しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:「知る」 > 自然を知る

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1年の気温x降水量b

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 自宅で過ごすには天気も気温もそれほど気にすることもないのですが,問題になるのは,外出するときです。特に旅に出るときにもっとも問題となるのは天気ですが,こればかりは運以外のなにものでもありません。とはいえ,およその傾向を知ることは必要です。
 そんなわけで,先日,7月から10月までの私の住む地方の最高気温と降水量を気象庁のデータからグラフ化したものをあげたのですが,興味をもったので,1年間に拡張してみました。こうして表示してみると,いつも,そのとき限りで忘れてしまう1年間の傾向が,きちんとわかってきました。

 最高気温は,冬はおよそ摂氏12度程度で,1月はじめから2月末まではほとんど変わりません。また,夏は摂氏35度程度で,これもまた7月はじめから8月末まではほとんど変わりません。
 春の訪れは3月で,日に日に気温が高くなっていくのですが,おもしろいことに,そのまま7月まで上昇するのではなく,4月から5月中旬までは摂氏23度程度で一定で,5月中旬から6月までが28度程度で一定というように,2段階で高くなっていくのです。そこで,気温としては過ごしやすい時期が長く続くことになります。それに対して,秋は春とは異なり,11月から12月の2月にわたってずっと低くなっていきます。過ごしやすいのは10月で,気温が20度から25度で一定。この気温が摂氏25度程度で続く年と摂氏20度程度で続く年があって,高いときは過ごしやすい秋となり低いときは小寒い秋となります。
  ・・
 降水量は,3月中旬から4月末まで,6月から7月中旬まで,そして,8月中旬から9月中旬までが多い時期になります。また,台風の影響があると,これとは違うこともあります。
 気温を降水量と並べて見てみると,春の過ごしやすい時期は雨が多く,秋の過ごしやすい時期は雨が少ないということになります。また,気温と降水量だけではわかりませんが,春は,花粉や黄砂などの影響もあり,気温は安定していても,雨に加えてこうした外的な要因もあるのが問題です。
 こうしてみると,1年で,もっとも気持ちのよい季節は10月ということになるかもしれません。

 四季があるのは日本に限るものではありませんが,それでも,3か月ごとにはっきりとした筋目があるのはめずらしいということです。温暖化の影響なのか,このごろは,昔のような「美しい」四季とは異なるように感じているのですが,調べてみると,それでもはやり,春夏秋冬,それぞれ明らかな違いがあるものだと思いました。
  ・・
 幕末,そんな日本に人生を四季に例えた吉田松陰がいました。
 吉田松陰は,反幕府運動をしたとして処刑される直前,江戸・小伝馬町牢屋敷の中で全十六節からなる「留魂録」を書きました。「留魂録」は,「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」という辞世の句を巻頭にしてはじまりますが,「留魂録」の第八節は吉田松陰の死生観を語っているものです。
  ・・・・・・
 今日死ヲ決スルノ安心ハ四時ノ順環ニ於テ得ル所アリ
  ・ 
 十歳ニシテ死スル者ハ十歳中自ラ四時アリ
 二十ハ自ラ二十ノ四時アリ 三十ハ自ラ三十ノ四時アリ
 五十 百ハ自ラ五十 百ノ四時アリ
 十歳ヲ以テ短トスルハ惠蛄ヲシテ霊椿タラシメント欲スルナリ
 百歳ヲ以テ長シトスルハ霊椿ヲシテ惠蛄タラシメント欲スルナリ
  ・・
 今日,私が死を目前にして平穏な心境でいるのは,春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。
  ・
 人間にもそれに相応しい春夏秋冬があるといえるだろう。
 十歳にして死ぬものにはその十歳の中に自ずから四季がある。
 二十歳には自ずから二十歳の四季が,三十歳には自ずから三十歳の四季が,
 五十,百歳にも自ずから四季がある。
 十歳をもって短いというのは,夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
 百歳をもって長いというのは,霊椿を蝉にしようとするようなことで,いずれも天寿に達することにはならない。
  ・・・・・・
 司馬遼太郎さんの小説「世に棲む日日」に詳しく描かれ,1977年(昭和52年)これを原作とした大河ドラマ「花神」で篠田三郎さんが吉田松陰を演じました。

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With walk-off SLAM,
Ohtani becomes fastest to join 40-40 club.

大谷翔平選手,おめでとうございます。
通訳の William Augustine Ireton さん,インタビュアーの Kirsten Watson さん,とばっちり。
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西に花火・東に雷の共演。

花火が終了するやいなや,土砂降りになりました。
現地に行った人は屋根もなくどうしたことだろう?
遠くから車で見ていた私は実害ありませんでした。
aaaaaaaaa


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 覚悟していたとはいえ,今年2024年はとても暑い夏です。昨年も暑く,10歳は年老いたように感じたので,今年はその二の舞にならないようにと,遠出は避け,早朝と夜に散歩をして,昼間はクーラーの効いた室内で過ごしているので,ほとんど気にならないのですが,日々の気温を見ると,昨年以上のようです。
 「のど元過ぎれば熱さを忘れる」といいます。このことばの熱さというのは暑さのことではないのですが,天候もまた同じようなもので「夏を過ぎれば暑さを忘れる」と,秋になると,夏の暑さを忘れてしまうようです。これではいけないと,いったい私の住む地方の7月から10月までの4か月間の最高気温と降水量を調べて,数値として実証してみることにしました。
 6月は梅雨でとても蒸し暑いと思っていたのですが,最近は,6月は雨も少なく過ごしやすい日々が続きます。そして,7月になると,突然暑くなって雨が多くなるような気がします。また,9月になると秋が来るように思われるのですが,実際は,相変わらず暑く,また,9月の第1週は雨が続きます。9月の後半になると,やっと秋の兆し訪れ,10月になると,急速に涼しくなり,いい天気が続くようになる…。私は,そんなイメージがあったので,7月から10月までを取り上げてみたわけです。
 それが今日のグラフです。

 やはり,思っていた通りの結果になりました。
 気温では,私のイメージ通り,10月になると,急に低くなります。9月末までは30度を超えるのが当たり前なのが,突如25度以下に5度以上も下がり,私には最高の季節となります。免疫力のない人や,自己抑制のできない人は,この時点で風邪をひくわけです。
 話がズレますが,投資では,数値の変動は,サインのグラフのように動くのではなく,ハイパボリックサインのグラフのように動きます。それに対して,気温は,サインのグラフのように動くのではなく,ハイパボリックタンジェントのグラフのように動くのです。だから,夏の暑さと冬の寒さは3か月ほど一定に続き,春と秋は急速に変わっていくのです。

 降水量は,台風が来るかどうかでずいぶんと異なるのですが,台風という例外を除くと,これもまた,明白な特徴がわかります。
 「梅雨明け10日間」といいます。それは正しく,7月20日ごろの梅雨明けからの10日間くらいは,非常に降水量が少ないです。それを過ぎると9月の中旬までは雨が多いのですが,秋分の日を境に安定し,10月中旬以降は晴れの日が続き,空気も澄んで,気持ちのよい季節になります。
 1964年に行われた東京オリンピックの開会式は10月10日に行われました。それは,もっとも晴天率が高い日だったからです。それなのに,今は,金儲け優先の社会になってしまい,オリンピックもアメリカで視聴率がとれる真夏に行わるという暴挙が横行することとなりました。また,私が高校生のころは,学校祭も9月下旬から10月はじめに行われていたのに,共通一次テストがはじまって以来,日程を早めて9月のはじめに行われるようになったので,毎年雨に悩まされることとなったそうですが,そんな自然の摂理に反することをすれば当たり前です。

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Supemoon, Bluemoon and Sturgeon Moon 2024.

「ブルームーン」はひとつの季節(6月21日夏至から9月22日秋分)に満月が4回あるとき,
そのうちの3回目の満月か,1月に2回満月があるときの2回目の満月のことです。
2024年は季節の「ブルームーン」で,約2.5年から3年に1度しかありません。
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 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といいます。多くの人は昨年の夏が猛暑であったということを忘れてしまっていたのではないでしょうか。実際は,昨年2023年の夏は猛暑でした。7月20日ごろまでは涼しかったのですが,突然暑くなりました。そして,その暑さは9月になっても一向に変わらず,そのまま猛暑が続きました。だから,8月よりも9月が辛かったようです。ところが,10月になるやいなや,突然涼しくなりました。
 そんな2023年の夏,私は,そろそろ涼しくなるだろうと,8月20日から隠岐諸島へ旅行に行ったのですが,この時期は長袖を持っていくほうがいいと書かれてあった隠岐諸島も非常に暑く「今年は例年とはまったく違う」と言われました。そんなこともあって,夏バテになり,夏が過ぎたとき,10歳は歳をとったように感じました。

 そこで,2024年も昨年同様に猛暑がくると予想し,7月20日から8月末まではどこへも行かないぞ,と決心しました。そして,9月は8月の様子を見てどうするかを決めることにしました。
 実際,予想した通り,2024年も猛暑となりました。連日,摂氏40度近い毎日が続いています。昨年よりもさらに暑いようですが,それは,私が想定したとおりだったので,家に籠りはじめました。しかし,ひとつ大きな誤算がありました。それは,家にずっといると,やはり調子が悪くなるのです。体を動かさないと重たく感じるようになり,太ってきました。
 ということで,考えたのは,涼しい時間に外に出て体を動かそう,ということでした。
 昔は,夏は,午前10時まではクーラーなしでも大丈夫でした。また,午前8時くらいまでは,動いても汗をかきませんでした。しかし,今は,午前5時30分を過ぎると無理です。この時間になると,セミが鳴きだし,人々が活動を開始しはじめるのですが,突然暑くなるのです。この時間にまだ寝ている人はわからないことでしょうが…。

 私は,朝は午前4時過ぎには自然に目が覚めます。この時期は夜が明けるのが早いので,朝は午前4時30分を過ぎるとすでに明るいです。そこで,午前4時30分から1時間ほど散歩をすることにしました。
 ほとんど人がいない街というのはおもしろいものです。マンウォッチならぬハウスウォッチをすることができます。この家のひとは,こんなムダなことにお金をかけているんだなあ,とか,この家には,たくさんの子供がいるんだなあ,とか,そんなことを思いななら歩くのです。まれに,犬の散歩をしている人を見かけますが,犬のペースでだらだらと歩いたら,犬には運動になっても人には運動になりません。ラジオをかけながら歩いている人もいます。クマがでるわけでもないし,せっかくの静寂が壊れるので,やめてほしいです。
 そして,歩き終わったころ,家の近くにあるマクドナルドで休憩して,家に戻り,シャワーを浴びます。ほかに客のいないマクドナルドでアイスコーヒーを飲むのも悪くありません。
 そして,夜にも,午後8時から,また,1時間ほど歩きます。朝とは違って,自転車で遠出して,自宅から少し離れた公園などで歩きます。すると今度は,まだ青いクリの実やギンナンの実,一面のヒマワリ畑など見ることができます。朝とは違って,午後8時というのは,まだ暑いです。昼間の熱気がさめていないのです。しかし,1日に1度は少し汗をかくのも悪くない。それは,帰宅してすぐに入浴をするからです。
 こんな日常をおくると,1日に約1万歩ほどは歩くことができるので,体の調子もよいのです。

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2023年の天気
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スピカ食。

8月10日,スピカが月に,午後8時21分に潜入し午後8時51分に出現しました。
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 2024年1月13日,上野の森美術館で開催されている「モネ 連作の情景」(Claude Monet: Journey to Series Paintings)を見てきました。
 以前の私は,モネとマネの区別すらつかなかったのですが,このごろ,やっと,その違いがわかってきました。その違いは,すでに書いているように,1840年生まれのモネは印象派の巨匠,1832年生まれのマネは近代美術の巨匠で,曰く「モネがマネのまねをした」とか何とか…。
 2020年1月8日にコート―ルド美術館展に行って,マネの傑作「フェリー・ベルジェールのバー」(Un bar aux Folies Bergère)を見て痛く感動しましたが,これがマネです。一方,モネはなんといっても「睡蓮」(Les Nymphéas)で,モネの絵を模した「モネの池」なるものがいろいろな場所にあります。モネは「睡蓮」というブランドで客寄せができるのです。

 さて,今回の「モネ 連作の情景」は,「印象派」の誕生から150年目を迎えることを記念して開催され,国内外40館以上のクロード・モネ作品を厳選して展示するもので,期待して出かけました。
  ・・・・・・
●モネの連作絵画に焦点を当てた展覧会 
 モティーフの一瞬の表情や風の動き,時の移り変わりに着目したモネは,同じ場所やテーマを異なる天候,異なる時間,異なる季節を通して描き,「連作」という革新的な表現手法により発表しました。
 この「連作」に焦点を当てながら,時間と光とのたゆまぬ対話を続けた画家の生涯を辿ります。
●100%モネ!! 展示作品のすべてがモネ
 日本初公開となる人物画の大作「昼食」を中心にした「印象派以前」の作品から「積みわら」や「睡蓮」などの多彩なモティーフの「連作」まで,「100パーセントモネ」の贅沢な展覧会です。
  ・・・・・・
 ということだったのですが…。

 コロナ禍以前の美術展は,人だらけで,作品を見るよりも人の頭を見にいくようなものでしたが,ここ数年は,入館制限もあって,非常に落ち着いた中で鑑賞することができました。
 今回は,そこまではムリだとしても,人数制限もあるから,マシだろうと思ったのですが,さにあらず。作品を見るよりも,人の頭を見るだけのものでした。こんな状況では,「連作」を見比べることも能わず,モネの絵画に描かれた光を味わうこともできず,何も感じませんでした。土曜日の午後,というのが失敗でした。これは美術展ではありません。人数制限などあってないようなもので,たくさん人を入れて入場料で稼ごうとするだけの魂胆です。これでは,もう,東京で開催される美術展は,行く気が起きません。平日の早朝に大阪展へ行くほうが少しはマシか?

