しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:星を見る >

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【Summary】
On December 25, 2024, a Spica occultation was visible in Japan, following another on August 10. Though initially unmotivated, the clear night led to photographing the event. Spica disappeared abruptly behind the Moon's bright edge and reappeared dramatically at its dark edge, showcasing the unique beauty of such phenomena.

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 2024年12月25日の深夜,スピカ食が見られました。2024年に日本から見られたスピカ食は,8月10日の夕刻に次いで2回目でしたが,私は8月10日のほうはまったく印象にありません。天気が悪かったか,暑すぎてそれどころでなかったか…,と思ったのですが,調べてみると,このときのスピカ食もちゃんと写真に撮っていました。
 スピカ食は午前3時12分にはじまり,午前4時13分に終わるということで,深夜のことゆえ見るつもりもなかったのですが,天気がよかったので気が変わって,午前2時45分に起床して写真を撮りに外に出ました。

 去る2024年12月8日に土星食があったのですが,こちらは午後6時19分だったから,楽しく観望しました。
 土星はスピカに比べるとずいぶん地球に近いので視直径が大きいから,月に完全に潜入するまで,また,出現するまでに1分以上の時間がかかるので,のんびりと,隠れるのを,また,出てくるのを見ることができました。
 しかし,スピカは恒星だから非常に遠いので点光源でしかなく,突然消えたり現れたりするように見える,ということでした。実際,月の光っている側の縁(=明縁)から月に隠されたときは,月面の強い輝きに負けてすっと消えていったのですが,スピカが再び現れたときは,月の暗い縁(=暗縁)からなので,暗い場所から「忽然と」スピカが現れたのには感動しました。
 こういう感動は,実際に見てみないことには味わえません。

 地球の周りを公転している月は,地上から見ると星空を背景に東側へと少しずつ移動していくので,この黄道にある星々は月によって隠されます。しかし,黄道付近にある1等星は,おうし座(Taurus)のアルデバラン(Aldebaran=αTau),しし座(Leo)のレグルス(Regulus=αLeo),さそり座(Scorpius)のアンタレス(Antares=αSco),おとめ座(Virgo)のスピカ(Spica=αVir)しかないので,1等星が月に隠されるのはこの4つの星のみです。
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●アルデバラン食
 前回のアルデバラン食は2017年4月1日で,これは写真に撮りました。次回は2034年11月26日です。
●レグルス食
 前回のレグルス食は2018年2月2日だったのですが,これはまったく知りませんでした。次回は2026年1月7日ですが,2026年はレグルス食の当たり年で,1月7日のあとは3月2日,11月13日と3回も見られます。
●アンタレス食
 前回のアンタレス食は2024年6月20日でしたが,これはまったく記憶にありません。次回は2042年6月3日です。
●スピカ食
 次回のスピカ食は2032年4月25日です。つまり,今回のスピカ食はけっこうレアな現象だったのです。
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 月が背景にある天体を隠す現象を月による「掩蔽」(えんぺい occultation),あるいは「食」(eclipse)といいます。「掩蔽」は,見かけ上大きな天体が見かけ上小さな天体の間を通過する際にその天体を隠す現象をいいます。このとき,近いほうの見かけ上大きな天体は遠いほうの見かけ上小さな天体を完全に隠してしまいます。また,「食」は,ある天体が別の天体の影に入るような場合を指すので,「掩蔽」よりも広義です。つまり,「掩蔽」が起こっているときにはいつも「食」も起きています。


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アトラス彗星(C/2024G3 ATLAS)増光か

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2024年4月5日にチリの天文台で発見されたアトラス彗星(C/2024G3 ATLAS)が,2025年1月13日に太陽に0.09天文単位まで近づきます。計算上は-3等星まで明るくなるのですが,おそらくそれ以前に消滅するといわれています。
もし崩壊しなければ,夜明け前の東南東の地平線の近くで,すごい姿が見えるかもしれません。
図は1月12日午前6時40分の予想です。


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【Summary】
The distance between the Earth and the Moon changes periodically and can be closest or farthest even when it is not a full moon. However, because these extremes often occur during a full moon, phenomena like supermoons and micromoons are frequently observed at that time.

