しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > フロリダ州

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 アメリカの国道の正式名称は 「United States numbered highways=U.S. Routes / U.S. Highways」ですが,ここでは国道とします。国道は,インターステイツと同じように,南北方向に走る道路には東から西へ順に奇数,東西方向に走る道路には北から南へ偶数の番号がふられています。
  ・・
 国道1(U.S. Route1)は,東海岸部の大都市を南北に結ぶ主要な路線で,全長2,390マイル,3,846 キロメートルあって,南北に伸びたアメリカの国道の中でもっとも長大です。
 アメリカ合衆国本土最南端に位置するキーウェストを起点にして,フロリダ州のマイアミ,ジャクソンビル,ノースカロライナ州のローリー,バージニア州のリッチモンド,ワシントンD.C.,メリーランド州のボルチモア,ペンシルベニア州のフィラデルフィア,ニューヨーク州のニューヨーク,コネチカット州のニューヘブン,ロードアイランド州のプロビデンス,マサチューセッツ州のボストン,メイン州のポートランドを経てカナダとの国境沿いのフォート・ケートまで続いています。
 また,マイアミからメイン州ハウルトンまではインターステイツ95が国道1に併走しています。

 数年前まで,私はアメリカ50州制覇を目指していました。その最後の2州であったノースカロライナ州とサウスカロライナ州を訪れたときに,そのついでに,フロリダ州の最南端キーウェストから,北に,フィラデルフィアまで走ったのですが,そのとき,あるところではインターステイツ95を,そして,気が向けば国道1を走りました。
 また,2013年にはボストンから北にメイン州までいったので,国道1およびインターステイツ95の通るところはそのほとんどを走ったことになります。
 また,かつて,1998年,はじめてアメリカをドライブしたとき,マイアミからフロリダ半島を半周したのですが,そのときに国道1を走ってキーウェストまで足をのばしました。

 さて,そんな国道1ですが,その中でも最も印象に残っているのは,今日の写真にあるアメリカ最南端のキーウェストにつながる海上の道セブンマイルブリッジです。
 若いころ,こんなところに行けるとは夢にも思っていなかったのですが,私は,1998年と2016年,なんと2回も行ってしまいました。フロリダ半島の先端を海の中7マイル,11.2キロメートルにわたってセブンマイルブリッジという橋がつながっていて,よくCMにも出てきます。
 キーウェストにはアメリカ最南端のポールがあり,また,国道1の終点であり起点であるので。BIGINとENDの表示があります。また,キーウェスト島には,かつてヘミングウェイが住んでいた家があって,今も公開されています。ここに住むネコの指が6本あるというので有名です。

◇◇◇
Double rainbow.

夕方,見事な虹が見えました。
もう,梅雨明けかな。

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●エバーグレーズ国立公園(Everglades National Park)
 今日は番外編です。
 というのは,私はフロリダ州のエバーグレーズ国立公園に行ったことがあるのですが,それは今から23年前の1998年のことで,写真がありません。記憶もあいまいです。そこで,その代わりに,2016年に再び出かけたフロリダ州の最南端にあるキーウエストについて書くことにします。
 その前にエバーグレーズ国立公園の紹介を少しだけ。
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 世界遺産に登録されているエバーグレーズ国立公園はさまざまな植物や動物が生息する美しい土地です。
 多様な生態系が見るという国立公園で,沼地,湿地,深い草原,マングローブが形成する他では見られない地形が形成されていて,マナティー,アリゲーター,フロリダパンサーなどの希少動物や絶滅危惧種の動物が生息しています。そうした自然をエアボートに乗って巡ることで味わうというのがこの国立公園です。
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 私は,確か,車で周ったように思うのですが,今では,その後に行ったルイジアナ州のニューオリンズ郊外のスワンプと印象がごっちゃになってしまっています。

〇キーウェスト(key West)
 では,キーウエストです。
 マイアミからキーウエスト島までを繋ぐのが有名なセブンマイルブリッジ(Seven Mile Bridge)です。名前のとおり7マイル,約11キロメートルにわたって海の上に掛かる橋です。
 橋の両側はマイアミのきれいな青い海が広がっていて、キーウエスト島までのドライブでは絶景を眺められます。
 キーウェスト島はキューバと近く,キーウエスト島からマイアミまでの距離の3分の2しかありません。街並みもフロリダというよりはキューバに似ています。
 また,小説「老人と海」で有名な作家ヘミングウェイが1931年から住んでいた家があって博物館になっているのですが,有名なのはここに住むネコが6本指だということです。
 私は,中学生のころにふと知ったセブンマイルブリッジだったのですが,そのころは,まさか行くことができるとは思いませんでした。しかも,なんと2度も行くことになりました。しかし,1998年のころとは違って2016年に行ったときはあまりの観光客の多さにげんなりとしました。ここでもまた「2度目の幻滅」でした。多くの場所は,1度目の印象が思い出として拡大し,実際に2度目に行ったときにはがっかりしてしまうのです。
 2度目に行ったとき,この島で私が最もやりたかったのは国道1号線の始発,そして,終点のサインボードを写すことでした。そういえば,オールドルート66の始発,終点のサインボードがシカゴとロサンゼルスにあってこれを写したいという夢はまだ実現していません。
 そうだった,書きながら思い出しました。私は,「66歳でオールドルート66を完走する」という夢があったのです。でも,このご時世では無理そうです。


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DSC_0673DSC_0676DSC_0677DSC_0678●国際運転免許証●
 この日もとても暑かった。
 私はこのケネディ宇宙センターに来たのは2回目のことであったが,はじめて来たときから自分が歳をとったこともあり,興味の対象もずいぶんと変化したこともあって,非常に意義深い時間をすごすことができた。
 前回来たときは,ギフトショップでずいぶんと時間をかけてお土産を買おうとして見て回ったのだが,欲しいものがまったく見あたらなかったことを私は思い出した。それは今回も同じであった。
 そもそも,私には江戸時代のお伊勢参りでもあるまいし,日本人が旅行に行くと土産というものを必ず買うこと自体がよく理解できないのである。今の私が自分への土産として欲しいなあと思うのは,そこでしか手に入らない日本にはない大柄のマグカップくらいである。

 午後3時過ぎに私はケネディ宇宙センターを出た。
 駐車場を出発して,まず,インターステイツ95に戻るために一般道を走っていった。道路は渋滞もなく非常に快適であった。
 やがてインターステイツ95に入るジャンクションに着いた。あとは,インターステイツ95を走り,このまま大西洋岸を北上するだけであった。
 この調子なら3時間も走ればホテルを予約した町ジョージア州サバンナに到着するであろうと思われた。そして,そんなに早く着くのならもっと北にまで行けたのになあ,とも思った。
 ケネディ宇宙センターを越えると,フロリダ州のインターステイツ95はずっと片側3車線で,写真のようにとても空いていて,快調なスペースで,ジョージア州との州境まで来た。

 海外で車に乗るには「国際運転免許証」というものが必要なのだが,それを取得するのは大変なことだと誤解している人がけっこういる。
 しかし,国際運転免許証は運転免許試験場に行ってお金さえ出せば手に入る。この国際運転免許証というのは有効期限がわずか1年で,厚紙に必要事項が書かれて写真がはってあるだけものであるが,パスポートよりも一回り大きくて携帯に不便である。これが必要なのは,日本の免許証に英語の記載がないので,単にその翻訳としての役割のためらしい。ちなみに,ハワイで車を運転をするときには国際運転免許証は不要である。
 レンタカー会社のハーツでは,この国際運転免許証に変わるものとして運転免許証を翻訳したドキュメントを発行するサービスをしていて,これさえあれば国際免許証は不要ということである。私はこれを使って旅行をしたこともあるのだが,このドキュメント,なんとジョージア州では認められていないということなのだ。
 私は今回の旅行でそのジョージア州をわずか数時間だけだが通り過ぎる必要があった。わずかの時間だから今回も国際運転免許証を取得するのをやめようかとも思ったが,念のため,ハーツのドキュメントではなく国際運転免許所を取得した。
 後日書くことになるが,それが思わぬところで役に立つことになるのだった。
 この国際免許証の最大の欠点は,サイズがあまりにでかいということなのである。

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●「変わらないこと」の困難さ●
 バスツアーはロケットの打ち上げ基地を通ってから「Apollo/Saturn V Center」で途中下車する。この巨大なパビリオンにはアポロ計画で使用されたサターンⅤ型ロケットの使用されなかった本物が展示してあるが,ここは以前来たときと「まったく変わっていなかった」。ただし時の流れは早く,今ではここを訪れる人の多くは1970年代のアポロ計画のことを知らないかもしれない。私ははじめてここに来たときの感動を今でも忘れられない。

 アメリカの観光地に行っていつも思うのは,「まったく変わっていなかった」ということの大変さである。
 日本なら新しく作るときだけは意味がないほどの予算がつくが,一旦できてしまうとそれを維持するのにも事欠くほどの予算しか与えられないことが多いので,だんだんと老朽化していくのである。その結果,看板はさびつき展示品は壊れていくから,観光客も次第に足が遠のいていくわけだ。
 このこともまた日本人の特性で,組織でも自分がその地位につくと新しく何かを始めよう企てる人は多いが,そのほとんどの場合それを維持することを考えていないから,そのうち形骸化していく。あるいはお荷物になっていく。これもまた「日本人の発想と能力の限界」なのであろう。

 ここには大きなカフェがある。私はそのことを知っていたから,ここで昼食をとることにしていた。しかし,ちょうどお昼どきで注文カウンタにはずいぶんと列ができていたから,私はハンバーガーなどを注文することはあきらめ,サラダとペットボトルの水を手にしてレジで清算して空いている席に座った。私の隣には日本から来た中学生くらいの女の子たちがその食べ物の量の多さに驚きながら食事をしていた。

 食事を終えてから,このパビリオンのやまわりを歩き回った。
 この建物を外に出ると,先ほどバスツアーで車中から見た打ち上げ基地からロケットが打ち上げられるのを観覧するスタンドがあった。
 以前来たときはここにスタンドがあることに気づかなかったが,こここそ,テレビで見たことがあるアポロ宇宙船の打ち上げやスペースシャトルの打ち上げを放送していた場所そのものだったのだ。
 こうして,いろいろ不思議だったことがひとつずつ解明されていくのがなぜかとてもうれしい。このごろの私の旅は,このようにしてこれまでに疑問だったことを解明していくためにあるようだ。

 この建物は,サターンⅤ型ロケットの展示された中央の広い場所から,さまざまな小スペースに入ることができるようになっていて,そこにはテーマごとに分けられた展示がされていた。
 アメリカの博物館はどこもアポロ計画時代の展示が非常に多いのだが,それは,当時の計画で残された様々なものがあまりに多く,それを国中に分散して展示しているからであろう。私はこの旅で,後日,ワシントンのスミソニアンに行くことになるが,そこにもまた,多くのアポロ計画時代の展示がされていた。
 私は,こうして,この旅でアメリカ人でもなかなか訪れる機会がないと思われる博物館に同じ時期に行くことになったわけだが,博物館ごとに展示の仕方が異なっているのが面白かった。

 ここで私がいちばん興味をもったのはアポロ14号の帰還した司令船カプセルの実物であった。
 このカプセルの美しさはもちろんのこと,今の知識で司令船の内部などを見るととても興味深いのだ。コンピュータが今ほど発達していなかった時代において,これだけの偉業を成しえたというのもがすごいことである。
  ・・
 現在も使われているロシアのソユーズ宇宙船が設計されたのもこの時代なのだが,方や,すでに歴史となり,もう一方は,国際宇宙ステーションとの連絡用として,最も安全であるとされる宇宙船として,現在も活用されているわけである。
 ここ数年の天文学や生物学の進展はすさまじく,特に天文学上の多くの発見は特筆すべきものがあるし,無人の衛星は想像を絶するほとの発見をもたらしているのだが,こと有人宇宙船となると,現在活用できるのがソユーズ宇宙船だけなのだ。
 技術の進歩というのが,本当に進んでいるのか,それともあまり進化のないものなのかを考えると何かとても不思議な気がしてくる。
 このように,私には興味の尽きない場所であったが,時間に限りもあり,そろそろ出発することにした。それにしても,まさか,再びここに来る機会があるとは夢にも思っていなかっただけに,とても感慨深いものがあった。

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●スペースXの打ち上げ基地に様変わり●
 18年前に来た時と同様に,ビジターセンターからはバスに乗ってケネディ宇宙センターの第39複合発射施設(Launch Complex 39=LC-39)を巡るツアー(Kennedy Space Center Launch Control Center Tour)に参加した。 
 バスの乗り場は比較的空いていて,すぐに乗ることができた。
 
 LC-39はフロリダ州メリット島にあるロケット発射場である。アポロ計画のために建設され,後にスペースシャトル計画の運用に対応する改修が行われた。そして,現在は,スペースX社のファルコン9とファルコンヘビー,およびスペース・ローンチ・システム (SLS) の打ち上げと運用に向けて改修が行われている。
 ここはアポロ11号の打ち上げをテレビで見た我々の世代にはあまりに有名なロケットの打ち上げ基地である。
 従来,LC-39は,39A,39B,39Cの3基の発射台とそれに付随する組立棟,運搬路,整備施設,発射管制センター,記者席,補給拠点などの施設から構成されていた。
 スペースX社は39A発射台をNASAからリースして,ファルコンヘビーの打ち上げに対応するために発射台を改修した。また,NASAは39B発射台をスペース・ローンチ・システムへ改修した。

 この発射施設周辺一帯の歴史は,1890年に資産家が土地をを購入したことに始まる。
 1920年代に入ると,保養都市開発計画が推し進められていたこの土地の買い手を誘致しようと小さなカジノが建てられた。1948年,アメリカ海軍はケープ・カナベラルの南に位置したバナナリバー航空基地をV2ロケットを試験するために空軍へ移譲し,当地は統合長射程試験基地となり,1950年にはパトリック空軍基地と改称した。
 1951年,空軍はケープカナベラルの一部を北側に建て増して空軍ミサイル試験センターとした。これが後にケープカナベラル空軍基地 (CCAFS) となる。1950年代,ミサイルおよびロケットの試験と開発は当地で実施されていた。 