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 冬は空気が澄んでいるので空が美しく,特に,かわたれどきといわれる明け方の東の空は絶品です。一方,別の方向を見ると,雪を被った御嶽山,伊吹山などの山々も美しく輝いていて,神秘的に見えます。
 今年1月は,東の空に,月,金星,水星が揃い踏みです。また,さそり座が横たわっていて,さそり座の1等星であるアンタレスも明るく輝いています。月の位置が少しずつ変わるので,毎朝見ても飽きるものではありません。
 今日の写真は,上から順に,2024年1月7日,1月8日,1月9日,1月10日に写したものです。特に,1月10日は月齢が27.9という,見えたらもっけものの月の姿です。
  ・・
 明るく輝いている金星の西方最大離角は昨年2023年10月24日で,今は,次第に高度が低くなってきています。一方,水星は2024年1月12日に西方最大離角となるので,次第に高度が高くなってきています。この日まで金星と水星は近づいていくのですが,それを過ぎると,共に,ほぼ同じ間隔を取ながら,高度を下げ,太陽に近づいていって,1か月後には,明け方の空に見ることはできなくなります。
 また,月は2024年1月10日に新月となります。
  ・・・・・・  
 地球よりも太陽の内側にある水星や金星は,地球からは見かけ上太陽からある角度以上離れることはありません。その角度が最大のときを最大離角といい,夕方の空に見えるとき,つまり,太陽の東側にもっとも離れるのが「東方最大離角」,明け方の空に見える,つまり,西側にもっとも離れるのが「西方最大離角」です。
  ・・・・・・
 水星の下には火星があって,火星,水星,金星がほぼ等間隔に並んでいるということなので,昇ってくる火星を見ようと工夫をしてみたのですが,火星が地平線から昇ってくるころには夜が白んできて,見ることができませんでした。

 以前載せたことがある歌ですが 
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 阿加等伎乃 加波多例等枳尓 之麻加枳乎 己枳尓之布祢乃 他都枳之良須母
 暁の かはたれ時に 島蔭を 漕ぎ去し船の たづき知らずも
 暁の薄明かりの時に島陰を漕ぎ去った船がなんとも心細く思えることよ
  「万葉集」巻20・4384 他田日奉得大理(おさだのひまつりのとこたり)
  ・・・・・・
 街灯もなく,空が暗いので,今よりも明け方の空は美しかったと思うのですが,「万葉集」には,夜が明ける前について,あまり詠んだ歌がありません。この歌を詠んだ他田日奉得大理は,奈良時代の防人にして下総海上郡の国造ということです。

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 今年ほど,秋がすばらしい,と思った年はありません。ともかく,夏がひどすぎました。
 先日行った高知県立牧野植物園では,アサギマダラやツマグロヒョウモンがヒヨドリバナのまわりを,モンキアゲハがアザミのまわりを舞っていました。歩いていても,汗をかくこともなく,ほんとうに気持ちがいい時間を過ごすことができました。
 秋といえば,食欲の秋でもあります。多くのおいしい食べ物がありますが,私には,秋の食べ物といえば,マツタケよりも,何といってもサンマです。以前は,安物の魚と位置づけられていたサンマですが,近年は不漁で,なかなかお目にかかりません。ウナギよりも貴重なほどです。私は,先日,やっと1匹所望することができました。
 しかし,蝶もサンマも,それぞれを詠ったものは,残念ながら万葉集にはありません。蝶については以前書きましたが,サンマは,そもそも,それを食べはじめたのが江戸時代のころだからです。

 とはいえ,サンマには「目黒のサンマ」という有名な古典落語があります。当時,低級な下魚として扱われていたサンマを,庶民的な流儀で無造作に調理すると美味だが,丁寧に調理すると不味い,という内容の滑稽噺で,3代目三遊亭金馬が得意とした演目です。
  ・・・・・・
 ある殿様が目黒まで鷹狩に出ました。供の者が弁当を忘れたために腹を空かせている殿様のもとに,うまそうな匂いが漂ってきました。殿様が匂いの元を尋ねると,家来が「これはサンマというものを焼く匂いですが,サンマは庶民の食べる下魚なので,殿のお口に合うものではありません」と答えました。
 しかし,空腹に耐えかねた殿様は,サンマをを持ってくるよう命じました。家来が,農家から直接炭火で焼いた「隠亡焼き」のサンマをもらってきました。サンマは黒く焦げて脂がしたたっていましたが,はじめて食べた殿様は,そのうまさに大喜びしました。
 そのうまさが忘れられず,殿様は,ある日,サンマを出すよう家来に申しつけました。家来は慌てて日本橋の魚河岸でサンマを買い求めたのですが,焼くと脂が多く出て体に悪いということで,蒸籠で蒸して脂をすっかり抜き,骨がのどに刺さるといけないと骨を1本1本抜いて椀にして出しました。
 殿様が食べてみると,目黒で食べたものとは比較にならぬまずさです。どこで求めたか尋ねると,家来は「日本橋魚河岸で求めてまいりました」と答えます。殿様はしたり顔で「ううむ,それはいかん。さんまは目黒に限る」。
  ・・・・・・

 サンマという名前は、元は「さいら」とよばれていたようで,「細長い魚」という意味から来ているという説と「大きな群れを作る魚」から来ているという説とがあります。「秋刀魚」の表記が一般的になったのは大正時代のころで,佐藤春夫の「秋刀魚の歌」という詩が発表されて広く知られるようになったとされていて,明治時代に書かれた夏目漱石の「我輩は猫である」の中では「三馬」の表記が使われていました。
  ・・・・・・
 あはれ秋風よ 情あらば伝へてよ
 ――男ありて
 今日の夕餉にひとり さんまを食ひて
 思ひにふける と
    佐藤春夫「秋刀魚の歌」 

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 吾輩は猫である。名前はまだない。
 どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
  ・
 吾輩は再びおさんの隙を見て台所へ這い上った。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り,這い上っては投げ出され,何でも同じ事を四,五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんという者はつくづくいやになった。この間おさんの三馬を偸んでこの返報をしてやってから,やっと胸の痞が下りた。
    夏目漱石「我輩は猫である」 

  ・・・・・・

 サンマが食べられるようになったのは江戸時代のころからです。当時は淡白な味わいが最上とされていたので,脂の乗り切った房総のサンマは粋ではないといわれました。贅沢な話です。その後,江戸の人口増加で安い大衆魚として食生活に定着し,それとともに,おいしい物として人気になっていきました。
 いつまでもサンマが食べられますように。

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 2023年10月27日は,旧暦の9月13日。この夜の月を「十三夜の月」といいます。「十三夜の月」は「中秋の名月」,つまり「十五夜の月」の次の満月の直前であることから「後の月」ともよばれます。 「中秋の名月」を愛でる風習は中国から伝わったものですが,「十三夜の月」を愛でる風習は日本独自のものです。
 松尾芭蕉が
  ・・・・・・
 仲龝(=中秋)の月はさらしなの里,姨捨山になぐさめかねて,猶あはれさのめにもはなれずながら,長月十三夜になりぬ。今宵は宇多のみかどのはじめてみことのりをもて、世に名月とみはやし
  「笈日記」(おいにっき) 松尾芭蕉
  ・・・・・・
と書いたように,王朝文化華やかなりし平安時代の前期,59代宇多天皇が十三夜の月を「無雙」(むそう),つまり最高だ,と賞したのがはじまりだとも,60代醍醐天皇が「月見の宴を催した」のがはじまりだともいわれています。
 完全よりも少しだけ劣るものを愛する,なんて,いかにも日本らしいと私は思います。よくいえば,謙虚,悪くいえば,へそ曲がりなのです。

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 雲消えし 秋の半ばの 空よりも 月は今宵ぞ 名におへりける
   「山家集」 西行
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 八月十五日・九月十三日は,婁宿(ろうしゅく)なり。この宿,清明なる故に,月を翫(もてあそ)ぶに良夜とす。
   「徒然草」239段 吉田兼好
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 古代中国の天文学では,天球の黄道にある星々を28のエリア(=「星宿」といいます)に分割し,これを「二十八宿」としましたが,婁宿はその「二十八宿」のうちのひとつで月を鑑賞するのに適した宿のことを指します。
 「中秋の名月」は「芋名月」,「十三夜の月」は「豆名月」「栗名月」といいます。 また「十五夜の月」と「十三夜の月」をあわせて「二夜の月」といって,どちらか一方の月しか見ないことを「片見月」といって忌み嫌うそうですが,これは,江戸時代,吉原遊郭が紋日(もんび=遊郭で五節句や松の内など特別な日のこと)だった「十五夜」に登楼した客を「十三夜」にも再訪させるためにそういいはじめたとも,もともとあった「片見月」の伝承を吉原遊郭が利用したともいわれているようです。
 なお,吉原遊郭の遊女たちは,このどちらかの日にしか登楼しない客のことをも「片見月」とよんで忌み嫌ったということです。

 まあ,そうした話はともかく,私は,今年,「中秋の名月」も「十三夜の月」も美しく眺めることができたので,「方見月」にはならず,ホッとしました。

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 2023年夏。これほど自然が敵に思えた年はありませんでした。ひどかった7月,8月,9月でした。こうした3か月が老化を進めるのです。一挙に10年は齢をとります。毎年これではたまりません。
 もう秋は来ないのか,と思っていたのですが,10月になったら,突如,すずしくなって天気もよく,忘れていた気持ちのいい季節が戻ってきました。今や,春は,黄砂がひどく,雨ばかりで,気持ちのよい季節ではありません。かろうじて残るよい季節が10月から11月にかけてのたった2か月なのです。

 秋といえば,私には彼岸花とコスモスですが,彼岸花の季節は終わってしまい,コスモスだけが野山に咲き誇っています。しかし,コスモスが日本にやってきたのは明治以降のことなので,コスモスを読んだ「万葉集」の歌はありません。コスモスはメキシコ原産のキク科の1年生植物で,ヨーロッパに移入されて,Cosmos bipinnatus Cav. と名づけられ,これが和名にもなっています。
 彼岸花とコスモス以外に,秋といえば,柿の実,萩,ススキです。
 しかし,昔から食べられていたのに,「万葉集」には柿の実を詠んだ歌はないそうです。
 それに比べて,多くの歌が詠まれているのが,ススキに萩。
 ススキはイネ科の多年草で,花穂の形から尾花ともよばれます。「万葉集」には,ススキとして詠われているのが17首,カヤが10首,尾花が19首あります。
  ・・・・・・
 賣比能野能 須々吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊
 婦負の野の すすき押しなべ 降る雪に 宿借る今日し 悲しく思ほゆ
 婦負(ねひ)の野(=富山県射水市付近の野)に ススキを押さえて雪が降っている この中で宿を取らねばならない(=野宿)と思うと 今日は悲しい日に思われる
   巻17・4016 高市黒人
  ・・
 黒樹取 草毛苅乍 仕目利 勤和氣登 将譽十方不有
 黒木取り 草も刈りつつ 仕へめど いそしきわけと ほめむともあらず
 黒木を伐採しかやを刈り取って懸命にお仕えしても 勤勉な小僧だとほめて下さいませんよね
   第4巻・780 大伴家持
  ・・
 人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言
 人皆は 萩を秋といふよし我れは 尾花が末を 秋とはいはむ
 どの人も萩こそ秋の代表のようにいうようだが 私は尾花の穂先こそ秋の代表選手といいたい
   第10・2110 詠み人知らず
  ・・・・・・

 萩は秋の風物詩として「万葉集」に最も多く詠まれ,その数は141首とも142首ともいわれているそうです。
  ・・・・・・
 吾妹兒尓 戀乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾
 我妹子に 恋ひつつあらずは 秋萩の 咲きて散りぬる 花にあらましを
 彼女に恋い焦がれ悶々としているくらいなら たとえいっときでも咲いて散る秋萩になりたい
   巻2・120 弓削皇子
  ・・
 高圓之 野邊乃秋芽子 徒 開香将散 見人無尓
 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
 高円(=奈良県春日山)の野辺いっぱいの秋の萩 いたづらに咲いて誇っているのだろうか 愛でる主人もいなくて
   巻2・231 笠金村(かさのかなむら=万葉歌人)
  ・・
 如是耳 有家類物乎 芽子花 咲而有哉跡 問之君波母
 かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも
 こんなことにおなりになるとは知らず 萩の花は咲いただろうか とおたづねでしたね
   巻3・455 余明軍(よみょうぐん=渡来人)
  ・・・・・・

◇◇◇
藤井聡太八冠誕生。

大逆転の勝利でした。
おめでとうございます。
無題


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 日本の夏の代名詞といえば,セミの鳴き声です。今住んでいるところは,夏になるとうるさいくらいセミが鳴いています。
 若いころは,ニーニーゼミやアブラゼミが多かったと思うのですが,ちかごろはクマゼミばかりです。それは,クマゼミが暑さに強いから,という説があります。
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 木に産みつけられた卵からセミの一生ははじまります。卵はそのまま冬を越して,翌年に卵からかえった幼虫は木から落ちて土の中に潜ります。そして,土の中で3年から17年という長い間を過ごしたあと地面に出てきて,木に登って羽化し,セミの成虫になります。このときのぬけがらが木に残っているのを見ることができます。そして,3週間から1か月くらいで一生を終えてしまいます。
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 セミが鳴くのはオスだけで, 大きな声で鳴くことで仲間に存在を知らせたり,メスへの求愛アピールです。鳴き声が力強くよく通る声の方がモテるようです。

 毎日セミの鳴き声を聴いていて,どうやらセミの鳴く時間が決まっているようだ,と思うようになったので,調べてみました。
 すると,セミが鳴く時間はセミの種類によって決まっているということを知りました。
 私の住むところに大量にいるセミはクマゼミで,およそ午前5時30分ごろに第一声が発せられて,それを合図にはじまります。そして,午前11時を過ぎるとすっかり鳴きやむのです。つまり,セミの鳴き声は目覚まし代わりとなり,昼食の時間だよ,という合図にもなるわけです。
 夜に鳴いている別のセミもいるのですが,探してみたら,これはニイニイゼミやアブラゼミでした。
 セミは基本的に夜は鳴かないのですが,条件さえ満たせば夜でも普通に鳴くそうです。その条件というのは,街灯が明るいことと,気温が暑いことです。

 また,アメリカに住む私の友人が,アメリカではセミがいない,と言ったので,これもまた調べてみました。これもまた,いないという人と,いるという人がいます。セミは,アメリカでは比較的あまり見ない昆虫で,東部では少数のセミがいますが,西海岸ではそもそもセミを見たことがない人も多いそうです。考えてみれば,私も,夏に結構な回数でアメリカへ行きましたが,西海岸にせよ,東海岸にせよ,セミの鳴き声は聴いたことがありません。
 そんなアメリカですが,2021年に「ブルードX」(BroodX)というセミが大量に発生したという報道がありました。
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 2021年,アメリカでは,地下から数十億匹のセミが出てきました。
 「ブルードX」とよばれるそのセミは,17年に一度のサイクルでアメリカの大西洋に面した中部諸州や中西部などで大量発生する周期ゼミの一種で,2021年がその発生年に当たりました。
 「ブルードX」が出現しはじめるのは地面の温度が約18度に達する5月上旬から中旬ごろですが,インディアナ州とオハイオ州の南部からメリーランド州へ広がり,その後,ペンシルバニア州やニュージャージー州までの範囲で発生しました。しかし,5,6週間するとすべて死んでしまいました。
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キャプチャ
 ところで,「万葉集」には,「せみ」について詠んだ歌が10首あります。そのうちの9首は
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 隠耳 居者欝悒 奈具左武登 出立聞者 来鳴日晩
 隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし
   巻8・1479 大伴家持
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 黙然毛将有 時母鳴奈武 日晩乃 物念時尓 鳴管本名
 黙もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に鳴きつつもとな
   巻10・1964 詠み人知らず
  ・・
 日倉足者 時常雖鳴 我戀 手弱女我者 不定哭
 ひぐらしは時と鳴けども片恋にたわや女我れは時わかず泣く
   巻10・1982 詠み人知らず
  ・・
 暮影 来鳴日晩之 幾許 毎日聞跡 不足音可聞
 夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも
   巻10・2157 詠み人知らず
  ・・
 芽子花 咲有野邊 日晩之乃 鳴奈流共 秋風吹
 萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く
   巻10・2231 詠み人知らず
  ・・
 由布佐礼婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曽安我久流 伊毛我目乎保里
 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
   巻15・3589 秦間満
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 故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母
 恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも
   巻15・3620 詠み人知らず
  ・・
 伊麻欲理波 安伎豆吉奴良之 安思比奇能 夜麻末都可氣尓 日具良之奈伎奴
 今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ
   巻15・3655 詠み人知らず
  ・・
 日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之
 ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺を行きつつ見べし
   巻17・39511 詠み人知らず
  ・・・・・・
 このように,「日晩」「日倉足」「比具良」「日具良」とありますが,すべて「ひぐらし」です。
 ヒグラシは,夏の終わりから秋にかけての日暮れどき。つまり,物思う,特に恋する人と別れて寂寥感を覚えるときです。カナカナという鳴き声も「カナシ=愛・哀・悲」の語幹を表しているわけです。

