しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > メリーランド州

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●アムトラックから見たボルチモアもまた●
 アムトラックは定刻よりもどれだけ遅れるだろうかという私の心配をよそに,時間どおりフィラデルフィアを出発して順調に走っていった。
 窓の位置が高いこととガラスが汚くて見晴らしがあまりよくないことを除けば,日本の私鉄とそう変わらなかった。ただし,日本の新幹線は別格で,あれほど清潔で快適な乗り物は他にはないであろう。アムトラックを新幹線と比べてはいけない。
 私が乗ったアムトラックがフィラデルフィアを出発したのは午前9時35分でワシントンDC到着予定時間は午前11時37分,およそ2時間の旅である。距離としては140マイル,つまり約225キロメートルなので,アムトラックの時速は100キロ強というところか。

 アムトラックはやがてサスクエハナ川(Susquehanna River)を渡り,ボルチモアにさしかかった。この時点でもまだ,私には「ボルチモア=危険なところ」という印象しかなかったが,その根拠は,私のアメリカ人の友人たちが口をそろえて危ない危ないと言っていたことと,実際に私が行ったボルチモアのダウンタウンの雰囲気があまりにも悪かったこと,これだけであった。
 アムトラックが到着するのはボルチモアの北側にあるペンシルバニア駅(Pennsylvania Station)であった。この駅からダウンタウンに行くにはライトレール(Light Rail)という市電に乗ることになる「らしい」のだが,私は乗っていないのでわからない。

 しかし,今これを書きながら思うのだが,この旅で私のボルチモア滞在は半日と1泊でしかない。もっと他に行きたいところが多かったからである。しかし,2日くらいはボルチモアに滞在して,もっと時間をかけて,本当のボルチモアを実際に見て歩き知る必要があったかもしれない。 
 いずれにしても,アムトラックがボルチモアのペンシルバニア駅に近づくにつれて,線路にかかる道路の陸橋は落書きだらけになってきたし,車内から見える駅の近くのビルも,古いレンガ造りのものやら破壊されたものやら落書きばかりのものになってきた。
 これを見ても,やはりこの街は友人たちがいうように本当に危険なところに違いがないのであろう。
 アムトラックはボルチモアのペンシルバニア駅に到着した。ホームにはほとんど人がおらず,日本のローカル線のホールのようであった。若干の乗客が私の乗っていた列車から降りていった。
 やがて,アムトラックは出発した。次に停車するのは終点ワシントンDCである。

 ワシントンDCとボルチモアの間は非常に近く,わずか40マイル,つまり64キロメートルだから,東京から鎌倉ほどであろうか。
 ワシントンDCとボルチモアの間は,アムトラックのほかに「マーク」(Marc)という名前の通勤列車の Penn Line 線が走っていて,マークはボルチモアではペンシルバニア駅ではなく,ボルチモア・オリオールズのホームグランドであるカムデンヤーズに隣接する場所にあるカムデン駅に到着する。つまり,ワシントンDCに住んでいるのなら,マークを利用すれば1時間もかからずボルチモアに行ってメジャーリーグを楽しんで当日帰ることができるわけだ。東京都民が西武ライオンズを見にいくようなものである。

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●ボールパークの周辺の物乞い●
 ゲームはまだ途中であったが,ダルビッシュ投手が降板し,セブンスイニングストレッチも終わったので,ホテルに戻ることにした。
 アメリカ人の不思議なのは,こうしたゲームでは熱狂しているのやらそうでないのやらさっぱりわからないということで,7回くらいになると,さっさと家路に急ぐ観客がすごく多いのである。それは家が遠いからであろうか。しかも,夏時間だとゲームの開始時間自体が7時30分と遅いから,ゲームの終了まで見ていると次の日になってしまうことも多いのだ。
 私も特にナイトゲームの場合,ほどほどに切り上げて最後まで見た経験はほとんどない。
 以前,クリーブランドでクリーブランド・インディアンズ対ニューヨーク・ヤンキース戦を見たときに,あまりの大差でさっさとボールパークを後にしたが,その後インディアンズが猛烈に追い上げて,出るはずがないと思っていたクローザーのマリアノ・リベラ(Mariano Rivera)投手が登場した。それを見逃してしまったのは大失敗で,私のトラウマとなった。幸いにも,その数年後に,引退間近のリベラ投手をニューヨークで見ることができて,私のトラウマは帳消しになったからよかったものの…。

 ボールパークを出ると,ボールパークの周りにはすでに私のように客席から出てきた多くの観客がいて,ボールパークのまわりにあるモニュメントで写真を撮ったりしていた。歩いてボールパークの敷地を出てびっくりしたのは,多くの物乞いが金をもらうためにあちらこちらに座っていたことであった。
 私は西海岸のボールパークではそうした風景に出会ったことがなかった。サンフランシスコ近郊のオークランドのボールパークも決して雰囲気のよい場所ではなかったが,そこはボールパークからはそのまま地下鉄の駅に行くことができたから,地下鉄の終電が早いということを除けば安全なところだった。
 また,デトロイトでゲームを見たときは,パーキング代をケチったがために,ゲームの終了後,人っこひとりいないデトロイトのダウンタウンをパーキングまでさまようことになって身の危険を感じたが,それでも,物乞いは見たことがなかった。
 このあとに行くことになるワシントンDCでのゲーム観戦はデーゲームだったが,ここではゲームの開始前に,地下鉄の駅からボールパークに向かう間にも物乞いがたくさんいた。

 私は,この日,わずか3ブロック先にあるホテルまで,まったく身の危険を感じることもなく戻ることができてホッとした。
 ホテルの部屋に戻って,窓からまだ終わっていないボールパークの照明を眺めて,やっと,念願のボールパークに行くことができた喜びを感じたのだった。

 写真で見る限り,ボルチモアはとても美しい都会に見えるだろうが,実際にカムデンヤーズに行く計画のある方は,入念な準備をして,くれぐれも安全第一にベースボールを楽しんで来てください。

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●ダルビッシュの投球術は群を抜いている●
 私はダルビッシュ投手を一目見て,そのかっこよさに悩殺された。そして,私のこのゲームの目的は美しきボールパーク・カムデンヤーズ巡りからダルビッシュ投手の追っかけと転じてしまったのだった。
 もし,ダルビッシュ投手が先発でなければ,私は見晴らしのよい4階席でこのゲームをゆっくりと楽しむはずであったが,方針転換である。

