しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:「知る」 > 人を知る

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 2024年2月6日,「世界のオザワ」と評された指揮者の小澤征爾さんが亡くなりました。88歳でした。
 私は,今から43年前,ボストン,ニューヨーク,ワシントンDCをひとり旅しました。そのとき,小澤征爾さんはボストン交響楽団の音楽監督でした。ボストンのコンサートホールに大きな小澤征爾さんのポスターを見て,誇らしく思ったものです。当時,アメリカでもっとも有名な日本人,といわれていたと聞きました。
 私が小澤征爾さんの指揮をコンサートホールで聴いたのは,残念ながらたった一度でしたが,私は,小澤征爾さんが憧れで,また,音楽が聴けるのを楽しみにしていました。

 著書「ボクの音楽武者修行」にこうあります。
  ・・・・・・
 スクーターを唯一の財産として神戸から貨物船に乗り込み,マルセイユからパリまでたどりつき,フランス国内,アメリカ,ドイツ,そしてふたたびアメリカへと回って,いよいよ約二年半ぶりになつかしい日本へ帰ることになった。
 4月24日午前10時,JALのニューヨーク・フィル特別機で羽田に着いた。ハッチが開けられると,メンバーの連中がみんな
「セイジ,お前が最初に降りるんだ!」
と言って,ぼくを先頭にしてくれた。
  ・・
 突然,バーンスタインが,ぼくの首っ玉にとびついて来た。ぼくは危うく倒れるところだった。
「セイジ! セイジ! よかったな,よかったな!」
  ・・・・・・
 私は,この文章がずっと頭に残りました。おそらくこのときが小澤征爾さんの人生で最高の瞬間。

 その後,小澤征爾さんの足跡を探すかのように,私は,ボストン交響楽団の夏の避暑地であるタングルウッドを訪れました。そして,そこに,セイジオザワホールがあるのに,再び感動しました。
 ああ,この人は,こういうところで活躍していたんだな,と思いました。
 残念ながら,大きな病気をしてからは,活躍もままならなくなってしまったのがとても残念でしたが,これほど偉大で,しかし,偉ぶらず,多くの人に感動を与えた人もありますまい。
 すばらしい人生でした。ご冥福をお祈りします。

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 2023年12月17日。NHK交響楽団の第2000回定期公演を聴きにいった翌日の午後に出かけたのが「駒テラス西参道」で行われた「駒テラス忘年会」でした。
 「駒テラス西参道」は
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 日本将棋連盟と渋谷区が協力して,2023年6月10日にオープンしたもので,「観る将=観る将棋ファンの聖地」を目指し,様々なイベントや教室,展示,映像配信など,将棋を通じた魅力あるまちづくりのための施設として,新しいあたらしい日常を発信していきます。
  ・・・・・・
というところです。まだ,オープンして間もないのですが,私はすでに何度か足を運びました。ここのいいところは,どこに行っても人だらけ,静かに時を過ごすことができる場所がほとんどない東京ですが,「駒テラス西参道」に併設されたカフェに入れば,ゆったりと過ごすことができるのです。

 この日出かけたのは,前日本将棋連盟会長だった佐藤康光九段と兄貴分の島朗九段のお話を聞く,という集まりに参加するためでした。事前の予約制でしたが,ちょうど東京にいる日だった私は,是非行ってみたいと予約してあったのです。
 はじまるのが午後2時だったのですが,その1時間ほど前に到着して,カフェに入ったら,偶然,隣の席に佐藤康光九段がみえて,お話ができたのが幸運でした。
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☗「駒テラス忘年会」
 駒テラス初の忘年会! 島朗九段・佐藤康光九段と2023年の将棋界をゆるくかつ濃密に振り返ります! 歴史的な2023年をともに語らいましょう!
【プログラム】
☆出演者よりご挨拶・乾杯
 佐藤九段といえばコーヒー。駒テラスのコーヒーで乾杯!
☆トークショー・歓談
 会長交代の話はもちろん,2023年の将棋界重大ニュースを,島九段・佐藤九段ならではのエピソードや裏話とともに濃密に振り返ります!
☆サイン会
 コラボ色紙を揮毫していただきます。揮毫した色紙を持った両先生のお写真をお撮りいただけます。 ☆両先生よりひと言・今後の抱負
☆直筆サインボードにサイン
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 「駒テラス忘年会」では,もともとの話題は,今年の将棋界を振り返る,というものだったらしいのですが,その前のさまざまなエピソードや棋界の裏話を話しているだけで,2時間以上が過ぎてしまいました。そんなわけで,もともとの話題がどこかにいってしまったのですが,エピソードや棋界の裏話というのがとても興味深くおもしろく,また,途中のサプライズで,森下卓九段の飛び入り参加もあって,楽しい時間となりました。
 最後に,色紙にサインをしてもらって,一緒に写真を撮りました。
 将棋は,自分で指すこと以外にも,観戦しても楽しいし,こうして,実際にプロの棋士の人たちと交流もできるのがすばらしいです。これからも,多くの棋士とこうしたイベントがあったらいいなあ,と思いました。

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 歳をとって,私のように,何の不安も不満もなく,好きなことをして生きていると,50歳を過ぎても,まだ,責任を背負って生きている人を気の毒に思ってしまいます。

 宇宙が創成して13,800,000,000年,地球が生まれて4,600,000,000年であり,その長い時間の中で,人類が文化をもってからはわずか3,000年です。それは,恐竜が地球上に繁栄していた150,000,000年のわずか50,000分の1でしかありません。
 そして,人の一生はたかだか80年。
 しかも,地球上の7,900,000,000人もいる人類の中のほんの数人の,まさに悪性の腫瘍のような人物の傍若無人な行いで,もう間もなく人類は滅ぼうとしています。
 しかし,人類が滅んでも地球は残ります。そして,再び,新たな人類が出現するかもしれません。もしそうなったとき,地球の歴史の中で,今の人類というものが存在したのは,そのわずか100,000分の1の一瞬の出来事だったことになるかもしれません。

 少し話題が逸れますが,地球以外の天体に知的生物がいるかもしれないと,天文学者が探していますが,もし,そういった天体があったとしても,その天体に知的生物が存在しうる期間は,その天体の長い歴史の中のわずかな期間に過ぎないわけで,そのわずか期間に遭遇する確率ははるかに小さいのではないか,と私は思います。
 その反対に,地球以外の知的生物がいて,知的生物を探しに地球にたどりついたことがあったとしても,地球上に人類が存在している(た)期間はほんのわずかなものだから,その時に人類と遭遇する(した)可能性なんてほどんどないのです。

 話を戻します。
 そんな小さな小さな存在でしかない人類。
 その中で,個人個人は,自分の意思とは無関係に生まれてしまったわけですが,生まれてしまった以上,自分が生きる目的やら意義を,何とか理屈をつけて,でないと,むなしいだけだから,生きてるわけです。ただそれだけのことです。
 だから,人に勝とうだとか,人の上に立ちたいだとか,高級な車に乗りたいだとか,大きな家に住みたいだとか,そんなものは所詮ははかないだけなのに,人は,生まれたときに,そうした「欲望」の「膿」をもつように,創造主は造ったのでしょう。そうした「膿」をたくさんもっているかどうか,それが,その人の人生をどれだけむなしいものにしているかどうかを決定づけているのです。
 宗教ではこれを「業」といいます。


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 2018年,佐藤天彦名人に通算タイトル獲得100期目をかけて羽生善治九段が挑戦した第76期将棋名人戦第5局が名古屋の大須萬松寺で行われたとき,その前夜祭に行ったことがあります。そのときの前夜祭は立食パーティでしたが,対局者と写真を撮ることもできましたし,多くの棋士の人たちと話をすることもできて,将棋のタイトル戦の前夜祭はいいものだ,また行ってみたいと思いました。
 しかし,それ以降,コロナ禍が起こり,前夜祭自体が中止になったり,また,前夜祭の再開後も,マスク姿の棋士の写真を写しても仕方がないので,ずっと敬遠していたのですが,それも去り,また,藤井聡太八冠誕生か,ということもあって,再び前夜祭に行ってみようかと思っていたこのごろでした。

 奇しくも,今年2023年の第36期将棋竜王戦の第2局が10月17日,18日に京都の仁和寺で行われ,その前夜祭がホテルオークラ京都で行われるということだったので,応募して当選したので行ってきました。実際,藤井聡太八冠誕生後,はじめての対局となって,さらに注目度が増したのですが,今期,藤井聡太竜王に挑戦するのは,「藤井聡太を泣かせた男」という異名のある同い年の伊藤匠七段でした。
 今回は立食ではなく,抽選による指定席ということでしたが,なかなかいい席が確保できました。参加者は200人程度かな? と思っていたのですが,なんと,400人ということでした。また,女性が8割くらいもいました。これではまるで藤井聡太八冠の披露宴みたいなもののように思えたのですが,藤井聡太竜王にはこれだけお姑さんがいるわけで,これでは実際に結婚するときに,お嫁さんになる人は大変だなあと思いました。
 前夜祭は,型通り,対局者の入場,主催者挨拶と続きましたが,学校の卒業式みたいに,退屈な話をを延々とするような人もなく,楽しいものでした。そして,最後に,対局者の決意表明がありました。

 それにしても,藤井聡太竜王は,すっかり場離れしているというか,とても上手に話をするので,感心しました。単に強いだけでなく,まだ21歳だというのに,将棋界は立派な棋士が育ったものです。
 藤井聡太竜王名人が初タイトルを取ったころは,コロナ禍真っ最中で,前夜祭も中止になったりしたので,ある意味,これが幸いしたようなところもあるように思います。前夜祭には,文化庁長官,京都府長,京都市長といったお偉い人たちがずらっとならんでいたりして,羽生善治九段ならともかくも,はじめてタイトル戦に登場するような若手の棋士には,対局の前に,こうしたイベントに出るだけで,すっかり飲まれてしまい,大きなハンディとなってしまうことでしょう。

 仁和寺門跡の瀬川大秀さんの話によると,仁和寺の創建は888年であり,また,仁和寺の裏山には成就山八十八ヶ所の霊場があるというように,末広がりの8にゆかりがあり,藤井聡太八冠にふさわしいということでした。そして,今回の前夜祭のお土産は,京都のおまんじゅう「八重」でした。粋な計らいだなあと感心しました。

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 「藤井聡太竜王名人が関西将棋会館のレストラン「イレブン」で食事を注文するのもこれが最後」 になるかもしれない,王座戦挑戦者決定トーナメントの決勝戦が2023年8月4日に行われ,「史上最高の1分将棋」とよばれた大熱戦のすえ勝利して,永瀬拓矢王座への挑戦権を手に入れました。王座戦5番勝負に勝てば,将棋のタイトル全冠制覇達成です。
 この対局は,二転三転,まさに手に汗握るハラハラドキドキの終盤戦でした。
 ①105手目。藤井聡太竜王名人が▲1五香と打てば終わっていたものを▲1六香と打ったためにもつれました。
 ②135手目。藤井聡太竜王名人が▲6四角と打てばよかったのに▲3三歩としたので3筋に受けの歩を打つことができなくなり,負けていれば敗着でした。
 ③150手目。豊島将之九段の指した△6五玉が決定的な悪手で,これで勝負が決まりました。しかし,1分で正解手を見つけるなんて無理な話なので,豊島将之九段が気の毒でした。
 ①②③とも,正解手はかなりの「筋悪」で人間には浮かびません。

 ③150手目の正解手は△5四玉だったということですが,この後が難解でした。
 解説者も説明できなかったので,私も,局後,将棋AI最強の「水匠5」を使って,遊んでみました。△5四玉以下,「水匠5」が1番手にあげた指し手を進めていきます。すると,以下のように,このあと延々と90手くらいも進んで,やっと後手が勝利します。
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3四龍,4四銀,4五角,6五玉,7七銀,6六歩,4四桂,7八金,5四銀,6四玉,6三銀成,6五玉,5六角,同馬,3五龍,5五歩,5六歩,6九角,4八玉,7七金,2五角,同角成,同歩,7六玉,4二と,6七歩成,3八玉,6八角,4六歩,4二飛,2七玉,4四歩,5三成銀,4五桂,4二成銀,3七桂成,同玉,4五金,5四角,6五歩,4五角,5九角成,4八金,4五歩,4九金打,5三角,4四香,3四歩,同龍,2二桂,4五龍,4九馬,同金,3四金,7七桂,4五金,同歩,5七飛,4七金,1四桂,9八角,8七銀,同角,同玉,9八銀,7七玉,6九桂,7六玉,7七歩,同と,5七桂,2六銀,3八玉,2七金,3九玉,2八角,2九玉,1七角成,8七金,同と,同銀,同玉,9七飛,8六玉,8七歩,7五玉,7八飛,6四玉,9八飛引,3八銀,…
  ・・・・・・
 なお,互いに最善手を指していくと持将棋になるといっているYouTubeや,そう書いている記事もありますが,私が使った「水匠5」ではこのように後手勝ちになります。
 こうして遊んでいるうちに,何か不思議な気がしました。それは,「水匠5」が最善という手を指し進めていっても,はじめの評価値以上に次第に後手が悪くなっていくのです。こういうものを体験すると,将棋AIが示す評価値は,一体どういうものなのだろう? という疑問がいつもながら湧いてきます。
 この対局の中継はいくつかの媒体で行っていたのですが,ABEMAが表示している形勢判断とそれ以外のものに大きな差があることが指摘されていました。使っている将棋AIが異なるのか,コンピュータの性能が異なっているのか。いずれにしても,1分という考慮時間ではコンピュータでも読み切れないということなのでしょう。
 おそらく,実際の対局で豊島将之九段が△5四玉という正解手を指したとしても,その後,人間が最善手をずっと指し続けることは不可能です。この難解な将棋では,最善手は1手だけでそれ以外を指せばすべて逆転,といった局面が続いていたので,結局は,どこかで悪手を放った方が負け,という結果になったことでしょう。
 どうしたらこんな複雑で難解な局面が作れたのか。

 将棋は,序盤の定跡はほぼ決まっていて,いささかマンネリ気味で,新戦法といったところで,大局的に見れば流行り廃りがあるだけのようなものです。最新形といっても,江戸時代にすでに同じような形があったりします。
 しかし,中盤から終盤にかけてのねじり合いになると,どの将棋もそれぞれが個性をもち複雑化していくのが不思議です。これこそが将棋の魅力です。そうなると,もはや,コンピュータが進化しようと関係なく,事前研究も意味がなく,指している人間の実力と指運のみの世界となっていきます。ただし,今は,将棋AIの進化のおかげで,見ている側に,その時点での最善手がわかるようになった,というのが最大の利点です。だから,素人が見ていてもおもしろさがよりわかるわけです。おそらく,将棋AIがなかった時代なら,この対局の△5四玉という手も指摘されず闇に葬られていたに違いありません。
 ともあれ,藤井聡太竜王名人は,八冠になるように神が授けているかのように,今期の王座戦は,奇跡が続きます。極めつけは対村田顕弘六段戦でしたが,今回の対豊島将之戦もまた,それに匹敵するものでした。再び奇跡が起きるのか? 今後の展開が今から楽しみです。

