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今思うと,こんなところにどうして行ったのか,という場所が少なからずあります。不思議な話です。今回はオーストラリア大陸のど真ん中に忽然と現れる町アリススプリングス(Alice Springs=The Alice)です。
2019年春,私はオーストラリアのウルル・カタジュタ国立公園,いわゆるエアーズロックに行こうと,成田空港を飛び立ちました。予定ではケアンズ空港で乗り換えてダイレクトにエアーズロック空港まで行くことになっていました。ところが,ケアンズの到着が遅れ,次の飛行機に乗り遅れてしまったのです。次の便はなく,途方に暮れていたのですが,実は,ケアンズ空港からアリススプリングス空港行きがあって,そこでエアーズロック空港行きに接続できたのです。
こんなこと,奇跡みたいなもので,これまでの数々の旅を思い出すと,知らなかったがゆえに何とかなっていた不思議なことが少なくありません。まあ,結局,何とかなるものです。
そんなわけで,全く予期せず,アリススプリングスの地を踏んだのです。
アリススプリングスは、オーストラリアのノーザンテリトリー(=北部準州)にある都市で,人口は2万5,000人ほど。これでもノーザンテリトリーでは首府のダーウィンに次ぎ2番目に人口が多い町です。アボリジニのアレント族(Arrente)は,この地をムバーントゥワ(Mparntwe)とよびます。
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アリススプリングスは,当初はスチュアート(Stuart)と名づけられ,オーストラリア大陸の奥地における南北交通の拠点として建設されました。ロンドンからシドニーまでを繋ぐ遠大な電報網の重要な基地が設けられましたが,すぐ傍に湧き水が見られたことから,南オーストラリア州電信監督官であったチャールズ・トッド(Charles Todd)の妻アリス・トッド(Alice Todd)にちなんで,アリススプリングスと名づけられ,次第に町の名前となっていきました。
1929年にアデレードからの鉄道がスチュアートに達し,駅が既存市街地の南部に設けられたため街自体も南側に移動した。この結果、電信中継所の周囲は公園として整備し、電信中継所の建物は博物館として保存したものの,市街地はアリススプリングス(湧き水)からは離れてしまったのですが,1933年には正式にスチュアートはアリススプリングスに名称変更されました。
オーストラリア大陸のほぼ中央に位置するため,地理的に隔絶されています。マクドネル山地の東側に形成された町は,市街地をトッド川(Todd River)が貫流しています。
アリススプリングスの主要産業は観光業で,アウトバック(Outback)とよばれるオーストラリアの内陸部に広がる砂漠を中心とする広大な人口希薄地帯に点々とある観光地を訪れる際の拠点として利用されるだけでなく,アリススプリングス自体にも多くの見所があります。また,アメリカとオーストラリアで保有しているパインギャップとよばれる軍事衛星の管理施設もあります。
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ということですが,いくら多くの日本人がオーストラリアへ観光旅行に行っても,さすがに,アリススプリングスへ行ったという人はそうはいないことでしょう。これもまさに「塞翁が馬」で,飛行機が遅れなかったら絶対に見ることもない町であったに違いありません。
しかし,空からこの町の周辺を見たとき,絶望的な気持ちになりました。レンタカーを借りてドライブするという気持ちにもなりません。いくら私がオーストラリア大陸の砂漠地帯を深夜6時間走った経験があるといっても,ここまで何もない砂漠ではありません。車が故障でもしたらどうなってしまうのでしょう。
ですが,実は,それよりなにより,オーストラリアのアウトバックには隠された秘密があるのです。それは,コバエです。コバエとは字のごとく,小さなハエのことなのですが,これが異常に多く,かなり不快なのです。食べたくもないのに,口の中に一杯入ってきます。これを避けるには,頭から網を被るしか方法がありません。一見とてものどかなところに見えますが,ここを訪れる人は,日夜コバエと格闘する覚悟が必要なのです。
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「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは