しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > ハワイ州

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●モロカイ島の人のいないビーチ●
 モロカイ島にあるビーチは,この日私が走っている島の南東海岸にあるワンアリイビーチ(One Alii Beach),プコオビーチ(Pukoo Beach),クミミビーチ(Kumimi Beach),東の果てのハラワビーチ,そして,次の日に行く予定をしている島の西海岸のポハクマウリウリビーチ(Pohaku Mauliuli Beach),パホハクビーチ(Papohaku Beach),カプカヘフビーチ(Kapukahehu Beach)くらいのものである。
 モロカイ島にあるビーチをオアフ島のワイキキビーチと比べてはいけない。ここにあるのは砂浜だけで,売店すらない。ピクニックテーブルやトイレ,シャワーという設備があるビーチも存在するが,そもそも,だれも泳いでいないしさびれている。考えようでは,イスを持ってきて,砂浜に陣取ってボーッと海を眺めれば,太平洋のど真ん中で広々とした美しいビーチを「世界は私だけのもの」と独り占めすることができるから,これ以上の贅沢はない。
 しかし,そんな姿を見慣れてしまうと,日本のゴミだらけで汚い,そして,人があふれているビーチなど,まったく興味がなくなってくるのもまた,当然のことであろう。

 私は,途中どこへも寄らず,まずは東端の先端まで行こうと走っていたが,ちょうど日の出と重なったので,海から昇る日の出を見ようと,車を停める場所を探した。幸い,広い空き地があったので車を停めると,運よくちょうど太陽が昇るところであった。
 オアフ島のことはあまり知らないが,ハワイ島では,東海岸にあるヒロの郊外に出ると海から昇る朝日が見られる。マウイ島では,東の海岸はどこも断崖絶壁でたとりつくのが難しいから,ハレアカラ山の山頂からの朝日をみることになる。カウアイ島では東海岸は開けているから朝日を見る場所が少なくないが,天気がいまひとつだったので,私は見た記憶がない。
 ハワイではどの島も夕日が沈むのを見ることができる場所は多く,どこでも美しい夕焼けが見られるが,日の出が海から昇るのを見られる場所は意外とないものだ。
 一般に,日の出というのは,太陽が地平線や水平線から出てくる瞬間こそ神々しいのだが,それ以外はとくに美しいこともないと思う。それでも,雲ひとつないよりも,むしろ適当に雲があって,日が昇る前に太陽の光が雲に反射して赤く染まるほうが魅力がある。
 
 このとき,私が知らずに車をとめたところはクミミビーチであった。ここはヤシの木に囲まれた白砂のビーチで,スノーケリングポイントとして有名ということだったが,当然,こんな時間には私以外に人はだれもいなかった。幸いなことに,適度に雲があって,すばらしい夜明けを独り占めすることができた。

◇◇◇
The Lunar X.

「月面X」はクレーターの凹凸の光と影により月面にXの文字が浮かびあがる現象です。

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●わずか1年前のことだったのに●
☆2日目 2020年2月21日(金)
 数年前までは,海外旅行に出かけると,時差ボケがきつかった。特に,東の方向に行くときは,到着して2,3日は,夜寝られずに困った。しかし,このごろは,日本にいても,睡眠時間が少なくなったし,海外に出かけても,機内でだらだらと過ごすとそのまま時差ボケもなく過ごせるようになった。しかも,異常な早起きは,日本にいても,海外に出かけても同じである。
 そこで,2日目の朝も,午前4時前には目覚めた。まだ夜が明けていなかったので,再び,庭に出て,星空を写すことにした。 さそり座は夏の星座であるが,この時期,明け方の空には夏の星座が輝いている。さそり座からいて座にかけての銀河は写し甲斐がある。それでも,ハワイは北半球だから物足りないが,これが赤道を越えると,魅惑の南半球の星空が広がるわけだ。再びその姿を見ることができる日が来るのだろうか?

 やがて夜が明け, モロカイ島2日目の朝が来た。
 今回の旅はわずか2泊3日だから,実質,2日目と3日目,2日間の観光となる。
 東西に長細い右を向いたアユのような形をしたモロカイ島は,中央の南の部分が若干の平地となっていて,そこに島唯一の町カウナカカイ(Kaunakakai)がある。私の泊っていたコンドミニアムはカウナカカイ近くの南の海岸にあるから,2日目のこの日は島の東側,3日目の次の日は島の西側を巡ることにした。
 東に向かって南の海岸線を走っていく。東の先端まで道が伸びていて,先端近くの海岸がクミミビーチ(Kumimi Beach),そこから島の東の端までは山を登っていって,北東の果てにハラワ渓谷(Halawa Valley)がある。まだ夜は明けきっていなくて,白んだ空を右手に海岸線を望み,片側1車線の道路を走っていくが,車は走っていなくて,たった1台すれ違ったのはこの辺りに住む人のピックアップトラックだけであった。こんなところに住んでいて,何をするのだろうと思った。生まれたらここに住んでいた,というのはどんな気持ちだろう。でも,なんだか私は憧れる。

 コンドミニアムから20マイル,約32キロメートルほど走ったころ,先ほど表現した右を向いたアユでいえばエラのあたりで夜明けになった。太陽が昇りきる前に,どこかに車を停めて写真を撮ろうと思った。なかなか場所が見つからなかったが,なんとか海を眺められる駐車スペースがあったので,車を停めた。幸運にも,今まさに太陽が海から昇るところであった。


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●思った以上に星がきれいだった。●
 コンドミニアムの広い庭の向こうは砂浜なのだが,ここは泳ぐところではないらしい。ホテルの庭と砂浜には段差があったが,砂浜に出られないこともなかった。
 ところで,この旅は2020年の2月に行ったから,今から1年ほど前のことであった。その後,2020年7月にネオワイズ彗星見たさに北海道に行ったことはすでにブログに書いたが,このとき宿泊をしたのは留萌であった。星を見ることだけが目的だったが,街灯があったり,駐車場が閉鎖されていたり,山が迫っていたりと,思ったほど星がみられる場所がなく,私は適当な場所を探してさまようことになった。そして,何とか見つけたのが海岸であった。しかし,砂浜というのは,当然ながら,カメラを設置するのに最もふさわしくないところであった。
 
 話をもとに戻す。
 北海道とは逆に,私がモロカイ島に行ったのは星を見ることが目的ではなかったが,モロカイ島は思った以上にド田舎だったので,星がきれいに見えるだろうと到着早々から期待した。しかし,ここもまた,街灯が星の光を消してしまっていた。それでも,コンドミニアムの広い庭には死角があって,その場所なら,なんとか街灯を遮って星の写真を写すことができそうだった。先に書いたように,海岸に出ればもっと暗くなるのだが,砂浜では三脚が沈んでしまって写真が写せないし,何せ,暗くて危険だ。そこで,砂浜に出る手前の庭の端っこあたりで我慢することにした。

 旅行に出かけるときに,ひょっとしたら星が見られるかなと密かに期待して,ちょっとした機材を余分に持っていくことがある。私は大げさなことがきらいなので,大きな望遠鏡を持って行ったり別便で送るということはしないししたくない。そもそも,旅は身軽だからよいのである。いや,それは旅に限らない。とりわけ,旅は極力モノを持ちたくない。だから,1週間程度の旅行で持っていくのは,2泊3日用として売られているような,機内に持ち込めるほどの小さなキャリーバッグだけであるのだが,その中に,小型でかつ頑丈な三脚と携帯赤道儀を忍ばせるのだ。携帯赤道儀というのは2,3分程度星が追尾できるほどの簡易なものでいい。そして,手持ちのバックパックに魚眼レンズとズームレンズを付けた小型カメラを入れるわけだ。
 これだけのものでも,あるのとないのとではえらく違うのである。
 このごろはスマホの影響でカメラが売れなくなったので,カメラ会社は生き残りをかけて,高性能で収益性の高い製品にシフトしている。で,私が使いたいようなカメラが,さらになくなってしまった。カメラとレンズで1キログラムを超えるようなものは使いたくないし,旅に持っていく気もしない。そもそも,カメラとレンズで50万円ほどもするものを持って旅をする気には到底ならない。それは,1万円札を50枚カバンに入れていつも持ち歩いている状態を考えてみればすぐにわかる。
 そんなわけで,この旅でも最低限の機材を持ってきただけだったが,これがずいぶんと役に立った。


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●海を眺めながら読書を●
 これまで書いたように,この日私は選択肢もなく,モロカイ・バーガーというハンバーガー店に入って,マッシュルームバーガーという,牛肉にマッシュルームがのったバーガーとフレンチフライとコーラを注文した。味は…,普通のハンバーガーであった。考えてみれば,モロカイ島がいくら辺鄙だといっても,飛行機に30分乗ればホノルルに行くことができるので,アメリカ本土やオーストラリアの奥地よりもずっと便利であろう。

 食事を終えてもまだ明るかったので,コンドミニアムに戻る前に近くをドライブしてみることにした。そして,足をのばしたのが,カプアイワ・ヤシ林(Kapuaiwa Coconut Grave)であった。
 カプアイワ・ヤシ林は,1860年代,カメハメハ5世が夏の間を過ごした別荘があった場所で,およそ1,000本の植えられたヤシの木が今も残っていて,ヤシ林の下を歩けると「地球の歩き方」には書かれてあった。
 場所は,島唯一の町カウナカカイから,州道460をコンドミニアムのある東とは反対の西に,わずか1マイル1.6キロメートルほど行ったところであった。走りながら眺めてみると,一帯は公園になっているのだが,駐車場がわからない。さらに,公園の入口にはロープが張ってあって立ち入り禁止となっていた。2,3度公園のあたりを行き来して,結局,公園を過ぎたところの脇道に入って,道路際に車を停めた。
 「地球の歩き方」にも,ヤシの実が落ちてくるから注意と書かれてあったが,閉鎖されていたのは,おそらくヤシの木が老朽化して危険なのだろうと思った。この島では,数少ない観光地はどこもさびれていて,それを修復する気力すら残っていないようであった。それでも,日本の破壊されたようなテーマパークの残骸やら,シャッターが閉じられた商店街を見慣れている私には,それよりは自然が残っているだけに,まだ日本よりはマシのような気がした。

 今日は観光はこの程度にして,コンドミニアムに戻ることにした。このコンドミニアムは,どれほどの人が私のような一見さんの観光客であるのかは定かでなかったが,夜になると,駐車場はほぼ満車となっていた。おそらく,その多くは,1室を手に入れたオーナーがバカンスで来ているようであった。いわば,ここは別荘なのである。それは,オアフ島やマウイ島のコンドミニアムが手に入らないのか,それとも,こうした静かな場所が気に入っているのか,おそらくその両方であろうが,歳をとった人たちが多かった。そして,その多くは,ベランダに出て,イスに腰かけて,のんびりと海を眺めながら読書を楽しんだりしていた。

 部屋に戻ってベランダに出てみると,コンドミニアムの庭ではバーベキューパーティがはじまっていた。コンドミニアムの掲示板にその案内が出ていたから,予約をすれば,私でも参加できたのであろう。確か参加費は日本円で3,000円程度だっただろうか。しかし,私がひとりでそこに参加したところで楽しくもないと思った。もう5年も若ければ,参加したかもしれない。そのころの私は,旅に出るたびに多くの出会いを楽しみ,友達もできた。しかし,そうしたことを経験して,結局,そうして友人を作っても,その後に交流できるわけでもないし,今は,そんな出会いを求める気持ちもなくなってしまった。


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●夕食をとる店がない。●
 結論を先に書こう。この島には夕食をとることができる店は3軒しかなかった。マクドナルドさえ存在しなかったのだ。同じハワイとはいえ,オアフ島とはまったく違う世界であった。
  ・・
 マクドナルドで思い出す話がふたつある。いや,もっとある。
 若いころの私は今とはまったく違って,マクドナルドに入ったことすらなかった。それは,ロサンゼルスにいったときだったか,シカゴに行ったときだったか忘れたが,はじめてマクドナルドに入ったのはアメリカであった。はじめて行ったときのアメリカでは,レストランに入ることすらできなかったからだった。
 そして,その後,ハリウッドのマクドナルドで置き引きにあったり,デトロイトで入ったマクドナルドは結構治安の悪いところにあったりして,私には「マクドナルド=やばい=下層階階級のたまり場」というイメージが出来上がった。
 やがて,マクドナルドの「ヤバさ」が心地よくなってき,今では,アメリカに限らず,世界中のマクドナルドナルドで食べ比べをするようになった。
 マクドナルドはおよそ世界中のどこにでもある。これまで行った国でなかったのはアイスランドだけであった。しかし,モロカイ島にも,マクドナルドがなかった。