 1958年にNASAが設立されると,マーキュリー計画,ジェミニ計画などの初期のミッションで使用されたロケットは,ケープカナベラル空軍基地の発射台から打ち上げられた。  
 アポロ計画の発表により,基地の運用範囲はケープカナベラルから隣接するメリット島まで拡張され,1962年には打ち上げ運用センター (Launch Operations Center) と命名された。当時,CCAFSに設置されていた発射台の中で最も大きな番号が振られていたのが第37複合発射施設であったが,月複合発射施設が設計されるとともに現在の名称へと改称された。
 初期の構想では5基の発射台(39A から39E)が計画されたのだが,そのうちの3基(39A・39B・39C)が実際に建設され,残る2基は保留となった。この発射台を最初に使用したのは,アポロ計画の月ミッションの一環として打ち上げることとなったサターンVロケットを使ったアポロ4号であった。
 2011年のスペースシャトルの退役で,それ以後約2年間ほどはLC-39の将来的な用途が不透明な状況が続いたが,2014年にスペースX社に20年間リースする調印式が行われ,2015年からファルコンヘビーロケットの射点として使われることになった。有人型のドラゴン宇宙船が完成すれば,ISSへの宇宙飛行士の商業打上げもここから行われることになる。
 スペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ=スペースX社(Space Exploration Technologies Corporation=SpaceX)は,ロケット・宇宙船の開発・打ち上げといった宇宙輸送を業務とするアメリカ合衆国の企業で,2002年に設立された。スペースXは2000年代に多数創設された米民間宇宙ベンチャーの1社で,打ち上げロケットのファルコン9やファルコンヘビー,ならびにファルコン9で打ち上げるドラゴン宇宙船を開発している。
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 ということで,バスツアーでは,こうして様変わりしたロケット打ち上げ基地を身近に見ることができた。18年前とはずいぶん様変わりしたものだと,私は感動した。

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●ふたつの宇宙望遠鏡●
 アトランティスが展示されているパビリオンは,ケネディ宇宙センター見学コースの入口を入った右手にあって,通常は一般の入口から順に周っていくから,早朝はとても空いている。スペースシャトルが目的なら,早朝に行くことをお勧めする。
 すでに書いたように,パビリオンに入ってまず映画を見終わった後で扉が開くとスベースシャトルに対面するのだがそれは建物の2階で,そこからスペースシャトルを取り巻くように1階にスロープにそって降りていくわけだが,私の行ったときには,日本人の子供たちの団体が来ていて,スロープに並んで説明を聞いていた。
 
 1階にはスペースシャトルを取り巻くようにそのほかの展示があった。
 そのひとつが「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」(James Webb Space Telescope=JWST)の模型であった。この望遠鏡は,NASAが開発を行っている赤外線観測用宇宙望遠鏡である。ハッブル宇宙望遠鏡の後継機として,2018年以降の打ち上げを目指して開発が進められている。
 JWSTの主な任務は,宇宙誕生ビッグバンの約2億年後以降に輝き始めたとされるファーストスターを観測することである。ファーストスターからの光は赤方偏移により波長が引き延ばされ赤外線に変化すると考えられており,赤外線域で捜索・観測することによって,ファーストスターを発見することが期待されている。
 ベリリウムを主体とした反射鏡の主鏡の口径は約6.5mでハッブル望遠鏡の2.5倍である。主鏡は18枚の六角形のセグメントに分割されていて,望遠鏡が打ち上げられた後に高感度のマイクロモーターと波面センサーによって正確な位置に導かれて展開する。

 もうひとつは「ハッブル宇宙望遠鏡」(Hubble Space Telescope=HST)であった。この望遠鏡は地上約600km上空の軌道上を周回する宇宙望遠鏡である。長さ13.1メートル,重さ11トンの筒型で,内側に反射望遠鏡を収めており,主鏡の直径2.4メートルの宇宙の天文台である。
 これまでに,シューメーカー・レヴィ第9彗星が木星に衝突する様子を克明に捉えたり,太陽系外の恒星の周りに惑星が存在する証拠を初めて得たり,銀河系を取巻くダークマターの存在を明らかにしたなどの功績がある。ハッブル望遠鏡は運用期間15年の間にスペースシャトルから修理などを受ける予定だった。
 1990年にスペースシャトルディスカバリーによって打ち上げられ,その後5度に及ぶサービスミッションを行ったが,すでにスペースシャトルが退役したので,今後のサービスミッションは行えない状況である。

 ここにはもうひとつ,スペースシャトル打ち上げ体験,といった,まさにテーマパークの乗り物があって,ほとんど並ばなくてもそれを体験することができた。

DSC_0598DSC_0602DSC_0603DSC_0607●事故が起きた2機のスペースシャトル●
 スペースシャトルは135回の打ち上げのなかで重大な事故が2回起きた。このときの衝撃を私は今も忘れることができない。

 そのひとつが1986年1月28日打ち上げ73秒後のチャレンジャーの空中分解事故である。この事故で7人の乗組員全員が死亡した。
 機体の分解は,右側固体燃料補助ロケット(Solid Rocket Booster=SRB)の密閉用Oリングの破損が原因であった。Oリングの破損によって密閉していたSRB接続部から漏洩が生じ,固体ロケットから高温・高圧の燃焼ガスが噴き出して隣接するSRB接続部材と外部燃料タンク(External Tank= ET)にダメージを与え,外部燃料タンクの破壊が生じたためにチャレンジャーは一瞬の内に破壊された。
 事故後,破片は長期にわたる捜索・回収作業によって海底から回収された。
 このときの乗員の中には宇宙授業計画(Teacher in Space Project)による最初の教師としてクリスタ・マコーリフ(Sharon Christa Corrigan McAuliffe)が含まれていたため,大勢の人が生中継で射ち上げを見ていた。
 当時のレーガン大統領はジョンソン宇宙センターで行われた追悼式に出席し以下のように述べた。
 「我々は星へと向かう際,時として力及ばず道半ばで果てることがある。しかし我々はその痛みを乗り越え,さらに先へと進まなければならない 」

 もうひとつが2003年2月1日に起きたコロンビアの空中分解事故である。
 コロンビアが大気圏に再突入する際,テキサス州とルイジアナ州の上空で空中分解し,7名の宇宙飛行士全員が犠牲になった。このとき,コロンビアは28回目の飛行を終え,地球に帰還する直前であった。
 事故の原因は,発射の際に外部燃料タンクから剥落した発泡断熱材の手提げ鞄ほどの大きさの破片がシャトル本体の左主翼前縁を直撃して,大気圏再突入の際に生じる高温から機体を守る耐熱システムを損傷させたことだった。そこで,大気圏に再突入した際,損傷箇所から高温の空気が侵入して翼の内部構造体が破壊され,急速に機体が分解した。
 事故後にテキサス州,ルイジアナ州,アーカンソー州で行われた大規模な捜査により,搭乗員の遺体と機体の残骸が多数回収された。

 アメリカの博物館のすごいところはこうした過去も歴史としてきちんと保存展示されていることだ。アトランティスが展示されていた建物の1階にそれはあった。犠牲となった14人の宇宙飛行士の遺品とともに,2機のシャトルの残骸が衝撃的に展示されていて,私は言葉を失った。その横にあった無傷のアトランティスと同じものとは思えなかった。

 結果的に,これで私はこの残骸を含め,そして,この旅で数日後に見ることになるエンデバーを加えると,作られた6機うち5機のスペースシャトルを見ることができたのだった。

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●ついにスペースシャトルと対面●
 スペースシャトルの打ち上げを一度は見たいものだと思っていたがかなわぬまま2011年に退役してしまった。せめて地球を回ってきた本物のスペースシャトルを見たいとずっと思い続けて,2013年にニューヨークへ行ったときにスペースシャトルを見ることができて,ついにそれがかなった… と思ったが,ニューヨークで見たのは地球を回ってきたものとは違っていて,私はがっかりしたのだった。
 2013年,久しぶりにニューヨークに行ったとき,イントレピッド海上航空宇宙博物館(Intrepid Sea, Air and Space Museum)にスペースシャトルが展示されているという情報を得たので私は見にいった。空母を博物館に転用したイントレビットの甲板の上に設置された展示室には確かにスペースシャトルが置いてあったのだが,それはエンタープライズ(Enterprise)で,滑空試験のために使用されただけで地球軌道を回ったものでなかった。宇宙へ行っていないため状態がとてもきれいで,使用感がなくおもちゃみたいだった。

 繰り返しの利用が可能な宇宙船であったスペースシャトルは1981年から135回打ち上げられたが,飛行可能な機体はエンタープライズを含めて結局6機作られた。
 エンタープライズ(Enterprise)は試験用で,実用化され,実際に地球の周回軌道に乗ったのは,コロンビア(Columbia)チャレンジャー(Challenger)ディスカバリー(Discovery)アトランティス(Atlantis)エンデバー(Endeavour)の5機であった。
 チャレンジャーは1986年に発射から73秒後に爆発事故を起こして機体が失われたため,機体構造の予備品として残っていたものを集めて新たにエンデバーが製作された。さらにコロンビアも2003年,地球への帰還途中で空中分解事故を起こして消滅した。
 そこで退役時に現存したのはエンタープライズも含めると4機である。

 退役後,ディスカバリーはワシントンDCにあるスミソニアン博物館のバージニア州にある別館国立航空宇宙博物館(Steven F. Udvar-Hazy Center),アトランティスはフロリダ州ケネディ宇宙センター(Kennedy Space Center)の見学者用施設,エンデバーはカリフォルニア州ロサンゼルスのカリフォルニア科学センター(California Science Center)にそれぞれ展示されている。また,それまで国立航空宇宙博物館別館に展示されていたエンタープライズは,ディスカバリーが展示されることに伴って,ニューヨークのイントレピッド海上航空宇宙博物館(Intrepid Sea, Air and Space Museum)に移された。
 ヒューストンにはスペースシャトルのコントロールセンターがあったのだが,そこに1機も展示されていないのが意外に思われる。これは大人の事情であろう。

 そんなわけで,私は今回の旅で,今度こそ地球を回ってきたスペースシャトルを見たいものだと,わざわざケネディ宇宙センターにやってきたわけであった。
 ここに展示されているアトランティスはまさに飛んでいるかのように展示されていることは以前から知っていて,いつか見てみたいなあと思ってはいたが,その夢がかなうとは信じられなかった。この日,ついにそれを実現することができたのだった。

 ケネディ宇宙センターにはサターンロケットの実物やスペースシャトルの発射台,ロケット組み立て用の建物などアメリカの宇宙開発の歴史がすべて展示されている。
 私は宇宙センターのゲートを入ると,他の展示物はすでに前回見たことがあるので,今回は一目散にアトランティスが展示されているパビリオンに向かった。
 建物の外には実物大の補助エンジンの模型があった。建物のなかに入ると長いスロープがあって,それを登りきると劇場のような部屋に入るようになっていた。スペースシャトルの展示室に入る前に映画が上映されていてそれを見終わるとスペースシャトルが展示されている部屋の扉があくという仕掛けであった。
 展示室は2階建てになっていて,映画が終わって扉を開けて入ったのはその2階部分であった。
 扉が開いた瞬間,目の前にスペースシャトルが現れた。それは劇的であった。2階からはハッチの開いたスペースシャトルを見ることができて,貨物室の中も見られるようになっていた。長いスロープを下って1階へ降りていくとタイルの貼られた全面を見ることができるようになっていた。1階ではさらにタイヤやエンジン,アストロバンなども見ることができた。
 宇宙センターはさすがに有料だけのことはあって,充実した展示であった。私にとって,この旅で長年の夢が実現した最もうれしい時間であった。

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●スペースシャトルさえ見られれば●
 まだ夜が明けるより前,私は宿泊したマイアミのコンドミニアムを出て,ダウンタウンを走って,インターステイツ95に入った。
 土曜日ということもあり,しかも早朝ということもあり,インターステイツ95はほどんど車が走っていなかったから,きわめて快調であった。
 マイアミからケネディ宇宙センターまでは220マイル(350キロメートル)であるから車で3時間というところであろうか。この日は土曜日だったのでケネディ宇宙センターは混雑が予想されたから,なんとか午前9時過ぎには到着したいものだと思った。

 コンドミニアムは朝食がついていないから夜が明ける前に出発したが,どこかで朝食をとろうと思って,インターステイツのジャンクションが近づくごとにマクドナルドの表示をさがして走っていたのだが,大きな町だと表示があってもジャンクションを降りてからずいぶんと走らないとめざすマクドナルドがなかったりするので,私はマイアミ市街を抜けるのを待っていた。
 マイアミ市街から100マイルほど走って,ウェストパームビーチを過ぎたあたりは,ずいぶんと民家も少なくなってきてた。やがて,インターステイツの道路案内に「マクドナルド」の表示があったので,そこでインターステイツ95を降りて朝食をとることにした。
 ファーストフード店は郊外にあるほうが行くにも車を停めるにも楽だから,適当なところを探しながら走っていたというわけだ。
 朝食をとって,再びインターステイツ95に戻った。
 さらにこれから100マイルほど北上していくのだが,走っていると,とにかくフロリダ州の発展はものすごいものだと感じた。

 大統領選挙が終わり,大方の予想とちがって,トランプが勝った。
 今回の大統領選挙で私が感じたのは「金持ち民主党」対「貧乏白人の共和党」ということであった。以前とはずいぶん違う。それはITによる産業構造の変化と無縁でないであろう。
 アメリカはフロリダ州にせよワシントン州にせよ,大都会の発展はものすごく,その底力もすごい。アメリカは斜陽だといういう日本人もいるが,日本の斜陽ぶりと比べてみるといい。なにせ,日本で発展しているのは首都東京だけなのだ。オリンピックで何兆円という話題のあとで熊本城の復興費が800億円,といわれると,本当にどうかしていると思う。
 アメリカも,昨年走った中南部や今回の旅でこの後行くことになるノースカロライナ州などは従来の工業が斜陽となって,街も暗く,活気もないが,IT産業の誘致に成功した地方都市やあるいはカリフォルニア州のシリコンバレーなどは活気にあふれている。それは,民主党とか共和党ということではなく,その州政府にそうした産業を誘致する先見性があったかどうかなのだろう。

 来るときに見た通り,インターステイツ95を走っていくとそのうちにケネディ宇宙センターの案内標示があるので,そこで右折してケープカナベラルに向かっていけば私の目的地に到着するから,私はそれをめざして進んでいった。
 google maps を調べても,あるいは車のカーナビの表示を見ても,なかなかケネディ宇宙センターにいく道順がわからないのだったが,実際に走っていくと道路案内がしっかりしていてなんの問題もなく到着する。しかし,道路を選ばないと,ここもまた知らないうちに有料道路に入っていってしまうから要注意なわけだ。

