●ディケータは日本のように大渋滞●
今日の写真は,「ディケータ」(Decatur)という町の渋滞の様子である。
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この町は,テネシー川の周りに発展した。北アラバマのテネシー川沿い・ウィーラー湖岸にあるので「川の都市」と呼ばれている。人口は約6万人。
ディケータは,南部の多くの都市と同様に川沿いにあることがその成長の要因であった。鉄道が通り,川の交通が使えたことで,北アラバマ経済圏の先鋭となった。やがて,大きな経済中心に成長し,交通の結節点になった。
宇宙開発競争の時代に隣町のハンツビルが急成長したので,地域の経済中心の座を奪われた。現在は製造業,輸送業,および,ゼネラル・エレクトリックやユナイテッド・ローンチ・アライアンスに代表されるハイテク産業に基づいている。
この地域は,当初「ローズ・フェリー・ランディング」と呼ばれていた。テネシー川を渡す渡し船の船着き場は現在ローズ・フェリー公園となっている。
市名は米英戦争やバーバリ戦争で英雄となったアメリカ海軍軍人「スティーヴン・ディケータ」に因んでおり,ジェームズ・モンロー大統領がアラバマ州の町にディケータの名前を付けるよう指示したとされている。
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私は,南西から州道24を走ってディケータをめざした。州道24は州道67となり左折し北に向かい,さらに,国道72と合流して右折,東に向かってこの町まで来た。
ディケータからははインターステイツ65に乗ってそのままナッシュビルまで北上するつもりであった。
ところが,ディケータという町は,道路事情が悪く,外周道路も建設中だったり,拡張工事をしていたりと,すんなりとインターステイツ65までたどり着かないのだった。
国道72に入ってからがさらにたいへんだった。
ここに書いているように,市街地に入っていくにつれて,道路がどんどん合流していくのだが,この先にあるのは,広いテネシー川なのであった。この川を渡らなければ,先に行けないのだ。
ところが,ディケータの中央を北西から南東に流れるテネシー川が切断していて,この川を渡るには,国道72とインターステイツ65が通る2本の橋しかないのだった。しかも,国道72は,橋の手前でさらに南から来た国道31と合流してから橋を渡ることになるのだ。だから,橋の手前で,まるで,日本の道路のように,大渋滞を引き起こしていたのだった。
これは,アメリカでは珍しい風景であった。
想像していただければおわかりになるであろうが,信号が青になると先が詰まっていて左折ができず,やがて,1台も信号の恩恵にあずかれないまま赤になってしまう。また,少しでもスペースがあると,強引に左折して割り込むしか方法がないのである。しかし,日本でこういう渋滞に慣れている私は,本能的にうまく車線を変更したり,信号を抜けたりして,どうにか橋までたどり着くことができた。
アメリカではこういうところがほとんどないため,彼らは運転が下手だし,とても要領が悪いのである。アメリカ人は,こういった渋滞を乗りこなす技能と,狭い駐車場にバックで車を停めるという技術は,はじめっから持ち合わせていないわけである。
渋滞していたのはそこまでであった。橋に入ると,道路は閑散としていて,ものすごく長いテネシー川を快調に越えることができた。そのままさらに国道72を東に進んでいくと,やがて,インターステイツ25のジャンクションに出会ったので,そこから,インターステイツ65に乗った。
あとは,北上を続けていくだけであった。
私は,一度メンフィスでテネシー州に入ったのだが,そこから南東にミシシッピ州へ下ってテネシー州とは一旦別れを告げ,そのままアラバマ州まで行って,そこから北上して,再び,テネシー州に戻ってきたのだった。
カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > アラバマ州
2015春アメリカ旅行記-アラバマ州は未だ発展途上①
●道路はササッーと作るのだ。●
このブログのアメリカ旅行記は,帰国してから書いているが,旅行をしながらメモをしているわけではない。それでもほとんどのことを覚えているか思い出せるのは,その場その場で写真に記録しているからである。そのときメモをしなくても後で見て一番役立つのは,どこでも何でも写真に撮っること。特に地名をいれた写真を残しておくことである。
また,クルマを運転しながら写真が写せるのは,アメリカでは,走っている車が少ないということもあるが,それよりも,左ハンドルで右手が比較的自由になるという理由が大きい。日本ではこうはいかない。
と偉そうなことを書いていても,今日の写真を写した場所が,後で見てもなかなか定まらないのであった。
今は,「Google Maps」や,ストリートビューがあるので,それでもなんとか解明できたのだが,地図をみて思い浮かべるものと,実際のその場所の表情があまりに違うのである。
私は,今やすっかりこうしたふつうのアメリカには慣れっこになったが,ほとんどの日本人には,こういう姿は想像がつかないことであろう。
私が不思議に思うのは,結構旅行をしている人でも,ほとんどこういうものを見てこなかった人が多いということなのである。ツアーで旅行をして,移動中はバスの中で寝て,名所や旧跡を巡って,土産物を買って,その土地の有名なレストランで食事をする,まあ,そんなところなのかもしれない。であるから,日本人の知っているアメリカは,ものすごく豪華な場所とその反対に,ものすごく治安の悪い姿,つまり,アメリカの10%の上流階級と20%の下層階級として伝えられる姿だけなのである。
さて,こうしてやっと解明した今日の写真の場所は,ミシシッピ州の州道23を越え,同じ道がアラバマ州の州道24と名を変えてすぐのところにある「レッド・ベイ」(Red Bay)という町であった。こうした町のメインストリートは,写真のように,路肩は駐車ができるようになっている。こうしたいわゆる「ダウンタウン」を越えると,すでに町の外れであって,私は,市街地を出てそのまま州道24を東に向かって進むことになった。
このあたり,写真のように,本当にのどかな風景であるが,州道24は,片側2車線の道路に拡張するためにずっと工事をしている最中であった。アメリカは,平坦なところが多くて土地もあるから,道路を作るには,日本とは違って,大きな機材を使って,一直線にササッーと作っていくだけだ。
日本は,山が多く,川が近く,さらに鉄道と,ただ単に道路を作る,というわけにはいかないのだろうが,私は,アメリカの道路建設を見ると,日本の道路建設はお金のかけ方がどうもおかしいと感じざるをえない。日本のやたらと凝った作りの中央分離帯や,歩道などを思い浮かべると,ここまで手間暇かけてつくる必要があるものか? と疑問に思ってしまう。だからといって,作ったものが美しければまだしも,どこもかも,コンクリートが老朽化してボロボロではないか。しかも,どこも無計画で秩序がなく,急に狭くなったり,2車線あるのに1車線しか走れなくなっていたりと,無駄遣いだらけではないだろか。
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アラバマ州は,地図をご覧いただくとよくわかるが,すべてのインターステイツがその州の中央にあるバーミンガムに結びつくようになっていて,逆に言えば,バーミンガムから放射状に伸びていて,広い外周道路がないのである。この工事を見ても,まだ,そうした道路を作っている発展途上の姿なのかもしれない。まあ,しかし,こんなに車の通行の少ない道路でも片側2車線にしてしまうのだなあ,と私は思った。
こうして州道24を順調に東に走って行くと,やがて,ディケーダという結構大きな都会に到着した。