 「蝉」つまり「せみ」という言葉を歌の中に詠みこんでいるのは次の1首です。
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 伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由
 石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ
   巻15・3617 大石蓑麻呂
  ・・・・・・
 この歌で「ひぐらし」という言葉を使わなかったのは,人恋しさや物悲しさなどといった個人的な憂いではなく,うるさいほどに鳴くセミの鳴き声から都の雑踏を思い出して,また戻りたいなあ,と思って詠んだ歌だからで,この時代,「ひぐらし」と「せみ」はまったく異なるものと思われていたのかもしれません,という解釈があるようです。
 セミといっても,私は,真夏に鳴くクマゼミ,ニイニイゼミ,アブラゼミなどの多くのセミは,いかにも夏,というポジティブな陽気さを感じますが,やがて鳴きはじめるツクツクボウシは,夏が終わるというネガティブな憂鬱さを感じてしまい,若いころは好きではありませんでした。また,晩夏の夕暮れに聞くヒグラシの鳴き声は,セミというより,秋の虫の音のようで,哀愁を感じます。このように,セミといっても,その鳴き声によって,別のものと感じるのは,今も同じです。
 なお,「万葉集」には「うつせみ」を詠んだ歌が40首ばかりあります。「うつせみ」は,「空蝉」「虚蝉」「打蝉」「欝蝉」「宇都蝉」「打背見」「宇都世美」「宇都勢美」などと書かれています。「うつせみ」は「現身=うつしみ」が転じたもので、「蝉」の字は単に借字であって,セミとはまったく関係がありません。

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◇◇◇
Chinese Space Station.

中国宇宙ステーションが明るく見えました。
New2tca


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 カレンダーに書いてある「甲寅」のような「干支」(かんし)というのは,古代中国で考えられた暦法上の用語です。甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)己(つちのと)庚(かのえ)辛(かのと)壬(みずのえ)癸(みずのと)の「十干」(じっかん)と子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の「十二支」を組み合わせることで年や日を表します。10と12の組み合わせなので,最小倍数の60が周期となります。つまり「還暦」です。
 また,1年を春夏秋冬の「四季」に木火土金水の「五行」をあてようとしましたが,「四季」に「五行」を割り当てるのはむりなので,「四季」のはじまりである立春,立夏,立秋,立冬後の73日間を木火金水にあて,余ったそれぞれの「四季」の終わりの18日あまり,つまり,立春,立夏,立秋,立冬の前の約18日間,計73日を土にあてることにしました。この期間を「土用」といいます。
 つまり,「土用の丑の日」というのは「土用」の期間内の「丑の日」という意味です。2023年では,1月19日,1月31日,4月25日,7月30日,10月22日,11月3日と6回ほどありますが,その中で,一般に「土用の丑の日」といえば,立夏の直前の「土用」にある「丑の日」のことを意味すると認識されています。2023年の立夏は8月8日だから「土用」の期間は7月20日から8月7日となりますが,7月20日は「己卯」なので,そこから数えて9日後の7月30日が「己丑」となり,この日を「土用の丑の日」というわけです。

 日本では,「土用の丑の日」にうなぎを食すという習慣があります。これは,江戸時代,平賀源内の提案で,夏に売上げが少なかったうなぎ屋さんに「本日土用丑の日」という看板を出させたところ大繁盛になり, ほかのうなぎ屋もまねするようになったことで習慣が定着したということです。近年,セブンイレブンが恵方巻を節分の日に食べるなどということ流行らせたのと同じようなものでしょう。
 ちなみに,節分というのは立春,立夏,立秋,立冬の前日のことですが,これもまた,一般に立春の前日のことをさすようです。それにしても,これだけ「干支」が生活に根づいているのに,こういうこともまた,ほとんど使わないような知識で「頭のよさ」をランクづけするだけの日本の学校教育では全く教えないのです。
  ・・
 縄文時代の貝塚から,食べた形跡のあるうなぎの骨が発掘されたことから,日本では,すでに縄文時代からうなぎを食べるという習慣があったと考えられています。
 また,奈良時代に作られた「万葉集」にもうなぎを捕って食べなさいという歌が残されています。
 うなぎが蒲焼として食べられるようになったのは室町時代からで,うなぎを筒切りにして串にさし焼き,その姿が「蒲の穂」に似ていたことから蒲焼とよぶようになったそうです。江戸時代になると,開発によって干拓ができ,その湿地にうなぎが多数生息するようになり,労働者の食べ物へと定着していきました。
  ・・
 私は,夏の暑い日の夕食は,冷やし中華,ざるそば,お寿司,カレーライス,うなぎくらいしか,食欲がわかないので,そればかりを食べています。お寿司とカレーライスは1年中食べたくなりますが,冷やし中華,ざるそば,うなぎは,涼しくなるとまったく食べる気がなくなり,ラーメンと味噌煮込みに変わってしまいます。
 夏になるとあれほど食べたくなるうなぎなのに,すずしくなるとまったく食べたいと思わなくなるのが不思議です。名古屋メシといって「ひつまぶし」が有名ですが,地元に住む私は,「ひつまぶし」以上に味噌煮込みなのです。

 「万葉集」に残された歌は次のものです。
  ・・・・・・
 石麻呂尓 吾物申 夏痩尓 吉跡云物曽 武奈伎取喫
 石麻呂に 我れ物申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻捕り食せ
 石麻呂さんに物申しましょう。夏痩せによいといううなぎを捕まえてお食べなさい。
   巻16・3853 大伴家持
  ・・
 痩々母 生有者将在乎 波多也波多 武奈伎乎漁取跡 河尓流勿
 痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな
 痩せに痩せても生きていればいいのだから,まちがっても鰻を捕ろうとして川に流されないでおくれよ。
   巻16・3854 大伴家持
  ・・・・・・
 天然物の鰻は腹が黄色をしているので,万葉仮名の「武奈伎」は「胸黄」(むなぎ)で,これがうなぎの語源。
 歌のはじめに「嗤咲痩人歌二首」(痩せている人を笑う歌2首)とあるので,生まれつき体がひどく痩せていた石麻呂=吉田連老(よしだのむらじおゆ)という人に,大伴家持はからかって,うなぎを食べなさい,けれど,捕まえるときに川に流されないようね,と詠ったといういうわけです。

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 まず,今日のお話の結論をいいます。天気予報はまず当たりません。昔より当たるという人がいますが,それは正しくないと,私は思います。
  ・・
 さて,私は,旅に出る機会も多いので,天気が気になります。そこで,さまざまな天気予報を調べるのですが,日々,ころころと予想が変わります。特に,1週間先の予報など,まったくといっていいほどあてになりません。そんな予報なら,ないほうがずっといいと思うほどです。
 むしろ,私は自分でもおそろしいほどの晴れ男なので,周囲の人は,何の根拠もないのに,天気予報よりも,私が旅行に行く先は晴れる,とかいっているくらいです。
  ・・・・・・
 誰かが言っていました。
 確かさ50パーセントというのが最も困る。確かさ0パーセントならその逆だと思えばいいけれど,50パーセントというのは,要するにわからないということではないかと。
  ・・・・・・
 つまり,現在の天気予報は,「晴れか曇りか,ところによっては雨でしょう」といっているようなものなのです。

 ところで,天気予報といっても様々です。
 「晴れ」といっても,冬型の気圧配置で北風が吹いて寒く雲が次々と流れてくる日,移動性高気圧がやってきて雲ひとつなく晴れ上がり気持ちがいい日,太平洋高気圧が張り出して蒸し暑い日では全く違います。
 星見に行くときの私は,「晴れ」といっても,星が見えるかどうかその基準となります。そこで,移動性高気圧がやってきて,等圧線がおむすび型になる日が最高の条件となりますし,そうでない日は,天気予報で晴れといっても雲がでてしまうこともあります。
 このように,天気予報は,その目的によって知りたい情報が違うのです。
 それにもかかわらず,天気予報は,昔から同じようなことを伝えていて,知りたい情報をつたえているとはいい難いものです。むしろ,わからないならわからない,とでもいってもらったほうが,よほど親切です。

 私は,コロナ禍以前,頻繁に海外旅行をしていたのですが,この時期から初秋にかけて海外旅行を企画したとき,もっとも問題となったのは台風でした。
 出発の日に台風が来るとなると,パニックです。そこで,1週間ほど前からの正確な台風情報が欲しくなったのですが,このとき,最も正確だったのが,アメリカ軍の天気予報で,日本の予報はあてになりませんでした。
 聞くところによると,こうした予報は,現在はAIがやっていて,そのプログラムは気象のことなど知らない人がつくったという話を聞いたことがあります。要するに,これはディープラーニングの世界なのです。気象予報士という資格を取るのはかなり難しいものらしいのですが,それにしても… という感じです。気象予報士の名前の下に,天気予報正解確率でも記述したらどうでしょう?
  ・・
 AIによって将棋界が変わったように,天気予報もまた,どんな情報を人々が望んでいるかを考えて,従来のものとはまったく異なる価値観でつくられるべき時代だと,私は思います。


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 3月です。めっきり暖かくなりました。こうなると,外に出かけたくなります。
 とはいえ,「青年は荒野をめざす」そうですが,めざすものすらなくなった,かつ,荒野を歩く元気もない「不良老人」は,平原を彷徨く(うろつく)しかないのです。そのうち,痴呆老人となって,本当に,近所を彷徨くこととなるでしょうが,今は,まだ,そこまではいっていないのだけが幸いです。というわけで,「不良老人は平原を彷徨く」と題して書くことにします。

 ところで,このところ,私が若いころに活躍していた人たちの訃報をよく耳にします。また,私と同じくらいの齢の人がよく亡くなります。そこで,私も,あの世とこの世の境がすごく低く感じられるようになってきて,跨いで行き来できるかような錯覚に陥ったりするのですが,それはまるで小野篁のようだな,と思い当たりました。
 小野篁といえば
  ・・・・・・
 わたの原八十島やそしまかけて漕ぎ出でぬと
 人には告げよ海人あまの釣舟
  ・・
 大海原に広がる島々を目指して漕ぎ出して行ったと
 都の人々へ伝えてくれよ漁師の釣り船よ
  ・・・・・・
という小倉百人一首の句で有名ですが,この歌は,都を離れて隠岐に旅立つ際に詠まれた,流罪に沈む寂しい旅立ちを詠んだものです。
 小野篁は,平安時代初期の802年(延暦21年)に生まれ852年(仁寿2年)に亡くなった,嵯峨天皇に仕えた官僚で,参議という高位にまでなった文武両道に優れた人物でした。しかし,不羈な(ふき=束縛されない)性格で「野狂」ともいわれ奇行が多く,遣唐副使にも任じられたのですが大使の藤原常嗣と争い,嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともありました。百人一首の句はそのときのものです。また,閻魔(えんま)王宮の役人ともいわれ,昼は朝廷に出仕し夜は閻魔庁に勤めて第二の冥官であったので,今も,六道珍皇寺の本堂背後の庭内には,小野篁が冥土へ通うのに使ったという井戸と,冥土から帰るのに使った黄泉がえりの井戸があります。私も行ってみたことがあります。

 私は,この齢になっても,夢いっぱいであり,やりたいことだらけ。かつ,頼まれ仕事がいっぱいなのですが,たとえそれらが突然一切できなくなったとしても,それはそれで全く悔いがない,というとても満足した心境なのが自分でも幸せに思えます。
 また,やりたいことだらけとはいえ,雨が降ったり,風が強かったり,というように,条件が悪かったら一切やることもなく,ポカポカ陽気に誘われたときだけ,そういう行動をするという,これもまた,軟弱を絵にかいたような日々をおくっているのですが,人生なぞ,すべてが不要不急。頼んでもいなにのに生まれてきちゃったわけなので,お迎えが来るまで万事暇つぶしです。だから,これで十分です。
 ということで,2月のほとんどは,雨が降ったり,あるいは,風が強いというように,冬の終わりが近い日が多かったから,あまり外出もせず家に閉じこもりがちでしたが,とてもよい天気になってきたので,このような日の常として,カメラを肩にかけて近くの平原を彷徨くようになりました。今年の啓蟄は3月6日ということなので,暦の上でも春が来たようです。
  ・・・・・・
 太陰暦で1年を24分割したものが二十四節気で「立春」からはじまり「大寒」で終わります。「啓」はひらく「蟄」は土の中で冬ごもりをしている虫のことから,「啓蟄」は寒さが緩んで春の陽気になってきたころを指します。
  ・・・・・・

 私が平原を彷徨いた日は,梅の花が咲きはじめていて,思わず,写真を撮るのに夢中になりました。それが今日の写真ですが,私と同じくらいの齢の人が2,3人,私のように暇なのか,えらく大きな望遠レンズをつけたカメラと三脚を持参して,花を目当てにやってくる鳥を写していました。
 私も,時には安価な望遠鏡を設置してだれもいない深夜の草原で星を写しているので,人のことは言えませんが,真昼間にこんな大きな機材を持ってきて鳥を写すのが楽しみだなんて,なんと大変なことか,と思いました。鳥は動き回るので,手動で焦点を合わせればいい星に比べて,はるかに大変なのです。そこで,そういった高性能の機材を購入するにはお金がかかるわけで,コストパフォーマンス最悪です。100万円を機材に投資するなら3回海外旅行をするほうがいい,というのが私の価値観だから,私はそういうのは御免ですが,まあ,何ごとも自己満足の世界なので,人それぞれです。
 その中のひとりの人が私に写した写真を見せて,内心は自慢げに「なかなかいい写真が撮れない」とぼやきました。私が「うまく撮れないから長続きするし,楽しい」と何となく言ったら,そういう考えをはじめて聞いたといって,えらく感動されたのが,私には意外でした。これもまた,人と比べることを善として生きてきたすぐれた? この国の教育のさびしい成果なのでしょう。何事も,満足できないからこそ,今度こそ,と思ってやる気になるのだと私は常々思っているわけですが,楽しみなんて,だれに頼まれたわけでも強制されたわけでもなく,人と比べる必要もなく,所詮は自己完結の世界です。

 なお,「夏至」や「冬至」とは違って,「啓蟄」に食べる決まったものはありませんが,この季節は,旬が2月から4月のハマグリが美味だそうです。雛まつりに蛤を食べると良縁を招くといわれています。そこで,私も,良縁には関係がないですが,春を味わって楽しむために食してみることにしました。

