しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国旅行記 > 旅行記・2014夏

DSCN3073DSCN3087DSCN3094DSCN3098DSCN3109

☆12日目 8月13日(水)
 東海岸からの帰国と違って帰国便の出発が遅い。
 今回は,ボイジー発が午後1時15分。ボイジーからシアトルまでの間には時差があって1時間32分のフライトなのだが,午後1時47分にシアトル着。そして,シアトルでの待ち時間がわずか2時間と少し,午後3時1分シアトル出発で成田着が翌日の午後4時55分であった。わずか9時間と54分のフライト,アイダホは近くて楽だ。

 まだ8月13日だが,3か月にわたる長い夏休みが終わって,アイダホの子供たちは新学期が今日から始まった。朝,私も一緒に小学校へ行ってみた。
 アメリカの学校の登校風景なんて,パック旅行では行けるものではないから,私には,こうした体験が一番おもしろい。教室で小学校の先生ともおしゃべりをした。
 アメリカの学校はきれいで楽しそうだった。
 日本人は,アメリカの学校に比べて,日本の学校のほうがずっとちゃんとしていると思っているが,果たしてそうなのだろうか…?

 その後,「Chick fil-A」 というおいしいチキンバーガーのお店に寄ってから,ボイジーの空港まで送ってもらった。
 自動チェックイン機で帰りの航空券を発券した。
 ここで,ひとつ,大切なことを書く。
 デルタ航空の自動チェックイン機,国際線はパスポートを読み取らせるだけで航空券が発券されるが,この読み取り機のパスポートを挿入する口が少しパスポートのサイズよりも大きい。大概エラーがでる。実は,パスポートの左側を挿入口に合わせないと読み取らないのだ。これがコツである。こんなことどこにも書いてない。私の経験である。
  ・・
 ボイジーの空港は国際便の発着がなくローカル空港なので,のんびりムードであった。セキュリティで,係官に私が日本に帰るというと,ポケットから小さな会話集を出して,その中から日本語を探し出して挨拶をした。
 とてもフレンドリーでとげとげしさのかけらもなく,セキュリティチェックなどあってないようなものだった。

 ゲートで飛行機を待っていると,ひとりの女性がこちらに向かって歩いてきた。
 彼女は,シアトルで肝臓の移植手術を受けに行くところだと言った。彼女はモンタナ州ビュートの生まれだという。以前このブログに書いたが,私は,モンタナ州で交通事故にあってビュートの病院に入院したことがあるので,その偶然だけで,親しく話ができた。世の中は本当に狭いものだ。
 やがて,ボイジーからの飛行機が出発して,ほどなくシアトルに到着した。
 結局,私は,シアトルでも彼女のかばん持ちということになった。
 彼女は,今も元気でいるだろうか?
  ・・
 シアトル・タコマ国際空港のコンコースは,ギターを弾く女性がいたりして,ボイジーの空港とはまったく違って華やいでいた。私は,この時までシアトルは狭い空港という認識だったので,のんびりしすぎて,危うく帰国便に間に合わないところであった。決してシアトルは狭い空港ではないのだ。空港内に移動のための地下鉄も走っている。
 シアトルからの帰国便は予想通り空席があって,私の隣も空いていた。
 帰国するのがお盆からのUターンラッシュの数日前の平日ということろがポイントなのである。

 私は中央の座席の通路側に座っていたのだが,通路を隔てた窓側の3席を独り占めしていた初老の女性がいた。彼女には似つかわしくない? テニスラケットを持ち込んでいた。
 国際線に乗ると,どういう「人となり」なのかよくわからない人がけっこういて,観察しているとおもしろい。その女性も,旅慣れているのかいないのか? 金持ちなのかそでないのか? さっぱりわからない人であった。なにせ,そのテニスラケットの入ったカバンを座席のうしろの隙間に強引に押しこもうとして,客室乗務員に注意されたりしていた(飛行機は電車ではない!)。しかし,英語がけっこう堪能だったりと,本当によくわからない人であった。
 きっと,私も,他人には謎の人物であろう!?
 離陸直後,その女性が得体の知れない行動を開始した。
 イスを取り外したり,床に這い蹲ったり…。ずっとそういった行動を繰り返していた。しかし,客室乗務員も離陸直後で忙しく,相手にしていなかった。
 私は暇だったから,何をしているのかとずっと見ていると,どうやらイヤリングか何かをなくしたらしかった。やがて,仕事にけりのついた客室乗務員が近づいてきた。聞くでもなく聞こえてきた話では,なにやら高価なものをなくしてしまったらしい。
 結局,数時間の探索ののち,探し物は無事見つかったようであった。
 そんな姿を見ていたら,あっという間に成田に到着してしまった。
  ・・
 成田からのエクスプレスは,行きとは違い順調だった。
 8月14日夜帰宅。この時から,私の2014年の暑い日本の夏が,再びはじまったのだった。

◇◇◇
「2014年夏アメリカ旅行記」はこれで終了です。次回からは「2015年アメリカ旅行記」です。
コクピットから煙が出てフライトが引き換えしたり,その結果帰国便に乗り遅れたり,やっと帰国したのに新幹線が止まっていたり,チェックイン間際に突然国内線のフライトがキャンセルになったりと,2015年の旅行はハプニング満載です。

DSCN2886 DSCN2965 DSCN2986 DSCN3032

☆11日目 8月12日(火)
 次の日に帰国するので,実質上,きょうが最終日であった。
 私の滞在しているマウンテンホームからインターステイツ84で北西に40マイル,64キロメートル行くと,アイダホ州の州都ボイジーに着く。きょうはそのボイジーの市内観光に出かけた。
 アイダホ州も日本で有名なポテトだけではなく,近ごろはハイテク産業が盛んである。ボイジーの付近にも巨大なエルビータメモリの工場があって,インターステイツは交通量が増加しているので,道路は片側4車線にする拡張工事中であった。
 交通量が多ければ道路を拡張する… アメリカは実にわかりやすくていい。
  ・・
 マウンテンホームからボイジーまでの間にはオレゴントレイルの展望台があるので,まず,そこにへ行った。
 オレゴントレイルは,西部開拓時代の幌馬車の通った道である。現在は,そこにハイキングコースが作られていて,何か月もかけて散策を楽しむことができる。
 オレゴントレイルは,ミズーリ州カンザスシティからオレゴン州ポートランドまで続いている。
 日本でも,旧東海道を歩くという楽しみがあるが,それと同じようなものである。
 それにしても,こんなとんでもない距離を歩くなどというのは途方もないことではある。

 ボイジーに着いて市内見学をした。
 アメリカの都会には広い公園がある。ボイジーにも,アメリカの他の都会と同様に,ジュリアデービスパークという公園があって,公園内には,歴史博物館や美術館や動物園などがあった。上野の公園や博物館,動物園を縦横それぞれ10倍くらいにした姿を想像していただければいい。
 この日,あいにく歴史博物館は休館だったので,動物園へ行くことになった。
 この動物園のおもしろかったのは動物ではなく,動く恐竜のモニュメントだった。それらがたくさんあったので,ここは,動物園というよりも,ジェラシックパークとでもいったほうがふさわしいものだと私は思った。
 昼食はボイジー市街のチャイニーズレストランのバイキングになった。中華料理は美味しくて,量もあって,素敵なレストランであった。

 午後は,旧アイダホ州刑務所を見学した。ここは日本の網走刑務所博物館のようなところであった。1872年から1973年まで現役の刑務所であったところで,独房や絞首台も見学することができた。
 そして,最後に行ったのが,アイダホ州議会議事堂であった。
 アメリカの州議会議事堂はどこもドームがそびえている(ノースダコタ州の州都ビスマルクにある州議会議事堂だけは,作られたときにお金がなかったのでドームはない)。この議事堂も他の州のものと同様に内装外装ともにすばらしい建物だった。アイダホ州は大変治安のよい州で,入るときにセキュリティチェックもなかった。
 この日は議会がなかったので,上院と下院の議会会議場,それに州知事のゲストルームにも入ることができた。また,州知事のイスにも座ることができた。
 州議会議事堂には最高裁判所が併設されていることが多いのだが,ここアイダホ州は,最高裁判所は別の建物であった。
  ・・
 州議会議事堂は,日本では県庁,というよりも国会議事堂である。アメリカは「合衆国」,というのは誤訳で,正しくは「合州国」であるから,それぞれの州が国であると考えたほうが正しいのだ。ここには,真の民主主義がある。
 日本の政治家は,海外に視察に行くのなら,こうした州政府の仕事でも見てきてもらいたいものだと思う。日本を江戸時代の封建制国家と勘違いしてもらっては困るのだ。首相は殿様ではない。国民が主権をもっているのだ。だから,法律は国民の選んだ議員が審議して少数意見を尊重した上で多数決で決めるものであって,内閣が決めるのではない。こんなこと小学生でも知っている。審議をお願いする側の首相がやじをとばしてどうする。そんな基本も知らない人が首相をやっていては困る。

DSCN2749DSCN2756DSCN2839DSCN2858

☆10日目 8月11日(月)
 マウンテンホームの町から少し外に出ると,大平原がが広がっている。北側には,巨大なダムがあって,川が流れ,アウトドアには事欠かないし,こうしたことが好きな人には夢のような場所であろう。
 日本の中で,ほとんどありもしない自然を求めて渋滞の高速道路を山に山にと走っている人には信じられない世界であろう。
  ・・
 この日の午前中,マウンテンホームから50マイル,80キロメートルほど東に走って,ヘイグマン化石層国定公園というところ行った。
 この地は特に馬の化石が有名なのだそうだが,それは,大昔,この場所がジャングルで,その頃の馬の化石が多くの出土するからなのだそうだ。
 また,マスの養殖場もあった。ここでマスを養殖して,成長したマスを川に放すことで,自然界の調和を保っているというわけだ。

 アメリカは日本人が考えているようないい加減な社会ではないから,事前に動物や魚の生育を調査して,その年に捕まえてよい数を決めて,登録制で狩りや釣りを行う権利を手に入れるという制度が完備されている。
 そして,実際に手に入れた獲物はきちんと報告したり,税金を納めなければならないし,放置したりしてはいけない。
 日本人は,そういうことすら知らない。

 午後は,町から北東にあるアンダーソンランチリザーバーというダム湖へ行った。
 未舗装の道を延々と進んていくと,川沿いの道に出て,それはそれは冷たい水が流れていた。
 わずか数週間前には,この場所はまだ氷が流れていたということだから,冬の寒さも想像できるというものだ。
 このあたりは,雪が積もると完全に身動きできなくなってしまうということだ。
 ダム湖には,ボートを浮かべて,釣りをすることもできるのだが,水深は100メートルくらいもあるから,ちょっと危険だなあ,と思った。 
 このように,ここアイダホ州も,アウトドアの宝庫なのである。

 私はこういうところに来ると,若いころに見たアメリカ映画を思い出す。そこには,あたり一面に広がる大自然と,そこでキャンプを楽しむ人たちの姿があった。私が星好きになったのは,そんな景色にあこがれたせいかもしれない。
 その一方で,この大自然は,西部開拓時代のアメリカでは,過酷な試練をもたらしたのも,また,事実である。幌馬車に荷を積んで,人は歩いて,この雄大な大地を西に西へ向かっていった。ここはそうした場所でもあった。現在はオレゴン・トレイルとして保存されている。
  ・・
 アメリカに多くある歴史博物館にはそのころの生活を模した多くの展示がある。それは,私には,単に物語の世界に過ぎないが,彼らアメリカ人には,わずか数世代前の先祖が実際に体験した世界なのだ。
 そして,ほんの200年で,彼らはこれだけの大国を作り上げ,今も,進化を続けている。

DSCN2675DSCN2682DSCN2719DSCN2688

☆9日目 8月10日(日)
 私は,アメリカの各地を旅行して,結局,アイダホ州,モンタナ州,ユタ州,ワイオミング州などの雄大さが,アメリカの一番の魅力だと感じるようになった。
 広い空,果てしない台地,ゆっくり流れる時間,そして日々を楽しむ人たち。
 これこそ,日本では絶対に手に入らない世界なのである。

 ニューヨーク,サンフランシスコ,ロサンゼルス,シカゴなどの大都会も確かにアメリカの魅力であるし,ラスベガスやディズニーランドだって,アメリカへ行く動機にはなるだろうが,自然の雄大さにはまったくかなわない。
 また,アメリカは建国300年にもなっていない国で,日本の10分の1もないが,そこにある自然は2億年前の姿なのだ。日本は遠く及ばない。
 私は,グランドキャニオンに行ったとき,これほどの自然に比べたら,人間の作ったものなんてすべてどうでもよくなったことを再び思い出すのだった。
 クールジャパン,といって,日本の人たちはたゆまない努力を自我自讃しているけれど,そして,私もそう思っていたけれど,近ごろは,だがしかし,と思うようになった。
 たとえば,東京の地下鉄では何秒という運行時間のずれをなくすために様々な工夫をしているのだそうだが,だがしかし,そんなことまでして,いったい,何をめざしているのだろう。
 人が生きるというのは,そういうことをめざすことなのだろうか?

