多くのお金がかかかっている。
 そのどちらなのか一瞬戸惑うが,とにかく,表示にしたがって走れば問題ない。この2種類があるということを知っていればいい。

 閑話休題。
 私は,この後で起きた「間違い」の原因を,このブログ書きながら,今になって気づいた。
 その原因というのは,私が,宿泊したホテルの場所がこのジャンクションの北にあるとはかり思っていたことであった。確かに,私は,昨日,インターステイツを降りて,一旦,北に向かった。そして,ホテルが見つからず,そのままUターンして,インターステイツの高架下を通りすぎたのだから,ホテルはインターステイツの南側にあったのだった。
 私の頭から,そのことがすっかり抜け落ちていた。だから,今の今まで,私の頭には南を上にした地図があって,このジャンクションを左に行けば,デンバー方向(東方向)だと思っていたというわけなのである。つまり,「70EAST」という表示はまったく意識していなかったことになる。

 そこで,このとき,私は,何の疑いもなく「左折して」インターステイツ70に入った。これで東方向に行くものだと思い込んでいたわけである。だから,あとはまっすぐに走るだけだと思っていた。今日の予定は,デンバーまで行くだけだったから,朝からすっかりのんびりまったりモードであった。
 そのまましばらく走っていたが,昨日「ユタ州からコロラド州に入ると,急に,周りが平原から山々になるんだなあ」と思っていたのに,今日はなぜか行けども行けども平原が続いていた。それもまた,素晴らしい景観であったことには違いがないが…。
 昨日走ったときはもう夕暮れだったのでよくわからなかったが,こんなに素晴らしいところだったのか,と感動すらしながら走っていた。それもそうだ。私は,東だと思い込みながら西に向かって進んでいたから,太陽を背にした順光だったから景色が鮮やかなのは当然であった。

 今日インターステイツ70に入ったジャンクションは,EXIT31だったから,ユタ州からコロラド州に入った州境から31マイル(約50キロメートル)の地点ということになる。この先東に進んで行くのだからマイル数は数字が大きくなっていかなくてはならないわけだ。私は,いつも,この数字が大きくなるのを楽しみに走っていたのだが,気がつくとマイル数は20番台に減少していた。
 何かがおかしい? とこのときにやっと気づいた。それでも,先に書いたように,私は、ジャンクションで正しい方向に乗り込んだと確信していたから,どうしてこういうことになっているのか,この現実に納得がいかないのだった。だから,それでもなお,私は,進んでいる方向が間違っているとは確信できず,絶景に感動しながら,依然そのまま走って行った。
 やがて,「EXIT1」になった。
 え~?
 そうしたら,「ようこそユタ州」の看板が目に飛び込んできた。いったい,何が起こっているのだろうか??? そんな現実を目の前にしても,私は,まだ,疑心暗鬼であった。

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☆5日目 8月6日(水) 
 さわやかな5日目の朝が来た。
 きょうは,このままインターステイツ70を東にデンバーまで行く予定である。
 宿泊した場所は,インターステイツ70のジャンクションに近く,多くの全米チェーンのホテルが立ち並び,ファミリーレストランもあり,駐車場には困らない,アメリカをこうしてドライブしているとよく出会う,理想的な宿泊地であった。

 こうした町では,このような場所から少しダウンタウンに行くと,ヨーロッパでいう,いわば旧市街のようなところがある。とはいえ,歴史の浅いアメリカでは,旧市街といってもそれほど昔のものではないのだが,そういった場所では,レンガ作りの建物やら,それこそ,西部開拓時代からの町並みが残っていたりすることもある。
 日本でもそうだが,そういった地域をうまく保存したり再開発したりできるかどうかで,その町の「味」が出たり出なかったり,あるいは,治安がよかったり悪かったりするわけだ。こうした所は日本のガイドブックに載っているわけではないから,歩いてみると思わぬ素敵な発見をすることもある。しかし,そうしたところは,歩いて散策したり観光するにはよいのだが,車を停める場所に困ったり,宿泊するホテルがなかったり,あるいは古かったりすることもある。だから,この日のように,単に宿泊する目的でそうした町を訪れたときに,まちがって,旧い町並みに入り込んでしまうと,ホテルを探すのにも苦労することになるので要注意である。

