しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:星を見る > 南天

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 今日はいて座の有名なふたつの星雲をとりあげます。いて座は南半球に行かなくても日本からもよく見えます。しかし,空が暗く水蒸気の少ないオーストラリアでは今日取り上げるいて座のふたつの星雲を簡単に写すことができます。
 今日の1番目の写真がそうです。180ミリメートルの望遠レンズを使ってたった1分の露出です。2番目の写真はこれらの星雲の位置を示すための広角写真です。これもオーストラリアで写したものです。こんなに簡単に写ってしまうと,日本で苦労して光害除去フィルターを取り付けて写真を写して,そのあとでコンピュータ処理をしてやっと見栄えのする写真を作りあげるのがばかみたいに思えます。
 そもそも日本でやっていることなんて,本来は必要がないことを空が明るいのでしかたなくやっているわけです。そうして日本で私が写したのが3番目の写真です。360ミリメートル相当の望遠鏡の直焦点に2分の露出を与え,光害除去フィルターを使い,コンピュータ処理をしたものです。この写真と比較すれば容易にわかりますが,手間も暇もお金もかけないオーストラリアの方がずっとうまく写っています。

 では,このふたつの星雲について説明しましょう。
 まず,右側の大きい散光星雲(輝線星雲)が干潟星雲(The Lagoon Nebula)とよばれるM8(NGC 6523)です。散光星雲を南北に横切る帯状の暗黒星雲が存在し,その姿が干潟に似ていることからその名がつけられたということです。「干潟」という言葉をはじめて使ったのはアグネス・クラーク(Agnes Mary Clerke)であろうといわれています。1890年の「The System of Stars」という本で彼女は暗黒星雲の黒い筋を干潟と表現しました。 しかし,そもそも干潟というのは干潮時に露出する砂泥質の平坦な地形ということだそうで,なんだか私にはよくわかりません。
 星雲と同じ位置に散開星団NGC6530も重なって見えます。 この星雲もまた,先日書いた走るにわとり星雲と同様,所々にボック・グロビュール(Bok globules)と呼ばれる小さく丸い暗黒星雲の塊が見えます。これは分子雲の密度の高い部分が自己重力で収縮し,やがて原始星となって輝き始める直前の段階にあるものと考えられています。また,星雲の西側の中心にいて座9番という非常に高温の星が存在していて,この星からの紫外線がM8のガスの電離に大きく寄与していると考えられています。

 左側の散光星雲が三裂星雲(The Trifid Nebula)とよばれるM20(NGC 6514)です。星雲が3つの部分に裂けて見えるところから三裂星雲と呼ばれています。三裂星雲と名づけたのはジョン・ハーシェル(Sir John Frederick William Herschel)です。ジョン・ハーシェルの父であるウィリアム・ハーシェルはこの星雲を「四つ」に分けてカタログしていました。この星雲を4つの部分に分かれているように見えて,これを「クローバー」にたとえる人もいます。干潟星雲とは違い,私はこの名前は納得いきます。。ただし,実際には星雲が3つに分割されているわけではなく,M20の輝いて見える散光星雲の手前に位置する暗黒星雲が後ろの散光星雲を3つに分割しているように見えているのです。
 M20は北側と南側で赤と青のふたつの部分からなります。北側は青い反射星雲,南側は赤い輝線星雲で,このうちで三裂に見えるのは南の赤い輝線星雲のほうです。付近にはM20から生まれたとされるO型の青く若い星が120個ほど存在していて,星団も兼ね備えた構造となっています。
 また,このM20の北東にはM21という散開星団があります。青い星を多く含む若い星団で,8等星が1個,9等星が4個と明るい星が少ない星団です。M20を土台としてM21を北端とする「十字形の群れ」は「ウェッブの十字架」(Webb's Cross)と呼ばれています。

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 今日の1番目の写真に写っている天体は,走るにわとり星雲IC2944(左)と,そのあたりにある散開星団NGC3766(上),IC2714(下),散光星雲NGC3572(右)です。2番目の写真は以前イータカリーナ星雲のことを書いたときと同じ写真ですが,今回も位置関係を示すために載せたものです。走るにわとり星雲は,南十字星とイータカリーナ星雲の間,写真の中央少し右下にあります。
 このように,この場所にはいろんな美しい天体がたくさんあります。しかし,南半球にあるためにこれまでなじみが薄く,メシエ天体でもありません。南半球にはこうした見ものがたくさんあるのですが,適当なガイドブックもないので,走るにわとり星雲のようなおもしろい名前がついていてもこれまで知りませんでした。
 この走るにわとり星雲は正式名称はIC2944(Caldwell 100)で,ケンタウルス座のケンタウルス座λ(ラムダ)星の近くにある輝線星雲を伴った散開星団でもあります。ケンタウルス座λ星星雲ともよばれています。走るにわとり星雲というのはその形からそうよばれているらしいのですが,どこがにわとりなのかは見る人によって違っているようです。

 この星雲には,星形成が盛んな「ボック・グロビュール」(Bok globule)を含んでいるということです。
 「ボック・グロビュール」というのは,星形成が起きるようなガスや塵が高濃度に密集した領域のことをいいます。HII領域の中に見られ,直径1光年程度の中に太陽質量の2倍から50倍の質量があって,分子状の水素,一酸化炭素,ヘリウムや1パーセント程度のケイ素の塵が含まれます。「ボック・グロビュール」からはふたつ以上の恒星系が作られます。
 「ボック・グロビュール」は,1940年代にバルト・ボック(Bartholomeus Jan "Bart" Bok)によって初めて観測されました。1947年に出版された論文で,バルト・ボックとエディス・ライリー(Edith Reilly) は,これらの雲は重力崩壊を経て恒星や星団ができるまでの昆虫の繭のようなものだという仮説を立てました。濃い雲が可視光を遮ってしまうため内部の観測が難しく証明が困難でしたが,1990年に発表された近赤外線を使った観測で,ボック・グロビュールの中で恒星が生まれていることが確かめられました。さらにその後の観測で,いくつかのボック・グロビュールの中には熱源があることも明らかになりました。また,ハービッグ・ハロー天体や分子ガスを噴出しているものも見つかりました。
 ハービッグ・ハロー天体(Herbig-Haro object)とは,新しく生まれた恒星に付随する星雲状の小領域で,若い星から放出されたガスが毎秒数100キロメートルの速度で周辺のガスや塵の雲と衝突して作られるものです。しかし,この走るにわとり星雲にあるどのボック・グロビュールでも,今はまだ星形成が行われている証拠は得られていないということです。

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 以前,このブログに,おおかみ座とじょうぎ座について書きましたが,その後,このあたりの星空を再び写すことができましたので,その続編を書きます。
 まず,前回のこの星座の紹介を改めて書いておきます。
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 おおかみ座は「トレミーの48星座」のひとつ,古い星座です。 
 おおかみ座のおおかみは,古代メソポタミアでは,狂犬 (the Mad Dog) またはカバ男(Gruesome Hound)と呼ばれる人頭獣身の姿が描かれていて,バイソンマン(Bison-man)=現在のケンタウルス座(Centaurus)と対を成すとされました。一方,古代ギリシアでは,おおかみ座はケンタウルス座の一部とされていて,この動物を指す名がなく,単に野獣などと呼ばれていましたが,ビチュニア(Bithynia)のヒッパルコス(Hipparchus)が紀元前200年ごろにこの星座を分離させてテリオン(Therion) と命名しました。
 じょうぎ座は,1756年にフランスの天文学者ニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille)が作成した天球儀に初めて描かれました。最初,ラカイユは「l'Équerre et la Règle」 と名づけました。これは製図用具の直定規と曲尺を意味します。かつては「ユークリッドの定規座」(Quadrans Euclidis)とも呼ばれたこともあります。じょうぎ座で注目に値するのは散開星団NGC6067,NGC5999,そして,星座の場所としてはさんかく座に属するNGC6025です。 
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 というわけですが,今日の2番目に取り上げた図は日本から見ることができる夏の南の空です。この星図によると,おおかみ座とじょうぎ座はさそり座の右側にあるのですが,地平線に近く,ほとんどわかりません。そしてまた,大きなさそり座の影にかくれてしまいます。
 それが,南半球ではその次の3番目の図のように,天頂にあるのです。こうなると,いやがうえにもこの星座の存在を意識することになるわけです。
 さらに,少し前に「イータカリーナ」についてこのブログに書いたのですが,ポインターとよばれる南十字星の目印となるケンタウルス座の明るいふたつの0等星の星を南十字星の方向と反対に目をやると,このじょうぎ座とおおかみ座に行き当たるのです。
 おおかみ座は空の明るい日本では地味で星の並びもわかりませんが,空の暗いオーストラリアでは,その並びからおおかみの姿が浮かび上がります。じょうぎ座のほうは天の川銀河が濃くて,溶け込んでしまっているので,むしろ星の並びを見つけるのは難しいものです。しかしこの辺りは,じょうぎ座の散開星団とともに,さそり座やいて座の散光星雲など,まるで宝石箱のようにおおくの美しい天体が輝いているので,とてもきれいです。

 私はほんの3年前までは南半球の星空を見るのが夢でした。そのころは,一度でいいから南十字星が見たい,そして,マゼラン銀河が見てみたいという一念でしたが,このごろ,このあたりの星空を見慣れると,さそり座からおおかみ座,じょうぎ座,みなみじゅうじ座,りゅうこつ座といった星座が天頂に並ぶ南半球の星座に魅せられて,こうした絶景を決して見ることができない日本の夜空には主役が欠けているようで,いつも物足りなくなってしまいました。そして,帰国するとまたすぐに南半球にでかけたくなるのです。
 夏になると,日本でも写真雑誌に星空の写真,特に天の川銀河を入れた風景写真の特集が組まれたりしています。しかし,こうしたわけで,私には主役の不在な日本の星空の写真なんていくら見ても物足りないと思ってしまうようになったことは,ある意味,さびしいことでもあります。

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南天の星座⑥-天の川に溶け込むおおかみ座,じょうぎ座
やっと晴れた!オーストラリア2019②-イータカリーナ

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 南半球の星空で何度見ても美しいのは,南十字星からりゅうこつ座η星「イータカリーナ」(EtaCarinae = ηCar)あたりにかけての銀河です。オーストラリアの郊外は日本と違って空が暗く水蒸気が少ないので,肉眼でもはっきりその鮮やかな姿を味わうことができます。特にこの時期は銀河が天頂付近にあるので,その姿がさらに輝きます。
 南十字星から目を右手に移動していくとりゅうこつ座η星のまわりにイータカリーナ星雲(EtaCarinae Nebula)が浮かび上がっているのが肉眼でもわかりますが,今回は180ミリ望遠レンズでこのイータカリーナ星雲の大きな姿を写真に収めることができました。
 南半球に出かけるときに苦労するのは機材です。私は身軽に旅をしたいので,大きなものを別便で送ったりするようなことはしませんが,それでも大きくアップした姿を捉えたいものです。そんなわけで簡易赤道儀に搭載できるぎりぎりの大きさならと180ミリの望遠レンズを選んで持っていったのですが,思った以上の写真を写すことができました。
 そこで今日は,りゅうこつ座η星とイータカリーナ星雲について写真とともに紹介します。

