しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ: しない・させない・させられない

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【Summary】
The distance between the Earth and the Moon changes periodically and can be closest or farthest even when it is not a full moon. However, because these extremes often occur during a full moon, phenomena like supermoons and micromoons are frequently observed at that time.

☆☆☆☆☆☆
 昨日2024年9月17日は中秋の名月でした。土星がすぐ近くにあって,一緒に写真に収めました。また,明日9月18日は9月の満月「ハーベストムーン」(Harvest Moon)です。

 その1か月前の2024年8月20日は,8月の満月「スタージェンムーン」(Sturgeon Moon=チョウザメ月)でした。これは,8月は五大湖などでチョウザメの漁獲のシーズンを迎えることからついた名前です。また,「 ブルームーン」でもありました。
 「ブルームーン」にはふたつの意味があります。そのひとつは,1月に2回満月があるときの2回目の満月のことです。もうひとつは,ひとつの季節(6月21日夏至から9月22日秋分)に満月が4回あるときにそのうちの3回目の満月のことで,2024年8月20日は季節の「ブルームーン」でした。季節の「ブルームーン」は,約2.5年から3年に1度しかありません。
  ・・
 さらに,この日の月は「スーパームーン」とされて報道されていました。しかし,実際は,今日2024年9月18日の満月のほうが,地球からの距離が357,500キロメートルと近いので,この月のほうがむしろ「スーパームーン」となります。しかし,この翌月,10月17日の満月が地球からの距離が357,400キロメートルとなり,2024年の正真正銘の「スーパームーン」です。また,に最も地球から遠い月である「マイクロムーン」は2月24日満月で,地球との距離は406,000キロメートルでした。
 今日の写真は,1番目が昨日の中秋の名月と月,2番目が2024年8月20日の月と2月24日の月を並べたものです。「(ほぼ)スーパームーン」と「マイクロムーン」はこれだけ見かけ上の大きさが違うわけです。

 ということなのですが,私がずっと疑問に思っていたのは,地球と月の間の距離が最も近いときと遠いときが何も満月に限らないではないか,ということでした。この疑問について調べていて,国立天文台のサイトで見つけた表で納得がいきました。
 実際,月と地球との距離は周期的に変わっていて,やはり,私が思っていたように,満月でないときに最も近くなったり遠くなったりするようです。しかし,やはり,満月のときに最も近くなったり遠くなったりすることが多く,満月のときに限って,「スーパームーン」とか「マイクロムーン」というわけです。

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 大河ドラマ「平清盛」を続けます。
 第15回「嵐の中の一門」で,常盤御前が登場しました。常盤御前は源義経の母です。
 私は,子供のころ,よく京都の鞍馬寺に連れていってもらったので,そこで,「義経背比べ石」というものを身近に見ていました。また,市バスが五条大橋を渡るので,「京の五条の橋の上,大のおとこの弁慶は長い薙刀ふりあげて,牛若めがけて切りかかる。牛若丸は飛び退のいて...」という歌があることを聞いて,牛若丸と弁慶という名を知りました。しかし,そうした知識は童話的であり断片的でした。1993年に放送された大河ドラマ「炎立つ」で,源義経が東北の藤原三代に匿われたことが取り上げられていて,どうしてこの地に源義経が関わっているのか? と驚いたことすらありました。
 また,旧中山道を関ヶ原宿から柏原宿まで歩いていたとき,途中に「常盤御前の墓」があって,これもまた驚きました。どうしてここに常盤御前?
  ・・・・・・
 1138年(保延4年)生まれの常盤御前は, 近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女でした。
 雑仕女の採用にあたり,藤原伊通の命令によって都の美女千人を集められ,その百名の中から十名を選んだ中で,聡明で一番の美女であったといいますが,これもまた,「平清盛」で描かれました。
 やがて,源義朝の側室になり,今若,乙若,牛若を産みました。
  ・・・・・・

 第28回「友の子,友の妻」では,源頼朝の助命と常盤御前について描かれています。
  ・・・・・・
 平治の乱で捕らえられた源頼朝が平家盛の幼いころに姿が似ていたことから,母の池禅尼が哀れんで清盛に頼朝の助命を訴えたとありますが,ドラマでは,これをもとにしています。
 また,常盤御前は子供たちを連れて雪中を逃亡したのち,平清盛の元に出頭し,子供たちが殺されるのは仕方がないことだけれども,子供たちが殺されるのを見るのは忍びないから先に自分を殺して欲しいと懇願しましが,その様子と常盤御前の美しさに心を動かされた平清盛は源頼朝の助命が決定していたことを理由に,今若,乙若,牛若を助命しました。「義経記」や「平治物語」では,平清盛が常盤御前によしなき心を抱き,子供の命を盾に返答を強要したという内容が記されています。
 その後については、侍女と共に源義経を追いかけたという伝承があり,常盤御前の墓とされるものは岐阜県関ケ原町をはじめ,各所にあります。 
  ・・・・・・
 源頼朝や常盤御前の生んだ子供たちの命が救われたことが,やがて,平家滅亡につながるので,このあたりをうまく描く必要があります。でないと,ドラマは成立しません。「平清盛」では,こうした資料をもとにして,うまく物語が作られています。

 さて,平清盛に助命を認められた今若,乙若,牛若は,それぞれ別の寺院に送られました。
 今若はのちの阿野全成,乙若はのちの義円,そして,牛若がのちの源義経ですが,彼らの姿は「鎌倉殿の13人」にうまく描かれています。
 無知な私は,源義経については知っていましたが,阿野全成と義円が源義経の実の兄弟ということすら知りませんでした。
 このように,「平清盛」を見てから,改めて「鎌倉殿の13人」を見ると,まさに,伏線回収。その奥深さにのめり込むことになりました。これでまた,日本各地を旅する楽しみが増えたというものです。

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 今日2024年1月13日と翌日の1月14日は大学入試共通テストだそうです。
 今年は,元日から大きな地震があって,被災した地方の受験生は気の毒です。このような状況で,全国の高校生を一律に点数を比べるのはどうかと思いますが,このことに限らず,私は,日本各地を旅してみて,様々なことが全国一律に課せられていることに,疑問をもつようになりました。受験の場合でも,東京に比べて離島などに住む高校生は,受験会場に行くだけでも大変だし,学習環境が違い過ぎて,そのハンディが大きいのです。
 首都だけが発展している国は独裁国家と発展途上国の特徴だと聞いたことがあります。

 さて,ここからが今日の話題です。
 来年度の大学入試共通テストから,「情報」という教科も必須科目として課せられることになったようです。そこで,これまでは冷遇され,相手にもされていなかった「情報」という教科がにわかに話題となり,「情報」ではプログラムを学習しているから,これを身につける必要があるということで,受験産業はこれもまたビジネスチャンスだとばかりにプログラム塾を作ったり,また,コピュータに疎い親たちはパニックになったりしました。
 「情報」ではどんな問題が出題されるのか調べてみると,「情報」の大学入試共通テストの試行問題というものがネット上にあることを知りました。そして,私がそこで知ったのが「DNCL」なるものの存在でした。
 ・・・・・・
 「DNCL」とは,大学入試共通テストの問題で出題されるアルゴリ ズムを記述するために考案された仮想言語です,仕様や構文がシンプルで,C言語などを理解している生徒はプログラムを読めるように設計されています。「DNCL」は動的型つけ言語で,変数には型がありません。
  ・・・・・・
だそうです。
 コンピュータ言語といってもいろいろあるから,どれかの言語に特化してしまうとハンディができるので,大学入試共通テストのみで通用する独自のコンピュータ言語を考案したというわけです。 
 「DNCL」とは「大学入試センターランゲージ」の頭文字なのです。
 しかし,「DNCL」では,実際のコンピュータは動きません。他の言語を知っていれば大丈夫というふれこみで,実際,確かにそうなのですが,プログラミングの得意な生徒ならともかく,不得手な生徒にそのような理想的な考えは通用しません。
 そこで,テストで点数を取るためだけに,「DNCL」の特訓が企てられるのです。高等学校で使用する「情報」の問題集にはすでに「DNCL準拠」と書かれてあるし,予備校では「DNCL」がコンピュータ上で動くコンパイラが開発されるし,高等学校では「DNCL」を意識した受験英語ならぬ,受験プログラミング指導がはじまるのです。
 それは,どういうことかというと,たとえば,外国語という入試科目において,世界には様々な言語があるから,何かひとつの言語に特化していしまうと他の言語を学んだ人が不利になるから「大学入試センター外国語」を作っちゃえ,というようなものと同じです。
 英語の試験に資格試験を導入しようとして頓挫したように,数学の試験に記述問題を導入しようとして失敗したように,一体全体,この国は,いつも,何がしたいのでしょう? 結局は,受験産業の金儲けに利用されているだけで,犠牲者はいつも受験生です。

 現在,受験英語とか受験数学と揶揄されてはいても,一応は役に立ちます。しかし,「DNCL」はそうではありません。プログラミングをマスターした生徒は「DNCL」が理解できても,「DNCL」をマスターした生徒はプログラミングができません。紙の鍵盤でいくら練習してもピアノが弾けるようにはならないのと同じです。
 これでまた,受験英語とか受験数学に加え,受験情報という教科が誕生したことになります。コンピュータ嫌いが加速することでしょう。
 今や,AGIの発達とChatGPTの時代。学校教育では,これらの使用や指導を禁止するのではなく,これらを有効に使えるようにしなければ,社会に出てから役に立ちません。
 「情報」という教科でそんな使えもしない言語をごちゃごちゃ指導しているくらいなら,将来,コンピュータを仕事で使う必要のある若者は,Pythonひとつきちんとマスターするほうがずっと有益でしょう。しかし,車の運転ができないと困るといっても,ミッション車で車の運手ができなければならない必要はない,というのと同じで,すべての高校生がコンピュータプログラミングができるようにと課す必要が果たしてあるのか,ということが先に議論されるべきでしょう。「情報」で何を教えるのか,技術の発達の方が早すぎて,すでに迷走状態に入っています。


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 以下は,大学入試共通テスト試行問題で出題されたプログラミング問題とそれにかかわる「DNCL」,そして,最後に,私が「DNCL」をVBAで書き直したものです。

aaaa vvvvv nnnn


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 第10回「義清散る」では,佐藤義清なる人物が詳しく語られるのですが,「佐藤義清=西行法師」だなんて,私には「何だ,そうならはじめにそう解説してくれよ」という感じでした。そう知っていればずいぶんと想い入れもできるのですが,知らずに見ていてもそれがわかりません。
 旅をしていると,吉野山の西行庵をはじめとして,西行法師ゆかりの場所がいろいろなところにあるのですが,私は,これまで,西行法師は和歌の達人,というイメージしかありませんでした。これを機会に調べてみると,もっともっとドラマのある人物でした。
 佐藤義清以外にも,「平清盛」では,明子,時子といった平清盛の妻や,鳥羽天皇の中宮皇后・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ),美福門院得子(びふくもんいんなりこ)といった女性が出てきますが,もともと女性の顔の違いが認識できず,みな同じ顔に見えてしまう私にはすぐには区別がつきません。また,待賢門院璋子の子である崇徳天皇は顕仁(あきひと)という名だし,後白河天皇も雅仁(まさひと)だし,美福門院得子の子である近衛天皇は躰仁(なりひと)ですが,幼名だけで語られても,一度では理解不能です。せめて「後の〇〇天皇」といった字幕でもあればいいのですが…。

  ・・・・・・
  ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ
    待賢門院堀河
  身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ
    西行法師
  ・・・・・・
というような,佐藤義清と待賢門院璋子の関係を暗示して,効果的に取り上げられている和歌も,この和歌を知ってはいても,こんなシチュエーションで詠まれたのか! と驚きました。いや,実際は,そんなシチュエーションで詠まれたものではないでしょうが,そんなシチュエーションを思い起させる歌だということでしょう。
  ・・
 「ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」は百人一首にある歌ですが,これは待賢門院璋子が詠んだものではなく,待賢門院璋子に出仕した待賢門院堀河が詠んだものですが,いずれにしても,関わりがあるのです。そう学べば,学生時代,百人一首の勉強にもう少し身が入ったものを,高等学校で習う百人一首は,参考書には文法については必要以上に詳しく書かれているのに,それを詠んだ人物や時代背景にはほとんど記述がありません。もし,その時代や人と人との関りを知っていれば,さぞかしおもしろかったのになあ,と悔しい思いをしました。
 このように,「平清盛」は,一度見るだけではわからないことが多いので理解不能ですが,時間のある今,何度も見直したり,わからないところは徹底的に調べながら見ていると,それがまあ,奥が深いドラマだ! ということがわかり,とても興味深いのです。また,真実かどうかは別として,その時代の逸話をさまざまな古文書から探し出して,それらをドラマの中にこれだけ多くちりばめられているのもすごいものだと感服しました。

 将棋の棋力がない人が難解な藤井聡太八冠の将棋の本当のおもしろさが理解できないように,このドラマを評価するには,ものすごく多くの知識が必要なのでしょう。そうでないのに,容易に批判するのは,自分が無知であるということを吹聴し,天に向かって唾を吐くようなものです。脚本家はそれをすべて計算づくで,浅学のあなたにはわからないんでしょう,とほくそ笑み,批判する人を値踏みしながら優越感に浸っていたのかもしれません。
 一方,現在は過保護な時代で,また,視聴率を気にするあまり大衆に媚びを売っています。大河ドラマでは,さまざまな関連番組が放送されたり,解説本が出版されたり,ドラマの冒頭でもていねいなあらすじの説明がありと,無知な私が見ても,理解不能ということはないのですが,以前は,そうではありませんでした。
  ・・
 話は飛躍します。
 こうしたドラマに限らず,リヒャルト・ワーグナーのオペラや,シェイクスピアの劇など,人類の財産ともいえる多くの芸術は,「平清盛」とは比べられないほど,もっと難解で,多くの知識がなければ,理解できません。それでも,それを評価し,楽しんでいる人がいるわけです。私はそれがとてもうらやましいです。せっかく生まれてきて,人類の財産である芸術作品のよさを味わえる能力さえ身についていないて,人生はなんと短いこと!

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 昨年,隠岐諸島に行ったとき,知夫里島で,文覚上人の墓,というものを見て以来,文覚上人なる人物に興味が湧いたことから,NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で市川猿之助さんが演じた文覚上人をまた見たくなりました。そこで,保存していた総集編を見直してみのですが,まったく出てきませんでした。そこで,「鎌倉殿の13人」の全話を見るにはどうしたらいいか,と思っていたら,NHKオンデマンドで見ることができるということがわかったので契約して,やっと見ることができました。
 文覚上人を登場させなくても,「鎌倉殿の13人」という物語は成り立つのでしょうが,脚本を書いた三谷幸喜さんが,その時代について調べているうちに,文覚上人は非常に興味をもった人物であるらしく,また,大河ドラマは真実を描いていない,などという学者気取りの人をあざ笑っているかのように,それをおもしろおかしくドラマに取り入れていたのが,脚本家の矜持というものでしょう。大河ドラマは歴史を題材としたあくまでドラマであって,でないと,単に受験勉強用の学校の歴史教材になってしまいます。
 せっかく契約したのだからと,NHKオンデマンドに存在する他の番組を調べていたら,「鎌倉殿の13人」以外にも過去の大河ドラマが多数存在していました。そこで,今日は,そんな過去に放送された大河ドラマのお話です。

 私がはじめてNHK大河ドラマにはまったのは,1973年に放送された「国盗り物語」でした。
 それ以来現在まで,最後まで見たもののあれば,途中で断念してしまったものもあります。途中で断念してしまったものには,つまらなかったものと,本当は興味があったけれど難しくてわけがわからなくなってしまった,というものがあります。そうしたもので,私がずっと気になっていたのが「勝海舟」「平清盛」「義経」の3作でした。
 「勝海舟」は,総集編だけ存在していてそれを見ることができました。総集編では物足りなかったのですが,とにかく,流れはわかりました。「義経」は,現在,NHKオンデマンドでは見ることができません。現在,すべてを見ることができるのは「平清盛」でした。
 私は,日本の歴史で,戦国時代と幕末にはすごく興味があったのですが,平安時代末期のことはそれほど興味もなく,大学受験で必要だった知識以外,ほとんど知りませんでした。「鎌倉殿の13人」も,放送する前はまったく興味がなかったのですが,見ているうちに引き込まれて,この時代に興味がわいてきました。
 「平清盛」は,主役が「どうする家康」でユニークな演技をしていた松山ケンイチさんということもあり,「鎌倉殿の13人」と今年放送される「光る君へ」の間の時代を描いたものということもあり,「平清盛」をきちんと見てみることにしたのですが,それがまあ,おもしろいこと!

