しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > オレゴン州

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●クレーターレイク国立公園(Crater Lake National Park)
 クレーターレイク国立公園はオレゴン州の南にあります。2017年,ポートランドの友人を訪ねた折,滞在最後の1日にどこに行こうかと考えていたときにすすめられた場所でした。それほど遠くないと言われたのですが,実際に行ってみたら,えらく遠いところでした。
 今これを書くために地図を見ても,気軽に行けるような距離ではありません。しかし,これまで行った多くの国立公園もどこも気軽に行けるような距離ではなかったから,私がクレイターレイク国立公園を恐ろしく遠いと感じたも,そのときそのときの気分の問題がその要因だったのでしょう。
 オレゴン州のクレイターレイク国立公園は,アリゾナ州のフラグスタッフからアンテロープキャニオンに行くより近いし,アイダホ州からロッキーマウンテン国立公園に行ったことを考えれば,それらよりははるかに近いのです。
 そしてまた,せっかくクレーターレイク国立公園までいったのだから,もう少し遠出して,私が行きたくてまだ行くことができていないカリフォルニア州のレッドウッド国立公園まで行けたのにと,今,ちょっぴり後悔をしています。
 ああ,書かなきゃよかった。思い出してしまった。
  ・・
 さて,このクレーターレイク国立公園はカルデラ湖。世界で7番目に深い湖だそうで,ものすごくきれいです。湖の外周を走りながらその景色を楽しむことと,トレイルを歩いて,湖まで行くことができます。
 もっとも記憶に残っているのは,そのトレイルがまた,とても大変だったことです。
 私は,普段山登りなどせず,スポーツすら縁遠いのですが,なぜか,国内外問わず,結構こうした,ある意味私には無謀の山歩きをしていまっているのです。しかし,それも,もう,この先する機会がないかもしれません。本当に行っておいてよかったと思うこのごろです。
  ・・
 この先,再びこのような海外旅行ができるようになるとはとても思えなくなってしまいましたが,もし「次回」があるのならは,クレーターレイク国立公園の近くに宿泊して,こんどこそはレッドウッド国立公園も含めて,何日も過ごしてみたいものです。というのも,ここは観光地とはいえ,ほかの多くの国立公園に比べたら,人も少なかったし景色も美しいし,ツアーがないので,うざっい団体観光客がいなかったからです。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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●これからも続くはずだったのに…●
 帰国便に乗らなければならない時間が近づいてきたので,チャイナタウンから電車ライトレールに乗って,ポートランド国際空港に戻ることにした。
 ポートランド国際空港はシアトルのタコマ国際空港より小ぶりで美しい空港である。この旅の時点では,成田国際空港からはシアトル便とポートランド便が飛んでいた。こんなに近い都市に何も東京から同じように飛ばさなくてもいいように思っていたが,それだけポートランドに行く日本人が多かったということだろうか。
 いずれにしても,日本からアメリカに行くときに選ぶ都市として,ポートランドは悪くない。街の治安もいいし,何より,空港からダウンタウンまでアクセスが便利だからである。しかし,アメリカを体験をするのに,ポートランドはあまりに日本と変わらないので,私は逆に物足りないような気がする。
 空港に着いて,私はいつものように,デルタスカイクラブのラウンジでフライトの出発を待った。やがて,搭乗時間になったので,機内に乗り込んだ。

☆16日目 8月14日(金)
 機内で日付変更線を越えるので,太平洋上空で翌日8月14日になった。そして,定刻,日本に戻ってきた。
 2015年の2週間以上にわたった長いアメリカの旅は,これで終了である。この先もこんなに長い期間旅行をすることはもうないであろう。
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 わずか5年前というのに,今では,このときの旅が夢のような気がする。本当にいろんなものを見て,いろんな経験をした。この旅をもって,アメリカは憧れからなじみの国になったように思う。この翌年2016年の春には,私は,生まれてはじめてハワイに行き,ハワイに目覚めた。そして,2016年の夏に東海岸を縦断し,ついに念願だったアメリカ50州を制覇した。
 あれだけアメリカ本土を旅していたのに,それをもって,その熱がすっかり冷めてしまった。そして,その後は,毎年ハワイに行くようになった。そして,ときどきアメリカ本土にも足をのばしたが,私にとってのアメリカは,単に休日に骨休みに行くようなものになってしまっていた。

 そんな時期であった。
 2020年に突然,地球全体に起きた新型コロナウィルスの流行で,もはや,日本を出国してどこかへ行くことができなくなった。残念ながら,日本には,アメリカのような雄大な大自然はどこにもない。今の私は,行き場を失った喪失感に満たされている。
 「私の旅は,これからも,まだまだ続きます」とかつて書いたが,続けることが不可能になった。そんな時期に5年前の旅を振り返ると,ある意味つらく,また,懐かしく,そして,楽しい思い出でこころが満たされ,新鮮になり,またいつか行きたくなってきた。
 ともかく,これで,やっと,これまで書かずに残ってしまっていた2015年夏のアメリカ旅行記をすべて書き終えることができてホッとした。


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●ポートランドのチャイナタウン●
 ポートランドのチャイナタウンはダウンタウンの北西部にあり,面積は約0.5平方キロメートルほどである。
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 第2次世界大戦前は,この地域はポートランドのジャパンタウンだった。1890年代以降,多くの日本人移民がポートランドに上陸し,ホテルや浴場,その他のサービスの需要を生み出した。当時,ジャパンタウンには100を超える企業が集まったという。
 やがて,1980年代にポートランド当局が再開発として,この場所を公式にチャイナタウンとして改造したのだが,このとき,実際はほとんどの中国系アメリカ人と中国人移民はこの地域からは引っ越しており,イーストポートランドの82番街に非公式のチャイナタウンが存在している。
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 この地域はポートランドのホームレスが多く住んでいて,犯罪などの危険性が開発を妨げる要因となっているという。今も,夜は歩かないほうがいいといったとことが書かれてあるが,それは,アメリカの他のチャイナタウン同様だと思う。
 そもそも私は,深夜にこうしたエリアを歩くことはないので,実際のことは知らないが,お昼間に歩いていると,深夜に人々が集まるような店やショップが数多くあるから,さもありなんという感じはする。日本でも,新宿やら池袋やら,まあ,外観はよく似たものである。
 チャイナタウンの入口には1986年に作られたチャイナゲートとその両脇にライオンのペアがあって,わかりやすくていい。
 この地域の活性化を目的に,2000年蘭蘇園(Lan Su Chinese Garden)がオープンした。蘭=Lan はポートランドを表し,蘇=Su は蘇州を表す。
 この庭園は,1988年,中国の蘇州とポートランドが姉妹都市になったことで,Kuang Zhenによって設計され,蘇州の65人の職人によって建てられたものである。
 500トンもの岩が中国から持ち込まれ庭で使用された。庭にある植物の約90パーセントは中国原産であるが,現在は輸入禁止のために,多くの植物は輸入禁止の前に持ち込まれた植物から育ったもので,100年もの古いものである。また,100を超える木,蘭,水生植物,多年生植物,竹,珍しい低木が庭全体に配置され,合計で400を超える種があるという。
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 日本庭園といいこの中国庭園といい,こうした名所に訪れると,まさに,ポートランドが太平洋を隔てたアジアからもっと近いアメリカの都市ということを実感する。
 朝10時の開園の少し前,私はこの庭園を訪れた。入口にいた恰幅のいい男性の係員と開園までしばし雑談を交わした。その後,庭園で楽しい時間を過ごすことができた。


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●活気を取り戻したダウンタウン●
 ポートランドのダウンタウンはウィラメット川(Willamette River)の西岸に開けている。ポートランド地域全体からみると,南西にあたり,高層ビルのほとんどはこの地域内にある。
 ダウンタウンのすぐ南はサウスウォーターフロント地区という大規模な再開発地域である。
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 ポートランドのダウンタウンはユニークで,道幅は20メートルと狭く,街区は1ブロックが61メートルの正方形に作られていて,歩行者に優しい街となるように設計されている。どうりで歩きやすく,日本にいるような街だと思ったわけだ。
 それに比べると,たとえば,シアトルは各ブロックは80メートル四方ほど,ニューヨークのマンハッタンに至っては200メートルもある。
 このように,ポートランドの各ブロックは道路と合わせると1辺が80メートルを占めることになるので,1マイル(約1.6 キロメートル)をちょうど20の街区に分割していることになる。

 1970年代のはじめ,ポートランドのダウンタウンは他のアメリカの大都市同様に,斜陽の一途を辿った。
 私がはじめてアメリカに行ったのは70年代の後半であったが,アメリカの大都市はどこもダウンタウンが荒廃し治安が悪く驚いたものだ。何という国かと思った。そんなダウンタウンに嫌気がさした人たちが郊外に脱出したため,郊外には大きなショッピングモールがオープンした。
 現在の日本は,治安こそアメリカのように悪くはないが,駅前商店街はどこもシャッター街のようになってしまっていて,まるで70年代のアメリカのような気がする。
 しかし,今でも日本の地方都市が荒れるに任せられているのとは対照的に,アメリカの大都市は再開発がすすんでいる。しかし,ポートランドでは,アメリカ国内の多くの都市で行われたダウンタウンの再開発とは異なり,再開発にあたって古い建築物を広域にわたって破壊しなかったが,1977年にダウンタウントランジットモール,1978年にウォーターフロントパーク(トムマコールウォーターフロントパーク),1984年にパイオニアコートハウススクウェア,1986年にポートランドとグレシャムを結ぶライトレールシステム,1990年にパイオニアプレイスというショッピングモールを続々と完成させていった。それにつれて、ダウンタウンに活気が戻り,かつては午後6時を過ぎるとさながらゴーストタウン化していたダウンタウンは復活し,今は1日中賑わう街となっている。