☆☆☆☆☆☆
 昨日2024年9月17日は中秋の名月でした。土星がすぐ近くにあって,一緒に写真に収めました。また,明日9月18日は9月の満月「ハーベストムーン」(Harvest Moon)です。

 その1か月前の2024年8月20日は,8月の満月「スタージェンムーン」(Sturgeon Moon=チョウザメ月)でした。これは,8月は五大湖などでチョウザメの漁獲のシーズンを迎えることからついた名前です。また,「 ブルームーン」でもありました。
 「ブルームーン」にはふたつの意味があります。そのひとつは,1月に2回満月があるときの2回目の満月のことです。もうひとつは,ひとつの季節(6月21日夏至から9月22日秋分)に満月が4回あるときにそのうちの3回目の満月のことで,2024年8月20日は季節の「ブルームーン」でした。季節の「ブルームーン」は,約2.5年から3年に1度しかありません。
  ・・
 さらに,この日の月は「スーパームーン」とされて報道されていました。しかし,実際は,今日2024年9月18日の満月のほうが,地球からの距離が357,500キロメートルと近いので,この月のほうがむしろ「スーパームーン」となります。しかし,この翌月,10月17日の満月が地球からの距離が357,400キロメートルとなり,2024年の正真正銘の「スーパームーン」です。また,に最も地球から遠い月である「マイクロムーン」は2月24日満月で,地球との距離は406,000キロメートルでした。
 今日の写真は,1番目が昨日の中秋の名月と月,2番目が2024年8月20日の月と2月24日の月を並べたものです。「(ほぼ)スーパームーン」と「マイクロムーン」はこれだけ見かけ上の大きさが違うわけです。

 ということなのですが,私がずっと疑問に思っていたのは,地球と月の間の距離が最も近いときと遠いときが何も満月に限らないではないか,ということでした。この疑問について調べていて,国立天文台のサイトで見つけた表で納得がいきました。
 実際,月と地球との距離は周期的に変わっていて,やはり,私が思っていたように,満月でないときに最も近くなったり遠くなったりするようです。しかし,やはり,満月のときに最も近くなったり遠くなったりすることが多く,満月のときに限って,「スーパームーン」とか「マイクロムーン」というわけです。

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☆☆☆☆☆☆
 12月の満月は「コールドムーン」。とはいえ,暖かい年の瀬です。
 月を見ていて思い出すのは,JAXAが2023年9月7日に打ち上げた無人月面探査機・着陸機「スリム」(SLIM=Smart Lander for Investigating Moon)です。
 高さ約2.4メートル,燃料を除いた重さは約200キログラムの小さな「スリム」は,H-IIAロケット47号機で鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられました。画像照合航法を利用して月面のクレーターを認識し,「かぐや」が収集した情報を活用しながら現在地を特定し,誤差100メートルを目標に「神酒の海」(Mare Nectaris)付近の「しおり」(Shioli)と名づけられたクレーター近傍への着陸をめざしています。成功すれば日本初の月面着陸機となります。

 当初は2018年度にイプシロンロケットで打ち上げる計画が示されたのですが,2019年度の打ち上げに変更されました。しかし,2016年のX線天文衛星「ひとみ」の喪失事故によって,再び変更されて,2021年にH-IIAロケットで打ち上げ予定のX線分光撮像衛星「クリズム」(XRISM=X-Ray Imaging and Spectroscopy Mission)との相乗りで打ち上げられることになったのですが,今度は,「クリズム」の開発が難航して,2023年の前半に再変更されました。 
 しかし,H3ロケットの打ち上げに失敗した影響からさらに延期され,8月26日に打ち上げ日が設定されたものの,天候の悪化で28日へと延期されたのですが,この日も強風のため打ち上げが中止となり,9月7日にようやく打ち上げられました。
 打ち上げ後は順調で,9月14日に地球周回運用期間に移行し,10月4日には地球を公転する月の重力を利用して軌道を変更する月スイングバイを実施し,12月25日に月周回軌道への投入に成功しました。

 現在のところ,2024年1月20日午前0時ごろに,月の高度15キロメートルから降下を開始し,約20分後に着陸をめざしています。
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 「スリム」にはLEV-1,LEV-2の2機の月面探査ロボットが搭載されています。
 LEV-1は, 月面をジャンプするように移動する月面探査ロボットで,2台の広角カメラを搭載し,直接地球にデータを送信することができます。また,LEV-2は,変形機構や動物の動きなどの玩具技術を応用した小型月面探査ロボットで,2台の広角カメラを搭載し,LEV-1を経由してデータを地球に送信します。
  ・・・・・・
 成功するといいなあと思います。

 ところで,着陸地点は,アポロ11号が1969年7月20日に月に着陸した「静かの海」(Mare Tranquillitatis)に近く,私は,このことのほうに想いがあります。1969年といえば,早いもので,今から54年も前のことになります。 アポロ17号が1972年12月19日に月に着陸して以来,人類は月の地を踏んでいませんが,アメリカは,2025年に再び人類を月に送ろうとしています。

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☆☆☆☆☆☆
 2023年10月29日の早朝,部分月食が起きました。
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 地球の影には本影とそのまわりの半影という薄暗い部分があります。月が地球の本影に入らず半影にのみ月全体あるいは部分が入る場合を「半影月食」,本影にすっぽりと入る場合が「皆既月食」,そして,一部だけが本影に入る場合が「部分月食」です。
 なお,半影は薄い影なので「半影月食」では月が欠けているかどうかはっきりとはわからず,写真に撮るとどうにかわかる程度です。
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 今回は,部分月食なので,欠けた月を美しく見ることができました。
 また,月食のはじまる時間は,日食とは異なり,日本の違う場所から観察しても同じになります。それは,月食では,日食のように,直接太陽が月によって隠されるのとは違い,月が地球の影に入ったときが月食のはじまる時間なので,日本時間を適用する場所であればどこで観察しても同じ時刻になるというのが理由です。

 午前4時30分ごろに西の空に輝く月を見たら,すでに,左下のあたりが欠けていました。思った以上に欠けていたので,驚きました。やがて,月の欠け具合が大きくなるにしたがって,月が西の空に低くなっていって,それとともに,空が白んできました。
 また,木星が月の左上に明るく輝いていました。
 月が欠けたまま山の中に沈む姿が見たかったのですが,残念ながら,雲があって,それはかないませんでしたが,それでも,気持ちのよい明け方の空に,幻想的な姿を見ることができて,満足しました。
 なお,10月の満月は「ハンターズムーン」(Hunter’s Moon)。部分月食の日は,満月の日でもあります。 

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☆☆☆☆☆☆
 11月の満月は「ビーバームーン」ですが,そんな満月の日の2022年11月8日,この日はおそらく今年で1番の天体現象であろう「皆既月食中に天王星食」が起きました。
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 皆既月食はそれほど珍しい天体現象ではありませんが,皆既月食中に惑星食が起こるのは珍しいことで,何と前回1580年7月26日の土星食以来,442年ぶりということでした。1580年といえば安土桃山時代で,安土城の完成が1576年だから,織田信長の絶頂期でした。なお,次回は2344年7月26日に起こる土星食なので,322年後のことです。また,「皆既月食中の天王星食」に至っては,過去5,000年で1度も起きていなかった現象です。
  ・・・・・・
 このように,大げさに報道されていたのですが,これは日本国内でのことで,世界規模では「皆既月食中の天王星食」は,それほどは珍しいものでもなく,8年前の2014年10月8日にシベリアで見られました。また,次の「皆既月食中の天王星食」は2235年6月2日で,これは南アメリカで見られますし,その次は,2304年3月23日に起き,南アフリカから南極で見られます。天王星以外では,1682年8月18日に海王星食が太平洋上で見られたのが最も新しく,この次は,世界規模でも上記に書いた2344年7月26日の土星食まで待たなければなりません。
 果たしてそのころまで,人類は地球上に存在しているのでしょうか?
  ・・
 月食のはじまる時刻や終わる時刻というのは日本全国どの場所でも変わらないのです。どうしてなのでしょう? それは,日食は月によって太陽が隠されてできる影が地球上の一部の場所に限られていて,それが月の動きとともに動くので場所によって起きる時間が異なるのに対して,月食は地球によって太陽が隠されてできる影の中に月が入るのを地球から眺めることによって起きるもので,影は月全体をすっぽりと隠してしまうので,地球上のどこから見ても同じだからです。ただし,月の高度や方位は異なっています。また,天王星食が起き,終わる時刻は地域によって異なります。
 天王星の明るさは最大高度が5.6等星で,かろうじて肉眼で見ることができる明るさですが,木星のように衛星が見られるわけでもなく,土星のように輪があるわけでもないので,見えていたとしても,区別がつきません。そこで,こうした月食のときのように,標的となる天体があるときに,やっと区別がつくというものです。まして,それが食になる,というのはかなりの驚きです。

