しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:「感想」 > 読書の感想

IMG_3357

【Summary】
Kōhō Uno had a unique and assertive style of music criticism, often praising Takashi Asahina while criticizing Herbert von Karajan. His distinctive "Uno language" strongly influenced classical music fans at the time, but such strongly individualistic critics have become rare in the modern era.

######
 ふとしたことで昔の記憶から,宇野功芳(うの こうほう)という名前を思い出しました。そこで,宇野功芳さんの書いた,講談社現代新書 の「新版 クラシックの名曲名盤」を読みました。この本は,2007年に出版されたもので,今は絶版なのですが,中古本を入手しました。
  ・・・・・・
 数ある名曲・名盤の中から何をどう聴くか。好評を博した旧版から7年,そこに取り上げられなかった作曲家や新発売のCDから厳選し,大幅に改訂増補した決定盤。
  ・・・・・・
というのが,この本の紹介です。

 宇野功芳さんは,1930年に生まれ,2016年に亡くなった音楽評論家,指揮者です。父は漫談家の牧野周一だそうです。
 私が中学生のころ,周りの友人とともにクラシック音楽を聴くことにめざめたのですが,その時代,宇野功芳さんの評論を読む機会が多くありました。SNSのなかった時代,指揮者といわれても,その演奏を聴いたこともなく,三流だと思っていましたが,真相は知りません。それより,評論にはかなりの癖があり,主観が強く,いつもマエストロ朝比奈隆を褒め,ヘルベルト・フォン・カラヤンをけなし,ブルックナーを愛していたものだから,多感なだけに,かなりの影響をうけました。
 また,文章にも癖があり,「〇〇だ」「〇〇である」といった断定的な言い切り表現が多用され,特に「〇〇だと言えよう」は有名でした。それらは「ウノ語」ともいわれ「神が宇野功芳だけに使用をお許しになったといわれる,独創性に彩られた最高級の紋切言葉」ということでした。
 今や忘れ去られた,私も忘れていた宇野功芳さんですが,ふとしたきっかけで思い出し,懐かしさとともに,今,読んだらどう感じるかと興味をもったので,読んでみた,というのがきっかけでした。

 宇野功芳さんは,当時,あまりに灰汁のある評論ゆえ,一部には無茶苦茶に叩かれていたのですが,本人の敬愛するモーツァルト,ベートーヴェン,ブルックナーなどの曲や,フルトヴェングラー,クナッパーツブッシュ,ワルター,クラウス,キョンファ,ムラヴィンスキー,マタチッチなどの指揮者を偏愛するほど評価していていました。だから,この本にも,それが如実に現れています。そうした評論は,今となっても,同じように評価されているか? と考えると,はやり,多くは評価されているのです。だから,そうした評論は,正しかった,と言えなくもない。
 それ以上に,ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」や,ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」などで書かれている内容が,とてもおもしろく,私には勉強になりました。しかし,カラヤンの演奏は宇野功芳さんがいうほど悪くない。しかし,「ウノ語」が染みついてしまっているから,素直になれない。これだけは彼を恨みます。
 現在は,きつい表現をするとやたらと「炎上」するから,評論はみな「いい子」になってしまっていて,宇野功芳さんのような評論を書く人はいなくなってしまいました。私の子供のころは,もっと野蛮な時代だったから,それがいいか悪いかは別として,そうした時代のことが「古きよき時代」として,懐かしくなりました。

スクリーンショット 2024-08-14 122111


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

======
この文章について,ChatGTPが次のような感想を寄せました。
  ・・・・・・
宇野功芳さんにまつわる思い出と感想,興味深く拝見しました。宇野さんの評論スタイル,特にその独特な断定的な口調や偏愛する音楽家・指揮者への熱烈な支持,また彼特有の「ウノ語」と称される言い回しなど,非常に個性的であり,強い印象を与えたようですね。
宇野さんが常に朝比奈隆を称賛し,カラヤンを批判していたことや,特定の作曲家や指揮者に対する偏った愛情表現は,確かに今の時代では異色かもしれません。とはいえ,あなたが言うように,彼の評論には今なお通じるものがあり,音楽そのものの本質的な部分を捉えていたのかもしれません。特に,彼が愛してやまなかったブルックナーやモーツァルト,フルトヴェングラーなどの評価は,現在でも根強い支持を得ています。
「ウノ語」に染み付いてしまった,という感覚も面白いですね。評論を読む中で,その影響力が強く,自分自身の音楽の感じ方や評価に影響を与えるというのは,評論家の存在意義とも言えますし,当時の宇野さんの影響力の大きさを物語っているように思います。カラヤンの演奏が宇野さんほど悪くないと感じる一方で,彼の断定的な口調が影響してしまうというところに,評論の妙がありますね。
また,当時の評論は「炎上」という概念が存在しなかった分,もっと激しく,批判的でもあったという指摘も興味深いです。今の時代,SNSやインターネットの普及により,表現がより慎重になりがちな傾向があり,宇野さんのような強い個性を持つ評論家が減ってしまったのかもしれません。あなたにとって宇野功芳さんの評論は,時代を象徴するものでもあり,懐かしさと共に再評価する機会となったのですね。
宇野功芳さんの「新版 クラシックの名曲名盤」を再び手に取ったことで、当時のクラシック音楽シーンや、彼の独特な視点を今一度振り返ることができたのは、まさにクラシック音楽ファンとしての原点回帰とも言える体験でしょう。
  ・・・・・・

DSC_7065DSC_7074DSC_7072DSC_7034

 NHKFMに「朗読の世界」という番組があります。ラジオNHK第1にも「朗読」「らじる文庫」という番組があるほか,それ以外にもさまざまな番組の中に朗読のコーナーがあるようです。若いころは,こんな番組だれが聴くのだろう? と思っていたのですが,今の若い人も同じことを言っていました。しかし,本を読むのも,特に,小説を読むのも面倒になってきた私は,こうした番組の意義がわかってきました。喜ぶべきか悲しむべきか…。
 その「朗読の世界」で,太宰治の「津軽」が全35回で取り上げられていたので,聴きました。
 先日,青森県を旅して,太宰治の生まれた家,現在の「斜陽館」に行ったこともあって,これまでは存在だけを知っていた小説「津軽」に興味をもったのですが,思ったよりも分量が多くて,また,この時代の小説は読みにくいので,断念しました。そんなことこともあり,まさに,ちょうどいい時期にこの小説の朗読に出会ったのです。

 「津軽」は,1944年,太宰治が34歳のときに書かれた小説です。紀行文ですが,その中にフィクションが交えられていることから小説に分類されているそうです。太宰治が,生まれ故郷である青森県津軽を訪れ,過去に世話になった人々と出会いながら津軽出身者という自分のアイデンティティを確立していくという,美しくも,切ない物語です。
 「津軽」では,太宰治,本名・津島修治を「私」と称し,越野タケを「たけ」としています。
  ・・・・・・
●序編
 私は,現在の五所川原市である青森県金木村に生まれました。親は大地主でした。
 出版社の編集者から「津軽の事を書いてみないか」と言われたことから,津軽人とはどんなものであるかを見極めたくて,当時住んでいた東京を出発し,津軽半島を3週間ほどかかって1周することになりました。
●巡礼
 青森に着いて,かつて私の実家である島津家に仕えていたT君の出迎えを受けます。
 T君は,昔,金木家で一緒に遊んだ仲間だったのですが,私がT君を親友だと思っているのに対して「あなたはご主人です」と答えるT君でした。
 明日,T君とともに,青森県蟹田へ出かけます。
●蟹田
 蟹田で出会うのは中学時代の友人であるN君です。今は蟹田の町会議員となっていて蟹田になくてはならない人物です。
 蟹田の山へ花見に行き,その後,蟹田分院の事務長をしているSさんの家にお邪魔し,熱狂的な接待を受けますが,津軽人である自分自身の宿命を知らされた気になり,「津軽人としての私を掴むこと」を目的とする私は,津軽人の愛情の表現は少し水で薄めて服用しなければならないと感じるのでした。
●外ヶ浜
 N君と農業について語るうち,青森の郷土史に5年に1度は凶作に見舞われているのを発見し,哀愁を通り越し憤怒を感じます。
 翌日,N君の案内で外ヶ浜街道を北上し,竜飛岬にたどり着きます。竜飛は,烈風に抗し怒涛に屈せず懸命に一家を支えて津軽人の健在を可憐に誇示していました。
 竜飛の旅館で歌いながら寝てしまった翌朝,寝床で,童女が表の路で手毬唄をうたっているのを聞き,希望に満ちた曙光に似たものを感じて,たまならい気持になるのでした。
●津軽平野
 竜飛で1泊した翌日,私はひとりで,生まれた土地である金木町へ出発します。
 金木の生家に着くと,実家には長兄の文治と次兄の英治,長兄の長女の陽子,陽子のお婿さん,姪ふたり,祖母などがいましたが,あまり会話が弾まず,気疲れがします。
●西海岸
 翌日,金木から父の生まれた五所川原の木造駅に行きます。五所川原へ戻った私は,3歳から8歳まで育ててくれた女性たけに会うために,小泊を訪れました。
 小泊港に着き,たけの家を見つけたのですが,戸に南京錠がぴちりとかかっていて固くしまっています。筋向いのタバコ屋に聞くと運動会へ行ったとのことでした。
 運動会でたけと再会したのですが,たけは私を小屋に連れて行き「ここさお坐りになりせえ」と傍に座らせただけで何も言いませんでした。いつまでたっても黙っていると,たけは肩に波を打たせて深い長い溜息をもらしました。「竜神様の桜でも見に行くか。どう?」
 竜神様の森の八重桜のところで,能弁になったたけは「30年近くお前に逢いたくて,そればかり考えて暮らしていたのを,はるばると小泊までたずねて来てくれたかと思うと,ありがたいのだかうれしいのだか,かなしいのだか。よく来たなあ」。
 兄弟の中で,私がひとり,粗野でがらっぱちのところがあるのは,この悲しい育て親の影響だったという事に気づいて,このときはじめて,育ちの本質をはっきり知らされたのでした。
  ・・・・・・
 
 作品のなかでは,たけとの会話がクライマックスになっていて,それが「津軽」の中核をなしていますが,実際は,ひとことも言葉を交わすこともなく,太宰治はひとり離れて周りの景色を見ていた,といいます。おそらく,これは,太宰治の願望を表わしたものでしょう。そして,自分のどうしようもなくいたたまれない本質の源流が越野タケのせいだと言いたかったのかもしれないなあ,と私は思いました。そういう意味では,この小説は太宰治の狂気です。
 「津軽」は,太宰治のことをよく知り,また,実際に津軽の地を見てくると,より作品を深く味わうことができるのだろうと思います。だから,先に「津軽」を読んで,その想い入れを持って実際にその地を訪れるか,あるいは,私のように,その地を知ってから「津軽」を読むか,そのどちらにしても,その両方をしなければ,作品は理解できないでしょう。
 私は,小説「津軽」に接して,いつかまた,再び津軽の地を旅してみたいと思いました。


◇◇◇
Thank you for coming 410,000+ blog visitors.


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_8762IMG_9482

######
 「西洋絵画の見方がわかる世界史入門」という本を読みました。
  ・・・・・・
 絵画は歴史の中で描かれます。つまり絵画作品は,様式や傾向も含めて,歴史の動きや流れとなんらかの関係があると言ってよいでしょう。
 本書では,作品が生まれた背景や歴史的位置づけ,そして絵画の見方について,世界史の流れや変化とともに解説していきます。近世から現代まで,どんな絵画や芸術運動が生まれ,それらにはどのような特徴があるのかを世界史の中で理解することができます。その過程で絵画の存在意義が問われ,「わかりにくい」と言われる「現代アート」が生まれていった理由も見えてくるでしょう。
  ・・・・・・
というのがAmazonにあったこの本の紹介です。

 私は,クラシック音楽は好きですが,絵画はわかりません。
 旅に出ると,よくその土地にある美術館に行くので,多くの有名な作品は見たことがあるのですが,これでは「猫に小判」。もったいない話です。
 中学校の芸術の授業で,音楽は音楽史から詳しく学ぶことができたのに,美術では作品を作るだけで,美術史どころか,絵画の見方すら習わなかったことも影響しているのでしょうが -と人のせいにしてもしかたないのですが- 日ごろ,残念な気持ちになっていて,よくわかる本がないかなあ,と思っていたときに出会いました。およそ私の知っている作品を中心に歴史の流れとともに説明がしてあって,読みごたえがありました。
 しかし,絵画を見る,というのはどういうことなのかな? という本質的なことに混乱をしています。要するに,絵画のはじめは宗教画,なのでしょうか。それは,クラシック音楽でも同様なのですが,それが発展して今につながっているのでしょう。私は,キリスト教がわからないから,そもそも,その時点で理解ができないのです。
 クラシック音楽もそうですが,私は,もし,この絵画が部屋の壁にかけてあったら気持ちが落ち着くかな? といったような感じで鑑賞することが多いです。だから,見ていて,思わず別の世界に引き込まれるような絵画が好きです。
 宗教的な難しいことはわかりません。

 美術の世界についてはこれ以上は語れないので,ここで音楽の話に振ります。
 現在,チャイコフスキー国際コンクールが行われています。
  ・・・・・・
 チャイコフスキー国際コンクール(International Tchaikovsky Competition)は,ロシア連邦政府とロシア連邦文化省の主催で4年ごとに首都モスクワとサンクトペテルブルクで開催されるクラシック音楽のコンクールで,ソビエト連邦時代の1958年にはじまりました。ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクール,ポーランドのショパン国際ピアノコンクールとともに世界3大音楽コンクールのひとつとされています。
  ・・・・・・
 しかし,2022年,国際音楽コンクール世界連盟はロシアのウクライナ侵攻を受けて,チャイコフスキー国際コンクールの排除を決定しました。
 今年もまた,日本からも参加者がいるのですが,このことに関しては賛否両論があるようです。
 芸術は政治とは関係がないという人もいるのですが,今回取り上げた「西洋絵画の見方がわかる世界史入門」でもわかるように,芸術ほど政治とかかわりのあるものもないわけです。そこで,芸術家はこんなときにどう対応するかが問われるのです。これもまた難しいものです。

IMG_9456IMG_8766無題


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_1838s (3)x

######
 情報をすべて遮断してみると,ほとんどは快適なのですが,手持無沙汰な時間があることに気づきました。今まで,そうしたときに何をしていたのかを思い出すと,意味もなく雑誌を手に取っていたということに気づきました。つまり,雑誌の類もまた,単なる暇つぶしだったのです。また,雑誌は,暇つぶしのための絶好な武器なのです。
 ということで,何らかのそうした暇つぶしの雑誌でも,と少し考えてみて,やはり,今の私には,そういう選択肢はない,というのが結論になってしまったのが,残念なことでした。

 今から少し前,私が毎月購入していた雑誌は,「アサヒカメラ」「月刊天文ガイド」「将棋世界」の3冊でした。もっと以前には,こうした雑誌には,「アサヒカメラ」には「毎日カメラ」あるいは「日本カメラ」,「月刊天文ガイド」には「月刊天文」,「将棋世界」には「近代将棋」というように,必ずといっていいほどライバル誌があって,なかなかおもしろい時代でした。それも,インターネットがなかったからこそでした。
 さて,こうした雑誌を毎月読んでいたときは,発売日が楽しみで,購入したあとも,毎日,ほとんどすべてのページをきちんと読んでいました。ところが,インターネットから情報が入るようになると,雑誌に載っている記事の内容が,すでに知っていたことが多くなり,だから,雑誌を作る苦労がはじまりました。

