しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ: 将棋を見る

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【Summary】
On November 25, 2024, a tour of the new Kansai Shogi Hall, guided by Tetsurou Itodani, was held for nine participants. The five-story building features spacious rooms, high-quality facilities like "Hinosarasa" tatami, cameras, and reclining chairs, with multi-purpose spaces for events and matches. Operations begin in December.

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 2024年11月25日午前10時30分から関西将棋会館の内覧ツアーがはじまりました。参加者は9人,案内棋士は糸谷哲郎八段でした。
 建物は5階建てで,これは,今まで使われていた関西将棋会館と同じです。ただし,それぞれの階の床面積が増したようでした。はじめに5階に行きました。5階にあるのは特別対局室で,タイトル戦のような特別な対局で使われる場所。この場所には,この先入ることはできないことでしょう。
 特別対局室は熊本県の最高品質の畳表「ひのさらさ」が使われているということで,弾性があるすばらしいものでした。窓からは,新しい関西将棋会館ご自慢の庭園を眺めることできます。
 その後は,4階,3階と下っていって,それぞれの対局室を見学することができました。

 最新式らしく,対局室の天井にはテレビカメラが備えつけられていて,サーバー室もありましたし,対局者の表も液晶となっていました。
 また,休憩をすることができるように,リクライニングチェアーも3台ありました。
 2階は多目的室と椅子の対局室がありました。多目的室では大盤解説場にもなるようでした。さらに,1階には道場があって,ものすごくたくさんの人が対局できるようになっていました。
 実際に使用がはじまるのは12月からということなので,まさしく,今日からということになります。先にできた東京の将棋会館よりも先に使用がはじまるようです。
 現在の将棋熱が冷めることなく,末永く,将棋の殿堂として使われることを祈っています。
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【Summary】
On November 25, 2024, before a tour of the Kansai Shogi Hall, I explored Takatsuki City, discovering its strong shogi theme—shogi-themed displays at JR Takatsuki Station, unique street features, and goods like shogi manju. The city was vibrant and well-maintained, blending modernity with preserved historical streets.

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 2024年11月25日午前10時30分からの関西将棋会館の内覧ツアーがはじまる前に高槻市を散歩しました。
 まず見つけたのがJR高槻駅のみどりの窓口に展示された棋士のポスターと色紙でした。しかも,JRの職員さんの名札までもが将棋の駒の形をしていました。
 駅から外に出ると,郵便ポストが将棋の駒の形をしていました。そして,駅前から関西将棋会館までのストリートには,棋士の写真がずらり。高槻市はとんでもないことになっていました。つるの剛士さんのポスターまでありました。
 さらに,商店街を歩くと,将棋饅頭やら将棋コーヒーやら,また,渡辺君のマンホールまで存在しました。
 ともかく,高槻市は何もかもが将棋でした。
 これには,目が点,じゃくて,目が将棋の駒の五角形になりました。
 こうなったら,いっそ,高槻市の将棋に関する何かを見つけたら商品が出る,みたいなスタンプラリーでもやったらいいのに,と思いました。

 高槻市は,大阪と京都のベットタウンのようで,新しいマンションが立ち並び,駅前はとても整備された美しいところでした。このところ,旅をすると,元気のない市町が多いのに,高槻市はとても元気でした。
 高槻市は西国海道が通っているので,駅から少し離れたところには,旧街道がそのまま残っているのですが,これもまた,歩きやすく,朽ちた家もなく,きれいな街並みが続いていました。

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【Summary】
Takatsuki City, conveniently located between JR Kyoto and Osaka Stations, has become a hub for shogi, marked by the relocation of the Kansai Shogi Hall to JR Takatsuki Station's vicinity. The city actively promotes shogi through events and community engagement, using it as a key for regional revitalization.

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 高槻市はJR京都駅とJR大阪駅のちょうど中間にあって,どちらからも便利なところです。阪急電車の高槻駅とJR高槻駅は少し離れていて,関西将棋会館はJR高槻駅の駅前にあります。
 高槻市は「将棋のまち」を標榜し,将棋を通じて町おこしをしています。
 なぜ将棋? その理由を ChatGPT に聞いてみると,つぎのように答えてくれました。
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 高槻市が「将棋のまち」を標榜している理由は、以下のような背景があるとされています。
●将棋文化の振興
 高槻市では,市民向けに将棋教室や大会などを定期的に開催しており,将棋を通じた地域文化の振興に力を入れています。市民が将棋を楽しむ機会を提供し,地域全体で将棋を支える取り組みを行っています。
●関西将棋会館の誘致成功
 老朽化した大阪市福島区の関西将棋会館の移転先として,高槻市が選ばれたことが大きなきっかけです。市が積極的に誘致活動を行い,新しい関西将棋会館を実現したことで,高槻市は将棋界の拠点のひとつとなりました。
●将棋を活用した地域活性化
 将棋という伝統文化を地域活性化の柱に据え,将棋イベントや観光資源としての将棋の活用を進めています。新しい関西将棋会館が建設されたことで,将棋関連の観光や交流の場が広がると期待されています。
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 1年ほど前の2023年10月16日,京都ホテルオークラで第36期将棋竜王戦第2局の前夜祭に出席したとき,その翌日,高槻市に行ってみたことがあります。そのときは,まだ,建設予定地は,基礎工事のところで,何も姿がありませんでしたが,そのわずか1年後に,立派な関西将棋会館に変貌したことに驚きました。
 私はこの日をずっと楽しみにしてきたので,朝からウキウキで,岐阜羽島駅から東海道新幹線で京都駅まで行き,東海道線に乗り換えて,JR高槻駅に降り立ちました。
 ツアーの開始時間は午前10時30分からなので,時間まで,高槻市街を散策しました。


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【Summary】
The Japan Shogi Association relocated its Tokyo and Kansai headquarters to new buildings in 2024 due to aging facilities. The user contributed to crowdfunding for the Kansai Shogi Hall in Takatsuki and joined a preview tour there on November 25, 2024.

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 日本将棋連盟は、将棋の棋戦を主催し,棋士および女流棋士の活動を通じて将棋の普及発展を担う公益社団法人で,東京本部と関西本部があります。
 東京のJR千駄ヶ谷駅から5分ほど歩いたところにあった東京本部のある将棋会館は,1976年に建てられた5階建ての建物でした。棋士が将棋を指す対局場には入ったことがありませんが,以前は,地下にレストラン「歩」(あゆみ)があり,また,1階には売店があって,東京へ行った折りに,ときどき立ち寄ったことがあります。
 大阪市のJR福島駅の北にある,関西本部のある関西将棋会館は,1981年に建てられた5階建ての建物で,以前は4階に将棋博物館があるというので,できたころに行ったことがあります。将棋博物館は,日本将棋連盟が保有している将棋関連の資料を展示していましたが,2006年にスペース不足を理由として閉鎖されました。また,近ごろ,藤井聡太竜王名人の活躍で時々取り上げられた1階のレストラン「イレブン」にも行ってみたことがあります。

 東京の将棋会館は老朽化のため,新しい将棋会館の建設が課題でしたが,様々な困難を乗り越えて,2024年10月,JR千駄ヶ谷駅前に建設された「ヒューリック将棋会館千駄ヶ谷ビル」の1階に移転しました。私は,できたそうそうに行って,道路に面した一般に公開されているカフェ「棋の音」(きのね)で食事をしてきました。
 また,関西本部のある関西将棋会館は,大阪市福島区にあって1981年に竣工しまたが,これもまた,老朽化のため,2024年11月に,大阪府高槻市に建設した新会館へ移転することになりました。もともとは東京の将棋会館の建て替えを計画していただけだったらしいのですが,高槻市からのオファーがあって,関西将棋会館の建て替えも実現してしまったらしいです。

 東京の将棋会館,関西将棋会館の建設費用として,クラウドファンディングが行われていたのですが,私は,あまりお金が集まっていなかったほうの関西将棋会館の建設に伴うクラウドファンディングを高槻市が行っているものに寄付をしました。今回,その返礼品として,2024年11月25日の午前,関西将棋会館内覧ツアーが行われたので,行ってきました。

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 2023年12月17日。NHK交響楽団の第2000回定期公演を聴きにいった翌日の午後に出かけたのが「駒テラス西参道」で行われた「駒テラス忘年会」でした。
 「駒テラス西参道」は
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 日本将棋連盟と渋谷区が協力して,2023年6月10日にオープンしたもので,「観る将=観る将棋ファンの聖地」を目指し,様々なイベントや教室,展示,映像配信など,将棋を通じた魅力あるまちづくりのための施設として,新しいあたらしい日常を発信していきます。
  ・・・・・・
というところです。まだ,オープンして間もないのですが,私はすでに何度か足を運びました。ここのいいところは,どこに行っても人だらけ,静かに時を過ごすことができる場所がほとんどない東京ですが,「駒テラス西参道」に併設されたカフェに入れば,ゆったりと過ごすことができるのです。

 この日出かけたのは,前日本将棋連盟会長だった佐藤康光九段と兄貴分の島朗九段のお話を聞く,という集まりに参加するためでした。事前の予約制でしたが,ちょうど東京にいる日だった私は,是非行ってみたいと予約してあったのです。
 はじまるのが午後2時だったのですが,その1時間ほど前に到着して,カフェに入ったら,偶然,隣の席に佐藤康光九段がみえて,お話ができたのが幸運でした。
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☗「駒テラス忘年会」
 駒テラス初の忘年会! 島朗九段・佐藤康光九段と2023年の将棋界をゆるくかつ濃密に振り返ります! 歴史的な2023年をともに語らいましょう!
【プログラム】
☆出演者よりご挨拶・乾杯
 佐藤九段といえばコーヒー。駒テラスのコーヒーで乾杯!
☆トークショー・歓談
 会長交代の話はもちろん,2023年の将棋界重大ニュースを,島九段・佐藤九段ならではのエピソードや裏話とともに濃密に振り返ります!
☆サイン会
 コラボ色紙を揮毫していただきます。揮毫した色紙を持った両先生のお写真をお撮りいただけます。 ☆両先生よりひと言・今後の抱負
☆直筆サインボードにサイン
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 「駒テラス忘年会」では,もともとの話題は,今年の将棋界を振り返る,というものだったらしいのですが,その前のさまざまなエピソードや棋界の裏話を話しているだけで,2時間以上が過ぎてしまいました。そんなわけで,もともとの話題がどこかにいってしまったのですが,エピソードや棋界の裏話というのがとても興味深くおもしろく,また,途中のサプライズで,森下卓九段の飛び入り参加もあって,楽しい時間となりました。
 最後に,色紙にサインをしてもらって,一緒に写真を撮りました。
 将棋は,自分で指すこと以外にも,観戦しても楽しいし,こうして,実際にプロの棋士の人たちと交流もできるのがすばらしいです。これからも,多くの棋士とこうしたイベントがあったらいいなあ,と思いました。

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 将棋名人戦は1937年(昭和12年)からはじまりましたが,初期のころは挑戦者を選ぶ方法が変則で現在のような順位戦ではありませんでした。将棋の第1期順位戦は1946年(昭和21年)からはじまり,そのときの将棋名人戦は第6期だったのでずれがありました。
 その後,第30期順位戦とそれに続く第35期将棋名人戦の終了後,主催新聞社の変更に伴うごたごたで1年間中断ののち,順位戦は第36期名人戦挑戦者決定リーグ戦と名称が変更されたことで,このずれが是正され,その6年後に再び順位戦と名称を戻したときにそのままにしたので,現在は,将棋名人戦と順位戦は同じ期として記述されています。
 と,ここまでは前置きで,今日の話題は,1971年(昭和46年)是正前の第26期順位戦でのふたつの対局です。

 私が中学生のころは,今とは違って,一般のファンが将棋の棋譜を見るためには新聞を購読するしか方法がありませんでした。このころは竜王戦はなく,将棋界では朝日新聞が単独で主催をしていた将棋名人戦こそが相撲でいう本場所でしたが,それを見るには,朝日新聞を読む必要があったのです。といっても,東海地方に住む私には,新聞といえば中日新聞で,朝日新聞を読む機会すらありませんでした。図書館で新聞が読めることも知りませんでした。
 そこで,将棋名人戦と順位戦を見たさに,父親を説得して,といっても,将棋が見たい,では説得できなかったので,あれやこれやと理由をつけて,やっと朝日新聞に変えてもらうのに成功したのが,1970年(昭和45年)の4月で,それは,奇しくも,ちょうど,時の大山康晴名人対升田幸三九段,升田式早石田戦法が話題となった最後の第30期将棋名人戦がはじまったときでした。
 そして,第30期将棋名人戦が終了してはじまったのが第26期順位戦。これが,私が順位戦なるものを新聞で読むことができたはじめてのものでした。

 そんなわけで,この期のA級順位戦はとても記憶に残っているのですが,その中でも,とりわけ,1971年(昭和46年)7月13日から朝日新聞に掲載された二上達也八段対中原誠八段の対局と,8月14日から朝日新聞に掲載された二上達也八段対塚田正夫九段の対局の2局が,変な意味で私には忘れられない将棋でした。ともに,対局者が羽生善治九段の師匠である二上達也八段というのは単なる偶然です。
 とはいえ,記憶があいまいで,今にして,当時の対局をきちんと知りたいと思っていたのですが,その棋譜を探しだすことも容易ではありませんでした。将棋年鑑にも載っていないし,雑誌にもない。だれかの自戦記にもない。ネット上にもない。当時の新聞の観戦記を読まないことには,これらの棋譜は埋もれてしまっているからです。そこで,先日,国立国会図書館に出かけて,当時の朝日新聞から発掘して,やっと確かめることがてきました。それを紹介します。
 52年前のA級順位戦でこのような将棋が指されていたなどということは,今の若い人はまったく知らないことでしょう。

●二上達也八段対中原誠八段
 まず,二上達也八段対中原誠八段の対局ですが,これは,角換りで,先手の二上達也八段が▲7八金としなくてはならないのに,それを忘れて不用意に▲4七銀としてしまったためにスキができて,次に△7五歩と突かれて,同歩と取れば△6五角が受からない。ということで,そのままずるずると押し切られれてしまった,というものです。
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●二上達也八段対塚田正夫九段
 もうひとつの,二上達也八段対塚田正夫九段の対局は,相横歩取りで▲7七銀とするのが定跡とされていたところ,後手の塚田正夫九段が,先手の二上達也八段に▲7七歩という「新手」をされてびっくりして,△7四飛,▲同飛,△同歩,▲8二歩,△同銀,▲5五角で完敗してしまった,というものです。
  ・・
 当時の将棋界は振り飛車しか指さなかった大山康晴名人がタイトルを独占していたので,一般の人が知ることができる対局のほとんどは対抗形でした。そこで,このような相居飛車の将棋が観戦記に載るのはとても新鮮でしたが,私がこの2局が強く印象に残っている理由は,あまりに不出来な将棋だったからにほかなりません。プロって,なんていい加減を将棋を指すのだろうか,しかも順位戦で。と生意気にも思いました。
 しかし,今,改めて,将棋AIでこの2局を並べてみると,先に書いたほど,この時点で形勢に差があったわけではなく,手はあるのです。これらの将棋をあまりに不出来と思ったのは,私が,観戦記に書かれたことを鵜呑みにしていただけだったのです。

 いずれにしても,今から50年以上も前に,今と変わらないような,こんな将棋が指されていたというのが驚きです。そしてまた,このところ,佐藤天彦九段や豊島将之九段,広瀬章人九段などが振り飛車を指しはじめたのも「いつか来た道」なのです。それは,要するに,相居飛車の将棋があまりに研究しつくされて,しかも,藤井聡太竜王名人に勝てなくて,飽きちゃった結果なのでしょう。
 これもまた,羽生善治九段の全盛期には定跡形の鬼のような存在だった佐藤康光九段が,その後,定跡形からはすっかり離れてしまったことと同じような現象ですし,大山康晴,升田幸三という巨匠が若いころは居飛車一辺倒だったものが振り飛車党に変わったのと同じです。
 まさに,将棋戦法の歴史は繰り返す,のだと私は思っています。

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 2018年,佐藤天彦名人に通算タイトル獲得100期目をかけて羽生善治九段が挑戦した第76期将棋名人戦第5局が名古屋の大須萬松寺で行われたとき,その前夜祭に行ったことがあります。そのときの前夜祭は立食パーティでしたが,対局者と写真を撮ることもできましたし,多くの棋士の人たちと話をすることもできて,将棋のタイトル戦の前夜祭はいいものだ,また行ってみたいと思いました。
 しかし,それ以降,コロナ禍が起こり,前夜祭自体が中止になったり,また,前夜祭の再開後も,マスク姿の棋士の写真を写しても仕方がないので,ずっと敬遠していたのですが,それも去り,また,藤井聡太八冠誕生か,ということもあって,再び前夜祭に行ってみようかと思っていたこのごろでした。