  ・・・・・・
 「平清盛」は,2012年に放送された51作目のNHK大河ドラマです。
 平清盛の生涯を中心に、壇ノ浦の戦いまでの平家一門の栄枯盛衰を,源頼朝の視点を通して描いたものです。
 第1回から父・平忠盛が亡くなる第16回までが第1部,平清盛が平氏一門の棟梁となった第17回から保元の乱と平治の乱を経て公卿となった平清盛が嚴島に経典を納める第30回までが第2部,その後の第31回からが第3部です。内容豊富,ボリューム満点のドラマです。
  ・・・・・・
 このドラマは,放送当時,かなり不人気でした。その一方で,一部の人たちにはものすごく評価の高いドラマでした。私は,視聴率,などというものはどうでもよく,他人が見ようと見まいと,人気があろうとなかろうと,人は人で,どうでもいいのですが,それよりも,自分が興味があるのにわからない,ということが悔しかったのです。
 改めて見ると,このドラマが不人気だったのは,画面が汚いなどということを言った人がいるとかいないとかですが,実は,難しすぎたから,ということを再認識しました。このドラマを理解するには,山川出版社の「詳説日本史」なる高等学校の教科書程度の知識では不十分であり,書かれていないことばかりなのです。そもそも,この時代は,教科書程度の知識でも,保元の乱,平治の乱が,源と平の対決といった単純なものではなく,利害関係が複雑に入り交じっているし,人物の名前も似たようなものばかりだったので,受験勉強をしていたころの私は,さっぱりわかりませんでした。

 このドラマは,院政といって,白河天皇が幼少の子供に皇位を譲り法皇となって権力をほしいままにしているところからはじまります。次の堀河天皇は若くして亡くなったのでドラマ「平清盛」には出てこず,次のその鳥羽天皇がその不安定な地位に格闘しているというのが第1部です。
 第1部では,平清盛は白河法皇の落胤だった? とか,鳥羽天皇の本当の父は白河法皇だった? とか,崇徳天皇の父も鳥羽天皇ではなく白河法皇だった? とか,そのように伝わっている逸話などが取り入れられています。
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 「平家物語」の語り本系の諸本は,白河法皇の寵愛を受けて懐妊した祇園女御が忠盛に下賜されて,平清盛が生まれたとしています(=白河院落胤説)。また,読み本系の延慶本では,平清盛は祇園女御に仕えた中﨟女房の腹であったというように書いています。
 崇徳天皇は鳥羽天皇と中宮・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)の第1皇子ですが,「古事談」には,崇徳天皇は白河法皇と待賢門院璋子が密通して生まれた子であり,鳥羽天皇も実父は祖父・白河法皇で,崇徳天皇を「叔父子」とよんで忌み嫌っていたという逸話が記されています。
  ・・・・・・
 こういう逸話を取り入れてドラマが作られているので,大河ドラマは史実に忠実でない,と批判する人がいたわけのですが,それが真実であろうとなかろうと,歴史の授業であるまいし,歴史を題材とした作り話,でいいじゃないか,と私は思います。このほうがおもしろいし,人間の本音を露骨に描くことができます。
 以下,次回に続きます。

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◇◇◇
ISS.

2024年1月6日午前5時39分。
月齢23.9の月と金星の間を横切る国際宇宙ステーションです。
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 お金が無尽蔵にあるような「本物の富裕層」はともかく,私のような「インチキ富裕層」は,浪費をすればたちどころに貯えは底をついてしまいます。そこで考えるのは「コストパフォーマンス」です。
 男の道楽というのは限がありません。趣味として,単に鳥を撮るという楽しみのために,百万円以上もするような望遠レンズを買ったりする人もいれば,百万円の10倍もするような高級車を購入したりする人もいるわけです。
 人それぞれ楽しみが異なるので,その人が納得の上で浪費をすることは自由であって,他人がとやかくいうこともないのですが,私のように,やりたいことが次から次へと湯水のように出てくると,真剣に「コストパフォーマンス」を考慮する必要が出てきます。「コストパフォーマンス」というのは,百万円の望遠レンズを買うのと,そのお金で10回旅行をするのと,どちらが自分には快適なのか,というようなことです。

 実は,この3年間,私は「あること」のために,使う上限を決めた上で無駄遣いをしました。その目的は,そうした無駄遣いをすることで,自分の金銭感覚を確かめてみたかったということですが,その結果,いろいろなことを悟りました。だから,結果的にそれは駄遣いにはならかなったわけです。また,そうしたことによって,自分なりの「コストパフォーマンス」がわかるようになってきました。
 自分なりの「コストパフォーマンス」は,たとえば,旅に出たとき,何にお金を使うか,ということです。
 旅というのは,家を出てから戻るまでがすべて快適でなくてはいけない,と私としては思うわけです。だから,お金を節約して,混雑する車内で不快感を味わいながら何時間も移動する,などということは,なるべく避けたいのです。また,その反対に,高級旅館に泊まって大広間でバイキング形式の朝食をとる,などというのも,いくら食材が高級であっても,私には楽しくはないのです。
 そこで,私は,往復の列車はグリーン車を利用し空いた車内で快適に過ごしつつも,泊るのは,安価であっても,小さな旅館,できれば,お客さんが私ひとり,どいうほうが好ましいのです。だから,そのようなお金の使い方をするわけです。

 このように,ひとそれぞれ価値感や趣向が異なり,それに基づいてお金の使い方が異なるわけだから,何をもって贅沢か,というのは,一概にはいえないことになります。
 それよりも,最も大切なのは,どうお金を使うことが自分にふさわしいか,ということを知っているかどうか,ということなのでしょう。よく,無駄遣いをしないように,といわれますが,小さいころより,無駄遣いをしないように,というよりも,自分としてのお金の使い方を知ることのほうが大切に思います。


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 学校では,いつものことながら,何か新しいものがでてくると,まず「禁止」にします。
 私が若いころは,万年筆を使うと不良になるとか,腕時計を持っていると不良とかいって「禁止」,そういうことからはじまりました。だれしもが買えないものを学校へ持ってきて友達に見せびらかすな,ということが「禁止」につながるわけで,その趣旨はわからないでもなかったのですが,そのうち,時代が変わると,電卓使用「禁止」,電子辞書使用「禁止」,携帯電話「禁止」などなどと,同じことをくり返してきました。そして,いつのころからか,手のひらを反して,今度は学校が推奨しはじめたりするわけです。
 そして今は,「ChatGPT」使用「禁止」です。
 これもまた,使用したこともない人や,使いこなせない人たちが,正しい認識ももたずにそういうことを言い出して強制するのだから,滑稽でしかありません。そして,これもまた,いつものように,使用を奨励するようになったころにはすでに手遅れで,学校の指導に忠実に従って使いこなせない人たちだけが時代から取り残されていくのです。そして,いち早く使いこなせるようになっていた人だけが,生き残っていくのです。
 このように,教育というのは,本来,生きる力をつけることが目的であるはずなのに,生きる力を削ぐことに一生懸命だったりするのです。必要なのは,「禁止」することではなく,正しい使い方を教えることです。
 実際問題,建前はともかく,生徒がこっそりと「ChatGPT」を利用して作文を書いてきて,それをまた,教師が「ChatGPT」を使って「ChatGPT」を使っていないかをチェックしたり,採点をしたり,調査書の所見を「ChatGPT」を使って書いたり,記述式とやらを導入したい大学入試の採点に「ChatGPT」を導入したりすることでしょう。もはや,何が現実なのか虚構なのか,さっぱりわからないのです。愉快な話です。中身も実力もないのに肩書やら学歴やらで虚栄をはるブランド偏重時代の終焉です。
  ・・
 ということですが,私は,文章を書くのに「ChatGPT」の助けは必要とはしないので,実は,ほとんど使っていません。それよりも,むしろ,「ChatGPT」にはどんな「利点」があって,また,どんな「弊害」があるのかを知ることに関心があります。これは,将棋AIを媒体として,人工知能(=AI)について,どんな「利点」があって,また,どんな「弊害」があるのかに関心があるのと同様です。
 と,「不良老人」の私は,別に時代に遅れても何も困らないから鷹揚に構えていられるのですが,実社会では,有能な人たちはすでにビジネスでドンドンと「ChatGPT」を使いこなしはじめているから,これもまた,いつものことながら,日本は世界から遅れはじめています。

 さて,今日は,そんな「ChatGPT」に,文章の要約をしてもらうことにしました。
 だらだらと長い文章を読むのも時間のムダというものだし,多読家は斜め読みをするということですが,それでは,文章の論点を見つけるのもかなりの読解力が必要なので,「ChatGPT」に文章の要約を頼んだ方が,きっと正確なのでは? という考えから試してみることにしました。
 使い方は,まず,「ChatGPT」の入力画面に,「次の文章を要約してください」と打ち込んで,あとは,要約して欲しい文章を張りつけるだけです。
 選んだのは,昨日のこのブログの文章の一部分です。
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【もとの文章】
 コンサートマスター(concertmaster)は,オーケストラの各奏者を統率して,指揮者の意図を音楽に具現する役職で「第2の指揮者」ともいわれます。第1ヴァイオリンの首席奏者が務めます。
 実際,コンサートを聴きにいくと,よほど信頼された指揮者以外の場合,楽団員はコンサートマスターを見て演奏しているような気がします。一度,NHK交響楽団の定期公演で,指揮者のアシュケナージさんが指揮棒を手に刺してしまい指揮不可能となり,コンサートマスターの堀正文さんが,チャイコフスキーの交響曲第4番全曲を,演奏しながら指揮したというのを見たことがあるのですが,このときはすごいものだなあ,と思いました。それとともに,指揮者なんで要らないじやん,とも思いました。
 本当は,オーケストラはコンサートマスターの指示で演奏をしていて,指揮者はその音楽に合わせて踊っているだけのような…。そんな気がしないでもない。
 そんなコンサートマスターですが,いわば,それぞれのオーケストラの顔なので,その人材を探すのがたいへんそうです。
 私がよくわからないのは,コンサートマスターの肩書に,ソロコンサートマスター,プリンシパルコンサートマスター,第1コンサートマスターのように,様々なものがあることです。そして,その違いについて説明がされていることもまずないので,何が違うのか,客である私にはさっぱりわかりません。さらには,アシスタントコンサートマスター,副コンサートマスターなどというものもあります。これらは,コンサートマスターがふたり以上いたときにその格づけのため,さまままな飾りをつけているように思えます。プライドの高い人たちですから…。しかし,ソロコンサートマスターと第1コンサートマスターの違いなんて,わかりかねます。
 であっても,ここまでは,そのオーケストラの正式の団員ですから,まだなんとなく理解ができますが,客員コンサートマスター,特別客員コンサートマスター,ゲストコンサートマスター,アシスタントゲストコンサートマスタ-となると,??? という感じです。客員とかゲストとかいうのは,このオーケストラのコンサートマスターは大したことないから,別のオーケストラの立派なコンサートマスターを高いお金を出してよんできたよ,という気がしてしまいます。しかし,オーケストラの肝をお客さんで済ませてしまうのはダメでしょう。オーケストラの中心になる人は,きちんとこのオーケストラに所属している人であるほうが,オーケストラの音楽作りにはいいと私は思いますが。
  ・・
【「ChatGPT」による要約】
 コンサートマスターはオーケストラの各奏者を統率し,指揮者の意図を具現化する「第2の指揮者」とされ,第1ヴァイオリンの首席奏者が務める役職です。
 コンサートマスターは信頼された指揮者がいない場合,楽団員は彼らを見て演奏することが多く,時には指揮者の代わりに音楽を指揮することもあります。
 ただし,肩書には様々なバリエーションがあり,それぞれの違いについての説明が少なく,混乱することがあります。特に,ソロコンサートマスター,プリンシパルコンサートマスター,第1コンサートマスターなどの違いが理解しにくいです。
 また,客員やゲストといった肩書もあり,これらがオーケストラの中心的なメンバーであるかどうか疑問視されることもあります。結論として,コンサートマスターの役割と肩書には複雑な側面があり,その違いや意義を理解することが重要です。
  ・・・・・・
 まあ,こういうことです。
 自分の書きたかったことがこのように凝縮できるというは,かなりのショックでした。こんなことなら,長々とした文章など書かずとも,はじめから,こう書けばよかったというわけで,かなり勉強になりましたし,反省もしました。
 「ChatGPT」による文章の要約は,文章を読む作業時間を減らすだけでなく,自分が文章を書く力を養うのにもとても有益です。


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 -新聞読む子の平均正答率,高い傾向-全国学力調査
  新聞を読む頻度が高い子の方が読まない子よりも全国学力調査の平均正答率が高い。文部科学省が7月に発表した学力調査の結果から,そんな傾向が浮かんだ。
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 定期購読をやめて半年ほどになりますが,今でも何かの機会にふと目にすることがある新聞です。先日もこんな記事をある新聞でみかけました。そして,いつものごとく,私は,相変らず新聞はこんな見出しで記事を載せているのか,新聞の定期購読をやめてよかったと改めて思いました。
 何事もすぐに軽率に結論を出し,それを大きな見出しにしたがる,これが新聞の最大の悪癖です。「新聞を読んでいるような学力の高い」若い人は,こんな悪癖を身につけてはいけません。

 「ニワトリが先か卵が先か」(Which came first: the chicken or the egg?)問題があります。それは「因果性のジレンマは互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようとする無益さを指摘している」ことですが,新聞を読むと学力が高くなるのか,学力が高い人ほど新聞を読んでいるのか,という指摘がこれにあたります。
 さらに,「学力とは何か」問題もあります。「大辞泉」には「学習して得た知識と能力。特に学校教育を通して身につけた能力」とあります。また,「世界大百科事典」には
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 「学力」の明確な定義は困難であり,ふつう,やや漠然と,文化遺産の計画的な学習によって獲得した能力を指す。欧米にはこの語にそのまま当てはまる語はない。英語ではability(能力)にふくまれ,またachievement(達成,業績)は第2次世界大戦後,とくに高校入試のアチーブメント・テストとして日本語にとけ込むようになったが,学力と同じではない。
  ・・・・・・
とあって,学力という言葉の意味にはさまざまな解釈があるのですが,はたして,記者はそれを知ってこの記事を書いているのかどうか? 
 学力調査は本当に学力を測るのに適切なものだったのかどうか,というような問題点を指摘して解説することこそが,本来の報道の役割でしょう。

 こんなことは,ワイドショーで「〇〇を食べると長生きする」のような特集が放送されるやいなや,その商品が売り切れになる,ということと同じレベルの話にすぎません。また,国の行う調査が,新聞の広告塔になってもらっては困るのです。百歩譲って,新聞と学力の因果関係を調べるくらいなら,むしろ,教育に予算をどれだけかけているか,それによって学力に違いがあるか,を調べるほうがずっと意味があるというものです。
 新聞を読むことは,教育のひとつのメソッドであるということを,否定するものではありません。しかし,それが新聞である必然性が果たしてあるのかどうか? もし,新聞がどうのこうの,という調査をするのなら,では,テレビは? 週刊誌は? と比較すべきだし,あるいはまた,〇〇新聞は? △△新聞は? というように新聞ごとの比較や,どんな記事を読んでいるのか,も加えたものでなければ,調査とはいえないでしょう。
 新聞を読めば学力が高くなるというのは,たかが布切れ1枚のマスクをすれば病気が防げる,といった病気をなめている軽率な考えと同じレベルです。学力をつけるというのもまた,そんな生やさしい話ではないのです。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 藤井聡太新名人が誕生しました。これで,8つあるタイトル戦のうち,王座を除く7つを制覇し,さらに,昨年度は,4つのトーナメント戦も優勝したので,将棋界の獲得賞金のほとんどを総なめしたことになります。また,昨日は,とほうもない大逆転勝利を演じて,8冠に一歩近づきました。こうなると,将棋界ひとり勝ちの状態なので,他の多くの棋士の収入と大きく差ができてしまいます。-しかし,この将棋でも,藤井聡太竜王名人の指した84手目△8八龍以下25手詰みを「将棋AI」が83手を指した段階で読み切れていなかったというのはどういうことだろう? 「将棋AI」は龍を切って詰ます手順が読めないのかも…。- 
 収入が多ければ累進課税でより多額の税金がかかるから,ひとりが独占して高収入をあげると,多くの棋士がタイトルを分け合っている状態に比べて,国としてはより多い税金収入があるということだから,好都合なのでしょう。だから,羽生善治九段とか囲碁の井山裕太三冠に国民栄誉賞をあげたのかな? 高額納税の返礼品みたいなものか?
 それでも,将棋界はまだ少ない方で,メジャーリーグの大谷翔平選手など,その何倍,いや,何十倍,はたまた何百倍もの収入があるそうだから,税金もバカ高いものでしょう。
 ということで,高額所得者というのは,私のような「インチキ富裕層」とは違って,多額の税金をとられたところで,それでも,入ってくるお金は途方もないものですが,いくらお金が手に入ったとしても,ある金額を越えてしまうと,何か,よほどの大豪邸を立てるとか,でもしないと,もはや,使いみちもないことでしょう。そんな心配をしてしまいます。

 こうした,途方もない高収入を得られる人にとっては,老後の心配は無縁なことでしょうが,ほとんどの人はそうはいきません。若いころからずっと収入の少ない人にとっては,日々,暮らすことだけでも大変なので,貯金をすることすらできないかもしれませんし,若いころに,少しだけ高収入があるような職業に就いた人も,また,若いころは欲しいものも多いから,たとえ思った以上の収入があっても,なかなか貯金もできないわけです。このように,きちんと将来設計を考えておかないと,お金が残らないから,ともに,老後がたいへんです。アメリカでは,プロフットボールの選手の多くが,現役時代に途方もない収入を得ているのですが,彼らの多くは,選手を引退後,自己破産に陥ってしまうそうです。
  ・・
 前回,人生は55歳から75歳がゴールドエイジだと書きました。
 ゴールドエイジを楽しむためには,第1に健康,そして第2にある程度のお金です。元気で金に困っていないのなら,まさに文字通りのゴールドエイジとなるわけですが,55歳の時点で貯金のない人や,月に50,000円程度の国民年金しか収入のない人の老後は,そうはいきません。
 ということで,若い人が無駄遣いをしているのを見ると,ゴールドエイジになったときのことを考えて,無駄遣いをしないで,日々,身の丈に応じたお金の使い方を考えたほうがいいのになあ,と,老婆心ながら,いつも思ってしまいます。

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 人生のゴールドエイジは55歳から75歳。これほどすばらしい時期はないのです。この時期を楽しく過ごすために,それまでの55年間を生きてきたといっても過言ではありません。
 とはいえ,定年が65歳になってしまった今では,ゴールドエイジの半分を無駄に過ごしてしまわなければならない人が多いのが気の毒なことです。できれば,私のように,1年でも早く早期退職するといいと思うのですが,なかなかそうもいかないのでしょう。55歳で管理職,なんて最悪の選択です。輝ける50代後半のもっとも楽しめる時代を完全に無にするからです。それで多少お金が手に入ったとしても,無駄にした時間は戻りません。また,仕事を辞めた後で,そんな肩書は誰もリスペクトしません。仕事は人生の一部ではありますが,仕事が人生ではないのです。