 ポートランドはまた,「ブリッジタウン」の異名で知られる。
 ウィラメット川には,以前書いた四つの橋に加えて,自動車専用の四つ橋の合計八つの橋が架かっている。ここでは,それらを北から順に紹介しよう。
  ・・・・・・
●フレモント橋(Fremont Bridge)
 インターステイツ405が通る。パールディストリクト,ノースウェスト地区,ダウンタウンを繋ぐ。
●ブロードウェイ橋(Broadway Bridge)
 ロイドディストリクトからオールドタウン,チャイナタウンに繋ぐ。
●スティール橋(Steel Bridge)
 独立リフトをもつ世界で唯一の2層橋である。ライトレールやアムトラックをオールドタウン,チャイナタウンに渡す。
●バーンサイド橋(Burnside Bridge)
 ダウンタウンとオールドタウン,チャイナタウン地区を繋ぐ。
●モリソン橋(Morrison Bridge)
 セントラルビジネスディストリクト(=CBD)に直通する。
●ホーソン橋(Hawthorne Bridge)
 ポートランド市最古のハイウェイブリッジ。オレゴン州では最も自転車がよく走る橋である。
●マーカム橋(Marquam Bridge)
 2層の橋梁で,インターステイツ5が通る。
●ロスアイランド橋(Ross Island Bridge)
 国道26(SEパウエルブルバード)が通る。
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◇◇◇
最遠の月

10月31日は,
最遠の月
1月に2度満月のあるブルームーン
48年ぶりのハロウィンの満月
でした。
4月8日のスーパームーンの写真と月の大きさを比べてみてください。
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●アメリカで普通に見かけるもの●
 今日は少し話題を変えて,アメリカの街中では普通に見かけるけれど,日本にはなじみのないものを紹介したい。団体ツアーで旅行をしていても縁がないかもしれないが,私のように車を借りてアメリカを旅すると,こうしたものを知らずして旅ができないのである。
 ところで,経験というのは貴重なものであるが,夢をなくすものでもある。私は今まで頻繁に海外旅行をしてきた結果,海外に行くのも東京に行くのと,さして変わらなくなってしまった。ときめきがないのである。
 ところが,2020年,コロナ禍によって,海外が遠いところになってしまうと,改めて国というもののガードを実感するようになった。しかし,奇跡的に,コロナ禍の前に行ってみたいと思っていたところはここ数年ですべて行きつくしていたのが幸いであった。

 さて,話を戻す。
 1番目の写真は,交差点にある歩行者信号のボタンである。アメリカの交差点の信号には,歩行者用に写真のようなボタンがある。これを押さないと,たとえ車道が青信号になっても,歩道の信号は青にならない。しかも,この青信号,結構時間が短い。だから,足の悪い老人などは交差点を渡ることは不可能,というか,危険なのである。
 アメリカでは,そもそも,歩いている人が多くないし,体の不自由な人はむしろ車を利用するのだろう。また,赤信号であっても右折(日本でいう左折)は可能だから,このことも考慮して注意して歩道を渡る必要があるのだが,アメリカの運転はたえず歩行者優先であることが徹底されているから,さほど心配したことはない。
  ・・
 2番目の写真は,民間の駐車場の入口にあった看板である。アメリカの駐車場は,その昔は料金はさほど高くなかったが,近ごろはどんどん高くなって,日本と変わらなくなってしまった。この写真の料金は「1日あたり」である。
 ところで,アメリカ人は「Early Bird」という言葉が大好きなようだ。早朝割引ということだが,「早起きは3文の徳」というわけである。中学校だか高等学校だかで「The early bird catches the worm.」というのを習ったことがあろう。これが,英語では日常的に使われている。レストランなどにも,「Early Bird Special」なるメニューがある。
  ・・
 そして,3番目の写真が,路上駐車帯の料金支払い機である。私が車で旅行をしていて,一番面倒なのが,この路上駐車なのである。要するに,勝手がわからない。
 クレジットカードが使えるものもあることはあるにが,壊れていたりするし,コインが必要なことが少なくない。アメリカに住む私の友人は,このためだけに,ビニール袋一杯にコインを入れて車に積んでいる。この機械,駐車するときに事前に時間を決めなけらばならないが,そんなこと言われても,どれだけかかるかなんて事前にはわからないではないか。
 路上駐車というのは,機械の使い方さえわかれば,一番めんどうのない駐車の方法なのだろうが,万一誤操作して駐車違反にでもなったら,旅行中のことでもあり,面倒極まりない。また,ここは夜6時を過ぎたら係員は来ないから事実上は無料だよ,とか言われたこともあるが,そんなこと,教えてもらわなければわからない。
 それでもまた,こうした機械があればマシなほうで,近ごろはアプリで料金を支払う,などというものが増えてきた。そんなもの,地元の人ならともかく,旅行者にとってはわざわざこのためだけにアプリをインストールする必要もあるし,面倒極まりない。QRコードでも表示しておいてインターネットにアクセスしてその場で支払えば済むのではなかろうか?
 このように,アメリカの都会を車で旅すると,駐車場探しがいつも問題となるのだ。

💛

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●ポートランド名物の屋台●
 ポートランドのダウンタウンは日本の都市と似ている。この町は車でなく電車や徒歩で移動するところだ。
 ダウンタウンの中心にあるのがパイオニアコートハウススクエア(Pioneer Courthouse Square)である。ここは以前駐車場だったところを市民がレンガのブロックを買って建設費を捻出して造ったものという。
 広場の周りにはブランドショップやアップルショップなどがあるが,日本とたいして変わらないから,ここを歩いていてもアメリカに来たという感じすらしないかもしれない。今は世界中,都会はこんなものだ。
 私は,MAXライトレール(MAX=Metropolitan Area Express Light Rail)で空港からやってきて,パイオニアコートハウススクエアで下車した。
 今日の午前中は,ここからはじめて,徒歩でポートランドの町を散策しようというわけである。

 パイオニアコートハウススクエアから東にわずか500メートルほど歩くと,ウィラメット川(Willamette River)にたどり着く。川べりにはトムマッコールウォーターフロントパーク(Tom McCall Waterfront Park)がある。
 また,北に向かって1キロメートルほど歩くとチャイナタウンがある。
 サンフランシスコのダウンタウンもおなじような広さだが,サンフランシスコには坂があって,歩くのがたいへんだし,ごちゃごちゃしていて,しかも,治安のよくないところが少なくない。それに比べて,ポートランドはどこも美しく,また,治安がよい。「地球の歩き方」には,深夜のグレーハウンドのバスターミナル付近だけ治安がよくないとあるが,まあ,深夜に行かなけば問題はないであろう。
  ・・
 すでに書いたことだが,ポートランドの名物いえば,屋台である。屋台では,世界各国の食が低価格で楽しめるのが魅力であり,そのクオリティも高い。屋台は,フードコートならぬフードカート(food cart)という。スモールビジネスとしてはじめやすく,規制する法律がなかったことから,ポートランドには数多くのフードカートある。人気となったフードカートは複数の店舗を経営するまで成長している。

 現在,アメリカではポートランドに限らず,屋台が多く,ワシントンDCなどでもよく見かける。ニューヨークにも多いというが,私はニューヨークではほとんど見たことがない。というか,ニューヨークに行ったのも,かれこれ7年も前のことになってしまった。ちなみに,私がニューヨークに行ったのは,1981年,1997年,2013年と,偶然,16年周期なのである。果たして私は2029年に,四たびニューヨークに行くことができるであろうか?
 ポートランドのフードカートは,街全体で約500もの店が出店していて,さまざまな料理やビールを気軽に楽しむ事ができる。そして,フードカートが立ち並んでいるエリアをフードカートポッドという。ポートランドの主なフードカートポッドには次のものがある。
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●North Park Blocks … SW 8th Ave.,SW Ankeny St.,SW Park Ave.
●5th Ave. Food Card Pod … SW. 5th Ave. & SW. Oak St.
●3rd Ave. Food Card Pod … SW. 3rd Ave. & SW. Washington St.
●Portland State University Food Card Pod … SW. 4th Ave. & SW. College St.
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💛

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●便利なポートランドの市内交通●
☆15日目 8月13日(木)
 長かったこの旅も,帰国の日がやってきた。
 国内線で乗り継ぎをしてから帰国するときは,まず,国内線に乗って,デトロイトやシアトル,ロサンゼルスといった日本への直行便のある都市まで,日本への直行便の乗り換えに間に合うように着かなければならないので,国内線に乗るのが早朝になることが多いから,帰国の日はあわただしい。
 しかし,今回はポートランドから日本にそのまま直行便で帰国するので,出発は午後の1時過ぎ。しかも,ポートランドのダウンタウンから空港までは公共交通で1本なので,ずいぶんと余裕があったので,午前中はポートランドの市内観光ができた。
  ・・
 この旅では必要がなかったが,国内線乗り換えをしなければならない場合は,国内線が遅れると乗り換えることができなくなってしまうという不安もあり,また,実際に私は乗り遅れたこともあるので,乗りかえの必要な地方都市から帰国するときは最後まで気がかりだ。
 だから,最終日は前日に日本への帰国便のある都市まで行って,1泊するほうが無難だと,このごろ思うようになった。

 朝,ホテルで朝食を済ませ,まず借りていた車で空港に向かって,空港にあるレンタカーオフィスに予定より早く車を返却した。それから再び公共交通でシアトルのダウンタウンに戻って観光をしようという予定であった。今回の長い旅では,車を借りたのはシアトルで返却はポートランドであった。
 レンタカーを返却したあと,空港にある航空会社のカウンタでフライトのチェックインを済ませカバンも預けて身軽になってから,ダウンタウンに戻った。
 …と,この旅をした今から5年前の2015年はこんな感じであった。その後,私はオンラインでチェックインを済ませるようになったし,カバンはキャリーオンにするので,この旅のころのように,早朝航空会社のカウンタに行って,先にカバンを預けるということもなくなった。