 奇しくも,今年2023年の第36期将棋竜王戦の第2局が10月17日,18日に京都の仁和寺で行われ,その前夜祭がホテルオークラ京都で行われるということだったので,応募して当選したので行ってきました。実際,藤井聡太八冠誕生後,はじめての対局となって,さらに注目度が増したのですが,今期,藤井聡太竜王に挑戦するのは,「藤井聡太を泣かせた男」という異名のある同い年の伊藤匠七段でした。
 今回は立食ではなく,抽選による指定席ということでしたが,なかなかいい席が確保できました。参加者は200人程度かな? と思っていたのですが,なんと,400人ということでした。また,女性が8割くらいもいました。これではまるで藤井聡太八冠の披露宴みたいなもののように思えたのですが,藤井聡太竜王にはこれだけお姑さんがいるわけで,これでは実際に結婚するときに,お嫁さんになる人は大変だなあと思いました。
 前夜祭は,型通り,対局者の入場,主催者挨拶と続きましたが,学校の卒業式みたいに,退屈な話をを延々とするような人もなく,楽しいものでした。そして,最後に,対局者の決意表明がありました。

 それにしても,藤井聡太竜王は,すっかり場離れしているというか,とても上手に話をするので,感心しました。単に強いだけでなく,まだ21歳だというのに,将棋界は立派な棋士が育ったものです。
 藤井聡太竜王名人が初タイトルを取ったころは,コロナ禍真っ最中で,前夜祭も中止になったりしたので,ある意味,これが幸いしたようなところもあるように思います。前夜祭には,文化庁長官,京都府長,京都市長といったお偉い人たちがずらっとならんでいたりして,羽生善治九段ならともかくも,はじめてタイトル戦に登場するような若手の棋士には,対局の前に,こうしたイベントに出るだけで,すっかり飲まれてしまい,大きなハンディとなってしまうことでしょう。

 仁和寺門跡の瀬川大秀さんの話によると,仁和寺の創建は888年であり,また,仁和寺の裏山には成就山八十八ヶ所の霊場があるというように,末広がりの8にゆかりがあり,藤井聡太八冠にふさわしいということでした。そして,今回の前夜祭のお土産は,京都のおまんじゅう「八重」でした。粋な計らいだなあと感心しました。

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 「藤井聡太竜王名人が関西将棋会館のレストラン「イレブン」で食事を注文するのもこれが最後」 になるかもしれない,王座戦挑戦者決定トーナメントの決勝戦が2023年8月4日に行われ,「史上最高の1分将棋」とよばれた大熱戦のすえ勝利して,永瀬拓矢王座への挑戦権を手に入れました。王座戦5番勝負に勝てば,将棋のタイトル全冠制覇達成です。
 この対局は,二転三転,まさに手に汗握るハラハラドキドキの終盤戦でした。
 ①105手目。藤井聡太竜王名人が▲1五香と打てば終わっていたものを▲1六香と打ったためにもつれました。
 ②135手目。藤井聡太竜王名人が▲6四角と打てばよかったのに▲3三歩としたので3筋に受けの歩を打つことができなくなり,負けていれば敗着でした。
 ③150手目。豊島将之九段の指した△6五玉が決定的な悪手で,これで勝負が決まりました。しかし,1分で正解手を見つけるなんて無理な話なので,豊島将之九段が気の毒でした。
 ①②③とも,正解手はかなりの「筋悪」で人間には浮かびません。

 ③150手目の正解手は△5四玉だったということですが,この後が難解でした。
 解説者も説明できなかったので,私も,局後,将棋AI最強の「水匠5」を使って,遊んでみました。△5四玉以下,「水匠5」が1番手にあげた指し手を進めていきます。すると,以下のように,このあと延々と90手くらいも進んで,やっと後手が勝利します。
  ・・・・・・
3四龍,4四銀,4五角,6五玉,7七銀,6六歩,4四桂,7八金,5四銀,6四玉,6三銀成,6五玉,5六角,同馬,3五龍,5五歩,5六歩,6九角,4八玉,7七金,2五角,同角成,同歩,7六玉,4二と,6七歩成,3八玉,6八角,4六歩,4二飛,2七玉,4四歩,5三成銀,4五桂,4二成銀,3七桂成,同玉,4五金,5四角,6五歩,4五角,5九角成,4八金,4五歩,4九金打,5三角,4四香,3四歩,同龍,2二桂,4五龍,4九馬,同金,3四金,7七桂,4五金,同歩,5七飛,4七金,1四桂,9八角,8七銀,同角,同玉,9八銀,7七玉,6九桂,7六玉,7七歩,同と,5七桂,2六銀,3八玉,2七金,3九玉,2八角,2九玉,1七角成,8七金,同と,同銀,同玉,9七飛,8六玉,8七歩,7五玉,7八飛,6四玉,9八飛引,3八銀,…
  ・・・・・・
 なお,互いに最善手を指していくと持将棋になるといっているYouTubeや,そう書いている記事もありますが,私が使った「水匠5」ではこのように後手勝ちになります。
 こうして遊んでいるうちに,何か不思議な気がしました。それは,「水匠5」が最善という手を指し進めていっても,はじめの評価値以上に次第に後手が悪くなっていくのです。こういうものを体験すると,将棋AIが示す評価値は,一体どういうものなのだろう? という疑問がいつもながら湧いてきます。
 この対局の中継はいくつかの媒体で行っていたのですが,ABEMAが表示している形勢判断とそれ以外のものに大きな差があることが指摘されていました。使っている将棋AIが異なるのか,コンピュータの性能が異なっているのか。いずれにしても,1分という考慮時間ではコンピュータでも読み切れないということなのでしょう。
 おそらく,実際の対局で豊島将之九段が△5四玉という正解手を指したとしても,その後,人間が最善手をずっと指し続けることは不可能です。この難解な将棋では,最善手は1手だけでそれ以外を指せばすべて逆転,といった局面が続いていたので,結局は,どこかで悪手を放った方が負け,という結果になったことでしょう。
 どうしたらこんな複雑で難解な局面が作れたのか。

 将棋は,序盤の定跡はほぼ決まっていて,いささかマンネリ気味で,新戦法といったところで,大局的に見れば流行り廃りがあるだけのようなものです。最新形といっても,江戸時代にすでに同じような形があったりします。
 しかし,中盤から終盤にかけてのねじり合いになると,どの将棋もそれぞれが個性をもち複雑化していくのが不思議です。これこそが将棋の魅力です。そうなると,もはや,コンピュータが進化しようと関係なく,事前研究も意味がなく,指している人間の実力と指運のみの世界となっていきます。ただし,今は,将棋AIの進化のおかげで,見ている側に,その時点での最善手がわかるようになった,というのが最大の利点です。だから,素人が見ていてもおもしろさがよりわかるわけです。おそらく,将棋AIがなかった時代なら,この対局の△5四玉という手も指摘されず闇に葬られていたに違いありません。
 ともあれ,藤井聡太竜王名人は,八冠になるように神が授けているかのように,今期の王座戦は,奇跡が続きます。極めつけは対村田顕弘六段戦でしたが,今回の対豊島将之戦もまた,それに匹敵するものでした。再び奇跡が起きるのか? 今後の展開が今から楽しみです。

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 数年前,というか,藤井聡太竜王名人が29連勝を達成して将棋ブームが起きる前,私は,将棋にほとんど関心を失くしていました。そのころの将棋は,まあ,今とそうはわからないのですが,角換りとか相がかりといった戦法が幅を利かしていて,難しくて,よくわかりませんでした。将棋が大衆に受け入れられるには,棋士の自己満足ではなく,もっと素人がわかりやすい将棋を見せる必要があると思っていました。それは今も同じですが,それでも,将棋AIのおかげで,「観る将」には,わからないなりにも楽しめるようになりました。
 その後の私は,世間のミーハーと同じく,藤井聡太という若者の活躍ではじまった将棋ブームに乗っかって,ABEMAの将棋中継を見るようになったわけです。はじめのうちはよかったのですが,次第に,そこに,ひとつ,大問題が発生するようになってしまいました。それは,藤井聡太竜王名人が負けるものなら,落ち込んでしまって,楽しく将棋の観戦ができなくなってしまったことです。これではだめです。

 しかし,念願の名人となった今,もう,そういうのは卒業しようと思いました。この後は,勝敗には無関係に,将棋の観戦を楽しもうと思うようになったのです。そこで,何十年ぶりかで,将棋を指すことにしました。幸い,周りに将棋の強い人が大勢いるのが救いです。
 そこで久しぶりに将棋について考えたのですが,私のような,さほど将棋に強くないものが将棋を楽しむには,研究を知らなければ戦かえない,といった最新戦法なんてやってはだめ,ということでした。つまり,藤井聡太竜王名人の指すような将棋をマネしてはいけないのです。あれは,強いからできることであって,凡人の指すものとは違います。
 なら,どうすればいいか?
 ということなのですが,序盤の戦法としては,原始棒銀とか筋違い角とかひねり飛車です。最新の研究将棋なんて,知っているほうが有利。それでは勝負になりません。こうした古い戦法も,よく知る人にはうまくいかないことでしょうが,おそらく,ほとんどの相手は,そうは知らないだろうし,もともと,そんな古い戦法,今の人は見たこともないことでしょう。私が将棋に凝っていた今から50年以上前の戦法だからです。
 いずれにしても,将棋は終盤勝が負なので,そこまで持ち込めば何とか…。というのは,しかし,甘い考えでした。長年指していなかったから,その終盤が弱いことに今更ながら気づきました。私は,藤井聡太竜王名人ではなかったのです。当たり前か。でも将棋指すのは楽しいよ。
 詰将棋やらなきゃ。


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キャプチャ

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 2023年6月17日,第8期叡王戦第5局が柏の葉「三井ガーデンホテル」で行われるはずでした。しかし,叡王戦が第4局で終わってしまったために実現せず,その代わり,同じ日に「藤井聡太叡王を囲む会」が開催されました。
 このときのプログラムの第1部で行われたトークショーがYouTubeにアップされていたので見ました。それが「AIビッグ対談 藤井聡太叡王 Ponanza開発 山本一成CEO」でしたが,すばらしいというか,秀逸なものでした。優秀な人同士の対談というものは,聴いているほうが賢くなった気になるというものです。いい時間になりました。
 内容については,このYouTubeを見ていただくことにして,私は,それを見ていて,いろいろなことに思いをめぐらせました。今日はそのお話です。

 AIということばがあまりに有名になって,ひとり歩きをしています。関係のないことまでAIというラベルをはったり,AIを活用したわけでもないのに,AIというラベルを張った研究を公表する大学の先生がいたり…。
 これもまた,世の常ですが,私は,そんなAIの限界と可能性にとても興味があります。
 たとえば,「将棋AI」でいえば,これまで,私の知る限り,つぎのふたつの局面で,「将棋AI」のアルゴリズムはどうなっているのだろう? と疑問に思ったことがあります。プログラム的にはかなりの問題だと思うのですが,これについて,だれもわかりやすい解説をしていないことが不思議です。
 そのひとつ目は,以前このブログに「「将棋AI 」未だ未熟なり」として書いたことがあるのですが,2022年2月3日に行われた第80期将棋順位戦B級1組,先手佐々木勇気七段対後手藤井聡太竜王で,将棋AIが納得のいかない変化手順を示したものです。
 そしてふたつ目は,2023年5月28日に行われた第8期叡王戦五番勝負第4局,先手菅井竜也八段対後手藤井聡太叡王で,藤井聡太叡王が80手目△2九龍を指したのですが,これが23手の即詰みでした。しかし,「将棋AI」はこれを読めなかったのです。こういうものを見ると「藤井聡太のAI越え」とかいって興味本位で語られるのですが,少なくとも,「将棋AI」が詰みのある局面でそれが読めない,というものを私ははじめて見ました。人間的には盲点であっても,「将棋AI」は通常,これを見逃さないのです。

 これでは,AIもまだまだだなあ,と思ってしまいます。というのも,こうした人工知能の技術がすでにさまざまな社会生活で実際に活用されているわけですが,そこに次のようなミスがあったらたまりません。たとえば,医学の病理検査で異常を見逃してしまったり,入国検査で怪しい人を入国させてしまったり。それがこんなことでは,本当に役立つのかしら? 正しいのかしら? と疑問になってしまうのです。
 そうした技術活用のひとつとして,山本一成CEOが研究している車の自動運転があるわけです。今私が乗っている車も,多くの最新技術が使われていて,たとえば,車線をはみ出して通行すると,警告音が鳴ります。これは,将来の自動運転につながる研究開発中の技術だと思うのですが,それが,鳴ったり鳴らなかったり,あるいは,意味もなく鳴ったりと,まったくもって安定しません。つまり,信用できるものではないのです。
 こうした経験から,私は,こんなことではいつまでたっても自動運転などできるわけがないと,確信してしまいます。しかし,その最大の理由は,AIのせいだけではなく,というか,それ以上に,この国の道路整備がひどすぎるということにあります。交差点ごとに右折帯があったりなかったり,あるいは,変則だったりするし,信号のシステムも交差点によって違うし,センターラインの表示の形式も一定ではありません。また,通行帯を示すラインも,消えていたり,あるいは,元から書かれていなかったりすることもよくあるのが,この国の道路です。このように,人間が運転していても戸惑い,あるいは理解不能なことが少なくないのに,人工知能がこれを判断できるとは思えません。きちんとラインが引かれ,全国でルールが統一されているアメリカの走りやすい道路と比べたら雲泥の差です。
 こんな現状では,日本では,いくらAI技術が進化したとしても,自動運転はムリでしょう。それは,日本という国の交通インフラがあまりにもあいまいであり,いい加減だからです。

 おそらく,日本がこの先,さらに世界から遅れることになる要因は,こうした,何事につけても忖度社会で,その場限りのやったふりが蔓延する日本という社会の在り方のせいだと私は思います。人的なミスが多発しているマイナンバーカード,その原因は日本社会のシステム上の愚かさから来るものなのに,それを解決せず,しかし,半ば強制的に普及させようとしたり,行政が交通整理をしないものだから支払い方法が多すぎるゆえに一向に進まないキャッシュレス社会,そうした現状を見ても,それは明らかでしょう。つまり,日本の科学技術の発達を阻害している要因は日本という国のシステムであり,そこに住む人間にあるのです。

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 ついに,藤井聡太竜王が名人戦に登場します。デビュー以来,ずっと名人候補といわれ,マスコミに騒がれ,いつか潰れたときは気の毒だと思っていたのですが,私が思っていたより,ずっと精神的にも強い若者でした。
 私が若かったころは,何事にも「絶対王者」がいました。たとえば,プロ野球だと読売巨人,大相撲だと横綱大鵬,将棋だと大山康晴十五世名人,という具合です。物心ついたときからそうだったのだから,こうした「絶対王者」はずっと「絶対王者」のままで,変わることはないと思っていました。
 私はそのすべてに対してアンチでしたから,いつも辛い思いをしていたのと同時に,世の中はままならならないものだというあきらめをもちつづけて大人になったようなものです。こういう成長過程がいいのか悪いのか,いずれにしても,すっかりひねくれた大人になりました。
  ・・
 読売巨人の連続優勝が途絶えたのは,1974年(昭和49年)のことでした。こんなことが起こるのかと思いました。横綱大鵬が引退したのは,1971年(昭和46年),そして,大山康晴十五世名人が名人戦で敗れたのは1972年(昭和47年)と,奇しくも,それらはおよそ同じころのことで,私が最も多感なころでしたから,そのすべては強烈に印象に残っていて,今も詳しく語ることができます。文献だけで知っていて,それを文章にするライターとは年季が違います。
 強いものに対して,常にアンチである私なのに,その後の「絶対王者」で応援した王者がただひとりいました。それは,横綱千代の富士でした。齢が私とほとんど同じであったことと,強いながらも小柄で弱点をひめていたこと,そして何よりまだ関取になる前から知っていたからです。弱いころからの出世物語を知ると,応援したくなります。そこに,藤井聡太竜王が加わりました。
 現在の藤井聡太竜王のことは,ほかにいくらでも書いている人がいるでしょうから,今日は,昔の将棋名人戦の思い出を書きます。

