しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > カンザス州

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●栄光と悲しみのマザーロード●
 ヒストリック・ルート66はオクラホマ州を抜けるとわずかだけカンザス州を横切ることになる。今日の写真は,そのカンザス州のガリーナ(Galena)という町である。
 私は正確な地図も持ち合わせていなかったが,オクラホマシティから北東に,なんとかこれまではヒストリック・ルート66をたどることが出来た。
 しかし,オクラホマ州を越えて,カンザス州,そして,さらに,ミズーリ州に入ると,もういけない。
 オクラホマ州では,当時のままではないとはいえ,ヒストリック・ルート66を基にした新たしい道路は州道66という名前で存在していたのだが,カンザス州やミズーリ州に入ると,そうした名前でもなくなり,行政的には,全く保存させる気がないとでもいうように,地図からは抹消されてしまうのだ。
 だから,事前に調べておかないともはやヒストリック・ルート66をたどることは不可能になってしまう。

 私も,そろそろ,行き当たりバッタリのノスタルジックなマザー・ロードをたどる気ままなドライブはこの辺りでおしまいにして,今日の目的地であるブランソンに向かって走ることにした。
 今日の朝,インターステイツ44から降りてヒストリック・ルート66に入ったときは,この先どれくらいの時間がかかるか想像ができなかったが,実際はさほどの時間もかからず,ミズーリ州まで戻ることができた。
 地図の上では,ブランソンはもう目の前であった。
 しかし,距離的には近くても,ブランソンという町へ行くには,インターステイツもなく,地図を見てもごちゃごちゃとしたカントリーロードがたくさんあるだけで,どの道をたどっていけばよいのかさっぱり判断できなかった。結局,カーナビにブランソンという地名を入れて,その指示にしたがって私は走っていくことになったのだが,実は,この先が,まだまだ大変だったのだ。
 そのことは,次回書く。

 それよりも,私はこの旅ですっかりヒストリック・ルート66の魅力に目覚めてしまったということについて先に書いておこう。
 10年以上前にCS放送の旅チャンネルで放映されていた「Route66~栄光と悲しみのマザーロード~」という番組で,私はこの道のことを知った。当時は今のようにアメリカのことを知らなかったので,アメリカの地方の道は,今でもみんなこのようなものだと思ってしまった私は,いつかそんなところを旅してみたいと夢見ながら,その番組を見続けたものだった。
 そのときに知った名前の町に実際に足を運んでみて,私は,再び,その番組を見た時のときめきを思い出したのだった。
 そして,今度こそ詳しい地図を入手して,きちんとこの道を旅しようと決意したのだった。
 どうやら,またひとつやりたいことが増えてしまったようだ。きっと近い将来,いや,66歳に,私は再びこの地を訪れることになるであろう。

 この旅でマザー・ロードから離れる前に,ミズーリ州からシカゴまで,この先,ヒストリック・ルート66」がどういう経路をとるかを書いておきたい。
 ミズーリ州に入ると,ヒストリック・ルート66は,ほぼインターテイツ44を巻くように蛇行しながら,南西のジョブリンからカーセイジ,ローラ,,キューバ,セントルイス,ドワイドという名の小さな町を通りぬけてイリノイ州に入って,大都市シカゴまで続いていくのだ。
 特に,ミズーリ州ではヒストリック・ルート66はインターステイツ44に吸収されれていない場所が多いので,そのままの形で道路が残っていそうなものだが,逆にこれが災いして,昔栄えていた町は寂れ,あるいはゴーストタウン化してしまった。
 私は今回の旅で,後日,セントルイスからカンザスシティに戻るときに,そのまま最短の経路であるインターステイツ70を走らず,途中にあるブランソンに再びに寄るために,奇しくもこのインターステイツ44をセントルイスからスプリンスフィールドまで走ることになったのだった。今にして思えば,そのときにもヒストリック・ルート66を走ればよかったのだ。しかし,私はブランソンが気に入ってしまって,そこに再びいくことしか頭になかったのだった。今にして思えばもったいない話だ。

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●バラバラでハゲハゲでハデハデ●
 ウィチタのダウンタウンから国道54と国道400との共有区間を東に走った。途中で進路を南に変え,インターステイツ135に入った。そして,そのまま進んでいくと,インターステイツ135は北東から来たインターステイツ35に吸収されて,インターステイツ35でさらに南にオクラホマ州に向かって進んでいくことになった。
 と,わかりにくく書いたが,要するに,ウィチタから南に最短距離でオクラホマ州に向かって走っていったということだ。

 ウィチタの町を出ると,再び,周りは一面の牧草地になった。
 このインターステイツはターンパイク(有料道路)だったから,インターステイツに入るときに再び機械が発券した通行券を受け取った。
 この後は,特に何も書くこともない。写真をとっても,いつもと同じような道路の写真ばかりである。私がカンザス州を走って,ウィチタを少しだけ観光? したその感想は「な~んもない州であった」というだけだ。
 私が,後年,このカンザス州について他人に語ることといえば「カンザス州のインターステイツはターンパイクだった」ということだけだろう。

 アメリカ観光局の「Discover USA」というサイトには,
  ・・・・・・
 カンザスには,たくましいカウボーイ文化と広大な草原に象徴される古典的なアメリカが残されています。『峠の我が家』を正式な州歌とし,旅行者は本物の牛の放牧場に宿泊できます。
  ・・・・・・
とある。さらに,
  ・・・・・・
 アメリカンバイソンを見ることもできます。 食事の時間も確保してください。 カンザスの自慢の料理はスモークバーベキューです。
  ・・・・・・
と書いてある。
 また,ウィキペディアのカンザス州の項には,
  ・・・・・・
 カンザスシティーは「オズの魔法使い」で主人公のドロシーの故郷として登場することでも知られる。また,昔からカンザス州はアメリカにおける田舎の代名詞になっており,この作品でもドロシーがカンザス出身ということで馬鹿にされる場面がある。
  ・・・・・・
とある。要するに,何もないと書いてあるわけだ。
 そうそう,「スモークバーベキュー」といえば,アメリカでおいしいステーキの褒め言葉は「スモーキー」なのだが,この味を知らないと,単に焦げたステーキとしか思えないであろう。私もはじめはそう思った。しかし,肉を焼くのに,アメリカ人はわざとスモーキーにするため秘薬を使うくらいなのだ。この味は,日本のステーキ店にはない。そして,この味をおいしいと思うようになれば,あなたも本当のアメリカ通になれたということだろう。
 スモーキー万歳である。

 そうこうするうちに,州境に到着した。
 日本の高速道路にもあるような料金所があった。料金をクレジットカードで支払って,ここを過ぎれば,いよいよオクラホマ州である。で,料金所が過ぎると,途端に道路がガタガタになったのだ。いかにも,「有料道路でないから管理はできませんよ」とでもいわんばかりであった。
 今日の3番目と4番目の写真を拡大して比べてみてください。
 カンザス州もオクラホマ州もさほどの違いもない田舎であったが,私は,この道路の違いだけがひどく印象に残っている。でも,こうしたガタガタの道路の方が,アメリカらしくて好きだ。
 何度も書くようだが,たとえ道路の舗装がガタガタでも,道路の左側にひかれた命綱のイエローラインだけは,ペンキがはけていることもなく,しっかり続いているのだった。
 日本の道路の,意味のない中央分離帯の枯れかけた植木やら「わき見をするな」とか「シートベルトをしろ」といった注意力が散漫になるだけの看板やらだけがやたらと整備されていて,最も大切であるはずの道路にひかれたラインがバラバラでハゲハゲでハデハデなのを思い出していただきたい。これだけでも,何が一番重要なのかがわかっていないという「日本人の知恵と発想の限界」が認識できることであろう。

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●ウィチタにゃ縁がない●
 私は,マイルマーカー53でインターステイツ35を降りて通行料金をクレジットカードで払った。そのまま国道54に入るとウィチタのダウンタウンに到着した。
 このウィチタはアメリカのいたるところにある中小都市と同じような町であったが,ほとんどの日本人にはアメリカのこういったふつうの都市の様子は皆目想像がつかないのではないかと思う。

 アメリカの中小都市の多くは,中心部に再開発されたきれいなショッピング街があって,その周りに住宅地が広がっている。
 アメリカの住宅地は,その地区によって,裕福層が住む場所や,一般の市民の住んでいる場所,そして,トレーラーハウスとよばれる低所得層の多い地域などにわかれている。
 裕福層のすむ一角は,町の少し小高いところにあって,緑が生い茂るなかに,清楚なマンション(日本のアパートではない!),つまり大邸宅がブロックごとに立ち並んでいる。アメリカの家には通常,門や塀はないから,城壁のような感じではない。
 そして,郊外の川沿いに広い公園があって,その周りに図書館やら美術館,そして,スポーツ施設などが点在している。
 こんな姿を知ると,日本で家を買うことに全く興味がなくなる。

 ここウィチタも,また,中心部には「オールドタウン」と呼ばれるマーケット街があって,その西側にアーカンザス川が流れ,川の周りが美しい公園になっていた。そして,川に沿って北側には,オールドカウタウン博物館やミッドアメリカ・オール・インディアンセンター博物館などが点在していた。
 あいにく,私が到着した時間はまだ朝の9時を過ぎたところで,どこも開店前であった。
 また,この街には,ディスカバー・ヒストリック・ウィチタ・トロリー・ツアーズという,ダウンタウンを1時間30分ほどかけて見学するツアーがあるそうだが,運行は4月から7月の金・土の10時からの1回っきり,そして,予約が必要ということだったので,それほどの需要があるとも思えなかった。