 イータカリーナ星雲はりゅうこつ座にある散光星雲です。イータカリーナ星雲の中心部に銀河系でもっとも明るいといわれる恒星であるりゅうこつ座η星が輝いています。この星は150年前に大爆発を起こし大量のガスやチリを放出しはじめましたが,超新星爆発のような星そのものの崩壊はまぬがれたために,今も恒星としての輝きを保ち続けていて,その周りに拡散する星雲(イータカリーナ星雲)を写しだしているのです。
 りゅうこつ座η星は大質量星同士の連星で,ともに高光度青色変光星(luminous blue variable = LBV)です。高光度青色変光星というのは青く非常に明るく輝いている恒星のことで,これだけのエネルギーを放射するためには核融合反応が活発である必要があり,大きな質量を持っています。りゅうこつ座η星では,太陽質量の約90倍の主星と太陽質量の約30倍の伴星が,離心率の高い楕円軌道を約5.5年の周期で公転しています。共に激しい恒星風を噴き出して恒星風同士が衝突し,その衝撃波面でX線が発生します。
 りゅうこつ座η星は,これまでに数度異常な増光が記録されています。1677年「ハレー彗星」で有名なエドモンド・ハレー(Edmond Halley)はこの星を4等星と記録していますが,1730年頃に増光が観察され1782年には元に戻りました。さらに,19世紀前半には0等星前後という異常な光度の増加を少なくとも4回起こし,マイナス0.8等星にまで達しました。その後は減光し,1900年から1940年ごろには8等星ほどと暗くなってしまいました。再びやや明るくなって,2000年代初頭の現在は6等星ほどの明るさを保っています。りゅうこつ座η星は過剰な質量を失う段階と解釈されていて,擬似的超新星(Supernova impostor)ともよばれています。

 りゅうこつ座η星のように質量が太陽質量の数十倍以上の恒星は明るさが太陽の10万倍以上になりますが,このような規模の恒星は全天でも極めて稀です。こうした大質量の星は恒星を膨張させる輻射圧がそれを抑える重力と同じくらい強く,いわゆる「エディントン限界」を超えるために,輻射や吹き飛ぶガスを重力で保持できなくなって,最後には超新星爆発を起こしたのちブラックホールとして終焉を迎えます。
 りゅうこつ座η星のまわりのイータカリーナ星雲は、いくつかの散開星団に囲まれた大きく明るい星雲で,地球からは6,500光年から1万光年離れていると推定されています。散光星雲としては最も大きいもののひとつで,オリオン座の大星雲M42よりも4倍も大きく明るいものです。イータカリーナ星雲は1751年から1752年に喜望峰でニコラ・ルイ・ド・ラカーユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille)によって発見されました。

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 2019年になって以来,月明かりのない夜に(星が見られるほど)晴れたことがほとんどないということと,11等星よりも明るい彗星が見られないということで,国内では星見の機会もないのですが,2月にはハワイ島で,3月にはオーストラリアのエアーズロックとクーナバラブランで満天の星空を見ることができました。しかし,星を写すことが目的でなかったので,6月に今度は南天の星空を写す目的で,赤道儀と交換レンズを数本持って再びオーストラリアのバランディーンに出かけました。
 しかし,私が到着する前日まではずっと晴れていたのに,到着以来不運にも天気が悪化して,はじめの2日は晴れるどころか,めったに降らないという雨まで降りだす始末でした。それでも滞在最終日の3日目,2時間だけ快晴になったので,どうにか数枚の写真を写すことができました。
 天文学の進展は早く,子供の頃に知った知識が役に立ちません。しかし,子供の頃に覚えたことはいつまでも忘れないもので,それを新しい知識に「バージョンアップ」する作業をしないと,知識が混乱してします。そこで今日は,オーストラリアで写した写真のなかから準惑星「セレス」(Ceres)の写真を取り上げて,この機会に,小惑星についての私の知識を「バージョンアップ」することにしました。

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 太陽系の天体(太陽の周りを公転する天体)は惑星(planet),小惑星(minor planet),彗星(comet),惑星間塵(interplanetary dust cloud)に分けられます。また,小惑星(minor planet)は準惑星(dwaft planet)と「それ以外のもの」からなります。「それ以外のもの」というのは古典的な小惑星(classical asteroid)です。
 日本語では,minor planet と classical asteroid をともに「小惑星」というので混乱が生じています。
 また,準惑星(dwaft planet),古典的な小惑星(classical asteroid),彗星(comet),惑星間塵(interplanetary dust cloud)を合わせて太陽系小天体(small Solar System body = SSSB)といいます。
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 以前より行われていた彗星や小惑星の捜索で発見されたものは,現在でも従来のままの符号がつけれられ分類がされ続けていますが,この場合の「小惑星の発見」というのは古典的な小惑星(classical asteroid)ではなく,小惑星(minor planet)のほうです。よって,冥王星にも小惑星番号134340があります。
 私は以前,小惑星と彗星をどう区別するのかなとずいぶんと考えたことがありました。実際は,小惑星(minor planet)と彗星(comet)は,星像に拡散成分があるかどうかで区別するそうです。拡散成分があるものが彗星(comet)です。しかし,拡散成分が見られるかどうかというその区別があいまいな天体もあるので,彗星が小惑星として登録される例もあります。
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 古典的な小惑星(classical asteroid)には,火星と木星の間に軌道をもつものと,海王星軌道の外側に軌道をもつものがあります。このうち前者の領域をメインベルト(main belt)といい,後者の領域をエッジワース・カイパーベルト(Edgewaorth-Kuiper belt)といいます。このうちで,メインベルトに軌道をもつ小惑星(classical asteroid)が従来のウィリアム・ハーシェル(Sir Frederick William Herschel)が名づけたところの小惑星(asteroid)です。
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●小惑星(asteroid)の発見
 1781年に天王星が発見されて,惑星が,ある数列からなる距離の場所にあるというティティウス・ボーデの法則(Titius-Bode law)に当てはまったことから,火星と木星の間にもその数列を満たす位置に未知の惑星があるのでないかということで,それを探索する試みが行われました。そして相次いで発見されたのが1801年に発見されたセレス(ケレスともいう)(Ceres ),1802年に発見されたパラス(Pallas),1804年に発見されたジュノー(Juno),1807年に発見されたベスタ(Vesta)でした。しかし,いずれの天体も惑星とよぶには小さかったことから惑星とは区別されて,1853年に小惑星(asteroid) という語が考え出されたのです。
 ベスタの発見以降は1845年にアストラエア(Astraea)が見つかるまで小惑星の発見は途絶えることになりました。この4つの小惑星がとりわけ明るかったのです。そこで,この4つの天体はかつて4大小惑星とよばれました。はじめに発見されたこの四つの小惑星は大きい順にセレス,パラス,ぺスタ,ジュノーですが,その後現在までにぺスタよりは小さくジュノーよりは大きい小惑星として,ヒギエア(Hygiea),インテラムニア(Interamnia),エウロパ(Europa),ダビダ(Davida),シルヴィア(Sylvia),キュベレー(Cybele),エウノミア(Eunomia)が発見されています。いずれも表面の反射率が低く暗いものです。
 4大小惑星のなかでもっとも明るくなるのがぺスタで,最も明るいときは小惑星の中で唯一肉眼で見ることができます。セレス,パラス,ジュノーは明るくなっても6等星の後半から7等星ほどなので肉眼で見ることはできません。
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 セレスはイタリアのパレルモ天文台(Palermo Astronomical Observatory)の台長だったジュゼッペ・ピアッツィ(Giuseppe Piazzi)によって発見されました。現在最も地球に接近していて明るく,さそり座とへびつかい座の境界付近で7等星で簡単に写すことができます(=今日の写真)。メインべルトにある小惑星(asteroid)で最も大きいセレスは,直径が945キロメートルあります。
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●準惑星(dwarf planet)に格上げされたセレス
 セレスは,ほかの小惑星とは違って氷と岩石で構成され,内部は岩石が多い核と氷のマントルに分化されているとされていて,氷の層の下には液体の水から成る海が残っているかもしれないといわれます。また,表面は水の氷と炭酸塩や粘土とのような水和鉱物の混合物だろうとされています。つまり,ほかの小惑星と違ってセレスは惑星になる道を歩んでいたのです。しかし,45憶年前,成長の過程で大事件が起きました。それは木星が太陽の方向に向かって大移動をしたときにその重力によって,セレスが惑星になるための99パーセントの物質(ガスや岩石)が失われれてしまったのです。
 火星はかろうじて惑星として留まり,セレスはついに惑星に成長できませんでした。
 やがて,太陽に向かって大移動をしていた木星は同じように太陽に向かって大移動をしていた土星と共鳴運動を起こして太陽から遠ざかりはじめ,現在の位置につきました。
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 1990年代以降,海王星軌道より外側にも次々と天体が発見されました。そこで,この領域にすでに発見されていた冥王星も含めて,それらの天体を太陽系外縁天体(trans-Neptunian object = TNO)ということになりました。
 海王星軌道の外側,つまり,太陽系外縁天体(TNO)には,エッジワース・カイパーベルトという領域にある天体(Edgewaorth-Kuiper Belt object = EKBO)とその外側の散乱円盤天体(scattered disk object = SDO)(従来はEKBOとSDOを合わせてEKBOとされていた)があり,さらにその外側にオールトの雲(Oort cloud)があるといわれています。日本ではエッジワース・カイパーベルトという領域にある天体(EKBO)のみを太陽系外縁天体とよんでいたころもあり,ここでもまた用語の混乱を生じています。また,エッジワース・カイパーベルト領域で発見される天体も散乱円盤天体も彗星以外のものは小惑星(minor planet)とよばれます。
 従来,冥王星は惑星と分類されていました。しかし,エッジワース・カイパーベルトという領域で発見された天体(Edgewaorth-Kuiper Belt object = EKBO)の中に冥王星より大きなものが見つかったことから惑星の再定義がされて,準惑星(dwaft planet)という新たな分類ができました。準惑星はエッジワース・カイパーベルトにあるものだけでなくメインベルトにある同様の天体にも適用されます。そこで,従来の小惑星とよばれていたものから準惑星を外したものが古典的な小惑星(classical planet)となったわけです。こうして,セレスがメインベルトにある小惑星(asteroid)の中で自身の重力で形状が丸くなっている唯一の天体として,小惑星から準惑星(dwaft planet)に新たに分類されました。
 つまり,現在,セレスは小惑星(minor planet)であり準惑星(dwaft planet)ですが,古典的な小惑星(classical planet)ではありません。蛇足ながら,冥王星もまた準惑星(dwarf planet)とされたので小惑星(minor planet)の仲間入りをして,惑星(planet)から外されました。
 地球から見たセレスは6.7等級から9.3等級の範囲で,15か月から16か月ごとに光度が変わります。今,セレスは最も明るい時期を迎えていることになります。
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 今年2018年の1月,
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 今年の秋のテカポ湖畔のホテルの予約状況を調べていて,手ごろな値段で宿泊できるホテルを見つけたのですぐに予約をしてしまいました。ということで,今年の秋,私は再びニュージーランドに行くのです。
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と書きました。そして,実際に行ってきました。

 2016年の秋にはじめて行ったニュージーランド,このときは勝手がわからず,テカポ湖では高価なホテルに宿泊することになったりとかいろいろと苦戦しましたが,ともかく,テカポ湖で満天の星空を見ることができました。しかし,そのときは,帰国後,ニュージーランドにさほどの想い入れはなく,まさかまた行くことになろうとは思っていませんでした。
 しかし,それからしばらくして,再び行きたくなったのが我ながら不思議なことでした。
 我が家の居間に,2016年に行ったときにテカポ湖で写した星空の写真と2018年に行ったフィンランドで写したオーロラの写真が並んで飾ってあります。テカポ湖の写真は,そのときは無我夢中で写したのですが,今考えると,適当な機材を持ってはじめて行った南半球でよく撮れたものだという気がします。それでも,テカポ湖で写した写真には「善き羊飼いの教会」の上空に少しだけ雲がかかっていて,南十字星がはっきりと写っていませんでした。だんだんとそれが気になってきて,今度こそ雲のない星空の写真を写したいなあ,という気持ちが高まってきたというわけです。