 マウンテンホームから200マイル,320キロメートル南東にインターステイツ84を走っていくと,ツインホールズという渓谷に行くことができる。そこは,素晴らしい所で,渓谷には長い橋ががかかっていて,そこの渓谷はグランキャニオンよりも深く,絶景なのである。また,この橋は,風が強いとものすごく揺れるということだ。
 そして,橋の上からはバンジージャンプならぬ,人間グライダーで,人が気持ちよさそうに空に舞い,渓谷の下では,キャンプをしたり,ボート遊びに興じたり,バーベキューをしたりして過ごすことができる。

 この日,私は,そんなツインフォールズに出かけて,のんびり過ごすことにした。
 願わくば,いつも時間など気にしない生活を送れることが一番幸せだと思っているが,なかなか難しいことである。だから,この日,私は,そうした1日を過ごすことができることを嬉しく思った。
 ツインフォールズに着いて,駐車場に車を停め,渓谷沿いのトレイルを散歩した。空気が涼しかった。
 歩いていると,多くの人が橋の中央を見ているのに出会った。聞いてみると,これから人が飛び降りるのだということであった。私は,このあと何が起きるのかがよくわからず,同じように眺めることにした。すると,本当に人が橋の上からはるか下に向かって飛び降りた。びっくりしたが,そのうちに大きくパラシュートが開いて,気持ちよさそうに人が飛んで行ったのだった。
  ・・
 ステイ先の家に戻って,夕刻は,バーベキューパーティをした。アメリカの家は,ヤードとよぶ広い裏庭があって,そこで肉を焼くのが男の仕事だ。スモーキーに味付けされたステーキはとても美味であった。
 これこそ,人が生きているという実感がした。
 アメリカの小さな平和な町の1日は,こうして更けていったのだった。本当に幸せなときであった。

DSCN2548DSCN2554DSCN2562DSCN2650

 インターステイツ84と15の共有区間は,トレモントンという町で別れを告げた。
 きょうの1番目の写真のように,大きな道路標示があって,ここで左側のインターステイツ84に進路をとるとアイダホ州を北西に,私の目指すめざすマウンテンホーム,そして,ボイジーを越えて,オレゴン州に至る。右側のインターステイツ15は北に進み,アイダホ州を越えて,モンタナ州に向かっていく。
 私は,この旅のはじめ,このインターステイツ15を北から南に走ってきたのだった。もうあれから1週間が過ぎたことを実感した。それと共に,この1週間で,数えられないほど貴重な経験をたくさんした。そして,そのほとんどは,多くの日本人が一生かかっても手に入れられないことなのだった。この幸せを感謝しょう。
 
 ここでインターステイツ84に進路をとった。いよいよドライブの最終段階だった。
 途中でRV車のキャンプ場があったので立ち寄って,そこにあったレストランで昼食を取った。アメリカではRV車のキャンプ場がいたるところにある。日本では道の駅などに小さなRV車を停めて真似事をしているのを見かけるが,所詮はおこちゃまの遊びの域を出ていない。
 このキャンプ場では多くのキャンピングカーが停まっていたが,釣りのできる池があったり,スケールの大きさにびっくりした。

 そうこうして,マウンテンホームに到着したのが,この日の午後2時過ぎであった。
 今回は走行距離3,300マイル弱,約5,300キロ,つまり日本の本州を2往復以上できる距離を,アイダホ州,ユタ州,コロラド州,ワイオミング州,ネブラスカ州と走った。
 ユタ州は想像以上のところであったし,念願のデンバーはとてもすてきな都会であった。ワイオミング州はまた来る機会があるだろうが,まだまだ行ってみたいところがたくさんある州だ。
 果たして,私は,また,ネブラスカ州に行く機会があるだろうか…。
 美しく平和な町マウンテンホームから30分くらい南東に行くと広い公園がある。市街地からわずかな距離だが,このあたりは,すでに何もない台地が広がっている。そこには砂山があって,360度の景観を楽しむことができるのだった。
 夕方,そこへ行った。夕日がきれいだった。また,この公園には,天文台もあった。この日はあいにく曇っていて星を見ることはできなかったが,ホールでレクチャーを聞くことができた。
  ・・
 これからの数日は,私がマウンテンホームでホームステイをしたプライベートな休日であった。
 したがって,これまでのような波乱万丈の旅でもなく,のんびりとすごした休日だったので,日常のような生活であった。
 この町の様子は,また,この旅をした1年後,つまりこの夏の様子とも合わせて,「2015夏アメリカ旅行記」でも紹介したい。そこで,次回からは,この後の数日の様子を断片的に記することにして,「2014夏アメリカ旅行記」を終えたいと思う。

DSCN2516DSCN2517DSCN2519DSCN2541

☆8日目 8月9日(土)
 半袖では寒い朝だった。
 宿泊したホテルは,ジャンクションのまわりにある多くのホテルの一番遠いところにあって,そこへ行く前の道路は工事中で未舗装だったし,古臭く,私がエクスペディアで探した中で一番安いだけのことはあったが,食堂だけはえらく立派だった。
 ブログで,以前,アメリカのボールパークのことを書いたが,ホテルについても同様なことがいえる。古いホテルは内装がくたびれているが,食堂などが豪華なのだ。それに比べて,新しいところは合理的だが,そうした遊びの部分が少ないわけだ。内装も同様である。
 また,いつも感じるのだが,その旅で行った地域ごとに,朝食が全く違っていて,いつもはずれだったり,その反対だったり,それは地域による差なのではなくたまたま私が泊るホテルによる偶然なのか,その地域によるものなのか? それがよくわからないのだが,この夏の旅で泊まったホテルの朝食は,どこもかなりまともであった。

 食事のときに現れた一見コワモテのおじさんと話をした。彼は,昔ベトナムで従軍していて,退役後はペプシコーラの配達でアメリカ中を走ったということだった。
 アメリカでは,軍人の地位が日本人の考えている以上に高い。考えてみれはそれも当然で,国を守る仕事は最も大切なのだ。それは,国民を守ることが政治のもっとも大切な仕事だから当然なのだが,今の日本人には,よい悪いは別として,そういう意識すらない。しかも,そうした軍人が退役して歳をとった時に,昔のそういった時代のことを称えるセレモニーが,アメリカではどんな場でもあることも,また,日本人は全く知らない。
 彼が言うには,若いころは世界をたくさん見たが,もう今はアメリカ以外行く気はないなあ,特にワイオミングは涼しくて素晴らしいなあ,ということであった。アメリカで生き抜いた初老の人たちは,日本でくたびれた初老の人たちよりもずっと若々しいと思う。

 私は,朝食後,ホテルをチェックアウトして,ゆっくりとアイダホ州のマウンテンホームまで戻ることにした。
 ホテルを出て,すぐにあるジャンクションでインターステイツ80に入って少し走るとワイオミング州の州境で,それを越えるとユタ州であった。
 その後,インターステイツ80は南西に進路を変える。エコーという町でインターステイツは2方向にわかれる。北西向きにはインターステイツ84がはじまり,南向きにはインターステイツ80が延びていって,それをそのまましばらく進むとインターステイツ80は西向きになって,ソルトレイクシティで,南北に走るインターステイツ15を跨いて,そのままネバダ州に進んでいくのだ。
 私は,ここでインターステイツ84に乗り換えた。今日の最後の写真のように,インターステイツ84はインターステイツ15と共有区間で,しばらく北上をして,アイダホ州をめざして進んでいった。
 もう,アイダホ州も目の前だ。
 そうして,アイダホ州に入ると,私のこの夏の長いドライブもそろそろ終わりを迎えるのだった。

DSCN2502 DSCN2512 DSCN2507 DSCN2493

 今日ホテルを予約したエバンストン,私はこの町のことは全く知らず,単にアイダホに帰る途中の手ごろでホテルがたくさんあるところという理由だけで選んだのだった。
 インターステイツ80を走っていくと,エバンストンの町が見えてきたので,私は,インターステイツを降りて,エバンストンの町に降りた。ホテルの場所はちゃんと確認をしてあったので道に迷うこともなくホテルに到着したのだが,結論を言うと,私の降りたジャンクションよりもその次のジャンクションで降りたほうがずっとホテルには近かったのだった。

 エバンストンはそれほど大きな町ではないが,インターステイツ80はエバンストンのダウンタウンの南側を少しだけ大回りしながら迂回して通り過ぎるように走っていて,町の東側と西側にジャンクションがあったのだった。
 私は,東から走ってきたから,町を見つけて東側のジャンクションで降りたのだが,西側のジャンクションで降りたほうがホテルに到着するには便利だったということだ。
 というのは,西側のジャンクションの周りは新しい町で,どこにもあるような大型のショッピングセンターや全国チェーンのホテルが並んでいるところで,反対に東側のジャンクションから自然にダウンタウンに入っていく道の周りは,ヨーロッパでいう旧市街にあたるところで,西部開拓時代の雰囲気ただよう素敵な町が,碁盤の目のような道路に囲まれてあったのだった。
 しかし,私は,東側のジャンクションで降りたから,そのために,この町のよさを知ることができたということだった。

 これだけアメリカの小さな町を旅していても,私は,未だ,こうしたすてきな町の雰囲気を味わうことができないでいる。これはとても残念なことだ。
 こうした町は,交通量もそれほど多いわけではないから,路上駐車ができる。というよりもできるように町が作られている。そこで,そういう場所に車を停めて,歩いて町を散策できるのだが,町には,教会とか小さな商店とか,そういうものが並んでいて,アメリカだ,と実感できるわけなのである。いわば,日本の江戸時代の旧街道の保存された宿場町のようなものである。
 だから,とても雰囲気がいいのだが,こうした町にあるレストランにはなかなか入りそびれるのだ。知人でもいれば問題ないのだが,中に入っても,メニューがよくわからないから,何を注文するか困ってしまうわけだ。
 それは,初めて日本に来た外国人が高山でそば屋に入った姿を想像すれば同じようなことだ。
 というわけで,今回も,美しい月明りの下,せっかくこの町を歩いてみたのに,食事をする場所を見つけることもかなわず,結局は,ホテルの近くまでもどって,なさけないことに,Wendy's でハンバーガーを味わうことになってしまったのであった。

 ホテルは悪くはなかったが,残念だったのは,ホテルの場所が,ホテル街の一番はずれで,前の道路がまだ工事中で,未舗装道路を走らなければならなかったことだ。これはホテルの責任でもないけれど,せっかくのすてきな町の印象をずいぶんと損ねる結果になってしまったのだった。
 いずれにしても,アメリカを旅して,一番いいなあと思うのは,こうした日本では全く知らない小さなこんな町に出会った時だ。
 きっと,外国人が木曽路をドライブして,奈良井宿にたどり着いた,みたいなものであろうか…。奈良井宿に信州そばのお店は似合っても,バンバーガーチェーンは似合わない。まあ,そんな感じだ。

DSCN2459 DSCN2472 DSCN2475

 やがて道路は写真のよう一直線になって,あとは,インターステイツ80に戻るだけとなった。
 どうですか? さすがにこうした道路も見飽きてきませんか?
 アメリカは,こんな道路ばかりなのだ。しかし,場所によってずいぶんと景観が違うし,その成り立ちを知るにつけて,私はドライブに退屈することは全くなくなった。