  私は,ともかく,ダウンタウンのメインロードに路上駐車をして,周りを散策してみることにした。
 アメリカのこうしたメインストリートには,どこも,2時間限定でフリーに駐車することの出来るスペースが設置してあるのだ。
 そうして車を降りて少し歩いてしてみたが,結局のところ,この町の住民が余暇を楽しむための映画館やショッピングセンターといった類があるだけで,特に旅行者が何をするか,というものでもなかった。
 車に戻るとき,私は大変なことに気がついた。それは,私の履いていたスニーカーの片方の底が今にもはがれ落ちそうだったということだった。私はいつも履きなれたスニーカー,いや,飛行機に乗るときは裸足にクロックスをひっかけ,スニーカーをカバンに入れてアメリカに来るのだが,それが災いして,時々こうしたアクシデントに遭遇してしまう。数年前に行ったニューヨークなんて,私は,ニューヨークのダウンタウンでスニーカーがズタズタになってしまい,今にも壊れてしまいそうなサンダルで歩くことになってしまったのだった。
 このときは,まだ,ニューヨークのときに比べればマシであったが,ともかく,できるだけ早く新しいスニーカーを所望しなくてはならなかった。しかし,この町のお店はまだどこも開いていなかった。

 結局,私はこの町でスニーカーを買うことをあきらめて,車に乗って,川の方に行ってみることにした。走っていくと,川の周りは美しい公園になっていた。こうした公園の広さは,きっと,行ったことのない日本の人には想像がつかないであろう。とにかくものすごく広く,ごみひとつなく,素晴らしいのである。
 私は,公園の駐車場に車を停めて,少し散策してみることにした。
 川のほとりでは,水鳥が気持ちよさそうに羽根を休めていた。のんびり散歩している人もいた。まだ早朝であったが,きっと,人々が仕事を終える午後5時過ぎには,人生を楽しむ人たちがのんびり時間を過ごしているのだろう。
 そのあと車に戻り,テラノ地区というダウンタウンとは異なるもう一つの商業地区の周りを巡って,ウィチタは見た,ということにした。

 ガイドブックによると,ウィチタ郊外にはカンザス航空博物館があるということだが,航空博物館はシアトルにもあるので,今回はパスすることにした。
 きっと,ここで1泊してのんびり観光しても,決して後悔しないところであろうと思った。このあと,夏の旅行で行ったモンタナ州のヘレナとか,以前に行ったノースダコタ州のビスマルクだって,同じような規模の町で,特に何があるというわけでもないけれど,そこに1泊して幸せを感じたものだったが,残念ながら,来た時間が早すぎて,ウィチタでは,そういう幸せを感じる機会がなかった。日本では,こういうのを「ご縁がない」という。

◇◇◇
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●頼りになるのはイエローラインだけ●
 頼りになるのは,前を走る車のテイルランプと,インターステイツの左側のイエローラインだけであった。このイエローラインが重要なのだった。
 日本の道路なら,こういう悪天候時には見ることも困難な注意書きがあったり,錯覚を起こすだけの危険な発光板などが備えつけられていることだろう。この鮮やかにライトに照らされて光るイエローラインこそ,最も頼りになる生命線であった。
 私が再三書いているように,日本人は「ドリラー」,つまり,ドリル学習が命だから,机上のアイデアだけで現実が伴わない。学校でそんな勉強をしてきた人を優秀だと位置づけているから,そういう人が考える道路の表示も意味のないものが統一性もなく思いつきで散在しているだけなので,実際に非常時には何が最も必要なのかがまるで実証されておらず,危険極まりないのだ。
 こうした日本の町にあふれる意味もない注意事項のバラマキ,時にこれを「平和ボケ」という。あるいは「おせっかい」という。私は,これを「日本人の知恵と発想の限界」とよんでいる。

 このとき,車のワイパーはどんなに早く動かしても雨のほうが強いから全く意味をなさず,私は,本当に,前方には前を走る車のテイルランプと命綱であるイエローライン以外には何も見えなかった。イエローラインは,どんな状況であっても,明るくくっきりと頼もしく輝いて,しっかり責任を果たしていた。しかし,それでも,その中を100キロ近くの速度で走っているのだから,これは尋常なことではなかった。
 この地方を走ったことのある人たちのブログが多数存在するが,その多くにこの日と同じような天候のことが書かれてあるのだから,ここではこういった豪雨は日常茶飯事なのだろう。
 さらに,私は,以前,モンタナ州で9月に雹に降られ,道路が凍結してスリップをした経験から,クルーズコントロール,つまり,速度を設定しておくと自動的にその速度で走る続けるシステムの怖さを見にしみて知ったので,今は使わないが,ここでそんなものを使っていたらひとたまりもなかったであろう。
 あるブログには,アメリカの道路を走っていてどうしてクルーズコントロールを使わないのか,というようなことが書いてあったが,これもまた,無知も甚だしいことだと思う。