 少子高齢化の時代,世の中はゴールドエイジを迎えた人だらけです。このごろは,社会が3年前に戻りつつあるので,私のように,それまでと変わらず旅をしていた少数の人は別として,これまで外出を控えていた「人生すべてパック旅行」の人たちも,今になって積極的に外出をしはじめました。
 一概にゴールドエイジといっても,これまでの人生経験がそれぞれ異なるから,人生感も価値観も異なり,また,能力も違い,幼稚園児とは違って仲間意識が芽生えることも容易なことではありません。さらに決定的なのは,この先は高額の収入も見込めないし,プライドだけが取り柄の人にとっては唯一の支えであった仕事上の肩書もなくなってしまうと,もはや,この齢になったとき,すでに何か行動を起こす前に勝負あった,という感じです。

 こうした人たちは,①お金もなくしたいこともない ②お金があってしたいこともたくさんある ③お金はあってもしたいことがない,あるいは,したいことがあってもそのやり方がわからない ④お金はないけれどしたいことがたくさんある,という4つのタイプに分けられます。
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 この中で,お金もなくしたいこともないという人たちは,朝から晩まで,その日一日ををいかにして潰すかが日々の大問題です。近くのモールの休憩所で1日ボーッとテレビを見て,夕方の特売がはじまると群れて夕食のお弁当を買ったりしている人も少なくありません。それはそれで人それぞれだからいいと思うのですが,退屈ほど辛いものもないわけだから,それを克服することは結構たいへんです。人は夢がないと精神的に病んでしまうから,これだけは避けなければなりません。鬱になる老人が多いというのは,こんな状態を指すのでしょう。
 次に,お金があってしたいことがたくさんあるという人たちは,人生を謳歌しているわけだから,お好きなようにしてもらえばいいでしょう。お金の使い方もよく知っているし,したいことをどのようにするかも知っているから,楽しい毎日を送っているのです。心配なのは健康だけですが,精神的に充実していれば病気にもならないものです。まさにゴールドエイジです。
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 お金はあってもしたいことがない,あるいは,したいことがあってもそのやり方がわからない,という人たちが,もっとも経済社会に貢献している人たちだと私は思います。こういう人たちが,お金を使ってもらうお客さんとしてもっと貴重な存在なのです。だから,いかにして,こうした人たちからお金を使ってもらうか,いや,巻き上げるか,ということが商売のコツとなります。
 こうした人たちの多くは,現職当時,仕事人間だった人たちです。いざ退職をして旅行をしようと思っても,現職のころに遊んでいないからその方法がわからないので,ともかく,まずは旅行会社の窓口を頼ってくるということになるのです。だから,〇〇パックなるもので,団体ツアー旅行をしているひとたちに多いのです。
 このタイプの人たちに多いのは,現職当時に地位が高かった人です。そのプライドを捨てきれないので,いつまでも先輩風を吹かすから,結構周りの人は迷惑しますが,こういう人がお客さんならば,むしろそれを利用して,そうしたプライドをくすぐってあげさえすれば,お金を出すことに躊躇はしないのです。
 この少子高齢化社会で,最も消費のターゲットにするといいのは,こうした人たちなのでしょう。
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 お金はないけれどしたいことがたくさんある,という人たちが,ゴールドエイジを迎えたとき,もっとも悲劇の存在となるでしょう。こうした人たちが幸せな生活を送るには,お金を使わなくても楽しめるものをもっていることが必要なのでしょうが,やりたいことがたくさんあるというのは,もともと好奇心が高いからであって,しかも,お金がないというのは,若いころにお金を使ってしまったとか,収入がたくさんあったころにお金がかかる楽しみをしていた,というその結果であることが多いからです。
 そうならないための対策が立てやすいのは,このタイプでしょう。つまり,きちんと人生設計を立てて,若いうちから,上手な,自分の身のたけにあったお金の使い方を覚えることです。
 若いころは,自分が齢をとったときのことなど,さほど考えないものですが,実は,若いころにやっているそのすべてのことは,ゴールドエイジを迎えたときどうなっているか,ということに通じているのです。そのときを迎えてからでは遅いのです。


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 ハウツー本というものがあります。ハウツーは英語で「how to」。つまり,やり方のことです。ウィキペディアには
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 (ハウツーとは)何らかの作業をする方法や手順に関する非形式的な記述のこと。何らかのテーマに関するハウツーを集めた書籍をハウツー本とよぶ。
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とあります。
 この国に住む人の多くは「人生すべてパック旅行」なので,生き方さえもハウツー本に頼ります。そこで,書店の店頭には「80歳の壁」「70歳からの選択」「70歳が老化の分かれ道」… といった題名の本があるわあるわ。少子高齢化の進む日本では街中は年寄りだらけだし,今どき,書店で立ち読みしている人もまた高齢者ばかりだから,出版社としては,こういう本を出しておけば売れるのでしょう。というか,こういう本しか売れないのでしょう。
 しかし,齢を重ねても,生き方をそのような本に頼っている人は,これまでどんな生き方をしてきたのかな? と私は思ってしまいます。「人まね」人生なんて,何も楽しくありません。まあしかし,人生は1回きりなので,齢をとることも,また,はじめての経験だから,ドリル学習で育った人には仕方がないのかもしれません。
 かくいう私は,両親がふたりとも90歳前後まで生きたので,およそ,この先どうなるかがわかります。創造主もよく考えたもので,大病を患わなければ,人生の賞味期間は80年なのです。それを過ぎると泥仕合になります。そこで,このごろ強く感じるのは,残り時間も,持っているお金も限りがあるということに尽きるのです。
 若いころはそのようなことはそれほど思わなかったのに,これには参りました。だから,今の私は,まずは,時間が惜しいのです。自分でも手に負えないほどやりたいことだらけの私は,やりたいことをする時間をどう分担してやりとげるか,なのです。そしてまた,限りあるお金もまた,どう,自分の楽しみに分配するかがとても大切なことなのです。
 そのような状況で,何らかのことを達成するたびに自己満足に浸っているわけですが,私が達成感に浸れるのは,これまでにも書いたように,星と音楽と旅,これに尽きるので,それらを,いかに楽しくするか,なのです。この詳しいことは,また,次の機会に書くことにして,今日の話題はお金です。

 お金は,必要なことにはたっぷりかけますが,必要がないことには1円も使いたくありません。そこで,何が必要なことで何が必要でないことなのかは,その人の価値観にかかっているわけです。その場合,自分にとって必要なことがわからないと知らず知らず浪費をすることになります。
 その反対に,いくらお金を手に入れることができたとしても,精神的に満足できないことに時間を使いたくありません。たとえば,投資などに時間を費やすのは本当にもったいないと,私は思います。どれだけそれで利益があったとしても,それに費やした時間,そしてまた,むなしさが大きすぎます。精神的に得るものがないことに時間を使うのは,たとえお金を手に入れたとしてももったいないことですが,これもまた,若いときにそうした経験があるからこそわかることです。
 世の中は,お金を使わせようという誘惑が多すぎます。何の興味もなかったのに,うまくコマーシャルにのせられて欲しくなってしまったりするわけです。そうしたことにまんまと乗ってしまう若い人は多いのですが,一度乗せられてそれに懲りておくのも,免疫ができていいのかもしれません。

 人には免疫というものがあります。免疫は抵抗力を生みます。だから,抵抗力というものの存在を軽視してはいけません。抵抗力のある人は,少しくらい菌のあるものを食べても打ち勝てるのです。現在,何が怖いのか,やたらと怯えて,小さな子供に,過剰に消毒をさせたりマスクをさせる親がいますが,そうすることで,子供の抵抗力が育っていないことを,私は危惧しています。温室栽培では強い植物は生まれません。転んでけがをする必要があるのです。社会に出ても,世の中は善人ばかりではないので,ちょっとした悪いヤツとの接し方を子供のころから学ぶ必要があるのです。
 同じように,誰しもが罹るちょっとした病気は,子供のころにかかっておく必要があるのです。
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 ところで,四六時中マスクをしていることでつねに口呼吸になって,そのためにどんな弊害が起きるのかは医学的に何もわかっていません。医者は薬に関してはプロですが,マスクに関しては何も知りません。つまり,マスクの効用を語るのは素人の意見です。
 こんなことをしていると,おそらく,何十年も経ったとき,予期せぬ副作用が起きることでしょう。この国では,そのころに大きな社会問題となっているかもしれません。しかし,そうなったとしても,誰も責任を取ってはくれません。それが世の中というところです。
 と,ここまでは余談です。
 さらに余談を書きます。
 現在,ニューヨークでは,マスクをして公に出てもいいことを利用して,万引きが多発しています。防犯カメラで顔が特定できないからです。ニューヨーク市長は,店に入るときはマスクを「しないように」と呼びかけています。マスク信者の日本人観光客のみなさん,お気をつけあれ。

 話を戻しまして…。
 消費者は,お金を使うことに抵抗力を身につけなければならないその一方,商売をする側としては,どうでもいいようなものであっても消費者が買いたくなるように仕向けることができれば利益があがるわけなので,そういう気にさせるような商売が上手だともいえるわけです。だから,消費者側としては,そういう商売の方法,つまり,相手の手口を学ぶことこそが,浪費を避ける最善の方法となります。これこそが,浪費をしないための抵抗力であり,真の富裕層となる道なのです。


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 今日で2023年の1月も終わりです。徹底的な断捨離に明け暮れて,あわただしい毎日で,1日はあっという間に過ぎていくのに,その割に月日が経つのが遅く感じられ,やっと1月が終わる,と感じるのが不思議です。

 徹底的な断捨離をして,しみじみ思ったのは,要らないものは買うべきではないということとともに,必要がなくなったらすぐに処分すべきだ,ということでした。
 特に大量に溜まってしまっていたのが書籍でした。
 ミカン箱7箱分処分して,結局,今も手元に残ったわずかな書籍のほとんどは若いときに読んだものだったというのが皮肉でした。30歳を過ぎて購入した本の多くはムダだったというわけです。知らないときにその本ではじめて知識を得た,という記憶が今もその本への愛着となっているのでしょう。要するに,成長段階で手に入れた知識が今の私のすべてだということです。
 また,カメラを大量に処分したと以前書きましたが,私は,写真や星見に興味があっても,それに凝って高価なものをたくさん買う,ということまではしなかったので,救われました。たとえば,100万円以上もする交換レンズや天体望遠鏡など持っていたとしたら,その処分をどうしたことでしょう。
 天体望遠鏡といえば,先日亡くなった天体写真家の藤井旭さんが雑誌などに書いていた白河天文台に感化されて,私の世代ではマイ観測所なるものを作った人も少なからずいたようですが,もし,車で自宅から2時間もするような山の中にそんなものを作っていたら,それが不要になったときどう処分すればいいのでしょう。とにかく,私はそうしたことに手を出さなくて正解でした。

 若いころ,別荘を持っているという人に招かれて,冬にお邪魔したことがあります。到着して驚いたのは,水道管は凍り水も出ず,部屋は掃除が必要でした。そのときしみじみ思ったのは,別荘など買ってしまうと,それを維持をすることがとても大変だということでした。
 私は,若いころにそんなことを知って本当によかったと思うわけです。何事も買うのは簡単でもそれを維持するということがとても大変なことなのですが,それを知らない若い人は,何でも欲しくなってしまうわけです。しかも,業者は商売だから売ればいいわけで,おいしい話ばかりを伝えます。しかし,別荘を建てるお金があれば,そのお金で何度旅ができることか,と考えたほうがよさそうです。持ち家も同じです。借りるより買ったほうがお得というのは業者の方便ですが,その維持費を考えるとそうもいえません。長年住んであちこち痛んできてリフォームしようとしても巨額なお金が必要です。そもそも,この少子高齢化の日本では,不要になっても売れないので,それは財産ではなく負債となります。これだけ空き家があることを考えるとそれは明白です。
 地位や名誉を手に入れた人や有名人ともなれば,その後の生き方がたいへんです。人のもっとも大切な「自由」を捨てることにつながります。それと同じように,ともかく,モノは極力持たないほうがいいのです。


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 私は,語学の勉強は好きですが,まるきり才能がありません。しかし,旅行の経験だけは豊富なので,海外に行くと,生きるのに不自由しない程度の英語はできます。これまでの経験で,最も英語が進歩したのは,今から20年近く前にアメリカで交通事故にあって,アメリカの病院に入院したときでしょう。このときは,帰国後,すっかり頭が英語脳になっていたのが,時差ボケの解消のために睡眠薬を処方してもらってぐっすり寝たとき,まるで,タイムマシンに乗ったかのように頭の中がぐるぐる回転して,頭がすっかり日本語脳に入れ替わるという,奇妙な経験をしました。
 今は,ボケ防止と,いつかまた,大好きなオーストリア旅行をしたい,という希望を捨てないために,ほそぼそとドイツ語の学習に取り組んでいるのですが,まるで上達しません。文字を見れば,一応,簡単なドイツ語なら意味はわかるようになったのですが,聞き取れず,また,全く話せません。

 そんな私が,久しぶりに手にした本は,以前,朝日新聞の読書欄に載っていて興味をもった,高野秀行さんが書いた「語学の天才まで1億光年」という本でした。このごろ,まったく活字の読めなくなった私が,334ページもある本をあっという間に読了してしまったことから,いかにおもしろい本であったかがわかるというものです。
 同姓同名の将棋の棋士がいますが,まったくの別人です。
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 1966年生まれの高野秀行さんは辺境をテーマに旅する探検家であり,ノンフィクション作家であり,翻訳家です。20代のころ,アフリカのコンゴの奥地で幻獣「ムベンべ」を探し,ミャンマーでは北部の麻薬地帯「ゴールデン・トライアングル」に潜入。反政府ゲリラ組織でケシ栽培を体験し「ビルマ・アヘン王国潜入記」を著しました。
 「誰も行かないところへ行き,誰もやらないことをし,誰も書かない本を書く」というのがポリシーである高野秀行さんが,探検家としての体験から,数々の言語をいかに習得し,使ってきたかを描いているものです。
 2002年に「西南シルクロードは密林に消える」の取材で,出国スタンプなしで中国を出国し,以降正式な国境検問所を一切通らずにミャンマー北部のゲリラ支配域を横断しインドに入国。在カルカッタ日本大使館員に相談の上インド当局に自首した結果国外追放処分となり,日本に強制送還された。この際に通過したナガランド州が反政府ゲリラ闘争を抱える地であったこともあり,入管のブラックリストに載せられ以降インドへの入国が出来なくなった。というようなエピソードをたくさん残しています。
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 高野秀行さんは,この本の中で
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 私ほど語学において連戦連敗をくり返し,苦しんでいる人間はそうそういないはずだ。
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と書いていますが,何の何の,それはあくまで謙遜で,本当に語学の苦手な私とはまったく違って,多くの言語を,しかも,実地訓練を通じて身につけてしまう人は,そうはいないでしょう。この人が語学を会得するための実地訓練というのが普通ではなくて,実際に現地に行って,その地の人との交わりの中で覚える,というものであるところがすごいというか,私のポリシーと一致するというか。
 人間,20代ははちゃめちゃに行動し,多くの体験を積むべきだと思っている私ですが,高野秀行さんほどの人は知りません。はじめての海外旅行先のインドで身ぐるみはがされ,謎の怪獣をさがしにアフリカのコンゴに出かけ,できもしないイタリア語の医学論文の翻訳を完成させ,タイ・ラオス・ミャンマーにまたがるゴールデントライアングルでケシ栽培を行ってアヘンを作ろうと企てたり…。
 私がかつてロサンゼルスで置き引きにあって,パスポートも全財産も帰りの航空券を失くして途方にくれたなんていうだけの経験では,足元にも及びません。
 ことばは学問ではなく,ましてや,入試で点数争いをするものでもなく,コミュニケーションの手段であるという当たり前のことが当たり前に行われていない,この国の語学教育をあらためて考えさせてくれるすばらしい本です。

 ただひとつよくわからないのが,この本の題名です。語学の天才までは1億光年もの距離がある,というのか,そのくらいの距離を旅すれば語学の天才になれる,というのか。
 ちなみに,1億光年とは,9,461,000,000,000,000,000,000キロメートル(94垓6,100京キロメートル)であり,1億光年先にある天体は二重銀河NGC3314など。ただし,残念なのは,人類が見ることができる最も遠い距離というのは138億光年先なので,もし,この本の題名が語学の天才には手が届かない距離にある,という意味ならば,むしろ,「語学の天才まで138億光年」としたほうがよかったかも。というのは余談です。

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 とある事件をきっかけとして,新興宗教が関心を集めています。しかし,新興宗教に限らず,人は何かに洗脳されてしまうと,熱病に侵されたかのように,理性を失ったり,財産を失くすのです。
 恋愛も同じでしょう。恋は盲目といいます。ときにはストーカーになって,相手を不幸にします。
 組織における出世願望も同様です。だれしも,周囲にやたらと偉くなりたい病の人がいることでしょう。概して,偉くなりたい病というのは,自分の身の丈を越えた高級車に乗りたい人やブランドのカバンを持ちたい人と同様に,劣等感の裏返しであることが少なくありません。
 そのことは,権力という熱病に侵された政治家もまた同じです。しかし,政治家がより危険なのは,自己満足を越えて,他人を巻き添えにして世界を恐怖に陥れることがあるからです。歴史的にみても,カリスマ的な指導者は,多くの人を洗脳して,世界を地獄に落としてしまいます。
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 そう考えてみると,物質欲を煽る広告もまた,それを見ることで,欲しくもなかったモノを手に入れたくなる熱病に侵されるということでは,それと同類です。しかし,これこそが資本主義社会の原理なのです。
 景気がいいとか悪いとかということが常に話題となりますし,やたたと成長率ということばが飛び交います。しかし,景気がいいというのは,本来は,必要でもないモノを広告によって買ったり買わせたりすることから生まれるのです。そう考えれば,これもまた,洗脳のひとつです。そうした広告は,以前なら,テレビで流れるコマーシャルであったり,新聞や雑誌の広告でした。あるいは,しつこいほどの電話による勧誘,さらには,訪問販売,そして,睡眠商法でした。
 それが今では,SNSにとって代わりました。
 依然として,テレビのコマーシャルや新聞や雑誌の広告もあるのですが,そうした広告は,若返り化粧品とか医療品ばかりとなりました。それは,そのような媒体を今でも必要としている人が,SNSについていかれない老人ばかりとなってしまったからです。これもまた,ひとつ間違えば,老人に対する洗脳となります。

