●ダイナソア国定公園(Dinosaur National Monument)
2014年夏,ロッキーマウンテン国立公園に訪れたあとでデンバーへ行き,さらに50州制覇のためにネブラスカ州にほんの少しだけ入って1泊してから引き返して,ワイオミング州の南側を横断するインターステイツ80でアイダホ州に向かう途中のこと。
「地球の歩き方」の「アメリカの国立公園」編に,ちょっと寄り道として「ダイナソア国定公園」とあったので,興味があったので行ってみました。アメリカで恐竜とあればまさに本場。行くしかないでしょう,という感じでした。
ところが,その,ちょっと寄り道,というのが半端な距離ではありませんでした。延々と大平原を進んでいくのですが,ほかの車とはまったくすれ違いません。こんなところにだれがいくのだろう? と思いながら走っていくと,やがて,遠くに国定公園のビジターセンターの建物が見えてきました。建物の手前に大きな駐車場があったのですが,そこには,多くの車が停車していました。
アメリカでいつも思うのですが,こんなに遠く不便なところで,行くまではまったくと言っていいほど車を見ないのに,到着するといつも多くの車があって人が来ているというのが不思議なことです。
・・
ダイナソア国定公園は,人間の作ったテーマパークではなく,ここにしかない,人の手をはるかに超えた大自然の作りえたものです。
その建物を通って裏の出口を出ると,その先に,小高い山に行く2両連結のシャトルバスの乗り場があって,それに乗ってはるか山の上にある展示室に行きました。
展示室は,恐竜の化石が発掘されたままの地層を目の前で見ることができるように覆いがつけられたものでした。
恐竜を見せる建物は,化石が出土した崖に沿って作られているもので,中は3階建てになっていて,それぞれの階から壁になった崖に,恐竜の化石がそのままの状態で展示されいて,興味深く見学することができるのようになっていました。
話によると,この建物を作るには,かなりの苦労と工夫が必要であったということでした。
・・
恐竜が登場したのは約2億3,000万年前の三畳紀後期のはじめで,初期の恐竜は小型で3メートルから4.5メートル以上のものはいなかったのですが,約2億1,200万年前から1億3,000万年前のジュラ紀になると,環境に適応した結果,様々に進化していきました。
ところが,6,500万年前,恐竜は忽然と地球上から姿を消してしまったのです。
最近の研究では,それは,小惑星衝突説が有力となっています。直径10キロメートル,重さ1兆トンもある隕石の衝突事件が恐竜を滅ぼしたというこの小惑星衝突説は,1980年にカリフォルニア大学のアルバレス(Walter Alvarez)らによって発表されたものです。その証拠は,恐竜が絶滅した6500万年前の地層から各地で発見されたイリジウムという物質です。
1億4千万から5千万年前のユタ州周辺は,浅い海になったり陸地になったりしていて,多くの恐竜が闊歩する沼地でした。恐竜絶滅ののち,ロッキー山脈が出来たときの隆起によって太古の地層が押し上げられ,そのために,現在,ここ一帯で恐竜時代の遺跡を発見することができるのです。
このダイナソア国定公園にある博物館は,1909年,ピッツバーグにあるカーネギー博物館のアール・ダグラス(Earl Douglas)が研究の結果,「このあたりには恐竜の化石があるに違いない」という結論に至り発掘したところ,たくさんの骨が出てきたというところです。
1942年まで発掘を続けて,22体の完全な恐竜の化石とともに多くの骨が発見されました。ここに露出している骨片の数はなんと2,300もあるということです。
さて,これまでグランドサークルの国立公園を紹介してきましたが,私が行っていないのがキャニオン・デ・シェイ国定公園(Canyon de Chelly national Monument),メサベルデ国立公園(Mesa Verde National Park)です。
キャニオン・デ・シェイ国定公園はグランドキャニオンを小型にしたような断崖で,ナバホ族の居住地です。化石の森国立公園から2時間ほどだったので,行こうと思えば,行けました。また,メサベルデ国立公園は今から1400年ほど前にこの地に住んだ先住民の遺跡です。フォーコーナーズから行くことができます。
ともに,2020年に行こうと思っていただけに,実現できなくて残念に思っています。
◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは