しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:「感想」 > テレビ・ラジオ番組の感想

IMG_5508

【Summary】
On January 11, 2025, I attended the Central Aichi Symphony Orchestra’s concert featuring violinist Mayuko Kamio, conducted by Junichi Hirokami. Kamio’s performance of Tchaikovsky’s Violin Concerto was outstanding, especially the first movement. The encore was Paganini’s Caprice No. 5. The program also included Berlioz’s Symphonie fantastique, which was delightful. After the concert, Hirokami gave remarks and requested donations for disaster relief in the Noto Peninsula, followed by an encore of Grieg’s Last Spring. It was a truly fulfilling experience.

######
 2025年1月11日。
 これまで,演奏会で多くのソリストの演奏を聴いてきましたが,以前から一度聴いてみたいと思っていたヴァイオリニストの神尾真由子さんは,その機会がなくて,残念に思っていました。そこで,このたび,セントラル愛知交響楽団の定期演奏会で,神尾真由子さんが出演することを知ったので,行ってみることにしました。
  ・・・・・・
 神尾真由子さんは,10歳でソリストとしてデビュー,2000年ニューヨークへ留学,2002年日本に戻り,演奏活動をはじめました。2007年第13回チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門第1位。2011年に拠点をニューヨークに移し ,2019年に再び拠点を日本に移しました。
 使用楽器は,2017年より宗次コレクションから貸与された1731年製ストラディヴァリウス「ルビノフ」。
  ・・・・・・

 この日の演奏会は,広上淳一指揮で,曲目は,チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とベルリオーズの「幻想交響曲」でした。
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は哀愁ただよう曲で,若いころよく聴きましたが,なぜか,このごろはあまり耳にしません。神尾真由子さんの弾くチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は定評があるので,とても楽しみでした。
 私は,技術的なことはさっぱりわかりません。演奏のできだけでなく,さまざまな要因もすべて含めて,今日は聴きにきてよかったなあ,と思うときに,幸せを感じるわけで,それを体験したいから,演奏会に足を運ぶのです。愛知県芸術劇場コンサートホールは,音響はよいのですが,座席がいまいちで,たとえば2階席の最前列は,一見よさそうですが,実は,前にある落下防止の手すりが邪魔になって,指揮者が隠れます。今回は,2階の左側2列目で,この席は,なかなかでした。ソリストと指揮者をしっかりと見ることができました。欲をいうと,2階の右側のほうがよりよいです。
 さて,神尾真由子さんの演奏ですが,本当にすばらしいものでした。特に第1楽章。第1楽章が終わったところで,思わず拍手が起きたのもわかるような気がしました。音程もしっかりしているし,一音一音がしっかりと奏でられる,かつ,美しいのです。円熟の味。のめりこみました。
 アンコールはバガニーニの「24のカプリス」より第5番。こちらは神尾真由子さんお得意の技巧的な曲でした。

 もう1曲は,ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz)の「幻想交響曲」(Symphonie fantastique)でした。この曲もまた,以前はNHK交響楽団の定期公演でずいぶん聴いたことがあるのですが,このところご無沙汰していました。「幻想交響曲」は「恋に深く絶望しアヘンを吸った豊かな想像力を備えたある芸術家」の物語を音楽で表現したもので,「史上初のサイケデリックな交響曲」といわれる不思議なファンタジーですが,いつも楽しめる曲です。この日の演奏もなかなかのものでした。楽しい土曜日の昼下がり,こうした曲はとても適していました。
 プログラムの終了後,広上淳一さんの挨拶と能登半島の災害に関して寄付のお願いもありました。あわせて,グリーグのふたつの悲しい旋律から第2番「過ぎし春」のアンコールがありました。
 満ち足りた時間になりました。

b78211d40a56681912372a96d67fce57_page-0001


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

dddeee

【Summary】
I watched TV Tokyo's special "Local Bus Relay Journey" and enjoyed its thrilling route from Naritasan Shinshoji Temple to Cape Tappi. The journey, especially through Tohoku, highlighted the challenge of traveling via local buses, with some relying on substitute buses due to past flood damage. While the program was dramatic and enjoyable, I worry about the sustainability of such travel shows given Japan's increasing transport suspensions.

######
 昨年2024年12月28日と12月29日,2日間にわたって放送されたテレビ東京系の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅8時間SP」を見ました。
 この番組は,「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で千葉県・成田山新勝寺から青森県・龍飛崎を目指すガチンコ8日間の旅ということで
  ・・・・・・
 スタートの成田山新勝寺からゴールの龍飛崎までの4区間を,ふたつのチームが交代しながらリレー方式でつなぎます。リーダーを務めるのは「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」シリーズでおなじみのミスターバス旅・太川陽介と「ローカル路線バス乗り継ぎの旅W」で大活躍中の元スピードスケート日本代表・五輪メダリストの髙木菜那が,交互にタスキをつなぎ,4区間を駆け抜ける前代未聞のバス旅リレー。
  ・・・・・・
という企画で,第1区は,太川陽介と,信子,水谷隼,草薙航基。第2区は,髙木菜那と,佐々木彩夏,川村エミコ,高島礼子,第3区は太川陽介と,神田愛花,澤穂希,酒井貴士。そして、第4区は髙木菜那と,村井美樹,松村沙友理ということでした。

 私は民放をほとんど見ないのですが,「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」だけは楽しみにしています。しかも,旅のコースが,近年マイブームになっている東北ということで,ずいぶん期待しました。
 なかでも,2日目の秋田県から青森県は,私も旅行したばかりで詳しいのですが,路線バスなんてあるのかいな? と思っていました。特に,青森県は日本海側はずいぶん不便なところで,白神山地が大きく行く手を拒んでいるので,興味がありました。
 ずいぶんハラハラしましたが,あまりに奇跡的な幕切れだったので驚きました。
 この番組,どこまでが筋書きで,どこが出たとこ勝負なのかわかりませんが,所詮はバラエティ番組。楽しめればそれでいいのです。それにしても,この結末でなければ,これほど最高のドラマにはなっていなかったことでしょう。

 ところで,2024年7月に発生した大雨の影響による奥羽本線の新庄駅と院内駅間,2022年8月に発生した大雨の影響による津軽線の蟹田駅と三厩駅間において,現在バスによる代行輸送が行われていて,私はそのことを知っていて番組を見ていたのですが,もし,この区間がバスによる代行輸送でなかったら,バス路線はないのだから,この番組は成り立たなかったかもしれません。
 代行バスは定期バスではないから,その利用はルール違反じゃないの? などという野暮なことはいいませんが,バスによる旅も鉄道による旅もどんどんと運休が進んでいる現在の日本では,こうした企画自体がいつまでできるのやら,ということのほうが心配です。

cccbbbaaa

◇◇◇
tohoku


◇◇◇


◇◇◇
2025年1月1日の太陽です。

初日の出を見損ねたので,せめて,黒点を…。
DSC_3083s


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_4354DSC_7298

【Summary】
The 2024 NHK Taiga Drama Hikaru Kimi e far exceeded my initial low expectations. Initially skeptical about its historical accuracy and polished portrayal of the Heian era, I was soon captivated by its profound script, depicting courtly power struggles, poetry, and culture. It revealed the depth of Heian politics and art, akin to modern human nature. The drama, with its rich themes and messages, became an unparalleled masterpiece, demonstrating that greatness lies in depth, not mere appearance. I now eagerly await its final two episodes.

######
 2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。
 放送される前は,まったく興味がありませんでした。一体全体,平和ボケしていた平安時代を舞台として,「源氏物語」を書いただけのような紫式部の人生をドラマにして,1年間何をやるのだろうか? と思いました。そして第1回で母親が殺されてしまうといった,そんな史実とは違うらしいことからはじまるのでは,先が思いやられるなあ,と思いました。いつギブアップするか,だけが私の関心でした。
 さらに,同じく平安時代を取り扱った大河ドラマ「平清盛」が画面がきたないという評判であったのとは正反対に,「光る君へ」は雅で,この時代がこんなに美しいばかりではなかったはずなのに映像がきれいすぎるなあ,とも思いました。
 私ははじめそんな印象だったのですが,それがそれが…。自分の愚かさを悟ることになりました。
 結局,ドラマは脚本に尽きるのです。このドラマはすばらしいです。最高の大河ドラマです。見なかった人かわいそう。

 ともかく,高等学校の日本史の教科書にわずか10ページほど書かれた摂関政治と国風文化がこれほど奥の深いものであったか! と思いました。これまでのほとんどの大河ドラマが「戦」を取り扱ったのとは違い,貴族の権力争い,いわば,歴史的に見ればどうでもいいようなことですが,これは,現代の政党内の権力争いと同じで,人はまったく変わっていない。それが私には興味深いものでした。
 また,ドラマのいたるところにちりばめられた和歌や漢詩。こちらは高等学校の古典の教科書で習うよりはるかにさまざまなことを学ぶことができました。そして,興味をもちました。

 私は,以前,すばらしい芸術というのは何か? ということを考えたことがあるのですが,それは,どれだけ奥が深いか,だということがわかりました。それは人も同じで,どれだけ見かけがよくても,その人深い教養や知識がなければ,魅力的とはいえないということと同じです。このドラマにはそれがありました。
 また,大河ドラマに関しては,史実と異なる云々といわれ批判されることがあるのですが,大河ドラマは史実をその通りに演じるものではないので,そうした批判はあたりません。それよりも,歴史を媒体として,どれだけ奥が深いドラマになるか,だと私は思います。そのためには,ドラマに主張があるかどうか,なので,「光る君へ」は,その点でも,すばらしいドラマだと私は思います。
 毎週,日曜日の夜が楽しみでした。それも,あと2回。

DSC_2466


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

8f7a1114

【Summary】
Actor Shohei Hino passed away on November 14. I first knew him from Kunitori Monogatari and later grew fond of him through Kokoro Tabi, feeling his presence in places I visited across Japan. Despite the physical toll of his bike journeys, the joy of encounters seemed to bring him happiness. May he rest in peace.

######
 2024年11月14日,火野正平さんがお亡くなりになりました。
 
 私が火野正平さんを知ったのは,NHK大河ドラマ「国盗り物語」で豊臣秀吉を演じたときでした。1973年(昭和48年)に放送された「国盗り物語」は,群雄割拠の戦国時代に一介の浪人から身を起こし美濃の国の大名にまで上りつめた斎藤道三と天下制覇を夢見ながら野望半ばに倒れた道三の意志を継いだ信長と光秀。その乱世を生きた人々の激しい葛藤を描いたものでした。
 番組を見たときは,およそ威厳のあるようには見えなかった火野正平さんでしたが,なぜか印象に残りました。

 その後は,別にファンでもなかったので,NHKBS「にっぽん縦断こころ旅」がはじまったときは,何この汚らしいおじさん,どうしてこの人を抜擢したの?と思いました。
 ところが,次第にこの番組は,私の癒しとなりました。そして,私も日本中を旅するようになると,どこに行っても,火野正平さんと何か関わりのあるところばかりだったのは驚きました。
 青森県の象岩に行けば,その岩に腰かけて火野正平さんが手紙を読んだとか,壱岐島の神社では火野正平さんが店員の女性を口説いたとか,佐渡島の民宿に泊まれば,宿の女将さんとのツーショット写真を撮ったりとか,あるいは,この道を走ったとか,そういう痕跡があるのでした。青森県の野辺地駅では,交換したお守りが飾ってありました。
 私が残念だったのは,家の近くを通ったこともあったのに,実際に走っている姿を見ることができなかったことでした。

 おそらく,自転車で旅をするのは,身体にはかなりの負担となっていたのでしょうが,その土地での人々との出会いは,それに勝る喜びだったに違いありません。そんな出会いは,なかなかできるものでなく,幸せな時間だったことでしょう。
 ご冥福をお祈りします。

DSC_6995DSC_7971IMG_0495DSC_8475DSC_6354DSC_6356


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

Moon_age 15.5 2015_10_28

【Summary】
In 1018, Fujiwara no Michinaga recited the famous poem about the "moon at its fullest" during a banquet celebrating his daughters as empresses. While interpretations vary, from expressing transient glory to referencing the completeness of the moment, some argue Michinaga’s intent was simple: admiring the beauty of the moon, akin to his joyous mood, without deeper meaning.

######
 今日2024年11月17日に放送されるNHK大河ドラマ「光る君へ」の第44回「望月の夜」。
  ・・・・・・
 此世乎は我世と所思望月乃虧たる事も無と思ヘハ
  ・・
 この世をばわが世とぞ思ふ 望月のかけたることも無しと思へば
  ・・・・・・
 1018年(寛仁2年)10月16日,藤原道長の娘の威子が後一条天皇の中宮になりました。
 宴席では,彰子が太皇太后,妍子(きよこ)が皇太后と,后の席がすべて娘で満たされた藤原道長が詠ったのち,公卿たちが数度この歌を唱和したと藤原実資の「小右記」に記録されています。
 1018年10月16日は,新暦に換算すると11月26日です。その日の月齢は16。今年2024年では11月17日の月が月齢16となります。 写真は月齢16の月です。世間では,11月16日がまさにその日と同じ月だと騒いでいるようですが,実際は11月17日,ちょうど「光る君へ」が放送されるその日です。

 この歌の意味として,従来は「おのが望みの皆かなひたるを十五夜の満月にひき比べて此の世はおのれひとりのものぞ」とされてきました。
 また,このときの月が満月でなく少し欠けたものであることを指摘して,この歌自体は「栄華のはかなさ」を示したもので,藤原道長自身はそのはかなさを知っていることを示したものであるとか,「月は少し欠けているが后となった娘は満月のように欠けていない」という意味だという解釈もあります。
 さらに,京都先端科学大学教授山本淳子によると,この歌は「今夜のこの世を私(藤原道長)は心ゆくものと思う。目前の月は欠けているが、私の月 -后となった娘たち,宴席の皆と交わした杯- は欠けていない」という意味だといいます。
 それは,まず,「わが世」の解釈では,「世」は「夜」と掛けられていて,藤原道長が,「私の世界」と言ったわけではなく,ただ「今夜の状況」という解釈が自然だというのです。
 また,「望月」では,「月」は「后」だけでなく「杯」という意味も含んでいて,「小右記」には,宴では,藤原道長は,藤原実資に,藤原頼通に酒を注ぐように頼み,次に藤原頼通頼通は左大臣の藤原顕光に,そして藤原道長,さらに,藤原公季に酒を注いだとあることから,このように,「望月」というのは「だれひとり欠けることなく酒を交わし合った杯」と詠ったという意味も重ねられているというのです。
 さらに,1008年(寛弘5年)に彰子が敦成親王を生んだ際「誕生を寿ぐ歌を」と急に指名された際,困らないように紫式部が準備した
  ・・・・・・
 めずらしき光さしそう盃は もちながらこそ千代もめぐらむ
  ・・・・・・
という歌がありました。この歌では,「さかづき」に「月」,「持ち」に「望月」が掛けられていて,藤原道長の望月の歌にとても近いものだったといいます。

 このように,さまざまな解釈ができるわけですが,私がひとつ感じるのは,藤原道長が詠った月が満月ではなく少し欠けた月だと解釈している人に感じる言葉に酔っている危うさです。
 以前「有明の月」について
  ・・・・・・
 多くの歌で詠まれる「有明の月」がどういう月か,実際に体験したことがあるのでしょうか。見たこともないのに,単にイメージに,あるいは,言葉に酔っているとしか思えない解釈をする人を言葉に酔っている危うさと同じだと私は思うのです。
  ・・・・・・
と書きました。
 それと同じように,写真を見ればわかっても,実際,肉眼で月齢16のまぶしいほど明るい月を見たとき,その月が満月に比べて少し右上が欠けている,などと気づくのでしょうか? ということです。だから,少し欠けた月を見て詠んだ,など言う解釈は言葉に酔っているだけだと私は思うのです。
 そうしたことから,この歌は,単に,満月を見て,きれいな月だなあ,この宴の状況と同じだ,と,ほろ酔い加減に詠んだだけで,あまり深読みするようなものではないのではないか,と私は感じます。

GYE-N_2b0AA8RIB


●1018年11月26日の空
1018-10-16●2024年11月17日の空
2024-11-17


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

GNvAxEVbsAMIEwG

######
 772年2月28日に生まれ,846年8月14日に亡くなった白居易は唐の時代の詩人で,字の白楽天として知られています。
 居易は「礼記」の「君子居易以俟命,小人行険而僥倖」(君子は安全な所にいて運が巡ってくるのを待ち,小人は冒険をして幸いを求める)に由来し,楽天は「易」の「楽天知命,故不憂」(天の法則を楽しみ運命をわきまえる。だから憂えることがない)に由来します。
 安史の乱を背景とした玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を歌った「長恨歌」は高等学校で習いました。
 「新楽府」50編は,社会批判や風刺の意図をもち,唐代にみられたさまざまな社会現象や,それを対象にして,政治批判・社会批判をする文学と意識して作ったもので,目的は,聞く者(君,臣,民)に民衆の苦しみや世相を知らせ,特に,権力を握るものに深い戒めを示すことにある,とその序にあります。

 NHK大河ドラマ「光る君へ」は,昔も今も変わらぬ,権力争いをしているだけのドラマ,といってしまえば,身も蓋もありませんが,その中に,深い深い平安時代の文学芸術がこちょこちょと出てくるので,学校の古典の授業よりもお勉強になります。
 5月12日の放送でも,まひろが「新楽府」の中の「澗底松」(かんていのまつ)を写すシーンが話題となりました。また,のちに紫式部が宮中に出仕した際,藤原道長の娘の彰子に,この「新楽府」を教えていたことも「紫式部日記」に記されています。
  ・・・・・・
 読みし書などいひけむもの,目にもとどめずなりてはべりしに,いよいよかかること聞きはべりしかば,いかに人も伝へ聞きて憎むらむと,恥づかしさに,御屏風の上に書きたることをだに読まぬ顔をしはべりしを,宮の御前にて「文集」の所々読ませたまひなどして,さるさまのこと知ろしめさまほしげにおぼいたりしかば,いとしのびて人のさぶらはぬもののひまひまに,をととしの夏ごろより,「楽府」といふ書二巻をぞしどけなながら教へたてきこえさせてはべる,隠しはべり。
  「紫式部日記」
  ・・・・・・

 「澗底松」は以下のものです。
 私は,才能がありながら,それが世に知られぬという不憫さというより,そのほうが世に出て,人と争うよりずっと自由で幸せだと思ってしまうのですが…。
  ・・・・・・
有松百尺大十圍,生在澗底寒且卑。
澗深山險人路絕,老死不逢工度之。
天子明堂欠梁木,此求彼有兩不知。
誰喻蒼蒼造物意,但與之材不與地。
金張世祿原憲貧,牛衣寒賤貂蟬貴。
貂蟬與牛衣,高下雖有殊。
高者未必賢,下者未必愚。
君不見沉沉海底生珊瑚,歷歷天上種白榆。
  ・・
松有り百尺大なること十圍,生じて澗底じゅんていに在れば寒にして且かつ卑し。
澗たに深く山險けはしくして人路絶ゆ,老死するも工の之を度はかるに逢はず。
天子の明堂梁木を欠く,此に求め彼かしこに有れど兩つながら知らず。
誰か諭さとらむ蒼蒼たる造物の意,但ただ之に材を與へ地を與へず。
金張は世祿せいろく黄憲こうけんは賢,牛衣は寒賤にして貂蝉は貴なり。
貂蝉と牛衣と,高下殊なる有りと雖いへども。
高き者未だ必ずしも賢ならず,下なる者未だ必ずしも愚ならず。
君見ずや沈沈たる海底に珊瑚を生じ,歴歴たる天上に白楡を種うるを。
  ・・
高さ百尺,幹回り十抱えもある松の大木が,寒く深い谷底で寂しく生えている。
谷は深く山は険しいので行く人もなく,老いて枯死しても良材を求める大工に逢うこともない。
天子は太廟を建てようと良質の梁材を探し求めるが,谷底に松の大木があるのに両者は互いに知らないままだ。
蒼蒼と広がる天たる創造主の意図を誰が知りよう,ただ大松に良い材質を与えながら良い適地を与えなかった。
愚者の金日磾や張湯は先祖のおかげで名族であったが,獣医の子の黄憲は賢者の評を得ただけ貧しい生涯を終えた。
卑賤の者は麻の牛衣を着て、高貴な者は貂蝉の冠をかぶる。
貂蝉と牛衣と,身に着ける者の間には身分の違いはあるが。
身分の高い者が必ずしも賢者であるとは限らないし,身分の低いものが必ずしも愚者であるとも限らない
諸君もご存知のように人の目が届かぬ深い海底に美しい珊瑚が生じ,光り輝く天上のような宮中にはありふれた白楡の木が植えられている。
  ・・・・・・

無題

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_6509

######
 NHKBSで放送がはじまった「舟を編む〜私,辞書つくります〜」がおもしろいです。
 あらすじは
  ・・・・・・
 元読者モデルで出版社編集部員の岸辺みどり。担当していたファッション誌の廃刊が決まり,突然辞書編集部への異動を言い渡されてしまう。みどりを待ち受けていたのは,超まじめな上司・馬締光也をはじめとする,クセの強いメンバーたち。
 彼らは一冊の辞書「大渡海」編さんのために,並々ならぬ情熱と十数年にわたる歳月をかけていた。
  ・・・・・・
というものです。
 「舟を編む」は三浦しをんさんの原作で,2011年に単行本が発売されました。そして,その2年後に映画化もされて,私は,当時,原作も読んだし,映画もみました。
 原作とそれに基づく映画は
  ・・・・・・
 「玄武書房」の社員たちが,「大渡海」という広辞苑レベルの中型事典の編纂にかけた10年以上もの作業と,その間に起こった人間模様を描く。
 大学院で言語学を学んだがコミュニケーション能力ゼロの若手社員馬締光也が,辞書作りを通して,コミュニケーションの大切さを知り,体現していく。
  ・・・・・・
というもので
  ・・・・・・
 時は1995年。「玄武書房」の辞書編集部では,編集者の荒木が,定年と妻の病気を理由に部署を去ろうとしていた。荒木に代わる編集者として見つけたのが,大学院で言語学を学んだオタク風のコミュニケーション力など皆無の馬締。馬締に「右という言葉を説明してみろ」と言うと、ぼそぼそと「西を向いたとき北に当たる方」と答える。彼の言語感覚に感心して,馬締を辞書編集部に引き抜く。
 それから13年後,ファッション誌の編集部にいた岸辺みどりという若い編集者も加わり,翌年の3月に決定した「大渡海」の出版は,最後の確認作業に学生アルバイトもたくさん雇ってごった返していた。
  ・・・・・・
 という内容だったので,今回のドラマは,主人公を岸辺みどりとして,原作からちょうど13年後の姿を描こうとしているのかもしれません。

 はじまったばかりなので,ドラマがどのように進展していくかは知りませんが,第1回の放送で私が興味をもったのが,「なんて」という言葉でした。ドラマでは,岸辺みどりが「なんて」の意味を悟る場面で三省堂の「大辞林」の解説が効果的に使われていました。
 私は,手元にあった三省堂の「新明確国語辞典」と,もっとも信頼している岩波書店の「国語辞典」を引いてみたのですが,何も書いていない,というほど,内容に乏しいもので,がっかりしました。
 これでは埒が明かないので「ChatGPT」に聞いてみましたが,これがすばらしいものでした。そこで,さらに,「ChatGPT」にいくつかの文章を英訳してもらうことにしました。これもまた,すばらしいものでした。もう辞書「なんて」いらないなあ,と思いました。
  ・・
 実は,私は,これまで,「新解さんの謎」をきっかけとして,国語辞典にはかなり興味をもっていて,こだわりもあったのですが,この13年という月日は,それを変えてしまったようです。つまり,辞書「なんて」引かなくても「ChatGPT」に聞いたほうが早く,かつ,おもしろいのです。

 今の時代,スマートフォンの普及で,一時,一眼レフカメラの存続が危ぶまれました。今は,それぞれの役割分担が次第にわかってきて,何とか共存をしているようです。また,将棋AIが開発されたことで,将棋界は,はじめは不正疑惑などもあって迷走をしていたのですが,藤井聡太という新星が現れたこととと相まって,それをうまく活用することで,あらたな顧客を生み,今のところ,とりあえずは共存に成功しています。
 また,昔は,どの家庭にも百科事典というものが存在していましたが,今や,死滅してしまいました。辞書はそれとは若干異なるものでしょうが,それでも,多くの人にとっては,辞書もまた,同じでしょう。
 辞書の在り方を真剣に考えないと,今後は,百科事典と同じく,死滅の道をたどることになるのかもしれません。私は,そのことの方に興味があります。

GGs1jEKb0AA07_Mキャプチャ2


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_2892

######
 大河ドラマ「平清盛」を続けます。
 第15回「嵐の中の一門」で,常盤御前が登場しました。常盤御前は源義経の母です。
 私は,子供のころ,よく京都の鞍馬寺に連れていってもらったので,そこで,「義経背比べ石」というものを身近に見ていました。また,市バスが五条大橋を渡るので,「京の五条の橋の上,大のおとこの弁慶は長い薙刀ふりあげて,牛若めがけて切りかかる。牛若丸は飛び退のいて...」という歌があることを聞いて,牛若丸と弁慶という名を知りました。しかし,そうした知識は童話的であり断片的でした。1993年に放送された大河ドラマ「炎立つ」で,源義経が東北の藤原三代に匿われたことが取り上げられていて,どうしてこの地に源義経が関わっているのか? と驚いたことすらありました。
 また,旧中山道を関ヶ原宿から柏原宿まで歩いていたとき,途中に「常盤御前の墓」があって,これもまた驚きました。どうしてここに常盤御前?
  ・・・・・・
 1138年(保延4年)生まれの常盤御前は, 近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女でした。
 雑仕女の採用にあたり,藤原伊通の命令によって都の美女千人を集められ,その百名の中から十名を選んだ中で,聡明で一番の美女であったといいますが,これもまた,「平清盛」で描かれました。
 やがて,源義朝の側室になり,今若,乙若,牛若を産みました。
  ・・・・・・

 第28回「友の子,友の妻」では,源頼朝の助命と常盤御前について描かれています。
  ・・・・・・
 平治の乱で捕らえられた源頼朝が平家盛の幼いころに姿が似ていたことから,母の池禅尼が哀れんで清盛に頼朝の助命を訴えたとありますが,ドラマでは,これをもとにしています。
 また,常盤御前は子供たちを連れて雪中を逃亡したのち,平清盛の元に出頭し,子供たちが殺されるのは仕方がないことだけれども,子供たちが殺されるのを見るのは忍びないから先に自分を殺して欲しいと懇願しましが,その様子と常盤御前の美しさに心を動かされた平清盛は源頼朝の助命が決定していたことを理由に,今若,乙若,牛若を助命しました。「義経記」や「平治物語」では,平清盛が常盤御前によしなき心を抱き,子供の命を盾に返答を強要したという内容が記されています。
 その後については、侍女と共に源義経を追いかけたという伝承があり,常盤御前の墓とされるものは岐阜県関ケ原町をはじめ,各所にあります。 
  ・・・・・・
 源頼朝や常盤御前の生んだ子供たちの命が救われたことが,やがて,平家滅亡につながるので,このあたりをうまく描く必要があります。でないと,ドラマは成立しません。「平清盛」では,こうした資料をもとにして,うまく物語が作られています。

 さて,平清盛に助命を認められた今若,乙若,牛若は,それぞれ別の寺院に送られました。
 今若はのちの阿野全成,乙若はのちの義円,そして,牛若がのちの源義経ですが,彼らの姿は「鎌倉殿の13人」にうまく描かれています。
 無知な私は,源義経については知っていましたが,阿野全成と義円が源義経の実の兄弟ということすら知りませんでした。
 このように,「平清盛」を見てから,改めて「鎌倉殿の13人」を見ると,まさに,伏線回収。その奥深さにのめり込むことになりました。これでまた,日本各地を旅する楽しみが増えたというものです。

DSC_2893DSC_2895DSC_5697DSC_0054無題無題2


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

画像 023画像 045

######
 第10回「義清散る」では,佐藤義清なる人物が詳しく語られるのですが,「佐藤義清=西行法師」だなんて,私には「何だ,そうならはじめにそう解説してくれよ」という感じでした。そう知っていればずいぶんと想い入れもできるのですが,知らずに見ていてもそれがわかりません。
 旅をしていると,吉野山の西行庵をはじめとして,西行法師ゆかりの場所がいろいろなところにあるのですが,私は,これまで,西行法師は和歌の達人,というイメージしかありませんでした。これを機会に調べてみると,もっともっとドラマのある人物でした。
 佐藤義清以外にも,「平清盛」では,明子,時子といった平清盛の妻や,鳥羽天皇の中宮皇后・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ),美福門院得子(びふくもんいんなりこ)といった女性が出てきますが,もともと女性の顔の違いが認識できず,みな同じ顔に見えてしまう私にはすぐには区別がつきません。また,待賢門院璋子の子である崇徳天皇は顕仁(あきひと)という名だし,後白河天皇も雅仁(まさひと)だし,美福門院得子の子である近衛天皇は躰仁(なりひと)ですが,幼名だけで語られても,一度では理解不能です。せめて「後の〇〇天皇」といった字幕でもあればいいのですが…。

  ・・・・・・
  ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ
    待賢門院堀河
  身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ
    西行法師
  ・・・・・・
というような,佐藤義清と待賢門院璋子の関係を暗示して,効果的に取り上げられている和歌も,この和歌を知ってはいても,こんなシチュエーションで詠まれたのか! と驚きました。いや,実際は,そんなシチュエーションで詠まれたものではないでしょうが,そんなシチュエーションを思い起させる歌だということでしょう。
  ・・
 「ながからむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」は百人一首にある歌ですが,これは待賢門院璋子が詠んだものではなく,待賢門院璋子に出仕した待賢門院堀河が詠んだものですが,いずれにしても,関わりがあるのです。そう学べば,学生時代,百人一首の勉強にもう少し身が入ったものを,高等学校で習う百人一首は,参考書には文法については必要以上に詳しく書かれているのに,それを詠んだ人物や時代背景にはほとんど記述がありません。もし,その時代や人と人との関りを知っていれば,さぞかしおもしろかったのになあ,と悔しい思いをしました。
 このように,「平清盛」は,一度見るだけではわからないことが多いので理解不能ですが,時間のある今,何度も見直したり,わからないところは徹底的に調べながら見ていると,それがまあ,奥が深いドラマだ! ということがわかり,とても興味深いのです。また,真実かどうかは別として,その時代の逸話をさまざまな古文書から探し出して,それらをドラマの中にこれだけ多くちりばめられているのもすごいものだと感服しました。

 将棋の棋力がない人が難解な藤井聡太八冠の将棋の本当のおもしろさが理解できないように,このドラマを評価するには,ものすごく多くの知識が必要なのでしょう。そうでないのに,容易に批判するのは,自分が無知であるということを吹聴し,天に向かって唾を吐くようなものです。脚本家はそれをすべて計算づくで,浅学のあなたにはわからないんでしょう,とほくそ笑み,批判する人を値踏みしながら優越感に浸っていたのかもしれません。
 一方,現在は過保護な時代で,また,視聴率を気にするあまり大衆に媚びを売っています。大河ドラマでは,さまざまな関連番組が放送されたり,解説本が出版されたり,ドラマの冒頭でもていねいなあらすじの説明がありと,無知な私が見ても,理解不能ということはないのですが,以前は,そうではありませんでした。
  ・・
 話は飛躍します。
 こうしたドラマに限らず,リヒャルト・ワーグナーのオペラや,シェイクスピアの劇など,人類の財産ともいえる多くの芸術は,「平清盛」とは比べられないほど,もっと難解で,多くの知識がなければ,理解できません。それでも,それを評価し,楽しんでいる人がいるわけです。私はそれがとてもうらやましいです。せっかく生まれてきて,人類の財産である芸術作品のよさを味わえる能力さえ身についていないて,人生はなんと短いこと!

画像 021画像 022画像 020


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_1935

######
 昨年,隠岐諸島に行ったとき,知夫里島で,文覚上人の墓,というものを見て以来,文覚上人なる人物に興味が湧いたことから,NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で市川猿之助さんが演じた文覚上人をまた見たくなりました。そこで,保存していた総集編を見直してみのですが,まったく出てきませんでした。そこで,「鎌倉殿の13人」の全話を見るにはどうしたらいいか,と思っていたら,NHKオンデマンドで見ることができるということがわかったので契約して,やっと見ることができました。
 文覚上人を登場させなくても,「鎌倉殿の13人」という物語は成り立つのでしょうが,脚本を書いた三谷幸喜さんが,その時代について調べているうちに,文覚上人は非常に興味をもった人物であるらしく,また,大河ドラマは真実を描いていない,などという学者気取りの人をあざ笑っているかのように,それをおもしろおかしくドラマに取り入れていたのが,脚本家の矜持というものでしょう。大河ドラマは歴史を題材としたあくまでドラマであって,でないと,単に受験勉強用の学校の歴史教材になってしまいます。
 せっかく契約したのだからと,NHKオンデマンドに存在する他の番組を調べていたら,「鎌倉殿の13人」以外にも過去の大河ドラマが多数存在していました。そこで,今日は,そんな過去に放送された大河ドラマのお話です。

 私がはじめてNHK大河ドラマにはまったのは,1973年に放送された「国盗り物語」でした。
 それ以来現在まで,最後まで見たもののあれば,途中で断念してしまったものもあります。途中で断念してしまったものには,つまらなかったものと,本当は興味があったけれど難しくてわけがわからなくなってしまった,というものがあります。そうしたもので,私がずっと気になっていたのが「勝海舟」「平清盛」「義経」の3作でした。
 「勝海舟」は,総集編だけ存在していてそれを見ることができました。総集編では物足りなかったのですが,とにかく,流れはわかりました。「義経」は,現在,NHKオンデマンドでは見ることができません。現在,すべてを見ることができるのは「平清盛」でした。
 私は,日本の歴史で,戦国時代と幕末にはすごく興味があったのですが,平安時代末期のことはそれほど興味もなく,大学受験で必要だった知識以外,ほとんど知りませんでした。「鎌倉殿の13人」も,放送する前はまったく興味がなかったのですが,見ているうちに引き込まれて,この時代に興味がわいてきました。
 「平清盛」は,主役が「どうする家康」でユニークな演技をしていた松山ケンイチさんということもあり,「鎌倉殿の13人」と今年放送される「光る君へ」の間の時代を描いたものということもあり,「平清盛」をきちんと見てみることにしたのですが,それがまあ,おもしろいこと!