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 藤井聡太新名人が誕生しました。これで,8つあるタイトル戦のうち,王座を除く7つを制覇し,さらに,昨年度は,4つのトーナメント戦も優勝したので,将棋界の獲得賞金のほとんどを総なめしたことになります。また,昨日は,とほうもない大逆転勝利を演じて,8冠に一歩近づきました。こうなると,将棋界ひとり勝ちの状態なので,他の多くの棋士の収入と大きく差ができてしまいます。-しかし,この将棋でも,藤井聡太竜王名人の指した84手目△8八龍以下25手詰みを「将棋AI」が83手を指した段階で読み切れていなかったというのはどういうことだろう? 「将棋AI」は龍を切って詰ます手順が読めないのかも…。- 
 収入が多ければ累進課税でより多額の税金がかかるから,ひとりが独占して高収入をあげると,多くの棋士がタイトルを分け合っている状態に比べて,国としてはより多い税金収入があるということだから,好都合なのでしょう。だから,羽生善治九段とか囲碁の井山裕太三冠に国民栄誉賞をあげたのかな? 高額納税の返礼品みたいなものか?
 それでも,将棋界はまだ少ない方で,メジャーリーグの大谷翔平選手など,その何倍,いや,何十倍,はたまた何百倍もの収入があるそうだから,税金もバカ高いものでしょう。
 ということで,高額所得者というのは,私のような「インチキ富裕層」とは違って,多額の税金をとられたところで,それでも,入ってくるお金は途方もないものですが,いくらお金が手に入ったとしても,ある金額を越えてしまうと,何か,よほどの大豪邸を立てるとか,でもしないと,もはや,使いみちもないことでしょう。そんな心配をしてしまいます。

 こうした,途方もない高収入を得られる人にとっては,老後の心配は無縁なことでしょうが,ほとんどの人はそうはいきません。若いころからずっと収入の少ない人にとっては,日々,暮らすことだけでも大変なので,貯金をすることすらできないかもしれませんし,若いころに,少しだけ高収入があるような職業に就いた人も,また,若いころは欲しいものも多いから,たとえ思った以上の収入があっても,なかなか貯金もできないわけです。このように,きちんと将来設計を考えておかないと,お金が残らないから,ともに,老後がたいへんです。アメリカでは,プロフットボールの選手の多くが,現役時代に途方もない収入を得ているのですが,彼らの多くは,選手を引退後,自己破産に陥ってしまうそうです。
  ・・
 前回,人生は55歳から75歳がゴールドエイジだと書きました。
 ゴールドエイジを楽しむためには,第1に健康,そして第2にある程度のお金です。元気で金に困っていないのなら,まさに文字通りのゴールドエイジとなるわけですが,55歳の時点で貯金のない人や,月に50,000円程度の国民年金しか収入のない人の老後は,そうはいきません。
 ということで,若い人が無駄遣いをしているのを見ると,ゴールドエイジになったときのことを考えて,無駄遣いをしないで,日々,身の丈に応じたお金の使い方を考えたほうがいいのになあ,と,老婆心ながら,いつも思ってしまいます。

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 人生のゴールドエイジは55歳から75歳。これほどすばらしい時期はないのです。この時期を楽しく過ごすために,それまでの55年間を生きてきたといっても過言ではありません。
 とはいえ,定年が65歳になってしまった今では,ゴールドエイジの半分を無駄に過ごしてしまわなければならない人が多いのが気の毒なことです。できれば,私のように,1年でも早く早期退職するといいと思うのですが,なかなかそうもいかないのでしょう。55歳で管理職,なんて最悪の選択です。輝ける50代後半のもっとも楽しめる時代を完全に無にするからです。それで多少お金が手に入ったとしても,無駄にした時間は戻りません。また,仕事を辞めた後で,そんな肩書は誰もリスペクトしません。仕事は人生の一部ではありますが,仕事が人生ではないのです。

 少子高齢化の時代,世の中はゴールドエイジを迎えた人だらけです。このごろは,社会が3年前に戻りつつあるので,私のように,それまでと変わらず旅をしていた少数の人は別として,これまで外出を控えていた「人生すべてパック旅行」の人たちも,今になって積極的に外出をしはじめました。
 一概にゴールドエイジといっても,これまでの人生経験がそれぞれ異なるから,人生感も価値観も異なり,また,能力も違い,幼稚園児とは違って仲間意識が芽生えることも容易なことではありません。さらに決定的なのは,この先は高額の収入も見込めないし,プライドだけが取り柄の人にとっては唯一の支えであった仕事上の肩書もなくなってしまうと,もはや,この齢になったとき,すでに何か行動を起こす前に勝負あった,という感じです。

 こうした人たちは,①お金もなくしたいこともない ②お金があってしたいこともたくさんある ③お金はあってもしたいことがない,あるいは,したいことがあってもそのやり方がわからない ④お金はないけれどしたいことがたくさんある,という4つのタイプに分けられます。
  ・・
 この中で,お金もなくしたいこともないという人たちは,朝から晩まで,その日一日ををいかにして潰すかが日々の大問題です。近くのモールの休憩所で1日ボーッとテレビを見て,夕方の特売がはじまると群れて夕食のお弁当を買ったりしている人も少なくありません。それはそれで人それぞれだからいいと思うのですが,退屈ほど辛いものもないわけだから,それを克服することは結構たいへんです。人は夢がないと精神的に病んでしまうから,これだけは避けなければなりません。鬱になる老人が多いというのは,こんな状態を指すのでしょう。
 次に,お金があってしたいことがたくさんあるという人たちは,人生を謳歌しているわけだから,お好きなようにしてもらえばいいでしょう。お金の使い方もよく知っているし,したいことをどのようにするかも知っているから,楽しい毎日を送っているのです。心配なのは健康だけですが,精神的に充実していれば病気にもならないものです。まさにゴールドエイジです。
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 お金はあってもしたいことがない,あるいは,したいことがあってもそのやり方がわからない,という人たちが,もっとも経済社会に貢献している人たちだと私は思います。こういう人たちが,お金を使ってもらうお客さんとしてもっと貴重な存在なのです。だから,いかにして,こうした人たちからお金を使ってもらうか,いや,巻き上げるか,ということが商売のコツとなります。
 こうした人たちの多くは,現職当時,仕事人間だった人たちです。いざ退職をして旅行をしようと思っても,現職のころに遊んでいないからその方法がわからないので,ともかく,まずは旅行会社の窓口を頼ってくるということになるのです。だから,〇〇パックなるもので,団体ツアー旅行をしているひとたちに多いのです。
 このタイプの人たちに多いのは,現職当時に地位が高かった人です。そのプライドを捨てきれないので,いつまでも先輩風を吹かすから,結構周りの人は迷惑しますが,こういう人がお客さんならば,むしろそれを利用して,そうしたプライドをくすぐってあげさえすれば,お金を出すことに躊躇はしないのです。
 この少子高齢化社会で,最も消費のターゲットにするといいのは,こうした人たちなのでしょう。
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 お金はないけれどしたいことがたくさんある,という人たちが,ゴールドエイジを迎えたとき,もっとも悲劇の存在となるでしょう。こうした人たちが幸せな生活を送るには,お金を使わなくても楽しめるものをもっていることが必要なのでしょうが,やりたいことがたくさんあるというのは,もともと好奇心が高いからであって,しかも,お金がないというのは,若いころにお金を使ってしまったとか,収入がたくさんあったころにお金がかかる楽しみをしていた,というその結果であることが多いからです。
 そうならないための対策が立てやすいのは,このタイプでしょう。つまり,きちんと人生設計を立てて,若いうちから,上手な,自分の身のたけにあったお金の使い方を覚えることです。
 若いころは,自分が齢をとったときのことなど,さほど考えないものですが,実は,若いころにやっているそのすべてのことは,ゴールドエイジを迎えたときどうなっているか,ということに通じているのです。そのときを迎えてからでは遅いのです。


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 小説を読むなど時間の浪費,とこのごろ持ち時間の少なくなった私は思うようになってきて,しばらく1冊の小説も読まなくなっていたのですが,何となく手にとった「六人の嘘つきな大学生」の数ページを読むでもなく見はじめたとき,思わず夢中になって,一挙に読み終えてしまいました。
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 成長著しいIT企業「スピラリンクス」がはじめて行う新卒採用。最終選考に残った6人の就活生に与えられた課題は,1か月後までにチームを作り上げ,ディスカッションをするというものだった。
 全員で内定を得るため,波多野祥吾は5人の学生と交流を深めていくが,本番直前に課題の変更が通達される。それは「6人の中からひとりの内定者を決める」こと。
 仲間だったはずの6人は、ひとつの席を奪い合うライバルになった。
 内定を賭けた議論が進む中,6通の封筒が発見される。個人名が書かれた封筒を空けると「●●は人殺し」だという告発文が入っていた。彼ら6人の嘘と罪とは。そして「犯人」の目的とは。
  ・・・・・・
というのが,読み終えたあとで知ったこの小説の紹介文ですが,そんな知識すらなく私は夢中になったのです。
 2021年に刊行されたというから,もう2年近く前ですが,この本に出合えてよかったです。漫画化され,実写映画化も予定されているということです。
 作者は浅倉秋成さんで,この名前ははじめて知りました。2012年に第13回「講談社BOX新人賞Powers」でPowersを受賞した長編小説「ノワール・レヴナント」で作家デビューしたと書かれてあり,その後も話題作を続々と発表しているとありましたが,学歴などはわかりません。また,そんなものはどうでもいいです。

 この本を読みながら,私は「エピメニデスのパラドックス」(Epimenides paradox)を思い出していました。
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 「エピメニデスのパラドックス」とは,古代ギリシャ7賢人のひとりであるエピメニデスにまつわる論理的逆説のことで,「クレタ人はみな嘘つきだ」という命題の真偽を問う際,クレタ人であるエピメニデスが真実を述べているとするとクレタ人はみな嘘つきになり,嘘を述べていたとするとクレタ人はみな正直になり,発話の主体であるエピメニデスが正直ものか嘘つきかであることと矛盾する、というものです。
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 この小説は「エピメニデスのパラドックス」ではありませんが,とてもよくできています。全体が複雑に絡み合った糸のようで,そのほんのわずかなほつれからすべてが解決していきます。
 最後の一歩手前までドキドキハラハラ,そして,おもしろいエンディングを予感させられる小説は数多くあるのですが,最後にがっかり,なんていうことも少なくありません。
 しかし,この小説はそうではなく,しかも,読後感が悪くないのです。 内容にまったく無駄がなく,密度が濃いのもよいところです。

 この小説は,大学生の就職活動をもとにしているので,私のような「不良老人」には,それとともに,若い人は大変だ,という,「かわいそう感」ももってしまいます。
 私が若いころは,就職なんて,大学からもらった推薦書だけで受かっちゃうような時代で,今のように,エントリーシートだとか集団面接なんてなかったわけですから,今とはまったくちがいます。
 しかし,学校の入学試験もそうだけれど,どんなに手の込んだ選抜をしても,その反対に適当にくじで決めても,そう違いはない,というのが私の持論です。適当に選んでも,向いていない人は自分から辞めてしまうか落伍してしまうから,最終的には同じなのです。向いてもいないことを無理にやってもロクなこともありませんし。
 この国は,万事「責任逃れのやったふり」だから,大学も厳しい入学試験を過ぎれば,大した勉強をしなくても卒業できるし,会社もまた,今のような選考をしたところで,その多くは入社3年ほどで転職してしまう,というのが現実だと聞いています。
 そうしたことも含めて,この小説はミステリーではあっても,事件の解決という面でだけではなく,今どきの若者の実態も考え方もよくわかりますし,若者を応援したくなる小説でもあります。

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 ついに,藤井聡太竜王が名人戦に登場します。デビュー以来,ずっと名人候補といわれ,マスコミに騒がれ,いつか潰れたときは気の毒だと思っていたのですが,私が思っていたより,ずっと精神的にも強い若者でした。
 私が若かったころは,何事にも「絶対王者」がいました。たとえば,プロ野球だと読売巨人,大相撲だと横綱大鵬,将棋だと大山康晴十五世名人,という具合です。物心ついたときからそうだったのだから,こうした「絶対王者」はずっと「絶対王者」のままで,変わることはないと思っていました。
 私はそのすべてに対してアンチでしたから,いつも辛い思いをしていたのと同時に,世の中はままならならないものだというあきらめをもちつづけて大人になったようなものです。こういう成長過程がいいのか悪いのか,いずれにしても,すっかりひねくれた大人になりました。
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 読売巨人の連続優勝が途絶えたのは,1974年(昭和49年)のことでした。こんなことが起こるのかと思いました。横綱大鵬が引退したのは,1971年(昭和46年),そして,大山康晴十五世名人が名人戦で敗れたのは1972年(昭和47年)と,奇しくも,それらはおよそ同じころのことで,私が最も多感なころでしたから,そのすべては強烈に印象に残っていて,今も詳しく語ることができます。文献だけで知っていて,それを文章にするライターとは年季が違います。
 強いものに対して,常にアンチである私なのに,その後の「絶対王者」で応援した王者がただひとりいました。それは,横綱千代の富士でした。齢が私とほとんど同じであったことと,強いながらも小柄で弱点をひめていたこと,そして何よりまだ関取になる前から知っていたからです。弱いころからの出世物語を知ると,応援したくなります。そこに,藤井聡太竜王が加わりました。
 現在の藤井聡太竜王のことは,ほかにいくらでも書いている人がいるでしょうから,今日は,昔の将棋名人戦の思い出を書きます。

 当時はテレビ中継もなく,インターネットもなかったから,知りうる情報は新聞紙上からだけでしたが,それでも,私がはじめて将棋名人戦を時系列で観戦したのは,第30期でした。それは,今も語り草となっている,升田式石田流をひっさげて,升田幸三当時九段が大山康晴当時名人を苦しめた,大山康晴名人の最後の名人防衛でした。
 名人戦は昔も今も4月のはじめから開始します。このころは桜が満開,しかし,雨の多い時期です。第30期将棋名人戦第1局の行われた日もまた,雨でした。このころの将棋名人戦は,東京の料理旅館・福田家ではじまるのが常で,まだ何も知らなかったころの私は,何か,ものすごく特別な儀式を見ているような気がしました。
 それ以来,私は,将棋名人戦は桜と雨,というイメージができました。
  ・・
 次に印象に残るのは,その次の第31期でした。
 大山康晴名人の後継者だとだれもが認めていた中原誠当時八段が,A級2期目に挑戦を果たしました。新進気鋭,強かった中原誠八段も,A級昇級の年は4勝4敗に終わったのですが,2期目は8戦全勝でした。
 第31期将棋名人戦は白熱した戦いで,第7局までもつれ込み,ついに,大山康晴名人の牙城が崩れました。しかし,そのことよりも,中原誠八段がそれまでのA級順位戦2期で戦った対升田幸三戦こそ,最高に記憶に残った対局でした。中原誠八段1期目は,升田幸三九段の妙手とうたわれた▲7七飛車が決定打となって完敗。2期目の対局は,升田幸三九段が勝ちを手に入れたと思ったときに▲9八香と指せばよかったものを手拍子で▲7二と指してしまったのが失着で中原誠八段が勝利しました。この2局の観戦記は東公平(=紅)さんだったのですが,それがおもしろかったこと。
  ・・・・・・
 (中原は)23分の長考をして△8三金と,敵飛圧迫の方針を見せた。ここで,升田の「新手」が出たのである。▲7七飛だ。「升田流や。ひとには教えられん」--ニヤリと笑う。この一手で,中原の飛頭の金は空を打たされ,苦戦に追い込まれたのだ。
  ・・
 中原が少考ののち△8九飛とおろすと,(升田は)チョンと香のうえをたたいて「上とこか」といった。▲9八香のことだ。しかしすぐに,ああ,行ったれ行ったれ,と吐き出すようにいって▲7二とと金を取った。バシッとコマ台にのせた。この一手が勝敗を分けた。
  ・・・・・・
 今は,あまりに対局が多すぎて,その多くは,それらがいかにすばらしいものであっても,次々と生まれる棋譜にとって代わられてしまい,深く印象に残らないのがとても残念です。