 「地球の歩き方」にはモロカイ島のレストランが掲載されていたので,その中で気に入ったところで夕食を,と思っていた。ところが,「地球の歩き方」に載っていても,実際には,その店舗がなかったり閉店していたりしていて,困ってしまった。
 エルサズ・キッチンとかモロカイ・ドライブインとかいったよさそうな店が載っていたのだが,そのどちらも存在しなかった。
 結局,選択肢は,モロカイ・ピザ・カフェ,モロカイ・バーカー,そして,パドラーズ・インの3軒しかなかった。そのうちの,パドラーズ・インというのはいわゆる英語でいうところのタバーン,つまり,居酒屋で,この日は入りにくく敬遠した。結局,3日目の夕食をここでとることになったが,とてもいい店で,もっと早く来ればよかったと思ったことだったが,そのことはまた後で書く。
 そんなわけで,この日に入ったのは,モロカイ・バーガーというバーガーショップであった。ここは「注文を受けてから作るスタイルで,モロカイ産の新鮮な放牧牛肉100パーセントのバーガーが人気」と「地球の歩き方」には書かれてあったが,まあ普通のハンバーガー店であった。
 ともかく,この日はこれでおなかを満たすことはできたが,毎日これではかなわん,と思った。
 モロカイ島でのバカンスは,レストランで食事をとるというより,食材を仕入れて,部屋で自炊をする,ということのようであった。料理すらできない私は,明日からはどうしよう,と思った。


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●スーパーマーケット●
 日本からの移民が多く住むハワイ島のヒロは日本の昭和時代を彷彿させるところだったが,モロカイ島のカウナカカイは,私が生まれる前の昭和時代のようなところであった。
 メインストリートはアラマラマ通り(Ala Malama Ave.),というより,メインストリート沿いだけが商店街であった。そこで,商店街を順番に探ることにしたのだが,結局,商店はフレンドリーマーケットセンター(Friendly Market Center)という名のスーパーマーケットとその隣の2軒しかなかった。
 どこにでもコンビニや自動販売機のある日本に住んでいると,つい買い忘れてしまうことがあるのが,水を買うことである。コンドミニアムには自動販売機すらなかったから,水を買っておかないと,ホテルでシャワーを浴びたあとや明け方に目が覚めたときに本当に困るのだ。さらに,小腹が空いたときにちょっとしたチョコレートなどがあると助かる。そこで,スーパーマーケットで水とチョコレートを入手することにした。

 お店の駐車場もあったが,路上のどこでも駐車するところは空いていた。入口では,島民が雑談をしていた。ここは憩いの場でもあるようだ。
 中はごちゃごちゃとしていたが,およそ暮らすのに必要なものは何でもそろっていた。ただし,日本のスーパーマーケットのように,お弁当やらサンドイッチというものはないので,食事の足しになるものは手に入らなかった。パンやピザも売っているのだが,家族で1週間もつような量でしか買うことができないように,何もかも量が多いのだ。しいていうならば,カップヌードルくらいならなんとか手に入る。
 この日私は目的だった飲み物とチョコレートを買って外に出た。

 「地球の歩き方」には,モロカイ島のショップとして,いくらかのお店が掲載されていたので,それらを順に見て回ろうと思ったのだが,やっていない店や,すでになくなってしまっている店ばかりであった。それにしても不思議だったのは,「地球の歩き方」にモロカイ観光局というものがあると書かれてあって,地図も載っていたのだが,何度探しても,そんなものは存在しなかったことだ。
 ともあれ,次に「地球の歩き方」に載っていたレストランを順に巡っていくことにした。夕食をとらなねばならない。


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DSC_8856DSC_8949DSC_8950DSC_8838ハワイ王朝

●ハワイ王国の滅亡●
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④カメハメハ4世 1854年から1863年
 アレキサンダーリホリホはカメハメハ3世の養子として幼少の時を過ごし,米国人宣教師による英語による教育を受けた。そして,15歳のときに欧州へ旅をした。1855年,王位に就き,翌年,カワイアハオ教会で英国の血が4分の1流れているエマ・ルークと結婚した。
 オアフ島ホノルルの北ヌーアヌの谷の高台に建つ「エマ王妃夏の離宮」は,私は行ったことはないが,カメハメハ4世の7軒の私邸のひとつであった。喘息の持病のあったカメハメハ4世はこの家によく静養に行っていた。息子アルバート王子を4歳という若さで亡くした翌年の1863年,カメハメハ4世も29歳で亡くなり,その後はエマ王妃がこの家で暮らした。
 1860年,日米修好通商条約批准のために日本の使節団がサンフランシスコに向かった。これに随伴した咸臨丸は,帰路,石炭と水の補給のためにホノルルに寄港し,代表の木村摂津守喜毅がカメハメハ4世に謁見し,日本からの移民受入れについて言及したという。このとき通訳を務めたのはジョン万次郎であった。
  ・・
⑤カメハメハ5世 1863年から1872年
 1863年,カメハメハ4世の兄,ロット・カプアイヴァが,カメハメハ4世の死を受けてカメハメハ5世となった。そのころのハワイは,捕鯨が盛んであった時代が終わり砂糖産業が主力となっていたが,砂糖農園での労働力不足に直面し,1864年に移民局が創設された。それが日本人のハワイ移民につながっていく。
 1872年,カメハメハ5世は亡くなる前の病床に,カメハメハの末裔にあたるビショップ氏の妻バニース・パウアヒ王女をよび後継を頼んだが,その望みは受け入れられず,後継者を選ばずして42歳で亡くなった。カメハメハ直系の終焉であった。
  ・・
⑥ルナリロ 1873年から1874年
 カメハメハ直系の孫にあたるカメハメハ5世が亡くなった。
 「アウヘア・ケカウルオヒ」はカメハメハ大王の姪であったので,その子「ウイリアム・チャールズ・ルナリロ」が王家の血筋の中でもっとも高位に位置する人となった。カメハメハ5世が後継者を指名せずに他界したため,「ウイリアム・チャールズ・ルナリロ」が憲法の定めるところにより,1873年,王家の血の流れる人の中から議会の選挙で選ばれた王となった。
 ルナリロはリベラルな考えの持ち主で,高い教育を受け音楽や文学にも造詣が深かったが,健康を害し,わずか1年の在位で39歳の若さで亡くなった。
  ・・
⑦カラカウア 1874年から1891年
 ルナリロも後継者を指名せずに亡くなったため,議会で選挙が行なわれ。カラカウアがハワイ王国7代目の王になった。カラカウアは,アメリカとの互恵条約締結を成功させ,砂糖産業で国家の隆盛を成し遂げた。
 在任中に世界一周旅行をし,日本に立ち寄ったときには明治天皇にも謁見し,ハワイへの日本人移民受入れを申し出た。これが1885年にはじまる官約移民のきっかけとなった。
 様態が悪くなりアメリカで静養するためにサンフランシスコに到着したが,1891年に客死した。
  ・・
⑧リリウオカラニ 1891年から1893年
 兄であるカラカウアの後を継いで8代目の女王になった。
 2年の在位中,西欧人中心の経済界とハワイアンの人々との対立が激化した。アメリカの砂糖輸入への関税が撤廃されたため,アメリカとハワイとの間で結ばれていた互恵条約が意味を失い,砂糖農園所有者の間で,王権が維持されることにより自分達の土地が没収されるのではないかとの警戒心が広がって,やがて,アメリカへの併合を希望する力が強くなっていった。
 1893年,リリウオカラニは新憲法を発布しようと試みたが同意が得られず,退位を迫られることになった。こうして,ハワイ王国が消滅しハワイ共和国が誕生した。
 1895年,王政復古を求める武装蜂起が起き,女王の邸宅の庭から武器が発見されたという理由で,リリウオカラニは反逆罪の罪で逮捕され,イオラニ宮殿で幽閉を宣告された。「アロハ・オエ」はこの間に作曲したものとも伝えられている。
 大統領が民主党のクリーブランドから共和党のマッキンリーに代わってアメリカの政策が変わり,1898年,マッキンリー大統領がハワイの併合法案に署名した。その結果,イオラニ宮殿でハワイ国旗が降ろされ,星条旗が掲揚されることになった。そして,1900年,ハワイはアメリカ合衆国の準州になった。
 リリウオカラニはホノルルで余生を過ごし,1917年この世を去った。
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IMG_0253DSC_3847DSC_8938ハワイ王朝
●カメハメハ大王●
 ハワイを旅行するには,やはり,その地の歴史を知る必要があると思うので,調べてみた。そこで,今日は旅行記をお休みして,私自身のためにハワイ,特にハワイの王朝の歴史をまとめておくことにする。
 ハワイ王国(Aupuni Mōʻī o Hawaiʻi)は,日本では江戸時代の後期から明治時代にかけての1795年から1893年まで,ハワイ諸島に存在した王国である。1893年にアメリカ合衆国の傀儡国家として名目上共和制のハワイ共和国となり,1898年にハワイ準州 (Territory of Hawaii) として併合されて消滅した。

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①カメハメハ1世(=カメハメハ大王)1795年から1819年
 ベートーヴェンが生まれた8年後,アメリカが独立した2年後,日本では徳川家治が将軍だった1778年,イギリス海軍のクック船長の一行が3回目の太平洋探検でハワイ諸島を発見し,島々は西欧で知るところとなり,その影響で各島に存在していた首長間の争いに変化が起こった。
 その中で勢力を持っていたのがハワイ島のカメハメハ1世。カメハメハ1世はカメハメハ王朝の創始者で,ハワイ島コハラの首長の家系に生まれた。カラニオプウ大首長の死後,内戦状態にあったハワイ島であったが,西欧人の知恵や武器を利用し,1795年,ハワイ島からマウイ島,オアフ島までがカメハメハ1世の手中に納まり,1810年,カウアイ島まで8島すべてを統一した。
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②カメハメハ2世 1819年から1824年
 1819年,カメハメハ1世(大王)が他界し,長男のリホリホがハワイ島カイルアで2代目の王になった。そのころ,ハワイには「カプ」という社会規範があり,そのひとつが男女は共に食事はしない習慣だった。カメハメハ1世の妻のひとりであったカアフマヌがカメハメハ2世にカプ制度をやめるように求め,カメハメハ2世は他の王族の前で女性と席を共にして食事をしたことで「カプ」は崩壊し,ヘイアウ (祭祀場)と神々の木像が破壊された。これがキリスト教への道を開く結果となった。
 1823年,カメハメハ2世はカママル妃とイギリスの捕鯨船に乗りロンドンへ向けての航海に出たが,到着したロンドンでカママル妃とカメハメハ2王は,はしかと思われる病気で命を落とした。
  ・・
③カメハメハ3世 1825年から1854年
 カメハメハ2世の20代での死を受けて,カメハメハ2世の弟カウイケアオウリが10歳でカメハメハ3世となり,最長の30年間ほど在位した。この間,ハワイは専制君主国から立憲君主国へと変貌を遂げ,首都をマウイ島ラハイナからオアフ島ホノルルに遷都し,憲法を制定し,宗教の自由化,土地所有権を認めるなど,ハワイを急速に近代化させた。
  ・・・・・・