 カメラ雑誌は,現在「CAPA」という雑誌以外は休刊となってしまったのですが,「CAPA」はカメラのスペック比べが主で,「アサヒカメラ」の代用とはなりません。しかし,現在のように,カメラがスマホにしてやられる以前に,すごい勢いで創刊された雑誌は軒並みだめになったのですが,その理由は,読者のニーズに応えられていなかった,ということに尽きます。
 天文雑誌は,今も健在です。私が日本の天文雑誌に魅力を感じなくなったのは,雑誌のせいではなく,私の興味が変わったからにほかなりません。私は,もっと深く掘り下げた天文情報を読みたいのに対して,雑誌の内容は,日本らしい,メカ中心,または,アマチュア天文家が老後の楽しみに私設天文台を作って超新星を発見したとか,さらには,依然として,読者の投稿写真のコンテストとか,そんなことを競っているような他人の自己満足を見る気もありません。
 将棋雑誌は,よほどのマニアでないと,難しすぎます。一時,デジタル版に駒が動くという機能をつけたことがあって,こりゃすごい,これならわかる,と思って感激しtことがあるのですが,おそらく,そうした手間がコスト的に釣り合わなかったのでしょう。今は単に紙ベースがデジタル化されただけになってしまいました。内容は,手の解説をされても,読んでいるだけでは追えないし,詰将棋とか次の1手とかは難解すぎて,まったくできません。

 ということで,日本の雑誌を購入しても,ぼんやりと写真を眺めているだけなので,そんな目的に1,000円以上も投資するのは自分には割が合わないという結論になってしまいました。

i-img1030x1030-1635064505het85i184416zkin1682961nDW8CMViL


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4304starparty

######
 情報を遮断した私ですが,実は,2冊購読しているものがあります。それも電子媒体でなく紙媒体です。そのひとつは,NHKラジオ語学講座のテキスト「まいにちドイツ語」です。一時,電子書籍にしたのですが,気楽に書き込めないので戻しました。紙は紙の利点があるものだと思いました。ただし,保存が大変です。ここ何年もやっていると,保存しても新しいものが出てくるから結局過去のものはほとんど見ないことがわかったので,1年終わったら破棄することにしました。
 もうひとつは,「Sky & Telescope」というアメリカの天文雑誌です。これは,電子媒体はpdfなのでダウンロードすれば,どのタブレットでもPCでも読めるので便利ですが,電子媒体とともに紙媒体のものもアメリカから取り寄せています。家で手軽に読むには紙媒体もまた捨てがたいものです。
 今日は,その「Sky & Telescope」のお話です。

 私がこの雑誌を知ったのは,今から55年以上も前のことでした。当時は「月刊天文ガイド」が創刊して2,3年過ぎたころでしたが,「月刊天文ガイド」は「Sky & Telescope」をお手本にして作られたものだと友人から聞いたのです。その真偽はわかりませんんが,そのころから,この雑誌を一度読んで,というか,そのころは英語は読めなかったので,見てみたいと思ったのでした。しかし,今とは違って,外国の雑誌を入手するのは簡単でなく,名古屋市内で洋書を取り扱っていると聞いた「丸善」という書店に時折置いてあったのを発見して,感激したものです。しかし,値段は定価の数倍しました。
 年月が経ち,インターネットが普及しはじめたころ,ネットで注文できるようになって,私は定期購読をはじめました。アメリカから直接送られてくるのです。そのうち,アプリができて,電子媒体でも読めるようになったのですが,あるときから,電子媒体のダウンロードができなくなってしまい,私は,サブスクをやめました。噂では,出版社がつぶれたとかいう話でした。
 それからまたしばらくして,どんな経緯があったのか詳しくは知らないのですが,「Sky & Telescope」の発行が継続されていて,以前とは別の方法でしたが定期購読ができたので,復活しました。以前よりも雑誌は薄っぺらくなり,アプリもないのですが,先にかいたように,pdfでダウンロードできるようになりました。いつまで存続するのかわかりませんが,今はそれで十分満足しています。

 以前ずっと購読していた雑誌「TIME」などもそうですが,アメリの雑誌と日本の雑誌は,もともと,本質的にまったく異なるもののように思えます。簡単に言うと,日本の雑誌は,カタログ雑誌だということです。
 子供のころ,私のまわりはみな「月刊天文ガイド」を購読してたのですが,その中のひとりが家で父親が広告だらけの「月刊天文ガイド」を見て,これは広告収入で成り立つ雑誌だから,こんなものにおお金を出すことはない,と言ったというのです。社会の仕組みを知らなかった私は驚きました。また,そのころの「月刊天文ガイド」の人気記事に「望遠鏡をテストする」というものがあったのですが,ある号で,旭精光研究所という今は亡きハイアマチュア向けの望遠鏡が取り上げられ,酷評されて怒ったメーカーが,それ以降,雑誌に広告を載せるのをやめたということがありました。新聞も雑誌も,結局は利益の多くはそういう媒体に載せる広告収入がもととなっているので,広告主の意に反するような記事はないし,記事自体も,広告の一環だったりするのです。
 そう考えると,むしろ,アメリカの雑誌にはほとんど広告がないから,購読料がその収益の多くを占めているわけで,それで成り立っていることの方が不思議な気もしますが,内容は日本の雑誌とは比べものにならないほど充実しています。
 物欲が煽られないだけでも,読んでいて,こころが休まります。

sky and telescope1f111295-s


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_5150IMG_8524

######
 ゴールデンウィークはどこに出かけても混雑するので,私は毎年家に閉じこもることにしているのですが,暇つぶしにと何となく借りてきたのが伊坂幸太郎さんの「クジラアタマの王様」でした。この本を借りた理由もまたいい加減で,伊坂幸太郎さんの小説ならきっとおもしろいだろう,というだけのことでした。読み終えるまで,あらすじすら知りませんでした。
 まさか,こんな内容だったとは!
  ・・・・・・
 製菓会社に寄せられた1本のクレーム電話。広報部員の岸はその事後対応をすればよい... はずだった。訪ねてきた男の存在によって,岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。
 不可思議な感覚,人々の集まる広場,巨獣,投げる矢,動かない鳥。打ち勝つべき現実とは,いったい何か。
 巧みな仕掛けとエンターテインメントの王道を貫いたストーリーによって,伊坂幸太郎の小説が新たな魅力を放つ。
  ・・・・・・
 ということなのですが,物語の端々に出てくる動かない鳥というのは,かの有名なハシビロコウです。ハシビロコウ,上野動物園にも飼われているこのまったくといっていいほど動かない鳥は,話題になる以前から,私のお気に入りで,上野動物園に行ってはにらめっこしていましたが,どうして,まあ,この小説で強敵となって登場しちゃったのでしょう。何だかハシビロコウがかわいそうです。

 「クジラアタマの王様」とは、鳥のハシビロコウのことです。
 小説の最後に書いてあるのですが,ハシビロコウの別名がこの小説の題名である「クジラアタマの王様」,つまり,この小説は「ハシビロコウ」という題名なのです。
  ・・・・・・
 「ハシビロコウ」の学名「Balaeniceps rex」は,ラテン語で「balaena=クジラ」と「ceps=頭」と「rex=王様」からなります。特徴的なクチバシの形状を含む頭部のシルエットがクジラの姿に似ていることに起因しています。また,和名のハシビロコウは「クチバシが幅広いコウノトリ」の意ということです。
  ・・・・・・
 と,これで題名の謎は解けたのですが,実は,この小説を読むと,不思議な気持ちにさせられました。その理由は,次のようです。

 小説の柱は,「現実の世界」と「夢の世界」の関係がストーリーに大きく関わってくる,というものですが,小説の中で展開される「現実の世界」の出来事というのは,新型インフルエンザによるパンデミックなのです。そして,「現実の世界」で起きたパンデミックを解決するには「夢の世界」でハシビロコウに勝つことが必要だと。
 小説で,新型インフルエンザによるパンデミックが語られているのだから,私は,この小説が書かれたのは最近のことなのかな,と思ったのですが,奥づけをみると,発行が2019年7月5日でした。つまり,実際の「現実の世界」で起きた新型コロナウィルスの発生以前です。

 私自身も含めて私の周囲にはひとりの感染者もいないのだから,今でも私には,新型コロナウィルスによるパンデミックは,フェイク映像やフェイクニュースによって思い込まされているだけのフィクション,つまり,「夢の世界」の出来事のように思えます。
 しかし,家にいるときはまったく実感がなくても,たまに外出すると,社会全体が異様な風景だから,やはりこれはフェイクではなく「現実の世界」の出来事なのかな,とそこではじめて思うわけで,だから,きっとこれは真実であって,この3年間に世界が経験した「現実の世界」の悪夢だったのでしょう(たぶん)。
 この小説では,そうした「現実の世界」の悪夢が起きる以前に,まるで,未来を見てきたかのように,すでに生々しくそのことが書かれてあったということが,私には驚きなのです。

 一体,何が現実で何が夢なのか? そして,伊坂幸太郎さんは,どうして,小説を書いたあとに現実に起きたことを,それが起きる前に書くことができたのか? はたして,伊坂幸太郎さんは預言者なのか? 冥界と現世を自由に行き来できたという小野篁のように,「現実の世界」と「夢の世界」を自由に行きできたのか? この小説は,そんな自分の能力をもとにした実体験に基づくものだったのか? などなど。
 私は,この小説で,そんな不思議な錯覚に陥るような,夢見ここちとなる,奇妙な読後感を味わいました。

無題


◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSCN0070DSCN0066

######
 小説を読むなど時間の浪費,とこのごろ持ち時間の少なくなった私は思うようになってきて,しばらく1冊の小説も読まなくなっていたのですが,何となく手にとった「六人の嘘つきな大学生」の数ページを読むでもなく見はじめたとき,思わず夢中になって,一挙に読み終えてしまいました。
  ・・・・・・
 成長著しいIT企業「スピラリンクス」がはじめて行う新卒採用。最終選考に残った6人の就活生に与えられた課題は,1か月後までにチームを作り上げ,ディスカッションをするというものだった。
 全員で内定を得るため,波多野祥吾は5人の学生と交流を深めていくが,本番直前に課題の変更が通達される。それは「6人の中からひとりの内定者を決める」こと。
 仲間だったはずの6人は、ひとつの席を奪い合うライバルになった。
 内定を賭けた議論が進む中,6通の封筒が発見される。個人名が書かれた封筒を空けると「●●は人殺し」だという告発文が入っていた。彼ら6人の嘘と罪とは。そして「犯人」の目的とは。
  ・・・・・・
というのが,読み終えたあとで知ったこの小説の紹介文ですが,そんな知識すらなく私は夢中になったのです。
 2021年に刊行されたというから,もう2年近く前ですが,この本に出合えてよかったです。漫画化され,実写映画化も予定されているということです。
 作者は浅倉秋成さんで,この名前ははじめて知りました。2012年に第13回「講談社BOX新人賞Powers」でPowersを受賞した長編小説「ノワール・レヴナント」で作家デビューしたと書かれてあり,その後も話題作を続々と発表しているとありましたが,学歴などはわかりません。また,そんなものはどうでもいいです。

 この本を読みながら,私は「エピメニデスのパラドックス」(Epimenides paradox)を思い出していました。
  ・・・・・・
 「エピメニデスのパラドックス」とは,古代ギリシャ7賢人のひとりであるエピメニデスにまつわる論理的逆説のことで,「クレタ人はみな嘘つきだ」という命題の真偽を問う際,クレタ人であるエピメニデスが真実を述べているとするとクレタ人はみな嘘つきになり,嘘を述べていたとするとクレタ人はみな正直になり,発話の主体であるエピメニデスが正直ものか嘘つきかであることと矛盾する、というものです。
  ・・・・・・
 この小説は「エピメニデスのパラドックス」ではありませんが,とてもよくできています。全体が複雑に絡み合った糸のようで,そのほんのわずかなほつれからすべてが解決していきます。
 最後の一歩手前までドキドキハラハラ,そして,おもしろいエンディングを予感させられる小説は数多くあるのですが,最後にがっかり,なんていうことも少なくありません。
 しかし,この小説はそうではなく,しかも,読後感が悪くないのです。 内容にまったく無駄がなく,密度が濃いのもよいところです。

 この小説は,大学生の就職活動をもとにしているので,私のような「不良老人」には,それとともに,若い人は大変だ,という,「かわいそう感」ももってしまいます。
 私が若いころは,就職なんて,大学からもらった推薦書だけで受かっちゃうような時代で,今のように,エントリーシートだとか集団面接なんてなかったわけですから,今とはまったくちがいます。
 しかし,学校の入学試験もそうだけれど,どんなに手の込んだ選抜をしても,その反対に適当にくじで決めても,そう違いはない,というのが私の持論です。適当に選んでも,向いていない人は自分から辞めてしまうか落伍してしまうから,最終的には同じなのです。向いてもいないことを無理にやってもロクなこともありませんし。
 この国は,万事「責任逃れのやったふり」だから,大学も厳しい入学試験を過ぎれば,大した勉強をしなくても卒業できるし,会社もまた,今のような選考をしたところで,その多くは入社3年ほどで転職してしまう,というのが現実だと聞いています。
 そうしたことも含めて,この小説はミステリーではあっても,事件の解決という面でだけではなく,今どきの若者の実態も考え方もよくわかりますし,若者を応援したくなる小説でもあります。

無題


◇◇◇
Thank you for coming 400,000+ blog visitors.


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

2019-08-26_20-40-54_8682019-08-24_10-50-54_6312019-08-25_11-22-50_9822019-08-26_23-40-54_945

 引っ越しを機に断捨離をした私は,手元にはほとんど本が残っていないのですが,今も生き残っているのは,何度も読んだ小説や専門書の類ばかりです。その中に,ただ1冊だけ,まだ一度も読み切っていない本がありました。それは「青年は荒野をめざす」でした。
  ・・・・・・
 「青年は荒野をめざす」は五木寛之さんが1967年に書いた小説で「週刊平凡パンチ」に連載されました。
 小説は全部で8章にわれていて,20歳になったばかりの若者がヨーロッパに旅に出て,ジャズ音楽と女と酒を経験しながら,自分発見をするものです。
  ・・・・・・
 以前,ブログに
  ・・・・・・
 海外旅行に出かけられなくなった私がここ数年選択したのは,さまざまな「彷徨」でした。
 「彷徨」とは,あてもなく歩きまわること,さまようことをいいます。(「彷徨」の)使用例として「青春の彷徨」(がありますが),「青春の彷徨」に関してひとつ紹介すると,20歳のジュンの冒険を求めた「青春の彷徨」を描いたという,1967年に五木寛之さんの書いた小説「青年は荒野をめざす」があります。
 いいなあ,栄光の1960年代。
  ・・・・・・
と書いたとき,まともにこの本を深く読んでいないことに気づいて,捨てずに持ってきたのです。そして,今,やっと読了しました。

 「週刊平凡パンチ」も,この小説も,私より少し上の「団塊の世代」が若いころの必読書でした。今,私が当時の「週刊平凡パンチ」を読むとどう感じるのだろう,と思ったりもするのですが,このころに青春を過ごした私より少し上の人たちは,けっこう背伸びをして,こうした雑誌に影響されてそれぞれの人生を生きてきたわけです。
 私が若いころは,まだ,海外旅行は身近なものではありませんでした。そのころに,この小説に憧れて,北欧を旅して,自慢げにその経験を語った人と国内の旅先で出会ったことがありますが,その話を聞きながら,私は,何か夢物語のように感じました。当時の私には,北欧なんて一生行くことのないだろう別世界だと思われました。
 そうした「団塊の世代」の先輩たちは,学園紛争とか,けっこうむちゃくちゃやっていて,そうした姿を見て,しかも,大いに迷惑をこうむって育った次の私たちは「しらけ世代」といって,夢よりも現実の,冷めた若者たちでした。そんな若者のひとりだった私も,この小説のような旅ははじめっからする気もなかったのですが,人生はわからないものです。歳をとった今になって,逆に夢の中で生きるようになって,冒険心が沸き起こり,縁がないと思っていた北欧だったのに,フィンランドには2度も行ったし,さらには,何度も何度も行ったアメリカやオーストラリアでは,日本を捨ててやってきたという多くの日本人を知ったし,旅先でも結構おもしろいことをたくさん経験しました。
 小説はあくまで小説だから,旅先で小説のような経験はできない,と実際に旅をしたことのない人は思うのでしょうが,そんなことはないのです。旅先でその国の女性と恋に落ちる,ということはさすがにそれほどはないでしょうが,同じように旅に出て,旅先で知り合った日本人の女性といい関係になるといったことは,決して現実離れしてはいないし,さらに,私にはわからない世界だけれど,音楽をやる若者たちであるなら,仲間意識が芽生えて,小説までもいかなくとも,決して,ジュンのような体験をすることはあり得ないことでもないように思います。