 それからちょうど50年。半世紀が経ちました。
 果たして,第81期将棋名人戦ではいかなるドラマが生まれるのでしょうか。

history_image第30期将棋名人戦第31期将棋名人戦


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 ハウツー本というものがあります。ハウツーは英語で「how to」。つまり,やり方のことです。ウィキペディアには
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 (ハウツーとは)何らかの作業をする方法や手順に関する非形式的な記述のこと。何らかのテーマに関するハウツーを集めた書籍をハウツー本とよぶ。
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とあります。
 この国に住む人の多くは「人生すべてパック旅行」なので,生き方さえもハウツー本に頼ります。そこで,書店の店頭には「80歳の壁」「70歳からの選択」「70歳が老化の分かれ道」… といった題名の本があるわあるわ。少子高齢化の進む日本では街中は年寄りだらけだし,今どき,書店で立ち読みしている人もまた高齢者ばかりだから,出版社としては,こういう本を出しておけば売れるのでしょう。というか,こういう本しか売れないのでしょう。
 しかし,齢を重ねても,生き方をそのような本に頼っている人は,これまでどんな生き方をしてきたのかな? と私は思ってしまいます。「人まね」人生なんて,何も楽しくありません。まあしかし,人生は1回きりなので,齢をとることも,また,はじめての経験だから,ドリル学習で育った人には仕方がないのかもしれません。
 かくいう私は,両親がふたりとも90歳前後まで生きたので,およそ,この先どうなるかがわかります。創造主もよく考えたもので,大病を患わなければ,人生の賞味期間は80年なのです。それを過ぎると泥仕合になります。そこで,このごろ強く感じるのは,残り時間も,持っているお金も限りがあるということに尽きるのです。
 若いころはそのようなことはそれほど思わなかったのに,これには参りました。だから,今の私は,まずは,時間が惜しいのです。自分でも手に負えないほどやりたいことだらけの私は,やりたいことをする時間をどう分担してやりとげるか,なのです。そしてまた,限りあるお金もまた,どう,自分の楽しみに分配するかがとても大切なことなのです。
 そのような状況で,何らかのことを達成するたびに自己満足に浸っているわけですが,私が達成感に浸れるのは,これまでにも書いたように,星と音楽と旅,これに尽きるので,それらを,いかに楽しくするか,なのです。この詳しいことは,また,次の機会に書くことにして,今日の話題はお金です。

 お金は,必要なことにはたっぷりかけますが,必要がないことには1円も使いたくありません。そこで,何が必要なことで何が必要でないことなのかは,その人の価値観にかかっているわけです。その場合,自分にとって必要なことがわからないと知らず知らず浪費をすることになります。
 その反対に,いくらお金を手に入れることができたとしても,精神的に満足できないことに時間を使いたくありません。たとえば,投資などに時間を費やすのは本当にもったいないと,私は思います。どれだけそれで利益があったとしても,それに費やした時間,そしてまた,むなしさが大きすぎます。精神的に得るものがないことに時間を使うのは,たとえお金を手に入れたとしてももったいないことですが,これもまた,若いときにそうした経験があるからこそわかることです。
 世の中は,お金を使わせようという誘惑が多すぎます。何の興味もなかったのに,うまくコマーシャルにのせられて欲しくなってしまったりするわけです。そうしたことにまんまと乗ってしまう若い人は多いのですが,一度乗せられてそれに懲りておくのも,免疫ができていいのかもしれません。

 人には免疫というものがあります。免疫は抵抗力を生みます。だから,抵抗力というものの存在を軽視してはいけません。抵抗力のある人は,少しくらい菌のあるものを食べても打ち勝てるのです。現在,何が怖いのか,やたらと怯えて,小さな子供に,過剰に消毒をさせたりマスクをさせる親がいますが,そうすることで,子供の抵抗力が育っていないことを,私は危惧しています。温室栽培では強い植物は生まれません。転んでけがをする必要があるのです。社会に出ても,世の中は善人ばかりではないので,ちょっとした悪いヤツとの接し方を子供のころから学ぶ必要があるのです。
 同じように,誰しもが罹るちょっとした病気は,子供のころにかかっておく必要があるのです。
  ・・
 ところで,四六時中マスクをしていることでつねに口呼吸になって,そのためにどんな弊害が起きるのかは医学的に何もわかっていません。医者は薬に関してはプロですが,マスクに関しては何も知りません。つまり,マスクの効用を語るのは素人の意見です。
 こんなことをしていると,おそらく,何十年も経ったとき,予期せぬ副作用が起きることでしょう。この国では,そのころに大きな社会問題となっているかもしれません。しかし,そうなったとしても,誰も責任を取ってはくれません。それが世の中というところです。
 と,ここまでは余談です。
 さらに余談を書きます。
 現在,ニューヨークでは,マスクをして公に出てもいいことを利用して,万引きが多発しています。防犯カメラで顔が特定できないからです。ニューヨーク市長は,店に入るときはマスクを「しないように」と呼びかけています。マスク信者の日本人観光客のみなさん,お気をつけあれ。

 話を戻しまして…。
 消費者は,お金を使うことに抵抗力を身につけなければならないその一方,商売をする側としては,どうでもいいようなものであっても消費者が買いたくなるように仕向けることができれば利益があがるわけなので,そういう気にさせるような商売が上手だともいえるわけです。だから,消費者側としては,そういう商売の方法,つまり,相手の手口を学ぶことこそが,浪費を避ける最善の方法となります。これこそが,浪費をしないための抵抗力であり,真の富裕層となる道なのです。


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 第72期王将戦の第5局が,2023年2月25日,26日に島根県大田市で行われ,101手で藤井聡太王将が勝利しました。
 今日のお話は,この対局の結果のことではなく,この対局で私が思った将棋AIにおける評価値のことです。このごろは評価値でなく勝率というそうですが,私には勝率ということばは何か違うという感じがするので評価値と書きます。
 この対局や解説は,囲碁将棋チャンネルのLIVE中継をはじめ,インターネットの毎日新聞の棋譜速報,YouTubeチャンネル「元奨励会員アユムの将棋実況」などで知ることができたので,参考にして楽しんでいたのですが,あまりにむずかしくて,対局が行われていた時点ではなかなか理解ができませんでした。評価値による優劣判定も二転三転して,しかもその振れ幅が大きく,まさに死闘でした。

 戦法は横歩取りでした。横歩取りは,双方の王将が盤面全体の戦場の中で右往左往し,いつ流れ弾に当たってもおかしくないというものなので,短手数で終わることが多く,2日制のタイトル戦に選ぶ戦法として好ましくないと思われていました。一般に,他の戦法に比べて盤面が狭く感じられ,手の選択肢が少なくなるのです。ところが,この将棋では,盤面上のすべての駒が有機的に入り組んでいて,手の選択肢が非常に多く,どの手を選んでもそのあとの変化が多岐にわたり,難解きわまるものとなったのです。
 将棋AIがなかった時代なら,この将棋を正確に解説するのは不可能であったように思えます。おそらく,そうして,おもしろさの半分も伝わらず闇の中に消えて行ったことでしょう。それが,将棋AIのおかげで,現在の局面の評価値や次の手の候補が表示されるから,あまり将棋がわからない人でも楽しめるわけです。
 対局が行われていたときは,私も,優劣を評価値に頼って見ていました。そして,それが二転三転したので,双方が最善手の応手をしているのではなく,疑問手を出し合っているように感じました。だから,将棋AIの示す最善手どおりに指し手を進めるいつもの藤井聡太王将とは違うなあ,調子が悪いのかな,とも思ったし,「疑問手が多いから熱戦になっているので,名局賞にはふさわしくない」とYouTubeチャンネル「元奨励会員アユムの将棋実況」で言っていたような感想を,私ももちました。
 しかし,囲碁将棋チャンネルで放送されたものを,局後に,解説を聞きながら見直してみると,まったく別の印象をもつようになりました。それは,将棋AIの評価値は,そうした人間の勝負を判定するには,まだまだ未熟だということです。

 藤井聡太王将の対局の解説をするのは大変です。
 高見泰地七段とか広瀬章人八段,佐藤天彦九段のような,日々最新形を研究している強い若手かもしくは超一流の棋士で,かつ,話が上手でないと,深い読みに裏づけされた指し手の真意がわからず,聞いていても得るものがありません。だから,囲碁将棋チャンネルの1日目のにぎやかしいだけで手が見えない解説は論外でした。2日目の放送は屋敷伸之九段の解説でしたが,それが思った以上によく,やっとこの将棋の本質がわかりました。
 この対局は,「疑問手が多い熱戦」ではなく,実際の指し手は人間が極限まで考えた末の最善の応酬だったのです。
  ・・
 よく,形勢判断といいますが,それは,形勢判断をする局面で,①駒割り②駒の働き③玉の固さ④手番を評価するものといわれます。しかし,将棋AIの表示する評価値は,その局面での形勢判断ではなく,その局面で,次に最善手を指したときのものなのです。
 その最善手というのが,また,くせものです。それは,この先もお互いが最善手を指し続けたとき,ということが前提だからです。しかし,ここに疑問がおきます。それはまず,どこまで指し続けた状態で将棋AIは評価を判断をしているのだろうか,ということです。即詰みがない段階では,無限に読むこともできないから,どこかで読みを打ち切って,そこで形勢を判断する必要があるのですが,将棋AIがどこで読みを打ち切っているのかがよくわからないのです。
 次の疑問は,将棋AIの示す最善手には,人間が簡単に指すことができるものとそうでない難解なものが存在するということです。難解なものは当然間違えることが多く,それが次の手でなくとも,その先,その先のどこかで間違えれば,すべてが崩れてしまい,最善手でなくなったりむしろ悪手となることもあるのです。この対局は,まさに後者のほうでした。まず,次の最善手が読めない。しかも,それに続く応手もまたすべて難解で,そうした最善手を指し続けたときの評価値にすぎなかったのです。
 であるならば,むしろ,人間は,どこかで間違える可能性が高いから,評価値はまったくあてにならない,ということになります。そこで,これらのことも考慮するようにAIには機械学習をしてもらって,そうしたディープラーニングの結果,将棋AIの考える最善手を人間が指すことができる確率までを考慮した形勢判断にしなければ,正しい評価値とはいえないのではないかと,私は思ったわけです。だから,将棋AIの評価値だけではなく強い棋士の解説が必要なのです。

 将棋AIによって形勢判断が数値化されたことで,将棋の楽しみが増えたことは否定できませんが,現在の評価値は,そうした意味で,まだまだ未熟です。だから,人間がその手を指せるかどうかといったことまでを考慮に入れた解説ができる棋士が優れた解説者といえるのでしょう。また,「観る将」は,評価値を参考にこそすれ,その値だけに一喜一憂せずに楽しむべきなのでしょう。そこに,コンピュータではなく人間の勝負を観戦する楽しみがあるのです。
 それにしても,これほど難解な将棋を見たのははじめてのことでした。また,結果は別として,羽生善治九段はとても楽しそうでした。おそらく,藤井聡太王将に若き日の自分を見ているのでしょう。そしてまた,夢を託せる若者を頼もしく思うのでしょう。
 まさに,解説者泣かせであり,将棋の奥深さを再認識した対局でした。

無題


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 以前,NHKBSPで放送された「まいにち養老先生、ときどき2022冬」について書いたのですが,去る2023年1月28日に「まいにち養老先生、ときどき2023冬」が放送されたので,見ました。
  ・・・・・・
 人生に必要なのは日々を生き抜くための「金言」と,ほんのちょっぴりの「毒」。
 だれもが生きづらさを感じる今,そのヒントを授けるのは解剖学者の養老孟司。自然豊かな鎌倉の私邸で暮らしている。2020年度から続くシリーズ番組の新作をお届けする。
 夏の宵,ぼんぼりに照らされながら蘇るのは敗戦の記憶。6月4日,虫の命を思う法要では小学生の頃から始まった虫捕り人生に思いを馳せる。秋には虫を求めて東南アジア・ラオスへ! 20年以上も通い続けたラオスで,「虫捕り」と自らの「人生」との関係を紐解く。
 仏教国ラオスの寺を歩き,日常から離れた異国の地で問い直す,生と死。
 老学者の穏やかで鮮やかな暮らしから,日々を癒す言葉のサプリメントを拾い上げることができる,…かもしれない。
  ・・・・・・
というのが番組の紹介です。

 本当に「賢い」年配の男の人には,鎌倉の地がとてもよく似合います。私も少しはあやかろうと,気が向くと東京に行った折り,鎌倉あたりを散歩するのですが,ここでいう鎌倉は,JR鎌倉駅から鶴岡八幡宮に続く観光地のことではありません。あんな雑踏は原宿であって,鎌倉ではありません。鎌倉の地はそうした観光客だらけの場所から少し外れると,静寂につつまれた,とてもよいところになります。
 今から45年も前のことになるでしょうか。私が大学生のころ,生まれてはじめて鎌倉に行こうと,東京駅から横須賀線に乗りました。暑い夏の日だったように記憶しています。そのころは,新宿湘南ラインなどなかったから,鎌倉へ行くには,東京駅から出発する列車に乗るのです。また,半分の車両は冷房が入っておらず,冷房の入った混雑した車両に乗るか,あるいは,冷房のない暑い,しかし,がらがらの車両に乗るか,選択できました。そんな時代,田舎者だった私は,鎌倉に行く横須賀線が普通列車なのにもかかわらず,グリーン車を連結していたのに驚きました。そういえば,私が子供のころは,グリーン車とはいわず,1等車といっていたのですが,調べてみると,グリーン車と名前を変えたのは,1969年のことだったようです。
 そのときの私が思ったのは,鎌倉には,作家や評論家,芸術家のような文化人といったお金持ちが住んでいるのだから,所用があって東京に出てくるときはグリーン車に乗るんだ,ということでした。そして,鎌倉に,また,鎌倉に住む文化人に,さらにあこがれました。

 などということを,この番組を見ると思い出すのですが,そうした昔の記憶をたどるだけでも,なぜか,ちょっとすてきな気持ちになって,若返れます。さらに,足元にも及ばないけれど,私ももう少し歳を重ねたら,養老孟司先生のようなお年寄りになりたいものだ,と改めて決意するのです。
 この世代の人たちは,第2次世界大戦の惨状を知っている最後の世代だから,平和ボケしたわれわれとは生に対する重みが違います。このごろ,世の中が再びきな臭くなってきたのは,そうした実体験のない人たちが国の中枢にいるようになったからでしょう。
 また,齢を重ねたとき,最も大切なのは,健康で,かつ,やりたいことを失わずに生きていくことです。養老孟司先生も,現職のころは社会との関わりにずいぶんと苦しんだようですが,結局,自分のやりたいことがあったから,退職をしたあとでも,ずっと輝いていられるのでしょう。
 私の齢になると,退職をしたらこれで卒業と思っている人も少なからずいて,そうした人の多くは,仕事を失くすとあとは何もない日々時間をもてあましています。また,現役時代,常にタバコを吹かせ,毎晩のように飲みに出かけていた偉そうな人から,鬼籍に入っています。そんな姿を見ていると,とても痛々しいと思うと共に,哀れにも感じます。
 いつまでもときめいていること,ときめいていられるものをもっていること。生きる情熱を失わないこと。そうでなければ,この暗い世の中で,世界が輝いて見えなくなってしまって,とてもつらいのです。
 来年もまた,世界が輝いて見られるこの番組が放送される日が,今から楽しみにしています。