 実際に出かけてみて,そんな考えが甘かったことに改めて気づきました。
 2016年に行ったとき,ニュージーランドはお昼間の天気があまりよくなくて,曇りばかりでした。晴天率が高いなどというのは偽りだと思いました。ところが,夜になると連日雲が切れて滞在中は連日星空が見えました。しかし,2018年はお昼間は晴れていましたが,夕方になると雲が出てくるのです。これでは,せっかく来たのに雲ひとつない星空の写真など到底写せません。もう一度ニュージーランドへ行けば,今度こそ雲のない星空の写真が写せる,というのは夢物語だったと思いました。 
 しかし,滞在1日目の晩に奇跡が起きました。お昼間の快晴から夕方すっかり曇ってしまったあと次第に雲が切れてきて,再び快晴に。こうして満足した写真を写すことができたのです。結局,快晴だった夜は3泊したうちのこのはじめの1晩だけだったのですが,雲ひとつない星空の写真を写すという念願がかないました。
 それ以上に私が驚いたことは,2016年の秋にはあれほど辺り一面咲き誇っていたルピナスの花だったのに,2018年は1か月ほど時期が早かったので全く咲いていなかったということです。私が2016年に行ったときのニュージーランドは,偶然にも願ってもないベストシーズンだったということなのです。このように,旅というのは,はじめて行ったときの印象が強いもので,また同じ喜びを得ようと2度目に出かけても,はじめて行ったときの感動を再び手に入れることは難しいと,行ってみて気づくのです。
 しかし,たとえルピナスの花が咲いていなくとも,それでもやはり,ニュージーランドで見た南半球の星空というのは,晴さえすれば魅力的でした。
 私の愛するニュージーランドですが,日本からは遠く,そして,最高の季節と満天の星空に出会うのは容易なことではありません。

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2018年がやってきた②-今年もテカポ湖へ行く。

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Cela_Sculptoris 日本では,おおいぬ座は,真冬,オリオン座の南,地平線近くに見える星座です。有名な,おおいぬ座の1等星「シリウス」(Sirius)は全天一明るい恒星で,その青白い輝きが,冬の寒さをさらに寒くさせていると感じるのは私だけでしょうか。
 「シリウス」の明るさはマイナス1.46等,地球との距離は約8.6光年です。肉眼ではひとつの恒星に見えますが,実際はシリウスAと呼ばれるA型主系列星とシリウスBと呼ばれる白色矮星から成る連星です。かつては明るいふたつの恒星から成る連星でしたが,シリウスAより質量が大きいシリウスBが先に寿命を迎えて1億2,000万年前に赤色巨星になり,その後,現在の白色矮星になったとされています。
 このおおいぬ座もまた,南半球で見ると天頂高くにあって,日本で見るのとは反対の姿を留めていて,はじめて見たときは不思議な気持ちになります。

 おおいぬ座がこの場所に描かれるようになったのは紀元前300年ごろのことですが,当時は「犬座」と呼ばれていました。この犬は,アテネ王イカリオス(Īkarios)が飼っていたメーラ(Mai:ra)だといわれています。
 メーラはイカリオスに大変可愛がられ,メーラもイカリオスによく従った忠犬でした。やがて,イカリオスは病で亡くなってしまいますが,メーラはその墓から動こうとせず食事もとらないまま,イカリオスの後を追うように死んだと伝えられています。その忠孝を称えられ,メーラはおおいぬ座になったのです。

 また,おおいぬ座は猟師ケファリス(kephalos)の飼っていた猟犬レラプス(Laelaps)だとも伝えられています。
 レラプスは優れた猟犬で,駆けるのも大変速く,どんな獲物も決して逃さなかったといわれています。なかでももっとも速いキツネ(こきつね座Vulpecula)を捕まえたことから,星座にしてもらったとされていますが,この星座がおおいぬ座です。
 レラプスは月と狩猟の女神アルテミス (Artemis)の侍女プロクリス(Procris)が飼っていたともいわれています。
 更に,おおいぬ座のモデルになっているのは,ギリシア神話の英雄ヘラクレス(Hēraklēs)(ヘラクレス座Hercules)がとらえた地獄の番犬ケルベロス(Kerberos)だともいわれているように,おおいぬ座には様々な神話や伝説が伝わっています
 いずれにしても,犬座がおおいぬ座と呼ばれるようになったのは,のちの中世のアラビアに伝わってからのことだとされています。

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Centaurus_hevelius

 これまで何度もみなみじゅうじ座については書いていますが,南天の星座を話題にすれば,やはり,みなみじゅうじ座を取り上げないわけにはいきません。
 私は,南十字星とマゼラン雲が見たくて,南半球の星々に憧れていたのですが,当初は,イータカリーナ星雲や石炭袋などをはじめとする南半球の数多くの星雲・星団のほとんどを知りませんでした。一旦それらの魅力を知ってしまうと,どんどんと深みにはまっていきます。しかし,やはり,南半球の星空に君臨する大スターは南十字星です。
 今になっては,もう,何度も見たこの南十字星ですが,この輝きは何度見てもいいものです。

 みなみじゅうじ座(Crux)は全天88星座の中で最も小さい星座です。
 南十字星はこの星座にある4つ,あるいは5つの星たちです。南十字というのは,英語の通称「サザンクロス」(Southern Cross)の和訳です。「Southern Cross」は,かつて日本では東大系の学者さんたちは「十字」,京大系の学者さんたちは「十字架」と訳していたのだそうですが,1944年に正式に「南十字」と制定されたということは以前書いたことがあります。
 南十字星は,もともとはケンタウルス座のε(エプシロン),ζ(ゼータ),ν(ニュー),ξ(クシー)星だったのが独立して南十字座のα(アルファ),β(ベータ),γ(ガンマ),δ(デルタ)星となったので,ケンタウルス座にはこれらの符号の星は存在しません。
 南十字星のある区域を単独の星座としたのは,1598年にオランダのペトルス・プランシウス(Petrus Plancius)で,18世紀のフランスの天文学者ニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Nicolaus Louis Lacaille)によって,正式に星座となりました。

 今日の写真にあるように,みなみじゅうじ座のあたりには数多くの球状星団や散開星団があります。南半球では北半球よりも天の川銀河がその面積を多く占めているので,系外銀河よりも星団に多くの魅力的な見ものがあります。そのなかでも,「宝石箱」(The Jewel Box) という素敵な名前のついた散開星団NGC4755は,その美しさで知られています。 みなみじゅうじ座β星の西南方向に位置していて,およそ100個ほどの星が集まる若い星団です。星団の大きさは約20光年で,地球からの距離は6,400光年程度と推測されています。
 南アフリカでニコラ・ルイ・ド・ラカイユにより発見され,はじめは,みなみじゅうじ座κ星として登録されたので,みなみじゅうじ座κ星星団(κ Crucis Cluster )とも呼ばれます。「宝石箱」という名前はジョン・ハーシェル(Sir John Frederick William Herschel)によって名付けられたものです。

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さいだん

 さいだん座(Ara)はさそり座の南(下)にあって,日本からは地平線ぎりぎりにしか昇らず,おおかみ座以上に見えないにもかかわらず,「トレミーの48星座」のひとつであるということは意外な感じがします。このように,さいだん座は古い星座なのです。
 「カタステリスモイ」(Catasterismi=「星々の配置」の意)は,星々や星座の神話的な起源をヘレニズム期(紀元前300年ごろからの300年間)の解釈で語った,アレクサンドリアの散文です。個々の星やプレアデス星団,ヒアデス星団のような星座の形を,ギリシア神話の何にあてはめるかといったことが語られています。作者はエラトステネス( Eratosthenes)と言われてきました。しかしそう断定するには問題があるというので,今日では作者は「偽エラトステネス(pseudo-Eratosthenes)」と呼ばれています。
 この「カタステリスモイ」や,古代ローマの詩人マルクス・マニリウス(Marcus Manilius)の残した書物によると,さいだん座の「祭壇」とは,ゼウスとその兄弟たちがクロノスとティーターン族の旧体制を打ち破ることを誓ったときに使ったものであるとされています。
 ローマ帝国時代に,エジプト・アレクサンドリアの天文学者クラウディオス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus)によって書かれた天文学の専門書「アルマゲスト」(Almagest)以来,この祭壇は,南側に炎,北側に本体という姿で描かれています。また,ケンタウルスがおおかみを捧げるための祭壇として描かれています。さいだん座は18世紀まではラテン語で「香炉」を意味する「トゥリブルム」(Thuribulum) の名称でよばれていました。

 さいだん座のμ星には,4つの太陽系外惑星が発見されています。この星は2015年にミゲル・デ・セルバンテスにちなんだ Cervantes という固有名がつけられました。
 さいだん座で目につくのは,球状星団NGC6397です。太陽からの距離が8,200光年で,この種の天体ではM4と並んで最も近いと考えられています。この星団には約40万個の恒星が含まれています。また,NGC6397は,銀河系に少なくとも20個存在する「核崩壊の過程にある球状星団」のひとつです。これは,核が非常に密度の高い恒星の塊に凝集していることを意味しています。
 2004年,この星団を用いて,銀河系の年齢が推定されました。超大型望遠鏡VLTの紫外-可視光の回折格子を用いて,星団の中のふたつの恒星のベリリウムの含量を測定,これによって銀河系全体で最初の恒星が生まれたときと星団で最初の恒星が生まれたときの間の経過時間を推定し,これに星団の推定年齢を加えることで「銀河系の年齢は宇宙の年齢とほぼ同じ約136億歳である」という推計が得られました。
 また,2006年には,星団中の暗い恒星の光度の下限を示した研究論文が公表されました。この結果により,核融合反応を行う恒星に必要な質量の下限は約0.083太陽質量であることが示されました。

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 5月,南半球ではさそり座が天頂にあって鮮やかです。日本ではさそり座よりも南(下)にある星座を見るのは非常に困難ですが,実はそのあたりの星空が絶品なのです。そんな位置にあるのがおおかみ座(Lupus)とじょうぎ座です。

 おおかみ座を日本で注目して見たこともありませんでした。南半球では空高く,さそり座の手前にあるのでしっかり見てみると,星の並びがまさにおおかみのように見えてきて,コンパスとかはちぶんぎとかじょうぎとか(みなみの)さんかくとかいった無機質で不愛想なものが多い南半球の星座のなかで意表をついています。
 おおかみ座は「トレミーの48星座」のひとつです。「トレミーの48星座」とは「プトレマイオス星座」のことです。「プトレマイオス星座」(Ptolemaic constellations)は,2世紀の天文学者クラウディオス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus)が作成した星表に見られる星座のことですが,1970年代まで「プトレマイオス星座」は「トレミー星座」と表現されていました。トレミーというのはプトレマイオスの英語形「Ptolemy」に由来しています。作成した星表に書かれた星座の数から「プトレマイオスの48星座」つまり「トレミーの48星座」といわれます。
 このように,おおかみ座は古い星座です。 
 おおかみ座のおおかみは,古代メソポタミアでは,狂犬 (the Mad Dog) またはカバ男(Gruesome Hound)と呼ばれる人頭獣身の姿が描かれていて,バイソンマン(Bison-man)=現在のケンタウルス座(Centaurus)と対を成すとされました。一方,古代ギリシアでは,おおかみ座はケンタウルス座の一部とされていて,この動物を指す名がなく,単に野獣などと呼ばれていましたが,ビチュニア(Bithynia)のヒッパルコス(Hipparchus)が紀元前200年ごろにこの星座を分離させてテリオン(Therion) と命名しました。
 アルカディア(Arcadia)の王リュカオン(Lykāōn)にこの星座に関する神話があって,それによると,神との宴に人肉を供したリュカオンが大神ゼウスにより狼に変えられた姿だといいます。