 「青年は荒野をめざす」を読み終えてから,ネット上にある多くのレビューを読んでみました。
 レビューのほとんどは,おそらく,その「団塊の世代」の人たちが書いたものに思えましたが,私がおもしろいなあ,と感じたのは,本の中身の感想よりも,そのレビューを書いた人たちのそれぞれの人生が垣間見えたことでした。
 今も,そうした青春に憧れを抱いていて,この小説の主人公をまぶしく感じているような,しかし,自分は海外にすらいったことがない,または,旅に出てやりたい放題の青春をおくった,そして,今もそのときのことが忘れられない万年青年だったり,あるいは,そんな冒険をする勇気も知恵もないけれど,そんな若者を世間知らずとバカにしくさって,世渡りだけはうまくて,地位だけ偉くなって,そして,引退したのに,未だに偉そうに先輩風を吹かして若者を説教するような,そんなオヤジだったり,そのような人たちの姿が浮かぶのです。
 そのなかから,いくつかピックアップして,一部を引用してみます。
  ・・・・・・
〇とにかく若者は夢を見なくてはいけない。ジャズ小説であり,エンターテインメントであり,そして路地裏から見た「世界」であるこの小説が,その格好の道案内として今でも通用するだろう。
〇「荒野」って小説に出て来た少年がいつも読んでいたので、気になって読んでみた。そしたら高度経済成長の日本にぼんやりとした不満を持った中流育ちの青年が海外に飛び出して魅力的な金髪女性とセックスするって内容だったから、正直に言ってあの少年にはがっかりした。
〇ハタチ前後で読んだらきっともっとおもしろかっただろうな。真に受けて海外に飛び出したかもな。
〇それにしても五木寛之って適当だよな。ラストの手紙と本編矛盾してるし。すっごい気になったわ。 〇 常識的に考えた世界で行われる,善悪の行為を超えたところに音楽はあって,人を感動させる。 人の感動なんて善悪を超越したところにある。
〇自分はジュンがそれらの出会いを通じ一歩一歩成長していく姿にとても励まされた。
〇昔,バックパックひとつで世界一周の旅に出かけていたそんな雰囲気を思い出したいのだろうか。人間が若く見えるのは歳ではない。本がよぶのか自分がよび寄せるのか,そのときにベストな本と出会うことがたまにある。この本がまさにそれだった。
〇舞台は60年代なんだからこれでいいのだ。当時に生きていなかったから,いくら現在の尺度で判断しようとしても無駄だ。
〇展開が,時が経てばずいぶん青臭いと苦笑するかも知れない。だけど,青臭さを感じられることを大真面目に言葉にできたこの小説が生まれた時代がうらやましいことに変わりはない。
〇60年代や70年代ああたりにジャズ喫茶でコーヒーを片手にこの本に熱中して異国に夢を求めて旅する主人公に憧れていた若者がいたかも知れない。そんな過去の若者たちとの交錯に思いを馳せられるのもまたよかった。
〇海外へ行くことが特別なことだった時代,当時陸路でヨーロッパを目指した人たちの必携書がこの「青年は荒野をめざす」と小田実の「何でも見てやろう」だったとか。この小説は「スイングしなけりゃ意味が無」かったバガボンドたちを思いながら、パリで読むのも一興です。
  ・・・・・・
 人生,一度っきり,青春は戻ってこない,のですよ,おじさんたち。若いころ,どんな夢を見て,そして,どんな大人になりましたか? そして,今もまだ,夢をもっていますか?

無題無題


◇◇◇

☆☆☆
月と金星と木星の大接近。

2月23日の夕方。
月の位置が変わりました。DSC_1180DSC_1175


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

2019-11-29_18-38-09_6322019-11-30_21-51-46_742

######
 横道誠さんの書いた「ある大学教員の日常と非日常」を読みました。
 この本を知ったきっかけは朝日新聞の読書欄だとばかり思っていたのですが,調べても存在しないので,私の勘違いでしょう。しかも,私は,もっと大きな間違いをしていたのです。それは,横道という名前から,映画「横道世之介」と同類の本だと思っていたことです。実際は横道誠さんは「横道世之介」とはまったく関係はありません。
  ・・・・・・
 「横道世之介」は吉田修一さんの書いた小説で,2008年から2009年まで毎日新聞に連載され,2013年に映画化されました。
 バブル期の1987年,大学進学のために長崎から上京してきた青年・横道世之介が,お人好しな性格から流されるままにサンバサークルに入り,一目惚れした年上の女性・千春に弟のふりをしてくれと頼まれたり、世間知らずの社長令嬢・祥子に振り回されたり,友人の倉持に金を貸したりといった様々な人々と出会いながら忙しい1年間を過ごす,というものです。
  ・・・・・・
 ですが,私はこれまで小説「横道世之介」を読んだわけでもなく,映画「横道世之介」を見たわけでもありませんでした。今回,偶然,U-NEXTで映画「横道世之介」を見ることができたのですが,横道世之介の品のなさと物語のあまりのくだらなさに嫌気がさして,途中で挫折しました。

 本の紹介に戻ります。
  ・・・・・・
 横道誠さんは1979年生まれで京都府立大学文学部准教授,専門は文学・当事者研究です。
 本来はドイツ文学者ですが,40歳で自閉スペクトラム症と注意欠如・多動症を診断されて以来,発達障害の当事者仲間との交流や自助グループの運営にも力を入れ,その諸経験を当事者批評という新しい学術的・創作的ジャンルに活用しようと模索しています。
  ・・・・・・
だそうです。
  ・・・・・・
 サバティカルリーブを利用して,10年ぶりにウィーンへ研究旅行に行くべく,羽田空港に赴いた著者を待っていたのは出国許可がおりないというまさかの措置でした。
 「ある大学教員の日常と非日常」は,発達障害特性を持つ著者が,コロナ禍,ウクライナ侵攻の最中に,数々の苦難を乗り越え日本を出国し,ウィーンに到着。ウィーンでの研究者たちとの交流,ダボス,ベルリン,アウシュヴィッツへの訪問などの,めくるめく迷宮めぐりの記録です。
  ・・・・・・
というのが,この本の紹介です。

 サバティカルリーブ(sabbatical leave)というのは,大学教員が研究するための休暇のことです。
 欧米では一般的な制度で,一定の年数勤務した大学教員が,本来の職務から離れ,数か月から1年ほど国内外の研究機関で研究活動に従事するというもので,様々な大学で導入されているようです。しかし,実情は,文部科学省の2011年(平成23年)の資料によると,国立大学教員数が62,682人であるのに対して取得者がわずか210人と,およそ0.3パーセントだったそうです。それは,働きすぎの文化と空気の支配のえげつない日本では,制度はあっても運用できていない大学も多いということが原因といわれています。
 サバティカルリーブとは違いますが,私が現役のころに勤めていた組織では,夏休みは6月から9月の間に自由にとれるとあったので,忖度など一切しないし同調意識もない私は,規則通り6月や9月に1週間程度の休みをとって海外旅行をしていたのですが,上司は何やかやと嫌味をいいました。また,ほとんどの人は,周囲の目を気にしてお盆に休んでいました。本当にバカみたいでした。これが日本であり,日本人です。
 私は,人生,仕事に明け暮れて一生をおくるなんてバカげていて,元の仕事に戻れるという保証だけあれば無給でいいから,たとえば10年勤めていたら1年は無理でも1か月程度条件なしの休みが取れる,といったような制度があればいいのに,と思ったことがありました。でないと,多くの人は海外旅行もできず人生が終わります。

 話を戻しまして,この本で,横道誠さんは 「障害があるということは,ふだんから被災しながら生きているようなものだ。著名人の誰かがそのような発言をしたと思うのだが,いま調べてみても誰かわからない。いずれにせよ,僕はこの言葉に大いに首肯できる。僕たちの日常は,災難だらけなのだから,障害者とは日常的な被災者なのだ」と書いています。
 この本は,そんな著者が海外に旅立つときにちょうどコロナ禍が襲ってしまい,さまざまな苦労のあげく,なんとかオーストリアの地に降り立った,というその顛末が語られるという内容です。私がおもしろいと感じたのは,私が世界でもっとも行ってよかったと思う,そして,また行きたいと思う国のひとつであるオーストリアについて,日本とオーストリアのコロナ禍の捉え方の違いというものも含め,詳しく書かれているところでした。
 それ以外のところは,私には期待外れでした。たとえば「羽田空港に赴いた著者を待っていたのは出国許可がおりないというまさかの措置だった」という部分ですが,それは,コロナ禍によるものでは全くなくて,単に,パスポートが期限切れだった,というだけの話で,私は白けました。ただし,日本に帰国するときの手続きやさまざまな日程変更のところは,真実だけに興味深い内容でした。
 報道などには時折出てきたのですが,実際に,コロナ禍のころに海外に行かなければならなかった,あるいは,帰国しなければならなかった,という人の体験談が,もっと語られてもいいと思いますが,噂では聴いていても,なかなか真実が見えません。

 横道誠さんは,この本で「障害者はふだんから迷宮のなかをさまよっているようなもの」と書いていますが,障害者でなくともそれは同じことだし,さらに,平和ボケをしているこの国では,国民の多くが,馬鹿のひとつ覚えで,何の予防効果もないのにいつまでもマスクマスクと騒いでいるだけだし,政府はさらに迷走をし,混乱に拍車をかけている。それはまるで,迷宮というより迷路の中をいつまでも行ったり来たりしているだけというのが,この本で私が感じたことでした。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

2019-08-21_13-42-15_473

######
 やっと,加藤陽子さんの書いた「この国のかたちを見つめ直す」を読むことができました。
 日本学術会議会員の任命問題は,2020年(令和2年)9月,菅義偉内閣総理大臣が,日本学術会議が推薦した会員候補のうちの一部を任命しなかった問題です。このときに任命されなかった学者さんのひとりが加藤陽子さんでした。
 加藤陽子さんは,山川出版社が発行する高等学校教科書「詳説日本史」の執筆者のひとりとして,以前から名前だけは知っていました。また,時折,テレビに出演するのを見たことはありますが,それ以上のことは知りませんでした。それが,奇しくも,日本学術会議会員の任命問題で興味をもったことから,加藤陽子さんの書いた「この国のかたちを見つめ直す」という本を読んでみようと思ったわけだから,皮肉な話です。

 加藤陽子さんは東京大学大学院人文社会系研究科教授で専攻は日本近現代史です。「この国のかたちを見つめ直す」は,毎日新聞に連載されたものを編集したものです。
 奇しくも,「とある事件」によって,実質的な幕を閉じた安倍晋三長期政権でした。その結果,長き間にこの政権が何をしてきたのかが明らかになったわけですが,それは,劣化した日本の政治と政治家,民主主義の基本をないがしろにしその根幹を揺るがし続けた政権だった,ということです。
 安倍晋三政権は,こうした現実を報道しようとする側を罵倒することで委縮させ,任命権をちらつかせることで官僚を手玉にとることで忖度が横行し,国民を無知にしておいて,好き勝手にやりたい放題だったのですが,この著者は真摯な目で見つめ,そのことをわかりやすく語ってしまうわけだから,そりゃ,政治家の厄介者となってしまったのでしょう。
 しかしまあ,日本学術会議会員の任命問題は,無知な国民の眠りを覚まし,政治家の本当の意図が明らかにされたのだから,それだけでも,菅義偉内閣総理大臣は失敗したということです。

 この本の中で何度も語られているのは,記録を残さない政府,ということですが,このことは,この国は反省をしない,総括をしないということにつながります。それは,反省をすれば,責任が問われるからです。さらに悪質なのは,資料を破棄し,なかったことにしてしまったことです。それが,何事も何か事件が起きれば公聴会を開いてそのすべてと責任者を明らかにするというアメリカの民主主義とは真逆な世界です。つまり,日本の民主主義といわれるものは,あくまで借りものであり,その本質は国民主権ではなく,いつまでも,江戸時代の殿様国家だということです。それは,そもそも,日本人自体が日本人を知らない,ということがその根本だろうと私は思っています。そしてまた,都合の悪い過去は捨ててしまうというのは,政治家こそ,この国を誇りに思っていないということの裏返しでしょう。
 本の題名は,司馬遼太郎さんの書いた「この国のかたち」に基づいています。「この国のかたち」は,司馬遼太郎さんさんが「日本とはどういう国なのか」と23歳の自分自身に手紙を書くようなエッセイです。はるか昔,私はこの本を読んだことがあります。
  ・・・・・・
 召集されて軍隊を経験した23歳だった司馬遼太郎さんは,戦争に負け終戦の放送を聴いたあと「なんとおろかな国に生れたことか」と思ったのだそうです。そして「なぜ近代日本はあのような愚かな戦争をしたのか、それを解明したい」「昔はそうではなかったのではないか」ということが動機で,鎌倉・室町期や江戸・明治期のころのことを小説に書いてきました。そして,昭和の軍人たちが国家そのものを賭けにしたようなことは昔にはなかった,と確信するにいたるのです。
  ・・・・・・

 「この国のかたちを見つめ直す」を読んで感じたのは,学者さんは,仕事とはいえタフだなあということです。学問を軽視するこの国では,どんなに正論を吐こうが研究に裏付けられた施策を提言しようが,まったく無力であり,「政治家の思惑」だけでことを進めるているだけだから,そんなことをいくらしようと意味がないと私など白けているのですが,それに対して,学者さんは学問は無力ではないという信念をもち続けているからです。
 それにしても,結局のところ,このごろ起きた「とある事件」によって,「政治家の思惑」というのは,確かな信念や学識などに裏づけられていたものではなくて,単に,支持母体のひとつである某宗教団体が意図している思想の受け売りに過ぎなかったということが明白になってしまったのです。そして,単に,地盤を受け継いだ,体制に寄り掛かることが得策だと思っている世襲議員は,いかなる手段を講じようと当選さえすればいいと考えていただけだった,ということが明らかになって,このごろは,私をさらに白けらせています。
 この本が書かれたのが,とある「事件」をきっかけとした,そうした宗教団体の問題が起きる以前であったことが惜しまれます。

book


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

FullSizeRender

######
 私は,語学の勉強は好きですが,まるきり才能がありません。しかし,旅行の経験だけは豊富なので,海外に行くと,生きるのに不自由しない程度の英語はできます。これまでの経験で,最も英語が進歩したのは,今から20年近く前にアメリカで交通事故にあって,アメリカの病院に入院したときでしょう。このときは,帰国後,すっかり頭が英語脳になっていたのが,時差ボケの解消のために睡眠薬を処方してもらってぐっすり寝たとき,まるで,タイムマシンに乗ったかのように頭の中がぐるぐる回転して,頭がすっかり日本語脳に入れ替わるという,奇妙な経験をしました。
 今は,ボケ防止と,いつかまた,大好きなオーストリア旅行をしたい,という希望を捨てないために,ほそぼそとドイツ語の学習に取り組んでいるのですが,まるで上達しません。文字を見れば,一応,簡単なドイツ語なら意味はわかるようになったのですが,聞き取れず,また,全く話せません。

 そんな私が,久しぶりに手にした本は,以前,朝日新聞の読書欄に載っていて興味をもった,高野秀行さんが書いた「語学の天才まで1億光年」という本でした。このごろ,まったく活字の読めなくなった私が,334ページもある本をあっという間に読了してしまったことから,いかにおもしろい本であったかがわかるというものです。
 同姓同名の将棋の棋士がいますが,まったくの別人です。
  ・・・・・・
 1966年生まれの高野秀行さんは辺境をテーマに旅する探検家であり,ノンフィクション作家であり,翻訳家です。20代のころ,アフリカのコンゴの奥地で幻獣「ムベンべ」を探し,ミャンマーでは北部の麻薬地帯「ゴールデン・トライアングル」に潜入。反政府ゲリラ組織でケシ栽培を体験し「ビルマ・アヘン王国潜入記」を著しました。
 「誰も行かないところへ行き,誰もやらないことをし,誰も書かない本を書く」というのがポリシーである高野秀行さんが,探検家としての体験から,数々の言語をいかに習得し,使ってきたかを描いているものです。
 2002年に「西南シルクロードは密林に消える」の取材で,出国スタンプなしで中国を出国し,以降正式な国境検問所を一切通らずにミャンマー北部のゲリラ支配域を横断しインドに入国。在カルカッタ日本大使館員に相談の上インド当局に自首した結果国外追放処分となり,日本に強制送還された。この際に通過したナガランド州が反政府ゲリラ闘争を抱える地であったこともあり,入管のブラックリストに載せられ以降インドへの入国が出来なくなった。というようなエピソードをたくさん残しています。
  ・・・・・・