 当時はテレビ中継もなく,インターネットもなかったから,知りうる情報は新聞紙上からだけでしたが,それでも,私がはじめて将棋名人戦を時系列で観戦したのは,第30期でした。それは,今も語り草となっている,升田式石田流をひっさげて,升田幸三当時九段が大山康晴当時名人を苦しめた,大山康晴名人の最後の名人防衛でした。
 名人戦は昔も今も4月のはじめから開始します。このころは桜が満開,しかし,雨の多い時期です。第30期将棋名人戦第1局の行われた日もまた,雨でした。このころの将棋名人戦は,東京の料理旅館・福田家ではじまるのが常で,まだ何も知らなかったころの私は,何か,ものすごく特別な儀式を見ているような気がしました。
 それ以来,私は,将棋名人戦は桜と雨,というイメージができました。
  ・・
 次に印象に残るのは,その次の第31期でした。
 大山康晴名人の後継者だとだれもが認めていた中原誠当時八段が,A級2期目に挑戦を果たしました。新進気鋭,強かった中原誠八段も,A級昇級の年は4勝4敗に終わったのですが,2期目は8戦全勝でした。
 第31期将棋名人戦は白熱した戦いで,第7局までもつれ込み,ついに,大山康晴名人の牙城が崩れました。しかし,そのことよりも,中原誠八段がそれまでのA級順位戦2期で戦った対升田幸三戦こそ,最高に記憶に残った対局でした。中原誠八段1期目は,升田幸三九段の妙手とうたわれた▲7七飛車が決定打となって完敗。2期目の対局は,升田幸三九段が勝ちを手に入れたと思ったときに▲9八香と指せばよかったものを手拍子で▲7二と指してしまったのが失着で中原誠八段が勝利しました。この2局の観戦記は東公平(=紅)さんだったのですが,それがおもしろかったこと。
  ・・・・・・
 (中原は)23分の長考をして△8三金と,敵飛圧迫の方針を見せた。ここで,升田の「新手」が出たのである。▲7七飛だ。「升田流や。ひとには教えられん」--ニヤリと笑う。この一手で,中原の飛頭の金は空を打たされ,苦戦に追い込まれたのだ。
  ・・
 中原が少考ののち△8九飛とおろすと,(升田は)チョンと香のうえをたたいて「上とこか」といった。▲9八香のことだ。しかしすぐに,ああ,行ったれ行ったれ,と吐き出すようにいって▲7二とと金を取った。バシッとコマ台にのせた。この一手が勝敗を分けた。
  ・・・・・・
 今は,あまりに対局が多すぎて,その多くは,それらがいかにすばらしいものであっても,次々と生まれる棋譜にとって代わられてしまい,深く印象に残らないのがとても残念です。

 それからちょうど50年。半世紀が経ちました。
 果たして,第81期将棋名人戦ではいかなるドラマが生まれるのでしょうか。

history_image第30期将棋名人戦第31期将棋名人戦


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 第72期王将戦の第5局が,2023年2月25日,26日に島根県大田市で行われ,101手で藤井聡太王将が勝利しました。
 今日のお話は,この対局の結果のことではなく,この対局で私が思った将棋AIにおける評価値のことです。このごろは評価値でなく勝率というそうですが,私には勝率ということばは何か違うという感じがするので評価値と書きます。
 この対局や解説は,囲碁将棋チャンネルのLIVE中継をはじめ,インターネットの毎日新聞の棋譜速報,YouTubeチャンネル「元奨励会員アユムの将棋実況」などで知ることができたので,参考にして楽しんでいたのですが,あまりにむずかしくて,対局が行われていた時点ではなかなか理解ができませんでした。評価値による優劣判定も二転三転して,しかもその振れ幅が大きく,まさに死闘でした。

 戦法は横歩取りでした。横歩取りは,双方の王将が盤面全体の戦場の中で右往左往し,いつ流れ弾に当たってもおかしくないというものなので,短手数で終わることが多く,2日制のタイトル戦に選ぶ戦法として好ましくないと思われていました。一般に,他の戦法に比べて盤面が狭く感じられ,手の選択肢が少なくなるのです。ところが,この将棋では,盤面上のすべての駒が有機的に入り組んでいて,手の選択肢が非常に多く,どの手を選んでもそのあとの変化が多岐にわたり,難解きわまるものとなったのです。
 将棋AIがなかった時代なら,この将棋を正確に解説するのは不可能であったように思えます。おそらく,そうして,おもしろさの半分も伝わらず闇の中に消えて行ったことでしょう。それが,将棋AIのおかげで,現在の局面の評価値や次の手の候補が表示されるから,あまり将棋がわからない人でも楽しめるわけです。
 対局が行われていたときは,私も,優劣を評価値に頼って見ていました。そして,それが二転三転したので,双方が最善手の応手をしているのではなく,疑問手を出し合っているように感じました。だから,将棋AIの示す最善手どおりに指し手を進めるいつもの藤井聡太王将とは違うなあ,調子が悪いのかな,とも思ったし,「疑問手が多いから熱戦になっているので,名局賞にはふさわしくない」とYouTubeチャンネル「元奨励会員アユムの将棋実況」で言っていたような感想を,私ももちました。
 しかし,囲碁将棋チャンネルで放送されたものを,局後に,解説を聞きながら見直してみると,まったく別の印象をもつようになりました。それは,将棋AIの評価値は,そうした人間の勝負を判定するには,まだまだ未熟だということです。

 藤井聡太王将の対局の解説をするのは大変です。
 高見泰地七段とか広瀬章人八段,佐藤天彦九段のような,日々最新形を研究している強い若手かもしくは超一流の棋士で,かつ,話が上手でないと,深い読みに裏づけされた指し手の真意がわからず,聞いていても得るものがありません。だから,囲碁将棋チャンネルの1日目のにぎやかしいだけで手が見えない解説は論外でした。2日目の放送は屋敷伸之九段の解説でしたが,それが思った以上によく,やっとこの将棋の本質がわかりました。
 この対局は,「疑問手が多い熱戦」ではなく,実際の指し手は人間が極限まで考えた末の最善の応酬だったのです。
  ・・
 よく,形勢判断といいますが,それは,形勢判断をする局面で,①駒割り②駒の働き③玉の固さ④手番を評価するものといわれます。しかし,将棋AIの表示する評価値は,その局面での形勢判断ではなく,その局面で,次に最善手を指したときのものなのです。
 その最善手というのが,また,くせものです。それは,この先もお互いが最善手を指し続けたとき,ということが前提だからです。しかし,ここに疑問がおきます。それはまず,どこまで指し続けた状態で将棋AIは評価を判断をしているのだろうか,ということです。即詰みがない段階では,無限に読むこともできないから,どこかで読みを打ち切って,そこで形勢を判断する必要があるのですが,将棋AIがどこで読みを打ち切っているのかがよくわからないのです。
 次の疑問は,将棋AIの示す最善手には,人間が簡単に指すことができるものとそうでない難解なものが存在するということです。難解なものは当然間違えることが多く,それが次の手でなくとも,その先,その先のどこかで間違えれば,すべてが崩れてしまい,最善手でなくなったりむしろ悪手となることもあるのです。この対局は,まさに後者のほうでした。まず,次の最善手が読めない。しかも,それに続く応手もまたすべて難解で,そうした最善手を指し続けたときの評価値にすぎなかったのです。
 であるならば,むしろ,人間は,どこかで間違える可能性が高いから,評価値はまったくあてにならない,ということになります。そこで,これらのことも考慮するようにAIには機械学習をしてもらって,そうしたディープラーニングの結果,将棋AIの考える最善手を人間が指すことができる確率までを考慮した形勢判断にしなければ,正しい評価値とはいえないのではないかと,私は思ったわけです。だから,将棋AIの評価値だけではなく強い棋士の解説が必要なのです。

 将棋AIによって形勢判断が数値化されたことで,将棋の楽しみが増えたことは否定できませんが,現在の評価値は,そうした意味で,まだまだ未熟です。だから,人間がその手を指せるかどうかといったことまでを考慮に入れた解説ができる棋士が優れた解説者といえるのでしょう。また,「観る将」は,評価値を参考にこそすれ,その値だけに一喜一憂せずに楽しむべきなのでしょう。そこに,コンピュータではなく人間の勝負を観戦する楽しみがあるのです。
 それにしても,これほど難解な将棋を見たのははじめてのことでした。また,結果は別として,羽生善治九段はとても楽しそうでした。おそらく,藤井聡太王将に若き日の自分を見ているのでしょう。そしてまた,夢を託せる若者を頼もしく思うのでしょう。
 まさに,解説者泣かせであり,将棋の奥深さを再認識した対局でした。

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 現在,第72期王将戦が行われています。「最高峰の戦いである世紀の王将戦」と銘打って,藤井聡太王将に羽生善治九段が挑戦するという願ってもない組み合わせに盛り上がっています。
 もともと王将戦は将棋名人戦が毎日新聞から朝日新聞に移ったことで,連載する棋戦のなくなってしまった毎日新聞が新たに作った棋戦で,話題作りのために指し込み制度を導入しました。その制度のおかげで,升田幸三実力制第4代名人が木村義雄十四世名人や大山康晴十五世名人を香落ちに指し込んだり,さらには,対局拒否という陣屋事件が起きたりといった様々な出来事がありました。
 近年では,再び将棋名人戦が朝日新聞から毎日新聞に移ったことで,行き場を失った王将戦はスポーツニッポン社の主催となり,その結果,そのころは中継のなかった将棋の棋戦が唯一囲碁将棋チャンネルで放送されたり,また,「勝者の罰ゲーム」ができたりと,将棋の棋戦というより娯楽の面が強くなりました。
 しかし,このごろは,ABEMAでほぼすべての将棋の棋戦を中継するようになったので,逆に,王将戦だけが見られない,ということになってしまって,あまり将棋に興味のなかった人が,なぜ王将戦だけ無料で見られないのか,と苦言を呈するようになりました。「大人の事情」というのは複雑です。

 今期は,もう無理だと思っていた藤井聡太王将と羽生善治九段の対決が実現したわけですが,これは,羽生善治九段にとって悲願だったに違いありません。それは,羽生善治九段の通算100期のタイトル獲得の可能性,というより,将棋ファンのだれしもが望んでいた対戦がかなえられたということだからです。
 おそらく,一世を風靡した羽生善治九段は,自分のことより,そうしたファンの夢をなんとか実現させたいという,そうした意思が強かったと思われます。藤井聡太王将に対しては,よき後継者を得たと思っていることでしょう。藤井聡太ブームは,羽生善治という絶対王者が重しとなっていたからこそ誕生したのでもあります。
 しかし,今期の王将戦の結果を予想すると,これまでの対戦成績や藤井聡太王将の実績からみて,羽生善治九段が一方的に破れる,という可能性が強く,それでは盛り上がりません。そこで,羽生善治九段が第2局を全身全霊で戦い,ぎりぎりの終盤戦を乗り越えて勝利したとき,なんとか肩の荷が下りた,という安堵の表情を見て取ったのは私だけでしょうか。第2局の▲8二金という手をみて,羽生善治九段の強い想いを感じて,感動しました。いいものを見ました。

 今回私が取り上げたいのは,そんな将棋界に関連して,このごろ何かと話題の「ChatGPT」です。
 「ChatGPT」(Generative Pre-trained Transformer)というのは,OpenAIが2022年11月に公開した人工無脳(chatbot)です。人工無脳とは,ユーザーがキーボード等を通じてコンピュータに語りかけると,何らかの返答が表示されるというものです。
 人工知能に人格や知性といった人間らしさを付与しようとする研究は,人間の脳の働きをコンピュータプログラムに置き換えて成長させ,コンピュータにコミュニケーション能力を獲得させようとする試みなのですが,実際は,自我や知性を持つ人工知能を構築することは容易ではありません。
 そこで,コンピュータにことばの意味を理解させるのではなく,自然な応答を事前に学習,蓄積させておくことで,ユーザーが期待した解答を得ることができるようにしようとしたわけです。その結果,ユーザーは,それがコンピュータがあたかも知性をもっているかのような錯覚を起こすわけです。であっても,自分のことばで語らず,役人が事前に作った文章をただ丸読みしているだけの大臣の国会答弁などは,この人工無能よりはるかに劣るものといえるでしょう。その意味では,コンピュータの人工無能のほうがずっと賢いともいえます。
 その「ChatGPT」で,「戦争と平和」のあらすじと藤井聡太竜王がどうして強いのかを聞いてみたので,その結果を載せておくことにします。

 さて,現在の将棋界では,将棋AIが猛威をふるっていて,それに対応できないベテランは若手に手玉に取られています。とはいえ,将棋AIの指し手を暗記したところで勝てるわけでもないわけだから,将棋AIとどうかかわるかが問われているわけです。将棋AIをいち早く取り入れることに成功した藤井聡太竜王は,将棋AIの定跡を覚えるのではなく,自分の形勢判断とAIによる形勢判断の違いを念入りに研究しているようです。
 「ChatGPT」を使うと,小中学校の宿題など,すべてやってくれちゃうので,ニューヨークの学校では使用を禁止する対策が取られはじめたと聞きます。また,それと同時に,今後,もっと進化するであろう「ChatGPT」を有効に教育に利用しようと考える先進的な教師も少なくないそうです。
 私には,それが,将棋AIと将棋の棋士の関係に似ているように思います。はたして,今後,若者の教育は「ChatGPT」とどうかかわっていくべきだろうか? もう,大学入試だとか偏差値だとか評価だとか,そんなことをぐちゃぐちゃやっている時代ではないように,私は考えます。そんな古臭いことをいつまでもやっているのだから,この国は劣化してしまうのです。教育界に藤井聡太竜王はいないのです。今,教育の在り方の根本が問われているのです。

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 今日の写真は,私が頂いた将棋の免状です。日付は昭和55年となっていますから1980年,今から40年以上も前のものですが,当時は竜王戦という棋戦はなく,したがって,竜王という称号もなかったから,この免状に署名されているのは,日本将棋連盟会長だった15世名人の大山康晴と名人だった中原誠,となっています。
 免状に該当する段位を取得していても,免状は申請したときに手に入れることができるので,どの棋士の署名が入るかは申請したときによります。現在は,日本将棋連盟会長である佐藤康光九段と渡辺明名人,藤井聡太竜王ということですが,藤井聡太という署名入りの免状に人気があって申請する人が多いので,その発行数がかなり増えているということです。
 その当時,私は,後に日本将棋連盟会長になった米長邦雄永世棋聖の「名人・米長邦雄」という署名が入った免状が欲しくてしばらく申請をせず,名人になるのをこころ待ちにしていたのですが,何度挑戦してもなかなか実現しないのであきらめて申請をしたのです。「名人・米長邦雄」がやっと実現したのは1993年で,実に13年後のことでした。私は,それまで待つことができなかったわけです。しかし,米長邦雄永世棋聖は,日本将棋連盟会長になってからの品のなさと辣腕で嫌いになったし,15世名人の大山康晴と16世名人になった中原誠という二大巨匠の名前の入った免状こそ品格があってすばらしいもので,今にして,これでよかったと思っています。とても気に入っています。
 もう間もなくすれば,「竜王名人・藤井聡太」という署名の入った免状が誕生することでしょう。そうしたら私もまた免状を申請しようかと思ったりします。
 それにしても,免状に多くの署名を書かなければならない会長,竜王,名人という立場は大変です。将棋の研究のかなりの時間が割かれるのではないでしょうか。これでは,棋士というより書道家です。

 さて,タイトル獲得通算99期という羽生善治九段ですが,名人18期の大山康晴15世名人や名人15期の中原誠16世名人と比べると,名人を獲得していた時期は9期とそれほど長くはありません。また,大山康晴15世名人や中原誠16世名人のころにはなかった竜王も獲得していた時期は7期と意外に短いものです。竜王と名人になると,免状に署名するという仕事が加わるのでたいへんです。私は,羽生善治九段は署名というお仕事が面倒だったのではないかなどと,うがった見方をしてしまいます。
 その羽生善治九段が,ついにA級から降級してしまいました。今年度はB級1組で,来年度のA級復帰をめざし,捲土重来を期すということで期待しているのですが,このごろの戦績を考えると,さらに降級してしまうのではという危惧もあります。B級1組は甘くありません。
 大相撲には,かつて北の湖という大横綱がいました。北の湖が強かったころに少年時代を過ごした人は,その強さを今も語るのですが,私は,晩年の,なかなか勝てなくなったその痛々しい姿のほうが印象が強いのです。それは,大鵬という大横綱が,その引退直前まで最強だったので,それと比べてしまうからです。
 将棋の世界でも,私は,亡くなるまで現役A級だった,憎いほど強く,毅然と若手に立ちふさがった大山康晴15世名人の印象があまり強いので,大きな業績を残したとはいえ,羽生善治九段の現在の苦戦する姿に一抹の寂しさを感じています。