 アメリカのボールパークは1階席を取り巻くように広いコンコースが一周している。
 これは,どのボールパークも同じ作りになっているが,ボールパークに限らず,バスケットボールなどの室内競技場もまた同様である。そして,そうしたコンコースには売店が並んでいる。アメリカのこうした施設が日本と決定的に違うのは,そうしたテレビに映らない場所の豪華さにある。
 1階席のスタンドに降りるには,コンコースから自分のシートのある通路口に係員がいて,そこでチケットを見せるという仕組みになっている。また,2階席以上はコンコースから階段やエスカレータ-があって上がっていくと,その階にも広場がある。
 係員は大概地元のお年寄りの場合が多く,アメリカのことゆえ,その仕事ぶりはものすごく厳格な人からまったくやる気のない人まで非常に個人差がある。さらに,そうした係員の対応はボールパークによっても程度の差がある。
 カムデンヤーズはゆるゆるであった。係員が別の客の接待に追われていたり,あるいは,どういうわけか係員が不在の通路が結構あって,そうした通路からは,いくらでも1階席に降りていくことができるから,グランドにいるプレイヤーを近くから写すことができるのである。

 私は,こうして,さまざまな席の間を移動しながらダルビッシュ投手の写真を撮りまくっていたのだが,ちょっと調子に乗りすぎて,バックネット裏にの最上級席まで降りていったときだけは係員がやってきて「チケット見せろ」と言われて困ってしまった。
 ちょっと写真を撮りに来ただけだ,とかいって潔く退散することになったが,罰金でも払わされたらどうしようかと一瞬凍った。

 このボールパークもまた,食事は大したものがない。ほかのボールパーク同様,ホッとドックやハンバーガーとコーラ,これだけで1,000円以上もする。しかも量が少ない。今回もそれで我慢をしてそこそこに平らげ,食事をする間も惜しんでダルビッシュ投手の一挙手一等足を観察していた。
 ダルビッシュ投手の投球ほど面白いものはない。彼は,テレビで見ていても投球術は群を抜いている。それをナマで見られるのだからなおさらである。しかし,どういうわけか,復帰後の彼は,球威が増して三振の数は以前よりもさらに増したのに,やたらとホームランを打たれてしまうのが不思議なことだった。
 どうしてなのだろう?
 この日のダルビッシュ投手もまた,6回と1/3投げて9三振を奪った好投だったが,なんとシングルホームランを3本も浴びて降板し,敗戦投手になってしまった。
 私は,ダルビッシュ投手が降板したのでもう用がなくなり,治安も心配だったので,セブンスイニングストレッチまでボールパークにいて,早々にホテルに引き上げることにした。

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●男も惚れるメジャーリーガー「ダルビッシュ・有」●
 ダルビッシュ・セファット・ファリード・有(Sefat Farid Yu Darvish)投手は,1986年生まれ大阪府羽曳野市出身のメジャーリーガーである。
  ・・・・・・
 2012年にレンジャーズと6年5,600万ドル+出来高400万ドルの総額6,000万ドルで契約,この年の4月9日のシアトル・マリナーズ戦でメジャー初先発し,シーズン通算16勝221奪三振を記録した。チームはレギュラーシーズンの最終戦で地区優勝を逃がしたがポストシーズンに進出し,ダルビッシュ投手はボルチモア・オリオールズとのワイルドカードゲームに先発したが敗退した。
 2013年は開幕2戦目のヒューストン・アストロズ戦で初先発し9回2死まで無安打無四球を記録したが,27人目の打者マーウィン・ゴンザレス(Marwin Javier González)選手に中前安打されて完全試合を逃し降板した。シーズン通算13勝9敗で両リーグ最多の277奪三振を記録し,野茂英雄投手に次ぎ日本人史上2人目の最多奪三振を獲得した。チームはレイズとのワイルドカード残り1枠を争うプレーオフに敗れてポストシーズン進出を逃した。
 2014年はボストン・レッドソックス戦で7回2死まで完全試合としたもののデビッド・オルティーズ(David Americo Ortiz Arias)選手の打席でエラーによって初出塁を許し,その後も9回2死まで無安打無得点を続けノーヒッター達成まであと1人の場面で,再びオルティーズ選手が二遊間を抜く打球を放ち,MLB史上3人目となる9回2死からノーヒッターを2度以上逃した投手となった。しかし,8月に右肘の炎症で15日の故障者リスト入りし,リーグ最下位となったチーム状況もあり残り試合の登板を回避した。
 2015年はスプリングトレーニングの初登板で右上腕三頭筋の張りを訴え,MRI検査で右肘内側側副靱帯の損傷が判明し,トミー・ジョン手術を受けることになり,1年を棒にふった。
 そして5年目となるこの年2016年は5月28日のパイレーツ戦でMLB復帰登板を果たし,レギュラーシーズン17試合に先発登板,7勝5敗を記録した。
  ・・・・・・
 ダルビッシュ投手のすごいのは球種が多いということにとどまらず,ストレートのスピン量が1分あたり2529.1回転と,バーランダー(Justin Brooks Verlander)投手,シャーザー(Maxwell M. Scherzer)投手に次ぐナンバー3ということである。彼の投げるボールは「プッシュファストボール」と名づけられているが,この長身から繰り出す回転数の多いストレートと変幻自在の変化球など,見ていてこれほど楽しい投手はほかにはいないのである。

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●先発はダルビッシュ!!!●
 2015年にシアトルでメジャーリーグベースボールのゲームを見たとき,シアトル・マリナーズの対戦相手はテキサス・レンジャーズだった。私はマリナーズの岩隈投手とレンジャーズのダルビッシュ投手の投げ合いを期待したが,そううまい話はなく,この年のダルビッシュ投手は故障者リスト入りであった。しかし,幸いにもマリナーズの先発は岩隈投手であった。
 その翌年の2016年6月,つまり,このわずか2か月前,私は再びシアトルでマリナーズのゲームを見た。シアトルを出発してグレイシャー国立公園まで往復した折に,単に帰りのシアトルで時間ができたから見にいっただけのことであったが,その日の先発もまた岩隈投手であった。
 こんな強運がそう続くとも思えず,私は恐ろしくなった。

 これまでにもこんな幸運が幾度となく起きたという経緯に加えて,この旅でマーリンズのゲームを見にいったときに,これもまた偶然イチロー選手の2,998本目のヒットを目の前で見て,さらに翌日のゲームでは「あわや3,000本」というゲームを見ることになって,私は本当に怖くなっていた。
 それを見るためにおっかけているのならともかくも,単なる偶然がこれほど重なるとは…。だから3,000本目のヒットが出なかったことにむしろホッとしたのだった。
 そうそう,私は青木宣親選手をある意味おっかけているのだが,彼は私を避けるかのように,見にいくたびに故障していたりマイナーに降格していたりして,いままでその姿を見たことがない。これもまた,あり得ない!偶然が重なっているといえなくもない。
 上原浩司投手も一度は見たいと思っているが,ボストンに行けば雨で中止だし,私が見にいくゲームの対戦相手がボストン・レッドソックスであったことがなく,その夢も未だかなえられていない。
 不思議なものである。
 果たして,今年,シカゴ・カブスに移籍したから私の運も変わるであろうか?

 さて,今日のゲームの対戦相手がテキサス・レンジャーズであるとは知っていたが,ダルビッシュ投手が先発するとは全く期待せず,せめて姿くらい見らればいいなあ,と思っていただけであった。
 ゲームの開始前の練習で,私はレンジャーズの選手たちの姿をグランドで追っていてダルビッシュ投手をさがしていたのだが確認できず,かなりがっがりした。しかし,私のいた場所から最も遠いライト側スタンド前のブルペンで先発に備えて投球練習をしているのは,なんとダルビッシュ投手ではないか!!!
 私は大急ぎでコンコースを走りに走り,ブルペンまで急いだ。そこでは,先ほどの「TeamHOSHIO」の少年たちがダルビッシュの投球練習を食い入るように見つめていたが,それ以上に熱い視線を送っていたのが,彼らの付き添いの母親たちであった。
 とにかく,めちゃめちゃかっこいいのである。男の私でも惚れてしまった。

 やがて,ダルビッシュ投手は投球練習を終えて,メンバーたちとハイタッチをして私の目の前を通りブルペンからグランドに向かっていった。
 国歌斉唱がはじまって,例のごとく「O's」の大合唱があって,いよいよプレイボールである。

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●「TeamHOSHINO」と保護者たち●
 ボルチモア・オリオールズ(Baltimore Orioles)はメジャーリーグベースボール(MLB)アメリカンリーグ東地区所属のプロ野球チームである。名前の由来のボルチモアムクドリモドキはムクドリモドキ科の鳥でメリーランド州の州鳥である。チームのニックネームは「O's」または「Birds」という略称で呼ばれる。
 このチームで活躍した最も有名なプレーヤーのひとりはカルヴィン・エドウィン・リプケン・ジュニア選手(Calvin Edwin Ripken Jr.)であろう。メリーランド州ハーヴァー・デ・グレイス(Havre de Grace)出身の内野手で,歴代1位となる2,632試合連続出場を記録した。日本では2,215試合連続出場を果たした「鉄人・衣笠祥雄=和製カル・リプケン・ジュニア」選手が有名であるが,本場アメリカの鉄人こそこのカル・リプケン・ジュニア選手である。彼は現役時代の全てをボルチモア・オリオールズで過ごした現代では数少ないフランチャイズ・プレイヤーであった。

 引退後,彼は「カル・リプケン少年野球世界大会」を主宰しているが,この大会の日本代表が「TeamHOSHINO」である。
 リプケン選手の生まれたメリーランド州アバディーン(Aberdeen)には東京ドームの5倍近い約23万平方メートルの「リプケン・エクスペリエンス」と呼ばれるオリオールズのホームグラウンドであるオリオールパークをはじめとし,ボストン・レッドソックス,シカゴ・カブス,ニューヨーク・ヤンキーのボールパークを模した7面のグラウンドがある。この「リプケン・エクスペリエンス」で12歳以下の少年を対象にして毎年8月に米国10チームと海外6か国が参加し「カル・リプケン少年野球世界大会」が開催される。
 星野仙一さんが支援をする「TeamHOSHINO」の愛称で知られる日本チームがこの「カル・リプケン少年野球世界大会」に出場して「ワールドチャンピオン」に輝いているのだ。「TeamHOSHINO」では,日本の野球少年がアメリカの野球少年との野球というスポーツを通じての交流と共にホームステイをしながら文化を学ぶという活動をしている。彼らのなかからプロ野球選手も出ているということだ。
 実はこの日,この少年たちが,大会出場のご褒美ということで,このゲームを見に来ていた。少年たちとともに多くの保護者もいて,私はそのひとりに間違えられた。なにせ,日本人といえば彼らくらいしかいなかった。

 この日の対戦相手はテキサス・レンジャーズであった。レンジャーズといえばダルビッシュ投手である。
 昨年,シアトルでベースボールを見たときもシアトル・マリナーズの対戦相手はテキサス・レンジャーズだった。このとき,私は岩隈投手とダルビッシュ投手の投げ合いを密かに期待したが,なんと,マリナーズの先発は本当に岩隈投手だった。しかし,残念ながらダルビッシュ投手は故障者リストに入っていたからその姿すら見ることができなかった。
 2016年の途中で復帰したダルビッシュ投手だが,このゲームに先発することは全く期待していなかった。そこまで物事がうまくいくはずがない。私はせめてゲームの開始前の練習で姿くらい見てみたいものだと,3塁側のスタンドでグランドの投手陣のいる場所を探していたのだが,一向に見つからずがっかりしていた。
 と,遠くライト側スタンド前にあるブルペンを眺めると,そこで投球練習をしていたのが!!!

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●カムデンヤーズこそナンバーワンだ●
 いよいよ開場の時間になった。列に並んでセキュリティを過ぎゲートをくぐった。なかに入った瞬間,本当にここのボールパークは素晴らしいと思った。
 アメリカのボールパークの素晴らしさは単に建物ではなく,周りの風景だとか,様々なイベントだとか,そういったものすべてにある。私はいつもボールパークに来ると,まずボールパークの外周を歩くことにしている。ボールパークの入口はたくさんあって,特別な人だけの専用ゲート以外は自分の座席がどこであろうとそこから入ることができる。
 この「カムデンヤード」はそうした他のボールパークとも違って,まさに遊園地の入口で,ゲートは建物の入口でなくて,ゲートのなかが公園の広い通路になっていた。そして,左手にかの有名な倉庫街があった。

 これを書きながら改めて写してきた写真を見直しても,再び行ってみたくなるし,このボールパークこそナンバーワンだということを実感するのである。
 ボールパークの敷地にはギフトショップやらファーストフード店やらが所狭しと並んでいたし,子供を対象とした遊園地もあった。このボールパークがさらに素晴らしいのは敷地が広いということで,ずいぶんとゆったりしている。
 日本からこのカムデンヤーズを見にいきたいのなら,一番の方法はデーゲームを選んでフィラデルフィアやワシントンDCなどから鉄道で行くことであろう。もしナイトゲームしかないのなら,私が宿泊したホテルを予約するのが最適であろう。
 ただし,ここは屋根がないから雨天中止という可能性があり得るので,絶対に見たいと思えば予備日も考慮にいれる必要がある。そういう意味では,開閉式の屋根のあるボールパークの方が日本からの旅行者にはうれしい。

 建物に入ると,ここにもまた,広いコンコースが一周していて,その通路もかなり広いものであった。
 通路から外を眺めると,フットボール(NFL)アメリカン・フットボール・カンファレンス(AFC)のボルチモア・レイブンズ(Baltimore Ravens)のホームグランド「M&Tバンク・スタジアム」(M&T Bank Stadium)を遠くに見ることができた。
 レイブンズという愛称の由来はボルチモアにゆかりのある作家エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)が1845年に発表した物語詩「ザ・レイヴン(大鴉=おおがらす)」である。
 「M&Tバンク・スタジアム」は1998年の建造で70,008人が収容できる。1998年の開場時の名前はここもまた「レイブンズ・スタジアム・アット・カムデン・ヤーズ」(Ravens Stadium at Camden Yards)だった。1999年PSIネットが命名権を20年1億500万ドルで取得し「PSIネット・スタジアム」(PSINet Stadium)へ変更されたが,PSIネットが2002年に倒産したためにスタジアム名は一旦以前のものに戻された。その後Maryland Stadium Authorityとレイブンズは新たなネーミング・スポンサーを募集し,2003年に15年7500万ドルの契約でM&Tバンクが新たなスポンサーに決定し,現在の名前となったものだ。

DSC_1075DSC_1074DSC_1078DSC_1080●カムデンヤーズは国歌で雄たけび●
 そうこうするうちに開場の時間が近づいたので,怪しげなスターバックスを出て再びボールパークにもどった。
 今日は憧れだった「カムデンヤーズ」について詳しく紹介しておくことにする。

 このボールパークの正式名称は「オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ」(Oriole Park at Camden Yards)という。メジャーリーグベースボール(MLB)アメリカンリーグに所属するボルチモア・オリオールズのホームグランドである。
 かつてニューヨークのブルックリンにあったブルックリン・ドジャーズのホームグランド「エベッツ・フィールド」(Ebbets Field)をモデルにしたこのボールパークは,レンガと鉄骨を組み合わせた外観や左右非対称のフィールドなどといった新古典主義を初めて取り入れたボールパークとして今も人気を博している。このボールパークは21世紀の「フィールド・オブ・ドリームス」ともいわれ,その後に作られたボールパークに大きな影響を与えた。

 ボールパークの名前は次のようにして決められた。
 オリオールズのホームグランドであることから「オリオール・パーク」,ボルチモアで生まれたベーブ・ルースにちなんだ「ベーブ・ルース・スタジアム」,建設地に以前あった操車場の名前からとった「カムデン・ヤーズ」,前のボールパークと同じ「メモリアル・スタジアム」などの候補から,オーナーのエリ・ジェイコブスは「オリオール・パーク」を,メリーランド州知事のウィリアム・ドナルド・シェーファーは「カムデン・ヤーズ」をそれぞれ推し,結果的に妥協するかたちで両案を組み合わせることになったというわけだ。
 おかげで非常に長ったらしく覚えにくいが,しかし,1度覚えると得した気になる名前である。

 このボールパークは右中間までが比較的遠く,しかも高さ25フィート(約7.6メートル)のフェンスがあるので左打者には本塁打が出にくい。また,夏場には風の影響で打球がレフト方向へ飛びやすくなるので右打者に有利である。
 なんといっても最大の魅力は外野右翼席後方にレンガ造りの倉庫で,この景観がすばらしいのだ。19世紀の終わりに建てられたこの倉庫はその名を「Baltimore & Ohio Warehouse」といい,アメリカ東海岸で最長となる1,016フィート(約310メートル)の長さを誇っている。
 球場からは独立した建物であるが,スタンドにいるとくっついているように見え,屋根の上には照明灯さえ設置されている。この建物の内部には球団事務所のほか,カフェテリア,スポーツバー,ギフトショップなどが入居している。
 このように,1992年にオープンしたこのカムデンヤーズは,当時のオリオールズ副社長ジョー・フォスが「街とチームの歴史や伝統を生かしつつ,今のファンが見たこともないようなボールパークを作りたかった」 と語った通りの斬新な球場となった。ここに行かずして,メジャーリーグファンは語れないのである。

 私は,この憧れのボールパークについに来ることができた。
 まだゲームの開始には時間があるが,忘れないうちに,このボールパークではゲームの開始前の国歌斉唱で歌われる歌詞が少し違うので,そのことを書いて今日は終わりにしよう。それは… 国歌の歌詞にある「Oh」がここでは「O's」となるのだ。「O's」とは言わずと知れたオリオールズのことである。私はこのことを以前に聞いたことがあったのだがそのことをすっかり忘れていた。このボールパークで実際に歌を聞いていてそれを思い出した。そして、感動した。
 こういうこと知らないで見に行くと,せっかくの感動をひとつ見逃すことになる。だからこそ旅はおもしろい。

◇◇◇
愛しきアメリカ-アメリカのボールパーク⑥


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●スタバでは写真を撮る勇気すらなく●
 ベーブ・ルース博物館を見終えて,私は歩いてボールパークに戻ることにした。

 今日の1枚目の写真は,ベーブルース博物館のあたりをふらついていた浮浪者である。彼は,車が信号で停車をすると車の前に現れてドライバーに金をせびるのである。
 30年も前なら,こういう浮浪者はアメリカの大都市の至るところに見られたが,私はこのところお目にかかったことがなかった。昨年サンフランシスコへ行ったときに,ダウンタウンの治安が悪い場所として知られるテンダーロイン地区でそのころのことを思い出すよなうな光景に出会って,アメリカには今もこういう場所が残っているのかと驚いたが,この街はさらにもっとひどかった。