 ここで,話を少し横道にそらせて,プリンセス・ナヒエナエナ(Nāhiʻenaʻena)について書く。すでに以前マウイ島のラハイナを訪れたときの旅行記で書いたが,まとめる意味でここに再掲する。
  ・・・・・・
◎ケオプオラニとナヒエナエナ
 マウイ島の古都ラハイナには「ワイオラ教会」(Waiola Church)があり,教会に隣接するのがワイオラ墓地(ワイネエ墓地)である。この墓地にはカメハメハ1世の第1王妃ケオプオラニとプリンセス・ナヒエナエナの墓がある。
 カメハメハ1世には多く妻がいたが,その第1王妃がケオプオラニである。ケオプオラニは大変身分の高い生まれで,カメハメハ1世でさえ顔を上げて話をすることを許されなかったという。
 カメハメハ1世とケオプオラニの間には,のちのカメハメハ2世と3世となる男子が生れたが,その妹として生まれたのがナヒエナエナである。
 ナヒエナエナは実の兄カウイケアオウリ(後のカメハメハ3世)と愛し合っていて将来結婚することになっていた。今の常識とは違い,当時のハワイアンの習慣として,近親結婚,特に高貴な血を受け継ぐ者同士の結婚はその血筋を守りまた高めるものとして尊重されていた。したがって王とその高貴な妻とのふたりの兄妹は生まれながらにしてその道をたどる運命であった。
  ・・
 ところが,そのころヨーロッパからの宣教師がハワイへ布教を始め,王族の中にもキリスト教を崇拝するものが多くなってきた。ケオプオラニもキリスト教の教えに傾倒していったひとりである。こうして宣教師の影響は次第に王朝の政治にまで影響を及ぼすようになった。
 キリスト宣教師が始めてハワイに到着したとき,ナヒエナエナはたったの5歳であった。ハワイ貴族の娘として育ってきた彼女は宣教師から押し付けられた生き方に賛同することを拒んだ。彼女はイエス様を崇拝することよりも,海の神,風の神,火山の神,自然の神たちを崇拝することを選んだのだ。しかし,母親ケオプオラニが洗礼を受けキリスト教徒になってからは母親からキリスト教を押し付けられることになる。
 ナヒエナエナが表向きだけでもキリスト教を受け入れることになったのは,ケオプラニが死を目の前にした病床での遺言であった。
 「これからは宣教師に育ててもらい,立派なキリスト教徒になるのよ」
 こうして,否応にもキリスト教徒になることを受け入れることになったのだが,それでも古代ハワイアンのしきたりを完全に捨てることができなかった。そして,わざと昔ながらの服を着続けただけではなく,宣教師たちの反対を押し切ってカウイケアオウリと結婚した。
 が,結婚するやいなや宣教師からこんな手紙が彼女の元に届いた。
 「君は最大の罪を犯した。その罪は重く、君は母親のいる天国には行けないだろう」
 それがきっかけで心の病にかかり,かなりな量のお酒を飲み続けた。
 そんな人生の中でも明るい光が差したのは息子を身ごもったことであった。ところがその幸せも長くは続かず,赤子は産まれて数時間のうちに他界した。その事実に耐えられなかったナヒエナエナもまた,その3か月後に21年の短い生涯に幕を打ったのだった。カメハメハ3世として王朝のトップに立ったカウイケアオウリは他の女性と結婚したが,たびたびラハイナにあるナヒエナエナの墓標を訪れていた。
 …今もプリンセス・ナヒエナエナは,母親ケオプオラニと共にラハイナのワイオラ教会の片隅で眠っている。
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●カラウパパの悲劇●
 モロカイ島は「カラウパパの悲劇」を背負った島である。島の北部にあるカラウパパ半島は,19世紀当時,不治の病とされたハンセン病患者の移住地とされた。
 ハワイでのハンセン病患者が記録に残されている最初は1848年で,王室の保健委員会がハンセン病対策を取り上げたのは1863年であった。1865年には患者の隔離が法制化され,患者たちは船でカラウパパに運ばれて隔離された。
  ・・・・・・
 人類の歴史上もっとも古くから知られ恐れられてきた病気のひとつであるハンセン病は,らい菌(Mycobacterium leprae)が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症で,治療法が確立された現代では完治する病気であり,ハンセン病回復者や治療中の患者さえからも感染する可能性は皆無だが,古来,ハンセン病患者の外見と感染に対する恐れから,患者の人たちは何世紀にもわたり社会的烙印を押され,遠く離れた島や隔離された施設へ追いやられ,自由を奪われ,社会から疎外された状態で生涯を過ごすことを余儀なくされた。
  ・・・・・・
 1864年,ベルギー出身の宣教師ヨゼフ・デ・ブーステル(Joseph de Veuster)がホノルルに到着し,神父に叙階された。ダミアン神父(Father Damien)である。
 ダミアン神父は1873年モロカイ島に入り,絶望的な病に侵された患者たちのために尽力し,心身の救済に当たった。
 16年後の1889年,同じ病のためにダミアン神父は49歳でその生涯を閉じた。2009年,バチカン市国において,ダミアン神父は聖人に列せられた。現在では,ハワイで最も尊敬されている人物のひとりである。

 オアフ島のワイキキビーチにセント・オーガスティン教会(St. Augustine By the Sea Catholic Church)があって,その建物の前にダミアン・マリアンヌ記念館(Damien and Marianne of Moloka'i Heritage Center)があるということを,私は,モロカイ島に行ったあとで知った。以前,オアフ島で真珠湾に行ったことがあるが,そのときに知っていれば,ダミアン・マリアンヌ記念館にもいったのに,と残念に思う。
 ハワイは,このモロカイ島の背負った悲劇や,明治以降の移民の歴史,そして,第2次世界大戦での惨劇など,決して浮かれ気分でいくだけの場所ではない。

 カウナカカイの町を歩いていると,聖ダミアン・オブ・モロカイ教会があった。この教会は2011年に建てられたもので,「地球の歩き方」には,ミサの時間には観光客が出入りできると書かれてあった。私が行ったときはミサの時間ではなかったが入口が開いていたので,中に入ってみた。教会の中にはダミアン神父の木像があった。
 また,のちに行くことになるが,モロカイ島にはカウナカカイから11マイル,約18キロメートル離れたカマロという町に,1876年,ダミアン神父が建てたセント・ジョセフ教会(St.Joseph's Church)があり,その教会の傍らに,ダミアン神父の像が立っている。

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●カウナカカイの狂った市長●
 カウナカカイ桟橋でしばらく海を眺めていた。こんな世界があるんだなあ,と思った。私にとっては,ワイキキビーチよりもこの場所のほうがずっとくつろげるし心が休まる。この桟橋からは朝日も夕日も眺められそうだ。また来てみようと思った。
 そのあと,夕食をとる場所を探すついでに,カウナカカイの小さな町を歩くことにした。ともかく食事をしなければならない。「地球の歩き方」には適当なレストランがいくつか記載されていたから,それを頼りに,カウナカカイのダウンタウンに行って,食事をする場所を探すことにしたのだが,このときはまだ,私はこの島の真実をまったくわかっていなかったのだった。

 カウナカカイ(Kaunakakai)は人口約3,000人,「モロカイ島で最大の町である」と書かれてあるが,最大も何も,モロカイ島にカウナカカイ以外に町があるのだろうか? カウナカカイには約1,000軒の住居があり,住民のうち白人は9パーセントほど,アジア系は30パーセントほど,太平洋諸島系も同じく30パーセントほどである。また,1世帯あたりの平均収入は3万5千ドルほどで,65歳以上の高齢者の10パーセント以上が貧困線以下の収入で生計を立てているというが,この島で何を仕事とするのだろう。
  ・・
 1800年代半ば,当時のハワイ王国の王であったカメハメハ5世は夏をカウナカカイで過ごしたという。 カウナカカイのメインストリートであるアラマラマアベニュー(Ala Malama Ave.)は,カメハメハ5世の夏の別荘にちなんで名づけられている。
 ところで,1935年,カウナカカイは「カウナカカイの狂った市長」(The Cockeyed Mayor of Kaunakakai)という歌で有名になったという。この曲は、アカデミー賞を受賞したワーナー・バクスター(Warner Baxter)が休暇中に訪れたカウナカカイで,名誉市長となったカウナハハイ(Kaunahahai)を祝うために書かれたものというが,これ以上の情報を探しても見つからない。今となってはそんな歴史は埋もれてしまって,もはやどうでもいいことなのかもしれない。

  ・・・・・・
 He wore a malo and a coconut hat
 One was for this and the other for that
 All the people shouted as he went by
 He was the cockeyed mayor of Kaunakakai
  ・
 He was just a lazy malihini haole boy
 But all the girls were crazy
 To share his fish and poi, Oh
  ・
 He wore a lei and he wore a smile
 He drank a gallon of oke to make life worthwhile
 Then he made 'em laugh 'til he made 'em cry
 He was the cockeyed mayor of Kaunakakai
  ・
 The horse he rode was skinny
 A broken down old female
 So he placed a big panini
 Right under that horse's tail, Oh
  ・
 He made her buck and he made her fly
 All over the island of Moloka'i
 You could hear the kanes and wahines cheer
 As they gave him a lei of kÃ?®kania
  ・
 Now you've heard my story
 About the mayor of Kaunakakai
 All his fame and glory
 On the island of Moloka'i
  ・・・・・・


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●モロカイ島の真実●
 荷物を部屋に入れてさっそく出かけることにした。
 今日から3泊するコンドミニアムはかなり古びていて,美容室とランドリーと自動販売機だけが一応あったが,レストランどころかカフェも売店もなかった。
 私は,こうした,およそ名ばかりのリゾートを旅するようになってきて,旅どころか人が生きるということの意味すらよくわからなくなってきた。

 日々仕事に追われて多忙な人はそんなことを考える暇もないだろうが,そうした多忙な仕事だって,考えてみれば,生きるためのお金儲けにすぎない。そのために,本当はいらないものを宣伝をすることで物質欲を煽りそれでモノを売りお金を稼ぐという作業をしていたり,本当は必要のない知識であってもそれを学ばなければ進学ができないということで順位争いをさせそのために学生は多忙な日々を過ごしていたりする。
 その逆に,時間をもて余し何もすることがないしたいことがないというのもまた,それ以上に辛いことだろう。そんな老人が巷にはあふれている。
  ・・
 ところで,このごろ「不要不急」といわれるが,何がいったい「不要不急」なのだろうか? おそらく,今それをしなければ命に関わること以外は「不要不急」ということなのだろうが,しかし,一見「不要不急」だと思われることであっても,ある人にとればそれは自分の精神状態を健康に保つために必要なことなのかもしれない。その反対に,原稿を棒読みするだけならそんな演説もまた「不要不急」以外の何ものでもないし,質問にまともに答えないのなら記者会見も「不要不急」だろう。人を不安にするだけのワイドショーやら大げさな見出しで購買欲を煽るだけの週刊誌など,不要不急を通り越して,不必要以外の何ものでもない。
 しかし,生まれて死ぬまで家の中に監禁されていて,食事だけ与えられているという一生だったとしたら,人が生きるということにどういう意味があるというのだろう。「不要不急」な営みこそが文化であり,それこそが人が生きるということなのである。
 
 閑話休題。
 着いたばかりで島がどうなっているかもわからないので,ともかく島を散策しながら,ついでに今晩食事ができる場所がないかを探すことにした。
 コンドミニアムを出て,再びカウナカカイの町をめざして西に向かって海岸線を走っていった。
 州道450号線は途中で自然に右に曲がっていってカウナカカイの小さなダウンタウンに行きつくが,地図によると,町に入るところでその反対の南の方向に狭い道があって,そこを走っていくとカウナカカイ桟橋に行きつくらしい。
 カウナカカイ桟橋というのは,海岸から沖に800メートルほど延々と突き出ていて,ハワイで最も長い桟橋だという。それは壊れたヘイアウとよばれる神殿の石を積み重ねて作られたものだそうだ。
 このカウナカカイ桟橋は,かつてはモロカイ島がパイナップル産業で栄えたときの積み出し港だったところだが,今は,島民やほかの島からのボートやヨットが係留されているだけのさびれたハーバーとなっている。また,マウイ島から観光フェリーが1日2便ほどあるのだという。ならば,ラナイ島だけでなく,このモロカイ島もマウイ島を足場として観光ができるのだろう。だから,私のような,わざわざモロカイ島だけに滞在するためにやってきたもの好きな日本人なんて,ほかにはいないのかもしれない。


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●なんとか部屋に入れた。●
 空港を出発して,モロカイ島唯一の町カウナカカイをあっという間に通り過ぎ,海岸沿いに東に少し進むと,私が予約してあったコンドミニアムがすぐに見つかった。
 そもそも,モロカイ島には,私の宿泊したモロカイ・ショアーズ(Molokai Shores),その東にあるちょっと高級そうなアクア・ホテルモロカイ(Aqua Hotel Molokai),そして,島の最西端にあるケプヒ・ビーチ・リゾート(Kepuhi Beach Molokai)の3つの宿泊先しか存在しない。しかも,この中で,ケプヒ・ビーチ・リゾートは各ユニットのオーナーがウェブサイトを通じて独自に貸し出しをしているそうなので,予約がたいへんだから,私のような一見さんの選択肢はモロカイ・ショアーズとアクア・ホテルモロカイしか選択肢がない。
 モロカイ・ショアーズとアクア・ホテルモロカイは,ともに1泊20,000円近くもする。この旅をしていたころは何かに取りつかれていかのように旅をしていたので,行きたかったモロカイ島にも勢いで出かけたが,現在のように冷却期間ができて我にかえると,よくもまあ行ったものだとしみじみ思う。そもそも,これまでもアメリカ50州制覇をするという目的だけで,何をするでもないアメリカの深南部を旅行したり,物価が異常に高いアイスランドに出かけたり,かなりのことをしてきたわけだが,本当に勢いで行ってみてよかったと思う。人生一度っきり。こんな旅は二度とできない。
 今なら,そんなお金を使うのなら,ウィーンに出かけて,芸術に浸るか,ニュージーランドに行って美しい大自然を堪能するか,はたまた,日本の田舎で,しがない温泉宿に泊まるか,そんな旅がしてみたいと思うようになった。