 それとは対照的に,じょうぎ座は,これまでに紹介した南半球でみられる多くの星座同様,1756年にフランスの天文学者ニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille)が作成した天球儀に初めて描かれました。最初,ラカイユは「l'Équerre et la Règle」 と名づけました。これは製図用具の直定規と曲尺を意味します。かつては「ユークリッドの定規座」(Quadrans Euclidis)とも呼ばれたこともあります。
 1930年にウジェーヌ・デルポルト(Eugène Joseph Delporte)が星座の境界線を定めた際にじょうぎ座のα星はさそり座N星,β星はさそり座H星とされたので,じょうぎ座にはα星,β星がありません。
 じょうぎ座で注目に値するのは多くの散開星団です。写真に撮ると恒星よりも明るく派手な星団が目につくので,星並びを探すのが大変なくらいです。なかでもひときわめだつのが,今日の1番目の写真にあるように,散開星団NGC6067,NGC5999,そして,星座の場所としてはさんかく座に属するNGC6025です。
 北半球で見ることのできる明るい星雲や星団にはメシエ天体として有名ですが,メシエは南半球でしか見られない天体に番号をふらなかったので,こうした明るい星雲や星団であってもそれほど認知されていないのが残念です。そしてまた,こうした天体を紹介する手ごろな本が日本では出版されていないので,見落としてしまいがちです。

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IMG_81462IMG_8251s (3) (1280x853)IMG_8988t2 (4) 大マゼラン雲の北にあるとびうお座は星の並びがよくわかる美しい星座ですが,南半球に出かけたとき,まず見たいのは「南十字星」(=1番目の写真)であり「マゼラン雲」(=2番目の」写真)であり「イータカリーナ星雲」(=3番目の写真)なので,その陰に隠れて,この星座の存在を認識するのは時間がかかります。
 とびうお座(Volans)もまた,前回紹介したカメレオン座やみなみのさんかく座と同様,ピーテル・ディルクスゾーン・ケイセル(Pieter Dirkszoon Keyser)とフレデリック・デ・ハウトマン(Frederick de Houtman)が残した観測記録を元に,ペトルス・プランシウス(Petrus Plancius)が1597年に作成した地球儀に残したものが最初です。その後,ヨハン・バイエル(Johann Bayer)が1603年に発刊した「ウラノメトリア」(Vrano=Metria)でそれを引用した当時は「Piscis Volans」 とされていましたが,短縮したほうがよいというジョン・ハーシェル(John Frederick William Herschel)(天王星を発見したフレデリック・ウィリアム・ハーシェル(Sir Frederick William Herschel)の息子)の提案で,1845年フランシス・ベイリーが刊行した「British Association Catalogue」(BAC星表)から「Volans」が採用されました。
 とびうお座で一番明るいのはγ星ですが,γ星はγ1星とγ2星からなる2重星です。

 りゅうこつ座(Carina)は,とも座を紹介したときに書いたように,アルゴ座と呼ばれる巨大な船をかたどった星座が,1756年フランスのニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille)によって,とも座 ,りゅうこつ座,ほ座,らしんばん座の4つに分割さたもののうちのひとつです。ラカイユの死後,1763年に出版された星表「Coelum australe stelliferum」で「アルゴの竜骨(Argûs in carina)とされました。私は1等星カノーブスのある星座としてこのりゅうこつ座を知りましたが,ずっと気味の悪い名前だなあと思っていました。調べてみると竜骨(keel)というのは船底を船首から船尾にかけて通すように配置された構造材のことを指すことばです。

 このアルゴ座にちなむ壮大な冒険物語についても,すでに紹介しました。
 ラカイユがアルゴ座の明るい星にギリシャ文字を割り振ったものが引き継がれたために,りゅうこつ座にはγ星やδ星などはありません。りゅうこつ座のα星は全天に21ある1等星の中でおおいぬ座のシリウスに次いで明るい「カノープス」です。「カノーブス」(Canopus)は日本では地平線すれすれにしか昇らないのでわからないのですが,南半球ではものすごく明るく天頂付近に輝いているので,びっくりします。
 また,ほ座のδ星とκ星,りゅうこつ座のι星とε星を結ぶと十字架の形になって,これらの星を南十字と間違えるために,この4星を「ニセ十字」とよびます。ハワイなど北半球ではこちらの方が先に地平線から昇るので,はじめて見たとき,確かに間違えやすいなあと実感したことがあります。また,南半球でもこちらの十字のほうが先に目めにつきます。
 りゅうこつ座には「南のプレアデス」とよばれる散開星団IC 2602や「イータカリーナ星雲」と呼ばれる散光星雲NGC 3372散光星雲など星雲星団のスターが目白押しです。

☆ミミミ
南天の星座①-今に残る全天88星座の設定
南天の星座②-とも座にちなむ壮大な冒険物語
南天の星座③-みなみのさんかく座,コンパス座,はえ座
南天の星座④-テーブルさん座,はちぶんぎ座,カメレオン座

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 南半球と北半球では季節が反対なので,日本の春はオーストラリアでは秋ですが,この時期の天の南極方向を見ると,天の川が東から西に天頂を渡っていてとても美しく,また,天の川に溶け込むように南十字星が輝いています。その反面,大マゼラン雲,小マゼラン雲は地平線に近く,空が暗いところでも見にくくなります。
 この季節の星空を,星図を片手に星座を探していくと,みなみじゅうじ座の下にあるはえ座とその右にあるカメレオン座は明るく目立つ星はないのですが,それでも3等星くらいの星が多くかたまって形作っているので,はえ座やカメレエオン座はよくわかります。その右に目をやると,とびうお座のダイヤモンドもわかります。しかし,カメレオン座ととびうお座の下にあって大マゼラン雲の左側にあるテーブルさん座だけは、どのように目を細めても星の並びがわかりません。

 テーブルさん座 (Mensa)は天の南極のあるはちぶんぎ座と天の南極をはさんで右となりにある星座です。全天で星座は88あるのですが,そのなかでも,このテーブルさん星座は最も明るい星が5等星なので,「最も明るい星がもっとも暗い」という星座です。
 テーブルさん座は,1756年にニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille)によって,南アフリカのケープタウンにあるテーブル山(1番目の写真)をモチーフに設定されました。ラカイユは,1751年から1752年にかけてケープタウンで重要な観測を行ったので,この地の山を星座にしたのでしょう。
 テーブルさん座の星の並びはわかりませんが,その右に大マゼラン雲(LMC)があるのはよくわかります。大マゼラン雲 はテーブルさん座とかじき座の境界線上にあって,大部分はかじき座にあるのですが,テーブルさん座にかかる大マゼラン雲の姿は,実在のテーブル山にかかる「テーブルクロス」と呼ばれる雲にたとえられています。

 一方,はちぶんぎ座(Octans)もまた,テーブルさん座と同じ時期にニコラ・ルイ・ド・ラカイユによって設定された星座です。ラカイユは,1756年に刊行した星図では「l’Octans de Reflexion」と記述していましたが,1763年の第2版ではシンプルに「Octans」と変更しました。はちぶんぎとは星と星の間の角度を測る観測器具の八分儀のことで,ラカイユはイギリスのジョン・ハドレーが(John Hadley)1730年に発明した八分儀を記念してこの星座をつくったといわれています。
 八分儀とは天体や物標の高度や水平方向の角度を測るための道具で,弧が360°の八分の一である45°であるところからこの名がつきました。のち,月の正確な運行表が作られるとこれを利用して経度を知るためには90°を超える月と星の角度を測らねばならなかったため,八分儀よりも大きな角度を容易に測定できる,弧が360°の六分の一である60°の,1757年に発明された六分儀が普及していきました。なお,四分儀=象限儀(quadrant)というものもあって,これは弧が360°の4分の1の扇形をしたものです。
 はちぶんぎ座のほかに,ろくぶんぎ座というものもありますが,現在,しぶんぎ座はありません。
 しぶんぎ座(Quadrans Muralis)は,1795年,フランスの天文学者のジョゼフ=ジェローム・ルフランセ・ド・ラランド(Joseph-Jérôme Lefrançais de Lalande)が設定した星座でしたが,1922年に88の星座を決定した際にはずされ,りゅう座の一部となりました。ただし,毎年1月4日ごろに極大を迎えるしぶんぎ座流星群はかつてこの星座があったりゅう座ι星近辺を輻射点とすることから今もそのその名前が残っています。

 カメレオン座(Chamaeleon)は,前回書いたみなみのさんかく座と同様に,ピーテル・ディルクスゾーン・ケイセル(Pieter Dirkszoon Keyser)とフレデリック・デ・ハウトマン(Frederick de Houtman)が残した観測記録を元にペトルス・プランシウス(Petrus Plancius)が1597年に作成した地球儀に残したものが最初です。その後,ヨハン・バイエル(Johann Bayer)が1603年に発刊した「ウラノメトリア」(Vrano=Metria)でそれを引用したことにより世に知られるようになりました。
 カメレオン座の左上には前回書いたはえ座がありますが,今日の写真では視野から外れています。カメレオン座とはえ座は,まるでカメレオンが獲物のハエを狙っているように配置されています。また,今日の写真の,カメレオン座の左斜め下,はちぶんぎ座の左にあるのが,前回書いたふうちょう座です。
 カメレオン座の右隣にあるとびうお座についてはまた次回。

☆ミミミ
南天の星座①-今に残る全天88星座の設定
南天の星座②-とも座にちなむ壮大な冒険物語
南天の星座③-みなみのさんかく座,コンパス座,はえ座

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 ケンタウルス座のα星「リゲルケンタウルス」(Rigil Kentaurus),β星「ハダル」(Hadar)と,それに続く南十字座は南半球の空でもとりわけ美しく有名ですが,この星々から天の南極にいたる間にはあまり目立つ星がありません。
 それでも目につくのが,ケンタウルス座のα星,β星の南にある3つの明るい星が三角形を作っている姿です。これがみなみのさんかく座(Triangulum Australe)です。3つの星は「アトリア」(Atria = Alpha Trianguli Australus)という名の2等星のα星,そして3等星のβ星とγ星です。みなみのさんかく座は,ピーテル・ディルクスゾーン・ケイセル(Pieter Dirkszoon Keyser)とフレデリック・デ・ハウトマン(Frederick de Houtman)が残した観測記録を元にペトルス・プランシウス(Petrus Plancius)が1597年に作成した地球儀に残したものが最初です。その後,ヨハン・バイエル(Johann Bayer)が1603年に発刊した「ウラノメトリア」(Vrano=Metria)でそれを引用したことにより世に知られるようになりました。

 ケンタウルス座のα星とβ星,そしてみなみのさんかく座の間にはコンパス座(Circinus)という目立たない星座があります。コンパス座は全天で4番目に小さな星座で,3等星より明るい恒星もないのですが,よく探すとコンパス状の三角形に星が見つかります。この星座のモチーフは、製図用具のコンパス(ディバイダ)です。
 コンパス座は1756年にニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille)によって設定されました。ラカイユは既に設定されていたみなみのさんかく座を測量機器に見立てじょうぎ座と共に製図用具が並ぶように星図を描いたのだそうです。

