しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > ネブラスカ州

DSCN2112DSCN2118DSCN2124DSCN2125 2014年3月に公開された映画「ネブラスカ-ふたつの心をつなぐ旅-」(Nebraska)についてはすでに書きました。
 映画館で公開されたときにすぐに見にいったのですが,その後,アメリカに行ったときに飛行機の機内で見られる映画のリストにずっと入っていたので,私はそれを何度みたことか!
 そしてまた,12月13日にNHKBSプレムアムで放送されたので,またまた見てしまいました。
 私はこの映画がなぜか大好きなのです。

 私の好きな映画といえば,この「ネブラスカ」をはじめとして「マディソン郡の橋」(The Bridges of Madison County),「フィールド・オブ・ドリームス(Field of Dreams),そして「コンタクト」(Contact)などがあげられます。考えてみれば,それらはアメリカの大平原を舞台にしたものばかりです。
 どうやら,私の好きなアメリカの原風景が,こうした映画のなかにあるようなのです。
 以前この映画を話題にしたブログに「私は,アメリカ合衆国50州制覇の夢があるのですが,まだ,ネブラスカ州には行ったことがありません」と書いたのですが,その後,ネブラスカ州に行くことができたので,今日は私の写したネブラスカ州の写真を載せることにしましょう。
 この映画のよさは「ネブラスカ」という名前に,すでに,映画のイメージを想像することができる点にあります。しかし,ネブラスカ州に馴染みのない日本人にはそれが無理なので「-ふたつの心をつなぐ旅-」といった副題をつけてあるわけですが,こうして具体的な文字にしてしまうと,こんどはこの言葉で映画のイメージに制限ができてしまうのが欠点です。
 この映画に限らず,近頃の外国映画で日本で付け直した題名はさえません。

 ところでこれら私の好きな映画たちは,何度見ても新しい発見があります。アメリカの風景が出てくる映画は,その風景を見た,という経験が映画に新しい発見をもたらすのでしょう。それとともに,自分が歳を重ねたことで,映画で描かれている様々な心理描写がより理解できるようになってきた,ということもあります。
 以前にも書いたように「ネブラスカ」という映画は人生の老いを描いたもので,その根底には老いた父親とその息子の心の交流が軸になっているのですが,この映画で私がもっとも印象に残るのは,年寄りたちが居間で並んでボーッとテレビを見ているシーンです。
  ・・
 このシーンで描こうとしているのはいった何なんでしょうか?
 私はこのシーンのなかに,人生がすべて描かれているように感じてしまうのです。結局のところ,人生なんて所詮はこんなもんだ,とでも言わんばかりです。
 私は,そのことに同意します。
 人生なんて,所詮そんなものなのです。才能があって生まれようと,体力があって生まれようと,財産があろうとなかろうと,みんな,同じように老いぼれていくのです。
 そしてまた,こうした映画で描かれているのは,実はこれこそが多くのアメリカ人の人生そのものだということなのです。広い国に生まれながら狭い世界で過ごし,そして,こうした田舎の墓地で永遠の眠りにつくのです。

 アメリカでは大統領選挙があって,日本でも大きく報道されました。多くの日本人はそうした報道を見るだけで実際のところは本当のアメリカの何も知らないくせに,そしてまた,自分の生活とは異質の価値観で存在しているのに,アメリカの現状と天下国家を上から目線で,さも自分の意見のように語るのです。私は,そのことをいつも滑稽に思います。
 私の友人のひとりが,これまでアメリカなど全く興味もなかったくせに,マスコミの予想に反して新しい大統領が誕生したらなぜかそのことに異常な興味をもって,メキシコ国境を見てくる必要があると真剣に私に力説しはじめました。彼の面白いのは,日本円は将来価値がなくなるとずっと主張していて,10年ほど前まではこれからはヨーロッパだアメリカは斜陽だと言い自分の資産の半分以上をユーロに変えた(しかも手数料の高い銀行で!)と言っていたと思ったら,リーマンショックのあとになったら,自分の言っていたこともすっかり忘れて,突然,これからはドルだドルだと豹変し,今度はそれを私に力説するのです。
 彼は,未だ情報源は紙媒体の日本の新聞だけで,スマホも持たず,車も運転しないくせに,あの,広い広いアメリカにひとりで出かけていって,いったいどうやって情報を入手し,移動し,何を見てこようというのでしょう。私は内心あきれているのですが,プライドの高い男である故,聞く耳を持たないのです。しかし,生まれてはじめて渡米する,英語すら満足に話せない初老の男がアジアを放浪するようにしてのこのこ出かけていって,車を運転するでもなく国境を見てくることができるほどアメリカの国土は狭くはないし,たとえできたとしても,そんな経験くらいで何かがわかるほどアメリカの本質というのはそんな場所には存在していないのです。
 そんな冒険をするくらいなら,むしろ,この映画を見るか,あるいは旅がしたいのならネブラスカ州にでも行って竜巻の荒れ狂う過酷な自然でも体験してみるほうがよほど得られるものは多いことでしょう。

