しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場・47都道府県を制覇し,南天・皆既日食・オーロラ,空の3大願望を達成した「不良老人」の日記

カテゴリ:日本国内 > 東京

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【Summary】
I visited Jogashima and returned by bus through Miura’s hilly streets, eventually reaching Yokosuka and then Shinjuku. With time before the NHK Symphony concert, I stopped by “Zaroff” in Hatsudai to see photographer Beniko’s exhibition. I met her again, spoke briefly, though I felt awkward not buying anything this time.

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 2023年11月25日というから,今から2年ほど前のことになります。そのときのブログに
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  何だかんだで,西荻窪駅に着きました。「西荻窪ことカフェ」は西荻窪駅から5分くらいの商店街のなかにありました。「西荻窪ことカフェ」は「あさ市のようなシェアスペース」として,だれでも借りて出品できるのだそうです。東京にはユニークな場所があるものだなあ,とうらやましくなりました。奥まったところで紅子さんが写真集を売っていたので,購入してサインをしてもらい,お話をして,一緒に写真を写しました。
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と書きました。

 今回,城ケ島へ行った私は,再び,白秋碑前からバスに乗って,三崎港に戻りました。三崎港から三崎東岡まで散策して,再びバスに乗りました。それにしても,三浦市はほんとうに坂ばかり。私のイメージとは大違いでした。やってきたバスは横須賀駅行きだったので,三崎口で降りる予定を変更して横須賀駅まで乗り越すことにしました。町の様子を知るには,こうしたバスに揺られるのが一番なのですが,あまりに時間がかかりました。そして,車内はずっと混雑していました。住むところじゃないなあ,と思いました。
 やがて横須賀中央のバス停に停まったので,ここでバスを降りて,京急電鉄に乗り換え,さらに,横浜駅でJR湘南新宿ラインに乗り換えて,新宿で降り,ここまら初台まで京王新線に乗り換えました。私は,NHKホールが目的地なのですが,演奏会まではまだ2時間ほどあったので,初台の「Zaroff」という喫茶&画廊でやっている紅子写真展に寄ってみようと思ったのです。

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 1972年生まれの紅子さんは,若いころは家庭環境のせいもあって苦労し,吉原の高級ソープランドに勤めたこともある人で,現在は色街写真家を自称し,風俗街,赤線,遊郭跡地を撮影し,写真集にして発表するほか,YouTuberとしても活動しています。
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ということで,再び紅子さんにお会いし,少しお話をしました。
 とはいえ,何も買わず,単なる冷やかし客では,内心,およびでないのかもしれませんけれど。

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【Summary】
After visiting Mejiro Station, the writer walked to Kishimojin Temple in Zoshigaya, known for its history, 700-year-old ginkgo tree, and Japan’s oldest candy shop, Kamikawaguchiya. They then visited Zoshigaya Cemetery, where many notable figures such as Natsume Sōseki, Lafcadio Hearn, and Yumeji Takehisa are buried.

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 まだ時間があったので,JR目白駅まで行って,歩いて鬼子母神(きしもじん)をめざしました。
 ちょうど下校時間で,目白駅は多くの学生でごった返していました。駅前にあるのは学習院です。
 やがて,鬼子母神に着きました。
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 鬼子母神は,雑司ヶ谷の静かな町にたたずむ歴史と信仰が詰まった場所です。
 もともとはインドの夜叉神の娘「訶梨帝母」(カリテイモ)として知られ,幼児をさらって食べるという恐ろしい神でしたが,釈迦の教えによって改心し,安産・子育ての守護神になりました。
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 雑司ヶ谷鬼子母神堂は,1561年(永禄4年)に清土で掘り出された尊像を祀るため,1578年(天正6年)に村人たちが建立したのがはじまりです。
 現在の本殿は,1664年(寛文4年)に,広島藩主・浅野光晟の正室・自昌院の寄進によって建てられたものです。
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 境内には樹齢700年の大イチョウやすすきで作られた「すすきみみずく」もいて,秋になるとふわっと風に揺れます。
 私は,以前一度来たことがあって,そのときに印象的だったのは,境内にある駄菓子屋でした。
 この駄菓子屋は現在も営業をしています。
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 鬼子母神にある駄菓子屋は上川口屋(かみかわぐちや)。1781年(天明元年)の創業で,日本最古の駄菓子屋として知られ,今は13代目の内山雅代さんが切り盛りしています。
 店は木造の長屋風で,棚には100種類以上の駄菓子がぎっしり並んでいて,昔懐かしいおもちゃやグライダーまであります。
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 せっかくここまできたのだから,雑司ヶ谷霊園まで足をのばしました。雑司ヶ谷霊園は1874年(明治7年)に開園された都立霊園です。
 雑司ヶ谷霊園には,歴史や文化に深く関わった著名人たちがたくさん眠っています。
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●夏目漱石
 「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などで知られる日本文学の巨星です。
●竹久夢二
 大正ロマンを象徴する美人画で有名。夢見るような線が魅力的です。
●ジョン万次郎
 幕末の国際人。アメリカから帰国して日本の近代化に貢献しました。
●小泉八雲
 「怪談」で知られる,異文化への深いまなざしを持った人物です。
●サトウハチロー
 童謡「ちいさい秋みつけた」など,心に残る言葉を紡ぎました。
●永井荷風
 アメリカやフランスに遊学。帰国後「あめりか物語」「ふらんす物語」などを発表しました。
●東條英機
 太平洋戦争時の首相です。
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【Summary】
The program introduces a secondhand bookstore café in Mitaka inspired by Dazai Osamu’s short story Phosphorescence. Opened in 2002 by a Dazai admirer, it offers books, a “Dazai latte,” and reflections on dreams versus reality, including the story’s symbolic, imaginary flower said to glow faintly in darkness.

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 2025年8月18日にNHKBSで放送された「新日本風土記」-東京 つゆのあとさきーは
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 毎年必ず来る雨の季節,江戸・東京の人びとは,力を合わせ,時に風流に,鮮やかなアジサイや傘の風景とともに乗り越えてきた▽雨に備える下町の暮らし▽天気を司る神社▽時空を超えた絵師・画家たちの東京の雨への思い▽梅雨に関わりの深い文豪が結んだ縁▽青梅の老舗傘屋で見つけた,とっておきの1本への思い▽鎌倉時代から続く雨ごいと雨止めの行事▽アジサイの花に家族の歴史を載せて▽色とりどりの雨模様,心模様の梅雨の旅へ
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という番組でした。
 〈梅雨に関わりの深い文豪が結んだ縁〉は,太宰治の桜桃忌に関わる内容で,その中で,「古本カフェ・フォスフォレッセンス」という店が紹介されていました。
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 店主さんが太宰ファンということで,2002年に開業し,今では20年以上の歴史を持つ古本屋兼カフェ 「古本カフェ・フォスフォレッセンス」は,三鷹市にある文学好きにはたまらないスポットです。
 店名は太宰治の短編小説「フォスフォレッセンス」から取られていて,店内では古書を自由に読めるし,太宰ラテというユニークなメニューがあります。

 「フォスフォレッスセンス」は
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 夢と現実の境界があいまいになった「私」の内面世界を描いた作品です。
 主人公は,夢の中で理想の妻と過ごす時間を「現実」と同じ,いや,それ以上にリアルに感じています。夢の中での会話や感情が目覚めた後もこころに残り続けます。
 物語の終盤,「私」は現実の世界でその「夢の妻」に似た女性の家を訪ねるのですが,彼女には戦地から戻らない夫がいたことを知ります。そして,彼女の部屋に飾られた花を見て,編集者に「これは何の花?」と聞かれたとき「私」はこう答えるのです。「Phosphorescence」(フォスフォレッスセンス)。
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 「フォスフォレッスセンス」は。実在しない花の名前ですが,暗闇の中でほのかに光るものを意味する言葉です。夢の中でしか咲かない花,現実にはないけれど確かに心に残る光。
 店主さんとお話を楽しみながら,太宰ラテをいただきました。
 そして,その帰り,禅林寺にある太宰治の墓を訪れました。

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 「ご主人ですね?」
 「ええ、まだ南方からお帰りになりませんの。もう七年、ご消息が無いんですって。」
 そのひとに、そんなご主人があるとは、実は、私もそのときはじめて知ったのである。
 「綺麗な花だなあ。」
 と若い編輯者はその写真の下の机に飾られてある一束の花を見て、そう言った。
 「なんて花でしょう。」
 と彼にたずねられて、私はすらすらと答えた。
 「Phosphorescence」
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【Summary】
On the morning of October 24, 2025, I visited Koishikawa Korakuen in Tokyo before attending the NHK Symphony Orchestra concert. This serene daimyo garden, created by the Mito Tokugawa family, features Chinese-inspired scenery and seasonal landscapes. Visiting on a quiet Friday morning, I enjoyed its peaceful beauty away from busy crowds.

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 2025年10月24日,NHK交響楽団の定期公演を聴きに東京へ行った午前中,どこへ寄り道しようかと考えて,まず,小石川後楽園を訪れました。
 都心にはけっこう多くの自然豊かな公園がありますが,これまでなかなか行く機会がありませんでした。小石川後楽園もそのひとつでした。
 水戸藩の藩主・水戸徳川家は「定府」(じょうふ)という扱いを受けていて,参勤交代が免除されていました。つまり,藩主は江戸に常住し,水戸に戻るときは幕府の許可が必要だったということですが,この制度は,1630年代の寛永年間に参勤交代が制度化されたときから認められていました。
 江戸城の外堀のすぐ外側に水戸藩の江戸上屋敷があって,神田川が敷地の南を流れていました。小石川後楽園は,その上屋敷の庭園として造られたものです。つまり,後楽園は屋敷の中にあったわけです。

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 小石川後楽園は,江戸時代の大名庭園で,水戸徳川家の初代藩主・徳川頼房が着手し,二代藩主・徳川光圀が完成させました。
 回遊式築山泉水庭園で,池を中心に,山や川,田園の風景が巧みに配置されていて,場所ごとに景色が変わるのが魅力です。また,日本と中国の名所を模した景観になっています。
 「後楽園」の名前は,中国の「岳陽楼記」(がくようろうき)から取られています。
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 「岳陽楼記」は,中国北宋の政治家・文人である范仲淹(はんちゅうえん)が1046年に書いた散文作品です。この文章は、湖南省の名勝「岳陽楼」の改修を記念して書かれたもので,単なる風景描写にとどまらず,政治哲学や理想の人物像を語っているものです。その中で有名なものが「先憂後楽」(せんゆうこうらく),つまり,天下の憂いに先じて憂い,天下の楽しみに後れて楽しむ。つまり,真に優れた人物は,自分の喜びよりも民の苦しみを先に考えるべきだという,儒教的な理想が込められているそうです。

 当時の人たちは,どんな権力者でも,今の我々のように気軽に旅ができるわけでもないから,そうしたあこがれから,円月橋や西湖の堤などの中国の景色や,琵琶湖に見立てた「大泉水」,また,蓬莱島や竹生島も再現されていて,居ながらにして,そのあこがれがかなえられるようになっているわけです。
 園内にいた係の人に聞いてみると,週末はけっこう多くの観光客で賑わうそうですが,そのほとんどがインバウンドだそうです。
 私が行ったのは金曜日の朝だったので,閑散としていて,とてもこころ豊かな時間を過ごすことができました。

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【Summary】
Sangenjaya, once a stopover for travelers during the Edo period, blends trendy cafés and stylish living with retro charm, featuring spots like the Carrot Tower and the nostalgic "Triangle Zone" bar district.