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☆☆☆
木星と金星の大接近。

2月28日の夕方。
3月2日まで近づいていきます。 DSC_1167xs


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☆☆☆☆☆☆
 2022年9月22日にNHKBSPで放送された「コズミック フロント」は「相対論vs量子論・事象の地平線と“異次元のダンス”」というテーマでした。少し古い話題ですが,おそらく再放送ではないと思います。私には久しぶりに興味深い内容でした。
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 「この世界は全てホログラムのような幻影だ」という信じがたい宇宙像が,物理学者たちの間で議論されている。ブラックホール研究に端を発した理論物理学の大激論に迫る。
 論争の発端は,車いすの天才・ホーキング博士が提示した「ブラックホール情報パラドックス」。ブラックホールに飲みこまれた物質の「情報」は永遠に失われるというホーキングの説を認めると,物理学の根本原理が揺らぐとして強く反論したのがサスキンド博士だ。理論物理学のふたりの巨頭が繰り広げた大論争は20年に及び,この宇宙を記述するための新たな理論「超弦理論」の研究が大きく進展した。果たして宇宙は全て幻なのか!?
  ・・・・・・
 以前にも「宇宙が“真空崩壊”!?宇宙の未来をパパに習ってみた」で登場された京都大学教授の橋本幸士さんが,進路に迷う大学生に扮した山口まゆさんを聞き手に,この話題について解説するというものでした。

 まず,ここでは,ホーキング博士は有名なので,もうひとりの物理学者であるサスキンド博士を紹介します。
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 サスキンド博士(Leonard Susskind)は1940年生まれのアメリカの物理学者で,素粒子物理学における超弦理論の創始者のひとり。
 1966年から1970年までイェシーバー大学の助教授で,1970年,南部陽一郎博士,ホルガー・ニールセン博士(Holger Bech Nielsen)とは独立にハドロンに関する弦理論を提唱。その後,イスラエルのテルアビブ大学を経て,アメリカに戻り,イェシーバー大学(Yeshiva University)で物理学教授となり,1979年より2000年までスタンフォード大学(Stanford University)の教授。2007年からカナダ・ウォータールー(Waterloo)のペリメータ理論物理研究所(Perimeter Institute for Theoretical Physics = PI)に務める。
  ・・・・・・
という経歴です。

 ブラックホールに落ち込んだ物質が本質的にもつ情報は,はたして宇宙から失われるのか失われないのかという論争があって,ホーキング博士をはじめとする一般相対性理論の研究者が多くが情報が失われると考え,サスキンド博士をはじめとする量子論(超弦理論)の研究者は失われないと考えました。この論争を「ブラックホール戦争」とよびます。
 「ブラックホール戦争」は,1976年,ホーキング博士が,ブラックホールに投げ込んだ情報は,ブラックホールの蒸発によって,外の世界から永久に失われると主張したことにはじまりました。サスキンド博士は,そんなことはありえないと考え,20年に渡る論争になりました。
 量子論には,情報の保存則があって,系が伝える情報を失うことはないとされるので,ホーキング博士の主張は,量子論を否定するものとされたのです。そして,量子論と一般相対性理論によるブラックホールの地平面と情報に関する矛盾は解決できないように思えました。
 サスキンド博士は,この矛盾に対して,1993年のサンタバーバラ会議で「ブラックホール相補性」(Black hole complementarity)という解釈を提唱しました。それは
  ・・・・・・
 According to the external observer, infalling information heats up the stretched horizon, which then reradiates it as Hawking radiation, with the entire evolution being unitary.
 However, according to an infalling observer, nothing special happens at the event horizon itself, and both the observer and the information will hit the singularity. 
  ・・
 外部の観察者によると,情報が入り込むと,引き伸ばされた地平線が加熱され,ホーキング放射として再放射され,進化全体が単一化される。
 しかし,落下する観測者によると,事象の地平線自体では特別なことは何も起こらず,観測者と情報の両方が特異点にぶつかる。
  ・・・・・・
というものです。このふたつの見方は,それぞれの観察者にとって共に真実であって,これらを「相補的」であると見なすことができるというのです。つまり,異なる観察者から見ればまったく異なる事象が,どちらも物理的に真実であるとするのです。
 1994年に
  ・・・・・・
 The holographic principle is a supposed property of quantum gravity that states that the description of a volume of space can be thought of as encoded on a lower-dimensional boundary to the region.
  ・・
 ホログラフィック原理は弦理論の教義であり、量子重力の仮定された特性であり、空間のボリュームの記述は、領域への低次元境界でエンコードされていると考えることができる。
  ・・・・・・
という超弦理論をもとにした「ホログラフィック原理」(holographic principle)が提唱され,これをもとに,情報がブラックホールの地平面の向こうで失われることはないことが証明され,サスキンド博士の主張が証明されました。
 2004年の記者会見でホーキングは考えを変えて「ブラックホール戦争」の敗戦を認めました。

 とまあ,こういう内容だったのですが,わかったようなわからないような…,要するに私には難しすぎるのです。番組を見ていて途中で寝てしまったので,改めて録画を見直しました。そもそも,物理学を数式を使わずに説明するということが無理な話です。それは,さまざまな現象を数式を使って矛盾のないように表わす,ということが物理学だからです。
 ここで行われた「ブラックホール戦争」というのは,量子論と一般相対性理論がそれぞれ全く別の学問として数式化した理論だったので,導き出された結論が違っていたことから,どちらの理論が正しいかという論争が起きたということです。そこで,それらをアウフヘーベン(aufheben=すり合わせ)するために新たなアイデアである「ホログラフィック原理」を導入してみたら,一般相対性理論におけるブラックホールの解釈が未熟だった,それを敗北と表現したというわけです。
 このように,物理学は,事象を数式によって書き表そうというものですが,そこに矛盾が生じたとき,新たな理論を作って,その矛盾を解決する,という作業をしている,「それだけのこと」です。ただし,「それだけのこと」といっても,新たな理論というアイデアを考えることも,それを高等な数学で記述するすることも,ともに難しく,だれでもできることではないのです。そしてまた,導き出された数式を理解することも,それはもはや解釈の問題なので,困難が待ちうけているのです。
  ・・
 この番組では,進路に迷う大学生が橋本幸士先生の説明を聞いて,私も大学院へ進学して学問をしたいという決意をするというのがオチでした。
 しかし,先に書いたように,こうした理論を学ぶのは,非常にたいへんなことなので,才能がある人には楽しいでしょうが,それでも人生のすべての時間をそれに捧げるほどのストイックさが必要です。しかも,教授への道はせまく,職を得ることができなければポスドクとして冷遇されてしまいます。だから,そうした研究者になるのは,世の中にはたくさんの楽しいことや知りたいこと,そして,やりたいことがあるけれど,それらのすべてを捨ててでも,よりも学問のほうがおもしろい,と感じることができる,そして,経済的にも余裕のある。そうした選ばれた人だけに許される特権なのでしょう。
 この女性にそうした覚悟があるのかな。私にはムリだな。

無題


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☆☆☆☆☆☆
 打ち上げの中継を楽しみにしていた,アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙船「オリオン」を搭載した新型ロケット「SLS」(Space Launch System)の打ち上げが,燃料漏れによって延期されているようです。早く修理が終わるといいのですが。
 今回の打ち上げは,人類を再び月面着陸させる「アルテミス計画」(Artemis Program)のはじまりを告げるものです。50年以上前に人類を月に送った「アポロ計画」とは雲泥の差で,計画も複雑化し,多くの国や機関が参加し,また,頻繁に予定が見直されるので,私は,なかなか計画の全貌がわかりません。そこで,調べてみることにしました。

 「アルテミス計画」は,当初の計画では,2024年までに「最初の女性と次に男性を」月面の南極付近に着陸させ,2028年までに月面基地の建設を開始するというNASAのプロジェクトですが,すでに2年以上の遅れが生じています。
 2004年,当時のブッシュ大統領は,2020年までに有人月面ミッション「コンステレーション計画」(Constellation Program)を実施する方針を示しましたが,オバマ政権で失速しました。
 2017年,トランプ大統領が宇宙政策指令第1号に署名し,有人月面探査とそれに続く火星探査の実施を決定しました。これが現在の「アルテミス計画」です。アルテミスという名前は,ギリシャ神話に登場する月の女神でアポロの双子です。
 「アルテミス計画」は,単一的な着陸ではなく,人類が月面に滞在するのに必要な環境やシステムを整えて持続的な探査と,将来の火星へのアクセスのハードルを下げることが目的とされていて,国際協力の上で実行されます。

 早期の「アルテミス計画」は3つのミッションからなります。
●「アルテミスⅠ」
 新型ロケット「SLS」と宇宙船「オリオン」を地球から月まで往来させる無人飛行試験を実施します。これが今回のものです。このミッションでは,最大42日間の想定で,13のキューブサットを放出します。
●「アルテミスⅡ」
 新型ロケット「SLS」と宇宙船「オリオン」を使用した有人飛行試験を実施します。4人のミッションクルーが乗った宇宙船「オリオン」は,地球を周回する軌道上で様々なテストを行ってから自由帰還軌道に投入され,月を周回した後に地球に帰還する予定です。
 打ち上げは2024年の予定で,ミッションは10日間の想定です。
●「アルテミスⅢ」
 2025年以降に予定されているこのミッションで,有人月面着陸を行うことになります。
 ミッションに先立って,有人着陸システム(Human Landing System = HLS)を軌道に投入する支援ミッションが行われます。この支援ミッションの後,月面に降り立つ初の女性と有色人種の宇宙飛行士を含む4人のクルーをのせたオリオン宇宙船が月に送られ,有人着陸システムとドッキング。その後,ふたりのクルーが有人着陸システムに移動し,降下して月の南極付近に着陸します。
 着陸クルーは6.5日間を月面上で過ごし,少なくとも2回の船外活動を行います。その後,月面から離陸して,月の周回軌道で待機しているオリオン宇宙船とドッキングし,地球に帰還することになります。

 ところで,国際宇宙ステーション(ISS)の運用が2030年まで延長されたのですが,ウクライナ情勢などの影響で,ロシアが2024年でそのプロジェクトから脱退すると宣言したようです。
 そこで,今後の運用にさまざまな問題が出てくることが予想されています。
 さまざまな問題とは,ロシアが撤退した場合,これまでロシアが担当してきた国際宇宙ステーションの地上落下を防ぐための軌道制御どうやって肩代わりするか,また,スペースシャトルの退役後,ロシアのソユーズを使用して宇宙飛行士を国際宇宙ステーションに送ってきたのですが,これを運用がはじまったばかりのスペースX社(Space Exploration Technologies Corp.)が開発したファルコン9ロケットに搭載されたクルードラゴン宇宙船が肩代わりする必要があるのですが,クルードラゴンの運用はまだはじまったばかりだというようなことです。

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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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 今日は立秋。
 朝日新聞の「天声人語」,新聞紙上には題名はありませんが,ウェブページ「アサヒコム」に掲載されているものにはあります。そのウェブページに「百日紅には申し訳ないが」と題した8月1日の「天声人語」は本当にひどく,私はこれを読んで不快になりました。
 冒頭
  ・・・・・・
 咲きはじめたころの百日紅(さるすべり)は,色の鮮やかさに目を奪われた。しかし猛暑や酷暑といわれるこの時分になると,あの赤色や濃いピンク色が暑苦しく思えてしまう。がんばって長いこと咲いている花には申し訳ないのだが
  ・・・・・・
からはじまって,この「天声人語」は,白を身にまとう人を見ると涼しく想い,床屋ですっきりした髪になっていく女の子の様子で涼を感じるといった内容に展開し,その一方で,セミの鳴き声が暑さを助長し,赤い色が気持ちがなえさせる,とあります。
 要するに,人は,物理的な気温だけでなく,視覚や聴覚で涼を感じたり,その反対に,暑さを増幅してしまうことがある,というようなことを書きたいのでしょうが,百日紅を愛する私が読むと,この文章は耐え難いものです。
 そんなテーマで書きたいのなら,今日,立秋の日に
  ・・・・・・
 8月7日。暦の上では立秋だが,まだ,暑さが和らぐ気配もない。こうしたとき,今より涼しかったとはいえ,クーラーもなかった昔の人は,視覚や聴覚からも涼をとる工夫をした
  ・・・・・・
とでもいった文章を書けばいいのであって,何も,この暑さに腹を立てて百日紅を敵に回す必要などないではないか,と私は思わず腹立たしくなりました。こうした文章もまた,体を暑くさせるのです。

 今日の写真は,ずいぶん前の8月16日,ちょうど五山の送り火の日に私が京都で写したものですが,この写真にある百日紅を見て,人は暑さを感じるでしょうか? 百日紅に失礼です。
 百日紅は,鎌倉時代に渡ってきた花で,夏の花の代表格といいます。鎌倉時代には「さるなめり」とか「なめら木」といったらしく,また,幹をさすると木全体が揺れるので「さすり木」の別名もあるといいます。
  ・・・・・・
 あしひきの山のかけぢのさるなめり
 すべらかにても世を渡らばや
   「夫木和歌抄」藤原為家
  ・・・・・・
 「百日紅」は,字のごとく,花が100日も咲き続けることからきているのですが,実際は咲き続けるのではなく,一度咲いて散った枝先からまた芽が出て花をつけるというのが本当の姿です。
  ・・
 私が今も思い出すのは,すっかりその魅力取りつかれて,毎月のように京都に足繁く通っていた今から30年ほど前のこと。夏の暑い日に行った山科の毘沙門堂で美しく咲いていた百日紅の花を見て,ああ,あまり花のない夏でもこうして美しくけなげに咲く花もあるんだんあ,と思ったことです。

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 私の好きなドラマのひとつ「コンフィデンスマンJP」に次のような紹介文があります。「目に見えるものが真実とは限らない」のあとは毎回文章が異なるのですが,たとえば「スーパードクター編」では
  ・・・・・・
 目に見えるものが真実とは限らない。
 医学は本当に進歩しているのか。
 長生きすることは本当に幸せなのか。
 医療モノやると本当に視聴率が上がるのか。
 コンフィデンスマンの世界へようこそ。
  ・・・・・・
です。
 まあ,何事も,結局のところ,何が真実なのかわからない,ということです。
 専門家と称する人の言うことも,それがすでに起きた事象に関する分析は確かに専門であっても,それをもとにした予測は当たりません。専門家がどれほど専門であるか,素人のわれわれがもっとも明白にそれがわかるのは,将棋の解説だったりします。あれだけ強いプロの棋士が解説しているのに,AIの発達によって,AIがすべて正しいとは限らないにしても,それが指し示す手順と全く異なるちんぷんかんぷんなことを説明していたりすることが多々あって,それはまず正しくないのです。
 要するに,いかに学問が発達しようと,わからないことはわからないのです。それは,学問を否定することではなく,現在の学問ではこの先はわからない,という領域は,推測で言うのではなくわからないと言うべきだということです。素人が語ればそれは単なる感想であっても,専門家が語ればそれが真実と受け止められてしまう。それが専門家です。だから,専門家は,わからないことは安易に語らないほうがいいと思うのです。