◇◇◇
「ネブラスカ」-人生に当たりくじなど必要ない。

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☆7日目 8月8日(木)
 ネブラスカ州の朝である。
 昨日とは打って変わって,天気がいい。快晴である。ネブラスカ州らしからぬ? 天気である。
 部屋の窓から朝日がきれいに見えた。
 さっそく,昨日チェックインしたフロントに行って,その横にあった食堂で朝食をとった。
 無造作に置いてあったヨーグルトとジュース,そして,ワッフルを作った。

 以前も書いたことがあるが,この国は,こうしたチープなホテルでは人件費のかかるサービスは一切ないから,こんな早朝にスタッフなどいない。宿泊代はすでに払ってあるから,もう,チェックアウトをしようが朝食をどれだけ食べようが知ったことないのである。
 たとえば,日本でレンタカーを借りると返却の際に傷の有無を調べるとかいう手続きをするが,アメリカでは,無人で返却が出来る。そんなことに人件費をかける方がコストが高いのだ。
 私は,いつの場合も,きっと宿泊客の中で一番早く朝食を食べ,一番早くチェックアウトをするから,めったに他の宿泊客に会うこともない。
 この日も,朝食を済ませて,さっそくチェックアウトをした。フロントにキーを置いて,車を走らせた。
 こんなふうに旅をしているのだから,高級ホテルに泊まってももったいないだけなのである。

 ホテルを出たら,あとは,昨日と反対方向にインターステイツ80に戻るだけだった。
 まず,ホテルを出て,西に1キロメートルくらい走り,そこで左折して進路を南にとった。そのまま走って行けば,インターステイツ80のジャンクションに到着する。
 昨日はよくわからなかったが,今日の写真にあるように,キンボールは木陰の美しい静かな町であった。
 私のネブラスカ体験は,おおよそこれくらいのものであった。次にネブラスカ州に来るのはいつのことであろうか? 

 インターステイツ80に着いたら,一路西に,アイダホ州に向かって走るだけだった。
 それにしても,こうして自由に旅をしていると,そのままインターステイツ80を逆に東に行きたくなってしまう。そうすると,ネブラスカ州を横断して,アイオワ州,そして,イリノイ州のシカゴまで,きょう1日で行くことができるであろう…。
 そう考えると,大陸横断なんてわけないことだと思えてくる。
 今日は,このまま西に進んでアイダホ州に戻るには少し距離があるから,ワイオミング州を横断して,ワイオミング州の西の端の町で宿泊することにした。
 とすれば,途中でどこか観光ができるのだが,どこへ行くことにしようかと,いろいろと調べてみたのだった。

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 ドアが開かなければ係を呼ぶだけだから,そのときはそのときだ。私は,夕食を取るために外に出た。とはいえ,閑散としたダウンタウン(ここをダウンタウンなどとよべるのであろうか?)にあったのは,客のいないサブウェイだけであった。
 サブウェイで注文をすることのむずかしさを,以前,ブログに書いたが,他に選択肢がないとあっては,そこに入る他はなかった。