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 2025年6月7日。この日の夜7時30分から放送される「ブラタモリ」で三軒茶屋が取り上げられるということなので,三鷹市から渋谷のNHKホールに戻る途中で,三軒茶屋に行ってみることにしました。
 しかし,いったい三軒茶屋に何があるというのだろう…。何しろ放送前だったので,テーマが「3」ということしかわかりませんでした。
 ともかく,渋谷駅から東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋駅に着きました。
 「にこたま」の愛称で親しまれている二子玉川とともに,「さんちゃ」の愛称で三軒茶屋も有名なので,一度行ってみたことがあるのですが,当時は,何かつかみどころのないところでした。
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 三軒茶屋は,世田谷地域の町名で,三軒茶屋一丁目および三軒茶屋二丁目を指します。
 世田谷区の中で知名度の高い商業地で,「住みたい町」ランキングの上位に名を連ねる人気の住宅地です。渋谷に近いこと,芸能人が多く住んでいる街であること,カフェブームの隆盛に影響を与えたことなどから「オシャレな街」「トレンディな街」などとして語られることも多いその一方で,駅前のエコー仲見世商店街やすずらん通りなどレトロな街並みも多く残っています。
 複合ビルのキャロットタワーがランドマークとなっています。
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 まず,観光案内所があったので聞いてみましたが,やはり,何があるのだろう? という話でした。そういえば少し前にテレビのロケをやっていた,と言っていましたが,テレビのロケをやっていても,それにだれも興味がないというのがまた,三軒茶屋らしいというか…。
 ともかく,まず,キャロットタワーの26階に無料の展望台があるというので,行ってみました。そして,「3」というテーマにかこつけて,併設されていたカフェで三角形のケーキを食べました。
 その後,通称・三角地帯とよばれているらしい飲み屋街に行ってみました。
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 三軒茶屋という地名は,江戸時代中期ごろから庶民の間でブームとなっていた「大山詣り」の途中にある休憩スポットとして「角屋」「信楽」「田中屋」という3軒の茶屋が世田谷通り(旧大山道)沿いにあったことに由来します。
 古くから交通の要衝としても知られていて,戦後間もなく闇市がつくられた「三角地帯」とよばれる一角には今もなお飲食店をはじめとした商店が軒を連ね,昭和レトロな面影を多く残しています。
 ここは名酒場がひしめくのんべえたちの聖地! なのです。
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 ということで,三軒茶屋はディープな街だということだけはわかりました。

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【Summary】
While visiting the NHK Symphony Orchestra concert, I explored places related to Osamu Dazai in Mitaka, including a newly updated exhibition at the Dazai Osamu Memorial Room. I also visited the recently opened Yoshimura Akira Study, which deepened my interest in his works.

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 今日6月13日は桜桃忌。
 NHK交響楽団定期公演を聴きに東京へ行った折り,まずは,大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」にちなんだ場所をめぐったのですが,次は,一転して,太宰治です。
 三鷹駅前に三鷹市美術ギャラリーがあって,そこに太宰治資料室「三鷹の此の小さい家」として,太宰治の過ごした部屋が再現されています。以前にも行ったことがあるのですが,この度展示替えが行われ,それを機に太宰治資料展が行われていると知ったので,行ってみることにしました。
 私は,若いころは,「三鷹=東京天文台」という図式があったのですが,このごろは「三鷹=太宰治」です。ということで,三鷹市にある太宰治にちなんだ場所のほとんどは,すでに行きました。
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 太宰治は1939年(昭和14年)9月に三鷹の住民となり,1948年(昭和23年)6月に亡くなるまで「三鷹村(町)下連雀一一三」で過ごしました。
 小説の舞台としてもたびたび登場する三鷹の自宅は約12坪半ほどで,新築ではあるものの,妻子と暮らすには十分とはいえない質素な借家でした。太宰治は,この家を「三鷹の此の小さい家」「三鷹の私の家」「三鷹下連雀の家」「三鷹の陋屋」「東京の私の草屋」「あばらや」などと表現しています。
 「太宰治が生きたまち・三鷹」を掲げ,太宰治顕彰事業に取り組んできた三鷹市では,美術ギャラリーの一室に自宅の一部再現を試みることによって,「太宰治の自宅を訪れるかのような展示室」を開設しました。
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 ということで,今回,太宰治資料室「三鷹の此の小さい家」を再び訪れて,新たに展示に加えられた資料を興味深く見ることができました。

 その帰路,太宰治文学サロンに寄って話をしていたら,吉祥寺駅近くに三鷹市吉村昭書斎が開設されて,そこで現在,「吉村昭と津村節子のふたり旅」という展示会が行われているから行ってみてはどうか,と言われたので,井の頭公園をのんびり歩いて,行ってみることにしました。
 その途中で,「吉昇亭」というところで昼食をとりました。たまたま入ったのですが,長野県上田市のソウルフードであるあんかけ焼きそばが食べられる有名店でした。
 さて,三鷹市吉村昭書斎です。
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 三鷹市吉村昭書斎は,作家・吉村昭の妻で作家・津村節子さんから寄贈された書斎を移築し2024年(令和6年)に開館したものです。
 三鷹市ゆかりの文学者である故・吉村昭を顕彰するため,執筆活動を行っていた書斎を移築・再現するとともに,展示機能を付加した施設です。「交流棟」と「書斎棟」の2棟建てとなっていて,「交流棟」では吉村昭と津村節子さんの著作を開架し,映像での展示も行っています。また,「書斎棟」には,書斎,茶室,展示室があり,書斎は執筆中の吉村の姿を彷彿させる臨場感あふれる空間に仕上げ,茶室は吉村の筆による短冊や書を飾り,往時の様子を再現しています。
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という場所でした。
 私はこういう施設が好きです。訪れる人も少なく,こころが落ち着くし,何かとても賢くなったような気がします。これまで,吉村昭の作品はほとんど読んだことがないのですが,これを機に作品に触れてみたいと思ったことでした。

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Prompted by the 2024 Taiga drama Berabō, the author explored parts of Tokyo like Denma-cho, Nihonbashi, and Akita-dori, discovering historical ties to figures such as Tsutaya Jūzaburō and Hiraga Gennai. Though few remnants remain today, locations like the Kōshodō site and former Yoshiwara offer glimpses into Edo-period life. Even areas like Satake Shopping Street, once home to the Akita domain’s Edo residence, connect to the drama through characters like Tomseidō Kisanji. The experience revealed how modern Tokyo retains deep historical layers, linking past and present through drama and place.

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 東京に住んでいるならともかく,日本橋から北東あたりはビジネス街なので,観光で行く機会はありません。それでも,私は,昨年の9月に,吉田松陰が処刑されたという伝馬町牢屋敷跡には行ってみたことがあります。しかし,当時は,そのあたりに旧吉原があったとか,蔦屋重三郎の「耕書堂」があったとか,平賀源内も伝馬町の牢にいたとか,そんなことはまったく知りませんでした。
 どれもこれも,今年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が放送されたからこその知識です。とはいえ,現在は,当時の遺構などほとんどないに等しいので,事前に場所を調べた地図をもって歩いてみることにしました。

 まずは,日本橋に移転したあとの「耕書堂」の跡地です。といっても,あるのは案内板だけ,ということは知っていたのですが,その場所に近づいて驚きました。その近くに,何と「耕書堂」と掲げた店があったのです。中に入ってみました。そこは,「通油町(とおりあぶらちょう)ギャラリー」というところで,要するに,ドラマにかこつけて,みやげ物屋を開業しているというところでした。さらに,少し歩いた場所には「イチマス田源」という呉服屋さんがあって,その2階にも「耕書堂」が再現されていました。
 ともに,いかにも江戸っ子という感じの店員さんがいて,気さくにお話ができました。

 現在,「耕書堂」跡地には東横イン日本橋馬喰町がありました。
 そこからしばらく歩くと,今度は末廣神社がありました。この辺りが旧吉原があった場所のようです。
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 江戸時代の初期,吉原遊廓は人形町にありました。その当時,日本橋と人形町の間には掘があり,橋がかけられていました。日本橋と旧吉原をわけたのが思案橋でした。思案橋から吉原の芝居小屋と遊郭の両方を見渡すことができて,どっちに遊びに行こうかと思案したのが由来だといわれています。今は「小網町児童遊園」という小さな公園になっています。
 江戸のあちこちに点在していた遊郭を一箇所にまとめて幕府の公認を得たのが吉原遊郭でした。
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 東横イン東京駅新大橋前に宿泊して,翌6月7日。
 この日は,朝,隅田川を渡って森下駅から地下鉄で新御徒町駅まで行って,佐竹商店街を歩いてみることにしました。
 少し前,秋田県に行ったのですが,佐竹家は現在の秋田県,江戸時代の久保田藩を治めていた殿様です。その江戸屋敷があった場所が,秋田商店街なのです。秋田商店街がどうして「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」と関係があるかといえば,それは,尾美としのりさん演じる朋誠堂喜三二(=平沢常富)が久保田藩の江戸留守居役だった,ということからくるものだからです。
 どこにいっても,こんなふうに,べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」と関連してしまうことができるなんて,江戸,いや,東京も奥が深いところです。

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【Summary】
After viewing the special exhibition on Tsutaya Jūzaburō, I enjoyed lunch at the National Museum of Nature and Science, then visited the "Five Great Ukiyo-e Masters" exhibition, featuring about 140 works by Utamaro, Sharaku, Hokusai, Hiroshige, and Kuniyoshi, including Hokusai’s masterpieces like The Great Wave and Red Fuji.

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 特別展「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」を見たあと,国立科学博物館のレストランで昼食をすませ,今度は,上野の森美術館で7月6日まで開催されている「歌麿 写楽 北斎 広重 国芳-五大浮世絵師」展を見ました。国立科学博物館は65歳以上は無料なので,昼食をとるには最高なのです。
 「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」で浮世絵のすばらしさを再発見しただけに,とても楽しみでした。
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 浮世絵が最も成熟し,黄金期とよばれた天明・寛政期。
 吉原風俗や市井の生活など艶やかな女性のしぐさや想いを写し一世を風靡した喜多川歌麿。
 繊細な感覚と事実を踏まえた独自のデフォルメで役者の演技の一瞬を劇的に捉えた役者絵を描いた謎の絵師,東洲斎写楽。
 「冨嶽三十六景」をはじめ,風景・花鳥・人物と森羅万象を描き続けた葛飾北斎。
 「東海道五十三次」や江戸名所など,江戸後期の浮世絵に新風を吹き込んだ風景画の歌川広重。
 豊かな発想力と斬新なデザインで武者絵の世界を切り抜き幕末・明治の浮世絵界をけん引するリーダーとなり,国内はもとより海外でも高い人気歌川国芳。
 美人画,役者絵,風景画など各分野で浮世絵の頂点を極めた5人の絵師の代表作を中心に約140点を紹介します。
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 ということで,「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」と同じ浮世絵もありましたが,こちらの展覧会のほうが,浮世絵という面からは作品が豊富でした。
 「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」で,私は歌麿にぞっこんとなりましたが,「歌麿 写楽 北斎 広重 国芳-五大浮世絵師展」では,何といっても見ものは,葛飾北斎の「冨嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)から「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)と「凱風快晴」(がいふうかいせい)でした。
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●「神奈川沖浪裏」
 「凱風快晴」「山下白雨」と合わせて三大役物とよばれる傑作で,最も広く世界に知られている代表作です。凶暴なまでに高く激しく渦巻く波濤と波に揉まれる3艘の舟,それらを目の前にしつつうねる波間から遥か彼方にある富士の山を垣間見るという,劇的な構図をとっています。
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●「凱風快晴」
 「赤富士」ともよばれます。
 富士を大きく正面から描いた作品で,画面下には樹海,空にはいわし雲が描かれ,富士の山頂には雪渓が残ります。
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 ともに,縦25.7センチメートル,横37.9センチメートルと意外と小さな作品だなあ,というのが第一印象でした。

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【Summary】
On June 6, 2025, I visited the special exhibition on Tsutaya Jūzaburō at the Tokyo National Museum. Highlights included ukiyo-e by Utamaro, which deeply moved me. Thanks to the NHK drama Berabō, my interest in the mid-Edo period has grown.