 さて,コンドミニアムだが,これは1部屋を借りることになるから,家族連れで行くのなら,それほど宿泊代は高価ではないだろう。しかし,部屋にはキッチンがあるから食事は自炊だし,ベッドメイキングもないから,素泊まりとなるわけで,ひとり旅の私にはかなりムダなものだ。そもそもひとり旅で行くようなところではない。
 それに加えて,モロカイ島には,泳げるような海岸がさほどあるわけでもないし,子供が楽しめるアミューズメントパークがあるわけでもないし,女性が楽しめるショッピングエリアがあるわけでもないから,1日中部屋のべランダで海を眺めながらボーッとするか読書をすることに喜びを感じないのなら,何もすることはない。

 到着したのが午後4時過ぎで,まだ早かったかな,と思ったのは大間違いであった。このコンドミニアムのフロントは午後4時にクローズしてしまうのだった。それ以降に到着した場合は,レイトチェックインのポストにキーがあるということだったのだが,そのポストがみつからない。ちょうどオフィスを施錠して帰るところだったスタッフがいたので聞くと,不愛想に教えてくれた。この不愛想さが,お客様は神様の日本には理解できないであろう。
 なんとかポストは見つかったが,手を入れても中に何も入っていなかった。再び帰ろうとしていたスタッフを見つけて聞いてみると,何やってるんだ,と怒ったように言われた。もう一度ボックスを探すと,たしかに箱の端っこにくっつくようにして書類が入っていた。開けてみると,中には,部屋の番号とキーボックスをアンロックするナンバーキーの番号と,宿泊の注意事項の書かれた紙と,駐車許可証が入っていた。
  ・・
 まあ,今回もいろいろあったが,ともかく,私は部屋に入ることができた。部屋は古ぼけていたが,ベランダからは広くきれいな庭とその先の海を見ることができた。いずれにせよ,ここは多くの日本人の考えるハワイとはまったく違う世界である。


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●のどかな島モロカイ●
 ついにモロカイ島に到着した。いい天気であった。
 小さな空港を出ると,そこは未舗装の駐車場があった。そのさきにアラモレンタカーの小さな建物があった。客は私ひとりであった。というか,私が乗ってきた飛行機に観光客は私ひとりだった。
 ハーツのレンタカーなら会員だからフロントに寄らずにいきなり車に乗って出口で免許証を提示するだけでよいのだが,アラモのレンタカーを借りたのは久しぶりで会員ではないので,フロントで受付をした。

 レンタカーはどの国でもガソリンを満タン返しにする必要があるが,事前に借りるときに安価にガソリンを購入しておけば満タンで返す必要がないというのがアメリカやニュージーランド,オーストラリアなどでレンタカーを借りるときのシステムである。
 ということで,ここでもそういうシステムにしようと思っていたが,フロントで「何日滞在するのか」と聞かれて「3泊」と答えたら「それならガソリンは半分も使わないから半分だけ買ってください」と言われて驚いた。ウソ~と思ったが,この島はそれだけの広さしかなかった。
 したがって,私はモロカイ島でガソリンスタンドに行くことはなかったし,実際,返却するときに確かにガソリンは半分しか使っていなかった。

 さて,「地球の歩き方」のモロカイ島のページを見ると,モロカイ島を満喫する旅のモデルプランに「できれば3泊したい」とあった。要するに,3泊もすれば十分すぎる,ということである。だから,私はこの島で3泊するという予定を立てたのだが,3泊もすれば島のすべてを見ることができるということなのだろう。
 モロカイ島に限らず,私はこれまでにアメリカのロッキー山脈のふもとの小さな町やオーストラリアの内陸部など,そんなところにずいぶん行ったが,いつも思うのは,こういうところで暮らす自分が想像できない。私は旅行者だからいいが,こうしたところで暮らすというのはどういうことなのだろう,といつも思う。
 テレビ番組に「ポツンと一軒家」という人気番組があり,私は,Amazon Prime Video でたまに見るが,その番組では,日本の山奥の1軒家で暮らす人がおもしろおかしく紹介される。しかし,たかが日本の山奥の1軒家なんて,いくら遠くとも数時間走れば町に行くことができるから,大したことはない。それに比べれば,アメリカやオーストラリアのド田舎ではそうはいかない。何を楽しみとして暮らすのだろう,日々,何をするのだろう,と思ってしまう。
 それとも,日本のような「密」だらけの国に生まれ,いつも時間に追われて生きるほうがずっと異質なのだろうか。さらに思うのは,人が生きるのに必要なことは何なのだろうということだ。人が生きるということは何なのだろう? などと私は考えてしまうのだ。

 レンタカーを借りて,早速走り出したのだが,場所がまったくわからない。しかし,道は1本しかないから迷いようがない。と思って,地図を見ないで走っていた。空港のアクセス道路を出たらT字路に差し掛かった。どちらに行くのかが判断のしどころであった。なぜかこのとき地図を見る気がなかったのは,ある意味,冒険がしたかったからだろう。こんな狭い島,道を間違えても引き返せばどうにでもなる。
 私はそのT字路で右折した。しばらく走っていくと町に出た。どうやら正解であったようだ。そこがこの島唯一の町であるカウナカカイ(Kaunakakai)なのだろう。


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●友情の島●
 モロカイ島(Molokai)は愛称を友情の島(The Friendly Island)という。ちなみに,ハワイ島は大きな島(The Big Island),オアフ島は集いの島(The Gethering Place),ニイハウ島は秘密の島(The Mystery Island/The Forbidden Island),マウイ島は神の島/渓谷の島/魔法の島(The God Island/The Valley Island/The Valley Island/The Magic Island),カウアイ島は緑の庭園の島(The Garden Island),カホオラウェ島は禁断の島(The Forbidden Island),ラナイ島はパイナップルの島(The Pineapple Island)である。
 ほかの島の愛称はよくわかるのだが,モロカイ島の愛称の意味がちょっとわからない。しかし,ハワイ6島に行った人に「1番好きな島はどこか?」と尋ねると「モロカイ島」と答える方がたくさんいるそうなので,そこから愛称の意味が想像できそうだ。私はラナイ島だけ行っていないが,やはり,モロカイ島が1番好きになった。

 モロカイ島の大きな特徴のひとつは,島に住む人口の半分以上がハワイ先住民の血をひいているということだ。だから,モロカイ島はハワイ州の中で「最もハワイアンな島」といわれている。
 島の面積は約670平方キロメートルで大阪府の3分の1程度。島は東側を頭にしたアユまんじゅうのような形になっていて,その中央部に島唯一の小さな町がある。人口は7,500人程度で,人が生活するための施設が整った最低限ギリギリの島であるように思った。
 モロカイ島はオアフ島から東に約40キロメートル離れた場所に位置にしていて,オアフ島から最も近い島で,飛行機でわずか数十分で到着するから,ワイキキからホノルル空港までシャトルバスで移動する時間より短い。私はいつものようにハワイアン航空のサイトで予約をしたので,ハワイアン航空のリージョナル路線を運航するオハナ・バイ・ハワイアンを利用したが,もうひとつ就航しているモクレレ航空は超小型の飛行機で,機内の席数はたった8席だそうだ。両サイドに4席ずつ並んでいるというから,これは旅客機というよりマイクロバスだ。次回行くことがあればぜひ利用してみたいものだ。

 オアフ島が見えなくなってすぐにモロカイ島が見えてきた。茶色の大地はほとんど民家もなく,なんだかうれしくなってきた。そのうちにすぐ着陸態勢に入った。
 モロカイ島の空港は島の中西部にある。モロカイ空港はその地名をとってホオレファ空港(Hoolehua)という。滑走路が1本だけの小さな空港である。
 この旅に来る1年前に私はオーストラリアのウルル(エアーズロック)に行ったが,このときの空港もまた素朴であった。どちらもよく似ているので,いまでは,どっちがどっちかよくわからくなっている。しかし,観光客がほとんどいないという意味では,モロカイ島のほうがずっと快適な気がする。

 やがて着陸した。タラップを降りて,歩いてターミナルに向かった。ターミナルは木造のひなびた作りで,これはまるで田舎の電車の駅と変わらない。空港からはまったく公共交通機関がないので,もし,レンタカーが利用できないのならタクシーを利用するしかないのだが,タクシーも当然停まっていないから電話をかけて予約するしかない。しかし,タクシーを使って宿泊先に行ったとしても,そのあとどうするというのだろう。歩いて行けるところなんて,どこもない。…と書いているうちに,やはりこの島に車を運転したこともない人がのこのこと出かけるのは容易なことではない気がしてきた。
 さて,私はいつものようにレンタカーを利用するわけで,事前にアラモ(Alamo)のレンタカーを予約してあった。とはいえ,「地球の歩き方」にはターミナル内にレンタカーのカウンタがあると書かれてあったが,そんなものは閉鎖されていて,ターミナルの先にあった小さな建物がレンタカーのオフィスと駐車場になっていた。そこまでカバンを転がして歩いて行くわけだ。アラスカのフェアバンクスや先に書いたオーストラリアのウルルも同じような感じであったから,それを思い出していた。


☆ミミミ
1月15日の夕方午後5時45分ごろの月と水星と木星です。月齢3.1。日に日に日が長くなり,空が暗くなるのが遅くなるのが実感できます。もう,土星は見納め。木星もみえなくなってきました。

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●結構きついダイヤモンドヘッドの登山●
 今日は,モロカイ島へ行く機内からみたオアフ島のダイヤモンドヘッドについて書く。
 私は,はじめてハワイに行ったときにやはりダイヤモンドヘッドには登っておかなくては,ということで何となく行ってみたが,名前こそ知っていても,そこがどういうところか,全く知らなかった。その後,ハワイに行って,空から何度も見る機会があって,やはり,どういうところなのかくらいは知らないと,と思って,今頃になって調べてみることにしたわけだ。

  ・・・・・・  
 ダイヤモンドヘッド(Diamond Head)は火山活動で噴出した火山砕屑物が火口の周囲に積もり丘を形成した火山砕屑丘である。標高はわずか232メートルであるが,直径は1キロメートル近くもある。
 ハワイの先住民は「マグロの額」という意味のハワイ語「レアヒ」(Lēʻahi)とよんでいる。海に突き出した山頂部分がマグロの額に似ているからとも,山頂から魚の群れを見つけたからともいわれ,かつては漁業の安全を祈願するヘイアウ(神殿)がクレーター内にあり,身分の高い人しか立ち入ることを許されない神聖な場所であった。ハワイにはそうした場所が多くある。19世紀にイギリスの水夫たちがこの山に登ったとき,火口付近の方解石の結晶をダイヤモンドと間違え「ダイヤモンドヘッド」と名づけたといわれる。1898年にアメリカがハワイを併合した後は軍事上の要衝となり,山頂には「トーチカ」とよばれるコンクリートの見張り台が作られ,現在もアメリカ軍の管轄下にある。
 ハワイ諸島は西から東に造山活動が移っていて,ハワイ8島の中で最も西にあるカウアイ島の造山活動は古く,現在活動が活発なのは最も東にあるハワイ島である。
 西から2番目のオアフ島の東部を形成したコオラウ火山は260万年前に活動開始し,その後約100万年にわたって休止したが,その後,独立単成火山群を形成する火山活動がはじまり,この活動のひとつとして、約40万年前から50万年前に生まれたのがダイヤモンドヘッドである。
 もっとも新しい活動期は3万年前頃で,将来新たな噴火が生ずる可能性は否定できないという。
  ・・・・・・

 私が行ったときは,空港から The Bus に乗って最寄りの駅で降りて,標示に従って登山道の入口に向かった。入園料を払って登山を開始した。はじめはコンクリート舗装の歩きやすい歩道が続いていたが,やがて舗装が途切れてなだらかな上り坂になり,さらに,山道がジグザグに登りはじめた。この山道はクレーターの内側をぐるりとまわりながら山頂をめざして進んでいた。
 約20分ほど登ると,黄色く塗られたコンクリートの階段があった。ここを登りきり洞窟のようなトンネルを抜けると,狭い壁に挟まれた急階段と迂回する階段の2つのルートにわかれるが,行きと帰りに別の道を歩くことにした。
 最後に登山道終点からコンクリートのトーチカ内をくぐり,さらに階段を20段ほど上がると360度の眺望が広がる山頂展望台に着いた。ここからの眺めは最高で,右手にはワイキキビーチと高層ホテル群,左手には大海原に横たわるクジラのようにも見えるココヘッドが見渡せた。
 標高はさほど高くないのだが,暑いのには参った。
  ・・
 私は,機内からこのダイヤモンドヘッドを見るたびに,このときのことを思い出す。