 と,前書きが長くなりましたが,今日,私が季節を感じるのは,どうでもいいといえばいい「梅雨入り」と「梅雨明け」です。「梅雨入り」やら「梅雨明け」,そこに学問的な厳密な定義などないらしいのですが,それでも毎年気になる「梅雨入り」と「梅雨明け」。
 なのに…。
 それにしても,今年の天気は不順すぎます。というより,梅雨前線がどうのこうのといった難しい話は抜きにして,素人の私は,感覚的には,今年は「梅雨明け」と報道されたときが実際には「梅雨入り」で,今が梅雨末期の豪雨,だから,未だ梅雨は明けていない,と考えたほうがいいような気さえします。
 今日の写真は,ちょうど昨年の今ごろに写したものです。
 思い出すに,昨年の「梅雨明け」は7月17日でした。その後はずっと天気がよくて,毎日,日没ごろに散歩をしたり写真を写したりして楽しみました。ひまわりもきれいに咲いていました。思えはいい季節でした。
 それが今年はどうでしょう。6月の中旬に早くも「梅雨明け」したらしいということで,その後わずか数日間だけ晴れたら摂氏40度近い猛暑になりました。しかし,その後は一転して雨ばかり。ここ数日は,太陽すら見ていません。
 若いころ,職場の登山好きの同僚が「梅雨明け10日」という話をしていました。それは梅雨明け後の10日間が最も天気が安定するので登山には最適だという話でした。私は,梅雨明けという報道があると,いつもそれを思い出すのですが…。
 「梅雨明け10日」。それもまた,「真実とは限らない」のでしょうか…。

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☆☆☆☆☆☆
 今日の1番目と2番目の2枚の写真は,ともに,国立天文台のウェブページに載っていたものですが,1番目の写真が2019年に発表されたM87のブラックホールシャドー,2番目の写真が2022年6月に発表されたM87の中心の電波画像です。
 ここで話題にしたいのは「M87のブラックホールシャドー,見えてなかった可能性」というニュースです。このニュースは,今回,2019年に発表された1番目の写真は解析の産物であって,実際には見えていない構造だと指摘する研究結果が発表されたというものです。
 私には,難しすぎてよくわからないので,理解ができる記事がないかと探していて,「論座」というサイトに,私の尊敬する宇宙物理学者の須藤靖さんの書いたものを見つけたので,これをもとにして,また,一部引用して書きます。
  ・・・・・・
 そもそも,見えないもの(ブラックホール)を撮影して見えないことを証明するなど,論理矛盾しているように思える。実は,ブラックホール自身は見えずとも,その付近にある光はいわばブラックホールの強い重力に引き寄せられてそのまわりにまとわりつく。したがって,ブラックホールの周縁部は極めて明るくなる。その明るい天体の中心部が本当にブラックなのかどうかを確認しようというわけだ。そのため,ブラックホールではなくブラックホールシャドーの観測とよばれている。
  ・・・・・・

 国際プロジェクト「イベントホライズンテレスコープ」(Event Horizon Telescope=EHT)が,世界の8台の電波望遠鏡で集めたデータを処理して解析して得られたブラックホールシャドーが1番目の写真です。とはいえ,普通の写真のように,カメラでカシャと写真を写したわけではなく,限られたデータを解析して画像化しているということなので,「解析方法を変えれば得られる画像も変わる」そうです。
 そこで,EHTの観測データを再解析していた国立天文台の三好真さんたちの研究チームが新たに発表した画像では,ブラックホールシャドウのリングはなく,そのようなリングは,実在する構造ではなく解析によって生じたものだという指摘がされたというのです。その根拠が2番目の写真です。
 この先のことは,私の能力を越えるのでこのくらいにして,私が書きたいのは,国立天文台のウェブページに書かれていた次のことです。
  ・・・・・・
 この研究は,複数の研究チームが観測データや解析手法をまったく独立に検討するという,現代科学が歩むべき健全で正常なプロセスの重要性を示しています。今後,データのさらなる再解析や手法の検討,計画されている追観測などを通じて,M87の中心とそこから噴き出しているジェットの構造について,より確からしい知見が得られていくと期待されます。
  ・・・・・・
 「天文学では,原則としてすべての観測データは公開されるので,このような高度な批判的議論が可能となっていて,こうした真摯な論争が科学の信頼性を高める」というのです。また,「この論争に関与している研究者たちは,健全な懐疑心に基づいて科学的真理の探求に不可欠な貢献を行っていて,その論争は,意見の違いを超えて互いに十分な敬意をはらいつつも妥協のない真摯な議論を尽くすことが望まれている」ということです。
 こうした文章を読むと,天文学っていいなあ,と改めて思います。今日の殺伐たる世の中で,また,忖度だの根回しだのというものとは無縁であることに,なんだかホッとする話題です。いずれにしても,現代の自然科学の研究は,すでに,人間の限界ギリギリのところに来ているような気がします。

 しかし,このことは,「天文学では営利が絡む場合が少ないから可能であって,生物・医学研究では,実験手順やデータが完全に公開されることがないために,独立な再検証に耐えるだけの信頼性の高い結果でなくとも発表されてしまう」という問題が起きているそうです。
 とはいえ,天文学が純粋無垢の領域ではなく,過去においては,天文学でも,そこに権威主義や宗教が絡むと,正しい議論ができなかったり,真実が捻じ曲げられてりしてきた歴史を我々は知っています。このブラックホールシャドーの議論では,そうしたことがなく,人類の英知をもって,今後も,健全な研究がなされていくのを私は楽しみにしています。

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 これまで私はふるさと納税に興味があるわけでもなかったし,仕組みもよく知りませんでした。調べてみると,ネット上には次のような説明がありました。
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 ふるさと納税は,本来は住んでいる自治体に納めるはずの税金を,任意の自治体に寄付することで,住民税や所得税が控除される仕組みです。控除を受けられる上限は納税額によっても異なりますが,控除される金額は寄付金から2,000円を引いた金額と決められています。
 ふるさと納税の大きなメリットのひとつは,返礼品を受け取れることでしょう。
 各自治体では,寄付金額の3割以内に相当する返礼品を用意しています。つまり,6万円を寄付した場合,5万8,000円の税額控除を受けられるうえ,1万8,000円分の返礼品をもらえるのです。また,利用者にとっては,返礼品を選ぶ際に各地域の特産品や情報を知れるため,その地域に対して親近感を抱き応援するきっかけにもなるでしょう。
 ふるさと納税を利用することで,地域の名産品とともに旅行気分を味わってみてはいかがでしょうか。
  ・・・・・・

 そこで,試してみることにしました。私が狙ったのはさくらんぼ「佐藤錦」です。
 つまり,私がふるさと納税に興味をもった理由は,これもまた,先日行った山形旅行だったわけです。
 ふるさと納税は,それぞれの自治体のホームページで行ってもいいのですが,「ふるなび」というポータルサイトがあったので,これを利用しました。私が調べていた今から1か月ほど前は,ちょうど旬だったさくらんぼが一杯並んでいました。そこで,山形市にふるさと納税をしてみたわけです。
  ・・
 3週間ほどして,ついに念願のさくらんぼが届きました。
 これまでさくらんぼにはまったく関心もなかったのに,どうしても食してみたかった「佐藤錦」。スーパーマーケットに行くと,結構な値段で並んでいたのですが,それを買わず,到着まで待っていた甲斐があったというものです。それにしても,私が山形に行ったときが名産品であるさくらんぼのちょうど旬の時期だったこともまた偶然のことでした。
 生まれてはじめてハワイ,それもハワイ島に行ったときは,フラダンスフェスティバル「メリーモナーク」(Merrie Monarch Festival)の真っ最中だったし,久しぶりにサンフランシスコに行ったときは「プライドパレード」(Pride parade)が行われていました。また,はじめてニュージーランドに行ったときは島中ルピナス(Lupinus)の花が咲いていました。
 私が旅に出るとき,そんなことはまったく考えてもいないのですが,ちょうど,なんらかのベストシーズンの時期や特別なイベントに遭遇するのも,いつものとおりの強運。不思議なことです。

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 梅雨入り前の数日。考えてみれば,私は,この季節が一番好きかもしれません。暑くも寒くもなく,遅い日暮れのあと,アジサイ,ホタルなど,とても味わい深い自然と接することができます。しかし,まもなく,蒸し暑い嫌な季節がやってくることだけが気がかりです。
 私の家の近くにはアジサイ寺があって,毎年,美しい花を咲かせて,楽しむことができます。今年も行ってみました。

 アジサイというのは,藍色の花が集まるという意味の「集真藍」(あづさあい)が変化したものといわれています。また,学名のハイドランジア(Hydrangea)は,アジサイが根から非常に水をよく吸うことから,ギリシア語のハイドロ(水)とアンジェイオン(容器)を意味していて,これは「水の器」という意味になります。漢字では紫陽花とかきます。
 アジサイの原産は日本で,古い時代から自生していたようですが,それは,現在,ガクアジサイとよばれる品種でした。歴史的には,長い間,そのすばらしさが忘れ去られてしまっていたという不思議な植物ですが,それは,アジサイは開花してから花の色が変わっていくことが移り気あるいは不道徳であると考えられたから,という説があるそうです。実際,アジサイの花の色は,土壌の酸性度によって移り変わります。酸性土壌では青,アルカリ性土壌では赤というから,これはリトマス紙とは反対です。

 奈良時代,「万葉集」ではアジサイが詠まれたのはわずか2首ですが,このころは,アジサイは「味狭藍」「安治佐為」と記述されていました。
  ・・・・・・
 事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来 
 言問わぬ 木すら紫陽花 諸弟らが 練の村戸にあざむかえけり
 言葉を言わない木でさえアジサイの花のように(色が)変わる あなたの練達な心にだまされてしまいました
   第4・0773 大伴家持
  ・・・・・・
 大伴家持が坂上大嬢に贈った歌のひとつで,坂上大嬢の「心変り」をアジサイの花の色の変化と合わせて詠んだものでしょう。
 諸弟,練の村戸が何かがはっきりしていないので,解釈のむずかしい歌だといわれています。
  ・・・・・・
 安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟
 紫陽花の 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ
 八重に花くアジサイみたいにいついつまでもお元気でお過ごしください 花を眺めてあなたを思い出しましょう
   第20・4448 橘諸兄
  ・・・・・・
 宴席で宴の主人である多治比国人の長寿を祝い詠んだ歌とされています。八重はたくさんという意味で,たくさんめでたいという意味になります。「千代に八千代に」と同じです。

 平安時代になると,アジサイは「安治左井」と記されています。また,「安豆佐為」との記述もあります。「アジサイ」または「アズサイ」と発音していたのでしょう。
  ・・・・・・
 あかねさす 昼はこちたし あぢさゐの 花のよひらに 蓬ひ見てしがな
 茜がさすような人目に触れる昼間は嫌のです
 アジサイの花びらが4枚(よひら)であるように宵になったらお逢いしたいものです
   「古今和歌六帖」第6・3912 詠み人知らず
  ・・

  ・・・・・・
 しかし,「源氏物語」「枕草子」「古今和歌集」にはアジサイの記述はありません。こうして,これ以後,長い間,忘れ去られてしまったのです。

 小さな花が集まって球状に見える手まり咲きのアジサイの記録は,安土桃山時代に入ってからみられるようになりました。画家による最も古いアジサイ画は狩野永徳の描いた「松と紫陽花図」で,京都の南禅寺に所蔵されています。
 江戸時代末期になると,ドイツ人医師のシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)が国籍を偽っていた罪で国外退去処分となり,母国オランダへ帰国します。帰国後,「日本植物誌」(Flora Japonica)を著し,その中でアジサイ属の花14種を新種として紹介し,ヨーロッパで人気を博し,品種改良が盛んになり,アジサイが日本に逆輸入されました。
 逆輸入されたアジサイの中に「Hydrangea Otakusa」という名前の花があります。
 それは,シーボルトが日本に滞在していたときの愛人の名前を「お滝さん」(楠本滝)といい,そこからとられた名前なのです。私は,かつて,大学でそのことを習いました。
 その「お滝さん」の娘さんがシーボルト・イネ。
 1977年のNHK大河ドラマ「花神」では,浅丘ルリ子さんが演じたシーボルト・イネと,中村梅之助が演じた村田蔵六,のちの大村益次郎の微妙な関係が描かれていました。


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 2022年4月15日,NHKBSPで「数学者は宇宙をつなげるか?  abc予想証明をめぐる数奇な物語」という番組が放送されました。
 NHKは,ときどき,数学に関するこのような番組を放送します。これまでも,「素数の魔力に因われた人々」と題してリーマン予想について,「数学者はキノコ狩りの夢を見る」と題してポアンカレ予想などがとりあげられていて,とてもおもしろい番組でした。そこで,今回の「abc予想」を私はとても楽しみにしていました。
 番組の内容は
  ・・・・・・
 2020年春,数学の難問「abc予想」を日本人が証明したというニュースが報じられた。京大数理解析研の望月新一教授の論文「宇宙際タイヒミューラー理論」が専門誌に掲載されたのだ。だが数学界では「証明が理解できない」「いや絶対に正しい」と激論が続く。論理を積み上げれば誰もが同じ答えにたどり着くはずの数学の世界で、なぜ主張が真っ向から対立するのか? 前代未聞の議論を追い,数学の魅力に迫る。
  ・・・・・・
でした。
 私は,期待してこの番組を見ましたが,正直言って,がっかりしました。これでは,数学の魅力を伝えるどころか,その反対になりました。
 おそらく,こうした番組を見る人は,数学にある程度の知識と興味があって,しかし,「abc予想」とそれに伴う証明に関する議論が難解なのでよくわからない,だから,番組を見れば,少しは疑問が解けるかも,と期待してでしょう。私もそのひとりでした。
 しかし,残念な結果におわりました。

 がっかりの番組だったという最大の問題は,この番組のテーマである「abc予想」とは何か? ということが説明不足でまるでわからなかった,また,数学における証明とは何か,という説明がなかった,ということに尽きます。
 それは,まず,「abc予想」の説明の前段階で,「かけ算は簡単だけどたし算はむずかしい」という,わかったようなわからないようなことからはじめたのが,番組の内容をわからなくした敗因です。
 「かけ算は簡単だけどたし算はむずかしい」とは
  ・・・・・・
 ふたつの数をそれぞれ素因数分解したものは,そのふたつの数をかけたものと同じ「遺伝子」からできている。たとえば,a=4,b=6 のとき,a=22,b=2×3 となり,aとbは2と3が「遺伝子」。で,そのふたつの数をかけた a×b は a×b=22×2×3=23×3 だから,かけ合わせる前もかけ合わせた後も同じ2と3という「遺伝子」をもっていることになる。
 しかし,aとbをたし合わせれば,たとえば,a=4,b=6 のとき,a+b=4+6=10=2×5 だから,aとbは2と3の「遺伝子」からできていても,a+b は2と5という別の「遺伝子」。だから,aとbを継承していないことになる。つまり,かけ算は同じ「遺伝子」を「受け継いで」いて,たし算は「受け継いで」いないどころか,むしろ壊してしまう。
  ・・・・・・
 そういう内容でした。
 しかし,そんなことは当たり前です。
 かけ算では,元の数a,bも素因数分解しているから,ふたつの数自体もかけ算であって,それをかけたところで同じ因数,つまり「遺伝子」をもつに決まっています。
 それに対して,aとbのふたつの数をたすというのなら,もとのふたつの数も素因数分解ではなく,(ここでは1も素数と考えて)素数の和,つまり,a=4=1+3,b=6=2+3 のように分解して,1,2,3をaとbの「遺伝子」と考えれば,ふたつの数をたす,つまり,a+b=10=1+2+3×2 としたときもまた,1,2,3といった同じ「遺伝子」をもつから,同じ「遺伝子」を受け継いでいることになり,何もおかしくないのです。
 というように,私は,ここで説明したいと思われる本筋を離れて,このような別の思考に走ってしまったので,解せなくなってしまいました。
 よくわからなかったので,もう一度,というか,二度,三度と番組を見直すと,ここでは,フェルマーの最終定理の証明がなぜ難解なのか,を説明したかったということがわかったのですが,これではだめです。

 さて,この番組では,この,かけ算とたし算のよくわからない話の次に,やっと「abc予想」の説明がはじまりました。
 ところが,「abc予想」というのは「c/rad(c)<rad(ab)」だと説明されただけでした。ここで,いきなり「rad」なる記号が出てきても,この「rad」が何を定義しているという説明が一切ないのでした。これもまただめです。番組のテーマは「abc予想」がテーマだから,ます,「abc予想」とは何かをきちんと説明してくれなけれは,見ている人はその先のことがまったく理解できません。
  ・・
 ということで,ここで「abc予想」について説明しておきます。
  ・・・・・・
 a+b=c が成り立つ「互いに素」である自然数 a,b,c を考えます。「互いに素」というのは,たとえば,a=3,b=5,c=8 のように,互いに割ることができない数のことで,たとえば,a=3,b=9,c=12 のように互いに割ることができるものではない,ということです。
 このとき,aとbとcをかけた値を素因数分解して,その因数だけを掛け合わせたものを rad(abc) と書くことにする,と決めるのです。これが「rad」の定義です。たとえば,先に示した a=3,b=5,c=8 であれば,a×b×c=3×5×8=3×5×23 なので,指数部分を考えないで,因数だけをかければ 3×5×2=30 となり,rad(3×5×8)=30 です。
 そこで,「 a+b=c が成り立つ「互いに素」である自然数 a,b,c」となる a,b,c のさまざまな値に対して rad(abc) を計算すると,その値の多くは c の値より大きくなる。つまり,c<rad(abc) が成り立って,c>rad(abc) となることはほとんどない,というのが「abc予想」です。たとえば, a=3,b=5,c=8 であれば,c=8,rad(abc)=30 だから,確かに c<rad(abc) が成り立ちます。
 しかし,a=1,b=8,c=9 のような値では,c=9,rad(abc)=rad(1×8×9)=rad(1×23×32)=1×2×3=6 なので,c>rad(abc) となってしまいますが,こうした例はきわめて少ないといっているのです。しかし,このような場合でも,右辺の rad(abc) を何乗かする,たとえばここでは2乗するとします。そうすると,c<{rad(abc)}2 が成り立つというのです。 a=1,b=8,c=9 の場合も,先に書いたように c>rad(abc) ですが,右辺を2乗すれば,rad(abc)=6 でも {rad(abc)}2=62=36 となるので,c<{rad(abc)}2 が成り立つわけです。
  ・・・・・・ 
 これが「abc予想」ですが,こうした「abc予想」の説明はまったくなく,このことを棚上げしたまま,番組は先に進みます。
 次に,トポロジーなどをさりげなく例に出して,「異なるものを同じとみなす」ということが現代数学の考え方だという説明がされます。このように,「abc予想」とは何か? の説明がなく,見ているほうは,何が問題なのかということがわからないまま,次々に話題が変わっていくのでした。

 では,証明とは何でしょうか? このことをもっと深く説明しなければならないのですが,番組ではすっかり抜け落ちます。
 証明とは,ある適当な数を代入したときにそれが正しくてもだめで,すべての数に対して成り立つことを示さなければなりません。しかし,それが直接できないから,ある種の異なる概念を構築して,それをもとに証明をすることになるのです。だから「abc予想」の証明が難しいのです。
 その難しい証明を,望月新一教授が,自ら提唱する「宇宙際タイヒミューラー理論」(Inter-Universal Teichmüller Theory=IUT)を使って成しえたらしいというのです。しかし,多くの数学者がそれを認めていない,というのが番組のテーマとなっているのです。そこで,望月新一教授がどのような手段で証明を行ったのか? そしてまた,多くの数学者の間でどうしてそれが認められないのか? いったい何が問題となっているのか? ということを説明しなければならないのに,この番組のふたつ目の問題は,そのテーマに対して,内容があちこちに飛びはねているだけで,きちんと整理されていなかった,ということです。
  ・・
 当然,望月新一教授の行った証明は,専門家でも理解が難しいものだから,この番組で証明を説明することは不可能です。しかし,多くの数学者にとって,その証明のどういう点が理解不能なのか? どこに原因があるのか? それについて,一応は,いろんな説明がしてあったとしても,例え話が多すぎ,話がいろんなところに飛躍しすぎて,焦点が絞り切れていないので,私は,まるで把握できなくなりました。
 それでも,わからないまま見ていると,突如,番組では「本当であって本当でない」というような話の説明が,有名な「Russeii's Paradox」を使ってはじまりました。さらには,京都の竜安寺の石庭まで登場しましたが,これでは,めちゃめちゃです。おそらく,ここでいいたかったことは,「望月新一教授が考えていることは,一般の常識からかけ外れた理論だ」ということなのでしょう。しかし,その説明が,本筋とは異なるところまで逸脱してしまうと,見ているほうはとまどうだけです。
  ・・
 ここらへんになって,番組では,やっと,望月新一教授の提唱する「宇宙際タイヒミューラー理論」が出てきました。
 「宇宙際タイヒミューラー理論」の説明は,ふたつの数学世界を用意して,一方の数学世界でのある数ともう一方の数学世界である数を2乗した数を対応させる,というものからはじまりました。そして,それを,この番組のはじめに出てきた「かけ算は簡単だけどたし算はむずかしい」という話につなげてそれを発展させることで「かけ算は成立するがたし算は成立しない数学世界」をつくりあげて,それを用いて「abc予想」の証明をした,という説明になりました。
 そのあとで,他の数学者にインタビューして,その証明を否定するようなコメントがたくさん紹介されていましたが,残念だったのは,多くの当代一流の専門家に取材をしているのに,その専門家に専門の話をわかりやすく説明してもらうのではなく,議論が紛糾したとか,望月新一教授のやり方がまずいとかいうような,きわめて文系的な視点から感想を述べさせていただけだったことです。
 さらに,望月新一教授に1対1で議論をしたピーター・ショルツ(PeterScholze)教授との議論の決裂がそのとどめとなりました。
 さらにさらに,これで終わりかと思いきや,番組の最後に「対象に関する認識論」などというものが出てきて,それがダメ押しとなり,この番組の混乱にさらに拍車をかけました。「対象に関する認識論」というのは「わかるとは何か?」「証明とは何か?」ということに関する説明だと思うのですが,最後になって証明とは何ぞや? に行きついたのです。こんな展開をしてはだめです。最初にやらなきゃ。

 結局,この番組は,焦点が絞り切れないまま,「望月新一教授は一般には容易にわからないおかしな理論を考えていて,たとえそれが正しくとも,それを公で説明しないからその証明が理解されない」といっている(非難している)だけのものでした。
 しかし,この番組でもっとも残念だったのは,はじめに書いたように(くりかえしになりますが),番組の主題である「abc予想」とは何か? についてのわかりやすい説明がなかったことと,証明とは何かという説明がなかったことに尽きます。こんなことになるのも,この番組を作ったスタッフが数学をまったく理解していないからなのでしょう。おそらく,企画はよかったけれど,この番組のスタッフにはテーマが難しすぎて荷が重かったということになります。
 期待していただけに,いろんな意味で,まことに残念な結果となってしまいました。

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 日ごろ,この国の有り様には,失望ばかりの私ですが,それでも,富士と桜には,いつもこころが動きます。
 …と,ここまで書いて思い出したのは,先日千秋楽を迎えたばかりの大相撲。
 今年の春・大阪場所は本当におもしろいものでした。念願の初優勝ならなかった高安関は気の毒でしたが,それでも,若隆景関というこの先が楽しみなヒーローも誕生しました。ずっと以前から一貫して書いているように,大相撲は白鵬がいなければおもしろいのです。
 …ということを書きたかったわけではなく,私が思い出したのは,現在解説をしている北の富士さんが横綱だったとき,もうひとりの横綱は,今,売り出し中の琴の若関のおじいさんである琴桜関だったということです。思えば,ふたりの横綱のしこ名が富士と桜,だったのです。そのころ,富士桜,なんていう贅沢なしこ名の力士もいましたっけ。そういえば,これもまた,ここまで書いて思い出したのは,当時,写真は,今とは違ってフィルムに記録するのもだったのですが,その代表的な日本のブランドは,富士とさくらでした。

 私は,飛行機や新幹線で東に向かうとき,必ず考えるのは,どちら側の席に座ると,富士山が見られるか,ということです。今日の1番目と2番目の写真です。何度も挑戦していますが,なかなか満足な姿を見ることができる機会は少ないものです。
  ・・
 次は桜です。
 春が来るのが例年より1月ばかり遅かったのに,気温が10度を越すと,急に桜の花が咲きはじめ,ここ2,3日で満開となりました。
 数年前なら,桜を目的にいろいろなところに出かけたものですが,そんな気持ちがなくなってしまったのは,齢のせいか,それとも,このご時世のせいなのか? いずれにしても,今年は,近場で桜を楽しむことにしました。それが今日の3番目からの写真です。
 桜で最も,といっていいほど有名な歌は在原業平の次のものです。
  ・・・・・・
 世の中に 絶えて桜のなかりせば
 春の心は のどけからまし
   「古今和歌集」53
  ・・
 世の中にまったく桜がなかったのなら,
 春を過ごす人のこころはどれだけのどかなのだろう。
  ・・・・・・

 ここで話は飛躍します。
 「なかりせば」などといわれると,私は,現在,お勉強に親しんでいるドイツ語の「接続法第2式」なるものを思いうかべてしまいます。
 ドイツ語の壁というのは,この「接続法第2式」と「接続法第1式」。どうして,これを「仮定法」と「間接話法」と名づけなかったか。そもそも第1式とか第2式とかいわれると,数学を思い浮かべて,何か特別な計算でもするのかと,いやになってしまいます。
 しかし,「接続法」というのは,動詞の語尾変化をいうだけのことで,「第2式」は過去形を基本にした変化形です。ならば,まさしく日本語と同じではないですか。人のこころはどの国も同じということなのでしょう。
  ・・
 この歌は,もし,世の中に桜がまったくなかったとすれば,「咲いたかな」「もう散ってしまうのかなあ」などと思い煩うこともなく,穏やかにすごせただろうに,という感じですか。日本語でも仮定法は過去形で語ります。
 でも,実際は,この歌ができたころに詠んだ桜はソメイヨシノではなく,ヤマザクラのようなものでした。だから,ソメイヨシノをイメージしたものではないわけですが,「もし,当時の人が今の桜を見たら,どう思うのでしょう。どう詠うのでしょう」
 と,この文章は,もし,英語やドイツ語だったら,過去完了形の仮定法で書くのでしょうか?

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 2022年3月19日の朝日新聞読書欄に,ニールス・ボーア「因果性と相補性」という本がとりあげられていました。
 この文章を書いたのは,社会学者の大澤真幸さんです。
 一部,引用します。
  ・・・・・・
 この200年の学問の歴史の中で最大の知的革新,それは量子論の登場にある。この運動の中心にいたのが,ニールス・ボーアだ。
 物質は究極的には粒であり波である。絶対矛盾的自己同一。これを認めるのが量子論である。
 ボーアは波/粒の排他的な状態の二重性を「相補性」とよんだ。量子論が提起したのは,答えでなく哲学的な問いである。そもそも存在とは何か、と。
 量子論の謎は,神から人間への致死性の毒が入った贈り物ではないか,と思うことがある。
  ・・・・・・

 これまでにも書いたように,物理学というのは,人間が体験する事象のすべてに当てはまる数式を構築して,それを用いて,未知の事象を正確に予測することが目的です。であるから,未知の事象がどうなるかが正確に予測できればいいのであって,たとえは,どうして重力が働くか,などというような,どうしてそうなっているのか,ということは,すべて「原理」としてかたづけていて,何も語ってはいないのです。
 先に書いたように,物理学は,どんな結果になるかという現象の予測を数式で表わすのが目的なので,それを数式を用いないで説明しようとか,人間の認識できる概念に当てはめようとか,そういう企てをすること自体がもともと無理な話です。そこで,数式がわからいない人には,「量子論の謎は,神から人間への致死性の毒が入った贈り物ではないか」というようなことになるのです。

 私は,この文章を読んで,天文学者の須藤靖さんが書いた「宇宙は数式でできている -なぜ世界は物理法則に支配されているのか-」 という本を思い出しました。
 この本は,その反対に,物理学は数式ですべての現象が説明できることのすごさについて書かれたものです。
  ・・・・・・
 かつて数学的な解にしかすぎないと思われていたブラックホールや重力波。これらが実在することが続々と確認されている。
 なぜ宇宙はこれほど理論どおりなのか? 神が仕組んだとしか思えない驚きの法則の数々と,それを解き明かす研究者たちによる,執念の探求の営みを紹介。
  ・・・・・・

 私は,若いころ,数式を用いて,アインシュタインの一般相対性理論,つまり,「アインシュタイン方程式」からみごとに「シュワルツシルトの解」(Schwarzschild solution)が導き出される(これがブラックホール)のを体験して,感動したことがあります。しかし,それは,あくまで,数式を計算しただけのこと。そして,その解が予言した事象が確かに存在したから,それで一般相対性理論が正しいとされた,というだけことです。そのレベルに,今,やっと人類がたどりついたところです。
 しかし,ダークマターとかダークエネルギーと人間が名づけたことで,さもわかっているような気がするだけで,要するに,本当は何もわかっていないことが,まだ,大半を占めています。
 「宇宙は数式でできている -なぜ世界は物理法則に支配されているのか-」という本の趣旨は「なぜ宇宙は人間たちが作った理論(数式)にこれほど従っているのか?」なのですが,そうではなくて,というか,その逆で,宇宙を語ることができるであろう数式をあれこれ探してきて,それを理論と称して当てはめても,そこに矛盾が生じるたびに数式を修正しては正しく当てはまるように工夫して改良しているだけ,なのだと私は思います。
 だから,「神が仕組んだとしか思えない驚きの宇宙の姿」ではなくて,人類の限られた能力で,それを懸命に構築する努力をしているけれど,未だ,それを見つけ出せないでいる,というのが正しいのでしょう。
 文系の人たちが言葉に酔い,それで,自らを語ったふりをして満足しているように,理系の人たちは数式に酔っていて,それで,さも,世界を手に入れた気分に浸っているだけにすぎません。
  ・・
 私が思うのは,神が作った世界はもっと単純に表現できるに違いない,ということです。
 おそらく,この世は,サイコロを振っていたらできちゃった,という感じでしょうか。しかし,人間がそれを説明する数式がこれほど難解で多くの人にとって理解できないのは,きっと,もともと数学が構築した記述自体が正しくないからでしょう。こんなに複雑にしか表現できないのは,人間の能力がこの程度だから,なのでしょう。俗にわかりやすくいえば,積分を表わすのにインテグラル記号など使う必要もなく,三角関数を表わすのにsin,cos,tanなどというものを使う必要もなく,それを考えた人がそれだけの能力だったというようなことです。
 わずか0.03マイクロメートルのウィルスに2年以上も全人類が怯え,有史以来,未だ,戦争ばかりやっている,地球を破壊し人殺しをするだけが能の,この地球上にはびこる愚かな生き物である人類に,世界を,そして宇宙を語る能力と資格があるとは,私には到底思えません。