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 2025年6月6日,上野の国立博物館平成館で6月16日まで開催されている特別展「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」を見ました。週末は混雑すると思ったので,金曜日の朝一番に行きました。
 NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が放送されて,これまであまり知られていなかった江戸時代中期について脚光を浴びています。私も夢中で見ているのですが,今回,主人公である蔦屋重三郎に関する展覧会が開かれているというので,楽しみにしていました。

 中に入ると,まず,吉原大門が出迎えてくれました。会場は新吉原の家並みが再現されていました。
 はじめにあったのが,吉原細見,洒落本,黄表紙などの展示でした。「雛形若菜の初模様」がずらりと並んだ姿は圧巻でした。このあたりは,非常に多くの人でごった返していたので,私は先を急ぎました。こうした展覧会に行くといつも思うのは,どうして会場のはじめのあたりに人が群れているのかな,ということです。そして,次第に人が少なくなっていくのです。皮肉を込めていうと,来ている人の多くは勉強不足です。来る前に予習してこなくちゃ…。

 ということで,先に,ほどんど人がいなかった浮世絵の展示まで行ってみました。
 これがまあ,すごいこと。喜多川歌麿,栄松斎長喜,葛飾北斎などがあったのですが,私が感動したのが喜多川歌麿でした。
 写真などではいつも見ているのですが,本物はすごい,と思いました。筆の運び,色など,保存状態がすばらしい浮世絵の本物は,圧巻でした。これまで,こんなもののどこがいいんだろう,と思っていた私が愚かでした。当時話題になっただけのことはある,と思いました。浮世絵の再発見でした。
 浮世絵に感動した後,はじめの部分に戻って,ゆっくりと展示を見ました。

 最後のコーナーにあったのは,NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」のセットでした。
 おそらくこの特別展は,ドラマの番組宣伝を兼ねているのでしょう。NHKもやるものです。まあ,固いこといわず,ドラマを通じて,これまでほとんど知らなかった江戸時代について造詣が深まったのだからよしとすることにしましょう。
 ますます興味がわいてきました。

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【Summary】
In late March 2019, I missed the chance to stop by the fully bloomed cherry blossoms at Chidorigafuchi. This time, I finally visited, walking along the moat from Hanzomon Station and enjoying the iconic view. I also toured the Japan Camera Museum, which features a vast collection from vintage to modern cameras.

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 今となっては記憶もあいまいなのですが,確か,2019年の3月末。オーストラリア旅行を終えて帰国し,夜,成田空港から東京駅までバスに乗って帰る途中,千鳥ヶ淵あたりを通りました。桜が満開でした。そのときは,東京駅から新幹線に乗って,帰宅してしまったのですが,後で思い返すのに,せっかく満開の千鳥ヶ淵を通ったのに,どうして,そこに寄らなかったのか…。本当に惜しいことをしました。それをずっと後悔していました。
 今回,もう時期が遅いかな? とも思ったのですが,まだ,東京の桜は散っていませんでした。そこで,この日の次の目的は,何とか千鳥ヶ淵の桜を見てみたい,ということでした。とはいえ,千鳥ヶ淵って,どうやって行くのだろう? ということさえ,知りませんでした。

 調べてみると,地下鉄の半蔵門駅で降りればいい,とわかりました。そこで,浅草の帰り,銀座線で
三越前駅まで行って,半蔵門線に乗り換えて,半蔵門駅で降りました。降りてみてわかったのですが,この辺り,皇居の北の丸公園,日本武道館,靖国神社などなどがある場所で,そういえば,靖国神社はどこだ,と少し前に行ってみたことあったところでした。なんとなく半蔵門をくぐって北の丸公園に入って,千鳥ヶ淵を左手に見ながら内堀沿いを歩いたのですが,さて,今度は内堀を渡る橋がありません。田安門まで行って,ようやく再び内堀を渡ることができました。
 今度は内堀を外側からあるきました。そこが,私が行きたかった千鳥ヶ淵でした。
 少し満開の時期は過ぎていたのですが,よくテレビや写真で見る風景が広がっていました。
 ということで,今回もまた,長年の伏線の回収ができました。

 なお,半蔵門あたりには,日本カメラ博物館があったので,最後にカメラ博物館を見学することもできました。
  ・・・・・・
 日本カメラ博物館は, 一般財団法人日本カメラ財団(Japan Camera Industry Institute)により運営され,カメラや写真の企画展を定期的に開催し,日本国内外のカメラや写真を紹介するほか,調査研究に必要な資料の利用と提供を行っているところです。
 日本カメラ財団の前身は,1954年(昭和29年)に発足した財団法人日本写真機検査協会(Japan Camera Inspection Institute)で,日本製カメラ,光学機器の検査,研究機関でした。1989年(平成元年)にカメラが輸出検査の対象より外されたのを機にカメラに関連する文化的事業へと転換し,日本カメラ博物館を開館しました。
  ・・・・・・
 古いカメラばかりかと思えば,最新式のカメラまで数えれないほどの展示があって,私にはとても興味深いところでした。

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【Summary】
I visited the "Berabou" Edo Taito Taiga Drama Museum held at Taito Ward Citizens' Hall. Despite the busy area, the venue was quiet. The exhibits featured drama sets, costumes, and character info. I also joined a free bus tour to historical sites and bought a reprint of “Yoshiwara Saiken.”

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 次に向かったのは,「べらぼう」江戸たいとう大河ドラマ館でした。NHK大河ドラマでは,毎年,ゆかりの地で大河ドラマ館を開催しています。今年は舞台が現在の台東区千束3丁目,江戸時代の新吉原ということで,こんな風俗街で大河ドラマ館を開催するなんて,愉快な話だ,と思っていたのですが,開催されたのは,台東区民会館の9階でした。浅草の近くで,激混みの場所だったので,これもまた心配しました。
 乗客のほとんどが外国人,という地下鉄銀座線に乗って,上野駅から浅草駅に着いて,ごった返す駅をやっとの思いで出て,台東区民会館へ行くと,1階は長蛇の列でした。なんだこれは! と思ったのですが,その列は,大河ドラマ館を目的とする人たちではありませんでした。
 エレベータで9階に行くと,すごく空いていて,ホッとしました。

 大河ドラマ館の展示内容は,大河ドラマ「べらぼう」の舞台や登場人物の紹介,使用された衣装や小物類の展示などです。また,出演者や制作スタッフのコメントや色紙もあります。
 入口からすぐの「べらぼう入門編」では,主要キャストやスタッフのコメントのほか,蔦屋重三郎ドラマでが着ていた衣装がありました。
 次が「五十間道ゾーン」。五十間道とは,日本堤から吉原へと入る際の通り道で,外部から吉原の内側が見えないようなS字型の道路です。ここには,ドラマ内で使用された小物類が並んでいて,「あのシーンのアレか〜!」と思わず嬉しくなるものばかりでした。
 さらに進むと, 「蔦屋」の再現セットがありました。蔦屋重三郎の活動拠点「蔦屋」再現セットではスタッフから記念写真を撮ってもらえますた。また,企画展示コーナーでは,発明家にして文化人である平賀源内が着ていた衣装がありました。わざとボロボロにした衣装が興味をそそられました。
 続く「仲ノ町ゾーン」で中心になっているのは吉原の女性達です。仲ノ町は吉原のメインストリート・仲ノ町通りのことで,その長さは250メートル。現在もあります。中央には重三郎の幼馴染みである花魁・花の井,のちの瀬川がドラマで着た白無垢が展示されていました。以前は,花魁道中の衣装だったそうですが,展示替えになったそうです。また,吉原を取り仕切る「忘八」達がガツガツと食らっていたご馳走入りの重箱,重三郎が貧しい遊女へ差し入れた慎ましい弁当箱なども展示されていました。
 最後の「江戸城ゾーン」では,江戸幕府側の出演者コメント,江戸時代の街中や江戸城内の雰囲気を完全再現する美術スタッフの特集パネルがありました。最後に,出演者のサイン色紙と台東区内の江戸文化の案内がされていました。
 
 台東区民会館の1階からは,無料バスで,蔦屋重三郎ゆかり地を巡るバスが出ています。
 私は,1月に,すでに,このバスが巡る場所はすべて行ったのですが,せっかくなので乗って,吉原大門から仲之町通りを通り,みやげ物屋としてオープンしている「耕書堂」まで連れて行ってもらいました。1月に行ったとき,「吉原細見」を復刻してよ,と言っておいたのですが,何と,それが実現したということだったので,買いもとめました。
 時間はちょうどお昼だったので,仲之町通りにある能登屋というおそば屋さんで昼食をとりました。
 それにしても,この地が観光地になってしまうなんて!

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【Summary】
I visited the "Miró Exhibition" at the Tokyo Metropolitan Art Museum after arriving on the Disney Shinkansen. Featuring works from all periods of his life, including the "Constellations" series, the exhibit showed Miró’s lyrical, symbolic art. I was especially drawn to Morning Star, Dutch Interior I, and Burnt Canvas 2.

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 ディズニー新幹線で東京駅に着いた私は,まず,東京駅から上野駅に向かいました。
 この日,ディズニー新幹線乗車の次の目的は,上野の東京都美術館で開催されている「ミロ展」でした。私はミロが好きです。あの独特な色彩と,抽象的な絵画にこころ奪われます。
 このところ,美術展の多くは,すごい人混みで,鑑賞どころではなく,今回も心配でした。上野駅あたりはすごい人混みでしたが,意外や意外,館内は空いていて助かりました。
  ・・・・・・
 1893年にスペインのカタルーニャ州に生まれ1983に亡くなったミロ(Joan Miró i Ferrà)は,同じくスペイン出身のピカソと並び20世紀を代表する巨匠に数えられます。
 太陽や星,月など自然の中にある形を象徴的な記号に変えて描いた詩情あふれる独特な画風は日本でも高い人気を誇ります。
  ・・・・・・
 今回の展覧会は,〈星座〉シリーズをはじめ,初期から晩年までの各時代を彩る絵画や陶芸,彫刻により,90歳まで新しい表現へ挑戦し続けたミロの芸術を包括的に紹介するもの,ということで,1966年の展覧会に並ぶ最大規模の回顧展,として,盛り沢山の作品を鑑賞することができました。

  ・・・・・・
●展覧会では,代表作の〈星座〉シリーズのうち3点が出品されています。
 ミロの代表作に挙げられるのが1940年から41年にかけて描いた〈星座〉シリーズで,戦火を逃れながら夜や音楽,星を着想源にして全23点が描かれましたが,それらは,現在,世界中に散らばっていて,複数の作品をまとめてみられる機会は貴重ということです。
●各時代を代表する名品が世界中から集結しました。
 故郷カタルーニャの地で描いた初期の名作「ヤシの木のある家」,1920年代の傑作「オランダの室内I」,晩年を迎えても新たな表現に挑戦した「焼かれたカンヴァス2」など,各時代を代表する作品の数々が一堂に会しています。
  ・・・・・・
 ということで,〈星座〉シリーズがまずは魅力的だったのですが,出品されたなかで「明けの明星」と題した1940年作のものが気に入りました。色彩の美しさ,精緻で絶妙なバランスで置かれたモチーフ,全体に流れる抒情性などが際立つ傑作で,こんな作品が自分の部屋にあったらすてきだろうな,と思わせました。
 次に興味をもったのは,1928年に描かれた,リュートを奏でる人が登場する「オランダの室内Ⅰ」でした。1661年に描かれた古典絵画の「リュートを弾く人」をもとに,ミロらしく遊び心満載の絵に変化して,躍動的な作品になっています。芸術はこうでなければ,と思わせます。
 最後の部屋にあった1973年制作の「焼かれたカンヴァス2」には衝撃を受けました。
 白いカンバスに勢いよく絵の具をたらし,したたらせ,踏みつけ,ナイフで切り刻み,あげくにガソリンを染みこませて火をつけて制作した,なんて,何と愉快な話ではないですか。

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Pink Moon 2025.