 どこにホテルがあるかといった土地勘は,経験を積まないとなかなかわからないものだが,たいていは,インターステイツが町からバイパスして外周に回り込んだ市外地のジャンクションの周辺を探すとうまくいく。今は,インターネットでホテルの予約ができるから,そういう苦労をすることもなくなったが,少し前までは,結構大変であった。
 いずれにしても,今回の私のように,ホテルまで行く経路に迷ってしまってはどうにもならないが…。

 宿泊したのは,広く,新しいホテルであった。
 ただし,今,これを書いていて,私にはこのホテルの印象がほとんどないのだ。写真を見ると確かにここに泊まったなあ,とは思うのだけれど,そして,すでに書いたように,このホテルに着くまでのことはよく覚えているのだが,ホテルに着いてからのことは,ほとんど記憶にないのである。
 ともあれ,今日の写真のように,ちゃんとした朝食も食べることができて -トーストが少し焦げすぎたのは誤算であったが- しかも,レストランで,ほかの宿泊客となにかおしゃべりをしたような,しなかったような,記憶があいまいだけれど,いつものようにあわただしくなく,まったりと朝食の時間を過ごし,そのあと,あまりに気持ちがよかったからホテルの外を少し散歩した(という記憶はある)。

 その後部屋に戻って,荷物の整理をしてから,チェックアウトをして,カバンを車に入れ,デンバーに向け出発した。
 いや,この今日のまったり感が,このあと,また,意外な展開を示すことになるのである。
 まったくもって、私は懲りないものだ。このあと起きた「とんでもないこと」とその顛末をお楽しみに。

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 夕食も終わったので,あとはのんびりとホテルで過ごすだけだ。私は,いつものように,部屋でテレビを見ながら,まず,明日泊まるホテルの予約をし,そのあとでブログの更新をした。
 デニーズもそうであったが,ホテルでも自由にwifiが使える。
 日本だと,使えると書いてあっても,特定の業者であったり,有線LANだったりするが,アメリカでは,どこでも問題なく無料でインターネットが接続できる。
 楽しかったこの日もこうして更けていく。
 旅先の夜は,時間が過ぎるのがゆっくりで好きだ。そこで,きょうは,何気ないアメリカの写真をお目にかけたいと思う。私も,旅なれてきて,こういった余裕がでてきた。