 私は,今日の写真のような道路を走っていったが,この道路は海にかかる快適な橋の上を通っていた。そこを延々と走って,さらに沼地に作られた道路を行くと,ずっと先にスペースシャトルの模型が見えてきた。
 そこにあるのが,ケネディ宇宙センターの観光用コンプレックスであった。
 ここは NASA のれっきとした研究施設であり,また,ロケットの打ち上げ基地でもある。

 詳しくない日本人が間違えるのがテキサス州ヒューストンの宇宙センターである。
 私はその両方に行ったことがあるが,ヒューストンには航空管制センターがあり,同じような見学コースがある。
 フロリダもこの打ち上げ基地に併設する形で見学コースがあるのだが,アメリカ人のしたたかなのは,この見学コースが「ゼニがとれる」ことを知っているので,ものすごく豪華なアミューズメントパークとなっていることなのだ。つまり,ここは宇宙に関するディズニーランドなのである。ただし,ディズニーランドとの違いは,ここではホンモノのロケットに接することができるということなのである。

 到着したの9時過ぎで,ものすごく広い駐車場はまだずいぶんと余裕があった。また,夏休みの土曜日ということでもっと混雑しているかと心配したが,予想が外れた。
 車を停めて,入口に急いだ。
 チケットブースには人が並んでいたが,まあ,こんなものであろう。
 正規の入場料のほかに,本物の宇宙飛行士と一緒に食事をすることができるオプショナルツアーなどさまざまなオプションがあった。これもまたアメリカらしい。
 私は前回18年前にも来たことがあるからこの施設自体にはさほど興味はなかったが,今回ここに来たかった理由はひとつだけ,それは本物のスペースシャトルを見たいということであった。
 だから,それをどこで見られるか,それを見るにはなんらかのオプショナルツアーに参加する必要があるのかだけが心配であったが,聞いてみると通常の入場料だけでスペースシャトルを見ることができるということだったので,それを購入して入場した。

 今日はこのケネディ宇宙センターの見学を終えたら,可能な限り北に走っていくことにしていた。
 昨晩,地図を見てフロリダ州を越え次のジョージア州も越えて,サウスカロライナ州との州境にあるサバンナという町までは行けそうに思えたので,そこにホテルを予約した。そのとき,ケネディ宇宙センターを午後3時過ぎに出れば十分だな,とぼんやりと思っていた。
 なにせ,私は,この日スペースシャトルさえ見られればそれでよかったのだから。

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●マイアミに行くならハワイのほうが●
☆4日目 7月30日(土)
 今日の写真は夜写したものではなく早朝である。つまり,私は,この日,まだ夜が明ける前に出発したのだった。

 私が2泊したこの「コンドミニアム」についてはすでにいろいろ書いたが,外見の写真がなかったから,今日はまずこのコンドミニアムの写真をご覧いただこう。
 1番目の写真にあるのは,このコンドミニアムの入口にあったものだが,「リバーオーク・マリーナ&タワー」という名前が書いてあった。
 そして,2番目の写真が玄関である。この玄関の前にガードマンがいて,なかに入ると吹き抜けになっており,その中央に丸い受付がある。そして右に曲がったところに2基のエレベータがあって,それを利用して昇るようになっている。
 また、この建物の右側の別棟がパーキングで,その内部は3番目の写真のようになっている。各階の端っこの壁際に地味な扉があって,それを開けるとアパートの通路につながっているが,はじめてもときはこの扉の存在がかななかわからないからアパートにはいることができないわけだ。しかし,これでセキュリティが保たれているのかどうかはよくわからない。

 そして,4番目の写真がマイアミ・マーリンズのホームグランドであるマーリンズパークである。
 このボールパークの西側の広い道路を北に向かって2キロほど行くと川があってそこに橋が架かっているが,その橋の手前を左折して公園のなかの道路を1キロほど行くと,このアパートに到着するのだ。
 このあたりは住宅地,というか高層アパート街で,治安に問題はなさそうなのだが,なにせ,公園は日が暮れれば人影がなくなるから,本当のところはまったくよくわからない。

 いずれにせよ,私がこれまでに行ったアメリカでは,デトロイトのダウンタウン,イーストセントルイス,そして,この旅で後で行くことになるボルチモアの3か所がかなり治安の悪い「やばい」ところなのだそうで,実際に行ってみると,さもありなん,という感じであったが,ここはそういう感じではなかった。

 ただし,マイアミで一番の問題は,車で一般道を走っているとき,交差点を赤信号で停止すると,物乞いがやってきてお金をせびったり,あるいは,いきなり窓ガラスを拭いてお金を請求したりといった無法があり得ることで,そんなことに出会ったら,とことん無視するか,あるいは1ドル札の1枚でもくれてやればいいのだが,気持ちのよいものではない。
 こういことは,以前のアメリカの大都市なら,東海岸でなくともサンディエゴでもありえたのだが,現在のずいぶんと治安のよくなったアメリカで,こういうものに出くわすと,タイムマシンに乗って数十年前のアメリカに戻ってきたように感じる。

 私は,コンドミニアムを出て,まだ夜が明けきらぬマイアミのダウンタウンを,カーナビの案内を頼りにインターステイツ95のジャンクションを目指して走っていった。
 結局,私がマイアミに滞在したときの体験はここで書いたことくらいのものだったので,マイアミ観光を考えている人が読んでもほとんど参考にならなかったかもしれない。ただ,端的にいうと,フロリダ州は,キーウェストは一見の価値があるが,マイアミビーチに行くならハワイに行ったほうがずっといいのではないかというのが,昨日のブログ同様,今日も私の結論である。

DSC_0538DSC_0518IMG_1210IMG_1211●アメリカでナイトゲームを見るということ●
 あまり書かれていないことだが,MLBのナイトゲームを見るにには,終了後のことを考えておかないと悲惨なことになる。
 私はこれまでにずいぶん多くのゲームを見たが,ナイトゲームを終了まで見たという経験は,実はあまりない。その多くは7回裏が始まるとともに帰ってきた。それは,ゲームの終了後の混雑がきらいだからだ。
 MLBはデーゲームが多いので,日程に余裕があるときはデーゲームを見るようにしている。デーゲームだと,心置きなく最後まで見ることができるからだ。

 ボールパークへの交通の便がよく,最寄りの鉄道の駅から電車に乗れば容易にホテルに帰ることができるのなら,ナイトゲームであっても最後まで楽しむことができるが,MLBでは引き分けはないので,延長したときの最終電車だけは確認しておく必要がある。
 最寄りの鉄道の駅が近いボールパークはボストンのフェンウェイパーク,ミネアポリスのターゲットフィールド,ニューヨークのヤンキースタジアムとシティフィールド,シカゴのリグレーフィールド,ワシントンDCのナショナルズパーク,フィラデルフィアのシチズンズパークなどがある。
 オークランドのオードットコーコロシアムも駅には近いが,ここは終電がはやいことと周りの治安が悪いのが難点である。
 あるいは,ボールパークが治安のよいダウンタウンのなかにあるトロントのロジャーズセンターやデンバーのクワーズフィールドなどでは,ボールパークから離れたところに車を停めてもそこまで歩いていくことができる。

 そうでなければ,ボールパークのなるべく近くのパーキングに車を停める必要があるが,そうしたときには,ゲームの終了後は車をパーキングから出すににひと苦労するわけだ。
 たとえば,ロスアンゼルスのドジャースタジアム,ミルウォーキーのミラーパーク,セントイスのブッシュスタジアム,カンザスシティのカウフマンスタジアムなどがそうである。

 私は,デトロイトでゲームを見たときに,駐車料金をケチって少し遠い場所に停めたがために,ゲームが終わってからかなり怖い思いをした。クリーブランドという町の治安がよいのか悪いのかは知らないが,私はここでもずいぶんと遠いところに停めたために,やはり,帰りに怖い思いをした。
 しかし,ボールパークから離れたところに停めれば。パーキングを出るのは楽である。
 ということで,MLBを見にいきたい方は,デーゲームをお勧めする。

 私は,この日,ゲームの終了よりは早くボールパークを出たが,すでに帰る客が多く,前日とは違って,車を出すのが大変であった。
 しかも道路はゲームの終了後の混乱を避けるために閉鎖されていたり右折禁止,あるいは左折禁止だったりとずいぶんと遠回りをさせられて,やっとのことで宿泊先のコンドミニアムに戻ることができたときにはボールパークを出てからすでに1時間くらい過ぎていた。

DSC_0399DSC_0409DSC_0481DSC_0436DSC_0474DSC_0487DSC_0541●イチローは稀勢の里と同じか?●
 アメリカではゲームはアメリカ国家から始まる。この日,歌ったのは「Elisa」という名前の女性であった。
 手掛かりは「Elisa」という名前だけだったが,帰国してから調べてみると日本人とイタリア人に同じ名前の歌手が見つかった。しかし,この日に歌ったのはそのどちらでもないようだった。
 そこで,さらに調べてみると,マーリンズのチェアリーダー,彼らを「Marlins Energy Team」というのだそうだが,そのメンバーのなかに「Elisa」という名前の女性がいたから,おそらく,その人物だったのであろう。

 この日はプロモーション「Taiwanese Heritage Night」で,台湾の人たちによる中華獅子舞が披露された。そんなこともあって,観客席にはそれを見ようとする台湾の人やらイチローの記録目当ての日本人やらのアジア人でぐっちゃぐちゃであった。
 私は,イチローの先発出場はうれしかったが,3番という打順にいやな気がしていた。マーリンズのマッティングリー監督は試合前の会見で「他の選手を動かしたくなかったというのもあるし彼はラインドライブを打てる打者だ」と話したのだそうだ。
 それにしても,マーリンズで数少ない先発出場をするときはいつもは1番なのに,この日に限ってそれを変えてもいいことなど何もない。第一,1番と3番では打席数が異なるかもしれないし,イチローの記録達成が目的のゲームにこの手はない。

 さて,ともかくゲームがはじまった。
 おなじみのゲーム開始前のベンチのなかでのイチローのパフォーマンスやベンチから飛び出してくるイチローのナマの姿が見られただけでも,1塁側に陣取った甲斐があったというものだった。
 相手チーム・セントルイス・カージナルスの先発はリーク(Mike Leake)という投手であった。1回裏の1死1塁,ものすごい声援のなかをイチローが打席に入った。
 イチローはフルカウントからの7球目,内角146キロのカットボールを左へ流したが,3塁へのハーフライナーであった。1塁走者も飛び出してダブルプレーになってしまった。
 私は第1打席が勝負だと思っていたから,こりゃだめだ,とすでにここでかなり落胆した。

 イチローをナマで見るときに最も面白いのはその独特のパフォーマンスである。
 ただし,私が初めてシアトルでイチローを見たとき,外野の定位置であるライトフォールドは「エリア51」という,ネバダ州の秘密基地になぞらえれて名づけられていた(なかなかオツな名前だ)。私はその守備を楽しみにライト側の席に座ったのに,その日はたまたまセンターを守ってがっかりした。
 2度目はイチローがヤンキースに移籍したあとのヤンキースタジアムで,そのときについにライトを守るイチローを見ることができた。
 そして,この日の守備位置はレフトであったから,考えてみれば,私は結果的にイチローの外野守備はすべてみたということになる。
 その守備で見せ場がやってきた。
 4回表1死3塁,カージナルス・ガルシア(Greg Garcia)の左飛をキャッチするとバックホームをした。ノーバウンドのレーザービームで3塁走者を見事に刺したのだ。
 結局,これがこの日の最大の見せ場となった。

 4回裏に2打席目がきた。
 このときは,1死走者なしカウント2-2からの8球目に150キロの内角ストレートを打ったが,当たり損ねの捕ゴロ。1塁まで4秒08で走ったがアウトになった。これで私は絶望的だと思ったが,来ている観客はまだ望みをすてきれていなかった。
 5回2死走者なしで早くも3回目が巡ってきた。あと3回打席があればまだ望みがあるぞと淡い期待を抱いたが,このときはフルカウントからの9球目,145キロの内角カットボールに詰まって遊ゴロになり,1塁まで3秒93で走ったが惜しくもアウトとなった。これでほぼ望みはなくなった。ここまでで1本ヒットが出ていたら,ものすごく盛り上がったゲームになっていただろうに,まことに残念だった。
 そしてカージナルスのピッチャーが左腕キーケーファー(Dean Kiekhefer)に代わった8回の1死2塁で4回目の打席が巡ってきたが,カウント0-2から141キロ低めのストレートを空振り三振した。
 これで,この日のすべてが終わった。

 私は,もう何も興味がなくなったので,これで帰ることにした。最後までいても帰りに大渋滞するだけである。ゲーム終了後,花火があるらしかったが,私にはどうでもよかった。
 私が帰ろうとすると,隣にいたガイ(guy。gayではない)が「ギブアップか」と私をからかった。私は「そうだギブアップだ」と言ってスタンドを後にした。
 こうして,残念ながらこのゲームで記録達成を見ることができなかったが,ある意味,私はホッとした。
 マーリンズはこの次のゲームから遠征に出るから,イチローは記録をここで決めないといけなかったし,そのためのすべてのお膳立てができていた。こうしたとき,歴代のスーパースターはきちんと記録を達成してきたのだ。
 イチローがこれまでの長い選手生活のなかで,日本のオリックス時代にも日本シリーズでは打てなかったし,メジャーリーグでプレーするようになってからもワールドシリーズの出場から無縁なのは,こうしたチャンスが生かせない,カリスマになりきれないことが原因だと,私は生意気にも思う。これはまさに,大相撲の稀勢の里と同じである。

DSC_0380DSC_0396DSC_0412DSC_0393DSC_0394●イチローの歴史的な瞬間を見よう●
 今回の旅の目的のひとつであったマーリンズパークは,2012年4月に約5億ドルをかけて作られたものである。この総工費は東京に作るという新国立競技場の1/3あまりの費用である。ちなみにニューヨークのヤンキースタジアムの総工費はなんと新国立競技場と同じ程度である。
  ・・
 2011年までマーリンズのゲームはサンライフスタジアムというところで行われていたが,NFLのマイアミ・ドルフィンズとの共同利用であり,大きすぎて屋根もなく,場所もダウタウンから北に25キロくらい離れた郊外であった。雨が多く蒸し暑いマイアミでこんなボールパークではあまりにも魅力がなかった。
 私が行った日もものすごく暑かったが,冷房の効いた屋根付きのボールパークは快適であった。以前のボールパークがいかに過酷であったかを身に染みて感じた。