このところ天気が悪く,
地平線から昇ったばかりのやっと見ることができたこの赤い月は,
月齢18.1,距離は約40万3,800キロメートです。
3日前,2025年4月13日が満月(Pink Moon)で,
この日の月は今年最遠の月(約40万6,000キロメートル)でした。
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【Summary】
On April 12, 2005, I rode the Disney-themed Shinkansen to Tokyo to attend an NHK Symphony Orchestra concert. Although not a Disney fan, I joined out of curiosity. The ride was fun, and I enjoyed watching excited families and onlookers taking photos along the route.

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 2005年4月12日,NHK交響楽団2034回定期公演Aプログラムを聴きに東京へ行きました。久しぶりの東京で,しかも,天気がよかったので,盛り沢山の予定を立てました。とはいえ,週末の東京の混雑,果たして,私の思ったとおりに実現できるのかが不安でした。
 まずは,せっかくなので,ディズニー新幹線に乗ることにしました。
 若いころはともかく,今やディズニーランドなど,まったく興味もなく,行きたいとも思わないのですが,この列車に乗るのは単なる好奇心です。せっかくなので,童心に帰って楽しむことにしました。
  ・・・・・・
 2024年6月6日,ディズニーランドでは「ファンタジースプリングス」がオープンしました。
 そこで,「ファンタジースプリングス」の世界観を表現した特別塗装の東海道新幹線が登場しました。これは,東海道新幹線が登場してから60年ではじめてのJR東海の特別塗装新幹線です。
  ・・・・・・
 ということで,新幹線沿線に住む私は,走る姿は何度も目撃しているのですが,今回は,東京へ行くついでに乗ってみることにしました。

 ディズニー新幹線は,新大阪駅6時42分発,東京駅9時42分着の「ひかり」636号とその折り返しとなる東京駅9時57分発,新大阪13時51分着の「こだま」715号の1往復と,休日のみの運行ですが,新大阪14時54分発,東京18時48分着の「こだま」736号とその折り返しとなる東京19時3分発,新大阪22時3分着の「ひかり」659号があります。
 そこで,事前に指定席を購入して,7時44分に,新大阪駅6時42分発の「ひかり」636号に,名古屋駅から乗りこみました。
 土曜日ということもあり,家族連れがこの列車を目的に多数乗るのでは,と予想したのですが,この予想は当たりました。座席もまた,ヘッドカバーがディズニー仕様でした。
 まあ,そんなところで,当然,走っている分には何も変わりません。案内放送の前にディズニーミュージックがかかったり,ミッキーマウスが歩き回っていたりするわけでもありません。とはいえ,私がおもしろかったのは,窓から外を見ていると,この新幹線見たさに沿線でカメラを構えていたり,家族連れで堤防道路の端に車を停めて列車を見にきたり,あるいは,列車がホームに入っていくときにカメラを構えた乗客を大勢見ることができたことでした。
 鉄道ファンのマナーがいろいろ問題となりますが,そうでなければ,せっかくの旅だから,こうした楽しみはいいものだ,と思いました。

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【Summary】
Walking along Nakanocho Street, I visited Yoshiwara Shrine, a guardian of the Yoshiwara red-light district, and nearby landmarks like Hanazono Park and Yoshiwara Benzaiten. I explored Kasutori Shobo, a bookstore specializing in red-light district history, and saw cultural spots like Doteno Iseya and Nakaya. Finally, I visited Hiraga Gennai's grave and learned about his achievements.

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 仲之町通りを南西に歩いてくと,左手に吉原神社があります。吉原神社は吉原遊廓を守護していた氏神様で,6つの神さまをお祀りしています。
 かつて,吉原遊廓には入口と四隅に稲荷社が祀られ遊廓を守護していましたが,1881年(明治14年)にその5つの稲荷神社を合祀して誕生しました。当初は遊廓入口の旧吉徳稲荷社境内に祀られていましたが,1934年(昭和9年)に現在地に移転しました。
 吉原神社を右手に見て進むと,台東病院のところで道路が南方向にカーブするのですが,そこにあるのが花園公園です。この日,花園公園では「江戸の華まつり」と題したお祭り行われていました。午前11時から午後4時までの開催で「観る,聴く,創る,遊ぶ,食す」を楽しめる江戸の魅力を体験できるイベント,ということです。

 さらに行くと,左手(東側)の飛地境内地に吉原神社の境外末社として吉原弁財天があります。
 吉原弁財天は明治期に創建された神社で,1935年(昭和10年)に吉原神社御本社に合祀されました。 境内には,1957年(昭和32年)の売春防止法の施行で幕を閉じた吉原遊廓の歴史を永く伝えるため,1960年(昭和35年)に建立された「花吉原名残碑」という石碑があって,多くの観光客でにぎわっていました。
 吉原弁財天から道路を隔てた反対側(西側)にあるビルの1階に「カストリ書房」があります。
 「カストリ書房」は遊廓専門の書店です。店主の渡辺豪さんは,2010年(平成22年)ごろに遊廓に興味をもつようになり,12年間にわたって趣味として遊廓の調査を行い,「全国女性街ガイド」の復刻などを目的として2015年(平成27年)に「カストリ出版」を設立,2016年(平成28年)に吉原大門の跡地近くに「カストリ書房」を開店したそうです。そして,2023年(令和5年)に現在の場所に移転しました。
 少しの時間,店内に入ってみました。

 私は,ここまで来て,再び,仲之町通りを引き返しました。それは,エレキテルで有名な平賀源内の墓に行ってみようと思ったからです。
 土手通りまで戻って,左折すると,飛び込んでくるのが,「土手の伊勢屋」とそのとなりの「桜なべの中江」という店です。
 「土手の伊勢屋」は天丼を主商品にしている店で,1889年(明治22年)創業。昭和初期に建てられた木造の2階建ての店舗は登録有形文化財に登録されているそうです。いつも行列ができているので,私は,まだ,入ったことがありません。
 「桜なべの中江」は馬肉料理専門の老舗レストランです。店舗は1924年(大正13年)築100年になる登録有形文化財です。

 私は,そこを通り過ぎて,日の出会商店街から東に歩いてきました。
 平賀源内の墓は明治通りを隅田川に架かる白髭橋まで行く手前にあります。平賀源内の墓のある場所は入り口の門が閉ざされていましたが,説明書きを読むと,門を開けて中に入ってもよいことがわかりました。
 エレキテル(摩擦起電機)を復元製作したことで知られる平賀源内は,1728年(享保13年)現在の香川県志度町に生まれました。実名は国倫。本草学,医学,儒学,絵画を学び,物産開発に尽力しました。
 1779年(安永8年)誤って殺傷事件を起こし,小伝馬町の牢内で病死し,遺体は橋場の総泉寺に葬られました。総泉寺は1928年(昭和3年)に板橋区小豆沢へ移転しましたが,平賀源内の墓はそのまま残され保存されました。

 こうして,今回,大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ゆかりの地を何となく楽しく歩いたのですが,浅草の台東区民会館にできるという大河ドラマ館は2月1日オープンということだったので,今回は行くことができませんでした。

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DSC_0457IMG_5600吉原細見‗平賀源内の序文(1775年)一目千本

【Summary】
The bustling Nakanocho Street, transformed by the taiga drama "Berabo," now attracts tourists, including families and women. On its opening day, I visited Kosho-do, a shop modeled after Tsutaya Juzaburo's Edo-period bookstore in Yoshiwara, offering local souvenirs and illuminated ukiyo-e displays at night.

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 お歯黒どぶのあったところを1周して吉原大門に戻りました。次は,仲乃町通りを南西に向けて歩きます。
 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の影響で,女性のグループやら,さらには子供連れの夫婦などが歩き回っていたりと,従来と雰囲気が変わっていました。こりゃ,観光地だな,と思いました。風俗店の入り口に立っていた黒服さんに「観光地になっちゃったねえ」と話しかけてみると,「ちょっと迷惑しているんですよ」と返答されました。
 私は,日本国内に限らず,海外でも,いかなるところであろうと,それこそが人間社会の現実の姿だと思っているのですが,そこに差別感をもっている人も少なくないようです。しかし,どんな場所でも,そこで人生を過ごす人があり,そうした人から目を背けてはいけません。

 と思いながら,京町通りの交差点を過ぎると,左側に「耕書堂」(こうしょどう)という看板を掲げた店があって,賑わっていました。店内に入ると,若い女性も多くいました。
  ・・・・・・
 「耕書堂」は,江戸時代に版元として活躍した蔦屋重三郎の屋号で,この店は,蔦屋重三郎が吉原大門前に開業した「耕書堂」を模した施設として,吉原に特化した観光案内や土産品の販売などを行います。また,夜間はシャッターに描かれた浮世絵をライトアップしています。
  ・・・・・・
ということですが,私が訪れた日がまさに開店した日だったようです。
  ・・・・・・
 蔦屋重三郎は吉原で産まれたとされています。石川雅望が撰した「喜多川柯理墓碣銘」や大田南畝が浅草正法寺に建てた実母顕彰碑文によれば,父は尾張の丸山重助,母は津与といいました。蔦屋重三郎の本名は柯理(からまる)で,7歳の時に母と別れて蔦屋を経営していた喜多川氏の養子となりました。
 1773年(安永2年)に,五十間道に面した蔦屋次郎兵衛店を間借りし,「書肆耕書堂」(しょしこうしょどう)を営むようになり,吉原細見「這婥観玉盤」(このふみづき)の卸しや,小売りをはじめました。1775年(安永4年)には,福門鬼外(ふくちきがい=平賀源内)戯作の序文を載せた,自ら「籬の花」(まがきのはな)と題した吉原細見の刊行をはじめ,さらに「一目千本」を刊行しました。
 1783年(天明3年)に,日本橋大伝馬町に店を移し,「耕書堂」という地本問屋に発展させました。
  ・・・・・・

 なお,福門鬼外戯作の序文は次のとおりです。
  ・・・・・・
 女衒,女を見るに法あり。
 一に目,二に鼻筋,三に口,四にはえぎわ,ついで肌は歯は… となるそうで,吉原は女をそりゃ念入りに選びます。
 とはいえ,牙あるものは角なく,柳の緑には花なく,知恵のあるは醜く,美しいのに馬鹿あり,静かな者は張りがなく,賑やかな者はおきゃんだ。
 何もかも揃った女なんて,ま,いない。それどこか,とんでもねぇのもいやがんだ。
 骨太に毛むくじゃら,猪首,獅子鼻,棚尻の虫食栗。
 ところがよ!
 引け四つ木戸の閉まる頃,これがみな誰かのいい人ってな,摩訶不思議。世間ってなぁ,まぁ広い。 繁盛繁盛,ああお江戸
  ・・
 女衒(=ぜげん 遊女のスカウト)には独特の基準があるそうで。
 まず見るのは目,次に鼻筋,口元,髪の生え際,そして肌の質感や歯並びと続くんだとか。とにかく吉原では女性を慎重に,念入りに選んでいる。
 とはいえ,完璧な人なんてそうそういないもの。牙のある獣には角がない,柳のようにしなやかな人には花がない,賢い人は美人じゃない,美人にはちょっとおバカなところがある,静かな人は地味だし,賑やかな人は品が足りない。
 こんな具合に,みんな一長一短がある。それどころか,明らかに外れだなぁと思う人もいる。
 骨太で毛深い,首が短い,鼻が大きい,お尻が平らで虫食いの栗みたい,みたいな。
 ところがだ!
 吉原の四つ木戸が閉まるころには,そういう女性たちもみんな誰かのお気に入りになっているという。いやぁ,世の中って広いもんだなぁ。だから今日も吉原は繁盛,繁盛! ああ,これぞお江戸。
  ・・・・・・

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【Summary】
The streets of Senzoku 4-chome, the former Yoshiwara pleasure district, are uniquely tilted northwest to avoid north-facing arrangements. Walking along the historical roads that follow the old "Ohaguro-dobu" moat route, the area retains its Edo-era street names, such as Edomachi, Agemachi, and Kyomachi. Established in 1617 near Nihonbashi, Yoshiwara moved to its current location as "Shin-Yoshiwara," carrying its original town names. Now, with modern establishments and traces of its past, exploring the area is best in the quiet morning, though it becomes lively with black Alphard vans ferrying customers. Banners proclaiming “A refined town alive with Tsutaya Jūzaburō’s dreams” line Nakanocho Street.

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 地図を見ると,江戸時代吉原遊郭のあった現在の千束4丁目あたりの区画が他の地域と異なっていて,北西に傾いているのがわかります。これは,北枕を避けるためということです。まず,吉原大門から反時計回りに現在は埋め立てられて道路になっているお歯黒どぶのあったところを1周してみました。
 道路の交差するところに,道路の名前が書かれ粋な形の柱があります。これらを順に写真に収めながら,古地図と現在の地図と照らし合わせてみます。
 北側のお歯黒どぶのあった道路は一段低くなっていて,どこも千束4丁目に入るところで坂となっています。道路は,順に,江戸町通り,揚屋通り,京町通りとなり,京町通りを今度は,南東に向って歩いていくと,南側の端,花園通りに至ります。今度は,花園通りを北東に歩いていくと,逆に,京町通り,角屋通り,江戸町通りとあって,左折して北西に進むと吉原大門に戻ります。

 1617年(元和3年),江戸幕府は日本橋葺屋町東側に,江戸で唯一の遊郭開設を許可しました(旧吉原)。翌年営業を開始した遊郭は,葭の茂るところを埋め立てて造ったことから、「葭原」(よしわら)とよばれましたが,1626年(寛永3年)に縁起のいい文字にかえて吉原となりました。
 日本橋に開設されたころの吉原は,江戸町一丁目,江戸町二丁目,京町一丁目,京町二丁目,角町の5か町でしたが, 吉原が新吉原へ移転する際に,町名もそのまま引っ越し,さらに,それまで各町にあったいくつかの揚屋を1か所にまとめたときに揚屋町ができました。
 江戸時代と変わらぬその地名に,ちょっと感動します。
 現在,この場所には,今も140軒ほどの風俗店や,そこで働いている人たちの住むホテル,駐車場などがあります。この場所を歴史散策するのは,まだ静寂の残る午前中がいいのですが,この日は少し遅く,さらに土曜日だったので,すでに町は活動をはじめていて,それぞれの店に通うお客さんの送迎に使う黒いミニバン -なぜかそのほどんどは「アルファード」なのですが- が行き交いはじめていました。

 次は,吉原大門から仲乃町通りを突き抜けます。道路際には,「蔦重の夢が息づく粋な町」という幟が並んでいました。

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【Summary】
Higuchi Ichiyo’s Takekurabe portrays life in Yoshiwara, highlighting the vibrant yet transient nature of the pleasure district. It depicts scenes like bustling crowds near Omon, lively festivities, rundown tenements, and preparations for selling kumade (bamboo rakes) for the Tori-no-Ichi festival at Mishima Shrine.

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 NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の舞台である新吉原とよばれた吉原遊廓は,江戸幕府によって公認された江戸の遊廓です。当初は末廣神社あたり現在の中央区日本橋人形町にあり(旧吉原),1657年に起きた明暦の大火後、浅草寺裏の当時日本堤とよばれた現在の台東区千束に移転しました(新吉原)。
 吉原大門から南西にのびるのが吉原遊郭のメインストリートだった仲之町通りです。
 まず,吉原大門から吉原遊郭だった場所の周りを歩いてみました。
 吉原遊郭は横が約330メートル,奥行きが約250メートル弱の四角い形をしていて,かつて,周りは5メートル以上も幅がある堀が張り巡らされていました。これは遊女の逃亡を防ぐために設けたもので,遊女たちが使ったお歯黒の汁を捨てたところから「お歯黒どぶ」とよばれました。
 現在,「お歯黒どぶ」の遺構はほとんどないのですが,道の片側のみが高くなっているのはわかります。また,吉原公園は,公園側だけが一段と高くなっていて,その近くにあるマンションの階段の右端に石垣の一部分が存在していました。

  ・・・・・・
 廻れば大門の見返り柳いと長けれど,お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く,明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて,大音寺前と名は佛くさけれど,さりとは陽氣の町と住みたる人の申き,三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく,かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や,商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に,あやしき形に紙を切りなして,胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう,裏にはりたる串のさまもをかし,一軒ならず二軒ならず,朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと/″\しく,一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに,知らずや霜月酉の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ,
    樋口一葉「たけくらべ」
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【Summary】
On January 18, 2025, I explored locations related to the NHK Taiga drama Berabou. Starting from Asakusa, I visited Shohoji Temple, where Tsutaya Juzaburo is buried, then walked along Dote Street to the Yoshiwara Omon gate, passing Sanyabori, a historic Edo-era canal known for its picturesque summer scenery. At Sanyabori Park, I found a haiku monument by Masaoka Shiki depicting the bustling canal traffic. Near the Mikairi Yanagi (Willow of Regret), I reflected on its history as a spot where visitors to Yoshiwara bid farewell. Finally, I walked the winding Goju-kenmichi road to Yoshiwara Omon, rich with historical anecdotes.

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 2025年1月18日,NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ゆかりのところを歩いています。
 まず,浅草から蔦屋重三郎の眠る誠向山正法寺に行き,そのあと,土手通りを吉原大門に向けて進んでいくと,途中にあったのが,山谷堀(さんやぼり)でした。山谷堀は,江戸の名所として「よろず吉原,山谷堀」と歌われた場所で,夏の夕方は絵のように美しかったといいます。
  ・・・・・・
 山谷堀は,かつてあった東京の水路です。江戸初期,荒川(現在の隅田川)の氾濫を防ぐために箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造られました。現在は埋め立てられて,日本堤から隅田川入口までの約700メートルが山谷堀公園として整備されています。
 江戸時代,吉原遊郭への水上路として,隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し,吉原通いを「山谷通い」ともいいました。船での吉原行きは陸路よりも優雅で粋とされました。
  ・・・・・・
 山谷堀公園には正岡子規の句碑がありました。
  ・・・・・・
  牡丹載せて 今戸へ歸る 小舟かな
  ・・・・・・
 たくさんの人や荷物を載せて賑わい,忙しく行き来していた吉原への舟路の風景が詠まれた句です。

 やがて,仲之町通りとの交差点に到着しました。そこにあるのが見返り柳(みかえりやなぎ)です。
 このあたりが衣紋坂。衣紋坂は遊客の衣紋を直す所でした。また,見返り柳は逆に吉原から帰る客が,名残り惜しさにここまで来て見返るところでした。1757年(宝暦7年)に発行された「吉原細見」の序文に「出口の柳」と書かれていて,これがのちに見返り柳とよばれるようになったといいます。
  ・・・・・・
  衣紋坂 たびたび下りて 左前
  もてた奴 ばかり見返る 柳なり
  ・・・・・・
 この交差点を左にまわります。
 江戸時代,江戸市中から吉原遊郭へ向かうには,いったん日本堤に出て廓へ入ることになっていました。日本堤から唯一の出入口である吉原大門までは「五十間道」(50間は約90.9メートル)といわれました。五十間道はわざと道が三曲がりに造られていましたが,それは,将軍が鷹狩に御成のとき日本堤から大門が見えては畏れ多いとあっての配慮だと伝えられるそうです。
 五十間道を進むと,吉原大門に至ります。

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【Summary】
In January 2025, the user visited Tokyo to attend an NHK Symphony Orchestra concert and explored locations related to NHK's Taiga drama Berabo: Tsutaya Jūzaburō’s Dream of Glory. The drama, set in Edo's flourishing 18th-century culture, depicts the life of Tsutaya Jūzaburō, a prominent publisher. The user visited Jūzaburō’s grave at Seikōzan Shōbōji Temple in Taitō-ku, where a memorial stands, replacing the original lost to disasters.

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 2025年1月18日,NHK交響楽団定期公演Aプログラムを聴きに東京へ行った折り,昼はNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ゆかりのところへ行き,夜は定期公演を聴いたのち,翌日1月18日から1泊2日で伊豆半島を旅することにしました。
 昨年のNHK大河ドラマ「光る君へ」がとても興味深いドラマだったので,さて,今回はどうか? と思っていたのですが,心配を裏切り,とてもおもしろいドラマでした。時代はまったく違えども,描いている人間の本質というテーマはよく似ていると私は思います。
  ・・・・・・
 2025年(令和7年)は,日本でラジオ放送が始まってからちょうど100年を迎える節目の年。その記念すべき年に,江戸時代の浮世絵版元(出版人)として知られる蔦屋重三郎を主題にした「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」を放送します。
 蔦屋重三郎が生きた18世紀半ばの江戸時代は町民文化が花開いた時代。人口が100万人を超える大都市・江戸を舞台に「江戸のメディア王」として一世を風靡した蔦屋重三郎の生涯が描かれます。
  ・・・・・・
ということで,あらすじは
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 吉原の貧しい庶民の子として生まれた蔦屋重三郎は引手茶屋の養子になり,その後,吉原大門前に書店「耕書堂」を開き,書籍の編集・出版業を開始。蔦屋重三郎は数多くの文化人と交流を重ね、ヒット作を次々に出版。33歳にして「江戸のメディア王」に成り上がっていきます。
  ・・・・・・

 まずは,主人公・蔦屋重三郎の墓を目指すことにしました。
 調べてみると,墓があるのは,台東区東浅草にある誠向山正法寺でした。そこで,JR品川駅で新幹線を降り,京急電鉄に乗り換えて浅草駅まで行きました。少し距離がありますが,ここから歩くことにしました。
 インバウンドでごった返す浅草には用はなく,少し離れると,観光客は皆無になりました。感じのよい喫茶店があったので中に入って昼食をとったあと,誠向山正法寺に向かいました。
 誠向山正法寺に蔦屋重三郎は眠っていますが,元の墓石は火災,震災,空襲によって失われてしまい,現在あるのは新たに建てられた蔦屋重三郎とその母の顕彰碑と蔦屋家(喜多川家)の墓ということで,公開されているのか不明だったのですが,ちゃんと案内がありました。
 来ていた人はいませんでしたが,途中で女性がひとりやってきました。さすがにドラマがはじまったばかりで,まだ墓を訪ねる人は多くないのでしょう。

 上蓮華つきの和型墓石の竿石に「幽玄院義山日盛信士」という蔦屋重三郎の戒名が刻まれていました。また,墓碑に刻まれた「喜多川柯理墓碣銘」は,蔦屋重三郎と同じ時代を生きた国学者・石川雅望(いしかわまさもち)と大田南畝(おおたなんぽ)によるもので,蔦屋重三郎の生い立ちから最期までとともに,蔦屋重三郎の人柄も漢文でかかれてあります。
  ・・・・・・ 
  為人志気英邁 不修細節 接人以信
  その人となりは志人格才知に優れ 小さな事を気にもかけず 人には信頼をもって接した
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 さらに,石川雅望の気持ちが
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  予居相隔十里 聞此訃音心怵神驚 豈不悲痛哉
  自分は十里を離れたところに居て 訃報を聞き畏れの心と共に心底驚いた 悲痛の極みである
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とありました。

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【Summary】
In December 2024, I attended an NHK Symphony Orchestra concert and visited the newly relocated Nikon Museum in the morning, followed by enjoying the autumn leaves at Shinjuku Gyoen.