 その右側にははえ座(Musca)があります。はえ座もまた小さな星座で,3等星より明るい星もα星しかありませんが,台形状の星の集まりが昆虫の胴体のように見えてちゃんとはえが想像できるかわいい素敵な星座です。1991年,はえ座のμ星に新星爆発が起こり日本のX線観測衛星 「ぎんが」 によって発生したX線が捉えられたことで注目されました。このμ星は連星ですが,そのうちの一方はブラックホールである可能性があります。
 はえ座は,「ウラノメトリア」では,みつばち座(Apis)と記されていました。また,みつばち座とは別にインドのみつばち座(Paradysvogel Apis Indica)もあったのですが,こちらは,本来はインドのとり座(Paradysvogel Apus Indica)であったと考えられていて,その後,この星座はふうちょう座(Apus)となりました。しかし、みつばち座「Apis」とふうちょう座「Apus」のスペルが酷似していることで誤認され,17世紀から18世紀前半にかけて刊行された他の星図で表記上の混乱が生じてしまいました。
 18世紀に入って,ラカイユがみつばち座を改めてはえ座(Musca)を採用したことを契機に名称を巡る混乱が収束し,現在は,はえ座(Musca)とふうちょう座(Apus)になっています。

☆ミミミ
南天の星座①-今に残る全天88星座の設定
南天の星座②-とも座にちなむ壮大な冒険物語

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 今日はとも座(Puppis)を紹介します。「とも=艫」というのは船の船尾のことで「へさき=舳」と対をなすことばです。
 もとはアルゴ座(Argo)と呼ばれる巨大な船をかたどった星座が1756年,フランスのニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille)によって,とも座 ,りゅうこつ座,ほ座,らしんばん座の4つに分割されました。とも座は,この4星座のうちで最も北に位置しています。
 アルゴ座の壮大な冒険物語は「アルゴナウタイ物語」(=アルゴ船の乗組員達の物語)とよばれます。それは,テッサリアの王子「イアソン」が叔父ペリアスに奪われた王位を奪還するために必要となった金の羊毛(=おひつじ座 )を獲得しようと,勇者たちを率いてアルゴ船に乗って旅をする物語です。

  ・・・・・・
 「イアソン」は,テッサリアのイオルコスの領主アイソンの息子として生まれました。平和を愛し,欲のない性格だったアイソンは,弟のペリアスに王位を奪われてしまいます。弟ペリアスは,アイソンの小さな息子「イアソン」を殺そうと刺客を送りますが,アイソンは「イアソン」をケンタウロスのケイロン(=いて座 )のもとへ預けて難を逃れます。
 やがて成長した「イアソン」は,ケイロンに自分の生い立ちを聞かされ,王位を奪還することを誓って帰国の途につきました。現れた「イアソン」を見ると,弟ペリアスは激しく動揺し,「イアソン」に黒海の奧のコルキスの国へ行って金の羊毛を取ってくるようにとの難題を言い渡したのでした。
 そこで「イアソン」は遠征を決意し,船大工のアルゴス(Argos)が人類初の大船を作ることになります。
 女神ヘラの導きによって50人もの勇者達がギリシア全土から結集し,また女神アテナの助言によって,ゼウスの神託所があるドドナの樫の木で船首の梁が作られ,アルゴ船は人語を話す能力を持った船として竣工します。完成したアルゴ船はあまりに重く,人の力で動かすことができませんでしたが,アルゴナウタイ(=アルゴ船の乗組員)のひとり,琴の名手オルフェウス(=こと座)が竪琴を掻き鳴らして歌うと,船は自ら動き出し進水しました。
  ・・
 「イアソン」に率いられて出発したアルゴナウタイには,ふたご座 として知られるカストルとポルックスの兄弟,十二の偉業で有名なヘラクレス(=ヘルクレス座 ),北風の息子ゼテスとカライス,ミノタウロスを倒したテセウス,後にカストル・ポルックス兄弟と決闘してカストルを殺すことになるイダスとその兄弟リュンケウスなどトロイア戦争の英雄が勢揃いしていました。
 一行は「イアソン」の師ケイロンが住む山やアマゾネスの女王ヒッポリュトスが住むレムノスに立ち寄り,旅を進めました。水を得るために立ち寄った小アジアのミュシアでは,ヘラクレスと連れのヒュラスが泉を探しに行き,ヒュラスが泉のニンフに捕らえられ,彼を捜すためにヘラクレスがアルゴ船での旅を諦めるというハプニングもありました。
 小アジアの北の海岸には,通る者全てに戦いを挑み殺してしまうアミカスという戦士が住んでいましたが,カストルとポルックス兄弟の働きによって通り抜け,その後,盲目の預言者フィネウス王が住む島へたどり着きます。
 この預言者フィネウスはポセイドンの血を引いていましたが,予言を悪用した罪で神々に罰せられたために盲目でした。そして,食事の度に食べ物を奪いにやって来る怪鳥ハルピースに悩まされていました。これを哀れに思ったアルゴナウタイは彼の食卓で鳥たちを待ち,北風の息子ゼテスとカライスの働きによって怪鳥らは遠くの海で溺れ死んだため,フィネウスは感謝のしるしとして,今後の旅の鍵となる難所シュンプレガデスを通り抜ける方法を伝授します。
 シュンプレガデス(=打合い岩)は黒海の入り口にある難所で,通り抜けようとする船があれば2つの大岩が打ち砕いてしまうという場所です。アルゴ船は,どうしてもその間を通らねばならないのでした。フィネウスに教えられたとおり,まず1羽の白い鳩を先に飛ばし,閉じた岩が開いた瞬間,アルゴ船は全速力で岩の間を突破するという作戦でした。鳩は女神アテナの助けを借りて無事に岩の間を通りきり,岩が開いた瞬間を狙ってアルゴ船が岩の間に突っ込みます。このとき,アルゴ船は船尾を先にして進み,通り抜けようとした瞬間に船首を岩に討ち取られてしまったため,アルゴ座には船首がないと言われています。
 アルゴ船は何とか難所を切り抜けることができ,一度も船を通したことがないのを自慢にしていたシュンプレガデスはアルゴ船を通したショックで固まってしまい,二度と動くことはなくなりました。また,女神アテナは英雄となった鳩をはと座として星座の中へ置きました。
 アルゴナウタイの最後の冒険はカリドンの地で狂暴なイノシシを退治することでした。カリドンの人々が生け贄を献げることを怠ったため,怒った狩りの女神アルテミスがイノシシを送り込んだのです。ここで活躍したのは,アルゴナウタイの紅一点,狩りの名手アタランテー。彼女はたった一本の弓で,見事イノシシをしとめたのでした。
  ・・
 たどり着いたコルキスの国で「イアソン」が王アイエテスに金羊毛を求めると,王アイエテスは難題を言い渡すのですが,「イアソン」に恋したアイエテスの娘の魔女メデイアの助けによって「イアソン」はそれを成し遂げます。魔女メデイアは,金羊毛を手に入れた「イアソン」らと共に帰途の旅に加わったのでした。
 国に帰ると「イアソン」の父アイソンは叔父ペリアスによって殺されていました。
 「イアソン」はまたしても魔女のメデイアの助けによって父の敵をとることができたのですが,「イアソン」が魔女メデイアを捨ててコリント王の娘を妻に迎えたため,怒ったメデイアに王や妻,娘達を殺され,「イアソン」は失意のうちに不幸な最期を遂げたということです。
  ・・・・・・

 とも座 にはζ星「ナオス」(Naos),ξ星「アスミディスケ」(Azmidiske,Asmidiske)という固有名のついた星があります。「ナオス」は「船」を意味するギリシア語ナウス(ラテン語のNavis)が語源です。また,「アスミディスケ」は「盾」を意味するギリシア語のアスピディスケが語源です。
 ラカイユはアルゴ座の明るい星にギリシャ文字を割り振ったため,とも座にはζ星,ν星,ξ星,π星,ρ星,σ星,τ星はあるのですが,α星やβ星などがないのです。

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 今日は七夕。このところずっと天気が悪くお星さまが見られません。そこで,お星さまにちなんで,日本では見られない南天の星座の話題にしましょう。
 現在の全天88星座は1928年の国際天文連合総会で決まったものです。
 星座の起源は,数千年前のメソポタミアです。2世紀になると,プトレマイオス(Claudies Ptolemaios)の「アルマゲスト」(Megal Ptolemaios)の星表に今も伝わる48星座が記述されていました。この48星座にはギリシア・ローマ神話に基く物語が語られています。しかし,北半球に住んでいたプトレマイオスはもちろん南半球の星空を見ていないので,南半球の星空にはこうした神話に基づく「粋な」星座がありません。
 その後の400年間に,全天にわたって多くの新しい星座がつくられ,一時は120もあったといいます。そのなかで特筆すべきは次の3つです。
 そのひとつは,17世紀,フランス人のロワイエ(Augustine Royer)が「Cartes du Ciel」という星表つき星図に設定した「みなみじゅうじ座」を含む6星座です。このうちで今も残るのは「みなみじゅうじ座」と「はと座」のみです。ふたつめは,ドイツ人のヤーコブ・バルチ(Jakob Bartsch)が設定した4つの星座ですが,現在残るのは「いっかくじゅう座」と「きりん座」のふたつです。18世紀になると,フランス人のニコラ・ルイ・ド・ラカイユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille)が「ちょうこくしつ座」「ろ座」「とけい座」などの14の星座を設定しました。この14の星座は今も使われています。
 では,全天88星座のなかから,日本から見ることのできない南半球の星座について,私の写した写真とともに,次回から紹介していきましょう。

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☆☆☆☆☆☆
 日本から見ることができる星空についてはすぐれたガイドブックがたくさんあります。なかでも今から40年ほど前に誠文堂新光社から出版された藤井旭さんの書いた「全天星雲星団ガイドブック」という本は今でもとても役に立ちます。しかし,この本は南半球から見ることのできる星空についても若干は取り上げられていますが,初版されたときは南天の部分はなく,後から付け足した改訂版なので,日本から見ることができる部分の記述に比べればやや不十分です。
 しかし,40年も前だというのに,そのころはすでに「103a」という名前の白黒ですが散光星雲が写せるフィルムがあったおかげで,現在,デジタルカメラと画像処理ソフトの発達で脚光を浴びている天体の記述がすでにたくさんあるので,内容が古くなく今でも使えるので助かります。それでも,現在は,その当時はほとんど知られていなかったような写真写りのよい天体がずいぶんと有名になり,私のような古い知識しか持ち合わせてない者には,こんな天体知らないぞ,聞いたことないぞ,というものが多くあります。

 このように,南天の星空には,もともと情報が不足していることに加えて,最近になって有名になった天体がたくさんあって,日本に帰ってきたあとではじめてそれを知って,改めて,写してきた写真にそれが写っているかを確かめてたり,落胆したり,そんなことを繰り返しています。
 双眼鏡で見ることができる天体や望遠鏡で拡大してみると見事なもの,あるいは,写真でしか写せないもの,それも,広角レンズのほうが美しく写るものや望遠レンズのほうがよいもの,といったような,きちんとした説明のある入門者用の南半球で見ることのできる天体の解説書があればいいのになあといつも思います。
 それにまた,このごろは,一般の人には手が出ないような高価な機材やテクニックを使って写したような写真集ばかりで,見ているには楽しいのですが,自分で写すには参考になりません。もう一度藤井旭さんに40年若返ってもらって,最新の情報を加えてこの本を新しく作ってもらえないものかと思います。