 私は,恐怖を感じながら運転していたが,スピードを急に落としたり路肩に停止することの方が危険が大きいから,ともかく,前の車と同じ車間距離を取って走っていくしかなかった。
 そのうちに,雨が小降りになってきた。そして,次第に晴れ間さえのぞくようになってきた。これこそ,「オズの魔法使い」のふるさとたるゆえんであった。
 そうこうするうちに,パーキングエリアがあったので,そこに車を停めて少し休憩することにした。
 パーキングエリアに着いたころには雨はすっかり上がっていた。私と同じように豪雨の中を走ってきて,やっと見つけたパーキングエリアで休息をとる車がたくさん駐車していた。
 ドライバーたちは,口々に大変な雨だったというような話をしていた。

  ・・・・・・
 帰国後にこの文章を書いていて思うのだ。私はこの地方にははじめて行ったのだが,きっともう二度と行くこともあるまいと。この地方とは,カンザス州のことである。この州には観光名所など皆無に等しく,あるのは,竜巻と雷雨,そして,蒸し暑い気候と変わりやすい天気だけなのだ。
 そういえは,今でこそ強豪の仲間入りをしたカンザスシテイ・ロイヤルズのことを,かつては「地の果ての球団」とよんだ人がいるが,それもうなづけることである。ただし,カンザスシティ・ロイヤルズのホームグランドがあるのは,カンザス州ではなく,ミズーリ州の西の端である。
 しかし,そうしたことすら,私は,行ってみたからこそわかったことなのだ。まさに百聞は一見にしかず,なのである。
  ・・・・・・

 再び出発した時には,雨もやみ,美しい風景が広がっていたが,相も変わらず,あたりは360度牧草地しかなかった。その中を走る有料道路のインターステイツ,つまり「ターンパイク」には,ほとんどジャンクションもない。そして,まれに見かけるジャンクションは,すべて,無人のゲートが備えつけられてあった。おそらくターンパイクを出るときにこのゲートに設置された機械にクレジットカードを読ませて,通行料金をとるのであろう。無人だから,クレジットカードがなければターンパイクから出ることさえ不可能であった。
 私はそのまま走り続けた。30分も走ると,とりあえずの目的地ウィチタに近づいてきた。
 ウィチタのダウンタウンが迫ってくると,いつものように,どのジャンクションを出ればいよいかというわかりやすい道路標示があった。そして,その標示板に続いて,この町にあるホテルやガソリンスタンド,そして,コンビニやレストランの案内板が並ぶようになった。きっとウィチタにも大した見どころもないであろうが,私は,一旦インターステイツを降りてみようと思った。

◇◇◇
Did "Back to the Future" predict
Cubs'2015 WS win?

1989年に公開された映画「Back to the FutureⅡ」では,
2015年はシカゴ・カブスがワールドシリーズに優勝することになっているのですが,
果たして,これは真実でしょうか?
あと8勝でその予言は現実になります。地元はすでに大騒ぎです。

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●突然の豪雨で何も見えない!●
 私がゲートで受け取ったのは写真にあるような通行券であった。裏には,料金の一覧表が記載されていたが,カンザス州を端から端まで走ってもせいぜい日本円で1,000円程度であった。
 次第にわかってきたことだが,カンザス州のインターステイツのうちで私の走ったカンザスシテイから西にインターステイツ70をトピカ,そこから南西にインターステイツ335,35を経てウィチタ,そして,そこから南にオクラホマ州の州境まで,つまり,私が走ろうとしていた道路だけがターンパイク(有料道路)であった。
 多くの車がそういう経路で走るからだろう。というのも,トピカからさらに西に州を横断してコロラド州に至るインターステイツ70,ウィチタから北にインターステイツ70と交差するサライナまでのわずかな区間しかないインターステイツ135,そして,カンザスシティからトピカを経由しないでショートカットしてエンポーリアに行くインターステイツ35,カンザス州にはインターステイツというものがこれだけしかない。そして,そのうちの主要道路が私が走った道だったということだ。
 端的にいって,カンザス州というのは,ほんとに牧草地だけで,な~んもない所であった。

 2番目の写真は道路際の看板であるが,数字の書かれてあるのはガソリンの値段である。この時は,無鉛ガソリンが1ガロン(3.9リットル)あたり2.39ドル,ディーゼルが2.62ドルであった。
 RV車の多いアメリカは,日本と違ってディーゼルの方が安いというわけでない。また,この時,ガソリンは非常に安価で,1リットル65円程度であった。
 ガソリンの値段も,州によってずいぶんと違っていて,カリフォルニア州は高く,こうした「田舎」は安い。それにしても,数年前には1ガロン4ドル近くもして,そのころはハイブリッド車がもてはやされたのに,この値下がりぶりはどうであろうか。

 そうこうするうちに,ウィチタに近づいてきた。
 ウィチタ(Wichita)はカンザス州南部の中央にあって,州最大の都市,人口は約40万人である。航空産業が盛んで,ピザハットとメンソレータム発祥の地である。しかし,最も有名なのは,小説「オズの魔法使い」であろう。