 もともと私は,必要のないものは買わないし,必要なものですら,自分に過分な性能があるものは買いません。そうなると,うざったくて仕方がないのが,SNSで時をかまわず出没する広告です。
 まず,最もうざったいのが「FaceBook」で大量に表示される広告です。いくら拒否しても出没します。SNSが人工知能を駆使しているのなら,私がそうした広告に拒否感をもっていることなど容易にわかるはずなのに。そんな広告をいくら表示したところで反感をいだくだけだから逆効果以外の何ものでもないと私は思うのですが。
 「YouTube」の広告もまた,反感を買う以外に何の効果ももたらしません。そもそも,玉石混交の「YouTube」のコンテンツです。そして,その8割以上は「玉」ではなく「石」ですが,その程度のコンテンツなのにさらに広告が流れると,それがダメ押しとなって,その広告に反感が募ります。ただし,今では,知る人ぞ知る「Brave」というブラウザを使えば,広告のすべてを非表示とすることができるので,きわめて快適となりました。
 「Twitter」にも広告が表示されますが,これは,必要のないものは簡単に削除できるし,広告として表示されるものよりも,自分からツイートしたアカウント自体が広告の役割を果たしているから,今はそれほど害ではありません。とはいえ「Twitter」はイーロン・マスク(Elon Reeve Musk)がかき混ぜはじめたから,今後はどうなるか不明です。
 最後に「Instagram」ですが,これは,タレントがグラビアを展示している意義しかないようなものだと私は思っていて,ほとんど情報価値がありません。また,見るときも,モバイルのアプリでなく,PCからウェブを使えば広告が表示されないので,私はもっぱらそれを愛用しています。

 このように,SNSの多くは,うまくつき合わないと,有益なコンテンツというよりも,わずらわしいだけのものとなりつつあります。本当に手に入れたい情報であるならば,オプトアウトではなく,オプトインで,自分から探してでも手に入れようとするわけで,押しつけられるものではないのです。
 私がこれまで若気の至りで広告の影響で押しつけられて購入したもので,買ってよかったと思うものはひとつもありません。


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 2022年も最後の1日となりました。世の中はいろいろとかまびすしいようですが,ほとんどニュースも見ないで,マイペースでやりたいことをやって生活しているので,私はいたって平和です。
 1年を思い返すと,いろんなところに行くことができて,とても充実していました。とはいえ,自分でも思いもよらず,年末に突如引っ越しをすることにした,というイベントがあって,それを決めた11月からあっという間の2か月となりました。そのおかげで,本格的な断捨離ができました。モノがないというのはこれほど気持ちがいいものか,としみじみ感じました。
 さて,引っ越しのための断捨離もほぼ終わり,最後に残ったのが,住所変更でした。これがまあ,大変というよりも,社会の縮図を見ているかのようで,とても興味深いものでした。
 「インチキ富裕層」の私は,銀行や証券会社に口座だけはたくさんあるので,それらのすべてで住所変更をする必要がありました。しかし,自分で選んだ金融機関ならまだしも,亡くなった父親から譲り受けた中には,私にはまるで理解不能なものも存在しました。今日はそんなお話です。

 今や,多くの金融機関は,インターネットで住所変更が完結するので,とても便利です。しかし,住所変更の方法が金融機関ごとに異なっていて,とても簡単に変更ができるところから,意味もなく複雑なところまでありました。これらは,要するに,アプリを開発する人の能力の差でしょう。こういうことから契約する金融機関の実態がわかるのです。
 以前,アメリカで交通事故に遭って,生命保険を受け取る機会があったのですが,そのときもまた,手続きがとても簡単な会社と意味もなく複雑な会社がありました。そのとき思ったのは,保険というのは,まさかのときの手続きが容易な会社を選ぶべきだということでした。

 インターネットで手続きが完了しないいくつかの金融機関は,実際に出向く必要がありました。店内で手続きをしながら感じたのは,金融機関ごとにその職場の雰囲気の違いでした。もし,就職するのなら,ここはいいなあ,とか,こんなところはいやだなあ,などと思っていました。
 なかでも最悪だと思ったのは,ある証券会社でした。
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 私は,その証券会社に口座はなく,自分では絶対に利用しないところでした。どうしてそこに口座があるかといえば,親から受け継いだことが理由です。その会社はむやみやたらと電話をかけてくるという旧来の手法を未だにやっていて,かなり迷惑でした。そこで,これを機会に私の使っているネット証券会社にその証券会社の株をすべて移管して,口座を解約しようと考えました。
 窓口に行ってたまげました。今どき,株の売買など,インターネット証券で事足ります。何十年も前のように,証券会社に出向いて,相場を眺めながら株の売買をする,というような姿こそさすがになくなりましたが,私が訪れた証券会社は,未だにインターネットすらまともに機能しておらず,顧客と大きな声で電話でやり取りをしていました。
 そもそも,そんな会社が未だに存在することが私には冗談としか思えませんでした。まるで昭和に逆戻りしたような感じでした。私の担当になったという新入社員は,上司から,その旧来の方法を指南されているようでした。こりゃだめだ,と思いました。おそらく,そんな会社で何年仕事をしようと,全くつぶしは効かないのです。これは過去の遺物です。私は,絶望的な気持ちになりました。

 それにしても,今回,住所変更をしてわかったのは,この国の会社は,とても近代的なところと,古いままのところが混在しているということです。おそらくそれは会社に限らず,学校でもマスコミでも同じことでしょう。
 日本という国は元来が保守的で,新しいことを導入するのが苦手で,一度決めたことは変えられないのです。変えたときに失敗して責任を問われたくない,それだけなのです。だから責任逃れのやったふりが蔓延するのです。
 世界が日本だけならそれでもいいでしょう。しかし,世界は急速に変化し,今やAIを駆使してすべてのことが変貌しています。ChatGPTなるものを利用すれば,AIと人間がチャットをしてプログラミングをしたり,論文を書くことすらできるのです。
 今の日本は,黒船が来たころの日本と同じです。そのころとの違いは,この国には若者がいないということです。「逃げ切り」だと自負する老人と新興宗教に毒された政治屋ばかりなのです。
 これでは,日本は世界からどんどん遅れていくのも無理はないと思いました。


☆☆☆
12月30日の夕方は
金星と水星が並んだ。

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 いざ引っ越すために持ち物の整理をはじめると,まあ,出てくるわ出てくるわ。ということを前回書きました。
 それにしても不思議なのは,食べ物はいくら贅沢をしたところで,後に何も残らないから潔いし,旅もまた同様です。ただし,旅では,パンフレットの類を保存してしまうと,これもまた,あとで処分するのがたいへんになるので,極力持ち帰らないに限ります。
 それに比べて,CDや本などは,後で売れる,などという邪念が湧くので,処分に手こずることになるわけです。そもそも,自分が手に入れて,その役割が終われば,それをまた売ってお金に変えようと思うこと自体が邪念なのでしょう。
 でありながら,私もまた邪念が湧きました。そこで,何とか売れないものかと試行錯誤することになりました。

 CDの類は,ブックオフに持っていったら,結構な値段で売れましたが,本はダメでした。この文化的水準の低い日本という国は,アニメやゲームは市場があっても,専門書の類は売れません。これは,政治の世界で議論すらできないという政治家を見れば容易にわかります。いろいろと探して,段ボール箱に詰めて送れば引き取ってもらえるというところを見つけたので送りましたが,ほとんどお金にはなりませんでした。。
 おそらく,メルカリなどに出品すれば,結構な値がつくものもあるのでしょうが,引っ越しのときのように大量にある場合,それらの1点1点をオークションに出して,値がつけばそれを荷造りして郵送する…,といった作業がかなりの手間です。
 さらに困ったのは写真でした。昔のアルバムは重く,量もあって,どうしようもないのです。
 前回書いたように,よくよく考えると,写真というのは写っている本人にいくら想い入れがあっても,他人にはまったく価値のないものです。それは,賞状なども同様です。しかし,本人もこの年になるとまったく想い入れもなくなって,まさに無価値なので,すべて捨てることにしました。

 このように,正真正銘の断捨離をはじめて思ったのは,歳をとったとき,必要なものは健康と必要最小限のお金だけ,ということでした。モノなんて,必要最小限以外のものはすべて必要がありません。また,いくら現職のときに名誉や肩書があったところで,そんなものは結局どうでもいいのです。何の価値もないのです。というより,むしろ邪魔です。
 それを悟ると,要するに,人生なんてすべては自己満足なのでした。
 ということで,必要最小限のものを買うだけで,それ以上のものは,捨てるときのことを考えて,買うのをやめるべきだとつくづく思い知らされました。
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 この先は「リボーン」(reborn)です。
 生まれたときは何も持っていなかったわけだから,それと同じように,これをはじめとして,何も持たず,新たな生活をはじめるのも悪くないということです。
 ということで,本当に「命以外は皆捨てる」というような空論が,まさに空論でなくなりつつあるのです。


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 これまで幾度となく断捨離と書いてはいたものの,実際は新たに何かを買わない,ということをしていたくらいのものでした。しかし,このたび,正真正銘の断捨離をすることになりました。ことの発端は引っ越しです。
 家は買うものではなく借りるもの,という思想の私ですが,38年住んでいた賃貸マンションも,私とともにガタが来ていたので,近くによい「出モノ」があったのを機会に思いつき,衝動的に引っ越すことになりました。引っ越し先は今住んでいるところから徒歩1分の分譲賃貸マンションです。
 これまで引っ越しに二の足を踏んでいたのは,ひとえに,私が長年にしてため込んできた膨大な量の本やら写真をどうするのか,ということでした。それが,突然の引っ越しの決定で,ついに,何とかしなくてはならなくなったというわけです。

 そこで悟ったのは,60歳を過ぎた今引っ越すということは最高の選択であり贅沢な決断だということでした。もう10年若かったらそうはいきませんが,この齢になると,過去への執着心も,未来への可能性もまったくなくなったので,何もかもを捨てられるということです。そこで「命以外は皆捨てる」というほどの決意で断捨離をすることにしました。
 私の生きてきた時代は,デジタル化以前だったので,たとえば,新聞のスクラップだの,写真のフィルムだのといったものが山ほど保存されて手元にあります。また,今のように個人情報が叫ばれていなかったので,名簿の類がたくさんあります。また,さまざまなものが今より豪華で,重いのです。
 そうしたものの数々が押入れの奥深く眠っていて,それらを取り出していくと,まあ,あるわあるわ,果てしなく,いろいろなものが出てきます。

 考えて見れば,アルバムなんて,本人以外は何の想い入れもないものです。たとえどこかに置きっぱなしにしておいても,だれも持っていかないでしょう。所詮,それだけのものだと気づきました,それらは,もう少し若ければ感慨深いものなのでしょうが,今や,昔の写真を見ても,そこに写っているのが自分だという認識すら薄れてしまい,また,その写真から何かを思い出そうとしても,それもほとんど記憶にないのです。
 また,CDで音楽を聴かなくても,今や,インターネット上にほぼすべてのものを探し出すことができます。また,本の類は,一度読んだきりでそれ以降手に取ったこともないものがほとんどです。そうしたものは保存しておいても,この先もまた見ることはないでしょう。

 ということで,これからは,将来だけを考えて暮らすことにして,過去はすべて捨て去るのがいいと決めました。そしてまた,この先は,何も形として残さないほうがいいとつくづく思いました。
 それにしても,長年,こうしたものを貯め込んでしまうと,引っ越しは大変です。


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 これまで鎌倉将軍について書いてきましたが,今日は執権についてまとめておきます。

●初代執権・北条時政 1203年から1205年
 初代将軍であった源頼朝の妻・北条政子の父。もともと伊豆の小土豪で,伊豆に配流されていた源頼朝を看視する任を与えられていました。
 北条政子と源頼朝が結婚したのち,源頼朝と共に平家打倒のために立ち上がり,将軍の外戚として鎌倉幕府の中で勢力を伸ばしていきました。しかし、晩年に企てた陰謀が露見。鎌倉を追放され,伊豆で生涯を閉じました。78歳。
  ・・
●2代執権・北条義時 1205年から1224年
 初代執権・北条時政の次男で、源頼朝の妻である北条政子の弟。
 源頼朝に信頼され,側近でした。源頼朝の死後,北条時政を失脚させ,1205年(元久2年)2代執権として幕府の実権を握りました。承久の乱のあと京都に六波羅探題を設置し,弟の北条時房と嫡男の北条泰時を置き,北条家の権力を盤石にする礎を築きました。
 1224年(元仁元年)死亡。62歳。毒殺とも。
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●3代執権・北条泰時 1224年から1242年
 2代執権・北条義時の子。
 1221年(承久3年)の承久の乱では,叔父・北条時房と共に幕府軍の指揮を執って後鳥羽上皇軍を打ち破り,京都に入り,そのまま六波羅探題として北条時房と京都の監視にあたりましたが,父・北条義時の急死により鎌倉に戻り,1224年(元仁元年)北条政子の後押しにより3代執権に就任。
 連署,評定衆,御成敗式目を設置し,執権政治を確立しました。
 1242年(仁治3年)死亡。60歳。
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●4代執権・北条経時 1242年から1246年
 3代執権・北条泰時の孫。
 父・北条時氏は28歳で病死したので,1242年(仁治3年)祖父の死後,19歳で執権職を引き継ぎました。評定衆を3つの組にわけ,出勤日を決めることで,訴訟の迅速化を図りました。
 1246年(寛元4年)在任期間約4年で病死。23歳。
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●5代執権・北条時頼 1246年から1256年
 4代執権・北条経時の弟。兄の病状が悪化したので 1246年(寛元4年)20歳で執権職を引き継ぎました。
 前将軍として権勢を揮っていた4代将軍・藤原頼経を京都に追放,有力な反対派を次々と制圧・追放するなど,剛腕政治家として北条家の全盛時代を築き,引付衆の設置をはじめとして善政を敷きました。
 30歳のとき疫病にかかり出家。家督はわずか6歳の子・北条時宗に,執権職は北条長時に譲りましたが,病気を克服すると,前執権として再び実権を掌握。1263年(弘長3年)亡くなりました。37歳。
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●6代執権・北条長時 1256年から1264年
 1247年(宝治元年)に六波羅探題北方を務めていた父・北条重時の跡を継ぎますが,1256年(建長8年)に5代執権・北条時頼から北条時宗が成長するまでの中継ぎとして,6代執権となりました。
 1264年(文永元年)に病気のため執権職を叔父・北条政村に譲りました。35歳の若さで逝去。
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●7代執権・北条政村 1264年から1268年
 2代執権・北条義時の五男。6代執権・北条長時の叔父。
 1264年(文永元年)60歳で北条時宗の中継ぎとして7代執権となりました。
 1268年(文永5年)に朝鮮・高麗王の使者が九州大宰府を訪れ,蒙古との緊張が高まるなか,18歳になった北条時宗と執権を交代して連署に就任し,北条時宗の補佐をします。
 1273年(文永10年)亡くなりました。69歳。
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●8代執権・北条時宗 1268年から1284年
 5代執権である北条時頼の次男。
 1268年(文永5年)に18歳で8代執権となりました。2度に亘って蒙古軍を撃退し,蒙古襲来に備えてすべての武士を支配下に置き,幕府の権限を拡大していきました。
 1284年(弘安7年)に亡くなりました。34歳。
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●9代執権・北条貞時 1284年から1301年
 北条時宗の子。
 1284年(弘安7年)父の死により14歳で執権に就任。
 北条貞時と外戚の安達泰盛は対立関係にあり,北条貞時は平頼綱と協力して、安達泰盛と一族を討伐しました(=霜月騒動)。
  北条貞時は得宗家主導の専制政治を推進するため幕政改革に乗り出しました。
 1297年(永仁5年)「永仁の徳政令」を発令。
 1301年(正安3年)に北条師時に執権職を譲り,実権を握ったまま1311年(応長元年)亡くなりました。40歳。
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●10代執権・北条師時 1301年から1311年
 8代執権・北条時宗の弟・北条宗政の息子。
 9代執権・北条貞時の子・北条高時が成人するまでの中継ぎとして、執権職を譲られましたが,実権はありませんでした。1311年(応長元年)9代執権・北条貞時が亡くなる1か月前に亡くなりました。37歳。
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●11代執権・北条宗宣 1311年から1312年
 1311年(応長元年)10代執権・北条師時の死後,9代執権・北条貞時に任命されて執権となりました。2代執権・北条義時の弟・北条時房の子孫。
 実権は長崎高綱が握っていました。
 1年後の1312年(正和元年)病死。54歳。
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●12代執権・北条煕時(ほうじょうひろとき) 1312年から1315年
 7代執権・北条政村のひ孫。11代執権・北条宗宣の死亡後執権となり約3年在任。
 長崎高綱らに対抗しつつ幕政に取り組みましたが,1315年(正和4年)病に倒れ執権を辞任。出家して死亡しました。37歳。
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●13代執権・北条基時 1315年から 1316年
 6代執権・北条長時の父・北条重時のひ孫。
 12代執権・北条煕時の死後,北条高時が14歳になるまでと期間を区切って執権に就任し,翌年,北条高時が14歳になると執権職を辞しました。
 1333年(元弘3年/正慶2年)幕府滅亡の際に新田義貞の軍勢から鎌倉を守りましたが自刃。48歳。
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●14代執権・北条高時 1316年から1326年
 9代執権・北条貞時の子。
 長崎高綱が権力を掌握していました。 田楽踊りや闘犬にうつつを抜かす酔っ払い(=うつけ)と評価されました。
 在任中に後醍醐天皇による親政が行われたり,醍醐天皇らが討幕を企てた政変(=正中の変)が起きました。
 1326年(正中3年)に出家し,執権職を北条貞顕へ譲渡。
 1333年(元弘3年/正慶2年)東勝寺にて自刃。30歳。
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●15代執権・北条貞顕 1326年から
 3代執権・北条泰時,7代執権・北条政村の弟・北条実泰の子孫。
 1326年(正中3年)出家した北条高時のあと15代執権に就任。
 北条高時の母や北条高時の弟・北条泰家の反対で,すぐに執権職を辞して出家したので,在任期間はわずか10日間でした。
 1333年(元弘3年/正慶2年)東勝寺にて自刃。56歳。
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●16代執権・北条守時 1326年から1333年
 6代執権・北条長時から直系のひ孫。
 1327年(嘉暦2年)15代執権・北条貞顕の辞職後に執権に就任。
 北条守時の妹は足利高氏の正室。
 後醍醐天皇討伐に向かった足利高氏は,一転して幕府に対し謀反を起こします。北条守時は激戦を繰り広げましたが最期は自刃して果てました。38歳。
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●17代執権・北条貞将 1333年
 15代執権・北条貞顕の子。
 「太平記」によると鎌倉幕府最後の執権でしたが,事実は定かではありません。
 1333年(元弘3年/正慶2年)新田義貞の軍勢に敗れ死亡。31歳。