 さて,おおいぬ座の南,ほ座というところに「ガム星雲」というものがあります。
 先に書いた「全天星雲星団ガイドブック」にもすでに書かれている天体なのですが,この本の記述がほかの天体の説明にくらべて簡単すぎて,どこの場所をどのくらいの画角のレンズで写せばいいのかさえよくわかりません。おそらく,出版間際にその時の最新の情報として付け加えたのでしょう。
 「ガム星雲」(Gum Nebula or Gum 12)とは,おおいぬ座の南にあるほ座からとも座にかけて,なんと40度以上にも広がる超新星残骸です。この天体は太陽系からおよそ1,300光年に位置していて暗くて識別することが困難であって,かつ,日本からは地平線ぎりぎりまでしか昇らない散光星雲状の天体です。これは約100万年前に起こった超新星爆発の残骸が大きく拡散したもので,今も拡散していると考えられています。
 「ガム」という名は,この星雲を研究したオーストラリアの天文学者コリン・スタンリー・ガム(Colin Stanley Gum )にちなむのもで,キャンベラ郊外のストロムロ山天文台=下の写真(Mount Stromlo Observatory)の広域カメラを用いて観測を行って発見した天体を「A study of diffuse southern H-alpha nebulae」というカタログにして1955年に発行しました。今日「ガムカタログ」(Gum catalog)と呼ばれているこのカタログには南天の84個の輝線星雲を収録していて,ガム星雲はそのうちの12番のものです。
 なお,ストロムロ山天文台は,2003年1月18日の山火事によって5基の望遠鏡,作業場,建物が倒壊しました。現在は修復が進めれれています。

 今日の写真は,私がこの春に行ったハワイ・マウイ島のハレアカラで写したものですが,やはり,北半球のハワイでは南天の天体はいまひとつです。私は,はじめは南十字星が見られれば満足だったのですが,やはり,南半球に行かなければと思うようになりました。そして,それがかなった今は,この美しい南半球の星空のことをもっときちんと知りたいと思うようになってきました。

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IMG_8275s (2) (1024x683)IMG_8275s (3) (1024x683)o星図 (3)

☆☆☆☆☆☆
 さそり座のお隣にあるのがいて座(Sagittarius)です。日本でも初夏の南の空に結構高く昇るのですが,梅雨時でもあり,しかも日没も遅いので,なかなか見る機会がないのは,冬の星座であるオリオン座とは対称的です。
 冬至点や銀河の中心がこの星座の領域にあるので,空の暗いところでは天の川がもっとも美しく輝く場所でもあります。
  この星座の明るい星々は射手の上半身に集中していて,下半身は暗い星ばかりです。明るい星々であるγ星,δ星,λ星,φ星,σ星,τ星,ζ星,ε星をつないでできる星の並びを西洋では「ティーポット」(teapot)と呼んでいます。
 λ星,φ星,σ星,τ星,ζ星にμ星を加えるとひしゃくの形に見えるので,日本では北斗七星に対して南斗南斗六星として知られています。

 先に書いたように,いて座付近は銀河の中心がある方向なので,写真で見ると赤色をした多くの星雲がみつかりますが,そのなかでもM8(干潟星雲),M17(オメガ星雲),M20(三裂星雲)といった散光星雲が有名です。また,M22,M55などの球状星団も明るく輝いています。
 δ星の西7.5度にはいて座Aという電波源があります。この銀河系中心に存在する天体を天文学者は大質量のブラックホールを含むかもしれないと考えています。
 
 12月はじめのころの南半球では,さそり座とともにいて座もまた天頂付近に見えるので,北の空から南の空にかけて天頂に天の川が明るく横たわり,その光で影ができるほどです。その姿はどれだけ見ていても飽きるものではありません。世の中にこれ以上美しいものはないとさえ思えます。地球に生まれてこれまでこの姿を一度も見たことがなかったなんて! 私はわが身を恥じました。
 しかし,一度でもこれを見てしまうともういけません。不治の病である「南天病」にかかってしまいます。今の私のように。

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IMG_8273s (2) (1024x683)IMG_8273s (3) (1024x683)o星図 (2)

☆☆☆☆☆☆
 南半球で美しいのは南十字星あたりの星空だけでなく,さそり座やいて座といった,日本でもなじみの星座がなんと天頂に見られることです。そのために,日本では地平線に近くてその姿を鮮やかに見ることができない場所を鮮やかに再現できるのです。 
 日本国内では大仰な機材を使って,しかもコンピュータによる画像処理でやっと写し出すことができるアンタレス付近の星空も,数分の露出でしかも難しい画像処理なども不要で今日の写真のように写ってしまうのです。

 では今日はさそり座(Scorpius)の見どころを説明しましょう。
 まず,アンタレス付近ですが,M4,M80,M19,M62といった球状星団と,散光星雲があってとてもきれいです。また,アンタレス付近は,IC4606やIC4592,さらには名前のついていない散光星雲が取り巻いていてとても美しいものです。
 さそり座のしっぽのあたりに目を向けると,M6,M7といった散開星団に加えて,NGC6334=通称・出目金星雲やNGC6357=通称・彼岸花星雲といった美しい散光星雲があります。
 日本では地平線に近いこれらの美しい天体が天頂に輝いて,しかも,天の川のなかに溶け込んでいる姿を味わうと,赤道を越えてわざわざこれを見にきた甲斐があったとしみじみ思います。

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☆☆☆☆☆☆
 今や日本で満天の星空が見られる場所などどこにもなく,旅行社が企画する星見ツアーなども近年は盛んですが,都会の空よりはマシなだけなのです。それでも,日本では,人は生まれてからその程度の夜空すら見たことがないから,たくさんの星が見られると思っているにすぎません。湿度が高くそれほど天候のよい日のない日本では,それに加えて,春は黄砂にPM2.5,夏はほとんど晴れず,秋は熊が出るし,冬は空はきれいでも寒くて雪が多いというありさまです。
 私は,これまで日本中の星の美しい場所を探しましたが,どこへ行ってもがっかりするだけでした。結局,どこへ行っても同じようなものならば,空は汚くても家から近いほうが便利なので,そこで妥協して,なんとか写真を撮ってきてはコンピュータで画像処理をしてその気になっているだけなのです。
 満足な星空を見るためには海外へ行くしかないのです。 

 それでも,私は子どものころからの星マニア。今とは違って,昔は,コンピュータを使って星を導入したりオートガイダーで星を追尾したりなどということはできなかったから,ファインダーだけで自力で目的の星を視野に入れることも簡単にできるし,星の名前もわかります。暗い彗星も視野の中で見分けられます。しかしどうやら,近年になって星見を趣味にした人は,そういうことすらできないようなのです。
 11月,私がオーストラリアへ行った日,私の宿泊したゲストハウスにはもうひとり日本人が泊まっていました。彼は,自分の大きな望遠鏡を日本から送ったのに,税関で引っかかって未だ届いていないということで,ゲストハウスにあった望遠鏡を特別に貸りていました。よくよく彼の行動を見ていると,ずっとコンピュータの画面をにらみながら単にオートガイダーとCCDカメラを使って写真を写しているだけでした。彼は極軸も自分で合せられないし,コンピュータがなければ星を視野に入れることすらできない。話をしても,星に詳しいわけでもないし,せっかく満天の星空が輝いているのに肉眼で美しい星空を見る喜びすらないようでした。彼は望遠レンズを使っているから天の川の全景も写せず,わざわざ南半球まで来て何を写そうとしているのかなあ,と私は思いました。
 結局のところ,彼は星好きでもなんでもなく,定年後の道楽として,金にものをいわせて教科書どおりの手法で星雲星団を写しているだけなのでした。「ドリラー」の末期ここにありです。それでも星は減らないからいいようなものの,同じように,知識も興味もないのに,珍しいからと金にものを言わせてパワーシャベルで昆虫採集でもされたらいい迷惑です。

 実は,海外で星がきれいな場所として知られている多くは,そうした人たちやそれと反対に生まれてこの方満天の星空を見たこともないといった人たちでごった返しているのです。
 私が昨年の春に行ったハワイ島マウナケアのオニヅカビジターセンターや,昨年の秋に行ったニュージーランド・テカポ湖畔などでは,懐中電灯を照らして空を明るくしたり,あるいは,ほとんど星の知識もない人がモラルもなく振舞っています。
 おそらく,世界中の星空の美しい場所は,どこもそんな有様でしょう。
 今,星空の美しい場所としてウユニ塩湖が脚光を浴びていますが,ウユニ塩湖に水があるのは雨季だけだから,雨季に星を見に行くということ自体が矛盾しているのに,たまたま天気のよい日に写した映像を旅行社はウリにして,世界中から観光客を集めているのだから,そこにどういう状況が発生するかは容易に想像できます。
 海外,特に南半球の星空が魅力的なのは,これまで何度も書いてきたように,今日の写真の,南十字星あたりの星空が絶品だからなのです。そして,そうした星空は,人工の光のない場所で,肉眼で見るからこそ,その魅力がわかるのです。しかし,そうした場所までも多くの観光客が押し寄せるので,美しい星空を心置きなく味わえる場所もまたどんどんと少なくなっているのが残念なことです。

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「銀河鉄道の夜」-宮澤賢治の語る美しき南天の星空とは?
「星好きの三大願望」-宝石をちりばめたような南天の星空

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 北極星のような明るい星のない南天では極軸合わせが大変だというのはよく聞く話ですが,実際にやってみないと本当の大変さはわかりません。そしてまた,南半球に行く機会がなければ試すことすらできません。
 私も,昨年の秋にはじめて南天の星空の写真を撮ろうとニュージーランドへ行ったときはまったく要領がわからなかったので,ビクセンのポラリエという赤道儀に「ポーラメータ」という,高度と方角を決めて水準器で調整するとおおよその極軸合わせができるだけの装置を購入しました。
 これを用いることで,ほぼ適当に極軸を合わせれば厳密に極軸が合っていなくても点像に写る魚眼レンズと広角レンズを持っていって使用しました。その当時はそれだけで満足しました。

 しかし,2回目ともなれば,少しは進歩していないと話になりません。そこで今回オーストラリアに行くにあたって,焦点距離が90ミリのレンズでも点像が写せるくらいの正確な極軸合わせができないかと工夫をすることにしました。
 そこで,ポーラメータに加えて「極軸望遠鏡」を購入しました。その極軸望遠鏡を覗いて正確に極軸を合わせるわけですが,そのためには高度と方角の微調整ができなくてはなりません。そこでさらにあつらえたのが4番目の写真のようなビクセンのポラリエ専用の架台でした。
 何事も適当でいい加減な私ですがそれでも練習のためにこの架台を使って事前に北天で極軸合わせを数回やってみました。ところがうまくいかないのです。その理由は,この架台はガタがあるのです。しかも,微調整をするためのネジが回しにくく厳密に調整をするのが大変だったのです。この架台は使い物になりませんでした。
 そこで,せっかく購入した結構高価な架台だったのですが使用をあきらめて,新たに,発売されたばかりの5番目の写真にあるスリックの架台を購入してこちらでも試してみることにしました。結果として,こちらの方はガタもなく,しかも精密な微調整ができて便利なことがわかりました。
 そんなわけで,今日は,スリック製の架台と極軸望遠鏡を使った南天の極軸合わせの方法を説明します。