 羽生世代といって,羽生善治九段とほぼ同年代で強かった棋士が大勢います。その中でも,現在の日本将棋連盟会長である佐藤康光九段は,今もA級の座を保っていますが,おそらくそれは,羽生善治九段と佐藤康光九段の将棋の質の違いからくるものだと思っています。
 晩年まで大山康晴15世名人が強かったのは,常に新鮮味のない振り飛車で戦い,変わり映えなくファンにはおもしろくなかったのですが,本人はそんなことは意に返さず,若いころに鍛えた妖力を武器に,中終盤のねじり合いで若手を負かすことを心底から楽しんでいたからのように思います。当時の若手は緻密な序盤研究に熱を上げていましたが,そんなことでは妖力には勝てませんでした。また,佐藤康光九段が現在もA級の座を維持しているのも,他者がまねのできない独特の序盤戦術で,圧倒的に定跡形の知識の勝る若手を煙に巻き,大山康晴15世名人と同じように,中終盤のねじり合いで勝負をしているからでしょう。
 それに比べて,羽生善治九段は,昔も今も,羽生流というような独自の新戦法や戦術を編み出すでもなく,その時代,その時代に流行する将棋を後追いして,そこにわずかな差を求めて勝とうとしているような感じです。現在も,相掛りの最新形を採用したりしています。しかし,それでは,アナログ感覚の同世代の棋士とは対等以上に戦えても,コンピュータを駆使した研究量の違う若い棋士にはかないません。局後の感想戦などを見ていても,形勢判断が今の若手のAIに基づいたものとは根本的に異なっていて,羽生善治九段がよしとする形勢がAIでは不利だったり,その反対に,不利だと思った手が最善手だったりして,しかも,そのことを指摘されても納得できないという表情になることが多々あります。それが終盤のミスの原因である気がします。どうも,2018年の第11回朝日杯将棋オープン戦で藤井聡太当時六段に負けたときから感覚がおかしくなってしまった感じです。
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 かつて,名人の座を明け渡し,タイトルから無縁となった中原誠16世名人は,それ以後,それまでの定跡形の将棋を力戦調のものに完全に変えてしまったのですが,それは,将棋は好きでも,定跡どおりの将棋を指すことに飽きちゃった,そして,勝ち負けにこだわらくなったからだろうと私は思いました。現在の羽生善治九段の心境はわかりませんけれど,少し言葉は悪いのですが,現在の,おじさんが若者言葉を使って,その輪の中に入ろう,というような感じの将棋から決別して,若いころに鍛錬した,ガッチガチの矢倉とか角道を止める対抗形の振り飛車といった,羽生善治九段が昔執筆した「羽生の頭脳」に書いたころの将棋を指した方がいいように私は感じていますけれど。
 今の羽生善治九段の将棋は,考えるのを楽しんでいるような藤井聡太竜王とは違って,楽しそうに指しているようには見えません。「観る将」の私は,観戦していて,次にどんな驚きの手が出てくるのかというワクワク感よりも,また間違えるのでは,と心配になって息が詰まります。それが残念です。

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 桜の開花とともに新しい年度がはじまりました。
 将棋界も新年度。2022年4月18日,今年度の第81期将棋順位戦の組み合わせ抽選が行われましたが,こういうものまでYouTubeで放送されるようになりました。
 将棋順位戦の組み合わせ抽選は,次のようにして行われるそうです。
 朝日新聞のウェブページから一部引用します。
  ・・・・・・
 B級1組からC級2組までは,三者が選んだ乱数を抽選ソフトに入力して組み合わせを自動算出する。 
 コンピューターが瞬時に導き出した抽選結果を受け,三者の担当者に連盟職員も加わった読み合わせが入念に行われた。
 コンピューターから一転してアナログなスタイルで選ぶのは10人のみ在籍するA級。
 トランプのカードをめくる方式で対戦順と手番を決める。
  ・・・・・・

 おそらく,コンピュータのなかった時代は,すべてA級のようにして決めていたのでしょう。それではたいへんなので,あるときから,おそらくプログラミングのできる職員がいたのでしょうが,そのおかげでコンピュータによる抽選になって,しかし,A級は箔をつけるために? いまも,旧来の方法が続いている,まあ,そんなところのように思います。
 こうした抽選は,それで棋士人生が左右されることもあるため,厳密であることが求められます。そしてまた,個性豊かな棋士の人たちだから,そこに疑念が生じないようにするのも大変だったことでしょう。トランプでどのように決めているのかよく知りませんが,きっと頭のいい人たちの集団だから,あるとき,くじをつくるならこれで一緒,とかいう理由ではじまったのかもしれません。
  ・・
 私は,こうしたことをプログラミングすることが得意なので,やれと言われれば(言われないけれど)組み合わせ抽選プログラムなど簡単に作ることができる自信があります。これまでも,順位戦の組み合わせではないけれど,このようなことを決めるプログラミングをいろいろ作ったことがあります。
 プログラミングには,乱数という武器があって,それがサイコロの代わりとなり,あとは条件を設定して,その条件に合うように,何度も同じ処理をくり返していけば決定します。
 ただし,その結果が公明正大であることを人間が納得すればそれでいいのですが,一番の問題はそこにあるので大変です。人にはこころがあるからです。

 ところで,先日,ABEMAの3人一組のチーム制早指しトーナメント戦のチームを決めるドラフトというものが行われました。日本のプロ野球のドラフトさながら,指名された棋士が重複したときに抽選をしました。
 そこで,プロ野球のドラフトにおける抽選もそうですが,私が意味不明だといつも思うのが,いきなりくじを引くのではなく,くじを引く順番を決めるくじをひく,ということなのです。
 くじは何番目に引いても当たる確率は同じ,などということは,高等学校の数学で学ぶことなので,だれでも知っています。だから,くじを引く順番を決めるくじなど意味がないのです。しかし,人のこころがそうしたことをしないと納得しないのでしょう。まあ,数学の苦手な人もいることだし。
 先日の将棋のドラフト会議で抽選にもれた渡辺明名人が「敗因ははじめにくじを引いたことだ。当選確率が4分の1しかなかった」と言っていましたが,いかに将棋が強いとはいえ,渡辺明名人は数学はまるでわかっていないことがこれで判明しました。

 確率には,また,別の側面があります。
 それは,くじを引く前はその結果が確率であっても,結果が出てしまえば,それだけが真実ということです。これが,物理学で量子論を説明するときに例にされる「シュレディンガーのネコ」(Schrödinger's cat)というものです。さらには,確率が3分の1のとき,3回行えば1回はできる,ということではない,ということです。よく,野球で3割打者が2打数0安打のとき,次はそろそろヒットが出ますよ,という話をする解説者がいたりするのですが,その人もまた,数学がわかっていないということになります。
 また,当選確率が99パーセントであっても,はずれればそれだけであり,その反対もまたしかりです。だから,全体として集団を考えたときには,60パーセントという当選確率はそのままそれが結果となっても,当事者にすれば,そんなことは関係なく,自分が当選しなければ,当選確率が60パーセントであっても90パーセントであっても結果がでてしまえば関係ないわけです。
 確率というのはそういうものだということを忘れてはいけません。
  ・・
 そこで,こうした確率にやたらとこだわる人もあり,また,全く無頓着な人もいます。これこそが,その人の生き方につながるのでしょう。
 ということなのですが,だれしも明日のことはわからない。だから,人生は何事も運次第ともいえます。そこで,確率にこだわるのでしょう。これが人の常というものです。ただし,運を引き寄せるのもまた実力といいます。
 私は,運を引き寄せることができるかどうかは,その人が行動するかどうかにかかっているといつも思っています。そこで,それをしたことでうまくいくかどうかという確率よりも,それをしなかったときにあとで後悔するかどうかを,つねに判断の基準としています。(たとえ当選確率が低くても)「買わなければ宝くじは当たらない」とかいうCMがあるのですが,それと同じようなものかもしれません。宝くじなど銀行の金儲けに過ぎないし,私は買わなくても後悔しないので買いませんが。


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 今日は,人工知能のお話です。
 人工知能のひとつの応用例として,「将棋AI」があります。近ごろは,この「将棋AI」の示す指し手を頼りにして将棋を観戦する「観る将」が話題となっています。「将棋AI」の進歩によって,さほど将棋を知らない人も将棋を楽しむことができるようになりました。
 そして,私は,将棋そのものよりも,むしろ,この「将棋AI」の技術の方に興味をもつようになりましたす。

 さて,今日の写真にある盤面は,2022年2月3日に行われた第80期将棋順位戦B級1組,先手佐々木勇気七段対後手藤井聡太竜王の局面の,実践には現れなかった変化図です。
 この対局は,藤井聡太竜王が勝利してA級昇級を決めたものです。実際の対局では,先手77手目の▲4三角に対して後手78手目に△5四香として勝利を決定づけたのですが,局後の検討で,77手目に▲4三角ではなく▲9六角と打てばどうだったか? ということが指摘されました。それがこの局面です。
 実は,このあと,△8五歩▲同角△同飛▲同歩に△9五角という絶妙手があって,やはり後手が勝つ,というのが結論なのですが,私が話題にしたいのは,この局面の77手目で,「将棋AI」は,▲9六角よりも▲8五角のほうを推奨していたという話なのです。
  ・・
 実際は,▲9六角と角を打つと,そのあと,△8五歩▲同角となるのが必然で,それだと,最初から「将棋AI」の推奨する▲8五角と同じ局面になります。違いは,最初から▲8五角と打つよりも▲9六角と打つほうが持ち駒の歩が1枚先手に多くなり,後手には1枚少なくなるということになります。であれば,どう考えても,▲8五角よりも▲9六角のほうがメリットが多いのです。
 だから,どうして,「将棋AI」が▲9六角より▲8五角のほうに評価値を高くするのか,まったく意味不明なのでした。
  ・・
 この場面をABEMAで見ていて,私は「将棋AI」もまだまだだなあ,というか,どうして,「将棋AI」のアルゴリズムにこんな欠陥があるのか,ということに興味をもちました。しかし,実際の対局の解説で少しだけ「???」と触れられていただけで,その後,このことについて深く掘り下げて解説したものは見たことがありません。
 私はむしろ,将棋の解説では,こうしたことが聞きたいのです。何か▲9六角より▲8五角のほうに人間の知らないメリットでも存在するのでしょうか?

 ところで,私は,このごろ,暇に任せて,Pythonで遊んでいます。
 Pythonというのは,プログラミング言語のひとつで,人工知能に関するライブラリが多いということで,それを研究したい人に評判となっています。私は専門家でもないので,単なる好奇心で楽しんでいるだけですが,この利点を生かして,「将棋AI」もまた,Pythonで作成されているようです。
 ちなみに,人工知能(AI)の手法のひとつに機械学習があり,また,ディープラーニングは機械学習の手法のひとつです。
 将棋ソフトは,この人工知能を応用したものですが,そのアルゴリズムについて紹介してある書籍もいくつかあります。私は,それらを簡単に目を通しただけで,理解していないのですが,おそらく,私が考えるに,まず,局面が,王手がかかる局面とそうでない局面でアルゴリズムが異なるように感じます。そして,王手がかかる局面では,即詰みがある場合とそうでない場合にさらに分類されるように思います。王手がかかって即詰みがある局面は最もコンピュータが得意とするところですが,今回紹介したのは,王手がかかるが,即詰みはないという局面です。こうした局面では,人間は,相手方より先に詰めよがかかれば有利と判断するようです。だから,それを判断する局面で「将棋AI」のアルゴリズムがどうなっているのかは知りませんが,そこに何がしかの未熟な点がある,ということになるわけでしょうか。

 将棋の解説で,年配の棋士が出てくると,次のような会話がされることがあります。
 「先生はコンピュータを研究にお使いですか?」「いや,私はコンピュータは不慣れなので苦手で…」
 私は,こうした会話を聞くと固まります。つまり,情けなくなってきます。それは「先生は電車を利用されますか?」「いや,私は電車の運転ができないので,電車に乗るのは苦手で…」というような会話と同じだからです。
 「将棋AI」というのは,コンピュータの操作に熟練しているとかしていないとか,そういう次元の話ではないわけで,それよりも,人工知能について理解しているかしていないか,だから,それを使いこなせるかどうかという話です。
 で,そういう人ほど,「ふん。あのブドウは,まだ酸っぱいのさ」みたいな強がりを言って,「将棋AI」を否定するわけです。
  ・・
 近ごろの医療ドラマで,AIを使った医療ロボットが誤診をして,やはり,人間の診断にはかなわないといったテーマがよく使われます。また,その反対に,どこぞやの教授が,AIを使って,この先の新型コロナウィルスの感染者数を予測したなどというニュースが流れます。ここで,前者はAIは万能ではないといいたいのだろうし,後者はAIで分析したのだから正しいというお墨つきを与えたと世間には誤解されて伝わることになります。
 人工知能(AI)というのは,コンピュータに人間と同様の知能を実現させようとする技術ですが,その手段である機械学習の基本は,膨大なデータをもとに,コンピュータが自分で学習していくということです。
 膨大なデータを「この特徴に注目して学習しなさい」と,人が定義して,コンピュータがトレーニングすることで分類し,未知のものが現れたとき,その分類してあったデータ集団のどれに当てはまる可能性が高いかを確率で返す,つまり,最も的確な判断ができるようにする,という流れです。
 また,機械学習の手段として,ディープラーニングは,「この特徴に注目して学習しなさい」と指示しなくても,コンピュータ自身がそれを自分で見つけてしまうというものです。そこで,ディープラーニングでは,人間が思いつかない特徴に注目することが可能となります。このディープラーニングは,人間が脳の神経細胞を互いに刺激し合って情報を処理しているように,それをまねたニュートラルネットワークを使って作られています。
 だから,いずれにせよ,こうした判断は,与えたデータの量によるところが大きく,データそのものに偏りがあれば,正しい判断はできない,ということになります。
 そこで,AIというのは,そうした処理をしているということを理解して,その限界を知って使いこなす必要があるわけです。だから,そうした方法であるということを理解していなければ,AIが示すから正しいとか,その反対に,AIなど当てにならない,というような,そういった短絡的な思考をしてしまうことになります。このことから「人間がコンピュータに使われる」といった最も危険な誤解が生じるのではないでしょうか。

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暇に任せて,Pythonで数独を解くプログラムを作ってみました。
私の作ったプログラムのアルゴリズムは,左上の空白のセルに,当てはまる可能性のある数字を1から順に入れていき,その次の空白のセルで,同じように,それを繰り返していきます。すると,どこかの空白のセルで入れる数字がなくなって破綻をした時点で,ひとつ前に戻り,別の当てはまる数字を入れ直す…,というように,それをくり返していくわけです。答えが必ず存在する,つまり,当てはまる数字が必ずある,という数独の問題なら,これで完璧です。
このアルゴリズムでは,単に,当てはまる数字を見つけ,それがなければひとつ前にもどるという関数を作って,その関数を「再帰呼び出し」で何度も何度も行っているだけなので,プログラムはきわめて単純です。
こんな手法で数独を解くということは,人間は絶対にやりません。しかし,プログラムでは,人間が苦手とする「反復」が得意なので,それを用いることで,難なく解いてしまうわけです。
これが,人とコンピュータの本質的に異なる点のひとつです。

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 再放送だらけのNHK。2022年3月1日に放送されたのは,実に44年前の1978年5月8日に放送されたNHK特集「勝負〜将棋名人戦より〜」でした。ここまで古いと,再放送大歓迎です。なにせ,放送された当時に見ていません。
 NHKのホームページにあったこの番組の紹介です。
  ・・・・・・
 第36期名人戦第3局を取材した「勝負 〜将棋名人戦より〜」。
 将棋の数あるタイトルの中で最も長い歴史を誇る「名人戦」。第36期を戦ったのは,中原誠名人と森雞二八段であった。1勝1敗で迎えた第3局に臨むふたりをカメラは見つめる。長考する中原,悠々とメロンを食べる森。対局の間,棋士たちは何を考えるのか。
 きわどい勝負の合間に,本音を引き出すインタビューが差しはさまれる。そして終局近く,秒読みの声に両者の表情は緊迫する。
 ノーナレーションで描く迫力の将棋ドキュメント。
  ・・・・・・