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 引っ越しを機に断捨離をした私は,手元にはほとんど本が残っていないのですが,今も生き残っているのは,何度も読んだ小説や専門書の類ばかりです。その中に,ただ1冊だけ,まだ一度も読み切っていない本がありました。それは「青年は荒野をめざす」でした。
  ・・・・・・
 「青年は荒野をめざす」は五木寛之さんが1967年に書いた小説で「週刊平凡パンチ」に連載されました。
 小説は全部で8章にわれていて,20歳になったばかりの若者がヨーロッパに旅に出て,ジャズ音楽と女と酒を経験しながら,自分発見をするものです。
  ・・・・・・
 以前,ブログに
  ・・・・・・
 海外旅行に出かけられなくなった私がここ数年選択したのは,さまざまな「彷徨」でした。
 「彷徨」とは,あてもなく歩きまわること,さまようことをいいます。(「彷徨」の)使用例として「青春の彷徨」(がありますが),「青春の彷徨」に関してひとつ紹介すると,20歳のジュンの冒険を求めた「青春の彷徨」を描いたという,1967年に五木寛之さんの書いた小説「青年は荒野をめざす」があります。
 いいなあ,栄光の1960年代。
  ・・・・・・
と書いたとき,まともにこの本を深く読んでいないことに気づいて,捨てずに持ってきたのです。そして,今,やっと読了しました。

 「週刊平凡パンチ」も,この小説も,私より少し上の「団塊の世代」が若いころの必読書でした。今,私が当時の「週刊平凡パンチ」を読むとどう感じるのだろう,と思ったりもするのですが,このころに青春を過ごした私より少し上の人たちは,けっこう背伸びをして,こうした雑誌に影響されてそれぞれの人生を生きてきたわけです。
 私が若いころは,まだ,海外旅行は身近なものではありませんでした。そのころに,この小説に憧れて,北欧を旅して,自慢げにその経験を語った人と国内の旅先で出会ったことがありますが,その話を聞きながら,私は,何か夢物語のように感じました。当時の私には,北欧なんて一生行くことのないだろう別世界だと思われました。
 そうした「団塊の世代」の先輩たちは,学園紛争とか,けっこうむちゃくちゃやっていて,そうした姿を見て,しかも,大いに迷惑をこうむって育った次の私たちは「しらけ世代」といって,夢よりも現実の,冷めた若者たちでした。そんな若者のひとりだった私も,この小説のような旅ははじめっからする気もなかったのですが,人生はわからないものです。歳をとった今になって,逆に夢の中で生きるようになって,冒険心が沸き起こり,縁がないと思っていた北欧だったのに,フィンランドには2度も行ったし,さらには,何度も何度も行ったアメリカやオーストラリアでは,日本を捨ててやってきたという多くの日本人を知ったし,旅先でも結構おもしろいことをたくさん経験しました。
 小説はあくまで小説だから,旅先で小説のような経験はできない,と実際に旅をしたことのない人は思うのでしょうが,そんなことはないのです。旅先でその国の女性と恋に落ちる,ということはさすがにそれほどはないでしょうが,同じように旅に出て,旅先で知り合った日本人の女性といい関係になるといったことは,決して現実離れしてはいないし,さらに,私にはわからない世界だけれど,音楽をやる若者たちであるなら,仲間意識が芽生えて,小説までもいかなくとも,決して,ジュンのような体験をすることはあり得ないことでもないように思います。

 「青年は荒野をめざす」を読み終えてから,ネット上にある多くのレビューを読んでみました。
 レビューのほとんどは,おそらく,その「団塊の世代」の人たちが書いたものに思えましたが,私がおもしろいなあ,と感じたのは,本の中身の感想よりも,そのレビューを書いた人たちのそれぞれの人生が垣間見えたことでした。
 今も,そうした青春に憧れを抱いていて,この小説の主人公をまぶしく感じているような,しかし,自分は海外にすらいったことがない,または,旅に出てやりたい放題の青春をおくった,そして,今もそのときのことが忘れられない万年青年だったり,あるいは,そんな冒険をする勇気も知恵もないけれど,そんな若者を世間知らずとバカにしくさって,世渡りだけはうまくて,地位だけ偉くなって,そして,引退したのに,未だに偉そうに先輩風を吹かして若者を説教するような,そんなオヤジだったり,そのような人たちの姿が浮かぶのです。
 そのなかから,いくつかピックアップして,一部を引用してみます。
  ・・・・・・
〇とにかく若者は夢を見なくてはいけない。ジャズ小説であり,エンターテインメントであり,そして路地裏から見た「世界」であるこの小説が,その格好の道案内として今でも通用するだろう。
〇「荒野」って小説に出て来た少年がいつも読んでいたので、気になって読んでみた。そしたら高度経済成長の日本にぼんやりとした不満を持った中流育ちの青年が海外に飛び出して魅力的な金髪女性とセックスするって内容だったから、正直に言ってあの少年にはがっかりした。
〇ハタチ前後で読んだらきっともっとおもしろかっただろうな。真に受けて海外に飛び出したかもな。
〇それにしても五木寛之って適当だよな。ラストの手紙と本編矛盾してるし。すっごい気になったわ。 〇 常識的に考えた世界で行われる,善悪の行為を超えたところに音楽はあって,人を感動させる。 人の感動なんて善悪を超越したところにある。
〇自分はジュンがそれらの出会いを通じ一歩一歩成長していく姿にとても励まされた。
〇昔,バックパックひとつで世界一周の旅に出かけていたそんな雰囲気を思い出したいのだろうか。人間が若く見えるのは歳ではない。本がよぶのか自分がよび寄せるのか,そのときにベストな本と出会うことがたまにある。この本がまさにそれだった。
〇舞台は60年代なんだからこれでいいのだ。当時に生きていなかったから,いくら現在の尺度で判断しようとしても無駄だ。
〇展開が,時が経てばずいぶん青臭いと苦笑するかも知れない。だけど,青臭さを感じられることを大真面目に言葉にできたこの小説が生まれた時代がうらやましいことに変わりはない。
〇60年代や70年代ああたりにジャズ喫茶でコーヒーを片手にこの本に熱中して異国に夢を求めて旅する主人公に憧れていた若者がいたかも知れない。そんな過去の若者たちとの交錯に思いを馳せられるのもまたよかった。
〇海外へ行くことが特別なことだった時代,当時陸路でヨーロッパを目指した人たちの必携書がこの「青年は荒野をめざす」と小田実の「何でも見てやろう」だったとか。この小説は「スイングしなけりゃ意味が無」かったバガボンドたちを思いながら、パリで読むのも一興です。
  ・・・・・・
 人生,一度っきり,青春は戻ってこない,のですよ,おじさんたち。若いころ,どんな夢を見て,そして,どんな大人になりましたか? そして,今もまだ,夢をもっていますか?

無題無題


◇◇◇

☆☆☆
月と金星と木星の大接近。

2月23日の夕方。
月の位置が変わりました。DSC_1180DSC_1175


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 2020年春に突然はじまったコロナ禍で何がよかったかといえば,美術展の入場が予約制になって,空いているということでした。今後もこの予約制をずっと続けてほしいと切に願っているのですが,それ以前は,絵画を見るというよりも人の頭を見にいくようなものでした。
 それでも,人気のある画家の場合は,結構な人が集まるので,予約時間になれば予約者が集まってけっこう長蛇の列となったものですが,エゴン・シーレという画家は日本ではあまりなじみがなく,そこで,集客力もないようで,思った以上に空いていました。私にはこれもよかったことのひとつでした。美術展に限らず,クラシック音楽のコンサートもまた,人があまりに多いとストレスが溜まります。
 芸術を味わうというのは,こころと対話するのだから,人の存在は害にこそなれ,益とはならないのです。さらによかったのは,一部の作品でしたが,撮影ができたことです。海外の美術館ではほぼすべての作品が撮影可能なのに,日本でどうしてそれができないのか私には疑問でした。近ごろは,NHK交響楽団などのコンサートでも,カーテンコールの撮影が可能となってきたのがよい傾向です。
 どうも日本という国はけち臭いというか,芸術をお高くとめるというか,特別な存在としたがるというか,そういった意味でも精神が貧困で,まったくもって,後進国です。

 エゴン・シーレをウィーンで知った私には,今回の展覧会でウィーンの香りを感じることができたのが最大の楽しみでした。展覧会を見たあとは,この余韻にひたるために,東京都美術館のカフェでザッハトルテ(もどき)を味わうことにしました。
  ・・・・・・
 ザッハトルテ(Sachertorte)は,オーストリアの国立歌劇場のとなりにある5つ星ホテル「ホテル・ザッハー」(Hotel Sacher)や,カフェ「デメル」(Demel)で提供されている古典的なチョコレートケーキのことです。
  小麦粉,バター,砂糖,卵,チョコレートなどで作った生地を焼いてチョコレート味のバターケーキを作り,アンズのジャムを塗ったあとに表面全体を溶かしチョコレート入りのフォンダンでコーティングをします。
 1832年,外交官のクレメンス・メッテルニヒ(Klemens Wenzel Lothar Nepomuk von Metternich-Winneburg zu Beilstein)に仕えた料理人のひとりだったフランツ・ザッハー(Franz Sacher)が考案しました。
  ・・・・・・
 という次第で,ザッハトルテ(もどき)を食することができて,とても幸せでした。

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 人には目と耳があって「現実」の世界をすべて見ることができ,また,聞くことができるように錯覚していますが,実際は,人の目が見ることができる光の波長は限られているし,聞くことのできる音の波長もまた同様です。というように,人は,「現実」の世界の,ある一部しか認識できてはいないわけです。
 そうした限られたある一部の「現実」の世界を見て聞いて,そこから人は感情を誘発して,生きているわけです。そうした形のない感情を,音として表現すると音楽となり,像として表現すると美術となります。だから,芸術というのは,人の感情を具体化したものといえるわけです。しかし,先に書いたように,人間の「現実」もまた,美しいだけではなく,そこには,見えない「現実」もあって,それは,美しさもあれば醜さもあり,また,エログロも存在するというように,決してきれいごとではないのです。しかし,美しさはだれしもが共感するのですが,醜さやエログロは,それを自分の感情に同化できる人もいれば,できない人もいるわけです。また,できないだけでなく,それを否定したり中傷したりすることもありますが,そういうことをするのは,穢れを知らぬ未熟な人ゆえかもしれません。
 旧来の西洋の絵画の多くはキリスト教を母体とした純化した精神を表現したものであって,それを芸術と称していたのに対して,人の本性を表現するべきだという主張が「世紀末ウィーン」の芸術です。それを音楽として表現したのがグスタフ・マーラーであり,絵画として表現したのがグスタフ・クリムトであり,エゴン・シーレでした。
 今,エゴン・シーレが天才として語られるのは,そうした人の本性をむき出しにした精神を絵画に生々しく表現することに成功したからでしょう。それらは,決して美しくもないし清楚なものでもないから,さまざまな批判にもさらされるのですが,先に書いたように,それらのすべてが人の本性というものです。

 今回,作品がやってきたのは,ウィーンにあるレオポルド美術館の所蔵するものです。
 レオポルド美術館は19世紀後半から20世紀のオーストリア美術約8,000点の作品を所蔵し,特に220点以上のエゴン・シーレ作品を所蔵することから「エゴン・シーレの殿堂」として世界にその名を知られています。
  ・・・・・・
 エゴン・シーレはオーストリアの画家で,1890年にウィーンにほど近いトゥルンに生まれました。 
 15歳のときに父が精神病を患い死去し,その喪失感を埋めるように,また,自己肯定のために多くの絵を描きました。1906年,弱冠16歳でウィーンの美術アカデミーに入学,その翌年にグスタフ・クリムトと出会って強く影響を受けました。
 やがて,美術アカデミーの旧制度に反発して自主退学し,「新芸術家集団」を結成しましたが,その後は集団を離れ,独自の裸体画を模索し,大胆なボーズを取る裸体を視覚を惑わす歪な線で描き,無防備でありながら緊張感をはらむ表現主義的な画風を確立しました。
 1915年,エディット・ハルムスと結婚しますが,1918年にスペイン風邪で亡くなり,その2年後に自らもスペイン風邪で28歳で早逝しました。
  ・・・・・・

 エゴン・シーレの特徴は,まず,強烈な裸婦画にあります。妹のゲルトルーデとは兄弟以上の関係だったという話ですが,おそらく,若くして最大の理解者であった父を亡くすなど,精神的に屈折し,早熟だったからでしょう。
 そしてまた,エゴン・シーレの生きた時代は「世紀末ウイーン」で,それまでの 「盲目的」な伝統崇拝が終焉をむかえ,偶像破壊的な前衛芸術が巻き起こっていました。「盲目的」な伝統崇拝というのは,当時建設された国会議事堂をはじめとしたウィーンの代表的な建物が新しい時代のものにもかかわらずブルジョア階級の趣味嗜好を反映したギリシャ時代を模倣したものだったからで,それに対する反発が生まれたのです。その代表が分離派会館といった建物ですが,その主張は,分離派会館に掲げられた「時代にふさわしい芸術を 芸術には自由を」(Der Zeit ihr Kunst der Kunst ihr Freiheit.)であったのです。
 今回,実際にエゴン・シーレの作品を見て,初期のものや風景画に私は衝撃を受けました。その理由は,それらの絵画があまりにすばらしいことからでした。そうした美を追求した結果,それでは物足りなくなってしまった,ということだったわけです。そのことは,グスタフ・クリムトも同様だし,キュビズムだけが話題となるパブロ・ピカソもまた同じで,初期の作品は,ものすごく繊細で,かつ,美しいのです。つまり,そういった,いわば,きれいごとの絵画を超越したところに,彼らの評価があるわけです。

 書記の作品は,金を多用したグスタフ・クリムトをまねて銀を多用したので,エゴン・シーレは自らを「銀のクリムト」と称し,人の本性をさらけだす表現,内側をえぐられるような表現を絵画を通して主張しました。代表作のひとつである,今回来日した「ほおずきの実のある自画像」(Selbstporträt mit Kirschen)で,頭部を傾け,鑑賞者に視線を向けているクローズアップで描かれた画家は,挑発的であり,かつ,何かに怯えているようにも見えます。そこには,鬼気迫るような雰囲気があります。エゴン・シーレ独特の異様な歪んだ表現は,決して万人には理解されないものですが,それを理解できる人には強烈な印象を与えるのです。
 このような,人間の中身から思わずにじみ出てしまった表現は,人間の本性を赤裸々に語るのです。
 生涯にわたり自画像を描き続けたシーレは,「世紀末ウィーン」という多様な価値観が交錯し対立する世界に生きながら,自画像を通して自己のアイデンティティを模索し続けたのです。それを完成させることなく早世してしまったことが惜しまれます。

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 私にとって,「世紀末ウィーン」(Wiener Moderne)の芸術を知ったきっかけは,作曲家グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)でしたが,それに関連して興味をもったのが,グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)でした。今日の1番目の写真が,ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館(Österreichische Galerie Belvedere)で私が見たグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の「接吻」(Der Kuss)です。
 そして, グスタフ・クリムトにつられるようにして名前を知ったのが,エゴン・シーレ(Egon Schiele)。2番目の写真は,オーストリア美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)で私が見たエゴン・シーレの「母親と二人の子供」(Mutter mit zwei Kindern)です。「母親と二人の子供」は,1915年に書かれたもので,エゴン・シーレの作品の中では最も抽象的な形体感覚が示された作品で,中央の母親の白っぽい姿と両脇の子供の色鮮やかな姿の対比と融合は,死にゆくものの中からの新しい生の成長ということを象徴的に表しているということです。なお,この作品はレオポルド美術館の所蔵ではないので,今回来日していませんが,同様の作品であるレオポルド美術館所蔵の「母親と二人の子供Ⅱ」(Mutter mit zwei Kindern Ⅱ)を見ることができます。

 私がはじめてオーストリアを旅行した動機は,クラシック音楽でウィーンに憧れていたことからでした。ウィーンでクラシック音楽といえば,誰しもが思い浮かぶのはモーツアルトであり,ベートーヴェンでしょう。私もそうでした。しかし,行ってみてもっとも衝撃を受けたのは,グスタフ・マーラーでした。それは,すでに何度も書いていますが,グスタフ・マーラーによって「世紀末ウィーン」ということばを知ったからでした。グスタフ・マーラーは「世紀末ウィーン」の時代に活躍した指揮者であり作曲家でしたが,このことは,岩波現代文庫の渡辺裕さんの書いた「マーラーと世紀末ウィーン」に詳しく書かれています。
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 マーラーの作品の真の新しさやおもしろさは「世紀末ウィーン」の文化史全体に目を広げてはじめて明らかになります。著者は同時代人クリムト,ワーグナー,フロイト,アードラーらの活動をも視野に入れ,彼らの夢と現実のありようを描きだします。また,現在,彼の音楽のどのような側面が注目され,それが現代文化のいかなる状況を表現しているのかを問うのです。
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 ウィーンから帰ってきて読んだこの本をきっかけとして,そしてまた,ウィーンで多くの絵画を見てきて,音楽だけでなく「世紀末ウィーン」に関連した画家についてもっと知りたくなり「ました。
 ウィーンにあるいくつかの美術館を訪れたとき,「世紀末ウィーン」の絵画を数多く鑑賞することができました。そこで私がたくさん見たのがグスタフ・クリムトの作品で,その次がエゴン・シーレの作品でした。グスタフ・クリムトという名だけは,オーストリアを訪れる以前から知っていました。しかし,エゴン・シーレという名は,そのときまで,まったく知りませんでした。
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 「世紀末ウィーン」の芸術の現出は,19世紀末,史上まれにみる文化の爛熟を示したオーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンで展開された多様な文化からでした。オーストリア・ハンガリー帝国の政治面における混乱と凋落によって,人々の関心が文化面に向かった結果,キリスト教的な諸価値に対する文化的反抗としての性格が自由主義思潮に向けられることになったのです。
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 今回,東京都美術館でエゴン・シーレ展が開催されたので,2023年2月11日に見にいきました。この展覧会では,ウィーンのレオポルド美術館にあるエゴン・シーレの作品が数多く来日しています。
 実は,2回もウィーンに行って,「世紀末ウィーン」に興味をもち,いくつかの美術館に行ったのにも関わらず,レオポルド美術館には行っていないのです。それは,私の不勉強のせいであって,エゴン・シーレという画家のことを,そのころはあまりに知らなかったので,興味がなかったことにあります。この美術館に行かなかったのは不覚であり,あまりにも残念な話です。

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 ちょうどフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)が28歳で亡くなった1890年に生まれたエゴン・シーレでしたが,彼もまた,世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンに生き,フィンセント・ファン・ゴッホと同じくわずか28年という短い生涯を駆け抜けました。
 エゴン・シーレは,最年少でウィーンの美術学校に入学したのですが,保守的な教育に満足できずに退学して,若い仲間たちと新たな芸術集団を立ち上げます。しかし,その当時の常識にとらわれない創作活動により逮捕されるなど,生涯は波乱に満ちたものでした。
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 今回のエゴン・シーレ展は,レオポルド美術館の所蔵作品から50点を展示して,画家の生涯と作品を振り返り,加えて,グスタフ・クリムト,オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka),リヒャルト・ゲルストル(Richard Gerstl)をはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品が展示されるということだったので,私は,この展覧会で,大好きなウィーンの空気を一杯浴びてくることができるのをとても楽しみにしていました。


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 現在,第72期王将戦が行われています。「最高峰の戦いである世紀の王将戦」と銘打って,藤井聡太王将に羽生善治九段が挑戦するという願ってもない組み合わせに盛り上がっています。
 もともと王将戦は将棋名人戦が毎日新聞から朝日新聞に移ったことで,連載する棋戦のなくなってしまった毎日新聞が新たに作った棋戦で,話題作りのために指し込み制度を導入しました。その制度のおかげで,升田幸三実力制第4代名人が木村義雄十四世名人や大山康晴十五世名人を香落ちに指し込んだり,さらには,対局拒否という陣屋事件が起きたりといった様々な出来事がありました。
 近年では,再び将棋名人戦が朝日新聞から毎日新聞に移ったことで,行き場を失った王将戦はスポーツニッポン社の主催となり,その結果,そのころは中継のなかった将棋の棋戦が唯一囲碁将棋チャンネルで放送されたり,また,「勝者の罰ゲーム」ができたりと,将棋の棋戦というより娯楽の面が強くなりました。
 しかし,このごろは,ABEMAでほぼすべての将棋の棋戦を中継するようになったので,逆に,王将戦だけが見られない,ということになってしまって,あまり将棋に興味のなかった人が,なぜ王将戦だけ無料で見られないのか,と苦言を呈するようになりました。「大人の事情」というのは複雑です。

 今期は,もう無理だと思っていた藤井聡太王将と羽生善治九段の対決が実現したわけですが,これは,羽生善治九段にとって悲願だったに違いありません。それは,羽生善治九段の通算100期のタイトル獲得の可能性,というより,将棋ファンのだれしもが望んでいた対戦がかなえられたということだからです。
 おそらく,一世を風靡した羽生善治九段は,自分のことより,そうしたファンの夢をなんとか実現させたいという,そうした意思が強かったと思われます。藤井聡太王将に対しては,よき後継者を得たと思っていることでしょう。藤井聡太ブームは,羽生善治という絶対王者が重しとなっていたからこそ誕生したのでもあります。
 しかし,今期の王将戦の結果を予想すると,これまでの対戦成績や藤井聡太王将の実績からみて,羽生善治九段が一方的に破れる,という可能性が強く,それでは盛り上がりません。そこで,羽生善治九段が第2局を全身全霊で戦い,ぎりぎりの終盤戦を乗り越えて勝利したとき,なんとか肩の荷が下りた,という安堵の表情を見て取ったのは私だけでしょうか。第2局の▲8二金という手をみて,羽生善治九段の強い想いを感じて,感動しました。いいものを見ました。

 今回私が取り上げたいのは,そんな将棋界に関連して,このごろ何かと話題の「ChatGPT」です。
 「ChatGPT」(Generative Pre-trained Transformer)というのは,OpenAIが2022年11月に公開した人工無脳(chatbot)です。人工無脳とは,ユーザーがキーボード等を通じてコンピュータに語りかけると,何らかの返答が表示されるというものです。
 人工知能に人格や知性といった人間らしさを付与しようとする研究は,人間の脳の働きをコンピュータプログラムに置き換えて成長させ,コンピュータにコミュニケーション能力を獲得させようとする試みなのですが,実際は,自我や知性を持つ人工知能を構築することは容易ではありません。
 そこで,コンピュータにことばの意味を理解させるのではなく,自然な応答を事前に学習,蓄積させておくことで,ユーザーが期待した解答を得ることができるようにしようとしたわけです。その結果,ユーザーは,それがコンピュータがあたかも知性をもっているかのような錯覚を起こすわけです。であっても,自分のことばで語らず,役人が事前に作った文章をただ丸読みしているだけの大臣の国会答弁などは,この人工無能よりはるかに劣るものといえるでしょう。その意味では,コンピュータの人工無能のほうがずっと賢いともいえます。
 その「ChatGPT」で,「戦争と平和」のあらすじと藤井聡太竜王がどうして強いのかを聞いてみたので,その結果を載せておくことにします。

 さて,現在の将棋界では,将棋AIが猛威をふるっていて,それに対応できないベテランは若手に手玉に取られています。とはいえ,将棋AIの指し手を暗記したところで勝てるわけでもないわけだから,将棋AIとどうかかわるかが問われているわけです。将棋AIをいち早く取り入れることに成功した藤井聡太竜王は,将棋AIの定跡を覚えるのではなく,自分の形勢判断とAIによる形勢判断の違いを念入りに研究しているようです。
 「ChatGPT」を使うと,小中学校の宿題など,すべてやってくれちゃうので,ニューヨークの学校では使用を禁止する対策が取られはじめたと聞きます。また,それと同時に,今後,もっと進化するであろう「ChatGPT」を有効に教育に利用しようと考える先進的な教師も少なくないそうです。
 私には,それが,将棋AIと将棋の棋士の関係に似ているように思います。はたして,今後,若者の教育は「ChatGPT」とどうかかわっていくべきだろうか? もう,大学入試だとか偏差値だとか評価だとか,そんなことをぐちゃぐちゃやっている時代ではないように,私は考えます。そんな古臭いことをいつまでもやっているのだから,この国は劣化してしまうのです。教育界に藤井聡太竜王はいないのです。今,教育の在り方の根本が問われているのです。

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 今日は8月17日。8月も残すはあと2週間という日です。
 学生のころ,じわじわと夏休みが終わりに近づく足跡が聞こえはじめるこの日,毎年,私は決意をしたのです。さあ,今日から日常に戻るぞ,と。
 私の通っていた高校はいい意味でほったらかしだったので,記憶は定かでないのですが,確か,夏休みの宿題なんてなかったように思います。私にはそれがよかった。つまり,わかっていることをやってもそれは時間のムダでしかなかったからです。ただし,両親は学問には無知で,男が料理などするもんではないと叱るような父親と見栄をはって人より勝つことしか価値観のない母親でした。また,相談できるような親しい指導者もいなかったから,自主的にこういう勉強をすると将来役立つぞ,というようなことを導く人がいなかったことだけは残念でした。だから,我流で,どうでもいいことばかりをしていました。
 よく,高学歴の学生は親の年収の高い子が多い,教育にかけるお金があるから,ということが報道されますが,それは,塾通いにかけるお金があるということよりも,何を学べばいいかということを親が知っている,あるいは,すぐれた指導者が知人にいるといった環境の面が強いように思います。たとえば,クラシック音楽が自然に流れている家に育っていれば,ピアノを習いたくなるという,そんな感じです。

 ほったらかしで宿題のなかった高校に対して,小学校や中学校では,まがりなりにも夏休みの宿題というのがありました。それが配られるのは7月の夏休みに入る前だったので,夏休みになるころには,くだらないドリルの類はすべて終わっていました。知っていることを書くだけのドリルなんて時間のムダ以外の何ものでもありませんでした。夏休みの宿題は先にやる派か学校がはじまる直前にやる派か,などというアンケートがあったりするのですが,私は,もちろん先にやる派でした。
 また,自由研究もありました。しかし,自由研究といったところで,その方法を習ったこともないし,親もそういうことは無縁だったから,無理でした。たとえば,ヒマワリやトウモロコシを育てようにも肥料が必要だということも知らなかったからひょろひょろだったし,トウモロコシは実が5粒くらいしかつかなかったし,単にアサガオの咲いた花の数を毎日カウントしても,日なたと日陰と比べるとか,そういった手段がなければ研究にはなりません。そんなやり方もわからないのでは意味がありません。9月,学校がはじまると,ご両親のご指導よろしくすばらしい自由研究をお持ちになるご子息に隠れ,私は,死んだ虫を集めた標本とか,一度も回ったことがない回り灯篭とか,本を丸写しにしたレポートをこそっと提出するのでした。そんなことしているくらいなら,たとえば,科学館などで,なにがしかの子供向けの工作講座を履修するとか,キャンプに行って野外生活をして食事ひとつ作るのがどれほど大変なのかを経験するとか,そんな時間の過ごし方をしたほうがずっと役立ったのに,と大人になってから思いました。
 そんなわけで,私が,8月17日という日に,今日から日常に戻るぞ,と決意したというのは,さあ,遊ぶのをやめて,そろそろ夏休みの宿題をやるぞ,ということではなく,あと2週間で嫌いな学校がはじまるぞ,という決意表明の日だったわけです。

 私の若いころはそんな具合だったのですが,どうも,近ごろは違っているみたいです。それは学校に限らず,社会もまた同じで,何らからのノルマを与えられて,それをこなすことを勉強とか仕事にしているような感じです。何もかも与えられたことをこなすだけ,つまり,1億総幼児化です。すると,そこから何が生まれるかというと,それはやらされ感満載の「責任の逃れのやったふり」です。
 学生の場合は,自分から何を学ぶかなどということを考える暇もなく課せられた大量の宿題をこなすために,与えられた問題集の答えを丸写しして提出するわけです。要するに,単なる写経です。そんな意味のない作業をすることを「勉強」と称するのです。そうした学生時代を過ごした若者が社会に出ると,今度は,報告書ばかりをでっちあげるわけです。また,そうした学生が教師になると,同じことを生徒に強いるわけです。
 そんな世の中では,手段が目的となります。たとえば,このコロナ禍で,マスクをするという行為はどれだけ効果があるかは知らねど,感染予防のひとつの手段といわれているのにすぎないわけであって,マスクをすることが目的ではないのですが,それが感染予防の手段ではなく,目的になってしまうわけです。だから,だれもいない田舎のあぜ道をマスクをして犬の散歩をしたり,ひとり車を運転しながらマスクをしている,というバカげたことをするわけです。他人の目を気にしているだけなのです。飲食店の意味のないアクリルパティーションもまた同様です。そうでもしないと補助金が出ないからです。そんな「感染対策」を講じても,感染者数は世界一です。
 それと同じように,学生は,大学に合格するのは学問を続けるための手段であるのに,大学に入ることが目的となるのです。政治家は,選挙で勝つというのが,最大の目的となるわけだから,そこには政治家の矜持もなく,どんな支持者かも関係なく票をくれるのなら尻尾をふるのです。

 このように,手段が目的となってしまっているこの国の風潮を突き詰めていくと,最終的には,人が生きる目的が何なのかがわからなくなってきます。
 果たして,人は,死んだときに偉大な葬式をしてもらうために忖度して生きているのでしょうか。国から勲章をもらうために地位や名誉を手にいれようと生きているのでしょうか。あるいは,財産をたくさん残すために仕事漬けで生きているのでしょうか。
 そんなことを考えていくと,主権があるのは国民なのに,未だに江戸時代のようにお上に従順であることを美徳とする人,主体性もなく,他人の目を気にするだけの同調圧力とやらにむしばまれ,しかし,他人の目がないと急に傍若無人で道徳心のかけらもなくなる人などが群れているこの国で生きていくことの難しさもわかろうというものです。
 これもまた,民主主義を勝ち取った国の人々と,第2次世界大戦の敗戦によって他国から民主主義を与えられ,未だにそれを消化できていない国の人々の違いでしょうか。権力者に阿っても一番先に裏切られるのにねえ。世間知らずだよ。このごろの,テレビで放送されるアメリカのMLBのゲーム中継やヨーロッパの夏の音楽祭での観客の様子を見ていると,しみじみそう思います。欧米とは別の星にいるみたい。

