●多様なマートルビーチのアクティビティ●
私はマートルビーチへ「美しい海岸」を見たいという一念でやってきたが,国道17沿いの車の多さですでにいやになってきていた。これではハワイよりも美しというよりも,混雑がひどかった。
「マートルビーチ州立公園」(Myrtle Beach State Park)と書かれた道路標示に従って右折したらゲートがあって,公園に入るには5ドルが必要であった。
お金を払ってゲートを通過するとその先森のなかをずっと道路が続いていた。その道路に沿って走っていくと,やがて海岸が見えてきてその先に駐車場があったから車を停めた。
私はアメリカのビーチがどうなっているかなど関心もなく,わざわざ行く気もないが,これまでボストン郊外のケープコッドやロスアンゼルスのサンタモニカ,さらにハワイのワイキキビーチには行ったことがある。
そうしたいくつかのビーチを考えてみると,そこはホテルのプライベートビーチがあったり,日本の海水浴場のように,有料の駐車場に車を停めるとその前にパブリックビーチがあったりと,そんなものだったが,どこも日本のビーチなど比べるべくもなく広く美しかった。
この州立公園のビーチもまた同様に広く美しかったが,ここはプライベートビーチをもたないホテルに滞在する客や,ホテルには滞在しない日帰り客を対象としたビーチであろう。
私は,ここに到着したときには,この州立公園こそが「マートルビーチ」と呼ばれるところだと思っていたが,後でここを出てからしばらく走っていくと,ホノルルのダウンタウンのような感じの街に差し掛かって,そのときはじめて,マートルビーチというのはもっと広範囲のところなのだと知ったのだった。
どれだけの範囲をマートルビーチと称するのか正確には知らないが,このあたり一帯は,数々のアトラクション施設も立ち並び,ショーなども多く開催されていて,ラスベガスのような感じのところでさえあった。もちろんアウトレット・ショッピングモールなども揃っていた。
さて,話をもとに戻そう。
このマートルビーチ州立公園で楽しむことができるアクティビティは次のようなものがある。
まず,午前6時の開園するころに行くと,海からの日の出(東海岸なので日の出が見られる)を見ながら,貝殻,サメの歯,海の生き物を見つけたり未開発の海岸線をゆったり散歩することができる。
お昼間に行けば,ハイキングやウォーキング,自転車,馬に乗って大自然を楽しむことができる。徒歩や自転車の場合は,スカルプチャー・オーク・ネイチャー・トレイル(Sculptured Oak Nature Trail)でサウスカロライナ州の北部海岸に広がる海岸林を満喫することができる。また,馬があれば,11月から2月にかけては海岸線を馬で走ることもできる。
バードウォッチングネイチャーセンターでは,森林,砂丘,草原,海,小さな湿地にいる何種類もの鳥を観察することができるが,これは渡り鳥が移動する春や秋が特におすすめということだ。また,フィッシング桟橋や海岸からは,ヒラメ,大型のサバ,ホワイティング,トラウト,スポット,ドラム,ブルースを釣ることができるし,ときにはカニをとることもできる。私が行ったときも,多くの人が釣り糸を垂れていた。
雄大な風景は,ハワイのオアフ島ワイキキビーチにとてもよく似ていたが,こちらのほうがのどかであったし,日本人が皆無であった。
カテゴリ:アメリカ合衆国50州 > サウスカロライナ州
2016夏アメリカ旅行記-美しき海岸マートルビーチ①
●カジノができれば日本は廃墟の山だろう。●
チャールストンを出発して,私は大西洋に沿った国道17をマートルビーチ向けて走っていった。
今回の旅に出る前,サウスカロライナ州へ行くとアメリカ人の友人たちに言ったら,みんながみんな「サウスカロライナはハワイよりも海岸の美しいところだ」というので,私には「サウスカロライナ=海岸を見てこなくてならないところ」という図式が出来上がっていた。
そのサウスカロライナ州の美しい海岸というのが「マートルビーチ」という場所なのであった。
