しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ:「感想」 > テレビ・ラジオ番組の感想

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【Summary】
Watching Kyoto Secrets from the first season, the user feels Mitsuhako causes selfish turmoil around succession. Two themes stood out: the refined Japanese aesthetic of the slightly imperfect Thirteenth Night moon, and kafuku-kyūboku—the idea that fortune and misfortune intertwine like twisted ropes, shaping life’s unpredictable yet meaningful flow.

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 残すはあと2回。
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 女三代の継承の物語。
 フランス育ちの洛は店を継ぐのか?広臣の母・嘉譽子は夫・譽太夫の隠し子を養子にすると言い出す。 広臣は東雲の紹介で橋の下に住む謎の男に洛と会いに行き…。
 釉子に失恋した幸太郎は?
 悟を再び訪ねた三八子は,料亭の女将・唯子と出会う。後の月の夜,鶴子は三八子に隠していた事実を告げる。
  ・・・・・・
 ということなのですが,この物語は,第1シリーズから見ていると,三八子がひとりでおお騒ぎをしているとしか思えません。後を継がないと決めて,男を作ってパリに行ったと思えば,義理の娘・洛が跡と継ぐと決心してパリから帰国すれば,一緒についてくる。そして,洛が跡を継ぐ覚悟ができると,私が継ぐからといって,男に離婚を迫る…。これは,私がもっとも嫌いな姿です。自分のわがままで周囲をかき混ぜて,人には厳しく,自分だけはいい気になっている。まるで,どこかの政党みたい。
 はたして,あと1回でどういう結末を迎えるか…。

 さて,今回,私が気になったのが次のふたつです。
 そのひとつは,後の月。
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 後の月は十三夜ともいいます。
 十三夜は,旧暦の13日の夜,主に旧暦9月13日の夜を指し,月見をする風習があります。
 中秋の名月である十五夜の後に巡ってくるので「後の月」, 栗や豆の収穫祝いを兼ねているので「豆名月」「栗名月」,また,中秋の名月とあわせて「二夜の月」(ふたよのつき)ともいいます。
 満月より少し欠けた十三夜の月が美しいというのは,極めて日本的な美意識だと思います。
 平安時代に書かれた「躬恒集」(みつねしゅう)の,旧暦・919年(延喜19年)9月13日に醍醐天皇が月見の宴を催し詩歌を楽しんだというのが十三夜の月見のはじまりといわれています。
 十五夜と十三夜のどちらか一方しか月見をしないことを「片見月」「方月見」といい,縁起が悪いとされています。さらに,旧暦の10月10日の十日夜(とおかんや)とあわせ,3日間月見ができると縁起がよいともいわれています。
  ・・・・・・
 この不完全さがたまらなくいい,と私も思うのですが,「京都人の密かな愉しみ」では,月を京都の風流の象徴として幾度も描いているのにも関わらず,月の映像だけがいただけない。今回の後の月もまた,映像で出てきた月は,どうみても,月齢11,ひいき目に見ても月齢12の月でした。

 もうひとつは,「禍福糾纆」(かふくきゅうぼく)。
 「禍福糾纆」とは,人生の 災い(禍)と幸福(福)は,縄をより合わせたように交互にやってくる ということ。よいことと悪いことは切り離せず,互いに絡み合って起こるというたとえのことです。
 「禍福は糾える縄の如し」(かふくはあざなえるなわのごとし)といい,人生では幸運と不運が交互にやってくるものだ。失敗のあとに思わぬ成功が来ることもある。まさに 禍福糾纆だ。ということです。
 物理学で,ボールを転がすとき,平坦な面で転がすよりも,曲がりくねった(正弦曲線のような)面で転がしたほうが早い,というのが物事の真実を突いているのです。 

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【Summary】
The seventh episode of Kyoto Secrets: Rouge – Succession depicts the pain of businesses that cannot be inherited and must close, while others struggle to continue traditions. The story shows the heavy burden of succession. However, I felt disappointed because the series focuses too much on dramatic family conflicts rather than Kyoto’s beauty and culture.

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 2026年3月8日,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」の第7回「幕の引き方」が放送されました。
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 洛は,鶴子とある和菓子屋を訪れる。廃業する決意をした女将の姿を目の当たりにした洛のこころが動く。三八子は悟に久楽屋の継承の相談を持ちかける。広臣の母・嘉譽子は夫・譽太夫に息子と向き合うよう迫り,驚きの事実を告げる。
 幸太郎は鋭二と再会。イギリスにいる釉子に電話をすると?
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 この回は,継承ができず,やむを得ず幕引きをしなければならない状況に陥ったときの無念さを裏に,いかに継承をするかという苦労が展開されました。要するに,進むも地獄、退くも地獄,というのが「伝統」の重み,ということなのでしょう。
 私は,何事も,自然の流れに任せれば,まあ,何とかなる,と思っていて,きちんとした展望もないのに何かの工夫をすればするほど事態が深刻で複雑になる,と考えるのですが,当事者とってはそう簡単にはいかないものなのでしょう。
 あと2話でどいういう結末を迎えるのでしょうか?

 ところで,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」は,どうも,私の期待したような展開のドラマになっていないので,少しがっかりしています。もっと京都らしい文化,歴史を,美しい映像とともに伝える内容を期待していましたが,ドロドロのホームドラマのようになってしまいました。9回という設定が長すぎるのです。また,女性陣はいかにも京都人らしく魅力的ですが,男性陣に深みがなく,京都人の男,という感じがしない。それが残念です。
 ところで,今の時代,こうした個人商店で,何代も続いているからといって,同じような商売が成り立つものなのでしょうか。何らかの大企業の中に入るとか,ビジネスの専門家に経営を委託するとか,観光業界とタイアップするとか,そういった工夫をして,合理的な商売に変えて行かなくては,たとえ継承ができても,その先がないように思います。それとも,京都という地であれば,今でも,こうした昔ながらの商売が成り立っているものなのでしょうか。そこが知りたい。でなければ,このドラマは,現実離れをしたおとぎ話になってしまいます。現実的な内容にするのなら,継承,というだけでなく,和菓子屋さんとか呉服屋さんという職業が抱える問題についても取り上げることが必要でしょう。

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【Summary】
In Episode 6 of "Kyoto People's Secret Pleasures: Rouge‐Inheritance", the theme of succession deepens. Miyako struggles with inheriting Kuraya, realizing tradition requires not only skill but spirit and resolve. The story portrays generational tension, showing that true succession blends youthful individuality with inherited wisdom to create renewed tradition.

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 「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」は,オリンピックでしばらく間が空いてしまいましたが,2026年3月1日に第6回「後継の資格」が放送されました。
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 鶴子が倒れた。洛は,自分の無力さを痛感する。
 重くのしかかる久楽屋の継承問題。洛はバーで志保の息子・幸太郎と出会い,庭師の世界では必ずしも血筋の人間が家を継がないという話を聞いていた。イギリスで修業をしていた幸太郎が帰国したのは師匠・美山清兵衛によばれたからと言う。
 一方,三八子は,僧から還俗した異母弟・悟を訪れる。
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ということで,いよいよ物語は佳境。今シリーズのテーマは継承,ということなので,洛さんが久楽屋を継承できるかどうか,ということがこれからの話の焦点になっていくのでしょう。

 今回の内容は,若い世代が「自分らしさ」と「継承」の間で揺れる姿から,伝統を受け継ぐ,というのは,ただ技術を学ぶだけでなく,その背景にある「こころ」や「覚悟」まで引き継がなければいけないということがいいたかったのでしょう。
 そうした世代交代は,どこにでもある話なのですが,それが京都となると,何か特別な体を成すのが,この町の恐ろしいところです。歴史が深すぎるのです。私は,若い人は「流れを受け継ぎながらも,自分の色を加えていく」ということこそが,若さの特権だと思うのです。だから,若い人なりの考えがあるから,歳寄りは任せたらいいのに,と思ってしまいます。
 実際,若い人には若い人なりの感性や時代の空気があって,それを活かしてこそ「継承」も生きたものになるわけで,伝統というのは,ただ守るだけではなく,時代に合わせて少しずつ形を変えていくもので,そうやってこそ次の世代に根づいていくです。しかし,年配の人たちにとっては,自分たちが大切にしてきたものが変わってしまうのが怖いというのもまた,当然の感情で,だからこそ,若い人の自由な発想と年配の人の知恵がうまく混ざり合えば,素敵な「新しい伝統」が生まれるのでしょう。

 「任せることの難しさ」と「任される側の覚悟」が交差して,さて,今後,どのように洛さんは成長していくのでしょうか。楽しみです。

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【Summary】
“Hannari” is a Kyoto term expressing understated elegance: gentle brightness, refinement, and natural grace without showiness. Though once a negative word meaning gaudy excess in medieval times, it evolved into today’s ideal of quiet beauty, where color, atmosphere, restraint, and dignity harmoniously blend.

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 「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」。第5回は「まことの花」。
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 洛は,三八子に教わる着付け,茶道,書道などの女将修業にやや食傷気味。老舗和菓子屋の久楽屋は,一年で一番忙しい季節を迎えていた。鶴子は,病気を抱えつつ女将業に精を出し,洛も女将見習いをしていく。
 中秋の名月の夜,お月見をしていると,三八子や鶴子は「中秋の名月より“後の名月”のほうがはんなり”している」という。「はんなり」を調べようとする洛に東雲は?
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 ということで,今回の話題は「はんなり」です。

 諸説あれど,「はんなり」は,「花なり」あるいは「華なり」が転じたということです。華やかだけれど,決して咲き誇らない。 控えめな美を尊ぶ京都の美意識そのものです。このことばを,京都人が使うとき,その背後には,色・空気・間合い・品がすべて溶け込んでいます。
●上品で,明るく,しっとりしている 派手ではない, しかし地味でもない。 ふわっと華やぐが,決して前へ出すぎない。 まるで薄紅の椿が,冬の庭にそっと咲いているような存在感。
● 力みのない美しさ 京都の美意識は「頑張ってます感」を嫌います。はんなりは,余裕・ゆとり・自然体の美を含んでいます。
●色気ではなく「気品」。 艶っぽさよりも気品と柔らかさが前に出る。 舞妓さんの所作や,京ことばの柔らかい語尾が象徴的。
 たとえば,
 「はんなりした着物やね」は,色が明るくて上品。柄がうるさくない。
 「あの人,はんなりしてはる」は,物腰が柔らかく,落ち着いていて,品がある。
 「このお菓子,はんなりしてる」は,甘さや香りが控えめで,上品にまとまっている。
という感じで,対象は人でも物でも空気でもよく,「京都的な上品さがふわっと漂う状態」 を指します。
 では,今回の番組にも出てきた「はんなり」を英語で表すのはむずかしいのですが,ニュアンスからさがしてみると
 ① graceful
  「優雅で落ち着いた」という感じ
 ②elegant in a gentle way
  「派手ではない優雅さ」
 ③subtly refined
  「控えめだけれど洗練されている」
 ④softly charming
  「柔らかい魅力」
 ⑤delicately elegant
  「繊細で上品な雰囲気」

 また,世阿弥が「風姿花伝」で表した「はんなり」は
  ・・・・・・
 ひする花を知ること 秘すれば花なり
 秘せずは花なる べからず となり
 この分け目を知ること 肝要の花なり
 そもそも一切の事 諸道芸において その家々に秘事ひじと申すは 秘するによりて大用たいようあるがゆゑなり
 しかれば 秘事といふことをあらはせば させることにてもなきものなり
 これを「させることにてもなし」と言ふ人は
 いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり
 まづ この花の口く伝でんにおきても ただめづらしきが花ぞと皆知るならば
 「さてはめづらしきことあるべし」と思ひまうけたらん見物けんぶつ衆しゅうの前にては
 見る人のため花ぞとも知らでこそ 為手しての花にはなるべけれ
 たとひめづらしきことをするとも 見手の心にめづらしき感はあるべからず
 されば 見る人は ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て これは花ぞとも知らぬが 為手の花なり
 さるほどに 人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて これ花なり。
  ・・
 秘密にする(ことによって生まれる)花を知ること 秘密にするから「花」であり
 秘密にしないならば「花」でありえない ということである
 (花になるかどうかという)この分け目を知ることが 「花」についての大切なところである
 そもそも全ての事 さまざまな芸道において そのそれぞれの家に秘事と申し上げるものは (それを)秘密にすることによって大きな効用があるからである
 だから 秘事ということを明らかにすると たいしたことでもないものである
 これを「大したことでもない。」と言う人は
 まだ秘事ということの大きな効用を知らないからである
 まず この「花」の口伝においても ただただ珍しいことが「花」なのだと みんなが知っているのであるならば
 「それでは珍しいことがあるだろう」と予期しているような観客たちの前では
 (演者が)たとえ珍しいことをしようとも 観客の心にめずらしいという感動はあるはずがない
 観客にとって「花」なのだと知らないでこそ 演者の「花」になるはずである
 だから 観客は ただ意外に面白い上手な演者とだけ見て これは「花」なのだとも知らないのが 演者の花なのである
 そういうことだから 人の心に予期していない感動を起こさせる方法 これが花なのである
   「風姿花伝」 第七 別紙口伝 六
  ・・・・・・

 この「花」という言葉の裏にひそむのは,現在使われている「上品でしっとり」という意味とはまったくの別物で,「派手」「けばけばしい」「上品さを欠いた華やかさ」 という否定的な意味を含むもの,ということで,当時の語感では, 派手すぎる,目立ちすぎる,風情がない,粗雑で洗練を欠くといったニュアンスが強いものといいます。要するに,世阿弥の美学である「幽玄」は,従来の意味の「花」ではなく,秘めた花になれ,ということです。
 だから,「花なり」ではなく,「秘めた花なり」。それが,現在では「秘めた」が消え「花なり」だけが残って,これが「はんなり」という京都で「上品・優雅」の意味に転じたのは,多くの京都語の特徴で,否定語を婉曲に柔らかく言い換える文化の中で語感が変化したと考えられているといいます。
 世阿弥が表した「花なり」の意味だと,英語に訳すなら
 ① gaudy
  「けばけばしい,下品に派手」
 ②flashy
  「やたら目立つ」
 ③showy
  「見た目だけ派手」
 ④vulgar in its showiness
  「派手さが下品」
 ⑤lacking refined elegance
  「洗練を欠く」
 このような,奥の深い文化,はんなりとした文化,インバウンドの方々には到底理解できますまい。

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Cold Moon 2026.

2026年2月2日の早朝に写した満月です。
ちょうど新幹線が通りました。
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【Summary】
The episode explores Kyoto’s “rooji,” narrow alleys filled with lived memory and linguistic elegance, compared with Nagoya’s “kansho.” It reflects on heritage, language, and place, while questioning the burden of succession in traditional families and the tension between inherited paths and personal freedom.

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 第4回は「路地(ろおじ)の記憶」。
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 老舗呉服屋の当主・伊月誉太夫から,洛と柊子は,かつて室町がいかに栄えており,今でも日本の着物文化の中心地であると熱弁を振るわれる。
 ゴリゴリの京都人ぶりにややげんなりした洛だったが、鶴子からは誉太夫の意外な裏話を聞く。
 三八子曰く,老舗に生まれた人間は「跡を継ぎたくない病」にかかるらしい。洛は実母の実家のある西陣を訪ね光治と出会う。
  ・・・・・・

 ところで,今回の題名にある「ろおじ」。この読み方は京ことばの特徴のひとつで,古い日本語の音の名残をとどめているものです。「ろーじ」と伸ばして発音することで,やわらかく上品な響きになる…,これは京都の人たちが大切にしてきた「ことばの美意識」の表れとでもいいますか。
 また,京都の「ろおじ」は,ただの細い道ではなく,町家と町家の間を縫うように続く暮らしの記憶が染み込んだ空間として,特別な響きを持たせて「ろおじ」とよぶことで,その文化的な重みや情緒を大切にしているという意味を込めます。
 私が子供のころに住んでいたところでは「間所」(かんしょ)といいました。「間所」といういい方は,家と家の間にある細い通路や空間を指していて,生活の動線や近所同士のつながりの場でもあっという意味では,京都の「ろおじ」と同じです。ともに,表通りから奥の町家へと続く細道を指し,そこに住む人たちの暮らしや気配がにじみ出ていることばです。これらは,町割りや町家の構造と深く結びついていて,通り抜けできる「通り庭」や「うなぎの寝床」的な家のつくりからきています。
 「かんしょ」は,名古屋やその周辺の古い町並みで使われていた地域語で,まさに,名古屋版の「ろおじ」です。名古屋の下町や旧市街も,家と家の間にある細い通路や裏へ抜ける小道のことを「かんしょ」とよび,そこは子どもたちの遊び場だったり,近所の人が顔を合わせる場所だったり,生活のにおいが詰まった空間でした。京都の「ろおじ」が町家の奥へと続く静かな通路なら,名古屋の「かんしょ」はもう少しざっくばらんで,人情味あふれる暮らしの舞台だったという違いがことばからもうかがえます。また,ともに,人と人とのつながりが生まれる場所ということが共通しています。
 洛は実母の実家のある西陣を訪ねるのですが,その場所が,まさに,「ろおじ」に中にあるというのが,この先のドラマの展開の伏線となっているのでしょうか。

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 老舗に生まれた人間は「跡を継ぎたくない病」にかかるらしい。
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 というのは,京都の老舗に限ることではありません。このような話はいくらでもあります。そして,その多くは,そうした紆余曲折を経て,やはり,元のさやに納まる,というのが,私が多く見てきたことです。私はひねくれているから,こうしたことは,結局は,挫折の産物だとも思ったりします。
 そういえば,音楽家の人たちの名前に,「響」「音」「弓」「奏」「調」…といったものが見られますが,これもまた,いかにも,という感じです。生まれながらに,そんなプレッシャーのある名前にしなくても…。実力があるのならいいのですが,そうでなければちょっと気の毒に思ったりします。
 かくいう私は,自分の将来について,そうした期待も義務も圧力も何もなく,何になるのも自由だったのですが,このことこそが,もっとも幸せなことだったと今でも思っています。

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【Summary】
The episode explores “Rakuchu and Rakugai” as both geographical and cultural boundaries in Kyoto. Through Sartre’s idea of “freedom as a sentence,” it contrasts human freedom with Kyoto people’s social constraints, suggesting that their apparent unfreedom also nurtures a unique beauty, pride, and delicate sense of identity.

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 2026年1月18日の放送された「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」第3回は「洛中洛外」でした。
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 洛(みやこ)は東雲教授の研究会で「京都の中の京都,洛中とはどこか?」という議論に巻き込まれる。 京都LOVEな柊子が勉強の成果を述べる一方で,プライド高き京都人・伊月は,老舗呉服屋の跡取り息子ならではの持論を展開し,皆をあきれさせる。果たして伊月の父とはどんな人物か!? 
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 この物語の主人公の名前の漢字でもある「洛」は,唐の都・洛陽に発することばで,京都の雅なよび名となっています。そこで,洛中というのは,洛の中部,つまりは平安京の内側,あるいは,御所を中心とした市街地を指していて,東は鴨川,西は西ノ京,南は九条,北は北大路あたりまでを含みます。一方,洛外は,文字通りその外側の地域を指します。洛内は生活圏であるのに対して,洛外には寺社や別荘が多く自然と調和した風景が広がっています。
 物理的な分類はそんな感じですが,それが文化的な価値観や美意識の違いをも表していることから,たとえば,洛中はしきたりや格式を重んじ,洛外は自然との共生や自由な発想が息づくところとされる,といった意にまでつながり,話は複雑になっていきます。

  ・・・・・・
 人間は自由の刑に処せられている。
 人間は生まれたときから何者かを定められているのではなく,自らを選択し自分を作り上げていく自由とそれに伴う責任を持っている。
   ジョン・ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)
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 今回のテーマは,かなり難しいものでした。
 このことばは,サルトルの「実存は本質に先立つ」(l’existence précède l’essence) という命題で,人間は最初から「こうであるべきだ」として生まれるのではなく,まず存在し,その後の選択と行為によって,自分が何者であるかを形づくっていくという意味です。人生はすべて自分の選択の結果だ,というのです。
 しかし,どうしてそれが「刑」なのか?
 自由はすばらしいものですが,それは同時に重荷を背負っていることになります。自由であれば,自分の生き方はすべて自分の責任ということになり,それなら,人間は逃げ場のない自由を背負わされていることになる,というのです。だから,人は,生き方・価値観・職業・愛し方・逃げるか立ち向かうかなど,無数の場面で自由に選択できれば,その積み重ねこそが「その人自身」だ,というのがサルトルの人間観となります。
 ならば,反対に,「京都人は不自由な刑に処せられている」とは?。
 京都という土地に生きる人々が,ある種の「しきたり」や「空気」に縛られて生きているということは,不自由の中にいるということになって,それもまた「刑」だというわけです。たとえば,京都では「直接的に言わない」「察する」「表と裏を使いわける」というような独特のコミュニケーション文化があり,それが,自由に振る舞うことを難しくし,「不自由な刑」に処されているかのように感じるということになるわけです。自由であることも不自由であることも,ともに生きにくいわけです。

 ということで,「自由に生きられない京都人」の哀しみや美学が今回のテーマ。しかし,このドラマは,そういう「不自由さ」の中にこそ,京都らしい美意識や誇りが宿っている,といいたかったのか?
 ああ,めんどくさい。

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【Summary】
In February 2024,I traveled around Lake Biwa and discovered Makino’s metasequoia avenue, featured in the drama Grace’s History. Written by Takashi Minamoto, the drama portrays poetic journeys through Japan and reflects on Kyoto identity, emphasizing subtle expression, tradition, and a quiet, lingering emotional atmosphere.

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 2024年2月27日から2月28日まで1泊2日で琵琶湖1周の旅をしました。そのとき,奥琵琶湖のマキノというところにある民宿に泊まりました。シーズンオフの奥琵琶湖は,天気がよかったこともあって最高でした。そこで知ったのがメタセコイアの並木道でしたが,この道は,2022年に放送された「グレースの履歴」というドラマのオープニングに出てくるところでした。
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 「グレース」という愛車に乗って成田に向かった妻。そして、南仏で彼女を襲ったバス転落事故。遺品として残された妻の愛車のカーナビには,夫に内緒で日本各地を訪れていた旅の履歴が残されていた! 
 妻の不貞を疑った夫・希久夫はその謎を解くため,カーナビの履歴をたどる旅に出る。
 藤沢,松本,近江八幡,尾道,松山…。
 美しい日本の原風景を名車でたどる希久夫の前に,次々と現れるかけがいのない人々との出会い。妻が遺した疑惑のカーナビ履歴。果たしてそれは妻の夫に対する裏切りだったのか,それとも…。
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というのがドラマの紹介ですが,このドラマの脚本を書いたのが,「京都人の密かな愉しみ」の脚本を手掛ける源孝志さんです。
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 映像作家・演出家・脚本家として知られる源孝志さんのドラマは,独自の世界観を描きます。
 テレビ朝日のディレクターとしてキャリアをスタートして,その後フリーになり,映画やテレビドラマ,ドキュメンタリーなど幅広く手がけています。代表作は「京都人の密かな愉しみ」シリーズのほかに,「東京タワー 〜オカンとボクと,時々,オトン〜」の演出や「プラトニック」なども手がけていて,どれもこころに染みるような作品です。
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 源孝志さんのドラマは,どこか詩的で静かな余韻がこころに残ります。映像も美しく,時間がゆっくり流れている感じがします。まさに,人生を長く生きてきたおとなの雰囲気がします。

 さて,「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」。第1回「十一面観音」に続く第2回「牙城」では
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 老舗の和菓子屋を継いでみないか,と父に提案されたパリ育ちの洛(みやこ)は,三八子の実家に転がり込み,鶴子と同居しはじめる。大学院では柊子と友人になり,教授の東雲の研究会に入り,「京都人とは何者か」というテーマと向き合うことに。柊子とお茶をしていると現れたのはパリにいるはずの三八子。夫の提案は洛には荷が重すぎると思った三八子は…。
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 「京都人とは何者か」。Copilotのアクアちゃんに聞いてみると
  ・・・・・・
 京都人は「京都独特の美意識や言葉遣い,距離感のある人間関係の築き方などを体現している人を指す」ことが多いということですが,京都人もいろいろ。みんながみんな「いけず」なわけではなく,気配り上手で奥ゆかしい人が多い…らしい。
① 遠回しな表現
 「よう言わはるわぁ」のようにやんわりと批判する。
②伝統を重んじる
 季節の移ろいや年中行事を大切にする。
②内と外の意識
 長く住んでいても「よそさん」と見なされるほど地域のつながりが深い。
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ということですが,はたしてこのドラマではどう描かれるのでしょうか。そしてまた,洛はどう思う?

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【Summary】
“Kyoto People’s Secret Pleasures: Rouge – Inheritance” revives the series with a fictional, dreamlike narrative set between Kyoto and Paris. While aware of its distance from reality and the passage of time, the reviewer welcomes its beautiful imagery and romantic tone, finding it a comforting and hopeful return to Kyoto’s allure.

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 2015年1月から2017年5月まで「京都人の密かな愉しみ」の第1シリーズが放送されました。最後は,主人公の常盤貴子さんが演じる沢藤三八子が,不倫をしてパリに旅立ち,密かな愉しみというのはこういうことだったのか,というオチで終了しました。
 これで終わりにしておけばいいものを,だれが引っ張り出してきたものか,アイデアが枯渇してしまったのか…。ともあれ,その続編となる第3シリーズ「京都人の密かな愉しみ Rouge‐継承‐」が2026年1月4日から放送されることになりました。
 その第1話は題して「十一面観音」
  ・・・・・・
 長い伝統を誇る京都の和菓子屋の若女将(わかおかみ)だった沢藤三八子は、三上驍(すぐる)との恋を実らせ結婚しパリで暮らしていた。仕事のため一時帰国した驍は,三八子の母・鶴子が重い病気にかかっていることを知り,店の継承はどうなるのか? との思いに駆られる。先妻との間の娘・洛(みやこ)はパリ育ちの大学院生。留学を希望する洛に驍は,とある大胆な提案をする。
  ・・・・・・
 というのがストーリーですが,この続編は,番組の題名にある「継承」どおり,果たして,第1シリーズの遺伝子を引き継いだすてきな番組になったのでしょうか?

 かくいう私は,第1シリーズが放送されていたころは京都に恋をしていたので,とても楽しく見ていたのですが,その後,京都は豹変し,というか,京都にインバウンドが押し寄せ,その結果,京都のよさがなくなってしまい,私も失望して,唯一,インバウンドの去った2020年のコロナ禍以外には京都には足を運ばなくなっていました。それが,2025年,京都市交響楽団の定期会員になったことで,再び,京都に足を運ぶようになったことで,京都熱が再燃しているので,私的には,放送するにはいい時期です。
 第1シリーズがドラマと現実のミックスでとてもすてきな番組だったのに,第2シリーズが現実中心だったのはがっかりしました。それに対して,今回の第3シリーズがドラマ仕立てなのは,私には好印象でした。「旅するフランス語」も終わってしまい,常盤貴子ロスだっただけに,常盤貴子さんが再び登場となれば,テンションも上がります。

 パリと京都を舞台にする,なんて,一見,何とエキゾチックなドラマのステージなんでしょう。「京都人の密かな愉しみ」だけでなく「旅するフランス語」の続編にもなります。この現実離れをした雰囲気を醸し出す想定こそが,このドラマの真骨頂。しかも,美しい映像に仕上げているから,まさに,夢物語のドラマとなっていて,これがすばらしい。
 が,現実は,ゴミだらけらしいパリとインバウンドだらけの京都。そう考えると,果たしてその実態は…と,人間をやりすぎ,実際の姿を見過ぎて冷めた目で見ているもうひとりの私がいます。そう無理せんでも,と。さらには,常盤貴子さんが母親役となっているのが,年月の重さを感じ,現実に引き戻させます。
 とはいえ,そんな私を再び夢見心地にしてくれるほどすてきなドラマです。娘役の若い主人公・洛を演じる穂志もえかさんもいいです。今後に期待。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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【Summary】
A year-end special of Local Bus Journey followed celebrities relaying a 550-kilometer route from Matsuyama to Tojinbo. Despite declining bus services, walking hardships, and harsh weather, the journey succeeded. I enjoyed the travel scenery and reflects that enduring severe natural conditions often creates the most memorable travel experiences.

######
 2025年12月27日と12月28日の2日間にわたって,テレ東で「ローカル路線バス乗り継ぎの旅!総勢15名で挑む550キロSP」が放送されました。
  ・・・・・・
 テレ東を代表する「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」年末特別編!
 ミスターバス旅・太川陽介&バス旅Wで大活躍中の髙木菜那&テレ東でレギュラー番組を持つテレ東オールスターズを代表してオードリー春日の三人をリーダーに,チーム太川→チーム春日→チーム太川→チーム髙木と4区間たすきをつなぎ,550キロ超のコースに挑む!前代未聞のバス旅リレー。
 果たしてゴールできるのか!?
  ・・・・・・
だそうです。昨年は確か8時間だったので,年々,時間が長くなっていきます。
 出演者は,太川陽介,大友花恋,クロちゃん(安田大サーカス),稲田直樹(アインシュタイン),春日俊彰(オードリー),佐々木久美,ゆめっち(3時のヒロイン),山添寛(相席スタート),トラウデン直美,すがちゃん最高No.1(ぱーてぃーちゃん),宮澤佐江,エース(バッテリィズ),高木菜那,村井美樹,Aマッソ加納ということです。
 私は,ほとんど民放の番組を見ないし,NHKも,60年以上紅白歌合戦は見たことがないし,報道番組はまったく見ないし,朝の連続テレビ小説と大河ドラマのほかには,旅番組とクラシック音楽番組,そして,歴史番組と科学番組,ときにはMLB中継と大相撲というように,ほぼBSしか見ないので,太川陽介さんと高木菜那さん,村井美樹さん,春日俊彰さん以外はまったく知りません。そもそもお笑い芸人は苦手ですが,今回は,不快な人がいなかったからよかったです。

 今回のコースは,愛媛県の松山城から福井県の東尋坊までの全長約550キロメートルを8日間・4区間でつなぐというもので,瀬戸内海をいかにして超えるかと,琵琶湖が広がる滋賀県をどのようにして北上するかがカギでした。
 近年は路線バスが少なくなり,路線バスの旅というよりも歩く旅の様相を呈していて,見ていて気の毒になることも少なくありません。また,これだけの長寿番組となると,ほとんどコースが定番化してしまうので,コースを決めるのはずいぶん大変でしょう。
 今回もまた,最終日にハラハラさせながらなんとかゴールを達成する,というものになって,これは,おそらく,何らかの筋書きは用意されていたことでしょう。でないと,最悪の場合,番組が成り立たなくなってしまいます。とはいえ,私としては,楽しければそれでいいので,野暮なことはいいますまい。それよりも,私は,バス旅はしませんが,日本各地のさまざまなところに行くので,その様子がわかるだけでも大変楽しめますし,参考になります。何より,観光地でないところを知ることができるのがいいです。こんな旅ができるのも日本ならでは,でしょう。

 しかし,筋書きがあろうとなかろうと,天候だけはどうにもなりません。
 今回の最大の見せ場であった最終日。天候が最悪でした。雨が降ったり,晴れたり,虹が出たりと,ご苦労なことでした。
 私は,2014年の夏に,アメリカのネブラスカ州に行ったことがあります。
 ネブラスカ州はアメリカの中央部に位置するのですが,天候が過酷であることと,砂嵐が多いことで知られます。私が行ったときも,雷雲が発生したり,遠くにはトルネードが見えたり,雨が降っているかと思えば,反対側は晴れていたりと,それはそれは,すごいところでした。これが自然の驚異か,と思いました。
 今にして思うに,そうした経験がもっとも記憶に残るものです。過酷な自然を体験することこそが,旅の最大の醍醐味なのかもしれません。

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【Summary】
A brilliant young Finnish conductor, Tarmo Peltokoski (b.2000), led the NHK Symphony in Mahler’s Symphony No.1 with clear vision and compelling tempo, delivering one of the most captivating performances I’ve ever heard.

######
 前回,NHK交響楽団の定期公演,2025年6月12日の第2040回フアンホ・メナ指揮のブルックナー交響曲第6番について書きました。今回は,2025年6月20日の第2041回タルモ・ペルトコスキ(Tarmo Peltokoski)指揮のマーラー交響曲第1番「巨人」について書きます。
 私はAプログラムの定期会員だったので,この定期公演も会場では聴くことができませんでした。後日FMで放送されたときに聴いて,そのときの解説で,この演奏会の様子を映像で見たいものだと思ったのですが,2025年8月10日にEテレで放送されたので,見ることができました。
 私には,HK交響楽団の定期公演は,ほかのオーケストラの演奏会と違って,音楽を楽しむ,というよりは勉強会に出かける,という位置づけになったりするのですが,それもまた,賢くなる気がするので,いいものです。しかし,それがまた,NHK交響楽団に対して,お高くとまっている,とか,プライドが高いといった悪いイメージや評価をする人の口実となっていたりします。

 それはさておき,音楽事情にあまり詳しくない私には知らない指揮者が出てくると,今はこんな注目すべき指揮者がいるんだ,と驚くことがあります。そのひとりが,この演奏会で指揮をしたタルモ・ペルトコスキという青年でした。
 フィンランド出身のタルモ・ペルトコスキさんは「2000年生まれの指揮者」ということなので,若干25歳です。経歴は次のように紹介されています。
  ・・・・・・
 14歳でヨルマ・パヌラ(Jorma Panula)に学び,シベリウス音楽院でサカリ・オラモ(Sakari Oramo)に師事。ハンヌ・リントゥ(Hannu Lintu),ユッカ・ペッカ・サラステ(Jukka-Pekka Saraste),エサ・ペッカ・サロネン(Esa-Pekka Salonen)らの指導も受ける。
 2022年1月,ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団(the Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)の首席客演指揮者に抜擢されて脚光を浴び,5月にラトヴィア国立交響楽団(Latvian National Symphony Orchestra)の音楽監督兼芸術監督,9月にロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団(the Rotterdam Philharmonic Orchestra)の首席客演指揮者,12月にトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団(the Orchestre National du Capitole de Toulouse)の音楽監督への就任が発表された。
 さらに,2026–27シーズンからは,香港フィルハーモニー管弦楽団(the Hong Kong Philharmonic Orchestra)の音楽監督に就任する。
  ・・・・・・
 若きスター誕生,ということで,世界中のオーケストラがこの指揮者を取り合っている感じです。
 なお,ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団といえばパーヴォ・ヤルヴィさん。そして,トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団といえば,トゥガン・ソヒエフさんが国際的な名声を高めたオーケストラであり,コンサートマスターの藤江扶紀さんがNHK交響楽団でときおりコンサートマスターとして参加しています。

 クラシック音楽は聴くだけで,楽器の演奏もできない私は,詳しいことはさっぱりわかりませんが,演奏会に出かけることは頻繁にあるので,私なりにそのよさは少しはわかります。そして思うのは,指揮者の最も大切なのは,どういう音楽にしたいかという主張が明確に主張できることと,それを表現するためにはまずテンポが大切だということです。
 そして,私がその演奏がすばらしいと感じるのは,演奏の出来不出来というより,そのテンポが自分が受け入れることができるかどうか,だと思うようになりました。その根拠は,好き嫌いは人それぞれですが,再三書いているように,私が拒否反応を示した「ファビオ・ルイージの第9」からです。
 私は,そういう意味でも,タルモ・ペルトコスキさんの指揮はすばらしいと思いました。最もすばらしいのは,主張が明確だということでした。指揮者の出来不出来で目に見えて演奏が変わるわかりやすいNHK交響楽団ですが,この演奏はすばらしかった。これまで何度も聴いてきたマーラー交響曲第1番「巨人」ですが,こんなに引き込まれた演奏に出会ったのははじめてのことでした。この演奏会なら行きたかったなあ。
 それにしても,クラウス・マケラ(Klaus Mäkelä),エサ・ペッカ・サロネンなど,近年,フィンランドからどうしてこうも多くの優秀な指揮者が次々と誕生するのでしょうか。


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【Summary】
Bruckner’s Symphony No. 6, rarely performed yet full of originality and emotional depth, impressed me deeply. Unlike the Seventh, all four movements are well-balanced. I was delighted to discover that the Kyoto Symphony will perform it in October 2026.

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 ブルックナーは1824年生まれなので,1879年から1881年にかけて作曲された交響曲第6番は55歳のときの作品です。これまで,ブルックナーの交響曲らしくないなあ,と私は思っていたのですが,考えてみれば,私がブルックナーの交響曲らしいと思うのは第7番以降だから,この時点では,当然,第7番以降は作曲されていないので,らしくない,という表現は当たりません。また,第6番は,ブルックナーの他の多くの交響曲とは異なり,改訂されていません。
 ブルックナーは「大胆なスタイル」で書いたと語っていて,当時のブルックナーにとって,斬新なアイデアで作られたのでしょう。私が斬新なアイデアだと思うひとつは,晩年の「ブルックナー開始」とよばれる原始霧のような弦楽器のトレモロとは少し趣が異なる第1楽章の独特なリズミカルな感じですが,この第1楽章がとても気に入りました。そして,第2楽章の,荘重な,かつ,美しい音楽は,ブルックナーの書いた音楽の中でも筆舌に尽くしがたい魅力のあるものです。さらに,幻想的な第3楽章に続いて,壮大なコーダで第4楽章が締めくくられているのは,第7番の第4楽章が少し弱いのとは異なります。

 私は,以前から,ブルックナーの交響曲第7番は,美しい第2楽章,ブルックナーらしい第3楽章のカデンツァはいいのですが,第4楽章がちょっと弱いのが欠点だと思っていました。
 第7番について,次のように書いたことがあります。
  ・・・・・・
 第7番は,他のブルックナー交響曲の最終楽章に比べると,軽快な親しみやすさにあふれている反面,終楽章が短いと否定的に評されることがあります。また,再現部の主題再現は逆に行われるのでわかりにくいという評価もあります。
 今回,久しぶりにじっくりと聴いてみて,第7番は,第2楽章と第3楽章を入れ替えて,第4楽章をなくして,それで終わりにしたらいいのではないか,と思ってしまいました。
 一度,そうして聴いてみよう。
  ・・・・・・
 そのようなわけで,実際に私は「第2楽章と第3楽章を入れ替えて,第4楽章をなくして,それで終わりにした」編集をしたものを聴いています。邪道ですが…。
 それに比べて,交響曲第6番は,すべての楽章のバランスがいいです。

 第6番の全曲初演は,ブルックナーの死後5年経った1901年にシュトゥットガルトで行われ,生前の1883年に,第2楽章と第3楽章だけがウィーンで初演されているというように,冷遇されています。また,現在でも,演奏される機会が多くありません。私がほとんど知らなかったというのも,このことが理由のひとつです。
 第6番のすばらしさは,感情の深さと構造の独創性にあります。第2楽章は,天界を思わせるような美しい旋律だし,ブルックナー特有の「時間の流れの感覚」が,各楽章を通してじっくりと味わえるのも魅力的です。それぞれの楽章は,独立していながらも全体を通じてひとつのストーリーを描いているような感覚があり,まるで,自然の風景や人間の心の動きを音で描いたかのようです。

 このように,調べれば調べるほど,魅力的な交響曲ですが,この曲のすばらしさを,今回のすばらしい指揮と演奏で味わうことができたのが実に幸いなことでした。
 さて,そんなブルックナーの交響曲第6番は演奏会であまり取り上げられることがない,という話でしたが,それがそれが,奇遇にも,わが京都市交響楽団の2026年10月定期演奏会にちゃんとプログラムとして存在しているのです。これもまたすごい! 今からとても楽しみです。

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【Summary】
I was deeply moved by Juanjo Mena’s June 12, 2025 performance of Bruckner’s Symphony No. 6 with the NHK Symphony Orchestra—an overlooked work that became a new treasure for me thanks to his superb conducting.

######
 NHK交響楽団の定期公演は,以前はFMで生放送されていましたが,現在は収録したものが遅れて放送されるようになってしまいました。また,さらにEテレでは数か月遅れで放送されています。ちなみに,NHKホールで直に演奏を聴くよりもFMやEテレのほうが圧倒的に音がいいです。
 その多くを,何となく聴いたり見たり,という状態ですが,ときどき,何だこれは! と途中から思わず聴き入ってしまうものがあります。それらは,2024年から2025年にかけてのシーズンの演奏会でいえば,2024年10月19日の第2020回ヘルベルト・ブロムシュテット指揮のブラームス交響曲第4番,2025年1月18日の第2028回トゥガン・ソヒエフ指揮のショスタコービッチ交響曲第7番「レニングラード」,1月24日の第2029回トゥガン・ソヒエフ指揮のブラームス交響曲第1番,1月30日の第2030回トゥガン・ソヒエフ指揮のドヴォルザーク交響曲第8番,だったのですが,こうしたものは,保存しておいて,何度も聴いています。

 辛辣な批評を書いている人には,演奏がいつも事務的だとか,管楽器がよれよれだとか,NHK交響楽団にはけっこう厳しいのですが,それらをよく読んでみると,要するに,技術的にはすばらしいけれど,音楽を体で表現していない,もっと軽くいうと,ノリが悪い,というものが多いです。私もそう思います。
 日本の3大オーケストラといわれるのがNHK交響楽団,東京都交響楽団,読売日本交響楽団ですが,その中でも,NHK交響楽団はノリが悪いです。学者さんの講義を聞いているような感じです。また,海外のオーケストラの多くは,演奏者がみなソリストのように躍動しているような演奏スタイルだし,近ごろ私が推している京都市交響楽団は,ものすごくノリがよく,かつ,団員さんがとても明るいので,聴いているほうも楽しくなります。
 そんな「よそよそしい」演奏をするNHK交響楽団をノリがよいように演奏させる指揮者は大変だろうと思うのですが,そういう指揮ができた演奏が,私が思わず聞き入ってしまうものだとわかってきました。ヘルベルト・ブロムシュテットさんの場合はリスペクト感が半端じゃないし,トゥガン・ソヒエフさんが指揮をするときは,団員さんたちの表情がいつもとはまったく違います。

 さて,今日の話題は,そんな秀逸な演奏リストに,新しく,2025年6月12日の第2040回フアンホ・メナ(Juanjo Mena)指揮のブルックナー交響曲第6番を加えたい,ということです。フアンホ・メナさん,大当たりでした。すばらしい指揮者です。おそらく,今回の演奏会を機に,この先,何度も指揮をされることになると思います。
 私はブルックナーの交響曲が大好きです。そんなブルックナーなので,何度も聴いています。だから,気に入らない演奏に出会うと本当にショックです。私の宝物を奪うなよ,と悲しくなります。その反対に,すばらしい演奏に出会ったときは,幸福を感じます。…ですが,交響曲第6番は,うかつにも,これまで,ほとんど気に留めた作品ではありませんでした。
 ブルックナーの交響曲は,第3番,第4番,第7番,第8番,第9番,といったものがよく取り上げられていて,私も,そのリストにない第5番と第6番は,自分から選んで聴くこともありませんでした。第2040回で演奏された第6番がFMで放送されたとき,はじめのうちは何となく聴いていたのですが,次第にそれが驚きに変わり,最後は,感動で満ちました。もちろん曲もすばらしいのですが,演奏がまたよかった。
 またひとつ新しい宝物を手に入れました。


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【Summary】
On January 11, 2025, I attended the Central Aichi Symphony Orchestra’s concert featuring violinist Mayuko Kamio, conducted by Junichi Hirokami. Kamio’s performance of Tchaikovsky’s Violin Concerto was outstanding, especially the first movement. The encore was Paganini’s Caprice No. 5. The program also included Berlioz’s Symphonie fantastique, which was delightful. After the concert, Hirokami gave remarks and requested donations for disaster relief in the Noto Peninsula, followed by an encore of Grieg’s Last Spring. It was a truly fulfilling experience.

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 2025年1月11日。
 これまで,演奏会で多くのソリストの演奏を聴いてきましたが,以前から一度聴いてみたいと思っていたヴァイオリニストの神尾真由子さんは,その機会がなくて,残念に思っていました。そこで,このたび,セントラル愛知交響楽団の定期演奏会で,神尾真由子さんが出演することを知ったので,行ってみることにしました。
  ・・・・・・
 神尾真由子さんは,10歳でソリストとしてデビュー,2000年ニューヨークへ留学,2002年日本に戻り,演奏活動をはじめました。2007年第13回チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門第1位。2011年に拠点をニューヨークに移し ,2019年に再び拠点を日本に移しました。
 使用楽器は,2017年より宗次コレクションから貸与された1731年製ストラディヴァリウス「ルビノフ」(Rubinoff)ということです。
  ・・・・・・

 この日の演奏会は,広上淳一指揮で,曲目は,チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とベルリオーズの「幻想交響曲」でした。
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は哀愁ただよう曲で,若いころよく聴きましたが,なぜか,このごろはあまり耳にしません。神尾真由子さんの弾くチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は定評があるので,とても楽しみでした。
 私は,技術的なことはさっぱりわかりません。演奏のできだけでなく,さまざまな要因もすべて含めて,今日は聴きにきてよかったなあ,と思うときに,幸せを感じるわけで,それを体験したいから,演奏会に足を運ぶのです。愛知県芸術劇場コンサートホールは,音響はよいのですが,座席がいまいちで,たとえば2階席の最前列は,一見よさそうですが,実は,前にある落下防止の手すりが邪魔になって,指揮者が隠れます。今回は,2階の左側2列目で,この席は,なかなかでした。ソリストと指揮者をしっかりと見ることができました。欲をいうと,2階の右側のほうがよりよいです。
 さて,神尾真由子さんの演奏ですが,本当にすばらしいものでした。特に第1楽章。第1楽章が終わったところで,思わず拍手が起きたのもわかるような気がしました。音程もしっかりしているし,一音一音がしっかりと奏でられる,かつ,美しいのです。円熟の味。のめりこみました。
 アンコールはバガニーニの「24のカプリス」より第5番。こちらは神尾真由子さんお得意の技巧的な曲でした。

 もう1曲は,ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz)の「幻想交響曲」(Symphonie fantastique)でした。この曲もまた,以前はNHK交響楽団の定期公演でずいぶん聴いたことがあるのですが,このところご無沙汰していました。「幻想交響曲」は「恋に深く絶望しアヘンを吸った豊かな想像力を備えたある芸術家」の物語を音楽で表現したもので,「史上初のサイケデリックな交響曲」といわれる不思議なファンタジーですが,いつも楽しめる曲です。この日の演奏もなかなかのものでした。楽しい土曜日の昼下がり,こうした曲はとても適していました。
 プログラムの終了後,広上淳一さんの挨拶と能登半島の災害に関して寄付のお願いもありました。あわせて,グリーグのふたつの悲しい旋律から第2番「過ぎし春」のアンコールがありました。
 満ち足りた時間になりました。

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【Summary】
I watched TV Tokyo's special "Local Bus Relay Journey" and enjoyed its thrilling route from Naritasan Shinshoji Temple to Cape Tappi. The journey, especially through Tohoku, highlighted the challenge of traveling via local buses, with some relying on substitute buses due to past flood damage. While the program was dramatic and enjoyable, I worry about the sustainability of such travel shows given Japan's increasing transport suspensions.

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 昨年2024年12月28日と12月29日,2日間にわたって放送されたテレビ東京系の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅8時間SP」を見ました。
 この番組は,「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で千葉県・成田山新勝寺から青森県・龍飛崎を目指すガチンコ8日間の旅ということで
  ・・・・・・
 スタートの成田山新勝寺からゴールの龍飛崎までの4区間を,ふたつのチームが交代しながらリレー方式でつなぎます。リーダーを務めるのは「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」シリーズでおなじみのミスターバス旅・太川陽介と「ローカル路線バス乗り継ぎの旅W」で大活躍中の元スピードスケート日本代表・五輪メダリストの髙木菜那が,交互にタスキをつなぎ,4区間を駆け抜ける前代未聞のバス旅リレー。
  ・・・・・・
という企画で,第1区は,太川陽介と,信子,水谷隼,草薙航基。第2区は,髙木菜那と,佐々木彩夏,川村エミコ,高島礼子,第3区は太川陽介と,神田愛花,澤穂希,酒井貴士。そして、第4区は髙木菜那と,村井美樹,松村沙友理ということでした。

 私は民放をほとんど見ないのですが,「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」だけは楽しみにしています。しかも,旅のコースが,近年マイブームになっている東北ということで,ずいぶん期待しました。
 なかでも,2日目の秋田県から青森県は,私も旅行したばかりで詳しいのですが,路線バスなんてあるのかいな? と思っていました。特に,青森県は日本海側はずいぶん不便なところで,白神山地が大きく行く手を拒んでいるので,興味がありました。
 ずいぶんハラハラしましたが,あまりに奇跡的な幕切れだったので驚きました。
 この番組,どこまでが筋書きで,どこが出たとこ勝負なのかわかりませんが,所詮はバラエティ番組。楽しめればそれでいいのです。それにしても,この結末でなければ,これほど最高のドラマにはなっていなかったことでしょう。

 ところで,2024年7月に発生した大雨の影響による奥羽本線の新庄駅と院内駅間,2022年8月に発生した大雨の影響による津軽線の蟹田駅と三厩駅間において,現在バスによる代行輸送が行われていて,私はそのことを知っていて番組を見ていたのですが,もし,この区間がバスによる代行輸送でなかったら,バス路線はないのだから,この番組は成り立たなかったかもしれません。
 代行バスは定期バスではないから,その利用はルール違反じゃないの? などという野暮なことはいいませんが,バスによる旅も鉄道による旅もどんどんと運休が進んでいる現在の日本では,こうした企画自体がいつまでできるのやら,ということのほうが心配です。

cccbbbaaa

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2025年1月1日の太陽です。

初日の出を見損ねたので,せめて,黒点を…。
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【Summary】
The 2024 NHK Taiga Drama Hikaru Kimi e far exceeded my initial low expectations. Initially skeptical about its historical accuracy and polished portrayal of the Heian era, I was soon captivated by its profound script, depicting courtly power struggles, poetry, and culture. It revealed the depth of Heian politics and art, akin to modern human nature. The drama, with its rich themes and messages, became an unparalleled masterpiece, demonstrating that greatness lies in depth, not mere appearance. I now eagerly await its final two episodes.

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 2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。
 放送される前は,まったく興味がありませんでした。一体全体,平和ボケしていた平安時代を舞台として,「源氏物語」を書いただけのような紫式部の人生をドラマにして,1年間何をやるのだろうか? と思いました。そして第1回で母親が殺されてしまうといった,そんな史実とは違うらしいことからはじまるのでは,先が思いやられるなあ,と思いました。いつギブアップするか,だけが私の関心でした。
 さらに,同じく平安時代を取り扱った大河ドラマ「平清盛」が画面がきたないという評判であったのとは正反対に,「光る君へ」は雅で,この時代がこんなに美しいばかりではなかったはずなのに映像がきれいすぎるなあ,とも思いました。
 私ははじめそんな印象だったのですが,それがそれが…。自分の愚かさを悟ることになりました。
 結局,ドラマは脚本に尽きるのです。このドラマはすばらしいです。最高の大河ドラマです。見なかった人かわいそう。

 ともかく,高等学校の日本史の教科書にわずか10ページほど書かれた摂関政治と国風文化がこれほど奥の深いものであったか! と思いました。これまでのほとんどの大河ドラマが「戦」を取り扱ったのとは違い,貴族の権力争い,いわば,歴史的に見ればどうでもいいようなことですが,これは,現代の政党内の権力争いと同じで,人はまったく変わっていない。それが私には興味深いものでした。
 また,ドラマのいたるところにちりばめられた和歌や漢詩。こちらは高等学校の古典の教科書で習うよりはるかにさまざまなことを学ぶことができました。そして,興味をもちました。

 私は,以前,すばらしい芸術というのは何か? ということを考えたことがあるのですが,それは,どれだけ奥が深いか,だということがわかりました。それは人も同じで,どれだけ見かけがよくても,その人深い教養や知識がなければ,魅力的とはいえないということと同じです。このドラマにはそれがありました。
 また,大河ドラマに関しては,史実と異なる云々といわれ批判されることがあるのですが,大河ドラマは史実をその通りに演じるものではないので,そうした批判はあたりません。それよりも,歴史を媒体として,どれだけ奥が深いドラマになるか,だと私は思います。そのためには,ドラマに主張があるかどうか,なので,「光る君へ」は,その点でも,すばらしいドラマだと私は思います。
 毎週,日曜日の夜が楽しみでした。それも,あと2回。

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【Summary】
Actor Shohei Hino passed away on November 14. I first knew him from Kunitori Monogatari and later grew fond of him through Kokoro Tabi, feeling his presence in places I visited across Japan. Despite the physical toll of his bike journeys, the joy of encounters seemed to bring him happiness. May he rest in peace.

######
 2024年11月14日,火野正平さんがお亡くなりになりました。
 
 私が火野正平さんを知ったのは,NHK大河ドラマ「国盗り物語」で豊臣秀吉を演じたときでした。1973年(昭和48年)に放送された「国盗り物語」は,群雄割拠の戦国時代に一介の浪人から身を起こし美濃の国の大名にまで上りつめた斎藤道三と天下制覇を夢見ながら野望半ばに倒れた道三の意志を継いだ信長と光秀。その乱世を生きた人々の激しい葛藤を描いたものでした。
 番組を見たときは,およそ威厳のあるようには見えなかった火野正平さんでしたが,なぜか印象に残りました。

 その後は,別にファンでもなかったので,NHKBS「にっぽん縦断こころ旅」がはじまったときは,何この汚らしいおじさん,どうしてこの人を抜擢したの?と思いました。
 ところが,次第にこの番組は,私の癒しとなりました。そして,私も日本中を旅するようになると,どこに行っても,火野正平さんと何か関わりのあるところばかりだったのは驚きました。
 青森県の象岩に行けば,その岩に腰かけて火野正平さんが手紙を読んだとか,壱岐島の神社では火野正平さんが店員の女性を口説いたとか,佐渡島の民宿に泊まれば,宿の女将さんとのツーショット写真を撮ったりとか,あるいは,この道を走ったとか,そういう痕跡があるのでした。青森県の野辺地駅では,交換したお守りが飾ってありました。
 私が残念だったのは,家の近くを通ったこともあったのに,実際に走っている姿を見ることができなかったことでした。

 おそらく,自転車で旅をするのは,身体にはかなりの負担となっていたのでしょうが,その土地での人々との出会いは,それに勝る喜びだったに違いありません。そんな出会いは,なかなかできるものでなく,幸せな時間だったことでしょう。
 ご冥福をお祈りします。

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【Summary】
In 1018, Fujiwara no Michinaga recited the famous poem about the "moon at its fullest" during a banquet celebrating his daughters as empresses. While interpretations vary, from expressing transient glory to referencing the completeness of the moment, some argue Michinaga’s intent was simple: admiring the beauty of the moon, akin to his joyous mood, without deeper meaning.

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 今日2024年11月17日に放送されるNHK大河ドラマ「光る君へ」の第44回「望月の夜」。
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 此世乎は我世と所思望月乃虧たる事も無と思ヘハ
  ・・
 この世をばわが世とぞ思ふ 望月のかけたることも無しと思へば
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 1018年(寛仁2年)10月16日,藤原道長の娘の威子が後一条天皇の中宮になりました。
 宴席では,彰子が太皇太后,妍子(きよこ)が皇太后と,后の席がすべて娘で満たされた藤原道長が詠ったのち,公卿たちが数度この歌を唱和したと藤原実資の「小右記」に記録されています。
 1018年10月16日は,新暦に換算すると11月26日です。その日の月齢は16。今年2024年では11月17日の月が月齢16となります。 写真は月齢16の月です。世間では,11月16日がまさにその日と同じ月だと騒いでいるようですが,実際は11月17日,ちょうど「光る君へ」が放送されるその日です。

 この歌の意味として,従来は「おのが望みの皆かなひたるを十五夜の満月にひき比べて此の世はおのれひとりのものぞ」とされてきました。
 また,このときの月が満月でなく少し欠けたものであることを指摘して,この歌自体は「栄華のはかなさ」を示したもので,藤原道長自身はそのはかなさを知っていることを示したものであるとか,「月は少し欠けているが后となった娘は満月のように欠けていない」という意味だという解釈もあります。
 さらに,京都先端科学大学教授山本淳子によると,この歌は「今夜のこの世を私(藤原道長)は心ゆくものと思う。目前の月は欠けているが、私の月 -后となった娘たち,宴席の皆と交わした杯- は欠けていない」という意味だといいます。
 それは,まず,「わが世」の解釈では,「世」は「夜」と掛けられていて,藤原道長が,「私の世界」と言ったわけではなく,ただ「今夜の状況」という解釈が自然だというのです。
 また,「望月」では,「月」は「后」だけでなく「杯」という意味も含んでいて,「小右記」には,宴では,藤原道長は,藤原実資に,藤原頼通に酒を注ぐように頼み,次に藤原頼通頼通は左大臣の藤原顕光に,そして藤原道長,さらに,藤原公季に酒を注いだとあることから,このように,「望月」というのは「だれひとり欠けることなく酒を交わし合った杯」と詠ったという意味も重ねられているというのです。
 さらに,1008年(寛弘5年)に彰子が敦成親王を生んだ際「誕生を寿ぐ歌を」と急に指名された際,困らないように紫式部が準備した
  ・・・・・・
 めずらしき光さしそう盃は もちながらこそ千代もめぐらむ
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という歌がありました。この歌では,「さかづき」に「月」,「持ち」に「望月」が掛けられていて,藤原道長の望月の歌にとても近いものだったといいます。

 このように,さまざまな解釈ができるわけですが,私がひとつ感じるのは,藤原道長が詠った月が満月ではなく少し欠けた月だと解釈している人に感じる言葉に酔っている危うさです。
 以前「有明の月」について
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 多くの歌で詠まれる「有明の月」がどういう月か,実際に体験したことがあるのでしょうか。見たこともないのに,単にイメージに,あるいは,言葉に酔っているとしか思えない解釈をする人を言葉に酔っている危うさと同じだと私は思うのです。
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と書きました。
 それと同じように,写真を見ればわかっても,実際,肉眼で月齢16のまぶしいほど明るい月を見たとき,その月が満月に比べて少し右上が欠けている,などと気づくのでしょうか? ということです。だから,少し欠けた月を見て詠んだ,など言う解釈は言葉に酔っているだけだと私は思うのです。
 そうしたことから,この歌は,単に,満月を見て,きれいな月だなあ,この宴の状況と同じだ,と,ほろ酔い加減に詠んだだけで,あまり深読みするようなものではないのではないか,と私は感じます。

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●1018年11月26日の空
1018-10-16●2024年11月17日の空
2024-11-17


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 772年2月28日に生まれ,846年8月14日に亡くなった白居易は唐の時代の詩人で,字の白楽天として知られています。
 居易は「礼記」の「君子居易以俟命,小人行険而僥倖」(君子は安全な所にいて運が巡ってくるのを待ち,小人は冒険をして幸いを求める)に由来し,楽天は「易」の「楽天知命,故不憂」(天の法則を楽しみ運命をわきまえる。だから憂えることがない)に由来します。
 安史の乱を背景とした玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を歌った「長恨歌」は高等学校で習いました。
 「新楽府」50編は,社会批判や風刺の意図をもち,唐代にみられたさまざまな社会現象や,それを対象にして,政治批判・社会批判をする文学と意識して作ったもので,目的は,聞く者(君,臣,民)に民衆の苦しみや世相を知らせ,特に,権力を握るものに深い戒めを示すことにある,とその序にあります。

 NHK大河ドラマ「光る君へ」は,昔も今も変わらぬ,権力争いをしているだけのドラマ,といってしまえば,身も蓋もありませんが,その中に,深い深い平安時代の文学芸術がこちょこちょと出てくるので,学校の古典の授業よりもお勉強になります。
 5月12日の放送でも,まひろが「新楽府」の中の「澗底松」(かんていのまつ)を写すシーンが話題となりました。また,のちに紫式部が宮中に出仕した際,藤原道長の娘の彰子に,この「新楽府」を教えていたことも「紫式部日記」に記されています。
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 読みし書などいひけむもの,目にもとどめずなりてはべりしに,いよいよかかること聞きはべりしかば,いかに人も伝へ聞きて憎むらむと,恥づかしさに,御屏風の上に書きたることをだに読まぬ顔をしはべりしを,宮の御前にて「文集」の所々読ませたまひなどして,さるさまのこと知ろしめさまほしげにおぼいたりしかば,いとしのびて人のさぶらはぬもののひまひまに,をととしの夏ごろより,「楽府」といふ書二巻をぞしどけなながら教へたてきこえさせてはべる,隠しはべり。
  「紫式部日記」
  ・・・・・・

 「澗底松」は以下のものです。
 私は,才能がありながら,それが世に知られぬという不憫さというより,そのほうが世に出て,人と争うよりずっと自由で幸せだと思ってしまうのですが…。
  ・・・・・・
 有松百尺大十圍,生在澗底寒且卑。
 澗深山險人路絕,老死不逢工度之。
 天子明堂欠梁木,此求彼有兩不知。
 誰喻蒼蒼造物意,但與之材不與地。
 金張世祿原憲貧,牛衣寒賤貂蟬貴。
 貂蟬與牛衣,高下雖有殊。
 高者未必賢,下者未必愚。
 君不見沉沉海底生珊瑚,歷歷天上種白榆。
  ・・
 松有り百尺大なること十圍,生じて澗底じゅんていに在れば寒にして且かつ卑し。
 澗たに深く山險けはしくして人路絶ゆ,老死するも工の之を度はかるに逢はず。
 天子の明堂梁木を欠く,此に求め彼かしこに有れど兩つながら知らず。
 誰か諭さとらむ蒼蒼たる造物の意,但ただ之に材を與へ地を與へず。
 金張は世祿せいろく黄憲こうけんは賢,牛衣は寒賤にして貂蝉は貴なり。
 貂蝉と牛衣と,高下殊なる有りと雖いへども。
 高き者未だ必ずしも賢ならず,下なる者未だ必ずしも愚ならず。
 君見ずや沈沈たる海底に珊瑚を生じ,歴歴たる天上に白楡を種うるを。
  ・・
 高さ百尺,幹回り十抱えもある松の大木が,寒く深い谷底で寂しく生えている。
 谷は深く山は険しいので行く人もなく,老いて枯死しても良材を求める大工に逢うこともない。
 天子は太廟を建てようと良質の梁材を探し求めるが,谷底に松の大木があるのに両者は互いに知らないままだ。
 蒼蒼と広がる天たる創造主の意図を誰が知りよう,ただ大松に良い材質を与えながら良い適地を与えなかった。
 愚者の金日磾や張湯は先祖のおかげで名族であったが,獣医の子の黄憲は賢者の評を得ただけ貧しい生涯を終えた。
 卑賤の者は麻の牛衣を着て、高貴な者は貂蝉の冠をかぶる。
 貂蝉と牛衣と,身に着ける者の間には身分の違いはあるが。
 身分の高い者が必ずしも賢者であるとは限らないし,身分の低いものが必ずしも愚者であるとも限らない
 諸君もご存知のように人の目が届かぬ深い海底に美しい珊瑚が生じ,光り輝く天上のような宮中にはありふれた白楡の木が植えられている。
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 NHKBSで放送がはじまった「舟を編む〜私,辞書つくります〜」がおもしろいです。
 あらすじは
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 元読者モデルで出版社編集部員の岸辺みどり。担当していたファッション誌の廃刊が決まり,突然辞書編集部への異動を言い渡されてしまう。みどりを待ち受けていたのは,超まじめな上司・馬締光也をはじめとする,クセの強いメンバーたち。
 彼らは一冊の辞書「大渡海」編さんのために,並々ならぬ情熱と十数年にわたる歳月をかけていた。
  ・・・・・・
というものです。
 「舟を編む」は三浦しをんさんの原作で,2011年に単行本が発売されました。そして,その2年後に映画化もされて,私は,当時,原作も読んだし,映画もみました。
 原作とそれに基づく映画は
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 「玄武書房」の社員たちが,「大渡海」という広辞苑レベルの中型事典の編纂にかけた10年以上もの作業と,その間に起こった人間模様を描く。
 大学院で言語学を学んだがコミュニケーション能力ゼロの若手社員馬締光也が,辞書作りを通して,コミュニケーションの大切さを知り,体現していく。
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というもので
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 時は1995年。「玄武書房」の辞書編集部では,編集者の荒木が,定年と妻の病気を理由に部署を去ろうとしていた。荒木に代わる編集者として見つけたのが,大学院で言語学を学んだオタク風のコミュニケーション力など皆無の馬締。馬締に「右という言葉を説明してみろ」と言うと、ぼそぼそと「西を向いたとき北に当たる方」と答える。彼の言語感覚に感心して,馬締を辞書編集部に引き抜く。
 それから13年後,ファッション誌の編集部にいた岸辺みどりという若い編集者も加わり,翌年の3月に決定した「大渡海」の出版は,最後の確認作業に学生アルバイトもたくさん雇ってごった返していた。
  ・・・・・・
 という内容だったので,今回のドラマは,主人公を岸辺みどりとして,原作からちょうど13年後の姿を描こうとしているのかもしれません。

 はじまったばかりなので,ドラマがどのように進展していくかは知りませんが,第1回の放送で私が興味をもったのが,「なんて」という言葉でした。ドラマでは,岸辺みどりが「なんて」の意味を悟る場面で三省堂の「大辞林」の解説が効果的に使われていました。
 私は,手元にあった三省堂の「新明確国語辞典」と,もっとも信頼している岩波書店の「国語辞典」を引いてみたのですが,何も書いていない,というほど,内容に乏しいもので,がっかりしました。
 これでは埒が明かないので「ChatGPT」に聞いてみましたが,これがすばらしいものでした。そこで,さらに,「ChatGPT」にいくつかの文章を英訳してもらうことにしました。これもまた,すばらしいものでした。もう辞書「なんて」いらないなあ,と思いました。
  ・・
 実は,私は,これまで,「新解さんの謎」をきっかけとして,国語辞典にはかなり興味をもっていて,こだわりもあったのですが,この13年という月日は,それを変えてしまったようです。つまり,辞書「なんて」引かなくても「ChatGPT」に聞いたほうが早く,かつ,おもしろいのです。

 今の時代,スマートフォンの普及で,一時,一眼レフカメラの存続が危ぶまれました。今は,それぞれの役割分担が次第にわかってきて,何とか共存をしているようです。また,将棋AIが開発されたことで,将棋界は,はじめは不正疑惑などもあって迷走をしていたのですが,藤井聡太という新星が現れたこととと相まって,それをうまく活用することで,あらたな顧客を生み,今のところ,とりあえずは共存に成功しています。
 また,昔は,どの家庭にも百科事典というものが存在していましたが,今や,死滅してしまいました。辞書はそれとは若干異なるものでしょうが,それでも,多くの人にとっては,辞書もまた,同じでしょう。
 辞書の在り方を真剣に考えないと,今後は,百科事典と同じく,死滅の道をたどることになるのかもしれません。私は,そのことの方に興味があります。

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 大河ドラマ「平清盛」を続けます。
 第15回「嵐の中の一門」で,常盤御前が登場しました。常盤御前は源義経の母です。
 私は,子供のころ,よく京都の鞍馬寺に連れていってもらったので,そこで,「義経背比べ石」というものを身近に見ていました。また,市バスが五条大橋を渡るので,「京の五条の橋の上,大のおとこの弁慶は長い薙刀ふりあげて,牛若めがけて切りかかる。牛若丸は飛び退のいて...」という歌があることを聞いて,牛若丸と弁慶という名を知りました。しかし,そうした知識は童話的であり断片的でした。1993年に放送された大河ドラマ「炎立つ」で,源義経が東北の藤原三代に匿われたことが取り上げられていて,どうしてこの地に源義経が関わっているのか? と驚いたことすらありました。
 また,旧中山道を関ヶ原宿から柏原宿まで歩いていたとき,途中に「常盤御前の墓」があって,これもまた驚きました。どうしてここに常盤御前?
  ・・・・・・
 1138年(保延4年)生まれの常盤御前は, 近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女でした。
 雑仕女の採用にあたり,藤原伊通の命令によって都の美女千人を集められ,その百名の中から十名を選んだ中で,聡明で一番の美女であったといいますが,これもまた,「平清盛」で描かれました。
 やがて,源義朝の側室になり,今若,乙若,牛若を産みました。
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 第28回「友の子,友の妻」では,源頼朝の助命と常盤御前について描かれています。
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 平治の乱で捕らえられた源頼朝が平家盛の幼いころに姿が似ていたことから,母の池禅尼が哀れんで清盛に頼朝の助命を訴えたとありますが,ドラマでは,これをもとにしています。
 また,常盤御前は子供たちを連れて雪中を逃亡したのち,平清盛の元に出頭し,子供たちが殺されるのは仕方がないことだけれども,子供たちが殺されるのを見るのは忍びないから先に自分を殺して欲しいと懇願しましが,その様子と常盤御前の美しさに心を動かされた平清盛は源頼朝の助命が決定していたことを理由に,今若,乙若,牛若を助命しました。「義経記」や「平治物語」では,平清盛が常盤御前によしなき心を抱き,子供の命を盾に返答を強要したという内容が記されています。
 その後については、侍女と共に源義経を追いかけたという伝承があり,常盤御前の墓とされるものは岐阜県関ケ原町をはじめ,各所にあります。 
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 源頼朝や常盤御前の生んだ子供たちの命が救われたことが,やがて,平家滅亡につながるので,このあたりをうまく描く必要があります。でないと,ドラマは成立しません。「平清盛」では,こうした資料をもとにして,うまく物語が作られています。

 さて,平清盛に助命を認められた今若,乙若,牛若は,それぞれ別の寺院に送られました。
 今若はのちの阿野全成,乙若はのちの義円,そして,牛若がのちの源義経ですが,彼らの姿は「鎌倉殿の13人」にうまく描かれています。
 無知な私は,源義経については知っていましたが,阿野全成と義円が源義経の実の兄弟ということすら知りませんでした。
 このように,「平清盛」を見てから,改めて「鎌倉殿の13人」を見ると,まさに,伏線回収。その奥深さにのめり込むことになりました。これでまた,日本各地を旅する楽しみが増えたというものです。

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 第10回「義清散る」では,佐藤義清なる人物が詳しく語られるのですが,「佐藤義清=西行法師」だなんて,私には「何だ,そうならはじめにそう解説してくれよ」という感じでした。そう知っていればずいぶんと想い入れもできるのですが,知らずに見ていてもそれがわかりません。
 旅をしていると,吉野山の西行庵をはじめとして,西行法師ゆかりの場所がいろいろなところにあるのですが,私は,これまで,西行法師は和歌の達人,というイメージしかありませんでした。これを機会に調べてみると,もっともっとドラマのある人物でした。
 佐藤義清以外にも,「平清盛」では,明子,時子といった平清盛の妻や,鳥羽天皇の中宮皇后・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ),美福門院得子(びふくもんいんなりこ)といった女性が出てきますが,もともと女性の顔の違いが認識できず,みな同じ顔に見えてしまう私にはすぐには区別がつきません。また,待賢門院璋子の子である崇徳天皇は顕仁(あきひと)という名だし,後白河天皇も雅仁(まさひと)だし,美福門院得子の子である近衛天皇は躰仁(なりひと)ですが,幼名だけで語られても,一度では理解不能です。せめて「後の〇〇天皇」といった字幕でもあればいいのですが…。

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  ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ
    待賢門院堀河
  身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ
    西行法師
  ・・・・・・
というような,佐藤義清と待賢門院璋子の関係を暗示して,効果的に取り上げられている和歌も,この和歌を知ってはいても,こんなシチュエーションで詠まれたのか! と驚きました。いや,実際は,そんなシチュエーションで詠まれたものではないでしょうが,そんなシチュエーションを思い起させる歌だということでしょう。
  ・・
 「ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」は百人一首にある歌ですが,これは待賢門院璋子が詠んだものではなく,待賢門院璋子に出仕した待賢門院堀河が詠んだものですが,いずれにしても,関わりがあるのです。そう学べば,学生時代,百人一首の勉強にもう少し身が入ったものを,高等学校で習う百人一首は,参考書には文法については必要以上に詳しく書かれているのに,それを詠んだ人物や時代背景にはほとんど記述がありません。もし,その時代や人と人との関りを知っていれば,さぞかしおもしろかったのになあ,と悔しい思いをしました。
 このように,「平清盛」は,一度見るだけではわからないことが多いので理解不能ですが,時間のある今,何度も見直したり,わからないところは徹底的に調べながら見ていると,それがまあ,奥が深いドラマだ! ということがわかり,とても興味深いのです。また,真実かどうかは別として,その時代の逸話をさまざまな古文書から探し出して,それらをドラマの中にこれだけ多くちりばめられているのもすごいものだと感服しました。

 将棋の棋力がない人が難解な藤井聡太八冠の将棋の本当のおもしろさが理解できないように,このドラマを評価するには,ものすごく多くの知識が必要なのでしょう。そうでないのに,容易に批判するのは,自分が無知であるということを吹聴し,天に向かって唾を吐くようなものです。脚本家はそれをすべて計算づくで,浅学のあなたにはわからないんでしょう,とほくそ笑み,批判する人を値踏みしながら優越感に浸っていたのかもしれません。
 一方,現在は過保護な時代で,また,視聴率を気にするあまり大衆に媚びを売っています。大河ドラマでは,さまざまな関連番組が放送されたり,解説本が出版されたり,ドラマの冒頭でもていねいなあらすじの説明がありと,無知な私が見ても,理解不能ということはないのですが,以前は,そうではありませんでした。
  ・・
 話は飛躍します。
 こうしたドラマに限らず,リヒャルト・ワーグナーのオペラや,シェイクスピアの劇など,人類の財産ともいえる多くの芸術は,「平清盛」とは比べられないほど,もっと難解で,多くの知識がなければ,理解できません。それでも,それを評価し,楽しんでいる人がいるわけです。私はそれがとてもうらやましいです。せっかく生まれてきて,人類の財産である芸術作品のよさを味わえる能力さえ身についていないて,人生はなんと短いこと!

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 昨年,隠岐諸島に行ったとき,知夫里島で,文覚上人の墓,というものを見て以来,文覚上人なる人物に興味が湧いたことから,NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で市川猿之助さんが演じた文覚上人をまた見たくなりました。そこで,保存していた総集編を見直してみのですが,まったく出てきませんでした。そこで,「鎌倉殿の13人」の全話を見るにはどうしたらいいか,と思っていたら,NHKオンデマンドで見ることができるということがわかったので契約して,やっと見ることができました。
 文覚上人を登場させなくても,「鎌倉殿の13人」という物語は成り立つのでしょうが,脚本を書いた三谷幸喜さんが,その時代について調べているうちに,文覚上人は非常に興味をもった人物であるらしく,また,大河ドラマは真実を描いていない,などという学者気取りの人をあざ笑っているかのように,それをおもしろおかしくドラマに取り入れていたのが,脚本家の矜持というものでしょう。大河ドラマは歴史を題材としたあくまでドラマであって,でないと,単に受験勉強用の学校の歴史教材になってしまいます。
 せっかく契約したのだからと,NHKオンデマンドに存在する他の番組を調べていたら,「鎌倉殿の13人」以外にも過去の大河ドラマが多数存在していました。そこで,今日は,そんな過去に放送された大河ドラマのお話です。

 私がはじめてNHK大河ドラマにはまったのは,1973年に放送された「国盗り物語」でした。
 それ以来現在まで,最後まで見たもののあれば,途中で断念してしまったものもあります。途中で断念してしまったものには,つまらなかったものと,本当は興味があったけれど難しくてわけがわからなくなってしまった,というものがあります。そうしたもので,私がずっと気になっていたのが「勝海舟」「平清盛」「義経」の3作でした。
 「勝海舟」は,総集編だけ存在していてそれを見ることができました。総集編では物足りなかったのですが,とにかく,流れはわかりました。「義経」は,現在,NHKオンデマンドでは見ることができません。現在,すべてを見ることができるのは「平清盛」でした。
 私は,日本の歴史で,戦国時代と幕末にはすごく興味があったのですが,平安時代末期のことはそれほど興味もなく,大学受験で必要だった知識以外,ほとんど知りませんでした。「鎌倉殿の13人」も,放送する前はまったく興味がなかったのですが,見ているうちに引き込まれて,この時代に興味がわいてきました。
 「平清盛」は,主役が「どうする家康」でユニークな演技をしていた松山ケンイチさんということもあり,「鎌倉殿の13人」と今年放送される「光る君へ」の間の時代を描いたものということもあり,「平清盛」をきちんと見てみることにしたのですが,それがまあ,おもしろいこと!

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 「平清盛」は,2012年に放送された51作目のNHK大河ドラマです。
 平清盛の生涯を中心に、壇ノ浦の戦いまでの平家一門の栄枯盛衰を,源頼朝の視点を通して描いたものです。
 第1回から父・平忠盛が亡くなる第16回までが第1部,平清盛が平氏一門の棟梁となった第17回から保元の乱と平治の乱を経て公卿となった平清盛が嚴島に経典を納める第30回までが第2部,その後の第31回からが第3部です。内容豊富,ボリューム満点のドラマです。
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 このドラマは,放送当時,かなり不人気でした。その一方で,一部の人たちにはものすごく評価の高いドラマでした。私は,視聴率,などというものはどうでもよく,他人が見ようと見まいと,人気があろうとなかろうと,人は人で,どうでもいいのですが,それよりも,自分が興味があるのにわからない,ということが悔しかったのです。
 改めて見ると,このドラマが不人気だったのは,画面が汚いなどということを言った人がいるとかいないとかですが,実は,難しすぎたから,ということを再認識しました。このドラマを理解するには,山川出版社の「詳説日本史」なる高等学校の教科書程度の知識では不十分であり,書かれていないことばかりなのです。そもそも,この時代は,教科書程度の知識でも,保元の乱,平治の乱が,源と平の対決といった単純なものではなく,利害関係が複雑に入り交じっているし,人物の名前も似たようなものばかりだったので,受験勉強をしていたころの私は,さっぱりわかりませんでした。

 このドラマは,院政といって,白河天皇が幼少の子供に皇位を譲り法皇となって権力をほしいままにしているところからはじまります。次の堀河天皇は若くして亡くなったのでドラマ「平清盛」には出てこず,次のその鳥羽天皇がその不安定な地位に格闘しているというのが第1部です。
 第1部では,平清盛は白河法皇の落胤だった? とか,鳥羽天皇の本当の父は白河法皇だった? とか,崇徳天皇の父も鳥羽天皇ではなく白河法皇だった? とか,そのように伝わっている逸話などが取り入れられています。
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 「平家物語」の語り本系の諸本は,白河法皇の寵愛を受けて懐妊した祇園女御が忠盛に下賜されて,平清盛が生まれたとしています(=白河院落胤説)。また,読み本系の延慶本では,平清盛は祇園女御に仕えた中﨟女房の腹であったというように書いています。
 崇徳天皇は鳥羽天皇と中宮・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)の第1皇子ですが,「古事談」には,崇徳天皇は白河法皇と待賢門院璋子が密通して生まれた子であり,鳥羽天皇も実父は祖父・白河法皇で,崇徳天皇を「叔父子」とよんで忌み嫌っていたという逸話が記されています。
  ・・・・・・
 こういう逸話を取り入れてドラマが作られているので,大河ドラマは史実に忠実でない,と批判する人がいたわけのですが,それが真実であろうとなかろうと,歴史の授業であるまいし,歴史を題材とした作り話,でいいじゃないか,と私は思います。このほうがおもしろいし,人間の本音を露骨に描くことができます。
 以下,次回に続きます。

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ISS.

2024年1月6日午前5時39分。
月齢23.9の月と金星の間を横切る国際宇宙ステーションです。
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 NHK連続テレビ小説「らんまん」を楽しく見ています。6月いっぱいで松坂慶子さんが演じた主人公槙野万太郎の祖母たきが亡くなったことで前編が終わって,これからの3か月が後編です。私は,見ていて辛くなるドラマは嫌いだし,主人公がいじめられるのもダメですが,このドラマは,登場人物はいい人ばかりなので,こころ穏やかに見ることができます。
 なお,実際の牧野富太郎博士はひとりっ子だったし,祖母とは血のつながりがなかったということなので,このドラマの槙野家の家族は創作ですが,ドラマだから,これでよいのでしょう。

 そんな楽しいドラマですが,このドラマを見るたびに,私は,忸怩たる思いに駆られます。
 それは,このところ,2020年2月,2022年10月,2023年1月と3回高知県へ出かけて,さまざまな場所に行ったのにも関わらず,ドラマの主人公である牧野富太郎博士にちなんだ場所をすべて見落としてしまっていた,というかパスしてしまっていたということです。
 牧野富太郎という名前は子供のころから知っていました。学校で借りた伝記を読んだのです。しかし,特に興味をもったわけではありませんでした。元来,私は「生物」という教科が好きではありませんでした。それがこんなに偉大な人だったとは…。失礼しました。
 だから,高知県立牧野植物園なんて,私が高知県へ行ったころは,こんな場所に大きな植物園があって,だれが来るのだろう? と思ったほどでした。しかし,高知県立牧野植物園の横を通ったときに臨時駐車場があったほどだから,いったいどうして? とさえ思いました。こうして,何度も行く機会があったのにそれを逃してしまいました。また,牧野富太郎博士の生まれ故郷である佐川の町も通ったことがあるのですが,きれいな町だなあ,と思っただけでした。
 日本の旅はこころでするものといつも書いている私が,実は,このように,自分が無知であったために,価値のあるものを見逃していたのです。これを恥じます。

 高知県立牧野植物園だけでなく,高知県佐川町には牧野富太郎ふるさと館,また,東京にも練馬区牧野記念庭園があるということなので,今はドラマが放映されている最中なのでおそらく多くの人が訪れているだろうから,ドラマが終わったころに,ぜひ行って見たいものだと,楽しみにしてます。
 ああ,情けない。

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Buck Moon 2023.

梅雨の晴れ間。
久しぶりに満月が見えました。
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 2023年5月17日に,NHKBSPで「新・街道をゆく~北のまほろば」が放送されました。私がちょうど青森県に旅行をする前日だったので,まさにぴったりの内容でした。録画しておいて,旅から帰ってから見ました。
 以前,司馬遼太郎さんの書いた「街道をゆく」を映像化した番組が作られたのですが,「新・街道をゆく」はそれを新しく作り直したものです。
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 司馬遼太郎さんが終生深い思い入れを抱き,亡くなる2年前の1994年に旅して記したのが,青森県を歩いた「街道をゆく41~北のまほろば」。なぜ,司馬遼太郎さんが,本州最北の地である青森を,物成がよく豊かな土地を意味する「まほろば」とよんだのか。縄文の巨大遺跡から幻の中世都市,津軽が生んだ芸術家である太宰治や棟方志功…。
 厳冬の津軽半島を舞台に司馬遼太郎さんの足跡をたどる。
  ・・・・・・
という内容の番組でした。

 司馬遼太郎さんは1923年に生まれ1996年に亡くなった作家です。とても多くの作品を執筆していて,NHK大河ドラマでのよく取り上げられていました。私は大学生のころ,ずいぶんと読みました。
 小説だけでなく,紀行文や対談集も数多く,その深い洞察力と知識に基づいた歴史感は「司馬史感」といわれ,多くの人が影響を受けました。当然,批判的に思う人もいたのですが,私は若かったので,そうした批判をするような知識ももっていなかったし,よくわかりませんでした。だから,ある種,洗脳されたかもしれません。
 また,「街道をゆく」は「週刊朝日」の連載として1971年にはじまり,司馬遼太郎さんが亡くなる1996年まで25年にわたり続きました。「街道をゆく」は,日本民族と文化の源流を探り,風土と人々の暮らしのかかわりを訪ねる旅の紀行文です。
 いつ「週刊朝日」を手に取っても載っていたのですが,若かったころの私にはさしておもしろくもなかったので,これまで読んだこともありませんでした。
 しかし,今回,青森県を旅行してみて,どうして,弘前藩の殿様・津軽家が江戸時代ずっと続いたのにもかかわらず人気がなくリスペクトされていないように思えたのか,太宰治が豊かな家に生まれたのに屈折した小説を書いたのか,この寒い地で3,000年以上も縄文文化が栄えたのか,など,多くの疑問をもって帰宅しました。それからこの番組の録画をみて,まさに私が疑問に思ったことが取り上げられていて,感激しました。そして,はじめて「街道をゆく」という紀行文のおもしろさがわかりました。
 そこで,図書館で「街道をゆく41~北のまほろば」を借りて読んでみました。私は,この歳で,やっと,司馬遼太郎さんが何を書きたかったのかということがわかったのが,喜びでもあり,また,やっと追いついたという思いをもちました。

 縄文時代,この地は,食料の宝庫だったようです。山や野に木の実が豊かで,三方の海の渚では魚介がとれ,走獣も多く,川にはサケやマスがやってくるという,「北のまほろば」だったのです。
 私は,東北地方や北海道に縄文時代の遺跡が多いのは,これらの地が今のように寒くなく,もっと温暖だったからと思っていました。それも多少はあるでしょうけれど,温暖でなければ豊かでない,というのは「街道をゆく~北のまほろば」を読んでみると,どうやらコメ作についての考えのようです。コメ作中心でなかった縄文時代はそうではなく,コメ作が伝わってから,そうした価値観が根づいたと「街道をゆく41~北のまほろば」には書かれてありました。
 ところが,江戸時代,殿様はコメを上方の商人に売りつけることで貨幣に変えていたので,コメは貨幣となりました。そこで,本州最北の地はコメ作には気候的に不向きであったのにかかわらず,領主の津軽家の殿様は米作りを奨励し農地を開いたのです。しかし,5年に一度は「やませ」が吹いて飢饉が訪れるという悲劇が襲いました。これが金を借りるということにつながっていくので,次第に貧しくなっていったのです。
 明治時代になってリンゴ作りがはじまって,やっとこの地に見合った特産物が手に入ったのですが,それでも,ときに台風が襲って,実りの秋にほとんど収穫できないという悲惨な年もありました。
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 私は子供のころ,学校で,縄文時代は生活が不安定で,コメ作がはじまった弥生時代になって生活が安定したと習いました。しかし,実際は違う。縄文時代は貧富の差もなく長く平和が続きました。弥生時代になって,貧富の差ができて,人々は戦いに明け暮れるようになったのです。
 津軽,今の青森県は「北のまほろば」。コメ作りが広がる以前はとても豊かだったです。
 青森県に限らず,どの地も,こうしたさまざまな先人の苦労の上で,今の人々の生活があるということが,実際に行って,その地の空気を吸い,その地を歩くことで,実感することができるということを,私は,旅をすることで知りました。

 余談ですが -という書き方は司馬遼太郎さんの小説によく書かれてある言葉でもありますが- 「街道をゆく41~北のまほろば」の中に「無名の師」(むめいのし)という言葉がありました。浅学の私は,この言葉を知らず,調べてみたのですが,その意味は
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 起こす名分のない戦争。 特に仕掛けられる側だけでなく、仕掛ける側においても必要がなくかつ勝算が確定的でない場合に独裁的な指導者によってなされるものを言う。
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とありました。まさに,現在のお隣の大国のことだ,と思いました。昔も今も,愚かな独裁者をもつと,支配される側は悲劇です。

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  NHKBSP「ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜」,1回目のアメリカ編に続いて2回目はオーストラリア編でした。この番組は
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 世界のトラック野郎が見る景色を「主観」で楽しむ新感覚ロードドキュメンタリー。
 運送の仕事を擬似体験しながら,高さ2.5メートルの車窓に広がる壮大な景色を堪能する。
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と番組の紹介にあるのですが,オーストラリア編が放送されたのは2023年1月2日で,見逃してしまったので,再放送がいつあるのか,ずっと探していました。それが3月24日に放送されたので,録画して,佐渡島から帰ってから見ました。
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 今回の舞台はオーストラリア。
 ▼赤土の大地を横断する長距離トラックの助手席から見えた絶景とは?
 ▼6日間・4,300キロメートルの大陸横断の仕事に密着! ガイドブックにはないオーストラリアの素顔とは?
 ▼カンガルーやコアラに注意! 標識にびっくり!
 ▼荒涼とした大地「アウトバック」を疾走!
 ▼オーストラリアで一番長い約150キロメートル直線の道
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というのが,番組のテーマとなっていました。

 アメリカもそうですが,私はオーストラリアもかなりの距離を走ったことがあります。私が走ったのはニューサウスウェールズ州とクインズランド州,そして,ノーザンテリトリー州のウルル・カタジュタ国立公園あたりです。そのなかでも,ニューサウスウェールズ州とクインズランド州は砂漠の中を深夜6時間以上走った経験があります。
 番組にもあったように,オーストラリアを走るときは動物の飛び出し注意で,特にカンガルーは車と並走して走っていたり,道路にはよく死骸があります。
 しかし,それ以外は,ほとんど車も走っていないし,のどかな大平原を走りやすい道がずっと続いているので,とても楽に走ることができます。シドニーやブリスベンなどの大都会に一部高速道路があるだけで,片側1車線の道路です。
 そこで,アメリカとはまったく違っていて,変化も何もなく,かなり単調であり,刺激もありません。時折小さな町があるだけで,それ以外のところは街灯もないし,赤茶けた大地が広がっているだけです。地形も,アメリカのように変化に富んでいるわけでもありません。

 オーストラリアでは,トレイントラックといって,鉄道のように何両も接続した大型トラックが走っています。そんな国ですが,私が最も印象に残っているのは,ウルル・カタジュタ国立公園のガソリンスタンドに石油を運んできたタンクローリー車の運転手さんと話をしたときのことです。日本ではありえないものすごく長いタンクローリーを接続して,オーストラリア大陸を横断していると言っていました。とにかく,町を出ると,永遠に続くとさえ思える大地に道路だけが続いていて,ちょっと想像を超えています。自家用車ならともかく,こんな大型車が故障でもしたらどうするのだろう,と思ってしまいました。
 オーストラリアでは5時間も6時間もかけて隣町に行くのは普通のことというのですが,日本に住んでいる人に想像がつかないことでしょう。アメリカは大陸横断をしてもおもしろくロマンチックでもあるのですが,オーストラリアにはそんなときめきも感じません。
 私は,オーストラリア大陸を車で横断するような夢も勇気はもち合わせていません。であるのに,奇しくも,深夜の6時間,オーストラリア大陸を走り続けたことがあります。時に運転を休憩して外に出て空を眺めたときのろうそくの光ひとつない暗闇に輝く満天の星は地球上とは思えないすばらしさで,これだけは,オーストラリアでなければ味わえない感動でした。
 しかし,それまでは夜の光なんて星が見えなくなるだけだと毛嫌いしていたのに,遠くに町の明かりが見えたときのホッとした気持ちも,今は,強烈にこころに残っています。
 それやこれやで,懐かしい気持ちにさせられた番組でした。

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 以前,NHKBSPで放送された「まいにち養老先生、ときどき2022冬」について書いたのですが,去る2023年1月28日に「まいにち養老先生、ときどき2023冬」が放送されたので,見ました。
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 人生に必要なのは日々を生き抜くための「金言」と,ほんのちょっぴりの「毒」。
 だれもが生きづらさを感じる今,そのヒントを授けるのは解剖学者の養老孟司。自然豊かな鎌倉の私邸で暮らしている。2020年度から続くシリーズ番組の新作をお届けする。
 夏の宵,ぼんぼりに照らされながら蘇るのは敗戦の記憶。6月4日,虫の命を思う法要では小学生の頃から始まった虫捕り人生に思いを馳せる。秋には虫を求めて東南アジア・ラオスへ! 20年以上も通い続けたラオスで,「虫捕り」と自らの「人生」との関係を紐解く。
 仏教国ラオスの寺を歩き,日常から離れた異国の地で問い直す,生と死。
 老学者の穏やかで鮮やかな暮らしから,日々を癒す言葉のサプリメントを拾い上げることができる,…かもしれない。
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というのが番組の紹介です。

 本当に「賢い」年配の男の人には,鎌倉の地がとてもよく似合います。私も少しはあやかろうと,気が向くと東京に行った折り,鎌倉あたりを散歩するのですが,ここでいう鎌倉は,JR鎌倉駅から鶴岡八幡宮に続く観光地のことではありません。あんな雑踏は原宿であって,鎌倉ではありません。鎌倉の地はそうした観光客だらけの場所から少し外れると,静寂につつまれた,とてもよいところになります。
 今から45年も前のことになるでしょうか。私が大学生のころ,生まれてはじめて鎌倉に行こうと,東京駅から横須賀線に乗りました。暑い夏の日だったように記憶しています。そのころは,新宿湘南ラインなどなかったから,鎌倉へ行くには,東京駅から出発する列車に乗るのです。また,半分の車両は冷房が入っておらず,冷房の入った混雑した車両に乗るか,あるいは,冷房のない暑い,しかし,がらがらの車両に乗るか,選択できました。そんな時代,田舎者だった私は,鎌倉に行く横須賀線が普通列車なのにもかかわらず,グリーン車を連結していたのに驚きました。そういえば,私が子供のころは,グリーン車とはいわず,1等車といっていたのですが,調べてみると,グリーン車と名前を変えたのは,1969年のことだったようです。
 そのときの私が思ったのは,鎌倉には,作家や評論家,芸術家のような文化人といったお金持ちが住んでいるのだから,所用があって東京に出てくるときはグリーン車に乗るんだ,ということでした。そして,鎌倉に,また,鎌倉に住む文化人に,さらにあこがれました。

 などということを,この番組を見ると思い出すのですが,そうした昔の記憶をたどるだけでも,なぜか,ちょっとすてきな気持ちになって,若返れます。さらに,足元にも及ばないけれど,私ももう少し歳を重ねたら,養老孟司先生のようなお年寄りになりたいものだ,と改めて決意するのです。
 この世代の人たちは,第2次世界大戦の惨状を知っている最後の世代だから,平和ボケしたわれわれとは生に対する重みが違います。このごろ,世の中が再びきな臭くなってきたのは,そうした実体験のない人たちが国の中枢にいるようになったからでしょう。
 また,齢を重ねたとき,最も大切なのは,健康で,かつ,やりたいことを失わずに生きていくことです。養老孟司先生も,現職のころは社会との関わりにずいぶんと苦しんだようですが,結局,自分のやりたいことがあったから,退職をしたあとでも,ずっと輝いていられるのでしょう。
 私の齢になると,退職をしたらこれで卒業と思っている人も少なからずいて,そうした人の多くは,仕事を失くすとあとは何もない日々時間をもてあましています。また,現役時代,常にタバコを吹かせ,毎晩のように飲みに出かけていた偉そうな人から,鬼籍に入っています。そんな姿を見ていると,とても痛々しいと思うと共に,哀れにも感じます。
 いつまでもときめいていること,ときめいていられるものをもっていること。生きる情熱を失わないこと。そうでなければ,この暗い世の中で,世界が輝いて見えなくなってしまって,とてもつらいのです。
 来年もまた,世界が輝いて見られるこの番組が放送される日が,今から楽しみにしています。

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 2022年9月22日にNHKBSPで放送された「コズミック フロント」は「相対論vs量子論・事象の地平線と“異次元のダンス”」というテーマでした。少し古い話題ですが,おそらく再放送ではないと思います。私には久しぶりに興味深い内容でした。
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 「この世界は全てホログラムのような幻影だ」という信じがたい宇宙像が,物理学者たちの間で議論されている。ブラックホール研究に端を発した理論物理学の大激論に迫る。
 論争の発端は,車いすの天才・ホーキング博士が提示した「ブラックホール情報パラドックス」。ブラックホールに飲みこまれた物質の「情報」は永遠に失われるというホーキングの説を認めると,物理学の根本原理が揺らぐとして強く反論したのがサスキンド博士だ。理論物理学のふたりの巨頭が繰り広げた大論争は20年に及び,この宇宙を記述するための新たな理論「超弦理論」の研究が大きく進展した。果たして宇宙は全て幻なのか!?
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 以前にも「宇宙が“真空崩壊”!?宇宙の未来をパパに習ってみた」で登場された京都大学教授の橋本幸士さんが,進路に迷う大学生に扮した山口まゆさんを聞き手に,この話題について解説するというものでした。

 まず,ここでは,ホーキング博士は有名なので,もうひとりの物理学者であるサスキンド博士を紹介します。
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 サスキンド博士(Leonard Susskind)は1940年生まれのアメリカの物理学者で,素粒子物理学における超弦理論の創始者のひとり。
 1966年から1970年までイェシーバー大学の助教授で,1970年,南部陽一郎博士,ホルガー・ニールセン博士(Holger Bech Nielsen)とは独立にハドロンに関する弦理論を提唱。その後,イスラエルのテルアビブ大学を経て,アメリカに戻り,イェシーバー大学(Yeshiva University)で物理学教授となり,1979年より2000年までスタンフォード大学(Stanford University)の教授。2007年からカナダ・ウォータールー(Waterloo)のペリメータ理論物理研究所(Perimeter Institute for Theoretical Physics = PI)に務める。
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という経歴です。

 ブラックホールに落ち込んだ物質が本質的にもつ情報は,はたして宇宙から失われるのか失われないのかという論争があって,ホーキング博士をはじめとする一般相対性理論の研究者が多くが情報が失われると考え,サスキンド博士をはじめとする量子論(超弦理論)の研究者は失われないと考えました。この論争を「ブラックホール戦争」とよびます。
 「ブラックホール戦争」は,1976年,ホーキング博士が,ブラックホールに投げ込んだ情報は,ブラックホールの蒸発によって,外の世界から永久に失われると主張したことにはじまりました。サスキンド博士は,そんなことはありえないと考え,20年に渡る論争になりました。
 量子論には,情報の保存則があって,系が伝える情報を失うことはないとされるので,ホーキング博士の主張は,量子論を否定するものとされたのです。そして,量子論と一般相対性理論によるブラックホールの地平面と情報に関する矛盾は解決できないように思えました。
 サスキンド博士は,この矛盾に対して,1993年のサンタバーバラ会議で「ブラックホール相補性」(Black hole complementarity)という解釈を提唱しました。それは
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 According to the external observer, infalling information heats up the stretched horizon, which then reradiates it as Hawking radiation, with the entire evolution being unitary.
 However, according to an infalling observer, nothing special happens at the event horizon itself, and both the observer and the information will hit the singularity. 
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 外部の観察者によると,情報が入り込むと,引き伸ばされた地平線が加熱され,ホーキング放射として再放射され,進化全体が単一化される。
 しかし,落下する観測者によると,事象の地平線自体では特別なことは何も起こらず,観測者と情報の両方が特異点にぶつかる。
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というものです。このふたつの見方は,それぞれの観察者にとって共に真実であって,これらを「相補的」であると見なすことができるというのです。つまり,異なる観察者から見ればまったく異なる事象が,どちらも物理的に真実であるとするのです。
 1994年に
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 The holographic principle is a supposed property of quantum gravity that states that the description of a volume of space can be thought of as encoded on a lower-dimensional boundary to the region.
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 ホログラフィック原理は弦理論の教義であり、量子重力の仮定された特性であり、空間のボリュームの記述は、領域への低次元境界でエンコードされていると考えることができる。
  ・・・・・・
という超弦理論をもとにした「ホログラフィック原理」(holographic principle)が提唱され,これをもとに,情報がブラックホールの地平面の向こうで失われることはないことが証明され,サスキンド博士の主張が証明されました。
 2004年の記者会見でホーキングは考えを変えて「ブラックホール戦争」の敗戦を認めました。

 とまあ,こういう内容だったのですが,わかったようなわからないような…,要するに私には難しすぎるのです。番組を見ていて途中で寝てしまったので,改めて録画を見直しました。そもそも,物理学を数式を使わずに説明するということが無理な話です。それは,さまざまな現象を数式を使って矛盾のないように表わす,ということが物理学だからです。
 ここで行われた「ブラックホール戦争」というのは,量子論と一般相対性理論がそれぞれ全く別の学問として数式化した理論だったので,導き出された結論が違っていたことから,どちらの理論が正しいかという論争が起きたということです。そこで,それらをアウフヘーベン(aufheben=すり合わせ)するために新たなアイデアである「ホログラフィック原理」を導入してみたら,一般相対性理論におけるブラックホールの解釈が未熟だった,それを敗北と表現したというわけです。
 このように,物理学は,事象を数式によって書き表そうというものですが,そこに矛盾が生じたとき,新たな理論を作って,その矛盾を解決する,という作業をしている,「それだけのこと」です。ただし,「それだけのこと」といっても,新たな理論というアイデアを考えることも,それを高等な数学で記述するすることも,ともに難しく,だれでもできることではないのです。そしてまた,導き出された数式を理解することも,それはもはや解釈の問題なので,困難が待ちうけているのです。
  ・・
 この番組では,進路に迷う大学生が橋本幸士先生の説明を聞いて,私も大学院へ進学して学問をしたいという決意をするというのがオチでした。
 しかし,先に書いたように,こうした理論を学ぶのは,非常にたいへんなことなので,才能がある人には楽しいでしょうが,それでも人生のすべての時間をそれに捧げるほどのストイックさが必要です。しかも,教授への道はせまく,職を得ることができなければポスドクとして冷遇されてしまいます。だから,そうした研究者になるのは,世の中にはたくさんの楽しいことや知りたいこと,そして,やりたいことがあるけれど,それらのすべてを捨ててでも,よりも学問のほうがおもしろい,と感じることができる,そして,経済的にも余裕のある。そうした選ばれた人だけに許される特権なのでしょう。
 この女性にそうした覚悟があるのかな。私にはムリだな。

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 前回は,悪徳な権力を正義の味方が退治する,という「クラス」,つまりパターンの過去のドラマを紹介しました。しかし,現実に目をやれば,ドラマ以上の悪徳な権力がはびこっているこの国です。ドラマの方がずっとマシです。
 さて,今回は,別の「クラス」,つまりパターンである,この国に生きるさまざなま世代や職業の人たちの現実を描いたものを紹介します。老人の介護で家族が葛藤をする姿,女性が社会で生きにくい姿,才能のある者が変人扱いを受ける姿など,こちらもまた,日本という国の置かれた日本人の幸せあり方の葛藤をそのまま描こうとするものです。これじゃあ,少子高齢化は解決しないなあ,とドラマを見るたびに思います。この国で生きていても幸せじゃないもの。

●「俺の家の話」
 2021年の冬ドラマ。宮藤官九郎さん脚本というだけで,何が描かれるか期待されます。
 長瀬智也さんが演じるのは,ブリザード寿というリングネームをもつ現役プロレスラーの観山寿一ですが,父親に反発して,家出中。一方,西田敏行さんが演じる父親の観山寿三郎は,27世観山流宗家にして重要無形文化財「能楽」保持者ですが,要介護となり,戸田恵梨香さんが演じるしたたかな介護ヘルパーの志田さくらと婚約して遺産もすべてさくらに譲ると宣言します。
 観山寿一はプロレスラーを引退し,父親の介護を手伝うことになるのですが,介護と遺産相続を巡る激しいバトルが繰り広げらます。
 能の世界という身近でない舞台設定に,身近で切実な介護という話が絡み,見ていると切実な思いになりますが,とても内容が深い,娯楽だけでなく社会性のあるドラマです。
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●「不機嫌なジーン」
 少し古いドラマです。主人公は今は亡き竹内結子さん演じる動物行動学者のタマゴ・蒼井仁子。
 「男性=オス」はゼッタイ浮気をする生き物であるが「それはオスが悪いんじゃなくてオスの遺伝子(=ジーン)が自らを複製していくために指令を出して人間を操っているのだから仕方ない」のが生物学の通説だといいます。そんな蒼井仁子が,日々、恋に研究にと四苦八苦のラブストーリーです。
 舞台は大学の研究室で,ドラマ「ガリレオ」もそうですが,私は大学の理系の研究室を舞台とするものは好きなので,このドラマは見ていて楽しいです。しかし,ドラマで描かれる主人公・蒼井仁子は不機嫌というより,いつも悲しげです。女は社会で苦労するより家庭に入ったほうが幸せ,みたいな描かれかたをしているのがつらいです。
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●「デート~恋とはどんなものかしら~」
 いつのころからか「人生に恋愛は不要だ」と考えるようになった「恋愛力ゼロで恋愛不適合者」の女と男が,それぞれのやむにやまれぬ事情から結婚を目指すことになり,日々つたないデートを積み重ねていく,横浜を舞台にしたロマンチック・ラブコメディー。
 主演は,東大卒で内閣府の研究所で働く藪下依子を演じる杏さんと,自身を「高等遊民」と称する谷口巧を演じる長谷川博己さん。
 物語の展開は見るまでもなくわかりそうなものですが,その過程を楽しむものでしょう。
 このドラマによって「高等遊民」という言葉が有名になったそうですが,私がこのブログで「私は「高等遊民」になりたい」をかいたのは,このドラマとは関係がなかったのですが,奇しくも同じころだったようです。


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 日本のドラマは,オブジェクト指向のプログラミングにたとえると,いくつかの「クラス」があって,ドラマは,それぞれの「クラス」をもとに「オブジェクト」を生成しただけのものに思えます。
 わかりやすくいうと,いくつかの基本のパターン(=クラス)があって,そこに毎回少しだけ異なる登場人物とストーリーという実態を入れた(=オブジェクト)だけ。だから,自分の好きな基本パターンに沿ったドラマを見れば,いつもストーリーは同じだから,安心して見ることができて,難しくもなく,いい時間つぶしの娯楽になります。
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 私は,これまであまり日本のドラマを見ていなかったので,こういった,ドラマ好きの人には当たり前のことを知りませんでした。「不良老人」の私が暇をもてあまし,FOD や AmazonPrime といったサブスクを契約したら,そこに過去のドラマがたくさんあったので,これまで見ていなかったことを幸いに,それらを新鮮な気持ちで見ることができるのです。
 現在見ることができる過去のドラマの多くは,今後,劇場版として映画化され,公開されるので,その宣伝で見ることができるのだと思いますが,それは承知で,まんまとその戦略にのせられています。

 日本のドラマのひとつの「クラス」,つまりパターンは,悪徳代議士とか悪徳弁護士とか悪徳医者がいて,正義の味方である何某かが主人公となり,それらを懲らしめる,というものです。アメリカのドラマの多くが,政府や裁判所や警察や病院というものが正義で,そこに働く人たちが主人公となって,悪。すなわち法を犯す犯罪者を懲らしめるという筋書きであるのとは対照的です。大学生は,こうしたテーマで卒論を書くとおもしろいかもしれません。
 日本では,権力者は実はとんだ悪人という想定です。そのようなドラマの設定が,実際にもありそう,と思うのが,まさにこの国のあり様なのです。しかし,現実には,ドラマのような正義の味方がいないから,多くの人はいじめや圧力に遭っても,我慢し,耐え,あるいは,私のように仕事を辞めるといったことになるわけで,だからこそ,こうしたドラマを見て,日ごろの憂さをはらしているのでしょう。
 現実はドラマとは違う,という人もいますが,それは世間知らず。ドラマ以上の現実をいやというほど経験した「不良老人」の私は,私の人生にも,ドラマに出てくるような正義の味方がいたらよかったのに,といつも思うのです。
 しかし,もっと深く考えると,というか,長く生きてみると,結局,人は,権力や地位や名誉を手に入れても,それが勝ちではなく負け。ということを知りました。私が経験した当時の「悪徳」な輩たちが,今,どういう人生をおくっているのかな? と考えるだけで,私は愉快になってきます。実際の社会に正義の味方がいなくても,現実がドラマ以上に「悪徳」を裁くのです。
 そんなドラマの中から,私が気に入ったものをいくつか紹介しましょう。

●「イチケイのカラス」
 2021年の春ドラマ。刑事裁判官を主人公とする,めずらしいものです。
 このドラマでは,竹野内さんが演じる東京地方裁判所第3支部第1刑事部(イチケイ)の刑事裁判官・入間みちおが正義の味方として,つねに「職権を発動します」といって,真実を明らかにするために再調査をするという,自由奔放で型破りな裁判を展開します。この,ゆるい空気ととぼけた雰囲気の根底にある「正義」に私は憧れます。その一方で,黒木華さんが演じる東大法学部卒の世間知らずの堅物新人裁判官・坂間千鶴が,入間みちおの影響を受けて,次第に柔らかく,人間らしく,やさしくなっていくのが,粋な味付けとなっています。
 アメリカには裁判官(判事)を主人公とするドラマ「オール・ライズ 判事ローラ・カーマイケル」(All Rise)という私の好きなドラマがありますが,それと比べると日本とアメリカの裁判の在り方の違いがわかって,それもまた興味深いのですが,共に,心温まる結末となるという類似点があり,いつも救われます。
 2023年冬に映画が公開されます。
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●「七人の秘書」
 中園ミホさん脚本の痛快「秘書」ドラマです。
 「名乗るほどの者ではございません」というのが合言葉で,木村文乃さん,広瀬アリスさん, 菜々緒さん,シム・ウンギョンさん,大島優子さん, 室井滋さん,そして,江口洋介さんが演じる「七人の影の軍団」が,理不尽な目に遭う社会の弱者を救い出すべく,のさばる上級国民に鉄槌を下すというものです。
 銀行の常務秘書を務める主人公・望月千代を演じる木村文乃さんがすてきです。
 このドラマは,「ドクターX」と同じようなものですが,「ドクターX」ほどワンパターンでなく,また,「七人の秘書」たちが「ドクターX」の大門未知子ほど強くないのがいいです。また,「ドクターX」で名医紹介所の所長を演じる岸部一徳さんが,「七人の秘書」では悪徳大臣を演じて,最後に「七人の秘書」たちにぎゃふんといわされるのが痛快です。
 2022年秋に映画が公開されます。
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●「アンナチュラル」
 1話完結の法医学ミステリーで,石原さとみさんが日本に170名ほどしか登録がない「法医解剖医」の三澄ミコトを演じます。
 ドラマの舞台は,死因究明専門のスペシャリストが集まる「不自然死究明研究所=UDIラボ」。そこに運び込まれる「不自然な死=アンナチュラル・デス」の怪しい死体から,「不自然な死は許さない」と,亡くなった人だけでなく,今を生きる人々を救い,未来への希望を見出すために死因を究明します。
 医療ものにいつも出てくる権威とか既得権に,勇敢に戦う姿がスカッとしますが,いつも思うのは,現実の医学界というのは,いつもドラマで揶揄されるような,偉い人が権威主義で威張り散らしていて金に執着する,そんなひどいところなのでしょうか。


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 2022年の夏ドラマ。夏ドラマは手抜きと聞いたのであまり期待していなかったのですが,手あたり次第に第1回を見てみたら,予想に反しておもしろいものが多かったので,そのいくつかを見はじめました。
 私は,数年前まで日本のドラマにはほとんど興味がなく,アメリカのドラマオンリーだったので,一般的なことも知りませんでした。このごろ見はじめて,いろんなことがわかりました。それは,局によってドラマの性格がちがうことや,どのドラマも結局のところシーズンが変わっても同じパターンの繰り返しで出演者もいつも同じようなものだということです。人気が出ると何シーズンも継続するアメリカのドラマとはまったく違います。
 それはそれとして,そう割り切って,私には楽しく時間つぶしができればいいのです。
 私がどのドラマを見るかという基準は,原則的には,1話完結であって,ハッピーエンドになるもの,そして,深刻な内容ではないものです。あくまで私個人が楽しめればいいので,巷のうわさやら視聴率やら口コミはまったく気にしません。

●「競争の番人」
 舞台は「公正取引委員会」。坂口健太郎さんと杏さんがW主演で,原作は私が断念した春ドラマ「元彼の遺言状」と同じ新川帆立さんだそうです。
 坂口健太郎さんが演じる天才で理屈っぽくひねくれ者の小勝負勉と杏さんが演じる実直で感情のままに行動する元刑事の白熊楓が,公正取引委員会・第六審査の職員として,独占禁止法に関わる違反行為を取り締まり,経済活動における自由で公正な競争の場を守るために目を光らせ,談合やカルテルなど不正を働く企業の隠された事実をあぶり出していくというものです。
 初回から1話完結でなく,3話で完結しましたが,それなりに楽しめました。私は,天才で理屈っぽくひねくれ者の小勝負勉というキャラクターが好きです。また,途中で見るのをやめた「元彼の遺言状」よりずっとマシです。が,これで原作は尽きたということなので,この先が心配です。
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●「魔法のリノベ」
 住まいに新たな価値を創り出す住宅リノベーションをテーマとして,依頼人が奥底に抱えている家や家族に対する問題に立ち向かう主人公たちが,毎話,五感と機転と根性を駆使したリノベ提案という魔法で華麗に解決していくという仕事ドラマです。
 春に「正直不動産」というドラマを見ました。住宅というテーマ,ライバル社がいる,などの点が似ています。このドラマは1話でスカッと解決するので楽しいですが,日本のドラマの多くはそれだけでいいのに,何か余分な横の糸,つまり,「クセ」をつけるので,この先の展開で,それだけが気がかりです。私には,縦の糸,スカッと解決だけで十分です。
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●「純愛ディソナンス」
 このドラマだけこの中では異質です。
 中島裕翔さんが初の教師役で生徒と禁断の恋… 吉川愛さん演じる女子生徒との決して一線を越えてはいけない関係を描く令和の新・純愛×ドロドロエンターテインメント!!
 ということで,まったく私好みではないのですが,かつて引かれ合った2人。5年後の再会をきっかけに再び動き出した微妙で繊細な関係が「ディソナンス=不協和音」を生みだし,破滅へと向かいはじめる… というサスペンス的な前向上にまんまとのせられ,ドロドロということばが妙に魅力的に思えて見はじめたのですが,原作のない5年前の高校時代という第1部で,すでに私は挫折気味です。
 やっと第2部に入りましたが,この先おもしろければ見続けるし,そうでなければ,きっと挫折することでしょう。果たしてどうなるか?
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●「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」
 有村架純さんが演じる4回司法試験に落ちた崖っぷち東大卒パラリーガル・石子と,中村倫也さんが演じる1回で司法試験に合格した高卒の弁護士・羽男がが誰にでも起こりうる珍トラブルに挑むという 異色のリーガル・エンターテインメント! だそうです。
 「競争の番人」と似ていなくもない。また,昨年のドラマ「イチケイのカラス」とも似ていなくもないわけですが,日本のドラマというのは,悪徳政治家に悪徳医者がいて,東大卒というのはなぜかみな世間からずれていて,キャリアでない人が情に厚く能力がある… そんな同じような価値観ばかりです。そしてまた,こういうドラマを見て,実際の社会もそうじゃないか,とみんなが思ってしまうのは,おそらく,実際の社会でも多くの人がさまざまなことで苦しんでいて,ドラマを見てスカッとしたいからなのかもしれません。
 そうした中で,このドラマは,ほのぼのとした,なかなかいいものです。
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●「初恋の悪魔」
 ミステリーとコメディー,ラブストーリーの要素を組み合わせた見ごたえたっぷりの作品という触れ込みです。鹿浜鈴之介は境川署刑事課所属の警察官。元捜査一課所属だったにもかかわらず,とあるヘマをやらかし現在は停職処分中。一方,馬淵悠日は境川署総務課に勤める職員で,捜査とは縁遠い日常を送っていて,雑用ばかり押し付けられてもヘラヘラ笑っているのは,楽にストレスなく生きたいから。しかし,そんなある日,鰐淵悠日は署長から鹿浜鈴之介の監視を任されて…。
 というちょっと変わった事件ドラマです。
 はじまる前は,巷のうわさではいち押しのドラマだったようですが,期待が大きかっただけに多くの聴視者は落胆をしているとか。でも,私は,好きですよ,このドラマ。ただし,ドラマの名前の意味がよくわかりません。

 これだけの夏ドラマを見はじめたのですが,果たして,私の期待を裏切らず,最後まで見続けられるのがこの中でいくつあるのでしょうか。
 私は,こられのほかに,NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とスーパー!ドラマTVで放送している「NCSI・ハワイ」を見ているのですが,実はこのふたつが最もいいです。


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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 2022年7月14日に放送されたNHKBSP「コズミックフロント」は「アマチュア天文学の父・山本一清」でした。
 NHKのウェブページによると,内容は
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 新天体発見の数が世界一と言われる日本のアマチュア。日本はどのようにアマチュア天文大国となったのか? その礎を築いた天文学者山本一清の生涯に迫る。
  ・・・・・・
というものでした。

 しかし,この番組は,山本一清さんの人生を語るというよりは,山本一清さんによって育てられたアマチュア天文家たちの偉業を,反射鏡研磨の側面からは中村要さんと木辺茂麿さん,そして,彗星捜索の側面からは本田實さんと関勉さんを取り上げて構成したものでした。実際の山本一清さんは仕事ではさまざまな問題を抱えていたのですが,それはこの番組の趣旨ではありますまい。
 私は,この番組に登場した人たちよりひとまわり後なので,レジェンドと思っていた人たちです。いわば伝説の人たちです。
 私は,学生のころは,そうした人たちの書いた書籍をたくさん読んだし,おとなになってからは,そうした人たちが活躍した場所や関わりのあった天文台などに興味をもって,番組で取り上げられていたところのそのほとんどに行ったことがあります。そして,ああ,こういうところで活躍していたんだなあ,という感慨にふけったものです。

 昔のことは,過ぎ去った今となっては,何事も美しく感じられるものです。
 今とは違って,だれもが貧しかったのですが,お金がなくとも,手製の望遠鏡を組み立てたり,また,新しい天体の発見を夢見て毎晩のように星空を見るという夢があったわけです。しかし,学者さんは育ちのよろしい一部の特権階級の人たちが多く,学問には権威主義がはびこっていて,今のように,アマチュアの人たちに施設を積極的に公開したり,講演会を実施したりすることも少なかったように思います。そんな時代だったのにもかかわらす,アマチュアの人たちに積極的に啓蒙活動をした山本一清さんだったということで,今,この番組で取り上げられているのでしょう。
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 当時の多くの若者が抱いていたような星への夢を今の若者に語ろうにも,時代は変わってしまいました。光害で星空が消え,満天の星を,また,天の川さえ見たことのない人も多いのです。また,新しい彗星は世界中の天文台がサーベイを行って根こそぎ発見してしまいます。超新星探しも,多くの大きな望遠鏡をリモートで操縦する板垣公一さんの独占場です。これでは,一般のアマチュアが手製の望遠鏡を使って肉眼で探す余地もほとんどなくなってしまい,それがアマチュア天文家の夢を奪ってしまったことは否定できないわけです。
 また,今も星空の美しさに憧れて,写真を撮ったり観望したりしている人のほとんどは,「月刊天文ガイド」が創刊されたころの中学生や高校生がそのまま齢をとって定年を過ぎたような人たちばかりで,望遠鏡もまた高性能化して,学生が買うことのできる値段ではなくなりました。今日では,天文はこの番組で出てきたころに興味をもった年寄りだけの趣味となってしまったようです。

 しかし,おそらく,今の時代には,その時代にあった別の楽しみ方があるのでしょう。だから悲観することはないと思ったりもするのですが,学問としての天文学ならともかく,一般の多くの人が楽しむためには,そもそも,夜空に満天の星がないとはじまりません。私は,そうした場所がどんどんとなくなっていくことがとても悲しいのです。

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