☆ミミミ
1月13日の夕方午後5時35分ごろの水星と木星と土星です。わずか2,3日なのに,水星の高度は高くなりましたが,日没は遅くなり,ほとんど肉眼では確認できなくなりました。それを実際に観察することに意義があります。

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●優雅なプロペラ機●
 やがて搭乗時間が近くなったので,ラウンジを出て搭乗ゲートに向かった。ターミナル1の待合所は結構狭いので,搭乗前には人があふれているのだが,今回はモロカイ島ということで,少し勝手が違った。
 搭乗口には私が乗るフライトの掲示があったが,だれも人がいなかった。こんなに乗る人が少ないのか,まだ早かったのかと思ったら,放送で私の名前がよばれているではないか。
 まだ早かったというのは私の勘違いで,ほかの乗客はすでに機内にいた。こんなことは私には珍しいことだった。危うく乗り損ねるところだった。

 搭乗したのは ATR42-500 という42人乗りのターボプロップ双発旅客機であった。乗客は80パーセントほどが埋まっていたから,約30人というところか。私の隣は空いていて助かった。
 ATR (Avions de Transport Régional)はフランスのアエロスパシアル(Aérospatiale)とイタリアのアエリタリア(Aeritalia)が1982年に興した共同事業体である。アエロスパシアルはエアバス・グループに,アエリタリアはレオナルド S.p.Aに合流し,現在はエアバス・グループとレオナルド S.p.Aがそれぞれ半数の株式を所有する。
 ATRのラインナップはターボプロップ機のATR 42とストレッチ型(機体を長くしたもの)のATR 72である。ターボプロップとは,ターボプロップエンジン(turboprop engine)のことで,ガスタービンエンジンの形態のひとつ。そのエネルギー出力の大部分をプロペラを回転させる力として取り出す機構を備えたエンジンで,小型の航空機用動力として利用される。
 プロベラ機に乗ったのは,ニュージーランドでクライストチャーチからクイーンズタウンまで乗ったとき以来だ。日本ではリニア新幹線の建設が進んでいるが,飛行場を飛ばした方がいいと私は思う。国土を掘り返すのはもうやめてほしい。日本は廃墟だらゴミだらけだ。

 今,この旅行記を書きながら,よくもまあ,ここ数年でこれほど多くの行きたかったところに行くことができたものだと思う。勢いというのは恐ろしい。何かにとりつかれたように,動き回っていた。一旦ブレーキがかかってしまった今となっては信じられないことだ。
 私が海外旅行に夢中になっていたときは,ちょうど,インターネットでほとんどすべての予約ができるようになったころであった。そこで,毎年,なにがしかの新しいシステムが生まれ,そうしたものを利用して旅行をした。もし10年早く生まれていたら,あるいは5年遅く生まれていたら,こんな旅行はできなかったに違いない。そしてまた,新型コロナウイルスの流行があと5年早かったら,私の旅は,そのほとんどができなかったであろう。
 幸運だった。そして,思い切って行っておいて本当によかった。

 プロペラ機は優雅である。速度も遅く,高度も低いが,これがまたいい。
 離陸をすると,窓からは,まず,見慣れたオアフ島のダイヤモンドヘッドが眼下に見える。そして,やがて,海をこえると,まもなくモロカイ島が見えてくる。ハワイに来てよかったと感じるのはこのときである。


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●アメリカに入国する。●
 このころは毎年のようにホノルルに来ていたので,はじめのころのように戸惑うこともなくなっていた。ハワイといえどもアメリカという大国への入国には違いないが,入国の手続きは,ESTA登録者には事務的であった。そうでもしなければ,大量の入国者がさばけない。手続きはKIOSK端末で入国情報の登録を行い,あとはパスポートにスタンプを押されるだけだ。
 このごろアメリカ本土での入国は,特に若い女性のひとり旅だとなかなか面倒なことがあるらしいが,観光でハワイから入国して,ハワイから国内線でアメリカ本土に行くとたやすいかもしれないなあと思ったりする。私の友人にいわせると,アメリカは何事も厳密なようでどこか抜けている。
 KIOSK端末まではごった返していたが,そのあとはすんなりと何も聞かれずパスポートに滞在期限のスタンプが押されて,空港の建物から外に出た。

 ホノルルの空港はターミナル1とターミナル2,そしてモクレレ航空のみの離れのターミナル3があって,ターミナル1とターミナル2のふたつの建物はつながっていて通路があるのだが,何度来てもこの構造がいまひとつ私には把握できない。それは,入国の際は入国審査を終えると自然とターミナル2から一旦外に出てしまう構造になっているからだが,別の島に行くために乗り替えるハワイアン航空の便はターミナル1から出発するので,再び,建物の外を歩いてハワイアン空港のチェックインカウンターのあるターミナル1に行って,再びセキュリティを通って建物に入るという面倒なことになる。

 アメリカ本土のおもな空港では,入国審査を終えてそのまま再びターミナルに入って乗り換えができるのだが,その点,ホノルルは不便である。ただし,帰りはそのまま建物の中を通って乗り替えることができるのだが,私は一度外に出てしまって,再び混雑するホノルルでセキュリティを通ることになってしまった苦い思い出がある。
 また,ハワイアン航空では,荷物を預けると別料金が発生する。はじめて来たときにはそれがわからずとまどい,また,ターミナル2を出てからターミナル1へどう行くかも不明でずいぶん苦労した。

 …などということは,私以外のほぼすべての日本人観光客にはまったく関係ないことであろう。日本人観光客のほぼ100パーセントは空港からホノルル市内に,ホテルのシャトルバスに乗って向かうからである。この日,ハワイに到着した日本人は4,904人だったそうだが,おそらくそのうちの4,900人くらいはホノルル滞在だと思うのはオーバーだろうか?
 しかし,ここから私のように別の島にトランジットをする日本人なんて見たことがない。それどころか,いまからモロカイ島に行く日本人なんてこの日入国した日本人4,904人の中で私くらいのものであっただろう。なにせ,私はモロカイ島でひとりの日本人にも会わなかった。

 モロカイ島は,ハワイ島,マウイ島,カウアイ島とは違って,ハワイアン航空のリージョナル路線を運航するオハナ・バイ・ハワイアンが1日わずか3便,そして,小型機のモクレレ航空が就航しているだけだ。
 オハナ・バイ・ハワイアンのフライトスケジュールが変更になることを考慮して,ホノルルでの待ち時間を4時間とった。しかし,フライトスケジュールは変更がなかったので,ずいぶん待ち時間ができてしまったから,この時間,ターミナル1に入ってから,搭乗時間までプレミアラウンジで過ごすことにした。このプレミアムラウンジも,私は5度目にしてやっとその存在がわかったのだった。


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●再び行ける日は来るのだろうか?●
 飛行機は,夜,セントレア・中部国際空港を離陸して,太平洋をジェット気流に乗って飛んでいくのだが,地球の自転方向に朝に向かって駆け抜けることになるから,寝る間もなく朝がくる。雑ないい方をすれば,6時間分をスキップする。つまり,6時間で12時間が過ぎるわけで,夜がなくなる。そうしたことから,日本人が海外旅行をするとき,私は,ハワイが最も過酷な行先だと思う。
 最も楽なのは,もちろん時差のないところだから,オーストラリアなど南に向かうときであろう。ニュージーランドは,ハワイと経度がさほど違わないのだが,オーストラリアを経由して行くことにすれば夜は時差がない。オーストラリアに到着して朝になってからニュージーランドへ向かえば,お昼が3時間ほどスキップされるということになる。だから,オーストラリアとニュージーランド間のお昼間の3時間の旅と考えれば,さほど苦痛ではない。
 逆に,西方向に向かうヨーロッパは,東に向かうのとは逆に,夜を求めて飛ぶことになり,時間が過ぎない。つまり,夜が明けない。そこで,結果的に夜が長くなるので,さほど大変ではない。
 いずれにしても,私は歳をとって普段でも睡眠時間は5時間程度なので,今は海外旅行をしても時差ボケとは無縁になってしまったが,若い人はたいへんであろう。
 それに加えて,ハワイに限らず,海外旅行で最も問題なのは,エコノミークラスの座席の狭さである。そもそも,飛行機の座席は詰め込み過ぎなのである。9時間も座るのに新幹線より座席が狭いなんてありえるだろうか? 私は,今や,エコノミークラスは使わず,多少お金がかかろうと,とはいえ,ほとんどの場合はマイレッジを使用してグレードアップするが,ともかく,エコノミークラスより,よりランクの高い座席を予約するようになったので快適になった。でないと体がもたない。さらに私は,機内で過ごすのに,映画を見たり本を読むこともおっくうになって,今では音楽を聴くのが一番快適になってきた。

 さて,機体は着陸態勢に入って下降をはじめた。ボーッとした寝起きのまま窓のシールドを開けて外を見ると,陸地が見えてきた。いよいよハワイである。
 まずカウアイ島が見え,カウアイ島を過ぎると,ホノルルのあるオアフ島である。オアフ島の家々が見えてくると,次が,真珠湾である。今回は,真珠湾に潜水艦が運航しているのが見えて,得をした気になった。日本人にとってのハワイは,今は観光地であるが,アメリカにとれば,それ以上にここは軍の重要拠点である。日本にとれば,明治以降の移民からはじまり,太平洋戦争と,悲しい歴史がその根底にある。
 そうこうするうちに飛行場が見えてきた。そこが到着地ホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港(Daniel K. Inouye International Airport)である。アメリカの空港はどこも何がしかの航空会社のハブ空港になっているから,特定の航空会社の飛行機が大量に停まっているのが常だが,ホノルルは一応はハワイアン航空のハブ空港だとしても,それ以外の世界中の航空会社が乗り入れているから,これほど多くの会社の機体を見ることができる空港は他にはないだろうと私は思う。飛行機好きにはたまらない空港かもしれない。
 このときは,ああ,また来た,くらいにしか思わなかったが,それもまた,今となっては夢のようだ。次にここに行くことができる日はいつのことだろうか?


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●旅慣れた道●
 前回書いたように,新型コロナウイルスで騒がしくなりかけた直前の日本からの出国だった。今回は人混みを避けて,公共交通は使わず,車で自宅からセントレア・中部国際空港まで行ったが,そうでなくとも,名鉄電車でセントレア・中部国際空港に行くのはかなりリスクがある。
 これもいつも書いているように,事故や故障で不通になることがほんとうによくあり,そのときに代替バスの手配が遅いこととタクシーが捕まらないことなど,対応がまずく,もしそうしたアクシデントがあれば絶望的だからだ。しかし,車だと,今度は駐車場の問題があるし,空港まで道路が名古屋を抜けるまで,異常に混雑するのだ。
 つまり,公共交通機関については,名鉄以外に手段がないことが問題なのだ。もし,不通になったら,伊勢湾を船で渡る以外には人が通行できない有料道路しかアクセスする方法がないから,徒歩で行くことすらできない。そんなことは,せめて名鉄が不通のときだけは徒歩で道路を通行できるような歩道を作るだけのこと。
 また,名古屋市内の渋滞は,名古屋高速の車線案内標示に問題がある。これは走ってみればわかるのだが,どの車線を走ればいいのか,はじめて走るとさっぱりわからないから,疑心暗鬼になって意味のない車線変更が多発するから渋滞が起きる。一度アメリカのハイウェイを視察してくればいい。
 まあ,今回は,道路も混んでなかったし,駐車場も事前に予約をしておいたのだが,がらがらだったから,大過なかったからよかったけれど。

 これもまた,いつものように,事前に iPhone でフライトのオンラインチェックインを済ませておいたので,そのまま出国ゲートに向かえばよかった。出発のわずか1時間前に荷造りをしてきたバッグは小さいものだから機内に持ち込むので,航空会社のカウンタにも寄らずセキュリティを越えた。
 ただし,日本では海外に行くときは出国手続きをしたあとで,再び出発ゲートで事前に航空会社の係員に申し出てパスポートチェックをしなければならない。そんなことなら,オンラインチェックインなんて意味がないとさえ思える。フィンランドやアメリカなら,そんな必要もなくいきなり搭乗ゲートに行って乗り込むことができるわけで,これだけをみても,日本では意味のない仕事をしているということが明白だ。やったふりばかりで,本当に日本はムダだらけの変な国だ。
 ともかく,私は搭乗時間までいつものようにラウンジで過ごしたが,ラウンジもまたがらがらだった。人混みのきらいな私にはこのほうがいい。