 ポートランドでは,空港からの公共共通はMAXライトレール(MAX=Metropolitan Area Express Light Rail)という電車があって,40分でダウンタウンと結んでいる。この電車,市内区間は無料だが,空港からは市内の無料区間までだけ有料である。
 空港を出たすぐのところにホームがあった。電車が停まっていたので,チケットを購入して乗り込んだ。チケットを購入するといっても,ホームに自動販売機があるだけで,改札があるわけでもなく,検札も来なかった。欧米ではどこもそんな感じである。
 これからダウンタウンまで行って,フライトの搭乗時間に間に合うまで,ポートランドを南から北に散策するのである。
  ・・
 空港からダウンタウンまでのアクセス方法は,都市によってずいぶんと異なるので,いつもとまどう。車社会のアメリカだから,空港でレンタカーを借りてしまえば何の問題もないのだが,車を借りないときはいろいろ不便なことも多い。そもそも,移動手段が車を持っていることが前提となってできている。
 それでも,ニューヨーク,ボストン,サンフランシスコ,ミネアポリス,シアトル,シカゴなど,おおよその大都市は,今では便利な公共交通がある。そういった都市では,車を使わない場合は,空港に近いところにホテルを予約しないで,公共交通でのアクセスが容易なダウンタウンにホテルを予約しておいたほうがむしろ便利である。
 空港に近いというのがウリのホテルを予約すると,逆にホテルまで行く手段が難しかったりするから要注意である。それは,ホテルのシャトルバスをあてにすると,電話をかけて空港までわざわざシャトルバスをよぶ必要があったり,タクシーを利用するとなると,空港から近いといってもけっこう高価だったり,また,このごろはアメリカではウーバー全盛でタクシーそのものが絶滅危惧種であったりといった問題があるからだ。空港に近いからといっても歩ける距離ではない。

💛

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●西海岸と東海岸にある同じ名前の町●
 帰路もまた,どこを走ったのか覚えていないのだが,来たときよりも早くインターステイツ5に入ったことだけは確かである。何だ,このルートで来ればもっと早かったのに,と思ったことは記憶にある。日本とは違って,有名な観光地であろうと,途中には大きな案内看板などは皆無である。
 インターステイツ5に入ると快調に進み,北に北に走って,やがてポートランド近くまで戻ってきた。
  ・・
 ポートランドの手前にオレゴン州の州都であるセイラム(Salem)という町がある。
 話は飛ぶが,ニューヨーク州の州都がニューヨークよりはるか北の内陸部にあるオールバニー(Albany)であるというのを,多くの日本人は知らない。私はクーパーズタウンの野球殿堂と博物館に行ったとき,途中で偶然オールバニーを通ったことがあるが,古いビルが立ち並ぶ歴史ある町であった。
 それと同じく,オレゴン州の州都がセイラムということもまた,ほとんどの日本人は知らないであろう。また,セイラムという名前の町は,オレゴン州だけでなく東海岸のボストンの近くにもある。東海岸のセイラムは魔女の町として有名で,私は,その町にも偶然行ったことがある。ポートランドもまた,東海岸と西海岸に同じ地名の町があるが,それらもまた,ともに行ったことがある。
 このように,アメリカには東海岸と西海岸に同じ地名がけっこうあるので,それを知らずに空路を予約するとえらいことになるし,また,実際,なってしまったというのを聞いたことがある。

 この日の夕食は,そのオレゴン州の州都セイラムのデニーズで,ささやかにサーロインステーキを食べた。
 アメリカの小さな都市がどこも治安がいいということではないから注意を要するが,私の行ったことのあるほとんどの小さな都市はどこもとても落ち着いたすてきなな町であった。セイラムもまた,こじんまりとして美しかった。こんな町に住んで,安定したささやかな仕事をして,週末には家族で郊外に出かけてキャンプをするというのが,アメリカに生まれたら最も楽しくすばらしい生き方ではなかろうかと思う。
 人間を長くやっていると,そうした塩梅がよくわかってくる。
 とにかく,私がアメリカに生まれても,ニューヨークだとかロサンゼルスのような大都会には絶対住みなくない。日本でもまた,東京や大阪は嫌だ。

 夜おそくホテルに戻った。
 この日,シアトルマリナーズの岩隈久志投手がノーヒットノーランを達成した。テレビのスポーツニュースでは盛んにその話題を放送していた。私は,この登板のひとつまえの登板をセイフコフィールドで見てすっかり満足していただけに,ちょっと悔しかった。それもまた,今ではいい思い出だ。
  ・・・・・・
 岩隈久志投手は,1999年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから指名を受けて入団し,その後,東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍,ともにエースとして活躍したのち,2012年にMLB(メジャーリーグベースボール)に挑戦。シアトル・マリナーズに入団した。アジア人として野茂英雄以来2人目となるノーヒットノーランを達成したのがこの日のゲームであった。
 2016年までは活躍したが,2017年開幕から6試合目の登板で左膝に打球を受け,新たに右肩の炎症も発覚し故障者リスト入りとなり復調することはなかった。
 2018年はマイナー契約を結んだが,メジャーでの登板を果たせないまま退団した。9月のゲームで試合前に捕手役をイチロー選手が務め,始球式を行ったのが最後となった。
 2018年末,読売ジャイアンツと契約し,日本の球界に復帰したが,登板することなく,1週間ほど前の2020年10月19日に引退を発表した。
  ・・・・・・
 これが5年という歳月である。

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💛

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●湖に浮かぶ老人●
 クレーターレイクの見どころといえば,まず,ウィザード島(Wizard Iskand)である。ウィザード島はこのブログの「クレーターレイク国立公園③」の最後に写真を載せたものである。高さ233メートルの小さな火山で,山頂には火口があって,これがクレーターレイクの名前のの由来となっている。
 次に,ファントムシップ(Phantom Ship)という長さ90メートルほどの小さな島で,まさに幽霊船のような雰囲気である。これは今日の1番目の写真の湖面の左に小さく写っている。
 これらは湖の外周道路リムドライブ(Rim Drive)を走ると見ることができた。
 さらに,湖に浮かぶ老人(The Old Man of the Lake)という100年以上前から湖面を漂っている枯れ木があるそうだが,私はこれを見た記憶がない。どうやら見損ねたようだ。残念なことをした。
  ・・
 私は湖の北側の入口から入ったが,湖の南側のリムビレッジというところにビジターセンター(=2番目の写真)があった。帰り道,そこに寄ってみたのが,中には簡単な展示があった。

 さて,これでクレーターレイク国立公園巡りは終了である。ここはポートランドからはとてつもなく遠いところであったが,もし次回があるのなら,こんな場所に宿泊して何日も過ごすのも悪くないと思う。観光地とはいえ,ほかの多くの国立公園に比べたら,さすがに人が少なく,景色も美しいし,ツアーがないので,うざっい団体観光客がいないからである。
 コロナ禍が終わったら,再び世界はどこも以前のように観光客で埋め尽くされるようになるのかどうかはわからないが,もし,以前のように観光客が戻って多くの場所がオーバーツールズムになったとしても,世界には人の少ないすばらしい大自然に接することができる場所が,まだある。このクレーターレイク国立公園などがそうだ。こうしたところは貴重なのである。
  ・・
 来るときも見た山火事だが,帰り道,その山火事がずいぶんと大きくなっていた。走っていると,その山火事がずいぶん近くに見られて,道路までその煙りが来て,すごい迫力であった。
 クレーターレイク国立公園は,ポートランドから往復で10時間,距離にして800キロもあった。日帰りをするにはかなりの強行軍であったが。そんな時間を超えた感動があった。本当に行ってよかったと思う。ここに行く前日,この場所を教えてもらったことを感謝した。

💛

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●アメリカで最も深い湖●
 クレーターレイク国立公園(Crater Lake National Park)は,1902年,アメリカで5番目の国立公園として設立された。公園の面積は286平方マイル,741平方キロメートルというから,東京23区の面積628平方キロメートルより広い。クレーターレイク公園にはクレーターレイクとよばれるカルデラ湖がある。
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 クレーターレイクはマウントマザマ(Mount Mazama)の噴火活動によって形成された。最深部はなんと1,958フィート,597メートルと,アメリカで最も深い湖であり,世界で7番目の深さを誇る。また,面積は53平方キロメートルである。
 なお,世界一はバイカル湖の1,742メートルで,日本の田沢湖は世界10位の423メートルである。また,湖自体の平均標高は6,178フィート,1,883メートルである。
 クレーターレイクは,流入・流出河川をもたないために湖水は極めて青く澄んでいる。
 火山活動は,アメリカ西方沖にある小さな海洋プレートであるファンデフカプレート (Juan de Fuca Plate) が北アメリカプレートの下に潜り込む際のオレゴン州の沖合いでの沈み込みによって引き起こされた。この動きによって引き起こされた熱と圧縮がカスケード山脈を形成した。
 約40万年前,マウントマザマはカスケーズ山脈の他の山々と同様に層状の楯状火山として誕生した。長期にわたり溶岩流と火砕流が交互に重なりあい,高さ11,000フィート,約3,400メートルと,富士山ほどの成層火山に成長した。
 紀元前4,860年ごろに大噴火により崩壊し,上部の3分の1にあたる2,500フィート,760メートルから3,500フィート,1,100メートルの標高を失い,この噴火により直径約10キロメートルにわたる巨大なカルデラが形成され,カルデラに雨水が溜まった。
  ・・・・・・