マートルビーチ(Myrtle Beach)は,サウスカロライナ州の北東部,大西洋岸に位置する観光都市である。人口は約2万人に過ぎないが,広い砂浜やゴルフ場,美味しいシーフードレストランやアウトレットショッピングセンターがあることから,年間1,400万人を越える観光客がこの地を訪れている。
特にウェストバージニア州からの旅行者に人気があって「ウェストバージニア州の56番目の郡」(the State's 56th county of West Virginia)とか「ウェストバージニア州の最南端」(the southern-most point of West Virginia)などと呼ばれたりもしている。また,高校・大学のスプリングブレイクと呼ばれる春休み期間の行き先としても有名で,その時期は全米からの学生で賑わう。
アメリカの東海岸は,地図で見るとのどかな田舎を想像するかもしれないが,ロッキー山脈のあるユタ州やモンタナ州などとは全く異なっていて,どこもかしこも車が多く,当然人も多い。
どうやら私はこの地を訪れるのが遅すぎたようなのである。それは,多くの場所をすでに旅した結果,どこへ行っても,大概はそれよりも素晴らしいところを思い出してしまうからなのである。
当然,日本など比べるべくもない。
私は関心がないので詳しくは知らないが,昨年末,日本で通称カジノ法と呼ばれる法案が可決されたのだそうだ。狭い日本でそんなものを作っても所詮は知れているし,そのうちまた,バブル時代に日本中に作られてその後につぶれて今は廃墟となった数多くのテーマパークと同じ末路をたどることであろう。
知識人や官僚は留学経験者も多いだろうから海外の事情などわかっているだろうに,きっと無知で権力だけがある政治家のいうことを耳を塞いで聞いているフリをしているのだろう。そんなことを懲りずに何度も繰り返すのもまた日本人の「発想と能力の限界」のひとつである。
それに対して,ギャンブル依存症が増えるだの政府が賭け事を奨励しているだのというような正論を振りかざして反対したところで,そうした政権に多くの議席を与えたのは国民だという理屈ではじめっから聴く耳などもっていない。
この国は,こうしてまたゴミやらガレキだけが増えていくのだ。そんなことはこれまでのこの国の歴史を思い起こせば簡単にわかる。
それはそれとして,この日,私は国道17を順調に走って,やがてマートルビーチのダウンタウンに到着した。
国道17はダウンタウンに近づくにつれてさらにさらに車が増えてきたが,海岸はまったく見えない。地図によると国道の右手の森のさらにむこうが海岸らしいが,どこをどう曲がれば海岸にたどりつけるのか,私にはさっぱりわからなかった。そのうちに「マートルビーチ州立公園」と書かれた看板があったので,そこが美しい海岸といわれるところなのだろうと思って右折をした。
2016夏アメリカ旅行記-チャールストン③
●住民が住み観光客が溶け込んでいる街●
チャールストンはサウスカロライナ州で最も旧い港湾の町で,西側のアシュレイ川(Ashley River)と東側のクーパー川(Cooper River)に挟まれた半島の先が旧市街の歴史地区になっているのだが,こうした地区の素晴らしいのは日本とは違って地区全体の醸し出す雰囲気自体がその時代を髣髴とさせることだ。
歴史地区は南北に走るキング・ストリート(King Street)を中心とした2キロメートル四方ほどだから,歩いてまわることができる。写真のように,キング・ストリートは車がやっとすれ違えるくらいの細い通りで,歩道もすれ違いができないほど狭いのだが,この落ち着いた雰囲気や白壁に塗られた住宅,そしてその庭には椰子の木が植えられていて南国情緒をかもし出している。
これらの建物のなかには300年以上も経ていると思われるものもあるのだが,そこにアバクロ(Abercrombie & Fitch=カジュアルファッションブランド)やブルックスブラザース(BROOKS BROTHERS=老舗ファッションブランド)などのモダンなショーウィンドゥが映えていたりしているのがユニークで,ここは現役のショッピングストリートなのである。
街の至るところには教会があって,教会に隣接する墓地には1600年代や1700年代の墓碑がたくさん残っている。なかには普通の砕けた石のように見えるものもあるが,これらも小さな墓碑である。