 考えてみると,私は,1年のうちのわずか数週間のアメリカ滞在なのに,車の走行距離は日本で走る距離より長い。日本では,かろうじて星を見にいく深夜だけは,道路も少しはまともに走れるから車に乗るが,昼間はほとんど車で遠出をしないし,したくない。それは,走るよりも止まっている時間の方が長いから,乗る気にならないからだ。
 私は,日本の道路行政は,根本的に間違っていると思う。それをここで書いてもどうにもならないのはわかっているが。最も問題なのは,交差点ごとに設計が異なるということなのである。だから,事故になる。そして,その次は,道路標示がわかりにくいといういうことである。混み合った道路の地面に表示を書いてどうなるというのだろう。実際は標識を建設する費用をケチっているというだけのことだろう。
 こうした,物事を合理的に処理したり,予算を適切に配分するということのできない日本人の能力を,私はすっかり見限っている。
 その反面,意味もなく細かく気をくばって,その結果余計にわかりにくく複雑にして,街をきたなくする能力は世界一だ。

 閑話休題。 
 これまでに書いたように,ダイナソア国定公園を往復するのに予想以上に時間がかかって,結局,そのあとで行こうと思っていたフォッシルビュート国定公園へは行くことができなくなってしまった。
 すでに書いたように,きょう,そのままアイダホに帰ろうか,それともどこかに寄ろうかなど,ずいぶんと迷ったあげくに行くことになったのが,このダイナソア国定公園であった。
 実は,その前に,よほど,ワイオミング州のグランドテイトン国立公園にまで足をのばそうかとも思っていたのだった。しかし,もう一度行ったことがあったし,この時は,ずいぶんと多くの国立公園に行ったあとだったから,さすがに満腹感が強くて,しかも遠くて行く気力が失せていたのだった。

 今晩の宿泊場所は,エバンストという町のホテルにした。ワイオミング州の州境にある町だった。
 エバンストン(Evanston)は,ワイオミング州南西部に位置する町だ。周囲は沙漠に囲まれているが、東西の地平線のかなたにはロッキー山脈の頂を望むことができるという180度に広がる太く美しい虹が印象的な町ということだ。人口はおよそ1万人である。
 この町の歴史は西部開拓時代に遡り,当時は西へ向かう要所として栄えた。そして,東西から伸びてきた大陸横断鉄道が、1869年にこの地でつながったことから,大陸横断鉄道開通の地としても知られた。そのために,エバンストンのダウンタウンは西部開拓時代の雰囲気を今も色濃く残している。
 私はこの町の近場には観光地がないと思っていたが,調べてみると,車で1時間弱の距離にウインタ山があり,手付かずの自然の中で,フライフィッシングやオートキャンプが楽しめるのだという。
 また,エバンストンには州内でもトップクラスのエバンストン高校(Evanston High School)があるということだ。

DSCN2421DSCN2433DSCN2436DSCN2441

 ダイナソア国定公園の恐竜博物館を出て,よほどトレイルを歩いてビジターセンターに戻ろうかとも思ったが,他の誰もがシャトルバスに乗るので,主体性のない私もシャトルバスに乗り込んでビジターセンターにもどった。
 そして,駐車場に停めた車を走らせて,再びインターステイツ80にもどることになった。
 来た道をもどっていってもよいのだが,「V」の字にもどったほうが近いから,私は,ダイナソア国立公園から国道40を西にしばらく走って,三叉路を国道191を北に走り,途中で,来た道とは離れて,北西に州道414を走って行った。
 ところが,この道がまた,途方もない道路であった。これは,まったく想定外であった。

 道路は,例によって片側1車線の舗装された問題のないものであったが,まわりは草原ではなく,信州の山の中のような感じであった。そして,「ウシ出没注意」の道路標識があった。私は,北海道の「クマ出没注意」とか,長野の「シカ出没注意」のようなものだと軽く考えた。
 そういえば,「クマ出没注意」だって,日本では,近年は笑いごとではなくなっているし,シカなんて,星を見ようと深夜に走っていると,国道にいくらでも歩いている。
 先日なんて,可哀そうにクルマにひかれて道路上でのたうちまわっているシカを見たばかりだ。

 ここの道路標識の「ウシ出没注意」は,ほんとうにウシ出没注意なのだった。
 私がはじめに見たのは,道路際をのしのしと歩くウシさんの親子連れであった。かわいいものであった。しかし,そのあとで見てしまったのは,道路を横切る,のではなく,道路にたたづむウシさんの姿であった。
 私だって,これまで,国立公園の周回道路で,バッファローが横切るもの目撃したし,ノースダコタ州では恐怖を感じるほど目の前にバッファローの親子連れが現れた経験もあるけれど,ここは,国立公園ではなく,一般の州道なのだ。ともかく,ウシさんを轢かないようにゆっくりと進むしかなかった。
 そうこうするうちに,はるかかなたに牧場が見えてきた。どうやら,ウシさんは,この牧場の住人らしかった。
 あとで聞いた話では,こうしたウシはすべて誰かの持ち物で,もし,轢いたりしたらえらいことなのだそうだ。1頭200万円は下らないという話だ。
 保険でそれが出るかどうかは知らないが,要するに,そんな道路は走らないのに越したことはなかったのであった。そんなこと,私は全く知らなかった。
 
 ウシに注意しながら,州道414をさらに走っていくと,道路は十字路に差し掛かり,ちょっとした町になった。
 ここは,マウンテンビュー(Mountain View)という町であった。
 マウンテンビューは,ワイオミング州の南西のはずれにある人口が1,200人ほどの狩りと釣りができる,というかそれ以外にレジャーなどない素敵な町である。
 私は,アメリカのこうした田舎町がなぜか大好きなのだ。何かとても懐かしさを感じるのだ。前世は,こういうところに生きていたのに違いない。
 しかし,こんな町に行ったことのある日本人が果たして何人いることであろうか?
 この交差点を右折して,さらに北に進んでいくと,やがて,インターステイツ80に戻ることができるのだ。
 私は,この交差点の角にあったガソリンスタンドで給油して,ついでに自分にも給油? した。
 やっと無事戻ってこられたようなホッとした気持ちになったものだった。 
 右折して,さらに北上を続けた。
 まだまだ先は長かったが,ともかく,こうしてダイナソア国定公園から戻ることが出来た。予想ををはるかに超えた回り道になってしまったが,とても楽しい経験であった。

DSCN2377DSCN2387DSCN2392

 写真で見てもおわかりであろうが,こんな建物を強引に作ってしまうのも,また,アメリカという国なのである。
 この建物は,前回書いたように,恐竜の発掘された崖にそって作られているが,今日の1番目の写真のように,むき出しになった崖の表面を見ることができるようになっていた。
 私は恐竜に詳しくないのでよくわからないし,あまり興味がわかなかったのだが,そんな素人の私にも,この崖のあらゆるところに恐竜の面影が残る骨格が生々しく残っているので,思わずすごいものを見たと思った。
 そして,2階と1階には,2番目と3番目の写真にあるように,恐竜の骨格や,この時代に関する詳しい展示模型もあって,非常におもしろいところであった。

 恐竜は大型ハ虫類の一群で,主竜類に属する。恐竜の仲間は約350属確認されていて,鳥形骨盤類である鳥盤目恐竜とトカゲ型骨盤類である竜盤目恐竜の2種類に分類される。
 恐竜が登場したのは約2億3,000万年前の三畳紀後期のはじめで,初期の恐竜は小型で3メートルから4.5メートル以上のものはいなかった。
 それが,約2億1,200万年前から1億3,000万年前のジュラ紀になると,環境に適応した結果,様々に進化していった。
 陸には巨大な獣弓目,空には翼竜などの鳥盤目,海には首長竜などの鰭竜目や魚竜目が現われて,これらが陸・海・空すべてを支配するようになった。
 鳥の先祖が鳥盤目から分化したのもこの頃のことである。

 ところが,6,500万年前,恐竜は忽然と地球上から姿を消してしまったのだ。
 最近の研究では,それは,小惑星衝突説が有力である。直径10キロメートル,重さ1兆トンもある隕石の衝突事件が恐竜を滅ぼしたというこの小惑星衝突説は,1980年にカリフォルニア大学のアルバレスらによって発表された。その証拠は,恐竜が絶滅した6500万年前の地層から各地で発見されたイリジウムという物質である。イリジウムというのは地球外起源物質,つまり地球ではできない物質なのである。

 1億4千万から5千万年前のユタ州周辺は,浅い海になったり陸地になったりしていて,多くの恐竜が闊歩する沼地であった。
 恐竜絶滅ののち,ロッキー山脈が出来たときの隆起によって太古の地層が押し上げられ,そのために,現在,ここ一帯で恐竜時代の遺跡を発見することができるのだ。
 このダイナソア国定公園にある博物館は,1909年,ピッツバーグにあるカーネギー博物館のアール・ダグラスが研究の結果,「このあたりには恐竜の化石があるに違いない」という結論に至り発掘したところ,たくさんの骨が出てきたというところなのである。
 1942年まで発掘を続けて,22体の完全な恐竜の化石とともに多くの骨が発見された。ここに露出している骨片の数はなんと2,300もあるということだ。

DSCN2361DSCN2364DSCN2366DSCN2368

 この建物,つまりビジターセンターの奥の出口からシャトルバスが出ていた。行き先は,恐竜の化石が発掘されたままの地層を目の前で見ることができるように覆いがつけられた博物館の建物であった。それはかなり高い山の上にあるが,そこまでトレイルがあって,シャトルバスに乗らなくても歩いても行けるということだった。また,そのトレイルには,恐竜の化石が今でも転がっているとかいう話であった。しかし,かなりの山登りをしなくてはならないし,この暑さではとてもではないが,それを歩くという気にはならなかった。

 シャトルバスの乗り場には,2両編成のバスが停まっていた。
 その乗り場の手前で,太陽観測をやっているおじさんがいて,みんなに太陽を見せていた。
 使っていた望遠鏡は,太陽観測をするための「coronado」という正規のものだったので,いいかげんな見世物ではなかった。どうやら来た人に黒点を見せているようであった。私も,おじさんの誘いに乗って太陽を見た。それは,単に啓蒙用として見せていたのか,あるいは,「coronado」の宣伝用であったのか,その真意はわからないが,きっと,前者なのであろう。
 私は,太陽を見ながら,2017年のアメリカ横断皆既日食の話で,そのおじさんと盛り上がっていた。

 思えは,太陽なんて,望遠鏡で直視したのははじめてであった。
 私が子供のころは,おもちゃ -そのころはおもちゃとはおもえなかったが- に毛の生えたような天体望遠鏡が欲しくて,親にねだって買ってもらったことがあった。そうした望遠鏡には,すべて,なぜか,サングラスとムーングラスというものが付属品としてついていた。接眼レンズにはめ込んで使用するものでサングラスは真っ黒でムーングラスは緑色をしていた。
 当時の専門家曰く,ムーングラスなど必要ない,と雑誌に書いてあったので,子供心にも,これはまがい品のにおいがしたが,実は,問題だったのは,ムーングラスではなくサングラスの方であった。実際はあんなもので太陽を直視したら危険なのであった。さすがに,現在売っている望遠鏡にはそうしたものは付属していないが,当時は,サングラスというのは当たり前の付属品であった。流石にニコン(当時の日本光学)の望遠鏡だけは,このサングラスというまがい物はついていなかった。
 思えば,昭和というのは,こうした,危うい時代だったのだ。
 もちろん,ここで使用していた「coronado」は,正しい遮光を用いた現代の望遠鏡であった。アメリカはいい加減に見えて,こういうところは日本よりずっとしっかりしているのだ。

 恐竜の化石を見せる建物まで行く2両連結のシャトルバスには,女性の運転手が乗客を待っていた。
 次第にお客さんが集まってきて,やがてバスが出発した。かなりの坂を登って行くと,あたりは,見晴らしのいい頂上になった。そして,建物に到着した。
 恐竜を見せる建物は,化石が出土した崖に沿って作られているもので,中は3階建てになっていて,それぞれの階から壁になった崖に,恐竜の化石がそのままの状態で展示されいて,興味深く見学することができるのであった。
 話によると,この建物を作るには,かなりの苦労と工夫が必要であったらしい。

DSCN2345DSCN2350DSCN2354DSCN2357

 このあたりを,アシュレイ国有林(Ashley National Forest)という。インターステイツ80から国道191に入ったころの平坦な景色とも違い,また,ユタ州の国立公園の景観ともまた違った素敵な風景であった。このあたりには何らかの鉱山があったようで,そうした発掘現場らしいところもみられた。
 やがて,町になった。この町がバーナルであった。
 バーナルは人口が1万人。ユタ州の他の町と同じように,モルモン教徒が作った町である。この町の経済は,石油,天然ガス,リン酸塩,ギルソナイトなどの天然資源からなっているが,私がダイナソア国定公園をめざすように,恐竜の化石博物館目当ての観光産業も盛んである。
 また,アウトドア愛好家の間では,釣り,狩猟,および他の野外活動のための観光スポットとしても有名である。
 アメリカによくある小さな住みやすそうな町で,町中も,車は多いが走りやすいところであった。

 町で道路は西に国道191,東に国道40と別れて,国道40へ針路をとってしばらく走っていくと,やがて,左側,つまり北側に,雄大な山々が見えてきた。さらに走っていったところに,例によって小さな道路標示で,「ダイナソア国定公園」とあったらしいのだが,私はどうやらそれを見落としてしまったらしい。
 さらにしばらく走ってから,めざす国定公園の入口はどうやら過ぎてしまったと気づいたので,引き返すことになった。今度は,この道路標示を見つけることができたので,右折して(引き返しているので),北に向かう道路を走っていった。そこからもさらに進むと,やがて,この国定公園の建物が見えてきた。建物の手前には大きな駐車場があったのだが,そこには,多くの車が停車してあった。 

 それにしても,といつも書くのだが,こんなに遠く不便なところなのに,これほど多くの人が来ているというのが不思議なことであった。
 日本でも,バブル期に,北海道の不便なところに,多くのテーマパークができた。私も,そのうちのいくつかに行ったことがあるのだが,今となっては,すべて廃園となってしまった。この狭い日本で,わずか1時間くらいで行けるところですら,そんな状況なのである。
 しかし,考えてみれは,ここダイナソア国定公園は,人間の作ったテーマパークのように,その地域とはほとんど無縁な人工物ではないのだ。ここにしかない,人の手をはるかに超えた大自然の作りえたものなのである。
  ・・
 私は車を停めて,建物に向かった。
 入口には,これだけの施設には不似合いな,安っぽい恐竜の作り物があった。それも,また,アメリカらしいじゃあないか。
 この建物が展示室ではなくて,ここは売店と,子供たちの学習室であった。
 その建物を通って裏の出口を出ると,その先に,小高い山に行く2両連結のシャトルバスの乗り場があった。
 どうやら,展示室は,そのはるか山の上にあるらしい。

DSCN2309DSCN2316DSCN2324DSCN2325

 フォッシルビュート国定公園とダイナソア国定公園を比較して,私は,まずダイナソア国定公園へ行くことにした。そりゃ,絶対こっちのほうが面白そうでしょ!
 ダイナソア国定公園は,地球の歩き方にはソルトレイクシティからの行き方しか書いてなかったが,私は,インターステイツ80からダイナソア国定公園へ向かったから,マイルマーカー99のジャンクションで国道191を南下することになった。
 予定では,ダイナソア国定公園へ行った後でインターステイツ80に戻り,その後でマイルマーカー18で国道189を北上してフォッシルビュート国定公園へ行く,という予定であった。
 しかし,やがて,その考えがとても甘いことに気づかされるのであった…。

 「地球の歩き方」には,ダイナソア国定公園について「寄り道というには遠い」と書かれてあった。私の友人のNさんに,私がダイナソア国定公園に行ったと話したら,「そんな遠い所へ…」というようなことを言われたから,やはり,ここは,とんでもなく遠く不便なところであったというわけだ。
 このときの私はそんな事とは知らず,恐竜の化石が見られるぞ,というワクワク感で一杯なのであった。

 さて,写真をご覧ください。
 国道191は,今日の1番目の写真のような道路だった。見慣れているとはいえ,このまっすぐに続く道路は尋常ではない。こんな道路がどこまで続いているのだろう…。
 数年前にサウスダコタ州からノースダコタ州に行ったときの,な~んもないと感激した私はうぶであった。その後多くの道路をドライブしてみて知ったのは,アメリカなんて,どこもかしこも,こんなところばかりじゃあないか! ということであった。
 しかも,ここからさらに2時間走れは,大都会ソルトレイクシティなのです。

 結局,私は,50マイル,80キロメートルほど,こんな片側1車線の,それも,まったく対向車線から車の来ない国道191を南に向かって走っていった。やがて,「ようこそユタ州へ」の看板と恐竜が私を迎えてくれた。
 しかし,ダイナソア国定公園は,ここからまだまだ遠いのだった。
 さらに,国道191を100キロメートルくらい南下すると,バーナル(Vernal)という町に着くのだが,そこで道路は二股に分かれ,国道191は西へ,国道40が東に向かう。ダイナソア国定公園は,その国道40をさらに20キロメートルくらい行ったところから北に広がっているのだが,その入口がどこなのかすらよくわからない。地図には,東京都の広さくらいの場所に,ダイナソア国定公園と書いてあるきりだった。
 これでは,大阪から京都へ行くときに,時間があるからちょっと寄り道といって,日光へ行くようなものではないか!

 ダイナソア国定公園にはまだまだ遠かったが,国道191は,ユタ州に入ったところで,フレミング・ゴージ国立保養地(Flaming Gorge national Recreation Area)という雄大なダム湖に出会った。
 ここに1件の売店があった。このあたりには,ピクニックエリアとか,キャンプ場があって,ボートやらヨットを引いた車が結構いた。その奥には,さらに,雄大な景色が広がっていた。
 アメリカというのは,本当に,底が知れない。そして,こういったアメリカの雄大な姿をほとんどの日本人は知らない。
 ほとんどの日本人はアメリカの大都会しか知らないが,私は,人間の作った大都会よりも,こうしたところで満天の星が見たいといつも思うのだ。

DSCN2297 DSCN2283DSCN2288 DSCN2302

 前回の最後の写真にあったLove'sというのは,ガソリンスタンドの名前である。私は,そこで休憩して,ガソリンを入れた。そしてまた,水分補給をした。
 Love'sは日本ではなじみのない名前であろう。固有名詞というのは,知らないと何が何だかわからない。しかも,この名前から,ガソリンスタンドを思い起こすことは,知らなければ不可能であろう。

 Love'sは全米チェーンのガソリンスタンドであって,アメリカでは頻繁に見かけるお店である。
 このチェーン店は,1964年にトム・ラブとジュディー・ラブさんが始めたガソリンスタンドで,アメリカではじめてセルフサービスのガソリンスタンドをはじめたり,今やアメリカでは当たり前の,ガソリンスタンドとコンビニを併設したりして,その事業を拡張していったのだという。彼らが最初に始めたコンビニの名前はミニストップなのだというが,それが日本のミニストップと同じものかどうか,私は知らない。
 ともかく,彼らのはじめたミニストップは,日本のようなお店ではなく,単なるコンビニであった。
 ガソリンスタンドのほうの名前は,はじめはマスケットといったが,1973年に彼らの名前から今のものに変わったということだ。

 私は,こうした,日本ではなじみがなく,アメリカ人には当たり前の様々なお店やその利用法を載せたガイドブックがあればいいなあ,と思う。逆に,日本では,これだけ多くの外国人が来るのだから,吉野家の利用法,たとえば,「つゆだく」の説明とか,そういうガイドブックがあると面白いと思うのだが…。
 そんなわけで,私は,今後アメリカ旅行をする際には,日本ではなじみがないが,こちらでは当たり前というようなチェーン店を調べてみたいと思うようになった。
 このように,旅行をしていると,まだまだやりたいことがたくさんできる。
 どなたか,このアイデア,使いませんか?

 さて,この旅行では,インターステイツ80からの風景もたくさん写したが,どれも,そう変わりはないので,このブログではどんどん割愛して,今日の写真は,マイルマーカー107,国道191とのジャンクションである。
 このこともすでに書いたが,マイルマーカーは州境西からの距離なので,マイルマーカー107というのは,ワイオミング州の西の端から107マイルということである。今日,私はネブラスカ州から西に向かって走ってきたから,ワイオミング州のはじめのマイルマーカーは401であった。そうすると,すでに300マイル,つまり500キロ近く走ってきたことになる。
 国道191は,インターステイツ80からグランドテイトン国立公園とイエローストーン国立公園を経由して,モンタナ州のボーズマンに至る国道である。ここで,私は,この道をボーズマンからウェストイエローストーンまで走ったときのことを思い出すのだった。
 私にとっては,これまでに行ったアメリカ旅行でのさまざまな出来事が人生の思い出のほとんどを占めているのだ。本当に素晴らしきよき人生であることよ。

DSCN2216DSCN2219DSCN2230DSCN2263

 そのようにして見つけ出した候補が,フォッシルビュート国定公園(Fossil Butte National Monument)とダイナソア国定公園(Dinosaur National Monument)であった。
 フォッシルビュート国定公園は,インターステイツ80から北に37マイル,60キロメートル行ったところにある。5,000万年前に湖だったところにあって,ワニ,カメを始め,多くの魚類や昆虫,植物の化石,骨,歯,殻,皮などが展示されているということだ。
 ダイナソア国定公園は,インターステイツ80から南に250マイル,400キロメートル行ったところにある。ブロントザウルス,ステゴザウルスなど1,600に及ぶ恐竜の化石が発掘されたところで,浸食によって化石が露出した岩盤をそっくり建物が覆って展示されているところだということだ。
 私は,この両方を見にいこうと思った。共に派手なところでもなさそうだが,アメリカのこうした施設は,日本のそれと違って,行ってがっかりというところはまずないから,期待が持てる。
 その結果は…?
 それは,後日のブログのお楽しみとしよう。
  ・・
 ワイオミング州は広い。今日,この国定公園に行くのは,まだまだ先のことで,これから,まだ500キロメートル以上インターステイツ80を西に向かって走らなくてはならない。そこで,このブログでは,まだしばらくは雄大なワイオミング州のインターステイツ80からの風景をご覧いただこう。

 今日の写真の2番目は,インターステイツのパーキングエリアである。
 パーキングエリアといっても,トイレ以外な~んにもない。ただの休憩所である。
 アメリカのインターステイツは,ほぼどこも無料だから,ジャンクションで降りれば,ガソリンスタンドもコンビニもある。そこで,日本のように,サービスリアやパーキングエリアが充実しているわけではなく,また,そんな施設はほとんど必要がない。
 しかし,町と町との間がものすごく離れているところや,景色のきれいなところには,時折,このようなパーキングエリアがある。設備としては,トイレと自動販売機くらいのものだが,ここのパーキングには,自動販売機すらなかった。
 パーキングエリアは,どこも,ほとんどゴミもなく,とてもきれいなところである。
 州境には,観光案内所が設置されていることがある。
 こうした観光案内所は大変にすばらしく,地図やパンフレットがものすごくたくさん置いてあって,それらはすべて無料でもらうことができるし,フレンドリーな係員がいて,いろいろと教えてくれる。

 これを書きながらも思い出すのは,停めるところもないくらい車だらけのパーキングに,道路地図だけが置かれ,必要もないのに,我勝ちにそれを持っていくといった,日本のサービスエリアの様子である。これでも近年は充実した設備が増えてきたけれど,都会の郊外にある巨大ショッピングセンターとなんら変わるものではない。
 また,道の駅にしても,地元の特産品を売る店があるだけで,自然を満喫したり,その場所の景観など全く考えられていないような設備投資をする日本の姿である。 
 まあ,これが日本人の休日の楽しみ方だから仕方ないことであるけれど。

DSCN2175DSCN2176DSCN2182DSCN2204

 昨晩,きょう1日の予定を考えた。アイダホ州に戻るのは明日の昼過ぎということにしていたので,まだ,1日観光ができたし,ネブラスカ州からアイダホ州まではかなりの距離があったから,どこかで1泊したほうがよいように思えた。そうして探したのが,ワイオミング州とユタ州との州境エバンストン(Evanston)という町のハワード・ジョンション・インという名のホテルであった。
 つまり,今日1日で,ワイオミング州を横断すればいいことになる。
 