 ベーブ・ルース博物館を出てボールパークに向かう途中にあった銅像が2枚目の写真である。この銅像のプレイヤー・背番号5はブルックス・ロビンソンである。
 ブルックス・ロビンソン(Brooks Calbert Robinson Jr.)は1937年生まれ。ボルチモア・オリオールズでプレイした三塁手である。
 1955年に高校卒業と同時にボルチモア・オリオールズに入団しメジャーデビューした。以来オリオールズ一筋に23年間プレーし,1966年にシンシナティ・レッズから移籍してきたフランク・ロビンソンと共に「ロビンソン・コンビ」として大活躍した。
 フランク・ロビンソン(Frank Robinson)は移籍してきた1年目に三冠王に輝いたが,ブルックス・ロビンソンも23本塁打100打点という活躍をしてチームはリーグ優勝した。ワールドシリーズでもロサンゼルス・ドジャースを4連勝で破り初の世界一に輝いた。また,1970年のワールドシリーズでは攻守にわたる活躍でシンシナチ・レッズを破って2度目の世界一に輝きシリーズMVPに選出された。
 三塁手としてその守備が高く評価されたので「人間掃除機」(The Human Vacuum Cleaner)と呼ばれたプレイヤーである。日本でも読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手がロビンソンのフィールディングを手本にしていたといわれる。

 こうしてボールパークまで戻ってきたがまだ少し開場まで時間があったので,どこかで休憩しようと,ホテル近くのダウンタウンまでさらに戻ったが,スターバックスがあったので,私はなかに入った。ところが,このスターバックス,怪しげな黒人たちのたまり場だったのだ。
 少しだけ存在したテーブルとイスは,日本のようなクッションのあるものでは当然のごとくあらず -なにせそんなものを置けばすぐに壊されてしまうのであろう- 私は,出るに出られなくなって仕方なくコーヒーを注文して,その固いイスに腰かけて周りを警戒しながらコービーを飲んだ。
 こういう場所で少しでも気を許せば財布などあっという間になくなってしまうだろう。
 店内の写真を写す勇気はさすがになかった。

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●ベーブ・ルースが少年期をおくった家●
 今日は,このベーブ・ルース博物館について書くことにする。
 アメリカのこうした私設博物館は普通の民家であることが多く,通常,家の玄関の扉を開けて中に入ると受付があって,入館料を払うといったシステムになっている。入口とはいえ,小さな看板があるだけだから扉を開ける勇気が必要なのだ。しかし,一旦なかに入ると想像以上に観光客が入っていてびっくりする。
 ここの博物館もまた,小さな家で,私は意を決してなかに入ると,想像通りそこには受付があって入館料をはらってなかに入った。
 この博物館の正式名は「ベーブ・ルースの生誕地と博物館」(Babe Ruth Birthplace and Museum)という。

 通称ベーブ・ルース(Babe Ruth),正式名ジョージ・ハーマン・ルース・ジュニア(George Herman Ruth, Jr.)は1895年にボルチモアで生まれたメジャーリーガーである。
 彼はのちに「野球の神様」といわれ,アメリカ合衆国の国民的なヒーローとなった。
 1936年,最初にアメリカ野球殿堂入りを果たした5人の中の1人である。ちなみにのこる4人は,タイ・カッブ(Ty Cobb=デトロイト・タイガース),ウォルター・ジョンソン(Walter Johnson=ワシントン・セネタース),クリスティ・マシューソン(Christy Mathewson=ューヨーク・ジャイアンツ),ホーナス・ワグナー(Honus Wagner=ピッツバーグ・パイレーツ)である。
 ベーブ・ルースは本塁打50本以上のシーズン記録を初めて達成した選手でもあったし,1927年に記録したシーズン60本塁打は1961年にロジャー・マリスによって破られるまでの34年間にわたってMLBの最多記録であった。また,生涯通算本塁打数714本も1974年にハンク・アーロンに破られるまで39年間MLB最多であった。
 アメリカ国内において数多いプロスポーツの一つに過ぎなくなっていたベースボールを最大の人気スポーツにした事で「アメリカ球界最大の巨人のひとり」と評されている。

 ベーブルースの両親のケイト(Kate)とジョージ・ハーマン・シニア(George Herman Sr.)はドイツ系移民で,カムデン通り沿いで酒場を自営しており,家族はその2階で暮らしていた。
 ケイトはルースを含めて生涯に9人の子供を産んだが成人期を迎えることができたのはルースと5歳年下の妹マミー(Mamie)の2人だけであった。
 ルースは後年,自らの幼年期を振り返って「大変だった」と語っている。母は病弱であり,父は酒場の仕事で忙しく息子の世話に関わっている余裕はほとんどなかった。そのため,両親から適切な教育を受ける機会のなかったルースは大人の手にも余る腕白坊主へと成長し,勉強も完全に疎かになってからは学校をサボっては通りをうろつき町の不良たちと喧嘩に明け暮れ商店の品物を万引きしたり酒を飲んだり煙草を吸ったりするなど,様々な非行に手を染めた悪童であった。
 7歳になったころにはすでに親の手には負えなくなり「セント・メアリー少年工業学校」という全寮制の矯正学校兼孤児院に送られた。ルースはその後の12年間をセント・メアリーで過ごすことになったが,そこで少年たちの教官を務めていたローマ・カトリックの神父ブラザー・マシアス・バウトラー(Brother Matthias Boutlier)と出合い野球を教わったことがルースの人生に決定的な影響をもたらすことになったという。

 この博物館の内部は3階建てで,ベーブルースの住んだ居間や写真,トロフィー,ボール,バットなどがところ狭しと展示してあった。一見たわいもないものだが,ここに展示されたボールひとつでもオークションに出ればすごい値がつくものなのであろう。
 狭い博物館であったので,私は,博物館のなかを何度も行き来し,以前行ったことのあるニューヨーク州のクーパーズタウンの「野球殿堂」(National Baseball Hall of Fame and Museum)同様に,ここゆくまでこの博物館を楽しむことができた。