教会には,1752年に建てられたチャールストン最古の教会として有名な,セント・ミカエル・エピスコパル教会(St. Michael's Episcopal Church),ひときわ高い建物で街の中心にあるセント・フィリップ・エピスコパル教会(St. Phillips Episcopal Church)などがある。セント・フィリップ・エピスコパル教会は,1682年に建てられたものが焼失したため現在gの位置に再建されたものである。
また,チャールストンはユダヤ人にユダヤ教を認めた最初の植民地という事もあって,現在もユダヤ人が多く住んでいる。ここにはニューヨーク,ニューポート,サバナについで4番目に古いシナゴーグ(Kahal Kadosh Beth Elohim)がある。
ここは シナゴーグというよりはギリシャ神殿のような立派な建物である。街には高いビルがないので,教会の細く空に突き出した尖塔が街のスカイラインになっているため,「聖なる市」(The Holy City)と長い間呼ばれてきた。
チャールストンは,「Charles Towne」として1670年にアシュレイ川の西岸にイギリス人の群落として誕生し,1680年にカロライナ植民地の首都として現在の位置に移った。
その後イングランド,バルバドスからの殖民が増え,1840年までは北アメリカで第5番目の都市にまでなった。そのころの人口は3万人ほどで,現在の人口は約13万人というから4分の1であった。
このように,チャールストンはこの狭いエリアに古くからの歴史的建物が多く現存し,それらが今も普通にその建物が住居やオフィス,ギャラリーやレストランに日常的に使われていて,その歴史的な景観,風情,情緒を損ねることなく,住民が住み,そこに観光客が溶け込んでいる,というのが最も魅力的なことなのであろう。
私がこの街を歩いたのは早朝だったから,さらにそうした魅力を感じることができたのだった。
2016夏アメリカ旅行記-チャールストン②
●なんと美しい町であろうか。●
行ってみてはじめて知ったが,チャールストンは素敵な町であった。マサチューセッツ州のボストンは歴史的な町として非常に有名であるが,ここチャールストンはそれ以上に歴史がある町であった。しかも,よい意味で南部の香りがするところであった。
いわば,日本でたとえれば,ボストンが京都でチャールストンは奈良ということになろうか。
ちなみに,日本でチャールストンといえばチャールストンダンスを思い浮かべるだろうが,このチャールストンダンスは1920年代のアメリカで一世を風靡したもので,ここサウスカロライナ州チャールストンがまさに発祥の地である。リズムに合わせて両膝をつけたまま足を交互に跳ね上げるのが特徴で,黒人文化のなかで生まれたエスニックカルチャーのひとつである。1923年の黒人だけのレビュー「Running Wild」のなかで、ジェームス・P・ジョンソン作曲の「Charleston, South Carolina」に合わせて踊ったのが最初とされている。
チャールストンには高層ビルがなく,歴史ある街並みのなかを馬車が走る風景は古き良きアメリカを彷彿とさせた。
私はバッテリーパークとよばれるエリアの一角に車を停めて,この古い町を散策してみた。
このバッテリーパークは,かつては外敵の攻撃から街を防衛するための拠点であった。正面には1680年に建設されたセント・フィリップス監督派教会があって,現在のものは1838年に改築された3代目である。南北戦争の際には,この教会の鐘を溶かして大砲を作ったと言われている。
1861年から1865年に起こった南北戦争は,奴隷解放を訴える北軍と反対する南部諸州による内戦であったが,チャールストンは南部郡の旗頭として戦ったが敗れた。
やがて,1931年チャールストンは歴史的に重要な建築物とその町並みを保全するために「歴史地区の保全条例」を制定し,1970年代後半から約40年間にわたって市長を務めたライリーが,都市デザイン政策を積極的に展開したことが,昔ながらの美しい景観を残す要因となった。
