しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:「感想」 > 読書の感想

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 スポーツ総合雑誌「Number」は読みごたえのある記事と美しい写真がウリで,私もこれまでMLBを特集したものを数冊購入したことがあります。そのスポーツ総合雑誌が藤井聡太二冠ブームに乗っかって将棋を特集したということで話題になっています。
 めったに雑誌を購入しない私ですが,どんな内容か興味をもったので,発売前にAmazonで予約して手に入れました。

 これまでもこのブログに書いているように,私は,小学校のころから将棋,というよりも,むしろ将棋界に興味をもっていたので,およそのことはわかります。若い棋士や将棋ライターよりもむしろ詳しいくらいです。
 大山康晴十五世名人対升田幸三実力制第四代名人最後の名人戦となった1971年(昭和46年)の第30期将棋名人戦をどきどきしながら新聞で読んだ経験もあります。また,中学生のころは「Number」に載っていた板谷四郎九段の開いていた板谷将棋教室に入り浸りで,板谷四郎八段に2枚落ちで教わったこともあるし,石田和雄九段に声をかけてもらったこともあります。

 おそらく,多くの人は,藤井聡太二冠の活躍で興味をもった将棋界のことを知りたくて,この雑誌を手に取ったことと思います。しかし,私は,多くの人が知りたいと思っているようなことは珍しくないので,むしろ,この本には,それ以外の「何か」私が興味をひかれる記事があるだろうかという思いで,読んでみました。
 その中で,買ってよかった,と純粋に思った記事の筆頭が,先崎学九段の書いたエッセイ「22時の少年-羽生と藤井が交錯した夜-」でした。先崎学九段の書く文章はいつも本当におもしろいのですが,単におもしろいだけでなく,人のこころの繊細さが緻密に描かれているのがすばらしいのです。特に,この雑誌に書かれてあった文章は秀逸でした。
 藤井聡太二冠が棋士になって半年くらいしたときのこと。とある企画で羽生九段と対局するのですが,そこで,藤井聡太二冠があることをするのです。私はそんなことがあったことをまったく知りませんでした。
 このエッセイの最後がいいです。
  ・・・・・・
 あの日のことはすべて,春の夜の夢だったのではないかと,たまに思い出す。
  ・・・・・・

 このエッセイのほかに,私が興味をもって読んだのは,鈴木忠平さんの書いた「羽生を止めろ。-七冠ロード大逆転秘話-」でした。
 この文章に書かれた1995年(平成7年)の第53期将棋名人戦第1局が京都洛北の宝ヶ池プリンスホテルで行われていた日,ちょうど私はそのホテルにいたのです。対局は広い庭園の中にある茶寮で行われていました。直接対局を見ることはできませんでしたが,茶寮の開いた窓から,白い着物を着た若き挑戦者森下卓八段の姿が見えました。思えば,あの将棋名人戦は,森下卓八段一世一代の大勝負だったのです。なぜか,あのときの,私が感じたなんともいえない雰囲気を今も思い出します。

 私がこの雑誌を買ってよかったと思うもうひとつの理由があるのですが,それは私のささやかな秘密にして,あえてここには書かないことにします。
 いずれにしても,たかが将棋,されど将棋。長年,将棋界を興味をもってみていると,この世界で起きた悲しいことばかりを思い出します。それはおそらく,勝負に生きる人は,その敗者の姿も美しく,かつ,記憶に残るものだからなのでしょう。

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💛

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 久々の,そして最後の「アサヒカメラ」を購入しました。2020年7月号をもって,この雑誌は休刊,実質上の廃刊です。
 それにしても,わかっていたこととはいえ,7月号もまた,無残なほど,広告がありませんでした。昔なら,カメラ雑誌には多くカメラメーカーが競って新製品の広告を誇らしげに掲載していたものですが,最後に残ったのはソニーだけでした。そもそも,本の背表紙に広告がないというのは,まさに,屈辱的な最期でした。
 カメラメーカーだって,恩も義理もあるだろうし,これまでどれほどこの雑誌の記事が動機となってカメラが売れて儲けさせてもらえたかを考えれば,最後ぐらいは広告を載せてもいいのに,もはや,そんな余裕すらないのでしょう。

 家に届いた雑誌をまずは眺めてみました。はじめに思ったのは,写真コンテストのページに載っている入選作の応募者の年齢でした。「月刊天文ガイド」同様,そのほとんどが50歳以上なのです。
 そもそも,今の時代,こうした雑誌に入選して写真を世に出す時代ではないのです。未だにこんなことに価値観を見い出しているのは,SNSすら知らない,化石のような人たちだけでしょう。また,雑誌を購入する動機のひとつだった新製品の紹介にしても,雑誌に載る前に,とっくにインターネット上に情報があふれているのですから,雑誌に掲載された時点で,すでに新鮮味のかけらもありません。
 その昔,この雑誌は,木村伊兵衛さんとともにありました。木村伊兵衛さんといえばライカ。そこで,木村伊兵衛さんの写真とライカカメラの特集が,この雑誌に色をそえていました。しかし,今となってはもう,木村伊兵衛さんも過去の人,知っているのは60代以降の人でしょう。そしてまた,ライカカメラも,金持ちのミエでしかありませんから,それを愛好しているのは写真好きとは別世界の人たちです。その一方,篠山紀信さんに代表される時折掲載されたヌード写真は,写真の専門雑誌というのが隠れ蓑となって,そうした類の写真が載った雑誌を買う勇気のない人たちが購入層だったのでしょう。それもまた今では,そんな写真は巷に氾濫しているから,隠れ蓑としていた購入層が雑誌を買う必要もなくなり,芸術なのかエログロなのか何なのかその存在意義すらよくわならないヌード写真など,写真雑誌に載せても何の意味ももたなくなってしまいました。
 今ほど写真が身近なものになって,だれでもどこでも写真が写せる時代はこれまでにはないのです。でありながら,逆に写真専門雑誌が売れないというのは,そうした市場がないのではなく,新しいニーズに応える編集をしてこなかったということなのでしょう。

 ところで,私にとっての「アサヒカメラ」は,「月刊天文ガイド」をはじめて買った1968年の3月号が今でも私の宝物であるのと同様に,はじめて買った1976年5月号の木村伊兵衛特集です。この号の表紙にある木村伊兵衛さん愛用のライカにどれだけ憧れたことか! しかし,私の宝物であるはずの1976年の5月号は,はじめに買ったものを失くし,再び古本屋さんで購入したものもどこかに行ってしまいました。今回,「アサヒカメラ」の休刊に伴ってそのことを思い出し探していたら奇跡的にネットで偶然見つけたので,三度目のこの号をなんとか手に入れることができました。古い雑誌は,他人には紙屑のようなものであっても,ある人には宝物であったりするのです。
 雑誌というものは,毎月新しい情報を載せてあるからこそ価値があり,月日が経つと陳腐化していくもののように思えるのですが,実際はその反対で,何か自分に思いのある古いものが手元にあれば,それによって自分の過去の記憶を呼び戻したり,その記憶を留めておく媒体になるものだと思うようになりました。しかし,私の若いころのように紙媒体の雑誌で情報を得ていた時代とは違って,インターネットのような電子媒体から情報を得ている今の若い人には実態が残らないので,歳をとったときに,若いころの記憶が形として残っている媒体が存在しません。そこで,やがて時が過ぎ,若い人が歳をとり昔を懐かしむようになったとき,古い雑誌のような,手元にあるだけで過去を甦らせることができる媒体ないことを嘆き悲しむことになるかもしれません。

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 今から20年ほど前に,瀬戸内寂聴さんの訳した「源氏物語」を購入しました。出版されるたびに読み進め,一応全部終了しました。購入した理由は,「源氏物語」という有名で不朽の小説がどういうものか知りたかったからなのですが,さすがに原文では読めないなあと諦めていたちょうどそのときにこの全集が出版されたのです。
 寂聴さんの源氏物語は意訳しすぎだとか,学問的におかしいとかいった批評をする人もいるようです。しかし,どんなものでもいろんな評価があるものですし,批判することが通だと思っている人もいるのです。私は学者ではないので,とにかく楽しめればいいわけなので,細かいことにはこだわりません。本当の評価はわかりませんが,私の目的は源氏物語がいかなるものかがわかれば,それでいいのです。
 今回,せっかく時間ができたので,それを再び読んでみようと思ったわけですが,先を急ぐ必要もないので,高等学校の生徒用に出版されている国語の図説やその他のさまざまな資料とかを参考にして,平安時代に戻ったような気持ちで味わいながら,再び楽しんでいるのです。じっくり取り組むといろいろな発見があります。再び読み終えるのにこの先何年かかるかわかりませんが,気長に読み進めます。
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 それにしても,私が大学生時代に教養部で受けた源氏物語の授業で,先生がこんな恋愛小説が高等学校の古典の授業で取り上げられているのはけしからん,と言っていた意味が,改めて読んだ今にしてとてもよくわかります。
 
 ところで,これまで,さまざなな作家さんが源氏物語の訳に取り組みました。作家の矜持として一度は訳してみたいのでしょう。一番新しいところでは角田光代さんのものがあります。私は詳しく知らなかったので,これを機会に,これまでに訳されたものの違いを調べてみました。
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●与謝野晶子「新訳源氏物語」(ダイジェスト訳)「新新訳源氏物語」(全訳)
 口語体で書かれていて,主語を入れ敬語を省いた短文で書かれているということです。古典は敬語があることで主語が省略されているわけですが,その反対に挑戦したということでしょう。確かにこのほうが今の人にはわかりやすいかもしれません。文体は歯切れが良く,古風な女語りの手法とは距離を置いていて,今の小説として読めるようになっているそうです。
●谷崎潤一郎には次の3つがあります。
 「潤一郎訳源氏物語」は戦前の出版なので,天皇家の不敬に当たる部分を削除してあります。
 「潤一郎新訳源氏物語」は戦後の出版で,戦前の削除された部分を復活しました。
 「潤一郎新々訳源氏物語」は旧仮名や旧漢字を読みやすく改めたものです。
 いずれも,原文の敬語を生かして丁寧語を多用し,また,継ぎ目のない長文で,主語も入っていないということなので,原文を尊重しているのでしょうが,そのため難しいといわれます。また,関西の女語りを意識した流麗な雅文体の訳だそうです。
 なお,私が高校生のころに英語の勉強に使った「新々英文解釈研究」という当時はかなり定評のあった参考書があるのですが,与謝野晶子訳,谷崎純一郎訳ともども,この時代「新々」という使い方が流行ったのでしょうか。
●円地文子「源氏物語」
 男性的なしっかりした文体で,主語を加えて,また,注釈的な部分も文中に織り込んでわかりやすく,かつ,その文体は格調が高く文学的だそうです。また,内面の読み取り方が鋭く深いものになっています。瀬戸内寂聴さんのものが生まれるまで,これこそが源氏物語の現代語訳の定番でした。
●田辺聖子「新源氏物語」
 男性にもわかりやすい物語を目指し大幅なリライトが加えられていて,会話を多用した一種の現代小説のようということです。大和和紀の漫画「あさきゆめみし」に影響を与えました。
●瀬戸内寂聴「源氏物語」
 私が持っているのはこれです。
 ですます調の語り口で,平易な日本語で訳されています。宣伝効果もあってかつてないヒットとなりました。私もそれにつられて購入した口です。
●角田光代「源氏物語」
 原文に主語を補い敬語を省略し,また注釈のような説明を本文で補っているのはこれまでの現代語訳でも試みられていることですが,「である」調で訳されたところが斬新です。現代小説のように違和感なくさらりと読めるということです。
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 文学の力と時間があれば,読み比べるのも一興かもしれません。

 ところで,NHK総合で「いいね!光源氏くん」というとてもおもしろいドラマが放送されました。このご時世も手伝って,かなり評判がよかったように思います。
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 「源氏物語」の中で雅の世に生きていた平安貴族・光源氏が,まったく世界観の違う現代に出現。あたりまえに見える現実世界とのギャップに驚いたり,楽しんだり……。
 こんな光源氏をヒモ同然のように住まわせることになる地味で自分に自信がない今風のこじらせOL・沙織は,はじめは違和感を覚えつつも徐々に光の存在に癒されていく。
 奇想天外ながらゆる~く笑える千年の時を越えた“いけめん”居候コメディ!!
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だそうです。コミック好きのに人は有名な作品だったかもしれませんが,私はまったく知りませんでした。
 ともかく,こうした何の憂いもなく楽しめるドラマ,これこそが,テレビというものです。
 4K放送も8K放送もいらないから,不安をあおるだけのニュース番組は別の専用チャンネルを作ってそこに押し込めて,総合テレビはこうしたこころ休まる番組ばかりにしてほしいものだと思います。

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 ずいぶん前のことになりますが,本屋さんに立ち寄ると「成澤広幸の星空撮影地105選」という双葉社スーパームックがありました。
 正直いって,星好きの私はこうした本は好きではありません。それは,このような本に載ってしまうと,もう,そこはすでに星空のきれいな場所ではなくなってしまうからです。
 特に興味もないのに,何事もブームとやらに振り回されて,流行となれば,ワーッと人が押しかけ,すると,今度はそうした人を対象としてお金儲けをたくらむのが,この国の常です。主体性もなく群れたがるのです。しかし,それが祭りやらイベントならともかく,星空というのは,人がたくさん集まったら意味がないのです。しかも,平気で懐中電灯を振り回したり,あるいは,安全という名目で街灯が設置されたりしたら,それこそ台なしです。
 ニュージーランドのテカポ湖はまさにそんな場所になってしまいました。あの場所は有名になりすぎて,世界中から人が群れて,もはや楽しんで星を見る場所ではなくなりました。日本でも,ヘブンそのはらで同じことが起きています。

 私は,自分の知っている星空のきれいな場所が載っていませんようにと祈りながら,この本を開いてみました。幸い載っていなくてほっとしました。 
 星空を見るのは,夜桜見物や納涼花火とは違うのです。そこに,本当の星好き,マナーのわかった人以外が来れば,ゴミは捨てるし騒ぐし,その結果,夜間出入りが禁止になったり,街灯がついたりとなって,貴重なそういう場所がまたひとつなくなってしまうのです。
  ・・
 私が星がきれいな場所としていつも思い出すのは,オーストラリアの砂漠で見た星空です。そこは,ろうそくの明かりひとつない場所でした。しかも360度地平線まで見渡せました。まるで宇宙にいるかのようでした。今でも,その場所が最高だったと思っています。
 おそらく,日本もほんの100年前までは,どこでも満天の星空が輝いていたことでしょう。
 子供のころ,親戚の田舎の家に泊ったことがありました。夜,家の外に出たとき,そこが真っ暗でびっくりしたことを今も思い出します。そうした,暗い夜空が当たり前だった時代に生きていた人と,現代のように,満足に星を見たこともない人とでは,とんでもない違いがあるような気がします。
 こうした本で,美しい星空があることを一般の人に知らせることは悪いことでありませんが,どうか,その場所を明記することだけはやめていただきたいと思います。そうした場所を大切にしている本当の星好きがいるからです。
 私はもう,日本に満天の星空なんてまったく期待していませんが,それでも,私が生きてるうちだけでも,日本の,数少ない星のきれいな場所がひとつでもけがれてしまわないようにと,祈るばかりです。

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 1970年代には多くのすばらしい天文書が出版されました。私もそのころずいぶんと購入したのですが,その多くは今や手元になく残念に思っていました。
 インターネットの普及もあって,容易にそれらの本をオークションであるいは古本屋さんのサイトで見かけるようになったので,見つけては買い戻していくうちに,欲しかったものは再び手元に置くことができました。
 今日は,そうした本のなかでもユニークな存在だった「透視版星座アルバム」の話題です。
 
 「透視版星座アルバム」は,星座ごとの写真に透明なシートをつけ,そこに藤井旭さん独特の星座絵を描いてわかりやすくしたもので,シート越しに見ると星座が浮かび上がり,シートをめくると天体写真になるという凝ったものでした。今思うと,藤井旭さんが数多く出版した星の写真集のうちの最高傑作であり,集大成でしょう。しかし,その割には,今,それほど評価されず大切にされていないようで,とても悲しく思います。
 この本は,30年も前に出版されたものですが,そのときでも定価がとても高くて,私には手が出ませんでした。そしてまた,発売されたころは私にはそれほど魅力的な本には思えませんでした。
 ところが,誕生日のプレゼントとして,予期せずこの本をもらいました。しかし,当時,私は星座というものにはあまり興味がなく,そこでこの本の価値がわからなかったので,それほどうれしくなかったように記憶しています。今思うと,贈ってくれた人に悪いことをしました。
 その後,この本は新版となり,春夏編と秋冬編の2冊にわかれ,製本も変わって扱いやすくなったことだけは何となく知っていましたが,手に取ることもありませんでした。
 そんなわけで,贈ってもらった本も大切にすることなく,いつのまにか自分の手元からなくなっていました。

 南半球に出かけて,日本では見ることができない星空をながめているうちに星座に興味をもち,この本のことを思い出しました。インターネットで探してみると,けっこうきれいなものがかなり安価に入手できることがわかったので,さっそく,旧版と新版をともに入手することができました。
 届いた本をさっそく見直してみました。この本は,それより10年くらい前に出版され,以前このブログに紹介した「星座ガイドブック」の姉妹編ともいえるものでした。しかし,文字ばかりの分厚い「星座ガイドブック」よりもずっと楽しくわかりやすかったので,「星座ガイドブック」を読みながらこの写真を見ると楽しいように思いました。

 先に書いたように,私が星座に興味をもつようになったのは,ニュージーランドやオーストラリアに出かけて,南天の星空を見るようになってからのことです。…というよりも,それまで星座に興味がなかったのは,満足に星すら見ることができない日本では,望遠鏡で星雲・星団や彗星の写真を撮ることはできても,星々をつなげて星座を確かめ,満天の星空を楽しむこと自体が無理だったのが理由でした。
 南天で満天の星空を見て,そして,南天の星座を知るようになったら,今度は,星座に関わる神話がおもしろいと思うようになってきました。そして,南天の星空を星図を参考に自分で写した写真を調べるようになると,この本に載っている藤井旭さんお得意の星座絵で星たちをたどるととてもわかりやすいという,この本の魅力がやっとわかってきました。
 そしてまた,今にして,藤井旭さんが現役バリバリのころにやろうとしていたこと,そして,実際にやっていたことの意味がわかってきました。

 当時のアマチュア天文ファンは今,みんな50代以降の初老になってしまいましたが,この人たちは,藤井旭さんにあこがれて天体写真を写したいとか,池谷薫さんにあこがれて新彗星を発見したいということからはじまって,やがて成人になり,さらにのめりこんだ人は,高性能の望遠鏡を手に入れたり,白河天文台のような観測所を作ったり,あるいは,本気で彗星や小惑星の捜索をしたりといった方向に進んでいきました。そしてまた,それ以外の多くの人は日々の忙しさで星空からは遠ざかりました。
 しかし,さらにのめりこんだ人たちのなかで,本当に星空を「見ること」が好きだった人がどれだけいたでしょう。星空を「見ること」よりも,車とかコンピュータ同様,メカに興味がある人の方が多そうです。写真を写すことよりもやたらとカメラを購入してそれを眺めて楽しむことと同じです。それは,オーストラリアまで出かけて,満天の星空の下で,肉眼で星を見ても感動するでもなく,単に被写体として星の写真を写しているだけの人がいたりすることでもわかります。また,天文学者には実際に星を見たことがないとか,星座を知らないという人が少なくありません。
 それに対して,藤井旭さんは,本当に星の好きな人だったように思います。しかし,そんなこだわりのなかで作られたこの本は,「天体写真の写し方」みたいな本に比べたらそれほど評価されず,また,あまり売れなかったような気もします。

 「透視版星座アルバム」がすごいと思ったのは,1枚1枚の写真の構図です。
 自分でも星野写真を写してみると,この本に載っているようにきちんと構図を決めた写真を写すのがとても難しいということを実感します。それは,日本のような天候にめぐまれず,星を写す場所がないという理由にもよるからなのです。しかも,今のようなディジタル写真ではなく,フィルムを使って長い時間露出して,現像してみなければ出来がわからないという時代にです。これだけの写真を写そうとなれば,ずいぶんと時間と手間もかかります。
 この写真には時には惑星が写ってしまっていますが,それは仕方がないことでしょう。しかし,今,同じような写真を写そうとすれば,惑星以外に,多くの人工衛星やら飛行機やらも写ってしまうから,この当時よりもはるかに困難なことであろうと思われます。
 新版には,南天の星座も載っています。日本で南天の星座について取り上げられた書籍はほとんどなく,この本はとても貴重なのです。
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 今この本を眺めていると,再び南半球の星空を見ることができる日がくるのだろうかと,少し寂しくなってしまいます。

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 今日からは,暇つぶしの方法です。 
 数年前にふと見たNHKEテレ「旅するドイツ語」が私を変えました。
 その番組は,オーストリアのウィーンを舞台にドイツ語の初歩を学ぶというもので,私はドイツ語よりもウィーンに魅せられました。私はクラシック音楽好きですが,ウィーンは遠い存在で,まさか行くとは思っていませんでした。何よりドイツ語圏であるということが私の足を遠ざけていました。
 その番組で感化されて,ともかく,ウィーンに行って,番組で紹介された場所のすべてに行ってみました。そして今度は,ウィーンに魅了されました。もしその番組に出会わなければウィーンに行くこともなかったかと思うと,とても不思議な気がします。
 心配していたドイツ語でしたが,たとえドイツ語圏であっても,英語さえできればなんとかなりました。しかし,やはり,少しはドイツ語がわからないと,チケットや看板に書かれた文字が理解できないので不便でした。少しでもドイツ語ができればもっと楽しく旅することができるのになあと思うようになりました。

 私は,大学時代,一応,第2外国語でドイツ語を選択し受講しましたが,すぐに挫折しました。というより,大学時代は家ではまったく勉強しなかったので,当然,根気と才能のいる語学をマスターすることなど,どだい無理な話でした。しかし,そのときに少しは授業に出たので多少の知識はありました。
 そこで,50の手習いというより60の手習い,そして,ボケ防止も兼ねて,ドイツ語の「お」勉強を「まじめに」することにしました。そもそも,この歳でドイツ語がマスターできるなどとはまったく思っていません。日本語でも忘れるのに,ドイツ語の新しい単語を覚えることができるとは到底思えません。しかし,そんなことはどうでもいいのです。大学で単位をとるわけでもなし,ドイツ語検定をうけるわけでもないし,単なる暇つぶしなのですから。将来再びドイツ語圏を旅行したときには英語で何とかしようと思っているのでドイツ語を使う気持ちもありません。
 しかし,新たなことをはじめるという,これほど心躍る有意義な暇つぶしがほかにあるでしょうか?

 お勉強の方法は,もっぱらNHKラジオ第2放送の「まいにちドイツ語」の,特に応用編ですが,これを何度も聴きます。そして声を出して読みます。「NHKゴガク」というアプリがあれば,放送時間でなくても何度も聴くことができるのでとても便利です。
 今は,Translator という便利なアプリがあって,スマホやタブレットにドイツ語入力キーボードを設定してそれを使ってドイツ語の単語を入力すればたちどころに英語に翻訳してくれます。当然日本語にも翻訳できるのですが,ドイツ語から日本語よりもドイツ語から英語という変換のほうが語族が同じだけに勉強が容易です。大学時代にこんなアプリがあったらよかったのになあと思いました。
 やる気を見せるために,書籍を2冊,購入しました。
 1冊目は「英語と一緒に学ぶドイツ語」という本です。英語との違いを中心にして書かれた文法書です。ほとんどの入門書は日本語とドイツ語の対比で説明してあるのですが,もともと日本語を英語に頭の中で変換する作業はしているので,むしろ,同じ語族の英語からドイツ語に変換するときに異なるところだけを学べた方が理解しやすいのです。これもまた,大学時代にこんな本があればよかったと思うものです。
 もう1冊は,単なる自己満足のために購入したのですが,それは博友社の「木村相良独和辞典」でした。

 この辞書には,ネット上に次のような書き込みを見つけました。
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 大学の公開講座に行くと,じいさんたちが皆,この辞書をもってきている。… ボロボロの皮表紙もおれば,新品のひともいる。授業がはじまる前に「あなたは何年のですか?」などと見せ合っている。
 私は愛用の「アクセス」を出すわけにもいかず,見栄にかられてこれを買った。
 かわいい。バッグに入れるとちょうどいい。妙になじむ。小さくても信頼できる。評価が決定的であり,辞書にうるさいドイツ文学教官にも覚えめでたい。
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 「アクセス」というのは三修社が発刊している「アクセス独和辞典」のことです。

 この有名で定評のある辞書は大学時代にドイツ語を選択したときに買ったことがあるのですが,どこかに失くしてしまいました。おそらく,2年前に家を売ったときに一緒に処分してしまったのでしょう。この懐かしい辞書はいまは絶版だそうですが,それでも価値があって求めている人が多いということで,古書が定価の何倍もする値段でネット上で販売されています。しかし,私が調べたところ,出版社にちゃんと在庫があって注文したら新品が手に入りました。ネットの情報なんてそんなものです。ただし,手に入れてもおそらく使いこなせないので,お守り代わりです。
 さて,今日も頭の刺激にドイツ語のお勉強を開始するとしましょう。大学時代に舞い戻ったようで,身が引き締まり若返ります。

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 NHKBSプレミアムで放送されていた「京都人の密かな愉しみ」の書籍が出版されていることを,うかつにも私は知りませんでした。この本が出版されたのは2018年3月ということなので,それはすでに2年近く前のことだったのです。
 私はこれまでずいぶんこの番組についてはブログに書いてきたので,この書籍のことを書かずして,この番組についての私の記事は終結しないのです。
 この本の内容は「京都人の密かな愉しみ」のバイブルのようなものであり,この番組のすべてが詰まっています。私は,この番組で紹介された京都のすてきな場所のほとんどに行ったこともあり,とても懐かしいのですが,それがこうして一冊の本になったことに「密かな愉しみ」を感じてとてもうれしく思います。

 その後,「京都人の密かな愉しみ」は新シリーズ「Blue 修行中」になりましたが,何事も続編は「やらなきゃよかった」というもので,私には新シリーズは「ないもの」です。
 番組のタイトルにある「密かな愉しみ」というのは実は不倫だったというのがこの番組のオチで,主人公である「理想の京女」沢藤三八子さんは好きな男とともにパリに旅立ち,番組が終わりますが,この三八子さんを演じたわれらの常盤貴子さんも,沢藤三八子さん同様に「旅するフランス語」という語学番組だか旅番組だかわからぬ楽しい番組に出演するために実際パリに行くのです。つまり,以前このブログに書いたように,「京都人の密かな愉しみ」のホンマモンの続編は「旅するフランス語」なのですが,その「旅するフランス語」のロケをまとめた「旅するフランス語~常盤貴子の旅の手帖」という美しい書籍もまた,存在します。いわば,この2冊の本がそろったことで完璧だといえるのです。
 こうした「大人が夢を見ることができる番組」はなかなか存在しないものなので,私にはいつまでもこの番組を心に留めておくことができる貴重な蔵書となりました。

 これもまた,このごろ何度も書いていますが,世界中の観光地はどこも「オーバーツーリズム」に毒されています。私は何も,多くの観光客が来るのがいけないといっているわけではないのです。それはたとえば,クラシック音楽のコンサートに来て,ロクに曲もきかずに居眠りをし,終わった途端に「ブラボー」とさけぶ,とか,星空の美しいという場所に大挙して押しかけて懐中電灯を振り回す,とか,立ち入り禁止の場所に入り込んで三脚を立てて写真をとる,とかいうような,およびでないことが起きていることが嘆かわしいのです。その「オーバーツーリズム」の最も顕著な日本の観光地が京都です。また,ウエディングフォトで世界中の観光地が迷惑をこうむっていますが,京都では京都府立植物園がそのターゲットとなっているそうです。
 そうしたことが理由で,私は,あれだけ通っていた京都にはまったく足を運ばなくなりました。そんなこともあって,私が好きだった京都は,もう,私の心のなかにだけに存在しているんだなあ,そんな寂しさを感じていました。しかし,この本には,私の大好きだった昔の京都の魅力がいっぱいつまっています。これを手元においておくだけで,昔の京都の魅力がよみがえります。そうした意味で,この本は,私が大切にしていた京都に封印をするために生まれてきたようなものなのです。