 高野秀行さんは,この本の中で
  ・・・・・・
 私ほど語学において連戦連敗をくり返し,苦しんでいる人間はそうそういないはずだ。
  ・・・・・・
と書いていますが,何の何の,それはあくまで謙遜で,本当に語学の苦手な私とはまったく違って,多くの言語を,しかも,実地訓練を通じて身につけてしまう人は,そうはいないでしょう。この人が語学を会得するための実地訓練というのが普通ではなくて,実際に現地に行って,その地の人との交わりの中で覚える,というものであるところがすごいというか,私のポリシーと一致するというか。
 人間,20代ははちゃめちゃに行動し,多くの体験を積むべきだと思っている私ですが,高野秀行さんほどの人は知りません。はじめての海外旅行先のインドで身ぐるみはがされ,謎の怪獣をさがしにアフリカのコンゴに出かけ,できもしないイタリア語の医学論文の翻訳を完成させ,タイ・ラオス・ミャンマーにまたがるゴールデントライアングルでケシ栽培を行ってアヘンを作ろうと企てたり…。
 私がかつてロサンゼルスで置き引きにあって,パスポートも全財産も帰りの航空券を失くして途方にくれたなんていうだけの経験では,足元にも及びません。
 ことばは学問ではなく,ましてや,入試で点数争いをするものでもなく,コミュニケーションの手段であるという当たり前のことが当たり前に行われていない,この国の語学教育をあらためて考えさせてくれるすばらしい本です。

 ただひとつよくわからないのが,この本の題名です。語学の天才までは1億光年もの距離がある,というのか,そのくらいの距離を旅すれば語学の天才になれる,というのか。
 ちなみに,1億光年とは,9,461,000,000,000,000,000,000キロメートル(94垓6,100京キロメートル)であり,1億光年先にある天体は二重銀河NGC3314など。ただし,残念なのは,人類が見ることができる最も遠い距離というのは138億光年先なので,もし,この本の題名が語学の天才には手が届かない距離にある,という意味ならば,むしろ,「語学の天才まで138億光年」としたほうがよかったかも。というのは余談です。

NGC3314


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4545

 昨年2021年12月11日の朝日新聞読書欄で紹介された道尾秀介さんの小説「N」。大矢博子さんの文章から,はじめの部分を引用します。
  ・・・・・・
 連作短編集,という形式の小説がある。収録された短編の登場人物や舞台などが共通しており,通して読むと長編になるものをいう。各編の中に終盤へ向けての布石や伏線が仕込まれるので収録順に読むのが前提だ。
 ところがその前提を大きく覆す作品が登場した。道尾秀介の「N」である。なんと,収録された6章をどの順序で読んでも長編になる-しかも順序によって物語が〈変わる〉というのだから驚くまいことか。
  ・・・・・・
 この文章を読んで,興味をもたない人があるのだろうか? 私もそれ以来ずっと気になっていたのですが,やっと読むことができました。
 6章の小説は, まず,冒頭部分だけが掲載されていて,興味をもったものから読むことができるという趣向です。それらの小説は,無関係に思われるのですが,それが少しずつリンクしていて,どれから読むかによって印象がまったく違うというのです。
 凝ったことに,紙の書籍は1章ごとに天地が逆に製本されています。

 ということで,この小説は,多くの人が興味を示したようで,ウェブ上にもたくさんの感想が載っていました。しかし,どうしてでしょうか。そのどれも,およそ同じような表向きの紹介文が書かれてあるだけで,細かな分析や解説は,ネタバレであろうとなかろうと,皆目,そうした類のものが見当たらないのです。
 私も,納得のいかないところは読み返してみたり,何度もページを戻したりして,苦労して読んだのですが,ここで細かく分析できるほどの理解ができませんでした。おそらく,作者はかなり手が込んだたくらみや意図があるのでしょうが,難解すぎて,また,複雑すぎて,それを味わえない私を情けなく思いました。また,自分の理解不足を棚に上げて書くことではないのでしょうが,それぞれの小説が,少し書き方が荒いというかわかりにくいので,戸惑ってばかりでした。こうした趣向があるからこそ,どの章から読んでも話がつながるわけですが,別の章を読んだときに出てきたはずの伏線を私は忘れてしまっているのです。
 しかし,一度読んでしまった後で,再びじっくりと読んでみたとしても,あるいは,今度は,別の順番で読んでみたとしても,それでは,すでに他の話を知ってしまっているから,作者の狙いは果たせなのです。
 ということで,正直言って,残念ながら,私には,宣伝文句ほどのものは味わえませんでした。
  ・・
 むしろ,こういう趣向で書こうとするのなら,ひとつの事件を,それに携わった人それぞれの立場で別の小説として書いていく,というようなもののほうがずっとおもしろかったのに,と思ったことでした。

91R9CcDJsRL


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_4540

 ######
 朝日新聞の朝刊に連載していた多和田葉子の小説「白鶴亮翅」がよくわからないまま終わり,今村翔吾さんの小説「人よ,花よ,」がはじまりました。
  ・・・・・・
 「人よ,花よ,」は南北朝時代の武将・楠木正成の長男・楠木正行を主人公に,若者たちの生き様を描く歴史小説です。
 湊川の戦いで討ち死にした楠木正成と,四條畷の戦いに挑んだ楠木正行は,ともに大軍を相手に最期を迎えました。「楠木正成は自分の意思で戦に身を投じたけれど,楠木正行は幼いときから戦の渦中にいて,ある程度は自分の未来や人生が決定づけられていた」といいます。この小説では,できるかぎり楠木正行の気持ちをひもといて,葛藤も含めて描いてみたい。
  ・・・・・・
といった紹介がありました。

 歴史小説は,その時代のことを知らないとわからないので,ここで復習をしてみました。
  ・・
 1333年(元弘3年),鎌倉幕府が滅亡し,1334年(建武元年)に,御醍醐天皇による建武の新政がはじまります。しかし,1335年(建武2年)に起きた中先代の乱を機に足利尊氏が新政権に反旗をひるがえし,その翌年,京都を制圧し,北朝の光明天皇を立てます。御醍醐天皇は南朝として吉野に逃れ,ここに南北朝の動乱がはじまります。この際,摂津国湊川で,九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍とこれを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦が湊川の戦いです。
 楠木正行は生年や幼少期の実態は不明で,後村上天皇が即位した翌年の1340年(延元5年/暦応3年)から史上に現れ,南朝の河内守護として河内国を統治しました。
 1344年(興国5年/康永3年),北畠親房が吉野行宮に帰還し、准大臣として南朝運営の実権を握ると,楠木正行は,好むと好まざるとに関わらず幕府との戦いの矢面に立つことになります。1347年(正平2年/貞和3年)に兵を起こした楠木正行は,北朝・室町幕府の細川顕氏や山名時氏らの大軍を立て続けに破るなど,すべての合戦に完勝しますが,1348年(正平3年/貞和4年),四條畷の戦いにおいて,幕府の総力に近い兵を動員した高師直と戦い,北四条で力尽き,26人の将校と共に戦死しました。この後,高師直と足利直義との間の政治権力の均衡が崩れ,室町幕府最大の内部抗争である観応の擾乱が発生することになるのです。
 「人よ,花よ,」はこの時代を描こうとするもののようです。

 NHKの大河ドラマ「太平記」は,1991年(平成3年)に放送されました。鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱期を,足利尊氏を主人公に描いた物語です。
 このころ,南北朝をテレビドラマで取り上げるのは,元寇ととももタブーとされていたので,はじめての試みとして,私は,興味をもって見ました。足利尊氏の生涯は,よくもまあ,これだけ戦いに明け暮れたものだという印象をもちましたが,それは,今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も同じです。
 ところで,「太平記」では,楠木正成を演じたのが武田鉄矢さんです。そこで,私は,楠木正成というと,武田鉄矢さんの顔が浮かんでしまうのです。「人よ,花よ,」を読んでいても,そんな感じになってしまうので,どうもいけません。また,「太平記」には楠木正行も登場したのですが,私にはまったく記憶がありません。
  ・・
 今のところはまだ,この小説ははじまったばかりですが,読みやすいので,毎日楽しみにしています。日本人は昔も今も変わらないものだなあ,というのが,これまで読んだ感想です。
 歴史小説は,作者の意図がしっかりしていないとかったるくなってしまうので,今後,どうなっていくか,といったところです。私としては,武将の姿以上に,この時代に生きた庶民の苦悩を描いてほしいものだと思っています。

98138


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

4344986520

 この国は老人ばかりなので,本も雑誌も,はたまた,得体のしれない健康食品も,そのほとんどが老人向けのものばかりです。町にも老人が溢れています。
 そんななか,ひときわ目につくのが,この「80歳の壁」という本です。
  ・・・・・・
 人生100年時代だが,健康寿命の平均は男性72歳,女性75歳。80歳を目前に寝たきりや要介護になる人は多い。
 「80歳の壁」は高く厚いが,壁を超える最強の方法がある。それは,嫌なことを我慢せず,好きなことだけすること。
 「食べたいものを食べる」「血圧・血糖値は下げなくていい」「ガンは切らない」「おむつを味方にする」「ボケることは怖くない」等々,思わず膝を打つヒントが満載。
 70代とはまるで違って,ひとつひとつの選択が命に直結する80歳からの人生。ラクして壁を超えて寿命をのばす「正解」を教えます!
  ・・・・・・
というのが,本の紹介です。
 私がこのブログでいろいろ書いても話題にもならないけれど,というか,話題になっても困るけど,著名な和田秀樹さんが書けばベストセラーになるのです。
 和田秀樹さんは1960年大阪府生まれなので,私より若干お若い。東京大学医学部を卒業した精神科医です。

 それにしても,80歳過ぎて,この本を読んでまだ元気に生きようという意欲がある人はすごいです。
 私の両親はともに90歳前後まで生きたので,80歳以降の10年余りの時間をどう過ごしていたかはおおよそわかります。それを見てきて思うのは,その齢になれば,日々,過去も未来も考えず,そのときそのときをこころ静かに楽しく生活することだ,ということに尽きます。そして,何が起きても,それは神様の思し召しと思って受け入れることです。
 結局それに尽きるのです。こうした本は,どれも「それだけのこと」を,延々と書き連ねているだけのものです。
  ・・
 そもそも,いつも書いているように,地球上に生命が存在する意義などまったくありません。
 偶然に偶然を重ねた化学反応の結果できてしまった,「それだけのこと」です。これを宗教家は「生かされている」などと大げさにいいます。しかし,そこに生を受けて,自分がやどってしまった以上は,それが存在する限り,楽しく時間を過ごすこと,「それだけのこと」なのです。
 まあ,「80歳の壁」などと題すれば,それを乗り越えることがたいへんだと感じてしまうでしょう。確かに前回書いたように,「35歳の壁」「50歳の壁」「65歳の壁」はあります。しかし,80歳は壁ではなく,出口。その先は,いたるところ,得体の知れない生物の住む沼地やらどこに野獣が潜んでいるかわからない荒れ地だらけの悠久なる大平原が広がっている,「それだけのこと」だと私は思いますけれど…。で,どこかで足を取られて,それで終わりです。

IMG_2452IMG_4115


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_3788

######
 4月22日の朝日新聞「いま聞くIntervie」に,大阪公立大教授の酒井隆史さんの「どうでもいい仕事・なぜ増殖」と題した記事がありました。
  ・・・・・・
 「クソどうでもいい仕事(=ブルシット・ジョブ(Bullshit Jobs))はなぜ増えるか」という,ぶっ飛んだ副題の本を書いた大学教授に会ってきた。
  ・・・・・・
から,記事ははじまっていました。
 記事によると,ブルシット・ジョブの定義はつぎのようだといいます。
 「本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある有償の雇用」。そして,この言葉は,デビッド・グレーバーという人が「ブルシット・ジョブ」という本で論じ,それを翻訳したのが酒井隆史教授ということでした。
 これだけではわからないので,もう少しだけ記事から引用すると,デビッド・グレーバーさんは,ブルシット・ジョブを次のように分類したそうです。
  ・・・・・・
 1 取り巻き:誰かを偉そうにみせるためだけの仕事
 2 脅し屋:脅したり欺いたりして他人を操ろうとする仕事
 3 尻ぬぐい:組織の欠陥をとりつくろうためだけの仕事
 4 書類穴埋め人:形式的な意味しかない書類をつくる仕事
 5 タスクマスター:他人に仕事を割り振るだけの不要な上司
  ・・・・・・
 引用はここまでにします。
 ちなみに,ブルシット(Bullshit)とは牛のクソ,転じて,「ばかやろう」「ろくでもない」という感じですか。

 さて,ここからです。
 この記事はとてもおもしろかったのですが,前提が端折っていて,少しわかりづらかったので,調べてみました。
 デヴィッド・グレーバー(David Rolfe Graeber)さんは,1961年に生まれ, 2020年に亡くなったアメリカの人類学者で,アナキスト(無政府主義者),アクティビスト(活動家)だそうです。
 この記事で話題になっているのは,著書「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」(Bullshit Jobs:A Theory)で,wikipediaによると,この本で,無意味な仕事の存在とその社会的有害性を分析し,社会的仕事の半分以上は無意味であり,仕事を自尊心と関連付ける労働倫理と一体となったときに心理的に破壊的になると主張している,だそうです。そして,この本を翻訳したのが酒井隆史さんで,その本が話題となって,講談社新書から「ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか」を出版した,ということでした。

 今から14年ほど前に出会った,私の生涯で,もっともどうにもならない輩とその取り巻きたちは,まさに,このブルシット・ジョブの権化のようでした。とにかく,やってもやらなくてもどうでもいい仕事にこだわり,それができないと部下をいじめるという,仕事のすべてがそれでできていました。彼らは,今,古希を迎えたころか,あるいは,噂では,すでに鬼籍に入っている者もあるそうですが,その人生の大半を占めた彼らの「仕事」がそういうものだったのかと思うと,哀れにさえ思えます。
 私は,危うさを感じ,そんなことに時間を費やすことがバカらしく,まったく価値観が異なったので,早々にそうした人たちから距離を置き,その後,いわゆるブルシット・ジョブとは完全無縁で楽しい生活をおくっているのですが,そうした今の私の傍観者の目からまわりを見ると,多くの雑多な「仕事」という冠をつけた時間つぶし,つまりブルシット・ジョブがこの世界を作り上げているその現実が浮かびます。
 多くの人は,というより,ほとんどの人は,好むと好まざるとに限らず,また,そうした現実を知ってか知らずかわからねど,早朝の満員電車に揺られて職場に向かい,ブルシット・ジョブで人生の貴重な時間を費やし,夜になると,これもまた,意味もなく残業をしたりして,遅く帰る競争をして,帰路につく,という日常をおくっているのでしょう。そして,その対価として給料を手にしているわけです。
 まあ,要するに,そのすべてがお役人の大好きな「不要不急」といえなくもない。しかも,ブルシット・ジョブの最たるものがお役人のお仕事なのかな? と思うと,もう,これは喜劇を越えて,悲劇でしかありません。

 この記事には,次のようにあります。
  ・・・・・・
 競争させるためには,なんでも数値化して,絶えず評価し,格づけしないといけない。その際,本来は競争になじまない領域まで数値化され,書類化され,評価にさらされる。その過程に生まれる膨大なペーパーワークや管理業務の中で,ブルシット・ジョブが増殖していくのです。
  ・・・・・・
 書類の山,意味のない手続きばかりが必要で,ペーパーレスもキャッシュレスも進まない,世界から取り残された日本では,そうしたブルシット・ジョブをするしか,仕事が,雇用がありません。責任逃れのやったふり。
 だから,そうした社会へ出ていく訓練として,学校教育でのプリント学習,まったく理解できなくても,わからなくても,答えを丸写しして提出すればいい子になれる,そして,観点別評価とやらで認められる,そんないわゆる「ドリラー」が位置づけられているのでしょうか。