 この大噴火によってできた地域は過剰な多孔性とレゴリスから成るやせた土壌のために,植物がほとんどみられない。したがって,私が通ってきたような大平原となったわけである。
 湖の外周道路リムドライブ(Rim Drive)はカルデラの縁の周囲をめぐる景色のよい道であった。
 湖には,ヒメマス(Oncorhynchus nerka)と ニジマス(Oncorhynchus mykiss)が繁殖しているが,大きさ,種類,数に制限を受けることなく,許可なしでつりができるという。また,湖での水泳は許可されている。さらに,夏期は毎日ボート・ツアーが実施されていて,湖の中のスコリア丘とウィザード島に停まる。
 湖面に触るには,湖の北にある険しい歩道であるクリートウッドトレイル(Cleatwood Trail)を降りることになる。また,展望台にはリムドライブを通って自動車で簡単に行くことができるが,最も見晴らしがよいのは8,929フィート,2,721メートルのスコット山からのものである。しかし,そこに行くためにはリムドライブの起点から2.5マイル,4キロメートルの急な道のりを歩かなければならないという。
  ・・
 私は,外周道路を走った後,意を決して,クリートウッドトレイルを歩いて降りることにした。
 予想よりずっと大変で,往復1時間,かなりきつい坂道であった。途中で根を上げそうになりながらも下まで降りて,湖面を触ることできた。クレーターレイクは形は同じカルデラ湖である北海道の摩周湖そっくりだが,深さと面積は3倍ある。湖は独特のエメラルド色をしていて、とにかく素晴らしいの一言であった。
 湖水は冷たく,湖畔には心地よい風が吹いていた。

💛

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●最も美しい湖●
 国立公園のゲートを越えてもまだまだクレーターレイクははるか南で,依然,クレーターレイクハイウエイという名前の道路が穏やかに広がる草原と木立の中を延々と続いて行くだけであった。
 遠くに煙が立ち上っていたが,それは山火事であった。アメリカでもオーストラリアでも,山火事が頻繁に起き,日本でも時折ニュースになる。2019年の年末,オーストラリアでは大規模な山火事が起き,多くのコアラが死んでしまったというニュースは記憶に新しい。私が2019年春エアーズロックに行ったときも,そうした山火事を防止するために,わざと火を起し,大平原を焼き尽くしているのを見たが,せっかくの青空が灰色に濁ってしまっていた。
 大自然というのは雄大で美しいだけのものではない。

 やがて,大平原から景色が変わってきて,次第に道路も標高が高くなってきた。その先には多くの車が停車しているのが見られた。そこは駐車場で,どうやらクレーターレイクに到着したらしいことがわかった。まだ湖の姿は見えないが,その向こうに世界で7番目に深い湖クレーターレイクがあると思うと興奮してきた。
 とうとうクレーターレイク国立公園に到着したのだ。ポートランドからはインターステイツ5を南に3時間走りオレゴン州南部まで行って,さらにそこから東へ2時間山の方へ行ったところにあった。遠い道のりだった。

 クレーターレイクの北側から私はやってきたが,湖の入口辺りには,湖のクルーズ船のチケット売り場があった。しかし,残念ながら,チケットはすべて売り切れであった。それにしても,いつも不思議に思うのは,アメリカの観光地というのはどこも遠く来るのがたいへんで,途中はほとんど車の姿も見えないのに,どこへ行っても,到着すると,結構な観光客がいるということだ。いったい,どこからこれだけの人がやってくるのだろう。そしてまた,どこの国立公園も,きちんと整備され,ゴミひとつなく,こわれたようなガードレールもなく,道路もきちんと線が引かれていて,意味のない看板ひとつなく,ものすごく美しいのだ。
 日本だと,どこに行っても,さびたガードレールやら,意味のない看板やら,廃墟やら,廃道が無残な姿をさらしているし,ゴミがすてられているし,まったくもってなさけないのだが,そうした安っぽさはみじんもないのである。
 まず,湖の外周道路リムドライブ(Rim Drive)を走りながら,景色のよい場所に車を停めて,湖を見ることにした。その湖の美しさは筆舌に尽くし難いものであった。それは私がそれまでに見た中で最も美しい湖であった。

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●セルフでないガソリンスタンド●
 ポートランドからは,まず,アメリカの太平洋岸を北から南に縦断するインターステイツ5に入り,途中で州道に進路を変えて,クレーターレイク国立公園に向かうことになる。
  ・・
 途中でガソリンを入れることになった。すでに書いたが,オレゴン州ではガソリンスタンドはセルフではない。私は来るまでそのことを知らなかった。
 オレゴン州はアメリカでもちょっと異質な州でさまざまなユニークな政策がとられているようだ。ガソリンスタンドがセルフでないのは,従業員を雇うことで失業対策をしているのが理由のようだ。

 私がいつものようにガソリンスタンドで車を停めて,ガソリンを入れようと車から降りようとすると,若い女性が出てきた。まわりを見ると,ガソリンスタンドのそれぞれのポンプのところに女性がいて,給油をする仕事をしていた。
 ガソリンを入れてもらうとチップを払う… らしいことを後で知ったが,このときに私がチップを払ったかどうかは覚えていない。知らないのだから仕方がない。
 この日は長いドライブだったので,このあともう一度ガソリンを入れたが,そのときは田舎のガソリンスタンドであった。広い敷地の端にガソリンポンプがあって,ほかの州のガソリンスタンドと同じようにコンビニが併設されていて,おじさんがひとりで切り盛りしていた。
 こうなると,おじさんはコンビニのレジを離れることはできないから,システムは機能せず,結局,セルフで入れるしかない。ガソリンスタンドがセルフないという州の決まりなんて,実行できないじゃないか,と私は思った。アメリカという国は,このように,いつもどこか何かが抜けているのがおもしろい。
 日本でも,高知県とか福井県とかに行くと,未だにセルフでないのが一般的だとこのごろ知ることになったが,このごろはセルフでしか入れないので,私は逆にとまどってしまう。

 この日,私は,どこをどう走ったのか正確に覚えていないが,どこかでインターステイツ5を出て,州道を走っていったようだ。
 アメリカでは,道路の途中にはほとんど道路標示はないので,分岐などで控えめにある道路標示を見逃すと,走っていて,それが正しい道路かどうか不安になることがある。気づいて引き返すにも,並みの距離ではないし,聞こうと思っても人もいない。
 今は,カーナビやスマホがあるからまず大丈夫だが,この旅をしていた5年前は,私のような日本からの旅行者が常時 Wifi を使うことは困難であった。
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 走っていて,クレーターレイク国立公園は思ったよりえらく遠いところだと思った。道は広くきれいで,まわりは一面の大平原であった。かすかに覚えているのは,どこかでT字路があって,そこでどちらに曲がるのか迷ったことと,どうやら,そのときに,道を間違えたらしいこと,くらいである。
 しかし,そのうちに,なんとか,国立公園のゲートが見えてきた。やっと,国立公園に到着したと思ったが,ゲートを越えても,クレーターズレイクははるかはるか先であった。その先も延々と,大草原を走ることになった。本当に,こんな大平原の向こうに湖があるのだろうかと思ったことは今も忘れられない。
 いくら日本からアメリカに観光旅行をする人が多くても,こうした国立公園に行ったことがある人はそうは多くないであろう。アメリカの国立公園といっても,ほとんどの日本人になじみのあるのは,おそらくグランドキャニオン国立公園くらいのものであろう。

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●アメリカの国立公園●
☆14日目 8月12日(水)
 私が子供のころは,アメリカという国は夢の国であった。テレビで放送されたアメリカのホームドラマを見て,その裕福さをだれしもが憧れた。
 地球儀を買ってもらってはじめてアメリカが地球上のどこにあるかを知ったが,当時,世界にはソビエト連邦という巨大な面積をもつ国があって,アメリカが世界で一番面積が広い国でないことに,逆にがっかりした,そんな思い出がある。
  ・・
 私のアメリカ旅行は,今から40年前,カリフォルニアのディズニーランドに行ってみたいということからはじまった。そのころはまだ,日本にはディズニーランドはなかった。
 はじめてアメリカに,それもツアー旅行で行ってみて思ったのは,狭い日本の上でちまちまと生きるだけのなっさけない大人になりたくない,ということだった。そしてまた,ツアー旅行などしている場合じゃない,と思った。そこで一念発起して,それまで大の苦手だった英語を勉強して,翌年,ニューヨークにひとり旅をした。そして,それが高じて,MLBが見てみたい,になり,次第にエスカートして50州制覇が目標になってしまった。
 アメリカの国立公園を制覇したいという夢はもたなかったし,アメリカにそんな大自然があるということも知らなかった。しかし,頻繁にアメリカに行くようになると,知らず知らず,そのたびに多くの国立公園に行くことができた。そして,アメリカで最もすばらしいのは大自然だと気づいた。

 たびたびこのブログで紹介している「地球の歩き方」のアメリカの国立公園編だが,今改めてそれを読んでみると,この2015年の旅のあとにもずいぶん多くの国立公園に行った結果,私は,期せずして,この本に載っている国立公園のそのほとんどに行くことができたことを知った。
 未だに行く機会のないのは,西海岸では,レッドウッド国立公園,そして,グランドサークルでは,キャニオン・デ・シェイ国定公園,メサベルデ国立公園,これだけである。その中で,キャニオン・デ・シェイ国定公園とメサベルデ国立公園は2020年の8月に行く予定で飛行機のチケットも購入したのだが,コロナ禍でかなえられなかった。レッドウッド国立公園はそのあとに行く予定であったが,はたして今後どうなることであろうか。
  ・・
 この旅をしている2015年には,行こうと考えていなかった,というより,その存在すら知らなかったのが,これから書くクレーターレイク国立公園であった。
 しかし,行ってみて本当によかったと,今では思う。それは,そこがとてもすばらしい場所であったことに加えて,改めて行こうとすると,レッドウッド国立公園同様,大都市からとても遠く,行くことが大変な場所だからである。