 座席はマイアミらしく濃いブルーで塗られていた。ホームプレートの後方バックネット下には巨大水槽があって熱帯魚が泳いでいたり,レフト後方にプールがあったり,左中間には巨大なオブジェがあったりと,かなりサイケ調のボールパークであった。
 また,MLBにはふさわしくないチェアリーダーやアクロバットをするお姉さんやお兄さんもいた。
 確かに開閉式の屋根を閉じてガンガンにクーラーを効かさなければ,マイアミなどベースボールをする環境ではなかろうが,このサイケ調の色彩はベースボールにはふさわしくなく,落ち着きをなくすには十分効果的であった。
 正直いって,イチローがいなかったら,日本人がわざわざ足を運ぶ気にもならないまったく魅力に欠けるボールパークであると私は思った。

 前日は代打で出場してMLB通算2,998本目のヒットを放ったイチローは,この日,もし先発出場すれば3,000本安打の記録達成は間違いないと誰しもが思った。今日がまさにその日なら,3年前,偶然ヤンキースタジアムに行った日が松井秀喜選手の引退試合だったときと同じく,あまりの強運に,私は恐怖さえ感じたのだった。何度も書くが,私はイチローの記録達成を見るためにこの日を選んで来たわけではなく,春先から来ることを決めた日が偶然この日だったのだ。
 実は,昨日のゲーム終了後から,集客のためにイチローは今日先発出場だとしきりにPRされていたのだそうだが,私は,そんなことは知らず,キーウェストを往復してからここに来た。そして,ボールパークではじめて先発メンバーを確かめて「3番イチロー」の名を見つけたときは,本当にびっくりしたし,喜びがこみあげてきたと同時に怖くなった。
 まだゲームの開始まではずいぶんと時間があったが,スタンドはすでに異常な盛り上がりを見せていた。やたらと目立つ日本人は,初対面とはいえ,ものすごい連帯感が生まれていて,写真を撮り合ったり,話をしたり,そんなムードにあふれていた。
 「3000」と書かれた紙のボードやら大きなイチローの顔が印刷されたうちわやらが配られていて,私ももらったが,あまりの大きさに私の小さな旅行カバンに入れて持って帰るのがたいへんだった。
 日本人でない人たちも同じように夢中になっていて,この日のゲームは,まさに,イチローの歴史的な瞬間を見るためにあるようなものであった。

 ところで,このボールパーク,係員のやる気のなさも,また,天下一品であって,チケットに指定された席がどこであろうとそんなチェックもほとんどなく,どこに座ろうと自由であった。もともと集客が悪く,これほどのゲームであっても入りは悪かったし,さらに,ラテン系の人たちの性格がこのいい加減な雰囲気に輪をかけていた。
 日本から来たほとんどのイチロー応援団はマーリンズのベンチがある3塁側(MLBではホームチームが1塁側とは決まっていない)のベンチの上の座席に集まっていたが,私は,むしろ1塁側から51の背番号を入れた写真と,ヒットを打った時のファーストベースを駆け抜ける瞬間を撮りたかったので,1塁側に座って「その時」が来るのを今か今かと待ったのだった。

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DSC_0373DSC_0374DSC_0376DSC_0378DSC_0379●インタービューはボツだった。●
 さて,そうこうして,私は,今日もマーリンズパークにやってきた。
 車を駐車する場所は昨日と同じにした。昨日車を停めたときに「明日も来るよ」と言って予約をしておいたのだ。
 車を停めて,まず,ボールパークの周りを一周することにしたが,この日もものすごく暑かったので,少しめげてきた。
 ボールパークの北側にオフィシャルパーキングのビルがあって,ここは事前に予約をしてないと駐車できない。私が車を停めたのはボールバークの東側だが,ボールパークの東側から南側は住宅地である。そして,西側は公園になっていてさらにその西側が広い道路である。
 治安は… 決して悪くない。

 ボールパークの周りに気の利いたレストランがないのも昨日調べたとおりだが,ただ1軒Wendy'sがあって,私はそこで軽い夕食をとることにしていたからなかに入った。
 なにせボールパーク内は何を買っても異常に物価が高く量も少ないから,なるべくなら外で食事をしてしまうに限るのだ。
 客のほとんどはベースボール見物が目的で,イチローの記録目当ての日本人もいた。
 食事を終えて,ボールパークに向かった。ボールパークの入口も,やはり,イチローの記録目当ての日本人が目についたが,ひとりで来たなんていうのは私くらいのものであろう。

 このときの私は,メジャーリーグのボールパーク巡りは27球場目であったが,他のところと比較しても取り立ててわざわざ来るほどのところとは思えなかった。
 すでに書いたが,私がここに来たのはMLB30球場全制覇のためであって,イチローのメジャーリーク通算3,000本安打達成か? という日に遭遇したのは偶然であった。しかし,まさか本当にこの日がそうなるであろうとは夢にも思わなかったし,今回もまたこんなに強運に巡り合ってはこの先が怖いと感じた。

 昨日同様にボールパークの周囲には日本のマスコミが来ていて,インタビューをする日本人を探していた。
 このこともすでにこのブログに書いたが,私が3年前にニューヨークのヤンキースタジアムに行ったときは,偶然,松井秀喜選手の引退試合であった。そのときも日本のマスコミがいて,ゲームの終了後に私もインタビューを受けたのだが,気の利いたことを話さなかったので,ボツになった。
 今回もまた,インタビューを受けたが,この日は結局イチローの記録達成はならなかったので,そのインタビューもボツになった。

 アメリカのボールパークには多くのゲートがあるのだが,私は普通はメインゲートというかそのボールパークで最も有名なゲートから入ることにしてるのだが,昨日来たときは最も空いていたゲートから簡単に入場した。
 今日は最も人気のあるゲートから入ろうとしたが,そこはやたらとセキュリティが厳しいのであった。私は小さなバッグにカメラの交換レズと小さな双眼鏡をもっていたが,交換レンズを持ち込んではだめだというのだ。なんでもその係員がいうには,カメラ1台にはレンズは1本までなのだそうだ。そんなことは聞いていないしどこにも書いてない(と思う)。でも,私が知らないだけで本当にそんな決まりがあるのかもしれない。そして,私に余分なレンズを車に置いて来いといって,頑としてボールパークに入れてくれない。
 暑いのに今さら車まで戻るのもバカらしくなったので,昨日入ったゲートに行ってそこから入ることにした。こういうとき,この国はものすごくいい加減で,係員によって言うことや対応が違うのだ。
 思ったとおり,その別のゲートではなんの問題もなくすんなりと入ることができたのだが,そんなことでは逆にセキュリティは大丈夫かとが気になるのだった。長い通路を歩いて上ってボールパークに入ると,屋根の閉まったボールパークは冷房がガンガンに効いていて,むしろ寒いくらいであった。

DSC_0343DSC_0346DSC_0348DSC_0359DSC_0364DSC_0370●突然空が暗くなったと思ったら●
 すでに書いたが,フロリダキーズは約50の小島で構成されていて,そこに42の端がかかっている。このハイウェイは「世界で最も美しい」そうだから,これより美しいハイウェイを走ることは今後あるまい。
 かつてこの島々を繋ぐのは深く青い海だけだったが,そこにはじめに作られたのは鉄道橋であった。その残骸が眺められる場所があったので,私は車を停めて,しばらくの間,景色を眺めていた。

 再び,セブンマイルブリッジを走り,フロリダ半島まで戻ってきた。
 ここからオーキッドジャングル(orchid jungle=蘭の花)で有名なホームステッド(Homestead)という町までの沿道はカーディーラーや小さな工場が多く単調な片側1車線道路だが,ホームステッドを過ぎ,サウスマイアミに近づくと片側2車線道路になって,周りも華やいできた。
 そのころから,それまで非常に天気がよかったのに,突然,空が暗くなったと思ったら,とんでもないありさまになってきた。
 この豪雨は尋常なものではなかった。さすがに車のワイパーの回転速度は日本のものよりもずっと早くまで設定できたのだが,いくら早くしても全く効果がなく,まるでプールのなかにいるかのようであった。しかし,道路の真んなかで自分だけが停車するわけにもいかず,見えるのは前を走る車のテールランプの赤いライトだけになったのだがそれだけを見ながら走っていくしかなかったわけだった。

 以前,オズの魔法使いで有名なカンザス州ウィチタで同様の豪雨に出会ったが,それと甲乙つけがたいものであった。こんな雨は日本では絶対にあり得ないし経験もない。
 そうこうするうちに,雨は小降りになってきて,それまでのことがまるで嘘であったかのように快晴になった。
 ここはフロリダ,確かに日本のような温帯ではないということを強く感じた。

 私は今日,予定を変更してキーウェストまで行ってすぐに戻ってきたのだが,もともとはマイアミのダウタウンタウンを公共交通で観光しようと思っていたので,来る前にずいぶんと調べたのだった。
 マイアミの公共交通はバスや電車が縦横に走っていて,それを使えばどこに行くにもなんとかなりそうだったが,様々なものを読むと,やたらと治安が悪いということが書かれてあるし,そんな危険を冒してまで電車とバスを乗り継いで観光をするほどの情熱もなかったので断念して,キーウェストの帰り道に,国道1を外れダウンタウンへ遠回りして,少しだけ観光もどきをしてから,今晩のMLBのゲームに行くことにしていたのだった。

 サウスマイアミから海岸沿いを走っていくと,ビスカヤ(Biscayne)博物館と庭園があった。ここはマイアミを舞台にした映画やドラマにもよく出てくる場所で,1916年に大富豪が建てたアメリカと思えないヨーロッパ風の屋敷と庭園で,現在それらは美術館となっている。
 私は車で走り去っただけであったが,周りはものすごい高級住宅街であった。 
 そのままさらに北に走っていくとマイアミのダウンタウンに着いた。
 マイアミのダウンタウンは新しい高層ビルが林立し,いかにもアメリカの近代都市なのだが,新宿の副都心と似ているといえばそんなようなものだった。
 すでに何度もこのブロブに書いたように,私は,こういう場所では何もすることがないから,ここもまた車で通り過ぎただけだった。とても印象深かったのは,信号が変わるのが遅いということであった。私が通ったマイアミのダウンタウンの交差点の信号は「A-B-A-B」という通常のパターンで変わるのでなくて「A-B-A-B-C-A-B-A-B-C」のような変則的な変わり方をしたので,「C」の側の進行方向になってしまうと,なかなか青信号に変わらず進めないのである。
 しかし,日本のように交通量が多かろうと少なかろうと杓子定規に信号が規則正しく同じ間合いで変わるから,ラッシュ時には一信号で右折することができず右折帯に取り残されるだけでなく,右折帯から直進帯まで車がはみ出して渋滞を引き起こしているようなことがよくあるが,そんな日本の信号の変わり方よりもずっと柔軟性があって渋滞が緩和されるのである。やはり,日本人は頭が悪い。
  ・・
 やっとのことでダウンタウンを脱出して,次にリトルハバナ(Little Havana)へ迂回してみた。ここはキューバ移民が多く住んでいるキューバのような地域である。マイアミ・マーリンズのボールパークはここからさほど遠くないところにあるのだ。

DSC_0310DSC_0314DSC_0317DSC_0316DSC_0336DSC_0325●なんと贅沢な旅ではないか!●
 私が初めてフロリダに来たのは1998年だったから今から18年前のことである。
 当時のフロリダは本当に楽しかった。思い出は美しい… からなのかもしれないが,夕方インターステイツを走っていると,遠くに灯りが見えるので降りてみると,それはボールパークの照明だった。そしてそれを見に行くと,それらはみなマイナーリーグのゲームであったが,小さなボールパークでとてもおもしろいのだ。
 そんなことを毎晩やっていた。

 今回驚いたのは,当時は片側2車線だったインターステイツがどんどん拡張されて,インターステイツ95でいえば,片側だけでも6車線もあったことだ。そしてさらに中央の車線は有料道路になっていた。それでもインターステイツ95だけでは車がさばききれないから,それに平行に有料道路のバイパス(ターンパイク)ができていた。しかも,そのすべては料金所などなく,レーダーで車両を識別していた。また,一般道を信号待ちで止まっていると,どこからともなくホームレスが現れ,金をせびるのだ。
 こんなふうだったから,私は,18年前とは違って,今回フロリダに来てみてもまったく楽しくなかった。
 この州はどことなくテキサス州に似ていなくもなかったが,テキサス州は治安がよいがフロリダ州はその点でもまったくなっていなかった。

 私はそんなことを思い出しながら18年前と同じように,国道1にかかるセブンマイルブリッジを走って,再びキーウェストへ着いた。 
 セブンマイルブリッジからの景観はその時と同じようにいまもなお美しかったが,その果てにあるキーウエストもまた,18年前とは違って観光客が多すぎて,ここもまた,どうにもいけなかった。
 どうやら,今日では,アメリカの観光地というのは,どこもその許容範囲を超えてしまっているようだ。

 フロリダ州は,ケネディ宇宙センターでホンモノのスペースシャトルを見るため,そして,キーウェストへ行くセブンマイルブリッジを走るため,誰しも一度は足を運びたいところに違いがない。しかし,フロリダ州といっても広く,オーランドからケネディ宇宙センターまでは2時間もかからないが,マイアミまで行くには3時間,さらにそこからキーウェストを往復すれば6時間もかかるほど遠いから,行くだけでも結構たいへんなのだ。
 この春にハワイ行った私にすればすべての点においてここはハワイよりも魅力に劣るところだったから,再びフロリダ州の地に来ることはもはやあるまい,と思う。

 今回,再びキーウェストへ行こうと思った最も大きな理由は「国道1」の終点と始点の標識をカメラに収めるためであった。
 このようにして,私はマイアミからキーウェストまで,国道1を160マイル走ってきた。国道1はキーズ地区に入るとやたらと数字の標識が目立つようになった。ここではこの数字が番地の役割も果たしているのだという。
 国道1はキーウェストに入ると「ルーズべルトブルバード」(Roosevelt Blvd)と名を変えた。
 ここキーウェストはアメリカ最南端の町であるとともに,文豪ヘミングウェイが住んでいたことでも知られている。
 キーウェストに初めて上陸した訪問者は海賊だったという。その後,ハバナ人がスループ船と呼ばれる一本マストの帆船でやってきた。
 キーウェストでは国道1は左側にベイビューパークを見ながら走り,途中からトルーマンアベニューとなり,デュヴァルストリートとぶつかる。その交差点を右折してヘミングウェイの住んでいた家の前を少し通り抜けるとスレミングストリートと交差する。
 そこが国道1の南の終点であった。