 第36期の名人戦は1978年4月から行われました。時の中原誠名人,挑戦者は7勝1敗で挑戦権を握った森雞二八段でしたが,結果は4勝2敗で中原誠名人が防衛しました。
 第36期の名人戦は,主催が朝日新聞社から毎日新聞社に変わったときで,さまざまな事件がありました。私は将棋の順位戦と名人戦見たさに朝日新聞を購読していたので,この期以降の名人戦を知りません。
 NHKが衛星放送をはじめたばかりでコンテンツが不足していたのかどうか,この第36期名人戦の舞台にはじめてカメラが入り,2日間にわたって生放送が行われました。この番組はそのときのものを編集したと思われます。衛星放送はチューナーが必要で見ることができませんでしたが,当時大学生だった私は,大学の研究室にあったテレビで空き時間に少しだけ見た記憶があります。今とは違ってNHKの将棋生放送は未熟で,まったく動かない局面が延々と続き,解説することもなくなってしまい,仕方なく対局場のホテルから見える海をただ写していたこともありましたが,テレビのNHK杯のような早指し以外のほんものの対局など見ることができなかった時代だったので新鮮でした。
  ・・
 挑戦者の森雞二八段は当時31歳だったのですが,その発言にかなりのとげがあり,おそらく,それは自分を発奮させるための行動だったのでしょうが,さまざまな軋轢を生みました。あの時代は,まだ,あのような野武士的な人がいました。
 当時の記録を見ると,この年,20歳の田中寅彦という名前が,当時名人戦挑戦者決定リーグという名称だった現在の順位戦の最下位ランクに見えます。この棋士もまた,その後昇段して時の谷川浩司名人と対戦したときに,谷川何するものぞというような過激な発言をして話題となりました。私にはこのふたりの棋士がかぶります。
 奇しくも,この3月で田中寅彦九段は順位戦C級2組で降級点を3回取ったために引退の憂き目にあいましたが,若き日に「弱い者が飯を食える生ちょっろい将棋界」と批判をしていた森雞二九段もまた,2017年3月に順位戦C級2組で降級点を3回取ったために引退となりました。ともに,60代の後半になり自らが「弱い者」に成り下がってしまったということでしょう。
 若気の至り,といってしまえばそれだけですが,気負いだけが空回りして年月だけが過ぎ去り,結局想いは遂げられず,自らが首を絞めるように前線から寂しく去っていったのです。

 それはともかく,私がこの番組でおもしろかったのは,当時の対局風景でした。
 将棋に限りませんが,何事も成熟していくと,形ばかりが増え,窮屈になっていきます。今の将棋の対局風景などいい例で,もともとはどうでもよかったようなことにこだわりが生まれ,さまざまな作法が慣習化していって,肩苦しくなっていきます。
 成熟前のこのときの対局では,まず,はじめに駒を並べるときに,お互いがリズムを合わせるでもなく,勝手に並べていくし,大橋流やら伊藤流やらといった並べ方とは少しだけちがって,結構適当でした。私はこれで思い出したのが,大相撲の幕内土俵入りです。これもまた,60年も前は今とは違って,場内アナウンスなど気にしないでどんどん土俵に上がっていって,所作を終えると,我先に土俵から降りていったものです。
 将棋の対局に話を戻します。
 対局中も,序盤では対局者同士が雑談したり,立会人が話しかけたり,1手指した後で独り言が出たりしていました。座を立つと「ひふみんアイ」も見られました。さらに,終盤の秒読みがはじまって対局者が読みに没頭しているときに,観戦をしていた立会の棋士が板側でタバコをくゆらせたことには,こりゃひどいと私は思いましたが,この時代,タバコは当たり前だったのです。
 とまあ,このころの対局は,こういう状態だったので,それを描写する材料に事欠かず,観戦記がおもしろかったのです。
 また,対局場が愛知県蒲郡の銀波荘だったので,対局の映像には,地元の重鎮だった板谷四郎九段,板谷進九段父子,そして大山康晴15世名人など,今は鬼籍に入った棋士の姿がありました。

 長年朝日新聞の観戦記を書いていた東公平さんが,観戦記者を引退する手土産にと,名人戦の観戦記を書くことになったことがありました。その対局で,当時の羽生善治名人に対局中に扇子を渡して署名を頼んだ,ということが事件となり,議論をよびました。その結果,せっかくの観戦記はお蔵入りとなってしまったのですが,東公平さんが観戦記を書いていたころの往年の将棋の対局は,そんなことは日常茶飯事であって,何の問題もなかったということでした。
  ・・
 とはいえ,だからといって,当時の対局が真剣でなかったとか,内容が薄いとかいうことは決してなくて,終盤の迫力は今とまったく同じ,というより,今よりずっと凄みがあって,見ている私は引き込まれてしまいました。
 今のように,何事においてもやったふりの世の中になって,いったい何が進歩したのか。
 このときの対局を見て,当時のほうがずっと本音でしかも真剣に生きていたようにさえ私は感じました。

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 相変わらず暇です。そこで,藤井聡太竜王のふるさとである瀬戸市までドライブしてきました。自宅から2時間もかからない瀬戸市ですが,私はこれまでほとんど行ったことがありません。行く目的もないからです。
 愛知県は道路が広いという印象があるそうですが,それは第2次世界大戦で焼けた名古屋市内のことで,市外に出るとどこも昭和のころのまま,ぐっちゃぐちゃです。そこに長期的な展望もなく,自動車用にその場その場で適当に道路だけを拡張したり作ったりしたものだから,どこだかの三叉路やら合流地点やら橋の出口やら踏切やらでつねに大渋滞を起こしています。
 特に,瀬戸市のあたりは,平地も少なく瀬戸川と名鉄瀬戸線の線路が邪魔をしていて道路が広げられず,まったくもって冴えません。工業団地をつくるスペースもなく,地場産業が瀬戸物では,急成長の可能性もないし,公共交通もまた,名古屋市内にアクセスするのは名鉄瀬戸線というカーブだらけでスピードが出せない路線があるだけだし,それ以外には春日井市の高蔵寺と岡崎市をつなぐ愛知環状鉄鉄道しかないものだから,名古屋のベットタウンというにも魅力に欠けるのです。
 そこで,町には活気がなく,私が行ってみた瀬戸市銀座商店街もシャッターが閉まり,さびれていました。そんな町の商店街の中心に,ニュースとかで有名になった藤井聡太竜王の対局の際に盤面が再現される手作りの大盤がありました。

 さて,2022年2月11日から2月12日にかけて行われた第71期王将戦で藤井聡太竜王が渡辺明王将から4連勝というストレートでタイトル奪取して,5冠王となりました。
 以前書いたように,王将戦は指し込み7番勝負で,現在の制度では,4勝差になると指し込みとなります。指し込むと,次の対局は香車落ちとなりますが,4勝先取でタイトル戦が終了となるので,この制度は有名無実です。あまり話題になっていないようですが,今回,藤井聡太竜王は渡辺明王将を指し込みにしたということです。また,渡辺明王将は現在名人というタイトルを保持しているのだから,これは「名人を指し込んだ」ということになります。以前は,3勝差になると指し込みになったので,世が世なら「名人に香車を引く」という対局が実現したのです。
  ・・
 升田幸三実力制第4代名人が「名人を指し込んだ」のは2度あります。
 1度目は1951年(昭和26年)の第1期王将戦で,3勝1敗後の第5局で勝ち,タイトル獲得とともに実現しました。相手は木村義雄14世名人でした。しかし,このとき香車落ちの対局は有名な「陣屋事件」のために実現しませんでした。そして,2度目は1955年(昭和30年)の第5期王将戦で,相手は大山康晴15世名人。3連勝でタイトルの獲得が決定したあとの第4局が香車落ちで,升田幸三実力制第4代名人はこれにも勝利し「名人に香車を落として勝つ」が実現,その次の第5局は平手でこれも勝ちました。第9期で制度が変わるまではタイトルの獲得が決定しても第7局まで行うことになっていて,実は,その次の第6局が香車落ち,第7局が平手で対局があったのですが,升田幸三実力制第4代名人はあまりに忍びないと,その2局を病気を理由に棄権しました。

 指し込みという制度は,1965年(昭和40年)の第15期から現在のように4勝差に改められ,また,どちらかが4勝した時点で対戦が終了することになったので,これ以後,香車落ちの対局はありませんから,もちろん今は「名人に香車を落として勝つ」という事件は起きません。
 升田幸三実力制第4代名人が大山康晴15世名人を指し込んだのち,再び王将に返り咲いた大山康晴15世名人が王将戦で挑戦者を指し込んだことは数回あり,挑戦者を香車落ちで負かしたこともありました。第11期ではひふみん,加藤一二三九段が,第13期には羽生善治九段の師匠である二上達也九段もその犠牲となりましたが,名人ではなかったので,「名人を指し込む」ということはありませんでした。制度が変わった第15期以降も,香車落ちは実現せずとも,記録上,指し込になったことはありました。しかし,升田幸三実力制第4代名人が「名人を指し込んだ」ように,指し込みにした相手が名人だったというのは,今回が,升田幸三実力制第4代名人以来はじめてなのかな,と思ったので調べてみました。
 実際は,1999年(平成11年)の第49期に羽生善治当時王将が挑戦者の佐藤康光当時名人を,また,2004年(平成16年)の第54期では王将だった森内俊之当時名人を挑戦者の羽生善治九段が4勝ストレートで下して「名人を指し込んだ」ことがあったのです。
 今回の藤井聡太竜王の快挙はそれに次ぐものということになるわけです。
  ・・
 もし,香車落ちの対局が実現したのなら,定跡では上手側が振り飛車を指すのが有力なので,藤井聡太竜王の振り飛車が見られたか。あるいは,香車落ちでも独創的な相がかりを趣向して新定跡でも作るのか。勝敗は度外視して「勝者の罰ゲーム」以上に見てみたい気がします。

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Snow Moon.

明け方の西空に沈む2月の満月。
始発の新幹線とともに写しました。 DSC_0312 (4)


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 若いころは自分が生きるだけで精いっぱいだったからあまり考えたこともなかったのですが,このごろ,藤井聡太竜王の活躍で将棋をよく見るようになって以来,棋士の生き方ってどういうものなんだろうかと考えるようになりました。
 生涯,日々,勝ったり負けたり,なんて,私には耐えられません。今日までの業績など未来には関係ない。肩書があれば勝てるというわけではない。…到底,そんな生き方はできそうにありません。
  ・・
 以前,クラシック音楽のソリストについて,毎回毎回注目を浴びて,失敗が許されない。しかも,好きな曲だけ演奏できるならともかく,気に入らない曲もある。それにも増して,日々ステージの上で多くの人に見てもらうような仕事なんて,私にはできないなあと友人に話したら,「もともと人種が違うんだよ」と言われて,妙に納得したことがあります。「彼らは失敗したらどうしよう,なんていう後ろ向きなことは思わないで,いつも,見て見て私を見て,と思っているよ」と。
 それと同じように,勝負に生きる人は,同じように,負けたらどうしよう,などとは考えずに,常に,俺の力で負かしてやろう,と思っているのでしょう。やはり,これも,私にできる生き方ではありません。やはり,もともと人種が違うのでしょう。

 何事も仕事というのはそんなもの,だと言ってしまえば元も子もないのですが,それでも,勝負の世界は日々結果が伴うだけ過酷です。しかも,だれしも,次第に齢をとって自分の力に陰りが見えてくるのです。そのとき,どんな気持ちになるのでしょう。
 実際,そのように齢をとった多くの棋士は,勝負の結果は結果として受け入れて,それとともに,自分なりにその組織でどんな役割を果たして生きていくかを考えているように感じます。それは,将棋の駒が玉将だけがすべてではなく,飛車や角行や金将や歩兵などというように,いろんな役割の駒があるのと同じなのでしょう。だから,タイトルを取るだけでなく,ひとつの組織の中で自分の存在する位置があることがその人のその職業としての存在価値になるのは,どんな仕事でも同じです。
 それは,羽生世代といわれる有能な多くの棋士をみているととてもよくわかります。全盛期のころに多くの実績を残した羽生世代の棋士は,今,組織でそれぞれがその棋士でしかできない役割を担い,存在を示しています。このように,将棋界を見ていると,ひとつの組織は,いろんな役割の人がいてこそ成り立つということが,とてもよくわかります。
  ・・
 さて,藤井聡太竜王の活躍の影で,羽生善治九段が長年維持していたA級から陥落することが決まりました。ここ数年,藤井聡太竜王の話題で盛り上がったとはいえ,そこには羽生善治という大棋士の存在があったからこそ,だったように思います。来年度の去就はまだわかりませんが,果たして,どのような形で再びファンを魅了するのでしょうか。

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藤井聡太新王将誕生。
史上最年少5冠達成。


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 朝日新聞=名人戦,毎日新聞=王将戦,読売新聞=十段戦という時代に私は将棋を覚え,家で購読する新聞を朝日新聞に代えたために,私は,ずっと名人戦や順位戦を見て過ごしました。
 覆ったのが1976年(昭和51年)のことでした。
 それは,この年,朝日新聞社が囲碁の名人戦を読売新聞社から獲得したのが発端です。これで囲碁,将棋ともに名人戦を主催するという念願がかなったのに,皮肉にも,将棋の契約金が囲碁よりずっと少なったとかで将棋界が値上げを要求し,それが認められなかったことで契約が決裂して,1年の空白ののち,名人戦が毎日新聞社に移ることになったのです。朝日新聞社はそれからもずっと名人戦にこだわり,新しいタイトル戦を開催しませんでした。
 それ以来,私は,将棋に興味をなくし,空白の時代が続きます。そこで,私は,谷川浩司九段,羽生善治九段などが名人だったときの将棋をほとんど知りません。

 名人戦を主催することになった毎日新聞社ですが,ここで問題となったのが王将戦の処遇でした。
 王将戦を開催していた毎日新聞社は名人戦も主催することになったために,ふたつの棋戦を同時に新聞に掲載することもできず困ってしまったわけです。そこで,毎日新聞社は王将戦をスポーツニッポン社に移管しました。しかし,将棋のタイトル戦としてはスポーツ紙では格下です。それ以来,王将戦は,泡沫タイトル戦のような感じになってしまいましたし,私はスポーツ紙など読むこともないので,もう,それ以降のことはまったく知りません。
 王将戦は,もともと毎日新聞社のビッグタイトルであったことから,挑戦者決定リーグ戦があり,しかも,タイトル戦は名人戦のように2日制でした。しかし,このとき以来,契約金は低く抑えられ,なんだか中途半端なものとなってしまいました。朝日新聞社は適当に将棋欄を埋め合わせしていたので,囲碁のように全国紙に鼎立する三大棋戦があるわけでもなく,これが,私が,囲碁のタイトル戦がうらやましいと思った理由でした。
  ・・
 スポーツニッポン社としても,なんらかの「色」をつけなければ,と工夫したのでしょうか。それが今も続く,勝った棋士がコスプレをして翌日の誌面を飾るといういわゆる「勝者の罰ゲーム」であり,囲碁・将棋チャンネルでのタイトル戦の生放送となったのでしょう。
 今のように,ABEMAで将棋の生中継が行われるようになったのはきわめて最近のことです。将棋の生中継が見られるようになったのは,放送開始間もないNHKBSのコンテンツとして名人戦に白羽の矢が立ったのがそのはじまりでした。そこで,囲碁・将棋チャンネルとリンクした王将戦は,当時としては独自に生放送が見られる画期的な棋戦だったわけですが,それが逆に,今となっては王将戦はABEMAで見ることができない棋戦というひずみとなっているのです。