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 早朝5時に家を出て,国道1号線,東名阪自動車道,西名阪自動車道,阪神高速道と経由して,天王寺に到着しました。
 前回も来たのでわかっていたのですが,天王寺のあたりは探すと結構安価な駐車場があるので,そこに車を停めました。
 大阪というところは場所によってさまざまな顔を持っていて,よそ者の私にはさっぱりわかりません。特にディープな大阪は,大阪に住む女性が怖いとさえいうのですが,アメリカの治安の悪いところに比べれたら知れています。
 到着したのがまだ早かったので,まず四天王寺に行ってみました。このときの様子は次回書くことにして,今日は,実際に見てきた「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」のお話です。

 「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」は,ほかにも多くの作品が展示されてはいますが,とどのつまり,フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」(Briefleserin am offenen Fenster)1点豪華主義のものです。
 心配だったのは天気でしたが,いつものように,晴れ男の私を天は裏切りませんでした。午前9時30分開場だったので,その30分ほど前に行ったら,すでにひとりの男の人が待っていました。ほかにすることもないので,私も30分待つことにしました。30分前に行ったのは大正解で,その後,次第に並ぶ人増えてきました。今回は土日だけは時間指定となっていて,平日は予約不要でした。以前のようにすべて予約にすればいいのにと思いました。
 そんな次第で長い列ができていたのですが,私は,開場と同時に美術館に入り,ほかのすべての展示を通り過ぎ,お目当ての「窓辺で手紙を読む女」まで行ったので,じっくりと対面することができました。
 海外旅行には行くことができなくなりましたが,それまでに私は行きたかったところはそのほとんどすべてに行ったので悔いもなく,むしろ,この長引くコロナ禍で何がよかったかというと,美術展が落ち着いて見られること,クラシック音楽のコンサートで,私の嫌いな,曲が終わったと同時に「ブラボー」と叫ぶバカな輩がいなくなったこと,そして,日本の観光地がどこも空いていることです。

 さて,「窓辺で手紙を読む女」,この作品に限ることではないのですが,展示されるフェルメール作品はどれも修復が終わったばかりのものが多いので,まるで今日描かれたばかりのようにとても美しいのです。
 絵画も建築も,音楽のような時間芸術と違って,こうして修復を繰り返しながら後世に伝えられていくものなのでしょう。それに対して,お寺にある仏像の多くは昔のままです。仏像もまた絵画のように修復されたとしたら,きっとイメージする現在の古びた姿とはまるで異なるかもしれませんが,なぜか,仏像は古いままです。

 前回も書いたように,修復された「窓辺で手紙を読む女」には画中画としてキューピットが現れてこれまでとは正反対の解釈となったということですが,今回の展示を機に,私は,図鑑で他のフェルメールの作品を見直してみたところ,フェルメールの数多くの作品にも画中画が描かれていて,むしろ,修復されたもののほうがずっとフェルメールらしいと確信しました。
 フェルメールの作品で,描かれた絵の壁に画中画がないのは「牛乳を注ぐ女」(The Milkmaid)「レースを編む女」(The Lacemaker)「ヴァージナルの前の女」(Lady Seated at a Virginal),そして「真珠の首飾り」(Woman with a Pearl Necklace)くらいのものです。この中で「真珠の首飾り」もまた,当初は壁にネーデルラントの地図が描かれていたということですが,これは今のところはフェルメールが自身が消したということです。しかし,「窓辺で手紙を読む女」のことを知ると,「真珠の首飾り」で画中画を消したのがフェルメール自身であるとされているのもまた,本当かなあ,と思わざるを得ません。
 なお,「青衣の女」(Woman Reading a Letter)の後ろの壁にも地図が掛かっているし,「リュートを調弦する女性」(Woman with a Lute)の背後にもやはり地図があります。さらに「真珠の首飾りの女」のスパニッシュチェアの上にはリュートが置かれているという記述がありますが,本などに載っているこの絵を見てもよくわかりません。
 画中画にキューピットが描かれているのは,修復された「窓辺で手紙を読む女」以外にも「ヴァージナルの前にたつ女」(Lady Standing at a Virginal)と「中断された音楽の稽古」(Girl Interrupted at Her Music)があります。
  ・・
 こうして,念願だった「窓辺で手紙を読む女」をこころゆくまで堪能することができてすっかり満足した私は,その後,美術展のはじめに戻って,ゆっくりとそれ以外の作品を鑑賞したのでした。


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 「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」が大阪市立美術館で開催されているので,見にいくことにしました。レンブラント,メツー,ファン・ライスダールといった17世紀オランダを代表する画家たちの名品約70点が展示されるというのですが,この美術展の最大の注目作品は,何といってもヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の「窓辺で手紙を読む女」(Briefleserin am offenen Fenster)です。
 この美術展のウェブページにある紹介には次のようにあります。
  ・・・・・
 ヨハネス・フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」は初期の傑作です。1979年のⅩ線調査で壁面にキューピッドの描かれた画中画が塗り潰されていることが判明しましたが,長年,その絵はフェルメール自身が消したと考えられてきました。しかし,2017年の調査により,フェルメール以外の人物により消されたことが新たにわかり,翌年から画中画の上塗り層を取り除く修復が開始されました。この美術展では,修復過程を紹介する資料とともに,大規模な修復プロジェクトによってキューピッドが完全に姿を現した「窓辺で手紙を読む女」の当初の姿を,所蔵館であるドレスデン国立古典絵画館のお披露目に次いで公開します。
  ・・・・・・

 修復前の絵には陰影に富んだ灰色の大きな壁が描かれていました。その上塗りを取り除いて出てきたキューピッドは,湾曲した弓を持ち,仮面を踏みつけています。これは「正直で誠実な愛だけがうそや偽善に打ち勝つことができる」と告げているのだといいます。
  ・・
 開け放たれた窓から差し込んだ光が手紙に目を落とす若い女性を明るく照らしだしているのですが,これがとてもフェルメールらしいです。また,絵画の右側にはカーテンが描かれていて,これがだまし絵のような効果を狙っているのですが,そうなると,修復されて現れたキューピッドがあるほうが自然のように,私には思えます。 

 修復される前,「窓辺で手紙を読む女」は,開かれた窓は「女性が自分の置かれている環境から脱出したいという願望」であって,ベッドの上にこぼれた果物は「性的暗示や不倫関係の象徴」などといわれていました。 また,女性が光から目を逸らしてうつむき頬を紅潮させていることは「神への罪悪から目を背けている」ということでした。
 しかし,修復後に現れたキューピッド(Cupid)はローマ神話で愛や恋の神のシンボルであることから,絵画に「愛の神」を配置したことで,この絵は偽装や偽善を乗り越える誠実な愛の証しとして捉え直されたということです。すると,女性が読んでいる手紙はラブレターであり,キューピッドの前にある仮面は過去の男性への恋愛感情の否定で,女性は今,ラブレターを贈った男性に心からの愛情と恋慕を抱いているということになるそうです。
 もともと,フェルメールがそうした意図で描いた絵画であるのに,フェルメールが現在のように評価されていなかった当時,ある人物がそれを消し去って,本作を人気画家だったレンブラントのように偽ることでその価値を高めようとしたのでは,という解説がありました。
  ・・
 私は,これで,フェルメール全37作品のうちの21作品を見ることになります。

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 「厳選クラシックちゃんねる」というYouTube の番組があるのですが,そこに,指揮者の井上道義さんのインタビューがあります。このインタビューは,井上道義さんのすばらしさがとてもよくわかる極上のものです。
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 井上道義さんは1946年生まれ。2007年から2018年までオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督,2014年から2017年まで大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めました。2024年で引退することを表明しています。
  ・・・・・・

 ずいぶん前,NHKEテレ,そのころは教育テレビといっていたのですが,そこで「第九を歌おう」という,ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章,合唱の部分を歌うことができる講座という番組が放送されていて,その講師を務めていたのが井上道義さんでした。私はそのときに井上道義さんを知ったのですが,それ以降,さほど関心があったわけではありませんでした。
 当時の日本の指揮者として有名だったのは,何といっても小澤征爾さん,朝比奈隆さん,そして,岩城宏之さんといったところだったでしょうか。やがて世代替わりとなって,井上道義さんが岩城宏之さんの後をうけてオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督となり,その次に,朝比奈隆さんの後継者として大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者となったときは,無知な私は,格下になったと思ったものでした。 
 しかし,それは大いなる誤解でした。
 井上道義さんは,近年,それまではほとんど登場しなかったNHK交響楽団の定期公演を指揮するようになったので,私も聴くようになりました。とりわけショスタコーヴィチの交響曲の演奏には定評があり,これはすごい指揮者だ,と思うようになりました。今や,日本でナンバーワンのマエストロです。

 オーケストラのすぐれた指揮者には巨匠という言葉が似合います。また,カリスマ指揮者といういい方もします。その昔のカリスマ指揮者はとても近寄りがたく偉そうだったのですが,現在はそうした偉そうな感じとは異なって,こころからその音楽に浸っている人間的にも尊敬できる求道者のような感じです。そうした指揮者が演奏する音楽に感動しないわけがないのですが,なかでも,井上道義さんは,私が今,最も聴きたいと思う指揮者のひとりです。しかし,その指揮に接することができるのも,あと2年ほどになってしまったわけです。その井上道義さんのインタビュー,というのだから,これは貴重でした。
 このインタビューでは,どうして引退を決意したのかも語っていますが,それは要するに,晩節を汚したくない,というものでした。現役のときにあれほど評価されても,引退するとなぜかほとんど聴くことのなくなる指揮者も少なくないのですが,おそらく,井上道義さんの指揮した演奏は,この先もずっとこころに残ることでしょう。
 私は,9月から,再びNHK交響楽団の定期公演を聴きにいくことにして,Aプログラム2日目のチケットを購入しましたが,その11月の公演で井上道義さんの指揮するショスタコービッチの交響曲第10番を聴くことができるので,それを今から楽しみにしています。


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 コロナ禍でさまざまな検査がされているのですが,検査結果が真実とは限りません。検査というのはそもそもそういうものです。
 やる側はもちろんそれを知っていますが,受け取る側でそのことを知らない人が多いものです。
 テレビの視聴率とか,世論調査とか,ネットの評判とか,何ごともデータが花盛りですが,そうしたものも誤差がつきものなのに,それを表示したものもほとんどありません。
 要するに,これもまた,お得意の責任逃れ,つまり,やったふりです。
  ・・
 という次第ですが,ここでの話題は定期健診です。
 毎年春先になると,定期検診があります。検査の結果次第で,数値だけから判定して要治療とか,要観察とかいう記述がかかれています。しかし,それをもとに医者にかかると,一度の検査では正しいことはわかりません。となります。もっともな話です。私も,毎年,何がしかのところに「*」マークがついていて,気になりますが,医者に行くと,どこが悪いの? みたいなことになるのです。

 そこで,これまでは,たいして気にもしていなかったのですが,齢も齢だし,これからは健康管理をまじめに考えてみることにしようという理由で,血圧計を買いました。これで,毎朝,血圧を測ろうというわけですが,はじめたら,おもしろくなってきました。
 iPhoneには「ヘルスケア」というアプリがあって,これを活用しようと,毎日測った血圧を記録していくことにしました。おまけに,心拍数とか体温という項目もあったので,ついでにそれも記録することにしました。
 そんなわけで,「することのない幸せ」は次第にどこかに行ってしまい,これまでも,数独やら語学講座で毎日自分で勝手に忙しくしていたのに,さらに,毎朝健康チェックという「すること」を課してしまったために,ますます忙しくなってきました。

 まあ,そんなこんなですが,その結果,暇で時間を持て余すこともなく,ボケ防止にもなると,自分で自分を納得させているのです。果たして,この先,また,何がノルマに加わっていくのでしょうか。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 この国は老人ばかりなので,本も雑誌も,はたまた,得体のしれない健康食品も,そのほとんどが老人向けのものばかりです。町にも老人が溢れています。
 そんななか,ひときわ目につくのが,この「80歳の壁」という本です。
  ・・・・・・
 人生100年時代だが,健康寿命の平均は男性72歳,女性75歳。80歳を目前に寝たきりや要介護になる人は多い。
 「80歳の壁」は高く厚いが,壁を超える最強の方法がある。それは,嫌なことを我慢せず,好きなことだけすること。
 「食べたいものを食べる」「血圧・血糖値は下げなくていい」「ガンは切らない」「おむつを味方にする」「ボケることは怖くない」等々,思わず膝を打つヒントが満載。
 70代とはまるで違って,ひとつひとつの選択が命に直結する80歳からの人生。ラクして壁を超えて寿命をのばす「正解」を教えます!
  ・・・・・・
というのが,本の紹介です。
 私がこのブログでいろいろ書いても話題にもならないけれど,というか,話題になっても困るけど,著名な和田秀樹さんが書けばベストセラーになるのです。
 和田秀樹さんは1960年大阪府生まれなので,私より若干お若い。東京大学医学部を卒業した精神科医です。

 それにしても,80歳過ぎて,この本を読んでまだ元気に生きようという意欲がある人はすごいです。
 私の両親はともに90歳前後まで生きたので,80歳以降の10年余りの時間をどう過ごしていたかはおおよそわかります。それを見てきて思うのは,その齢になれば,日々,過去も未来も考えず,そのときそのときをこころ静かに楽しく生活することだ,ということに尽きます。そして,何が起きても,それは神様の思し召しと思って受け入れることです。
 結局それに尽きるのです。こうした本は,どれも「それだけのこと」を,延々と書き連ねているだけのものです。
  ・・
 そもそも,いつも書いているように,地球上に生命が存在する意義などまったくありません。
 偶然に偶然を重ねた化学反応の結果できてしまった,「それだけのこと」です。これを宗教家は「生かされている」などと大げさにいいます。しかし,そこに生を受けて,自分がやどってしまった以上は,それが存在する限り,楽しく時間を過ごすこと,「それだけのこと」なのです。
 まあ,「80歳の壁」などと題すれば,それを乗り越えることがたいへんだと感じてしまうでしょう。確かに前回書いたように,「35歳の壁」「50歳の壁」「65歳の壁」はあります。しかし,80歳は壁ではなく,出口。その先は,いたるところ,得体の知れない生物の住む沼地やらどこに野獣が潜んでいるかわからない荒れ地だらけの悠久なる大平原が広がっている,「それだけのこと」だと私は思いますけれど…。で,どこかで足を取られて,それで終わりです。

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 歳を重ねてみてわかったことは,老化というのは,坂道を下るようにやってくるのではなく,階段のようにやってくるということです。そして,それは15年ごとなのです。15年ごとというのは,若さの頂点である20歳を起点として,35歳,50歳,65歳,80歳で,その間の15年は,さほど変わらず,この年齢を境にして,突然変化を感じるのです。と,経験者の私は確信します。

 まず,35歳。
 20歳から35歳までの,ときめきと試行錯誤の自分探しの年齢を過ぎると,突然老けます。別の言い方をすると,貫禄が出ます。いい面では精神的に落ち着くので「若気の至り」のようなことがなくなり,周囲から見られる面も変わります。そして,仕事に責任がのしかかり,忙しくなります。その一方で,スポーツ選手など体力勝負の場合は,限界期が訪れます。女優さんも「35歳の壁」といわれて,若さで勝負ができなくなり,演技力がないと,ここで仕事がめっきる減るらしいです。
 これまではそういうわけだったのですが,それ以上に問題なのは,情報化社会の現在では,スポーツ選手でなくとも,科学技術で働く人にとっても,やはり「35歳の壁」というのがのしかかっていることです。以前なら,年齢を重ねるにつれて収入も増えていったのですが,能力給となれば,スポーツ選手と同じように,この年を過ぎると,能力が落ちていきます。そこで,老後を安泰に過ごすためには,若い時期の収入を老後の資金としてなんらかの形で確保し,保全する必要があるということです。
 将来,年金も目減りし,退職金もあてにできない今日の若い人が,この時期に浪費などしていてはいかんのです。
  ・・
 次が50歳です。
 35歳から50歳までは,仕事も家庭も,人生で最も多忙な時期となることでしょう。そして,気がつくと,あっという間に50歳を迎えるのです。そして,この50歳というのが,もっとも大変な時期なのです。この時期を経験しただれもが,それを「魔の50歳」とよびます。それは,自分が病気,あるいは,親が病気,または,子供に何か問題が起きる,リストラされる,などなど,それまで順調であったさまざなまものに何がしかのアクシデントが発生するからです。私のまわりに人たちも,この時期を順風満帆に越した人はいません。まさに「魔の50歳」です。
 「魔の50歳」の嵐吹く5年ほどをなんとか無事に切り抜けることができた人には,再び輝ける安定期が訪れます。この時期が人生で最も充実した期間だといえるでしょう。このかけがえのないすばらしい10年をどう過ごすかが,この後にやってくる老後を決めるといっても過言でありません。
 強調したいのは,50歳から65歳までの生き方としてとにかく最悪なのは,仕事で管理職などになってしまうことです。それなのに,50歳をまえに「偉くなりたい病」という熱病にかかってしまう,かわいそうな人が何と多いことか。自分に自信がない人ほど高級品や地位や名誉を欲するように,「偉くなりたい病」にかかるのは自分に自信がない証拠です。
  ・・
 さて,そうこうするうちに65歳がやってきます。
 それまでの15年を仕事だけで費やした人と,やりたいことをやった人で,ここで大きな差がでます。
 そして,ここで,急に衰えを感じます。外見が変わらなくとも,疲れやすくなったり,物忘れがひどくなったりと,そうしたことを急激に感じるようになります。この時期に自らの老いを受け入れて,これまでとは考え方のレベルを変えて,新しい生き方を見つけるかどうかが,その後のカギとなることでしょう。
 そのころに必要なこころの寄りどころになるのは,安定した老後をすごすための貯えとともに,それまでの人生で後悔がないことです。仕事にかまけて気がつけば65歳。さあ,これから遊ぶぞ,といっても,もう遅いのです。特に,仕事しか生きがいのなかった人はここで破滅します。
 それでも,従来のように,60歳が定年のころはまだよかったのです。65歳まで5年という時間がありました。しかし,現在のように定年が65歳になってしまっては,悲劇でしかありません。その原因はすべて少子高齢化で,「1億総活躍」というまやかしで65歳まで働かされるのですが,65歳でリタイヤすれば,老後はまさに老後となり,何かしたいことがある人には完全に手遅れとなるのです。
 健康年齢はほぼ70歳から75歳まで。運よくその年齢まで生き延びても,その後の低空飛行を安定した気流の中で過ごせるかどうかは,おそらく,65歳までの生き方にかかっているのでしょう。私はまだ経験していないのでわかりませんが…。
  ・・
 そして,80歳。人生の最終章です。
 この年齢のことは,また,別に書きましょう。


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 浮世絵に俳句と,日本好きだったミロでした。
 ミロが生まれた1893年のバルセロナは,1888年に開かれた万国博覧会の開催をきっかけとした日本美術ブームの真っ只中でした。また,ミロの周囲には俳句の魅力に取り憑かれた詩人たちがいたとうことで,ミロは自然と日本への想いを募らせたということです。
 しかし,わたしがミロの絵画でショスタコービッチを連想したというのは,絵画にスペイン内戦と第2次世界大戦の影響が感じられるからでしょうか。

 今回の展覧会では,いくつかの作品が撮影可ということでした。西洋の美術館は一般に撮影可なので,私は日本の美術館で撮影ができないことのほうがむしろ不自然な感じがしています。
 撮影可であった作品は,まず,1番目の「アンリク・クリストフル・リカルの肖像」。1917年に制作されたこの絵画には,背後に浮世絵があります。
 2番目のものは「カタツムリ,女,花,星」。1934年の作品です。そして,3番目のものが「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」。これは1945年の作品ですが,私がミロらしいと思っていた作品がこのふたつの絵画のようなものです。
 解説には次のようにあります。
  ・・・・・・
 「絵を描くことと」と「文字を書くこと」を同じように捉え,絵画と文字の融合を追求した作品
  ・・・・・・
 私は,こうした作品に文字を意識したことはなく,むしろ,その色彩に惹かれました。たとえば,日常,どこかにこれらの作品が展示されていたら,とてもすがすがしく引き締まる気持ちになれます。
 以前,私が世田谷美術館で見た「ミロ展」で展示されれていた作品の多くは,このようなものだったように記憶します。

 今回の展覧会では,それに加えて,書道を連想させるようなものや,花瓶や巻物をなど,日本を意識したものがたくさんありました。
 先日見た「ゴッホ展」もそうですが,この時代のヨーロッパで,それほど日本の影響が強かったことが,私にはとても不思議なことに思えます。それは,まだ見ぬ異質な文化に対する単なる好奇心なのか,それとも,何が自分たちがもっていない技法などがあって,そこから得るところがあるのか。
  ・・
 第2次世界大戦後,ミロはさらに日本の文化にのめり込み,やきものの技術を学んだアルティガスのもとで陶芸に熱中し,日本風の作品を作るようになりました。
 1966年には念願の初来日を果たし,京都や奈良,信楽,名古屋と飛び回り,詩人で美術評論家の瀧口修造と対面しました。
 ミロの制作の原点であったカタルーニャの農村モンロッチのアトリエや,晩年を過ごしたマジョルカ島のアトリエに飾られていた日本の品々が,ミロの創作意欲を刺激したといいます。

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IMG_3919IMG_3917IMG_3914s 愛知県美術館で「ミロ展 -日本を夢みて」が開催されています。
 連休が終わって静けさを取り戻した2022年5月10日の午後,きっと空いているだろうと期待して足を運びました。会場は予約制ではなかったのですが,混雑しておらず,とてもいい時間が過ごせました。
 私は,ミロの絵画を,2002年の夏,というから,もう20年も前になるのですが,世田谷美術館で開催された「ミロ展」で見てすごく気に入ったので,今回の展覧会をとても楽しみにしていました。

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 ミロ,ジョアン・ミロ(Joan Miró i Ferrà)は1893年に生まれ, 1983年に亡くなった画家で,ガウディやダリと同じく,スペイン・カタルーニャ地方の出身です。
 1911年,18歳のころから画家を目ざすようになり,バルセロナの美術学校に入学,やがて,1919年にパリに出て,絵画を制作するようになりました。
 ミロはパリでシュルレアリスム(surréalisme/surrealism)の運動に参加したのですが,人物,鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態,原色を基調にした激しい色使い,あふれる生命感などは「現実離れした奇抜で幻想的な芸術」という他のシュルレアリストの作風とは全く異なっているといいます。
 第2次世界大戦ののちは,絵画だけでなく,陶器や彫刻の制作もはじめました。
 19世紀後半にヨーロッパでは日本趣味,いわゆるジャポニズム( Japonism)が流行しました。その影響もあって,ミロも日本文化に憧れと夢をもっていました。70歳を過ぎてその念願がかない,1966年に日本で展覧会が行われたときと,1970年の日本万国博覧会で陶板壁画を制作するために,2度の来日を果たしました。
  ・・・・・・

 私が以前見た2002年の展覧会は「1918から1945・絵画の詩人ミロ誕生への軌跡」と題したもので
  ・・・・・・
 本展では,これまで日本では充分に紹介されてこなかった巨匠ミロの芸術的葛藤の足跡を例証する1918年から1945年にかけての戦前期の作品に焦点を絞り,戦後のミロとは少なからず異なる「知られざるミロ」に迫ります。
  ・・・・・・
と紹介されていました。
 私は,このときに展示されていた多くのミロの絵画を見て圧倒され,その魅力のとりこになったのですが,なぜか,ミロの絵画にロシアの作曲家ショスタコービッチをイメージしました。スペインの画家というより,ロシアの画家だと思い込んだくらいでした。
  ・・
 私はそのときのイメージがとても強く,そこで見たものが「ミロらしい作品」だと思っていたのですが,今回の展覧会では「日本を夢みて」というテーマの通り,日本に関係する作品が多く,2002年の展覧会が第2次世界大戦以前のものだったのとは大いに異なっていたので,それまでに私の抱いていたミロの作品のイメージとはずいぶんと異なるものでした。


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 私は毎朝の習慣で朝ドラを見る,ということもなく,普段は見ていないのですが,何かのきっかけで見て,それがいいと,ときどきはまります。だから,ひょっとして,食わず嫌いというか,よかったのにまったく見なかったものもあるかもしれませんが,おそらく漏れはないと思います。
 これまで私がはまったものは,「ちゅらさん」「おひさま」「ひよっこ」「カムカムエヴリバディ」の4作でした。それに加えて,「あまちゃん」や「エール」もよかったな。

●「ちゅらさん」
 「ちゅらさん」は2001年度上半期に放送されました。
 沖縄県の小浜島と東京を舞台に,国仲涼子さんが主演の古波蔵恵里の人間的な成長物語を描いたものです。
 何といってもこの作品は「ガジュマルの木の下で」が最高だったのですが,私が気に入っていたのはメルヘン小説家で毒舌で皮肉屋という,菅野美穂さんが演じた城ノ内真理亜でした。私は,ああいうキャラ好きなのです。
  ・・
●「おひさま」
 「おひさま」は2011年状半期に放送されました。 
 信州・安曇野市と松本市を舞台に,激動の昭和時代を生きた井上真央さんが演じる須藤陽子の半生を描いた物語でした。
 最終回,年老いた主人公とその友達が昔話に華を咲かせるシーンが印象に残っていますが,この物語は,そもそもがすべて昔話,という設定だったような気がします。
 いつか安曇野へ行っておそばを食べたいとずっと思っているのですが,まだ果たせていません。
  ・・
●「ひよっこ」
 「ひよっこ」は2017年度上半期に放送されました。
 有村架純さんが演じた谷田部みね子が出稼ぎに行って戻らぬ父を探しに上京し,成長するというストーリーでした。
  和久井映見さんが演じた永井愛子がいい味をだしていました。

 こうして書いてみると,どの作品も共通点があるように思います。みな,決して裕福でない家に生まれた女性が,生まれた家を出て,自分探しをし,その時代に格闘し翻弄されながら成長して,幸せをつかむ,というような感じのものです。調べてみると,私は知らなかったのですが,「ちゅらさん」「おひさま」「ひよっこ」すべて岡田惠和さんの脚本でした。脚本家が同じだからそれも当然ですか。
 そして,今年の「カムカムエヴリバディ」。これは藤本有紀さんの脚本です。
 さて,今年のゴールデンウィーク。私は人混みが嫌いなので,多くの人がお休みのときは外出しません。特にゴールデンウイークはだめです。気候のよいこの季節はどこに行っても人と車しかありません。そもそも,毎日が日曜日の私にとってはこの時期は最悪です。出かけるなら,その次の週です。
 ということで,ゴールデンウィークは家にいるのですが,そこで楽しかったのは,何といっても「カムカムエヴリバディ」の総集編に加えて,「ちゅらさん」の総集編も見ることができたことでした。
 齢をとって涙腺の弱くなった私は,両方の番組が放送された5月4日は,ずっと,涙涙でした。

 「カムカムエヴリバディ」は,内容が濃く,テンポが早かったので,たった3時間の総集編でそれをまとめるのは困難でした。本編を見ていた人は復習になったと思うのですが,これだけを見た人が,このドラマのよさと感動のどれだけを味わえたのだろうかと思うと,少し残念でした。
 私がこの総集編を見て改めて思ったのは,日本の1925年からの約100年という時代のさまざまな出来事と,その時代のもっていた雰囲気でした。安子さんの青春だった昭和初期から第2次世界大戦ごろまでは,暗く,切なく,救いがなく,安子さんの子供のるいさんの昭和30年代から40年代は,明るく,夢と希望があり,そして,るいさんの子供のひなたさんの平成時代は,慢性的な平和社会でありながら,祭りのあとのむなしさというか,右肩下がりの何か夢破れたはかなさを感じます。
 私は,るいさんの時代に生きてきてよかったと感じました。
 さて,この先の100年はいったいどんな時代が訪れるのでしょう。100年後に同じようなドラマが作られるのなら見てみたい。

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 今日の写真は,私が頂いた将棋の免状です。日付は昭和55年となっていますから1980年,今から40年以上も前のものですが,当時は竜王戦という棋戦はなく,したがって,竜王という称号もなかったから,この免状に署名されているのは,日本将棋連盟会長だった15世名人の大山康晴と名人だった中原誠,となっています。
 免状に該当する段位を取得していても,免状は申請したときに手に入れることができるので,どの棋士の署名が入るかは申請したときによります。現在は,日本将棋連盟会長である佐藤康光九段と渡辺明名人,藤井聡太竜王ということですが,藤井聡太という署名入りの免状に人気があって申請する人が多いので,その発行数がかなり増えているということです。
 その当時,私は,後に日本将棋連盟会長になった米長邦雄永世棋聖の「名人・米長邦雄」という署名が入った免状が欲しくてしばらく申請をせず,名人になるのをこころ待ちにしていたのですが,何度挑戦してもなかなか実現しないのであきらめて申請をしたのです。「名人・米長邦雄」がやっと実現したのは1993年で,実に13年後のことでした。私は,それまで待つことができなかったわけです。しかし,米長邦雄永世棋聖は,日本将棋連盟会長になってからの品のなさと辣腕で嫌いになったし,15世名人の大山康晴と16世名人になった中原誠という二大巨匠の名前の入った免状こそ品格があってすばらしいもので,今にして,これでよかったと思っています。とても気に入っています。
 もう間もなくすれば,「竜王名人・藤井聡太」という署名の入った免状が誕生することでしょう。そうしたら私もまた免状を申請しようかと思ったりします。
 それにしても,免状に多くの署名を書かなければならない会長,竜王,名人という立場は大変です。将棋の研究のかなりの時間が割かれるのではないでしょうか。これでは,棋士というより書道家です。

 さて,タイトル獲得通算99期という羽生善治九段ですが,名人18期の大山康晴15世名人や名人15期の中原誠16世名人と比べると,名人を獲得していた時期は9期とそれほど長くはありません。また,大山康晴15世名人や中原誠16世名人のころにはなかった竜王も獲得していた時期は7期と意外に短いものです。竜王と名人になると,免状に署名するという仕事が加わるのでたいへんです。私は,羽生善治九段は署名というお仕事が面倒だったのではないかなどと,うがった見方をしてしまいます。
 その羽生善治九段が,ついにA級から降級してしまいました。今年度はB級1組で,来年度のA級復帰をめざし,捲土重来を期すということで期待しているのですが,このごろの戦績を考えると,さらに降級してしまうのではという危惧もあります。B級1組は甘くありません。
 大相撲には,かつて北の湖という大横綱がいました。北の湖が強かったころに少年時代を過ごした人は,その強さを今も語るのですが,私は,晩年の,なかなか勝てなくなったその痛々しい姿のほうが印象が強いのです。それは,大鵬という大横綱が,その引退直前まで最強だったので,それと比べてしまうからです。
 将棋の世界でも,私は,亡くなるまで現役A級だった,憎いほど強く,毅然と若手に立ちふさがった大山康晴15世名人の印象があまり強いので,大きな業績を残したとはいえ,羽生善治九段の現在の苦戦する姿に一抹の寂しさを感じています。

 羽生世代といって,羽生善治九段とほぼ同年代で強かった棋士が大勢います。その中でも,現在の日本将棋連盟会長である佐藤康光九段は,今もA級の座を保っていますが,おそらくそれは,羽生善治九段と佐藤康光九段の将棋の質の違いからくるものだと思っています。
 晩年まで大山康晴15世名人が強かったのは,常に新鮮味のない振り飛車で戦い,変わり映えなくファンにはおもしろくなかったのですが,本人はそんなことは意に返さず,若いころに鍛えた妖力を武器に,中終盤のねじり合いで若手を負かすことを心底から楽しんでいたからのように思います。当時の若手は緻密な序盤研究に熱を上げていましたが,そんなことでは妖力には勝てませんでした。また,佐藤康光九段が現在もA級の座を維持しているのも,他者がまねのできない独特の序盤戦術で,圧倒的に定跡形の知識の勝る若手を煙に巻き,大山康晴15世名人と同じように,中終盤のねじり合いで勝負をしているからでしょう。
 それに比べて,羽生善治九段は,昔も今も,羽生流というような独自の新戦法や戦術を編み出すでもなく,その時代,その時代に流行する将棋を後追いして,そこにわずかな差を求めて勝とうとしているような感じです。現在も,相掛りの最新形を採用したりしています。しかし,それでは,アナログ感覚の同世代の棋士とは対等以上に戦えても,コンピュータを駆使した研究量の違う若い棋士にはかないません。局後の感想戦などを見ていても,形勢判断が今の若手のAIに基づいたものとは根本的に異なっていて,羽生善治九段がよしとする形勢がAIでは不利だったり,その反対に,不利だと思った手が最善手だったりして,しかも,そのことを指摘されても納得できないという表情になることが多々あります。それが終盤のミスの原因である気がします。どうも,2018年の第11回朝日杯将棋オープン戦で藤井聡太当時六段に負けたときから感覚がおかしくなってしまった感じです。
  ・・
 かつて,名人の座を明け渡し,タイトルから無縁となった中原誠16世名人は,それ以後,それまでの定跡形の将棋を力戦調のものに完全に変えてしまったのですが,それは,将棋は好きでも,定跡どおりの将棋を指すことに飽きちゃった,そして,勝ち負けにこだわらくなったからだろうと私は思いました。現在の羽生善治九段の心境はわかりませんけれど,少し言葉は悪いのですが,現在の,おじさんが若者言葉を使って,その輪の中に入ろう,というような感じの将棋から決別して,若いころに鍛錬した,ガッチガチの矢倉とか角道を止める対抗形の振り飛車といった,羽生善治九段が昔執筆した「羽生の頭脳」に書いたころの将棋を指した方がいいように私は感じていますけれど。
 今の羽生善治九段の将棋は,考えるのを楽しんでいるような藤井聡太竜王とは違って,楽しそうに指しているようには見えません。「観る将」の私は,観戦していて,次にどんな驚きの手が出てくるのかというワクワク感よりも,また間違えるのでは,と心配になって息が詰まります。それが残念です。

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 桜の開花とともに新しい年度がはじまりました。
 将棋界も新年度。2022年4月18日,今年度の第81期将棋順位戦の組み合わせ抽選が行われましたが,こういうものまでYouTubeで放送されるようになりました。
 将棋順位戦の組み合わせ抽選は,次のようにして行われるそうです。
 朝日新聞のウェブページから一部引用します。
  ・・・・・・
 B級1組からC級2組までは,三者が選んだ乱数を抽選ソフトに入力して組み合わせを自動算出する。 
 コンピューターが瞬時に導き出した抽選結果を受け,三者の担当者に連盟職員も加わった読み合わせが入念に行われた。
 コンピューターから一転してアナログなスタイルで選ぶのは10人のみ在籍するA級。
 トランプのカードをめくる方式で対戦順と手番を決める。
  ・・・・・・

 おそらく,コンピュータのなかった時代は,すべてA級のようにして決めていたのでしょう。それではたいへんなので,あるときから,おそらくプログラミングのできる職員がいたのでしょうが,そのおかげでコンピュータによる抽選になって,しかし,A級は箔をつけるために? いまも,旧来の方法が続いている,まあ,そんなところのように思います。
 こうした抽選は,それで棋士人生が左右されることもあるため,厳密であることが求められます。そしてまた,個性豊かな棋士の人たちだから,そこに疑念が生じないようにするのも大変だったことでしょう。トランプでどのように決めているのかよく知りませんが,きっと頭のいい人たちの集団だから,あるとき,くじをつくるならこれで一緒,とかいう理由ではじまったのかもしれません。
  ・・
 私は,こうしたことをプログラミングすることが得意なので,やれと言われれば(言われないけれど)組み合わせ抽選プログラムなど簡単に作ることができる自信があります。これまでも,順位戦の組み合わせではないけれど,このようなことを決めるプログラミングをいろいろ作ったことがあります。
 プログラミングには,乱数という武器があって,それがサイコロの代わりとなり,あとは条件を設定して,その条件に合うように,何度も同じ処理をくり返していけば決定します。
 ただし,その結果が公明正大であることを人間が納得すればそれでいいのですが,一番の問題はそこにあるので大変です。人にはこころがあるからです。

 ところで,先日,ABEMAの3人一組のチーム制早指しトーナメント戦のチームを決めるドラフトというものが行われました。日本のプロ野球のドラフトさながら,指名された棋士が重複したときに抽選をしました。
 そこで,プロ野球のドラフトにおける抽選もそうですが,私が意味不明だといつも思うのが,いきなりくじを引くのではなく,くじを引く順番を決めるくじをひく,ということなのです。
 くじは何番目に引いても当たる確率は同じ,などということは,高等学校の数学で学ぶことなので,だれでも知っています。だから,くじを引く順番を決めるくじなど意味がないのです。しかし,人のこころがそうしたことをしないと納得しないのでしょう。まあ,数学の苦手な人もいることだし。
 先日の将棋のドラフト会議で抽選にもれた渡辺明名人が「敗因ははじめにくじを引いたことだ。当選確率が4分の1しかなかった」と言っていましたが,いかに将棋が強いとはいえ,渡辺明名人は数学はまるでわかっていないことがこれで判明しました。

 確率には,また,別の側面があります。
 それは,くじを引く前はその結果が確率であっても,結果が出てしまえば,それだけが真実ということです。これが,物理学で量子論を説明するときに例にされる「シュレディンガーのネコ」(Schrödinger's cat)というものです。さらには,確率が3分の1のとき,3回行えば1回はできる,ということではない,ということです。よく,野球で3割打者が2打数0安打のとき,次はそろそろヒットが出ますよ,という話をする解説者がいたりするのですが,その人もまた,数学がわかっていないということになります。
 また,当選確率が99パーセントであっても,はずれればそれだけであり,その反対もまたしかりです。だから,全体として集団を考えたときには,60パーセントという当選確率はそのままそれが結果となっても,当事者にすれば,そんなことは関係なく,自分が当選しなければ,当選確率が60パーセントであっても90パーセントであっても結果がでてしまえば関係ないわけです。
 確率というのはそういうものだということを忘れてはいけません。
  ・・
 そこで,こうした確率にやたらとこだわる人もあり,また,全く無頓着な人もいます。これこそが,その人の生き方につながるのでしょう。
 ということなのですが,だれしも明日のことはわからない。だから,人生は何事も運次第ともいえます。そこで,確率にこだわるのでしょう。これが人の常というものです。ただし,運を引き寄せるのもまた実力といいます。
 私は,運を引き寄せることができるかどうかは,その人が行動するかどうかにかかっているといつも思っています。そこで,それをしたことでうまくいくかどうかという確率よりも,それをしなかったときにあとで後悔するかどうかを,つねに判断の基準としています。(たとえ当選確率が低くても)「買わなければ宝くじは当たらない」とかいうCMがあるのですが,それと同じようなものかもしれません。宝くじなど銀行の金儲けに過ぎないし,私は買わなくても後悔しないので買いませんが。


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 NHKBSPで2022年3月26日に放送された「まいにち養老先生,ときどき2022冬」を何気なく見ていて引き込まれました。
 本当に「賢い」年配の男の人には独特な味があります。私が今までにそれを感じたのは,私が尊敬してやまない音楽評論家の吉田秀和さんですが,解剖学者の養老孟司さんにも,同じような感じをもちました。
  ・・・・・・
 鎌倉時代の痕跡を歩き,先人に思いを馳せる。移ろう時代のなかで,変わらないものとは…。
 自然豊かな鎌倉の私邸が雪に染まる。鎌倉時代の痕跡を歩き,「体の時代」を生きた先人に思いを馳せる。一方,雪の会津では,自身の血肉となる食物が育つ田畑を眺め,ヒトと自然の関係を問い直す。樹齢500年の巨樹を仰ぎ,子どもと虫を愛で,移ろう時代のなかに「変わらないもの」を見出そうとする。
 そんなころ,鎌倉の庭にはいつしか,春の光が満ちはじめる。
  ・・・・・・
というこの番組で,私は,養老孟司さんと鎌倉の地に想いを寄せることになりました。

 番組の中で少し触れられていた「不要不急」について,以前,「コロナ後の世界を語る」と題して,朝日新聞に次のようなふたつの記事があったのを思い出しました。
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●「社会の役に立たないという価値 角幡唯介さん語る探検論」2020年10月1日
 -角幡さんがグリーンランドを探検中,コロナ感染が拡大していた日本では「不要不急」という言葉が議論を呼んでいました-
 ええ,それは帰国後に知りました。グリーンランドから朝日新聞に6月に寄稿した際,参考に養老孟司さんの「人生は本来,不要不急」というエッセーを送ってもらったのですが,「コロナがテーマなのに、なぜ不要不急の話ばかりなんだろう」と不思議に思いました。
 この言葉が日本で議論の的になっているのを知らなかったからです。まあ,僕のような探検家は不要不急の権化でしょう。でも,自分にとって探検は絶対的に「有要有急」ですから…。
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●「私の人生,不要不急? 再考した問い 養老孟司さん」 2020年5月12日
 コロナ問題は,現代人の人生に関する根源的な問いを,いくつか浮かび上がらせた。
 不要不急という言葉ひとつをとっても,さまざまな意味合いを含む。右の内容(=「ヒトゲノムの4割はウイルスが由来で,その4割がどのような機能をもつかは不明。つまり,ヒトゲノムのほとんどが不要不急である。そういうことであれば、むしろ要であり,急であることが,生物学的には例外ではないのか」)は,この言葉から私が連想したことを述べただけで,政治家が言う不要不急と関係がないことはわかっている。さらに現在,要であり急である仕事に携わる人には,不適切な発言と思われる可能性がある。
 しかし,人生は本来,不要不急ではないか。ついそう考えてしまう。老いるとはそういうことなのかもしれない。

 もともと,人が地球上に存在していること自体が,意味のないこと,つまり必然性のないことだと思っている私です。人類など,単に,神様がサイコロを転がしていたら偶然できてしまっただけのものです。であるけれど,生を受けた以上,その生がある限り,こころ穏やかに時間の流れに身を任せるしかない。それはだれにとっても同じだから,その生には重いも軽いもないし,どんな行動にも,その行動をする人にはすべて意味があるのです。であるから,人の行為に不要不急などというものは存在せず,すべては必要であり,その時点でなさねばならないことであるわけです。
 そもそも,人類の存在自体こそが不要不急なのであって,だから,不要不急の人類が,他人のするその行動を差別して,あるいは評価して,ある種の行動を不要不急だと語ること自体が傲慢であり,人の尊厳を傷つけることだと,それが,不要不急について,私の行きついた答えでした。
 そこで,養老孟司さんが「人生は本来,不要不急だ」と書いていたのには驚くとともに,感銘を受けたわけです。
 それでも,この世で不要不急のものがあるとすれば,それは,偶然地球に生まれた不要不急の生物である人間が起こす戦争だけではないか。


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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」も,残るはわずか2週間となりました。
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 「カムカムエヴリバディ」は2021年11月から2022年4月まで放送する「連続テレビ小説」第105作です。 岡山・大阪・京都を舞台に,大正・昭和・平成・令和の4時代をラジオ英語講座とジャズと時代劇と共に生きた母娘三代の1世紀に渡る悲喜劇を描く。
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といった内容のこのドラマ,現実から考えれば,あまりに不自然な設定と展開だったりします。
 仕事もしないで1日ふらふらしているだけの夫に文句ひとついわずに円盤焼き屋さんだけで子供をふたりも育て上げる妻のるい。これまで何をやっても長続きしなかったのにちょっとラジオ講座を聴いただけで英語がペラペラになってしまった娘のひなた。居酒屋で管を巻く大女優美咲すみれ。などなど。
 現実離れだと批判する愚かな人もいるそうですが,ドラマはドラマ。そんなことはどうでもよく,すべてはおとぎ話。なので,楽しく,そして,元気がでるすばらしいドラマになりました。
 まあ,現実に目をやれば,実家がお金持ちで,生まれつき能力があって,正直にまっとうに生きていれば,若いころにめちゃくちゃやっていても,最終的に人生なんとかなるさ,というのが,世の中の真実であって,変に勉強を強制したりすれば,逆にひきこもりになる,というのが60年以上にわたって私が見てきたこの社会。それは語学の勉強も同じこと。
 そんな暗黙の了解のもと,普通の人はこのドラマのような生き方に憧れても,それを夢見てはいけません。
 それより何より,100年という時間の流れと英語を媒体として日本とアメリカをつなぐ空間,これほど雄大な「朝ドラ」がこれまであったでしょうか。そしてまた,日本の語学教育の痛烈な批判だったりもします。

 残り2週間なのですが,未だ,どう結末を迎えるのかがわからない,というものまた,推理小説以上のワクワク感を抱かせます。
 ネット上には
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「やはり森山良子! アニー・ヒラカワ ヒラカワ?」
「主題歌は息子がかかわって,母親が出演とは!!」
「平川って,ラジオの平川先生の奥様?」
「懐かしそうに神棚を見るマダム… あなた… やはりあなたは… もしかして…」
「アニーは訳あって初来日のふりをしているんですね」
「日本での生活を断ち切ってアメリカに行った安子が英語の師匠の平川先生の苗字を名乗ってる,とか?」
「安子,ロバート,平川先生,どうつながるのか」
「ひなたとアニーさんが話していて,ラジオ体操の話とラジオで英語の勉強をしてるって言ったとき,アニーさんが動揺していたから,安子ちゃん説が濃厚かな?」
「アニーさん… めっちゃ素敵やん… あなたは…」
「アニー・ヒラカワ? それは本名ではなく,平川唯一さんからとった通称では? アニーは安子からきてる? とすると、安子本人か?」
「アニー,言動からやっぱり安子の香りがするな」
「絶妙に安子ではないか,と思わせる台詞がでてくるな」
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などのコメントが見られるということですが,果たして…。
 もうこうなると,私はネタバレなんて絶対に知りたくない。この先のあと2週間の展開,とても楽しみです。

 ところで,るいが母安子の消息を探しに行ったシアトルですが,この町は日本から最も近いアメリカ本土の大都市で,私にもとても身近なところです。私が写してきた今日の写真のように,マーケットにも日本のものが溢れています。
 番組のなかでひなたのセリフに「広いからなあ,アメリカは」とありましたが,実は,アメリカの日本人社会は意外と狭いのです。企業の駐在員はともかく,アメリカに定住している日本人は,ひとり知人がいれば,どんどんと人脈がつながっていったりしていて,東京で人を探すよりも,ずっと簡単だと,経験上,私は思いますよ。

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