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●ベーブ・ルースの博物館を知らないか?●
 ホテルを出て,まず「カムデンヤーズ」に向かった。
 ボルチモアという街は,この旅で来るまで私にはアメリカンリーグ東地区オリオールズの美しいボールパークのあるところというイメージしかなかった。ワシントンDCに近いとはいっても,学校で使用されるような地図帳でさがすと一見どこにあるのかどまどうし,港があるといわれても内陸にあるこの都市にどうして港があるのかさえ理解できなかった。
 まして,治安が悪いというようなイメージはなかったから,たとえば,学校で自分の友人のことを別の人があいつは「ワルだよ」といわれたような,そんな戸惑いを覚えたものだった。

 ともあれ,ベーブ・ルース博物館はボールパークの近くにあるということだった,今日のゲームが終わった深夜に無事に歩いてホテルに戻る道順を調べつつ,まずはボールパークを目指し,そのあとでベーブ・ルース博物館まで行ってみようと思った。
 ボールパークはホテルからたった数ブロック歩くだけのところにあるのだが,到着したばかりの私には土地感がなく,恥ずかしいことに道に迷ってしまった。どうやら反対方向に歩いていってしまったたようある。
 途中で気づいて,歩いている人に「ボールパークはどこか?」と聞くことになった。すると「カムデンヤーズか?」と聞き返されたのには感動した。そう,ここオリオールズの本拠地=ボールパークは「オリオールパーク・アット・カムデンヤーズ」(Oriole Park at Camden Yards)というのである。
 要するに,甲子園球場を探して阪神電車の甲子園駅を降りたのに道に迷い,通行人に「野球場はどこですか?」と聞いたら「甲子園のことか?」と聞き返されたような感じだったのである。

 私はそうして,なんとかカムデンヤーズまでやってきた。カムデンヤーズのことは,また後日詳しく書くことになるであろう。
 私が到着したときは,今日のナイトゲームの準備に大勢の職員が忙しそうに動き回っていた。私はそのひとりに,ベーブ・ルース博物館の場所を聞いたのだが,彼は,意外にもベーブ・ルース博物館を知らないと言ったのだ。いや,ひょっとして知っていたが,私の聞き方が悪かったのかもしれない。
 そんなわけで,私は,自分で地図を頼りに広いボールパークの外周を歩いて博物館があるだろうと思われる方向まで行くことになった。それにしても,この街の独特のヤバそうな雰囲気をどう表現すればいいのであろうか?
 
 ボールパークを過ぎたあたりから町の様子が少しずつ変わってきて,一段と治安の悪そうなブロックにさしかかりつつあった。ベーブ・ルース博物館は広い通りには面しておらず,狭い路地を入っていったところにあってわかりにくい。日本とは違って看板などないから,けっこう探すのに手間がかかるし,違う路地裏にでも入ってしまうとえらいことなのだ。
 そうこうするうちに,私は,無事,写真のような小さな博物館に到着した。

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●ボルチモアの「デイズイン」●
 「デイズイン」(Days Inn)はアメリカによくあるホリデイインやコンフォートインなどと並ぶホテルチェーンのひとつである。いわゆる3つ星ホテルで,個人で宿泊するなら十分だからよく利用するが,私にはデイズインはホテルチェーンのなかでも格下のイメージであった。
 ファーストフードのマクドナルドやファミリーレストランのデニーズなどと同じで,こうした全国チェーンのホテルならば大外れということもないので安心して予約ができるが,それでも,思っていたよりも豪華だったり,また,その反対だったりすることもある。
 このデイズインは全く期待していなかったが,その予想に反してものすごく豪華であった。

 アメリカの大都市のダウンタウンにあるホテルは日本人が思う以上に宿泊代が高いから,いつもはそうした都会に行くときはダウンタウンから30分程度離れたインタースイテイツのジャンクションや空港の近くにあるホテルを探すが,ボルチモアではボールパークの徒歩圏内に適当なホテルが見つかってほんとうによかった。
 ただし,ホテルには無料の駐車場がなく,隣のパーキングに駐車するということだけが心配であった。
 以前ボストンに行ったときもホテルはとてもよい立地であったが,駐車場に困ってしまった。そこにはホテル公認のパーキングもなく,一晩停めたら駐車料金がホテルの宿泊料金くらいした。
 このように,アメリカの大都市のダウタウンのホテルに宿泊するとホテルの宿泊代が高く,さらに車があればどこに駐車すればよいのかというふたつの問題を抱えることになる。

 このデイズインも駐車場が心配だったが,到着してみるとチェックインの手続きをする時間だけ車を駐車するスペースがホテルにあったので,路上駐車を免れほっとした。さらに,ホテルもあまりの豪華さにびっくりした。
 早速チェックインを済ませると,車を隣のパーキングに停めるように言われたのでそこに車を移してから部屋に入った。パーキングからホテルには専用の通路もあった。
 部屋もまた豪華で,セキュリティもしっかりしていた。窓から外を眺めるとボルチモアのベイエリアといわれるあたりを見回すことができたし,ボールパークも間近に見ることができた。

 今日の写真を見る限り,ボルチモアはほかのアメリカの大都会同様に美しい都市に見えるであろう。確かに,一見では怖いと脅かされていたような雰囲気はまったくなかった。
 部屋に入って荷物を片付け,さっそく,外に出ることにした。この街で,メジャーリーグベースボール(MLB)のゲームを見るほかに私がぜひ行きたかった場所はベーブルースが生誕した家であった。「カムデンヤーズ」のすぐそばにあって,現在,その場所は博物館になっているのだという。
 そこで,私はホテルからまずは「カムデンヤーズ」まで歩いていって,そこまでの行き方や街の様子を調べながら,ついでにベーブ・ルースの博物館へ行ってみることにしたのだった。

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●ボールパークから徒歩圏内のホテルで●
 これまでにも書いたように,私は,ボルチモアにあるアメリカで1番美しいといわれるボールパーク「カムデンヤーズ」でベースボールゲームを見るのが夢であった。
 この旅をもって,メージャーリーグ 30球団すべてのボールパークに行くことができたが,そのなかでも,私がぜひ行きたかったのはこのボールパークであった。そこで,この旅の計画を始めたときに,一番先に大張り切りでこのボールパークのゲームのチケットを購入したのだった。

 日本からの観光旅行者がアメリカでベースボールのゲームを見るにはさまざまな困難がある。
 まず第一にナイトゲームはできれば避けたいのだ。ゲームの終了後深夜にホテルに戻ることに危険を感じるからだ。しかし,ボルチモアでは私の行く時期にデーゲームがなかったから,しかたなくナイトゲームのチケットを購入した。
 スタジアムの座席は特に見たいプレイヤーがいなければどこでもいい。チケットの値段はピンからキリまでだがどの席もかなり高額だから,大金持ちならともかく私のような貧乏人がなるべく安価にあげるには,スタンドの最上段の席に限る。この場所ならボールパークすべてが見渡せるからだ。

 次の問題は,ボールパークまでのアクセスである。
 広いアメリカのボールパークには当然広い駐車場があって自由に駐車できる,という認識があれば,それば大間違いである。
 このこともすでに書いたが,1990年以前多くのボールパークは郊外にあったからアクセスは車が中心であったのでボールパークのまわりには巨大な駐車場があった。しかし,こうしたボールパークは車を利用できる人には便利な反面,車がないと行くこともままならなかったから,日本から見に行くにはつらかった。
 1990年以降のボールパークは,といってもこの発想の先駆者こそボルチモアだが,大都会の中心にボールパークを作ることで都市の再開発を促し治安の向上にも役立てようとした結果,ダウンタウンのホテルを予約すれば徒歩であるいは公共交通でホールパークに行って容易にゲームを楽しむことができるようになった。問題は,都会のホテルの宿泊代が異常に高価であるという点であった。

 この旅で私はマイアミ,ボルチモア,フィラデルフィア,ワシントンDCと4つのボールパークに行くことができた。帰国した今となれば,それぞれの都会のボールパークにはどのようにアクセスしてゲームを楽しめばよいかがよくわかるが,行く前にそれを調べるのは非常に困難なのだった。
 だからこそ旅をする楽しみがあるのだが,同時に,行く前に不安になるのがこのことである。
 これもすでに書いたが,私はマイアミでオフィシャルパーキングを予約しなかったばかりに,駐車場を探すのに戸惑った。しかも,マイアミのボールパークはダウンタウンにあるのに近くにホテルがなかったから,車で行く必要があった。だから,マイアミでゲームを見るにはオフィシャルパーキングを予約しておくべきだったのだ。
 いずれにせよ,マイアミ・マーリンズのボールパークはイチローがチームの一員でなければ行くほどの価値があるとは私には思えないが…。
 それに対して,このボルチモアではチケットを購入した時点でパーキングの予約もしたのだが,皮肉なことに,パーキングを予約する必要がなかったのだ。ずっとあとになって私が予約したホテルがボールパークの徒歩圏内だったからだ。このようにやっていることがちぐはぐなのだが,現地の様子がわからないし,同時進行でチケットを買ったりホテルを予約したりしていないからこれも仕方がない。

 一般に,メジャーリーグではネットでオフィシャルパーキングの予約をすると,ゲームのチケット同様に,駐車場のチケットも自宅のプリンタで印刷するという手続きをすることが多い。しかし,ボルチモアではゲームのチケットは自宅のプリンタで印刷すればよかったのに,パーキングのチケットは後日郵便で送るとあった。これまでの私の経験では,こうした場合,実際に郵便で送られてきたためしがない。大概の場合はムヤムヤになってしまうのだ。しかし,現地に行ったときに予約をしたという証明書やら予約番号やらクレジットカードを示すと,それで問題なくうまくいくという次第になる。きわめてアメリカらしいいい加減さである。
 したがって,このときも私はまったく郵送されてくることはあてにしていなかったし,それで何とかなると思っていたが,なんと,数日後にアメリカからものすごく丁寧な挨拶状とともに本当に駐車券が送られてきたのにはかなりびっくりした。
 ついでにもうひとつ書いておこう。
 これもまたとてもアメリカらしいのだが,ネットでゲームのチケットを購入すると,近頃は,何かの都合で行かれなくなったときにそれを補てんする保険に入りませんか? というオプションが表示されるようになった。しかし,実際もし行けなくなったときにどういう手続きをするのか,ほんとうに代金が返ってくるのかがよくわからないから,よほど高価なチケットでない限りこんなものに入る必要はなかろう。

 ここで書いたように,早々とボルチモアでのベースボールのゲームのチケットを購入した後で私はホテルをさがすことになったが,やはり,ダウンタウンのホテルはどこも非常に高価であった。しかし,ボルチモアの治安の悪さを異常に吹聴されていたこともあって,私はなんとかしてボールパークの近くのホテルをとりたいものだと思った。
 探すうちにボールパークからわずか3ブロックの徒歩圏内にさほど宿泊代の高くない「デイズイン」を見つけたので早速予約した。しかし,おそらくぼろホテルだろうと,まったく期待していなかった。ホテルの入口に浮浪者がたむろしている姿を想像した。
 このときはまったく知らなかったが,後日,「地球の歩き方」やインターネットの書き込みで「ボルチモアでベースボールのゲームを見るにはこのホテルに泊まるべきだ」という多くの情報を見つけたとき,私がこのホテルを予約したのは大正解だと確信したのだった。

DSC_1014DSC_1016DSC_1021DSC_1024DSC_1028●目指すは「カムデンヤーズ」●
 当初の予定にはなかったマウントバーノンに寄ることもできて,このあと,私は一目散にボルチモアを目指すことになった。
 目的地は,アメリカ一美しいといわれるボールパークであるボルチモア・オリオールズの本拠地「カムデンヤーズ」である。

 私は,この旅に来るまで,ボルチモアという都会について全く知らなかった。
 ワシントンDCに本拠地を置くメジャーリーグのチームができるまで,ワシントンDCに最も近いボルチモアでの開幕戦に大統領が始球式を行っていたと聞いても,ボルチモアがワシントンDCに近いという実感がわかなかった。
 アメリカが広いとはいえ,マサチューセッツ州のボストンからバージニア州のリッチモンドあたりまではごちごちゃしていて,人も車も多く,日本の東京から岡山あたりまでとさほど違わない。ボストンだけ,ニューヨークだけ,ワシントンDCだけと車を使わずに観光するならともかく,この間の移動を伴うと,ここは4泊5日で東京と京都と大阪と神戸を旅行するのとさほどの違いはない。
 見どころはたくさんあるのだが,ここで得られる体験は「広大なアメリカ」というイメージとはかなり質が違うであろう。
 私も,この旅に来るまで,一度は見てみたい,行ってみたいと思い続けていたところはたくさんあったのだが,そのすべてを実現させてしまった今となっては,また行きたいなあ,とあまり思うこともない。
 私は,東京には決して住みたいと思わないがニューヨークもまた同様である。