 その後,読売新聞社では,1988年(昭和63年)に十段戦が発展的に解消されて竜王戦ができました。これもまた,囲碁の棋聖戦と同様に,読売新聞社らしいというか,名人戦を超える格を有する棋戦を「むりやり」金の力で創設したように私には思えました。将棋連盟も名人戦との兼ね合いに苦慮します。大山康晴十五世名人や升田幸三実力制第4代名人が創設に反対し,賞金額1位で棋戦の序列は上であっても,タイトルホルダーとしての序列は名人と同格ということになったそうです。大人の事情です。
 ということなので,今でも,私の世代では名人戦が唯一無二のものです。三枚堂達也七段が順位戦のC級2組から1組に昇級したときに師匠の内藤國雄九段がはじめて喜んだというのは,そういう価値観からくるものなのです。
 時代は繰り返します。
 2006年(平成18年)。三度目の名人戦の契約問題が起きました。
 私は名人戦が朝日新聞社の主催に戻ることはないとあきらめていたのですが,水面下ではいろいろあったようです。私のような単なる「観る将」が将棋界には囲碁界のような三大棋戦が全国紙に鼎立していないという不自然さを思っていたくらいだから,棋士はもっとそれを切実に感じていたことでしょう。
 紆余曲折の結果,何と,名人戦は朝日新聞社と毎日新聞社の共催という突拍子もないことが実現して,今に至るわけです。
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 時は移り,現在は平穏無事のように思えますし,藤井聡太人気で,一時「斜陽産業」とよばれた将棋界はバラ色のような感じです。しかし,名人戦が共催であったり,王将戦だけがAMEBAで見られないとか,鳴り物入りでドワンゴがはじめた叡王戦を手放したりと,結構波乱に満ちています。
 今や,将棋は新聞で読むもの,という時代は過ぎ,新聞社の威光は陰り,将棋を見るために新聞を購読するということもなくなりました。この先もABEMAで将棋の中継が続くかどうかもわからないし,読者の激減する新聞社も将棋棋戦の主催ができる余裕があるのかないのか。また,叡王戦のように,新たなスポンサーが生まれるのかどうか。
 それもこれも,将棋というコンテンツにどれだけ魅力があるかどうか,にかかっているのでしょう。

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 今日の写真は,藤井聡太竜王が以前「まだ乗ったことがないので一度乗ってみたい」と言っていた新幹線N700Supreme,背後の山は雪を被った伊吹山です。
 さて,現在,王将戦の7番勝負が行われています。この王将戦というタイトル戦は,将棋の8大タイトルの中でも異端な棋戦なので,このことについて書いてみようというのが今日のお話です。

 将棋も囲碁も,タイトル戦というのは必ずしも順風満帆に行われてきたわけではありません。
 将棋に比べて,囲碁では読売新聞=棋聖戦,朝日新聞=名人戦,毎日新聞=本因坊戦というように,3大全国紙が3大棋戦を主催していて,この3つのタイトルをすべて獲得した棋士が「大三冠」とよばれる,というように,まことにわかりやすい状態なので,私はずっとうらやましく思っていました。
 しかし,囲碁のタイトル戦も,はじめからこうした三者鼎立の状態ではありませんでした。
 最も歴史があるのは1937年(昭和14年)にできた毎日新聞社の主催する本因坊戦です。将棋にはこのころすでに名人戦があったのですが,囲碁にはなかったようです。で,1961年(昭和36年)に読売新聞社によって名人戦ができました。こうした経緯から,囲碁の名人戦というのは,将棋のように順位戦という格付けがあるわけではなく,単なるタイトル戦のひとつで,すべての棋士が予選に出場して勝ち残った棋士が挑戦者決定リーグ戦に参加,そして,挑戦者決定リーグ戦で優勝した棋士がタイトル戦に出場するというものです。
 やがて,1974年(昭和49年)に名人戦の契約問題が起き,「囲碁も将棋も名人戦」というのが念願だった朝日新聞社に移りました。その代わりに1976年(昭和51年)に作られたのが棋聖戦というわけです。

 将棋では,毎日新聞社の主催する名人戦が最も歴史があって,1935年(昭和10年)にはじまりました。それに対抗して,読売新聞社は1956年(昭和31年)に,現在の竜王戦の前身である九段戦,それが発展した十段戦というのを作りました。将棋の名人戦も,1950年(昭和25年)にやはり契約問題が起きて,朝日新聞社に移り,その結果,それに対抗する形で1951年(昭和26年)にできたのが王将戦だったのです。そんな経緯があって,私が将棋に興味をもった今から55年ほど前は,朝日新聞=名人戦,毎日新聞=王将戦,読売新聞=十段戦で落ち着いていたのです。
 しかし,将棋は囲碁とは違って,名人戦の格が高すぎました。当時は,段位はすべて順位戦で決まりました。いわば,相撲のように,本場所が順位戦であって,それ以外の棋戦は巡業のようなものといいう扱いだったのです。そこで,この名人戦を三大全国紙のどの社が主催するかという潜在的な大問題が存在するわけです。
  ・・
 そんなわけで,王将戦は,どう頑張っても名人戦には格の上で勝てません。で,毎日新聞社が考えついたのが「指し込み制度」でした。これは,7番勝負のタイトル戦で3番手直り,つまり,3勝差がついた時点で王将戦の勝負が決定し,次の対局から香落ちと平手戦で交互に指し,必ず第7局まで実施するというシステムでした。
 この制度のおかげで,奇しくも,升田幸三実力制第4代名人が家出をするときに物差しにしたためたという「名人に香車を引いて勝つ」が実現してしまったわけです。この制度は,実は今も存在しているですが,4番手直りに改められ,しかも,またどちらかが4勝した時点で対戦が終了することになったので,死文化してしまいました。
 もし,今も当時のままの制度だったら,今期,王将戦3連勝の藤井聡太竜王はすでに王将位を獲得して,しかも,次の対局は「名人に香車を引く」ということになっていたのです。

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number (2) 雑誌「Number」#1044の将棋名勝負特集!「藤井聡太と最強の一手。」を読みました。
 雑誌「Number」はスポーツを話題にする雑誌ですが,2020年の夏に恐る恐る将棋特集をしたら「望外」に売れて,それで気をよくしたのか,時折,将棋特集をするようになったように思います。
 私は,子供のころ,将棋を指すことに夢中になったことはありますが,現在は完全な「観る将」です。というのも,このごろは将棋ソフトが強すぎてまったく歯が立たないことに加え,将棋を指す時間がもったいないと思ってしまうからです。というのは言い訳で,本当は,私は,将棋というゲームを指すことの本当のおもしろさがわからないのでしょう。
 そんな私でも,藤井聡太竜王の活躍もあって,今はプロの棋士の将棋を見ることは楽しいのですが,それよりも,棋士という一風変わった人たちの生きざまに興味があります。そこで,今回の雑誌の特集も一気に読んでしまいました。

 その中で印象に残ったのは,まずは,「竜王を手繰り寄せた”異常”な終盤。」という記事の中の
  ・・・・・・
 藤井は将棋の神に愛され過ぎではないかとさえ思います。
  ・・・・・・
という文章でした。それは,終盤で,奇跡的とさえ思えるように,盤上の全ての駒の配置と持ち駒がいつも藤井聡太竜王が勝つようになっていることを指しているのですが,私は,藤井聡太竜王の将棋を見ていると,終盤で想定されるさまざまな可能性をあらかじめ読んだ上で,そうした配置になるように,まるで,序盤から長手数の詰将棋をつくるかのごとく将棋を組み立てていると感じるので,奇跡的ではないと思っています。将棋の神に愛されているというより,だれよりも将棋の神を愛しているのでしょう。
  ・・
 今回の将棋特集では,藤井聡太竜王だけでなく,さまざな棋士の話題が豊富でしたが,私がおもしろかったのは,「藤井聡太の”最強の一手”とは?」と題した若手棋士の鼎談と,もうひとつは「毒と理想のはざまで。」という永瀬拓矢王座を取り上げた記事でした。私は,こうした若い棋士たちが藤井聡太竜王の出現で脚光を浴び,その中でもがいている様に魅力を感じます。
 それとは別の意味で,「不屈の王の最後の呟き。」という大山康晴十五世名人を取り上げたもの。時の絶対王者だった大山康晴十五世名人,晩節の悲愴は,私がずっと印象に残っているものですが,最晩年になっても,まだ,若手の前に壁となり立ちふさがっていたその姿を,当時の私は,いい加減にしてよ,と思っていたのが正直な気持ちでした。それが今となっては,晩年の大山康晴十五世名人といったって弱冠68歳のことで,今の私の年齢と大差ないことに,別の衝撃をうけるのです。

 さて,今回の特集は,読みどころ満載だったのですが,この記事を書いた人の多くは,将棋ジャーナリストといわれる人たちで,新聞の観戦記なども書いています。
 毎日連載をしている新聞の観戦記は,何十年もまったく変わらず,というより,昔は結構読みごたえがあったのに,新聞の活字が大きくなったのに面積が変わらないものだからめっきり字数が少なくなってしまい,今や,1日の分量が400字詰め原稿用紙たった1枚程度で,30年前にくらべると約半分。また,このブログの10パーセントから20パーセント程度でしかありません。これでは,書きたいことのほとんどは書くことができないから,「観る将」の人には指し手の解説だけではおもしろくないし,棋士の心理描写を書くだけでは棋譜を記録として読んでいる往年のファンには評判が悪いというように,だれを対象として何を伝えたいのかわからないという中途半端なものに成り下がっているように感じます。
 この特集でこれだけ魅力的な記事が書ける将棋ジャーナリストといわれる人たちの文章力が,薄っぺらな将棋の観戦記ではほとんど発揮できないことのほうが,私には気がかりです。もったいない話です。

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 2018年春,第76期将棋名人戦の第5局が名古屋大須の万松寺で行われました。その前日の夜,前夜祭が近くにホテルで行われ,参加費を払って行ってきました。
 一度は行ってみたいと思っていただけにその機会ができて,とても楽しい時間が過ごせました。
 その後はコロナ禍になってしまい,こうした機会もなくなって,本当にあのとき行っておいてよかったと思ったことでした。

 2018年というのは今からわずか4年近く前のことなのですが,それ以来,将棋界はずいぶんと様変わりしたものです。
 このときの対局者は名人が佐藤天彦さんで,挑戦者が羽生善治さんでした。この名人戦で勝って羽生善治さんが100回目のタイトル獲得となる筋書きだと思っていたのですが,その予想は外れました。
 まだこの時期は,今輝く藤井聡太現竜王のブームがはじまったころで,名人戦に登場するのはずいぶん先のことのように思えました。また,羽生善治さんは絶対王者でした。

 前夜祭は,はじめに参加した棋士の紹介にはじまり,懇談会,そして,最後に一緒に写真を撮ることができました。
 テレビでしか見たことがない棋士の人たちといろいろとお話ができたのがとてもうれしいことでした。
 これも将棋界ならではの話で,他のスポーツやタレントさんではこうはいきません。
 なかでも,藤井聡太竜王の師匠である杉本昌隆さんとお話ができたのはよかったです。

 将来,また,こんな機会が一日も早くできるようになればいいなあと思います。それとともに,この機会を逃さなかかったことに,今更ながらこれもまた幸運だったものだとつくづく思うのです。
 運は周りにいくらでもあるのですが,それを手に入れることができるかどうかは自分の行動にかかっているのです。


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 2021年12月13日に行われた将棋新人戦記念対局が昨日2022年1月2日にABEMAで放映されました。2021年度の新人王となった伊藤匠四段の対戦相手が時の人藤井聡太竜王でした。
 このふたりは子供のころからのライバルということで話題となりました。この先,このふたりがタイトル戦で対戦するようになれば,将棋界としては万々歳だと,みんなが期待しています。でないと,盛り上がりません。
 思えば,わずか3年前,2018年度の新人王は藤井聡太当時七段で,記念対局の相手として選ばれたのは第一人者豊島将之当時二冠でした。このころから豊島将之九段は藤井聡太竜王に対して,他の棋士と対戦する以上の気合をみせていたといいます。今回もまた,そのときと同じように,藤井聡太竜王は将来のライバルとなるかもしれない伊藤匠四段に非公式戦とは思えない白熱した対局をしたということです。

 それにしても,急に一般の関心を集め出した将棋界というのも大変です。
 以前なら愛好者だけの関心事だったので,古きよき時代ののんびりさやら,演出がありました。将棋界は商売上手で,藤井聡太という棋士のデビュー戦が加藤一二三九段というのも,意地悪な予測をすれば,演出気味だったし,最年少タイトル獲得というのも,コロナ禍でその達成が絶望視された中で苦し紛れのスケジュールの中で行われたものだと思うのですが,それでよしとしたものです。
 それが,新たなファンが殺到したものだから,これまではそれほど話題ともならなかった記録というものが,プロ野球のように重きをなしてきたわけです。そこで,録画で放映するNHK杯とか銀河戦などがその時間差から放映されるまで記録に含まないという古きよき伝統があるので,さまざなな議論が生まれていたりもします。収録から放映まで2週間程度のNHK杯ならまだしも,3か月も前に収録するような銀河戦の扱いは,やはり,今の時流からは問題かもしれません。
 今回は,現在までの伊藤匠四段の年間勝率が藤井聡太竜王より上回っているとかで,さらに盛り上がっていたのですが,実際は,その勝率にはすでに対局が行われたのに未放映の銀河戦が含まれていないので,それが勝ちであろうと負けであろうと,実際は32勝7敗ではないわけです。さらに,あるサイトによると,未放映の銀河戦のことではなく「4月11日に放映されたNHK杯での伊藤匠四段の負けが記録に含まれていないから実際は32勝8敗」とあるのですが,その対局は放映日が今年度であっても収録は2020年度だと思うので,将棋連盟のミスではなく,そのサイトの間違いでしょう。
 ということで,以前ならほとんどの人が興味のなかったことがかまびすしくなっている状況なのです。

 さて,私は,そんな記録よりも,「Floodgate」(コンピュータ将棋連続対局場所)のほうにむしろ興味があります。これは,コンピュータソフト同士による将棋の対局の場だそうですが,今,ここで最も話題となっているは,先手が既出のさまざな戦法を用いても,AIによる将棋では究極的にはみな千日手になってしまうで,これを打開するための革新的な初手,たとえば▲6八玉といった手を指す必要があるといった話です。
 そこで私は思うのですが,この先,量子コンピュータなるものが実用化されてしまったとき,本当に将棋の結論が出てしまうのではないか,ということです。つまり,あらゆる手を順番に樹形図として書いていったときに,必然的に結論が出てしまう。もし,その結論が先手必勝だったとしたら,後手がどんな手を指しても,樹形図にしたがって先手が最善手を指し続けていけば,その結果,必ず先手が勝ってしまうし,もし,結論が千日手だったとしたら,やる意味がない。であれば,将棋というゲームは終焉を迎えてしまうわけです。そのときにまだ人間の将棋の対局があったとしても,コンピュータの結論を人間が暗記できるかどうか,というだけの話となります。つまり,ミスをしたほうが負け。
 しかし,そこまではいかずとも,今すでに,プロ棋士がAIの示した最善手をいかに正しく指せるか,みたいなことになりつつあるわけで,今回の新人王戦の記念対局でも,何度か「これは人間には思い浮かばない」というAIの示す最善手を藤井聡太竜王が指して,解説者をうならせていました。現在はそれでみんな感動するのですが,このことは「藤井聡太という高性能コンピュータ」の指し手に対して相手がミスをすれば負け,みたいな状況になっているようなものです。
 いずれにせよ,コンピュータのハードウェアとソフトウェアの急激な発達で,将棋の終焉は思った以上に早くやってきてしまうのかもしれません。


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 これまでに書いてきたのが現在の人工知能をとりまく状況です。
 そうしたことを知ったうえで身の回りを見渡したとき,この国でやっている報道の分野もまた,あまりに遅れたものであることに気づくでしょう。
  ・・
 私はテレビは暇つぶしの娯楽としか思っていないので,民放のワイドショーはもちろんのこと,ほとんどの報道番組は見ません。
 以前はNHKのニュースは見ていたのですが,コロナ禍以降,何を知らせたいのか全く意味不明で,これもまったく見なくなりました。やっていることは感染者の数ばかりで,こんなことを相も変わらず1年以上も放送しているようです。不安を煽るだけで,何が伝えたいのかまったくわかりません。さらに,アナウンサーのまるで小学校の教師のような説教口調が気に障ります。少しはCNNでも見習えばいいのにと思います。

 オリンピックやパラリンピックもまったく興味がないので,1秒も見ませんでしたし,私は日本のプロ野球も高校野球も関心がありません。
 私がこれまでスポーツ中継で見ていたのはMLB中継と大相撲中継でした。しかし,MLB中継は英語での放送しか見る気がしません。これもまた日本のアナウンサーや解説者の話が聞きたくないからです。NHKのスポーツ中継のアナウンサーは昔から独特なもの言いで,私はきらいです。そんなアナウンスはないほうがいいくらいに思っています。またどんな番組も途中でニュースを挟む意味がわかりません。今は,MLBのライブ放送がYouTubeで英語で放送されるようになったので,もっぱらそれを見るようになりました。ABEMAもすべて英語のまま放送すればいいのに,どうしてわざわざ日本語のアナウンサーをつけるのか,私には理解ができません。
 大相撲は従来から北の富士勝昭さんの解説以外は見る気になりませんでした。しかし,横綱稀勢の里の引退後,今は,大相撲そのものにまったく興味がなくなってしまったので,遠ざかりました。先場所など,もし見ていたら不快になっただけでした。
 インターネット中継が発達して,もはや,従来のNHK放送そのものがものすごく時代遅れのものに思えます。そんなものに月2,000円以上もする受信料をほぼ強制的に取り立てる意味がわかりません。