 前日,食事をご馳走になっているとき,その場の会話で,明日の予定がないというような話になった。そこで勧められたのが,このクレーターレイク国立公園であった。クレーターレイク国立公園に行くことを勧められる前は,この日はインターステイツ84沿いにコロンビア川を上流にさかのぼって走るつもりであった。これもまたすばらしい景観であるが,ここはポートランドに行く機会があれば,簡単にアクセスできるであろう。しかし,クレーターレイク国立公園はそうはいかない。
 聞いたところでは,クレーターレイク国立公園はポートランドから2,3時間で行くことができるだろう,ということであった。私はそれを信じて行くことに決めたのだが,実際は,そんな生易しいものではなかった。距離にして,ポートランドからは240マイル,約380キロメートルというから,さほどのでもないようであるが,それでも,名古屋・東京間の距離である。これを車で日帰りしようということであった。
 ホテルで朝食を終えて,早速,クレーターレイク国立公園に向かって出発した。

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●アメリカの巨大モール●
 ワシントンパーク(Wasington Park)へ行った後,夕食をご馳走になることになって,家に招かれた。家に行く途中で巨大モールに寄ることになった。モールに行く途中で何やらのデモ隊に遭遇したが,アメリカではさほど珍しくもない光景だ。
 ところで,今や日本にもモールはめずらしくないが,アメリカに行って現地の人に会うと,いつも得意げに巨大モールに連れて行ってくれる。どうやら,アメリカの人は,こういうモールは日本にはないと思っているらしい。
  ・・
 おそらく,日本のモールは,アメリカを手本にして作られたものだと思うが,それが次第に日本的に進化してきた。
 日本では,はじめのころはこうしたモールも珍しかったが,もう,今は,日本中どこに行っても同じような店があるので,行く気にならなくなった。店舗が広すぎるから,ペットボトル1本買おうとしても不便なのである。しかも,モールの中にあるスーパーマーケットはレジも混雑している。専門店といってもその多くはブティックばかりなので私には意味がないし,チェーン店はどこへ行っても同じだ。
 それでも,アメリカでは駐車場が広く車を停めるのに余裕があるからすぐに駐車して店に入れるからさほど大変でないが,日本の駐車場はごみごみしているから車を停めるのだけでもひと苦労だし,買い物を済ませて車を出そうとすると渋滞していて大変なのである。
 コンビニもまた,アメリカではガソリンスタンドに併設されているから,トイレ休憩のためにあるようなものだ。一方,日本では,コンビニは独自の進化を遂げたが,何せ値段が高すぎる。スーパーマーケットで58円で買うことができるペットボトルが148円もするから,私はめったにコンビニには行かない。そうした日本のコンビニのお得意さんは,早朝,まだ,スーパーマーケットが開いていない時間に工事現場に向かう人たちがその日の昼食を購入するためにあるようなものだと思っていたが,若い女性もコンビニ好きだと聞いて驚いた。
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 今や私は,食料品以外の買い物はほとんどネットショッピングで済ます。また,食料品は,スーパーマーケットと衣料品を売っているくらいの小売店舗かドラッグストアで済ませる。巨大モールは,散歩するときと時間つぶしをする以外に行くことはほとんどなくなってしまった。

 さて,私が連れていっていってもらったアメリカの巨大モールでは,日本にはない趣向が目を引いた。それは,今日の写真のように,店内を公園にあるようなミニチュアトレインが走っていたことである。これがなかなかのものだった。日本でも同じようにやれば子供たちが喜ぶと思うのだが,それがないのは,当局の許可が出ないか,または,人が多すぎて通路でこれをやると事故が起きる可能性があるからなのだろうか。
 また,この時私が行ったモールで驚いたのは,3Dプリンタの実演であった。まず,3方向から写真を撮る。そして,それをもとに,2,000円くらいで,実物そっくりの小さなモニュメントを3Dプリンタで作ってくれるのだ。こりゃ将来日本でも流行ると思ったが,この旅のあと5年経ってもまったく流行しないのが意外である。私は結婚の記念品や誕生日のプレゼントなどにいいと思うのだが…。

 モールを出て,次に,中華料理のテイクアウトショップに寄って夕食を購入して,自宅にお邪魔した,夕食をご馳走になって,それからホテルまで送ってもらって,楽しい1日が終わった。
 こうして,この日,私はポートランドという町をはじめて散策することができた。ポートランドは,このときまでに一度来たことがあるが,フライトの待ち時間に3時間くらい滞在して,ワシントンパークを車で少し走っただけだった。
 ポートランドは思った以上にすてきな,そして,思った以上に小さな都会であった。ダウンタウンは日本の都会のように狭いが,しかし,サンフランシスコのように人も車も多くはなく,また,市内の公共交通は無料で,しかも治安がよく,住みやすそうな都会であった。

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●美しきワシントンパーク●
 ポートランドのダウンタウンから西に2キロメートルほど行くと高台となるが,そこには159エーカー,640,000平方メートルの広大なワシントンパーク(Wasington Park)という公園がある。ここには,日本庭園とローズガーデン(International Rose Test Garden),動物園,そして,ピトック邸(Pittock Mansion)がある。こうした広大な公園のある都会はすてきだ。
 外国にある日本庭園には,けっこういい加減なものや,日本人が訪れると首をかしげるところもあるが,ここの日本庭園はアメリカで一番すばらしい日本庭園といわれるだけのことはあって,かなりのホンモノで,多くの観光客が訪れていた。
 それにしても,こうした日本庭園は,造ることはもとより,それを維持するほうがずっとたいへんだろう。
 また,バラのシーズンは5月から6月で,私が行ったのは8月だったが,ローズガーデンにはけっこうな数のバラが咲き誇っていた。

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 日本庭園は,1958年,ポートランド市と札幌市が姉妹都市となったのを記念して造園された本格的なものである。
 オレゴン日本庭園協会が計画し,デザイナーの戸野琢磨氏にもと,5.5エーカー,22,000平方メートルの敷地に,白砂の美しい平庭やアヤメが植えられた池泉回遊式庭園,花心邸と名づけられた茶室がある露地庭,東屋や竹垣がアクセントなっているナチュラルガーデン,枯山水の禅庭など,5つの日本庭園が森の中に配されている。
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 ローズガーデンは,ダウンタウンを見下ろす丘に700種8,500株以上のバラが咲き誇るアメリカ最古のバラの試験場である。
 ポートランド市内を走るタクシーや警察の車に一輪のバラの絵が描いてあったり,5月の下旬から6月の下旬にかけてローズ・フェスティバル(Rose festival)というお祭りが開催されていたり,ポートランンドの女子サッカーチーム「ソーンズ」(Thorns)はバラの棘を意味していたりと,ポートランドは「バラの街」といわれてる。
 1888年,オレゴン州最大の新聞社「オレゴニアン」(Oregonian)の創業者ピトックの夫人がバラ協会を設立し,1901年に弁護士ホルマンが「ポートランドをバラの街に!」と新聞に記載したことが後押しとなって「バラの街」といわれるようになったのがはじまりである。
 ローズガーデンは1917年に作られた。現在では,アメリカで無料観覧できる場所ベスト10に選ばれたり,最優秀庭園に選ばれたりしているこの庭園には,年間50万人の観光客が訪れるという。
 毎年,ポートランド市内の高校生からローズ・クィーンがひとり選ばれ,6月のローズフェスティバルでヒロインとなる。通路には歴代のローズ・クィーンのサインが刻まれたプレートが埋め込まれれている。
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 ワシントンパークで最後に行ったのがピトック邸であった。
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 ヘンリー・ルイス・ピトック(Henry Lewis Pittock)は1835年に生まれ,1919年に亡くなったイギリス生まれのアメリカの開拓者であった。新聞の編集者であり,共和党の政治家,そして,市民活動家であり,また,熱心なアウトドアマンで冒険家だった。はじめ週刊として発行された「オレゴニアン」(Oregonian)はのち,日刊紙として,今もオレゴン州最大の発行部数を誇るが,ヘンリー・ルイス・ピトックは,この「オレゴニアン」の創設者である。
 ピトック邸は,ヘンリー・ルイス・ピトックが自分と妻のために建てたルネッサンス風の大邸宅であるが,現在は,ポートランドの発展におけるピトックと彼の家族の役割を記録した博物館として運営されている。
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 ピトック邸の広い庭からは,見事なポートランドの街並みを見ることができた。

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●旅先での出会いは…●
 日ごろから親しい人でも,一緒に旅をすることは,若いころとは違って,簡単なことではない。まして,日ごろおつき合いのない人と旅先で出会ってその町の案内をしてもらうということは,なかなか難しいものだ。
 私は,旅行先やそれ以外にも様々な方法で知り合った人と,遊びに来て,という誘いに応じて,出かけたこともこれまでに少なからずあったが,いざ会っても,そのあとがけっこう難しいのだ。それは好みが違ったり,行きたいところや行動様式が違うからだ。さらに,友達とならフィフティフィフティで何とかなるが,お招きにとなると,お金をどうするかという問題もある。
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 私は,旅先では,地元の人に,旅人では行くことができないところに案内してもらうのが最もうれしい。特に,レストランなど,知らないところにはなかなか入りにくいから,最も楽しい時間となる。だから,もし,海外から日本に友人が来たら,そういった場所を案内するのがいいと思うのだが,そのとき,問題なのは食習慣の違いを理解しているかどうかということだろう。私は好き嫌いがないからまだしも,それでもやはり,これまで食べたことがないものの中には抵抗があるものが少しはある。
 それよりも,観光地を案内されるほうがより難しい。この旅の1年前の2014年,これもまた,友人の招きでテキサス州のサンアントニオに行ったとき,私はまずアラモ砦に行きたかったのに,あんなところは観光用だといって興味を示してもらえなかった。それは,たとえば,京都に行って外国人を案内するときに,鹿苑寺金閣は再建だから見る価値などなく,慈照寺銀閣は国宝だからこちらのほうが価値があるといわれるようなものだった。
 そのように,なかなか波長が合わないこともあって,そういったときは,結局,ひとり旅のほうがずっと居心地がいいということになってしまうことも多い。しかし,この旅で会った友人は,そういうことを心掛けてくれて,楽しい時間を過ごすことができた。

 この日は,ポートランドのダウンタウンをひと通り案内してもらった後で,ウィラメット川(Willamette River)畔のトムマッコールウォーターフロントパーク(Tom McCall Waterfront Park)にあったレストランで昼食をとった。平日なのに多くの人がノンビリと景色を眺めながら食事をしていて,とてもいい雰囲気であるとともに,うらやましかった。
  ・・・・・・
 ウィラメット川は,オレゴン州のポートランドおよびセイラムを流れる川である。コロンビア川の支流で,長さは187マイル(301キロメートル)および,ひとつの州の中だけを流れている川としてはアメリカで最大の面積をもっている。
 トムマッコールウォーターフロントパークは,ポートランド市内を東西に分けるウィラメット川の西ダウンタウン側に約2.4キロメートル続く公園である。
 この区間には,北からスティール橋(Steel Bridge),バーンサイド橋(Burnside Bridge),モリソン橋(Morrison Bridge),ホーソン橋(Hawthorne Bridge)の四つの橋がかかり,徒歩や自転車,インラインスケートなどで「橋の街」ともよばれるポートランドの姿を楽しむことができる。夏場は水遊びする子供達でにぎわうサーモンストリート噴水(Salmon Street Springs)や桜並木と石碑が並ぶ日系アメリカ人歴史プラザ(Japanese American Histrical Plaza),川に浮かぶオレゴン海洋博物館(Oregon Maritime Museum)といった見所もある。
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 ポートランドはどこに行っても美しいところだったが,特に,このウィラメット川のほとりの公園が過ごしやすかった。このときはまだ知らなかったが,のちに行ったオーストラリアのブリスベンのダウンタウンに似ていないこともない。いずれにせよ,こんな過ごしやすい町は,日本にはない。

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●ポートランドは日本の都市のよう●
 ポートランドのあるオレゴン州というのは,アメリカの州の中でもいろんな意味でちょっと,というかかなり変わった州である。
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 アメリカのガソリンスタンドは日本のガソリンスタンドがセルフになるずっと以前からセルフだったから,アメリカではどこもセルフだと思っている人もいるだろう。私もそうだった。しかし,オレゴン州とニュージャージー州のガソリンスタンドはセルフサービスではない。
 アメリカでレンタカーに乗らない日本人にはどうでもいい話だが,このことは,このときに知ったが,アメリカでは有名なことらしい。この旅で,私はまずこれに戸惑ったが,そのことはまた後で書くことにする。
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 また,オレゴン州はマリファナが合法である。これはオレゴン州のほかにワシントン州,ニューヨーク州,アリゾナ州,ニューメキシコ州,ミネソタ州,ハワイ州などがあるそうだが,このことは私にはまったく関係も興味もない。
 ただし,この旅の2年後2017年にアメリカへ皆既日食を見にいったとき,皆既日食の前日,オレゴン州のインターステイツが大渋滞を起こしていて,これは皆既日食を見にいく車の列だと報道されたが,実際は,その日に発売になったマリファナを買いにいく車だったらしい,という話を聞いた。このことが真実かどうかは知らない。
  ・・
 さらに,ポートランドは,日本からの短期ホームステイ先として有名である。実際,日本からのポートランド便やポートランドのダウンタウンには日本人の女子大学生の姿がやたらと目についた。聞くところでは,これは州の政策で,まずしい家のお金稼ぎだと聞いたことがある。私はそれが正しいかどうかは知らない。ただし,私立の大学の外国語学部でアメリカでのホームステイをウリにするところは,そのホームステイ先はポートランドである。
 私は,女子大学生が群れてポートランドの家庭に短期ホームステイをしたところで,お金を捨てるだけで,青春の思い出以外は何も得られないと個人的には思っている。

 ポートランドはきわめて治安もよく,ダウンタウンはさほど広くもなく,とても快適な都市であるから,アメリカではじめに降り立つには最適だとは思う。ホームレスも多いのだが,ホームレスにも過ごしやすい都会なのだそうだ。
 空港からダウンタウンまでは鉄道ですぐアクセスできるので,車がなくとも,とても便利である。また,市内区間の公共共通は無料で,しかも,頻繁に走っているので,来た電車に乗るだけでどこにも簡単に移動できるのも快適である。
 また,ダウンタウンでやたら目につくのは屋台である。屋台は,今では,ポートランドだけではなく,ワシントンDCやニューヨークもどんどん増えているそうだ。レストランの値段が高く,しかも,さらにチップが必要なアメリカでは,屋台はビジネスマンが気軽に昼食をとるにはとても便利なのだ。しかも,屋台は移民がひとりで商売をはじめられるから人気なのである。ただし,たいへんな競争で,それぞれが工夫を凝らして商売をしているそうだそうだし,当局の嫌がらせもあるという。
 ダウンタウンにはアップルショップやら,ブランド品のショップやらが並んでいるのは,アメリカというより,今や,全世界どこも同じようなものである。ポートランドのダウンタウンは,広すぎることもなく,徒歩でどこにでも気軽に行くことができる。私は,どことなく,名古屋の繁華街である栄にいるような気になった。

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●私の「密かな愉しみ」だった町●
☆13日目 8月11日(火)
 ついにオレゴン州までやってきた。この日8月11日と翌日8月12日はオレゴン州で過ごし,最終日8月13日のお昼にオレゴン州ポートランドの国際空港から帰国する。
 この旅の最後の目的地をオレゴン州ポートランドにしたのは,この年2015年の1年前,2014年の夏に同じようにポートランド経由でアイダホ州に行ったとき,Facebookの書き込みでそれを知ったポートランドに住む友人から,ポートランドに来るなら遊びにきてという返信をもらって、その時に来年は行くからねと約束したのが発端であった。
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 そのようなわけで,このときの旅は,ワシントン州のシアトルに降り立ち,アイダホ州に行き,モンタナ州までドライブし,再びシアトルに戻ってMLBを見て,さらにワシントントン州の3つの国立公園を巡り,最後に,オレゴン州のポートランド,という盛り沢山の内容になった。しかも,予定外の美しい場所がもうひとつ,明日の旅で加わるのだ。
 今にして思うに,こんな旅はもう二度とできないであろう。しかも,このときの旅で行ったところは,アメリカに住んでいてもなかなか行くことのできない場所ばかりだった。
 今や私には2週間も旅をする元気はない。たとえ元気があっても,コロナ禍で行くことができない。そう思うと,本当に行ってよかったし,こうした貴重な体験は,思い立ったときにしておくべきだと痛感する。
 もはや,私の人生に未練も後悔もない。

 ポートランドに着いてからの予定は,友人と会うこと以外には,毎度のごとくまったく未定であった。
 ポートランドには,かつて1度だけ来たことがあった。それは今にして振り返ると,私の「密かな愉しみ」となった思い出だが,そのときにポートランドを詳しく観光した覚えがない。
 そこで今回は,ポートランドはきれいな都会と聞いていたから,時間があればどこへ行ってもいいかな,くらいの気持ちだったし,友人と会うのだから,あなた任せでもあった。
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 この日から2日宿泊するのは,空港の近くでダウンタウンからは10キロメートルくらいのところにある「ラキンタ」(La Quinta)という比較的高級なホテルであった。
 朝10時,ホテルの駐車場で友人と待ち合わせということにした。ホテルのチェックインは昼過ぎだから早かったが,試しにフロントで尋ねてみると,ホテルのチェックインをすることができた。アメリカでは,チェックインの時間前でも部屋が空いていれば大概可能である。そこでチェックインを済ませ,ホテルの駐車場を確保してそこに車を停め,友人を待った。
 友人はちょうど10時にやって来た。彼女は台湾からの移民で,以前,イエローストーン国立公園を現地ツアーで観光した時に知り合った。9年ぶりの再会であった。そのままダウンタウンまで彼女の車で行って,まずはポートランドのダウンタウンにあるスターバックスに入って,ラテをご馳走になった。

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●代替機にチケットが用意してあった。●
 まず私が見たのは今日の写真にある掲示であった。この赤色で示された2533便の憎ったらしい冷酷な「CANCELLED」という文字が人を地獄に突き落とすのだ。しかし,そのキャンセルになったフライトの一段下に1:00PM発の9320便があるのがおわかりであろう!
 そうそう,ここで余談をひとつ。
 日本で「PM1:00」という書き方をする人が多くいる。これは,「午後1時」をそのまま英語に直したつもりのものだが,正しい英語表記は「1:00PM」である。英語で表記がしてある結構気取ったレストランの看板などにこうした誤りがあると,それだけでそのお店の価値はがた落ちである。

 私が意気揚々とカウンタに行くと,すでに優先的に私の代替機のチケットが用意されていて,9320便に変更になっていた。
 チケットを受けった後になって,私にメールが来て,そこにはそれとは別の4時間後の便が表示されていて,ちぐはぐな感じであった。結局,いくらネット社会とはいえ,直接交渉のほうがはるかに便利だと思ったことだった。
 結局私は,40分ほどの遅れで,無事,ボイジーに向かうことができた。