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 2024年11月30日。今月,というか12月のNHK交響楽団定期公演に行きました。この日はとてもよい天気だったので,東京に来る新幹線からはきれいな富士山を見ることができました。
 いつものように,演奏会は夜なので,午前中は,東京や東京近郊のこれまで行ったことがあまりないところを散策するつもりで,いろいろ考えました。そこで思い出したのが,新たに移転して再開したニコンミュージアムでした。
  ・・・・・・
 ニコンミュージアムは,2024年にニコン新本社ビルのある港区港南の品川インターシティC棟に移転したニコン製品の博物館で,ニコンの歴代カメラをはじめ,顕微鏡,測定機,半導体露光装置などを展示しています。
  ・・・・・・・
 私はJR大井町駅から「光学通り」という,ニコンがまだ日本光学工業という名前の時代に名づけられた道を歩いて行ったのですが,実際は,JR西大井駅からのほうがすっと近い場所にありました。

 新しいニコンミュージアムは今までの品川駅近くにあったものよりも広く,天体望遠鏡なども展示されていました。ニコンという会社は,製品の発売ペースは他のカメラメーカーよりもゆっくりなのですが,それは,逆に1台1台がていねいに開発されているということから,そのほとんどが記憶に残るものなので,こうした博物館にそれらが展示されていると,すべて,懐かしい気持ちがします。また,そのどの機種もそれぞれ個性があり,矜持のかたまりとなっているので,どれだけ見ていても見飽きることもなく惚れぼれします。「ニコン党員」とよばれる,または,揶揄されるニコンファンの間では,ここを訪れることを「ミュージアム詣で」とよんでいるとか。
 一時,ミラーレスカメラの台頭で売れ行きが落ち,将来が危ぶまれたニコンでしたが,その後,Z9,Z8と立て続けに傑作を発売して,すっかり立ち直りました。会社の遺伝子というのは変わるものではなく,こうした会社の堅実さが欠点でもあり長所でもあります。

 ニコンミュージアムを見た後は,銀座にあるライカギャラリー東京へ行って,中井精也の写真展 「ライカと、てつたび。」 を見ました。
 そのあと,新宿御苑に行って,紅葉と黄葉を堪能しました。東京はとても人が多く,落ち着くことができるところも少ないのですが,新宿御苑は,人が多いとはいえ,広いので,それなりにくつろぐことができました。

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【Summary】
I traveled to Akita Prefecture from October 17-19, 2024. Returning to Tokyo early due to rain, I visited the newly opened Tokyo Shogi Kaikan in Sendagaya. At the "Ki no Ne" café, I enjoyed curry and coffee, including a signature blend supervised by Yasumitsu Sato. The café was bustling, but its future popularity depends on creative ideas.

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 2024年10月17日から10月19日まで秋田県へ旅行しました。10月19日は,午後4時過ぎに東京駅に戻る予定でしたが,秋田県が雨だったので予定を変更したので,午前12時過ぎに東京駅に着きました。そこで,NHK交響楽団の定期公演の時間まで何をするかと考えて,新装なった日本将棋連盟の東京・将棋会館を見てくることにしました。
  ・・・・・・
 それまでの将棋会館は,1961年に建築された木造2階建ての建物だったといいます。
 その次が,1976年に建設された東京・千駄ヶ谷にある地上5階,地下1階の将棋会館です。開館から40年が経過し,老朽化が目立ち,また,耐震性の問題から,将棋会館をヒューリックに売却し,新たに,ヒューリックが所有する千駄ヶ谷センタービルの1階に移転することになりました。
 それが新しい将棋会館です。
  ・・・・・・
 新しい将棋会館は千駄ヶ谷駅の駅前にあって,東京体育館と道を隔てた場所で,2024年9月に竣工しました。棋士が対局するのは奥の部分で,来年の1月に運用がはじまるそうです。また,通りに面した部分には「棋の音」(きのね)というショップとカフェと,その奥に将棋道場ががあり,10月1日にオープンしました。今回,「棋の音」カフェに行って,様子見を兼ねて,昼食をとることにしたのです。

  ・・・・・・
 フードの目玉は勝負めしの定番であるカレーです。新宿中村屋監修のカレーソースを使用した本格的なカレーを中心に4種類のメニューを用意しています。
 また,シグネチャーメニューのひとつであるブレンドコーヒーは,コーヒー好きとして知られる佐藤康光九段が監修した「康光ブレンド珈琲」で,棋の音マグカップで提供されます。また,棋の音カフェならではのメニューとして,棋士の画像がプリントされている「ここでしか飲めない」特別なカプチーノを販売します。10月は羽生善治会長の写真がプリントされています。
  ・・・・・・
 ということで,カレーとコーヒーを注文しました。
 何せ,場所がいいことと,新しいということから,多くの人でにぎわっていましたが,何とか席を確保し,昼食をとることができました。今は新しいということと,藤井聡太人気があるので,こういった状況ですが,この先も賑わいが続くかはアイデア次第でしょう。
 「棋の音」は,クラウドファンディングの剰余金で作られることになったということですが,ちょっと狭いのが難点でした。

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【Summary】
After visiting Tokiwa-so, I went to Fukagawa Edo Museum and Kiyosumi Garden via Kiyosumi-Shirakawa Station. At the museum, they experienced exhibits recreating Edo-period streets, and at Kiyosumi Garden, they enjoyed the scenic stroll garden. Both sites provided a rich sense of history, especially as Fukagawa Edo Museum became crowded with foreign tourists.

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 トキワ荘に行った後,深川江戸資料館と清澄公園に行くことにしました。私は東京については無知で,地下鉄に乗ると,よく,清澄白河という駅が出てきて,この変わった名前の場所はどこだろう? とずっと思っていたので調べてみて,清澄公園を知りました。また,その近くに深川江戸資料館があったので,そこへも行ってみることにしたのです。
 私が気になっていた清澄白河駅ですが,トキワ荘最寄りの駅である落合南長崎駅からは大江戸線で直接行くことができるので驚きました。清澄白河駅で降りて,まず,深川江戸資料館に行きました。
  ・・・・・・
 深川江戸資料館は,江戸時代に関する資料等を収集,保存,展示するとともに,江東区民の集会の場を提供することにより文化の振興と向上を図るために設置された江東区立の体感型資料館です。
 江戸時代の天保年間ごろの深川佐賀町の街並みを実物大で再現した展示があり,朝昼晩の移り変わりが音響や照明などで演出されるほか,お店や長屋に実際に入って生活用具などに触れられる体感型の展示室があります。
  ・・・・・・
 よく似た施設に,両国国技館近くにある江戸東京博物館があって,そこには行ったことがあります。深川江戸資料館もまた,江戸時代にタイムトラベルしたような気持になって,なかなかいい時間を過ごすことができました。そのうち,このような施設で2泊3日滞在体験でもできるようなものができればいいのになあ,と思ったことでした。
 私が行ったときは空いていたのですが,そのうち,外国人で一杯になりました。また,チケット売り場も長蛇の列になりました。

 深川江戸資料館を出て,清澄庭園へ行きました。この時期,老人週間とかで,私は無料でした。
  ・・・・・・
 清澄庭園は,江東区清澄にある回遊式林泉庭園です。
 この地は,江戸府内の中では発展が遅く,江戸時代以前は,隅田川の三角州に蘆荻の茂る低湿地帯で,海上には幾つかの浮洲が形成されていました。
 徳川家康の江戸入府に伴って,隅田川の水運や木場の発展を背景にして魚介類の需要に応えるため,隅田川河口に深川猟師町が誕生し,寛永時代(1624〜1643年)に町が成立しました。
 幕末ごろには,諸大名下屋敷や豪族の住居と池庭がありました。明治維新後の1878年(明治11年)このあたりの土地約3万坪を岩崎弥太郎が買い取り,以降,弟・岩崎弥之助,長男・岩崎久弥へと岩崎家3代にわたってそれらの庭を改修し,清澄庭園となりました。
 やがて,岩崎久弥は,東京市公園課と相談し児童遊園として改造し,1921年(大正10年)に一般公開しました。さらに,1924年(大正13年)には東京市に寄付されました。
  ・・・・・・
 中島をもつ広い池が中心にあって,ツツジとサツキの植えられた「つつじ山」や池の端を歩けるように石を配置した「磯渡り」などがあって,すばらしい空間でした。

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【Summary】
"Tokiwa-so" was the apartment house where the manga artists I read as a child once lived. Today, the Tokiwa-so Manga Museum is located in Toshima Ward, so I visited. I toured the place where Osamu Tezuka and others spent their youth, and ate ramen at "Matsuba", a restaurant from that era.

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 私が子供のころの漫画雑誌は「少年サンデー」「少年キング」「少年マガジン」でした。私は特に熱中したわけではなかったのですが,それでも,手塚治虫,藤子不二雄,赤塚不二夫などの名前は当然知っていて,雑誌も読みました。やがて,1986年にNHK銀河テレビ小説「まんが道~青春編~」や1996年の映画「トキワ荘の青春」で,ときわ荘という名前を知りました。私が子供のころに出会った漫画家は,トキワ荘という当時の下宿屋のようなところで青春時代を過ごしていたわけです。
  ・・・・・・
 トキワ荘は豊島区椎名町に,1952年(昭和27年)から1982年(昭和57年)にかけて存在した木造2階建のアパートで,手塚治虫,藤子不二雄,石ノ森章太郎,赤塚不二夫など著名な漫画家が居住していたことから漫画の「聖地」でした。現在は,当時の場所の近くに復元施設「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」が建設されています。
 トキワ荘は2階部分に四畳半の部屋が10室と,共同の調理場,トイレなどが存在していました。
  ・・・・・・
 ということで,東京交響楽団の定期演奏会を聴きにいった折り,今回もまた,ディープな東京めぐりとして,トキワ荘に行ってみることにしました。

 「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」は10時開館ということだったので,ネットで予約をしました。到着したのは30分ほど前だったので,付近を散策しました。トキワ荘が建っていた場所には碑がありました。また,ゆかりの地も多くありました。
 時間になったので,入館料を払って入りました。中は当時の様子を再現してあって,私が大学生のころに多くあった下宿屋のようでした。私には,こうした場所のほうが居心地がいいのですが,今の若い人には無理でしょう。職員の人たちはとても親切で,いろいろな説明を聞くことができました。
 トキワ荘は,1952年(昭和27年)に上京した手塚治虫は新宿区四谷の八百屋の2階に下宿していましたが,編集者の出入りの激しさに八百屋の主人から苦情を言われるようになり,紹介されたのがこの「ときわ莊」で,これを皮切りに,漫画家の多くが「ときわ荘」へ入居することとなったということでした。手塚治虫が入っていたという部屋に座り写真を撮ってもらいました。風呂はなく,近くの銭湯に行くのですが,トキワ荘の中にある調理場の洗い場で行水をしたこともあるという話でした。
 トキワ荘が解体されるとき,新聞記者連れられてやってきた手塚治虫は,かつて住んでいた2階14号室の天井板に「リボンの騎士」のサファイアの絵と自画像を描いたということですが,その本物が展示してありました。

 トキワ荘の近所に「松葉」という中華料理店があって,この店のラーメンは,藤子不二雄の作品に登場する「小池さん」の設定となったということです。「松葉」は現在も営業を続けているということだったので,トキワ荘を出て,「松葉」で昼食をとりました。当時の味を再現したというラーメンを食べました。
 子供のころの漫画と,大学生のころの下宿屋を思い出して,とてもなつかしい,そして,尼酸っぱい気持ちになりました。

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 2024年9月14日に猛暑の東京へNHK交響楽団の定期公演を聴きに行った折り,多摩動物公園,国立極地研究所南極・北極科学館とまわって,まだ時間があったので,山崎富栄の墓を探しに行くことにしました。私は,このところ太宰治に凝っていて,ゆかりのある場所を求めて,青森県の各地と三鷹市に行ったのですが,最後に残ったのが山崎富栄の墓でした。
  ・・・・・・
 1948年(昭和23年)6月13日の夜,太宰治と山崎富栄は玉川上水で心中しました。6月19日,ふたりの遺体は新橋の下流10メートルほどのところで浮き上がっているのが発見されました。遺体は腰の部分を赤いひもでしっかりと結ばれていました。享年太宰治39歳,山崎富栄29歳。
 死後,山崎富栄は「太宰を殺した女」として世間から非難を浴びました。山崎富栄の両親に宛てた遺書には「本当は太宰さんのお隣にでも埋めていただければ本望なのですがそれはむしのよい願いだと知っています」と書かれていたそうです。
 山崎富栄は山崎家の菩提寺である永泉寺に埋葬されました。父・山崎晴弘は「娘が世間を騒がせて申し訳ない」との考えから,住職の安田弘達師に対して墓所が永泉寺に在ることを世間には公表しないで欲しいと依頼したといいます。
  ・・・・・・
 そこで,何とか,永泉寺を見つけ出し行ってきました。地下鉄の江戸川橋駅からほど近いところで,その先には,春,将棋名人戦の第1局が行われるのが恒例となったホテル「椿山荘」がありました。