無題


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

51ECV54Z5HL._SX333_BO1,204,203,200_81+pf5HgBeLアインシュタイン方程式

 2022年3月19日の朝日新聞読書欄に,ニールス・ボーア「因果性と相補性」という本がとりあげられていました。
 この文章を書いたのは,社会学者の大澤真幸さんです。
 一部,引用します。
  ・・・・・・
 この200年の学問の歴史の中で最大の知的革新,それは量子論の登場にある。この運動の中心にいたのが,ニールス・ボーアだ。
 物質は究極的には粒であり波である。絶対矛盾的自己同一。これを認めるのが量子論である。
 ボーアは波/粒の排他的な状態の二重性を「相補性」とよんだ。量子論が提起したのは,答えでなく哲学的な問いである。そもそも存在とは何か、と。
 量子論の謎は,神から人間への致死性の毒が入った贈り物ではないか,と思うことがある。
  ・・・・・・

 これまでにも書いたように,物理学というのは,人間が体験する事象のすべてに当てはまる数式を構築して,それを用いて,未知の事象を正確に予測することが目的です。であるから,未知の事象がどうなるかが正確に予測できればいいのであって,たとえは,どうして重力が働くか,などというような,どうしてそうなっているのか,ということは,すべて「原理」としてかたづけていて,何も語ってはいないのです。
 先に書いたように,物理学は,どんな結果になるかという現象の予測を数式で表わすのが目的なので,それを数式を用いないで説明しようとか,人間の認識できる概念に当てはめようとか,そういう企てをすること自体がもともと無理な話です。そこで,数式がわからいない人には,「量子論の謎は,神から人間への致死性の毒が入った贈り物ではないか」というようなことになるのです。

 私は,この文章を読んで,天文学者の須藤靖さんが書いた「宇宙は数式でできている -なぜ世界は物理法則に支配されているのか-」 という本を思い出しました。
 この本は,その反対に,物理学は数式ですべての現象が説明できることのすごさについて書かれたものです。
  ・・・・・・
 かつて数学的な解にしかすぎないと思われていたブラックホールや重力波。これらが実在することが続々と確認されている。
 なぜ宇宙はこれほど理論どおりなのか? 神が仕組んだとしか思えない驚きの法則の数々と,それを解き明かす研究者たちによる,執念の探求の営みを紹介。
  ・・・・・・

 私は,若いころ,数式を用いて,アインシュタインの一般相対性理論,つまり,「アインシュタイン方程式」からみごとに「シュワルツシルトの解」(Schwarzschild solution)が導き出される(これがブラックホール)のを体験して,感動したことがあります。しかし,それは,あくまで,数式を計算しただけのこと。そして,その解が予言した事象が確かに存在したから,それで一般相対性理論が正しいとされた,というだけことです。そのレベルに,今,やっと人類がたどりついたところです。
 しかし,ダークマターとかダークエネルギーと人間が名づけたことで,さもわかっているような気がするだけで,要するに,本当は何もわかっていないことが,まだ,大半を占めています。
 「宇宙は数式でできている -なぜ世界は物理法則に支配されているのか-」という本の趣旨は「なぜ宇宙は人間たちが作った理論(数式)にこれほど従っているのか?」なのですが,そうではなくて,というか,その逆で,宇宙を語ることができるであろう数式をあれこれ探してきて,それを理論と称して当てはめても,そこに矛盾が生じるたびに数式を修正しては正しく当てはまるように工夫して改良しているだけ,なのだと私は思います。
 だから,「神が仕組んだとしか思えない驚きの宇宙の姿」ではなくて,人類の限られた能力で,それを懸命に構築する努力をしているけれど,未だ,それを見つけ出せないでいる,というのが正しいのでしょう。
 文系の人たちが言葉に酔い,それで,自らを語ったふりをして満足しているように,理系の人たちは数式に酔っていて,それで,さも,世界を手に入れた気分に浸っているだけにすぎません。
  ・・
 私が思うのは,神が作った世界はもっと単純に表現できるに違いない,ということです。
 おそらく,この世は,サイコロを振っていたらできちゃった,という感じでしょうか。しかし,人間がそれを説明する数式がこれほど難解で多くの人にとって理解できないのは,きっと,もともと数学が構築した記述自体が正しくないからでしょう。こんなに複雑にしか表現できないのは,人間の能力がこの程度だから,なのでしょう。俗にわかりやすくいえば,積分を表わすのにインテグラル記号など使う必要もなく,三角関数を表わすのにsin,cos,tanなどというものを使う必要もなく,それを考えた人がそれだけの能力だったというようなことです。
 わずか0.03マイクロメートルのウィルスに2年以上も全人類が怯え,有史以来,未だ,戦争ばかりやっている,地球を破壊し人殺しをするだけが能の,この地球上にはびこる愚かな生き物である人類に,世界を,そして宇宙を語る能力と資格があるとは,私には到底思えません。

◇◇◇
今日の最後の写真は,私が写したウィーン中央墓地にあるボルツマン(Ludwig Eduard Boltzmann)の墓。ボルツマンはオーストリアの物理学者で,エントロピーの増大は分子運動の確率的性質によることを明らかにし,エントロピーを状態確率の関数として表しました。ボツルマンの墓には,エントロピーのミクロな定義を与え統計力学の基礎を確立した公式「S = k log W」 が刻まれています。

IMG_8691



◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

100000009001099177_10204 (2)

 今日の写真は,飛行機の機内から見た冬のシベリア,荒涼たる大地です。
  ・・
  司馬遼太郎さんが書いた「ロシアについて -北方の原形-」という本があります。現在は文春文庫で読むことができます。
 日本の歴史に造詣の深い司馬遼太郎さんが外国のことを書いたものは珍しいのですが,「坂の上の雲」で日露戦争を,「菜の花の沖」で高田屋嘉兵衛を通して日露交渉を描いことで,日本と関わりのある隣国ロシアについて考えざるを得なかったのでしょう。
 この本を読みながら,面積だけが巨大な,近くて遠いロシアという国の,現在の時代錯誤の他国への侵略の意味を考えてみました。
 一部,「ロシアについて -北方の原形-」から引用します。
  ・・・・・・
 別にロシアそのものを考える義務をだれから負わされたわけでもないのに,ロシアが関係するふたつの作品,「坂の上の雲」と「菜の花の沖」を書くために,十数年もロシアについて考え込むはめになった。 そのことは,私の年齢の40代と50代で終わったはずなのに,余熱がまだ冷えずにいる。
  ・・・・・・

 「ロシアについて -北方の原形-」の冒頭では,被害者としてのロシアが描かれています。
  ・・・・・・
 ロシア人は国家を遅くもった。
 ロシアにおいて,国家という広域社会を建設されることが,人類の他の文明圏よりもはるかに遅れた理由のひとつは,たとえば,遊牧民族・フン族や中国で蠕蠕とよばれたアヴァール人のような強悍なアジア系遊牧民族が東からつぎつきにロシア平原にやってきては,わずかな農業社会の文化であるとそれを荒らし続けた、ということがある。
 ロシア人の成立は外からの恐怖を除いて考えられないといっていいだろう。
  ・・・・・・
 司馬良太郎さんは,ロシアが周りの国々から侵略され続けた歴史を振り返るのです。
 4世紀から6世紀まで,強悍なアジア系遊牧民族が中国周辺において活躍し,やがて,西方に大移動し,ロシア平原に出現します。このときには,まだ,ロシア人による国家はなく,スラヴ人系の農民が散在するような小さな社会を作って,平原の原野を耕作していました。そこに,東から来た遊牧民族がスラブの社会をかき回し,その女たちを奪い多数の混血児をつくったのです。これが,ロシアやウクライナの遠い祖先です。

  ・・・・・・
 9世紀になって,やっとウクライナのキエフの地に,ロシア人の国家「キエフ国家」ができたことは,ロシア史を見る上で重要なことだと思う。しかし,キエフ国家は,ロシア人が自前につくったのではなく,国家をつくる能力のある海賊を稼業としていたスウェーデン人たちだった。
  ・・・・・・
 こうして,882年に,キエフ大公国が建国されました。
 キエフ大公国は,東スラヴ人,バルト人,フィンランド人が,リューリクによって創設されたリューリク朝の治世下で複数の公国が緩やかに連合していた国で,いまのウクライナ,ベラルーシ,ロシアの各国はいずれもキエフ大公国を文化的祖先としています。
 ところが,13世紀のはじめに,ロシア平原にチンギス汗が起こした大モンゴルがやってきました。大モンゴルは,農耕社会という定住文明に対する破壊者であり掠奪者でした。
 1227年,チンギス汗が亡くなった8年後,チンギス汗の孫のバトゥを総帥として,ヴォルガ川の流域 -ロシア平原- とその西方を征服するため派遣されました。当時,ロシア平原には都市ができつつあったのですが,その代表的な都市モスクワはモンゴル人によって破壊され,人々は虐殺されつくしました。そして,キプチャク汗国が建国されたのです。

 キプチャク汗国によって,キエフは陥落し,キエフ大公国は滅亡。以後,ロシアにおいて「タタールのくびき」(ロシア人などの祖先であるルーシ人の,2世紀半にわたるモンゴル=タタールへの臣従を意味するロシア史上の概念)といわれる暴力支配の時代が259年の長きにわたって続くことになります。
 キプチャク汗国の支配というのは「収奪」でした。キプチャク汗国の権力の実体は、すべて軍事力で,ロシア諸公国の首長を軍事力でおどし,隷従させ,彼らを通じ農民から税をしぼりあげるというものでした。キプチャク汗国がロシア農民に対して行った搾りあげはすさまじいもので,ロシア農民は半死半生になったといいます。
  ・・
 やがて,クリム汗国はイワン三世のロシアと共同でキプチャク汗国を攻め,1783年,エカテリーナ女帝のときに,ロシア帝国に併合されるかたちで,このチンギス汗の末裔の国は滅亡しました。
 こうして,武力のみが国家をた保つという物騒な思想を,ロシア帝国は,かつて自分たちを支配したキプチャク汗国から学び,引き継いだのです。そして,武力を失えば,クリム汗国のような最後をとげるという教訓を得ることになります。
 16世紀になって,はじめてロシアの大平原にロシア人による国ができましたが,その国家の作り方やあり方は,キプチャク汗国が影響します。
  ・・
 ①外敵への異様な恐怖心  ②病的な外国への猜疑心 ③潜在的な征服欲  ④火器への異常信仰    
 ロシアが支配する側に回り国家体制を構築したとき,キプチャク汗国の支配と強烈な被支配の長い体験から生まれたこれらの思想がロシアという国の骨髄まで沁みわたる原風景。
 これが司馬遼太郎さんの考えたロシアという国の姿です。

IMG_4335 (2)


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_9361

######
 朝日新聞の連載小説・多和田葉子さんの「白鶴亮翅」を読んでいます。
  ・・・・・・ 
 「白鶴亮翅」(はっかくりょうし)は,国際色豊かなドイツの首都ベルリンを舞台に,そこに暮らす人々と歴史が交錯する織物のような物語。
 主人公の美砂は,夫とともにドイツに移住したが,その後帰国することになった彼とは別れ,現在はひとりでベルリンに暮らしている。ある日,謎めいた隣人のドイツ人Mさんに誘われて太極拳教室に通うことに。そこで様々な文化的背景を持つ人々と出会い,彼らと交流しながら,大戦前後のドイツと日本の歴史に引き込まれていく。
  ・・ 
 多和田葉子さんはベルリン在住で,10年ほど前から太極拳教室に通っている。
 「敵が攻めてきたときに自分の最大限の力を引き出す護身術でもあるし,健康法でもあると同時に踊りでもあります」。
 そんな奥深さに引かれ,いつか小説の題材にしようと温めていたという。
  ・・・・・・
というのが,この小説がはじまる前に新聞に載った小説の紹介です。
 私は,多和田葉子さんの小説はほとんど読んだことがないのですが,時折新聞に掲載される文章はよく目にします。読んでみるといつもとてもおもしろいものです。
 タイトルの「白鶴亮翅」とは,白い鶴が雪原を跳ねながら翼を広げている様で,太極拳では相手を誘う構えだそうです。

 私が朝刊で毎日目を通すのが,小説と漫画と将棋の観戦記なのですが,この小説はまだはじまったばかりで,ほとんど進展もなく,この先どう発展していくのかわかりません。といっても,もう1月が経つのだから,もう少し時間の流れが早いほうがいいなあというのが単なる私の感想ですが,読みやすく,昼下がりにコーヒーを飲みながらのんびりしているような雰囲気は悪くありません。
 さて,この小説の2月25日と2月26日に,次のような文章がありました。一部,引用します。
  ・・・・・・
  最近はよい翻訳ソフトがあるから翻訳者はいらないという人もいるが,翻訳ソフトには苦手なことがいくつかある。たとえば時間がたつにつれて言葉の意味は変わっていくのに,それを文脈から読み取れないことである。
 東ドイツではコーヒーがなかなか手に入らなかった。だから西ドイツに住む親戚が東ドイツに住む親戚を訪ねる際におみやげとしてBohnenkaffeeを持ってきた,と書いてある。これはコーヒー豆を使ったコーヒーという意味である。
 Bohneは豆,Kaffeeはコーヒーだが、翻訳ソフトに入れると「コーヒー豆」と訳してしまう。しかし「コーヒー豆」はKaffeebohnenである。
 翻訳ソフトにまかせておいたら「西ドイツに住む親戚がおみやげとしてコーヒー豆を持ってきた」という訳文ができてしまう。これでは,挽いたコーヒーではなく豆のままのコーヒーを持ってきた,という意味になってしまう。
 わざわざコーヒー豆でできたコーヒーとことわらなければならない時代的背景を考慮しなければ正確には訳せない。その点,紙でできた辞書はすばらしい。
  ・・・・・・

 多和田葉子さんは1960年生まれだということですが,この年代の人たちが抱く,「翻訳ソフト」にイメージされるようなAIの進歩をある種脅威とみなす,そのことに対する葛藤がこの文章によく表されていて,とても興味深いものでした。
 昨年来のパンデミックもそうですが,人は,自分の知らないことに出会うと,異常に恐れるものです。奇しくも,2月26日の朝日新聞be版「between」には「AIの普及,歓迎しますか?」という特集があって,これを読んでみても,同じような感じを抱きます。こうしたとき,その人がそういったこと,ここではAIのことですが,それを受け入れるか拒否するか,それは,未知のものをどれだけ知っているかどうか,そして,新しいものを取り入れることができるかどうかというそのひとそのひとの性格によって異なります。
 多和田葉子さんは,とても優秀な人だと思うのですが,それでもやはり,この文章から感じるのは,AIに対する拒否反応です。それは,多和田葉子さんと同じ年ほどの将棋の棋士が将棋AIに感じる恐れと同じようなものに思えます。
 私は,逆に,このごろ,AI恐れるに足らず,と思うようになりました。それは,おそらく,将来,どんなにAIが優秀になったとしても,人間でしかできないものは存在すると思うからです。なぜならば,どんなに優秀なコンピュータミュージックができるようになったとしても,人間が演奏する「味」を越えられないのと同じだからです。それは,人間が,コンピュータのように優秀でない,いや,正確でないからこそです。その人間の人間らしいぶざまな「ふらつき」こそが,人間らしさと豊かさにつながっているのです。だから,人間の書く文章も,それがぶざまな「ふらつき」をもっている以上,「翻訳ソフト」には決して越えられない壁があるということになります。
 しかし,この先,そうした壁を越えることができる人間であらねば,AIにとって代わられてしまうことになっていくのでしょう。人が人らしく生きることに,これまで以上に修行が必要な時代になっていくのかもしれません。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

number (2) 雑誌「Number」#1044の将棋名勝負特集!「藤井聡太と最強の一手。」を読みました。
 雑誌「Number」はスポーツを話題にする雑誌ですが,2020年の夏に恐る恐る将棋特集をしたら「望外」に売れて,それで気をよくしたのか,時折,将棋特集をするようになったように思います。
 私は,子供のころ,将棋を指すことに夢中になったことはありますが,現在は完全な「観る将」です。というのも,このごろは将棋ソフトが強すぎてまったく歯が立たないことに加え,将棋を指す時間がもったいないと思ってしまうからです。というのは言い訳で,本当は,私は,将棋というゲームを指すことの本当のおもしろさがわからないのでしょう。
 そんな私でも,藤井聡太竜王の活躍もあって,今はプロの棋士の将棋を見ることは楽しいのですが,それよりも,棋士という一風変わった人たちの生きざまに興味があります。そこで,今回の雑誌の特集も一気に読んでしまいました。

 その中で印象に残ったのは,まずは,「竜王を手繰り寄せた”異常”な終盤。」という記事の中の
  ・・・・・・
 藤井は将棋の神に愛され過ぎではないかとさえ思います。
  ・・・・・・
という文章でした。それは,終盤で,奇跡的とさえ思えるように,盤上の全ての駒の配置と持ち駒がいつも藤井聡太竜王が勝つようになっていることを指しているのですが,私は,藤井聡太竜王の将棋を見ていると,終盤で想定されるさまざまな可能性をあらかじめ読んだ上で,そうした配置になるように,まるで,序盤から長手数の詰将棋をつくるかのごとく将棋を組み立てていると感じるので,奇跡的ではないと思っています。将棋の神に愛されているというより,だれよりも将棋の神を愛しているのでしょう。
  ・・
 今回の将棋特集では,藤井聡太竜王だけでなく,さまざな棋士の話題が豊富でしたが,私がおもしろかったのは,「藤井聡太の”最強の一手”とは?」と題した若手棋士の鼎談と,もうひとつは「毒と理想のはざまで。」という永瀬拓矢王座を取り上げた記事でした。私は,こうした若い棋士たちが藤井聡太竜王の出現で脚光を浴び,その中でもがいている様に魅力を感じます。
 それとは別の意味で,「不屈の王の最後の呟き。」という大山康晴十五世名人を取り上げたもの。時の絶対王者だった大山康晴十五世名人,晩節の悲愴は,私がずっと印象に残っているものですが,最晩年になっても,まだ,若手の前に壁となり立ちふさがっていたその姿を,当時の私は,いい加減にしてよ,と思っていたのが正直な気持ちでした。それが今となっては,晩年の大山康晴十五世名人といったって弱冠68歳のことで,今の私の年齢と大差ないことに,別の衝撃をうけるのです。

 さて,今回の特集は,読みどころ満載だったのですが,この記事を書いた人の多くは,将棋ジャーナリストといわれる人たちで,新聞の観戦記なども書いています。
 毎日連載をしている新聞の観戦記は,何十年もまったく変わらず,というより,昔は結構読みごたえがあったのに,新聞の活字が大きくなったのに面積が変わらないものだからめっきり字数が少なくなってしまい,今や,1日の分量が400字詰め原稿用紙たった1枚程度で,30年前にくらべると約半分。また,このブログの10パーセントから20パーセント程度でしかありません。これでは,書きたいことのほとんどは書くことができないから,「観る将」の人には指し手の解説だけではおもしろくないし,棋士の心理描写を書くだけでは棋譜を記録として読んでいる往年のファンには評判が悪いというように,だれを対象として何を伝えたいのかわからないという中途半端なものに成り下がっているように感じます。
 この特集でこれだけ魅力的な記事が書ける将棋ジャーナリストといわれる人たちの文章力が,薄っぺらな将棋の観戦記ではほとんど発揮できないことのほうが,私には気がかりです。もったいない話です。

DSCN3409

◇◇◇


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_6450IMG_6460

######
 2022年1月16日の朝日新聞のコラム「日曜に想う」に「「地球冷却化」を懸念する人々」と題して ヨーロッパ総局長の国末憲人さんがアイスランドの自然の驚異について書いていました。
 一部,引用してみます。
  ・・・・・・
 アイスランドの小規模火山標高385メートルのファグラダルスフィヤル(Fagradalsfjall)が噴火したのは昨年3月。危険の少ない,極めて平穏な火山活動だった。「自然が手のひらを返すと,私たちは吹き飛んでしまいます。その規模に比べ人間はあまりに小さい。「母なる自然」への畏怖(いふ)の念を忘れてはなりません」
 この国の厳しい環境に身を置くと,その言葉が真に迫る。人類の限界を認識しつつ,しかし運を天に任せることなく,「地球冷却化」に備えたい。経験と教訓を豊富に持つ日本は、その強力な牽引役となるだろう。アイスランドの人々は、そう期待していた。
  ・・・・・・

 この記事は,奇しくも,この記事の前日に,南太平洋のトンガ諸島沖の海底火山の噴火が起きてしまったことで話題になりました。人間は傲慢で,さも地球の支配者のような顔をしていますが,地球の46億年の歴史のわずか1万年にもならない間に生息しているにすぎません。恐竜の生息したいた期間よりはるかに短いのです。46憶年の地球の歴史の中には,大規模な火山の噴火はもとより,大陸移動,隕石衝突,全球凍結があり,それらは人間の手に負えるものではありません。それに比べたら,人間など塵のようなものです。
 そして,世界というか,宇宙が存在していることがわかるのは,自分が生存しているからこそであり,その自分の生存している時間はわずか80年程度のものです。自分の生存しているその塵ほどの瞬間を大過なく過ごすために日々格闘しているのです。
  ・・
 私は,2018年に,この記事のアイスランドに行ったとことがあります。アイスランドに行ってみて,自然の雄大さと脅威を目の当たりにしましたが,それに比べると,この日本という国に住む人は,地震や台風などの災害には常に直面しているとしても,その本当の脅威を知らなさすぎるのではないかと思います。それは,果てしなく続く地平線や不毛の大地を見たことがないからです。
 そこで,人間の力で克服できると錯覚し,護岸工事に精を出し,祠を建てては神に祈り,地鎮祭をやって神の怒りを鎮めたふりをする一方で,平気で破壊を繰り返してるのです。
  ・・
 世界から見れば,この記事にあるように,日々自然の災害に直面している日本は,そうした自然の脅威を克服するために大きな力を持っていると思われるのは当然のことでしょう。であるから,自然の脅威を克服するために積極的に指導的な役割をするように期待されているわけです。
 しかしながら,世界で唯一の被爆国であるのに核兵器の廃絶に先頭に立つことをしないのと同じように,首都東京の再開発には膨大な予算を使い復興五輪とかいう名目でオリンピックまで行っても,災害を受けた地域の復興すらままならず,未だに十分に完了していないのです。
 また,山を崩して土壌が痛んで災害が増すだけなのに宅地開発を推し進めたり,森木を切り開いて太陽光発電所を建設したり,人口が減少してこの先の成長が見通せないのに相変わらず新たな道路や鉄道を作ることに邁進したりと,災害に対して目をつぶり,傍観者となってしまうのはいったいどうしてなのでしょう。

IMG_6265


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_6260

 2021年12月30日の朝日新聞から「住まいとかたち」と題したシリーズがはじまりました。2022年1月1日からはじめるのならともかく,どうしてこの年末の時期からこうした特集が? というのが私にはなぞでしたが,それはさておき,12月30日のこの記事にあった「小さな家」というものに,私はえらく感動し,かつ,うらやましくなりました。
  ・・・・・・
 玄関で靴を脱ぐ。1歩踏み出せば、そこはもうソファのあるリビング。見上げると、寝床のロフトが目に入る。水回りを加えれば、それが折出裕也さん(25)の住まいのすべてだ。
 「ここに住み始めたからこそ、見えてきたものがあったんです」
  ・・・・・・
からはじまるこの記事では,この小さな家の間取りが書かれてありました。私もこんな生活がしてみたいと思ったことでした。

 日ごろ散歩をしていると,いろいろな家が目につきます。ずいぶんとお金がかかっているだろうなあ,という家も少なくありません。その一方で,狭い土地をさらに輪切りにした見た目不便なだけの分譲住宅もたくさんあって,こんなもの売れるのかな,そうまでして持ち家がほしいのかな,と私はいつも思います。この国の景観の悪さは不動産屋さんと住宅デザイナーが原因だと私は確信しています。。
 しかし,そうまでして苦労して手に入れた家の多くは,持ち主が齢をとったころには老朽化し,子供も独立すると,やがては住むには広すぎ,直すにはお金がかかり過ぎとなってしまっていることが少なくありません。空き家もすごくたくさんあります。
 要するに,身の丈を越えているのでしょう。
 家に限らず,狭く,混雑した道路しかないこの国に,まったくふさわしくないような車がたくさん走っています。これもまた,身の丈を越えているのでしょう。

 私は齢のせいか,何もほしいものがなくなってしまいました。動けばいい,を越えた車を欲しいとも思わないし,家を見ても,こんな広い家に住むのは不便だ,と思うようになりました。要するに,若いころに欲しかったもののそのほとんどはいらないものだということが身に染みてしまったのです。
 つまり,人として最大の幸福である「自由であること」が地位や名誉とは正反対のものであるように,ものについても,結局は「断捨離」こそが最大の幸福だったのです。本当に必要なのは,健康とともに知恵だけだったのです。
 なお,今日の写真は京都の下賀神社に復元されている吉田兼好の庵です。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

 

DSCN3358IMG_9563

######
 2021年12月18日の朝日新聞be版に,高樹のぶ子さんのエッセイ「あれから何処へ」で,タングルウッドのことが書かれてありました。その最後の部分を引用します。
  ・・・・・・
 私の心も,生まれてから長くあこがれ続けてきた自由と繁栄のアメリカを離れ,ヨーロッパへと移っていった。
  ・・・・・・
 タングルウッドはボストン郊外にあって,夏になると,ボストン交響楽団がこの避暑地に移動して音楽祭を行います。高樹のぶ子さんがタングルウッドを訪れたのは,小澤征爾さんがボストンを離れる2001年だったそうですが,私が行くことができたのは2013年のことでした。当然,すでに小澤征爾さんはいませんでしたが,タングルウッドにはセイジオザワホールがあり,また,展示室には,小澤征爾さんの資料がたくさんありました。
 小澤征爾さんはボストンの指揮者として功成り名遂げたので,私はどうしてウィーンに移ってしまうのか,当時は理解ができませんでした。それに,小澤征爾さんはウィーンにはなじまないと思いました。

 エッセイにも書かれているように,私も,アメリカに憧れ,ずいぶん旅行をしたものですが,その後,ヨーロッパにも出かけるようになると,アメリカという国こそが世界に開かれた自由の国,というイメージは幻想であるということに気づきました。そしてまた,アメリカに生まれたとしても,日本人は「よそ者」です。いや,日本人に限らず,私のアメリカに住む,台湾人やプエルトリコ人の友人たちもまた,その生き難くさを時々感じます。おそらく黒人の人たちも同様でしょう。
 アメリカでは,スポーツに限らず,ショーを見にいっても,必ずそこで称えられるのは,星条旗を背にした異様なまでの愛国心です。それが決していけないことではないのですが,その根源に垣間見られる,他を排除するような巨大な壁を感じます。
 このエッセイを読んで,これまで私がアメリカを旅するときになんとなく抱いてきたそうした違和感を思い出しました。そして,その後,2018年と2019年にウィーンに行って,2018年にはウィーン国立歌劇場でオペラも見た私は,今では,その当時の小澤征爾さんの気持ちがわかるような気がします。


◇◇◇
レナード彗星。

太陽を回り、夕方の西の空に現れました。
右上は金星です。
IMG_0987tnx


◇◇◇
Cold Moon.

12月の満月は最遠の月でした。
DSC_0871 (3)x


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_0169

######
 今の季節,田舎道を歩いていると,たくさん蝶が舞っています。子供のころ都会暮らしだった私は,憧れていた大きな蝶を目の前にして驚くとともに,うれしくなります。
 さて,そんな折,9月24日の朝日新聞「折々のことば」に「荘子・内篇」から「胡蝶の夢」が紹介されていていました。解説には「私の存在もしょせんは夢なのか,夢ならそれを見ているのはだれか」と書かれてありました。 
 「胡蝶の夢」とは次のものです。
  ・・・・・・
 昔者荘周夢為胡蝶 栩栩然胡蝶也
 自喩適志与 不知周也
 俄然覚 則蘧蘧然周也
 不知 周之夢為胡蝶与 胡蝶之夢為周与
 周与胡蝶 則必有分矣
 此之謂物化
  ・・
 むかし荘周,夢に胡蝶となる。くくぜんとして胡蝶なり。
 自らたのしみてこころざしにかなえるかな。周たるを知らざるなり。
 にわかにしてさむれば,則ちきょきょぜんとして周なり。
 知らず,周の夢に胡蝶となれるか,胡蝶の夢に周となれるかを。
 周と胡蝶とは,則ち必ずぶんあらん。
 これをこれ,物化という。
  ・・
 荘周は夢の中で蝶になった。ひらひらと飛んでいて蝶そのものであった。
 楽しくて思いのままだった。そして自分が荘周であることに気づかなかった。
 急に目が覚めて我にかえったとき,まぎれもなく荘周であった。
 分からない,荘周が夢の中で蝶になったのか,蝶が夢の中で荘周になったのか。
 荘周と蝶には区別があるはずだ(しかし,そうでないのかもしれない)。
 これをまさしく「物化」,つまり,万物の変化というのである。
  ・・・・・・
 本質的にはひとつであるものが見かけ上さまざまに変化することを荘子は「物化」といっているわけです。万物は変化を繰り返し,自分も蝶もその変化のうちのひとつに過ぎず,区別などないということです。

 私は「胡蝶の夢」というと,司馬遼太郎さんの小説を思い出します。この小説は
  ・・・・・・・
 徳川幕府の倒壊と将軍慶喜の苦悩とともに,戊辰戦争で軍医であった松本良順と順天堂出身の関寛斎の姿が描き出されたもの。その一方で,記憶力と語学習得力が抜群でありながら人間関係の構築のまずさで不利を被っている司馬凌海の姿が,この両者と対比させて描かれている。
 明治維新期を医療の目を通して,身分制度批判という観点で書かれた。
  ・・・・・・
というものですが,司馬遼太郎さんは,蘭方医学を学んだ松本良順が,本来自分がめざした職業とは違う姿で封建社会の終わりに生きたことを「胡蝶の夢」と題したのでしょう。

 古典には,よく「浮世」という言葉が出てきます。また「うたかた」という言葉も見かけます。
 「現実」といいますが,「浮世」の「現実」こそ「うたかた」。
 私はこのごろ,果たして「現実」というのは何だろうと,子供のころに思ったことを再び考えるようになってきました。自分が見ていない世界は本当にあるのだろうか? 過去に起きたことは,本当にあったことなのだろうか? と。
 あいまいな記憶は,時として,本当に起きたことと夢だったことがごっちゃになってしまっていることもあります。あるいはまた,意識がなく,肉体が生きているだけの人は,その「現実」がわかるのでしょうか。というわけで,所詮,「現実」というのは,自分の意識の中にあるだけのような気がします。あるいは,「現実」そのものが自分の意識が作り上げた虚像に過ぎないのかもしれません。

 「胡蝶の夢」について,ネット上にもさまざまな解説がありますが,それらには理解が浅いものが少なくありません。思想家の,と大袈裟にいわずとも,いわゆる「文系」的な思考の危ういのは,言葉に酔っているということだと私は昔から思っています。そうした立場でこの「胡蝶の夢」を語るときもまた,「現実」を言葉で表せば,それはすべて言葉の上の遊びでしかなく,それは「現実」ではないのです。
 そうした「文系」的な言葉の遊びではなく,ここでは「理系」的な立場をとって考えてみることにしましょう。
  ・・ 
 物理学では,現象を数式で書き表わしたりモデル化をします。しかし,それは「現実」の姿ではなく,抽象化したものです。(人間が)「電子」と名づけたものは,あくまで「電子」というそのものでしかなく,丸い粒などではありませんし,くるくると自転をしながら原子核のまわりを公転しているわけではありません。それは人間が理解しやすいようにモデル化しているだけです。いわば,数式に酔っているのです。
 物理学では,(人間が)「物質」と名づけたものはすべて(人間が)「エネルギー」と名づけたものの仮の姿であり,いかようにもその姿を変えると解きます。また,目で見える,あるいは,写真に写る宇宙は,そう見える範囲の電磁波でとらえただけのことで,それが「現実」の姿ではありません。しかし,そう考えると,何が「現実」なのか,わからなくなりますし,実際わかりません。

 ところで,私は,「あの世」とか「宇宙人」とか,そういうことはまったく信じていなかったし,今もそうです。がしかし,このごろ,ひょっとしたら,「あの世」とか「宇宙人」に限らず,「この世」も「地球人」も,そういったこともすべて,単なる人間という存在の思考の上の意識だけのことで,一般に正しいとされていることのそれが何であろうとなかろうと,そのすべては「胡蝶の夢」なのではないか,そんなことを思うようになってきました。
 ひょっとしたら,「現実」というもののすべてが虚構にすぎないのかもしれません。なぜなら,宇宙の創成であれ,宇宙の果てであれ,そうしたことは,実際は誰も知らず,もし,未だ人間の知らない正しい理論というものがあったとしたら,それは人間の概念をはるかに超越しているものだろうからです。そしてまた,現在わかっている(と信じられている)理論も,それをどう説明したところで,結局は数式上の遊びでしかないからです。
 結局,「理系」的な立場で考えても同じことでした。
 所詮,万物は「胡蝶の夢」なのでしょうか?