 私は,すでに前回,キーウェストの観光地はすべて見てまわったし,今回はこの狭い島にあまりに多くの観光客がいて,車を停めて歩き回る気持ちがうせてしまったので,国道1の最終地点に来たことですっかり満足して,引き返すことにした。
 ここまで来てそのまま引き返すとはなんと贅沢な旅ではないか!
 引き返す前に,サザンモストポイント(Southernmost Point)だけは見ておこうと思って,海岸線を走った。昔と変わらぬサザンモストポイントだったが,写真を写そうと多くの人が列を作っていたし車を止める場所もなかった。再び国道1に戻ると,今度は国道1の南の始点の標識に出会った。
 ここから私は国道1を逆方向に,マイアミに向かっって引き返すのだ。

◇◇◇
The Super Moon 2016

68年間で最も地球との距離が近いスーパームーンでしたが,天気が悪く,前日に雲の間からなんとか写しました。
Super Moon Eve

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●日本の誇る「ドリラー」教育の成果●
 私がマイアミから国道1を南に走って,途中「セブンマイルブリッジ」(Seven Mile Bridge)を通ってキーウエストに行くのは,これが2度目のことであった。
 インターネットが発達して,家にいながら玉石混合の情報が容易に手に入るようになった。それ以来,私は逆に,行動をすることこそがすべての基本だと思うようになった。
 そうしていざ行動しはじめると,ロクに行動もしないで本で読んだだけの知識を受け売りで振りまいている人や,頭のなかだけで考えたことをさも学問として語る輩があまりに多いことに気づくようになった。
 今どきインターネットでどんなことでも調べられるのに,それができなかった昔のように,単に前日に予習をして得ただけのそんなにわか知識を教師が生徒に語るような授業をするのなら,もはや学校など不要だろう。
 すべての基本は自分の目で見,耳で聞き,心で感じ,足で大地を歩くことである。

 フロリダキーズはその先端にあるキーウェストまで多くの島々が点在し,それらすべてが42の橋で結ばれているが,そのうちの最も長いのがこのセブンマイルブリッジである。
 セブンマイルブリッジというくらいだから,全長7マイル(正確には6.765マイル=10.887キロメートル)の橋が海を渡ってかけられている。
 インターネット上に「私はセブンマイルブリッジに行きたい」という表題をつけた,行ったこともないのに単にインターネットを検索して見つけただけの情報と写真を勝手にコピーして作ったブログを見つけた。
 この種のブログはインターネット上に,旅行ネタに限らず芸能ネタなどにもたくさんある。それらは行ったこともない場所や会ったことのない芸能人の情報を適当に調べてそれを羅列して,最後にさもわかったかのような感想(特にこれが鼻につく)をちょちょっとかいたものばかりだが,そんなブログを作っている人を,私は情けなく思う。
 これもまた,ドリルだけをやってそれを勉強だと思っている偉大な日本の誇る「ドリラー」教育の成果なのであろう。

 閑話休題。
 この「セブンマイルブリッジ」は多くの映画やCMで使われているので,どこかでそれをご覧になったこともあるだろうが,1979年から1982年にかけて建設されたものである。
 セブンマイルブリッジは、古い橋と新しい橋が平行して走っているが,古い橋のほうはところどころで破壊されていて,今では廃墟と化している。この古い橋は鉄道王ヘンリー・フラグラー(Henry Flagler)が1909年から1912年にかけて列車用に作った橋で,その後,オーバーシーズ・レールウェイとして1913年から1935年まで運用されていたが,度重なるハリケーンの影響で破壊された。キーウエスト側の1キロほどが再び整備されていて「世界最長のフィッシングピア」として釣り人や観光客に開放されている。
 私が読んだ,先ほどのバカげたブログには「オープンカーを借りて爆走してみたい気分ですね」といったたわいもない感想が書かれてあったが,この橋を爆走する車などありえない。
 本当にバカじゃなかろうか?

 橋を渡り終えるといよいよキーウェストだ。この島は右回りに海岸に沿って走っていくと,今日の写真のように左手にすばらしいホテルが立ち並んでいて,右手には美しい海岸が広がり,このあたりが最も美しい場所であると思われた。
 ここの景色を見て,私は前回来たときのことを思い出した。そのとき私はこの場所にあったオープンカフェで食事をしたのだが,その翌年にこの地は悲惨なハリケーンで木っ端みじんになってしまったのだった。あのときに話をして一緒に写真を撮ったウェイトレスは今も元気だろうか? 完全に復旧したこの地を見て私が思い出したのはこのことだった。

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●キーウェストへ行ってくることにした。●
 この日私はMLBマイアミ・マーリンズのナイトゲーム開始までの時間,マイアミのダウンタウンを観光しようかそれともマイアミビーチに行こうかずっと迷っていたのだが,マイアミに着いたら,そのどちらも行く気がなくなってしまった。
 それは,マイアミはどこも車と人だらけであり,道路はやたらと有料だし,治安もよさそうにないから,どこへ行ってもまったく楽しくなさそうだったからである。
 私は,フロリダに来るくるならハワイ州オアフ島のワイキキビーチのほうがずっといいと思った。
 アメリカ本土で出会った人にハワイの話を持ち出すと,どうやらアメリカ人にとってもハワイというのは遠いところのようだということを実感した。彼らにとってもハワイ旅行は夢のまた夢なのだ。むしろ,日本人のほうがハワイを身近なところに感じているように思えた。

 そんなわけで,私は,マイアミの観光をするのはやめて,キーウェストまで往復してくることにした。
 キーウェストへはマイアミから国道1(US-1)をひたすら南に走っていけばいいのだが,往復すると6時間ほどかかる。それでも,マイアミの観光をするよりもずっと魅力的に思えた。18年前に一度行ったときの記憶があいまいだったから,もう一度新たな記憶として焼き付けておこうと思ったこともあったのだった。
 それにしても,まさか今回来る前はこの旅でキーウェストまで行くとは思いもよらなかった。また,私がキーウェストに2度も行くことになるなどとは思いもしないことであった。人生とは不思議なものである。

 国道1はマイアミの市街地を抜けると次第に南国ムードいっぱいになってきたが,走っているとき,どことなくボストン郊外のケープコッド岬やワシントン州のオリンピック半島に似ているなあと感じた。というよりも,実際は,海に突き出た半島なんて,どこへ行っても同じようなものなのだろう。
 アメリカはどこを走っていても美しく楽しい。日本の半島のように,古びて廃墟になったような建物やら,たごっちゃごちゃに道路が作られて満足に走ることさえできなかったりするのとはえらい違いである。

 国道1は,マイアミ市街地を出るとオーバーシーズハイウェイ,そして,サウスディクシーハイウェイといった名が付けられていて,そのまま直線にカリブ海まで進み,大きな橋を越えてキーラーゴ島に上陸すると,そこで西に90度向きを変えた。
 ここから先の国道1は延々と海のなかに突き出た島々を通って,最終的にキーウェストに到着するのである。

 せっまい国土に住む日本人には想像もできないであろうが,国道1は,今日の写真にあるように道路幅は広く,地図から思い描くようなところではないのである。
 18年前に初めてここを走ったとき,私はどうしてこの道を走ったその先端にキーウェストという素晴らしい場所があるのに,途中の半端なところに別荘を構えたりすのかしらと思ったことだったが,今思うに,先端の遠いところまでわざわわざいかなくても,途中でもずいぶんと景観がいいのだからそれで十分だ,そう思うようになったのは私が歳をとったということであろうか。
 まだ朝食をとっていないことを思い出して,途中にあったバーガーキングに入っていって,私はモーニングセットを注文した。

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●イチローのMLB通算3,000本安打を見たかった。●
☆3日目 7月29日(金)
 マイアミの新しい朝が来た。
 もともと今回の旅は「アメリカ合衆国50州制覇」を達成するために残ってしまった2州,サウスカロライナ州とノースカロライナ州に行くのが目的だった。「MLB30球場制覇」はそれに付随したもので,今回の旅でこれも達成する気持ちはなかった。さらに,実のところ,数年前とは違って,私はアメリカ合衆国の東海岸にほとんど思い入れがなくなっていた。
 ANAが羽田からシカゴとニューヨークに直行便を就航させたので,やたらとシカゴやニューヨークのコマーシャルを流しているが,私は,今やシカゴもニューヨークもほとんど興味がない。シカゴやニューヨークといったアメリカの大都市に住む気もなければ住んでいる人を羨ましくもない。それは決して強がりではなく,私は何年もアメリカを旅行した結果,アメリカの魅力は大自然にこそあると悟ってしまったからである。アメリカの都会の車と人の多さは並大抵なものではないのである。
 しかし,それでも,東海岸には一度は行ってみたいなあと思っていたところが点々と残っていて,せっかく今回東海岸に行くのなら,この旅でそれを全部達成してやろうと思い始めてから,この旅の行き先がどんどんと拡大していったのだった。

 そのひとつがマイアミである。
 私はフロリダ州はすでに行っている。そのとき,マイアミの空港に降り立ったのだが,市街地は通らずキーウエストに向かったから,マイアミビーチには行ったことがないと思い込んでいた。しかし,今回行ってみると,私がそう思っていたのは間違いだと気づいた。
 私は混雑したマイアミビーチ沿いの道路を走ったことがあるのだった。
 しかし,当然,マイアミ・マーリンズのボールパークには行ったことがない。マイアミはフロリダ州のなかでもずいぶんと南にあるので,今回行こうかやめようかずいぶんと迷ったが,この機会を逃したらマイアミに行くことはもはや不可能に思えてきたから,結局行くことにしたのであった。
 そうした計画を立てていたころ,イチロー選手のMLB通算3,000本安打の記録が私がマイアミに行く時期に達成されそうな雰囲気になってきた。
 私がマイアミ・マーリンズのゲームのチケットを購入したのは昨日のものだけであった。しかし,もし,私の行くその次の日のゲームで記録を達成したとすると,それを見なかったことで私は一生後悔するのではないかと思ったから,この日のゲームのチケット(それも一番安い席)を後で購入して,マイアミの滞在を1日増やしたのであった。

 来てみてわかったのは,このマイアミ・マーリンズのボールパークは,まったく不人気なところということであった。こんなに話題の豊富なゲームであっても客席はガラガラだったから,前売りのチケットなど買う必要もなかったのだ。
 また後で詳しく書くことになるが,結局,この日は残念ながらイチロー選手は4打数無安打で記録が達成できなかった。しかし,次の日からマーリンズは遠征に出るので,あきらめもつくというものだった。
 結局私は,記録の達成を見ることはできなかったが,この日のゲームを見て本当によかったと思った。とても楽しい1日になった。
 では,次回からはこの日を朝から振り返ってみることにしよう。

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●来てみると当然のことであっても●
 この日は数か月後にフェルナンデスに起きる悲劇などもちろん知る由もなく,私はイチローさえ見られればそれでよかったので,ゲームの終了を待たず,イチローのヒットを見ただけでボールパークを後にした。
 ゲーム終了後の深夜の大混乱のなかを,来たばかりの町をドライブしてホテルまで帰るのはご免だった。

 私の泊まったホテル,いや,コンドミニアムは単にアパートの一室を借りたものだから,自分の家のようなものだ。ガレージに車を停めてエレベータに乗って13階まで行ってそのままキーで扉を開けて部屋に入る。
 車をガレージに入れるには,アパートの敷地に入るときに車を感知するとバーが自動で開く仕掛けになっていたのだが,そのバーは車がうまく感知されないと開かない。さらに,ガレージのあるビルに入るにもまた鉄格子の扉があり,これも車を感知すると自動的に開く仕組みであった。
 そしてまた,車を停めたあと,ガレージからアパートに入る入口がわかりにくく,部屋にもどるまでが大変であった。
 これもまたアメリカらしい話だが,これでセキュリティが保たれているのかどうかは定かでない。なにせ,このコンドミニアムは誰だって借りられるからである。

 今日の1番目の写真はコンドミニアムの部屋の窓から外をみた風景,2番めと3番目は部屋のなかの様子である。アメリカのアパートのなかが見られただけでもここに泊まった甲斐があたというものだ。
 室内は広く,寝室が2部屋もあったから,家族で来ればかなり安価で宿泊できるわけである。
 ボールパークの近くにはホテルがなく,ネット上のさまざまな書き込みには,マイアミは治安の悪いダウンタウンを避けてマイアミビーチにホテルを取ったほうがいいとかかれてあるが,マイアミビーチまでは結構な距離があるから,ベースボール見物にマイアミに来る人は,わたしの泊まったコンドミニアムをお勧めしたい。
 私は「MLB30球団制覇」のためにわざわざマイアミにやってきただけで,イチローはおまけ,他の多くのボールパークに比べてここは何の魅力もなかったから,今後再び来ることはないであろうから,もはや関係ないが。

 ただし,このコンドミニアムの最大の欠点は周辺にまったくレストランがないということであった。マクドナルドのひとつもないのである。しかもここはホテルではないからビルのなかには自動販売機すらない。
 当然部屋では自炊することができるのだが,まったく食材がないのだからどうしようもなかった。
 私には宝の持ち腐れであった。

 部屋に帰っても何もすることがないので,テレビをつけた。
 この日は民主党の大統領候補者が決まる日ということで,テレビでは民主党の党大会をライブで中継していた。こういう日に偶然アメリカにいるというのも,けっこう「オツ」なものである。
 テレビ画面にはまず,クリントン大統領候補の家族が出てきて,一人娘のチェルシーがいかに自分の母親が大統領にふさわしい人物であるかをとうとうと演説していた。その後で夫の元クリントン大統領が出てきて,クライマックスになった。
 こういうのを見ていると,いかにもアメリカに来たなあ という感じになる。
  ・・
 私はいいか悪いか好きか嫌いかは別として,これだけ多くの人が太平洋を横断してアメリカに来たり,日本のテレビや雑誌にアメリカの情報が出ているのにもかかわらず,こちらでは当然のことの多くがほとんど日本に伝わっていないことにいつも驚く。
 アメリカ国内だけではなく日本国内を旅しても同じことを思うのだが,その理由は,そういう情報を書いても「銭にならない」からなのか,訪れる人がそういうことを認識していないからかのか,私にはそれがよくわからない。
 たとえば,私が以前このブログに書いた「アメリカ人はとても丁寧に手をあらう」というのもその一例だし,「世界の果てまで日本人」という民放のテレビ番組でタレントの千原せいじさんがアフリカの便座すらないトイレの様子などを話していたが,こういう意外な事実は,行った人には当然のことであってもそうでないはまったく知らない,といった興味深い情報がきっとどこにもたくさんあるのだろう。