 今日の1番目の写真は,おなじみのガソリンスタンドである。
 昔は,無鉛か有鉛かという区別があったが,今は日本と変わらない。以前にも書いたが,この機械にクレジットカードを読ませても、日本で発行されたカードは,読み込んでくれない。そこで,お店に入って,バルブ番号と金額を言って,先に代金を払うわけである。そのあとで給油をすると,支払った値段だけガソリンを入れることができる。
 日本との違いは,給油をするノズルで,これを奥まで差し込んで固定し,レバーも固定するピンがついているのでそれを引っ掛けて自動で停止するまで待てばいい。
 日本でもセルフサービスがはじまったころ,私はアメリカと同じようにして失敗した経験がある。日本の機械は,ノズルはずっと手で持っていなくてはならないし、奥までノズルを入れてしまうと給油ができない。
  ・・
 2番目の写真のように,このとき私が入れたのは20ドル分のガソリンであった。
 表示の1段目は料金,2段目は量である。アメリカではリットルでなくガロンである。
 1ガロンは3.78541178 リットル,つまり,約3.8リットルで,この写真では,5.48ガロンだから,約20リットル入れたことになる。ガソリンの値段は,1リットル110円程度であったわけだ。現在は,もっと安くて,1リットル75円程度である。
  ・・
 3番目の写真は,ホテルの部屋に備えつけの電話である。この機種は大概どのホテルでも同じである。今は電話を使うことはめったにないが,アメリカでは市内通話は無料(complimentary)である。会社や役所で使われている電話は,いずれまた紹介しよう。
 ホテルの電話は、写真でわかるように,親切な説明が書いてある。この写真には,外線は9と書いてある。
  ・・
 そして,4番目の写真はエアコンである。この機種も大概どのホテルでも同じようなものである。ゴーゴーとうるさい音をたてる,日本人が見たら旧式のものである。
 どういうわけか,チェックインをして部屋に入ると,すでにこのクーラーが作動していて,中に入ると北極にいるようにギンギンに冷えていることが多い。
  ・・
 5番目は,ホテルの部屋にある目覚まし時計である。これも大概どのホテルでも同じである。
 私は,ホテルの値段とこの目覚ましの質が比例すると思っている。私が泊まるような安ホテルでは,時間があわせてないなどというのは普通の話で,壊れていることもままある。壊れていなければ,まず時計を合わせて,起きたい時間を設定しておくと,その時間でラジオがかかるわけだ。
 目覚まし時計を使わなくても,前に宿泊した人が尋常でない起床時間を設定してあるかどうかだけは確認する必要がある。でないと,夜中に突然鳴り出さないとも限らない。私はこのホテルの時計はまったく信用していないから,目覚まし時計を持っていくか,携帯電話やiPod-touchを使用する。

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 こんなように,道に迷いながら,どうにかスーパー8にチェックインをすることができた。ここは,空港に向かう広い道路に面したところで,道路の反対側にデニーズがあった。
 私は,ふたたびホテルを出て,デニーズに入った。
 私のアメリカ旅行中の夕食は,まあ,こんなものである。
 デニーズ(Denny's)は,年中無休の営業で,フルサービスを提供する全米最大規模のファミリーレストランチェーンで,店舗の大半は高速道路の出口の近くや郊外にある。
 日本にもあるから,アメリカにもあるのか,という人がいるが,こちらが先である。
 マクドナルド,スターバックス,セブンイレブン,サークルKなどなど,アメリカ人に日本にもあるというと,逆に驚かれる。日本にもアメリカのような巨大モールがあることを知らないアメリカ人は多いが,逆もまたしかりである。

 アメリカのデニーズは,カリフォルニア州レイクウッド(ロサンゼルス郊外)でハロルド・バトラーによって1953年に開業したもので,チェーン店は年々店舗数を増やし,1981年には1,000店を数えるまでになった。
 現在のデニーズの本拠地は,サウスカロライナ州スパータンバーグにあり,全米の49州と海外7か国で展開している。
 日本のデニーズは,セブン&アイ・フードシステムズがファミリーレストランチェーンとして運営している。当初は,1973年にイトーヨーカ堂が外食部門の一つとしてデニーズ本社とライセンス契約を結び始まったものであるが,1984年にアメリカ本社から名称と商標権を買い取り,アメリカ本社との提携関係を解消した。したがって,現在は,資本・業務関係は一切なく,ロゴマークも現行のアメリカ本社の看板商標と異なる古いタイプのものを使用し,メニュー内容も大幅に日本向けに改定されている。
 そんなわけで,日本のデニーズとは,似ているようであり違っているのだが,私のようなお金のないひとり旅には,夕食をとるのに手頃なのである。フリーwifiも繋がる。メニューには料理の写真も載っているので,注文もしやすい。
 アメリカのデニーズのホームページを検索すると,メニューがダウンロードできるので,これからアメリカ旅行をされる人は,こういうものに一度目を通されるといいと思う。
 以前は,レストランで食事をとるにも,日本とはいろいろな違いがあってとまどったが,年々いろいろと便利になってきて,今ではこのようにネットで「予習」ができるから,古いガイドブックを読むよりも,ネットでいろいろ調べることをおすすめする。