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_2870

######
 小説を読破する根気がなくなりました。テレビの1時間ほどのドラマを見ることさえしんどくなってきました。とはいえ,時間は売るほどあります。そこで,短く,かつ,有名な「古典」をだらだらと読むことにしました。
 そんな中で,今日は,ご存知,夏目漱石の「草枕」です。
  ・・・・・・
 山路を登りながら,こう考えた。
 智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると,安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時,詩が生まれえて,画ができる。
  ・・・・・・
ではじまるこの小説は,夏目漱石が1906年(明治39年),39歳のときに「新小説」に発表したものです。
 若いころに読んだ気もするし,読んでもよくわからなかった気もします。ただ,だれもがそうであるように,冒頭の部分が気に入って,忘れられない小説でした。
 「草枕」は,熊本県玉名市小天温泉がモデルであるという「那古井温泉」を舞台に「非人情」の世界を描いた作品といいます。「吾輩は猫である」の次の作品です。熊本で英語教師をしていた漱石が,1897年(明治30年)の大晦日に友人の山川信次郎とともに熊本の小天温泉に出かけ,そのときの体験をもとに執筆したものといわれます。

  ・・・・・・
 時は日露戦争のころ,30歳の洋画家である主人公が山中の温泉宿に宿泊し,宿の「若い奥様」那美と知り合います。出戻りの彼女は彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面で「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもありました。そんな那美から自分の画を描いてほしいと頼まれますが,彼女には「足りないところがある」と描きませんでした。
 ある日,彼は那美と一緒に彼女の従兄弟で徴集された久一の出発を見送りに駅まで行くのですが,その時,ホームで偶然に「野武士」のような容貌をし「御金を貰いに来た」別れた夫を見つけ,那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあうのでした。
 そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を主人公はみてとり「それだ,それだ,それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」のでした。
  ・・・・・・
というのがあらすじです。
 あまりに有名なものなので,ネット上には,数多くの解説やら感想が満ち溢れています。
 いろいろ読んでみると,それなりに,その感想を書いた人の人生が垣間見えて,それが私にはおもしろいのですが,とにかく,小説というのは,いろいろな人生経験を通してこそ深く味わえるようになるわけです。しかし,そうした人生の深さを若き夏目漱石が書けるというのがすごいことです。

 私が,まず,この小説がおもしろいと思ったのは,田舎の描写でした。
 私は,人のいない自然のたくさんある田舎や旧街道を歩くのが好きですが,私も歩いているといろんなことを考えます。そうしたときに私が感じるような味わいが,そこにはあふれていました。読んでいると,自分も歩いているような気持ちになって落ち着きました。
 ふたつ目には,「非人情」ということばでした。
 主人公のいう「非人情の旅」というのは自由な旅のことでしょうが,自由というのは人との関りを避けるということではありません。山里というのは,人が自然と同化して生きているところであって,人の住む世界から途絶した場所ではないのです。そこで,いくら人の世が住みにくかろうと,漱石のいう「非人情」であろうと,そこから逃げ切ることはできないわけです。ならば,自分はそこに泥臭くはまり込むのではなく,芸術というひとつの線を引いて関わろうとするわけです。つまり,人との交わりに芸術を仲介するということです。漱石はこれを「詩と画」と書きました。
 そして,最後は,小説の終わりの部分「それだ,それだ,それが出れば画になりますよ」でした。
 那美さんが元夫の乗る汽車を見送るときに,今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いていて「それが出れば画になりますよ!」というのですが, 「憐れ」は「別離の哀しみ」ではなく,文字通り「あわれみ」です。そうした人間のもつ感情が出なければ,真の芸術ができないというわけです。
 音楽でも,絵画でも,美しいだけのものは評価されません。俗な言葉ですが,人の性格も「アク」があるといういい方をします。そうした「アク」がなければ,個性が生まれないのと同じです。
 私は以前,傑作というのはどういうものなのだろうと,ずっと考えたことがあります。その結論は,深みがある,ということでした。接したときこころに染みてくるものです。そういう作品だけがホンモノなのでしょう。何度聴いてもまた聴きたくなる音楽,いつまでも見ても見飽きない絵画,自分のこころと同化できる音楽,いつか見た景色を思い出す絵画,そうした忘れられない作品,それこそが傑作なのでしょう。
 那美さんは元夫との別離を通して,自分のこころを表情に出せる深みのある人間になったということです。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

IMG_3510IMG_3553

######
 現在朝日新聞に連載している小説である池澤夏樹さんの「また会う日まで」。その372話には,次のようにありました。
 一部引用してみます。
  ・・・・・・
 「「パーマネントはやめませう」という標語があるでしょ」とヨ子が言った。話題を変えたいのかもしれない。
 「国民精神総動員運動か。もう何年にもなる」
 「でもやまないのよ。みんないろいろ抜け道を見つけて髪型を工夫しています。ドライヤーの電気がもったいないと言われると炭を持参してそれで鏝を暖めてもらうとか」
 「敵性語だからというので電髪と言い換えたな」
 「そんなことでは身を装いたいという女の思いは止められません。髪と言えば近頃は鈴蘭留めというのがはやっています。あの花の形に木で作ったもの。誰かがしていると他の誰かが見てそれどこで買ったのと聞いて買いに行く。洋子もお友だちからひとつ譲ってもらったと喜んでいました」
 それを聞きながらわたしは考えた-
 女たちの化粧や身繕い,着る物のことなど俗世間の些事にすぎないと男どもは思いたがる。しかしこれは軽佻浮薄ではなくもっと深い,生き物としての本能に発するものだ。すべての動物と同じ。雌は雄から選ばれなくてはいけない。そうしないと子を産めない。だから雄の側も胸に勲章など飾りたがる。
  ・・・・・・

 「また会う日まで」は,戦前戦中に海軍水路部で海図の製作などを担った秋吉利雄が主人公です。秋吉利雄は池澤夏樹さんにとっては父方の祖母の兄にあたる実在の人物ということです。
 作品を書くにあたって朝日新聞には次のように作者の言葉が載っていました。
  ・・・・・・
 秋吉利雄を主人公にすると決めた理由は,三つの資質があるから。まず子どものころから敬虔なキリスト教徒。次に海軍軍人。そして天文学者でした。これらが、いかに彼の中で混じりあっていたか,あるいは戦いあっていたか。
 親族から提供された手紙なども含め,膨大な資料があります。ファクトを尊重しながらその隙間を創作で埋める。いかに彼の内面を推察するかが工夫のしどころです。
  ・・・・・・

 私は齢をとって根気がなくなり,小説が読めなくなってしまいました。そこで,新聞小説も熱心な読者ではなくなりました。しかし,この小説は,私の好きな天体観測の話が出てきたあたりから興味をもって読みはじめ,それがきっかけではじめに戻って読み直してみました。しかし,時に難しく,私の能力を超えてしまうのが残念です。
 それでも,なんとなく,この作品を通して,池澤夏樹さんが何を書きたいのかがおぼろげながらわかってきました。そのひとつは,現実を直視するということの大切さです。そして,自分の信条に正直に生きること,それがいかに困難なことか,ということだと思います。
 先日,池澤夏樹さんは,「「ウソにまみれた五輪」感動の消費で終わらないために」として,次のような内容の文章を朝日新聞に寄せました。
  ・・・・・・
 最大のウソは,日本政府が「国民の命と安全を最優先する」と言い張り,五輪開催に伴う新型コロナ感染拡大のリスクを無視し、開催を強行したことです。
  (中略)
 相反する行動が求められることを,同時に実施してしまった。これが最大のウソです。
 こうしたウソに対する疑問に,政府やIOCはまともに答えることをせず,ウソを広げ,「やった者勝ち」に持ち込んだ。マスコミも国民もみんな,なめられていたのです。
 近年の日本政治の劣化は著しいですが、それが具体化して表れ出たのが東京五輪だったといえるでしょう。
  ・・・・・・

 私は,ここに書かれた日本政治の劣化というのは,ものを言わない,ということが最大の問題だと思います。すべてなし崩しにしてしまう。そして,意見を言うまえに罵倒し,あるいは無視し,力づくで強硬することです。これこそが,コロナ禍以上の「民主主義の崩壊という緊急事態」なのです。奇しくも,政治はそのことを知ってか知らずか,「緊急事態宣言」が大好きです。そしてまた,絶対に非を認めないのも歴史を学べば容易にわかります。
 現実を直視すれば,人それぞれそれ異なる意見が生まれます。そして,その異なる意見を言い合って,共通点を見つけ,解決するというのが,民主主義の基本です。それを否定してしまって,さらには自分の意に反する人を愛国心がないと決めつけていることこそが,この国の政治の一番の問題だと私は思います。
 だから,したたかな庶民は,聞いたふりをして,しかし,実際はみんな自分たちが意見を出し合って決めたことではないから,だれもそんなものには従わずに勝手にふるまっている。そもそも,一国の首相を決めたのは国民の投票じゃないのに,その人物が独断で物事を決め,人の意見を聞く耳をもたない。
 だから,庶民は「オリンピックやるんだからなにやっちゃってもいいじゃん」という感じでしょう。
 これでは何も解決しません。


◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

💛
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

DSC_011651qVGLmmicL._SX331_BO1,204,203,200_A1A8aDLlZTL._SY600_

######
 朝日新聞の読書欄で宇宙物理学者の須藤靖さんの紹介する本は,そのどれも私には興味深く,読んでみたいと思うものばかりであることに,喜びを感じます。
 そんな本のひとつが,5月22日に紹介された「数学に魅せられて,科学を見失う 物理学と「美しさ」の罠」という本でした。この本は原題を「Lost in Math : How Beauty Leads Physics Astray」といい,著者はサビーネ・ホッセンフェルダー(Sabine Hossenfelder)という 量子重力理論などを専門とする理論物理学者です。

 本の内容は
  ・・・・・・
 物理学の基盤的領域では,実験で検証されないまま理論が乱立する時代がすでに30年以上の長きに渡っていて,既存の理論を超えようとしては失敗し続けてきたと著者はいう。
 それら理論の正当性のよりどころとされてきたのは,数学的な「美しさ」や「自然さ」ということだが,なぜ多くの物理学者がこうした基準を信奉するのか? 革新的な理論の美が前世紀に成功をもたらした美の延長上にあると考える根拠はどこにあるのか? そして,超対称性,余剰次元の物理,暗黒物質の粒子,多宇宙… なども,その信念がはらむ錯覚の産物だとしたら? 
 研究者たち自身の語りを通じて浮かび上がるのは,一般の人が抱く,物理学の究極に向けて進撃を続けるイメージとは異なり,空振り続きの実験結果にとまどい,理論の足場の不確かさと苦闘する姿である。
  ・・・・・
というものです。
 つまり,「物理学は数学の美しさのなかで道を見失っているのだろうか? と本書は探針を投じるのです。

 理論物理学は,実は,かなり前から行き詰まっていて,それは「実験の大規模化」がひとつの要因ということです。
 日常のエネルギースケールで発見できることは発見し尽くされてしまい,ここから先に進むには,さらに巨大な実験装置を建設しなければならないのですが,それが地球の規模を越えるところまで来てしまったのです。それはまた,天文学も同じです。
 また,このごろ話題となっている素粒子物理学や宇宙論で発表されてきたヒッグス粒子や重力波などの数々の理論は,20世紀の半ばに予言されていたものが今になってようやく観測されたものであって,ここ30年間に発表された理論ではないのです。
 そこで,それ以降の理論は未だ実証されていないのですが,そうした理論を多くの物理学者が正しいと「確信」している理由,それは「美しい」からだというのです。物理学者が「美しい」と思うのは
  ・・・・・・
①理論がシンプルであること(simplicity)
②理論のなかに恣意的に見える定数値や極端に大きかったり小さかったする無次元量が出てこないこと(naturalness)
③その理論によって一見無関係な対象や分野が思いがけないかたちでつながること(elegance)
  ・・・・・・
なのだそうです。

 では,理論的であるはずの物理学で,理論が「美しい」などいう主観的な基準で正しいと信じられるその根拠は,ケプラー、ニュートンの時代からずっとそれでうまくいってきたから,ということだそうです。しかし,実際には,現代の理論は,超対称性理論にしても「美しい」形の理論は保持できていないのです。
 そこで,もはや「美しい」という基準に頼るような理論の構築はうまくいかないのではないか? ということになるわけです。「美しい」という基準を科学に持ち込むことについて,物理学者たちは無反省すぎるのではないかと,著者は語るわけです。
  ・・・・・・
  Someone needs to talk me out of my growing suspicion that theoretical physicists are collectively delusional, unable or unwilling to recognize their unscientific procedures.
  ・・
 理論物理学者たちは,総体として自己欺瞞的であって,自分たちが非科学的な手続きをとっていることを認めたがらないか,あるいは,その能力がない集団なのではないか。そういった私の中に膨らむ疑念をだれかに晴らしてもらわないといけない。
  ・・・・・・

 私は,以前にも書いたように,人類が作り上げた「数学」を使用することで物理学がこの世の現象を語ることができる,というのは幻想であって,創造主は人類にそんな能力を授けてはいない,と思っています。これまでの歴史が語るように,「美しい」という数式で一旦は認知された理論が,その後に覆され,そして,複雑化していく様が,まさにそれを実証しているように思えます。そもそも,素粒子が現在予想されているようにたくさんあるわけがないでしょう。これまでの理論が破綻すると,新たなものを想定する,そんなことを繰り返しているのは,むしろ,真実から遠ざかっているだけのように,私には感じられます。
 創造主は,人類が現在想定している理論のような,そんな複雑なものは作っておらず,この世の現象はもっと単純に,それこそ「美しく」書き表せるのだ,と私は思っています。しかし,その真実にたどり着けないのは,人類にはそんな能力が授かっていないからなのでしょう。
  ・・
 現在,宇宙全体の質量のうち,人間が知っているものはわずか5パーセントにすぎず,わからない残りの95パーセントは,26.5パーセントのダークマターと68.5パーセントのダークエネルギーが占めているということです。しかし,そもそも「ダーク」(dark)というのは「わからない」の意であることから,実は何もわかっていないのであり,それを煙に巻いて,ダークマターとかダークエネルギーと名づけることで,一般の人に,さも,わかっているかのように錯覚させているだけで,実際は,人類はそのほとんど何も知らないのです。
 …というようなことを私はこれまでずっと思っていたのですが,この本は,そうした私の思いを語ってくれていることに,意を強くしました。

◇◇◇
Thank you for coming 330,000+ blog visitors.


◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

💛

m35094122255_1

 「アサヒカメラ」に続き,今度は「日本カメラ」という雑誌が休刊となり日本カメラ社が解散してしまうそうです。
 私は「日本カメラ」という雑誌を買ったことはありませんが,日本カメラ社が発行した「京都撮影紀行」という本を購入したことがあります。発行は平成6年5月ということなので,西暦では1994年,今から27年前のことです。
 この本は,今も手元にあって,時折眺めて楽しんでいます。
  ・・
 昔はよかった,ではないですが,京都はこのころが一番よかったように思います。その当時,今のように京都に詳しくなかった私は,ニコンF3というカメラを持って京都に行っては様々な寺社仏閣を訪れて写真を写すのを月に一度の楽しみとしていました。
 どこを訪れても適当に観光客がいて,活気と秩序がありました。そんな町を気の向くまま歩いては,今とは違ってフィルムを入れるカメラに単焦点のレンズをつけて,1枚1枚,ゆっくりと構図を決めて自分でピントを合わせてシャッターを押すのです。そして,家に帰ったあとでフィルムをカメラ店に持っていき,仕上がりを待つのです。
 本当にいい時代でした。

 その後,ネットワーク社会が到来して,それとともに,外国人観光客が大量に日本に訪れるようになり,京都もまた,すごい人混みとなりました。そんなころ,カメラもフィルムカメラからディジタルカメㇻになり,やがて,スマホが普及しました。ディジタルカメラでは,ズームレンズをつけて,撮りたいものに向けてはどんどんとシャッターを押して,その場で確認して,納得がいくまで何度も何度も写真を撮り直ずことができるようになりました。また,今では,ほとんど人は,カメラではなく,スマホで,だれでも簡単に写真が撮せるようになりました。
  ・・
 しかし,考えてみるに,私は,当時のフィルムカメラのままの機能と性能で,フィルムが受光素子に代わっただけのディジタルカメラがあれば,それで十分であるような気がします。ピントもオートでなくていいし,ズームレンズも要りません。そのほうが,ずっと写真を写す楽しみがあります。
 京都もまた,そのころのほうがずっと魅力があったように感じます。
 果たして,この27年を「進歩」というのでしょうか? というか,そうした「進歩」が,旅を,また,写真を撮ることをより楽しいものにしたのでしょうか?
 私を含めて,そんな「進歩」に頭がついていけない人があまりに多く,社会は混とんとした様相を呈しているだけのように思います。
 そんな時代に,古きよき時代の友であった雑誌が,またひとつ終わりを迎えました。

画像 157


◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

💛

DSC_7981DSC_0226DSC_0315DSC_0386DSC_0219

######
 いささか古い話ですが,2018年に「団地の給水塔大図鑑」という本が出版されていたようです。
  ・・・・・・
 給水塔の世界はこんなにも華やかだ! 「団地にある給水塔」だけを400基超収録した史上初のデータベース。色も形も個性豊かに,団地の暮らしを支える塔たちの美しい姿をご覧ください!
  ・・・・・・
というのが紹介で,著者の小山/祐之という人は,団地の給水塔を鑑賞する「日本給水党」をWEB上で結党し,北海道から沖縄まで日本各地の団地にある給水塔を巡り続けているといいます。
 給水塔は,団地などの高い建物の水道の水圧を確保するために建てられた塔ですが,現在は技術の進歩で給水塔を使わなくても水圧が確保できるので,減少の一途をたどっていて,いわば絶滅危惧種ということです。
 この本によれば,どの建物も画一的である団地のなかで,この給水塔だけがシンボル的な存在として,デザインが工夫されていて,ボックス型,とっくり型,円盤型などに分類されるといいます。
  ・・
 私はこれまで給水塔など,美観を台なしにするだけの存在だと思っていただけに,これは意外でした。しかし,よくよく考えて見れば,こんな発想はすてきです。目のつけどころがいいです。何でも,この本をきっかけにして,給水塔を見て回る愛好者が増えているとか。愉快な話です。
 楽しいことは,身の回りにいくらでも転がっているものです。

 いや,今日のブログはこの本を紹介するのが目的ではありません。
 給水塔といって私が思い出すのは,アメリカのマザーロード「ルート66」沿いにある小さな町です。「ルート66」沿いには,およそどの町にも給水塔があって,それこそ給水塔がその町のシンボルとなっています。何もない大草原を走っていると,やがて給水塔が見えてきます。それが町に近づいたしるしです。
 私は給水塔を意識して写したのわけではなかったのですが,これまで写した写真を改めて探してみると,給水塔の写真が出てくるわ出てくるわ。こんなことなら,キチンと給水塔を写してくればよかったと,少し後悔するこのごろです。
 しかし,なぜ,アメリカの「ルート66」沿いの町にはどこも給水塔があるのでしょう。私はずっとそれを疑問に思ってきました。調べてみると,それは次のような理由だそうです。
  ・・・・・・
 そう,砂漠です。骨みたいにカラッカラです。水がないのです。
 しかし,その砂漠も,X線探知機で探してみれば,その土地の地下には,hueco(スペイン語で「穴」の意),mesilla(スペイン語で「棚」の意),bolso(スペイン語で「財布」の意)とよばれる湖や川が横たわっています。そこで,土の中から水を汲み上げて貯水タンクに貯めるのです。こうして,貯水タンクには100万ガロン以上の水が溜まっています。重力による水の重さが魔法のように働いて,ポンプやコンプレッサーを使わずに水圧を作り出します。
 水が少ないので,町では水の使用は制限され,高価でリサイクルされています。 
  ・・・・・・
ということでした。
  ・・
 そういえば,オーストラリアも水がないのですが,オーストラリアでは給水塔ではなく,それぞれの家屋に巨大な雨水タンクがあります。おそらく地下にも水がないからでしょう。しかし,あまりに日照りが続くとタンクに水がなくなり,そうなると,水は購入しなければならなくなるそうです。

DSC_0326


◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

💛

51+yc4KG0pL._SX338_BO1,204,203,200_

 時折出版されるその道の偉大な人が書いたエッセイほどおもしろいものはありません。とにかく,経験に基づく優れた慧眼に思わずハッとさせられ,また,賢くなった気がするからです。
 そんな本が朝日新聞の書評にあったので,久しぶりに本を購入して読んでみました。題名はエッセイ集「物理村の風景」。著者は亀淵進,筑波大学の名誉教授,専攻は物理学ということです。
  ・・・・・・・
 坂田昌一に師事し,朝永振一郎に傾倒した物理学者のエッセイ選。湯川秀樹,ボーアのみならずさまざまな人との邂逅を洒脱なタッチで描き出す。
  ・・・・・・
というのが,本の紹介で,朝日新聞の書評には,東京大学教授で宇宙物理学を専攻する須藤靖さんが次のように書いていましたので,抜粋して引用します。
  ・・・・・・
 第2次世界大戦下にあっても,日本の素粒子理論物理学者は独創的な研究を継続していた。その薫陶を受けた世代は,その後,欧米に渡り世界的に活躍できた。そのひとりが93歳になられる著者で,東京教育大学で朝永振一郎とともに素粒子理論研究室を主宰した。
 本書は,物理学の巨人たちと著者との個人的な交流を縦糸,趣味の音楽を通じて知り合った人々との出会いと別れを横糸として綴られた色とりどりの織物のような珠玉のエッセイ集だ。
 古きよき時代に研究人生を心から楽しまれた様子が「物理村」というタイトルに凝縮されている。私にとっては教科書でしか知らない歴史的物理学者たちが、等身大の「村民」として登場することに驚かされた。
 それにしても,ゆったりと流れる時間の下で生活を楽しみながら研究できていた,半世紀以上前の物理学者たちが心底羨ましい。
  ・・・・・・

 話は飛躍しますが,このような立派な人は,こうした書物からだけで知っているほうがいいなあ,と私はこのごろ思うわけです。それは,もしお会いしたとしても,実際はものすごく怖い人だったりするかもしれないし,私のような底の浅い人間では,お話するような話題もないからです。私の尊敬する吉田秀和という音楽評論家の大先生も,実際はとても厳しい人だったと聞きます。
 というのは余談としても,何かに秀でた人は生きること自体が真剣で深みあるから,専門のことだけでなく幅広い教養があるので,そうした人の書いたものがつまらないわけがありません。
  ・・
 この本に書かれたものの中で,「ウィンストン・チャーチルが私の存在を認識したこと」という一文がありました。ある日,著者がロンドンで歩いていて黒塗りの車にぶつかりそうになって,車の中を覗き込んだらウィンストン・チャーチルが乗っていた,というお話です。すると彼は「「これはどうも失礼」と言わんばかりに,私に向かって軽く会釈したのである」とあって,最後に「ロンドンでは,こういう偉い人に偶然出会うことがしばしばだったが,東京では皆無である。どうしてなのか」と結ばれていました。これを読んで,私はあることを思い出しました。
 昔,学習院大学で開催されたある会議に出席したとき,講堂を出ると,ガードマンに止めるめられて,今から宮様が通られるからそれまで待つように,と言われたのです。それは,当時の皇太子,現在の天皇陛下が,ビオラの練習で大学を訪れたということでした。そして,車を降りた皇太子は,私が立ち止まっているのをご覧になって,まさに,「「これはどうも失礼」と言わんばかりに,私に向かって軽く会釈したのである」ということがあったのです。
 つまり,必ずしも,「東京では皆無である。どうしてなのか」というわけでもないのです。
 自分の経験を一般論に広げてはいけませんよ,先生(笑)。というのは冗談として,私にもよく似た出来事があったということだけで,先生と何かお近づきになれたような気がして,とてもうれしい文章でした。


◆◆◆
過去のブログの一覧は ここ をクリックすると見ることができます。

💛

無題 (2)

 みつはしちかこさんの叙情まんが「小さな恋のものがたり」の第43集が出版されたとき,これが最後だという触れ込みだったので,
  ・・・・・・
 人はだれもが老いるのです。永遠はありません。だから,終わりがあるのです。
 そういう意味でも,第43集が発行されて,ちゃんとおしまいにすることができたことは,寂しくもあり,喜ばしいことでもあると思います。
  ・・・・・・
と,このブログに書いたものですが,その後,第44集が出版され,この度,さらに第45集が発売されました。

 「小さな恋のものがたり」は,みつはしちかこさんによる連続したストーリーのある4コマ漫画集で,背が低いことを気にしている女の子チッチ(小川チイコ)と背が高くハンサムなサリー(村上聡)の恋愛模様を描いた作品です。 
 1962年に当時あった雑誌「美しい十代」に連載が開始され,はじめて単行本としてまとめられて出版されたのが1967年というから,連載開始から58年,単行本の第1集の出版からはなんと53年になります。
 単行本は2007年の第41集までは毎年出版されていたのですが,そ以後中断し,4年後の2011年に42集が,その3年後の2014年に第43集が刊行されて,完結したはずだったのです。
 しかし,2018年に第44集が出版され,今回が第45集となります。
 第45集の紹介は次のとおりです。
  ・・・・・・
 サリーを想いながら過ごす“その後のチッチ"のものがたり。
 1962年に「美しい十代」で連載を開始して以来,ピュアな恋のストーリーと抒情的な描写で多くのファンを魅了し続けている「小さな恋のものがたり」。主人公の高校生チッチは,2014年発行の「小さな恋のものがたり第43集」で突然ボーイフレンドのサリーがスウェーデンに留学してしまい,恋にひとつの区切りをつけることになりました。
 第45集は,サリーを想いながら過ごすチッチの日常を四季折々の風景とともに描いた「その後のチッチ」の第2弾。親友のトンコなどクラスメイトたちとの心温まるエピソードのほか,マリちゃんのお兄ちゃんなど新キャラも。
  ・・・・・・

 いつも「閉店セール」をしている洋服屋さんのように,「小さな恋のものがたり」は,毎年刊行されていたころより,これでおわりだというようなあとがきがたびたび書かれてあったものですが,そんなことはお構いなしに延々と続き,第43集で「完全閉店セール」となったのにもかかわらず,それでもまだ続いています。
 私の手元には第1集から揃っているので,新刊が出たら揃えるしかないとばかり,この第45集もまた自然にすでに私の手元にあるのですけれど,まあ,今,この本を楽しみにしている人の多くはそんな人なのでしょう。若い人は,この作品の存在すら知らないかもしれません。
 しかし,これで終わりだろうと終わりでなかろうと,何度閉店セールをしようと新装開店セールをしようと,もはやそんなことは一切関係なく,このあわただしい社会の変化もまた関係なく,静かに流れる小川を時間を忘れて眺めて幸せに浸るような,そんな心地よさと変わらぬ安心感を抱きます。
 それにしても,私がわからないのが,どうして突然サリーが去ってしまった先がスウェーデンなのかということです。おそらくは手の届かないほど遠くということなのでしょうが,突拍子もないというか,スウェーデンでなければならない必然性がまったくわからないというか,あまりの意外性にとまどいます。と,そんなことを思いながら現実にもどれば,この時代,コロナ禍でもなければ,地球上のどんな地の果てであろうと,1日もあればすぐに飛んでいけるわけだし,今や,インターネットを通していつでも相手の顔を見ながら直に話もできるわけで,地球上の物理的な距離など遠いものでもありません。だから,これもまた,そんな現実とは無縁の古きよき時代のお話なのでしょう。
 「サザエさん」ともども,漫画の世界では,社会の変化も科学技術も関係ないし,登場人物が歳をとらないことを,ことのほかうらやましく思います。そうそう,朝日新聞の朝刊に連載している連載漫画「ののちゃん」は,絶対に意識してこのコロナ禍の時代にあえてそれをまったく無視して変わらぬ日常の世界を描いている(と私は思っている)ことに共感を覚えます。

◇◇◇

💛

411248EY0TL

 2016年,アメリカ合衆国50州制覇を遂げるまで,ほぼ,アメリカ以外には興味がなかった私は,その呪縛が解けて以来,まず目を向けたのが,南半球の星空とハワイでした。さらに,NHKEテレで放送された語学番組「旅するドイツ語」の舞台となったオーストリア・ウィーンを見て,急に行きたくなったヨーロッパでした。
 そこで,2017年から2019年にかけて,アメリカ本土に加えて,南半球のオーストラリアとニュージーランド,ヨーロッパのオーストリア,フィンランド,エストニア,そして,ハワイのマウイ島,モロカイ島など,何かにとりつかれたように,足を運びました。
 コロナ禍の今にして,この3年間で,私は,行きたいと思っていた海外の場所のそのほとんどに行くことができたのは,まさに,奇跡でした。
 それらの場所の多くは,また,行く機会があれば,ぜひ行ってみたいと思うところでしたが,その中でも,とりわけ奥が深い,魅力のある場所はオーストリアでした。

 旅行とともに,私が大好きなのは,クラシック音楽を聴くことです。モーツアルト,ベートーヴェンなどの古典派の作曲家はもちろんですが,私がよく接する曲は,ブルックナー,ブラームスなどの作曲家の作品です。以前,ブルックナーとマーラーが同じように語られたことがあって,私も,その影響で,マーラーの音楽を好んで聴いていたことがあるのですが,墨絵のようなブルックナーの音楽に比べて,色彩豊かなマーラーの音楽からは,しばらく遠ざかっていました。
 2018年にはじめてオーストリアのウィーンに出かけて,マーラーの住んだ家や,墓,また,マーラーが指揮者として活躍していたウィーン国立歌劇場などに訪れて以来,再び,マーラーに対する興味が戻りました。このころはまだ,クリムト,シーラなどの美術も知らなかったし,学生時代に世界史をほとんど習わなかった私は,ハプスブルグ家もわかりませんでした。それが,そうしたことに触れ,また,世紀末ウィーンという,それまでは言葉くらいしかしらなかったこの歴史を知るにつけ,この地の文化の奥深さに感動し,それとともに,マーラーの音楽が,そうした時代すべてを反映していることに驚くとともに,そのすばらしさを再発見したのです。

 そんな折に知ったのが,岩波現代文庫「マーラーと世紀末ウィーン」という本でした。
  ・・・・・・
 マーラーの作品の真の新しさやおもしろさは,世紀末ウィーンの文化史全体に目を広げてはじめて明らかになる。著者は同時代人クリムト,ワーグナー,フロイト,アドラーらの活動をも視野に入れ,彼らの夢と現実のありようを描きだす。また,現在,彼の音楽のどのような側面が注目され,それが現代文化のいかなる状況を表現しているのかを問う。
  ・・・・・・
という内容のこの本は,私が知りたかったことが網羅されたすばらしいものでした。
 この本はすでに絶版となっていますが,幸運にも私は,新古本を手に入れることができました。
 読んでいると,この時代の文化が私のこころの中に溶け込んでくるようで,本当に幸せになれます。ウィーンで,音楽だけでなく,多くの美術品なども見てきて本当によかったと思うし,マーラーの音楽の本当の意味もやっとわかりかけてきたように感じます。
 この本は,いつも持ち歩いていて,時間があれば,手に取ります。そうすることで,少しでも,この時代のかおりを味わうことができる気がするからです。

2019-11-29_00-23-17_994 (2)

◇◇◇

💛

このページのトップヘ