◇◇◇
今日の最後の写真は,私が写したウィーン中央墓地にあるボルツマン(Ludwig Eduard Boltzmann)の墓。ボルツマンはオーストリアの物理学者で,エントロピーの増大は分子運動の確率的性質によることを明らかにし,エントロピーを状態確率の関数として表しました。ボツルマンの墓には,エントロピーのミクロな定義を与え統計力学の基礎を確立した公式「S = k log W」 が刻まれています。

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 2022年は2月から3月のはじめにかけて,最悪でした。とにかく寒い,そして,天気が悪い,ということで,どこに行く気もなく,何かをする意欲もなくなっていました。そこで,前回書いたように,昨年は2月のはじめにすでに咲いていた梅が満開になったのは3月の半ばのことでした。
 であるにもかかわらず,今度は急に春めいて,3月14日は20度を上回るほどになってしまいました。
  ・・
 今年の桜の開花は早いのか遅いのか。これだけ寒くても,急激に暖かくなると,桜の開花は,やはり,早いのかもしれません。
 とはいえ,まだ,桜の木を見ても,つぼみすらありません。

 というようなことを思いながら車を走らせていたら,突然,満開の桜並木が飛び込んできて驚きました。これもまた,わざわざ出かけたわけでもなく,幸運なことでした。
 調べてみると,そこは「名古屋で最も早く桜が咲く通りとして有名なところでした。その通りは 名古屋市内の「桜通泉二丁目」交差点から「芳野二」交差点北までの全長約1.4キロメートルです。
  ・・・・・・
 1961年(昭和36年)春,「名古屋で1番早く咲く桜を植えていただきたい」という地元の希望がかない,当初16本の苗木が植えられました。当時植えられた木で残っているのは6本ですが,その後新たに植えられたものも含めて,現在では約140本の桜が並木道をつくり早い春が楽しめます。
  ・・・・・・
ということでした。

 ここで見られる早咲きの桜は,淡紅色のものは「オオカンザクラ(大寒桜)」で,濃い紅紫色の桜は「カンヒザクラ(寒緋桜)」だそうです。
●オオカンザクラ(大寒桜)
 バラ科サクラ属の落葉高木で, 樹高は5メートルから10メートルです。花は中輪,一重咲きで淡紅色をしています。また,花は半開状で,下を向いて咲きます。
 開花時期は,ソメイヨシノ(染井吉野)より1週間ほど早く,年によっては3月初旬に咲きはじめます。 咲きはじめのころは遠目には白く見え,散りはじめるころになるとピンクがかって見えるとのことです。
 カンヒザクラ( 寒緋桜)とヤマザクラ(山桜),または,カンヒザクラ(寒緋桜)とオオシマザクラ(大島桜)の雑種です。
  ・・
●カンヒザクラ(寒緋桜)
 バラ科サクラ属でサクラの原種のひとつ,樹高は5メートル程度です。花は小輪,一重咲きで濃紅紫色,また,釣り鐘状の花が特徴で,下向きに咲く花やぱっと大きく開かない花が多く見られます。
 開花時期は,3月中旬です。 ヒカンザクラ(緋寒桜)ともいわれますが,ヒガンザクラ(彼岸桜)とは別物なので,区別するためにカンヒザクラ(寒緋桜)とよびます。
  ・・
 なお,この並木道にはありませんが,参考のためにヒガンザクラ(彼岸桜)についても書いておきます。
●ヒガンザクラ(彼岸桜)
 バラ科サクラ属の植物。大きく生長する特徴があり,30メートルを超えることもあります。花弁は5枚で一重咲き,ソメイヨシノ(染井吉野)よりも濃く薄い紅色です。エドヒガン(江戸彼岸)とマメザクラ(豆桜)の交雑種と考えられています。
 花期が彼岸のころに咲きはじめるためにこの名前がついたといわれています。
 エドヒガン(江戸彼岸)の別名もヒガンザクラ(彼岸桜)ですが,先に書いたカンヒザクラ(寒緋桜)をヒカンザクラ(彼岸桜)と間違えてよんでいる人もあるそうです。
 ヒガンザクラ(彼岸桜)の開花よりカンヒザクラ(寒緋桜)の開花の方が先です。


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 和名「ナツカ(長束)」,学名「Prunus mume’Natsuka’」という梅があります。樹高は3メートルから5メートル程度で,花は3センチから4センチと小ぶりで白一重です。
 「ナツカ」は江戸期から続く「実梅」の代表的品種で,南高梅が登場するまで代表的な品種でしたが,果実の表面に黒斑病が出やすい難点があり,生産が衰退しました。
  ・・
 「ナツカ」の原産地は愛知県稲沢市長束町です。
 この地は,かつて梅干し用の梅の生産が盛んでしたが,豊臣秀吉の5大奉行のひとり長束正家の屋敷があったことから「長束梅」とよばれていました。現在は長束公園があって,長束梅がかつての姿を残しています。

  ・・・・・・
 昔,長束という村に久兵衛というお百姓さんが住んでおったそうです。久兵衛さんは正直者で,村の人たちから慕われていました。
 久兵衛さんがお伊勢まいりに出かけたときの帰り道,大きな梅の木の下でひと休みしました。
知らないうちに,久兵衛さんはスヤスヤと眠ってしまい,不思議な夢を見ました。
 大きな梅の木が,久兵衛さんにこう言うのです。
 「久兵衛さん,私はあなたがこの道を通られるのを待っておりました。私の下で、たくさんの旅人が,正直者の久兵衛さんの話をしていました。私はあと数年の命です。私の子供をあなたにお預けしますので,あなたの家の庭に埋めてやってください」
 久兵衛さんが目を覚ますと,梅の実が傍らに置かれてありました。久兵衛さんは、家に着くと,裏庭に梅の実を埋めてやりました。
 月日は流れ,久兵衛さんが住んでいたところには,山内九四郎という人が住んでいました。
 ある日,裏庭に出てみると梅の木がはえていました。大切に梅の木を育てると,みるみるうちに大きくなり,次の年の春,大きな梅の実をつけました。この実はたいへん味がよく市場で高く売れたので,梅の木がたくさん植えられました。
 こんなことから、長束村のことを長束梅林とよぶようになったということです。
  「稲沢の昔話」より
  ・・・・・・

 梅が咲く季節は,まだ夜が明けるのが遅く,そこで,古より,梅と月を詠んだ和歌がたくさんあります。
  ・・・・・・
 大空は梅のにほひに霞みつつ 曇りもはてぬ春の夜の月
   「新古今和歌集」40 藤原定家
  ・・
 大空は梅の彩りと香りに霞みつつ そうかといって曇り切るわけでもない 幻のような春の夜の月
  ・・・・・・
 この歌は,春の夜のおぼろにかすむ月の美しさに及ぶものはないと「新古今和歌集55」で大江千里が詠った「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の 朧月夜にしくものぞなき」の本歌取りです。
 藤原定家の歌にある「にほひ」は,この歌が詠われたころは,妙なる芳香や余韻などを含意した,はなやかで溢れこぼれるような美しい情景や色合いを表現していて,花や紅葉,女性の美しさなどについて用いました。そのなかで,芳香の意味だけが現代語の「匂い」に残ったということです。

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 昨年は2月のはじめにすでに咲いていて,3月はじめの梅まつりのときには旬を過ぎていたのに,今年は3月になっても満開とは程遠い梅の花でした。それでも,春は来るもので,3月の半ばになって,やっと梅が満開となりました。
 梅の花が終わると桜の花の季節ですが,すぐに散ってしまう,か弱き桜の花に比べて,梅の花は強固です。桜と梅,それぞれ別の魅力があります。昨年は桜について書いたので,今年は梅について書きます。
  ・・・・・・
 梅は高さが5メートルから10メートルの落葉木で,花は観賞用として,また,実は食用として各地で栽培されています。
 梅の名前の由来は「うむみ(熟実)」のほか,いろいろな説があるそうです。英名はJapanese apricot,つまり,アプリコットです。日本では,好文木,木の花,春告草,匂草, 香散見草,風待草,香栄草,初名草,花の兄などの異名があります。
 梅は,古くから九州北部に自生していたとか,奈良時代以前に遣唐使が 薬木として中国から日本に持ち帰ったものとかいわれていますが,平安時代に広く普及しました。
  ・・・・・・

 梅は品種が多く,現在では300種以上あるそうです。そのなかで,花の観賞を目的とする「花梅」には「3系9性」あります。それ以外には実の採取を目的とする「実梅」があります。
 ここでは,私自身の鑑賞に役立てるために,「花梅」についてまとめます。
  ・・
● 野梅系
 野梅から変化した原種に近い梅で,中国から渡来した梅の子孫。枝が細く,花も葉も小ぶりでよい香りがします。
 次の4性があります。
・野梅性
 トゲ状の小枝で,新梢は緑色で日焼けすると赤みがあり,葉は比較的小さく毛がなく,また,花は白または淡紅です。
・難波性
 枝はよく茂り,トゲ状の小枝が少なく,葉は丸葉です。
・紅筆性
 蕾の先が紅く尖っていて,枝やガクは常に緑色で,蕾は緑白色,花は青白色です。
  ・・
●緋梅系
 野梅系から変化したもので,枝や幹の内部が紅く,花は紅色・緋色のものがほとんどです。庭木や盆栽に使われるものが多く,次の4性があります。
・紅梅性
 花色が明るい紅色をしていて,新梢は日焼けしても緋梅性ほど濃くならず、青みが残ります。
・緋梅性
 花色が濃い紅色から緋色をしていて,新梢は日焼けすると黒褐色になります。
・唐梅性
 花色は咲き始めは桃色から紅色で,咲き終わりには白っぽくなります。花が下向きで花柄が長いものが主流です。
  ・・
●豊後系
 梅と杏との雑種で,葉は大きな杏に近く,花は桃色のものが多く,次の2性があります。
・豊後性
 枝はやや太く,樹勢は強く,葉は丸葉で大きく,表面に毛があります。花は大輪で淡紅色のものが多く晩咲きです。
・杏性
 豊後性よりも枝が細く,葉も小さく,新梢が細く,日焼けすると灰褐色になります。葉は小さく表面に毛もありません。花は遅咲きのものが多く,香りが低いものです。

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月26.2_2020321.月の公転周期16moon1xxxx

☆☆☆☆☆☆
 地球のまわりを回る月の軌道。教科書などの説明では,今日の2番目の写真のように書かれてありますが,これは朔望月と恒星月のちがいについて説明しているもので,間違いではありません。
 ちなみに,朔望月と恒星月いうのは次のようなものです。
  ・・・・・・
 月は地球の公転・自転の向きと同じ向きに地球のまわりを回っていて,月の公転周期 -自転周期ともいますが- は,何を基準にするのかということでふた通りの考えかたができます。
 そのひとつは,恒星を基準としたもので,これを恒星月といいます。もうひとつは,太陽を基準としたもので,これを朔望月といいいます。
 恒星月は地球から見て月がある恒星の向きに見えてから再び同じ恒星の向きに見えるまでで,27.32日です。また,朔望月は満ち欠けの周期のことで,29.53日です。
  ・・・・・・
 つまり,月が地球のまわりを1週しても,その間に地球も太陽のまわりを回っているのだから,1週以上に回らないことににはもとの位置に戻れない,ということです。

 と,ここまではよいのですが,こうした説明をもとに,月が地球の周りをまわっている軌道を考えてみると,おそらく誰しも,なんとなく,今日の3番目のような渦巻型を思い浮かべるのではないでしょうか。
  ・・
 私も小学生のときはそう思っていたのですが,そのうち,何か勘違いをしていると気づきました。それは,月が後ろ向きに動いているわけがないと気づいたからです。
 今なら,コンピュータを使えば,この疑問を解決するために,正しい軌道を描くことは簡単にできるのでしょうが,私が疑問をもった当時は,コンピュータもなく,というより,あっても小学生の私には使いこなせなかったのでしょうが,そこで,当時の私は,大きな紙に絵を描いて考えてみることにしました。試行錯誤の結果,たどり着いた結論が,今日の4番目のようなものでした。
 今となっては,この結論は当たりまえのように思えるのですが,小学生のころの私にはたいそうな驚きでした。
 しかし,塾に通って,日々,ドリルの答え合わせをすることを勉強と思っているような今どきの小学生は,こんなこと,考えもしないことでしょう。

 大人になって,私がさらに驚くことになったのは,こうした疑問のような,私が子供ころに思っていたり試していたりするようなことを,同じように,子供のころに考えたことがある人が意外と少ないということでした。私はみんな自分と同じだと思っていたからです。周りに人に,月の軌道についてきいてみても,そんなこと考えたことない,というような反応が多いのです。
 おそらく,その逆もまた,少なくないことでしょう。つまり,私が何とも思っていないことに,すごいこだわりをもっているようなことです。
 このように,実際,人がさまざまなことをどう認識しているかというのは,人それぞれ,まったく異なることが多いものです。自分では意識していくても,まったく違うように受け取られれていることも少なくないのです。「見ている景色が違う」といいますが,人それぞれがまったく違う世界を見ているのかもしれないなあ,と思うこともあります。


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 何事もなければ今ごろはハワイに行っているころです。当初は,さすがに1年もすれば元通りの世の中に戻ると思っていたのですが,かれこれ2年になろうとしてます。
 2年間海外旅行ができず,私のパスポートの有効期限もあとわずかとなってしまい,スタンプで埋め尽くすという夢も幻となってしまいました。その反対に,お金を使わないので,車2台分くらいのお金が浮いてしまいましたが…。
 とはいえ,コロナ禍以前に行きたかったところは国内外問わずほぼ制覇していたので,どこへも行けなくても特に問題はなかったし,コロナ禍のはじまった2020年のころは,それまでオーバーツーリズムで迷惑していた外国人観光客がすっかりいなくなったのを幸いに,京都の春の桜と秋の紅葉をこころゆくまで堪能できました。
  ・・
 すでに「新型コロナはインフルエンザ扱い」になったヨーロッパやアメリカとは違い,未だにリーマンショック以来の金融緩和を引きずって幕引きをする決断すらできない日本は,コロナ禍もまた,当分は幕引きをすることもできず,うだうだとこんな状況を続けていくことでしょう。そして,ただでさえ少子高齢化で国力が落ちているのに,その凋落をさらに早めていくのでしょう。