  ・・・・・・
  「オズの魔法使い」(The Wonderful Wizard of Oz)は,ライマン・フランク・ボーム(Lyman Frank Baum)が,自ら子供たちに語ってきかせた物語を元にして,1900年に出版した児童文学作品である。「オズ」の名の由来は、ファイリング・キャビネットの「O-Z」を見て名づけたという説がある。
 アメリカ・カンザス州に暮らす少女ドロシー(Dorothy)は竜巻に家ごと巻き込まれて,飼い犬のトト(Toto)と共に不思議な「オズの国」(Land of Oz)へと飛ばされてしまう。途中で脳の無いカカシ,心の無いブリキの木こり,臆病なライオンと出会い,それぞれの願いを叶えてもらうため「エメラルドの都」(Emerald City)にいるという大魔法使いの「オズ」(Wizard of Oz)に会いに行く,という物語である。
 ミュージカル「ウィズ」(The Wiz )は1974年にブロードウェイで上演され、トニー賞7部門を受賞した。そして1978年に映画化された。また,「ウィケッド」 (Wicked)は,本作の前日談として作られたミュージカルで,2003年ににニューヨークで初演された。西の悪い魔女・エルファバと南のよい魔女・グリンダの知られざる友情を描いているもので,日本では,劇団四季によって2006年より上演されている。
  ・・・・・・

 とはいっても,この「オズの魔法使い」の生まれたウィチタには,この物語に関するものはない。
 あるとすれば,それは,この物語に出てくる竜巻なのである。…などと思いをはせながら走っていたら,突然,ものすごい雷雨になった。全く前が見えなくなった。こんな雷雨,日本で出会ったことはない。車のワイパーなど,まったく役に立たず,前方には何も見えなくなった。
 これはひとつ間違えれば死ぬ。私は「マジ」になった。

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●こんな田舎の道路が有料?●
 カンザスシティ国際空港は町の北西にあって,私はその近くのホテルに宿泊していた。以前書いたことがあるが,カンザスシティはカンザス州とミズーリ州の境に位置している。
 カンザス州とミズーリ州は,北側はミズーリ川,南側はカンザス川が州の境になっていて,カンザスシティというのは,西側がカンザス州のカンザスシティで,東側がミズーリ州のカンザスシティであるから,まぎらわしい。そして,空港とダウンタウンのある広い方が,ミズーリ州のカンザスシティなのである。
 「カンザスシティ」というからカンザス州にある町だと思ってしまうが,そのほとんどの地域はミズーリ州なのである。
 だから,今朝の時点では,私は,ミズーリ州には来たことがあるが,カンザス州には足を踏み入れたことがないということになるのだった。

 この旅の一番の目的は,それを聞いた友人が「クレージー」だと表現したのだが,観光ではなく,目指す「アメリカ合衆国50州制覇」のために残った州のうちひとつでも多くの州に足を踏み入れることであった。
 今日は,心配していた竜巻の心配もなさそうだったから,予定通り反時計まわりに,まず,カンザス州に行くことにした。そして,とりあえずの目標は,カンザス州南部の中央に位置するウィチタという町にした。
 宿泊したホテルのある場所からは,西にインターステイツ70が走っている。
 このインターステイツ70は,この先どんどんと西に向かって走っていくと,昨年の夏に行ったデンバーにつながっている。今回は,インターステイツ70を少しだけ走ってミズーリ州の州境を越えて,カンザス州に入ったところにあるトピカという町まで行って,そこでインターステイツ335に乗り換えて南西に下り,途中のエンボーリアという町まで行く。その町でインターステイツ335は東からやってくるインターステイツ35と合流する。その後は,インターステイツ35でそのまま南西へ行くという進路をとることになる。
 ちなみに,335という番号の先頭の数字は下二けた「35」の支線であることを意味している。このように,アメリカのインターステイツは非常にわかりやすい番号のつけ方になっているのだ。

 カンザスシティの町を眼下にインターステイツ70を走っていくと,やがて橋を越えて,カンザス州のカンザスシティに入った。その途端に町の様子が変わって,さびれた雰囲気になった。
 そして,次第に家並みがなくなって,郊外に出た。
 やがてインターステイツ335に乗り換えたが,インターステイツ335には「ターンパイク」,つまり,有料道路という標示があった。私は,何だこりゃ,と思った。東海岸ならともかく,こんなアメリカのド真ん中の田舎で,ターンパイクとは何事だと思った。この時は何かの間違いではないかと思った。
 ところが,実際,ゲートがあって,日本のようにそこに通行券を発券する機械があった。カンザス州のインターステイツがターンパイクなどという情報はどこにもなかったから,私は本当に面食らった。地図にはそうした表記があるのだが,私はそれを確認していなかった。
 なにかしら狐につままれたような,そんな気持ちでそのまま走っていくと,そのうちあたりは人家が一軒もなく,360度牧草地になった。

 さすが有料道路であった。
 インターステイツ335は,アメリカのインターステイツらしからず,よく整備されていて,マイルマーカーの表示も,他の州のように単に数字が書かれているのではなく,写真のように細かな表記がしてあった。
 私は,カンザス州はインターステイツ335だけがターンパイクなのか,それとも,ほかのインターステイツも有料道路なのかすらわからなかったし,有料道路といっても,この先にあるジャンクションのすべてにゲートが設置されているとも思えず,どうやって料金を払うのかしらん,となんら知識をを持ち合わせていなかったこの時は,不思議に思ったのだった。

◇◇◇
Ichiro logs his first inning as a pitcher. 