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 昔,メディアといえば新聞だったころ,朝日新聞の夕刊に月に一度程度掲載された音楽評論家・吉田秀和さんの「音楽展望」は,それはそれはおもしろいものでした。それを読むために新聞の夕刊をとっていたようなものです。
 今とは違って,クラシック音楽の知らない曲を聴くには,高いお金を出してCDを買ってくるか,NHKのFM放送を丹念に調べて,その曲がかかるのを探すといった方法しかなかった時代,その代わりに「音楽展望」を読むことで,曲を聴いたりコンサートに出かけた気になるか,はたまた,自分の知らない知識を手に入れて急に賢くなったような気がしたものでした。
 今,そんな知的好奇心をくすぐるような新聞の記事はありません。
 それをきっかけとして,私は吉田秀和さんの書いた本をずいぶんと読みました。書いてある内容が理解できたかどうかはさておき,この高貴な内容の本を読んで理解したふりをすることで,自分もそうした世界を知ったような,知識人になったようなそんな気持ちになるのが楽しかったのです。
 それは,まだ日本の大学に権威があったころ,大学の構内を散歩すると賢くなって,もっと学問をするぞという決意が沸き起こってきたそんな高揚感と同じものでした。

 私にとって,吉田秀和さんはそのような存在だったので,ほとんど本を買わなくなった今になっても,書店でKAWADEムック・文藝別冊「吉田秀和-孤高不滅の音楽評論家」という本を見つけて,思わず買ってしまいました。
 買っておいてこんなことを言ってはいけませんが,河出書房新社の出版しているこの文藝別冊の出版目的というものが私にはいまひとつよくわかりません。いろいろ調べてみても何も書かれてありません。ある情報では,「KAWADEムック」というのは「KAWADE夢ムック」というシリーズだと書かれてありましたが,この本のどこを探しても「KAWADEムック」とは書かれてあっても「KAWADE夢ムック」とは書かれていませんでした。いずれにしても,「KAWADE夢ムック」というシリーズが何を狙いとして出版されているのかもいまいちわかりません。どうして今になって,吉田秀和さんを特集した本が出版されたのか,それが私にはいまいちよくかかりません。それは,当然新たに著者にお願いして執筆してもらった原稿が載っているというわけでもないし,これまでに発表された著作から適当に集めてきただけの本だからです。生誕何年とか,何かの記念日ならともかく,そうしたものが特にないのに,今になって,吉田秀和という人の著作を集めたムックを作る意味が不明です。こんなものを買うのは,私のような著者のファンくらいのものでしょう。

 それはそれとして,この本のなかで私が一番おもしろかったのが中河原理さんの書いた「吉田秀和ノート」でした。そして,もうひとつ。この本には吉田秀和さん個人像が書かれている文章があって,それを読むと,これまで私は吉田秀和さんを聖人君主のような人だと思っていたのですが,結構お金にうるさく,女好きのおじさんということがわかって,この人もだたの人間だったなんだなあと,ホッとした半面,それまでのイメージがが崩れ去りました。
 かつて,私の父親ほどの年代の各界のリーダーだった人たちは,ずいぶんと偉大な人が多く,それとともに,確かに偉大ではあったけれども,威張っていて気難しい人が多かったようです。もし,身近にそういう人がいたら,きっとたいへんだっただろうと,今ではそう思います。だから,そうした偉大な人に原稿を依頼しにいくのはめんどうだったことだろうし,一緒にお酒を飲んでもまったく楽しくなかっただろうと,歳をとった私は思います。おそらく,偉大な人というのは,身近な存在ではなくて,物語上の,あるいは歴史上の人物としての英雄であるほうが,きっと好ましいのです。
 それはさておき,吉田秀和さんの著書のほとんどは今,電子書籍では手に入りません。電子書籍なら iPhone に保存して,いつでも気軽に飛行機の機内でも読めるのに残念です。そしてまた,この文藝別冊は文庫や新書よりも大きいので,いつも携帯するには不便です。それが私には残念です。

☆☆☆
Approach of the Moon and the Jupiter.

無題 (3)

◇◇◇

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 今年はずっと晴れません。
 私としては,2月にハワイで,3月と5月はオーストラリアで満天の星空を堪能したので,十分に満足しているのですが,日本で星見を楽しみにしている人はさぞ辛いことでしょう。おまけに,どっちみち星が見られないからいいとしても,10等星より明るい彗星ひとつすら地球に接近していません。
 こうなると大変なのは天文雑誌や望遠鏡メーカーです。もともと晴れていても満足に星が見られない日本なのに,月や惑星すら見られないのでは若い人が天文に関心を持つわけがないのですからたまりません。我が家の近くにある書店には,天文の雑誌が毎月4,5冊入荷しているのですが,月末になっても売れたのを見たことがありません。望遠鏡大手メーカーである高橋製作所の名古屋の直営販売店が閉店するし,小型の赤道儀が製造中止になるなど,望遠鏡はまったく売れていないように思われます。半年に一度も使うことができないのに中古車1台ほどもする高価で置き場に困るような大きなものを買う意味がないのです。

 そんな2019年なのですが,私は,念願だったパロマ天文台,ローウェル天文台,そして,バリンジャー隕石孔にも行くことができて,長年の夢が実現しました。念願のバリンジャー隕石孔に行ったとき,「星空の四季」という本のことを思い出したと先日書きましたが,実はもう一冊,思い出した本があります。それは「星の旅」という本です。
 この本は藤井旭さんが美しい星空を求めて世界中を旅した旅行記です。はじめ単行本として出版されて,のちに文庫本となりました。私は単行本として出版されたときに購入して何度も読みました。まだ家にあるものと思い込んでいたのですが,探しても探しても見つかりません。そこで,ネットで古書を探してみると,単行本は1万円以上の異常な値段がついていました。が,文庫本なら1円だったので,さっそく入手しました。そして,その後,単行本も安価で手に入れました。

 届いた本を改めて読み直してみましたが,若いころに読んだときには,書かれてあるすべてのことが夢物語のような気がしたのを思い出しました。モンゴルからニュージーランド,オーストラリア,イースター島にバイカル湖,アリゾナにアマゾンにガラパゴスにニューギニアにと,よくもまあ,こんなに多くのところに行くことができるものだ,言葉はどうするんだ,旅費はどうするんだと,そのころは思いました。
 そもそも,藤井旭さんという人は,ものすごく本が売れた人なので,お金持ちです。しかし,旅行の半分は仕事ですから,お金の問題はたいしたことはなかったように思えます。それよりも,旅先で現地の人たちと楽しく交わっていることが驚きです。藤井旭さんは英語も堪能なんだなあ,と。
 そんな私も,このごろはこの本に書かれてあるのと同じような海外旅行ばかりしていて,よくもそんなに行けるものだと周囲の人はあきれています。しかし,旅行というのは,皆既日食ツアーが90万円とかそういうことしか知らない人にはわからないでしょうが,個人で行けば思ったほどお金がかからないということがわかりました。言葉は通じるのかと聞かれます。しかしこれも,現地の人と話すことも別に大した事でもないなあ,それほど驚くに値しないことだなあとわかりました。要するに,日本の英語教育がなっていなくて,言葉を使えるようにするどころか,言葉の壁を作りそれを強固にしているだけのようなところがあり,苦手意識を植えつけているだけで,実際は,言葉なんて思っているほど大変なものでもないのです。
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 いずれにしても,ディジタルカメラで簡単に星の写真を写すことができて,インターネットで簡単に旅行の予約ができるようになった現在とは違って,この本が書かれた30年以上も昔に,すでにこんな経験をしたということがすごいのです。そしてまた,私も,それに負けないくらいの経験ができるようになったという自分に対する満足感をもって,この本を改めて読むことができる喜びを感じます。この本とともに,私は「ふたたびキットピークへ」という本も愛読していて,ずいぶんと感化されているのですが,こちらの本はどういうわけか今も私の手元に確かにあります。

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星空の四季 1966年から1986年までの20年くらいの間は,私のような星好きの子供たちにとって夢のような月日でしたが,それが終焉を迎えたのは,おそらくハレー彗星のころだったように思います。
 ハレー彗星で大騒ぎをし,望遠鏡が売れに売れ,その結果,ただでさえ小さな望遠鏡会社が出来もしない増産をするために過剰な設備投資をした(させられた)のです。それ以降も天文ブームが続けばいいのですが,ハレー彗星も,接近する前からわかっていたのにもかかわらず,商売上過剰な期待を抱かせたために,その反動で,まったく見えなかったこととその後の不景気も手伝って星への興味も失せ,望遠鏡会社が軒並み倒産したのです。

 当時に比べて現在は,学問としての天文学は飛躍的に進歩しましたが,アマチュアの星好きには,夢がなくなりました。それに加えて,天気が悪く空の明るい日本では,どこへ行っても星がほとんど見えません。これで,子どもたちに星に興味を持てといっても無理があります。近くにある書店に毎月並ぶ天文雑誌ですが,残念ながら,1冊として売れていたことがありません。望遠鏡だって,おそらく,ほとんど売れないでしょう。
 これまでずっと星好きだった私は,本当の星空を見たいときはオーストラリアに出かけます。普段は,家の近くで,もっぱら彗星の写真を写していますが,それにしても汚い日本の夜空です。それでも,現在の技術,つまり,ディジタルカメラなどを使えば,1980年代では夢だったくらいの水準の写真なら簡単に写せますから,その程度で満足,というか,満足するしかないのです。そうしたときに参考となるのは,そしてまた癒しになるのは,当時出版された夢のいっぱい詰まった本なのです。

 以前,ブログに,星好きの「バイブル」として3冊の本を取り上げましたが,その当時,毎日のように手に取って眺めていた本であればあるほどどこかに行ってしまって見つからないか,あるいは,ボロボロになってしまっています。しかし,そうした本の多くは,ネットで探してみると,ずいぶんと安価に古書が手に入るのです。
 そこで,星好きの「バイブル」の続編として,そのような本からいくつかを紹介してみたいと思います。
 今日取り上げるのは「カラーアルバム 星空の四季」です。家じゅう探しても見つからなかったこの本を,ただ同然で再び手に入れました。送られてきた本は,発売から30年も経っているというのに,ほどんど新品であったのに驚きました。
 私がこの本を思い出したのは,この2019年6月末に出かけたアリゾナ州のバリンジャー隕石孔がきっかけでした。この本のなかに,著者である藤井旭さんが,バリンジャー隕石孔(この本には「アリゾナ隕石孔」と書かれています)に座っている写真があったなあということを覚えていたからです。入手した本で改めて探してみると,私が覚えていたその写真だけでなく,フラッグスタッフにあるローウェル天文台の写真もたくさん載っていました。
 こうした場所が私の原風景となって,今でも強く記憶に残っているのですが,今,この本を読みなおしてみると,憧れだったそうした場所に実際行くことができたという喜びが湧いてくるのです。 

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銀河鉄道

 長野まゆみさんの書いた「カムパネルラ版・銀河鉄道の夜」を読みました。
 出版社による本の紹介は,
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 ジョバンニの旅は終わってもカムパネルラの旅は続く…。あの「銀河鉄道の夜」を今夜,カムパネルラが語りなおす。賢治の秘められた恋が甦る長野まゆみデビュー30年記念小説。
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 これまでジョバンニこそ作者の化身と考えられてきた物語を,もう一人の主人公であるカンパネルラが語りなおしたのがこの物語だ。カムパネルラは,ケンタウリ祭の夜友人ザネリを助けに川に入り溺死したのだ。
 銀河鉄道の乗客がみなさみしいのは,ジョバンニを除いて誰も片道切符しか持っていないからだ。本作では,カムパネルラの目から銀河鉄道の旅を辿り直す。すると,そこに現れるのは,これまで妹トシに隠れて見えてこなかった賢治の秘められた恋だ。医師と結婚してアメリカに渡り異国で早逝した恋人への強い思いがあったのだ。
 いつしか物語には賢治自身もあらわれ,少年と対話する。メビウスの帯の裏と表のように,けっして交わらない。でも,すぐ近くにいる存在。それがジョバンニとカムパネルラの旅なのだ。
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ということなので,私は興味を持ちました。宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」は,ジョバンニが銀河鉄道に乗り,級友カムパネルラと天空の旅をします。ジョバンニが気づいたとき,カムパネルラは川で人を助けて行方不明になったということを知るというあらすじです。

 多くの人が書かれているように,私も,この本は「カムパネルラが主人公の小説を期待していたので肩透かしを食らった気分」というのが感想です。そう誤解するのは,出版社の書いたこの本の紹介の内容が悪いのです。だから,>カンパネルラの視線から語り直した小説なのかと思って読んでいたら,実は小説というより著者の文学研究だった,という感想をもつのです。しかし,私は,それならそれで,妙に工夫などしないで,「銀河鉄道の夜」を題材とした作品論として書いたほうがずっとわかりやすかったのに,さまざまな手の込んだ工夫をすることで逆に読みにくくしているように思いました。
 それはそうと,こういった,著者が,想い入れのあるもの -この本の場合は宮澤賢治に寄せる想い入れのことですが- について熱く熱く語るという作品は,その同好の士にとってはとてもおもしろく共感を覚えるものでしょうが,いわゆる宝塚オタク,とか,ミュージカルオタク,とか,AKBオタクとか,ゲームオタクとか,そういう人同士の集まりで内輪の人たちが盛り上がっているのようなもので,それほどでもない人には,まあ,好きなもん同士勝手にしてろ,みたいな疎外感をもつものです。
 「銀河鉄道の夜」に関していえば,この作品は,私のような星好きの人が抱くこの小説への想い入れと,そうでない人,たとえば俗にいう文学少女がこの作品に持つ想い入れというのはまったく別の異質のものです。そうした人たちのこだわりは私には「言葉に酔っている」という感じでしかありません。
 私は「銀河鉄道の夜」を読んだことによって,星空を見るときの美しさがさらに増すという喜びを感じます。これは,「銀河鉄道の夜」を題材とした天文書を読んだときに味わえるものです。しかし,それとともに,何度読んでも「銀河鉄道の夜」という作品に書かれた登場人物の精神性に関しては,わからない感じを覚えます。そうしたもやもやが,この本によって晴れるような何かが書いてあるのではないか,何か納得できるわかりやすい説明が書かれているんじゃないか,という期待は見事に裏切られました。