 まだ時間があったので,次に,伝馬町牢屋敷跡に行ってみることにしました。場所は,地下鉄の小伝馬町駅すぐでした。先日,大河ドラマ「花神」について書いたときに,吉田松陰が処刑された伝馬町牢屋敷跡を見てみたい,と思ったのが理由です。
  ・・・・・・・
 1854年(嘉永7年)黒船艦隊が再来航した際に密航を企て失敗し,小伝馬町にあった伝馬町牢屋敷に送られました。 その後,長州の萩に送還され,松下村塾を受け継ぎ,木戸孝允,高杉晋作,久坂玄瑞,伊藤博文など多くの志士を育てました。しかし,安政の大獄に連座して江戸に送られ,ふたたび伝馬町牢屋敷に入獄され,1859年(安政6年)に処刑されました。
  ・・・・・・
 現在,この場所は十思公園となっていて,一角に松陰先生終焉の地,吉田松陰先生辞世の碑,吉田松陰顕彰の碑が並んで建っていました。また,十思公園に隣接する十思スクエア別館には伝馬町牢屋敷の模型がありました。
 この地で私は,深い歴史を感じて,感傷にふけりました。

 さて,時間が近づいてきたので,NHKホールに行くことにしましたが,新しくつくられた将棋会館の外観を見ようと千駄ヶ谷駅で途中下車しました。千駄ヶ谷駅のコンコースには,将棋連盟創立100周年の展示もありました。この地で新たな歴史が作られていくことでしょう。

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 2020年7月,旭山動物園でオランウータンを見ました。それが今日の1番目の写真です。このころは,別段興味があったわけではありませんでした。
  ・・
 NHK交響楽団の定期公演を聴くために東京へ行ったおり,これまで行ったことがない東京近郊の興味ある場所を訪ねることにしているのですが,今回,2024年9月14日は,多摩動物公園へ,オランウータンを見にいくことにしていました。
 それにしても,暑い日でした。早朝,新幹線の車内から見えた富士山,雲もなければ雪もない。おそらく,山頂は人だらけだろうと考えるだけで,体が暑くなりました。よほどやめようかとも思ったのですが,ほかに何をすればいいのかアイデアもなく,決行しました。
 オランウータンに興味はなかったのですが,当たり前に見ることができた名古屋市の東山動植物園では,新しくオランウータン舎ができたのにもかかわらず,2人いたオランウータンが死んでしまい,主が不在となってしまいました。そこで急に興味がわいて調べてみたところ,オランウータンは急激に数が減っていて,日本の動物園にもわずかしかいないということがわかりました。そして,最も多くいるのが多摩動物公園だと知ったので,行ってみたいと思っていたのです。

 JR中央線で立川駅まで行って,多摩都市モノレールに乗りました。こんなところにモノレールがあることすら私は知りませんでした。おそらく,先に都市ができてしまい,公共交通がなく,不便だったので作られたのでしょう。名古屋の東部丘陵を走るリニモのようなものですが,スピードが遅いのが欠点です。
  ・・・・・・
 1958年に上野動物園の分園として開園した多摩動物公園は日本最大の広さを誇ります。
 多摩丘陵の上に作られたため起伏が多く,園内ではシャトルバスが運行されています。
  ・・・・・・
 園内に入ったのですが,こんな暑い日に歩くこともままならず,また,私が目的とするオランウータン舎は最も高い場所にあったので,シャトルバスに乗って向かいました。
  ・・・・・・
 オランウータンは,ヒト科オランウータン属(Pongo)で,ボルネオ島とスマトラ島の一部にのみ分布していて,ボルネオオランウータン(Pongo pygmaeus),スマトラオランウータン(Pongo abelii),タパヌリオランウータン (Pongo tapanuliensis)がいます。
  ・・・・・・
 現在,日本にいるのは,ボルネオオランウータンが26人,スマトラオランウータンが8人,ハイブリッドが2人で,うち,9人のボルネオオランウータンが多摩動物公園にいるそうです。そこで,たくさん見られるのを期待したのですが,4人しか見ることができませんでした。あとはどこにいるのだろう? この動物園,案内がさほど親切でありませんでした。聞けばよかったのでしょうが,暑すぎて,まったくやる気を失い,オランウータンだけを見て,満員のレストランで何とか席を見つけて昼食をとったのち,早々に退散しました。

 まだ時間が早かったので,同じ多摩都市モノレールで行くことができる国立極地研究所南極・北極科学館へ行ってみました。
  ・・・・・・・
 国立極地研究所(National Institute of Polar Research)は,大学共同利用機関法人情報・システム研究機構を構成する大学共同利用機関で,南極,北極及びその周辺地域(極地、南極圏や北極圏)に関して,物理学や生物学など様々な科学的観点から観測、実験、総合研究を行っています。
  ・・・・・・・
 ということで,南極・北極科学館は,従来,資料や標本,出版物等を総合研究棟入口に展示し,昭和基地からの映像を放映するなど簡単な情報コーナーを設けたり,定期的に研究所の一般公開も行っていたものを,2010年に,国立極地研究所南極・北極科学館として,開設したのです。
 ここもまた,行ってみたかったところでした。
 無料とはいえ,規模も小さく,館内に説明員がいるわけでもなく,少しがっかりしました。

 2023年4月につくば市に行ってみたことがあるのですが,立川市の研究施設も,同じような感じでした。私は,アメリカで,NASAをはじめとして,多くの研究施設を外から,あるいは,見学コースなどで見たことがあるのですが,それに比べて,あまりに貧弱だなあ,という印象をもちます。また,アカデミックさにも欠けていて,もし私が研究員だったらこういうところで研究したいなあ,という気にもなりません。
 また,アメリカの研究施設が,そのどれも,一般の人によくわかるように,大きな見学施設が設けられ,講演会や係員によるしっかりとした説明がされているのとは違い,ついでのような感じでそれらがあることにも,落胆します。こうした施設は税金で作られているという意識が低いのです。

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 西新井大師に行って,さらにまだ時間がありました。さて,どこに行こうかと考えていて,思い出したことがありました。それは,以前,亀戸に行ったとき,亀有公園前派出所とかいう漫画の舞台がここではないか? ならば,何かゆかりのものがあるのでは… と探してみたことがあったのです。もちろん,亀戸は亀有ではないからそれは大間違いだと気づきました。では,亀有はどこか? ということで,いつかその場所に行ってみたいと思ったことでした。
 地図で確認してみると,何と,亀有は西新井大師からまっすぐに東に行ったところではないですか! そして,どうやら,そこまではバスで行くことができそうでした。しかし,今もってよくわからないのですが,西新井大師から亀有へ直接行くバスが,午前11時57分と午後1時41分2本のみ,ということだったのです。では,それ以外の時間がどうやって行くのだろう?
 幸いにして,私が亀有に行こうと思いついたのが午後1時30分ごろだったので,奇跡的に1日に2本しかないバスのうちの1本に乗ることができたのです。
 少し遅れてバスが来たので乗り込みました。亀有まで思ったより距離がありましたが,やがて亀有に到着しました。

 とはいえ,実は,私は,アニメとか漫画にはまったく興味がなく,「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は名前を知っているだけで,読んだことさえなかったから,もちろん内容も知りませんでした。
  ・・・・・・
 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は,秋本治さんによる,「週刊少年ジャンプ」で1976年から2016年まで連載された,葛飾区の亀有公園前派出所に勤務する両津勘吉(りょうつ かんきち)を主人公に,その同僚や周辺の人物が繰り広げるギャグ漫画です。
  ・・・・・・
 亀有には「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にちなんだ何がしかのものがあるだろうと思ったのですが,着いてみて驚きました。この町は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」だらけだったのです。
 まず,JR亀有駅前にモニュメントがありました。そして,亀有公園にもベンチに座った銅像が!
 暑かったので,何か冷たいものでも,と喫茶店に入って氷を食べていたら,店の人が「亀有両さん銅像めぐりマップ」なるものをくれました。こうなると,何事も徹底的にやってみたくなる私は,そのマップに乗っていた銅像をすべて見ることにしたのです。そして,時間を気にしながらも,どうにか制覇しました。

 さて,こんな予定外のことをしていたので,この日の目的であるNHK交響楽団の定期公演の時間がせまってきました。間に合うのかな? と心配になりましたが,これもまた,何と,JR亀有駅は常磐線であるにもかかわらず,千代田線に乗り入れていて,そのまま乗っていれば,明治神宮まで乗り換えなしで行くことができたのです。本当に,東京はよくわからないところです。どうして亀有駅から原宿駅まで直通で行くことができるのだろう? と不思議な気がしました。
 そんなわけで,2024年6月6日から旅に出た私は,尾瀬に行った帰りの6月8日,西新井大師と亀有で半日を過ごしたのち,NHK交響楽団の定期公演を聴いて,午後9時6分の「ひかり」665号で帰宅することができました。

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 西新井大師は,駅からすぐのところにありました。まず,参道にあった食堂で昼食をとりました。なかなかおいしいおそばでした。そして,境内に入りました。思った以上に立派な寺でした。
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 西新井大師は,正式には五智山遍照院總持寺(ごちさんへんじょういんそうじじ)といい,真言宗豊山派の寺で,古くから「関東の高野山」ともよばれています。
 空海が関東巡錫の途中,西新井を通った際に,本尊である観音菩薩の霊託を聞き,本尊の十一面観音を彫り,826年(天長3年)に寺院を建立したことにはじまるとされます。
 空海=弘法大師から,西新井大師ということです。
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 立派だと思った本堂は,江戸時代中期に建立されたものが1966年(昭和41年)の火災で焼亡したので,1971年(昭和46年)に再建されたものです。

 西新井大師は,川崎市の川崎大師,香取市の観福寺大師堂とともに関東三大師のひとつに数えられるそうです。境内に空海によってもたらされたとされる加持水の井戸があって,この井戸が本堂の西側に所在することから西新井とよばれるということです。
 私がまず興味をもったのは,塩が積まれている地蔵でした。これは「いぼ取り地蔵」いう塩地蔵尊で,江戸時代からいぼ取りに霊験ありと伝えられているものだそうです。
 次が,1884年(明治17年)に建立された三匝堂(さんそうどう)でした。この建物は,都内に残る唯一の栄螺堂です。栄螺堂といえば,少し前に行った会津若松市で見たことがあります。
 また,奥の院は,高野山奥の院を江戸後期に勧請したものです。
 ボタン園もあって,この時期,アジサイやハナショウブが見事でしたが,ほんどの参拝客が素通りしていくのが不思議でした。都心でこんな庭園はほとんどないというのに。

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 2024年6月8日,念願の尾瀬歩きを終えた私は,高崎駅午前10時39分発の「とき」314号で午前11時28分に東京駅に戻ってきました。
 この日は,夜6時からNHKホールでNHK交響楽団第2010回定期公演を聴くのですが,それまで時間がありました。何をしようかと考えて思いついたのが,西新井大師へ行くことでした。
 東武鉄道の西新井駅からたったひと駅の大師前駅まで東武大師線というのがあります。その東武大師線の大師前駅は無人でありながら自動改札がなく改札口が開放されているということをネットで見ておもしろいと思ったことと,西新井大師自体にも興味をもったことがその理由でした。
 東京は,原宿とか池袋とか上野とか浅草といった,多くの人であふれかえるところもあれば,少し離れるとけっこうのどかな,昔の東京らしさが残っている場所があるのです。