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●ここは竜巻の故郷だった。●
☆2日目 5月10日(日)
 長い1日目が終わって2日目になった。
 いつものように時差ボケである。なるべく到着後の2,3日は車に乗りたくないのだが,今回は日程がきつくそうした余裕もなかったことと,前回書いたように,到着が遅くその日に車でホテルまで行ったので,やむをえなかった。今日は,無理をしない程度に先に進もうと思っていた。とはいえ,この旅の目的はひとつでも多くの州へ行くという矛盾したものであった。

 この日のホテルは私が泊まるランクのホテルにしては上々であった。ただし,朝食を除いては。
 朝食は,写真のように,マフィンがいくつか手に入っただけであった。ただし,果物はあった。アメリカのホテルの値段は部屋よりも,朝食で決まるようだということが最近わかった。つまり,ホテルの宿泊代というのは朝食にかける人件費のようなものだ。
 これからアメリカのホテルに宿泊される方は,朝食にひと手間必要な,たとえば,オムレツとか,そうしたものがあるホテルとそうでないホテルに注目してみると,ここで書いていることが実感できるであろう。
 ともかく,こんな中途半端な朝食なら,そんなサービスは不要で,マクドナルドで朝食をとった方が,むしろ,便利で安上がりである。ただし,この日の朝食(といえるかどうかすらわからないが)で手に入れたマフィンは,結果的にはこの日の夕食で役立つことになったのだった。

 朝6時30分にホテルをチェックアウトして,さっそく出発したのだが,この旅で最も心配なのは天気であった。
 ネブラスカ州,カンザス州,オクラホマ州というのは,竜巻が一番の観光名物のようなところである。そして,私には,そうした認識が足らなかった。竜巻の多発地帯ということは知っていたが,それは日本の台風のようなもので,夏から秋に発生すると思っていたのだが,実は,この時期こそ,竜巻が多発する季節なのであった。
 そうとも知らない私は,昨晩,テレビの天気予報をみて,愕然とした。
 このあたりは,先週まで,竜巻と大雨の被害でえらいことになっていた。そして,今日の写真のように,ホテルにドアに何気なく貼ってあったのが,異常気象に関する注意書きであった。

 到着後にやっとそのことに気づいた私は,天気次第で今後の予定をすべて入れ替えようと考えた。つまり,予定では今日の宿泊地であるカンザスシティから南下してオクラホマ州へ行き,反時計回りにケンタッキー州へ行くことにしていたが,逆に,東のケンタッキー州から時計回りに行こうと思った。
 朝,改めて天気予報を見たら,どうやら,この日から天気が好転するらしいことがわかったので,予定通り,南下することにした。なにせ,こんなところを観光旅行するなんていうことは,アメリカ人でも考えないそうだから(後日,アメリカ人の友人に話したら「クレイジー」だといわれた),当然日本では大した情報もない。出かけた人だってほとんどいないであろう。このように,50州制覇も楽なことではない。
  ・・
 そういえば,これを書いていて思い出したのだが,この旅の予定上の最終日に宿泊したカンザスシティ国際空港の近くのホテルは,新しく綺麗なホテルであったが,外から見てみると,どうやら竜巻で吹っ飛んだであろうと思われる痛々しい姿をさらけ出していたのだった。