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 発売されたばかりの新潮新書「フィンランドの教育はなぜ世界一なのか」を読みました。
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 人口約550万人,小国ながらもPISA(15歳児童の学習到達度国際比較)で多分野において一位を獲得,近年は幸福度も世界一となったフィンランド。その教育を我が子に受けさせてみたら,入学式も,運動会も,テストも,制服も,部活も,偏差値もなかった。小学校から大学まで無償,シンプルで合理的な制度,人生観を育む独特の授業… AI時代に対応した理想的な教育の姿を示す。
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というのが,この本の紹介です。
 さらに,この本の「はじめに」から引用してみましょう。
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 フィンランドの教育が目指すものは,子どもひとりひとりが自分を発展させ,自分らしく成長していくことである。それは,知識を習得したり,学力を高めたり,偏差値を上げたりすることではない。いかに学ぶかを学ぶこと,創造的,批判的思考を身につけ,自分自身の考えを持つこと,アクティブで良識ある市民として成長することである。
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 私は,昨年の2月,はじめてフィンランドに行くまで,フィンランドには興味がありませんでしたが,一度行ってみて,フィンランドが「世界一幸せな国」であることを知って驚くとともに,大好きになりました。どうやら,そうした人は私だけではないようで,フィンランド大好きという人がまわりにも一杯います。そして,私もその後,フィンランドについていろいろ調べていくうちに,この国は本当にそんなに素晴らしいのだろうか,それは事実なのだろうかと思うことをたくさん見聞きし,知りました。そうしたときに書店で見つけたのがこの本です。この本を読んでみて,私が見聞きしたことが現実だということがわかりました。
 どんな国にも長所があれは短所もあります。いいことばかりではありません。それは当然です。この本には,そうしたフィンランドに存在する問題点についてもきちんと書いてあるのがまた,よいのです。
 フィンランドという国について知らない人こそ,この国がどんな国なのか,そして,この本にはどんなことが書かれているか,実際に本を読んでみてください。おそらく,フィンランドが夢のようなすばらしい国だということがわかることでしょう。あるいはこんなことを知ってしまうと,日本に住んでいてこれまで培ってきた価値観や人生観が吹っ飛んでしまうかもしれません。そもそも日本語もフィンランド語も英語とはかけ離れた言語なのに,成人のほとんどが英語の話せるフィンランド人とそれができない日本人を考えるだけでどちらの教育が優れているかは明白でしょう。

 この本に書かれているのは,日本やフィンランドの教育の現実だけではないのです。この本では,それぞれの国の教育制度から見えてくる,人が生きるということはどういうことなのか,人というのは国にとってどういう存在なのかという,もっと本質的なことが問われているのです。このように,この本が問いかけているのはとても奥深いものです。そして,読み進むうちに,そうした「哲学」を日本の教育では全く学んでいないことを知るのです。
 そんなフィンランドですが,私ははじめて行って以来,何度か行く機会がありましたし,これからも出かけます。フィンランドに行ってみると,このすばらしい国から何かが学べないかと多くの日本人が留学をしたり研究に訪れているのに出会います。しかし,彼らがそこからいったい何を学んでくるのか? 今日,日本で行われている改革とやらは,大学の入試改革をはじめとして,残念ながら,フィンランドとは真逆なことばかりです。

 私も日本に生まれたから,この国の保護を受けているし,この国が嫌いなわけはありません。だからこそ,将来を憂い,何とかならないものかと思っています。しかし,何度も外国に出かけ,外から日本をみる機会が増えてくると,日本では,政治も,教育も,産業も,インフラも,そうした何もかもが急激にボロボロになって劣化していく様を痛いほど感じます。今や,この,何をやってもうまくいかず,より事態が悪化していく様子に接するにつけ,パロディを見ているような,悪い夢を見ているような,そんな気がするようになりました。そして,あきらめとともに,何が起きても「またやっちまったか」というような出来事ばかりで,まるで喜劇を見ているかようにおかしくてしかたがなくなりました。
 しかし,そんな危機的な実態であることすら認識しておらず,今も30年も前の価値観で生きていて,相も変わらず精神論を唱え,日本社会に対する批判的な意見を聞くと耳を塞ぎなかったことにし,さらにはそれを小ばかにするような主張をして得意がっている人たちさえものすごく多いことにもまた驚き,同時にに失望感を味わいます。
 フィンランドと対比したとき,今日の日本社会があまりに劣化していることを危惧するとともに,この国が今まさに滅びゆく姿でないことを心から祈ります。

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知らなかった国①-隣国に翻弄されてきたフィンランド

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 「重力波で見える宇宙のはじまり」(ブルーバックス)を読みました。サブタイトルは-「時空のゆがみ」から宇宙進化を探る-です。著者のピエール・ビネトリュイ(PierreBinétruy)という人はフランス人で,1955年に生まれ,1980年に博士号を取得した宇宙論と宇宙の基本的な相互作用の専門家であるパリ大学ディドロ校の教授でした。AstroParticle and Cosmology(=APC)の設立に携わりましたが,惜しくも2017年に死亡しました。
 本の内容は,
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 宇宙の進化を司っているのは「重力」だった! 重力-もっとも弱く謎に包まれていた力がこの宇宙に大きな影響を与えている。アインシュタインが重力波を予言してから100年。重力波天文学によって我々の宇宙観はどう変わるのか?
 インフレーション,ブラックホール,量子真空,ダークエネルギー,量子重力理論…。
 宇宙を理解する上で欠かせない問題をやさしく解説しながら宇宙誕生と進化の謎に迫る。
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というものです。

 私は,前回のブラックホールに関したブルーバックスに続いてこの本を手に取ったわけですが,本の題名と内容の違いにまず納得がいきませんでした。このことは,アマゾンコムのこの本に関するレビューにも書かれています。
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 本書のタイトルは「重力波で見える宇宙のはじまり」となっているが,まだ重力波では宇宙のはじまりは見えていないので,あまり適切なタイトルとはいえない。本書の内容は,アインシュタインの一般相対性理論,すなわちリーマン幾何学に基づいて定式化された重力場の理論の帰結を実際の天体観測と比較すること,そしてアインシュタイン方程式が宇宙全体にも適用できるとすると,どのような食い違いが見つかっているかを解説したものである。
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 実際,この本は翻訳本なのに,どこにも元の本の題名が書かれていません。調べてみると,どうやら「Gravity! : The Quest for Gravitational Waves」いうものらしく,原書での題名こそが本の内容にふさわしいもです。
 日本では,本も映画も売らんがためにこういう小手先の細工を施します。つまり,重力波が話題になっているときだから「重力波」とつければ売れるだろうと…。

 インターネット上に次のような感想がありました。
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 翻訳はどうしてもピンとこない部分が残る。 翻訳の日本語力ではなく文化の断絶があるからだと漠然と思っている。野球ファンが同じ球技だからとサッカーを野球の脳みそで理解しようとした時に感じる茫漠とした不安感というか。サッカーは野球の都合など顧みない。 重力波や新しい宇宙観についてイメージしにくかった。いや、正直できなかった。これは理解力の不足の致すところと思っている。
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 これは翻訳書を読みなれていない人に起きる感想です。
 私は,書物というものの書き方自体に,日本と西洋では根本的な違いがあると思っています。端的に言うと,日本の本は専門書以外は軽く内容が薄いのです。これはおそらく教育の違いからくるのでしょう。特に現在は,学生が読んでいるのは問題集とかいうドリルばかり。たとえば高等学校で習う数学でも,公式や解き方の暗記さえすれば事足りるとばかりに,本質を全く教えません。そういう社会だから,何事もハウツーものばかりで,それが,こうした啓蒙書にも現れます。そこで,きちんと書かれた本についていけないのです。

 この本は重力波に関する本ではなく,宇宙を支配する重力全般に関する解説書です。数式を取り上げないでそれを解説するという試みですが,実は,こうした自然科学の本は,数式を知っている人がこういう本を読むとすばらしくよくわかるのです。そして,ものすごく苦労して数式で表わされる表現を数式を使わないで表そうとする努力がわかるのです。だから,たとえば,自由の女神を見たことのない人にそれを文字で表現しようとする限界がいつも起きるのです。
 以前にも書きましたが,自然科学というのは数式を使わないで解説することよりも,数式を使ったほうがずっとわかりやすく,しかし,専門的な数式は難しいので,せめて高等学校卒業程度の簡単な数式に置き換えてそれを解説することのほうがむしろ理解しやすいのです。しかし,日本の高等学校で行われている,数学という名を借りた単なる大学入試問題の解法演習をしているような授業内容では,それ自体が無理なのです。おそらくこれがこの国の衰退の根本的な原因なのでしょう。今度の大学入試改革でさらにそれがひどくなるのではないかと私は危惧します。
 それはさておき,この本の内容は本当にすばらしく,私はこの本を横に置いて,もう一度一般相対性理論の専門書を読みなおしてみたいものだと思ったことでした。

 しかし,話がそれますが,この本について調べていくうちに私が最もショックだったのは,この本の著者がわずか61歳で亡くなっていたということでした。
 自分が生を受けた宇宙のことがいかにわかろうと,所詮人間なんて,そうした宇宙というシステムの中のあぶくのようなものではないかと。そして,この広大な宇宙の中でいかに人類がわかったような気になっていても,宇宙のシステムの中で人類が知った気になっていることなんて,おそらく,広大な宇宙の中で地球程度の大きさにしか過ぎないのではないかと。

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「巨大ブラックホールの謎」-わかりやすくすばらしい本
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 今日のブログの最後に載せた写真は,この本の内容に関係があるのですが,その理由は? 本をお読みください。

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 ブラックホールの姿がはじめて捉えられたというニュースがきっかけで,私はずいぶんとブラックホールに関する本を読みなおしましたが,そのなかで最もわかりやすかったのが,ブルーバックスの「巨大ブラックホールの謎-宇宙最大の「時空の穴」に迫る-」でした。
 この本の内容は次の通りです。
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 太陽の100億倍もの質量を持つ巨大ブラックホールは強力な重力で光さえ飲み込む一方で宇宙でいちばん明るく輝き,光速に近い速さの「ジェット」を放出しているという。未だ多くの謎に包まれていて,厳密にはその存在すら確認されていないブラックホール。一般相対性理論による理論的裏付けから1世紀,「ブラックホール」という命名から半世紀経って,200年以上前に予言されながらまだ誰も見たことのなかったブラックホールの姿が,最先端の天文学によって明らかになりつつある。
 最新望遠鏡によって,人類はついに「黒い穴」を直接見る力を手に入れようとしているのだ。この巨大ブラックホールの謎を第一人者が解説する。
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 この本の「第一人者」というのは著者の本間希樹先生のことです。この「国立天文台三大イケメン」のひとりといわれるかっこいい大学の先生が,きわめてわかりやくブラックボールについて解説した本がこれです。

 すでに書きましたが,ブラックホールというのはその強い重力場によって「シュバルツシルト半径」といわれる大きさ以下の範囲では光をも飲み込むものです。その境界面は「事象の地平線」といわれていて,この範囲がブラックホールの大きさを表します。つまり,「ブラックホール」というのは特異点といわれる「無限に小さく縮んだ巨大質量の点」とそのまわりの重力場によって作られる「事象の地平線」を示しているものです。この「事象の地平線」の内側,つまりブラックホールは見えないけれど,ブラックホールによる「穴=シャドウ」が捉えられ,それが予測されてきたとおりのものだったというわけです。
 この本が書かれたのは,今回のブラックホールシャドウが捉えられたというニュース以前なのですが,この本を執筆していたころにはもうずいぶんと研究が進んでいたことが,本を読んでいると推測できます。そこで,今回のニュースのきわめて明快な解説書になっています。
 こういうニュースがあると,民放テレビのワイドショーのように,玉石混交さまざな本やら記事が出ますが,この本を読めば間違いがないでしょう。いわゆる「ホンモノ」です。

 私はこれまでにもずいぶん多くのブルーバックスを読みました。その中でもっともすぐれていると思うのは,南部陽一郎先生が書いた「クォーク」です。しかし,ブルーバックスにはこうした優れた本がある反面,難解すぎて手に負えなかったもの,また,その逆にレベルが低すぎてがっかりしたものなど,いろいろありました。それは,読む側のほうの責任でもあります。つまり,読むほうがどの程度の基礎知識をもっていて,書くほうはどの程度の読み手の知識を前提としているのか,ということがわからないというのが問題なのです。
 科学の啓蒙書というと,できるだけ数式を使わないというのをウリにしているようですが,本当はむしろ高校卒業程度の数式を使ったほうがずっと理解しやすいのです。もともと物理学というものが自然現象を数学で表すことを目的とする学問だからです。それよりも問題なのは,日本の高等学校で学ぶ数学というのが,いわゆる理系といわれる学生がその先に進むためのカリキュラムになっておらず,あまりに程度が低すぎることです。今高校生がやっているのは,遊びのような知恵比べのような,大学入試のための数学という名を借りたゲームにすぎないのですが,それを解くために1年もかけて演習をしています。そんなことに貴重な時間を費やすくらいなら,ベクトル解析や線形代数でも学んだほうがずっと将来役に立つのです。現在の高等学校のカリキュラムでは,どんな啓蒙書であろうと数式など書かれたら手に負えません。
 学歴というブランドだけで仕事があった時代ならともかく,シンギュラリティがさけばれる今,これではいけないのです。
 少し話がそれました。
 いずれにしても,ブルーバックスは,読者の基礎知識のレベルに応じて☆,☆☆,☆☆☆のような表示でもつければいいのにと思います。

 ではこの話題の最後に,この本で紹介されていた中性子星を中心にもつ超新星残骸M1と,中心に巨大ブラックホールをもつといわれるM81銀河の,私が写した写真をご覧ください。

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DSC_5652DSC_5654DSC_5747DSC_5743 関勉さんの書いた「彗星ガイドブック」は1976年の発行です。関勉さんは高知市に住むアマチュア天文家で,毎晩のように望遠鏡で星空を見て,新しい彗星を探す「コメットハンター」として知られました。
 その昔,コメットハンターとして知られた本田實さんの影響で彗星に興味をもち,1961年にはじめての彗星である「関彗星」を発見。その後合計6個の彗星を発見しています。なかでも1965年の池谷・関彗星は肉眼でもはっきりと見えた大彗星として日本に天文ブームを巻き起こしました。

 古きよき1970年代,アマチュア天文愛好家たちは,池谷・関彗星の影響で彗星捜索をするか,藤井旭さんの影響で天体写真を写すかという潮流ムがありました。そこで,こうした本が出版されたのです。
 私は星の見えない都会に住んでいたために,そうした活動を羨ましく思っていただけでした。もし,もっと星のよく見える場所に住んでいたら,同じように真似事をして,そして挫折をしていたことでしょう。
 そもそも人まねでうまくいくわけがないのです。何事も,自分で考えて自分のやり方を確立することが大切なのです。そうしたことを一部の天才は生まれながらにして知っていて,それ以外の凡人は常に天才のやっていることをまねて挫折する,それが人間です。まねをしたところで,将棋の藤井聡太七段やフィギアスケートの羽生結弦選手にはなれないのです。