 この架台は上下・左右とも20度の範囲で微調整ができます。ポラリエの極軸望遠鏡の視野は8度なので,20度というのは十分な角度です。微調整は上下・左右それぞれ2つのネジを回すのですが,ともに前方のネジを回して調整し位置が決まったら後方のネジで締め付けるというのがうまくやるコツです。
 1番目の写真は私が写した南天の極付近の写真に説明を加えたものですが,天の南極はみずへび座にある小マゼラン雲と南十字座をおよそ3:7に内分したところにあります。
 みずへび座のβ星は4等星と暗いのですが,それでも空の暗い南半球では簡単に見つかります。この星を頼りにするとはちぶんぎ座のβ星とν星も簡単に見つかるので,その星から天の南極の位置の見当はつくのですが,極軸望遠鏡を覗いても同じような明るさの星が多すぎてどこを見ているのか実際はさっぱりわかりません。
 2番目の写真はこのはちぶんぎ座と天の南極あたりの星図です。この星図の丸い大きな円が極軸望遠鏡の8度の視野になります。視野の中に三角形の星の配置を書き込みましたが,このうち右側のχ星,σ星,τ星3つの5等星で作られる三角形さえ見分けられれば,視野の右下の十字のところが南極なので合わせることができるのです。しかし,実際の視野には当然,三角形など書かれていませんから,三角形を作るこれらの星を探し出す必要があるのですが,これが難しいのです。

 これらの星を探すにはコツがあります。それは,この星図の極軸望遠鏡の視野の左端に楕円で囲んだなかにある密集した3つの星の集合,はちぶんぎ座のγ1,γ2,γ3の3つの星を極軸望遠鏡の視野に入れればいいのです。この3つの星は特徴的だから簡単に見分けられるのです。そして,この3つの星と天の南極の間の角度は8度なので,ちょうど極軸望遠鏡の端と端に位置することになるので,極軸望遠鏡の視野のなかの星の配列を確認しながら架台を少しづつ移動していけばいいわけです。このとき,スリックの架台は20度にわたって微調整できるのがとても便利なのです。
 望遠鏡に限らず,日本人のものづくりは,ものすごく緻密でこだわりがあるくせに,いつも肝心なところが抜けています。こうした極軸合わせもまた,極軸望遠鏡はものすごく精密に作られているのにもかかわらず,それを活用するための純正の架台がいいかげんなのでそのよさが活かせません。おそらく,机上の空論で設計しているか,あるいは間に合わせのものをOEMで探してきて用意しているだけで,実際に使ってみたわけでないからでしょう。
 私は,純正品を見限って,偶然,発売されたばかりの別のメーカーの架台を流用したことで,今回,天の南極の極軸合わせに無事成功し,思いどおりの写真を写すことができました。しかし,せっかく会得したこの技術も,南半球へ行かないと活用できないので,なかなか使う機会がないのが残念なところです。

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 その後,南半球に建設された望遠鏡でマゼラン雲が詳しく観測されるようになると,大マゼラン雲も小マゼラン雲も,濃度の高いガスが分布していて,現在もさかんに新たな星が誕生しつづけている姿がとらえられるようになりました。
 マゼラン雲にも天の川銀河と同じように多くの球状星団があるのですが,マゼラン雲にある球状星団は我々の天の川銀河には見られない若いものだったのです。これは,天の川銀河とはちがってマゼラン雲にはこれから星が作られるガスが非常に多くあるからなのです。
 また,マゼラン雲の移動した軌跡にはマゼラン雲が含んでいた中性水素ガスが残されていて宇宙空間に巨大なガス帯「マゼラニックストリーム」(Magellanic Stream)が発見されました。

 前回書いたように,大マゼラン雲と小マゼラン雲の両銀河は天の川銀河の衛星銀河で,天の川銀河の周囲を公転しているとずっと思われていました。しかし,宇宙望遠鏡科学研究所のローランド・バンダーマレルらのグループが,ハッブル宇宙望遠鏡を用いて4年間にわたってマゼラン雲内の25か所の場所の移動速度を測定すると,その移動速度が秒速480キロメートルと算出されたのです。この速度は,あらかじめ行れていた推算値よりも数割以上も大きいもので,両銀河が天の川銀河に重力的に束縛されていない可能性を示唆しているのです。
 そこで,マゼラン雲というのはハッブル以来の定説であった「天の川銀河をまわる伴銀河」ではなく別の銀河であって,どこかから天の川銀河の近くにやってきた銀河が,今たまたま近くにあるというだけで,やがて数十億年後には天の川銀河の引力を振り切ってかなたに去ってゆき,その後 天の川銀河とマゼラン雲は再び出会うことは無いのだ,と理解されるようになりつつあるのです。

 大マゼラン雲のなかにあるタランチュラ星雲の中心部には太陽の1億倍で輝くR136と呼ばれる天体があります。これは宇宙で最も明るい天体ですが,ビッグバン直後に作られる青い第1世代の星と同類のものなのです。マゼラン雲のなかにはそうした第1世代の星々が今なおたくさんあるのです。そしてまた,マゼラン雲自体も宇宙創成期期に作られた小さいびつな形の銀河に似ているのです。
 そこで,マゼラン雲はそうした宇宙初期に作られた銀河の生き残りで,それが今,たまたま我々のいる天の川銀河の近くを通り過ぎているのではないか,と考えられるのです。
 すごいでしょう。
 こんなものが空に輝いていて,それが肉眼で見られるなんて,南半球の星空というのは,なんとまあ,すてきではないでしょうか。家の窓から外を見ると現代の世にたまたまネアンデルタール人が歩いてきたようななものです。

 この先はおまけです。
 小マゼラン雲の近くに巨大な球状星団があります。今日の2番目の写真の小マゼラン雲の右側の大きな丸い塊です。これは「きしちょう座47」(NGC104)と呼ばれる天の川銀河に属する球状星団です。明るさは4.0等と,ケンタウルス座のω星団とともに最も明るい球状星団のひとつです。視直径はほぼ満月と同じで,非常に大きなものです。
 たまたま小マゼラン雲のごく近くにありますが,小マゼラン雲に属する天体ではなく,まったく無関係,赤の他人です。
 この球状星団ははじめは恒星と思われていて「きょしちょう座47番星」という番号が与えられて星表に記載されたのですが,球状星団であることがわかった現在でもこの名前でよばれています。なお,「47」はヨハン・ボーデ(Johann Elert Bode)が1801年に刊行した「Allgemeine Beschreibung und Nachweisung der Gestirne」につけられている番号です。

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☆☆☆☆☆☆
 マゼラン雲(Magellanic Clouds)とは,銀河系の近くにあるふたつの銀河である大マゼラン雲(Large Magellanic Cloud = LMC) と小マゼラン雲(Small Magellanic Cloud = SMC) の総称です。
 天の南極に近く,日本やヨーロッパからは見ることができません。私もこれまで見たことがなく,肉眼でどのように見えるのかずっとわかりませんでした。念願の南十字星を見るという夢がかなったので,次はぜひこのマゼラン雲を見たいものだと思いました。
 北半球にあるハワイは南十字星を見ることができますが,マゼラン雲はハワイでは緯度が高くて見ることができません。北半球でもグアム島あたりまで南下すれば地平線ぎりぎりに見られるのですが,もっとマゼラン雲の昇る高度が高いところのほうが美しく見られるので,赤道を越えて南半球のニュージーランドまで行ってきたというわけです。

 行ってはみたものの滞在中ずっと曇っていて見ることができなかったらどうしよう,とそれだけが心配でした。幸いなことに,到着前日までは天気がよくなかったそうですが滞在1日目から天気が回復し,この日に宿泊したクライストチャーチで市街地から少し離れたところまで出かけていって生まれてはじめてこのマゼラン雲を見たときの感動は,今も忘れることができません。そして次の日からは晴れ渡ったもっと空の暗いテカポ湖畔で最上のマゼラン雲を心置きなく見ることができました。
 夜空にこんな星雲状の天体がぽっかりと浮かんでいる姿を肉眼でもはっきり見られる(それもふたつも!)のは,それらを見ることができないところに住む我々にはとても不思議なものです。
 今日は,このマゼラン雲のお話です。

 マゼラン雲は原始時代から知られていたようですが,記録として残るのは,964年ペルシャの天文学者アル・スーフィー(Abd al-Rahman al-Sufi)が「星座の恒星の書」(Kitāb Ṣuwar al-Kawākib al-Thābita) に白い牡牛(Al Bakr)としたのがはじめです。
 北半球に住むヨーロッパ人にその存在が知られるようになったのは1519年から1522年のフェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan) による世界一周航海に参加したヴェネツィアのアントニオ・ピガフェッタ(Antonio Pigafetta)が記録してからです。航海では,夜間でも進行方角や自船の位置を確認する必要があるのですが,北極星のある北半球とは違い,南半球で南極星にあたる恒星がないので,白っぽい雲(マゼラン雲)を見つけることでそれを行ったというのです。当然,当時はマゼラン雲とはよばれておらず,この逸話にちなんで「マゼラン」の名が冠されるようになったのはかなり後のことです。

 星々とともに動くから天体であることは自明でしたが,このマゼラン雲の正体は昔から謎でした。
 1800年代,天文学者のジョン・ハーシェル(John Frederick William Herschel)は南アフリカの喜望峰でマゼラン雲のなかに天の川銀河と同じような星雲や星団が存在するのを観測して,天の川銀河とは別の銀河だと考えました。そこで,マゼラン雲までの距離を調べる必要がでてきたのですが,マゼラン雲に属するセファード型の変光星の観測から距離を割り出して,天の川銀河よりも遠い天体だとわかったのです。その距離は約20万光年で天の川銀河の直径の約2倍,アンドロメダ銀河までの距離の約12分の1という天の川銀河にきわめて近いものでした。いて座の矮小楕円銀河 「SagDEG」が発見されるまでマゼラン雲は天の川銀河に最も近いところにあるふたつの銀河と考えられていました。そこで,エドウィン・ハップル(Edwin Powell Hubble)は,マゼラン雲を天の川銀河のまわりをまわる衛星銀河だと考えたのです。
 ところが…。

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☆☆☆☆☆☆
 私は,日本から見られない天の南極あたりの星空のことなどこれまではほとんど知らず,興味もなかったのですが,南十字星だけは何としても見たいものだと思っていました。
 そこで,南十字星見たさに,2016年の春にハワイ島へ行って,マウナケア山麓のオニヅカビジターセンターで山の上に昇ってくる念願の南十字星を見ることができたのですが,そのとき,南十字星からニセ十字の方向に広がる,あまりにも美しい銀河の姿に魅了されてしまいました。
 日本から見ることができない南天の星空というのは,今日載せた星図のわずかな範囲だけなのですが,この範囲にはあまりに多くの魅力的な星空が広がっていたのです。しかし,これまでこの星空に関する情報はほとんど私には手に入らなかったし,日本で出版される星の本にも,日本からは見られない星空のことなど,ほとんど載っていませんでした。
 そこで,今回,この天の南極付近の星空すべてを見たくて見たくて見たくて見たくて,赤道を越え,20時間かけてニュージーランドまで出かけたというわけです。
 日本に帰ってから,撮ってきたこの星空の写真と星図を見比べて,自分なりに調べてみることにしました。今日は,この素晴らしい南半球の星空のなかでも宝石をちりばめたような南十字星からη(イータ)カリーナ星雲のあたりについて書いてみましょう。