 ワイオミング州は,ほぼ正方形の形をしていて,私の走っているインターステイツ80は,その南側を通っている。
 西の州境に沿って見どころが多く,北から,イエローストーン国立公園,グランドテイトン国立公園がある。
 ロッキー山脈が縦断するワイオミング州は,平均標高はアメリカの中でコロラド州に次いで高い2,000メートル。豊かな自然に恵まれた地域で,人口は少なく, 山間には数多くの野生動物が暮らしている。ワイオミング州の牧場で飼われている羊や牛の数はワイオミング州の人口の2倍以上といわれ,自然 保護運動に関する意識も高い州である。
 ワイオミング州の北西部,四国の約半分の面積をもつ広大なイエローストーン国立公園は1872年に世界初の国立公園第1号に指定されたところである。同じ年に,ワイオミング州北東部にあるデビルス・タワーが「ナショナル・モニュメント(国定記念物)」の第1号に指定された。
 ワイオミング州の意識が高いのは自然保護運動だけでなく女性の地位向上である。1869年には,すでに女性の参政権を認めていた。そして1925年,アメリカ合衆国ではじめて女性の州知事が誕生したのもこの州である。

 結構な距離があるこの州の横断であるが,景色がよく,天気もよく,全く退屈することもなく,ドライブすることができた。ただひとつの問題は,この州に入ったらいたるところで道路工事をやっていて,片側1車線通行だったことだ。車の通行量が多くないから,まったく渋滞はしないが,こちらの道路工事のいいかげんなところは,道路を規制する日本とはちがう大きなラバーコーンが無造作に置かれていて,車幅すれすれだったり,また,そんな状態だから車がぶつけてそれが転がっていたりすることで,あぶないったらありゃしないことであった。
 景色はよくとも,ほとんどの場所はインターステイツ80を離れて北に向かっても,アクセスする道路もほとんどなく,また,どこかへ行くにも,あまりに広すぎるので,1日自由時間があったとしても気軽に立ち寄りるといういものではないことであった。なにせ,この州だけで,日本くらいの広さがある。
 私は,すでにイエローストーン国立公園にもグランドテイトン国立公園にも行ったことがある。また,ここは,アイダホ州から近いので,いずれまた行く機会もあることだろし,きょう1日で行くには遠すぎるから,「地球の歩き方」のアメリカ国立公園編で,どこか行けるとこがないかを探したのだった。

DSCN2151 DSCN2159 DSCN2163DSCN2167

☆7日目 8月8日(木)
 ネブラスカ州の朝である。
 昨日とは打って変わって,天気がいい。快晴である。ネブラスカ州らしからぬ? 天気である。
 部屋の窓から朝日がきれいに見えた。
 さっそく,昨日チェックインしたフロントに行って,その横にあった食堂で朝食をとった。
 無造作に置いてあったヨーグルトとジュース,そして,ワッフルを作った。

 以前も書いたことがあるが,この国は,こうしたチープなホテルでは人件費のかかるサービスは一切ないから,こんな早朝にスタッフなどいない。宿泊代はすでに払ってあるから,もう,チェックアウトをしようが朝食をどれだけ食べようが知ったことないのである。
 たとえば,日本でレンタカーを借りると返却の際に傷の有無を調べるとかいう手続きをするが,アメリカでは,無人で返却が出来る。そんなことに人件費をかける方がコストが高いのだ。
 私は,いつの場合も,きっと宿泊客の中で一番早く朝食を食べ,一番早くチェックアウトをするから,めったに他の宿泊客に会うこともない。
 この日も,朝食を済ませて,さっそくチェックアウトをした。フロントにキーを置いて,車を走らせた。
 こんなふうに旅をしているのだから,高級ホテルに泊まってももったいないだけなのである。

 ホテルを出たら,あとは,昨日と反対方向にインターステイツ80に戻るだけだった。
 まず,ホテルを出て,西に1キロメートルくらい走り,そこで左折して進路を南にとった。そのまま走って行けば,インターステイツ80のジャンクションに到着する。
 昨日はよくわからなかったが,今日の写真にあるように,キンボールは木陰の美しい静かな町であった。
 私のネブラスカ体験は,おおよそこれくらいのものであった。次にネブラスカ州に来るのはいつのことであろうか? 

 インターステイツ80に着いたら,一路西に,アイダホ州に向かって走るだけだった。
 それにしても,こうして自由に旅をしていると,そのままインターステイツ80を逆に東に行きたくなってしまう。そうすると,ネブラスカ州を横断して,アイオワ州,そして,イリノイ州のシカゴまで,きょう1日で行くことができるであろう…。
 そう考えると,大陸横断なんてわけないことだと思えてくる。
 今日は,このまま西に進んでアイダホ州に戻るには少し距離があるから,ワイオミング州を横断して,ワイオミング州の西の端の町で宿泊することにした。
 とすれば,途中でどこか観光ができるのだが,どこへ行くことにしようかと,いろいろと調べてみたのだった。

DSCN2143DSCN2144DSCN2145DSCN2139

 ドアが開かなければ係を呼ぶだけだから,そのときはそのときだ。私は,夕食を取るために外に出た。とはいえ,閑散としたダウンタウン(ここをダウンタウンなどとよべるのであろうか?)にあったのは,客のいないサブウェイだけであった。
 サブウェイで注文をすることのむずかしさを,以前,ブログに書いたが,他に選択肢がないとあっては,そこに入る他はなかった。

 ここで,少し余談を書く。
 私は,生まれてはじめてマクドナルドを体験したのは,サンフランシスコであった。同じように,これまで日本ではサブウェイにも行ったことがなかった。日本でも戸惑うのに,アメリカのサブウェイにいきなり挑戦することの方が無謀ではないか。
 そこで,帰国後,私は日本のサブウェイに行ってみることにした。
 日本でも,やはり,同じようによくわからないのだった。
 アメリカとの一番の違いは,ブレッドが半分のものしかないということであった。そして,野菜は,全部といえば,全部入れてくれるというお任せだったとことと,ソースも,お任せができるという,きわめて,日本的なところであった。
 私は,日本のサブウェイは日本のマクドナルドと同様,割高だと思う。アメリカに比べて量が少ないのだ。これでは夕食どころか昼食にもならない。ドーナツなどのサイドメニューが欲しい所である。

 ということで,この晩はサブウェイしか選択肢がなかったので,ともかく中に入った。サービスをするぞという雰囲気のかけらも感じられないやる気のない店員と,これもまたやる気のない客は,退廃的な雰囲気の中,注文もいい加減に,それでも,どうにか,サンドウィッチが出来上がって,私はそれを受け取ることができた。
 他には客のいない店内で食べる気もなくなったので,サンドイッチに加えてさらにジュースを注文して,私は,それをホテルに持って帰って,ささやかな夕食にしたのであった。

 それにしても,この小さな町,とても平和そうでのどかなところではあるが,他に何もすることがない。買い物に行くにも,隣町は遠いから,住民の楽しみは何なのであろうか? 竜巻との格闘であろうか? 調べてみたところ,レジャーはゴルフであるようだ。付近には大きなゴルフ場がある。というか,ゴルフ場しかない。
 ホテルに戻り,無事にドアも開けて中に入り,テレビを見ながら夕食をとった。夕食というよりは,これは「エサ」であった。
 部屋は辛き臭く,この町が過酷な自然の中に存在することを実感した。
 ただし,テレビのチャンネルは確かで,アメリカでの楽しみ「Tonight Show」を見ることができたのは,うれしかった。こうして,おそらく人生最初で最後になるであろうネブラスカ州の夜は更けていったのだった。
 何も記憶に残らないホテルも多いのに,こうしたことのすべての記憶が鮮明に残っていて,いつしか懐かしい思い出に変わるのだから,旅というのはおもしろい。

DSCN2121DSCN2132DSCN2140DSCN2142

 ネブラスカ州に入って,雨は止んだ。虹が次第にくっきりとしてきて,とても美しかった。私のネブラスカ州体験は,この日の晩と次の日の朝だけだったから,本当の姿はわからない。しかし,思っていたような,ネブラスカ州のイメージ通りだったことに,すっかり満足したのだった。
 やがて,キンボールが近づいてきた。ジャンクションを出て,北に向かって数キロ走るとささやかなダウンタウンに出て,そこに予約をしたホテルがあるはずだ。

 キンボール(Kimball)は人口約2,500人の小さな町である。もともとは,アンテロープビレ(Antelopeville)とよばれていたが,ユニオンパシフィック鉄道が拡張されたときに,その拡張に貢献したトーマス・キンボール(Thomas Kimball)にちなんで,1885年に改名されたという。
 ・・
 「City-Data.com」というサイトがある。
 このサイトには,アメリカのすべての町のあらゆるデータや,投稿されたその町の写真が載っているから,眺めているだけで面白い。その中で私が好きなのは,small cities である。こうした町の写真を見ると,私は,いろんな思いを巡らす。
 こうした町は,メインストリートと名づけられた人気のない1本の道路の周りに数件のお店があって,それをとりまくように住居がある。きっと,住んでみればとても大変なところなのであろうが,なぜか,私はそこへ行ってみたくなるのだ。
 ここキンボールも,まさにそんなところであった。

 ホテル「デイズイン」はすぐに見つかった。小さなフロントと食堂を兼ねた建物と,その隣に平屋の数部屋が並んでいた。
 フロントで,係の若者が迎えてくれた。
 彼は,いったいこの何もない町に何をしに来たんだ,と興味深く聞いた。私は,例のごとく,アメリカ50州制覇のためだけにネブラスカ州に来たのだ,と言ったら,愉快そうに笑った。
 この町には,他にモーテルの1軒もなさそうだったので,このホテルが唯一であるようだった。
 キーをもらって部屋に行った。
 ところが,部屋の戸が開かない。どうやっても開かない。
 私は,再びフロントに行って,先ほどの若者に部屋に入れないと言った。彼は,戸がきしんでいるんだと言って,どこかに力を入れて,戸を開けた。確かに,戸は開いたけれど,今度,自分で同じようにしてこの戸が明けられるかどうか,自信がなかった。
 こんなこともまた,この町の雰囲気に似合わないこともない。
 どう表現していいかわからないが,私は,自分が落ちぶれて地球という惑星のどこにでもある石ころのような物質のひとつになれたようで,旅先のこの不憫さがたまらく好きだ。
  ・・
 さて,夕食をとらなくてはならないが,この町にレストランがあるのだろうか? そして,また,ふたたびホテルに戻ってきたときに,この部屋の戸をあけることができるのであろうか? そうした不安が頭をよぎった。
 こうだから旅は楽しいのである。旅はやめられない。

DSCN6868DSCN6874DSCN2111

 ワイオミング州に入って,インターステイツ25をさらに北上して8マイル,インターステイツ80とのジャンクションに着いた。
 私はここで右折するのだが,インターステイツ25をさらに北上していくと,やがて,ワイオミング州の北部でインターステイツ90とぶつかり,そのままインターステイツ25は吸収されてしまう。インターステイツ90は,アメリカで一番北を東西に横断するが,西はワシントン州シアトルから東に向かうが,アイダホ州を横切り次のモンタナ州で東北東方向にはインターステイツ94,東南東にインターステイツ90と二股に分かれていく。そして,インターステイツ94がノースダコタ州へ,インターステイツ90がサウスダコタ州へ向かうのである。

 今晩の宿泊先は,キンボール(Kimball)という小さな町のデイズインであった。
 私の目的は,「ようこそネブラスカ」という看板の写真を写すだけだったから,そこで引き返してもよかったのだが,興味本位で,ネブラスカ州に1泊することにしたのであった。そこで,ネブラスカ州に入ってからのインターステイツ80の通過する町にホテルがあるかどうかを順に調べていったのだが,なかなかホテルがない。やっと見つけたのが,キンボールだったのである。たいしたホテルでもないのに,需要と供給の関係で,やたらと宿泊代が高かったがやむをえない。  