 ここで,少し余談を書く。
 私は,生まれてはじめてマクドナルドを体験したのは,サンフランシスコであった。同じように,これまで日本ではサブウェイにも行ったことがなかった。日本でも戸惑うのに,アメリカのサブウェイにいきなり挑戦することの方が無謀ではないか。
 そこで,帰国後,私は日本のサブウェイに行ってみることにした。
 日本でも,やはり,同じようによくわからないのだった。
 アメリカとの一番の違いは,ブレッドが半分のものしかないということであった。そして,野菜は,全部といえば,全部入れてくれるというお任せだったとことと,ソースも,お任せができるという,きわめて,日本的なところであった。
 私は,日本のサブウェイは日本のマクドナルドと同様,割高だと思う。アメリカに比べて量が少ないのだ。これでは夕食どころか昼食にもならない。ドーナツなどのサイドメニューが欲しい所である。

 ということで,この晩はサブウェイしか選択肢がなかったので,ともかく中に入った。サービスをするぞという雰囲気のかけらも感じられないやる気のない店員と,これもまたやる気のない客は,退廃的な雰囲気の中,注文もいい加減に,それでも,どうにか,サンドウィッチが出来上がって,私はそれを受け取ることができた。
 他には客のいない店内で食べる気もなくなったので,サンドイッチに加えてさらにジュースを注文して,私は,それをホテルに持って帰って,ささやかな夕食にしたのであった。

 それにしても,この小さな町,とても平和そうでのどかなところではあるが,他に何もすることがない。買い物に行くにも,隣町は遠いから,住民の楽しみは何なのであろうか? 竜巻との格闘であろうか? 調べてみたところ,レジャーはゴルフであるようだ。付近には大きなゴルフ場がある。というか,ゴルフ場しかない。
 ホテルに戻り,無事にドアも開けて中に入り,テレビを見ながら夕食をとった。夕食というよりは,これは「エサ」であった。
 部屋は辛き臭く,この町が過酷な自然の中に存在することを実感した。
 ただし,テレビのチャンネルは確かで,アメリカでの楽しみ「Tonight Show」を見ることができたのは,うれしかった。こうして,おそらく人生最初で最後になるであろうネブラスカ州の夜は更けていったのだった。
 何も記憶に残らないホテルも多いのに,こうしたことのすべての記憶が鮮明に残っていて,いつしか懐かしい思い出に変わるのだから,旅というのはおもしろい。

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 ネブラスカ州に入って,雨は止んだ。虹が次第にくっきりとしてきて,とても美しかった。私のネブラスカ州体験は,この日の晩と次の日の朝だけだったから,本当の姿はわからない。しかし,思っていたような,ネブラスカ州のイメージ通りだったことに,すっかり満足したのだった。
 やがて,キンボールが近づいてきた。ジャンクションを出て,北に向かって数キロ走るとささやかなダウンタウンに出て,そこに予約をしたホテルがあるはずだ。

 キンボール(Kimball)は人口約2,500人の小さな町である。もともとは,アンテロープビレ(Antelopeville)とよばれていたが,ユニオンパシフィック鉄道が拡張されたときに,その拡張に貢献したトーマス・キンボール(Thomas Kimball)にちなんで,1885年に改名されたという。
 ・・
 「City-Data.com」というサイトがある。
 このサイトには,アメリカのすべての町のあらゆるデータや,投稿されたその町の写真が載っているから,眺めているだけで面白い。その中で私が好きなのは,small cities である。こうした町の写真を見ると,私は,いろんな思いを巡らす。
 こうした町は,メインストリートと名づけられた人気のない1本の道路の周りに数件のお店があって,それをとりまくように住居がある。きっと,住んでみればとても大変なところなのであろうが,なぜか,私はそこへ行ってみたくなるのだ。
 ここキンボールも,まさにそんなところであった。