 メニューを元に,デニーズについて少し紹介してみよう。
 まず,レストランに入ると,店員さんが出てくるから,人数を言って,席に案内してもらう。このあたりは,日本と同じようにすればいい。アメリカは,どの席も禁煙である。
 席に着くと,飲み物を聞かれるから,「とりあえずのコーヒー」でも注文して,それから,メニューを見ながらオーダーするものを考える。少しすると,巨大なマグカップになみなみと注がれたコーヒーが出てくる。そして,日本より大きな入れ物に入ったクリームが4個も5個もついてくる。
 なお,このコーヒーはおかわり自由である(Free Refills)とメニューに書いてある。
 食事のメニューは日本とは違っているが,写真があるので,どうにでもなる。ただし,想像以上の量がある。
 たとえば「ALL-AMERICAN SLAM」という食べ物には,
  ・・・・・・
 Tree scrambled edds with Cheddar chees,two bacon strips and two sausage links,plus fresh browns and choice of bread.
  ・・・・・・
とあるように,食べ物の名前の下に説明があるから,それを見ながら選ぶのである。
 これは簡単な文章だからわかるであろう。もし,こんな普通の英語であっても知らない単語があるから意味がわからないというのなら,それは日本の英語教育が間違っているといわざるを得ない。高校卒業までまじめに勉強しても,デニーズで出てくる食べ物ひとつ意味すらわからない,ということだからである。
 なお,この日に私の注文したものは,「SANTA FE SKILLET」であった。
 食事が終われば,チェック(会計)をすればいい。日本と同じく出口で支払えるようになっているが,アメリカの普通のレストランと同じように,座席で係を呼んで「チェックプリーズ」というと請求書を持ってくるから,クレジットカードを係に渡す。しばらくすると,料金を印刷されたレシートとクレジットカードが戻ってくるから,そこにチップの金額を加えて合計を書き入れたレシートをテーブルに置いて店を出ればいいのだ。

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 こうなれば,もう,下手に道路を曲がると,さらに訳がわからなくなるから,私はそのままこの道を直進して,再びインターステイツ70の別のジャンクションまで行くことにした。
 大した広さの町でもないのに,すべてが広大なアメリカでは,行けどこ行けども市街地で,しかも,どんどん外は暗くなってきて,不安になってきた。
 しかし,私は,どうしようもなく走っていくと,この先インターステイツ70という道路標示が見つかった。それで少しは安心したが,しかし,道路標示に従って走って行っても,なかなかジャンクションに到着しない。こんなに先かな,と思ったころには,すっかり市街地は通り過ぎ,先には小高い山々が連なってきた。そんなころ,やっとジャンクションが見つかった。
 そこは,EXIT33だったから,私は,12キロメートルにわたって,市街地を迷っていたことになる。
 そうして再びインターステイツ70に入り,市街地を行き過ぎていたので,今度は西に向かってインターステイツ70を戻っていくと,空港にアクセスするEXIT31の手前の案内標示に,今晩宿泊するホテルであるスーパー8を見つけた。そこで,EXIT31で降りて,少し北に向かうと,道路の両側に,ラマダインやモーテル6といった全米チェーンのホテルが建ち並んていて,その先に空港が見えた。しかし,スーパー8はなく,そのまま空港まで行ってしまったのだった。
 空港の入口のロータリーでUターンをして,逆に戻り,インターステイツ70の高架をこえると,やっとスーパー8があった。こうして,私は,ヘタリながら,どうにかホテルにたどりつくことができたのだった。
 
 ホテルに無事着いたので,インターステイツの話題を続けよう。
 今日は,都市を中心に,どのようなインターステイツが乗り入れているかをみてみよう。
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●シカゴ
 シカゴには五大湖があるために,主要路線のうち,アメリカ大陸を南北に走るインターステイツ55,インターステイツ65と東西に走るインターステイツ80,インターステイツ90が集中して流入して北部の交通の要衝となっている。