 さて,ここから,やっと将棋の話です。
 これまでに書いてきた科学技術の発達で,将棋もまた「将棋AI」とかなりの関わりをもって行われるようになって来ました。
 藤井聡太三冠の活躍で,ABEMAでは将棋の放送をひとつのウリとしています。将棋の放送では,解説者と聞き手が「将棋AI」を使いながら,素人に,難しい将棋をわかりやすく説明をしてくれます。しかし,この解説というのが意外とむずかしいのです。出来不出来の差が大きすぎます。
 解説者によって内容の難易度がさまざなのはよいとして,あまりに不勉強な棋士が解説者として出演するといやになります。特に藤井聡太三冠の将棋はとても高度なので,解説者が将棋の内容を理解してその意味をわかりやすく伝えてくれたときはものすごく感動しますが,その反対であると飽き飽きします。という以上に,せっかくのすばらしい棋譜のよさが伝わらず,台なしになってしまいます。
 このように,「将棋AI」によって,解説者の実力がたちどころにわかってしまうのです。
 解説で登場する棋士の中で私がすばらしいと思うのは,たとえば,広瀬章人八段,戸部誠七段,高見泰地七段,及川拓馬六段などです。とりわけ,高見泰地七段はすばらしいです。先日の叡王戦第5局の終盤における「藤井聡太のAI超え」といわれた▲9七桂の解説など絶賛に値します。
  ・・・・・・
「エッ,そこですか? これは考えていなかった」
「アッ,そうか。(次の)▲8五桂が詰めろになっている可能性はないですか?」
「藤井将棋はこれがあるというか。超手数の詰めろになっている可能性があるというか。普通の人とは見る世界が違っていますね」
  ・・
「コンピュータは▲9七桂をちょっとといっていますが,自分からするとすばらしい手というか。人間にとってはいい手だなあと思いましたね」
  ・・・・・・
 指した当初,「将棋AI」は▲9七桂を悪手と認定したのですが,実際は,5分以上「将棋AI」にさらに深く読ませると,▲9七桂はやはり最善手だったそうです。それを2分の考慮時間で指した藤井聡太三冠はもちろんのこと,その手のすばらしさをコンピュータより先に指摘した高見泰地七段の解説はみごとでした。解説が高見泰地七段でよかったと思いました。

 それに対して,年配の棋士の中には,まったく勉強していないというのが明白で,単におじさんの小遣い稼ぎのようなものがあります。そうした棋士の人柄がいいとか話がおもしろいということと解説とは別問題で,私はそうした棋士の漫才が聞きたいわけではないのです。あれでは藤井聡太三冠の読みの深さがまったく伝わらず,埋没していまいます。それだけならともかく,さらに,古い価値観で正しい指し手を批評するような人は,むしろ害があるくらいです。
 解説者というのは,対局者以上に勉強が必要で,自分の勝敗とは関係がないとばかり,適当にやられては困るのです。

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 人工知能の目標は,入力を論理的に解釈し,出力を人間に説明できるソフトウェアを実現することです。 人工知能は,人間とソフトウェアの間に人間同士のような対話をもたらし,特定のタスクに関する意思決定を支援しますが,人間に取って代わるものではなく,近い将来にそうなる可能性もありません。
  ・・・・・・
 高度な情報社会では,人工知能について様々な研究がなされ,実現されるようになってきました。
 人工知能は,車の自動運転や医療,画像認識,自動翻訳などいろいろな分野で活用されているのですが,そうした学問的な研究を発展させる題材のひとつとして,将棋や囲碁があるのです。それを「将棋AI」とか「AI碁」とか名づけて,楽しんでいるわけです。

 近年「将棋AI」は将棋の研究に,そして「観る将」といわれる将棋ファンになじみのもとなっています。「観る将」にとれば,将棋を楽しむための手段ですが,将棋を生業とする棋士の人たちにとってみれば,勝敗に直結するだけに,それをどう活用するかは死活問題です。
 現代社会は,スマホすら使いこなせない年配の人にとっては過酷な時代ですが,それは将棋の棋士にも同じようにあてはまります。
  ・・
 今のプロの棋士の対局を観戦していると,そういった最新技術を使いこなせている若手の棋士と,そこに乗り遅れてしまったベテランの棋士とでは,まったく違うゲームをやっているようにさえ思えます。つまり,同じ局面を見てもベテランの棋士と若手の棋士とではその評価が異なるのです。だから,ベテランの棋士が若手の棋士の対局に解説者として登場しても,もはや,解説は重荷のようにさえ思えます。
 彼らの多くは当然それを知っているから,将棋の「手」の解説はできるだけ避けて,昔話をしたり,雑談したりして,お茶を濁して時間を稼いているように私は感じます。娯楽として楽しむには,技術的な話などどうでもいいと思っている「観る将」も少なくないので,それなりにその存在意義はあるのでしょう。
 しかし,醜いのは,ベテランの棋士の中で,そういう時代であるということすら認識していない人です。そのような棋士は,昔はそうは習わなかった,とか,私はそんな手はいい手とは思えない,というような過去の評価で解説ぶった話をします。しかし,それは「解説」ではなく「怪説」です。
  ・・
 そうしたベテランが棋士が本業である対局をするとき,ベテラン同士の対局はふたりとも同じ価値観だからコロコロと優劣が変わる昔の将棋を見ているようなもので問題ないのですが,若手と対局をするときにそれが如実に現れてしまい,まったく歯が立ちません。
 しかし,ベテランであっても上位を保ち続けている一部の棋士は,さすがにその危機的な状況がわかっています。渡辺明名人が140万円するコンピュータを買ったというのは,まさに,そうした新しい流れに乗り遅れないために必死だからでしょう。

 この先の話は次回にして,以下,話が逸れます。
 それでもまだ,将棋のような娯楽の分野はいいのです。
 現在の教育においてもまた,同じようなことに直面しているにもかかわらず,大多数の人たちは,そんな社会の急激な変化についていけず …ならまだしも,社会が急激に変化しているということを知らない,という点が大問題なわけです。
 人工知能の発達で,従来の主要5教科とよばれた分野で学習していた内容よりはるかに膨大でかつ従来とは価値観の異なる情報科学の知識をこれからの若者は社会に出たときに必要としているにもかかわらず,それを今の学校教育ではほとんど学習しない,そして,できないわけです。 そしてまた,そのことすら,教える側の多くがわかっていないのです。さらに,わかっていない有識者がカリキュラムを作っているのだから,救いようがありません。
  ・・
 教育に限らず,時代の変化にもっとも遅れをとってしまっているのが政治です。
 おそらく,日本の政治家のほとんどは,新しい技術の急激な発展に社会がさらされていることすら認識していないことでしょう。そうした彼らがこの国の政策を決めているわけです。専門家がそれを助ければいいのですが,なにせ,今の政治家は専門家を軽視する風潮が著しいのです。
 こうして,現在,この国が迷走をしている様は,まさに黒船が来航したとき匹敵する危機的な状況となっています。
 結果の善悪はともかくとして,黒船が来航した時代は,自分を犠牲にして国を守ろうとしていた若者たちの中に,西洋に出かけて当時の最新の知識を習得して帰国した「維新の志士」もいました。かれらはある意味めっちゃくちゃな人たちでしたが,莫大なエネルギーがありました。しかし,残念ながら,社会の変化についていけない保守層がいて,そこで軋轢が生まれ,そのほとんどは暗殺され,また,多くの悲劇が生まれました。
 そうした歴史を考えたとき,今もまた,社会の変化についていけない権力を握った保守層によって,今の若者には明日につながる知識が与えられず,それどころか,エネルギーを奪い取られてしまっているような気がしてなりません。


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 将棋でコンピュータが人間に勝ったというニュースなどで,ここ数年,人工知能が脚光を浴びるようになりました。そして,それとともに機械学習とかディープラーニングという言葉が一般に使われるようになってきました。
 人工知能というのは私が大学生のころ,つまり今から40年以上も前から研究はされてきましたが,今のようにコンピュータが一般化されていなかったので,当時は夢物語でした。そんなことはできるわけがないと浅はかな私は思っていましたが,それが現実のものとなりつつある時代です。
 将棋や囲碁でコンピュータが人間を負かしたとかといったことで大騒ぎをしていますが,多くの人はその意味の重大さをわかっていないように思います。私は,人類は恐ろしいものに手を染めはじめたものだという恐怖すら感じるのですが…。
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 以前,アメリカのテレビドラマ「宇宙大作戦」について書きましたが,あのドラマで描かれていたことの多くが,今,実現しているのを見ると,私はすごく興味を覚えます。アメリカには,あの時代にすでにあのような発想ができる人がいたというのがすごいことです。
 確かに,ドラマの中には,今見るとまったく滑稽であったり,装置の物理的なボタンとかブラウン管のディスプレイなど,「予言」がまったく異なっていたことも多くありますが,ソフトウェア的な側面からみると,おおよそはその予言どおりになっているのに驚きます。それが人工知能です。

 人工知能は今では一般にもAIとして認知されていますが,人工知能というのは人間の知的ふるまいをソフトウェアを用いて人工的に再現しようとする試みです。
 人工知能(Artificial Intelligence=AI)という用語がつくられたのは1956年のことですが,データ量の増大,アルゴリズムの高度化,コンピューティング性能やストレージ技術の発展といった近年の動向によってそれが実現されるようになったことで,広く知られるようになってきました。
 人工知能は,大量のデータを高速な反復処理やインテリジェントなアルゴリズムと組み合わせ,ソフトウェアがデータ内のパターンや特徴から自動的に学習できるように,大枠の動作をプログラミングすることで機能します。人工知能の研究は次のようなアプローチがされています。
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●機械学習
 人間が経験を通して自然に学習することを,同じように,コンピューターに大量のデータを与えて,人間が特徴から定義を与えて,その定義をもとに,コンピュータが自らアルゴリズムを導けるようにするものです。その際,既定の方程式をモデルとして用いることなく,データから直接的に情報を「学習」することで新たなアルゴリズムを導くのです。
 機械学習は,人間が調査範囲や結論を決めてプログラミングするのではなく,統計,オペレーションズリサーチ,物理学など様々な手法を活用することで,コンピュータが自らデータ内に埋もれている洞察を発見します。
 機械学習には,ニューラルネットワークを活用したディープラーニングなどがあります。
〇ニューラルネットワーク
 脳のニューロン(神経細胞)のように,相互に接続された処理単位で構成されます。これらの処理単位が外部からの入力に応答し,互いに情報を受け渡すことによって情報を処理します。
〇ディープラーニング
 処理単位が多階層化された大規模なニューラルネットワークを活用し,コンピュータ自身が特徴を見つけ,自働的に定義するものです。コンピュータの性能の進歩とトレーニング手法の向上によって,大量のデータから複雑なパターンが学習できるようになってきました。
 一般的な用途としては,画像認識や音声認識などがあります。
●コグニティブコンピューティング(Cognitive Computing)
 コグニティブコンピューティングは,人間のように自ら理解,推論,学習するシステムです。コンピュータがデータを自律的に判断し処理するため,同じデータを入力しても同じ出力が得られるわけではなく,複数の選択肢の中から状況に応じて最善の答えを導き出します。
 たとえば,画像データからどのような部分に異常があるかを自己学習し,人間の感覚や経験に頼るよりも正確で安定した判定が可能になります。
●コンピュータビジョン
 パターン認識とディープラーニングにより,写真やビデオに何が写っているかを認識します。
 コンピュータが画像を処理,分析,理解できるようになると,画像やビデオをリアルタイムで取り込み,撮影場所の周囲の状況を解釈することも可能になります。
●自然言語処理(Natural Language Processing=NLP)
 コンピュータが人間の音声から言語を分析,理解,生成できるようにすることを目指します。
 自然言語処理の目指すのは「自然言語による対話」です。これが実現すれば,人間は普通の日常的な言葉でコンピュータとコミュニケーションができるようになります。
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 近ごろ,藤井聡太三冠や渡辺明名人が,ディープラーニングを用いた将棋ソフトを導入したといって話題になりました。
 ディープラーニングを用いた将棋ソフトは,初期の将棋ソフトが人間が指した将棋の棋譜を大量に学習させることでデータを構築し強くしたのに対して,ルールなどの基本的な情報を与えるだけで,それをもとにコンピュータが自分で対局を繰り返して実力をつけていくというものです。
 このように,今では,コンピュータが自ら学習をしそれをもとに,まさに考えるようにして実力をつけはじめました。それに対して,相変わらず,人間が,自分の頭で考えるのではなく,ドリル学習のように,お手本をもとに見よう見まねで問題を解いたり穴埋めをしているのを「お勉強」と称しているようでは,先々が思いやられます。


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 2021年,王位,棋聖ふたつのタイトルの防衛に成功したのが藤井聡太二冠ですが,現在のABEMAの将棋中継は,AIを使った形勢判断が数値化されて表示されるので,将棋がわからない人にもどちらが有利なのかがわかるようになっています。 また,こうした数値はグラフとしても表示されています。
 そこでよくいわれるのが「藤井曲線」です。これは2番目の写真のように,優勢の評価値が徐々に増えて無敵に勝利することです。
 また,終盤になると考えずに(1分未満は切り捨て)持ち時間を○分か残してその後は全く減らないことを「藤井二冠の永遠の〇分」ともいいます。