 ボルチモアはワシントンDCから車でわずか40マイル,つまり64キロほどである。マウントバーノンからはインターステイツ895を40分程度走るだけだ。
 私はマウントバーノンからポトマック川を越す橋を通り,そのままワシントンDCを北に眺めながら走っていった。途中,ワシントンDC が遠くにかすんで見えたときには感動した。数日後にまたここに来るんだなあと思った。
 また後で書くことになるだろうが,この時点では,私のワシントンDCの記憶は30年以上前に来たときのままであった。しかし,この旅で実際に行ったワシントンDCは,そのころに比べて,遥かに人も多くモールも博物館もずいぶんと汚くなっていた。

 そのうち,ボルチモアに近づいてきた。インターステイツを降りて道なりに走っていくと車はダウンタウンに入っていった。
 もう,これまで再三書いてきたが,ボルチモアといって多くのアメリカ人が思い浮かべるのは「怖い」というイメージだ。どうやら「ボルチモア」「デトロイト」「イーストセントルイス」というのがアメリカの「3大危険都市」であるようなのだ。
 私も来るまでずいぶんと脅されていていた。そのために,ボルチモアだけはボールパークまで徒歩圏内にあるダウンタウンのホテルを奮発したのだった。
 「地球の歩き方」によると,港近くに見どころがあるということだったが,私がここに来た目的のすべては美しいボールパークでベースボールのゲームを見たいということだけだったから,そんなものはどうでもよかった。

 今日の下から2番目の写真の道路のはるか彼方にみえるのが,私がめざす「カムデンヤーズ」である。
 アメリカの大都市の多くは,こうしたメジャーリグベースボール(MLB)のボールパークがランドマークになっている。メジャーリーグ大好きの私には,写真やテレビの中継で見慣れたボールパークの「ホンモノ」を真近かに見ると,いやがうえにもテンションンが高くなるのであった。

◇◇◇
ルネサンス,遥か。-モータウン・デトロイト③
2015春アメリカ旅行記-セントルイスへ⑤

今日はフロントロイヤルから直接ボルチモアに行く予定だったのですが,2時間もかからないことがわかったことと,改めて地図を確認すると,行く途中に,ワシントン郊外で数日後に車を返してから公共交通機関で行く予定だったスミソニアン博物館の別館ウドハーハジーセンターと,あるいは行くことができたらいいなあと思っていたマウントバーノンが意外と近いことがわかったので,午前中に寄ることにしました。
ウドハーハジーセンターにはスペースシャトル「ディスカバリー」が展示してあります。また,マウントバーノンには初代大統領ワシントンのお墓があります。ボルチモアにはベーブルースが生まれた家くらいしか見ものはないのです。
そんなわけで,ホテルを午前7時にチェックアウトして途中で朝食をとり,1時間と少しでウドハーハジーセンターに着きました。開館時刻は午前10時だったのですが,それより早く着いたのにもかかわらず建物のなかに入れてもらってカフェテリアで時間をつぶしました。スミソニアン博物館にあるというスペースシャトル,私はワシントンDCにあるとばかり思っていたのですが実はこのとんでもなく遠い別館にあって,公共交通機関だとワシントンDCからは2時間もかかるのです。これでは観光で来た多くの日本人には見ることは不可能でしょう。
フロリダで見たスペースシャトル「アトランティス」もそうでしたが,さすが本物のスペースシャトルはいくつ見ても感動します。ただしフロリダとは違って,駐車場の料金が別に必要ですがこちらは博物館に入るのは無料です。
次に行ったワシントンのお墓まではさらに1時間かかりました。ここはワシントンの生家や博物館もあるのでゆっくり見たら1日かかります。ここもまたワシントンDCからは公共交通機関だと2時間くらいかかります。私は時間がなかったのでお墓だけ見て後にしました。
そこからはボルチモアまで,たったの1時間だったので午後2時過ぎに予約してあったホテルに着いてしまいました。
ボルチモアは残念なことに大変治安の悪い町なのです。だからゲームが終わる夜のことを考えると頭が痛くなったのですが,事前に探してみたら幸いボールパークから徒歩圏内に手頃なホテルが見つかったので予約してありました。アメリカでは安全はお金で買わなくてはいけません。ホテルはどんなところなのか想像できませんでしたが,実際に着いてみるとこれまでに泊まったことがないほど素晴らしいホテルでした。ホテルにはチェックインをするときだけ駐車できるスペースがあってチェックインを済ませて早速荷物を置いてから,ホテルの隣の駐車場に車を入れて(有料),町に出ました。はじめにベーブルースの生家まで歩いていって見学し,そのあとダウンタウンを歩きました。少し歩いただけで納得したのですが,確かにここはとんでもないところでした。ボルチモアのダウンタウンは30年前のニューヨーク以上のひどさで,サンフランシスコの治安の悪いといわれるテンダーロイン地区がダウンタウン全体に広がっているという感じでした。スターバックスに入ったけれどなかに入った途端思わず逃げ出したくなるほどでした。全てが気味悪いのです。
ボールパークはアメリカ一美しいといわれる最高のカムデンヤードなんのですが,町はアメリカで最低です。ここのボールパークはMLBファンなら是非行ってみたいところなのですが,ボルチモアは旅慣れない日本のよい子は絶対に行くべきところではありません。ゲーム終了後にはボールパークの周りに物乞いがいっぱいたむろしたりしていて,そんなのはじめてのことでした。
特に見たい選手のいないチームのボールパークは眺めがよく涼しい一番上の安価な席に限ります。5回が終わる頃にはどこでも空いているところに座れますから。
今日はオリオールズの対戦相手はテキサスレンジャーズだということくらいは知っていたのですが… エッ,先発はダルビッシュではないですか! 全く期待していなかったので本当にびっくりしました。ウソでしょという感じでした。これではのうのうと最上段で見ているべきでない!
ということになってしまったのですが,これまでなかなか来る機会のなかったカムデンヤードにやっと来ることができて,それだけで私は大満足だったのに,さらにおまけまでついてきました。今年は6月にシアトルで偶然岩隈投手を見て,フロリダではあわや3,000本というゲームのイチローを見て,今日も偶然ダルビッシュも見ることができました。嘘みたいな話です。
これでついに私のボールパークめぐりもフロリダに続いてこれで28球団目。残るはフィラデルフィアとワシントンのふたつになりました。

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