バッテリーパークからみた海もまた,なんと素晴らしい風景であったろうか。この町はとても落ち着いていて,海辺をジョギングしたり散歩したりと,多くの人がのんびりと過ごしているところであった。ここからいわば旧市街とでもいえる古い町並みに入っていくと,多くの観光客が散策を楽しんでいた。
多くの観光客とはいっても,ここチャールストンはアメリカ人には憧れの地であっても私のような外国人にはあまりなじみのないところであったから,いつものように世界の観光地のどこにでも出没するお下品な中国人団体観光ツアー御一行様も存在していなかったから,きわめて素敵な雰囲気を味わうことができたのだった。しかし,アメリカ建国までの歴史を詳しく知らないから私もそのよさのほとんどを理解できないのが残念であった。
そんなわけで,せっかく訪れたのにも関わらず,私はこの町の魅力をここに十分に書くことができない。
なお,今回は行く機会がなかったが,このチャールストンの港からはサムター要塞(Fort Sumter)へも船で片道約30分で行くことができるのだそうだ。
サムター要塞は南北戦争で使われたもので,開戦直後は2階と3階部分があったのだが,北軍の激しい砲撃により破壊され,現在のサムター要塞は1階部分のみが残る平屋の状態になっている。ここに設置された25センチの小さな大砲は,港の周りに待機していたほかの南部連合の砲兵部隊へ開戦を告げる合図に使われた。要塞の壁には,北軍が撃った砲弾が今なお挟まったまま残されている。
サムター要塞を訪れた観光客は,南北戦争で命を落とした人々を追悼するために現在も共に国旗掲揚を行うそうだ。
2016夏アメリカ旅行記-チャールストン①
●由緒正しき南部の町●
私は,この旅ではじめの目的であった50州制覇のために訪れるサウスカロライナ州とノースカロライナ州に行ったときどこを観光しようかと散々悩んだ結果,サウスカロライナ州では,まず,大西洋沿岸にあるアメリカ南部きっての古い港町であるチャールストンに寄ることにした。
チャールストンは大西洋に面している。海岸に沿って走っていたインターステイツ95は,サウスカロライナ州に入ると内陸部に入っていくので,チャールストンに行くにはサウスカロライナの州境を越えたらインターステイツを降りて国道17に入らなければならない。
昨日の渋滞がうそのように,早朝のインターステイツ95は車が流れていたが,昨晩は真っ暗で景色も全く見られなかったので,ものすごく景色が新鮮に見えた。
サバンナを出てインターステイツ95を走っていくと,すぐに「ようこそサウスダコタ州へ」の標示が出迎えてくれた。私にとってこれが49番目の州であった。
この旅で,私はフロリダ州の最南端のキーウエストから大西洋岸に沿ってずっと北上を続けていることになるのだが,マイアミのダウンタウンからは片側6車線もあったこのインターステイツ95は,ジョージア州に入ると片側3車線になり,とうとう,このサウスカロライナ州では片側2車線にまで減ってしまった。
今から30年も前は,アメリカのインターステイツといえば,たいていどこもこのように片側が2車線で,車線の幅よりもずっと広い中央分離帯があって私は驚いたものだった。考えてみれば,この広い中央分離帯は,将来,車線が増えたときに道路を作るためのものだったに違いない。こうした先見性こそが,このアメリカという国の余裕であり国力であり偉大なところであろう。日本は何事もその場しのぎのツギハギだらけだから,結局は余分な投資がつねに必要になるのだ。
こういう話をすると,決まって「土地がない」という言葉が返ってくるが,そんなことではなく,日本の将来をまったく見通せない道路行政にこそ問題があるのだ。作るたび作るたびに方針が変わるから,右折帯があったりなかったり,あるいは,昔あった道路が突然閉鎖されて,だからといってそこをきちんと作り直すでもなく単に柵で囲って通行止めにしたりと,めちゃくちゃなので,美観も何もあったものではない。
やがて,インターステイツ95は国道17のジャンクションにさしかかったので,私は進路を変えた。
この国道17は美しくのどかな道路であった。このののどかさはどうであろう! アメリカのドライブは,もし時間が許すのなら,インターステイツを走るよりも,こうした国道を走るほうがずっと楽しいのだ。