 調べてみると,東京メトロ大手町駅から西新井駅まで東武鉄道が相互乗り入れしているので,直通で行くことができることがわかりました。
 東京の鉄道網は,相互乗り入れだらけで,地下鉄に乗っているつもりなのに,私鉄であったりして,何が何だかわかりませんし,どこに行くのかも定かでありません。しかも,それがわかりやすく説明してあるサイトすら探してもないのです。おそらく,ほとんどの人は,アプリの乗換案内で調べて,どの鐡道会社が乗り入れているのか疑問にも思わず,単に乗っているだけでしょう。しかも,Suicaを利用しているから,料金体系すらわかっていないと思われます。私も同様です。
 そんな次第で,ともかく,西新井駅に到着して,そこで自動改札を通って,東武大師線のホームに入りました。こんな盲腸みたいな路線が存在してるのが不思議なことでしたが,想像していたより利用者が多く,しかも,列車も頻繁に発車します。乗ったらすぐに大師前駅に到着しました。
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 大師前駅は,大正時代,東武伊勢崎線と東上線を結ぶ連絡線上の駅として開設しました。しかし,その連絡線案が進展しないうちに第2次世界大戦による東京への大空襲が激化したため営業は休止。戦後,再び営業を開始しました。
 自動改札機,自動券売機,自動精算機は設置されておらず,乗車券発売や改札などの機能については,西新井駅構内の乗換通路上に当駅発乗車券が購入出来る券売機や連絡専用自動改札機を設置して処理をしています。
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 2024年5月11日から5月14日まで,東京と日光を旅しています。
 5月11日は,夜,NHK交響楽団の定期公演に行き,お昼間は,三鷹へ行って,太宰治に浸り,その後,豪徳寺に行きました。このことは,すでに書きました。その日宿泊したのは,田原町の東横インでした。
 そして,翌5月12日。この日は,午後,東京交響楽団の定期演奏会に行くので,午前は,上野の東京芸術大学大学美術館で開催されている「大吉原展」を見に行くことにしていました。このこともすでに書きました。
 そして,上野まで,浅草界隈を散策しましたが,今日は,そのお話です。
 
 数年前,コロナ禍の時期の浅草を歩いたことがあるのですが,ほとんど人もおらず,最高でした。現在の浅草は,インバウンドが戻り,私は,まったく行く気がなくなってしまったのですが,さすがに早朝なら,ということで,浅草から上野へ行く途中に歩いてみようと思ったのです。
 その昔,写真家の木村伊兵衛さんがご存命のころ,ライカを肩に,浅草界隈を歩き,夕暮れになると,近くの店で一杯,などと書いてあったのを読んで,私はうらやましくなりました。そんな生活をしてみたいものだと思いました。それも,遠い昔のことで,今の浅草は,そんな雰囲気からは程遠くなってしまいましたが,人が少ないときなら,少しは,と思ったのです。
 ほとんどの店がまだ閉まっていた仲見世ですが,すでに,1軒の店が開いていました。それは,人形焼きで人気の三鳩堂(さんきゅうどう)でした。午前9時開店,とありますが,もっと早い時間だったように思います。 

 浅草寺を抜けて,ひさご通りを歩き,そのまま千束通りから,鶯谷,そして,上野に向かって歩くことにしました。浅草寺を抜けると人混みがなくなるので,むしろ私は,今は,そのあたりのほうが好きです。
 浅草の三社祭は,私が歩いた1週間後の5月17日から5月19日ということでした。10年くらい前,1度だけ,偶然に,その日に浅草に行ったことがあります。まだ,インバウンドはそれほどでもなかったのですが,それでもすごい人混みでした。そのときは,これぞ江戸の下町,と思いました。
 この日は,小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ),元三島神社などでお祭りあるということで,神社のあたりは,早朝から準備で盛り上がっていました。それにしても,東京の下町というところは,まことに不思議なところです。小野照崎神社は,金美観通りに面していて,その先は,吉原の風俗街だし,元三島神社なんて,鶯谷のホテル街の真ん中にあります。このように,さまざまなものがごっちゃごちゃになっていて,表向きだけは清楚でも,その裏はドロドロ。いかにも,これこそが日本の本来の姿だ! 江戸っ子だ! みたいな気がします。
 後日知ったのですが,この日,上野の下谷神社のお祭りでは乱闘騒ぎが勃発したそうです。いくら,「火事と喧嘩が江戸の華」とはいえ,これはいただけません。

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 太宰治の足跡を訪ねて三鷹界隈を散策したあと,まだ,NHK交響楽団の定期公演の開演時間までずいぶんあったので,豪徳寺(ごうとくじ)に寄ることにしました。
 三鷹駅からJR中央線で新宿駅を経由して小田急電鉄に乗り換え,豪徳寺駅で降りました。
 豪徳寺駅のあたりには,外国人がすごくたくさん歩いていました。豪徳寺は,海外メディアで紹介されたことで外国人に知られました。駅の名前は豪徳寺なのですが,豪徳寺駅から豪徳寺は思ったよりも遠いところにありました。それは,豪徳寺の北に駅があったのにもかかわらず,豪徳寺の入口が南側だったから,寺を半周する必要があったからです。むしろ,東急世田谷線の宮の下駅のほうが近いと,帰ってから知りました。
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 豪徳寺は曹洞宗の寺院で,山号は大谿山(だいけいざん)。1480年(文明12年)のちの赤穂事件で有名な吉良上野介義央の同族である武蔵吉良氏の居館であった世田谷城の城主・吉良政忠が,伯母の弘徳院のために庵を結んだ場所にあります。
 1633年(寛永10年),彦根藩主・井伊直孝が井伊家の菩提寺として伽藍を創建し整備しました。寺の名前は,井伊直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によります。
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 豪徳寺が外国人に人気なのは招き猫発祥の地ということが理由だそうです。それでも,どうして? と私は思いました。それは,外国人には招き猫が珍しいらしく,また,きわめて日本らしく,さらに,招き猫だらけの境内が写真映えすることによるそうです。
 豪徳寺で招き猫が名物なのは
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 2代藩主・井伊直孝が猫により門内に招き入れられ,雷雨を避け和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び,井伊家御菩提所としました。それがもとで,豪徳寺では「招福猫児」(まねきねこ)を祀る招猫殿を置きました。招猫殿の横には,数多くの招福猫児が奉納されています。
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という理由だそうです。
 招き猫があるのは,本堂の左側の狭い場所でした。私は,もっと広範囲に招き猫があるものだと思っていました。また,境内は外国人であふれていると想像したのですが,それほどでもありませんでした。さらに,参道にはたくさんのみやげ店があって,そこにも招き猫があふれているように思っていたのですが,それもありませんでした。
 それにしても,豪徳寺の周辺のなんだかしらけ切った雰囲気は何でしょうか? 世田谷区は閑静な住宅地だから,多くのインバウンドであふれることで,迷惑しているような空気がただよっているように,私は感じました。もし,私がここに住んでいたら,きっとそう思うでしょう。

 私が豪徳寺で興味をもったのは,招き猫よりも,むしろ,井伊家の墓所でした。
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 鎌倉時代から井伊谷を治めていた井伊家。
 井伊直虎は,井伊直盛の娘として誕生しました。井伊直盛には男子がいなかったので,井伊直盛の従兄弟にあたる井伊直親を,井伊直虎の婿養子に迎える予定でした。しかし,1544年(天文13年)に井伊直親の父・井伊直満が今川義元への謀反の疑いをかけられて自害させられ,井伊直親も信濃に逃亡してしまいまったので,井伊直虎は,萬松山龍潭寺で出家し,次郎法師と名乗ることになりました。
 井伊直親は,その後復帰して井伊直盛の養子となるのですが,井伊直虎と結婚することはありませんでした。
 1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで井伊直盛が戦死し,その跡を継いだ井伊直親も今川氏真に殺されてしまい,井伊直親の子・虎松(のちの井伊直政)は鳳来寺に匿われました。
 1565年(永禄8年),跡継ぎのいなくなった井伊家では,次郎法師が井伊家の当主となりました。これが「女城主 直虎」です。
 井伊直虎となった次郎法師は,井伊直政を養子として育て,1575年(天正3年)に徳川家康に出仕させました。井伊直政は多くの武功をたて徳川四天王のひとりと称され,関ヶ原の戦いの後に近江に転封されました。彦根藩主となった井伊家は,30万石の大名となって明治維新まで続き,歴代藩主のうち5人が6回の大老職となりました。
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 井伊家の墓所は,彦根市の清凉寺,東近江市の永源寺,そして,豪徳寺にあります。
 清凉寺には,初代藩主・井伊直政(なおまさ),3代藩主・井伊直澄(なおすみ),5代藩主・井伊直通(なおみち),7代藩主・井伊直惟(なおのぶ),8代反藩主・井伊直定(なおさだ),11代藩主・井伊直中(なおなか),12代藩主=大老・井伊直亮(なおあき)が葬られています。
 豪徳寺には,2代藩主・井伊直孝(なおたか),6代藩主・井伊直恒(なおつね),9代藩主・井伊直禔(なおよし),10代藩主=大老・井伊直幸(なおひで),13代藩主=大老・井伊直弼(なおすけ),14代藩主・井伊直憲(なおのり)が葬られています。
 また,4代藩主=大老・井伊直興(なおおき)は,永源寺南嶺慧詢に帰依していたため,永源寺に葬られました。
 これで,私がこれまでに行くことができた龍潭寺,清凉寺,永源寺,豪徳寺,そして彦根城が結びつきました。

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 太宰治の足跡を訪ねて三鷹界隈を散策したのですが,その途中に,三鷹市山本有三記念館があったので,寄ってみました。
 山本有三記念館は,作家・山本有三が1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで家族とともに居住した大正末期竣工の洋館です。
 当初は,商社役員や大学教員を務めた実業家・清田龍之助の住宅として建てられたものでしたが,1931年(昭和6年)に実業界を退き,競売にかけられたものを,1936年(昭和11年)に購入したのです。ここで,山本有三は「路傍の石」を執筆しました。
 第2次世界大戦後,進駐軍に接収されたので,山本有三一家は転居しました。進駐軍の接収が解除されたあとは,国立国語研究所三鷹分室,東京都立教育研究所三鷹分室「有三青少年文庫」として使用され,1996年(平成8年)から,三鷹市山本有三記念館となり,2018年に改修工事が終わり,リニューアルオープンしました。

 代表作「路傍の石」は,昭和の戦前・戦中期に書かれた小説ですが,未完に終わりました。
 内容は
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 極貧の家に生れた愛川吾一は,貧しさゆえに幼くして奉公に出される。やがて母親の死を期に,ただ一人上京した彼は,苦労の末,見習いを経て文選工となってゆく。
 厳しい境遇におかれながらも純真さを失わず,経済的にも精神的にも自立した人間になろうと努力する吾一少年のひたむきな姿を描きます。
  ・・・・・・
というものです。
 最初,朝日新聞で1937年(昭和12年)6月まで連載されたのですが,軍国主義の空気が盛り上がってくる時代背景の中で,朝日新聞社が自粛的に中断しました。連載中断から約1年半後の1938年(昭和13年)から昭和15年(1940年)にかけて,主婦の友社で再開されたのですが,小説の中でひとりの社会主義者が出てきたことで当局の検閲にひっかかりました。
 第2次世界大戦後,小説の中に日清戦争や日露戦争のことや不平等条約改正があったことで,GHQの検閲が入って,結局,「路傍の石」を完結させることができなくなったわけです。

 山本有三記念館には,山本有三が愛用した品々が展示されていました。解説に,山本有三はつねに「いいものを少し」という思考がもとになっているとあって,そのこだわりが垣間見えました。おそらく,そうした完璧主義が「路傍の石」を未完に終わらせたのではないか,と思いました。
 しかし,「路傍の石」がもし完結して,その結末が,努力の末幸せになった,というのでは,小説の深さがなくなってしまうから,むしろ未完であったことがよかった,という指摘もあるそうです。

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