 それはそれとして,当時貧乏学生だった私は,関勉さんにせよ,藤井旭さんにせよ,どうしてあのような大口径の望遠鏡や高級カメラなどの高価な機材を手に入れることができるのだろうと,そのことがとても不思議でした。そして,きっと,大人になればだれもがお金持ちになれて,あのような機材を買うことができるのだろうと思って,大人になるのを楽しみにしていました。
 しかし,現実はそんな甘いものではなかったのですが,当時私がうらやましいと思って人たちも,みんなそれぞれ大変な苦労をしていたのです。

 今,こうした本を見返してみると,そういった苦労がわかって,そのことが一番おもしろいのです。そしてまた,今となってみれば,当時のアマチュア天文愛好家のやっていたレベルのことの多くは,今では簡単にだれでもすることができるようになりました。ただし,それとともに,日本の空から星がなくなりました。
 すでにこのブログに書いたことがありますが,私は,昨年,高知県に行って,関勉さんの活躍した場所を見てきました。そして,当時はもっと条件がよかったのでしょうが,今では満足に星が見られるとも思えず,こんな条件の悪い場所で活動しているのかと,夢から醒めるような気がしました。
 だからといって,この人たちの人生が無駄であったということではないわけで,おそらく好きなことを思う存分のに成し遂げてとても充実したものだったのだということもよくわかりました。
 常々書いているように,人生はすべて暇つぶしなのです。その自分の暇つぶしで他人を不幸にする人もいる反面,自分らしくいかに楽しく充実しておくることができたか,そして,願わくばそのことで多くの人に夢を与えたりできれば,それこそが,その人のしあわせなのです。

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 紹介している3冊の本のなかで,今でも実用なのがこの「全天星雲星団ガイドブック」です。この本ははじめ「星雲星団ガイドブック」として発行され,私はそれを入手しましたが,あとで南天の星雲・星団が9ページ付け加えれられたので,買い直したものです。
 今この本は絶版で,この類の新たな本が多々出版されているのですが,残念ながらこの本に勝るものはありません。

 私はこの歳になってやっとこの本に載っている星雲・星団のそのほとんどを写すことができたのですが,実際にそういった取り組みをしてみると,改めてこの本のすばらしさがよくわかりました。
 一番の特徴は,著者の藤井旭さんが明らかにこの本に載っているすべての星雲。星団を実際に見ている,ということです。
 現在は何事もコスト重視で,売られている本の多くも,いかにも机の上で書いただけ,何かを参考にして写しただけということがすぐにわかってしまう「手間のかかっていない」ものが目につくのですが,この本は正真正銘本物です。それは,著者が金儲けでやっているのではなくて,実際に好きで楽しんで,その結果として本にまとめたからなのでしょう。

 同じシリーズに同じ著者による「星座ガイドブック」という本があります。
 この本は「春夏編」と「秋冬編」に分かれています。内容は星座ごとにその星座にまつわる神話やその星座のみどころを紹介してあって,非常に内容の濃いものです。というか,濃すぎるものです。よくもこれだけのものが書けたものだと思います。
 現在はこの本を基にした「藤井旭の星座と星座神話」(春・夏・秋・冬の4編)がありますが,この本に比べれば内容が薄いものです。そのくらいにしないと売れないのでしょう。
 この本のまえがきには「南天編」を出版する予定だと書かれているのですが,「南天編」が出版されたという事実はないようです。あればほしいです。

 話を戻しまして,「全天星雲星団ガイドブック」のほうは,あとで付け加えた南天のページがありますが,十分ではありません。そしてまた,すでに書いたように,「星座ガイドブック」には南天編がありません。
 私は南半球に出かけて星を見るようになって以来,南半球でしか見ることのできない星座や星雲星団の情報があまりに少ないことに困っています。1,2冊,南半球の星空について書かれた本があるにはあるのですが,それらはあまりに不十分で,参考にもなりません。今こそ,この「星雲星団ガイドブック」と「星座ガイドブック」,この2冊と同じレベルの内容で南天編が出版されたらとてもすばらしいと思います。
 藤井さん,老体に鞭打って,もうひと仕事してみませんか?

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☆☆☆☆☆☆
 その時代,「天体写真の写し方」というわかりやすい本に書かれたとおりにすれば,だれでも簡単に天体写真が写せました。ただひとつ問題だったのは,この本にのっているような機材を手に入れることだけでした。そして,どうして,藤井旭というひとはこんなにお金持ちなのかと嫉妬しました。
 今の時代は,はじめて天体写真を写そうとする人に,この本のようなわかりやすい入門本がありません。それは,この本が出版されたころに比べて,機材が進歩しすぎたことと,いろんな手段が生れてきたこと,そこに原因があると思います。こうなってしまうと,若い人が入り込む余地がありません。そう考えると,こうした本が出版された1970年代に青年だったことはとても幸せでした。
 今この本を読み直してみると時代を感じます。この時代に写された写真くらいのものなら,今の時代,簡単に写せるようになりました。しかし,この時代にこうした写真が写せるということを独自の工夫で実践して,その結果をわかりやすい本にしたということがすごいのです。それとともに,本を読んでいるだけで,何か一緒に楽しんでいるような気になれるというのもまたすばらしいことでした。
 
 いまから50年ほど前でも,すでに都会ではほとんど星は見えませんでした。しかし,田舎に行けば今よりずっとマシでした。そこで,私も,社会人になってはじめて車を買ったころは本当にときめきました。夜,車で山の中に出かければ,この本に書かれたように写真を写して,そして,自分で現像まで試みました。しかし,現像まで自分でするのは大変で,引き伸ばし器を購入し,押入れを暗室にしましたが,やがて断念し,引き伸ばし器もゴミと化しました。
 そのころに写した写真のフィルムが今も残っているのですが,改めて見ると,自分で思っていたよりはマシな写真なのにびっくりしました。いずれにしても,写真の出来不出来ではなく,こうして自分で楽しんだことの思い出が,今となっては貴重なのです。

 少し前に紹介した星好きの人が持っている天文雑誌の別冊「三種の神器」,つまり,「イケヤ・セキ彗星写真集」「広角レンズによる星野写真集」「日本の天文台」のうち,発売されていた当時は持っていたのに,いつの間にか失くしてしまったのが「日本の天文台」でした。私は今になってこの本が欲しくなって,毎日のようにインターネットのオークションで探していたのですが,近ごろやっとそれを入手できました。この「日本の天文台」をもって,私が手もとに置きたい昔の天文書探しは終わりを告げ,ついに,1970年代の中期に発売され,当時の青少年を夢中にした本が幸せそうに並んでいます。
 今の時代についてゆけない私は,こうして,自分だけ40年前の世界に舞い戻って,そのころの夢を追い求めているのです。それは,思えば本当によき時代でした。しかし,その当時から都会に住み,しかも,自分の車さえ持っていなかった私には,星を見るというのはかなり場違いな趣味でした。そこで,そうした本を読んで憧れと知識だけを抱いて,実際は,星ひとつ満足に見たことがなかったのです。
 あれから40年ほどの時間が経ち,世の中も変わり,星を見る機材もデジタル化し,それと同じくして,日本の空からは星が消え去りました。そんな日本に愛想をつかし,私は,南半球で満天の星空を見たり,世界各地の天文台めぐりをするようになりました。そんな時間は,タイムマシンで過去に戻っているようで,幸せを感じます。

 はじめに書いた星好きの人が持っている雑誌の別冊「三種の神器」に習って,今日は,その時代の星好きの青少年の「バイブル」であった3冊の天文書を紹介しましょう。その3冊の「バイブル」というのは,藤井旭さんの書いた「天体写真の写し方」と「全天 星雲星団ガイドブック」,そして,関勉さんが書いた「彗星ガイドブック」です。
 これらの本が発売されたころ,「月刊天文ガイド」を発行している誠文堂新光社はアマチュア向けにすばらしい天文書を数多く出版していました。今改めて調べてみて驚いたのですが,これらの本は当時の値段で1,000円から1,500円もしたのです。今なら3,000円という価値でしょうか。そして,先に紹介した「三種の神器」とは違って,これらの「バイブル」のほうは,インターネットのオークションでほとんど値段がつかず売りに出ています。それは,発行部数に限りがあって今は希少となってしまった雑誌の別冊と違って,売れすぎて今でも本がたくさんあることとともに,内容が古すぎて,今ではほとんど意味をもたないからでしょう。
 しかし,これらの本ではじめて知識を得た私にとっては懐かしい本で,今読み返すと若さが戻ってくるようなのです。こうした本に限らず,学校の参考書にしても,この時代の本は品があり,内容も高度でした。現在のような効率重視の時代とは根本的に違うようです。
 では,次回から,これらの本について,昔話を書くことにしましょう。

「日本の天文台」①-やっと手に入れた「三種の神器」

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 SB新書「宇宙に命はあるのか」を読みました。
 著者の小野雅裕という人はアメリカ航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所(JPL)に勤める若い技術者です。どおりで,内容も若々しさに満ち満ちていて気負いがあり,その想い入れは眩しいくらいでした。題名からして,私はこの本は現在最先端の宇宙生命の話なのかと思って読みはじめたのですが,そうではなく,これまでの宇宙開発を振り返り,今後の宇宙開発のテーマである生命探しにまで追求するもので,少し題名とずれがあるように思いました。
 いずれにしても,とてもわかりやすい本で,これからこういう方面に進みたい若い人やあまり宇宙開発に詳しくない人が読むと,ずいぶんとためになりそうです。ただし,私には,内容のほとんどはNHKBSPで放送している「コズミックフロント☆NEXT」ですでに取り上げられたものだったので,知っていることばかりでした。しかし,著者のワクワク感は十分に伝わりおもしろく,時間をつぶすにはいい本でした。

 エピローグにも書かれているように,この本で著者が言いたいことは「イマジネーションの力」ということです。
 私は常々,「夢と勇気と知恵」が大切だと言っていますが,ここでは,この言葉をさらに深めて,想像力から生まれる工夫と言い換えているようです。その根拠は,この本の104ページに書かれているように,常識に打ち勝つことで不可能な技術を可能にするのことができるが,それを成し遂げるにはイマジネーションの力が必要でであることだからです。
 私は長年生きてきて,社会で常識と言われていることのそのほとんどは疑ってかかったほうがよさそうだ,という信念をもつようになりました。そうした社会の常識にとらわれて,あるいは頑固にそれを守って,またはそれを越えることをしないで,何と多くの人が自分らしい生き方ができずにいるのだろうか,と嘆かわしく思っています。
 芸術でも,現在,傑作といわれ評価されているものの多くは,作られたときには酷評されたのです。評論家やら有識者という人たちは,そうした常識という枠から出ることのできない人たちの集団です。会社という組織で偉そうにしている年配の人たちもまた同様で,おそらく新製品を開発するときに,若い人の奇抜な常識を超えたアイデアのほどんどがそうした頭の固い年寄りに握りつぶされ葬られてきたのだろうことは容易に想像できます。
 常識を疑いそれに反抗することことができる強さこそが,これまでの多くの科学技術の進歩につながってきたということは歴史が証明しています。この本はそのことを明確に示しているのです。

☆ミミミ
偉大な飛躍-アポロ11号が月に着陸した日

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 岩波新書の「文庫解説ワンダーランド」を読みました。著者の斎藤奈美子さんは私と同い年の人で,朝日新聞の書評委員をやっていたとき,書評がとても面白く,また,朝日新聞の文芸時評を担当していたときも,楽しく読んだ記憶があります。
 この本は,文庫の後づけに書いてある解説に目をつけ,その解説を批評して楽しんじゃおうという内容の本で,相変わらず,辛らつなその書きっぷりに,私は,全く飽きることもなく読み進むことができました。
 上野千鶴子さんよりもひと回り近く若い人ですが,こうした文才に長けた頭のいい女性の文章というのは,えてして読者をけむに巻き,快感に浸らせ,そしてまた,決して飽きさせません。しかし,私もそれなりに歳をとり,時には助けられ,また,あるときは裏切られた,そんな経験が豊富になると,こうした優秀な女性に対して,敬意とともに,恐れをいだきます。お会いしたこともないし将来もお会いすることもないので迂闊なことは言えませんが,文章を読んでいる限りは共感をし好意をもっても,いざお会いして話でもすれば,たちどころに大嫌いになる,そんな人なのかもしれません。
 いずれにしても,そんなあり得ない話はよしとしましょう。

 この本に書かれているのは,ほとんどの文庫本の末尾にある「解説」を批評するという「禁じ手」を確信犯として行ったものです。私は文庫本を読んでも -いや,今はめったに読まないのですが- 解説など読んだこともないので,解説はあってもなくてもどうでもよいのですが,そんな刺身のつまのようなものまでも批評されては,出版社も,そして,アルバイト気分で気楽にそれを書いた人もたまりますまい。
 ということで,私は,直接それに対して意見を書くこともできないので,話を間接的にしてごまかします。
 私に思い当たるのは,クラシック音楽を聴きにいったときにもらえるパンフレットに書かれた演奏家や曲の解説です。これもまた,知らない演奏家や曲を聴くときにずいぶんと助けになります。しかし,時には,白紙で聴いたほうがよいのに,事前にそれを読むことで必要のない先入観を抱いてしまう危険性があります。とここまで書いて,文庫本の解説は読むとしても実際に本を読んだ後であるのに対して,演奏会のそれは聴く前に読むことが多いということに気づきました。同じ解説といってもずいぶんと性格が異なるものです。ならば,文庫本も,特に古典などは,本文の前に解説があってもよさそうな気がしてきました。それに対して,通常の小説などの場合に書かれてあるのは,解説ではなく,それは単なる名の通った人の読書感想文,つまり,私はあんたより深く読んでいるんだよよく知っているんだよ,といった類の自慢話なのです。
 NHKFMで生放送されているN響定期公演の曲の前後の解説は,解説者によってずいぶんと性格が異なっているので,それぞれ好き嫌いはあるのでしょうが,あれほど知的でかつためになる存在はなく,私もそれを聞くと賢くなった気さえするのに対して,文庫本の解説にそうした気持ちをいだかないのも,そう考えると納得のいく話です。なので,この本は,そうした自慢話をけちょんけちょんにしているからおもしろいわけです。

 音楽の解説とは異なり,文学の解説というのは,文字というものに対してそれをまた文字で語るものだから,それこそ,私がいつもここに書いているように「言葉に酔っているだけ」の粋をでることはできないのです。だから齋藤奈美子さんはずるいのです。そうした文章を書けば受ける(=本が売れる)ということを知っていて,あえて喧嘩を仕掛けているからです。
 以前,私が現職だったときに,職場にとんでもない上司がいました。彼は何事もダメ出しをしけなし,そして,どこがいけないかと聞くと,自分で考えろと突っぱねるわけです。よくある典型的な愚かな上司の手口です。あのやり方を使えば,次に相手がどう出てこようと,その出方次第で再びすべてをけなすことができるわけで,それはよい仕事をすることが目的ではなく,自分を偉ぶって見せているだけなのです。つまり,これはパワハラ以外の何ものでもなく,そうすることで,自分の「ありもしない」権威とか威厳を保とうとしているだけなのです。
 この本もまたそれに似ています。だって,この本で斎藤奈美子さんは,どういう解説が優れているかとか,解説はどういうものであるべきかといった自分の考えは書かず,単に上から目線で,既成の解説をけなしにかかっているからです。賢い著者はこれもまた計算づくのことで,おそらく確信犯なのでしょう。