 ということまではいろんなところで書かれているお話ですが,今日の話題は,私が思う藤井聡太二冠の戦略です。藤井聡太二冠は自分からことばでは言いませんが,対局を観戦していると,いつもずいぶん工夫と改良をしているのが棋譜からわかります。えらいものです。
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●序盤で1手「少し変わった手」を指す。
 よく「新手」といわれるのですが,この「少し変わった手」というのは,実際,その手で形勢をよくしようというよりも,序盤で予期しない手を指すことで相手が考慮時間を使う必要が生じて,自分のペースに持ち込もうという作戦でしょう。
 「少し変わった手」というのは失敗するとまずいのでなかなか指す勇気が起きないのですが,今は,AIで事前に研究ができるので,AIがその手を悪く評価しさえしなければ指せます。それで互角ならいい,という感じでしょう。
 以前は,対丸山忠久九段戦や対大橋貴洸六段戦,対千田翔太七段戦のときのように,そうした「少し変わった手」を先に指されて序盤で考慮時間を使い苦戦したことがあったのですが,今はそれを逆手にとって使っているようです。
●中盤で一度「攻撃を止めた手」を指す。
 中盤の勝負所まではかなり積極的に相手のスキを見つけると攻撃をしかけますが,それがうまくいったときは一度「攻撃を止めた手」,つまり,1手貯金のような手を指します。
 その手を指すと,一瞬AIの評価値が下がることがあるのですが,手が進むにしたがって次第に戻ってくることがほとんどです。こうした手がよく「AI越えの1手」とかいわれて話題になっています。
 この「攻撃を止めた手」が終盤で自陣の防護に生きることが多いのですが,まれに,対深浦康市九段戦のときのように裏目に出ることあります。しかし,ほとんどの場合は,ここで意表を突かれた相手が考慮時間を多く使って次の手を間違えます。
●終盤の入口からは「超手数の詰将棋を作るような手」を指す。
 終盤戦に入ると,盤面全体を見て,まるで超手数の詰将棋を作るように駒の配置をする手を指します。藤井聡太二冠の将棋は,終盤戦になるとすべての駒が生きてくるのですが,それは,こうした手を指すことで生まれます。相手の玉将が逃げ出したときになぜかたまたま端に歩兵がいるから詰む,あるいは,その反対に,自分の玉将が逃げていったときはたまたまそこに守り駒がいるから詰まない,そんな局面がよくあるのですが,それはたまたまではなく,それを見越して事前に駒が配置されているからなのです。こうなると,独擅場となります。
 対渡辺明名人戦や対木村一基九段戦で大逆転勝利をしたことがありますが,それは,不利な局面で終盤戦に突入したときに,このあたりで,多くの毒まんじゅうが仕掛けられているからです。
●最終盤は「1手違いの手」で勝利する。
 最終盤は安全勝ちを狙わず踏み込むことで,つねに1手違いになるので,得意の詰将棋の力が発揮されます。相手より手が見えるので,考慮時間も使わず,逆転もされません。また,不利なときは,相手が間違えて逆転します。
 ここで間違えて失敗した唯一の対局は王将戦での対広瀬八段戦でした。この失敗での教訓から,常に,最終盤で数分残すようになったのですが,これが「藤井二冠の永遠の〇分」とよばれるものです。
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 藤井聡太二冠の勝将棋の多くが「藤井曲線」を描くのとは違って,他の棋士同士の対局を見ていると,終盤になって,評価値がおもしろいほど揺れ動き,乱高下します。逆転につぐ逆転というのも少なくありません。
 おそらく,AIで評価値が示されるようになる以前の将棋は,わからなかっただけで,こうした終盤での大逆転ばかりだったのでしょう。今も,年配の棋士の場合,おそらく深く読み切っていない,というか,読みきれないのでしょうか,感覚だけで指している感じなので,どんなに差があっても常に勝敗がひっくりかえります。
 「観る将」は,藤井聡太二冠の対局を見慣れてしまったので,そうした対局があまりに下手に見えます。特に,これまで将棋をあまり見たことのない人には,そうしたコメントが多いという話です。しかし,その逆に,このハラハラ逆転こそ,人間同士の対局の魅力だという人も少なくありません。
 羽生善治九段が多くのタイトル戦を戦っていたころの,対森内俊之九段戦とか対佐藤康光九段戦なんて,終盤での詰むや詰まざるやが,今のようなAIで正解手がわかっている時代とは違い,どの手が正解手かわからないので,どちらが勝っているんだろうといった感じで見ていて,すごい迫力でした。今は,そのころとは違って,観戦者は,AIによってどちらが優勢かがわかるので,迫力は同じでも,対局者が次の正解手を指すか間違えるかをハラハラしながら見るようになりました。善悪は別として,観戦する側は,将棋の楽しみ方がまったく変わってしまったのです。
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 少し前のA級順位戦で,羽生善治九段が対豊島将之竜王戦の最終盤,逆転してAIが優勢だとした局面で投了してしまったことがありましたが,これこそがAI以前に将棋の修行をした羽生世代の局面に対する形勢判断とAIによる形勢判断の違いなのでしょう。つまり,AIによって局面が評価されるようになって,同じ局面であっても,AIで研究をした世代の棋士とそれ以前の世代の棋士とでは,その価値判断が変わってしまったのです。そこに,年齢による終盤力の衰えが加わって,羽生世代の棋士は同じ年代の棋士にはいい勝負ができても今の若手には苦戦することになるのです。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 7月3日に行われた第92期将棋棋聖戦第3局で藤井聡太棋聖が勝ち,3連勝で棋聖位を防衛しました。  
 私は今から50年以上前からの将棋好きです。将棋を覚えたころは,特に,升田幸三実力制第四代名人の大ファンでした。しかし,私が興味をもったときはすでに全盛期を過ぎていて,時折見せる無類の強さと圧倒的な構想力はあっても,あっけなく負けることも多く,「勝てばもっけもの」というスタンスで応援していました。また,その次の世代にファンになった米長邦雄永世棋聖は,ライバルであった中原誠十六世名人に歯が立たず,このときもまた,同じように「勝てばもっけもの」という感じでした。
 また,大相撲も好きで,横綱柏戸,そして,横綱北の富士のファンでしたが,やはり,最強とは程遠かったので「勝てばもっけもの」で応援していました。
 そこで,ファンになった棋士や力士は勝ち負けを越えて,将棋や相撲を楽しんでいたように思います。

 ところが,歳をとったせいなのかどうか,将棋に限らず,大相撲でも,このごろの私は,ファンになった棋士や力士ができると,勝負の内容よりも結果が気になって,逆に楽しむことができない性格が強くなってしまい,それが自分でも嫌になります。
 数年前の横綱稀勢の里がそうでした。そして,現在の藤井聡太二冠の将棋がまさにその状況です。
 それでも,明らかに格下の棋士との対戦なら安心して観戦できるのですが,現在の藤井聡太二冠の3つのタイトル戦である,今回の棋聖戦と,王位戦,叡王戦,中でも,対戦成績が極端に悪い豊島将之竜王との対戦になった王位戦と叡王戦など,王位戦第1局の完敗も引きずって,ライブ中継を楽しむことができないのです。
 そんなわけで,結果を知ってから楽しむ,という,邪道に走ってしまうことになるのですが,棋聖戦第3局は,終盤戦のはじめのところだけ ABEMA 中継を短時間見て,こりゃ負けだと思っていただけに,翌日の朝結果を知ってびっくりしました。それは,新横綱となったときの稀勢の里関が千秋楽で大逆転優勝を飾ったときもそうでした。このときも,中継は見られず,あとで結果を知りました。
 勝負というのは,時折,こうした,考えられない結果が起きるのです。そこが魅力で,本来は,そういう勝負の姿を生でハラハラドキドキしながら観戦することこそが魅力なのでしょうが,私にはそれができません。情けない話です。

 それにしても,現代の将棋はあまりに難しすぎます。
 私が覚えたころの将棋のタイトル戦は,大山康晴十五世名人の影響で,居飛車と角道を止める振り飛車の対抗形ばかりで,まず,王将を囲って,そのあと囲いの反対側で戦いを起して,先に相手の陣地にたどり着いたところからさあ詰ますぞ,という感じになるのです。そこで,終盤の詰むや詰まざるやの攻防こそ現在の将棋と同じような難しさはあっても,それまでのしのぎ合いはのんびりしたものでした。
 それが,現在の将棋は,序盤から詰むや詰まざるや,のような感じになってしまうので,ずっと難解な詰将棋かパズルを解いているような感じです。素人が気軽に楽しむ,ということからは超越してしまっています。今回の棋聖戦第3局はその中でもさらに難解で,私には,到底理解できないものでしたが,翌日,YouTube にアップロードされた多くの番組を見ていて,何か,ものすごく感動しました。話題になっている96手目△7一飛のただ捨て,震えました。それだけでなく,この対局は終盤でどちらも最善手以外を指したら負け,しかも,最善手は将棋AI が示してもその意味がプロ棋士でもわからない,そして,それが本当に最善手かどうかも定かでないというほど複雑なものだったというから,これこそが将棋の魅力なのでしょう。これを見ると,私がぐちゃぐちゃここで書いていることや,勝ち負けにこだわるなんて,次元が低すぎて情けなくなります。
 こうした人間業とは思えない現代の将棋を指すトッププロの対局は,将棋AIと,わかりやすい多くの解説があるからこそ,だれしもがその魅力を味わうことができるのでしょう。すばらしい時代です。私も,勝負の結果など超越して,この魅力をライブで堪能できるようにならないともったいないのですが…。

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 確か小学校の3年生か4年生に将棋を覚えた私は,そのころ勉強などまったくしないで,将棋ばかりをやっていました。才能がなかったのが幸いで,将棋で身を亡ぼすことはありませんでしたが,今でも「観る将」として楽しめるのはそのころに凝ったおかげなのでしょう。
 当時,将棋のタイトル戦でもっとも権威のあった名人戦は朝日新聞の独占で,ABEMAもSNSもない時代,朝日新聞をとっていないと情報はほとんど手に入りませんでした。
 また,東京の有楽町の朝日新聞社前には,名人戦がはじまると大きな将棋盤が特設されて大盤解説をやっていたようですが,名古屋という田舎に住んでいた私には,東京なんてニューヨークより遠いところで,有楽町なんてまさに夢の世界でした。

 将棋欄の名人戦を見たいだけが本当の動機なのに,いろいろと屁理屈をつけて親を説得し,やっと我が家に朝日新聞が配達されるようになったのは1971年(昭和46年)4月のことでした。それは今からちょうど50年まえのことです。
 幸いにも,この年の第30期将棋名人戦は,最後の名人戦挑戦となった升田幸三・当時九段対時の絶対王者・大山康晴名人でした。
 第1局がはじまったのは,1971年(昭和46年)4月7日で,場所は東京・赤坂の「福田家」でした。確か,前日は雨の日でした。毎年,こうして,桜が咲き,春雨の降るころに将棋名人戦がはじまり,セミの鳴くころに終わるのですが,それは今も変わりません。
 「福田家」とか書いてあっても,それがどういうところなのか,想像もつきませんでした。料理旅館とは何ものぞ? 何か,すごいおとなの世界を垣間見たような気がして,ときめきました。

 第30期将棋名人戦は升田式石田流がさく裂して,奇しくも3勝4敗で敗れはしたものの,升田幸三九段が大山名人を一時は3勝2敗まで追いこんだ有名なタイトル戦なので,今でも,多くの書物などで語られています。そこで,第2局から第7局までの棋譜はいくらでも目にすることができます。特に,第3局は升田将棋の最高傑作といわれていて,△3五銀のただ捨ては「天来の妙手」となっています。
 しかし,どういうわけか,どこを探しても第1局がどこにも収録されていないのです。私もスクラップしてあったはずなのですが,いつの間にかどこかに失くしてしまいました。そこで,私は,この第1局を図書館に出かけて朝日新聞の縮尺版から探し出しました。その幻の第30期将棋名人戦第1局が今日の話題です。

 この将棋が歴史的に抹消されてしまっているような感じになっているのは,おそらく,第7局までもつれこんだことで,書物などにはあえて第1局を収めるスペースがないことと,第1局を削除するのは,この将棋だけがこの期の名人では凡局であり,特筆すべきものがなかったからでしょう。しかし,私には,初体験の将棋名人戦。いたるところに定跡とははなれた戦いがあって,へ~,名人戦というのは本にかかれてあるのとは違うこういう将棋を指すものだ,と感動した記憶があります。
 新聞の観戦記を読むと,66手目の△8六歩,そして,それに続く68手目の△7五歩という封じ手前の2手が指しすぎで,この先はもう後手の升田幸三九段は勝てない,とあります。当時の観戦記には最終譜に木村義男十四世名人の講評というがあって,そこにもそう書いてあったし,のち発売された将棋雑誌にも,そのように升田幸三九段が局後に語ったとあります。
 その将棋をAIで調べてみました。
 すると意外なことに,66手目や68手目は当時書かれていたような悪い手ではなく,さらに,その後の83手目まで升田幸三九段が優勢となって評価されるのです。AIによると,84手目の正解手は△3四桂ですが,実際の指し手は△7八銀成で,これで差が縮まりました。しかし,それでもまだ後手有利でしたが,問題は101手目の▲5七同銀に対する応手でした。ここで後手が△6五桂と指せばまだ有望だったのですが,△8八角成が大悪手で勝敗が決定したというのです。これがAIの結論でした。
 意外な結果でした。そんなこと,当時はどこにも書いていなかったし,だれも指摘しませんでした。
 大山・升田,そして,木村という大豪がいう話に口をはさむことができる人なんていないし,観戦記者はいわれたまま書いているだけだったのでしょう。

 先日,第79期将棋名人戦のA級順位戦,羽生善治九段と豊島将之九段戦で,128手目,豊島将之九段の指した△6五歩で,AIは先手の羽生善治九段が勝勢と判断している局面なのに,羽生善治九段が投了したということがありました。それだって,AIがなければわからなかったことです。
 また,それ以外の多くの対局をABAMAで見ていると,終盤戦になると,対局者も解説者も正解手がわからず指せず,1手指すごとに評価値がおそろしく揺れ動くという場面が多々みられます。AIの示す正解手どおりにほぼ指し手が選べるのは藤井聡太二冠だけです。つまり,AIと藤井聡太二冠だけが正解を知っている世界なのです。
 これが,人間の戦いのおもしろさというか,たかだか人間の能力はこの程度と考えるべきなのか,私には,さっぱりわかりません。いずれにしても,これまで,棋士が解説していたことが本当に正しかったのだろうか,という疑いだけが残ります。
 そこで,従来のように手の是非の解説をしていても言っていることに信憑性がないのだからそれを知ったところでむなしいだけなので,そうしたことはAIに譲り,人間は,経験に基づいて,対局者はこの局面ではどう考えているのか,感情的にどんな状況なのか,どんな心理状態なのか,といったような,人のこころの動きやら弱さやらに重点を置いて解説をしたほうが,より魅力的であるように私には思われます。

 新たにNHK杯の将棋トーナメントにもついにAIが導入されました。しかし,残念なことに,新聞の将棋欄を第30期将棋名人戦の将棋欄と比較すると,今の将棋欄は当時よりも文字が大きくなりその分文字数が減っただけで,50年前と何も変わらずです。これでは読む価値がありません。
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 話は飛躍しますが…。
 コロナ禍はさっさとワクチンを接種すればそれで解決するのにもかかわらず,ワクチンひとつ作れず認可もおそく輸入も後手にまわっているのに,それを棚に上げて,感染者が何人増えたとか減ったとかいう意味のない数字だけをあげつらい,自粛やら気のゆるみやらとグタグタと精神論を並べておいて,そのくせ,自分たちは懲りもせずに宴会やったり聖火リレーやったり,金鯱を降臨させて疫病退散を祈願しています。あげくの果てには策がなくなって,ついに「マンボウ」とかいうおさかなさんまで登場です。それは,大学合格者の数字で学校のレベルを測ることを未だに教育と勘違いしていたり,第2次世界大戦で竹やりで敵の飛行機を落とそうとかバケツリレーで火を消そうとかやがてはカミカゼが吹くとか,そういうのと同じ発想です。マスコミも同類です。そもそもこんな時期にオリンピックをやろうなんて,究極的な気のゆるみです。精神論で解決できるのなら科学技術は必要ありません。昔と何も変わらない懲りない国です。
 新聞の将棋欄の保守性もそれと同じなのでしょうか。

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 3月23日に行われた第34期竜王戦ランキング戦2組,藤井聡太二冠(王位・棋聖)対松尾歩八段戦をABEMAで観戦しました。おそらく藤井聡太二冠が勝利するだろうと,はじめのうちは「ながら見」をしていたのですが,それがそれが,手に汗握る好局となり,途中からは見入ってしまいました。
 評価値が80パーセントであっても,藤井聡太二冠の将棋は,つねに,正解手を指せば80パーセント,それ以外は逆転といった,クレパスを避けながら歩くような感じ,あるいは,薄氷を踏んで歩くということになるので,最後までハラハラどきどきです。
 この勝負もまた,57手目にただでとれる飛車をとらずに▲4一銀と銀をただで捨てるという手を指さなければ勝負がどう転ぶかわからなかった,という緊迫した局面になりました。

 この対局は,解説の藤森哲也五段の話術がとてもおもしろくて,好局に花を添えました。藤森哲也五段曰く,将棋AIが示す正解手▲4一銀は「人間界では思いつかない手」だそうです。プロが思いつかないというのだから,それを藤井聡太二冠が指せば,それは神話になります。
 ということで,ここが最大の見どころとなりました。
 この手以外にも,同じように,こんな手は並みの人間には指せない,というものが,実際に出てきたものと読みの中だけで出てきたものを合わせてふんだんにあって,酔いしれました。おそらく,こんな将棋を見せつけられたら,ほかの棋士は脱帽でしょう。頭の中,というか,才能が違い過ぎるのです。
 藤井聡太二冠の将棋はABEMAで中継されるので,そうした並はずれの棋力を生で体験することができます。だから,これを見たほかの棋士はその力の差を実感してしまうので,実際に対局するとき,戦う前から脱帽し,勝てなくなってしまうのでしょう。

 と,ここまでは将棋のお話でしたが,私がそれ以上に興味があったのは,コマーシャル契約をしたサントリーと不二家の商品の扱いでした。まず藤井聡太二冠のカバンから出てきたのは不二家のチョコレート「ON」でした。これをむしゃむしゃ。箱はしっかり横に置かれていました。そして,▲4一銀を指して優位が確定したころに取り出されたのがサントリーの「伊右衛門」。飲み終えると,ラベルがカメラに見えるようにさりげなく置かれました。そして,それ以外の飲み物はコップに注がれて,カバンにしまわれました。
 今後,藤井聡太二冠はこうしていつも,不二家以外のお菓子とサントリー以外の飲み物を食べたり飲んだりするのに気をつかわなければならないのかな。将棋だけでも大変なのに,こんな余計な気を使わなければならないのも大変なことだなあと思ったことでした。もういっそのこと,ぽこちゃんの着ぐるみでも着て,あるいは,伊右衛門の恰好でもして対局したらいかがでしょうか。
 新年度はまず不二家が主催する叡王戦でタイトルとらなくっちゃね。しかし,タイトルを保持している王位戦は「お~いお茶」がスポンサーなんですけど,どうするのでしょう?


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