 ハワイのオアフ島にあるホノルルまで行く日本からの直行便は,毎度「ハワイ=オアフ島」と思っているウキウキムードの日本人ツアー客と一緒である。
 ハワイは赤道に近いので,ジェット気流の影響を受けやすく,追い風となる行きはずいぶんと早く着くのだが,向かい風となる帰りは時間がかかる。よって,行きはわずか6時間ほどで到着するから,深夜バスで名古屋から東京へ行くようなもので,名古屋から四国に行くよりはるかに近い。昨年はファーストクラスにアップグレードしたので,今年もそのつもりだったが,昨年よりファーストクラスの料金が高かったのでそこまでの価値がないのであきらめて,コンフォートクラスにした。ハワイなど近いから,エコノミークラスでさえなければ,ファーストクラスでなくともコンフォートクラスなら同じようなものだ。
 食事をしてなんとなく寝ていたら,朝食が配られるのを知らないうちに着陸態勢になった。ということで,朝食を食べ損ねた。客室乗務員が日本人だと起こしてくれることもあるが,アメリカ人ではそんなことは期待できない。これは国民性の違いというやつだ。
 ハワイまでは,ずっと海の上を飛んでいて,着陸態勢になるころにやっと陸が見える。それがハワイである。まずはじめに見えてくるのが最も西にあるカウアイ島で,その次の島がホノルルのあるオアフ島だ。


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●不安な足音が聞こえてきたころ●
☆1日目 2020年2月20日(木)
 前置きが長くなったが,いよいよ今日から2020年2月20日から2月24日まで3泊5日で行ってきたハワイ州モロカイ島の旅行記を書く。
  ・・
 2015年ころから,私はまるで東京に行くような感じで年に6回も7回も海外旅行をしていた。ハワイも毎年春に行くのが慣例となっていた。
 はじめにハワイに行ったときの戸惑いはもうどこへやら。セントレア・中部国際空港からデルタ航空の直行便でホノルルまで行って,ホノルルからハワイアン航空に乗り換えて,さまざな島に行くのを楽しみにしていた。
 
 ハワイの島々の中で,観光で行くことができるのは6島。そのうちで,モロカイ島とラナイ島はツアーがないので,私には魅力的だった。そこで,これまでに行っていなかったモロカイ島とラナイ島のうち,まず,2020年はモロカイ島へ行こうと計画した。結果的にこれがよかった。
 聞くところでは,モロカイ島は素朴な島。そして,ラナイ島は島全体がリゾートで,ホテルはすごく高価ということだったので,私はさほど興味がなかった。ラナイ島に行く動機があるとしたらハワイ6島制覇のためだけであったが,ラナイ島はマウイ島から日帰りで往復できるということだったから,モロカイ島に行ったその次の年,つまり今年2021年に3度目のマウイ島に行って,その折に日帰りで往復するつもりだった。というより,前回2019年マウイ島に行ったときに足をのばしてラナイ島に行っておけばよかった。
 しかし,こうなってしまうと,いつ実現することやら…。まあ,今ではラナイ島など行けても行けなくてもどっちでもよくなってきたので,いつかコロナ禍が収まって,そのときにまだその気があれば行ってみようと思っているところである。

 私はもともとツアー旅行などしないので,ツアーで行くことができないというのはどおっていうことはない。しかし,いつもハワイ島やカウアイ島,マウイ島に行くような感じで同じようにインターネットでオアフ島からモロカイ島までの航空券とモロカイ島の宿泊先を予約する段になって,この島はちょっと違うぞ,と思いはじめていた。
 まず,島間を飛んでいる便が異常に少ない。しかも,すべてプロペラ機であった。そして,宿泊先を探す段階になって,あまりに選択肢が少ないことに驚いた。2,3のコンドミニアムしかないではないか。それでも,なんとかコンドミニアムの1室を確保することができた。そして最後に,これもまたいつものハーツでレンタカーを借りようとしたのだが,この島にハーツの営業所がないのは衝撃であった。あるのはアラモだけだった。いや,正しくは,もうひとつ地元の会社があるらしいが…。
 まあ,いずれにしても,鬼が住んでいるわけでもあるまい。私は勢いでアイスランドまで行ってしまった男だ。公用語は英語だし,ハワイ州には違いないし,どうにでもなる。それにしても,多くの日本人がハワイ,ハワイと騒いでいても,モロカイ島に行ったという話は聞いたことがない。これだけでも,私は,ワクワクしてきた。

 やがて,出発する日が近づいてきたが,そのころになって,世の中が騒がしくなってきた。なんとハワイ帰りの日本人が新型コロナウィルスに感染していたとかいう話が伝わってきたのだ。しかし,私が行くのは観光客で群れるオアフ島ではないから何とかなるわい,と出発を決意した。が,いつものようにセントレアまで名鉄電車で行く気にはならず,車で行くことにして,空港内の駐車場を予約した。
 空港に着いた。このころは,今ほど厳戒態勢でもなく,体温を測るためのサーモマネージャーがあり,チェックイン時に中国に行っていないかと聞かれたくらいであった。まだ,新型コロナウィルスが何ものなのかもよくわかっていないころであった。


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●野生のニワトリに出会える島●
 今思うと,カウアイ島はなかなかやるじゃない,と感じさせる島であった。そしてまた,書いているうちにいろんなことを思い出してきた。
 わずか数日の滞在だったのに,ずいぶんといろんなところへ行ったようで,ここもカウアイ島だったのか,あれもカウアイ島だったのか,という感じなのである。それなのに,これまであまりいい印象が残っていないのは,ボタンの掛け違いからであろう。

 その,ボタンの掛け違いとやらを説明しよう。
 まず,ハワイは秋に行ってはいけないということだ。1年中常夏のように思えるハワイだが,実際は,ハワイの秋は雨期で天気が悪い。ハワイは春に行くところなのである。しかし,私がカウアイ島に行ったのは秋であった。
 春のハワイ,といっても,私がここで書いているハワイはオアフ島の人工ビーチ・ワイキキやホノルルのことではない。それはたとえば,マウイ島のマケナビーチのようなな場所のことである。
 その時期,マウイ島でのんびりと過ごしているのは,休暇を楽しむ軍人とその家族か,シーズンオフになったフットボール選手か,あるいは,アメリカ本土から来た新婚旅行客などである。
 軍人は大概刺青をしているから区別でき,フットボール選手はでかいから見分けがつく。また,新婚旅行客はいかにもよそ者という感じだからわかると私の友人が言っていた。
 次に,ハワイは海でも眺めながら1日中ボーッと過ごすのが最高の贅沢であって,あくせくと観光をするところではないということだ。コンドミニアムの庭はそうした時間を過ごすのに最適な場所なのである。ホノルルあたりの高級ホテルに滞在して,日夜観光とショッピングに明け暮れる日本人ツアー客がやっているのは正当なハワイの楽しみ方ではなく熱海と渋谷がくっついたテーマパーク・ハワイの観光旅行なのである。
 このころの私は,そうした正当なハワイの過ごし方を知らなかった。
 さらに,これは私自身だけのことだが,私がハワイに行く最大の目的は美しい星空なのである。ハワイ島にはマウナケア山あり,マウイ島にはハレアカラ山がある。しかし,カウアイ島にそうした場所がなかったというのが,カウアイ島に落胆した大きな原因であった。
 しかし,実際は,今日の写真にあるように,カウアイ島の手つかずの大自然はまことにすばらしいのである。ウェストコーストに至る山岳地帯には,太平洋のグランドキャニオンとよばれるワイメア渓谷州立公園(Waimea Canyon State Park)があり,ここの色彩豊かな山肌は言葉を失うほどの光景である。
 また,ノースショアでは,ダニエル・K・イノウエ・キラウエア灯台(Daniel K. Inouye Kilauea Point Lighthouse)に達する灯台への半島はすばらしい海岸が続いている。
 そしてまた,イーストコーストでは,ワイルア川州立公園(Wailua River State Park)があって,ワイルア川に沿ってその昔「王者の道」といって王族や貴族だけが往来できたクアモアロードがあって,その終点にはオパエカア滝(Opaekaa Falls)が見事な姿を見せる。

 ところで,カウアイ島にはやたらとニワトリが目につく。注意して走らないとひき殺してしまうほどだ。実際 カウアイ島にはニワトリが大変多く,野生のニワトリが島中を闊歩していることから「チキンアイランド」ともよばれている。
 カウアイ島にニワトリが増えた理由のひとつにハリケーンがあるという。約25年前,カウアイ島に「ハリケーン・イニキ」(Hurricane Iniki)が直撃し,島に甚大な被害が出た。農場が倒壊してニワトリが逃げ出してしまい,島中に分散した。その結果,ニワトリたちはその繁殖能力と生命力でどんどん増えていき,島のシンボル的存在に登りつめた。ニワトリの天敵であるヘビなどがいないことから安心して育つため,今では島の人口6万人よりも多いのでは? といわれている。


☆ミミミ
21日の夕方の木星と土星です。この晩が最接近でした。高倍率の同じ視野の中に土星と木星がとてもきれいでした。

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●なかなかいいところじゃないか。●
 今,当時写した写真を見ると,カウワイ島はなかなかいいところじゃないか,と思う。しかし,私がカウアイ島にあまりいい印象をもたなかったのは,冷静に考えてみると,それは私自身のせいである。アイスランドも同様だ。
 カウアイ島もアイスランドも再び行くことはなかろうが,もし行くとすれば,今度は満足できる旅をするだろう。その理由の第一は,はじめてカウアイ島に行ったときには,私はハワイというところの本当の魅力を知らなかったから,そこで何をするかということをわかっていなかったということである。第二の理由は,それまで私はコンドミニアムというところに泊まったことがなかったので,そこでの流儀を知らなかったということである。私がはじめてコンドミニアムに泊まったのはカウアイ島であった。
 理由はともかく,リゾートとしてのハワイは,私のような男がひとりで行くところではないのである。
 もしまた海外に行くことができるようになったら,まず,どこに行きたいかと聞かれたことがある。少し考えて,ハワイかなと答えたら,今度は,ハワイで何をするのだ,と聞き返された。
 そうだ,私はハワイに何をしに行くのだろう? としばし考えてしまった。そして思い当たった。そう,ハワイには何もしにいかないのだ。日常を忘れ,海を見て1日中ボーッとするのだ。そして,夜になったら地元の小さなカフェで食事をして,そのあとは,満天の星を見るのだ。
 どうやら,やっと,私はハワイでの楽しみ方がわかってきたというわけだ。

 この旅行記は2020年春に行ったモロカイ島について書くのが目的なのだが,まだ,その序章として,ほかの島々について書き続けていて,モロカイ島へ旅立つところまでもいっていないわけだが,実は,この後で書くことになるモロカイ島でもコンドミニアムに泊まった。というか,それしか泊まるところがなかった。モロカイ島のコンドミニアムは,カウアイ島のコンドミニアムよりずっと古ぼけていたのだが,この時は,カウアイ島での経験があったから戸惑うこともなく,かつ,悪い印象もなかったのは,そうした理由によるものだ。
 しかし,実際は,カウアイ島で,私はずいぶんと楽しい時間を過ごすことができた。ハワイのさまざな島に行った今では,何をしたかということがどこの島のことであったかあやふやになっているほうが多いのだが,よく考えてみると,経験したことの多くはカウアイ島でのことであったことに,いまさらながら驚く。
 カウアイ島に行った後で,私は,ヨーロッパやオセアニアに,はたまた,国内の北海道やらにまで旅した。いつもいきあたりばったりで出かけ,いい加減なホテルに泊まり,計画もたてずに動き回ったが,このごろは,それなりにどこに行ってもそつなくたくさんの思い出を作ることができるのは,おそらく,このころの旅の経験が生かされているからであろう。

 そもそも,人は何を目的として,旅に出かけるのだろうか。
 「Go To Travel」とやらで,この秋は,それまで自粛していた人たちや,はたまた旅慣れていない人までが安さに惹かれて観光地に繰り出したようだが,その多くは,豪華な旅館やホテルに泊まり,その土地の名所・旧跡を見て,食べられないほどの食事を出され,新幹線やデラックスなバスで移動をしたのだろう。
 多くの人には人生すべてがパック旅行なのである。勉強ができなければ塾に通い,スマホがほしければ街のショップに行き,旅行がしたければパンフレットを見て予約する。
 しかし,私はそうした生き方をしていない。塾に通ったこともないし,大学受験のときに模試すら1回しか受けなかった。英語はもっぱらNHKのラジオ講座でテキスト代だけで学んだ。コンピュータも独学である。スマホははじめっから格安SIMをアップルショップで買った iPhone に入れて月2,000円以下で使っている。
 ツアー旅行にもまったく魅力を感じない。私の旅は,もっとまずしくつつましいものである。しかしその一方で,私は,空港ではラウンジで過ごし,飛行機ではワンランク上の座席をとる。そうして,団体のツアー客とは絶対に群れたくないという旅をしている。つまり,多くの人の旅とは,まったくの正反対の行動をしていることになる。だから,多くの人は,こんな私の旅行記を読んだところで,まったく参考にはなるまい。


☆ミミミ
19日の夕方の木星と土星です。月の視直径より近づきました。同じ視野の中に土星と木星が見られるなんて!