 いずれにせよ,ここ数年で時代は完全に変わりました。今や,紙媒体の新聞を読み,現金で買い物をし,権威やら地位に価値観をもつという,そうしたすべては,完全に時代おくれとなりました。しかし,世の中には,そうした変化についていくことのできない哀れなおじさんおばさんが依然としてたくさんいるわけです。
 この本は,そうした時代遅れの価値観を引きずっているということが最大の悲劇です。今やもう,言葉に酔ってモノを書いたところで,そんなものに興味をもたない若者たちが,この人工知能の時代を謳歌しはじめているからです。将棋界に「(古い考えの従来の)ヤグラ(戦法)は死んだ」と叫んだある有望若手棋士がいましたが,それと同様に,もはや「文学も死んだ」からです。
 インテリが言葉遊びに酔って,自分の賢さをアピールするような時代はすでに遠い昔のこと。これでは本が売れるはずがありませんから,文庫本の解説自体,もはやなんの意味ももたないのです。そしてまた,たとえ本を読んだとしても,そのあとでさらに文庫本の末尾のお粗末な解説など読まずとも,作品の解説も感想も批評も,そんなものはネット上にごろごろあるのです。

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 「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」(Herbert Blomstedt: "Mission Musik.Gespräche mit Julia Spinola")は,決してページ数の多い本ではありませんでしたが,かなり内容の濃いものだったので,私は時間をかけて読みました。近頃,日本では啓蒙書の類が多く,内容が薄く,ほんの数分で読み終えることができて,しかも,書いてあるほとんどのことはすでに知っているようなものがほとんどですが,この本はそれとはまったく異なるものでした。
 先ごろ行われたN響第1896回定期公演の演奏曲にステンハンマルの交響曲第2番が取り上げれらていましたが,この本には,このステンハンマルのことがたくさん書かれてありました。

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 ステンハンマル,つまり,カール・ヴィルヘルム・エウフェーン・ステンハンマル(Carl Wilhelm Eugen Stenhammar)は,1871年に生まれたスウェーデンの作曲家であり指揮者です。ニールセンやシベリウスが1865年の生まれですから,彼らと同時期の人です。日本ではちょうど明治維新のころです。
 ステンハンマルはストックホルムでピアノ,オルガン,作曲を学んだのち,ピアニストとしてデビューしました。その後1897年に指揮者となり,これ以降は指揮者である傍ら,作曲家としても活躍しました。ステンハンマルは現在ではベルワルド以降の最も重要なスウェーデンの作曲家と位置づけられています。ステンハンマルは「北欧風」の抑揚を目標に掲げ,効果なしでも成り立つような、「透明で飾り気ない」音楽を作曲しようとしました。この新しい様式の典型的な作品が,今回演奏されたドーリア旋法を用いた交響曲第2番でした。
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 と,ここに書いても,日本でステンハンマルの音楽を聴く機会などめったになく,正直いって,この曲をはじめて聴いた私には,そのよさもさっぱりわかりませんでした。

 この曲に限らず,はじめて聴く曲に,そのよさやら感動を呼び起こすことは私にはまれです。正直いって,さっぱりわからないというほうが正しいです。こうしたとき,私はいつも,音楽を聴くという行為そのものに,いったいなんの価値があるのかということさえも疑問に感じます。時間の浪費にしか思えません。
 ところが,録音して,辛抱して何度も聴きなおしてみると,次第に心に染みてきて,そのよさがわかってくるのもまた,不思議なものです。私は,こうして,これまでに,ヴォーン・ウィリアムズやニールセン,ベルワルドなどのすばらしい音楽を覚えました。
 このように,クラシック音楽というのは,知らない曲を自分のかけがえのない宝物にするためには,やはり何がしかの行動が必要ななのです。私が大好きなブルックナー,この曲のよさを知らずに生きている人を私はかなりが気の毒に思います。私はブルックナーを若いころに知ってずいぶんと聴き込んだので今では自然となじみあるものとなっているのですが,考えてみれば,聴いたことのない人にとっては,こんな長たらしい曲がそれが心に染みるには,ずいぶんとなにがしかの行動がいるということなのでしょう。

 この本では,ステンハンマルのことがずいぶんと取り上げられていましたが,それとは逆に,マエストロ・ブロムシュテッドがショスタコ―ビッチを取り上げないということも書かれてあって,このこともまた,私にはとても興味深いものでした。それは,このマエストロの人生観や宗教観とも関わってくることなのでしょう。
 このように,音楽というものは,それを聴くという行為は俗世界とは隔離された純粋なもののようで,実は,最も人間に近いものでもあるということを,こうした本を読むと実感するのでした。

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81KyXXhUL7L 「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」(Herbert Blomstedt: "Mission Musik.Gespräche mit Julia Spinola")を読みました。
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 90歳を超えるいまなお年間80回の演奏会を指揮。日本の音楽ファンに最も愛されている巨匠指揮者が音楽と人生,そして信仰を語るはじめての自伝! マルケヴィッチ,バーンスタイン,ケージら20世紀の大音楽家たちとの交流,バッハ,ベートーヴェン、ブルックナーらドイツ音楽の本流へのたゆまぬ献身,ベルワルド,ステンハマルら祖国スウェーデンの作曲家への尽きせぬ愛情… シュターツカペレ・ドレスデン,ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団,サンフランシスコ交響楽団,NHK交響楽団などの要職を歴任し,今なお現役のマエストロがあたたかく飾りのないことばでみずからの生涯・音楽・信仰を語りつくします。
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これが,この本の紹介です。

 私はまったく楽器は弾けません。「観る将」ごとく,「聞く音」です。しかし,常日頃から,クラシック音楽を聴くことを人生の最大の喜びとしていて,おそらくは,聴いている時間にかけては一流でしょう。これからも,この満ち足りた時間を大切にしていきたいといつも思っています。
 音楽を聴いていると,こうした演奏をしている人たちのことをもっと知りたいと思うのは自然なことで,これまでも,数多くの音楽家の自伝を読んできました。そして,読み終えていつも思うは,彼らは,本当に内面からも外面からも,人に,生に,そして社会に真摯に向き合っているのだなあ,ということです。
 ある意味で,私は,俗社会の関わりや人とのわずらわしい関わりから避けたくて音楽を聴いて自分の内面と向き合っているのですが,音楽家は,それとは逆に,俗社会や人とのわずらわしい関わりそのものと,普通の人以上に対峙して生きているのです。そうした人たちが,このような関わりとは真逆な,純粋な音楽を世に送り出しているということが,私にはとても不思議であり,奇跡的なことに思えます。
 この本でもまた,この偉大なマエストロ・ブロムシュテッドが,本当に心から,人を愛し音楽を愛していること,そして,これが一番人間としてすばらしいのは,やさしさに包まれているということを,再確認することができて,ほんとうに幸せな時間でした。

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 「月刊天文ガイド」が2018年9月号から新しくなりました。それに従って,ついに,装丁も中綴じから平綴じに変わりました。
 私がはじめてこの雑誌を買ったのは1968年の3月号なので,今から50年前ということになります。今読み返してみても面白く,当時の子供たちには夢が一杯つまった雑誌でした。知らないことが一杯,魅力のありそうなことが一杯,興味のあることが一杯,しかも,そうしたことはすべて,手が届きそうで届かない,といったように,いいところをついていた雑誌でした。

 その後数十年にわたってこの雑誌を買い続けたのですが,そのうちに買うのを辞めてしまいました。それは,この雑誌が次第に広告だらけになってしまったこと,星の話よりもお金を消費(浪費)して「メカ」を手に入れなければ楽しめない機材とコンピュータソフトの雑誌に化してしまったこと,中綴じでは保存が大変なことが理由でした。特に近年は,広告の中に記事が埋もれているという感じで,しかも,広告の配置がわるいものだから,記事を探すのが大変でした。そもそも,読み応えのある記事がありませんでした。
 本の真ん中を金具で留めるという装丁は,創刊したころはそれでもよかったのですが,ページが増え続けたのに昔とかわらぬ綴じ方のままだったので,留めている金具からページは抜けるわ読みにくいわでどうにもなりませんでした。さらに,この雑誌はどんな読者をターゲットにしているかさえさっぱりわからなくなりました。
 私はそんな雑誌に見切りをつけて,それ以降は内容が充実したアメリカで発行されている「Sky&Telescope」誌を電子書籍で読むようになりました。

 昨日,新しくなったのを書店で見かけたので,記念に1冊買ってみました。おそらく私が本として買うのはこの号だけで,今後は,もし読みたくなったら電子書籍で買うことになるでしょう。この雑誌に限らず,本はかさばるからきらいです。
 装丁と表紙が変わっただけでなく,当然,ページ建ても変わりました。これまではどころかまわずあった広告のページは後ろにまとめられていて,非常に好感を受けました。これだけでも気品が出ました。記事が増えたのかどうかは知りませんが,少なくとも,これまでのように広告の合間に記事がある,という印象はなくなりましたし,星に関する話題も増えたように思いました。
 「月刊天文ガイド」は創刊初期の一時期,「読者の天体写真」で売った雑誌ですが,もう雑誌で写真のコンクールなんてやっている時代ではありますまい。そんな写真はSNSに溢れています。私は「読者の天体写真」なぞ,今は全く興味がありません。その点,この「読者の天体写真」コーナーも雑誌の最後においやられていて,これもまた,私は共感を覚えました。

 これまで,時々,というか年に1,2回,「月刊天文ガイド」に代えて「月刊星ナビ」を買っていたのですが,創刊当初は面白かった「月刊星ナビ」も,近頃は機材と自社のソフトウェアを売るための広告雑誌と成り果ててしまいました。高価な機材を買って満足に星も見えない日本の空で写した天体の写真を,さらにコンピュータで派手にお絵かきしたものを見せられても,楽しくもありません。また,物欲を煽るような記事ばかりではいけません。
 それにしても,星すら満足に見られないような自然のない国で,こうした雑誌の需要がどれほどあるものなのでしょう。天の川を見たこともない,車もない,金もない子供たちが星に興味など持つでしょうか? おそらく読者は私のような50年前の子供たちでしょう。「読者の天体写真」に投稿した人の年齢を見ても明白です。「月刊天文ガイド」は老後の暇つぶし雑誌なのです。そうであるなら,不愉快極まりない下品で老後の不安をあおるような話題ばかりのちまたにあふれている週刊誌なんかを読むよりも,こうした雑誌を読むほうがずっと夢があって幸せな気持ちになれるです。ならば,初心者向けの話題は「子供の科学」にお任せして,「月刊天文ガイド」は「科学雑誌Newton」を天文分野に特化した,知性のある老人向けのもっと内容が高度な和製「Sky&Telescope」のような雑誌にしてしまうほうがいいと私は思うのですが。


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盤上の向日葵

 柚木裕子さんの「盤上の向日葵」を読みました。えらく分厚い本でした。560ページほどあって,根気のなくなった私には読み終えるのが大変でしたが,なんとか最後まで到達できました。
  ・・・・・・ 
 埼玉県天木山山中で発見された白骨死体。遺留品である初代菊水月作の名駒を頼りに,叩き上げの刑事・石破と,かつてプロ棋士を志していた新米刑事・佐野のコンビが捜査を開始した。それから四か月,二人は厳冬の山形県天童市に降り立つ。向かう先は,将棋界のみならず,日本中から注目を浴びる竜昇戦の会場だ。世紀の対局の先に待っていた,壮絶な結末とは-!?
  ・・・・・・
といった内容です。

 著者の柚木裕子さんは釜石市出身。子どものころは転勤族で岩手県内をあちこち転校していたということです。2008年「臨床真理」で「このミステリーがすごい!」大賞の大賞を受賞しデビュー,だそうです。
 こういう,一見将棋に縁のない女性が将棋を題材とした推理小説を書くというだけでも不思議なのに,その内容が将棋ファン以上にくわしく,また,将棋に関する記述が,テレビドラマなどで将棋の棋士に扮した俳優さんが対局の場面でコマを指すときの下手なしぐさのようなしろうと臭くないのが,私には推理小説の謎解き以上に難解なことでした。

 読書に限らず,このごろはネット上にさまざまな感想やら批評があふれていて,作品を読む以上にこうしたものを読んで,それを書いた人の人となりや性格を想像することのほうが,私には興味深くなりつつあります。何を書こうが人それぞれ勝手ですが,どんなものに対しても必ずケチをつけ,辛らつなことを書く人というのはいるもので,それは読む側をかなり不快にさせます。私は,そういうものに出会うと「ようそんなことが書けるわ,そういうお前はいったいナニモンなんじゃ」という感情をもちます。私も自戒したいものです。
 それとともに,この本には「私は将棋に詳しくないけれどこの本は将棋に詳しい人が読めばもっと面白く読めるのでは…」といった感想がたくさんありました。
 かくいう私は,将棋は強くないけれど詳しいです。将棋を覚えたのが10歳のころだからあれから半世紀,今はまったく指さず指す気もなく「観る将」一本ですが,将棋を指すのに熱中したのが十代のころだったので,そのころの将棋界のことは,今の若い棋士よりも知っています。そのころ,将棋というのは,今とは違ってかなり危うい,暗い側面をたくさんもっている世界でした。私は,この本を読んで「将棋に詳しい人にはもっと面白く読める」というよりも,当時の危うい世界を懐かしく思い出していました。そこで,今日はその思い出話を書きましょう。