朝3時30分に起床してホテルで朝食をとり,午前4時15分にチェックアウトしてレンタカーで空港に。レンタカーのラピッドリターンをしました。今回の走行距離は4,050キロメートルでした。そして,満員のシャトルバスで空港に着きました。
フライトのチェックインをしてプライオリティセキュリティを済ませて,午前6時25分飛行機は予定通りカンザスシティを離陸してデトロイトに向かいました。
とそこまでは順調だったのですが,一旦飛び立った飛行機にトラブル(コクピットから煙が出た)が発生してカンザスシティに引き返しました。
空港には消防車が退避しているのに乗客は何事もなかったような感じで指示を待っていました。 ともかく飛行機を一旦降りてからがサバイバルゲームの開始でした。
こうなると誰も頼れない。誰も何も言わないし,スタッフもいない。日本でたった2時間の遅れで大騒ぎをしてスタッフが総出でお詫びをするなどという世界がこの世にあるのが信じられない出来事です。
点検のため1時間くらい遅れるということだったので待っていたのですが,遅れが5時間となりもうだめです。乗り換え便が間に合いません。
結局すごい行列のカウンタに並び,次のフライト探しです。誰も何も指示をしませんから独力です。案内係など当然いません。
私の前に中国人のグループがいてえらく時間がかかっていました。カウンタには大柄なボストンレッドソックスのオルティーズ選手のようなデルタの男性係員がひとりやる気があるのかないのかダラダラと仕事をしています。
やっと私の番がきました。カウンタで話す彼の英語がよくわかりません。隣にいた先ほどの中国人のグループのツアーのコンダクターらしき荒川静香さんに似た女性に英語を英語で? 通訳してもらい,なんとかことなきを得ました。結局デトロイトからのフライトは間に合わないので,もう1日カンザスシティに滞在するか? と聞かれましたが,とりあえず点検の済むまで待ってその飛行機でデトロイトまで行くと主張しました。この方が融通が効くと思ったからです。デトロイトはハブ空港なので,日本人のスタッフもいるだろうし。
しかし,デトロイトから日本までのフライトが見つからない。明日はデトロイトーセントレア便がないのです。東京便でいいから探してくれと言いました。アメリカでは大学が夏休みになって,留学生の帰国ラッシュなのです。いえいえ誤解してはいけません。留学生の多くは日本人ではなく,韓国人や中国人です。
そうこうするうちに,なんとか翌日のデトロイトからミネアポリス経由で成田の帰国便が予約できました。
そんな状態で,結局,昼食が出たり飲み物が出たりスナックが出たりと,ダラダラとそれを食べ過ぎている中,5時間半遅れで飛行機が再び離陸して,やっとデトロイトに着きました。皆さんの協力と優れた技術者のおかげで早くトラブルが解決でき,安全に飛行できましたというような放送がありました。
デトロイトに着いたとき,なんだかもう日本に着いたような気がしました。とはいえ,日本のように案内所があるわけではありませんし,デルタ航空の日本語のわかるスタッフを探し出さなければなりません。私のして欲しいのは,今日のホテルの保障と成田からセントレア便の保障でした。しかし,こういうことは,アメリカ人スタッフではやってくれないのです。
どうしようか?とコンコースを歩いていると,幸運にもデルタ航空の日本人女性スタッフに偶然出会いました。こんな偶然はめったにあるわけではありません。
事情を話すと,親切に泊まるホテルの予約と明日の成田から名古屋のフライトまで手際よく手配してもらえました。もちろんお金は全てデルタ航空持ちです。
彼女は,こういう時は誰かが助けてくれますよ,と笑って言っていました。経験しないとわからないしねと。
これまで多くのアメリカに住んでいる日本人の女性に出会いましたが,共通したあるものを感じます。それはとても自立した素敵な感じです。そして,みんな同じように,日本に行くと息が詰まると言います。
ということで,私は,結局,もう1日アメリカ滞在と相成りました。アメリカが帰るなといっているみたいです。
公共交通機関のないデトロイト,ホテルまではシャトルバス,泊まったのは今回の旅で最も高級なホテルでした。デラックスな夕食も所望しました。
「人生は経験が宝」ですが,親切の押し売りの中で過保護に育って,軍隊のような学校教育で飛ぶ羽を切られ個性を剥奪されて生きる力をもぎ取られた日本人には,こういう時の対処は最も困難な世界でしょう。
まあ,人生全てお任せ定食,権威主義で自己主張なし,傲慢なお客様に徹して,やたらと群れてツアー旅行しかしない多くの日本人にはそんな力は不要でしょうが。
また逆に,アメリカでは,そんな日本から脱出に成功した有能な日本人に仕事を任せると,生き生きと自己判断でとてもうまく事が進みます。自立した日本人は優秀で強いですよ。
今回もまたおもしろい経験をしました。

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来るまでが大変でしたが,いよいよ今日からがはじまりです。
カンザスシティでは,青木選手の話をすればどこでも盛り上がります。彼は愛されていたのです。 今日は,カンザスシティから南西にオクラホマシティまで行きます。5時間くらいの道のりです。途中,オズの魔法使いで有名なウィチタを通ります。
ちなみに,カンザスシティはカンザス州ではなくミズーリ州です。
この先,周りは牧草地ばかりだということです。
天気がよくないのと日曜日で,主だった見所のオープン時間が昼過ぎなので,朝からのんびりモードです。
ということで,朝6時半にチェックアウトをしました。ウィチタの近くは本当に360度牧草地ばかりでした。曇りで太陽ものぞいていたのですが,ウィチタの近くになると日本で経験したことのない大雨,全く前が見えずその中での運転は大変でした。しかし,雲が過ぎると天候が急激に回復しました。まさしくオズの魔法使いのようでした。
実は先週ずっと豪雨と竜巻が続き,サウスダコタ州ラピッドシティでは雪! まで降って,相当な被害が出たのですが,私が日本から晴れを連れてきたようです。今週の天気はずっと晴れの予報です。
カンザス州はインターステイツが有料,とはいえ数百円でしたが,その分道路は整備されていました。ウィチタを発ってさらに南下して,オクラホマ州に入った途端,無料になったのですが,道路がガタガタになりました。あたりは相変わらず牧草地,でも至る所で石油を掘っていました。さすが,その南はテキサス州です。
ガソリンメチャクチャ安いです。昨年の夏の6割弱,1リッター60円もしません。
今日は,オクラホマシティに泊まります。ここには,巨大なカーボーイ博物館がありました。そして,オクラホマシティはルート66の中継地として有名です。私も少しだけオールドルート66を走ってみました。
でも,観光地でないので,食事をするところもあまりなく,全てがアメリカらしいフレンドリーでかついい加減さに満ち満ちていました。