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前回の続きです。

●7代将軍・惟康親王(1266年から1289年)【元寇,霜月騒動が起きる】
 6代将軍・宗尊親王の子で,1266年(文永3年)の将軍就任時はわずか3歳でした。
  「親王」とは皇族の中でもいつか天皇になる資格がある位の高い男子を指し,親王になるには朝廷から「親王宣言」を受ける必要があって,それ以外は単に「王」とよばれました。この時点で惟康親王は朝廷から親王宣言を受けていないため,正式には惟康王です。1270年(文永7年)朝廷は惟康親王を臣籍降下させ,源姓を与えたので、名目上は再び源氏将軍に戻ってしまいました。
 このころ,モンゴル帝国第5皇帝のフビライ・ハンは,朝鮮半島を制圧し,次のターゲットを日本に定めて,1260年代後半から何度も日本に使いを送ってきました。7代執権・北条政村や連署・北条時宗らはその要求を無視することに決定します。そんな中,突然,北条政村が執権を降り,18歳の北条時宗が8代目の執権に就任します。北条時宗はフビライ・ハンの使いをすべて無視し,国内の防御態勢の強化を進めます。
 フビライ・ハンは,1274年(文永11年)ついに日本侵攻を開始します。日本軍は大苦戦しましたが,博多湾に暴風雨が吹き荒れたことで勝利を収めます。7年後の1281年(弘安4年)に2度目の日本侵攻を行いますが,このときも夜半に突如暴風雨が荒れ狂い,日本は侵略を免れました(=文永・弘安の役/元寇)。
 このころ,幕府内でも激しい権力争いが起こっていました。
 北条氏に次ぐナンバー2の座にいたのは安達泰盛で,その娘は北条時宗の后でした。
 幕府の政策は御内人とよばれる集団が合議で決定していて,御内人のトップは平頼綱。平頼綱は安達泰盛が目障りな存在で,安達氏の抹殺に動きはじめます。
 1284年(弘安7年)に北条時宗が没すると,北条貞時が14歳で9代執権に就任します。 翌年,平頼綱は安達泰盛が謀反を起こそうとしていると9代執権の北条貞時に密告。何も知らない北条貞時は安達泰盛の討伐を命令し,平頼綱は安達泰盛をはじめ一族全員を殺してしまいました(=霜月騒動)。
 元寇の期間を源惟康として過ごした7代将軍は,1287年(弘安10年)24歳になって朝廷からようやく親王宣言を受け,晴れて宮将軍の惟康親王とよばれるようになりました。
 しかし,その2年後の1289年(正応2年),北条氏の謀略で,惟康親王は将軍職を解かれます。都に戻った惟康親王は,鎌倉将軍としては63歳まで長生きし,亡くなったのは鎌倉幕府が滅びるほんの数年前1326年(嘉暦元年)のことでした。
  ・・
●8代将軍・久明親王(1289年から1308年)【平禅門の乱,嘉元の乱が起きる】
 8代将軍・久明親王は89代後深草天皇の第6皇子で92代・伏見天皇の弟。
 1246年(寛元4年)88代後嵯峨天皇は上皇となって院政を開始するため,在位4年で子の後深草天皇に譲位します。ところが,譲位したあとで後嵯峨天皇は6歳下の弟・恒仁親王の方がかわいくなり,1259年(正元元年)後深草天皇に無理やり譲位させて90代亀山天皇を誕生させます。 このとき後深草上皇は17歳,亀山天皇は11歳でした。これがきっかけとなって,後深草上皇派(=持明院統)と亀山天皇派(=大覚寺統)というふたつの派閥が誕生しました。
 1274年(文永11年)90代亀山天皇は我が子の91代後宇多天皇に譲位。これを不服とした後深草上皇は幕府に何とかしてほしいと陳情しましたが,8代執権・北条時宗は「交互に天皇を出しなさい」と命じ,それ以後約半世紀にわたって互いの派閥からほぼ交互に天皇が即位することになりました(=両統迭立)。1289年(正応2年)7代将軍・惟康親王が都に送り返されたあと,朝廷から押し出されるように鎌倉幕府8代将軍になったのが14歳の久明親王でした。
 朝廷の混乱をよそに,久明親王は穏やかな日々を過ごしていましたが,平和な日々は長く続かず,1308年(延慶元年)久明親王は31歳となり,そろそろ次の将軍へと世代交代を図るために北条氏によって将軍職を解かれ,都に送り返されました。
 しかし,久明親王は都に送られたあとも幕府との関係は良好で,1328年(嘉暦3年)に久明親王が亡くなったとき,幕府は鎌倉で盛大な法要を行っています。
 霜月騒動で安達泰盛を討伐した平頼綱でしたが,1293年(永仁元年)仲が悪かった自身の子の密告によって,9台執権・北条貞時の軍に討たれてしまいました(=平禅門の乱)。
 1301年(正安3年),鎌倉上空にハレー彗星が飛来したことを不吉な予兆とみて,9台執権・北条貞時は執権の座を従兄弟の北条師時に譲り出家。しかし,北条貞時は出家後も政治の実権は握ったままでした。
 1305年(嘉元3年),北条氏ナンバー2の7代執権であった北条時村が何者かに射殺されますが,北条貞時の従兄弟であった北条宗方が連署の座を狙って起こした犯行であることが判明。 その結果,北条宗方も誅殺されました(=嘉元の乱)。
 こうした騒動により,9代執権だった北条貞時の権力が強化されました。
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●9代将軍・守邦親王(1308年から1333年)【正中の変が起きる。鎌倉幕府が滅亡する】
 8代将軍・久明親王の子。
 1301年(正安3年)9代執権・北条貞時は,執権の座を従兄弟の北条師時に譲り,10代執権になりますが,そのあとも政治を動かし続けました。1311年(応長元年)に10代執権・北条師時が死亡。このとき,北条貞時の子・北条高時はまだ7歳だったので,つなぎとして,北条宗宣が11代執権に就任。 同年,北条熈時が12代執権,1315年(正和4年)には北条基時が13代執権というように,執権の座は短期間でたらい回しにされました。
 そんな中で力を伸ばしてきたのが北条得宗の執事(=内管領)の長崎高綱でした。
 長崎高綱は北条高時の後見を託されてから,その子・長崎高資とともに幕府内での権力を増し始めます。 つまり,この頃の鎌倉幕府は,長崎父子が北条氏を支配し,北条氏が将軍を支配するという二重構造になっていました。
 1316年(正和5年)北条高時が12歳で14代執権に就任。しかし,この頃には執権に実質的な権力はありませんでした。病弱だった北条高時が1326年(嘉暦元年)に出家すると,次の執権をめぐって長崎父子と安達氏が対立。長崎父子は一門の北条貞顕を15代執権に選任しますが,反対論が噴出したため,北条貞顕はわずか10日で執権を辞退。そして北条守時が16代の,そして,最後の執権に就任しました。
 時代が進むと,大覚寺統の中でも権力争いが勃発し始めました。
 1318年(文保2年)に大覚寺統の後醍醐天皇が96代天皇に即位したとき,幕府は同じ大覚寺統でありながら,94代後二乗天皇の子・邦良親王を立太子に決定。 これによって後醍醐天皇の皇子が天皇になる道が絶たれ,納得できない後醍醐天皇は,1324年(正中元年),邦良親王に近い多治見国長らを殺害しました(=正中の変)。
 1327年(嘉暦2年)に邦良親王が亡くなると,後醍醐天皇は自分の皇子を立太子にするよう幕府に要請しますが幕府は拒否し,後醍醐天皇に天皇を辞するよう求めてきました。幕府によって皇位が左右されるという状況に耐え切れず,後醍醐天皇は倒幕を決意します。
 1331年(元弘元年),後醍醐天皇は近隣の武士達に六波羅探題を攻撃せよと命令。そして都を脱出して笠置山の山頂に陣を敷き,諸国の武将に決起を促します。幕府は75,000の大軍で笠置山を包囲。後醍醐天皇は捕まって,隠岐島に流されました。
 しかし,後醍醐天皇の呼びかけに応じた勢力が全国で挙兵。 そのひとりが楠木正成です。
 楠木正成は奇襲によって幕府軍を翻弄し,全国の悪党達も次々と挙兵,後醍醐天皇も隠岐を脱出し,倒幕軍が勢いづきました。後醍醐天皇軍を討つため,北条高時は足利高氏を都に遣わします。しかし,最初から後醍醐天皇と通じていた足利高氏は,都に到着すると六波羅探題を攻め落とします。一方,新田義貞も挙兵し,1333年(元弘3年)北条高時をはじめ幕府の要人は全員が自害し,約150年続いた鎌倉幕府は滅亡しました。
 9代将軍・守邦親王は,鎌倉幕府が滅んだ日に将軍職を辞して出家し,3か月後に他界しました。32歳でした。


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 若い頃はほとんど見なかったテレビドラマでしたが,ここ数年,暇つぶしに少しだけ凝ったことがあって,これまでいろいろなものを見ました。そのことは,数回,このブログにも書きました。しかし,どれも似たものばかりで,一部のものを除けば大したものもなく,今はすっかり飽きました。そこで,今見ているのは「エルピス」と「鎌倉殿の13人」だけになりました。「エルピス」はまだはじまったばかりですが,佳境に入った「鎌倉殿の13人」はとてもおもしろいドラマです。もうすぐ最終回なので,それがいまから残念です。
 NHK大河ドラマで,鎌倉時代はこれまで何度か放送されているのですが,今回の「鎌倉殿の13人」を見るまで,私はすべて落伍してしまい,鎌倉時代について知る機会が失われていました。私は鎌倉時代にそれほど興味もありませんでした。人間関係も複雑すぎました。今回も「鎌倉時代? つまらなそう」と期待せず何となく見はじめたのですが,それがそれが予想に反して,とても興味深くハマってしまいました。さすがの三谷幸喜さんです。そして,やっと,この時代について,私は深く知ることができました。
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 それにしても,鎌倉幕府の成立のころがこれほど血にまみれた時代だとは思いませんでした。延々と権力闘争をしていただけのように思われます。それは,今の政治もまた同じようなものですが…。これが日本人の血なのでしょうか。
 残念なことに,「鎌倉殿の13人」は承久の乱で終わってしまうようですが,鎌倉時代に興味をもった私は,その後はどうなっていくのだろうと調べてみたら,その先も相変わらず,鎌倉時代の血なまぐささがずっと続くのです。しかし,学校ではそのほとんどを習っていないか,断片的な事件の名前を暗記しただけで,そうした時代の様子をほとんど知りませんでした。
 そこで,私が調べた鎌倉時代の権力闘争を,学校の日本史の教科書には名前すら載っていないような,源頼朝,源頼家,源実朝以降の鎌倉幕府の将軍と,影の権力者である北条執権をもとに書いていくことにします。

●4代将軍・藤原頼経(1226年から1244年)【宮騒動,三浦氏の乱が起きる】
 1219年(健保7年)3代将軍・源実朝の暗殺後,北条氏は次の将軍は親王を迎えたいと希望しましたが,後鳥羽上皇は拒否。 妥協案として,源頼朝の妹・坊門姫の曾孫にあたる2歳の藤原頼経が鎌倉に迎え入れられ,元服まで,北条政子が尼将軍として後見しました。
 1224年(元仁元年)2代執権・北条義時が死去し,その子・北条泰時が3代執権に就任しました。
 1225年(嘉禄元年)大江広元,北条政子が亡くなり,9歳で藤原頼経が元服し,翌年,4代将軍になりました。
 3代執権・北条泰時は三浦義村など11人による「評定衆」を設置。また,北条本家を「得宗」と称し,この先,執権は基本的に得宗家からしか出せないことを決定。さらに,1232年(貞永元年)51条に及ぶ「御成敗式目」を作成するなど,鎌倉幕府の基礎を固めましたが,このころから,4代将軍・藤原頼経は,3代執権・北条泰時の弟・北条朝時を中心とする反得宗集団が接近して,その勢力に取り込まれていきます。
 1242年(仁治3年)3代執権・北条泰時が59歳で死去。北条泰時の子・北条時氏はすでに他界していたために孫の北条経時が4代目の執権に就任しました。
 1244年(寛元2年)反得宗勢力と結びついた4代将軍・4藤原頼経の勢力を早めに摘んでしまおうという北条得宗側の方策で藤原頼経は将軍職を解任され,5代将軍に藤原頼経の子・藤原頼嗣が就任します。藤原頼経は将軍職を解かれたあとも「大殿」として元将軍の権威を保ち続けましたが,1245年(寛元3年)には出家させられてしまいます。
 4代執権・北条経時にはふたりの子がいましたが,まだ若いため,1246年(寛元4年)に執権の座を弟の北条時頼に譲って出家しますが,直後に北条経時が死去すると,北条氏の中でも得宗になれなかった北条泰時の甥・名越光時が,藤原頼経と組んで執権の座を奪うための挙兵を計画します。しかし,事前に4代将軍・北条時頼に知られ計画は失敗し,名越光時は出家させられた上で流刑に処されました(=宮騒動)。これ以上藤原頼経を鎌倉に置いておくのは危険だと判断した北条時頼は,藤原頼経を都へと送り返しました。
 この宮騒動の背後には三浦泰村がいたと噂されていました。
 1247年(宝治元年)に鎌倉に怪異現象が頻発。人々は、これは北条氏と三浦泰村との間で合戦が起きる予兆に違いないと大パニックになります。この騒ぎを収めるため,5代執権・北条時頼は三浦泰村に対して敵意がないことを示しますが,そんな北条時頼の弱腰を快く思っていなかったのが北条時頼の外祖父・安達景盛でした。安達景盛は北条時頼の意向を無視して三浦泰村宅を襲撃します。巻き込まれる形になった北条時頼も挙兵せざるを得ず,大騒動に発展。周囲から火をかけられて逃げ場を失った三浦泰村は一族とともに自刃して果てました(=宝治合戦/三浦氏の乱)。
 4代将軍・藤原頼経はそのあとも鎌倉復帰を画策し続けましたが,1256年(康元元年)に死去しました。
  ・・
●5代将軍・藤原頼嗣(1244年から1252年)
 4代将軍・藤原頼経の子。6歳で元服し,5代将軍となりましたが,将軍在任期間はわずか8年でした。
 宝治合戦ののち,北条氏と敵対する力を持つ御家人はいなくなりましたが,4代将軍・藤原頼経の影響力をこのまま幕府に残しておくのは危険だと判断した5代将軍・北条時頼は,5代将軍・藤原頼嗣までも更迭することを決意し,新たに親王を将軍として招くことにしました。
 1252年(建長4年),6代将軍となる宗尊親王が鎌倉に到着した翌日,まだ14歳の藤原頼嗣は将軍としての仕事を何もできないまま都に戻されました。
 4年後の1256年(康元元年)に父の藤原頼経が死去し,そのわずかあとに日本全国で赤疱瘡(はしかが大流行し,それがもとで藤原頼嗣もこの世を去りました。
  ・・
●6代将軍・宗尊親王(1252年から1266年)
 第88代後嵯峨天皇の子。いよいよ念願の宮将軍の登場となります。
 1252年(建長4年)6代将軍となった宮将軍・宗尊親王が鎌倉に入って4年が経過した1256年(建長8年),日本全国で赤疱瘡(はしか)が大流行し,6代将軍・宗尊親王や5代執権・北条時頼,のちに6代執権となる北条長時の子まで発症しました。また,5代執権・北条時頼は今度は赤痢(せきり)を発症し,執権の座を降りて出家を決意しますが,のちに8代執権・北条時宗となる子の正寿はこのときまだ5歳で執権を任せるには幼すぎました。そこで,北条時頼は,六波羅探題関から北条長時を呼び戻して執権に任命します。
 6代将軍・宗尊親王は政治に介入しようとはせず、和歌に親しみながら穏やかな日々を送りました。
 しかし,1263年(弘長3年)に5代執権・北条時頼,1264年(文永元年)に6代執権の北条長時が相次いで亡くなると状況が変わってきます。当時14歳の北条時宗までのつなぎとして7代目の執権に就任したのは当時60歳の北条政村でした。
 1266年(文永3年)に6代将軍・宗尊親王が病床に伏せると,宗尊親王が歌会と称して近臣を集め,ひそかに北条時宗を討つことを企んでいるという噂が幕府の中で流れはじめました。幕府は宗尊親王を廃し,その子,当時まだ3歳の惟康親王を将軍にするという決断を下し,宗尊親王は都に送り返されました。

 以下,次回。


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 円安に,高齢者の医療費が2割負担に,物価高に,年金の支払い65歳に延長に,と,将来真っ暗闇のこの国です。…と,こんなことが騒がれているのですが,何を今更,という感じがします。「これからの人口予測」を見ると絶望的になりますが,多くの人はこの現状を知りません。
 これだけ少子高齢化が進めば,今までのような福祉政策が続けられるわけがありません。そんなことはずっと前からわかっていて,民主党政権のときは長期的な対策をしようとしはじめたのですが,自民党と公明党政権に戻って,アベノミクスとやらがはじまったら,すべてぶち壊しの大盤振る舞いをはじめました。そのときは景気が上向くので好評でしたが,これでは将来に対する傷口が深くなっただけだったのです。
 このように,長期的な展望に立って対策をするようなことは,今の政権には望めません。そんな正直なこというと選挙に負けるからです。また,政治家の多くは年寄りだから,日本の将来がどうなろうと知ったことではないのです。無責任な与党です。