 インターネットなどなかった当時,私の住む名古屋には,板谷将棋教室という将棋道場がありました。名古屋とは違って,東京や大阪にはたくさん将棋道場があり,特に大阪は,近年まで通天閣あたりには危うさ満載の場所もあったようですが,名古屋にあった将棋道場はおよそそれ一軒だけでした。
 私は学校の定期考査が終わった日はいつもそこに入り浸っていました。
 道場の入口近くに座っていた老人は板谷四郎というその道場を経営していたプロ八段の先生でした。二枚落ちで指してもらったこともありました。時折,後に若くして亡くなってしまった息子さんの板谷進八段や,石田和雄九段若き日の姿もありました。そうしたプロの棋士のナマの姿を見て,私はサラリーマンとはまったく違う野武士のような雰囲気を感じました。道場で手合いをつけていたのは奨励会員の少年たちでしたが,同じ年代あるいは私よりも若い世代の彼らは,私には生意気そうな少年たちに思えました。そのなかには,おそらく,藤井聡太七段の師匠である杉本昌隆七段もいたのではないか,と思われます。
 そのころは,将棋道場のなかはタバコの煙がもうもうとしていたし,将棋道場は繁華街のど真ん中のいかがわしそうなビルの最上階にあったので,薄暗い狭い階段を上がって入る必要があって勇気が要ったし,休日ともなれば,繁華街に繰り出して走り回る右翼の宣伝車がけたたましい軍歌を響かせていたのが窓の外から聞こえてきたし,子供にはとんでもない環境でした。
 そんな環境のなかに入っていって中学生が真昼間から将棋盤を睨んでいるのだから,自分でもそれはけっこう「ヤバい」ことをしているように思えました。こんなことをしていたら将来ずいぶんダメな人間に仲間入りをしそうだと感じました。それでも懲りずに将棋に熱中していたのだから,将棋の魔力というのは恐ろしいものです。しかし,私は当時から,そんなものにこれ以上はのめり込んではいけないと固く決意していました。

 昭和30年代から40年代の,私が育った時代の日本というのは,将棋に限らず,何もかもが,そんな「ヤバい」感じの国でした。プロ野球を見にいっても聞くに堪えないヤジが飛び,品のない客が酔っ払い,敗ければ得体のしれないものがグランドに投げこまれました。それがやがて,日本の野球場のグランドのまわりにまるで留置場のように金網が張りめぐらされた原因になりました。
 私鉄の駅の周辺には屋台がならんでいて,どこも小便くさく,駅のホームにはタバコの吸い殻が一杯捨てられていました。夏ともなればクーラーのない列車の車内は地獄で,開け放された窓からは腐敗した匂いが漂ってきました。今はJRになった国鉄は,特に駅員の態度が最悪で,学割で切符を買うともなれば駅員の言動に怯えるほどでした。また,銭湯に行けば,全身入れ墨の怖いおじさんが湯船で泳いでいました。
 将棋道場は,さすがにプロの棋士が経営していた道場だったので,表向き「真剣」というはなかったと思うのですが,昼間から得体の知れないおじさんたちがたむろして将棋を指していました。そうしたおじさんたちはみな,今の私くらいの年齢だったのでしょう。おそらくは自営業でもやっていたのでしょうが,彼らは仕事を奥さんにでも任せて昼間から将棋三昧でした。そして,彼らが指す将棋というのは定跡もなく我流で,しかも見たこともないようなハメ手だらけ。子供が将棋の本やら雑誌で覚えた「筋のいい」ような指し手で対応してもまったく歯が立たないものでした。
 しかし,私は将来,あんなおじさんのようになってはいけないと思いました。そしてまた,私は,子供心に,この国はこのような大人のはびこる結構厄介な社会が壁のように存在しているんだなあ,と思いました。社会に裏があるとすれば,裏ばかりが幅を利かせている国のような気がして恐れました。

 あれから半世紀以上経って,この国は,あのころにあった人間の「本音」やら「本性」,そして危うさは,表向きはどこかに姿を消し,監視カメラに守られた上で保たれた安全で健全な,しかし,「おもてなし」と称して周囲の機嫌と業績ばかりを気にする,やたらと肩の凝る窮屈な社会となりました。
 若者は,学校という名の収容所で「部活」と「ドリル学習」に明けくれて自由な時間と自主性を奪われ去勢され序列化され,飛ぶ羽根をそぎ落とされたあげく,この国こそすばらしい,外国は危険だと洗脳され,ワールドカップサッカーやオリンピックや高校野球に夢中にならねば国民でないというマスコミの先導する風潮の中で,不平や不満,そして将来の不安を押し込められて,まるで規格品の野菜のような姿で社会に放り出され,死ぬまで酷使されるようになりました。
 私は,この本を読みながら,そんな今とは違ったくっちゃくちゃな昔の日本を,懐かしく思い出していたことでした。

◇◇◇
今日の写真は私が写したワシントンDC・ナショナルギャラリーに展示されているゴッホの「ひまわり」です。この作品が小説でどう扱われているかは読んでのお楽しみです。

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羊と鋼の森

 宮下奈都(みやしたなお)さんが書いた「羊と鋼の森」を読みました。
 「羊と鋼の森」は「別册文藝春秋」に連載され,のちに単行本化,2016年に第13回本屋大賞に選ばれました。現在,映画化され話題になっています。

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 外村は高校2年の2学期のある日の放課後,体育館に置かれているグランドピアノを調律師が調律するのを偶然目の当たりにする。そのことがきっかけとなり,外村は生まれてはじめて北海道を出て,本州にある調律師養成のための専門学校で2年間調律の技術を学んだ。そして北海道に戻り,江藤楽器という楽器店に就職する。入社して5か月が過ぎた秋のある日,ふたごの姉妹の住む家で柳が行う調律に同行する。入社2年目のある日,板鳥が行う一流ピアニストのコンサートの調律に同行する。
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 著者の宮下奈都さんは「静かな雨」で小説家デビュー。2013年より1年間,北海道新得町に家族5人で山村留学を経験したのだそうです。この本では「師がいてそこに弟子入りする男の子の話を書きたかった」と語っています。
 なお,本屋大賞というのは本屋大賞実行委員会が運営する文学賞で,一般に日本国内の文学賞は主催が出版社であったり選考委員が作家や文学者であることが多いのですが,本屋大賞は「新刊を扱う書店(オンライン書店含む)の書店員」の投票によってノミネート作品および受賞作が決定されるものです。
 私は本屋大賞を受賞した「謎解きはディナーのあとで」を読んで以来,この大賞を受賞した作品の「でき」を信用しなくなってしまったので,むしろ大賞受賞と銘打つとその本を読む意欲をなくしてしまっていたのですが…。
 この本はその予想に反して,とてもすばらしい作品でした。この本のよさは,読んていると,その背後に品のよいこころの音楽が響いてくる,ということです。そうしたさわやな空気を感じながらはじめからさいごまで読み通すことができます。私は好きな音楽を聴きながら読書をすればそれで満ち足りるのですが,まさにそうした大切な時間を費やすのにふさわしい小説でした。
 調律師という仕事は,ピアノを調律して一定の正しい音が出るようにする,というだけではありません。他の楽器と違って自分の楽器を持ち運びできないプロのピアニストにとって,会場にあるピアノを自分好みの音にしてくれる存在こそが調律師です。つまり,演奏家にとってみれば調律師というのは自分の楽器に等しい存在なのです。そうした知識をもってこの本を読むとさらに深みが増すことでしょう。

 それとともにこの本で感じたのは,私がいつも考えている「プロとアマの違い」というのは何だろう,ということでした。私は常々「プロとアマ」には,物質の運動が光の速度が越えられないのと同じような,決定的な壁があると感じています。ここでいう「プロ」というのはその仕事でお金をもらっているということではありません。「ホンモノ」の仕事師という意味です。
 世の中には,私を含めて「偽の仕事のプロ」,つまり「マガイモノ」があふれています。マガイモノの政治家,マガイモノの教育者,マガイモノの学者,などなどですが,彼らには自分が「マガイモノ」であるという自覚ががないのが問題なのです。それだけでなく,そうした「マガイモノ」がプライドだけは「ホンモノ」であるから余計にたちが悪いわけです。
 一方で「ホンモノのプロ」というのはものすごいものです。「ホンモノのプロ」のこだわりというのは,凡人には到底たどり着けない世界です。それは才能に裏打ちされていて,「マガイモノ」が決してもちえない技を授かった人たちです。この小説で描かれる調律師は,この「ホンモノのプロ」になっていく人の情熱とその姿を描いているのでしょう。だから私は,そこに羨ましさと眩しさを感じるのです。
 読後感もすばらしいまさに「ホンモノ」の小説でした。

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 内館牧子さんの書いた「終わった人」という本が話題になっているそうです。映画化もされました。
  ・・・・・・
 定年って生前葬だな。衝撃的なこの一文から本書は始まる。大手銀行の出世コースから子会社に出向させられ,そのまま定年を迎えた主人公・田代壮介。
 仕事一筋だった彼は途方に暮れる。年下でまだ仕事をしている妻は旅行などにも乗り気ではない。図書館通いやジムで体を鍛えることはいかにも年寄りじみていて抵抗がある。
 どんな仕事でもいいから働きたいと職探しをしてみると,高学歴や立派な職歴がかえって邪魔をしてうまくいかない。妻や娘は「恋でもしたら」などとけしかけるが,気になる女性がいたところでそう思い通りになるものでもない。これからどうする? 惑い,あがき続ける田代に安息の時は訪れるのか?
 ある人物との出会いが彼の運命の歯車を回す。
  ・・・・・・
だそうです。

 世の中には私も含めてこの年代の人が溢れていて,時間をもてあましているものだから,こういう人をターゲットにした本やら映画やらグッズがたくましく商戦を繰り広げていますが,そもそもそうした商戦に乗せられている人こそが,その主人公のような生き方をしている人たちでしょう。
 私はこの本も映画も見たわけではないのでその感想を書くつもりはないのですが,興味があったのは「仕事を辞める=終わる」という考え方です。組織で働くということは「自分の貴重な時間を売ってその対価をもらう」ということで,それこそが仕事なのです。しかし,農耕民族であるこの国の人々は「生きること=仕事」だったので,そう簡単に割り切れないわけです。そこにブラック企業が生まれる要因が根深く存在します。そしてまた,学生は,子供のころから自分の自由な時間も与えられず,教育という名目でドリル学習と「部活」という強制労働に明け暮れ,人生すべてが仕事という洗脳を終えて社会に出ていくのです。
 そうした,「人生すべてが仕事」に就くために学歴を手に入れようとし,学歴を手に入れるために入試で少しでも多くの点数の取れる訓練をする,というのがこの国の教育です。その結果,この巧みな企ての着地点が,仕事を辞めたあとは何もすることがない,つまり何かしたいこともなければ,するするための素養もない,ということにつながっているのです。

 私は若いころからそうした考えをまったくもっていなくて,将来一日でも早く時間と自由を得るために,仕事をしその対価としてお金を得ようと思って生きてきました。そして,それを手に入れ,早期退職をし,待望の「はじまり」をむかえました。しかし,たとえ早期退職をしなくても,退職がたとえ主体的なものでなくとも,定年というのは仕事という呪縛から解き放たれて自由を手に入れることができることだから,それは「終わり」ではなくむしろ「はじまり」だと思うのです。
 では,そうして手に入れた,あるいは入ってしまった自由をどう使うのか?
 私自身は今,やりたいことが多すぎて困っているのですが,そうしたやりたいことをしようとするとき,それをなすための知恵であるとか知識であるとか能力であるとか,そういうことをこれまでにどれだけ身につけてきたか,ということが,実は大問題なのです。それはたとえば,旅行をするときにその土地の歴史を知っているか? 言葉が話せるか? とか,コンサートに出かけたときに音楽を聴きこむための楽典を理解しているか? 作曲家や作品についてどれだけ知っているか? 楽しみで楽器が演奏できるか? とか,天文学を勉強したいと思ったときに学術書を読むための数学力があるか? 物理学の知識がどれだけあるか? などなどのことです。あるいはまた,生活を楽しむために料理を作る技術があるか? 機械がこわれたとき直せるか? コンピュータが自由に操れるか? といったことです。
 だから,本来,勉強というのはそのときのためにしてくるべきだったと思うし,そういうことを身につけるための本来の教育の機会が若いころにもっと与えられるべきだったと,今になって強く感じるのです。勉強と称した点数比べなどくそ食らえです。若いころに貴重な時間をそんなことに浪費してはいけなかったのです。

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 「超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義 」 を読んでみました。
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 平凡な女子高生・美咲のパパはなんと超ひも理論が専門の天才物理学者(そして関西人)。「理解のカギは『異次元空間』や!」と最先端物理学を嬉々として語りだすパパに,美咲は最初辟易するが…!? 物理ファン垂涎の名講義,堂々開講!
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だそうです。
 この本の著者である橋本幸士教授はNHKBSプレミアムの番組「コズミックフロントNEXT」で「宇宙が“真空崩壊”!?宇宙の未来をパパに習ってみた」に出演されて,私はその番組で知りました。この番組は
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 ある日突然宇宙が真空へと崩壊する。そんなSF映画のような可能性を物理学者たちが指摘している。果たして未来の宇宙は私たちが気づく間もなく真空崩壊で一瞬にして消え去る運命なのか? それとも超対称性粒子が発見され,宇宙の壊滅的な真空崩壊など起きないことを人類の英知が証明するのか? 「超ひも理論をパパに習ってみた」の著者橋本幸士教授を監修役にドラマ仕立てで描きながら素粒子物理学が予測する宇宙の未来の姿に迫る!
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という内容でした。

 橋本幸士教授は京都大学理学部卒業後,京都大学大学院理学研究科を修了した人で,現在は大阪大学大学院理学研究科の教授をされています。専門のひとつである弦理論をわかりやすく書いたのがこの本というわけです。
 「超弦理論」(Superstring Theory)というのは物理学の仮説のひとつです。物質の基本的単位を大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく,1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に超対称性という考えを加えて拡張したものです。宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし,同時に,原子,素粒子,クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として,世界の先端物理学で活発に研究されている理論です。

 もともと,物理学の理論を数式抜きで説明するということが無理なことなので,この種の啓蒙書には限界があるのです。それは「1+1=2」を言葉で説明しようとすることだからです。そのためには何かたとえ話を持ち出さなくてはならず,そうすると別のイメージが生れてしまいます。あるいは,駒の動かし方を知らずに将棋を説明しようという試みに似ているかもしれません。
 そもそも,物理学の理論というものは自然現象を人間の創った数式で書き表すということです。そうして書き表された数式を使って,過去に起きた事象も,これから起きる事象も矛盾なく説明できれば,その数式は正しいとされる,雑に言えばそういう感じです。物質の基本的単位を大きさが無限に小さな0次元の点粒子と考えると計算の過程でうまくいかなくなるから,それを点ではなく1次元の拡がりをもつ弦としてみよう,というアイデアが超弦理論で,そうすると計算がうまくいく,かもしれない… という感じです。
 だから,物理学の理論は,はじめに数式ありき,なのです。

 物理学を勉強すると宇宙の謎や物質の根源がわかる,というのは誤解です。物理学というのは物事の神秘を語るものでもその謎を説明するものでもないのです。物理学は数式を使って,これまでに起きたことやこれから起きることを正確に説明できる,そうした理論を創ることをめざすものです。
 そもそも,日本の高校の数学教育ではいくら勉強してもこうした数式を理解できるようにはならない,というのが問題なのです。英語教育が受験英語と批判されるのですが,それは数学も同じです。だから,私は数式を使わない啓蒙書よりも,むしろフリードマン方程式

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のような数式を高校生でもわかりやすくものすごくていねいに解説したような本があったらいいなあ,と思っています。そうすれば,数学というのは学校でやっているような受験数学ではないということがよく理解できるからです。「ひとりで学べる一般相対性理論」という本がありますが,それでも高校生には難しすぎます。

 そんなわけで,こうした数式を使わない啓蒙書を読んでも理論は理解できません。それよりも,そうした理論を考える上でのアイデアがおもしろい,とか,そういう考え方をするんだなあ,とか,そういうことを読者が納得すれば,それでこの種の本の目的は達成されるのです。その点では,この本は十分にその目的を達成することに成功しているといえるでしょう。そして,この本を若い人が読んで,物理学に興味をもてば,素敵な動機づけになるのです。
 なお,続編に「「宇宙のすべてを支配する数式」をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義」もあります。

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 講談社現代新書「不屈の棋士」を読みました。
 子供のころ将棋に夢中になっていたとき,将棋に関する本をたくさん読みましたが,今は「見る将」オンリーで,こういったものはまった手に取ることもなくなりました。しかし,「将棋世界」のような雑誌は,私には暇つぶしになるので,海外旅行に出かけて長い時間飛行機に乗るときの読み物として重宝しています。
 …ということで,この本もまったく関心がなかったのですが,おもしろいよという人がいたので読んでみました。

 内容は,
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 羽生善治二冠は将棋ソフトより強いのか。渡辺明棋王はなぜ叡王戦(コンピュータと対戦する棋士を選ぶ棋戦)に出ないのか? 最強集団・将棋連盟を揺るがせた「衝撃」の出来事,電王戦(コンピュータ相手の将棋対局)で将棋ソフト「ポナンザ」に屈した棋士の「告白」とは? 気鋭の観戦記者が「将棋指し=棋士」11人にロングインタビューを敢行。プロとしての覚悟と意地,将来の不安と葛藤…。現状に強い危機感を抱き,未来を真剣に模索する棋士たちの「実像」に迫った。
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というものです。いわれたとおりとても興味深い本でした。

 この本が出版されたのは2016年7月なので,まだ1年と少し前なのですが,しかし,今読むと,もう,内容が古いのです。出版された当時は,棋士がコンピュータに勝てなくなったり,スマホを利用した不正疑惑など,将棋界は将棋のコンピュータソフトとどう向き合うかが大問題でした。しかし,時の人・藤井聡太六段の出現で,その状況が一変してしまいました。将棋界は将棋ソフトとの共存がとてもうまくいくようになって,ふたたび脚光を浴びはじめました。
 結局,幸運も手伝って「知らない=恐れ」から脱却し利用できるようになったわけですが,将棋に限らず,人類は新しい技術が出現すると,対峙し,格闘し,その結果,それをうまく取り入れていったのです。つまり,新しい技術を活用する柔軟性が必要なのです。そしてまた,いつの時代も,それに拒否反応を示す頑固な,あるいは,プライドだけが高く,新しい技術を活用する能力のない人たちが時代から取り残されていくわけです。
 そのことと関連して,私がとても興味を覚えたのは,この本で著者がインタビューをした棋士のなかで,将棋ソフトに否定的な見解を語った渡辺明棋王や行方尚史八段が,その後の成績が振るわず,今や不振を極めていることです。このことこそがまさにそれを象徴しています。

 将棋ソフトの能力が人間を越えた,ということを対岸の火事のように捉えている人も多いのですが,このことは将棋に留まることではないのです。将棋というのはあくまで対象のひとつでしかなく,実は人工知能の発達がこの先どう人間と関わっていくかというのがこの本の隠れた本題なのです。
 ここ数年の人工知能の驚異的な発達は,知らないうちにこれまでの常識を覆そうとしているのですが,多くの人はそのことをまだ認識していません。なかでも,全く変わっていないのが学校教育です。もう数年もすれば,自動翻訳など当たり前の時代になることでしょう。ドリル学習などやっているなら学校など要らないのです。そんな時代に,未だに50年も前の語学教育と同じことをしているようでは大変なことになってしまうのに,教師はそれを認識していません。将棋の棋士の危機感のその何十分の一,いや何百分の一すらも,そうした危機感を教師がもっていないことのほうが,私には問題に思えますけれど。

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銀河鉄道の父星の図誌

 直木賞を受賞した「銀河鉄道の父」を読みました。著者は門井慶喜さんです。
 題名だけを知ったとき,この本はなにかのパロディかあるいは「銀河鉄道の夜」を題材にした推理小説なのかと思ったのですが,宮澤賢治の父の話と知って,興味をもちました。どんなにこの作品がすぐれていても,題材が宮澤賢治でなかったら,400ページを超える小説を読む気力は今の私にはありません。

 あらすじは次のとおりです。
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 宮澤賢治は祖父の代から続く富裕な質屋に生まれた。家を継ぐべき長男だったが,賢治は学問の道を進み,理想を求め,創作に情熱を注いだ。勤勉,優秀な商人であり,地元の熱心な篤志家でもあった父・政次郎は,この息子にどう接するべきか,苦悩した―。
 生涯夢を追い続けた賢治と,父でありすぎた父政次郎との対立と慈愛の月日。
 この物語では,賢治が頼りなくて,病弱で,かと思えばハマったものにはとことん異常なまでに熱中してしまうという,かなり変人で困った息子,という姿でえがかれる。
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 この本を読みながら,私は小学校のとき,担任の先生に「雨ニモマケズ」を暗唱させられたことを思い出しました。私には宮澤賢治という人の印象はずっとそれだけでした。それが急に変わったのは南半球で満天の星空を見てからでした。今の私にとって,賢治は「銀河鉄道の夜」であり,南天の星座をより魅力的にしてくれる存在なのです。
 この有史以来ずっと貧しかった日本という国は,食べるだけでも大変だったので,そのために人生は耐えることであるという美学が生まれました。その後豊かになり消費は美徳といわれるようになったので,今や世代による価値感がまったく異なります。生きてきた社会も受けてきた教育も違うのです。したがって,父親の世代に最も大切だったものが子供の世代にはどうでもよいことになってしまっています。父親は早くそれを悟って,自分の価値観をさっさと放棄すれば家庭は平和で子供もしあわせなものを,父親が自分の価値観を子供に押しつけることから多くの悲劇が生れます。

 子供にとって父親というのは経済的な支えと精神的な支えという両面をもつ存在です。父親にその両方があれば理想なのでしょうが,このように,親と子の価値観が違うので,父親に精神的な支えを求めることが困難です。せめて経済的な支えさえあれば救いがありますが,それすらなかなか難しいのが現状です。そういう意味で,賢治の父親は経済的な支えがあったから救いがあるのです。
 賢治は,おそらく,父親からみたらほとほと困った息子だったのでしょう。この小説でえがかれる賢治の父にもあの時代の父親のもつ頑固さを垣間見ることができるのですが,この父親は、それ以上に賢治をかわいがってつい甘やかしてしまうのです。しかし,それは賢治には精神的な支えとならずとも,自分の人生を邪魔されないという消極的な救いとなっています。
 このように,この本は賢治の父親をえがいているようにみえるのですが,実際は賢治の伝記です。賢治の幼少期のエピソードや,青年期の法華経への入信,そして,家を出て東京に住み零細出版社で働いたり,花巻に舞い戻って農学校教師になったり,さらに,それも辞めてひとりで芸術と農業のコミュニティを作ろうとしたり… という賢治の人生の軌跡が捉えられています。また,どの時代にも共通の,女たちの,男のかげにかくれているようで,実はけなげに家を裏から支えているといった存在感もよくえがかれています。

 残念だったのは,この本には賢治の愛した星空のことがまるで書かれていなかったことです。私にはそれが残念でした。私にとっての宮澤賢治は,南半球で見る星空を何倍も魅力的にする存在だからです。しかし,それを求めることは,私が大切にする「宮澤賢治・星の図誌」という本にゆだねるとしましょう。

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「銀河鉄道の夜」-宮澤賢治の語る美しき南天の星空とは?

銀河鉄道

 今日は「断捨離」でも捨てることのできなかった30年以上前に読んだ本の第二弾です。
 「ブレックファーストはアメリカで」というのは私には謎に包まれた本です。著者は蒼井マキレさんなのですが,そもそもこの蒼井マキレさんという人がよくわかりません。年齢も不詳です。この本は1980年に発行されたものなので,今から38年前の本です。内容は,結婚している! 女性がたったひとりでアメリカに行って8月2日から9月15日まで1か月半にわたってサンフランシスコからボストン,そこで折り返してボストンからロスアンゼルスまでアメリカ大陸を横断した旅行記なのです。
 
 当時の私もまた,こうしたアメリカ大陸横断に憧れていたので,この本を購入し読んでかなりの刺激を受けたわけですが,今読み返してみても,時代の差,さらに,この著者の書いていること -それは著者の主観ですが- と私が見た実際のアメリカの姿との違いが,とても興味深いものです。
 この著者はやたらと「黒人」,しかも彼らを「危険な人」と書いていて差別意識丸出しですが,それもまたいかにも40年近く前の日本人の考えかたそのものです。当時はみんなそんなものでした。それよりも私が一番驚いたのは,その当時にけっこうたくさんの日本の大学生がアメリカを独力で旅していたということなのです。
 今,アメリカの田舎町を歩いても,日本人に会う,特に旅をしている大学生に会う,などということは本当に皆無です。というよりもまったくいないといっても過言でないくらいです。しかし,今から40年前は,大学生になったらまずは大きなバックパックを背負って北海道をひとりで巡るのが通過儀礼でした。そして,それを経験したら,勇気ある者は今度は海外に飛び出していったものです。そうして世界を知り,社会に出ていったわけです。
 今に比べたらそんなことをするのはずっとそれは困難だったはずなのに,今よりもずっと多くの若者が海外に出ていったのです。

 それにしても,私がずっと気になるのはこの本の著者のことです。今となっては,この本のことも,そして著者のこともネットで調べても何も出てきません。この世にはこの本もこの著者もなかったかのようです。いくら今から40年も前に,女性がアメリカをひとり旅するというのが珍しいといっても,たかが単に1か月半という短期間の旅をしただけのエッセイなど,それは今ならブログにごろごろあるような内容であるにもかかわらず,その当時はそれだけの旅行記が単行本となりなました。しかし,ほとんど話題にもらなず,そして,今ではすっかり忘れ去られているのに,私がそれを大切に持っていて,何度も読み返しているというのが不思議な話です。
 こんな読者がいるということを知ってもらうために,今,この本の著者に会ってみたいものです。
 しかし,もし,私がこの女性に会うことができたとして,そのとき私がこの女性に好意をもつか,あるいは嫌悪をいだくかという,この女性の性格は本を読んでもどうしてもわからないのです。ただ,今から40年近く昔に,私はこの女性がどういう人かということよりも,この女性のしたような旅に憧れていたから,本を読んてずいぶんと刺激をうけたのです。そして,それから40年近く経って,幸運にも私もまた,このような旅を実現することができたのです。

 最後に付け足しです。
 この当時のアメリカはとても自由に旅ができました。アメリカへの入国は楽でしたし,アメリカからの出国なんてただ飛行機に乗るだけでした。むしろ日本に帰ってからのほうが厳しかったほどです。
 しかし,残念なことに,今は,この本の著者のような若い女性が,留学とかパック旅行ではなくひとり旅でアメリカに入国することが,非常に困難な状態となってしまいました。それは,アメリカで偽装結婚をして国籍を手に入れ,家族までも呼び寄せる,という悪質なことが頻発して,アメリカ政府がガードを固くしているいるからなのです。今は女性がアメリカをひとり旅することすら困難な時代となってしまいました。

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 「断捨離」をしてずいぶんと多くの本を処分しましたが,30年以上前に読んだ本は自分の原点なのでその対象外,ということで今でも大切にしているものです。
 その中からいくつかを紹介しましょう。今日は「ふたたびキットピークへ」です。

 この本を書いたのは出口修至さん。本が出版されたのは1982年で,当時34歳の新進気鋭の学者さんでした。その後は国立天文台野辺山宇宙電波観測所准教授になられて退職されました。専門は電波天文学,メーザー理論ということで,この本にもそうした内容がたくさん出てきます。電波天文台は現代の花形ですが,35年前の私には全く興味のない分野で,それが残念でした。
 この本は,アメリカで研究生活をする合間にアメリカの天文台巡りをしたときの紀行です。アメリカと天文学に憧れていた私にとっては最高の本でした。題名にある「ふたたびキットピークへ」というのは,23章のうちのひとつの題名です。私はこの本を読んで以来,ずっと,このキットピークという名前が頭からはなれなくなりました。
今となっては古くさい内容のところも多くあるのですが,その反対に,その当時は夢物語だったことが今では実現されていることもたくさんあって,とても興味深いものです。

 はじめて読んだとき,すごいなあ,自分もこんな旅がしてみたいなあと強く思ったことでした。アメリカなんて遠い世界でした。もうこのときはアメリカへ2回行っていたのですが,それでも,郊外の天文台に行くなんて思いもよりませんでした。そして今,この本の中のジョンソンスペースセンターにもケネディスペースセンターにも私はすでに行くことができました。そして,アメリカ各地の情景が頭に浮かぶようになりました。
 そのように,今の私には旅をしている様子が具体的にわかります。それが自分にはとてもうれしいことであるとともに,そのころの夢が蘇ってきました。そして,私も行くぞ,と改めて決意したことです。

 今日は最後にキットピーク天文台を紹介しておきましょう。
 キットピーク国立天文台はあまり天文台らしからぬ外観に反して世界最大級の光学望遠鏡群がある施設であり,一般公開されている天文台です。ガイド付きツアーに参加すると施設の沿革を学んだり,望遠鏡の見学ができますし,世界最大級の太陽観測望遠鏡であるマクマスピアス望遠鏡とキット ピーク最大の4メートル級光学望遠鏡であるメイオール望遠鏡が年中無休,入場無料で公開されています。
 キット ピーク国立天文台はアリゾナ州ツーソンから87キロメートルの距離にあって,山頂までの絶景を堪能しながらレンタカーで行くことができるということです。

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