 ホテル「デイズイン」はすぐに見つかった。小さなフロントと食堂を兼ねた建物と,その隣に平屋の数部屋が並んでいた。
 フロントで,係の若者が迎えてくれた。
 彼は,いったいこの何もない町に何をしに来たんだ,と興味深く聞いた。私は,例のごとく,アメリカ50州制覇のためだけにネブラスカ州に来たのだ,と言ったら,愉快そうに笑った。
 この町には,他にモーテルの1軒もなさそうだったので,このホテルが唯一であるようだった。
 キーをもらって部屋に行った。
 ところが,部屋の戸が開かない。どうやっても開かない。
 私は,再びフロントに行って,先ほどの若者に部屋に入れないと言った。彼は,戸がきしんでいるんだと言って,どこかに力を入れて,戸を開けた。確かに,戸は開いたけれど,今度,自分で同じようにしてこの戸が明けられるかどうか,自信がなかった。
 こんなこともまた,この町の雰囲気に似合わないこともない。
 どう表現していいかわからないが,私は,自分が落ちぶれて地球という惑星のどこにでもある石ころのような物質のひとつになれたようで,旅先のこの不憫さがたまらく好きだ。
  ・・
 さて,夕食をとらなくてはならないが,この町にレストランがあるのだろうか? そして,また,ふたたびホテルに戻ってきたときに,この部屋の戸をあけることができるのであろうか? そうした不安が頭をよぎった。
 こうだから旅は楽しいのである。旅はやめられない。

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 ワイオミング州に入って,インターステイツ25をさらに北上して8マイル,インターステイツ80とのジャンクションに着いた。
 私はここで右折するのだが,インターステイツ25をさらに北上していくと,やがて,ワイオミング州の北部でインターステイツ90とぶつかり,そのままインターステイツ25は吸収されてしまう。インターステイツ90は,アメリカで一番北を東西に横断するが,西はワシントン州シアトルから東に向かうが,アイダホ州を横切り次のモンタナ州で東北東方向にはインターステイツ94,東南東にインターステイツ90と二股に分かれていく。そして,インターステイツ94がノースダコタ州へ,インターステイツ90がサウスダコタ州へ向かうのである。

 今晩の宿泊先は,キンボール(Kimball)という小さな町のデイズインであった。
 私の目的は,「ようこそネブラスカ」という看板の写真を写すだけだったから,そこで引き返してもよかったのだが,興味本位で,ネブラスカ州に1泊することにしたのであった。そこで,ネブラスカ州に入ってからのインターステイツ80の通過する町にホテルがあるかどうかを順に調べていったのだが,なかなかホテルがない。やっと見つけたのが,キンボールだったのである。たいしたホテルでもないのに,需要と供給の関係で,やたらと宿泊代が高かったがやむをえない。  

 右折して,インターステイツ80に入ったころから,なんだか,雲行きが怪しくなってきた。
 きょうは,クワーズフィールドで試合開始前に雨が降ったがそれも止んで,その後はすばらしい晴天であった。この旅ではこれまでもずっとそうであった。
 遠くには,渦巻きすら見えてきて,これが,あの,恐ろしい竜巻なのかと思うと恐ろしくなってきた。だんだんと雲が出てきて,黒い雲の間には,虹さえ見えてきた。異様な風景であった。
 しかし,なんだか,それがまた,とてもネブラスカ州らしく思えたのだった。

 インターステイツを走る大地はだんだんと高度を増していくようで,周りの風景よりも高いところを走るようになってきた。まわりは一面の大地で,竜巻が起こればひとたまりもないなあ,と真剣に心配になってきた。本を読もうが,知識があろうが,そんなもの,こうした景色を一度見るといった体験で得られることの比ではない。
 巨大なコンボイが走っていく。次第に雨が降ってきた。北に見えるのは,石油を掘削する井戸であり,向かっている東は真っ暗な雲である。南を見れば,大草原が広がっていて,後方の西からは夕日がまぶしくバックミラーを照らしている。そして,巨大な虹である。
 いったい,ここはどういうところだろうか? しかし,ともかく私は前に進まなくてはならない。
 そのうち,ワイオミング州の州境が近づいてきて,ネブラスカ州に入ってはじめてのEIXT1の道路標示が見えてきた。私は,念願の「ようこそネブラスカ州」の看板を見落とさないように,スピードを落とした。
 夢にまでみた「ようこそネブラスカ州」は,思ったほどすてきな看板ではなかったが,ともかく,私は,こうして,ネブラスカ州に到達したのであった。
  ・・・・・・
 NEBRASKA …the good life
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 テキサス州でもないのに,石油を掘削する井戸が見られた。アメリカは,そこらじゅうで石油が出るものらしい。
 道路は片側2車線になり,車も少なくなって,心配された渋滞もなくなり,順調に北に向かって進むようになった。
 やがて,コロラド州の州境を越えて,車はワイオミング州に入った。さらにしばらく行くとシャイアンという町に入り,そこで,東に進路を変えてインターステイツ80に入り100キロメートルほど行けば,ネブラスカ州である。