 「これからの人口予測」を見せて「現在,この国の現状はこうなっていますよ。この先が心配ですよ。だから,どうすればいいのかみんなで考えましょう」とすべてを明らかにすれば,何かいい案を考える人もいるのでしょうが,そういったことをすべて隠しておいて,甘いことをいっておいて,それが立ち行かなくなるとはじめて,突然,強制的に,しかも,何の長期的な展望もなく,その場しのぎの圧力をかけはじめるのです。
 お金というのは,自分の財産について考えればわかるように,たとえば株を持っていたときに株価が上がれば財産は増えるし下がれが減る,つまり,一定ではないのです。そこで,株高にすれば含み益が増えるから,一見,借金が減ったように見えるわけですが,それは見せかけにすぎません。あるいは,お金を借りまくって,散財して,その先は知らないよ,とやれば,しばらくの間はそれでことがすぎます。すべて先送りにすれば,その場はしのげます。しかし,そんなことを国がやっていてはいけません。今もまだそんなことをくり返しているのですが,ついにそれが立ち行かなってきたので,さまざまな屁理屈をつけて,だまし討ちをはじめたのです。
 こんなことでは先行きが不安ですが,多くの年寄り政治家同様に,インチキ富裕層の私のような老人は,さほど心配をしなくても,まあ,何とかなるので,楽観しています。私は逃げ切り世代です。しかし,若い人は気の毒です。であるのにかかわらず,若い人は,果たしてこうした現実を自分のこととして考えているのかどうか,知っているのかどうか,他人ごとながら,私はとても心配になります。小さな子供を何人も連れた若い夫婦を見ていると,ああ,こんなに子供を作っちゃって,この親たちは何も知らない,この子たちが大人になったときどうなるのだろうと,むしろ気の毒な気持ちにさえなります。

 さて,年金の受給年齢も次第に遅れていって,健康保険も上がり,貯金をしようとも金利がほとんどなく,という現在において,私が思う勝ち組というのは,1955年(昭和30年)生まれです。1956年以降,年金の受給も福祉も急激に悪くなっていくというのが,この国の現状で,それ以後の世代はすべて負け組です。
 よく,団塊の世代を勝ち組だという人がいますが,それも正しくありません。少し前に書いたことがあるのですが,団塊の世代の人たちは,3度の失敗をしています。そして,今,この世代の人たちがまさに後期高齢者となってきたのですが,その後は,大変な状況が加速していくことでしょう。
  ・・
 2020年の春,突然襲ったコロナ禍。コロナ禍以降に退職した世代は,このコロナ禍のおかげで,満足に旅行もできず,気の毒な限りですが,そんな世代の人たちが,今年もまた,これまで経験したことのない巨額な退職金を手にして「毎日が日曜日」という新たな社会に放りだされてきました。それでもまだ,退職金がもらえた人は運がいいのかもしれません。
 その中でも,厚生年金がもらえる人たちは,現役のときには年末調整をしていたから,多くの人は税金の仕組みも知りません。そんな投資経験もほとんどない人に対して,手ぐすね引いて金融業界が待ち構えていて,年金生活1年生は,甘いことばで誘惑され,投資に手をのばしはじめるのです。私のまわりにも,日々,必死に相場を見ている人がいます。しかも,実際の経験もないのににわか知識を披露して得意になっています。しかし,金利は最低,株は高値,極端な円安という三重苦の今,プロなら上がろうと下がろうと相場が動けば儲けられるますが,素人が投資に手を出せば,必ず大損するという以外の答えは用意されていないのです。私は,そうした人たちを,おバカなことよ,と傍観していますが,やがて来る悲劇を思うと気の毒でなりません。投資をはじめるなら,まずは10万円を小出しにさまざまなものに手を出して,3割は損をすることを覚悟にお勉強をするべきです。
 皆さんもせいぜいお気をつけなさいませ。
 この国の将来には夢も希望ももてないのです。

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 世界を旅する私のアメリカ人の友人が言うには,世界を旅行して英語が通じないのは,中国とロシアと日本なのだそうです。
 日本では,近ごろは小学校から英語を学びはじめるので,大学まで一体何年間英語を学ぶことになるのでしょう。しかし,気の毒なことに,ロクに予算もつけず,ひとクラス40人もの生徒にたったひとりの日本人教師。これで英語の4観点を身につけさせようということ自体が無理な話なのに,さらに,高等学校の英語教育は「受験英語」と揶揄されるように,学校で学んでも話せないとか聞けないとか,昔から批判だらけです。
 ということですが,これは導入。今日は英語でなく数学の話題です。数学もまた,算数という名の教科である小学校から学びはじめるのですが,算数はともかく,中学校から学ぶ数学が一体何の役に立つのでしょうか。ほとんどの人は因数分解を知らなくても困ることなどありません。

 NHKで「笑わない数学」という番組が放映されました。
  ・・・・・・
 パンサー尾形貴弘が難解な数学の世界を大真面目に解説する異色の知的エンターテインメント番組!
 「リーマン予想」「フェルマーの最終定理」「連続体仮説」「四色問題」「ガロア理論」「abc予想」「確率論」「P対NP問題」「カオス理論」「ポアンカレ予想」「暗号理論」「虚数」……。
 天才数学者をも苦しめてきた数々の難問,そして美しくも不思議な知の世界を,1回30分ワンテーマ,ギャグ封印で,トコトンわかりやすく掘り下げる!
  ・・・・・・
 この番組は数学の番組にように誤解されていて,ある人がブログにすばらしい番組だったと絶賛していました。しかし,実際は,数学の番組ではありません。数学における難問を解決していった歴史上の偉大な人たちの物語を,おもしろおかしく語る歴史番組です。要するに「プロジェクトX」です。だから,この番組を見たところで,数学の難問についてわかるわけでもなければ,むしろ私は,その反対に,多くの人に,数学というのは,何か実社会とはかけ離れた奇妙なものだという概念を植えつけただけに感じました。

 実は,英語以上に高等学校の数学教育はひどいものです。
 多くの人には何の役にも立たないし,将来数学が必要になる人にも,それにつながるような内容を教えていません。それにもかかわらず,英語のようにそれが問題にならないのは,元からほとんどの人にとって,数学など要らないということが暗黙の前提となっていて,端から期待されていないからなのでしょう。
 数学教育の目的は「数学的な考え方を身につけること」だそうです。しかし,実際は,数学を学習することで数学的な考え方が身につくのではなく,数学的な考え方が生まれつき高い人が数学の成績がよいというだけのことです。因果関係が反対なのです。
  ・・
 そもそも,中学校で学ぶやたらとむずかしい図形問題は,何十手詰めの詰将棋同様,単なるクイズです。図形は基本的なことだけを学べばよいのです。そして,そこから論理的な考え方を身につければそれで事足ります。
 また,高等学校のカリキュラムは,私が高校生だった50年前からほとんど変わっていませんが,現在は,大学入試問題がデータベース化されて,解法が分類され,数学という名で,実際は,その解法を暗記させているだけのことです。現在、生徒が使用している、解答が異常に分厚い参考書がそれを物語っています。そこで,数学ができるというのは,単に大学入試問題が解けるというだけのことで,数学の本質を学んだということではないのです。
 学校で教えているのは,数学ではなく,単に出題された問題に適応する解法をさがす訓練をしているだけです。

 関数を学ぶことによって身につけたいことは,座標変換をすることで基本形に変えることができる,ということです。それは,2次関数 y=ax2+bx+c は,頂点を原点に移動すれば,y=axという形にすることができるというようなことです。
 また,図形を学ぶことによって身につけたいことは,拡大や縮小をすれば基本の図形に変換できるできる,ということです。それは,楕円を軸について拡大あるいは縮小すれば円に変換できるといったことです。
 こうした移動や拡大・縮小をするのに必要な手段は行列というものですが,行列は,以前は高等学校で学習していたのに,今は,それすらなくなってしまいました。これでは何も学べません。将来、量子力学や一般相対性理論などを勉強するときにも、行列を知らずしては何も理解できません。
 行列の代わりに取り上げられるようになったのは,データ分析です。これは数学というより統計学ですが,全く同じ内容が情報という教科にもあって,むしろ情報ではコンピュータを利用して処理するので合理的な学習ができるのです。同じ内容をふたつの教科で学習するのは大いなるムダですし,こんなカリキュラムを作ったこと自体,怠慢です。

 いくら役に立たなくとも,受験に必要だからというだけの理由で,数学が苦手である生徒の多くは,仕方なく塾通いをし,お金を散財していますが,塾で学ぶのもまた,数学的な考え方でなく,問題を解くための解法テクニックにすぎません。
 また,数学の得意な生徒には,高等学校で学ぶ程度の数学は,英語にたとえれば,現在形だけを教えて過去形や未来形を教えないようなものと同じで,それで英語の本を読めといっても無理なように,大学に入学した途端に,高等学校では何も学んでいないからそのキャップに悩まされ,多くの学生は挫折してしまうのです。
 しかし,現在のような,時代遅れのカリキュラムを変えようにも,これまでのカリキュラムを築いてきた数学教育者がピラミッドのような階級社会をつくっていて,どうしようもないのです。政治の世界と同じようなものです。
 要するに,こんなカリキュラムでは,数学を学習しようとしまいと,結局は役に立たず,現実問題,ほんの少数の,生まれつき数学の力がある学生だけが,自力で勉強して数学が使えるようになっている,という,それだけのことなのです。
 私もまた,生まれつき数学の力があるわけでなかったから,「笑わない数学」で紹介されていたような数学の難問,たとえば「ガロア理論」などまったく理解できません。そうした難問についての数学的な解説が理解できるほどの数学の力があったらよかったのになあ,そんな本当の数学が少しでも理解できるような教育を受けたかったなあ,と今でも思います。

楕円ガロア理論


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 先日書いた,何気なくおもしろいドラマでもないかと探していてみつけた「デート〜恋とはどんなものかしら〜」。
  ・・・・・・ 
 内閣府の研究所で働く藪下依子は父親から見合いを勧められる。しかし,恋愛経験がなく,結婚は相手との「契約」と捉える依子は,ことごとく見合いに失敗し,結婚相談所に登録。
 一方,自身を「高等遊民」と称する谷口巧は,女性と新しく出会うことで働く意欲を持って欲しいと願う幼馴染の島田宗太郎によって,勝手に結婚相談所に登録させられる。
 依子は巧のプロフィールに記載してある身長や生年月日などの数字が全て素数で構成されていることに興味を持ち,デートをすることになる。
  ・・・・・・
というこのドラマは, 2015年の冬に放送されたものだそうですが,放送されたときの私は,日本のドラマには興味がなかったので,まったく知りませんでした。多くの人は,このドラマで「高等遊民」という言葉をはじめて知ったようです。

 かくいう私は,あこがれだった「高等遊民」になることもできず歳を重ね,「不良老人」と化してしまいました。そして「いんちき富裕層」として,日々,貧乏生活をおくっています。時間だけはたっぷりあるので,生きている間を少しでも楽しく過ごそうと,いろいろと想いを巡らせています。また,コロナ禍以前は,世界を飛び歩いていました。
 そうした経験をして,結局わかったのは,人間が生きるというのは文化あってこそ,ということでした。生物的に生きるなら,「エサ」を与えられていれば,生命は維持できます。しかし,檻の中に閉じ込められて一生をすごしても,それが生きるということでしょうか? このご時世,エラそうに「不要不急」だとか「気の緩み」だとか盛んに吹聴していた人は,人が生きるということをどう考えているのでしょうか? そういう人に限って,コロナ禍以前は,夜遅くまで飲んだくれて,酒の席でも仕事の話しかできないつまらない生活をおくっていたかもしれません。…と,これは皮肉です。

 さて,学校では,カリキュラムと称して,何を学ぶのかが決められているのですが,もし,学校に行くのが義務でなく,また,学歴というブランドに何の価値もなかったら,それらの多くは,お金をもらってもやりたくないようなことばかりです。それだからこそ,強いて勉めさせているのかもしれません。よって,これを「勉強」というのです。
 本来は,生きていくのに必要な知識を身につけるために必要だったはずの学校。それが,時代が成熟するにつれて,学校の存在意義は次第に変化していくのに,やっていることは一向に変化せず,今の時代に何が必要か,という根本的な理念を越えてしまっています。そこで,既に存在していることは既得権として存在し,また何らかの業界の力が働いているのか,時代遅れになったものばかりで構築されています。だから,本当に必要なことが学べなかったり,あるいは,ほとんどの人にとって必要でないことがずいぶんと重視されていたりします。
 先に書いたように,人が生きるというのは文化あってこそ。であるから,私は,中等教育では,そうした文化を楽しむための素養を学びたかったものです。あるいは,成人したときに,文化を深く味わえるための基礎を学んでおきたかったものです。などと,今,「不良老人」となって痛切に感じるわけです。

 高等学校の国語で小説を学ばなくなったということですが,そもそも,小説は国語で学ぶことなのかしら,と私は思います。小説は,音楽や美術などと同じく,大切な文化です。だからこそ必要なのですが,小説は,日本語とは限らないのだから,国語という教科の範疇を越えているです。
 かつて「読み書きそろばん」といわれた,現在の国語,数学,外国語というのは,生きるための基本的でもっとも必要な技術なので,初等教育から学校で学ぶ必要があります。しかし,学校では,それらを学んだうえで,人が人らしく生きるための教養として,広く,音楽や美術,そして小説といった人間の文化を今まで以上に深く学ぶべきところです。つまり,「文化」という教科が必要なのです。
  ・・
 美術展に行くとき,音楽会に出かけるとき,旅先の博物館を訪れるとき,私は,若いころに,もっと美術史を,音楽史を,さらには,歴史を学んでおけばよかったと,といつも思います。また,高等学校で漢文は習ったけれど,漢文を学ぶなら,それと同時に古代中国史をもっと知りたかったものです。
 今日は,効率重視だのといって,直接金儲けにならないことを軽視する風潮が強いのですが,学校教育はそういうこととは一線を画すべきです。私は,学生のころ,もっと人間の文化を知りたかったと,今にして思うのです。


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 ふとした理由でFODをサブスクしました。
 ふとした理由というのは,先日「コンフィデンシャルマンSP英雄編」の映画が公開されたのですが,映画館に行く気にならず,ネットで見られないかと調べていたら,FODで見ることができるというブログを読んだことからでした。現在は見ることができるのですが,私が契約したときは,そのブログの情報は誤りで,見ることはできませんでした。
 結局,私は「コンフィデンシャルマンSP英雄編」は,がらがらの映画館の最後尾席で見ました。しかし,せっかくサブスクしたのだからと,キャンセルするまえにFODを利用することを考えていたら,過去のドラマや映画を数多く見ることができることがわかって,結構便利なので,現在もまだ解約しないでいます。
 ちなみに,現在私がサブスクしているのは,このFODとAMAZONのPrimeVideoです。一時,ABEMAも契約したことがありますが,将棋と大相撲の中継は無料で十分だし,サブスクしてもそれで見られるのはキャンブルとエロばかりだったので嫌気がさしてやめました。

 さて,今日の話題は,FODで見ることができる番組ではなく,それに付随したFODで多くの雑誌を読むことができるサービスについてです。
 ずいぶん前は,喫茶店に入る目的は,「週刊現代」とか「週刊ポスト」のような雑誌や,購読をしていない新聞を読むことでした。今でも喫茶店にはそんな老人がいるようです。また,ときどき,そのような雑誌を書店で立ち読みすることもありました。さらには,「将棋世界」や「アサヒカメラ」というカメラ雑誌,さらにこのブログによく書く「月刊天文ガイド」などの天文雑誌は購読までして読んでいたこともありました。
 しかし,今は,多くの情報はウェブで手に入るし,おどろおどろしい見出しが所狭しと並ぶだけの興味本位の週刊誌や,所詮は広告でしかない月刊誌など,民放の情報番組と同じく,私は嫌悪感しかもたないので,手に取ることもなくなりましたが,FODのサービスでは,そうした雑誌以外にも多くを読むことができるのです。週刊誌などはもともと読まないのでどうでもいいのですが,そこで目にしたのは,これまでなら手に取ることもなかったようなさまざな趣味の雑誌,たとえば,「つり人」「BIKEJIN(培倶人)」「田舎暮らし」「BE-PAL」などです。そこで,特に興味があったわけでもないのですが,リストアップされていたこれらの雑誌を好奇心で読んでみました。
 しかし,読んでいるうちに,次第に寂しくなってきました。
 その理由は,所詮,この国で,こうした趣味に打ち込もうと思ったところで,それを楽しむ場所などほとんどないではないか,ということでした。それは,私が星見を楽しんでいて実感することと同じなのです。

 先日出かけた木曽駒高原から開田高原あたりで,オートバイに乗ってツーリングを楽しんでいる人やキャンピングカーで旅をしている人を多く見かけました。また,川では釣りをしている人たちもいました。おそらく,こうした雑誌の読者はそのような人たちなのでしょう。しかし,私が楽しんでいる星見もそうですが,実際のところ,この国は,そうした趣味を十分に楽しむ場所などないのです。そう感じるのは,私がこれまでアメリカやオーストラリアの雄大な大自然の中でこうした本物の楽しみを満喫している人を知ってしまったからです。
 それでも,この国で何とか居場所を見つけてかろうじて楽しんでいる人たちは,おそらく,そういう外国の姿を知らないか,あるいは,憧れをもっているかでしょう。それは,高級料理を知らない人が焼き芋を食べて世界で一番おいしい食べ物だと思うようなことと同じで,つまり,知らないほうがよいこともあるのです。