  ・・・・・・
 「平清盛」は,2012年に放送された51作目のNHK大河ドラマです。
 平清盛の生涯を中心に、壇ノ浦の戦いまでの平家一門の栄枯盛衰を,源頼朝の視点を通して描いたものです。
 第1回から父・平忠盛が亡くなる第16回までが第1部,平清盛が平氏一門の棟梁となった第17回から保元の乱と平治の乱を経て公卿となった平清盛が嚴島に経典を納める第30回までが第2部,その後の第31回からが第3部です。内容豊富,ボリューム満点のドラマです。
  ・・・・・・
 このドラマは,放送当時,かなり不人気でした。その一方で,一部の人たちにはものすごく評価の高いドラマでした。私は,視聴率,などというものはどうでもよく,他人が見ようと見まいと,人気があろうとなかろうと,人は人で,どうでもいいのですが,それよりも,自分が興味があるのにわからない,ということが悔しかったのです。
 改めて見ると,このドラマが不人気だったのは,画面が汚いなどということを言った人がいるとかいないとかですが,実は,難しすぎたから,ということを再認識しました。このドラマを理解するには,山川出版社の「詳説日本史」なる高等学校の教科書程度の知識では不十分であり,書かれていないことばかりなのです。そもそも,この時代は,教科書程度の知識でも,保元の乱,平治の乱が,源と平の対決といった単純なものではなく,利害関係が複雑に入り交じっているし,人物の名前も似たようなものばかりだったので,受験勉強をしていたころの私は,さっぱりわかりませんでした。

 このドラマは,院政といって,白河天皇が幼少の子供に皇位を譲り法皇となって権力をほしいままにしているところからはじまります。次の堀河天皇は若くして亡くなったのでドラマ「平清盛」には出てこず,次のその鳥羽天皇がその不安定な地位に格闘しているというのが第1部です。
 第1部では,平清盛は白河法皇の落胤だった? とか,鳥羽天皇の本当の父は白河法皇だった? とか,崇徳天皇の父も鳥羽天皇ではなく白河法皇だった? とか,そのように伝わっている逸話などが取り入れられています。
  ・・・・・・
 「平家物語」の語り本系の諸本は,白河法皇の寵愛を受けて懐妊した祇園女御が忠盛に下賜されて,平清盛が生まれたとしています(=白河院落胤説)。また,読み本系の延慶本では,平清盛は祇園女御に仕えた中﨟女房の腹であったというように書いています。
 崇徳天皇は鳥羽天皇と中宮・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)の第1皇子ですが,「古事談」には,崇徳天皇は白河法皇と待賢門院璋子が密通して生まれた子であり,鳥羽天皇も実父は祖父・白河法皇で,崇徳天皇を「叔父子」とよんで忌み嫌っていたという逸話が記されています。
  ・・・・・・
 こういう逸話を取り入れてドラマが作られているので,大河ドラマは史実に忠実でない,と批判する人がいたわけのですが,それが真実であろうとなかろうと,歴史の授業であるまいし,歴史を題材とした作り話,でいいじゃないか,と私は思います。このほうがおもしろいし,人間の本音を露骨に描くことができます。
 以下,次回に続きます。

◇◇◇


◇◇◇
ISS.

2024年1月6日午前5時39分。
月齢23.9の月と金星の間を横切る国際宇宙ステーションです。
wwwtx


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_02162020-02-05_17-40-51_3132020-02-05_18-15-12_081

######
 NHK連続テレビ小説「らんまん」を楽しく見ています。6月いっぱいで松坂慶子さんが演じた主人公槙野万太郎の祖母たきが亡くなったことで前編が終わって,これからの3か月が後編です。私は,見ていて辛くなるドラマは嫌いだし,主人公がいじめられるのもダメですが,このドラマは,登場人物はいい人ばかりなので,こころ穏やかに見ることができます。
 なお,実際の牧野富太郎博士はひとりっ子だったし,祖母とは血のつながりがなかったということなので,このドラマの槙野家の家族は創作ですが,ドラマだから,これでよいのでしょう。

 そんな楽しいドラマですが,このドラマを見るたびに,私は,忸怩たる思いに駆られます。
 それは,このところ,2020年2月,2022年10月,2023年1月と3回高知県へ出かけて,さまざまな場所に行ったのにも関わらず,ドラマの主人公である牧野富太郎博士にちなんだ場所をすべて見落としてしまっていた,というかパスしてしまっていたということです。
 牧野富太郎という名前は子供のころから知っていました。学校で借りた伝記を読んだのです。しかし,特に興味をもったわけではありませんでした。元来,私は「生物」という教科が好きではありませんでした。それがこんなに偉大な人だったとは…。失礼しました。
 だから,高知県立牧野植物園なんて,私が高知県へ行ったころは,こんな場所に大きな植物園があって,だれが来るのだろう? と思ったほどでした。しかし,高知県立牧野植物園の横を通ったときに臨時駐車場があったほどだから,いったいどうして? とさえ思いました。こうして,何度も行く機会があったのにそれを逃してしまいました。また,牧野富太郎博士の生まれ故郷である佐川の町も通ったことがあるのですが,きれいな町だなあ,と思っただけでした。
 日本の旅はこころでするものといつも書いている私が,実は,このように,自分が無知であったために,価値のあるものを見逃していたのです。これを恥じます。

 高知県立牧野植物園だけでなく,高知県佐川町には牧野富太郎ふるさと館,また,東京にも練馬区牧野記念庭園があるということなので,今はドラマが放映されている最中なのでおそらく多くの人が訪れているだろうから,ドラマが終わったころに,ぜひ行って見たいものだと,楽しみにしてます。
 ああ,情けない。

#1#2#3#4#5


◇◇◇
Buck Moon 2023.

梅雨の晴れ間。
久しぶりに満月が見えました。
DSC_1618


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_7833IMG_7468IMG_7687IMG_7773

#####
 2023年5月17日に,NHKBSPで「新・街道をゆく~北のまほろば」が放送されました。私がちょうど青森県に旅行をする前日だったので,まさにぴったりの内容でした。録画しておいて,旅から帰ってから見ました。
 以前,司馬遼太郎さんの書いた「街道をゆく」を映像化した番組が作られたのですが,「新・街道をゆく」はそれを新しく作り直したものです。
  ・・・・・・
 司馬遼太郎さんが終生深い思い入れを抱き,亡くなる2年前の1994年に旅して記したのが,青森県を歩いた「街道をゆく41~北のまほろば」。なぜ,司馬遼太郎さんが,本州最北の地である青森を,物成がよく豊かな土地を意味する「まほろば」とよんだのか。縄文の巨大遺跡から幻の中世都市,津軽が生んだ芸術家である太宰治や棟方志功…。
 厳冬の津軽半島を舞台に司馬遼太郎さんの足跡をたどる。
  ・・・・・・
という内容の番組でした。

 司馬遼太郎さんは1923年に生まれ1996年に亡くなった作家です。とても多くの作品を執筆していて,NHK大河ドラマでのよく取り上げられていました。私は大学生のころ,ずいぶんと読みました。
 小説だけでなく,紀行文や対談集も数多く,その深い洞察力と知識に基づいた歴史感は「司馬史感」といわれ,多くの人が影響を受けました。当然,批判的に思う人もいたのですが,私は若かったので,そうした批判をするような知識ももっていなかったし,よくわかりませんでした。だから,ある種,洗脳されたかもしれません。
 また,「街道をゆく」は「週刊朝日」の連載として1971年にはじまり,司馬遼太郎さんが亡くなる1996年まで25年にわたり続きました。「街道をゆく」は,日本民族と文化の源流を探り,風土と人々の暮らしのかかわりを訪ねる旅の紀行文です。
 いつ「週刊朝日」を手に取っても載っていたのですが,若かったころの私にはさしておもしろくもなかったので,これまで読んだこともありませんでした。
 しかし,今回,青森県を旅行してみて,どうして,弘前藩の殿様・津軽家が江戸時代ずっと続いたのにもかかわらず人気がなくリスペクトされていないように思えたのか,太宰治が豊かな家に生まれたのに屈折した小説を書いたのか,この寒い地で3,000年以上も縄文文化が栄えたのか,など,多くの疑問をもって帰宅しました。それからこの番組の録画をみて,まさに私が疑問に思ったことが取り上げられていて,感激しました。そして,はじめて「街道をゆく」という紀行文のおもしろさがわかりました。
 そこで,図書館で「街道をゆく41~北のまほろば」を借りて読んでみました。私は,この歳で,やっと,司馬遼太郎さんが何を書きたかったのかということがわかったのが,喜びでもあり,また,やっと追いついたという思いをもちました。

 縄文時代,この地は,食料の宝庫だったようです。山や野に木の実が豊かで,三方の海の渚では魚介がとれ,走獣も多く,川にはサケやマスがやってくるという,「北のまほろば」だったのです。
 私は,東北地方や北海道に縄文時代の遺跡が多いのは,これらの地が今のように寒くなく,もっと温暖だったからと思っていました。それも多少はあるでしょうけれど,温暖でなければ豊かでない,というのは「街道をゆく~北のまほろば」を読んでみると,どうやらコメ作についての考えのようです。コメ作中心でなかった縄文時代はそうではなく,コメ作が伝わってから,そうした価値観が根づいたと「街道をゆく41~北のまほろば」には書かれてありました。
 ところが,江戸時代,殿様はコメを上方の商人に売りつけることで貨幣に変えていたので,コメは貨幣となりました。そこで,本州最北の地はコメ作には気候的に不向きであったのにかかわらず,領主の津軽家の殿様は米作りを奨励し農地を開いたのです。しかし,5年に一度は「やませ」が吹いて飢饉が訪れるという悲劇が襲いました。これが金を借りるということにつながっていくので,次第に貧しくなっていったのです。
 明治時代になってリンゴ作りがはじまって,やっとこの地に見合った特産物が手に入ったのですが,それでも,ときに台風が襲って,実りの秋にほとんど収穫できないという悲惨な年もありました。
  ・・
 私は子供のころ,学校で,縄文時代は生活が不安定で,コメ作がはじまった弥生時代になって生活が安定したと習いました。しかし,実際は違う。縄文時代は貧富の差もなく長く平和が続きました。弥生時代になって,貧富の差ができて,人々は戦いに明け暮れるようになったのです。
 津軽,今の青森県は「北のまほろば」。コメ作りが広がる以前はとても豊かだったです。
 青森県に限らず,どの地も,こうしたさまざまな先人の苦労の上で,今の人々の生活があるということが,実際に行って,その地の空気を吸い,その地を歩くことで,実感することができるということを,私は,旅をすることで知りました。

 余談ですが -という書き方は司馬遼太郎さんの小説によく書かれてある言葉でもありますが- 「街道をゆく41~北のまほろば」の中に「無名の師」(むめいのし)という言葉がありました。浅学の私は,この言葉を知らず,調べてみたのですが,その意味は
  ・・・・・・
 起こす名分のない戦争。 特に仕掛けられる側だけでなく、仕掛ける側においても必要がなくかつ勝算が確定的でない場合に独裁的な指導者によってなされるものを言う。
  ・・・・・・
とありました。まさに,現在のお隣の大国のことだ,と思いました。昔も今も,愚かな独裁者をもつと,支配される側は悲劇です。

IMG_7934


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_1222IMG_1693IMG_1930IMG_1932

######
  NHKBSP「ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜」,1回目のアメリカ編に続いて2回目はオーストラリア編でした。この番組は
  ・・・・・・
 世界のトラック野郎が見る景色を「主観」で楽しむ新感覚ロードドキュメンタリー。
 運送の仕事を擬似体験しながら,高さ2.5メートルの車窓に広がる壮大な景色を堪能する。
  ・・・・・・
と番組の紹介にあるのですが,オーストラリア編が放送されたのは2023年1月2日で,見逃してしまったので,再放送がいつあるのか,ずっと探していました。それが3月24日に放送されたので,録画して,佐渡島から帰ってから見ました。
  ・・・・・・
 今回の舞台はオーストラリア。
 ▼赤土の大地を横断する長距離トラックの助手席から見えた絶景とは?
 ▼6日間・4,300キロメートルの大陸横断の仕事に密着! ガイドブックにはないオーストラリアの素顔とは?
 ▼カンガルーやコアラに注意! 標識にびっくり!
 ▼荒涼とした大地「アウトバック」を疾走!
 ▼オーストラリアで一番長い約150キロメートル直線の道
  ・・・・・・
というのが,番組のテーマとなっていました。

 アメリカもそうですが,私はオーストラリアもかなりの距離を走ったことがあります。私が走ったのはニューサウスウェールズ州とクインズランド州,そして,ノーザンテリトリー州のウルル・カタジュタ国立公園あたりです。そのなかでも,ニューサウスウェールズ州とクインズランド州は砂漠の中を深夜6時間以上走った経験があります。
 番組にもあったように,オーストラリアを走るときは動物の飛び出し注意で,特にカンガルーは車と並走して走っていたり,道路にはよく死骸があります。
 しかし,それ以外は,ほとんど車も走っていないし,のどかな大平原を走りやすい道がずっと続いているので,とても楽に走ることができます。シドニーやブリスベンなどの大都会に一部高速道路があるだけで,片側1車線の道路です。
 そこで,アメリカとはまったく違っていて,変化も何もなく,かなり単調であり,刺激もありません。時折小さな町があるだけで,それ以外のところは街灯もないし,赤茶けた大地が広がっているだけです。地形も,アメリカのように変化に富んでいるわけでもありません。

 オーストラリアでは,トレイントラックといって,鉄道のように何両も接続した大型トラックが走っています。そんな国ですが,私が最も印象に残っているのは,ウルル・カタジュタ国立公園のガソリンスタンドに石油を運んできたタンクローリー車の運転手さんと話をしたときのことです。日本ではありえないものすごく長いタンクローリーを接続して,オーストラリア大陸を横断していると言っていました。とにかく,町を出ると,永遠に続くとさえ思える大地に道路だけが続いていて,ちょっと想像を超えています。自家用車ならともかく,こんな大型車が故障でもしたらどうするのだろう,と思ってしまいました。
 オーストラリアでは5時間も6時間もかけて隣町に行くのは普通のことというのですが,日本に住んでいる人に想像がつかないことでしょう。アメリカは大陸横断をしてもおもしろくロマンチックでもあるのですが,オーストラリアにはそんなときめきも感じません。
 私は,オーストラリア大陸を車で横断するような夢も勇気はもち合わせていません。であるのに,奇しくも,深夜の6時間,オーストラリア大陸を走り続けたことがあります。時に運転を休憩して外に出て空を眺めたときのろうそくの光ひとつない暗闇に輝く満天の星は地球上とは思えないすばらしさで,これだけは,オーストラリアでなければ味わえない感動でした。
 しかし,それまでは夜の光なんて星が見えなくなるだけだと毛嫌いしていたのに,遠くに町の明かりが見えたときのホッとした気持ちも,今は,強烈にこころに残っています。
 それやこれやで,懐かしい気持ちにさせられた番組でした。

DSC_9969DSC_9779IMG_3485

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_5561DSC_7079DSC_7081

######
 以前,NHKBSPで放送された「まいにち養老先生、ときどき2022冬」について書いたのですが,去る2023年1月28日に「まいにち養老先生、ときどき2023冬」が放送されたので,見ました。
  ・・・・・・
 人生に必要なのは日々を生き抜くための「金言」と,ほんのちょっぴりの「毒」。
 だれもが生きづらさを感じる今,そのヒントを授けるのは解剖学者の養老孟司。自然豊かな鎌倉の私邸で暮らしている。2020年度から続くシリーズ番組の新作をお届けする。
 夏の宵,ぼんぼりに照らされながら蘇るのは敗戦の記憶。6月4日,虫の命を思う法要では小学生の頃から始まった虫捕り人生に思いを馳せる。秋には虫を求めて東南アジア・ラオスへ! 20年以上も通い続けたラオスで,「虫捕り」と自らの「人生」との関係を紐解く。
 仏教国ラオスの寺を歩き,日常から離れた異国の地で問い直す,生と死。
 老学者の穏やかで鮮やかな暮らしから,日々を癒す言葉のサプリメントを拾い上げることができる,…かもしれない。
  ・・・・・・
というのが番組の紹介です。

 本当に「賢い」年配の男の人には,鎌倉の地がとてもよく似合います。私も少しはあやかろうと,気が向くと東京に行った折り,鎌倉あたりを散歩するのですが,ここでいう鎌倉は,JR鎌倉駅から鶴岡八幡宮に続く観光地のことではありません。あんな雑踏は原宿であって,鎌倉ではありません。鎌倉の地はそうした観光客だらけの場所から少し外れると,静寂につつまれた,とてもよいところになります。
 今から45年も前のことになるでしょうか。私が大学生のころ,生まれてはじめて鎌倉に行こうと,東京駅から横須賀線に乗りました。暑い夏の日だったように記憶しています。そのころは,新宿湘南ラインなどなかったから,鎌倉へ行くには,東京駅から出発する列車に乗るのです。また,半分の車両は冷房が入っておらず,冷房の入った混雑した車両に乗るか,あるいは,冷房のない暑い,しかし,がらがらの車両に乗るか,選択できました。そんな時代,田舎者だった私は,鎌倉に行く横須賀線が普通列車なのにもかかわらず,グリーン車を連結していたのに驚きました。そういえば,私が子供のころは,グリーン車とはいわず,1等車といっていたのですが,調べてみると,グリーン車と名前を変えたのは,1969年のことだったようです。
 そのときの私が思ったのは,鎌倉には,作家や評論家,芸術家のような文化人といったお金持ちが住んでいるのだから,所用があって東京に出てくるときはグリーン車に乗るんだ,ということでした。そして,鎌倉に,また,鎌倉に住む文化人に,さらにあこがれました。

 などということを,この番組を見ると思い出すのですが,そうした昔の記憶をたどるだけでも,なぜか,ちょっとすてきな気持ちになって,若返れます。さらに,足元にも及ばないけれど,私ももう少し歳を重ねたら,養老孟司先生のようなお年寄りになりたいものだ,と改めて決意するのです。
 この世代の人たちは,第2次世界大戦の惨状を知っている最後の世代だから,平和ボケしたわれわれとは生に対する重みが違います。このごろ,世の中が再びきな臭くなってきたのは,そうした実体験のない人たちが国の中枢にいるようになったからでしょう。
 また,齢を重ねたとき,最も大切なのは,健康で,かつ,やりたいことを失わずに生きていくことです。養老孟司先生も,現職のころは社会との関わりにずいぶんと苦しんだようですが,結局,自分のやりたいことがあったから,退職をしたあとでも,ずっと輝いていられるのでしょう。
 私の齢になると,退職をしたらこれで卒業と思っている人も少なからずいて,そうした人の多くは,仕事を失くすとあとは何もない日々時間をもてあましています。また,現役時代,常にタバコを吹かせ,毎晩のように飲みに出かけていた偉そうな人から,鬼籍に入っています。そんな姿を見ていると,とても痛々しいと思うと共に,哀れにも感じます。
 いつまでもときめいていること,ときめいていられるものをもっていること。生きる情熱を失わないこと。そうでなければ,この暗い世の中で,世界が輝いて見えなくなってしまって,とてもつらいのです。
 来年もまた,世界が輝いて見られるこの番組が放送される日が,今から楽しみにしています。

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4713IMG_17492019-10-17_08-43-11_197

☆☆☆☆☆☆
 2022年9月22日にNHKBSPで放送された「コズミック フロント」は「相対論vs量子論・事象の地平線と“異次元のダンス”」というテーマでした。少し古い話題ですが,おそらく再放送ではないと思います。私には久しぶりに興味深い内容でした。
  ・・・・・・
 「この世界は全てホログラムのような幻影だ」という信じがたい宇宙像が,物理学者たちの間で議論されている。ブラックホール研究に端を発した理論物理学の大激論に迫る。
 論争の発端は,車いすの天才・ホーキング博士が提示した「ブラックホール情報パラドックス」。ブラックホールに飲みこまれた物質の「情報」は永遠に失われるというホーキングの説を認めると,物理学の根本原理が揺らぐとして強く反論したのがサスキンド博士だ。理論物理学のふたりの巨頭が繰り広げた大論争は20年に及び,この宇宙を記述するための新たな理論「超弦理論」の研究が大きく進展した。果たして宇宙は全て幻なのか!?
  ・・・・・・
 以前にも「宇宙が“真空崩壊”!?宇宙の未来をパパに習ってみた」で登場された京都大学教授の橋本幸士さんが,進路に迷う大学生に扮した山口まゆさんを聞き手に,この話題について解説するというものでした。

 まず,ここでは,ホーキング博士は有名なので,もうひとりの物理学者であるサスキンド博士を紹介します。
  ・・・・・・
 サスキンド博士(Leonard Susskind)は1940年生まれのアメリカの物理学者で,素粒子物理学における超弦理論の創始者のひとり。
 1966年から1970年までイェシーバー大学の助教授で,1970年,南部陽一郎博士,ホルガー・ニールセン博士(Holger Bech Nielsen)とは独立にハドロンに関する弦理論を提唱。その後,イスラエルのテルアビブ大学を経て,アメリカに戻り,イェシーバー大学(Yeshiva University)で物理学教授となり,1979年より2000年までスタンフォード大学(Stanford University)の教授。2007年からカナダ・ウォータールー(Waterloo)のペリメータ理論物理研究所(Perimeter Institute for Theoretical Physics = PI)に務める。
  ・・・・・・
という経歴です。

 ブラックホールに落ち込んだ物質が本質的にもつ情報は,はたして宇宙から失われるのか失われないのかという論争があって,ホーキング博士をはじめとする一般相対性理論の研究者が多くが情報が失われると考え,サスキンド博士をはじめとする量子論(超弦理論)の研究者は失われないと考えました。この論争を「ブラックホール戦争」とよびます。
 「ブラックホール戦争」は,1976年,ホーキング博士が,ブラックホールに投げ込んだ情報は,ブラックホールの蒸発によって,外の世界から永久に失われると主張したことにはじまりました。サスキンド博士は,そんなことはありえないと考え,20年に渡る論争になりました。
 量子論には,情報の保存則があって,系が伝える情報を失うことはないとされるので,ホーキング博士の主張は,量子論を否定するものとされたのです。そして,量子論と一般相対性理論によるブラックホールの地平面と情報に関する矛盾は解決できないように思えました。
 サスキンド博士は,この矛盾に対して,1993年のサンタバーバラ会議で「ブラックホール相補性」(Black hole complementarity)という解釈を提唱しました。それは
  ・・・・・・
 According to the external observer, infalling information heats up the stretched horizon, which then reradiates it as Hawking radiation, with the entire evolution being unitary.
 However, according to an infalling observer, nothing special happens at the event horizon itself, and both the observer and the information will hit the singularity. 
  ・・
 外部の観察者によると,情報が入り込むと,引き伸ばされた地平線が加熱され,ホーキング放射として再放射され,進化全体が単一化される。
 しかし,落下する観測者によると,事象の地平線自体では特別なことは何も起こらず,観測者と情報の両方が特異点にぶつかる。
  ・・・・・・
というものです。このふたつの見方は,それぞれの観察者にとって共に真実であって,これらを「相補的」であると見なすことができるというのです。つまり,異なる観察者から見ればまったく異なる事象が,どちらも物理的に真実であるとするのです。
 1994年に
  ・・・・・・
 The holographic principle is a supposed property of quantum gravity that states that the description of a volume of space can be thought of as encoded on a lower-dimensional boundary to the region.
  ・・
 ホログラフィック原理は弦理論の教義であり、量子重力の仮定された特性であり、空間のボリュームの記述は、領域への低次元境界でエンコードされていると考えることができる。
  ・・・・・・
という超弦理論をもとにした「ホログラフィック原理」(holographic principle)が提唱され,これをもとに,情報がブラックホールの地平面の向こうで失われることはないことが証明され,サスキンド博士の主張が証明されました。
 2004年の記者会見でホーキングは考えを変えて「ブラックホール戦争」の敗戦を認めました。

 とまあ,こういう内容だったのですが,わかったようなわからないような…,要するに私には難しすぎるのです。番組を見ていて途中で寝てしまったので,改めて録画を見直しました。そもそも,物理学を数式を使わずに説明するということが無理な話です。それは,さまざまな現象を数式を使って矛盾のないように表わす,ということが物理学だからです。
 ここで行われた「ブラックホール戦争」というのは,量子論と一般相対性理論がそれぞれ全く別の学問として数式化した理論だったので,導き出された結論が違っていたことから,どちらの理論が正しいかという論争が起きたということです。そこで,それらをアウフヘーベン(aufheben=すり合わせ)するために新たなアイデアである「ホログラフィック原理」を導入してみたら,一般相対性理論におけるブラックホールの解釈が未熟だった,それを敗北と表現したというわけです。
 このように,物理学は,事象を数式によって書き表そうというものですが,そこに矛盾が生じたとき,新たな理論を作って,その矛盾を解決する,という作業をしている,「それだけのこと」です。ただし,「それだけのこと」といっても,新たな理論というアイデアを考えることも,それを高等な数学で記述するすることも,ともに難しく,だれでもできることではないのです。そしてまた,導き出された数式を理解することも,それはもはや解釈の問題なので,困難が待ちうけているのです。
  ・・
 この番組では,進路に迷う大学生が橋本幸士先生の説明を聞いて,私も大学院へ進学して学問をしたいという決意をするというのがオチでした。
 しかし,先に書いたように,こうした理論を学ぶのは,非常にたいへんなことなので,才能がある人には楽しいでしょうが,それでも人生のすべての時間をそれに捧げるほどのストイックさが必要です。しかも,教授への道はせまく,職を得ることができなければポスドクとして冷遇されてしまいます。だから,そうした研究者になるのは,世の中にはたくさんの楽しいことや知りたいこと,そして,やりたいことがあるけれど,それらのすべてを捨ててでも,よりも学問のほうがおもしろい,と感じることができる,そして,経済的にも余裕のある。そうした選ばれた人だけに許される特権なのでしょう。
 この女性にそうした覚悟があるのかな。私にはムリだな。

無題


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4337

 前回は,悪徳な権力を正義の味方が退治する,という「クラス」,つまりパターンの過去のドラマを紹介しました。しかし,現実に目をやれば,ドラマ以上の悪徳な権力がはびこっているこの国です。ドラマの方がずっとマシです。
 さて,今回は,別の「クラス」,つまりパターンである,この国に生きるさまざなま世代や職業の人たちの現実を描いたものを紹介します。老人の介護で家族が葛藤をする姿,女性が社会で生きにくい姿,才能のある者が変人扱いを受ける姿など,こちらもまた,日本という国の置かれた日本人の幸せあり方の葛藤をそのまま描こうとするものです。これじゃあ,少子高齢化は解決しないなあ,とドラマを見るたびに思います。この国で生きていても幸せじゃないもの。

●「俺の家の話」
 2021年の冬ドラマ。宮藤官九郎さん脚本というだけで,何が描かれるか期待されます。
 長瀬智也さんが演じるのは,ブリザード寿というリングネームをもつ現役プロレスラーの観山寿一ですが,父親に反発して,家出中。一方,西田敏行さんが演じる父親の観山寿三郎は,27世観山流宗家にして重要無形文化財「能楽」保持者ですが,要介護となり,戸田恵梨香さんが演じるしたたかな介護ヘルパーの志田さくらと婚約して遺産もすべてさくらに譲ると宣言します。
 観山寿一はプロレスラーを引退し,父親の介護を手伝うことになるのですが,介護と遺産相続を巡る激しいバトルが繰り広げらます。
 能の世界という身近でない舞台設定に,身近で切実な介護という話が絡み,見ていると切実な思いになりますが,とても内容が深い,娯楽だけでなく社会性のあるドラマです。
  ・・
●「不機嫌なジーン」
 少し古いドラマです。主人公は今は亡き竹内結子さん演じる動物行動学者のタマゴ・蒼井仁子。
 「男性=オス」はゼッタイ浮気をする生き物であるが「それはオスが悪いんじゃなくてオスの遺伝子(=ジーン)が自らを複製していくために指令を出して人間を操っているのだから仕方ない」のが生物学の通説だといいます。そんな蒼井仁子が,日々、恋に研究にと四苦八苦のラブストーリーです。
 舞台は大学の研究室で,ドラマ「ガリレオ」もそうですが,私は大学の理系の研究室を舞台とするものは好きなので,このドラマは見ていて楽しいです。しかし,ドラマで描かれる主人公・蒼井仁子は不機嫌というより,いつも悲しげです。女は社会で苦労するより家庭に入ったほうが幸せ,みたいな描かれかたをしているのがつらいです。
  ・・
●「デート~恋とはどんなものかしら~」
 いつのころからか「人生に恋愛は不要だ」と考えるようになった「恋愛力ゼロで恋愛不適合者」の女と男が,それぞれのやむにやまれぬ事情から結婚を目指すことになり,日々つたないデートを積み重ねていく,横浜を舞台にしたロマンチック・ラブコメディー。
 主演は,東大卒で内閣府の研究所で働く藪下依子を演じる杏さんと,自身を「高等遊民」と称する谷口巧を演じる長谷川博己さん。
 物語の展開は見るまでもなくわかりそうなものですが,その過程を楽しむものでしょう。
 このドラマによって「高等遊民」という言葉が有名になったそうですが,私がこのブログで「私は「高等遊民」になりたい」をかいたのは,このドラマとは関係がなかったのですが,奇しくも同じころだったようです。

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4346

######
 日本のドラマは,オブジェクト指向のプログラミングにたとえると,いくつかの「クラス」があって,ドラマは,それぞれの「クラス」をもとに「オブジェクト」を生成しただけのものに思えます。
 わかりやすくいうと,いくつかの基本のパターン(=クラス)があって,そこに毎回少しだけ異なる登場人物とストーリーという実態を入れた(=オブジェクト)だけ。だから,自分の好きな基本パターンに沿ったドラマを見れば,いつもストーリーは同じだから,安心して見ることができて,難しくもなく,いい時間つぶしの娯楽になります。
  ・・
 私は,これまであまり日本のドラマを見ていなかったので,こういった,ドラマ好きの人には当たり前のことを知りませんでした。「不良老人」の私が暇をもてあまし,FOD や AmazonPrime といったサブスクを契約したら,そこに過去のドラマがたくさんあったので,これまで見ていなかったことを幸いに,それらを新鮮な気持ちで見ることができるのです。
 現在見ることができる過去のドラマの多くは,今後,劇場版として映画化され,公開されるので,その宣伝で見ることができるのだと思いますが,それは承知で,まんまとその戦略にのせられています。

 日本のドラマのひとつの「クラス」,つまりパターンは,悪徳代議士とか悪徳弁護士とか悪徳医者がいて,正義の味方である何某かが主人公となり,それらを懲らしめる,というものです。アメリカのドラマの多くが,政府や裁判所や警察や病院というものが正義で,そこに働く人たちが主人公となって,悪。すなわち法を犯す犯罪者を懲らしめるという筋書きであるのとは対照的です。大学生は,こうしたテーマで卒論を書くとおもしろいかもしれません。
 日本では,権力者は実はとんだ悪人という想定です。そのようなドラマの設定が,実際にもありそう,と思うのが,まさにこの国のあり様なのです。しかし,現実には,ドラマのような正義の味方がいないから,多くの人はいじめや圧力に遭っても,我慢し,耐え,あるいは,私のように仕事を辞めるといったことになるわけで,だからこそ,こうしたドラマを見て,日ごろの憂さをはらしているのでしょう。
 現実はドラマとは違う,という人もいますが,それは世間知らず。ドラマ以上の現実をいやというほど経験した「不良老人」の私は,私の人生にも,ドラマに出てくるような正義の味方がいたらよかったのに,といつも思うのです。
 しかし,もっと深く考えると,というか,長く生きてみると,結局,人は,権力や地位や名誉を手に入れても,それが勝ちではなく負け。ということを知りました。私が経験した当時の「悪徳」な輩たちが,今,どういう人生をおくっているのかな? と考えるだけで,私は愉快になってきます。実際の社会に正義の味方がいなくても,現実がドラマ以上に「悪徳」を裁くのです。
 そんなドラマの中から,私が気に入ったものをいくつか紹介しましょう。

●「イチケイのカラス」
 2021年の春ドラマ。刑事裁判官を主人公とする,めずらしいものです。
 このドラマでは,竹野内さんが演じる東京地方裁判所第3支部第1刑事部(イチケイ)の刑事裁判官・入間みちおが正義の味方として,つねに「職権を発動します」といって,真実を明らかにするために再調査をするという,自由奔放で型破りな裁判を展開します。この,ゆるい空気ととぼけた雰囲気の根底にある「正義」に私は憧れます。その一方で,黒木華さんが演じる東大法学部卒の世間知らずの堅物新人裁判官・坂間千鶴が,入間みちおの影響を受けて,次第に柔らかく,人間らしく,やさしくなっていくのが,粋な味付けとなっています。
 アメリカには裁判官(判事)を主人公とするドラマ「オール・ライズ 判事ローラ・カーマイケル」(All Rise)という私の好きなドラマがありますが,それと比べると日本とアメリカの裁判の在り方の違いがわかって,それもまた興味深いのですが,共に,心温まる結末となるという類似点があり,いつも救われます。
 2023年冬に映画が公開されます。
  ・・
●「七人の秘書」
 中園ミホさん脚本の痛快「秘書」ドラマです。
 「名乗るほどの者ではございません」というのが合言葉で,木村文乃さん,広瀬アリスさん, 菜々緒さん,シム・ウンギョンさん,大島優子さん, 室井滋さん,そして,江口洋介さんが演じる「七人の影の軍団」が,理不尽な目に遭う社会の弱者を救い出すべく,のさばる上級国民に鉄槌を下すというものです。
 銀行の常務秘書を務める主人公・望月千代を演じる木村文乃さんがすてきです。
 このドラマは,「ドクターX」と同じようなものですが,「ドクターX」ほどワンパターンでなく,また,「七人の秘書」たちが「ドクターX」の大門未知子ほど強くないのがいいです。また,「ドクターX」で名医紹介所の所長を演じる岸部一徳さんが,「七人の秘書」では悪徳大臣を演じて,最後に「七人の秘書」たちにぎゃふんといわされるのが痛快です。
 2022年秋に映画が公開されます。
  ・・
●「アンナチュラル」
 1話完結の法医学ミステリーで,石原さとみさんが日本に170名ほどしか登録がない「法医解剖医」の三澄ミコトを演じます。
 ドラマの舞台は,死因究明専門のスペシャリストが集まる「不自然死究明研究所=UDIラボ」。そこに運び込まれる「不自然な死=アンナチュラル・デス」の怪しい死体から,「不自然な死は許さない」と,亡くなった人だけでなく,今を生きる人々を救い,未来への希望を見出すために死因を究明します。
 医療ものにいつも出てくる権威とか既得権に,勇敢に戦う姿がスカッとしますが,いつも思うのは,現実の医学界というのは,いつもドラマで揶揄されるような,偉い人が権威主義で威張り散らしていて金に執着する,そんなひどいところなのでしょうか。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4202

######
 2022年の夏ドラマ。夏ドラマは手抜きと聞いたのであまり期待していなかったのですが,手あたり次第に第1回を見てみたら,予想に反しておもしろいものが多かったので,そのいくつかを見はじめました。
 私は,数年前まで日本のドラマにはほとんど興味がなく,アメリカのドラマオンリーだったので,一般的なことも知りませんでした。このごろ見はじめて,いろんなことがわかりました。それは,局によってドラマの性格がちがうことや,どのドラマも結局のところシーズンが変わっても同じパターンの繰り返しで出演者もいつも同じようなものだということです。人気が出ると何シーズンも継続するアメリカのドラマとはまったく違います。
 それはそれとして,そう割り切って,私には楽しく時間つぶしができればいいのです。
 私がどのドラマを見るかという基準は,原則的には,1話完結であって,ハッピーエンドになるもの,そして,深刻な内容ではないものです。あくまで私個人が楽しめればいいので,巷のうわさやら視聴率やら口コミはまったく気にしません。

●「競争の番人」
 舞台は「公正取引委員会」。坂口健太郎さんと杏さんがW主演で,原作は私が断念した春ドラマ「元彼の遺言状」と同じ新川帆立さんだそうです。
 坂口健太郎さんが演じる天才で理屈っぽくひねくれ者の小勝負勉と杏さんが演じる実直で感情のままに行動する元刑事の白熊楓が,公正取引委員会・第六審査の職員として,独占禁止法に関わる違反行為を取り締まり,経済活動における自由で公正な競争の場を守るために目を光らせ,談合やカルテルなど不正を働く企業の隠された事実をあぶり出していくというものです。
 初回から1話完結でなく,3話で完結しましたが,それなりに楽しめました。私は,天才で理屈っぽくひねくれ者の小勝負勉というキャラクターが好きです。また,途中で見るのをやめた「元彼の遺言状」よりずっとマシです。が,これで原作は尽きたということなので,この先が心配です。
  ・・
●「魔法のリノベ」
 住まいに新たな価値を創り出す住宅リノベーションをテーマとして,依頼人が奥底に抱えている家や家族に対する問題に立ち向かう主人公たちが,毎話,五感と機転と根性を駆使したリノベ提案という魔法で華麗に解決していくという仕事ドラマです。
 春に「正直不動産」というドラマを見ました。住宅というテーマ,ライバル社がいる,などの点が似ています。このドラマは1話でスカッと解決するので楽しいですが,日本のドラマの多くはそれだけでいいのに,何か余分な横の糸,つまり,「クセ」をつけるので,この先の展開で,それだけが気がかりです。私には,縦の糸,スカッと解決だけで十分です。
  ・・
●「純愛ディソナンス」
 このドラマだけこの中では異質です。
 中島裕翔さんが初の教師役で生徒と禁断の恋… 吉川愛さん演じる女子生徒との決して一線を越えてはいけない関係を描く令和の新・純愛×ドロドロエンターテインメント!!
 ということで,まったく私好みではないのですが,かつて引かれ合った2人。5年後の再会をきっかけに再び動き出した微妙で繊細な関係が「ディソナンス=不協和音」を生みだし,破滅へと向かいはじめる… というサスペンス的な前向上にまんまとのせられ,ドロドロということばが妙に魅力的に思えて見はじめたのですが,原作のない5年前の高校時代という第1部で,すでに私は挫折気味です。
 やっと第2部に入りましたが,この先おもしろければ見続けるし,そうでなければ,きっと挫折することでしょう。果たしてどうなるか?
  ・・
●「石子と羽男-そんなコトで訴えます?-」
 有村架純さんが演じる4回司法試験に落ちた崖っぷち東大卒パラリーガル・石子と,中村倫也さんが演じる1回で司法試験に合格した高卒の弁護士・羽男がが誰にでも起こりうる珍トラブルに挑むという 異色のリーガル・エンターテインメント! だそうです。
 「競争の番人」と似ていなくもない。また,昨年のドラマ「イチケイのカラス」とも似ていなくもないわけですが,日本のドラマというのは,悪徳政治家に悪徳医者がいて,東大卒というのはなぜかみな世間からずれていて,キャリアでない人が情に厚く能力がある… そんな同じような価値観ばかりです。そしてまた,こういうドラマを見て,実際の社会もそうじゃないか,とみんなが思ってしまうのは,おそらく,実際の社会でも多くの人がさまざまなことで苦しんでいて,ドラマを見てスカッとしたいからなのかもしれません。
 そうした中で,このドラマは,ほのぼのとした,なかなかいいものです。
  ・・
●「初恋の悪魔」
 ミステリーとコメディー,ラブストーリーの要素を組み合わせた見ごたえたっぷりの作品という触れ込みです。鹿浜鈴之介は境川署刑事課所属の警察官。元捜査一課所属だったにもかかわらず,とあるヘマをやらかし現在は停職処分中。一方,馬淵悠日は境川署総務課に勤める職員で,捜査とは縁遠い日常を送っていて,雑用ばかり押し付けられてもヘラヘラ笑っているのは,楽にストレスなく生きたいから。しかし,そんなある日,鰐淵悠日は署長から鹿浜鈴之介の監視を任されて…。
 というちょっと変わった事件ドラマです。
 はじまる前は,巷のうわさではいち押しのドラマだったようですが,期待が大きかっただけに多くの聴視者は落胆をしているとか。でも,私は,好きですよ,このドラマ。ただし,ドラマの名前の意味がよくわかりません。

 これだけの夏ドラマを見はじめたのですが,果たして,私の期待を裏切らず,最後まで見続けられるのがこの中でいくつあるのでしょうか。
 私は,こられのほかに,NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とスーパー!ドラマTVで放送している「NCSI・ハワイ」を見ているのですが,実はこのふたつが最もいいです。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5601DSC_5743DSC_5214DSCN3424DSCN3419

 2022年7月14日に放送されたNHKBSP「コズミックフロント」は「アマチュア天文学の父・山本一清」でした。
 NHKのウェブページによると,内容は
  ・・・・・・
 新天体発見の数が世界一と言われる日本のアマチュア。日本はどのようにアマチュア天文大国となったのか? その礎を築いた天文学者山本一清の生涯に迫る。
  ・・・・・・
というものでした。

 しかし,この番組は,山本一清さんの人生を語るというよりは,山本一清さんによって育てられたアマチュア天文家たちの偉業を,反射鏡研磨の側面からは中村要さんと木辺茂麿さん,そして,彗星捜索の側面からは本田實さんと関勉さんを取り上げて構成したものでした。実際の山本一清さんは仕事ではさまざまな問題を抱えていたのですが,それはこの番組の趣旨ではありますまい。
 私は,この番組に登場した人たちよりひとまわり後なので,レジェンドと思っていた人たちです。いわば伝説の人たちです。
 私は,学生のころは,そうした人たちの書いた書籍をたくさん読んだし,おとなになってからは,そうした人たちが活躍した場所や関わりのあった天文台などに興味をもって,番組で取り上げられていたところのそのほとんどに行ったことがあります。そして,ああ,こういうところで活躍していたんだなあ,という感慨にふけったものです。

 昔のことは,過ぎ去った今となっては,何事も美しく感じられるものです。
 今とは違って,だれもが貧しかったのですが,お金がなくとも,手製の望遠鏡を組み立てたり,また,新しい天体の発見を夢見て毎晩のように星空を見るという夢があったわけです。しかし,学者さんは育ちのよろしい一部の特権階級の人たちが多く,学問には権威主義がはびこっていて,今のように,アマチュアの人たちに施設を積極的に公開したり,講演会を実施したりすることも少なかったように思います。そんな時代だったのにもかかわらす,アマチュアの人たちに積極的に啓蒙活動をした山本一清さんだったということで,今,この番組で取り上げられているのでしょう。
  ・・
 当時の多くの若者が抱いていたような星への夢を今の若者に語ろうにも,時代は変わってしまいました。光害で星空が消え,満天の星を,また,天の川さえ見たことのない人も多いのです。また,新しい彗星は世界中の天文台がサーベイを行って根こそぎ発見してしまいます。超新星探しも,多くの大きな望遠鏡をリモートで操縦する板垣公一さんの独占場です。これでは,一般のアマチュアが手製の望遠鏡を使って肉眼で探す余地もほとんどなくなってしまい,それがアマチュア天文家の夢を奪ってしまったことは否定できないわけです。
 また,今も星空の美しさに憧れて,写真を撮ったり観望したりしている人のほとんどは,「月刊天文ガイド」が創刊されたころの中学生や高校生がそのまま齢をとって定年を過ぎたような人たちばかりで,望遠鏡もまた高性能化して,学生が買うことのできる値段ではなくなりました。今日では,天文はこの番組で出てきたころに興味をもった年寄りだけの趣味となってしまったようです。

 しかし,おそらく,今の時代には,その時代にあった別の楽しみ方があるのでしょう。だから悲観することはないと思ったりもするのですが,学問としての天文学ならともかく,一般の多くの人が楽しむためには,そもそも,夜空に満天の星がないとはじまりません。私は,そうした場所がどんどんとなくなっていくことがとても悲しいのです。

FullSizeRender


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_3884

######
 2022年春のテレビドラマの予想と期待について3月27日に書いたので,今回は,それらを見た感想を書きます。まず,そのときのブログに書いたものからです。

●「 元彼の遺言状」
 綾瀬はるかさん主演のミステリー。
 思ったほどではなかったなあ,というのが第1印象でした。脚本が悪いです。整理整頓ができていないので,ごっちゃごっちゃになってしまいます。いい素材を使いながら,それを生かし切っていない料理みたいです。特に,第1話と第2話がだめでした。
 大泉洋さんの演じる篠田敬太郎に何か裏があるということらしいので,この先の展開に少し期待しているのですが,どうせまた裏切られるかな,という懸念のほう強いです。
 その大泉洋さんですが,「鎌倉殿の13人」の源頼朝同様,無邪気な善人面していながら,実はかなり癖のある悪人という役がはまりです。
 身近にもいるでしょう。味方だと思っていたら実はとんだ食わせ物だったという人。
  ・・
●「インビジブル」
 高橋一生さん演じる強烈な正義感を持つ刑事・志村貴文と,柴咲コウさん演じる犯罪コーディネーター「インビジブル」。
 柴咲コウさんのこれまでとはあまりに違う姿にはじめは驚きましたが,とてもいいです。何をやっても同じイメージになってしまう綾瀬はるかさんとは対照的です。
 このドラマは好きです。とてもおもしろいです。「インビジブル」が刑事たちを手玉にとっているのが権力が嫌いな私には痛快です。
 同じようなものはアメリカのドラマによくあって,それに比べればかなり安っぽいのが,まあ,日本らしいといえば日本らしいのですが,いずれにしても,現実離れしているのがとても愉快です。所詮,ドラマなんて暇つぶし。現実離れしていて,空想的でいいのです。
  ・・
●「 パンドラの果実 〜科学犯罪捜査ファイル〜」
 ずいぶん期待したのですが,このドラマは最悪でした。
 天才科学者という役を演じる岸井ゆきとかいう女優さんは完全なミスキャストです。この女性は,とても天才科学者というキャラではないです。
 さらにこのドラマがだめなのは,ドラマで出てくる最新の科学技術とやらが安っぽすぎることです。
 ということで,第1話で失望し,もう1回は,と第2話を見たところでやめました。その後は知りません。

 ブログに書いたドラマはこれだけだったのですが,そのときには書かなかったおもしろいドラマを見つけました。

●「吉祥寺ルーザーズ」
 吉祥寺にある謎めいたシェアハウスに引っ越して来た「人生の負け組」の6人が織りなすシチュエーション・コメディドラマ。ということですが,この設定で,配役が適切ならば,どうやったっておもしろくできそうです。実際,おもしろいです。
 私は第4話でこのドラマを知って,過去のものが見られるかをネットで探したら第1話と第3話はTVerにあったのですが,第2話だけParaviでないと見ることができませんでした。「まずは2週間無料」だそうですが,そこまでして見ることもないので,第2話は見ていません。
  ・・
●「持続可能な恋ですか? 〜父と娘の結婚行進曲〜」
 「誰かと共に生きること」を一生懸命に考える娘と「第二の人生」へと向かう父の奮闘を描くオリジナルラブストーリー。ということで,上野樹里さん演じるヨガインストラクターに,松重豊さん演じる「生活能力ゼロ」の辞書編纂者が父娘で「ダブル婚活」を。という内容です。
 これは第1話から見ています。
 私には「のだめ」の印象が強い上野樹里さんですが,あれからずいぶんと齢をとりましたが,ときどき,そのころの片鱗が垣間見えるのが愛嬌というか,ほどよく感じのよいドラマになっています。であるのですが,ちょっとまどろっこしいというか,脇を占める男たちがだらしないのが私にはなじめません。
  ・・
●「正直不動産」
 「嘘もいとわないセールストーク」で成績1位を維持し続ける不動産営業マンが,突然,たたりで嘘がつけなくなってしまい,契約寸前の案件まで次々と台なしに。しかし,そのことで,逆に好感がもたれて,すべてがうまく収まる。という軽いおとぎ話です。
 たわいもなく,しかし,最後はハッピーエンド,という安心感があります。
 このドラマも第3話から知ったのですが,NHK+で第1話からすべて見ることができました。
 営業マン永瀬財地を演じる山下智久さんの演技がいまいちでわざとらしくてたいしたことないけれど,新人営業マンの月下咲良を演じる福原遥さんの笑顔が好感がもてるので救われます。
  ・・ 
●「クロステイル 〜探偵教室〜」
 行方不明になった父親を探すためにジョーカー探偵学校に入学した男性が,地道な調査の連続に幻滅しそうになりながらも課題や実習などの経験を重ねていくうちに人間の心に寄り添う探偵という仕事にやりがいを見出していくさまを描く。という非現実的でたわいもないドラマです。
 鈴鹿央士さんが演じる探偵学校の生徒である飛田匡はいい人過ぎて,私はちょっとイライラしますが,それがこのドラマの核であり,まあ,全体的に軽く,アニメそのままの展開は,暇つぶしにはいいかな,という程度のものです。第1話から,なぜか毎回見ています。

 以上なのですが,実は,これらのドラマよりも,スーパー!ドラマTVで放送されているアメリカの法律テレビドラマシリーズ「グッド・ファイト」(The Good Fight)のシーズン4と大河ドラマ「鎌倉殿の13人」,このふたつのドラマが秀逸です。格が違います。

A1TJgjWuIiL._RI_

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_0110 (6)

######
 私は毎朝の習慣で朝ドラを見る,ということもなく,普段は見ていないのですが,何かのきっかけで見て,それがいいと,ときどきはまります。だから,ひょっとして,食わず嫌いというか,よかったのにまったく見なかったものもあるかもしれませんが,おそらく漏れはないと思います。
 これまで私がはまったものは,「ちゅらさん」「おひさま」「ひよっこ」「カムカムエヴリバディ」の4作でした。それに加えて,「あまちゃん」や「エール」もよかったな。

●「ちゅらさん」
 「ちゅらさん」は2001年度上半期に放送されました。
 沖縄県の小浜島と東京を舞台に,国仲涼子さんが主演の古波蔵恵里の人間的な成長物語を描いたものです。
 何といってもこの作品は「ガジュマルの木の下で」が最高だったのですが,私が気に入っていたのはメルヘン小説家で毒舌で皮肉屋という,菅野美穂さんが演じた城ノ内真理亜でした。私は,ああいうキャラ好きなのです。
  ・・
●「おひさま」
 「おひさま」は2011年状半期に放送されました。 
 信州・安曇野市と松本市を舞台に,激動の昭和時代を生きた井上真央さんが演じる須藤陽子の半生を描いた物語でした。
 最終回,年老いた主人公とその友達が昔話に華を咲かせるシーンが印象に残っていますが,この物語は,そもそもがすべて昔話,という設定だったような気がします。
 いつか安曇野へ行っておそばを食べたいとずっと思っているのですが,まだ果たせていません。
  ・・
●「ひよっこ」
 「ひよっこ」は2017年度上半期に放送されました。
 有村架純さんが演じた谷田部みね子が出稼ぎに行って戻らぬ父を探しに上京し,成長するというストーリーでした。
  和久井映見さんが演じた永井愛子がいい味をだしていました。

 こうして書いてみると,どの作品も共通点があるように思います。みな,決して裕福でない家に生まれた女性が,生まれた家を出て,自分探しをし,その時代に格闘し翻弄されながら成長して,幸せをつかむ,というような感じのものです。調べてみると,私は知らなかったのですが,「ちゅらさん」「おひさま」「ひよっこ」すべて岡田惠和さんの脚本でした。脚本家が同じだからそれも当然ですか。
 そして,今年の「カムカムエヴリバディ」。これは藤本有紀さんの脚本です。
 さて,今年のゴールデンウィーク。私は人混みが嫌いなので,多くの人がお休みのときは外出しません。特にゴールデンウイークはだめです。気候のよいこの季節はどこに行っても人と車しかありません。そもそも,毎日が日曜日の私にとってはこの時期は最悪です。出かけるなら,その次の週です。
 ということで,ゴールデンウィークは家にいるのですが,そこで楽しかったのは,何といっても「カムカムエヴリバディ」の総集編に加えて,「ちゅらさん」の総集編も見ることができたことでした。
 齢をとって涙腺の弱くなった私は,両方の番組が放送された5月4日は,ずっと,涙涙でした。

 「カムカムエヴリバディ」は,内容が濃く,テンポが早かったので,たった3時間の総集編でそれをまとめるのは困難でした。本編を見ていた人は復習になったと思うのですが,これだけを見た人が,このドラマのよさと感動のどれだけを味わえたのだろうかと思うと,少し残念でした。
 私がこの総集編を見て改めて思ったのは,日本の1925年からの約100年という時代のさまざまな出来事と,その時代のもっていた雰囲気でした。安子さんの青春だった昭和初期から第2次世界大戦ごろまでは,暗く,切なく,救いがなく,安子さんの子供のるいさんの昭和30年代から40年代は,明るく,夢と希望があり,そして,るいさんの子供のひなたさんの平成時代は,慢性的な平和社会でありながら,祭りのあとのむなしさというか,右肩下がりの何か夢破れたはかなさを感じます。
 私は,るいさんの時代に生きてきてよかったと感じました。
 さて,この先の100年はいったいどんな時代が訪れるのでしょう。100年後に同じようなドラマが作られるのなら見てみたい。

IMG_3879


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN1495DSCN1435DSCN2228DSC_2443DSC_3714DSC_3799

######
 2020年4月29日,NHKBSPで「ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜」という番組が放送されました。アメリカの長距離トラックのドライバーの日常を描いたものです。
 NHKBSPでは「ぐっさんのトラック旅」という番組を何度か放送していましたが,私は,狭い日本の,たった2車線か3車線しかない,また,車で混み合う高速道路を走るようなものより,雄大なアメリカのインターステイツをコンボイで走る番組が見たいと思っていて,そのことをこのブログに書いたこともあります。
 私が思っていたのは少し違うけれど,そんな番組が放送されると知って,楽しみにしていました。

  ・・・・・・
 世界のトラック野郎が見る景色を「主観」で楽しむ新感覚ロードドキュメンタリー。運送の仕事を擬似体験しながら,高さ2.5メートルの車窓に広がる壮大な景色を堪能する。
  ・・・・・・
と紹介されていたので,今回のアメリカだけでなく,この先,他の国のものも紹介されるのでしょう。しかし,何といってもアメリカです。
 この番組でトラックが走ったアイダホ州,オレゴン州,ワシントン州,ユタ州,ネバダ州などは,すべて,私はこれまで何度も走ったことがあるところなので,見慣れた景色でした。そして,とても懐かしくなりました。それとともに,ここ2年以上行くことができないアメリカを思い出しました。
  ・・
 そもそも私が海外旅行をするようになったきっかけは,アメリカのどこまでも続く1本の道を自分で運転したいというのが動機でした。そして,幸運にも,その夢は,これまでにずいぶんと実現しましたが,それが,今はできないのです。
 番組に出てきていたトラックのドライバーはアラスカ州は行ったことがないということでしたが,私は,アラスカ州も含めて,アメリカのすべての州を走りました。

 こうしたアメリカの景色を見たことがない人がこの番組を見たら,どんな感想をもつのでしょう。多くの人には,アメリカといえば,ニューヨークであり,サンフランシスコであり,ロサンゼルスであり,ホノルルでしょう。しかし,そのようなガイドブックにあるアメリカは,日本に来て,東京と京都しか知らないで帰る外国人と同じようなものです。アメリカの本当の姿は,こうした,どこまでも続くインタ―ステイツや大平原の中を走るカントリーロードにあるのです。
 また,走っている時間よりも信号や渋滞で止まっている時間の方が長いような,この狭い日本で,見栄をはって高級車に乗っているのとはまったく違う世界が,アメリカにはあります。
 日本とはスケールの違うアメリカでトラックを運転するという仕事には,私の想像がつかないような苦労があると思いますが,こうした景色を日々体験できる喜びは,日本に限らず,アメリカでも,人のうじゃうじゃいる都会で,日々,人間関係に苦労し,仕事に追われ評価されるような生き方をしていては決して手に入るものではないでしょう。
 見ていて,また,私も,アメリカの大平原を走りたくなってきました。
 この番組で,やっぱり,私はこうした旅がしたかったんだよ,という夢がよみがえりました。

DSCN2562DSCN2771


◇◇◇
5惑星

4月30日早朝4時。
東の空に,5惑星が見えました。
特に,金星と木星が接近して
ひときわ明るく輝いていました。

DSC_9298tnxDSC_0416tn2x


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

2019-08-21_16-04-36_2172019-08-21_16-01-29_6662019-08-21_16-09-54_2592019-08-21_17-27-58_556

######
 先日,2022年4月27日,NHKBSPで「ヨーロッパ発駅ロマン-フィンランド・ヘルシンキ」が放送されました。フィンランドの首都ヘルシンキの中央駅を舞台としたさまざまな物語です。私は,2018年2月と2019年8月にフィンランドに行きました。2018年の2月に行ったのは,北極圏近くのロヴァニエミでしたが,2019年8月は,この番組に出てきたヘルシンキ中央駅近くのホテルに宿泊したので,とても懐かしく番組をみることができました。ただし,私がヘルシンキに行ったのは夏で,番組で出てきたヘルシンキは冬でした。
 フィンランド中央駅が作られたのは1919年なので,今から100年以上も前のことです。私が子供のころの名古屋駅などとよく似た感じで,懐かしい気持ちがしたものです。その後,日本の駅舎はどこも近代的な外観となりました。しかし,その内部も最新かといえば,疑問符がつきます。それに比べて,ヘルシンキ中央駅は,駅の外観は古くても,チケットの販売機などは完全に自動化され,最新設備となっていたのは,ウィーンの国立歌劇場同様でした。こうしたことが,ヨーロッパの文化の豊かさと奥深さで,伝統を大切にしながらも,日本よりもずっと先進性をとり入れ利便性を兼ね備えたヨーロッパというところの優秀性を私は感じました。また,改札口がないので,だれでもホームに行くことができます。

 この駅から,フィンランドの各地に多くの列車が発着しています。
 番組でも紹介していましたが,ヘルシンキのヴァンター国際空港にも,ヘルシンキ中央駅から直接行くことができて,とても便利です。
 私がこの駅で特に印象に残っているのは,フィンランドの北,北極圏の町ロヴァニエミまで行く寝台列車サンタクロースエクスプレスの出発シーンですが,もうひとつが,この番組でも紹介されたロシアのサンクトペテルブルグまで通じている国際列車です。私は,ヘルシンキ中央駅の電光掲示板でこの列車の表示は見ましたが,発着シーンは見損ねました。このことを今では残念に思いますが,それは,この当時は,次に来たときに乗るからいいや,と思っていたことによります。
 ヘルシンキからサンクトペテルブルグまでは,東京から大阪に行くよりも近く,わずか300キロメートルほどしかないのですが,国境を隔てているので,車内で検札があるということでした。私は,2020年の夏に三度目のフィンランドに行って,そのときにこの列車に乗ってサンクトペテルブルグまで行く予定をしていただけに,コロナ禍でその旅が実現できなかったことが数少ないこころ残りのひとつとなっています。

 フィンランドの東はロシアです。長い国境線がふたつの国を遮断しています。また,フィンランドの歴史は,ロシアとの戦争の歴史でもあり,植民地化されたこともあります。この番組が,現在のロシアのウクライナ侵略を意識して放送されたのかどうかは知りませんが,このご時世ともなると,こうした事実がかなり深刻な問題として浮かび上がります。果たして,今もサンクトペテルブルグ行きの列車は運行されているのでしょうか?
 フィンランドは,世界で最も幸せな国といわれています。また,教育が充実して学力世界一だともいわれています。実際,この国を旅すると,治安もよく,旅もしやすく,自然も魅力に富み,豊かな国であることを実感します。しかし,未だに徴兵制度があるということを聞いて,平和ボケした日本に住む私は,当時,とても意外な気がしたものです。
 私がヘルシンキに着いたちょうどその日,ロシアからプーチン大統領が来ていて,その車列を見ました。私のわずか数メートル前を,この,面積だけが巨大な国の元首が車に乗って通り過ぎて行ったのです。それは今からわずか3年前のことだったのに,当時は,その国の恐ろしさへの実感は程遠いもので,フィンランドがロシアと陸続きであることを痛感しただけでした。フィンランドの置かれた地理的なリスクが何を意味しているのか,私にはまったく理解できませんでした。
 それが,今や,フィンランドは,隣国の脅威に懸念を抱かざるを得ない状況となっています。
 この番組を見ながら,どうか,将来にわたって,私の大好きな,そして,すばらしい北欧の国の平和がこれからも続くようにと願わずにはいられませんでした。

2019-08-22_22-09-40_301無題


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_3789

 ######
 2022年4月15日,NHKBSPで「数学者は宇宙をつなげるか?  abc予想証明をめぐる数奇な物語」という番組が放送されました。
 NHKは,ときどき,数学に関するこのような番組を放送します。これまでも,「素数の魔力に因われた人々」と題してリーマン予想について,「数学者はキノコ狩りの夢を見る」と題してポアンカレ予想などがとりあげられていて,とてもおもしろい番組でした。そこで,今回の「abc予想」を私はとても楽しみにしていました。
 番組の内容は
  ・・・・・・
 2020年春,数学の難問「abc予想」を日本人が証明したというニュースが報じられた。京大数理解析研の望月新一教授の論文「宇宙際タイヒミューラー理論」が専門誌に掲載されたのだ。だが数学界では「証明が理解できない」「いや絶対に正しい」と激論が続く。論理を積み上げれば誰もが同じ答えにたどり着くはずの数学の世界で、なぜ主張が真っ向から対立するのか? 前代未聞の議論を追い,数学の魅力に迫る。
  ・・・・・・
でした。
 私は,期待してこの番組を見ましたが,正直言って,がっかりしました。これでは,数学の魅力を伝えるどころか,その反対になりました。
 おそらく,こうした番組を見る人は,数学にある程度の知識と興味があって,しかし,「abc予想」とそれに伴う証明に関する議論が難解なのでよくわからない,だから,番組を見れば,少しは疑問が解けるかも,と期待してでしょう。私もそのひとりでした。
 しかし,残念な結果におわりました。

 がっかりの番組だったという最大の問題は,この番組のテーマである「abc予想」とは何か? ということが説明不足でまるでわからなかった,また,数学における証明とは何か,という説明がなかった,ということに尽きます。
 それは,まず,「abc予想」の説明の前段階で,「かけ算は簡単だけどたし算はむずかしい」という,わかったようなわからないようなことからはじめたのが,番組の内容をわからなくした敗因です。
 「かけ算は簡単だけどたし算はむずかしい」とは
  ・・・・・・
 ふたつの数をそれぞれ素因数分解したものは,そのふたつの数をかけたものと同じ「遺伝子」からできている。たとえば,a=4,b=6 のとき,a=22,b=2×3 となり,aとbは2と3が「遺伝子」。で,そのふたつの数をかけた a×b は a×b=22×2×3=23×3 だから,かけ合わせる前もかけ合わせた後も同じ2と3という「遺伝子」をもっていることになる。
 しかし,aとbをたし合わせれば,たとえば,a=4,b=6 のとき,a+b=4+6=10=2×5 だから,aとbは2と3の「遺伝子」からできていても,a+b は2と5という別の「遺伝子」。だから,aとbを継承していないことになる。つまり,かけ算は同じ「遺伝子」を「受け継いで」いて,たし算は「受け継いで」いないどころか,むしろ壊してしまう。
  ・・・・・・
 そういう内容でした。
 しかし,そんなことは当たり前です。
 かけ算では,元の数a,bも素因数分解しているから,ふたつの数自体もかけ算であって,それをかけたところで同じ因数,つまり「遺伝子」をもつに決まっています。
 それに対して,aとbのふたつの数をたすというのなら,もとのふたつの数も素因数分解ではなく,(ここでは1も素数と考えて)素数の和,つまり,a=4=1+3,b=6=2+3 のように分解して,1,2,3をaとbの「遺伝子」と考えれば,ふたつの数をたす,つまり,a+b=10=1+2+3×2 としたときもまた,1,2,3といった同じ「遺伝子」をもつから,同じ「遺伝子」を受け継いでいることになり,何もおかしくないのです。
 というように,私は,ここで説明したいと思われる本筋を離れて,このような別の思考に走ってしまったので,解せなくなってしまいました。
 よくわからなかったので,もう一度,というか,二度,三度と番組を見直すと,ここでは,フェルマーの最終定理の証明がなぜ難解なのか,を説明したかったということがわかったのですが,これではだめです。

 さて,この番組では,この,かけ算とたし算のよくわからない話の次に,やっと「abc予想」の説明がはじまりました。
 ところが,「abc予想」というのは「c/rad(c)<rad(ab)」だと説明されただけでした。ここで,いきなり「rad」なる記号が出てきても,この「rad」が何を定義しているという説明が一切ないのでした。これもまただめです。番組のテーマは「abc予想」がテーマだから,ます,「abc予想」とは何かをきちんと説明してくれなけれは,見ている人はその先のことがまったく理解できません。
  ・・
 ということで,ここで「abc予想」について説明しておきます。
  ・・・・・・
 a+b=c が成り立つ「互いに素」である自然数 a,b,c を考えます。「互いに素」というのは,たとえば,a=3,b=5,c=8 のように,互いに割ることができない数のことで,たとえば,a=3,b=9,c=12 のように互いに割ることができるものではない,ということです。
 このとき,aとbとcをかけた値を素因数分解して,その因数だけを掛け合わせたものを rad(abc) と書くことにする,と決めるのです。これが「rad」の定義です。たとえば,先に示した a=3,b=5,c=8 であれば,a×b×c=3×5×8=3×5×23 なので,指数部分を考えないで,因数だけをかければ 3×5×2=30 となり,rad(3×5×8)=30 です。
 そこで,「 a+b=c が成り立つ「互いに素」である自然数 a,b,c」となる a,b,c のさまざまな値に対して rad(abc) を計算すると,その値の多くは c の値より大きくなる。つまり,c<rad(abc) が成り立って,c>rad(abc) となることはほとんどない,というのが「abc予想」です。たとえば, a=3,b=5,c=8 であれば,c=8,rad(abc)=30 だから,確かに c<rad(abc) が成り立ちます。
 しかし,a=1,b=8,c=9 のような値では,c=9,rad(abc)=rad(1×8×9)=rad(1×23×32)=1×2×3=6 なので,c>rad(abc) となってしまいますが,こうした例はきわめて少ないといっているのです。しかし,このような場合でも,右辺の rad(abc) を何乗かする,たとえばここでは2乗するとします。そうすると,c<{rad(abc)}2 が成り立つというのです。 a=1,b=8,c=9 の場合も,先に書いたように c>rad(abc) ですが,右辺を2乗すれば,rad(abc)=6 でも {rad(abc)}2=62=36 となるので,c<{rad(abc)}2 が成り立つわけです。
  ・・・・・・ 
 これが「abc予想」ですが,こうした「abc予想」の説明はまったくなく,このことを棚上げしたまま,番組は先に進みます。
 次に,トポロジーなどをさりげなく例に出して,「異なるものを同じとみなす」ということが現代数学の考え方だという説明がされます。このように,「abc予想」とは何か? の説明がなく,見ているほうは,何が問題なのかということがわからないまま,次々に話題が変わっていくのでした。

 では,証明とは何でしょうか? このことをもっと深く説明しなければならないのですが,番組ではすっかり抜け落ちます。
 証明とは,ある適当な数を代入したときにそれが正しくてもだめで,すべての数に対して成り立つことを示さなければなりません。しかし,それが直接できないから,ある種の異なる概念を構築して,それをもとに証明をすることになるのです。だから「abc予想」の証明が難しいのです。
 その難しい証明を,望月新一教授が,自ら提唱する「宇宙際タイヒミューラー理論」(Inter-Universal Teichmüller Theory=IUT)を使って成しえたらしいというのです。しかし,多くの数学者がそれを認めていない,というのが番組のテーマとなっているのです。そこで,望月新一教授がどのような手段で証明を行ったのか? そしてまた,多くの数学者の間でどうしてそれが認められないのか? いったい何が問題となっているのか? ということを説明しなければならないのに,この番組のふたつ目の問題は,そのテーマに対して,内容があちこちに飛びはねているだけで,きちんと整理されていなかった,ということです。
  ・・
 当然,望月新一教授の行った証明は,専門家でも理解が難しいものだから,この番組で証明を説明することは不可能です。しかし,多くの数学者にとって,その証明のどういう点が理解不能なのか? どこに原因があるのか? それについて,一応は,いろんな説明がしてあったとしても,例え話が多すぎ,話がいろんなところに飛躍しすぎて,焦点が絞り切れていないので,私は,まるで把握できなくなりました。
 それでも,わからないまま見ていると,突如,番組では「本当であって本当でない」というような話の説明が,有名な「Russeii's Paradox」を使ってはじまりました。さらには,京都の竜安寺の石庭まで登場しましたが,これでは,めちゃめちゃです。おそらく,ここでいいたかったことは,「望月新一教授が考えていることは,一般の常識からかけ外れた理論だ」ということなのでしょう。しかし,その説明が,本筋とは異なるところまで逸脱してしまうと,見ているほうはとまどうだけです。
  ・・
 ここらへんになって,番組では,やっと,望月新一教授の提唱する「宇宙際タイヒミューラー理論」が出てきました。
 「宇宙際タイヒミューラー理論」の説明は,ふたつの数学世界を用意して,一方の数学世界でのある数ともう一方の数学世界である数を2乗した数を対応させる,というものからはじまりました。そして,それを,この番組のはじめに出てきた「かけ算は簡単だけどたし算はむずかしい」という話につなげてそれを発展させることで「かけ算は成立するがたし算は成立しない数学世界」をつくりあげて,それを用いて「abc予想」の証明をした,という説明になりました。
 そのあとで,他の数学者にインタビューして,その証明を否定するようなコメントがたくさん紹介されていましたが,残念だったのは,多くの当代一流の専門家に取材をしているのに,その専門家に専門の話をわかりやすく説明してもらうのではなく,議論が紛糾したとか,望月新一教授のやり方がまずいとかいうような,きわめて文系的な視点から感想を述べさせていただけだったことです。
 さらに,望月新一教授に1対1で議論をしたピーター・ショルツ(PeterScholze)教授との議論の決裂がそのとどめとなりました。
 さらにさらに,これで終わりかと思いきや,番組の最後に「対象に関する認識論」などというものが出てきて,それがダメ押しとなり,この番組の混乱にさらに拍車をかけました。「対象に関する認識論」というのは「わかるとは何か?」「証明とは何か?」ということに関する説明だと思うのですが,最後になって証明とは何ぞや? に行きついたのです。こんな展開をしてはだめです。最初にやらなきゃ。

 結局,この番組は,焦点が絞り切れないまま,「望月新一教授は一般には容易にわからないおかしな理論を考えていて,たとえそれが正しくとも,それを公で説明しないからその証明が理解されない」といっている(非難している)だけのものでした。
 しかし,この番組でもっとも残念だったのは,はじめに書いたように(くりかえしになりますが),番組の主題である「abc予想」とは何か? についてのわかりやすい説明がなかったことと,証明とは何かという説明がなかったことに尽きます。こんなことになるのも,この番組を作ったスタッフが数学をまったく理解していないからなのでしょう。おそらく,企画はよかったけれど,この番組のスタッフにはテーマが難しすぎて荷が重かったということになります。
 期待していただけに,いろんな意味で,まことに残念な結果となってしまいました。

無題


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_9263IMG_9081IMG_9265IMG_9267

 若いころはアメリカを車で旅し,齢をとったらヨーロッパを鉄道で旅したいと,漠然と思っていたのですが,実際のところは,近年まで,ヨーロッパを鉄道で旅する気持ちはほとんどありませんでした。
 アメリカなら空港でレンタカーを借りればそれでどうにでもなるのに比べて,鉄道の旅では,事前に時刻を調べたり,チケットを購入したりと,いつも無計画な旅をしていた私には,ものすごく面倒なことに思えたからです。
 それが,何度もこのブログに書いているように,ふとしたきっかけで,フィンランドやオーストリアに行って,そして,なんとなく鉄道に乗って郊外まで日帰り旅行を楽しんだことで,ヨーロッパを鉄道で旅する楽しみを知ってしまったのでした。

 ヨーロッパは,知れば知るほど歴史も文化も奥が深く,もっと早くから旅をしていればよかったという想いやら,気楽に旅をするには,やはり,英語だけでなく,ドイツ語やフランス語といった言語をもう少し知っていなくては,という気持ちやらで,複雑でした。
 それでも,この先は,1年に1回くらいずつ,ヨーロッパを鉄道で旅をして,観光地でない郊外の小さな町で宿泊するような旅を実現したいものだと思うようになったころ,コロナ禍になってしまいました。やり残したことがほとんどない私でも,このことだけが少し悔やまれます。

 さて,NHKBSPで,2015年度から16年度にかけて「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」という番組が放送されました。ヨーロッパ10か国,約2万キロを鉄道で走破し,1国につきおよそ10日間の行程で旅の様子を流すというものでした。
 偶然の出会いを装った,しかし,そのほとんどがやらせ,というか,仕組んだ演出だなと感じられた出会いが番組の核となっていたものですが,ヨーロッパの鉄道事情がわかりました。
 放送されていた当時は,私は,ヨーロッパを鉄道で旅したことがなくあまり興味もなかったので,この番組をなんとなく見ていただけでした。見ていておもしろかったけれど,だからといって,行きたいという気持ちにはなりませんでした。
 毎度のごとく再放送だらけのNHKBSPで,先日,この番組のオーストリア・チェコ編が何度目かの再放送されました。もともとは,2016年の2月から3月にかけて放送されたものです。先に書いたように,この番組がはじめて放送されたあとで,私は奇しくもオーストリアに行ったこともあって,今回は興味があって,再び見ることにしました。
 改めて腰をすえて見てみると,自分も利用したことがある鉄道や駅がたくさん出てくるので,とても懐かしくなりました。

 この番組に限らず,テレビでよく出てくるヨーロッパの様々な国ですが,なぜか,私は,一概にヨーロッパと行っても,オーストリアは何度でも行きたいと思い,若いころに1度行ったことがあるフランスやイギリスには,また行きたいと思わないのです。スペインやイタリアにも興味が湧きません。また,オーストリアに行ったことでその必要性を感じてはじめたドイツ語の勉強なのに,その言葉が正真正銘の母国語であるドイツも,また,まったく興味が湧かないのです。
 北欧も,フィンランドには2度行って,とてもいい国だったのに,それでもう満足してしまい,また行きたいとは思わないし,スウェーデンもノルウェーも特に行きたいと感じません。しいていえば,アイスランドはまた行ってもいいかな。
 そんなわけで,もし,コロナ禍が起きていないくて,ヨーロッパ旅行をすることが可能だったとしても,私は,オーストリアに何度もリピートしていたか,もしくは,オーストリア以外で唯一行きたいという気持ちがあるチェコに足をのばしてていただけだったのかもしれません。
 それにしても,ヨーロッパはどの国もすばらしい文化や古い歴史があるのに,私が特定の国にしか興味が湧かないのが自分でも不思議で仕方がありません。ほんとうにどうしてなのだろう?


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_9560無題2無題無題3

######
 2022年2月10日にサントリーホールで行われた井上道義さん指揮,服部百音さんヴァイオリンの読売日響交響楽団特別演奏会ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77」をテレビで放送していたので見ました。
 まるで能の所作のようにステージに現れた服部百音さんは,ニコリともせず,優雅とはまったく正反対で,何かにとりつかれたかのように,全身全霊を集中して演奏しました。
 時節柄,なのか,いや,それだけではなく,格闘技のような演奏に,私はものすごく感動し,引き込まれました。
 この演奏会について,井上道義さん自身がブログで書いていますので,一部引用します。
  ・・・・・・
 特別な日だった。
 雪がまるでペテルブルグのように街を凍らせ「這ってでもコンサートに来る」人以外に門戸を閉ざした。使ってもいない指揮棒が転がり,百音の肩当ても何故か落ちた。しかし,あそこに息づいて居た人の気持ちたちは,どこかに向かっていた。
 音響的にバイオリンコンチェルトにもショスタコーヴィッチにも向かないホールをものともせず,身の回りで何万もの人々が死んでいったドミトリーの作曲時の嘆きと心象風景は巫女を通じて這い上がり,離れ触れることのない距離にいる奏者達を悪魔的パズル音型を集中力という狂気の共感で繫ぎ合わせた。
  ・・・・・・

 服部百音さんは作曲家服部隆之さんの娘で,服部克久さんの孫娘,服部良一さんの曾孫というから,デビューしたときに,失礼ながら,親の七光りか,と私は思い,さほど興味をもちませんでした。しかし,違う。このすごい演奏は,私の先入観をすべて否定するものでした。
 また,井上道義さんは,現在,日本で最高の指揮者だと,私は思います。ショスタコーヴィッチに関して,この指揮者の右に出る人はいません。その指揮者が振るショスタコーヴォッチがすばらしいものでないわけがありません。
 私は,ショスタコーヴォッチで最も好きなのは交響曲第15番なのですが,最高傑作はこのヴァイオリン協奏曲第1番だと思います。
 ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ(David Fiodorovich Oistrakh)に献呈されたこの協奏曲は,第2次世界大戦終了まもない1947年から1948年にかけて作曲されたものですが,ジダーノフ批判(Zhdanov Doctrine)をおそれ,しばらく公にされず,スターリン死後の雪解けの雰囲気の中,1955年に発表されました。ジダーノフ批判とは,1948年に公にされた,ソビエト連邦共産党中央委員会による文化,芸術に対するイデオロギーの統制のことで,この批判を推し進めた人物である中央委員会書記アンドレイ・ジダーノフ(Andrei Aleksandrovich Zhdanov)にちなみます。
 ロシアの狂気に対する遺憾のようなこの「哀しみの曲」は,重く,暗く,深刻で,まったく救いのないものですが,いたましい戦争の犠牲者への追悼と鎮魂の意をもっているともいえます。まさに,戦争しか能のないおろかな人類の懺悔の曲です。
 なお,井上道義さんのブログにもあったように,服部百音さんが第3楽章「バッサカリア」の最後の長いカデンツァが終わり,汗を拭おうとしてヴァイオリンの肩当てを落とし,第4楽章のはじめの3音が弾けなかったというハプニングがありましたが,それも手伝って,まさに,この演奏は壮絶でした。
 コロナ禍以降,本当に聴きにいきたいと思うようなコンサートがあまりなかったのですが,この演奏はぜひ生で聴きたかったと思ったことでした。行きたかったな。

IMG_1838


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN4596画像 011

######
 NHKBSPで2022年3月26日に放送された「まいにち養老先生,ときどき2022冬」を何気なく見ていて引き込まれました。
 本当に「賢い」年配の男の人には独特な味があります。私が今までにそれを感じたのは,私が尊敬してやまない音楽評論家の吉田秀和さんですが,解剖学者の養老孟司さんにも,同じような感じをもちました。
  ・・・・・・
 鎌倉時代の痕跡を歩き,先人に思いを馳せる。移ろう時代のなかで,変わらないものとは…。
 自然豊かな鎌倉の私邸が雪に染まる。鎌倉時代の痕跡を歩き,「体の時代」を生きた先人に思いを馳せる。一方,雪の会津では,自身の血肉となる食物が育つ田畑を眺め,ヒトと自然の関係を問い直す。樹齢500年の巨樹を仰ぎ,子どもと虫を愛で,移ろう時代のなかに「変わらないもの」を見出そうとする。
 そんなころ,鎌倉の庭にはいつしか,春の光が満ちはじめる。
  ・・・・・・
というこの番組で,私は,養老孟司さんと鎌倉の地に想いを寄せることになりました。

 番組の中で少し触れられていた「不要不急」について,以前,「コロナ後の世界を語る」と題して,朝日新聞に次のようなふたつの記事があったのを思い出しました。
  ・・
●「社会の役に立たないという価値 角幡唯介さん語る探検論」2020年10月1日
 -角幡さんがグリーンランドを探検中,コロナ感染が拡大していた日本では「不要不急」という言葉が議論を呼んでいました-
 ええ,それは帰国後に知りました。グリーンランドから朝日新聞に6月に寄稿した際,参考に養老孟司さんの「人生は本来,不要不急」というエッセーを送ってもらったのですが,「コロナがテーマなのに、なぜ不要不急の話ばかりなんだろう」と不思議に思いました。
 この言葉が日本で議論の的になっているのを知らなかったからです。まあ,僕のような探検家は不要不急の権化でしょう。でも,自分にとって探検は絶対的に「有要有急」ですから…。
  ・・
●「私の人生,不要不急? 再考した問い 養老孟司さん」 2020年5月12日
 コロナ問題は,現代人の人生に関する根源的な問いを,いくつか浮かび上がらせた。
 不要不急という言葉ひとつをとっても,さまざまな意味合いを含む。右の内容(=「ヒトゲノムの4割はウイルスが由来で,その4割がどのような機能をもつかは不明。つまり,ヒトゲノムのほとんどが不要不急である。そういうことであれば、むしろ要であり,急であることが,生物学的には例外ではないのか」)は,この言葉から私が連想したことを述べただけで,政治家が言う不要不急と関係がないことはわかっている。さらに現在,要であり急である仕事に携わる人には,不適切な発言と思われる可能性がある。
 しかし,人生は本来,不要不急ではないか。ついそう考えてしまう。老いるとはそういうことなのかもしれない。

 もともと,人が地球上に存在していること自体が,意味のないこと,つまり必然性のないことだと思っている私です。人類など,単に,神様がサイコロを転がしていたら偶然できてしまっただけのものです。であるけれど,生を受けた以上,その生がある限り,こころ穏やかに時間の流れに身を任せるしかない。それはだれにとっても同じだから,その生には重いも軽いもないし,どんな行動にも,その行動をする人にはすべて意味があるのです。であるから,人の行為に不要不急などというものは存在せず,すべては必要であり,その時点でなさねばならないことであるわけです。
 そもそも,人類の存在自体こそが不要不急なのであって,だから,不要不急の人類が,他人のするその行動を差別して,あるいは評価して,ある種の行動を不要不急だと語ること自体が傲慢であり,人の尊厳を傷つけることだと,それが,不要不急について,私の行きついた答えでした。
 そこで,養老孟司さんが「人生は本来,不要不急だ」と書いていたのには驚くとともに,感銘を受けたわけです。
 それでも,この世で不要不急のものがあるとすれば,それは,偶然地球に生まれた不要不急の生物である人間が起こす戦争だけではないか。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_55922019-08-26_15-53-20_787

######
 ここ数年,テレビドラマを見る環境が大きく変わりました。
 今や,テレビの番組欄を事前にチェックして,タイマー録画などをする時代ではなく,TVer,FOD,PrimeVodeoなどの動画配信サービスを利用すれば,好きなときに見ることができます。しかし,動画配信サービスもたくさんの種類があるので,自分にとって何が便利なのかがわからないと,うまく利用できません。また,完全無料のTVer以外は有料の会員になれば,ストレスなくすべてのコンテンツを利用できるのですが,むやみに有料の会員になっても,利用しなければお金を散財するだけになってしまいます。
 いずれにしても,動画配信サービスを利用することに慣れてくると,旧時代的なNHKの受信料が,いかに高く,しかも無駄な出費なのか,また,古いシステムなのか,ということが身に染みるようになりました。受信料を払っておいて,しかも,さらに,オンデマンドを見たければ,別途お金を払うなどというサービスは他に聞いたとことがありません。
 私は,これまで,あまり連続ドラマを見ていなかったので,今になって,動画配信サービスで過去のものが見られるのがうれしいのですが,そうして多くの番組を見ているうちに,自分が何を見ると楽しいのかが,次第にわかってくるとともに,また,自分の好みの番組が意外に少ないことに落胆しました。ここで,私の好みの番組をいくつか紹介します。

●「 ガリレオ」
 「ガリレオ」は東野圭吾の連作推理小説「ガリレオシリーズ」を原作としたフジテレビ系列が制作したドラマで,帝都大学理工学部物理学科准教授である湯川学が,新人女性刑事内海薫の依頼を受けて,明晰な頭脳で事件のさなかに起きる超常現象を解き明かして事件を解決する。という内容です。主演は福山雅治さんでした。
  ・・
●「NUMBERS 天才数学者の事件ファイル」(NUMB3RS)
 FBI特別捜査官ドン・エプス(Don Eppes)と,彼に協力する弟の天才数学者チャールズ・エプス(Professor Charlie Eppes)の活躍を描くアメリカCBSのテレビドラマで,番組では,兄と弟に加えて父アラン(Alan Eppes)との関係,そして,兄弟で力を合わせて,主に,ロサンゼルスで起こる犯罪と戦う姿について描かれています。
 ドラマでは,まず,犯罪が起こり,FBI捜査官チームによる捜査は,チャールズ・エプスによる数学的な解析から重要な捜査情報やヒントによって,犯人の特定とその検挙が描かれるというものです。
  ・・
●「インスティンクト -異常犯罪捜査-」(Instinct)
 同性の夫がいる元CIAスパイのディラン博士(Dr. Dylan Reinhart)は異常行動学に詳しい大学教授兼作家です。膨大な知識に加えて,鋭い観察眼・分析力をもち,ニューヨーク市警のコンサルタントとして,刑事リジー(Elizabeth "Lizzie" Needham)の相棒として異常事件に挑む,という内容のアメリカCBSのテレビドラマです。
 ディラン博士の「インスティンクト」(直感)が数々の事件を解く鍵となるのですが,時にはタフな腕利き刑事のリジーを困惑させることも…。ふたりが自己流で事件を解決していく様子は痛快です。

 これらのドラマは,みな似たところがありますが,私の好みのドラマです。
 そこで,こうした好みに合わせて,2022年の春ドラマで,私がおもしろいかな,と期待しているドラマを探してみました。

●「 元彼の遺言状」
 新川帆立の同名小説を原作に綾瀬はるかさんを主演としてドラマ化するものです。
 大手法律事務所で働く容姿端麗で超優秀な弁護士・麗子が法的視点で難事件を解決していくミステリー。
  ・・
●「インビジブル」
 高橋一生さん演じる強烈な正義感を持つ刑事・志村貴文と,柴咲コウさん演じる犯罪コーディネーター「インビジブル」が異色のタッグを組み,凶悪犯罪者を追う「中毒系ジェットコースターサスペンス」。相いれないはずふたりが,犯罪のプロフェッショナルに立ち向かう姿を描くものです。
  ・・
●「 パンドラの果実〜科学犯罪捜査ファイル〜」
 ディーン・フジオカさん演じる科学犯罪対策室を創設した警察官僚小比類巻祐一が,天才科学者と共に法整備や警察機構の対応が追い付いていない犯罪に立ち向かっていく「サイエンス×サスペンス」ドラマです。

 さて,これらの中で,私が気に入るドラマは果たして…。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_2855-2018101802045891PHc+RzWkL

 連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」も,残るはわずか2週間となりました。
  ・・・・・・
 「カムカムエヴリバディ」は2021年11月から2022年4月まで放送する「連続テレビ小説」第105作です。 岡山・大阪・京都を舞台に,大正・昭和・平成・令和の4時代をラジオ英語講座とジャズと時代劇と共に生きた母娘三代の1世紀に渡る悲喜劇を描く。
  ・・・・・・
といった内容のこのドラマ,現実から考えれば,あまりに不自然な設定と展開だったりします。
 仕事もしないで1日ふらふらしているだけの夫に文句ひとついわずに円盤焼き屋さんだけで子供をふたりも育て上げる妻のるい。これまで何をやっても長続きしなかったのにちょっとラジオ講座を聴いただけで英語がペラペラになってしまった娘のひなた。居酒屋で管を巻く大女優美咲すみれ。などなど。
 現実離れだと批判する愚かな人もいるそうですが,ドラマはドラマ。そんなことはどうでもよく,すべてはおとぎ話。なので,楽しく,そして,元気がでるすばらしいドラマになりました。
 まあ,現実に目をやれば,実家がお金持ちで,生まれつき能力があって,正直にまっとうに生きていれば,若いころにめちゃくちゃやっていても,最終的に人生なんとかなるさ,というのが,世の中の真実であって,変に勉強を強制したりすれば,逆にひきこもりになる,というのが60年以上にわたって私が見てきたこの社会。それは語学の勉強も同じこと。
 そんな暗黙の了解のもと,普通の人はこのドラマのような生き方に憧れても,それを夢見てはいけません。
 それより何より,100年という時間の流れと英語を媒体として日本とアメリカをつなぐ空間,これほど雄大な「朝ドラ」がこれまであったでしょうか。そしてまた,日本の語学教育の痛烈な批判だったりもします。

 残り2週間なのですが,未だ,どう結末を迎えるのかがわからない,というものまた,推理小説以上のワクワク感を抱かせます。
 ネット上には
  ・・・・・・
「やはり森山良子! アニー・ヒラカワ ヒラカワ?」
「主題歌は息子がかかわって,母親が出演とは!!」
「平川って,ラジオの平川先生の奥様?」
「懐かしそうに神棚を見るマダム… あなた… やはりあなたは… もしかして…」
「アニーは訳あって初来日のふりをしているんですね」
「日本での生活を断ち切ってアメリカに行った安子が英語の師匠の平川先生の苗字を名乗ってる,とか?」
「安子,ロバート,平川先生,どうつながるのか」
「ひなたとアニーさんが話していて,ラジオ体操の話とラジオで英語の勉強をしてるって言ったとき,アニーさんが動揺していたから,安子ちゃん説が濃厚かな?」
「アニーさん… めっちゃ素敵やん… あなたは…」
「アニー・ヒラカワ? それは本名ではなく,平川唯一さんからとった通称では? アニーは安子からきてる? とすると、安子本人か?」
「アニー,言動からやっぱり安子の香りがするな」
「絶妙に安子ではないか,と思わせる台詞がでてくるな」
  ・・・・・・
などのコメントが見られるということですが,果たして…。
 もうこうなると,私はネタバレなんて絶対に知りたくない。この先のあと2週間の展開,とても楽しみです。

 ところで,るいが母安子の消息を探しに行ったシアトルですが,この町は日本から最も近いアメリカ本土の大都市で,私にもとても身近なところです。私が写してきた今日の写真のように,マーケットにも日本のものが溢れています。
 番組のなかでひなたのセリフに「広いからなあ,アメリカは」とありましたが,実は,アメリカの日本人社会は意外と狭いのです。企業の駐在員はともかく,アメリカに定住している日本人は,ひとり知人がいれば,どんどんと人脈がつながっていったりしていて,東京で人を探すよりも,ずっと簡単だと,経験上,私は思いますよ。

DSC_6973DSC_6968


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_2287

######
 再放送だらけのNHK。2022年3月1日に放送されたのは,実に44年前の1978年5月8日に放送されたNHK特集「勝負〜将棋名人戦より〜」でした。ここまで古いと,再放送大歓迎です。なにせ,放送された当時に見ていません。
 NHKのホームページにあったこの番組の紹介です。
  ・・・・・・
 第36期名人戦第3局を取材した「勝負 〜将棋名人戦より〜」。
 将棋の数あるタイトルの中で最も長い歴史を誇る「名人戦」。第36期を戦ったのは,中原誠名人と森雞二八段であった。1勝1敗で迎えた第3局に臨むふたりをカメラは見つめる。長考する中原,悠々とメロンを食べる森。対局の間,棋士たちは何を考えるのか。
 きわどい勝負の合間に,本音を引き出すインタビューが差しはさまれる。そして終局近く,秒読みの声に両者の表情は緊迫する。
 ノーナレーションで描く迫力の将棋ドキュメント。
  ・・・・・・

 第36期の名人戦は1978年4月から行われました。時の中原誠名人,挑戦者は7勝1敗で挑戦権を握った森雞二八段でしたが,結果は4勝2敗で中原誠名人が防衛しました。
 第36期の名人戦は,主催が朝日新聞社から毎日新聞社に変わったときで,さまざまな事件がありました。私は将棋の順位戦と名人戦見たさに朝日新聞を購読していたので,この期以降の名人戦を知りません。
 NHKが衛星放送をはじめたばかりでコンテンツが不足していたのかどうか,この第36期名人戦の舞台にはじめてカメラが入り,2日間にわたって生放送が行われました。この番組はそのときのものを編集したと思われます。衛星放送はチューナーが必要で見ることができませんでしたが,当時大学生だった私は,大学の研究室にあったテレビで空き時間に少しだけ見た記憶があります。今とは違ってNHKの将棋生放送は未熟で,まったく動かない局面が延々と続き,解説することもなくなってしまい,仕方なく対局場のホテルから見える海をただ写していたこともありましたが,テレビのNHK杯のような早指し以外のほんものの対局など見ることができなかった時代だったので新鮮でした。
  ・・
 挑戦者の森雞二八段は当時31歳だったのですが,その発言にかなりのとげがあり,おそらく,それは自分を発奮させるための行動だったのでしょうが,さまざまな軋轢を生みました。あの時代は,まだ,あのような野武士的な人がいました。
 当時の記録を見ると,この年,20歳の田中寅彦という名前が,当時名人戦挑戦者決定リーグという名称だった現在の順位戦の最下位ランクに見えます。この棋士もまた,その後昇段して時の谷川浩司名人と対戦したときに,谷川何するものぞというような過激な発言をして話題となりました。私にはこのふたりの棋士がかぶります。
 奇しくも,この3月で田中寅彦九段は順位戦C級2組で降級点を3回取ったために引退の憂き目にあいましたが,若き日に「弱い者が飯を食える生ちょっろい将棋界」と批判をしていた森雞二九段もまた,2017年3月に順位戦C級2組で降級点を3回取ったために引退となりました。ともに,60代の後半になり自らが「弱い者」に成り下がってしまったということでしょう。
 若気の至り,といってしまえばそれだけですが,気負いだけが空回りして年月だけが過ぎ去り,結局想いは遂げられず,自らが首を絞めるように前線から寂しく去っていったのです。

 それはともかく,私がこの番組でおもしろかったのは,当時の対局風景でした。
 将棋に限りませんが,何事も成熟していくと,形ばかりが増え,窮屈になっていきます。今の将棋の対局風景などいい例で,もともとはどうでもよかったようなことにこだわりが生まれ,さまざまな作法が慣習化していって,肩苦しくなっていきます。
 成熟前のこのときの対局では,まず,はじめに駒を並べるときに,お互いがリズムを合わせるでもなく,勝手に並べていくし,大橋流やら伊藤流やらといった並べ方とは少しだけちがって,結構適当でした。私はこれで思い出したのが,大相撲の幕内土俵入りです。これもまた,60年も前は今とは違って,場内アナウンスなど気にしないでどんどん土俵に上がっていって,所作を終えると,我先に土俵から降りていったものです。
 将棋の対局に話を戻します。
 対局中も,序盤では対局者同士が雑談したり,立会人が話しかけたり,1手指した後で独り言が出たりしていました。座を立つと「ひふみんアイ」も見られました。さらに,終盤の秒読みがはじまって対局者が読みに没頭しているときに,観戦をしていた立会の棋士が板側でタバコをくゆらせたことには,こりゃひどいと私は思いましたが,この時代,タバコは当たり前だったのです。
 とまあ,このころの対局は,こういう状態だったので,それを描写する材料に事欠かず,観戦記がおもしろかったのです。
 また,対局場が愛知県蒲郡の銀波荘だったので,対局の映像には,地元の重鎮だった板谷四郎九段,板谷進九段父子,そして大山康晴15世名人など,今は鬼籍に入った棋士の姿がありました。

 長年朝日新聞の観戦記を書いていた東公平さんが,観戦記者を引退する手土産にと,名人戦の観戦記を書くことになったことがありました。その対局で,当時の羽生善治名人に対局中に扇子を渡して署名を頼んだ,ということが事件となり,議論をよびました。その結果,せっかくの観戦記はお蔵入りとなってしまったのですが,東公平さんが観戦記を書いていたころの往年の将棋の対局は,そんなことは日常茶飯事であって,何の問題もなかったということでした。
  ・・
 とはいえ,だからといって,当時の対局が真剣でなかったとか,内容が薄いとかいうことは決してなくて,終盤の迫力は今とまったく同じ,というより,今よりずっと凄みがあって,見ている私は引き込まれてしまいました。
 今のように,何事においてもやったふりの世の中になって,いったい何が進歩したのか。
 このときの対局を見て,当時のほうがずっと本音でしかも真剣に生きていたようにさえ私は感じました。

mori_02_01


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

5cbe3cb6 (2)

######
 報道番組は一切見ないので,暇つぶしに楽しめるテレビドラマを,現在放送中のものだけに限らず,AmazonPrimeなどからも探して見ています。それがなかなか自分の好みにあうものがないで,選ぶだけでもたいへんです。いずれにしても,コマーシャルがうざったいので,テレビのものはすべて録画して,翌日,コマーシャルは30秒送りを連打して見ます。また,AmazonPrimeはコマーシャルがないので助かります。
 今回は,そんな私が見ているテレビドラマから紹介してみます。

●「ミステリと言う勿れ」
 本作はこれまでにないミステリーと会話劇を融合させた意欲作。見どころは「僕は常々思ってるんですけど…」という語り出しではじまる主人公・久能整(くのうととのう)の言葉の数々。当人は言いたいことを言っているだけで,それは単なる屁理屈のようにも聞こえるのですが,既成概念に縛られて苦しんでいる人にとっては勇気を与えてくれる救いの言葉となります。
 というのがドラマの紹介ですが,このドラマは人気コミックのドラマ化だそうで,コミックに描かれている主人公とちょっと違うとかいうことで賛否両論があるそうです。私はコミックを見たことがないので,それについてはまったくわかりませんし,テレビドラマの主人公は気に入っています。
 ドラマの第1回を見た限り,おもしろいので引き込まれてしまいました。作者の思想が出ているのがいいです。「どうして人を殺してはいけないの」という犯人の問いに対する答えなど感心しました。1話完結だと思っていたのですが,予想と違って第2回が第3回との連続ものだったこと,しかも,第3回の結末がこの先の何某かの伏線となっているのが私にはちょっと凝りすぎ? に思えるので,今後の展開で気がかりです。
  ・・
●「ドクターホワイト」
 「それ、誤診です!!」 社会性が皆無にも関わらず,天才的な診断能力を持ち,現役医師の誤診を正す -自らの名を「白夜」と告げ,素肌にたった一枚,白衣をまとって現れたナゾの女性。 彼女はいったい何者なのか-
 よくある病院ドラマです。病院とか警察を舞台としたドラマは描きやすいので定番となっているようですが,現実とはまったく違えども,どこかありそう,と思わせるところが見る者を引きつけるのでしょう。この種のドラマは最後にスカッと水戸黄門のごとく終わるので,私のような老人にはいいです。
 また,主人公を演じる浜辺美波さんがいい感じを出しているので,おもしろいドラマになっています。このドラマに限らず,多くのドラマを見ていると,ドラマは,脚本はもちろんですが,キャスト次第だなあといつも思います。なかなか嫌われ役をうまく演じることができる役者さんが少ないです。
  ・・
●「ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○」
 本作は,大手出版社が運営するニュースサイトの編集部員を主人公に,そこで働く者たちの仕事・生き方・恋愛を通して,新時代の“人と人とのつながり”を描く,完全オリジナルの社会派“風”お仕事エンターテインメント。
 このドラマは独特な「暗さ」があって,私はそうした雰囲気が嫌いではなので見ています。この「暗さ」が主人公を演じる黒木華さんの持ち味なのでしょう。このドラマもまた,キャストが違ったらどう変わっていたのかな,ということに私は興味があります。
 しかし,見終わるいなや,どんな物語だったのかスパッとわすれてしまうのはどうしてなのでしょう。
  ・・
●「鉄オタ道子,2万キロ」
 家具メーカーで働く大兼久道子には誰にも言えない秘密があった。それは鉄道オタクであるということ。別れた恋人との間に起きた出来事がトラウマとなってしまった道子は休みになると,誰にも干渉されず,誰にも邪魔されることのない鉄道ひとり旅を楽しむ。本作は鉄道オタクである女性が日本全国様々な場所を旅することで,そこかしこで出会う人々との交流や普段見れない景色などを楽しみながら本当の自分を探していく物語。
 このドラマは大した展開もなく,さほど凝ったものでもなく,ローカル線の景色と旅情を楽しむもののようです。もう少し話にふくらみがあるといいとおもうのですが,何せ,出てくる人が少ないので,工夫の仕様がないのでしょう。
 このコロナ禍でこのようなドラマを流すのはメリットでもありデメリットでもあり,といったところでしょうか。私は,このようなドラマでは出てくる場所にすぐに行きたくなってしまうのですが,今は公共交通機関を利用するのを避けているのでそれが実現しないのが残念です。

 これらのドラマ以上に楽しみにしているものが,連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」と大河ドラマ「鎌倉殿の13人」です。今シーズンは,このふたつのドラマがおもしろいので助かっています。少しはNHKの高額な受信料を払った元が取れているのかな。

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

このページのトップヘ