 ネブラスカ州(Nebraska)は,中西部にある州で,州都は大統領の名にちなんでつけられたリンカーン,最大の都市は州の東端にある人口約40万人のオマハ,50州の中で,唯一議会が一院制の州である。
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 ネブラスカとは、古代オトー語のÑí Brásge,あるいはオマハ語のNí Btháskaから来ているとされていて,州内を流れるプラット川に因み,「静水」を意味している。州の大部分は平坦なグレートプレーンズで,西部には巨大な岩がある。
 1850年代,この広大な土地は,ヨーロッパ人とアメリカ人による農地開発のために開拓され,ホームステッド法の下で多くの新しい開拓者が域内に入り,無償の土地の権利を認められた。そのころプレーリーにはほとんど樹木が自生していなかったから,広大なプレーリーは牛の放牧に最適だった。
 しかし,ネブラスカ州は竜巻の通過する圏内に入っている。激しい雷雨と竜巻は春と夏に起こることが多い。そこで,不毛の地(Great American Desert)の一部とみなされ,開拓後はダストボウルによって多くの農地が壊滅したのだった。
 そうした苦労を乗り越えて,現在は代表的な農業州となっている。
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 このように,日本であまりなじみのないこの州であるが,何といっても有名なのは,今でも竜巻である。聞くところによると,ネブラスカ州の学校やホテルには,竜巻が起きたときの避難所が設置されているということだ。
 そうしたネブラスカ州であるが,まあ,こんな機会でもなければ,行くこともあるまい,と思った。

 2013年,「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」(Nebraska)という素敵な映画が公開された。この映画の出演はブルース・ダーンとウィル・フォーテである。
 インチキな通知文を信じ込み,当ってもいない賞金を手に入れるために父子がモンタナ州からネブラスカ州リンカーンを目指す。その道中に立ち寄った父の故郷で,昔の共同経営者だった父の友人や親戚,知人と出会いながら,父子が心を通わすという内容のロードムービーである。
 この映画は「象徴的・典型的な外観」を生みだすために白黒で撮影されたから,ネブラスカ州の風景は白黒でしか味わえない。
 この映画のことは,すでにブログに書いたが,とかく,男の人生というのは難しいが,難しくしているのは,男が生まれながらにして持っている「プライド」とかいうお荷物のせいなのであろう。
 私は,これまで,この映画を劇場でも見たし,その後,太平洋を横断するたびに,機内で何度も見た。

◇◇◇
「ネブラスカ」-人生に当たりくじなど必要ない

ついに念願のネブラスカ州に足を踏み入れたので,今日から2日かけて,アイダホ州に戻ります。 朝,ホテルの窓から夜明けが見えました。
このホテル,いろいろ問題ありでしたが,お風呂のお湯は異常によく出るし,テレビも綺麗に映るし,ネットも快調だし ,よしとすることにしましょう。
アメリカでは全てクレジットカードで支払えるので,現金が不要です。コンビニの支払いは,レジにあるカードリーダーに自分でカードをスライスさせます。
ネットもどこでもつながるし,ホテルの予約も簡単です。
日本が非常に遅れた国に思えます。今でも武士がいるような気がします。
朝,ホテルを出て,一路インターステイツ80を西に走りました。
昨日まで走ってきたインターステイツ70とは全く異なる風景が続きました。辺りは大草原です。
ワイオミング州も雄大でしたが,やたらと道路の舗装工事中で,これには参りました。道路の規制がいい加減で,ラバーコーンが倒れていたり,幅が異常に狭かったりで,アメリカらしいいい加減さでした。
今日は,ワイオミング州の西の州境のエバンストンというところにホテルを取ったのですが,ネブラスカ州のキンボールからは400マイル,5時間くらいで着いてしまうので,途中で一度インターステイツをおりて一般道を100マイルほど南下して,ダイナソア国定公園へ行きました。
地図で見るとまっすぐなのに,実際は峠越え。途中にダム湖があったり,鉱山の集積所があったりと,すごい景色でした。さらに,野性の馬はいるし,牛さんが道を横断しているし,大変でした。この牛さんたちは,もしひいてしまうととんでもない賠償をしないといけなくなります。
国定公園では,恐竜の化石にさわれたり,面白かったのですが,往復するのに6時間もかかってしまいました。
今晩の宿泊地エバンストンは古い町並みが残る西部開拓時代の雰囲気漂う町でした。
どこへ行っても,アメリカは,面白いところだらけです。