 右折して,インターステイツ80に入ったころから,なんだか,雲行きが怪しくなってきた。
 きょうは,クワーズフィールドで試合開始前に雨が降ったがそれも止んで,その後はすばらしい晴天であった。この旅ではこれまでもずっとそうであった。
 遠くには,渦巻きすら見えてきて,これが,あの,恐ろしい竜巻なのかと思うと恐ろしくなってきた。だんだんと雲が出てきて,黒い雲の間には,虹さえ見えてきた。異様な風景であった。
 しかし,なんだか,それがまた,とてもネブラスカ州らしく思えたのだった。

 インターステイツを走る大地はだんだんと高度を増していくようで,周りの風景よりも高いところを走るようになってきた。まわりは一面の大地で,竜巻が起こればひとたまりもないなあ,と真剣に心配になってきた。本を読もうが,知識があろうが,そんなもの,こうした景色を一度見るといった体験で得られることの比ではない。
 巨大なコンボイが走っていく。次第に雨が降ってきた。北に見えるのは,石油を掘削する井戸であり,向かっている東は真っ暗な雲である。南を見れば,大草原が広がっていて,後方の西からは夕日がまぶしくバックミラーを照らしている。そして,巨大な虹である。
 いったい,ここはどういうところだろうか? しかし,ともかく私は前に進まなくてはならない。
 そのうち,ワイオミング州の州境が近づいてきて,ネブラスカ州に入ってはじめてのEIXT1の道路標示が見えてきた。私は,念願の「ようこそネブラスカ州」の看板を見落とさないように,スピードを落とした。
 夢にまでみた「ようこそネブラスカ州」は,思ったほどすてきな看板ではなかったが,ともかく,私は,こうして,ネブラスカ州に到達したのであった。
  ・・・・・・
 NEBRASKA …the good life
  ・・・・・・

DSCN2112

DSCN6826DSCN6831DSCN6834DSCN6857

 テキサス州でもないのに,石油を掘削する井戸が見られた。アメリカは,そこらじゅうで石油が出るものらしい。
 道路は片側2車線になり,車も少なくなって,心配された渋滞もなくなり,順調に北に向かって進むようになった。
 やがて,コロラド州の州境を越えて,車はワイオミング州に入った。さらにしばらく行くとシャイアンという町に入り,そこで,東に進路を変えてインターステイツ80に入り100キロメートルほど行けば,ネブラスカ州である。

 ネブラスカ州(Nebraska)は,中西部にある州で,州都は大統領の名にちなんでつけられたリンカーン,最大の都市は州の東端にある人口約40万人のオマハ,50州の中で,唯一議会が一院制の州である。
  ・・・・・・
 ネブラスカとは、古代オトー語のÑí Brásge,あるいはオマハ語のNí Btháskaから来ているとされていて,州内を流れるプラット川に因み,「静水」を意味している。州の大部分は平坦なグレートプレーンズで,西部には巨大な岩がある。
 1850年代,この広大な土地は,ヨーロッパ人とアメリカ人による農地開発のために開拓され,ホームステッド法の下で多くの新しい開拓者が域内に入り,無償の土地の権利を認められた。そのころプレーリーにはほとんど樹木が自生していなかったから,広大なプレーリーは牛の放牧に最適だった。
 しかし,ネブラスカ州は竜巻の通過する圏内に入っている。激しい雷雨と竜巻は春と夏に起こることが多い。そこで,不毛の地(Great American Desert)の一部とみなされ,開拓後はダストボウルによって多くの農地が壊滅したのだった。
 そうした苦労を乗り越えて,現在は代表的な農業州となっている。
  ・・・・・・

 このように,日本であまりなじみのないこの州であるが,何といっても有名なのは,今でも竜巻である。聞くところによると,ネブラスカ州の学校やホテルには,竜巻が起きたときの避難所が設置されているということだ。
 そうしたネブラスカ州であるが,まあ,こんな機会でもなければ,行くこともあるまい,と思った。

 2013年,「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」(Nebraska)という素敵な映画が公開された。この映画の出演はブルース・ダーンとウィル・フォーテである。
 インチキな通知文を信じ込み,当ってもいない賞金を手に入れるために父子がモンタナ州からネブラスカ州リンカーンを目指す。その道中に立ち寄った父の故郷で,昔の共同経営者だった父の友人や親戚,知人と出会いながら,父子が心を通わすという内容のロードムービーである。
 この映画は「象徴的・典型的な外観」を生みだすために白黒で撮影されたから,ネブラスカ州の風景は白黒でしか味わえない。
 この映画のことは,すでにブログに書いたが,とかく,男の人生というのは難しいが,難しくしているのは,男が生まれながらにして持っている「プライド」とかいうお荷物のせいなのであろう。
 私は,これまで,この映画を劇場でも見たし,その後,太平洋を横断するたびに,機内で何度も見た。

◇◇◇
「ネブラスカ」-人生に当たりくじなど必要ない

DSCN6794DSCN6800DSCN6809DSCN6819

 試合が終わった。試合内容はまったく覚えていないが,ものすごく楽しかった。
 これから私は,車で,今日の宿泊先まで行く。目的地は,ネブラスカ州である。
 以前にも書いたが,私はアメリカ合衆国50州制覇をめざしている。その中で残されたいくつかの州のうちのひとつネブラスカ州に足を踏み入れるというだけの理由であった。
 というわけで,試合は楽しみたいが,万一延長戦にでもなればどうしようかと思っていた。まことにせわしない旅,所詮は,私も「せこい」日本人にすぎない。

 クワーズ・フィールドを出て,駐車場に向かった。
 ナイトゲームも美しいが,メジャーリーグはデイゲームがすばらしい。なにせ,景色がきれいだし,終了後が安全でいい。多くの観客は,これから楽しく夕食なのであろう。
 近くの街灯の柱に自転車をくくりつけた若者やら,野球グッズを売る店やら,アメリカらしい風景が一杯であった。また,ダウンタウンは,人生を楽しむ人たちであふれていた。
 私は,ダウンタウンを歩いて,駐車場に着いた。車を駐車場から出した。ネブラスカ州には,デンバーからまず北に向かうことになる。
 駐車場から出て,少し西に走れば,すぐにインターステイツ25に入ることができる。あとは,インターステイツ25をひたすら北に北に進んで州境を越えてワイオミング州に入り,シャイアンという町でインターステイツ80に乗り換えて,進路を東にとれば,ネブラスカ州に達するのだ。
 約300キロメートル,ほんの3時間のドライブである。

 ここまで来ると,「ほんの3時間」という感じなのではあるが,実は,今回の旅の予定はこれで終了してあとはアイダホ州に戻るだけなのであった。しかし,今日泊る予定のネブラスカ州はその反対方向なのである。つまり,ネブラスカ州に足を踏み入れるというのは,アイダホ州とは反対方向に回り道をすることになるわけである。
 駐車場を出て,インターステイツ25でひたすら北に向かって行く。とはいえ,夕暮れの大都会,帰宅を急ぐ車の数が半端じゃない。アメリカの都会の車の数は日本の比ではないのだ。だから,4車線も5車線もあるインターステイツに,ものすごい数の車が走っている。そりゃ,圧巻である。
 走っていくと,やがて,渋滞になった。その先が道路工事中なのであった。渋滞なく順調に走っても,到着は夜の8時ころなのだ。いったい,私は,無事にネブラスカ州に到着できるのか,だんだんと心配になってきた。しかし,幸運なことに,渋滞は思ったほどのこともなく,環状道路とのジャンクションに差しかかるにつれて,車の数は減っていき,それと共に車線も5車線が4車線となった。
 やがて,デンバーの市街地を出ると,インターステイツは,さらに,4車線が3車線,そして,最終的には2車線となっていった。そして,いつものように,のんびりとしたアメリカの郊外の雄大な風景が車窓から眺められるようになってきたのだった。

DSCN6714DSCN6722DSCN6739DSCN6788

 ほんの10分前には全くその兆候すらなかったのに,突然,雨が降ってきた。それも試合開始直前のことであった。私は,山岳地方の天気が変わりやすいように,この雨は一時的なものだろうと思った。それにしても,昨年行ったボストンでは,やっとの思いでチケットを購入したゲームが雨で中止になってしまうし,これでは,晴れ男失格ではないか。

 ダウンタウン同様,この球場も屋外でもフリーwifiがつながったので,アプリで天気予報を見ると,デンバー付近の雲の様子が明確に表示された。それによると,雨を降らす雲の一団が北西から押し寄せてきて,30分もすれば,再び晴れあがるようであった。
 私は,屋根のある立見席で昼食を取りながらこの天気予報を見ていたが,隣にいた人が,これは,今年の開幕ゲームと全く同じ状況だと言った。その時も,試合開始直前に雨が降り出して,すぐにやんだのだという。
 私は,彼に,アプリの天気予報を見せてあげた。

 やがて,場内放送がかかり,試合開始を30分遅らせる,というアナウンスがあった。そんなわけで,中止になるといった心配もなく,この一時的な雨は,しばしの休息となった。
 本当に30分もすると,あれだけ真っ暗だった空が晴れあがって,あれはいったいなんだったのだろうか,という快晴になった。
 試合が始まった。
 雨が降ったおかげで,レフト側の向こうには,ロッキー山脈が,美しく見えるようになった。

 試合は,いつものように,国歌の斉唱からはじまって,さまざまな演出があって盛り上がり,日本でいうところのゆるきゃらのような,被り物をした人がグランドでレースをしたり,まあ,どちらかといえば,アトラクションの合間に試合をしているような,そんな,雰囲気であった。被り物は,アトラクションが終わると,私の座っていたところの隣の通路を歩いて退場していったので,私の近くに多くのファンが押し寄せて,彼らを取り巻いていた。

 MLBを見るなら,よほど見たいプレイヤーでもいない限り,一番安価な座席のチケットを買って,最上段で見たほうがうんと楽しい。しかも,試合がはじまれば,指定席もあってないようなものだから,動き回って,いろんな場所から試合を楽しむといい。
 今回も,私はゲーム自体はどうでもよくて,雰囲気が楽しくて試合を見ているだけだったから,どっちが勝とうと負けようと関心もなくて,アメリカにいるんだなあ,という幸せを感じながら,のんびりと試合を見るつもりであった。が,実は,試合開始直前の雨が幸い? して,通路ごとにいるはずの係員がみんな引き上げてしまったから,このゲームでは試合開始前からすでに座席の指定などあってないようなものとなって,私は,値段の高い上席の空いているところに陣取って,試合観戦と相成った次第であった。

 そんなわけだから,試合の結果はほとんど記憶にないが,予想どおり,ロッキーズの惨敗に終わったような気がする。
 それにしても,ロッキーズ対カブスというのは,この年の最下位同士のどうでもよいゲームなのであったが,観客は,さらにそんなことはどうでもよくて,「ゲームを見ること=人生」を心から楽しんでいた。こういうのを見ると,やたらと勝つことにこだわっているヤンキースなど,最も愚かなことのように思えてくるのが,また,不思議なことである。
 人の生き方も,また,同じである。

DSCN6667DSCN6689DSCN6698DSCN6706

 私は,いつものように,球場のまわりを何度も歩きながら,探検をした。アメリカの球場は,どこも広いコンコースがあって,球場のまわりを1周できるのである。まだ試合開始前だったから,会員制のレストランの中も頼んだら見せてくれた。このように,この球場,ものすごく親切なのであった。私がこれまでに見たアメリカの20以上の球場の中でナンバーワンである。
 日本の,腹黒い,しかし,表面的だけのおもてなしとは別世界であった。
 さまざまな対応が温かく,本当に,この球場は,心から楽しむことができるところであった。

 これまで行った球場で,私が一番楽しかったのは,すでにブログに書いたが,ボストンのフェンウェイパークであった。シカゴのリグレーフィールドもおもしろかったが,フェンウェイパークにはかなわない。
 反対に,とてもデラックスでお金がかかっていることは実感できるが,ヤンキースタジアムは,金持ち相手の球場で,庶民には馴染めないところであった。
 いずれにしても,こうした球場でベースボールを見てしまうと,人工芝に屋根の開かないドーム,さらに,左右対称でおもしろみもなく,コンコースは狭く,遊びの精神に欠けていて,観客は鳴り物でどんちゃかどんちゃかとうるさく,風船ばかり何度も飛ばす日本の野球(場)には,たとえ1億円もらっても,私は行きたくない。