チャールストンは,イギリスの植民都市として1670年に誕生した町というから,アメリカ独立よりも100年も昔のことである。この町は,当初,イギリス国王チャールズ2世に敬意を表して「チャールズタウン」という名前であった。やがて,チャールストンは,移民たちによってさまざまな宗教の教会が建てられたことから「聖なる都市」と呼ばれるようになった。
ここは「世界の観光都市ランキング」で,アメリカ人の人気ナンバーワンに選ばれたところだそうである。当時からある海に面した旧市街は東西3キロにわたり,そこは「歴史地区」に指定されていて,今でも5,000もの歴史的建物が残っているという。
わたしは,この町がそんな由緒正しきところだとはまったく知らず夢にも思わず,チャールストンをめざして国道17を走っていった。やがて,次第に車が増え,それとともに建物も増えてきた。
運転をしながら外を見ると,アフリカ系アメリカ人の親子連れが楽しそうに歩いていたりして,すっかり南部の雰囲気の町であった。あまり気にもしていなかったのだが,サウスカロライナは正真正銘アメリカ「南部」なのである。
そういうことをここで思い出した。
そうこうしているうちに,私は,この南部の香りただよう美しいチャールストンのダウンタウンにたどり着いたのだった。
特別編・2016夏アメリカ旅行LIVE2⑥-サウスカロライナ州
今日は900キロメートルドライブして,ジョージア州サバンナからバージニア州のコロニアルウィリアムズバーグまで来ました。途中で2件の事故渋滞に巻き込まれ,予定より1時間以上遅れて夜7時過ぎに到着しました。
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ここに来るまでにサウスカロライナとノースカロライナを通過したので,ついに念願のアメリカ合衆国50州制覇を果たしたことになります。
サウスカロライナ州はアメリカ人のだれに聞いても海が美しいというので,インターステイツ95を降りて海沿いの町チャールストンに向かいそのまま海岸沿いを走る国道17をマートルビーチまで行くことにしました。
チャールストンは海岸の近くの一角に古い街並みが保存されていてそこには大邸が並びその豪華さに圧倒されました。私はわずかの時間街並みを歩いただけだったのですが1日観光してもまだ足りない街でした。チャールストンからそのまま海岸沿いの国道17をハワイと並んで美しいといわれるマートルビーチまで,日曜日ということもあってすごい車でした。確かにここの海岸は美しくワイキキビーチのようでした。海岸は日本とは違ってゴミひとつないのが最高です。
その後はインターステイツ95に再び戻り,州境を越えてノースカロライナに入った時点でアメリカ合衆国50州全て走ったことになるので,記念にビジターセンターで写真を撮りました。
インターステイツ95はフロリダ州では片側6車線だったものがジョージ州では3車線,そしてサウスカロライナ州からは2車線となりました。それでもサウスカロライナ州は確かに南部の香りがする美しい州だったのですが,ノースカロライナ州に至っては見るべきものもなく道路はガタガタという有様で逆にびっくりでした。
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そしてさらに次の州境を越えてバージニア州に入り,リッチモンドでインターステイツを降りてさらに100キロメートルくらい南東に行ったところにあるのが,今日の宿泊先であるコロニアルウィリアムズバーグです。ここは200年前のアメリカを忠実に再現した町なのです。
ホテルのチェックイン後にコロニアルウィリアムズバーグのダウンタウンで食事をすればいいと思っていたのですが,考えが甘くどこも満員で,ジョージタウンという行き先にしたがってあてもなく走っていたら,ガソリンスタンドすら1軒もなくなって,真っ暗なとんだ田舎町に迷い込んでしまいました。結局30分近くさまよって一時は夕食をとるのを諦めかけたところで,偶然にイタリアンレストランを見つけました。一番小さいピザを頼んだら3人分くらいのが出てきました。