◇◇◇
Congrats Cubs! The curse was completely over.
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●イチローとホセ・フェルナンデス●
 MLBでは,インターネットでチケットを購入する時点でオフィシャルパーキングの予約も同時にできる。
 しかし,シアトル・マリナーズの場合はオフィシャルパーキングはその時点で予約をしなくても当日でも駐車できるから,事前に予約をする必要はないのだ。何事にも「案配」というものがあって,これは行ってみなくてはわからないのである。
 私は,マイアミ・マーリンズのボールパーク周辺がどうなっているのか想像がつかなかった。行ってみればとてもよくわかるのだが,行く前はさっぱり見当がつかなかったし,そもそもボールパークにはホテルから歩いていくつもりでいたから,事前に駐車場を予約しなかったのだった。

 ところが,行ってみてわかったのは,マーリンズのオフィシャルパーキングは事前に予約をしていないと駐車ができないのだった。
 そこで私は,ボールパークの周りを車で走って駐車場を探すことにした。走ってみると,日本の球場の周りのように民間の駐車場がけっこうあって,客引きに余念がなかった。そこで,私はそのうちの1軒に車を停めた。そこはボールパークのゲートから道路を1本隔てただけの民家の庭であった。
 アメリカでは,ゲームの開始前に気軽に車を停めたのはいいけれど,ゲームが終わって駐車した場所に戻ってみると,来たときとは事態がまったく違っていて,人っこひとりいないかなり危うい場所だった,などといいうこともありえるので -なにせ,お金さえもらえばあとは知ったこっちゃない,という国だから- 私はずいぶんと慎重になっていた。

 車を停めた場所を確認して,ボールパークに行った。
 私は,このボールパークに明日も来ることになるから,ボールパークの様子はその時に書くことにしよう。ともかく,この日はイチローのMLB通算3,000本安打達成まであと3本という日だったが,このところの様子だとそらく代打での出場だろうから,この日に記録が出るという可能性はほとんどなかった。しかし,テレビ朝日やらNHKやら日本のテレビ局の取材が数局来ていたし,イチロー目当ての日本人もいたるところにみられた。
 そして,ボールパークのなかに入ってみると,あの,「イチメーター」でかなり? 有名なエイミー(Amy Franz)さんが歩いていたので,私はあなたの大ファンだといって一緒に写真を撮った。
 以前,イチローがマリナーズにいたときに私はシアトルでも彼女を見たことがあるはずだが,そこでエイミーさんと写真を撮ることをしなかったのをずっと後悔していたのだった。
 こんなところでそれが思いがけず実現してしまったのには,つくづく世の中はまことに不思議なことだらけだと思った。

 ゲームが始まった。
 7回に代打でイチローが登場して2,998本目の鮮やかなヒットを打ったときにはすごいものを見てしまったように思った。そして,これをナマで見ただけでここまで来た甲斐があったと私はすっかり満足したのだった。
 実は,この日のゲームは,後になって,もっと重大な意味を持っていたことを知った。それは,この日のマーリンズの先発はなんと背番号16のホセ・ヘルナンデス(José D. Fernández)だったのだ。

 これから載せるのは,2016年9月26日の記事である。
 ・・・・・・
 -マーリンズのエース右腕フェルナンデスがボート事故で急死・24歳の若さ-
 マーリンズはエース右腕ホセ・フェルナンデス投手が急死したことを発表した。米スポーツ専門テレビ局ESPNによると,地元警察は午前3時に船舶事故の通報を受けたという。マイアミビーチの岩礁に衝突した30フィート(約9メートル)のボートを発見。3名が死亡していたという。現在も警察当局は生存者を捜索している。
 24歳の若さでこの世を去ったフェルナンデスはキューバ出身の若きエース。2013年のナ・リーグ新人王。今季は29試合に先発し、16勝8敗で防御率2.86とリーグを代表する右腕だった。
 同僚のイチロー外野手を敬愛し,「キューバでは神様」と心酔していた。チームにとっても大きな悲劇となった。
 ・・・・・・
 このフェルナンデス投手の亡くなった日のゲームは中止となった。くしくもその日のゲームはイチローの3,000本安打を祝うセレモニーを行う予定であった。

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●予約したのはホテルではなかった●
 マイアミでMLBのゲームを見るだけが今日の予定だったから,私はまるで湘南のような海岸沿いの国道1(US-1)を気ままに走っていたが,いくら走っても全く距離が稼げないのだった。
 こんなことをしていたら夜までにマイアミに着ける保証がなくなってきたので,そろそろインターステイツ95に戻ることにした。
  ・・
 ところで,いつもはあまり気にもしないのだが,なぜか今回の旅だけは,やたらと治安が気になっていた。いろんなものを調べても,マイアミやこの後に行くことになるボルチモア,さらにワシントンDCもフィラデルフィアも,やたらと危ない危ないとアメリカ人の友人たちから言われていたのだ。
 アメリカ人といってもニューヨークに行ったこともないという人も多く,彼らにすればアメリカの東海岸は魔物がすむところであるらしい。
 私も若いころ,東京に行くというと東京は危ない危ないといわれたものだ。きっとそれと同じなのだろう。

 とは思ったが,私も気になって,普段は調べもしないのにインターネットで「マイアミ治安」と入力したら,まあ,たくさん出てくるではないか!
 そんなこともあって,私はマイアミのホテルを探すのに苦労した。初めに予約したマイアミ国際空港の近くのホテルは周りが危なそうなのでキャンセルし,マイアミ・マーリンズのボールパークから徒歩圏内にあるホテルを改めて予約しなおしたのだった。
 しかし,徒歩圏内とは書いてあったが,本当にホテルからボールパークまで,ナイトゲーム終了後の深夜に歩いてホテルに戻れるのか不明であった。
 Google Maps のストレートビューでも深夜の様子まではよくわからなかった。ホテルの周りは公園だったから,余計に深夜歩くことには疑問を感じていた。しかも,ボールパークのあるところさえ,ネットの書き込みには治安が悪いだのと書かれてあったし,真実がよくわからなかなかったのだ。
 
 ともかく,インターステイツ95に戻って,マイアミまで走っていったが,ダウンタウンに近づくにつれてやたらと車も多くなり,それにつれてインターステイツの車線も多くなり,しかも,一番センター側の車線だけが有料だったりと,わけがわからなくなった。
 やっと事前に調べておいたホテルに近い出口に着いたので,インターステイツを降りて一般道を走りだした。そこは事前に調べておいた通りの景色が広がっていて,どうにか私はホテルの近くまでたどり着いた。
 しかし,私は大きな間違いをしていたのだった。
 私が予約した「ホテル」だと思っていたところはホテルではなく「コンドミニアム」だったのだ。しかも,その入口がよくわからない。
 カーナビにしたがって何とかガレージの入口を見つけて駐車場のゲートをくぐろうとすると,そこにはガードマンがいて,いぶかしそうにパスポートを見せろとか,何の目的で来たのかとかいろいろ聞くではないか。なんとか説明して書類にいろいろと書かされたあげく,やっと駐車場に車を入れて車を降りた。しかし,その「ホテル?」の入口を探したのだがそれも見つからないのだった。

 近くを歩いていた人に聞いてみると,私が駐車したところは目指す「ホテル?」の駐車場ではなくて,その隣の別のアパートの駐車場だった。道理でガードマンが怪しんだはずであった。聞いた人に教えられたとおりに隣のビルに入ってみると,それこそが私の目指した「ホテル?」いや「コンドミニアム」であった。
 私の部屋はその「コンドミニアム」つまり「アパート」の13階の広い一室だった。
 このようにして,やっと今晩の宿泊先がわかったので,再び車を停めた場所まで行って,さきほどのガードマンに事情を話して車を出した。ガードマンは「納得」という顔をして笑った。
 「コンドミニアム」のほうのガレージは車を感知するとビルの入口の鉄格子のゲートが開いて車が入れるようになっていた。数階上のスペースに車を停めたのはいいけれど,今度はその駐車場からアパートに入る方法がよくわからないのであった。車を入れたゲートは自動的に閉まってしまうから外に出られなくなったし,駐車場の内部からアパートにいくにはどうしたらいいのかさっぱりわからないありさまだった。そのあとで車を入れた人の後ろについていって入口を見つけ,なんとかアパートに入った。
 私は再び車に戻り,今度は車からカバンを出して部屋に入れてから,歩いてボールパークに向かおうとエレベータで階下まで降りた。
 入口にいた「コンドミニアム」のほうのガードマンに聞いていみると,ここからボールパークまでなんて遠くて歩いては行けないよということだったので,仕方なく,再び車庫まで戻って,車を運転してボールパークへ向かった。
 コンドミニアムからはたった数分でボールパークには着いたのだが,今度はボールパークの駐車場を探すのにとまどったのだった。

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●国道1(US-1)を走ろう●
 もし,ロケットの打ち上げがもっと遅いかったらこのあたりで打ち上げを見ようと思っていたが,もう済んでしまったので,このままインターステイツ95をマイアミまで行くことにした。このままインターステイツ95を南下していけば、問題なくマイアミまで到着するのだ。
 フロリダ州はものすごい発展を続けていて,そのために車の台数も半端じゃあない。はじめてアメリカに行ってこんな道路を走ったらかなり驚くであろう。車線も3車線から4車線,それでも渋滞するから5車線… と増え,おまけに,中央の1車線だけはさまざまな条件をつけて通行を制限したり,有料化したりしている。それでもさばけないから,別に有料道路を作ってそのバイパス化を図る,というようにである。

 私はしばらくインターステイツ95を走っていたが,そこで,このインターステイツに沿った形で一般道の国道1が海岸沿いを走っていることを思い出した。
 今日はマイアミでMLBのナイトゲームを見ることだけが決まっていた予定だったのでマイアミまで急いでいく必要もなく,インターステイツを降りて国道1を走ることにした。
 フロリダ州に限らず,アメリカをドライブするとき,できればインターステイツよりも国道あるいは州道などを走るほうがその町の様子や歴史が感じられるのでずっと楽しい。しかし,国道や州道は,郊外に出れば制限速度はインターステイツと変わらないが,住宅地に入ると極端に遅くなりしかも信号があったりするから,かなりの時間がかかることを覚悟する必要がある。

 今回の旅で私がたどった東海岸は終始インターステイツ95に沿っていて,ということは国道1にも沿っていて,この先も何度か国道1に出会うことになったが,そのどこでもインタースイツ95よりも国道1のほうがずっと旅愁を感じた。
 アメリカを車で走るときに,シカゴからロスアンゼルスに至るマザーロードであるオールドルート66と並び,フロリダ州の最南端キーウェストからメイン州の最北端フォーケントに至る国道1,つまり「US-1」を走破するのもまた,多くの人にとっては夢なのだ。
 「US-1」は別名「アメリカ建国の大動脈」という。そしてまた,この道はオールド・ルート66と違って,今も「US-1」として現役で機能している道路なのだ。
  ・・
 インターステイツ95を降りた私は,大西洋を左手に見ながら国道1を走っていった。
 途中,マクドナルドがあったので昼食をとることにした。入口ではなにやら署名運動をしているようであった。しかし,それは署名運動ではなく,来たる大統領選挙の有権者登録であった。私も勧められたが,したくてもできない。この旅では,この後も私は何度か同じように登録を勧められたが,本当に登録できればどんなに素晴らしいのに,と思ったことだった。

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●フロリダ州のターンパークは面倒●
 今日はフロリダ州のターンパイク,つまり有料道路の話である。
 アメリカのガソリンスタンドはすべてセルフだと思っている人も多いだろうが,オレゴン州とニュージャージー州はセルフではない。同様に,アメリカの高速道路はフリーウェイだと思っている人もまた多いだろうが,特に東海岸にはターンパイクと呼ばれる有料道路もたくさんある。アメリカ人でも知らない人がいるのだが,中部のカンザス州とオクラホマ州にもターンパイクがある。
 ターンパイクといっても通行料は日本のように高価ではない。また,多くのターンパイクでは,料金所ではクレジットカードも使えるし日本のETCのようなものもあるから,レンタカーでの通行でも特段の問題は生じない。

 しかし,フロリダ州だけは実に困ったところで,ターンパイクにも料金所が存在しないのだ。しかも,フロリダ州には非常に多くの道路がターンパイクになっていて,しかも,同じ道路でも車線によってターンパークであったり,ある場所だけがターンパイクだっとりと,どこがターンパイクなのが区別がつきにくく日本人がレンタカーで楽しくドライブできるような感じではないのである。
 今日の1番目の写真はマイアミのマーリンズパークの近くの道路にあったものだが,ここで「TOLL」と書かれた州道836がターンパークである。そして,「SUN PASS」とあるのが日本でいうところのETCであり,「NO CASH」というのは,ここでは現金で支払いができないということである。 

 ここを走るには事前に車を登録しておいて,ターンパイクにあるレーダーが車両番号を読み取って通行料金を口座から引き落とすというシステムになっている「らしい」のだ。
 こういったシステムはそこに住んでいる場合は問題がないのだが,レンタカーだと,どういったシステムであるのか皆目見当がつかないわけである。
 調べてみても,どの情報が正しいのかどうかもわからず,また,情報が古かったりするから,実際に行ってみるとまったくちがうということもあるわけだ。
 それでもお金で解決できるのならまだしも,違反にでもなればめんどうなことにもなりかねない。

 私はハーツのレンタカーを借りるときにそのことが気にかかっていたのでタウンタで聞いてみると,そのまま走ればいいといわれて,1枚の説明書をくれた。
 それが今日の写真のものである。
 ここには,ターンパイクを走ると正規の通行料に「加えて」1日あたり4.95ドルが必要であると書かれてある。わずか500円くらいのもの,といえば,そういえなくもない。しかし,1度でもターンパイクを走ると,借りた日数分すべて,利用しようがしまいが毎日それだけ必要になる。ただし,上限があって,それが24.75ドルだということだ。つまり,私のように,1週間以上レンタカーを借りると,その期間で1回でもターンパイクを走ると正規の通行料に加えて24.75ドルが必要であるということであった。