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 公開されたばかりの映画「ネブラスカ -ふたつの心をつなぐ旅-」(Nebraska)を見ました。
 かつて,「ストレイト・ストーリー」という,老いをテーマにしたロード・ムービーがありましたが,この映画もそれに勝るとも劣らない素敵な映画でした。
 私は,アメリカ合衆国50州制覇の夢があるのですが,まだ,ネブラスカ州には行ったことがありません。この映画を見た理由は,アメリカ映画の中で一番魅力的だと思っている「ロード・ムービー」だということと,そして,ネブラスカ州をテーマにしているということ,そうしたきわめて単純ものでしたが,見終わった後の満足感は,予想をはるかに超えるものでした。

 映画の冒頭は,年老いた主人公が住んでいるモンタナ州ビリングスです。そして,私にとって因縁のインターステイツ90,そして,ワイオミング州を通って,サウスダコタ州マウントラッシュモア,そこから,大平原続くネブラスカ州… と映像が続くとあっては,これ以上のわくわく感はありませんでした。この映画は,そうしてはじまりました。
 ネブラスカ州には行ったことはないけれども,2012年に行ったノースダコタ州よりもさらに田舎(に見えた)ということにも驚きました。確かに,ネブラスカ州のもっとも有名なものはトーネードです。
 なお,この映画で出てきたネブラスカ州ホーソーンは実在せず,ノーフォークのプレインビュー(Plainview, Norfolk)で撮影されました。

 年老いた主人公ウディ・グラントは,100万ドルの賞金が当たったいう古典的なインチキを信じて,その賞金を受け取りにネブラスカ州の州都リンカーンまで歩いて行こうとします。それを留められず,仕方なく付き合うことになった息子との,その道中で起こるきわめて人間的な様々な出会いと醜さ,そして,やさしさが,この映画の内容です。
 実は,ウディは,かつて戦争に傷つき、その結果酒びたりになった過去があるのです。そうした過去を持つ男たちが、今日の社会を支えてきたことは日本も同じです。それは,単に,老人の頑固と醜さでは片付けられない一面なのです。
 主人公ウディとたえず憎まれ口をたたく口うるさい妻ケイト・グラントは,私の両親に瓜二つでした。そして,また,私にも,ロス・グラントのような弟(映画では兄ですが)がいます。だから,私は,その息子のデイビッド・グラントに同化して,この映画を見ました。

 -物語の最後に待つ、人生最高の当たりくじをあなたにも- とは,この映画の宣伝文句ですけれども,私は,人生に当たりくじなどない,だけど,当たりくじなど必要ないと気づきました。
 沢木耕太郎さんは,朝日新聞の「銀の街から」で,「老いるとは,たぶん,自由に『移動』する手段と方法を徐々に失っていくことに他ならないのだ」と書いていますが,私は,老いに抵抗するのではなく,素直に受け入れて生きていこうと改めて決意することができたのでした。
 この映画も,また,「人生には救いがない」ということを,再確認するものではあったけれども,なぜか,見終わった時に,心が温かくなりました。きっと,この老人のささやかな誇りを成就させてあげることができた息子さんの心に触れることができたからなのでしょう。
 見る前は,この映画がどういった結末を迎えるのだろうかと心配しましたが,いい意味で予想を裏切りました。ただし,ネブラスカ州のもつ色彩自体がモノクロだから,あえて,この映画を全編モノクロにする必要などなかったのになあ,と残念に思いました。蛇足ですが。

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ネブラスカ州にはまだ行ったことがないので,写真がありません。きょうの写真は,マウントラシュモアとサウスダコタ州のインターステイツ90とノースダコタ州のカントリーロードです。

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