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●カウアイ島でまた行ってみたい場所●
 私はこれまでにオアフ島は毎回トランジットをしているが,オアフ島で降りて観光をしたのは2016年と2017年の2度であった。
 これまでトランジットして行ったのはハワイ島,マウイ島,カウアイ島,そして,モロカイ島である。ハワイ島には2016年と2019年の2度行った。また,マウイ島にも2017年と2019年の2度行った。
 これらの島をリピートした理由は,オアフ島は真珠湾に行ってみたかったからであり,ハワイ島はヒロをじっくり歩きたかったこと,そして,マウイ島では,クラに泊まりたかったことと,イオア渓谷に行きたかったことが理由であった。このように,1度行って気にいったところは,帰ってからこんな場所に行きそびれたとか,もう1度あそこに行ってみたいという思いがその土地をリピートすることにつながる。しかし,2度行くと,まあ,これでいいや,と,ほとんど場所はそれで満足することになるから,3度以上行くというのは,よほどその地が気に入ったときだけであろう。
  ・・
 それとは逆に,1度でもういい,という場所もまた少なくない。これから書くカウアイ島に私が1度しか足を運んでいない最大の理由は天気が悪かったということにある。これもまた,アイスランドと同様である。
 しかし,今思うに,私がカウアイ島に行ったのは秋のことで,カウアイ島限らず,ハワイの秋は雨期なのだ。だから,違う季節に行っていたら,全く異なる印象をもっていたかもしれない。

 いずれにしても,まあ1度でいいかとずっと思っていたカウアイ島をこうして今振り返ってみると,カウアイ島にもまた行ってみたいとほのかに恋心を抱く場所が少なからずあることに今更ながら気がついた。そのひとつが,カウアイ島のウェストコーストである。
 カウアイ島がいいという人の理由は,観光地化されたオアフ島,アメリカ人の高級リゾートであるマウイ島,そして,ハワイ人の地ハワイ島とは違う素朴さにある。それでも,カウアイ島のノースコーストは最新のリゾートであり,サウスコーストは昔からの古びたリゾートがあり,イーストコーストは繁華街がある。そこで,ウェストコーストだけが未開の地であることが,私を引きつける理由である。
 ただし,私が2020年の春に行ったモロカイ島は,カウアイ島のウエストコースト以上の未開の地であったから,今になって,カウアイ島のウエストコーストへのあこがれは,モロカイ島の魅力によって少し薄れてしまったことは否めない。

 それはともかく,カウアイ島のウエストコーストには,特に何かあるということもないし,道が途中で行きどまりとなってしまうから,その先がどうなっているかも私は知らない。私は,こうした,知らない知らない,に特に興味をもってしまうわけだが,もし,カウアイ島に出かける次があるのなら,私は,このウェストコーストに宿泊してみたいものだと思っている。
 ウェストコーストからはるか西を海を眺めると,ロビンソン一族が住むという禁断の島ニイハウ島の島影を見ることができる。それとともに,天気があまりよくないカウアイ島で,このウェストコーストだけは,青空が広がり,ほとんど人がいない海岸にも魅力があふれている。
 これもまた,ほとんの日本人の知らないハワイなのである。


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●日本にはない魅力あふれる地●
 私がカウアイ島に行ったのは,2017年の秋であった。2016年の春にハワイ島,2017年の春にオアフ島に行ったので,ハワイ3度目であった。
 2020年のコロナ禍は私の想定外であったが,いつ何事かが起きたり病気になったりして行けなくなるかもしれないから,行けるうちに行っておこうと,躊躇せず,ここ7,8年,思い立ったときに思い立った場所に出かけるようにしていたので,行きたいと思っていたところは,ほぼすべての場所に行くことができた。それは本当に幸運なことで,海外に行くことができなくなった今,何の憂いもなく日々を過ごすことができている。
 それにしても,カウアイ島は,2017年の翌年の夏に出かけたアイスランド同様,今思うと,よくもまあ行ったものだ,と思うような場所なのである。そしてまた,こうして振り返るまで,これもまたアイスランドと同様に,また行きたいとは思いもしない場所であった。
 しかし今,こうして写真を見ながら振り返ると,行くまでは思い入れがあったのにいざ行ってみるとほとんど何も覚えていないような場所も少なくないのに,カウアイ島もアイスランドも,いろんな印象が残っているし,ともに短い期間の旅であったにもかかわらず,その地で行くべきところはそのすべてに行ってきたのが不思議なことなのである。そしてまた,懐かしくなって,また行ってみたいなあ,と思いが募ってくるのが私にも意外なのである。
 これもまたアイスランド同様なのだが,カウアイ島は天気が悪かったという思い出しか残っていないのに,なぜかそのときの写真を見ると青空が写っているのだ。どうしてなのだろう?

 とまあ,今日のブログを書きはじめたときには自分でも想像していなかったのに,意外なことに,なぜか,カウアイ島とアイスランドがダブってきた。先に書いたように,この両者,私にはいい印象がなかった。これまでもいろいろと欠点を書き連ねてきた。しかし今,冷静に考えてみると,それはともに,その地に落ち度があったわけではなく,私のほうに問題があったのだ。それは,そこがどういうところか知らなかったということに最大の原因があるということだ。
 そのときより経験を積んだ今の私が思うに,ちゃんと調べて出かけていたら,もっとこれらの地を楽しむことができたに違いないのだ。そして,よくよく考えてみると,非常に魅力に溢れた場所なのである。何よりすばらしいことは,ともに,ほとんど日本人観光客どころかツアー客がいないということ,そして,自然がともに日本離れしているということなのである。
 つまり,日本国内のあらゆる場所を旅しても,これらの地に代わる魅力のある場所は見つからないということなのである。


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●念願がすべてかなった2度目のマウイ島●
 2019年,2度目のマウイ島に行くことができて,1度目にできなったことがすべて達成できたのは実に幸運だった。ここ数年で,マウイ島に限らず,多くの場所で1度目に行ったときにできなかったほとんどのことが達成できたのは,今では夢のようである。いつも思うが,本当に奇跡であった。特に,ハワイでは「地球の歩き方」のハワイⅡ編に掲載されている中で私が達成できていなのは,マウイ島からラナイ島への日帰りツアーくらいのもので,それ以外のことはほぼ成し遂げたことになる。
 そこで今日は,マウイ島の最終回として,2度目の旅で行くことができたイアオ渓谷とクラでの民泊について書くことにする。

 まず,はじめてマウイ島に行ったときには行くことができなかったイアオ渓谷である。マウイ島の通称は「渓谷の島」。ハワイの中でも天候がくずれやすいといわれるイアオ渓谷なので,御多分に漏れず,私は,1度目のマウイ島旅行では洪水のために行くことができなかった。はじめて行ってこういうことがあると,いつもそうだという印象になってしまうから,今回もまた閉鎖されているのでは,という心配をしていたが,何の問題もなく行くことができたので,逆に拍子抜けした。
 イアオ渓谷は山の中を進んでいくほど気温は下がり体感温度も低くなり,ハワイという感じがなくなる。イアオ渓谷は総面積47,382エーカー(約20,000ヘクタール=200平方キロメートル),全長10マイル(約16キロメートル)の渓谷である。渓谷内には谷底からの高さが1,200フィート(370メートル)のイアオニードル(Kuka‘emoku)があり,写真もあるから行っているのだが,不思議なことに私は見た印象がない。その昔,美しい娘イアオが半漁人の神プウオカモアと恋に落ちた。その恋に猛反対のイアオの父である神マウイは,プウオカモアを殺すと怒り狂ったが,山の女神ペレとイアオが「命だけは助けてほしい」と必死に願い,プウオカモアは殺されることは免れたものの岩に変えられてしまった。その岩がイアオニードルだという。
 イアオ渓谷はたくさんの戦いの舞台となっていて,渓谷全体を見張ることができる位置にあったイアオニードルは見張り台としても使われていた。中でも1790年のカメハメハ大王がマウイ島を征服したケパニワイの戦いは,ハワイ史上最も激戦で辛く悲惨なものとして後世に名を残している。戦いによって,谷底を流れるイアオ川の水は血で赤く染まり,犠牲となった死体は渓谷に流れる小川の流れをせきとめたといわれていることから,この戦争は「せき止められし水」を意味するケパニワイとよばれる。
 また,イアオ渓谷は不思議なエネルギーな宿る場所としても知られている。古代ハワイアンの間では亡くなった人の骨にはマナとよばれる聖なるエネルギーが宿り,特に王や酋長など身分の高い人の骨には強いマナがあると考えられてイアオ渓谷の地に埋葬されてきた。

 2度目のマウイ島で,私は念願のクラに宿泊することができた。
 クラで宿泊するとなると,クラロッジが有名だが,私の探し出したのは,民家であった。つまり,民泊である。クラで最も高台にある民家が一軒ごと貸し出されていて,私は,この広い民家にひとりで宿泊した。窓からはマウイ島が一望できて,特に,夜の星空は絶品であった。
 今この民家で宿泊できるのかどうか不明だが,これは夢の中の出来事のようであった。ハワイに出かけて,どんな豪華なホテルに宿泊した人でも,こんなすばらしい思い出をもつ人はほとんどいないことであろう。


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●島1周を試みても●
 今こうして振り返ってみると,ハワイのなかでもやはりマウイ島というのは底なしにおもしろいところだった。とにかく何でもある。もしハワイに住むなら,マウイ島に限るように思う。
 今日は,その中で,秘境について書くことにする。ハワイ好きの日本人は多いがその90パーセント以上はオアフ島にいて,残りの10パーセントのうちの果たしてどれだけの人がこうした場所を知っているのだろうと私は思う。おそらく,そんな場所にはツアー旅行をしても決して行くことはできないであろう。しかし,私にとってのハワイの魅力はこうした場所なのだ。

 マウイ島にはハレアカラ国立公園があって,すでに書いたように,ハレアカラ山に登れば雄大な景色と星空が広がるが,ここは舗装した道路が続くので,秘境ではない。
 それより,ハレアカラ山のふもとにクラという町があって,ここがいい。この高台にひろがる美しく小さな町のどこかに泊まってみたいものだと思っていたが,2度目に行ったときに幸いそれが実現した。
 クラもまた秘境ではないが,その先,マウィズワイナリーをすぎたあたりからの南の海岸がすごいのだ。この海岸線に沿って,マウイ島は島を1周することができるだが,レンタカーでの通行は認められていない。というか,自己責任ということになる。要するに道が狭く,また,何かがあっても連絡ができないからというのが理由であると思われる。
 しかし,私が行ってみたところ,どこから先がいけないのかがよくわからないのだった。地図には地名が書かれてあっても,実際行ってみると,地名表示がないから,その地名の場所がどこなのかわからない。私は,まあ,このあたりだろうと思った場所まで行ってみた。そこに何があるということもないのだが雄大であった。
 私が最も印象に残るのは,海の向こうにハワイ島がうっすらと見えて,マウナケア山の山頂にすばる望遠鏡のドームが光っていたことである。この海岸に沿ってさらに進めば,やがて,島の最東端にあるハナという町まで行くことができる「らしい」。

 このハナという街もまた秘境であるが,ここは,バイアから島の北側を海岸にそって行くことができて,その道は,レンタカーでの通行が可能であるということはすでに書いた。とはいえ,この道路もまたずいぶんと大変で,まるで日本の山道のようで,せまくカーブが続く。おまけにつねに天気が悪い。そうしてやっとハナについたときの喜びはこのうえないが,私は行ってみて,どうしてこんな場所に町があって,人が移り住んだのかが理解できなかった。
 ハナは「マウイの果てにある天国のような町」といわれる。ハワイ通を自称する日本人がいたら,ハナに行ったことがあるかどうかを聞いてみるといい。行っていなければ,それは,まがい物のハワイ通である,と思う。

 一方,西マウイには,イオア渓谷州立公園がある。ここもまた,私には秘境であった。それは,1度目に行ったときに豪雨があって通行止めだったので行くことができなかったからである。2度目に行ったとき,ぜひイオア渓谷に行ってみたいものだと期待して足を運ぶことができた。
 西マウイの北側の海岸線もまた,道路は通じているのだが,レンタカーでは途中までしか通行が認められていない。私は,ここまでは行くことができる,というところまでアクセスしてみたが,海に沿って,まるで断崖絶壁に道が続いていた。
 ガイドブックによれば,「レンタカー会社によれば」通行ができない,とあるので,こうした道路を走ってもよいレンタカー会社があるのかもしれないが,私は知らない。