 大した金額でないともいえるが,私のフロリダ滞在はわずか2日,それなのに車を返すまでの日数掛けた分お金が必要だなんてなんだかバカらしかったので,私はカーナビに有料道路は走らないという設定をしてそれに従って走ったのだが,マイアミビーチにつながる橋はみなターンパイクだったし便利な道路もみなターンパイクだったし,不便この上なかった。
 私はカーナビがあったからまだよかったが,カーナビがなく,注意して走っていたのにふと数キロメートルだけターンパイクを走ってしまったために24.75ドル余分に払うことになってしまった,という人も結構いるらしい。
 様々な情報が入り混じっているが,ここに書いたことが現在のフロリダのターンパイクの現状である。

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●「できる」のと「無料」は違う。●
 ホテルのシャトルバスはインターステイツも通らずすぐにオーランドの空港に到着した。昨日のタクシーは何だったのかと思った。
 旅慣れていなかったころは,アメリカのものすごく広い空港に感動したものだったが,いまでは,こういう広い空港よりも中小都市の小さな空港のほうがずっと便利であると思うようになった。ここオーランドも広すぎてどこに何があるかさっぱりわからなかった。事前に調べておいたのだがそんなものは意味がないのだ。これではまるではじめて行った大学の構内である。

 レンタカー会社のカウンタは,空港からシャトルバスに乗って別の建物に行かなくてはならないところもあれば空港と同じビルの中にあるところもあり空港によって様々で,行ってみなくてはわからない。これもまた必ず空港内にカウンタが並んでいる地方の小さな空港のほうがずっと便利である。
 広いオーランドの空港であったが,幸い空港内に各社のカウンタが並んでいた。私の場合,ハーツのワンクラブゴールドだからカウンタで受付をしなくても直接ガレージに行けばすでにメールで知らさせた番号の車庫に車が用意されているのだが,ひとつ聞きたいことがあったのでカウンタに寄ってみたのだが,これがいけなかった。カウンタの女性が商売熱心でしきりに車のグレードアップを迫ってきたのだ。数年前なら何が何だかわからす,それに応じてしまったことであろう。
 アメリカのビジネスはつねに「できる」ことと「無料」であることは全く違うから注意が必要である。たとえば,国際線の機内でもWifiが「できる」と書いてあるがこれも「無料」ではない。こうして人の好い平和ボケの日本人は絶好の餌食になっていくわけである。

 私がカウンタで聞きたかったのは,フロリダ州は有料道路が多く,しかも,有料道路とはいえゲートがなくレーダーを使って通行料を徴収している,と聞いたからである。
 このとき,自分の車なら予め登録した口座から引き落とされるのだが,レンタカーの場合にどういうシステムになっているのかがよくわからなかったから,それを聞こうと思ったのであった。
 そのことを尋ねるとこれを読めと言って1枚の紙をくれた。
 要するに(後からレンタカー料金に含めて徴収するから)通ればいいという話だった。ここでもまた「できる」ことと「無料」であることは違うから注意が必要なのである。
  ・・
 カウンタでのおしゃべりもそこそこに,私は道を隔てた建物のガレージに行って自分の借りる車を見つけ,さっそく運転してガレージから外に出た。
 有料道路を通って余分なお金があとで追加されるのも面倒だったので,カーナビに有料道路は走らない,という設定をしてそれに従って走ることにした。
 オーランドからマイアミまで最も近いのは「\」のように南東に走る有料道路の「フロリダターンパイク」だが,私はまず「―」のように東に向かって無料の州道50を走って海岸沿いまで行き,そこで直角に南につまり「|」に向きをかえてインターステイツ95を走ることになった。東向きには州道50に平行に車線の多いより便利な州道528という道路も走っているのだが,それもまた有料道路である。
 州道50に出るには少し不便だが,空港からまずしばらく北上していくことになる。北上する道路が通っているのはオーランドで危険だといわれるダウンタウンではなく,新興住宅街の中で,そこはアメリカによくある壮大な風景が広がっていた。しばらく北に走ると,片側1車線の一般道・州道50に出たので,そこで右折して東に向きを変えて州道50を走った。
 やがて海岸沿いのインターステイツ95に着いた。インターステイツ95はフリーウェイ(無料道路)である。インターステイツ95に入って少し走ると,州道407の案内標示があったが,ここで州道407に進路を変えるとケネディ宇宙センターに行くことができる。
 私は明後日,マイアミから戻るときに,このケネディ宇宙センターに行くのを楽しみにしていたのだ。

DSC_0120DSC_0122DSC_0126DSC_0129 ●今日はロケットの打ち上げ●
☆2日目 7月28日(木)
 いろんなことが起きた初日だったが,ホテル自体はとても快適であった。
 2日目は,早朝再びホテルからオーランドの空港にシャトルバスで戻って,空港でレンタカーを借りてそのままマイアミまで行って,MLBを見る予定であった。
 この旅で私がわざわざマイアミまで行くのは,MLBマイアミ・マーリンズのゲームを見たいというだけの理由であった。

 きっとこれまでこのブログを読んでおられる方はバカじゃないの? と思っておられるだろう。そうなのだ。自分でも呆れるくらいこの旅はひどい日程なのだ。
 そもそも,今回の旅は私の目標であった「アメリカ合衆国50州制覇」で最後まで残ってしまった2州であるサウスカロライナとノースカロライナに行くということだけが目的であった。
 しかし,これまで行けなかったということは行く動機がなかったということにつながるから,私はこの2州にはまったく思い入れがないし,それだけにわざわざこの2州にだけ行くという気にもならなかった。
 そこで,南のフロリダ州と北のバージニア州を組み合わせようと思ったのだった。

 フロリダ州はすでに18年前に行っているが,そのときはマイアミの空港に降りたが市内観光はしなかったし,マイアミに新しくできたマーリンズのボールパークにももちろん行っていないから,そこにぜひ行ってみたいということで,この旅の日程につけ加えたのだった。
 地図を見ていただくとわかると思うが,マイアミというのはフロリダ州のなかでもかなり南に位置するからサウスカロライナからはかなり遠く,どうしようかとずいぶん迷ったのだが,今回行かねばマイアミなど行く機会は2度と訪れないだろうなと思ったので,思い切って行くことにしたのだった。


 ホテルで朝食を済ませ,毎時0分と30分にホテルを出るというシャトルバスを待って,空港に戻った。空港でレンタカーを借りるのである。
 結局,昨夜遅く空港から高いお金を出してタクシーで到着したホテルは単に寝て翌朝朝食をとっただけで,滞在わずか5時間で再び空港に戻ってきたのであった。
 ここから2時間以上かけてマイアミに行くのである。こんなことならはじめっからオーランドなどに来なくてもマイアミにすればよかったのだ。
 しかし,マイアミについてはさまざまなサイトによいことが書かれていない。レンタカーの盗難被害が続出しているだとか,空港でレンタカーを借りたら近くのホテルまでの一般道すら危険だとか…。私はこれを読んですっかり怖気づいてしまっていた。そこで,マイアミをやめてオーランドに着いたのだが,オーランドだってダウンタウンは同じようにかなり危ないらしいことを飛行機のチケットを買ったあとで知った。先日も乱射事件があったばかりだった。
 私はずいぶんとアメリカに行ったけれども,このごろはロッキー山脈あたりの大自然をめぐることが多く,それはそれはのどかなところばかりだったので,すっかり「田舎者」になってしまっていたから,こんな物騒な東海岸へ行くこと自体に怯えていたのだった。
 実際,アメリカ人といってもいろいろで,東海岸は危険なだけだと思っている人も多く,今回の旅のコースを話すと,アメリカ人の友人たちも危険だと私を脅かすのだった。

 この日は,偶然にもフロリダ州のケープカナベラル基地からロケットの打ち上げがあった。
 ロケットの打ち上げなんてそう簡単に見られるものではない。若いころアポロやスペースシャトルの打ち上げをマナで見たかったが,こうして旅行をするようになったときはアポロはもちろんスペースシャトルも退役してしまっていたから,その夢はかなわなかった。
 聞くところによれば,フロリダに来てもアポロやスペースシャトルの打ち上げを実際に見るのはたやすいことではなかったらしい。打ち上げを見ることができる場所にあるモーテルは,打ち上げの日の宿泊代がものすごく高騰したらしいし,そもそも予約をするのも大変だったらしい。
 この日のロケットの打ち上げは,調べても打ち上げの時間がよくわからなかった。私は朝はまだレンタカーを借りていなかったから,打ち上げが朝であったら見たくても身動きがとれない。運がよければ,レンタカーを借りてマイアミに向かう途中,ケープカナベラルの近くを通るときに,ひょっとして打ち上げが見られるかもしれないなあ,といった程度に考えていた。
  ・・
 ところが,ロケットの打ち上げは朝であった。
 この日は朝からテレビのニュースではこの話題でもちきりだった。私はフロリダではロケットの打ち上げなんて日常茶飯事のことだから珍しくもないことだろうと考えていたが,実際はそうではなかった。そんなわけで,打ち上げを見る機会を逸してしまったのだが,ホテルのシャトルバスに乗り込んで走り出したとき,ふと窓から空を見上げると,空高く飛んでいくロケットの煙が舞っているのが見えたのには本当にびっくりした。
 こんなことなら,昨晩レンタカーを借りて,打ち上げ基地の近くのホテルに泊まればどんなにこの日程が正当化されたものか,と思ったが,そんなことは後でわかったことだった。やることなすことがすべてちぐはぐな旅のはじまりであった。


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●何かなら何までもまともじゃない●
 ともあれ,出発時間は予定通りで,行き先がデトロイトかシアトルに変わっただけであった。
 セントレアからアメリカに行くには,現在はデトロイト便しかない。以前は,小牧の名古屋空港(現・県営名古屋空港)からロサンゼルスやバンクーバー,オレゴン州のポートランドなどに行く便があった,あるいは,成田までの乗り継ぎ便もあったのだから,そのころよりもかなり不便になった。小さな名古屋空港だったが今より便利で,新しくセントレア・中部国際空港ができてその機能が移ってからよくなったことなどひとつもない。
 近々,エアカナダがバンクーバー便を復活させるということなので少しはマシになるのだろうか。

 9時間ほどのフライトでシアトルに到着した。私にとってここ2年で4回目のシアトルということになる。とはいっても,今回はクルーが全員交代するだけで,客はそのまま機内で待機であった。
 できることなら,シアトルでオーランド行きに乗り替えたほうがずっと早く行けるのに,と思った。
 しばらくして新しいクルーが機内に揃ったが,空港が混んでいてなかなか離陸できない。私(だけ?)は内心焦っていた。デトロイト到着が遅れたら乗り継ぎができなくなる。どうしたらよいのであろうか?
 ずいぶんしてやっと離陸する順番になった。シアトルからは3時間ほどでデトロイトに到着した。
 さあ,ここからが勝負である。

 機内の座席は,国際線ともなるとエコノミーでは狭くてかなり辛い。ファーストクラスとはいわぬが,せめてデルタコンフォートくらいに座らないとたまらないなあと,今回しみじみ思ったことであった。
 去る6月にシアトルに行ったときの帰りのフライトはファーストクラスにアップグレードされた。多くの場合コンフォートくらいにはグレードアップされるのだが,今回は混んでいてコンフォートへの座席変更はできなかったが,座席はデルタコンフォートのわずか1列後ろのエコノミーであった。しかし,それでも飛行機の出口に近い席であることは間違いないから,私は到着後,いち早く飛行機を降りて入国審査場まで急ぎ足で向かっていった。なにせ,時間がないのだった。
 デトロイトでの入国は完全ペーパーレスになっているので,キオスクという機械にパスポートを読み取らせて入国の手続きをするだけだから非常に便利である。私はすぐに入国手続きを終えて,一旦受け取ったカバンをすぐに預けなおし,次の便の搭乗ゲートに向かった。運悪くゲートは一番遠いところだったが,空港内のモノレールに乗るのも走るのも時間的に変わらないので,私は,走りに走ることになった。

 勝手知ったデトロイト空港とはいえ,これではラッシュ時の東京駅と変わらない。海外旅行の優雅さとは完全に無縁であった。
 やっとのことで搭乗ゲートに着いたら,すでに,他の客は機内にいて,私が乗り込んだらまもなく飛行機は出発したのだった。
 無事,私の預けたカバンが積み込まれているのだろうか??? という心配は,今はiPhoneのアプリでカバンが今どこにあるかがわかるので大丈夫なのである。すごい時代になったものだ。
 そんな次第で,かなりのドタバタ劇であったが,なんとか乗継便に間に合って,今度は,快適なファーストクラスの座席に身を沈めたのであった。

 やがて,オーランドに到着した。外は真っ暗であった。
 私が前回オーランドに来たのは18年も前のことであった。そのころは今ほどアメリカに行ったこともなく,シカゴ,アトランタ,フロリダと多くの場所を旅行して,最終日はオーランドの空港内にあるホテルに1泊して帰国したのだった。
 到着した空港のターミナルからはまず空港内を巡回する鉄道に乗り込んで,空港のターミナルビルに行く必要があった。さっぱり要領を得なかったが,ほかの乗客について行ったらそのままターミナルビルに出た。ターミナルには,前回来たときに宿泊したホテルがあった。その時の記憶が蘇ってきて,とても懐かしかった。
 結局,今回もそのホテルに宿泊すればよかったものを宿泊代をケチって空港の近くのホテルを予約したのがケチのつきはじめであった。
 空港からホテルに行く方法がわからなかった。ホテルのシャトルバスサービスがあるはずなのだが,連絡する方法がわからない。私の持っていたアメリカのSIMの入った電話機がどいうわけかつながらない。空港にはホテルの案内板と電話機あるはずなのだがそれも見当たらない。事前にホテルまで行くことのできる公共交通機関も調べておいたのだが,到着が遅れたのでこれもまた意味をなさなくなってしまった。
 もう夜も遅かったので,タクシーに乗ることにしてターミナルから外に出た。こんなことなら,この時点でレンタカーを借りるのが一番賢い方法であった。