 場内に入ると,レフト後方にロッキー山脈が見えた。これがまたすばらしかった。
 この球場ができる前のはじめの2年間間借りしていた球場にはセンター後方に野球観戦用に増築した仮設スタンドがあったそうだが,その名残りとして,このクアーズ・フィールドには「ロックパイル」という名の観客席(=2番目の写真の中央左の上部が半円形になったスタンド)がある。私もここで見ようと思ったが,人気があって,売り切れであった。

 観客席は,いずれの階も伝統的な落ち着いた緑色に統一されているのだが,3階席20列目だけがチームカラーの紫色に塗ってある(=1番目の写真)。これは,この位置が,ちょうど標高1マイルの高さだからなのである。
 このように,標高の高いこの球場は気圧が低いために打球が飛びやすく,守っていても,フライやライナーがグ~ンと伸びてしまうのだそうだ。また,走ると足が速くなったと感じられるともいう。 
  ・・
 試合開始前,スタンドはどこも自由に入れたので,私は3塁側の内野スタンドの一番前で練習を見ていた。アメリカの球場にはバックネット以外には金網のネットなどという無粋なものはない。それに比べれば,日本の球場は,まるで檻である。
 ちょうどこの日の相手チームであるシカゴ・カブスの選手が練習中で,監督やらキャッチャーやらがスタンドのファンに気軽にサインをしていた。サインなどする気がない,という態度見え見えのヤンキースの選手とは全く違っていた。また,外野では背番号11をつけた藤川投手がランニングをしていたので,日本語で「がんばれー」と声をかけたらびっくりしていた。

 次第に観客増えてきた。
 外野側のコンコースでは,バーベキューをやっているし,1塁側の内野と外野の間にあるコンコースには,人気レストランの「マウンテンランチバー&グリル」があって,大変賑わっていた。また,3塁側内野には「ロッキーマウンテンオイスター」という名物フライ料理を出す売店があった。
 私も,お腹が空いてきたので,ちょっと分量の多いホットドッグとポテトとコーラを買って,昼食となった。といった感じで,試合前の楽しい時間もあっという間に過ぎて,やがて,試合開始の時間が近づいてきた。
 3塁側で練習をしていた藤川投手が,なにやら空を気にしはじめていた。先ほどまでは,とてもよい天気であったし,ここデンバーは雨の少ないところと聞いていたのに,なにやら,雲行きが怪しくなってきたようであった。
 見上げると,北西の空から真っ黒い雲がすごい勢いで向かってくるではないか。
 そして,まさに,試合開始直前,晴れ男の私に挑むかのように,突然,雨が降り出した。

DSCN6617DSCN6628DSCN6636DSCN6641

 ユニオン駅の周辺は,かつてデンバーの中心街として栄えた場所である。
 そのころのデンバーのことは知らないが,今から30年以上に行ったときのアメリカの大都市は,どこも,街の中心街がスラム化して,治安も悪かった。ニューヨークもサンフランシスコもロサンゼルスもそうであった。
 私は,憧れの大国アメリカのそういう姿を知って,どうにかならないのかなあ,と悲しくなった。

 それが,近年は,どこも,そうした,かつての退廃した中心街は,まず,ボールパークなどの集客施設を作り,そのまわりを栄えた時代の面影を残しながら再開発して,レストランやショッピング施設を整備,治安も回復して活気をよみがえらせているのだ。
 私の知る限り,それがなかなかうまくいっていないのはデトロイトであるが,アメリカ人のダイナミックさは,それもやがて克服するであろう。
 それに比べると,日本の駅前の惨状は悲劇的である。郊外に巨大なモールを作り客が逃げ,市内の駅前通りはどこも寂れて商店街は落書きの書かれたシャッター街と化してしまっている。

 アメリカの鉄道駅は改札がないから,ホームにまで自由に入ることができる。
 ちょうど,アムトラック(大陸横断鉄道)が到着する時間であったようで,多くの乗客が電車を待っていた。
 また,別のホームには市外に走る電車が客待ちをしていたところであった。
 広い駅舎はとても美しかった。
 まだ,工事中のところが若干残っていて,クアーズフィールドへ行くまで少し遠回りをする必要があったけれど,試合開始2時間前の開場の時間に,到着することができた。

  ・・・・・・
 クアーズフィールド(Coors Field)は,コロラド・ロッキーズ(Colorado Rochies)の本拠地である。
 コロラド・ロッキーズは1993年にナショナルリーグの拡張球団として誕生した。最初の2年間は,NFLデンバー・ブロンコスの当時の本拠地マイルハイ・スタジアムを間借りしていたが,1995年4月に誕生したのが,このクアーズフィールドであった。
 球場は,周辺の古い倉庫と同じ赤レンガと鉄道駅の敷地だったことにちなんだ鉄鋼を組み合わせた歴史を感じさせる構造になっていて,素晴らしい建物である。
  ・・・・・・

 アメリカの球場は,写真や中継で見る以上に,行ってみると,どこもものすごく豪華である。そして,観客の熱狂がものすごいものである。私は,MLBを観戦するときは開場と当時に中に入ることにしているが,そのころから,すでにものすごい盛り上がりであった。
 実は,コロラド・ロッキーズは,球団ができた当時は,けっこう強豪であったのだが,このところ,弱小球団になりさがっていて,ずっと,最下位を続けている。
 2012年に行ったミネソタ・ツインズもその頃は弱小球団であったが,そんな順位はファンには全く関係がなく,球場は熱狂的なファンであふれかえっていた。
 彼らはこのチームの現在の順位を知らないのではないのか,と錯覚するほどであった。

DSCN6761

DSCN6590DSCN6597DSCN6611DSCN6614

 コロラド州議会議事堂を見学した私は,再び,16番ストリートモールを今度は北西に向かって歩いていった。きょうは,このあと,ダウンタウンをのんびり歩いて,クアーズフィールドでMLBを観戦するのである。

 私が昨日以来,ズボンのベルトを探していたのを覚えておいでであろうか? 海外旅行では,飛行機で座っていることが多いために,少し大きめのズボンをはいているのだが,搭乗時のセキュリテイチェックでベルトをはずす必要があるために,めんどうだから,ベルトをしていないのである。元来,私は,腕時計もしないし,できるだけ何も身につけたくない。さすがにアメリカの町歩きをするときはスニーカーを履いているが,機内ではサンダル(クロックス)である。
 しかし,今回は,少しズボンが緩すぎた。それで,ベルトを買おうとずっと思っていたのだが,その機会を逸していたというわけであった。

 紐でもなんでもよかったくらいだったのだが,そうしたものもなく,ついに,デンバーまで来てしまった。
 ストリートモールを歩いていたら,1軒のお土産屋さんがあったので,中に入った。
 さすがカーボーイの国アメリカ。結構な数の高級品のベルトが置いてあったので,意を決して(大げさだ),ここで,その中で最も高級でないベルトを購入することにした。そんな次第で,このときはじめて,私のお腹まわりに,それでもけっこうぜいたくなベルトがまかれたのであった。

 次に,コーヒーブレイクをすることにした。私が入ったのは,カリブーコーヒー(Caribou Coffee)というお店であった。
 カリブーコーヒーは,アメリカでスターバックスの次に大きなコーヒーショップである。ここのスローガンは,「Life is short. Stay awake for it.」 なのでだそうだ。
 このお店も屋外にテーブルとシートがあったので,そこで,のんびりとコーヒータイムを楽しんだ。
 驚いたのは,屋外でもフリーwifiがつながることであった。
 コーヒーを飲みながら街の様子を楽しんだあとは,再び街歩きである。アメリカの都会は広く美しく,人だらけでないので,こうした街歩きがとても楽しい。

 そのあと,さらに,ダウンタウンを北西に歩いて行った。
 ここは,ロードー地区というところである。
 ロードー地区(LoDo)には,ユニオンステーションがあって,ここから北東に歩いて行ったところに,メジャーリーグのコロラド・ロッキーズの本拠地クアーズフィールドがある。
 ロードー地区は,大掛かりな工事が行われていて,それもほぼ完成に近づいていて,昔からの美しい街並みが再現され,駅も当時の様子を残したまま,近代的な建物に蘇っていた。
 日本は歴史が古いのに,それを大切にせず,アメリカは歴史が新しいのにもかかわらず,それらを上手に再開発していることが,うらやましくあり,日本が情けなくもなる。

DSCN6554DSCN6558DSCN6576DSCN6584DSCN6586

 やがて,私は,金色のドームがひときわ目だつコロラド州議会議事堂に到着した。この金色は純金である。
 この議会議事堂は,シビックセンターパークという広い芝生広場の一角にある。この広場を挟んで,西にはシティカウントリービルディングがあり,南にはデンバー美術館と図書館があり,東にコロラド州議会議事堂がある,というかそびえている。
 と文字で書いてはみたが,写真で見るように,実際は読んだだけでは想像できないほど広いところなのであった。
 どの州も,こんな感じなのである。これだけでも,この国の豊かさが実感できるというものだ。
 私は,34年前にはじめて首都ワシントンに行って,よくもまあ,こんなすごい国と戦争をしたのものだ,とあきれたのを覚えている。

 今日の1枚目の写真がコロラド州議会議事堂なのだが,シビックセンターパークからは東側にあたるから,早朝にはこの正面は逆光になるので,どうやってもうまく写真が写せない。
 そして,その正反対の方角の建物であるシティカウントリービルディングのほうは,とても美しく写真を写すことができる。
 私が行った日もそうであったが,この建物のまわりには,きれいな花が植えられていたり,そうした作業をしていたりして,むしろ,こちらの建物の方が存在感があり,美しかった。

 コロラド州議会議事堂に到着したのは,まだ9時前の早い時間だったので,確か,まだ早すぎて中に入れなかったように記憶している。
 そこで,入口でしばらく待っていた。
 日本でいえばこの州議会議事堂は県庁のようなものに思えるかもしれないが,正確にいえば,県庁でなく,アメリカは合衆国,いや,正しくは「合州国」だから,むしろ国会議事堂というべきだろう。
 そして,それぞれの州の議会議事堂は広く一般に公開されていて,自由に中に入ることができるし,見学ツアーも行われているから,観光で行く人も多い。

 そして,こちらの州議会議事堂の中はものすごく豪華で,一見の価値がある。
 内部が自由に見学できるということこそ,民主主義の国だということが実感できることなのだ。
 つまり,この建物は,特別な人たちの専有物ではなく,みんなのものなのだ。国民主権なのだ。そこが,国民から選ばれた人たちが国民より偉い(近頃は憲法より偉い-そのうち私は私は神だと言い出すであろう-)と錯覚しているえせ民主主義,実は殿様国家の日本とは根本的に違うところなのである。以前,愛知県に鈴木礼治という知事がいた。彼は引退するときに,県民ではなく県会議員に向かって辞めると表明した。これだけを見ても,根本的に考え違いをしていることがわかるであろう。

 やがて,コロラド州議会議事堂に入ることができる時間になったので,内に入った。
 ここの議会議事堂は,自由に入ることが出来るとはいっても,非常にセキュリティが厳しくて,空港並みの検査があった。
 まだ見学ツアーには時間があったので,私は,それに参加するのはあきらめ,セルフツアー(アメリカではツアーに参加せず自分で見学することをこういう)でまわることにした。
 3番目の写真は,州議会議事堂の建物の中にある州の最高裁判所である。
 アメリカの州議会は,ネブラスカ州を除いて連邦議会と同じように上院と下院の2院制で,それぞれの議会があり,さらに,このように,議会議事堂には州の最高裁判所も同じ建物の中にあることが多い。
 そして,使用していないときは,こうして自由に中に入って見学することができる。もちろん,議会開催中は傍聴もできる(私はワシントンでアメリカ連邦議会を傍聴したことがある)。
 その後,上の階に登ると,ドームのまわりの部屋に,この建物を作ったときの貴重な写真などが展示されている広い展示室があった。
 一番下の写真のように,建物の中はすべて大理石で作られていて,気品にあふれていた。