 一時「ひとりキャンプ」なるものが流行りました。今も流行っているのかな?
 アウトドア関連の雑誌の特集には,満天の星の下でキャンプをしているような,そんな写真が掲載されているので,そういう写真に憧れて,いろんな道具を買い込む人がいるわけですが,その多くは一度使っただけであとは家で眠っていると聞きます。それはもっともな話で,それを活躍させるところが日本にはほとんどないからです。
 もともと,そうした雑誌のグラビアというのはイメージだけで,道具を買ってもらえばそれでいいわけです。つまりカタログです。そういえば,私の住む街にスポーツジムができたとき見学に行ってみたことがあるのですが,結局,スポーツジムもまた,運動をするというより,服やら靴やらといった道具を売ることに熱心でした。週末の列車にも,普段着で十分なのに,わざわざ雑誌に載っているようなもので着飾ったハイカーを見かけます。しかし,結局,それだけのもので,たとえば,カメラだって,買っただけで使っていないという人が半数以上なのだそうです。
 この国でアウトドアを楽しむなどというのは,雑誌のグラビア写真同様,虚構なのです。車だって,実際,こころ置きなく走ることができる道路もありません。1度でもアメリカのインタ―ステイツを走ってみれば,そのむなしさがわかることでしょう。結局,イメージに踊らされ,ムダなお金を使って,それで,暇つぶしをしているだけなのです。私は,それがとても悲しいのですが,そんなことを知って冷めてしまうと,散財しなくなるのです。だって,モノを買ったところで活躍させることもできませんから。

 少子高齢化に対して何の対策もせず,国民からお金を巻き上げるだけ巻き上げて,それをムダ遣いすることだけが仕事と勘違いしている政治。そんな末期的なこの国で生きのびるには,早く幻想から目覚めて,老後に備えることが大切なのです。今後,年金も少なくなり,医療費も増えるとなれば,60歳で1億円くらいはないと,安心した老後はおくれません。
 しかし,日々管理の大変な芝のある広い家に住み,ランドクルーザーとSUVとヨットをもち,毎週末キャンプに出かけ,MLBとNFLの応援に忙しく過ごし,老後はキャンピングカーを手に入れてアメリカ中を走るのが夢,というような国とは違い,この国では,立派な道具を揃えてもアウトドアをする場所もなく,高級車を買っても走る道路すらないから,少しでも早くそれを知って雑誌の洗脳から冷めて散在することのあほらしささえ知れば,お金も要らないから,老後に備えて貯蓄をすることは可能です。逆に,そうしなければ,悲惨な老後が待っています。


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 以前このブログに書いた車のサブスク「KINTO」。私が申し込んだのは6月15日だったのですが,予想に反して,8月9日に早くも車が来ました。「KINTO」は車の納入が早いのだそうです。
 車に限らないのですが,半導体の不足とかで,現在,工業製品の製造が遅れに遅れています。私は,8月1日にカメラの交換レンズを修理に出したのですが,修理が終わるのが早くて1か月先という連絡を受けました。カメラなども,カタログにはあっても市場には出回っていないとかいいます。
 車の話に戻します。現在,多くの車は,6か月から8か月待ちということです。ランドクルーザーに至っては4年待ちなのだそうです。私は,6月のはじめまで,車を買おうとなどとは夢にも思っていなかったのですが,6月の定期点検で,次の車検ではいろいろと部品を交換するところがあるし,タイヤも買えた方がいいと言われてびっくりしました。それまでは,まだ,当分乗るつもりだったけれど,考えてみれは,もう8年以上も乗っているのだからそろそろ替えどきかな,と急に思い立ったのです。
 しかし,こんな状況だと,6か月前の点検でいろいろ不備が見つかって買い替えを決心しても,次の車検に間に合わないのでは,困る人が続出していることでしょう。私もまた,おそらく「KINTO」なるものを知らなければ,新車の購入は車検に間に合わなかったかもしれません。これもまた,いつものようにツイていました。また,新車が買えないので中古車が売れるそうで,中古車の値段が高騰していて,私の乗っていた車も,想像以上の高い値段で売ることができました。

 さて,今日の話題は「KINTO」のことではなく,車の装備のことです。
 車ほど,買い替えたときに,その技術の進歩に驚かされるものはありません。どんどんと新しい技術が導入されます。今回もまた,これまで乗っていた車とは絶世の感がありました。
 そのひとつは安全装置,そして,もうひとつは,スマホとの連携です。
 なかでも,スマホとの連携は助かります。
 ここ数年,海外で車を借りると,日本車でもすでに当たり前だったスマホとの連携でしたが,どうして日本で装備されていないのか不思議でした。風の噂では,連携ができてしまうとカーナビ業界が困るので,忖度してるから,とか…。その真実は知りません。しかし,時流には逆らえず,日本でもやっと登場しました。スマホを接続すると,スマホにインストールした地図で車のディスプレイに表示されてカーナビができるようになったのです。また,アプリを使えば,家から車のロックやランプの消し忘れも確認できるようになりました。

 ということなのですが,私がはじめに感じたのは,そうした新しい機能を実際に使おうとしたとき,あまりに説明書が不親切なことでした。車好きにの人には当たり前なのかもしれませんが,私のような車にほとんど興味のない人には,説明書を読んでも,なかなか理解ができません。それは,たとえば,SDL やら AppleCarplay やら AndroidAuto などといった製品名が羅列してあっても,そのどれを使えばいいのか,どれを使えば何ができるのか,などがよくわからなかったからです。
 いろいろと調べてみて,iPhone のユーザーは AppleCarplay を使えばいいということがわかったのですが,こんな説明で,多くの人が使いこなせるものなのでしょうか。それとも,私がよほどアホということなのでしょうか。
 これまで,車の分厚い説明書など必要なとき以外は読んだこともありませんが,今回,とてもわかりにくいものだということを再認識しました。以前書いた道路標示もそうですが,この国では,どうでもいいような情報は山ほどあっても,必要な情報がないのです。もっとなんとかならないものでしょうか。それにしても,巷に普及しているスマホもそうだけど,こうしたコネクテッドカーもまた,進化途中です。各会社がそれぞれ独自に展開しはじめたそうですが,キャシュレス決済やポイントカードなどと同じように複雑怪奇で,皆それを使いこなしているのが不思議です。
 そんな私でしたが,さまざまな格闘の末,今では完全に理解し,有効に活用して楽しんでいます。

◇◇◇
今日の写真はアメリカの交差点です。アメリカの交差点は,車線ごとに信号があって,とても見やすく走りやすいです。
何車線もあるのに小さな信号がぽつんとある日本とは大違い。事故防止のためにと,やたらと交差点の形状の変更や変則信号を交差点ごとに思いつきで別の方法でやっている日本も見習ってほしいものです。


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 2008年のリーマンショックに2020年のコロナ禍。日本は大したことがないと,はじめのうちは対岸の火事のように高をくくり,日本は優秀だ,外国とは違うぞと,こころの中で何の根拠もない自信と自己満足にふけっていても,結局,いつも世界から遅れをとる日本。金融緩和においても,その幕引きができない日本。
 半世紀以上生きてきて,いつもそんな様だから,私は,もう,あきらめしかないけれど,この後に及んで,FXで円を売ってドルを買って大損した人が相次いでいる,などということが新聞に書かれてあるのには笑えました。こんな高値な相場でドルを買うなんて,短気で勝負する投資家ならともなく,ありえません。全財産を円からドルに変えてしまった人もいるみたいです。こうして,いつもいつも,知識もないのに金儲けをしようとする庶民は大損をくり返すわけです。これもまた,自分の意思で行動できない日本人の姿です。
  ・・
 おそらく,1ドル140円までいく,という報道に煽られて,139円あたりでドルを売ったんじゃなくて買ってしまった人は,あと10年も待っていれば,何がしかの「事件」が起きて,そんな相場にならないとも限らないから,それまでずっと持ち続ければ損しないと思うけど,今の時点で少しでも円高になると,今度は不安になってあせって損切りするわけです。
 以前,リーマンショックのころに1ドル80円くらいの極端な円高になって,1ドル95円あたりでドルを買ってしまったと絶望的になっていた人がいたのですが,今まで持っていれば大儲けできたのに,きっと,その人もそのころに損切りしてしまったことでしょう。

 ということで,こんなことは長く生きていればわかることなのですが,おそらく,学生時代から,問題集をやるのが勉強だと思って生きてきて,偏差値と学歴が人の価値を決める物差しのすべて,だったような人は,今になって,雑誌やらファイナンシャルプラナーやらのいうことを聞いて投資をはじめて,こんな罠にはまるのでしょう。
 少子化で,大学の入学も推薦枠で入った学生が半数以上を占めるようになったそうです。すると今度は,これでろくに勉強もしないで大学に入る学生が増えるから,さらに日本は地盤沈下だという書き込みを見かけます。そうした書き込みをする人もまた,ドリル学習を勉強と勘違いしている,悪しき日本の教育の犠牲者です。今の日本の優秀だとされる人たちの有り様をみれば,優秀という意味がわかろうというものです。机上の「検討」ばかりで現実が伴っていないのです。
 その昔,ゆとり教育というのがあって,その時代に学生だった人たちを「ゆとり世代」と揶揄していますが,それもまた,ゆとりとは勉強をしないこと,という勘違いから来ています。ゆとりというのは,その時間を自学に有効活用しよう,ということだったのです。しかし,有効活用ができなかったことが,そもそもの原因です。
 すると今度は手のひらを返して,めちゃめちゃの詰め込み教育をはじめましたが,ほとんどの生徒は消化不良です。小学生に英語やコンピュータのプログラムを教えようとしても,これまで指導者を育てる施策もしないでおいて,だれがそれを教えるのでしょう。それどころか,労働環境が劣悪なのでそっぽを向かれ,教員不足が深刻です。
  ・・
 マスコミもまた,何かのきっかけでニュースになると騒いでも,それは,売れるから。喉元すぎれば何とやら。騒がなくなれば,その後の報道はどこかに行ってしまうわけです。巷で騒いでいる人もまた,人それぞれ何がしかの思惑があるからです。コロナ禍だって,本当に困っている人もいる反面,それを利用してずいぶんと儲けた人がいるそうだし。自分の意見を,さも学説のように語る医者がごろごろいるではありませんか。
 ということで,何もかも,自分の意思をもたず考えず,大衆と同じように群れて行動する人だけが大損するように,この世はできているのです。


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 2022年もあっという間に7月まで終わりますが,依然として世界は混沌としています。というより,さらに混乱が増しています。もうめちゃくちゃです。日本人は,いつもながら,表向きは従順を装い,他人の目を気にしているだけで,みんな勝手にやっています。政治もまた,一度決めるといつも幕引きができず,外圧だけを気にして,時の権力者への忖度だけがその判断基準の根本にあり,国民の声を聞かない。これもまたいつものとおりです。
 私は,半世紀以上見てきましたが,ずっと変わらない日本です。
 私は,結果というのは,その姿が見えたときに何かをしてもすでに手遅れだと思っているので,もはや,対策などないのでしょう。それは,バットでボールを打った後に,もっと飛べもっと飛べと応援しているのと同じだからです。人間もまた,20歳のころに暴飲暴食をくり返すと40代で病気になるというように,20年後に結果が出るのです。退職した後で後悔しても,それは20年前の所業の結果です。
 …ということで,今の状況は,ここ何十年もの間にわたるさまざまな政策の結果なのでしょう。
  ・・
 それにしても,天候まで不順で,天気予報は日々めまぐるしく変わり,そんなことなら天気予報など必要がない,という感じです。ここ数か月,天気予報がまったくあてになりません。もともと,外国に行くと,日常,天気がめまぐるしく変わるので,日本のような細かな天気予報はありません。日本もやっとその域に達した? のでしょうか。
 あてにならない予報ならないほうがずっとマシで,そんなことを発信するのはムダというものです。さらに,近ごろの天気予報は,明日は寒いから服を1枚余分に着ろ,だとか,おせっかいな情報が多すぎて,まるで,小学校の朝礼の注意みたいで,うっとおしく感じています。天気予報で伝えることは,明日は寒くなる,だけで十分であって,何を着るかは気象予報士が決めることではなく自己責任です。
  ・・
 コロナ禍が終わりません。
 感染防止対策とかを実行していても世界最高の感染者数なら,その感染予防対策は正しくないということではなかろうか,と思ったりもします。
 メジャーリーグ中継などを見ていると,外国はもう,コロナ禍以前の状態ですが,日本だけが異常です。コロナウィルスはマスクの隙間の200分の1程度の大きさです。ざるで水をすくおうというのと同じなのです。感染者の97.7パーセントは日ごろマスクをしていたという研究報告もあります。なのに,摂氏35度の屋外でマスクをして歩いている人を見ると,哀れみすら覚えます。それでも,自分の意思でそれをしている大人はそれで熱中症になっても自業自得ですが,それをさせられる子供がかわいそうです。そんなに怖いのなら,外に出ず,無菌室でじっとしていればいいのでしょうが,それでは抵抗力もつきません。こんなことをしていたら,抵抗力が育たなかった今の子供たちの20年後が心配です。まあ,私はもうこの世にいないから,心配したり,とやかく言うこともないか。

 さて,ここからが,今日の話題です。話題はムダについてです。
 私もまた,そんなこんなで,もはや手遅れとなった今になって,若いころにしてきたさまざまなムダを,今にして,とても残念に思うようになってきました。
  ・・
 ムダだったと今思うそのひとつ目は学校の勉強です。勉強がムダということではないのです。やった内容がムダだったということです。
 その中で,もっとも時間のムダだったと今では思うのが大学受験の問題を解く訓練をしただけの数学でした。これで高校3年生の1年間を浪費しました。そんなことをしているくらいなら,その時間で大学初級レベルの数学を学ぶべきでした。高等学校のカリキュラム程度の数学のレベルでは,本当に必要な多変量解析も線形代数も全く学習しないので,大学に入ってから,ものすごく苦労しました。
 高等学校の数学教育のひどさについては,いいたいことが山ほどあるのですが,それはまた,次回に書きます。
 また,語学も同様でした。もっとさまざまな知識が吸収できる若いころに,細かな文法やら入試でいい点をとるための語学と称したドリル学習ではなく,たくさん聞いたり読んだりして,英語だけでなく第2外国語の基本まで学ぶべきでした。そのほうが,英語の勉強にも深みが増すし,そもそも,言葉というのはあくまで手段であって,それを活用することで,言葉の違う人たちの文化や芸術を理解したり,コミュニケーションをとったりするのに役立つからこそ,であるのです。
 何も,ネイティブのように話ができるようになるために,あるいは,資格試験でいい点をとるために語学を勉強するのではないのです。こんなムダな勉強をしたために,もともと語学の才能のない私は,今になっても,専門書を読みながら苦悩をくり返しているわけです。
  ・・
 ふたつ目は必要のないモノをたくさん買ったことです。
 若いころ,ロクに星空も見えないのに,「月刊天文ガイド」の広告に乗せられて,望遠鏡を買ったり売ったりをくり返しました。あるいは,今は廃刊してしまった「アサヒカメラ」の広告に乗せられて,新しいカメラやらレンズやらが出るたびに欲しくて欲しくて仕方がありませんでした。
 結局,私が趣味として必要だったのは,今日の2番目から4番目の写真にあるようなものだけだったのです。そこに行きつくまでに,どれだけムダな出費をしたことか。
 それでも,私は車に興味がなかったから,まだ,マシでした。

 学校の勉強を,私がムダばかりだったと思うのは,若いころ,何を学ぶことが大切なのかを教え導いてくれる人がいなかったからでしょう。所詮,高等学校の教師では,学問の本質でなく,大学入試を目的とした高等学校レベルの知識でしかなく,その先の専門性を知らないし,学校もまた,教育という名を借りた単なるビジネスに踊らされて,生徒に問題集を買わせたり模試を受けさせたりしているだけだからです。
 必要のないモノを数多く買ったと今思うのも,また,それと同じで,雑誌の広告や,一部のコアな趣味の人たちの評判に踊らされ,あるいはそれを利用する業界の金儲けにまんまと踊らされて,必要のないモノを必要だと洗脳された結果でしょう。新興宗教にお金を寄進するのとそれほどの違いはないです。
  ・・
 そうしたことをくり返してきた結果,この齢になって,やっと,自分には何が必要かということがわかったのかな,と考えたら,それはムダでなかったといえるかもしれません。つまり,痛い目をしたからこそ,抵抗力がついた,免疫ができた,ということでしょう。
 そんなことがわかった今,老婆心ながら,周りを見回してみると,私が若いころにやっていた数多くのムダを,同じように,それをムダとは思わずやっている若い人が何と多いことか,としみじみ思うのです。私の時代は,それでも,高度経済成長真っただ中だったので,金利は7パーセントもあったから,10年満期の定期預金に預ければ10年後には貯金は2倍に増えたし,毎年賃金も増えました。また,退職した今は一定の年金も入ります。
 しかし,今の若い人が私と同じことをしていたら,将来が危うい。1年に必要なお金が300万円として,60歳から100歳までに必要なお金は1億2,000万円です。一生で手に入るお金は決まっていますが,若いころにムダな出費をしていたら,老後にお金がなくなるのは当然です。おせっかいな私はそんなことを心配してしまうのですが,そもそも,資本主義経済というのは,成長という「正義」を合言葉に,広告を打って物質欲を煽り,必要のないモノを買わせ,まだ使えるモノを捨てさせては大量のゴミを出し,会社は営業でだれが利益を上げたかという競争をさせることで過剰な仕事をさせ,社会に貧富の差を生み出すことです。また,開発は,環境を破壊し続けないと成り立ちません。つまり,本質的に「持続可能な社会」(持続可能な開発目標・Sustainable Development Goals = SDGs)とは相反するシステムです。
 まあ,若い人は,そんな私の心配を,「年寄りの戯言」といって一笑に付すのでしょうが…。