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●マウイ島のビーチ●
 ハワイ6島の中で,もっとも魅力に満ちたビーチがあるのもまた,マウイ島であろうと思われる。人だらけのオアフ島は論外として,マウイ島のビーチは場所によってさまざまな違いがあり,しかも,人がそれほど多くないので,どこもかなり贅沢な時間をすごすことができる。

 まず西マウイには,カアナパリ(Kaanapali)のビーチがある。ここには全長3キロメートルにも及ぶ白砂の海岸が続いている。ただし,カアナバリはリゾートで,宿泊料金は高額であるから,私にはまったく縁のない世界である。
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 南マウイには,海岸線が10キロメートルにも及ぶカマオレビーチパーク(Kamaole Beach Park)がある。このビーチのあるキヘイ(Kihei)にはコンドミニアムがあって,カアナバリと違って大衆向けであるから,それなりに混雑しているのはやむをない。オアフ島のホノルルのように垢抜けていないのが,また,いいという感じが私にはする。
 さらに南に行くと,マケナビーチ(Makena Beach)に至る。マケナビーチはマカオレビーチパークよりさらに南に行ったところで,ここはおそらくハワイにある数々のビーチのなかで最高の場所であろう。広々と続く砂浜に寝転んで,何も考えず,海を見ながら1日を過ごすという,とても日本人にはできない贅沢をすることができる場所である。
 何より,人が少ないのがいい。波が高いわけではないからサーフィンをするような場所ではないが,それゆえに,静かな時間が味わえるというものだ。遠くにはモロキニ島(Molokini Island)が見える。このモロキニ島にはスノーケルクルーズがあって,だれでもスノーケリングが楽しめるという話である。また,時折,クジラがダイビングをするのを眺めることもできる。マケナビーチの北側の高台の向こうには,何とヌーディストビーチがあるということは,知る人だけのささやかな秘密である。
 ここから先は道が狭く,レンタカーでの通行は禁止となる。
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 東マウイの南の海岸線は,ビーチがなく,断崖に沿って延々と島を1周する道路が続いている。途中から先はここもまたレンタカーでの通行は禁止されているが,こんな場所がハワイにあるとは,おそらく,ワイキキビーチしか知らない多くの日本人には信じられないであろう。
 とにかく,マウイ島のビーチは最高なのである。


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●マウイ島とハワイ島の夕日●
 マウイ島は夕日のきれいな島だが,朝日を見るのはなかなか難しい。それは,マウイ島の東海岸はどこも断崖絶壁で,行くのが困難だからである。最も東にハナという町があるが,早朝にハナにいることが困難である。深夜にハナまで車で走るのも困難だし,宿泊するにも,適当なホテルが少ない。しかも,天気が悪い。ということで,マウイ島でただ1か所,ハレアカラ山の山頂なら最高の日の出が見られるが,ここはあまりの人気で,事前に登録しておかないと,登頂できない。
 それに対して,夕日なら,ハレアカラ山にも事前の予約なく登ることができるし,西側の海岸は,どこも広く砂浜が広がっていて,しかも天気がよいから,絶景を見ることができる。そこで,私は,2度行ったマウイ島で,ハレアカラ山の夕日も西側の海岸からも美しい夕日を味わいつくした。

 ハレアカラ山からの夕日は登るに予約が不要といえ人気があるから,山頂の駐車場はごった返す。少し早めの時間に行って,停める場所を確保することが必要となる。
 西側の海岸は,私が2017年の春にはじめてマウイ島に行ったときに行くことができず,2度目に行った2019年の春に念願を果たした。ラハイナからの日没の景色は,カフェで食事でもとりながら夕日が眺められるという申し分のないシチュエーションであった。ただし,私にとって誤算だったのは,ラハイナからの夕日は,海には沈まず,遠くのラナイ島の島影に沈むことであった。
 と書いているうちに,そういえば,ハワイ島カイルアコナの沖合でクルーズ船から見たのが,私の生涯最高の夕日であることを思い出した。海に,最後の最後まで,太陽が沈んでいく姿は,まさに神々しいものであった。

 強がりでいうわけではないが,日の出に比べて,日没のほうがずっと美しい。それは,朝日は太陽が姿を見せてしまえばあとはまったく美しくないが,夕日は日没前から日が沈んだ後まで,ずっと空が赤く染まるからである。
 いずれにしても,四方が海に囲まれたハワイの最高の魅力は,日没や日の出の景色であると断言できる。

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Beaver Moon to deliver partial lunar eclipse.

11月30日はビーバームーンでしたが,
半影月食となりました。
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●ハワイの本当のよさが味わえる島●
 オアフ島はハワイという名のテーマパーク,ハワイ島はハワイに住む人の里,そして,マウイ島こそが観光地ハワイ,それが私のハワイに対する印象である。
 マウイ島の広さは東京都ほど。このたいして広くもないマウイ島には何でもある。
 マウイ島はひょうたん島のような形をしていて,真ん中のくびれの西側と東側に分かれているが,そのどちらも山が海に迫っていて,島を1周することができる道路はあるが,途中から狭くなっていて,レンタカーで走ることが認められていないから私は1周することはできなかった。
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 東側の丸いほうの果てにハナ(Hana)という町がある。南側からは海岸線を通って行こうとしても途中から道路がせまくなり,レンタカーでは行くことができないが,北側の海岸線に沿っていけば着くことができる。しかし,ハワイはどの島も,南側は天気がよいが,北側は雨が多い。マウイ島もまた,例外ではなく,北側の道路は険しくカーブらだけの山道を延々と走らなければ到着できないし,いつも天気が悪く湿っている。そうしてまで行ってみたハナは秘境感満載の場所であった。
 また,ハナに行く途中にあるパイア(Paia)のあたりまでは天気がよく,海は波が高く,砂浜が続き,サーファーでにぎわうところである。私はサーファーの聖地・オアフ島のノースショアには行ったことはないが,おそらくノースショアよりもずっと条件がよいと思う。
 この島の東部分の中央にそびえるのが,私がマウイ島をめざすきっかけとなった3,000メートルを越すハレアカラ山である。そこに登れば満天の星が輝く。また,ハレアカラ山のふもとのクラ(Kula)は高原で,ワイナリーまであるすばらしいところだ。
 島の中央部のくびれたところにあるカフルイ(Kahului)からワイルク(Wailuku)は古いダウンタウンと官庁街がある。また,少し南に足をのばしたところにあるキヘイ(Kihei)からマケナ(Makena)にかけては金持ちの別荘があり,このあたりのビーチは人が少なく美しいので,穴場である。
 一方,島の西側の中央部にはイオア渓谷(Iao Valley)がある。また,西側には海岸に沿って,カアナパリ(Kaanapali),カパルア(Kapalua)といった豪華なリゾートがあり,その近くの古都ラハイナ(Lahaina)はまるで京都のようだが,実際,その昔,ハワイ王国の首都であったところだ。

 私は,2017年の春,この島にはじめて行ったのだが,イオア渓谷を除くほぼすべての見どころへ出かけて,島の隅から隅まで楽しむことができた。
 到着した日にはホエールウォッチングをしたし,念願だったハレアカラ山にも登った。日本の山道のようなくねくね道を何時間も走ってハナまで行ったし,地元のソウルフードも楽しんだ。しかし,この町の私には到底手の届かない豪華な別荘やリゾートを見ると,何かしらの疎外感に襲われたこともあった。
 こうして,2017年の旅で,マウイ島についても,そのほとんどを知ったつもりになったのだが,ただ,このときは,イオア渓谷は豪雨の影響で閉鎖されていて行くことができなかったし,いいところだなあ,と思ったクラに滞在してみたいという思いが残った。そこで,その2年後の2019年の春,私は,再びマウイ島に行ってみたのだが,そのとき,マウイ島の奥深さを知ることになるのだった。


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●ハレアカラ山で星を見たい。●
 2016年の春にハワイ島に行って,曲がりなりにも南十字星を見,マウナケア山の山頂に登った時点で,私はひとつの夢を実現したが,このころはまだハワイ島以外の島々に行くことはあまり考えていなかった。私は,旅に行く前にはガイドブックはほどんど読まず,帰ってから読むことが多い。このときも,帰国後に「地球の歩き方」のハワイⅡを読んでハワイ島の復習をした。
 確かにハワイ島の星空はすばらしかったが,一般の観光客が星見を楽しむ場所としては少し不満が残った。マウナケア山の中腹にあるビジターセンターあたりは星見をするには治安を含めて悪くなかったが,ヒロからもカイルアコナからも2時間以上のかかるほど遠いのだ。
 そして,ハワイ島以外の島を調べてみると,マウイ島にハレアカラ山という夢のような場所があることを知った。

 日本国内では,なかなか満天の星を見る場所をさがすのは大変である。これまでさまざまな場所に行ってはみたが,どこも一長一短であった。いつも書いているように,普段は自宅から片道1時間程度で行くことができる場所を2,3箇所決めて星見に行くが,どこも空が明るいから,そこへ出かけるのは妥協の産物でしかない。年に数回,木曽駒高原のペンションに行くが,確かにここの空はすばらしい。近くに東京大学木曽観測所があるくらいだから,日本ではこの場所の星空に勝るような場所はほかにないのだろうとさえ思っている。ただし,日本で星見をするときの最大の問題点は,晴天率なのである。天文台のある場所といっても,晴れるのはせいぜい6割程度のものだ。
 その一方,海外で星を見ようとすると,治安を含めて,現地の事情がわからないから,より大変である。私は,何度かハワイに行ったのち,南半球のオーストラリアやニュージーランドへ行くことを覚えた。南半球には日本にはないすばらしい星空が広がっていた。そして星を見るにはここしかないということがわかったが,この時点では,まだ,そんなことは知らない。

 「地球の歩き方」を読んだ限り,マウイ島のハレアカラ山は,すべてにおいて理想的に思えた。こんな場所があるのかと驚いた。そこで,次回は,ぜひマウイ島に行ってみたいと思うようになった。それまで私が知っていたマウイ島は,一時,日本の大相撲界を沸かせた,高見山,小錦,曙,武蔵丸の生まれ故郷であるということだけであったし,まさか,私がマウイ島に行くとは思わなかった。
 そんなわけで,2017年の春,私は,マウイ島に出かけてみたのだった。


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●やはりハワイ島はカイルアコナが最高●
 私が2016年の春にはじめてハワイに行ったときに主に観光をしたのはハワイ島だった。ハワイ島は四国の半分ほどもある大きな島だったが,隅から隅までほとんどのところに足を運び,楽しい思い出がたくさんできた。そのときの詳しい様子はすでにブログに書いたので,それを読んでいただくことにしてここでは省略するが,特に,ハワイ島の西側の町カイルアコナはとてもすばらしかった。
 ハワイ島は,マウイ島などとは違って,リゾートというよりも,そこに根づいた人たちの暮らす島という感じが,私にはする。ハワイ島にもリゾートはあるが,それはハワイ島の北西部,サウスコハラコーストあたりにかたまっている。ホノルルからハワイ島に1泊程度のオプショナルツアーで訪れる日本人が宿泊するのは主にその地区であると思われるが,私には興味がない。

 このように,2016年に島を1周し,マウナケア山も山頂まで登った私が,2019年に再びハワイ島にリピートした理由は,前回は十分な時間がとれなかったハワイ島の東側の町ヒロをのんびり散策したかったことと,ハワイ島の北側の内陸部の広大なワイメアを散策したかったことが理由であった。
 ヒロで,2016年に行きそびれたイミロアアストロノミーセンター(Imiloa Astronomy Center of Hawaii)に行きたかったこととダウンタウンをもっと知りたいという思いがずっとあった。そうして訪れた念願のイミロアアストロノミーセンターであった。そこに,マウナケア山の山頂の天文台に関する学術的な博物館があると思い描いていたのだが,実際は,日本にいくらでもある科学館と大して変わらないものだったので,とてもがっかりした。その一方,ヒロのダウンタウンは,古きよき日本のようなところで,納得するまで楽しく歩き回ることができた。
 ワイメアは,1度目に行ったときにはそれほど滞在することができなかったので憧れがあって,こんな場所に宿泊できたらいいなあ,とずっと思っていた。ハワイ島では,ワイメアのあたりからとヒロの一部の場所からだけ,マウナケア山の山頂にある天文台群に光るドームを望むことができるのだ。また,ワイメアには,ハワイらしくないともいえるほどの広大な平原が広がっている。期待して行ってみたところ,確かにのどかな場所ではあったが,残念ながら,ワイメアには宿泊できるような施設はなく,単にハワイ島に暮らす人たちのショッピングタウンだったのにはがっかりした。

 結局,ハワイ島に2度行った私の結論は,ハワイ島はカイルアコナに泊まって古きよきハワイを感じながらのんびりするところだということであった。


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