 現在のアメリカではウーバー(Uber)が全盛で,タクシーなどという斜陽の乗物は客もほとんどいないから,タクシー乗り場は閑散としていた。
 ともかくタクシーに乗り込んでホテルの名を告げて出発した。
 運転手は調子よく走り出したのだが,ホテルに近い最寄りのインターステイツの出口は運悪く閉鎖されていた。こういうことはアメリカではよくあることなのだが,このタクシーの運転手が悪質? だったのは,ホテルに行くのになにもインターステイツなどに乗る必要がなかったことだった。しかし,単に道を知らなかっただけなのかもしれない。
 ともかく,次のインターステイツの出口までが異常に遠く,かなりの遠回りをしてやっとのことでホテルに到着した。東京駅で銀座まで行くのにタクシーに乗ったら,首都高で横浜まで行って引き返してきたような感じであった。
 そんなわけで,タクシー代が日本円にして5,000円くらいかかってしまった。これには文句を言ってみる必要があったのだろうが,疲れていて面倒になったからそのまま支払って車を降りた。
 何から何までバカげた初日がこうして終わった。初日からこれだけいろんなことが起きればこれですべての災いは終わったことであろう。このあとの旅はすべて順調にすすむだろうと,私はなぜか逆にホッとしたのだった。

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 「2016春アメリカ旅行記」では,はじめて行ったハワイのことを書きました。
 その前年2015年の夏,私はワシントン州,オレゴン州,アイダホ州,モンタナ州を旅しましたが,このときのことを書いた「2015夏アメリカ旅行記2」は前半だけで中断をしています。
 その翌年2016年に,私は再びワシントン州,アイダホ州,モンタナ州へ出かけました。また,来年2017年の夏もワシントン州,アイダホ州へ出かける予定なので,これらの旅行記は後日まとめて書くことにします。
 そこで,今日からは,この夏に行ったアメリカ東海岸縦断の旅をお届けします。
  ・・

●機長結膜炎のため飛行経路変更●
☆1日目 7月27日(水)
 この旅の出発は7月27日だった。今回は東海岸だったので,セントレア・中部国際空港からデトロイト経由で行くことにして飛行機のチケットを購入した。
 いつものことだが,私はまったくもっていい加減で,この旅も,フロリダから東海岸沿いにフィラデルフィアまでかなりの長距離をドライブすることだけを決めて,往路は「セントレアからマイアミ」,帰路は「フィラデルフィアからセントレア」というフライトを探しはじめたのだった。
 帰りのフライトは容易に見つかったのだが,行きのフライトが大変だった。いろいろ探してもマイアミ着午後10時過ぎという遅い便しか見つからないのだった。
 マイアミは治安が悪いという書きこみがたくさんあって,そんなところに夜10時過ぎに着くのはいやだあと思って,改めて「セントレアからオーランド」を探してみたら,到着が午後9時頃のものが見つかったので,このほうがまだマシかと,その場でチケットを買ってしまったのだった。

 これもまたいつものことだが,私は飛行機のチケットを買ってから旅行の計画を立てる。
 そこではじめて,オーランドに行くことがまったく無意味であることに気づいたのだった。しかも,オーランドからマイアミなんてすぐ近くだと思っていたのだから困ったものだ。結局私は,オーランドに到着した日はホテルに泊まるだけで翌日早朝2時間かけてマイアミに向かうという,とてもバカげた話になってしまった。
 帰りもまた,フィラデルフィアから帰国しなくてもワシントンDCから帰国するほうがずっと計画が立てやすいことがわかった。

 散々であった。
 しかも,当初考えていたように,マイアミでレンタカーを借りてフィラデルフィアまで走ってそこで乗り捨てると,乗り捨て料金のほうがレンタカーの使用料金よりも高いという,これもまたバカげたことになるのだった。
 しかし,これだけは,昔からの夢を実現するためだったから容認することにした。
  ・・
 そんなわけで,自分でもさっぱり容量の得ない旅の計画を立てることになってしまったが,ともかく,東海岸を縦断するという,きっとこんな機会はもうないだろうという旅を決行することになったのだった。

 出発当日は,これもまたいつものように,先にカバンだけを空港に送ったので,サンダル履きに小さなバックパックという,まるで近所に買い物にいくような格好で,家を出ることになった。
 それが…?????
 行きのフライトは,セントレア・中部国際空港からデトロイトへ行って国内線に乗り換え,デトロイトからオーランドという予定だったのだが,出発前日の晩,それも遅くに,私の乗るデトロイトからオーランドへの便の座席が変更になったという知らせが舞い込んだのだった。そのときの連絡では,座席のアップグレードという話であったが,実際は利用するフライトも変更になっていて,デトロイトからアトランタ,そこで乗り換えて,アトランタからオーランド,しかも,オーランド到着は深夜1時過ぎ,というではないか!
 アメリカの国内線の座席がファーストクラスになったというのは許せるとして,どうしてそんな深夜の到着に変更になったのかまったく納得がいかなかった。さらに,その連絡には私の利用するはずのセントレアからデトロイト便の表示が消えてしまっていたのだった。これでは太平洋を渡ることもできないでいではないか!

 不安になったので,そのままネットでチェックインをして航空券をプリントアウトしてしまうことにしたら,なんと,セントレアからシアトル,シアトルからデトロイトなとどいうわけのわかないチケットが印刷されて出てきた。
 ともかく,デトロイトまで行くことができるのがわかったのは安心したが,どうしてシアトルで一旦降りる必要があるのかさっぱりわからなかった。そのためにデトロイトの到着が3時間遅れるので,はじめに予定した乗り継ぎ便に間に合わないのでオーランドの到着が深夜になる,ということらしかった。しかし,シアトルで降りることができるのなら何もデトロイトまで行く必要などないではないか。もともとセントレアからデトロイト便などを運行させなくとも,シアトル便のほうが便利だと私はかねがね思っていたくらいだからである。
 考えていてもらちがあかないので,当日は少しはやくセントレアに着いてデルタ航空のカウンタでその理由を聞いてみようと思った。
  ・・
 出発当日,午前10時18分にセントレアに到着する名鉄に乗った。ところがセントレアに着いてもデルタ航空のカウンタには人ひとりいなかった。このカウンタが開くのは出発2時間前だという話であった。突然予定が変わったのなら,もう少し便宜をはかってくれよ,と思ったが,これもまた万事いいかげんなアメリカ企業の常識だから,私は,時間までラウンジで待つことにした。
 ラウンジのテレフォンブースでデルタ航空に電話をした。
 電話は混み合っていたけれど,私のステータスはゴールドエリートだから優先的に電話はつながった。しかし,予定が変わったというだけで,何の情報も得られず,むなしく電話を切ったのだった。

 毎度のこととはいえ,毎度フライトはスケジュール通りに飛んだことがほとんどない。ブログのネタには事欠かないけれど,実に困ったものだった。することもないので,とりあえずセントレアにあるレストランで「オリエンタルカレー」を食べて,カウンタが開くのを待つことにした。私はアメリカに行くと,いつもカレーライスが食べたくなるから,これがしばらくの食べ収めであった。
 やがてカウンタが開いたのでさっそく交渉を開始した。
 なぜこんな変更になってしまったかは不明だったが,ともかく,今回のフライトは,直接デトロイトに行くのではなく,一旦シアトルに着陸してからデトロイトに行くという変更になったということだった。その結果,デトロイト到着がおくれるから,私が予約してあった乗り継ぎ便には間に合わないということであった。調べてもらうと,アトランタ経由ではなく,デトロイトから直接オーランドへの直行便があって,それならオーランドの到着は夜の10時30分過ぎになるということであった。そこで,そのフライトに変更してもらった。しかし,その便だと,デトロイトでの乗換え時間はわずか1時間30分しかないのだそうだ。果たしてその短時間で乗り換えができるのだろうか? またまた別の心配が出てきたが,これだけば行ってみなければわからなかったから,ここで心配していても仕方がない。
  ・・
 ともかく,チェックインを済ませた。
 セントレアには本物? のくまモンが,これまた本物のくまモン隊のお姉さんと熊本から来ていたのでそれを見ていたが,それが終わってもまだ暇だったので「ピカチュウかくれんぼチュウ」というのをやりながら時間をつぶした。
 やがて出発の時間が近づいたのでセキュリティを通り搭乗ゲートに行くと,ちょうど,私が乗るフライトの客室乗務員がいたので事情を聞いてみた。彼女たちも深夜に突然起こされて変更を聞いたのだという。シアトルで降りてクルーはそこで交代するから今回の担当はシアトルまで,その先のことは知らないという気の毒な話であった。そして,シアトルで降りることになったのは,機長が結膜炎になって,長距離の操縦が不可能になったから,規則でシアトルで交代しなければならないというのが理由である,ということだった。

◇◇◇
Congrats! Cubs Calendar to be "0000000".

この意味は明日。
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私が2日間宿泊したフロリダのコンドミニアム,夜景も綺麗で部屋も広かったけれど,ホテルではないので朝食もつかず,部屋で料理をしたりしなければ宝のもちぐされでした。しかし,マーリンズのスタジアム付近にはホテルがなく,モノの本にはマイアミビーチに泊まるといいと書かれていますが,そんな遠いところに泊まるならここおすすめです。
徒歩でもボールパークまで行けるし,ゲーム終了後も安全そうなのですが,私はマイアミの蒸し暑さに歩く気をなくし,結局車で行きました。駐車場はオフィシャルパーキングは事前の予約のみで,予約をしていない私は停められず,ボールパークから道路を隔てた民家の庭を10ドルで貸していたので顔なじみになって2日ともそこに停めました。
こうした駐車場はいくらでもありましたが,こういうことが行ってみなければわからないのです。

さて今日は朝6時にチェックアウトをして,途中で朝食を食べつつ3時間余りでケネディスペースセンターへ行きました。本物のスペースシャトル「アトランティス」を見るのが目的でした。
到着してさっそくアトランティスの展示されているパビリオンに行きました。期待以上というか,ものすごく感動しました。
しかし私は爆発したチャレンジャーと帰還途中で燃え尽きたコロンビアの残骸の方により胸を打たれました。
ケネディスペースセンターは13年ぶりでしたが,当然当時はスペースシャトルは展示してなかったわけで,夢がかないました。
1日中をここで過ごして,午後5時に出て,今日の宿泊先であるジョージア州サバンナまで3時間半,インターステイツ95を快調に…,のはずが,フロリダ州とジョージア州の州境あたりで大事故があり道路が閉鎖されて大渋滞に巻き込まれ,結局夜10時半にやっとホテルに着きました。
アメリカのインターステイツなんて夜は真っ暗で怖いので避けていたのですが,仕方がありませんでした。
線を示すライン以外何も見えず緊張しました。生きた心地がしませんでした。

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噂には聞いていたけれど,マイアミの治安の悪さというのはデトロイトやイーストセントルイスとは異質のものです。治安が悪いというより無秩序なのす。私は慣れているからこんなもんだと思うけど,そうでない人には何もかもが不気味でしょう。
まず,一般道を信号待ちで止まっていると,何か悪さを仕掛けられますし,通行人は信号なんて関係なく車道に出てきたりします。だから一般道はなるべく通らないようにと書かれています。しかしフロリダ州の主要道路の多くは有料道路です。この有料道路,無人でしかもゲートなどなくどこが有料なのかもよほど注意していないとわかりません。単に走っているだけでレーダーが車両番号を勝手に読み取るのだそうです。通行料はわずか数ドルなのですが,事前に登録していないと高額の罰金が課されます。レンタカーの場合,有料道路をたった1回でも通るとその登録料名目のかなりのお金を借りた日数分だけ余分に取られます。
また,住んでいる人の言葉はスペイン語訛りの英語なんでよくわかりませんし,彼らの仕事ぶりには配慮も何もありません。マクドナルドでハンバーガーを放り投げて渡すくらいですから日本人の常識は根本から覆るでしょう。
そんなわけでマイアミは全く楽しいところでないので,今日はマイアミ市内の観光という予定を変更して,無料の国道1を南に南に走り,キーウエストに行ってきました。キーウエストは19年ぶりでした。
まさか今回の旅でまたセブンマイルブリッジを渡るとは,19年前は夢にも思いませんでしたが,人生の不思議さと儚さに胸が熱くなりました。
マイアミからキーウエストまで往復で7時間かかりましたが,よき時間でした。

その後マイアミに戻って,今日もMLBを見ました。
なんとイチロースタメンだったので,これで3,000本が見られると思ったのですが…。
私はツキをもっていたのにイチローにツキがなかったようです。でもスタンドはすごい盛り上がりだったので,こんな経験ができてよかったです。本当に残念でしたが,何事もうまくいきすぎるとあとが怖いのでほどほどということで。
でもこの2日間,テレビによく出てくる有名な人とお話をして写真を写したり,ゲームの終了後には日本のテレビ局からインタビューされたりと,ものすごく楽しかったので,私はすっかり満足して泣けてきました。

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空港が広すぎて,空港からホテルに行くシャトルバスがあるのかないのか,どこに来てくれるのかさっぱりわからず,しかも夜の11時。面倒になってタクシーに乗りました。ホテルは空港から近いはずなのにインターステイツの最寄りの出口が閉鎖されていて(本当に)めちゃくちゃ遠回りして5 ,000円も取られてやっとホテルに着きました。しかしこれ絶対ボッタクリです。こんなことなら到着早々レンタカーを借りておけばよかったか,以前泊まったことのある空港内のホテルに予約しておけばよかったと後悔することしきりでした。そもそも今回の旅で私はオーランドに行く必要などなかったのです。はじめっからマイアミ着でよかったのです,本当は。
まあともかくなんとか1泊することができて,今朝はホテルからのシャトルバスに乗って空港に戻りレンタカーを借りてマイアミに向かいました。
今日はアトラスロケットの打ち上げの日で,朝,ケープカナベラルから打ち上げられたロケットの噴煙が空に昇っていくのが泊まったホテルからも雲のように見られました。

私の今日の予定はマイアミでイチローを見ることだけだったので,レンタカーを午前10時にチェックアウトして,オーランドから6時間かけてフロリダの東海岸線を通る国道1を海を眺めながら走り,途中からインターステイツ95に乗り換えてマイアミマーリンズの本拠地の近くにあるホテルに着きました。 今日と明日泊まるのはホテルというよりアパートの一室,つまりコンドミニアムです。ものすごく広く13階なので眺めも良く最高です。ベッドが4台あるのでひとりではもったいないです。
ホテルに荷物を置いて車でわずか5分マーリンズスタジアムに行きました。これで27球場めです。フジテレビやテレビ朝日が来ていました。日本人もたくさん,それに「イチメーター」で有名なエイミーさんにも会いました。一緒に写真を写しました。
イチローは7回裏に代打で登場してヒットを放ちました。2998本目です。すごい盛り上がりでした。 明日スタメンなら記録が達成できるのだけど…。
イチローの出番も終わったので宿泊先に戻りました。今テレビでは民主党大会のヒラリーの演説をライブでやっています。このようなシーンを見ていると,ああ,アメリカだ! と思います。

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