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 日本では,多くの高等学校の2年生か3年生で,類型選択といって,文系と理系にわかれるようですが,今や,そのことすら,私は時代遅れのような気がします。そもそも,数学ができないから文系とか,英語ができるから文系とかいった考え方自体が間違っているように思います。
 私は,「1+1=2」を真理とし正しいものだというのが理系的な考え方で,「1+1=3」を詭弁を弄してでも相手に正しいと納得させるのが文系的な考え方だと思っています。だから,商売では,お客さんに買ってもらえるように,短所は言わずあくまで長所だけを魅力的に説明して,それが是であろうと非であろうと,「それでよろしいですか?」と言ってお客さんが納得して契約が取れればそれでいいわけです。いわば,NHKのドラマ「正直不動産」のようなものです。
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 それは余談として,現在,異常なまでの円安状態が続いています。さすがに130円はないと私は思っていましたが,予想が外れました。
 果たして,日銀の総裁は日本を破滅させるつもりなのでしょうか。
 この円安は,要するに,日本を安売りバーゲンセールしているようなものですが,それは,円という通貨が,これまでは銀座の高級店で売っていたのに,下町の安売りショップで売るように鞍替えしたと思えばいいでしょう。
 その昔,海外に出かけると,いろいろなものがとても安いのに驚きました。日本の円は高級なブランドだったのです。しかし,今はその反対です。この円安で,アメリカへ行けば,ハンバーガーが2,000円以上もします。学費も高く,留学もできなくなりました。外国人が日本で働いて円で賃金をもらったところで,円の価値が激減しているから,仕送りにも困ることでしょう。
 その反対に,海外から日本にやってくれば,これほど愉快なことはないでしょう。おそらく,この先,コロナ禍が収まると,再び,海外から大勢の観光客が来るのでしょうが,日本は何でもめちゃ安です。

 私は,一般論として,ずっと,円安がけしからん,諸悪の根源だと書いています。
 しかし,話は矛盾しますが,私個人としては,この円安で,ずいぶんと儲けることができました。
 今と違って,投資のことがあまりわからなかった若いころに,1ドルが117円という「高値」の相場で300万円も買ってしまったアメリカドルや,これまた1ドル94円以上という「高値」で300万円も買ってしまったオーストラリアドルがあって,長年その処遇に困っていたのですが,それらもまた,すべて大きな利益を出して売り抜けることができました。円安,大感謝です。
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 現在の相場はとてもわかりやすいです。チャートを見ると,見事に乱高下をしています。こんな相場なら,どうやっても,また,何をやっても儲かります。ただし,雑誌などに,今こそ仕込みの時期とかいう,無責任な記事が載っていて,盛んに投資の素人を煽っていますが,今,ドルや株を買うなどというのは,短期で売り抜けるのならともかく,かなり無謀な話です。予想もしなかったような何らかの「事件」が起きた瞬間に,突然トレンドが変わって,売る猶予もないうちに,ナイアガラの滝のように相場が急落して,買ったものがすべて置き去りにされてしまうかもしれないからです。リーマンショックをはじめとして,私は,そんな現実をこれまで何度も見てきました。
 今は,1ドル135円なんて聞きなれましたが,こんな相場でドルを買えば,数年のちには,何と高値で買ってしまったかと,置き去りにされたアメリカドルにため息をつくかもしれません。そして,それを取り返すのには10年の月日が必要となることでしょう。
 しかし,買うのでなく,アメリカドルを135円で売りから入れば,133円あたりまで毎日のように乱高下するから,どうやったって利益が出ます。買いではなく売りなので,置き去りにされるリスクもほとんどありません。しかし,アメリカドルよりも,むしろ,95円と92円あたりを行き来しているオーストラリアドルの方がもっと安全にもうけることができるかもしれません。

 ということで,ずっと長い間,現状で持っている外貨は,売りも買いもせず,スワップを増やすだけを楽しみにしていた私のFX口座でしたが,暇つぶしに,久しぶりに少し相場に手を出してみました。それは,数百アメリカドルを空売りして,すぐに決済してみようということでした。実際にやってみたら,あっという間に儲かりました。
 私は自分で数万円程度の利益を設定して,設定した利益が出たら,さらに儲かるとかは考えずにすぐに決済をすることに決めていたから,リスクもなく儲けることができたのですが,これもまた,FX初心者は,これだけ儲かるのだから,もっと金額を増やしてやってみようとか,まだ決済をするには早いとか,そういう熱病に侵されて,結局破滅してしまうことになるのでしょう。リーマンショックのとき,そのようにしてFXで財産をなくした人を少なからず知っています。
  ・・
 こうして少し暇つぶしをしてみて,私は,昔知ったある感覚を思い出しました。それは,相場などに手を出すより,働いたほうが精神的にずっといい,ということです。
 結局,投資は,利益を生んでいるときは,もっと儲かるのではないかという欲に駆られて売りどきを逸するし,その反対に,少しの含み損でも出ると,心配ばかりが先に立って不安になり,日々相場ばかりを気にして,仕事に手がつかなくなるのです。すると,わずかばかりの利益というメリットよりも,精神的に病むようになるというデメリットのほうが大きいのです。つまり,素人の投資は割の合うものではないのです。

 それにしても,今回の円安,陰では批判していても,忖度ばかりで日銀の総裁に進言する人もおらず,ずっと引きずったままです。どうして,この国はいつもいつもそんなことをくり返しているのでしょうか。
 1970年代のオイルショックのときも,1990年代のバブル経済の崩壊のときも,2008年のリーマンショックのときも,そしてまた,現在も,日本の経済政策は,引き際ということができないのです。同じ失敗を何度も繰り返しているだけです。そして,そのたびに日本が劣化していくのです。
 政治が日銀が失敗に何も学ばないことや方針を変更できないのは,落としどころを考えずに,一度決めたらその施策を後先考えず推し進めること,そして,失敗をしても責任をとらなくてもいいという,日本流の「やさしさ」,というより「甘え」からくるものなのでしょう。
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 コロナ禍が深刻なとき,「気の緩み」とかいう上から目線のことばが流行りました。人出が増えると「気の緩み」と言われました。それは私の大嫌いなことばでした。こうした風潮を起こすことで,今なお,屋外でもマスクをはずさないような,熱中症にかかるリスクだけで何のメリットもないのに他人の目を気にするだけで自分で考えない多くの庶民は行動を遠慮し,その結果,多くの店はつぶれ,人々の精神が病みました。これぞ,第2次世界大戦で何も学ばなかった日本人そのものもです。
 「気の緩み」。そういうことを言っていた学者とかそれを記事にしたマスコミはどうかしていますが,これこそが,いわゆる「上級国民」には忖度し,庶民には上から目線,といった,この国の根源であるいじめ体質そのものでした。
 しかし,今,最も緩んでいるのは金融です。こんな政策を将来も考えずにまだ推し進めていることこそが「気の緩み」そのものです。コロナ禍で盛んに「気の緩み」といった主張をしていた人は,今こそ,忖度などやめて,盛んに,金融政策を「気の緩み」と書くべきでしょう。


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 今回のブログは車が話題なので,それにちなんで,写真はアメリカのトヨタディーラーです。

 モノには執着心も想い入れもない私は,見栄でモノを買うこともないのですが,どうしても手に入れなければならないモノは,あくまでも機能重視であり,必要十分で,かつ,安価であればよく,そして,一旦買えば,できるだけ長く使い続けます。
 車もまた同じで,安全に故障なく動けばいいと思っています。そもそも,日本では,一般道は道路が狭くいつも混み合い信号だらけだし,高速道路はまれに3車線あれどほとんどが2車線でさらには1車線だったりして高速道路ともよべない情けない姿なのに,そんな道路を意味もなくすごいスピードで飛ばしていったり煽ることを生きがいとしているような,車の運転の基本すらできないマナーの悪い人が多くいたりします。こんな国で車に凝っている人を気の毒に思います。一度,アメリカやオーストラリアで走ってごらん,と言いたくなります。
 アメリカやオーストラリアで車を借りるときは,1日に1,000キロメートル以上を安全に走行するためにSUVに乗る私も,日本では,車なんて自転車と同じだと思っているので,乗っている車は2年落ちの中古車。買ってからかれこれ6年目となりますが,今も大切に使っていて,買い替える気持ちはまったくありませんでした。しかし,先日,いつものように定期点検に出したとき,次の車検にはタイヤを交換したり,ほかにもいくつかの修理が必要であると言われて,さすがにこりゃ,そろそろ替え時だと観念しました。

 次に車を買い替えるときもまた,前回と同じようにお値打ちな中古車でいいやと思っていたので,家に帰ってネットで探してみると,意外にも,私が思っていたようなお値打ちな中古車がまったくありませんでした。5年落ちでも200万円。これには驚きました。
 現在,世界的な半導体不足で,さまざな工業製品の生産が遅れています。車もまた同様だそうで,新車を買おうとすると,何か月も待つ必要があり,それでは間に合わない人が中古車に目を向けるので,中古車市場が値上がりをしていて,さらに,在庫もあまりないということです。
  ・・
 まだ車検には半年あるので,今新車を注文すればなんとか車検には間に合うのでしょうが,いくらお金があったとしても,たかが車に何百万円ものお金を一挙に出す気持ちにはなりません。そんなわけで,どうしたものかと思案をしていて目に留まったのが「KINTO」という車のサブスクでした。
 「KINTO」というのは,毎月,数万円の定額とボーナス時の増分を支払うだけで,自動車税も車検代も消耗品代も,さらには,任意保険までが込々になっているので,あとはガソリン代だけで車に乗れるというものだそうです。レンタカーみたいです。
 そこで「KINTO」について調べてみました。
 さまざまな口コミを読むと,安くないとか,いや,お値打ちだとか,いろいろな意見が書かれてあったので,実際に計算をしてみました。はじめに全額を出して車を購入してそのあとに必要になるさまざなま諸経費やら税金やら自動車税やらをこれまでに私が払った実績をもとにして調べていくと「KINTO」で支払うのと新車を買うのとは同じくらいのものだということがわかりました。むしろ若干「KINTO」 のほうが安いくらいでした。
 おそらく,会社の本音としては,一度に全額払うお金がない人に車を買ってもらうように仕向けたくて作ったものだと思います。だから「KINTO」が決してものすごくお値打ちというわけではないのですが,私は,そんな損得は別として,車検やら任意保険やら自動車税やらといったわずらわしさがまったくないということが魅力的に思えました。毎年やってくる3万円以上の自動車税を払わなくてもいいというのはかなり痛快ですし,うっとおしい任意保険の契約も不要です。これだけでもうれしい。

 車に限らず,私は,常々,モノを買うという行為はお金のない人がすることであって,本当の金持ちはモノは買うのではなく借りるものだとずっと思ってきました。もし,私が大金持ちだったら,家は買わず,ホテル住まいを選びます。買うことと借りることの根本的な違いは,買えばメンテナンスは買った側の責任であり,借りれば貸す側の責任だということです。これが大きい。
 とにかく,人が最も幸せなのは自由ということであって,その妨げになるのは,地位と名誉だけでなく,モノを所有しているということです。持っていて困らないのは知恵とお金だけ,というのが私の究極的な考え方です。ならば,そんな私の哲学に「KINTO」というシステムは理想的だな。
  ・・
 と,はじめはその程度のことを思ったのですが,よくよく考えてみると,もっと別の発想を思いつきました。それは,たとえば,300万円で車を買うとしたとき,はじめにお金を全額支払って車を手に入れれば,お金はその時点で車という実体となってしまい,その先は実体,つまり車が劣化するにしたがってどんどんと価値がなくなってしまうということになります。しかし,総額300万円の車を「KINTO」で7年間,毎年44万円程度を均等に支払って使うのならば,契約したときに300万円というお金は全額お金のまま手元に存在するので,そのお金を生かす他の道が存在するということです。
 それは,たとえば投資です。
 ちなみに,私は,40年以上,たまに投資で遊んでいるのですが,損をしたことは一度もありません。あるいは,投資に自信がない人でも,今,金利が安いといっても私がやっているあおぞら銀行のBANK支店のように0.2パーセント程度のものは存在していて,それを使って貯金をすれば,7年で確実に4万円以上は増えるのです。または,途中解約はできませんが10年満期で金利0.5パーセントというソニー銀行の円定期plusなら10年で15万円ほど増えるから,もともと15万円割安とも考えられます。
 しかし,新車を購入するより「KINTO」のほうが損だの得だのという話題はネット上を賑わしていても,私がここで書いているように,300万円をモノに変えずお金で持っていれば,それを運用したり別の用途に使えると書かれたものを見たことはありません。投資という面だけでなく,毎月数万円定額を支払うお金が必要だと思うだけでも,そのお金を工面するために少しだけ無駄遣いをしない気持ちが生まれる,これもまた大きいのです。さらに「KINTO」はクレジットカード払いなので,ポイントも増えます。

 モノを買うというのは,借金までしてすることではありません。しかし,それを手に入れるお金があったとしても,お金というのは,一旦モノという実体に変えてしまうと元には戻らないし,買ったモノも価値が下がっていきます。だから,支払うお金があったとしても,それは小出しにして一挙に支払わず,なるべくモノには変えず,お金のまま運用するほうが使い道があるというものです。また,あるいは,毎月出費の必要なお金があるというのは無駄遣いをしなくなる,という利点も生まれるのでしょう。

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 「まいにちドイツ語」は週の3日,月曜日から水曜日は初級編,そして,木曜日と金曜日は応用編となっています。初級編はそれなりにわかるので,なんとかうまい勉強法がないのかな,と考えたのは応用編の方です。
 勉強不足の私が語るのはおこがましいのですが,この講座は,まるで工夫が足りない,つまり,30年も昔のような講義内容なのです。自分で辞書をひいたり書いたりして予習や復習をしなさい,ということだとはわかっているのですが,今の時代,もっと効率のよいやり方があるに違いない,と私は思うわけです。
 失礼を承知でいえば,この応用編,大学を退官したような先生が,それぞれの先生に内容もやり方もすべてお任せ定食で,お好きなように3か月を担当しているだけに思えるのです。そこで,すでにドイツ語がある程度できる人にはそれでもいいのでしょうが,私のような,苦手なできの悪い生徒には,まったくもって効率の悪いものと化しているのです。
 そりゃ,わからない単語をすべて調べて,まず予習して,聴き終えたら復習をして,ということなら当然意義があるのでしょうが,そうした私の高校生時代の英語と変わらぬ方法は,現代には似合いません。これでは30年前の方法です。大学の語学系の授業は今もこのようなものなのでしょうか?

 そもそも,今は,私のiPhoneに入っているTranlatorというアプリで本文をカシャと写せば,すべて訳してくれちゃいます。そんな時代なのですが,私は,まず,テキストをデジタル化するために入力することにしました。日頃使っているテキストは,デジタル版もありますが,書き込むのに便利なので紙ベースのものをつかっています。そのうちデジタル版のデータに電子ペンで書きこむように変えるかもしれません。
 そんなわけで,相変わらず原始的な方法でテキストのデータを直接タイピングしているのですが,そうしている理由のひとつは,こうしてタイピングをすることでスペリングを覚えるのに役立つからです。そこで必要だったのは,キーボードをドイツ語化することでしたが,ここでわかったおもしろいことは,英語とドイツ語のキーボードは「Y」と「Z」が反対だということでした。これは使用頻度の違いからくるものだそうです。さらに,「ü」「ö」「ä」「ß」といった文字を打つためにキー配列が変わっているということでした。これだけでも勉強になりました。
 そして,次に,デジタル化したテキストの本文をGoogle翻訳を使って英訳しました。ドイツ語から日本語よりもドイツ語から英語のほうが理解しやすいからです。そして,ドイツ語の文章から動詞を赤色に塗ることにしました。
 今のところ,はじめたのはその程度の方法ですが,こうした工夫をして思ったのは,語学の学習もまた,今の時代にふさわしいやり方に変えることが必要だなあ,ということです。


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 私が日々,勝手に忙しくしているもうひとつの原因はドイツ語です。とはいえ,やっているのは,月々580円の紙ベースのテキストを購入してNHKラジオ第2放送の「まいにちドイツ語」を聞いているだけですが…。
 テキストはデジタル版もありますが,私があえて紙ベースのものを購入するのは気軽に書き込めるからです。しかし,使い終わったものが結構スペースをとり,しかも処分する気にもならないので不便なこともあります。
 番組名のように,毎日となると継続するだけでも結構大変ですが,私は,継続することだけは得意です。それより問題なのは,いくら継続しても一向にモノにならないことです。
 現在は,決められた時間に聴かなくても,ネットラジオで聴けるので便利になったのですが,これもまた,私の性分で,1日に1回分を聴けばいいのに,まとめて1週間を1度に聴いてしまうのです。これではダメです。
 そこで,こういうものは,少しずつ,無理なくやることが大切だと今更ながら気づきました。で,反省して,1日に1回分だけを聴くように変えました。

 テキストに「読者のページ」というのがあって,聴いている人が寄せた便りが載っています。それを読むと,多くの人が定年後の楽しみとして聴いているようです。
 本来は,大学生が聴くべきだと思うのですが,今どきの学生はそうではないようです。
 まあ,私のような不良老人の楽しみとしては,高額の若返りサプリなどを購入するよりずっと安価で,かつ,充実した時間が過ごせるので,そうした人が多いのでしょう。
  ・・
 はじめは,まったくマスターする気もなく,単なるボケ防止ではじめたわけです。ドイツ語を選んだ理由は,オーストリアを旅行したときにドイツ語の必要性を感じたことなのですが,再びドイツ語圏に出かることがあったときに,今日の写真のようなチケットに書かれたドイツ語が不自由なく理解できればいいなあ,という程度の動機でした。しかし,このようなご時世になってしまったので,この先,また,ドイツ語圏に旅することができるかどうかもわからなくなってしまいました。

 そんなこんなで,今更やっていても活用する機会はないのでしょうが,これもまた,私の性格が災いして,はじめたからには,なんとか少しはモノにしようと思いはじめてしまったのが,まったくもって,自分の首を絞める結果となっているのです。
 前回書いた数独,そして,春からずっと凝っているプログラム言語のPythonですが,こうしたものはなぜか得意で,わからなければわかるまでいろいろと調べたり,時間をかけて覚えたりということが苦にならないのですが,語学となると,もともと私は語学の才能はまったくないということが自分でわかっているし,単語を覚えるとか,繰り返し練習するとか,知らない単語や用法を辞書で調べたりもしないので,それができない原因だということを,この齢になって思い知りました。
 そこで,今の時代に私に合った語学の勉強方法を,自分なりに考えてみることにしました。


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