 これは,シカゴがミシガン湖の湾奥に位置し水陸の交通の結節点であること,中西部へのゲートウェイとなる位置にあることによる。したがって,これまでずっとこの都会は鉄道や道路網のハブとなって発展してきたのだ。
 「母なる道」と呼ばれるルート66(Old US Highway Route 66)が,シカゴを起点としていることもまた,これを象徴している。
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●アトランタ
 南部の結節点アトランタでは,インターステイツ20とインターステイツ75が交差するだけでなく,インターステイツ85も通っている。インターステイツ85は,主要番号のインターステイツでありながら南北を縦貫せずに,ヴァージニア州のリッチモンド付近から南西に向かい,アトランタを通り,ここでインターステイツ75よりさらに西側に出て,アラバマ州でインターステイツ65と合流して終わる。
 インターステイツ85のアトランタ以南はインターステイツ75よりも西側を走り,西側のほうが小さい数であるという路線番号の割り振りのルールにも反している。本来ならば,フロリダ半島の東海岸を走るインターステイツ95と対になってフロリダ半島の西海岸に降りていくべきはずなのであるが,そこはインターステイツ75がマイアミまで通じてインターステイツ85の代役を果たす格好になっている。
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●ダラスとフォートワース
 テキサス州の大都市であるダラスとフォートワースは,航空路線のハブとして知られている。そしてまた,インターステイツ・ハイウェイ網でも主要な結節点となっている。
 インターステイツ20とインターステイツ35との交点であり,さらに,これにインターステイツ30とインターステイツ45の交点でもある。インターステイツ30はリトルロックとダラス間,インターステイツ45はヒューストンとダラス間を結ぶだけの路線で,ともに大陸横断・縦貫路線と言うよりは,完全にダラスを中心とした地域路線になっている。
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 このように,地図でアメリカ大陸を眺めてみると,どうしてその場所が大都会になったのか,とか,これまでの歴史がとてもよく分かる。そして,また,無機質だったインターステイツのドライブが魅力的になるであろう。
 単に,大陸横断といっても,このように,やはり,奥が深いのだ。

今日は,朝食を済ませて,ホテルを出て,昨日下見をした通りに,ダウンタウンの駐車場に車を停めました。早朝割引も計算済みでした。
アメリカの都会を車で旅行するには,いろいろコツがあります。また,いづれ,旅行記に書きましょう。
デンバーは,ミネアポリスとよく似た都会でした。
まず,州議事堂を見学,その後,ダウンタウンをのんびりと散策しました。
午前11時になったので,クアーズ・フィールドに行き,中に入りました。
ここはとても親切な楽しい球場でした。
試合前の練習で,相手チームのカブスの藤川投手をみつけ声をかけました。
それまで晴れていたのに,試合開始直前に大雨になりました。しかし,30分ぐらいでやんで,すぐに試合がはじまりました。
雨のおかげで,係員もいなくなったりして,座席もどこでも見たい放題でした。
空は快晴になり,雨に洗われて,最上段のスタンドからは,ロッキー山脈がものすごく綺麗でした。
街中も野球場もフリーwifiが通じます。
試合終了後,デンバーからインターステイツ25を北上,ワイオミング州に入ったところで,インターステイツ80に進路を変えて,東に,ついにネブラスカ州に到達しました。これで,45州め制覇です。
インターステイツ80は,ネブラスカ州に入ると,背後に夕日が輝き,北には稲妻が光り,目の前の東側には,虹が見えて,上空の真っ黒い雲から雨が降ってきて,まっすぐに続く道路以外何もないという,とんでもない光景になりました。
今日はネブラスカ州のキンボールというど田舎に宿泊しています。ネットで調べていなかったら,こんなところにホテルがあるとは思えないでしょう。
フロントで,こんな何もないところに来る物好きな日本人はいないと言われました。
他にホテルがないので,宿泊代は高いし,軋んでドアはあかないし,町にたった1軒あったサブウェイ,店員の英語がなまりでよくわからないし,いろいろ苦労しました。
でも,一度は来たいと思っていたアメリカの究極の田舎町,最高の経験です。

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