 機内から見た眼下の景色は,すでに見慣れてはいたが,荒涼たる砂漠にスネーク川が流れ,川に沿ってインターステイツが走り,アメリカ開拓時代の面影をほうふつとさせた。これがアイダホ州の原風景である。
 やがて,砂漠のむこうに緑が見えてきた。そこが,アイダホ州の州都ボイジーであった。
 しかし,私の乗った飛行機ははるかにその上空を過ぎていく。眼下には空港も見えたが,それも過ぎ去った。私がボイジーとは違う町なのかな,と思ったころに,飛行機は旋回をはじめた。
 この年,ずいぶんと飛行機に乗ったし,窓際の席だったことが多かったので,それまであまり気にしていなかったことを「発見」した。
 そのひとつは,空港の滑走路は通常1本で,そこに着陸もするし,離陸もするということだ。だから,着陸する飛行機があると,それが来るまで,離陸する飛行機は待っていなくてはならない。離陸する飛行機は次から次へとあるから,順番待ちがすごいことになる。だから,飛行機がターミナルから動き出してもなかなか飛び立たないのは,順番待ちをしているということなのだ。
 日本に比べてアメリカの空港は巨大だが,だからといって,滑走路が長いわけでも何本もあるわけでもなく,ターミナルがでかいだけなのである。
 ふたつめは,飛行機の旋回というのは,思う以上に大きな弧を描くということなのだ。だから,着陸する空港をはるかに過ぎてからぐるりと上空を旋回するわけだ。

 1時間程度の飛行で,私はボイジーに到着した。
 空港で,従姪が子供たちと迎えに来ていたのだが,乗ってくるはずの飛行機がキャンセルになり,新たに乗った飛行機の便名を知らせたのに,その情報がボイジーの空港にはなく,心配したといっていた。しかし,無事に会うことができて,私は,ボイジーから車で30分のマウンテンホームに向かった。
 1か月前と同じであった。 

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●突然「キャンセル」になった。●
 マウント・フッド( Mount Hood)は,オレゴン州ポートランドの東南東80キロのクラカマス郡とフッドリバー郡の郡境に位置する成層火山,オレゴン州最高峰の山である。イギリスの海軍のサミュエル・フッド提督にちなんでウィリアム・ロバート・ブロートンが命名した。日本人や日系人の間では「オレゴン富士」とも呼ばれている。
 到着したとき,ポートランドは快晴で,空港から遠くに,このマウント・フッドの美しい姿を見ることができた。

 私のアメリカ合衆国50州制覇をめざす旅も,残すは3州となった。これまでに多くの州に行ったが,結局,私は,ロッキー山脈に連なるワシントン州,オレゴン州,アイダホ州,ユタ州,モンタナ州,ワイオミング州,コロラド州が最も雄大で美しくかつ素晴らしいと思うようになった。
 この旅で東海岸へ行けば,それで残り3州のうちの2州(ノースカロライナ州,サウスカロライナ州)を制覇することはできたのだが,今回は小休止。私は,それよりも,この夏は,アイダホ州,モンタナ州,ワシントン州,オレゴン州の大自然を満喫することにしたのだった。

 ポートランドの国際空港は勝手知ったところで,アメリカの空港の中では広くなく,そして,きれいだ。空港からポートランドのダウンタウンまでは電車ですぐなのできわめて便利で,車がなくとも観光ができる。しかも,サンフランシスコのように混雑しているわけでもないし,治安もよいし,日本から気ままに来るには最高のところだ。
 シアトルにも近い。
 この空港でひとつだけ問題なのは入国検査だ。その場所が狭いから時間がかかる。しかも,自動の入国検査機がない。オレゴン州は州をあげて日本人の留学生やホームステイを受け入れているから,特に,日本人の女子大生が大勢飛行機に乗っていて,観光気分の彼女たちより先に入国検査を済ませないと,やたらと時間がかかる。
 それを知っている私は,飛行機を降りると一目散に入国審査場に向かった。
 一番先に入国審査場に着いた私は,何の問題もなく短時間にあっさりと入国することができた。
 ただし,私が「観光で来た,行くのは,オレゴン州,ワシントン州,モンタナ州…それにアイダホ州」と係官に言って,しまったと思った。即座に,係官が「アイダホ州は観光地でないが…(冗談)」と反論されてしまったのだった。

 この空港は中央の部分にレストランやバーがあって,放射状にターミナルが伸びている。
 私は,ここからアイダホ州ボイジーまでアラスカ航空のプロペラ機に乗り換えるのだが,プロペラ機は小さいから,空港の一番端のターミナルから外に出て滑走路を歩いてタラップで乗り込むことになる。
 昨年も来たからよくわかっていて,そのままターミナルまで行って,サンドウィッチを買って昼食をとった。
 ボイジーまでの乗り換え便の出発は2時間ほど後だった。出国したのが今日の午後で,到着したのが今日の午前。1日得したようで気楽なものだった。
 やがて,搭乗の時間になった。
 するとそのとき,驚いたことに,掲示モニターの私の乗るべき便の欄に「キャンセル」の文字が出たのだった。
 今回の旅で起きた唯一のトラブルがここで発生した。

 私は「ちょっと待てよ,ここまで来て足止めというのはないぞ」と思った。
 私のiPhoneにもその直後にメールが来て,予定の便がキャンセルになった,しかし,心配はいらない,代わりの便は… などと書かれてあったが,その代わり便の出発時間というのが4時間以上も後ではないか!
 これには参った。
 それにしても,2015年は18回と非常にたくさんの飛行機に乗ったが,まともに飛んだことがまるでなかった。
 その結果,カンザスシティでは1日帰国が遅れたし,この後で行った九州は乗りこんだあとになって飛びたてず,降ろされて,出発が1日遅れた。だから,これくらいのことは想定の範囲内といえばそれまでだが,こういうことが起きると旅慣れていない人は困ってしまうだろう。
 私はいよいよここからが経験で培った腕の見せどころだとワクワクしながら? 搭乗ゲートにあるカウンタに行って,係員と交渉することにした。
 こうことがあるから旅は楽しい,と強がっておくことにしよう。

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●「クラーク探検隊」の見た岬●
 ずっと海の上を飛行してきたが,8時間後,ついに窓からアメリカ大陸が見えてきた。今日の1番目の写真が,この旅で初めて見たアメリカ大陸の姿である。この感動は何度味わっても素晴らしい。
 私は,この風景を見ながら,「ルイス・クラーク探検隊」のことを思い出していた。
 アメリカ人には常識であっても,日本人のほとんどは「ルイス・クラーク探検隊」のことを知らない。
 私は,ノースダコタ州へ行ったときに,このルイス・クラーク探検隊の遺構がたくさんあったのだが,当時,何のことかさっぱりわからなかった。それ以来,アメリカを旅行するには,スポーツや文化と並んで,こうしたアメリカの歴史を知らねば面白くないと思うようになった。

 ルイス・クラーク探検隊(Lewis and Clark Expedition)とは,陸軍大尉メリウェザー・ルイス(Meriwether Lewis)と少尉ウィリアム・クラーク(William Clark)に率いられて,アメリカ人として初めてミシシッピ川から太平洋に至る大陸横断をなしとげた探検隊のことである。
 1804年5月,セント・ルイスを出発した一行48人は,ロッキー山脈を越え,1805年11月に太平洋岸のコロンビア川の河口に達し,1806年9月,セントルイスへ戻った。 探検隊は新しい合衆国の領土とそこに住んでいる人々,領地に広がる川や山など,多くの重要な情報を持って帰ってきた。また,北アメリカ大陸の地図作成にも偉大な貢献をしたのだった。

 もう少し詳しく書いてみよう。
  ・・・・・・
 アメリカ合衆国第3代大統領トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)には,探検隊を結成する夢があった。彼は個人秘書を務めていたメリウェザー・ルイス大尉を探検隊の隊長に任命し,「貴殿の任務は,ミズーリ川とその主流にかかる沿道,さらにコロンビア川,オレゴン川,コロラド川ほか太平洋との連絡水路を探索し,大陸を最も短い距離で横断,かつ通商を行う目的で通行できる陸路を発見すること」と指示した。
 指示を受たルイスは相棒としてウィリアム・クラークを選び,探検隊を組織した。
 当初33人で構成されていた探検隊は,イリノイ州ハートフォードに近いキャンプ・デュボワ(Camp Dubois)を出発し,1804年5月14日,歴史的探検を開始した。ミズーリ州セントルイスでルイスと落ち合い,48人になった隊員達はミズーリ川西方に沿って進み,最後の白人入植地であったラ・シャレット(La Charrette)を過ぎ,現在のカンザスシティやネブラスカ州オマハを通り,8月には,グレートプレーンズの端に辿り着いた。
 1804年から1805年にかけた冬の間,一行はノースダコタ州ウォッシュバーンの近隣マンダン族の集落のそばに砦(Fort Mandan)を建設した。このマンダンは,現在のノースダコタ州都ビスマルクの隣にある。私も行ったことがある広大なところである。
 ある日,猛烈な嵐が一行を襲い,食べ物も無いまま小屋に閉じ込められる羽目になったが,その時,ショーショーニー族(The Shoshone)インディアンの娘サカガウィア(Sacagawea)とその夫であるフランス系カナダ人のトゥーサン・シャルボノー(Toussaint Charbonneau)が一行に加わり,魚を持ち寄って飢えた隊員達の命を救ったのだった。
  ・・
 やがて,探検隊はミズーリ川の源流まで進行し続け,馬を介してレミ峠のロッキー山脈分水嶺を渡った。
 カヌーを使ってクリアウォーター川,スネーク川,コロンビア川に接する山を下り,セリロ滝や現在のオレゴン州ポートランドを通り過ぎた。
 クラークは日記に「海が見える!おお!喜びが!」(Ocian in view! O! The Joy!)と書いた。また,ある日の日記の導入部には「太平洋へ流れるコロンビア川入り口の失意の岬(Cape Disappointment)」という見出しもあった。
 探検隊はここで2度目の冬を迎えた。
 隊員達はコロンビア川の北側か南側のどちらで野営するか投票して決めた。その結果,川の北側であるオレゴン州アストリアに野営をすることで合致し,越冬宿舎としてクラットソップ砦(Fort Clatsop)を建てた。
 冬が過ぎ,探検隊は出発地へ帰還する折り返しの旅を1806年3月23日に開始した。
 ロッキー山脈分水嶺を横断後の1806年7月3日,隊はルイスがマリアス川を探索できるようふたつに分割された。その後ルイスとクラークは8月11日にイエローストーン川とミズーリ川の合流地点に達するまで別々で行動したが再び合流して,ミズーリ川に沿って帰路につくことができた。
 1806年9月23日,探検隊はついに出発地であるセントルイスへ帰還したのである。
  ・・・・・・

 私がこの旅で機内から初めて見たアメリカの大地は,まさにクラークが「海が見える!おお!喜びが!」と叫んだオレゴン州の岬であった。
 アメリカの北西部を旅行するときは,この探検隊の遺構を訪れて,先人たちの夢に想いを寄せてみるといい。

今日は帰国の日です。
いつもは早朝の国内線で乗り継ぎをするので,最終日は朝から慌ただしいのですが,今回は,ポートランドなので,出発は午後の1時過ぎ。ずいぶんと時間があります。
そこで,朝,レンタカーを予定より早く返却して,フライトのチェックインも済ませて,カバンも預けて,身軽になってから,ダウンタウンに出かけることにしました。

ポートランドは,空港から TriMet MAX という電車があって,40分でダウンタウンと結んでいるので便利です。この電車,空港からはあまり人が乗らないそうなので,動物が乗り込んでいたとか聞きましたが,実際はそうではなくて,快適な市電でした。
ダウンタウンまで行って,南から北に向かって散策しました。ポートランドのダウンタウンは規模も感じも名古屋の栄のようなところで,歩いて全て行くことができます。違いといえば,大きな川が流れていて,ヨットハーバーがあることとチャイナタウンがあることでしょうか。
屋台があったり,日本料理店があったりと,アメリカの都市ではないようなところです。すでに書きましたがマリファナが合法なので,マリファナの匂いがします。治安がよいのにホームレスが多く,また,日本の学生が短期でホームステイをしている家庭が多いので,日本人の女子学生が数人のグループで日本語を話しながら歩いているのを見かけます。彼女たちは結構なお金を使って親の期待を背負って来ているのですが,残念ながらやっていることは,横浜を観光旅行しているのと変わりません。
今日はそんなふうにして午前中を過ごして,今回の旅も,いよいよフライトを待つだけとなりました。
これを書いているのは,ポートランドの国際空港なのですが,この空港のフリー wifi はこのブログを作成するサイトが有害サイトとして遮断されてしまうのです。変なセキュリティです。私は,デルタスカイクラブのラウンジで書いているのでネットワークが違うからいいのですが。
このブログが更新されるのは,こちらの時間で明日の朝9時なので,その頃はすでに帰国,ということになります。

2週間に及ぶ休日は,本当に素晴らしいものになりました。いろんなものを見て,いろんな経験をしました。アメリカに憧れ,旅を続けて35年,やっとやりたかったことのほとんどができた,そしてできるようになったと思います。それとともに,アメリカの素晴らしさ,というより凄さが分かってきました。
残念ながら,私は日本には京都と奈良以外にはもう興味はないし,何も期待していないし,日本の方がいいなあと思うのはこちらではなかなか食べられないカレーライスと味噌煮込みが食べたいときだけなのですが,このことについては,帰国後にまたゆっくりと書きたいと思います。
私の旅は,これからも,まだまだ続きます。

明日の午後に帰国するので,1日観光できるのは,今日が最後でした。
当初は,ポートランド近郊を観光するか,コロンビア川を遡って観光しようと思っていたのですが,昨日の友人の勧めもあって,予定を変更して,今日は,オレゴン州にある唯一の国立公園クレーターレイクへ行くことにしました。
クレーターレイク国立公園はポートランドからさらにインターステイツ5を南に3時間,オレゴン州南部まで行って,そこから東へさらに2時間山の方へ行ったところにあります。
穏やかに広がる草原と木立の中を延々と走って行くだけなのですが,その向こうに広がっていたのは,なんと世界で7番目に深い湖クレーターレイクなのでした。
クレーターレイクは形は同じカルデラ湖である北海道の摩周湖そっくりなのですが,深さと面積は3倍あるのです。
湖は独特のエメラルド色をしていて、とにかく素晴らしいの一言,しかし,ここもまた,写真や文章ではその劇的な素晴らしさが伝わらないのが残念な限りです。
唯一湖まで降りられるところがあって,往復に1時間,かなりきつい坂道を降りたのですがその甲斐がありました。
湖は冷たく心地よい風が吹いていました。アメリカには国立公園法というのがあって,多くのことが制限されています。そのために,カンバンのひとつもありませんし,自動販売機はもちろんのこと,民間のおみやげ屋さんもありません。ゴミひとつなく,雄大な自然がそのまま楽しめます。
帰り道,遠くの山で山火事が見られました。この時期,アメリカは山火事だらけです。
往復に10時間,距離にして800キロとメートルいうのはかなりの強行軍でしたが,ここにもそれを超えた感動がありました。ああ,これほどの世界を知らずにいる人が本当に残念に思われます。
夕食はホテルに帰る途中のオレゴン州の州都セイラムのデニーズで,ささやかにサーロインステーキを食べました。
オレゴン州はガソリンを入れるのにセルフサービスでなかったり他の州と違うので戸惑いました。マリファナも合法だそうです。
ところで,今日,シアトルマリナーズの岩隈投手がノーヒットノーランを達成しました。現地のマリナーズの番組もこの話題一色です。

風呂桶とともに持っていると重宝するのが小さいハサミなのです。
この国のホテルにある様々な小物,例えば手拭き,シャンプー,コーヒー豆などですが,これらはアルミの袋に入っていることが多く,小さい切れ込みが入っているのですが,うまく破れないことがままあって,こうした時は絶望的になります。
今日の写真のように,コーヒー豆の左上の切り込みが端っこにあっておかしな方向に破れ,開封できなくなりました。ビニールなら歯でなんとかなりますが,それも無理なのです。
さて,ついにオレゴン州に戻ってきました。今日と明日,そして,最終日のお昼まで滞在して,ポートランドの国際空港から帰国します。
実は,この旅でオレゴン州ポートランドに来たのは,昨年の夏に,今年と同じようにポートランド経由でアイダホに行った時に,ポートランドに住む友人からポートランドに来るなら遊びに来てというFacebookの書き込みを貰って、その時に来年は行くからと約束したのが発端なのでした。
今回,ポートランドに着いてからの予定は全くの未定でした。綺麗な都会と聞いていたから,どこへ行ってもいいかな,くらいの気持ちでした。
宿泊したホテルは空港の近くで,ダウンタウンからは10キロくらいのところにあります。そこで朝10時にホテルの駐車場で友人と待ち合わせということにしました。
ちょうど10時に彼女は来ました。彼女は中国台湾からの移民で,イエローストーン国立公園を現地ツアーで観光した時に知り合いました。9年ぶりの再会でした。
そのままダウンタウンまで彼女の車で行って,ポートランドのダウンタウンを案内してもらいました。
ダウンタウンにあったアップルショップはものすごい人混みなのに,その2つ先のマイクロソフトショップはガラガラ,もうアメリカでは完全にマイクロソフトは終わったなあと思いました。これがアメリカでの実態です。
まず,スターバックでラテをご馳走になって,そのあと,ウィラメット川畔のミルエンズパークで昼食をとりました。平日なのに多くの人がノンビリと景色を眺めながら食事をしていました。そのあとで,ワシントンパークへ行って,日本庭園とローズガーデンを見ました。そして,最後にピトック邸を見学しました。
トピック邸はオレゴン州最大の発行部数を誇る「オレゴニアン」の創設者トピックが1914年に建てた大邸宅で,庭から見事なポートランドの街並みを見ることができました。
夕食をご馳走になることになって,家に招かれました。行く途中で巨大なモールに寄りました。モールで3Dプリンタの実演をしていました。20,000円くらいで実物そっくりの小さな人物像が作れます。結婚の記念など写真よりいいように思いました。この商売,日本で今始めると当たるのでは?
ポートランドはこれまでずいぶん前にフライトの待ち時間に3時間くらい滞在しただけだったのですが,今回初めてダウンタウンを案内してもらって,思った以上にものすごく素敵な,そして,思った以上に小さな都会でした。道路は日本の都会のように狭く,しかし車はサンフランシスコのように多くなく,市内の公共交通は無料で治安が良く,アメリカの都会に住むならここだと思いました。
今日もとても素晴らしい思い出がたくさんできました。

今,成田空港にいます。いよいよ夏のアメリカ旅行に出発します。
今回は,アイダホ州からユタ州コロラド州と大自然を楽しむ旅です。
新幹線の品川までは順調だったのですが,湘南新宿ラインの人身事故で成田エクスプレスが40分遅れで少しヒヤヒヤしました。
また,可能な限りライブでアメリカの香りをお送りしますので,お楽しみに。
では,午後4時のフライトでオレゴン州ポートランドまで行って来ます。

 9時間のフライトで無事ポートランドに到着,アメリカに入国しました。
たった9時間,やはり,デトロイトまでの12時間に比べると,西海岸までは楽です。あの残りの3時間が苦痛なのです。機内では映画「清須会議」を騒音で聞こえない日本語を無視して,英語字幕で楽しみました。
これから,アイダホ州ボイジーまで行きます。76人乗りのプロペラ機です。まるでバスです。
それにしてものどかなところです。春に行ったテキサスとはえらく違います。ポートランドの空港のローカル線ターミナルAなんて田舎の駅みたいです。
待合所のフリー wifi は快適です。

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