【Summary】
I walked along the old Tokaido from Higashimitsuke to Hirakata Park Station on the Keihan Line. Hirakata-juku, the 56th post town on the Tokaido, prospered in the Edo period as a stop for the Kishu Tokugawa clan and a port for Yodo River boats.
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東見附から旧東海道に沿って京阪電車の枚方公園駅前まで歩きました。
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枚方宿は東海道品川宿から数えて56番目の宿場町。東西全長約1.5キロメートルで,豊臣秀吉築造の文禄堤を利用し,近世はじめに京街道として整備されました。江戸時代には参勤交代の際に紀州徳川家が定期的に宿泊したほか,淀川において京都と大阪を結ぶ三十石船の中継港としても賑わいました。
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ここを歩いた人のブログが山ほどあります。私のブログは自分の記憶にとどめるために日記代わりに書いていて観光案内ではないので,ここでは簡単にとどめます。
まず通ったのが御茶屋御殿跡でした。御茶屋御殿は豊臣秀吉によって建てられ,江戸時代には2代将軍・徳川秀忠,3代目将軍徳川家光が訪れました。現在,公園として整備されたこの場所から淀川を一望できます。
枚方宿の中央あたりにあるのが本陣跡でした。本陣跡は,現在,三矢公園となっています。枚方宿の本陣は,池尻善兵衛家が本陣職を務めました。
本陣跡を過ぎると,寺内町界隈になります。このあたりは寺を中心として町が成り立ち,人々が集住して生活していました。また,市立枚方宿鍵屋資料館は,江戸時代,枚方宿で繁盛した船待ちの宿「鍵屋」の主屋と昭和初期に建てられた豪壮な和風建築である別棟からなる建物を保存し,活用した資料館です。さまざまな資料展示の中には,三十石船に酒や食物を売りに出た「くらわんか舟」のレプリカもあります。
1876年(明治9年),淀川右岸に鉄道が開通したのち,北河内地方の郵便物は大塚(枚方)の渡しを利用して高槻まで運ばれていました。枚方船着場は,現在,屋形船やクルーズ船が運航していて,ここが乗船客の乗降場となっています。また,2017年(平成29年)からは定期運航も開始されているそうです。
ということで,のどかな枚方の町を楽しく歩くことができました。
京阪電車の枚方公園駅前から電車に乗ったのですが,この駅を過ぎたところにあるのがひらかたパークで,私は車窓からそれを眺めました。
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年間の入園者数約130万人のひらかたパークは,枚方市枚方公園町にある京阪電気鉄道の子会社京阪レジャーサービスが運営する遊園地です。1度も取り壊されずに現在まで営業し続けている遊園地の中では日本最古です。
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ということだそうですが,ひらかたパークの園長は岡田准一さんだそうです。
このごろは白々しく「夢の国」と銘うった見せかけの巨大テーマパークがやたらと高くなってしまったので,再び,こうした庶民の遊園地が再評価されるようになるかもしれないなあ,と思いました。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは
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