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ブログには,2014年夏の旅行記がまだまだ続いていますが,私は,今週の土曜日から10日間,2015年春のアメリカ旅行に行ってきます。今回は,カンザスシティを起点にして,オクラホマ,アーカンソー,テネシー,ケンタッキー,ミズーリと,およそ観光地でない中南部の田舎をぐるりとドライブしてきます。
出発後は,しばらく2014年夏の旅行記はお休みして,現地からのLIVEでブログをお届けしますので,お楽しみに。

現在は,海外旅行に関するすべてのことがネットで簡単に予約ができてしまうし,支払いもすべてクレジットカードだけでいいので,むしろ,国内旅行の方が面倒です。今回の旅の予約でも,ネットでできずクレジットで支払いもできなかったのが,セントレア・中部国際空港までの名鉄特急の座席指定券「ミューチケット」の購入だけだったというのが笑えない話で,本当に情けないことです。
ということで,私もこうした旅行をしてみたいなあ,とか,どういった準備をしているのかなあ,と思われる方もあるでしょうから,今日は,今回の旅の準備について書いてみましょう。
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アメリカを個人旅行するとき,事前に準備が必要なことは,当然ながらのパスポート以外には,アメリカ入国に必要な ESTA の登録,そして,車を運転する場合は,国際運転免許証の取得です。
ESTA は2年間有効で,ネットで日本語で簡単に登録ができますが,登録にはクレジットカードが必要です。クレジットカードはアメリカ旅行では必須ですから,日ごろ使い慣れていない人もクレジットカードは作ってください。私は,デルタアメックスのゴールドカードと,マスターゴールドカードの2枚を持っていきます。現金は全くなくても大丈夫ですが,私は少額だけ持っていきます。
日本の銀行で両替をするとき,50ドルや100ドル紙幣をくれますが,持っていてもそんな高額紙幣は使えませんので注意が必要です。両替をするときは20ドル紙幣までにしてください。また、もし持っているときは,アメリカの銀行で小額紙幣に換えてください。
国際免許証の取得には特別な資格がいると勘違いしている人がいますが,運転免許試験場へ行って単にお金を出して発行してもらうだけです。しかし,有効期間が1年間しかなく,しかも,サイズが昔のパスポートの大きさというのがこれもまた情けない話です。こんなものが必要なのは,日本の運転免許証の表示が日本語だけであるということだけが理由なのだそうですが,そういうことなら運転免許証に英語表記を加えるだけのことなのです。
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携帯電話は,私はSIMフリーのスマホを持っていて,普段日本ではデータ通信に使っています。現地に着いたらこれをアメリカの携帯電話用のSIMに入れかえると,アメリカ国内用の電話になります。料金は使用した分だけなので非常に安価です。また,アメリカではフリーwifiがどこでも使えるので,現地でのデータ通信用にiPod-touchを持っていきます。通信はこれで十分です。カメラは,今回は,小さくてお気に入りのニコン1J3を2台と広角と望遠のズーム,そして,予備のバッテリーを2個持っていくことにしました。電圧が日本とは違うのですが,充電器は兼用できます。
持ち物としては,あとは着替えだけです。
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航空券は,デルタのサイトで予約をしました。今回はカンサスシティでMLBも見に行くのですが,これもMLBのサイトでチケットを購入しました。レンタカーはHERTZのサイトで予約しました。私は,HERTZのGOLDプラス・アワード会員(会費無料)なので,借りる期間と場所を入力するだけです。海外旅行保険は,デルタアメックスのゴールドカードに旅行保険がついていますがこれだけでは保障の少ない疾病の特約を増やしました。また,ホテルは,エクスペディアやブッキングコムで現地でいつでも予約ができるので,初日と最終日だけ予約をしました。

必要なことはこれだけなのです。今回は,パスポートもESTAも国際運転免許証も有効期限内だったので,わざわざ駅まで買いに行ったミューチケット以外は,自宅でほんの数時間ですべて終了しました。このように,年々便利になってきました。だれでも簡単にできてしまうことがむしろ物足りないくらいです。
こうして気軽に安くアメリカに行けるので,ゴールデンウィークに,どこも渋滞だらけ,やっと到着しても人とゴミだらけの国内旅行なんて,近場ならともかく,私は全く行く気がなくなってしまいました。

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ニコン1を語る。-実は使いやすくかわいいカメラなんです。

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