 まず,前回書いた南十字座から追ってみます。
 ケンタウルス座のα星リゲルケンタウルスとβ星ハダルを「ポインター」といいます。南の空に明るく輝くこのふたつの1等星はすぐに見つかるので,詳しくない人が南十字星を探すにはそこから左にたどっていって見つけるのです。南十字星は4つの十字架を構成する星と十字架の中にある小さな星がひとつ,合計5個の星の並びからなります。前回も書いたように,南十字を構成する5つの星は,α星アクルックスから順番に時計回りに明るさが並んでいます。見かけ上1番明るいアクルックスは二重星で,双眼鏡ではふたつの星が並んで見えます。一方の明るい星をさらに拡大すると,さらに二重星になるのですが,これは双眼鏡では無理で,望遠鏡が必要だそうです。残念ながら,私は見たことがありません。
 この南十字星の右上に「コールサック=石炭袋」(Coal Sack)があります。
 宮沢賢治の書いた「銀河鉄道の夜」でカムパネルラが消えたという石炭袋がこれで,濃い天の川の中にぽっかりと穴が開いたような感じの暗黒星雲です。写真でわかるように,よく見るとコールサック付近から後で書くηカリーナ星雲にかけてもずっと暗黒部が延びています。背景の天の川が明るい分だけこの暗黒部がきわだってハイコントラストで観察できるのです。
 南十字座のβ星ベクルックスとコールサックの間には「宝石箱」(Jewel Box)と呼ばれる小さくまとまった有名な散開星団NGC4755があります。「宝石箱」とはなんとまた魅力的な名前でしょう! これは望遠鏡でみるとすばらしく見栄えがあるものです。

 南十字星の左側に輝くηカリーナ星雲(NGC3372)は必見です。ちなみにカリーナ(Carina)とはりゅうこつ座のことでηとはりゅうこつ座のη星のことです。この恒星から発するガスが散光星雲を形づくっているのです。
 この周辺は美しい散開星団が取り囲み,さらに銀河も濃い領域でなので,写真では無論のこと肉眼で見てもすばらしく美しいところです。これを見るためだけでも,20時間近くかけて南半球に出かける価値があるというものです。そして,これを見てしまうと,北半球の星空など,もうどうでもよくなってきます。こんな星空も知らずによくもまあ今まで日本なんぞで星を見てきたものだと思ってしまいます。
 ηカリーナ星雲のガスの背景には微光星がたくさんに見えていて,これもまた絶品です。
 そして,ηカリーナ星雲の周辺にある散開星団の美しいこと…!
 東側にはNGC3532,西側にはNGC3114。さらに,その北側には「南天のプレアデス」と称される明るい星で構成される散開星団IC2602があります。この星団は特徴的な星の並びをしていて,数字の「8」の字,あるいはよく見ると長い触角を持った蝶にも見え,さらには尾の長い鳥のようにも見えます。 これはまたθ(シータ)カリーナとも呼ばれているのですが,この星々と他のりゅうこつ座の星がダイヤモンド十字を構成しています。
 さらに,NGC3532, NGC3114, IC2602がηカリーナ星雲を取り囲むように配置していてとてもきれいです。
 最後に,来年の干支にちなみ「走るにわとり星雲」(The Running Chicken Nebula)というのがあるのでこれを紹介しておきましょう。この星雲はηカリーナ星雲とコールサックの間にあるIC2944という星雲とIC2948という「Bok globule」と呼ばれる星形成が起きるガスや塵が高濃度に密集した宇宙の領域のあたりがニワトリが走っているように見えることから名づけられたものです。

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 前回,オーストラリアで満天の星を見たいと書きましたが,今回,ニュージーランドでその夢がかないました。唯一心配だったのは天候でしたが,幸い,私の訪れた3日間は毎晩ほぼ快晴になりました。
 今日は,そんな南の満天の星のなかで輝く明るい星々のお話です。 
 全天で最も明るい恒星は日本でもおなじみのおおいぬ座のシリウス(Sirius)で,そのあとは,明るい順にりゅうこつ座のカノープス(Canopus)ケンタウルス座のリギルケンタウルス(Rigil Kentaurus)うしかい座のアークトゥルス(Arcturus)こと座のベガ(Vega)ぎょしゃ座のカペラ(Capella)オリオン座のリゲル(Rigel)こいぬ座のプロキオン(Procyon)オリオン座のベテルギウス(Betelgeuse)エリダヌス座のアケルナル(Achernar)ケンタウルス座のハダル(Hadar)わし座のアルタイル(Altair)みなみじゅうじ座のアクルックス(Acrux)と続きます。

 南半球に出かけて星空を見上げると,日本では見ることができない,あるいは見ることがむずかしい,なじみのない1等星が空高く輝いているのに本当に驚かされますが,この時期に見ることができるのは,上にあげた明るい星々のなかでは,シリウス,カノーブス,リギルケンタウルス,リゲル,プロキオン,ベテルギウス,アケルナル,ハダル,アクルックスと,そのほとんどです。
 そのなかでも一番驚くのはカノーブスが非常に明るく輝いていることです。カノーブスは日本では長寿星といわれ,地平線ぎりぎりにしか昇りませんし,地平線に近いので,見ることができたとしてもそれほど明るく感じません。しかし,実はこの星は全天で2番目の明るさを誇っているので,南半球では空高く,堂々と輝いていて,真っ先に見つけることができるのです。
 その次に目につくのはエリダヌス座のα星であるアケルナルです。エリダヌス座という星座自体,日本ではほとんど無名です。晩秋のオリオン座が東の空に昇ってくるころに,その前に昇っているのですが,日本で見られるのは暗い星ばかりなので,私は,そんな星座に明るい1等星があるなどということ自体,まったく認識がありませんでした。

 さて,この季節に南半球に出かけると,南の地平線付近に明るい1等星が2つ輝いています。それはケンタウルス座のα星リギルケンタウルス(右側)とβ星ハダル(左側)です。
 リギルケンタウルスは太陽系から4.39光年しか離れておらず,わが太陽系から最も近い恒星系です。実際は三重連星で,α星A,α星B,そして暗く小さな赤色矮星のプロキシマ・ケンタウリ(Proxima Centauri)から成っています。α星Aとα星Bはひとつの恒星のように見えますが,プロキシマ・ケンタウリは少し離れています。このプロキシマ・ケンタウリは暗いので地球から肉眼では見ることはできませんが,地球に最も近い恒星として知られています。その距離は4.22光年です。
 2016年,プロキシマ・ケンタウリを公転する惑星,プロキシマ・ケンタウリbが発見され,生命がいるのではないかと話題になっています。そこで,小型のスターチップを送り込み,プロキシマ・ケンタウリを探査しようという計画の構想が練られています。

 このケンタウルス座のリギルケンタウルスからハダルに向ってさらに目を進めていくと南十字星を見つけることができます。
 この南十字星,前回は4つの星と書きましたが,もうひとつε星も仲間に増やして,今回は5つの星,として紹介しましょう。この5つの星は明るい順にふたつの1等星α星(三重連星)アクルックス(Acrux)とβ星ベクルックス(Becrux)またはミモザ(Mimosa)(正確にはアクルックスは0.8等,ベクルックス1.3等)1.6等星のγ星ガクルックス(Gacrux)2.8等星のδ星3.6等星のε星です。オーストラリア国旗には南十字星はこのように5つの星として描かれています。それに対してニュージーランド国旗には前回4つと紹介したように,ε星は描かれていません。
 なお,南十字座のまわりには「宝石箱」(Jewel Box)という名で知られる散開星団NGC4755とコールサック(石炭袋)として有名な暗黒星雲があってとても美しく見る人を楽しませてくれますが,このことはまた次回。

◇◇◇
「星好きの三大願望」-満天の星空のもとで南十字星を見る。

夏の銀河nDSC_4186sxn 国旗

 天文ファンが一度は見たいという「三大願望」があります。それは,南十字星,皆既日食,そして,オーロラを見ることです。
 行けば見られる,お金を出せばなんとかなる,ということなら,そうしたいという意志さえあればなんとかなるのですが,そこに「運」が必要なものは,そうしたいという願望があればあるほど,それがかなわないと本当に残念なものです。
 例えば,MLBで見たい選手がいて,わざわざ太平洋を越えて見に行ってもその日にたまたま出場していなかったとか,そうした運の悪さは自分ではどうしようもありません。その気もないのに偶然すごいものに出会う人がいる反面,何度挑戦してもそれがかなわない人がいるのです。そういうときは自分の日ごろの行いがよほど悪いとあきらめるしか仕方がないのでしょうか?!
 
 ところで,この「三大願望」のうち,1番かなえることが簡単なのは南十字星を見ることです。見えるところに出かけて晴れていさえすれば見ることができます。それさえも,運の悪い人は数日滞在しても晴れないのかもしれまんが…。
 それに比べて,最も見ることが困難なのは皆既日食です。
 私は,幸いなことに,これまでに「三大願望」のすべてをかなえたのですが,それでも,ずっと昔のことであったり,なんとなくであったりするので,このごろになって,もう一度しっかり見てみたいと思うようになりました。その目的を果たすためにいろいろ計画を立ててはいるのですが,果たしてかなうことやら…。
 人生とは,かくもしたいことが多いのに,実現できる時間は短いのです。

 その「三大願望」の中で,今日は南十字星のお話です。
 今から30年以上も前にオーストラリアに行ったとき,夜,シドニーの街中にあるホテルに泊まって何気なく窓から外を見たら南十字星が輝いていました。それは5月のことでした。そのときは知らなかったのですが,5月は南十字星を見るのに1番よい時期なのでした。
 そんなことを思い出しては,再びオーストラリアに行って,今度こそは満天の星空のもとで南十字星を見たいと思っているのですが,真剣に考えてみると,天気が心配とか,どこでみればいいのかとか,いろんなことを考えすぎてしまいます。その気もなく行けば見えるのでしょうが,欲が出てくると,今度はなかなかままならないものです。
 ということで,オーストラリアに行って満天の星のもとで南十字星を見るという夢はまだかなっていないのですが,この春,ハワイ島に行って,ついに満天の星空に昇る南十字星は見ることができました。

 みなみじゅうじ座(Crux)は全天88星座の中で最も小さい星座です。
 南十字星はこの星座にある4つの星たちで,英語での通称「サザンクロス」(Southern Cross)からきていて,はくちょう座の中心部の別名「北十字星」(Northern Cross)に対応して付けられたものです。北十字星は4つ以上の星から成っているのですが南十字星は単純に4つの星で構成されていて,私の好きな星座のひとつです。
 英語名「Southern Cross」を,かつて日本では東大系の学者さんたちは「十字」,京大系の学者さんたちは「十字架」と訳していたのだそうですが,1944年に正式に「南十字」と制定されました。
 南十字星は,古代にはローマ帝国でもこの星座を見ることができて,ケンタウルス座に付属するε(エプシロン),ζ(ゼータ),ν(ニュー),ξ(クシー)の4つの星として記録に残されていますが,それらは南十字座のα(アルファ),β(ベータ),γ(ガンマ),δ(デルタ)星にあたるものです。したがって,現在,ケンタウルス座にはこの符号の星は存在しないのです。
 残念ながら,現在では歳差運動の影響で地中海からは南十字星を見ることはできません。
 また,南十字星のある区域を単独の星座としたのは,1679年フランスの天文学者ロワイエ(Augustine Royer)といわれていましたが,実際は,1598年にオランダのペトルス・プランシウス(Petrus Plancius)によって独立した星座として描かれたのが先だそうです。
 そして,正式に星座として確立したのは,18世紀のフランスの天文学者ラカイユ(Nicolaus Louis Lacaille)の南天星図以降のことであるといわれています。
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