DSCN6537DSCN6544DSCN6548DSCN6550

 この芸術センターには,ミュージカルをやっている劇場がたくさんあった。ニューヨークでいえば,ブロードウェイとでもいえる場所であろうか。
 まだ,朝早かったので,どこも劇場は閉まっていたが,周りを見渡すと,この一角はそうした文化街であった。

 デンバーのダウンタウンは,16番ストリートモール(16th Street Mall)を中心に,通りが北西から南東に,北東から南西に,碁盤の目のように走っている。
 この16番ストリートモールは,デンバーの代表的な通りで,並木道が美しい。
 市内は,フリー・モールライド(Free MallRide)とよばれるハイブリッドシャトルバスが走っているし,ライトレール(Light Rail)という市電も走っている。
 また,ダウンタウンにはフリーwifiも完備されていて,どこでもネットが接続できる。
 本当に素敵な町であった。

 アメリカでは,ミネアポリスも同じようであったけれど,このくらいの規模の都会のダウンタウンは,日本の同じくらいの人口の都市とは比べ物にならないほどすてきなところだ。
 東京のように人だらけではないし,車も多くなく,また,公共交通も無料だったりするし,治安もよいので,本当に楽しく歩き回ることができるのだ。また,屋外にはカフェなどもたくさんある。
 おまけに,自由に利用できるバイク(自転車)も完備させていて,その自転車の駐輪場も街の一角にある。

  私は,まず,劇場街を出て,16番ストリートモールを南東に10ブロックくらい歩いて,コロラド州議会議事堂に向かった。
 コロラド州議会議事堂は,ダウンタウンの南の端にある。
 議事堂までいく途中にコンペンションセンターがあって,このビルに寄り掛かるように巨大なクマの彫像がある。大きさは,ビルの3階くらいまであって,これが,デンバーのランドマーク的な存在なのだそうだ。

 とはいえ,デンバー市内の観光といっても,他のこうした規模の都会と同じように,見るべきところは,他の都市と同じように,美術館と科学博物館くらいのものだ。
 アメリカのどの都市にもあるのは,こうした美術館と科学博物館のほかには,シンフォニーホールと野球場とフットボール競技場とバスケットボールのアリーナである。 
 デンバーにも,デンバー美術館とデンバー自然科学博物館というものがあった。
 デンバー美術館は,コロラド州議会議事堂の南にあって,ネイティブアメリカン・アートのコレクションで有名なのだそうだ。しかし,特に,私の興味を引くようなものもなさそうだったので,行く気がしなかった。きっと,ものすごく大きな落ち着いた美術館であろう。
 デンバー自然科学博物館は,動物のはく製のジオラマとかプラネタリウムが人気だそうだが,なにせ,こちらのほうは,ダウンタウンから5キロメートルも離れていたので,行くことができなかった。
  ・・
 というわけで,デンバーのダウンタウンは,どうやら,デンバー州議会議事堂以外には,ウィンドウショッピングでもしながらのんびりと散策して,そのあと,MLBを見るのがもっとも私には合っているところのようだった。また,それだけで十分に幸せになれる街であった。

DSCN6522DSCN6524DSCN6525DSCN6527

☆6日目 8月7日(水)
 昨日,念願のデンバーに着いた。そして,6日目の朝が来た。
 窓から見えるデンバーの朝の景色が美しい。
 宿泊してもほとんど記憶にないホテルもあるが,ここはとてもよく覚えている。どうしてだろうか?
 デンバー(Denver)は、コロラド州の州都で人口は約60万人,アメリカ中部の金融・経済における中枢として顕著な発展と人口増加が続いている大都会である。

 ここは,標高1マイル(約1.6キロ)に位置することから,マイル・ハイ・シティー(The Mile-High City)の愛称でよばれていて,コロラド州会議事堂の階段やメジャーリーグのコロラド・ロッキーズの本拠地であるクアーズフィールドのアッパーデッキの座席の列などに1マイルを示す特別なカラーリングが施されている。
 クアーズフィールドの座席の写真は後日載せる。
 また,農業においても重要な平原に位置することから,平原の女王都市(Queen City of the Plains)ともよばれている。

 デンバーという地名は,アメリカ陸軍からカリフォルニア州州務長官や連邦下院議員を務めたジェームズ・W・デンバーに因むものである。
 内陸部の高原に位置するために,気温の日較差および年較差が大きく,また,10月から4月は降雪がある。しかし雪の日はそれほど多くなく,積雪が長く残ることは少ないのだそうだ。
  ・・・・・・
 デンバーは,昔は鉱山都市であったが,現在は,商業,経済,金融の中心地として発展する傍らで,今でも鉱産資源を生かした精錬所があって,農牧業の発展による食肉加工業も盛んである。
 また,今日ではエレクトロニクス,半導体産業の進出が目立っていて「シリコンマウンテン」とも呼ばれるハイテク工業地域を形成している。
 その一方で,ロッキー山脈を近くに控えて,スキー場が多く、山岳リゾートの拠点としても発展しており,観光都市としても注目を浴びている。
  ・・・・・・

 ホテルの朝食は,フロントのある本館の奥にあるレストランに用意してあった。
 いつものように,時間が惜しいので,早朝レストランに行った。まだ,ほとんど人がいなかったが,すでに食事をすることができた。ここの朝食は,写真のように,卵料理もフルーツもあって,なかなかのメニューであった。
 朝食後,早々にチェックアウトをして,ダウンタウンに向かった。こちらに通勤ラッシュがあるのかどうか知らないが,まだ,街が動き出す前の静かなダウンタウンであった。
 昨日の晩に下見をしたように,昨日と同じ駐車場に向かい,車を駐車した。ここの駐車場は,昨日はわからなかったが,ダウンタウンの一角にある芸術センターの駐車場であった。作晩は1階の駐車場からそのまま外に出たが,今朝はそのビルを上がっていくと,そこは芸術センターになっていたのだった。

DSCN6487DSCN6489DSCN6499DSCN6500DSCN6517

 前回書いたように,車でホテルを出て,ダウンタウンに向かった私は,ホテルから東に,インターステイツを跨ぎ,橋を渡ってデンバーのダウンタウンに着いた。歩くととんでもない距離であるが,車だとあっという間であった。

 これまでにも書いたことがあるが,アメリカの都会は,日本とは比べ物にならないくらい広いが,ともかく,どこかに車を駐車して,まわりを歩いてみないことには様子がわからない。この日の目的は,あすのダウンタウン観光の下見であった。
 デンバーのダウンタウンは,碁盤の目の区割りになっていて,非常にわかりやすいのであるが,ただひとつ錯覚するのは,他の地域が京都のように東西・南北に区割りされているのにもかかわらず,ダウンタウンだけが,北西から南東,北東から南西と斜めに区割りされていることなのであった。
 私の宿泊したスーパー8は,ダウンタウンの西,川とインターステイツ25を渡ったところにあって,スピア・ブルバード(Speer Blvd)を南東に走っていくと,ダウンタウンの13番ストリートあたりに出る。そこから北東(ななめなので煩わしい!)に向かって,14番ストリート,15番ストリート,…,というように,数字が大きくなる。

 私は,2,3ブロック北西に進んで駐車場を探した。
 ビルの一階に,手ごろな駐車場を見つけたので,とりあえず,そこに車を停めることにした。アメリカの駐車場は駐車料金が日本に比べて非常に安いから,ともかく,どこでもいいから停めてみることをお勧めする。車から外に出て,車を停めた場所がどこかだけはしっかりと確認して,近くの交差点の写真も写してから,とりあえず,ダウンタウンを歩いて見ることにした。
 デンバーは非常に治安のよい都会ということであったが,それでも,とにかく,アメリカの都会,しかも夜であるから,油断は大敵である。
 私のデンバーの第一印象は,ミネアポリスと似た都会だなあ,ということであった。端的にいえば,好印象の都会であった。

 まず,明日MLBを見るクワーズフォールドへ行ってみることにした。
 歩いている人に聞いてみると,6ブロックほど北東に歩いていけばよいということだったので,そのままダウンタウンを歩いて行った。途中は,とても人通りが多く,屋外にレストランがあったりして,すてきな町であった。
 クワーズ・フォールドに近づくと,少しずつ人通りが少なくなってきた。
 どうやら,この地区は,ヨーロッパでいうところの旧市街みたいなところで,現在再開発中,そうした場所に,まず,ボールパークを作るのは,他の都会と同じである。

 やがて,明るい照明が見えてきた。
 クワーズフォールドは,試合の真っ最中であった。というか,試合がもうすぐ終わるところであった。私は,明日に備えて,ボールパークまわりを1周して,手ごろな駐車場を探してみたが,やはり,その周辺は,野球の開催時間だけは駐車料金が異常に高いのも,他の都会と同様であった。
 しかし,明日はデーゲームだから,それほど近くに停める必要もあるまいと思った。
 ボールパークの照明とこだまする歓声を聞いていると,だんだんと,明日の試合が楽しみになってきた。

 そのあと,少し遅くなったが,夕食をとることにした。
 デンバーには,桜スクエアという日本人街がある。その辺りに日本食の食べられるレストランがあるのでは? と思ったので,行ってみた。交差点の角にビルがあって,日本料理という看板があったので,そのビルの2階に上がってみたのだが,残念ながら,私の思ったような日本料理店ではなく,中国料理店であった。しかも,誰もお客さんがおらず,店は暗く,やっているのかどうかさえよくわからなかった。
 入口が開いていたので,中に入って,食事ができるか聞いてみると,無愛想な中国人風の女性が大丈夫だという。そこで,焼きそばを注文して,寂しく夕食を食べたのだった。
 まあ,この日は,そんな程度で,再びダウンタウンを歩いて駐車場に戻った。
 結局,私の駐車した場所からクワーズ・フィールドまでは20分くらい歩かなければならなかったが,駐車場はダウンタウンに近く,インターステイツにも近いから,明日も,今晩駐車したところに停めることにした。
 なんでも,この駐車場にはアメリカお得意の「アーリーバード・スペシャル」つまり,早朝割引というのもあるらしい…。日本でいうところの「早起きは三文の徳」というものである。

DSCN6485 DSCN6483

 スーパー8はインターステイツ25沿いにあった。片側4車線のインターステイツ25を南に走って行くと,NFLの名門デンバー・ブロンコス(Denver Broncos)の本拠地スポーツオーソリティ・フィールド・アット・マイル・ハイがそびえていた。それを過ぎてジャンクションを降りると,まもなくホテルに到着した。
 古く大きなホテルであったが,私には何の問題もなかった。このホテルは,スーパー8なのだが,建物にはラマダインと書かれてあった。きっと,昔は,少し高級なラマダインだったのが,古くなって格下のスーパー8に買収されたのであろう。
 車を停めて,ラマダインと書かれた建物の1階にあるフロントに行って,チェックインした。
 部屋は,フロントのある建物の隣の建物の2階であった。けっこう広い部屋で,往年の高級ホテルの面影があった。大きなプールもあって,夜になったら,カップルがじゃれあっていた。

 さっそく荷物を入れて,再びホテルから外に出た。夕暮れで,遠くに見えるデンバーのダウンタウンの景色がとても美しかった。ダウンタウンまではシャトルバスが出ているということであったが,待っているのも煩わしく,インターステイツ25を跨ぐ高架橋を歩いて,ダウンタウンに向かうことにした。
 ということで,歩き始めたのだが,実際歩いて見ると,それが半端な距離ではない。
 もう,少し暗くなりかかっていたが,女性がふたりで同じ道をのんびりと歩いていたりしたので,治安は問題なさそうであった。しかし,この先歩いてダウンタウンまで行っても,戻るのがまた大変そうであったので,一旦ホテルに引き返して,再び車でダウンタウンに行くことにした。

 このこともいつもブログに書いているが,アメリカの都会は,とにかく,ダウンタウンのどこかに車を停めて,そのあたりを30分くらい歩き回ると,土地勘が芽生えてくるから,それから観光プランを考えるといい。特に,私のように車で旅行をしている者には適当なガイドブックがなく,どこに車を停めるかは,自分で考える必要があるのだ。
 私は,明日1日,デンバーを観光する予定であったから,きょうはその下見のつもりでダウンタウンに行くことにしたのだった。
 改めて車で高架橋を渡ると,そこはすでにダウンタウンであった。

DSCN6482

このページのトップヘ