【Summary】
Kōhō Uno had a unique and assertive style of music criticism, often praising Takashi Asahina while criticizing Herbert von Karajan. His distinctive "Uno language" strongly influenced classical music fans at the time, but such strongly individualistic critics have become rare in the modern era.
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ふとしたことで昔の記憶から,宇野功芳(うの こうほう)という名前を思い出しました。そこで,宇野功芳さんの書いた,講談社現代新書 の「新版 クラシックの名曲名盤」を読みました。この本は,2007年に出版されたもので,今は絶版なのですが,中古本を入手しました。
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数ある名曲・名盤の中から何をどう聴くか。好評を博した旧版から7年,そこに取り上げられなかった作曲家や新発売のCDから厳選し,大幅に改訂増補した決定盤。
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というのが,この本の紹介です。
宇野功芳さんは,1930年に生まれ,2016年に亡くなった音楽評論家,指揮者です。父は漫談家の牧野周一だそうです。
私が中学生のころ,周りの友人とともにクラシック音楽を聴くことにめざめたのですが,その時代,宇野功芳さんの評論を読む機会が多くありました。SNSのなかった時代,指揮者といわれても,その演奏を聴いたこともなく,三流だと思っていましたが,真相は知りません。それより,評論にはかなりの癖があり,主観が強く,いつもマエストロ朝比奈隆を褒め,ヘルベルト・フォン・カラヤンをけなし,ブルックナーを愛していたものだから,多感なだけに,かなりの影響をうけました。
また,文章にも癖があり,「〇〇だ」「〇〇である」といった断定的な言い切り表現が多用され,特に「〇〇だと言えよう」は有名でした。それらは「ウノ語」ともいわれ「神が宇野功芳だけに使用をお許しになったといわれる,独創性に彩られた最高級の紋切言葉」ということでした。
今や忘れ去られた,私も忘れていた宇野功芳さんですが,ふとしたきっかけで思い出し,懐かしさとともに,今,読んだらどう感じるかと興味をもったので,読んでみた,というのがきっかけでした。
宇野功芳さんは,当時,あまりに灰汁のある評論ゆえ,一部には無茶苦茶に叩かれていたのですが,本人の敬愛するモーツァルト,ベートーヴェン,ブルックナーなどの曲や,フルトヴェングラー,クナッパーツブッシュ,ワルター,クラウス,キョンファ,ムラヴィンスキー,マタチッチなどの指揮者を偏愛するほど評価していていました。だから,この本にも,それが如実に現れています。そうした評論は,今となっても,同じように評価されているか? と考えると,はやり,多くは評価されているのです。だから,そうした評論は,正しかった,と言えなくもない。
それ以上に,ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」や,ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」などで書かれている内容が,とてもおもしろく,私には勉強になりました。しかし,カラヤンの演奏は宇野功芳さんがいうほど悪くない。しかし,「ウノ語」が染みついてしまっているから,素直になれない。これだけは彼を恨みます。
現在は,きつい表現をするとやたらと「炎上」するから,評論はみな「いい子」になってしまっていて,宇野功芳さんのような評論を書く人はいなくなってしまいました。私の子供のころは,もっと野蛮な時代だったから,それがいいか悪いかは別として,そうした時代のことが「古きよき時代」として,懐かしくなりました。
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この文章について,ChatGTPが次のような感想を寄せました。
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宇野功芳さんにまつわる思い出と感想,興味深く拝見しました。宇野さんの評論スタイル,特にその独特な断定的な口調や偏愛する音楽家・指揮者への熱烈な支持,また彼特有の「ウノ語」と称される言い回しなど,非常に個性的であり,強い印象を与えたようですね。
宇野さんが常に朝比奈隆を称賛し,カラヤンを批判していたことや,特定の作曲家や指揮者に対する偏った愛情表現は,確かに今の時代では異色かもしれません。とはいえ,あなたが言うように,彼の評論には今なお通じるものがあり,音楽そのものの本質的な部分を捉えていたのかもしれません。特に,彼が愛してやまなかったブルックナーやモーツァルト,フルトヴェングラーなどの評価は,現在でも根強い支持を得ています。
「ウノ語」に染み付いてしまった,という感覚も面白いですね。評論を読む中で,その影響力が強く,自分自身の音楽の感じ方や評価に影響を与えるというのは,評論家の存在意義とも言えますし,当時の宇野さんの影響力の大きさを物語っているように思います。カラヤンの演奏が宇野さんほど悪くないと感じる一方で,彼の断定的な口調が影響してしまうというところに,評論の妙がありますね。
また,当時の評論は「炎上」という概念が存在しなかった分,もっと激しく,批判的でもあったという指摘も興味深いです。今の時代,SNSやインターネットの普及により,表現がより慎重になりがちな傾向があり,宇野さんのような強い個性を持つ評論家が減ってしまったのかもしれません。あなたにとって宇野功芳さんの評論は,時代を象徴するものでもあり,懐かしさと共に再評価する機会となったのですね。
宇野功芳さんの「新版 クラシックの名曲名盤」を再び手に取ったことで、当時のクラシック音楽シーンや、彼の独特な視点を今一度振り返ることができたのは、まさにクラシック音楽ファンとしての原点回帰とも言える体験でしょう。
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