 さて,そんなこんなで,私は,どこかに遠出することもほとんどなくなりました。近場であっても,特に,お昼間や週末は人が多いので出かける気にもならず,家に閉じこもって籠城生活をしているのです。
 そんな私の楽しみは,深夜,だれもいない山野で星を見ることに加えて,夕方の日没後と明け方の日の出前に散歩をすることです。この時間の空はどんどんと変化して,しかも毎日様子が異なっていて,とても美しいことに気づきました。特に,明け方,太陽が昇る前の空は絶品です。星を見るには快晴が一番ですが,夜明け前の空は,むしろ,少し雲がかかっているほうが美しいのです。
 私は,そんな明け方の楽しみを知ったことで,より早起きになってしまいました。

 ところで,今年の冬は例年以上に寒く,雪ばかりです。
 2月23日。昨晩遅く,天気予報にはなかったのに雪が降ったようで,早朝,窓を開けると外は銀世界でした。これなら,咲きはじめた梅に雪が被っているのでは,と思って,いつものように,日の出30分くらい前に散歩に出かけました。
 外気はマイナスでしたが,この寒さがまた,身を引き締め,気持ちよくさせてくれます。寝静まった静寂がこころ休まります。梅の花には思ったほどは雪がかかっていなかったのですが,とても美しいものでした。まだまだ寒いとはいえ,季節は確実に春に向かっています。
 やがて,東の空が明るくなって太陽が地平線から顔を出すころ,この日もまた,その寒さから太陽柱が昇っているのが見られました。こんな風景を見ると,古,柿本人麻呂がよんだ「かぎろい」は太陽柱のことだと確信します。
 夜明けの空が美しいのは,なにも東の空だけではありません。その反対の西の空にも昇ったばかりの太陽の光が届くようになると,雪を被った山々もまた,ピンク色に染まるのです。

  ・・・・・・
 東野炎立所見而 反見為者月西渡
 ひむかしの野にかぎろいの立つ見えて かへり見すれば月傾きぬ
 東の空には昇りつつある太陽の光が立ち上るのが見え 振り返って西の空を見ると月が沈んでいこうとしている
   「万葉集」巻1・48 柿本人麻呂
  ・・・・・・

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 新月。本来なら星見のころですが,晴れないのと寒いので,行く気になりません。
 そこで,少し趣向を凝らして,今日は,冥王星よりはるかに遠く,周期1万5,000年で太陽を回る小惑星「セドナ」に探査機を送るタイミングがもうすぐやってくるというお話です。

 1992年代以降になると,海王星軌道より外側の領域にも,冥王星以外の天体が発見されるようになりました。
 海王星軌道より外側の領域にある天体を太陽系外縁天体(trans-Neptunian object = TNO)といいます。太陽系外縁天体(TNO)には,エッジワース・カイパーベルト天体(Edgewaorth-Kuiper Belt object = EKBO)とその外側の散乱円盤天体(scattered disk object = SDO)があり,さらにその外側にはオールトの雲(Oort cloud)があるといわれています。
 また,エッジワース・カイパーベルト天体(EKBO)には,彗星(comet)と小惑星(minor planet)があります。さらに,小惑星(minor planet)は,従来の小惑星(asteroid)から格上げされた準惑星(dwaft planet)とそれ以外の古典的な小惑星(classical asteroid)に分類されます。

 2003年11月14日にパロマ天文台の「サミュエル・オシン望遠鏡」(The Samuel Oschin telescope)で発見された太陽系外縁天体「セドナ」(Sedna)は,エッジワース・カイパーベルトにある小惑星(minor planet)です。まだ詳しいことがわからないのですが,準惑星(dwarf planet)候補です。
  ・・
 「セドナ」は直径が約1,000キロメートルと推定されています。ちなみに冥王星は2,376.6キロメートル,月は3474.8キロメートルです。また,近日点距離が約76天文単位,遠日点距離が約1000天文単位という太陽から遠く離れた楕円形の軌道を約1万1,500年の周期で公転しているとみられています。

 なんと,この「セドナ」が2075年8月に近日点を通過するそうです。それは,あと半世紀ほどで,約1万1,500年ぶりに太陽へ最も近づくということを意味します。半世紀先と行っても到着するまでに時間がかかるから,人類が探査機を打ち上げるなら2029年が好機! なのだそうです。
 太陽から約29.5天文単位から49.3天文単位離れた軌道を公転している準惑星「冥王星」には2006年に打ち上げられた探査機「ニューホライズンズ」(New Horizons)が9年かけて近づきました。「セドナ」が近日点を通過するといっても,冥王星に比べればざっと2倍前後も遠いので,近づくには30年ほどかかるそうですが,それでも,セドナに探査機を送り込んでその様子を直接観測するチャンスはこのときしかありません。
 「セドナ」を周回する軌道へ探査機を投入するためには大量の推進剤を搭載し,さらに,金星,地球,木星の重力を利用したスイングバイという天体の重力を利用した軌道変更で軌道を修正し「セドナ」へ到達させるのだそうです。
 まだ,「セドナ」に探査機を送る具体的な計画はないのですが,もし実現しても到達するのは今から40年近くも先のこと。残念ながら,私の寿命がありません。

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 2022年1月16日の朝日新聞のコラム「日曜に想う」に「「地球冷却化」を懸念する人々」と題して ヨーロッパ総局長の国末憲人さんがアイスランドの自然の驚異について書いていました。
 一部,引用してみます。
  ・・・・・・
 アイスランドの小規模火山標高385メートルのファグラダルスフィヤル(Fagradalsfjall)が噴火したのは昨年3月。危険の少ない,極めて平穏な火山活動だった。「自然が手のひらを返すと,私たちは吹き飛んでしまいます。その規模に比べ人間はあまりに小さい。「母なる自然」への畏怖(いふ)の念を忘れてはなりません」
 この国の厳しい環境に身を置くと,その言葉が真に迫る。人類の限界を認識しつつ,しかし運を天に任せることなく,「地球冷却化」に備えたい。経験と教訓を豊富に持つ日本は、その強力な牽引役となるだろう。アイスランドの人々は、そう期待していた。
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 この記事は,奇しくも,この記事の前日に,南太平洋のトンガ諸島沖の海底火山の噴火が起きてしまったことで話題になりました。人間は傲慢で,さも地球の支配者のような顔をしていますが,地球の46億年の歴史のわずか1万年にもならない間に生息しているにすぎません。恐竜の生息したいた期間よりはるかに短いのです。46憶年の地球の歴史の中には,大規模な火山の噴火はもとより,大陸移動,隕石衝突,全球凍結があり,それらは人間の手に負えるものではありません。それに比べたら,人間など塵のようなものです。
 そして,世界というか,宇宙が存在していることがわかるのは,自分が生存しているからこそであり,その自分の生存している時間はわずか80年程度のものです。自分の生存しているその塵ほどの瞬間を大過なく過ごすために日々格闘しているのです。
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 私は,2018年に,この記事のアイスランドに行ったとことがあります。アイスランドに行ってみて,自然の雄大さと脅威を目の当たりにしましたが,それに比べると,この日本という国に住む人は,地震や台風などの災害には常に直面しているとしても,その本当の脅威を知らなさすぎるのではないかと思います。それは,果てしなく続く地平線や不毛の大地を見たことがないからです。
 そこで,人間の力で克服できると錯覚し,護岸工事に精を出し,祠を建てては神に祈り,地鎮祭をやって神の怒りを鎮めたふりをする一方で,平気で破壊を繰り返してるのです。
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 世界から見れば,この記事にあるように,日々自然の災害に直面している日本は,そうした自然の脅威を克服するために大きな力を持っていると思われるのは当然のことでしょう。であるから,自然の脅威を克服するために積極的に指導的な役割をするように期待されているわけです。
 しかしながら,世界で唯一の被爆国であるのに核兵器の廃絶に先頭に立つことをしないのと同じように,首都東京の再開発には膨大な予算を使い復興五輪とかいう名目でオリンピックまで行っても,災害を受けた地域の復興すらままならず,未だに十分に完了していないのです。
 また,山を崩して土壌が痛んで災害が増すだけなのに宅地開発を推し進めたり,森木を切り開いて太陽光発電所を建設したり,人口が減少してこの先の成長が見通せないのに相変わらず新たな道路や鉄道を作ることに邁進したりと,災害に対して目をつぶり,傍観者となってしまうのはいったいどうしてなのでしょう。

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 2021年12月25日,これまで何度も延期されていたジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(James Webb Space Telescope=JWST)が南アメリカのフランス領ギアナで打ち上げられ,高度約1,400キロメートルの宇宙空間でロケットから分離,数分後に太陽電池パネルを展開して発電を開始したことが確認されました。スラスター噴射で軌道を調整し,2022年1月の終わりには地球から約150万キロメートル離れた「ラグランジュ点」のL2ポイントに到着します。
 私は,2016年の夏にフロリダ州ケネディ宇宙センターでジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡のモデルを見て関心をもっていただけに,ついに,という気持ちでした。打ち上げのカウントダウンはフランス語でした。
 ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は,2010年に退役を迎えるはずだったハッブル宇宙望遠鏡(Hubble Space Telescope、=HST)の後継機として計画された赤外線観測用宇宙望遠鏡です。名称は、NASAの第2代長官ジェイムズ・E・ウェッブにちなんで命名されたものです。
 当初は2011年の打ち上げが予定されていたのですが,開発が遅れ,2015年以降に打ち上げが延期され,そのために,ハッブル宇宙望遠鏡が延命されました。さらに,2018年以降に延期となり,また,2020年以降に再延期となって,さすがに計画中止を求める声が他のプロジェクトから上がっていただけに心配しました。やっと,2021年12月18日の打ち上げが発表されたのですが,直前になってロケットへの搭載準備中に予定外の振動が生じたので,最終的な打ち上げが12月25日になったのです。

 ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の観測目標は,宇宙誕生ビッグバンの約2億年後以降に輝きはじめたとされるファーストスターを観測することだそうです。ファーストスターからの光は赤方偏移により波長が引き延ばされ赤外線に変化すると考えられているので,赤外線域で捜索・観測することによってそれが発見できるといいます。
 現在,ハッブル宇宙望遠鏡は地表から約600キロメートルという低い軌道上を飛行しています。とはいえ,国際宇宙ステーション(International Space Station=ISS)はそれより低い約400キロメートルであり,航空機に至っては約10キロメートルでしかありません。これに対して,ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は地球から約150万キロメートルという高さで,ちょうど太陽とは反対側の遠距離に置かれることになります。地球から月までは約38万キロメートルなので,それよりも4倍も遠いのですが,その位置は,太陽-地球の「ラグランジュ点」(Lagrangian points)のひとつでL2ポイントとよばれる場所です。「 ラグランジュ点」というのは,ふたつの天体の重力の釣り合いが取れる安定したポイントのことでL1からL5の5か所あります。
 L2ポイントは太陽の反対側にあるために,地球によって太陽が遮られて宇宙空間での観測を行うのに都合のよい場所です。しかし,太陽から発せられる光や電磁波などがノイズになってしまうのでそれを避けるために機体を極低温に冷却したり,太陽や地球から発せられる光を避けるために折畳まれた遮光板を搭載する必要があるそうです。

 ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の質量は6.2トンで,約11トンあるハッブル宇宙望遠鏡の約半分ですが,反射鏡の口径は約6.5メートルもあって,2.4メートルのハッブル宇宙望遠鏡の2.5倍です。ただし,ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の反射鏡はロケットに収まらないほど巨大なので,18枚の6角形セグメントに分割されていて,打ち上げられた後に高感度のマイクロモーターと波面センサーによって正確な位置に導かれて展開するようになっています。

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 今年の3月,キヤノンのホームページに「世界初,100万画素SPADセンサーの開発に成功」というニュースがありました。以下
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 拡張現実(Augmented Reality=AR),仮想現実(Virtual Reality=VR),自動運転,超高速度撮影,自動ロボット。IT革命によって可能性が大きく広がり,今後の社会を変えていくと期待されるキーデバイスが光を電気信号に変換する「センサー」です。
 キヤノンが開発発表したSPADセンサーは,SPADセンサーとして世界ではじめて100万画素を実現。世界中から注目を集めています。
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 SPADセンサー(Single Photon Avalanche Diode)とはイメージセンサーの一種。イメージセンサーといえば、カメラなどに搭載されるCMOSセンサーを思い浮かべますが,SPADセンサーはCMOSセンサーとは原理が異なります。光に粒子の性質があることを利用することは同じであるものの,CMOSセンサーがある一定時間に画素に「溜まった光の量を測る」 しくみなのに対し,SPADセンサーは,画素に入ってきた光の粒の「ひとつひとつを数える」 しくみです。
 画素に光子が入るとすぐに電荷に変換され、その電子はあたかも雪崩のようにひとつの光の粒をきっかけに倍増し,大きな信号電荷として取り出すことが可能になります。
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とあったのですが,このたび,このSPADセンサーの量産化をはじめるそうです。
 このニュースを伝える日本経済新聞には
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 キヤノンが暗闇でも高画質でカラー撮影できる画像センサーを開発した。デジタルカメラに使われるCMOSセンサーがぎりぎり感知できる光の10分の1程度の明るさまで認識でき,肉眼では何も見えない状況でも鮮明に撮れる。2022年から量産する。
 自動運転や防犯・監視など幅広い産業用途における画像認識の性能向上につながる可能性がある。
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とあります。こうなると,将来は,天体写真など,手持ちのカメラでだれでも簡単に写せるようになって,今のようなマニアが「天体写真」を趣味とすることはもはや終わってしまうかもしれません。

 思えば,アマチュアによる「天体写真」は,1860年代の半ば,フィルムカメラで天体写真を写すことからはじまりました。フィルムは富士フィルムの「ネオパンSSS」やコダックの「トライX」という白黒フィルムで,当時はASAといった今はISOという感度がわずか400程度でした。そのうち,小西六から「サクラカラーSR400」が発売されました。このフィルムは,Hαの散光星雲が異様に赤く写るフィルムとして評判で,はじめてものになるカラー写真が写せるようになりました。
 その次が,コダックの「スペクトロスコピック103aE」。これは,赤に感度域のあるフィルムで,R64という真っ赤なフィルターを組み合わせて赤い散光星雲がよく写りました。そして,そのまた次が,コダックの「テクニカルパン2415」。これを水素増感すると103aEのように赤い星雲がよく写ってしかも粒子が細かいものでしたが,次第に,一般のアマチュアには難しくて手が出せなくなっていました。
 やがて,写真はデジタルへと変わりました。当時大変だった天体写真も,大した技術も必要がなくなって,今は,コンピュータによる画像処理の時代となりました。
 そして,今流行しているのが「電視観望」。
 これは,CMOSセンサーで星の光を手に入れて,コンピュータを使って画像を再現するものです。このCMOSセンサーが,将来はSPADセンサーに代わろうというのでしょう。
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 しかし,現在のデジタルによる天体写真というのは,日本の灰色に汚れた夜空で,かすかな星の光を何とか手に入れて,それをITを利用してプログラミングで加工して絵をかいているだけのこと。
 どんなに必死に加工して美しい写真にしても,結局は,私がそうであるように,オーストラリアでろうそくの光ひとつなく澄んだ夜空の美しい満天の星を肉眼で見ることに勝る楽しみはないのです。
 学術研究ならともかく,人の楽しみは,コンピュータの進化とはまた別のものだったりします。


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