 いつもいい加減な私は,事前に準備することもなく,何となく晴れたら写そう,と思っていただけでしたが,快晴となったので,ちょっとやる気になりました。とはいえ,空の暗いところに行くわけでもなし,家の近くで見ただけです。
 月が明るいと,空の明るい場所で天王星を見つけるのは困難です。
 この日も,月が欠けはじめるまえは,双眼鏡でも天王星は見つかりませんでした。しかし,月が欠けはじめると,次第に天王星がはっきり見えるようになってきました。
 私がこの日,やりたかったのは,天王星が月に隠れる寸前と月から出た直後の写真を写すことでした。皆既月食はこれまでにも何度も写したことがあるので,特に興味はありませんでした。
  ・・
 その中で,天王星が月に隠れるのを写すのはそれほど難しいものではありませんでした。あるものが消える瞬間は狙えます。適正な露出になるように,何度も試しに写しておけばなんとかなります。しかし,天王星が月から出た直後の写真は難しいのです。ないものが出てくるというのは予行ができないのです。それでも,皆既中であれば,月に隠れるときと同じ露出でいいのだから何とかなるのですが,今回は,月から出るときはすでに皆既は終わっていて,月の明かりがじゃまになるのです。露出を少なくすれば暗い天王星が写らず,露出を多くすると,月が明るくなりすぎて,天王星が消えてしまうのです。
 そんなわけで,月から出るときの天王星を写すのは半ばあきらめていました。
 ダメ元ということで,適当に露出を決め,何段階も露出を変えながら写していきました。
 自宅に戻って調べてみたのですが,天王星を探すのに苦労しました。そして,ついに発見しました! 何と運がよかったことでしょう。露出を変えながら写したもののうち,もっとも露出が適切な写真にちょうど天王星の出が一致していました。
 ということで,今回の,皆既日食中の天王星食を写すことは,完全に成功しました。大満足でした。

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☆☆☆☆☆☆
 今年2022年の中秋の名月は9月10日でした。
 今年はずっと天気が悪く,この晩も月が見られるかどうかわからなかったのですが,雲間に美しい月が輝きました。とはいえ,この暑さでは,例年のように秋らしい雰囲気はまるでなく,虫の音も聞こえず,まったくもって情緒がありませんでした。
  ・・
 中秋の名月は,旧暦8月15日の月のことをいいます。「十五夜」「芋名月」ともよびます。
 平安時代に「お月見」「望月」という月を見る風習が中国から日本の貴族社会に入ってきて「月見の宴」が催されるようになりました。室町時代に入ると,遊宴は簡素になっていき,やがて月を拝みお供えをする風習となりました。そして,江戸時代には家庭で供え物が行われるようになりました。
 毎年このブログに書いているように,日本では,旧暦の9月13日,今年の10月8日が「後の月」。この晩は「十三夜」「栗名月」というお月見を行う習慣もあって,このどちらか片方の月見しかしないとき,それを「片見月」といって忌み嫌います。さて,今年の「十三夜」は晴れるでしょうか。
 さて,もともとは「十五夜」というのは旧暦の8月15日の月だけではなく,毎月15日の月のことをいうのですが,その中でも旧暦8月の「十五夜」を中秋の名月というわけです。旧暦は月の満ち欠けを基準とした数え方ですが,月齢と一致しているわけではありません。満月は太陽,地球,月の位置関係で決まり, 月の公転軌道が楕円なので,新月から満月までにかかる日数は13.9日から15.6日と大きく変化するからです。そこで,「十五夜」は満月とは限りません。しかし,今年は正真正銘,満月となります。

 中秋の名月といえば,月見団子とススキ。月見団子を供えることで収穫に感謝し,ススキは,古くから魔除けの効果があるといわれているので,悪霊を追い払う役割を果たします。
  しかし,古人は
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 春のはじめより,かぐや姫,月のおもしろう出でたるを見て,常よりももの思ひたるさまなり。
 ある人の月の顔を見るは,忌むこと,と制しけれども…
    「竹取物語」
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 とあるように, 月見の宴とはいえ,月自体を見るという行為自体は「不吉な行為」だったようです。
 また
  ・・・・・・
 おほかたは月をも愛でじこれぞこの
 つもれば人の老いとなるもの
   「古今和歌集」879 在原業平
  ・・・・・・
とも詠われていて,月が積もれば年をとって老いてしまう,というのです。
 やがて時代も下ると
  ・・・・・・
 いかばかりうれしからまし秋の夜の
 月すむ空に雲なかりせば
  ・
 どんなにか嬉しいだろう 秋の夜の
 月が澄んだ空に雲がなかったら
   「山家集」西行
  ・・・・・・
と,雲ひとつない夜空の月を存分に眺めたいと,ただ一途に月への恋慕を詠うようになるのです。
 
 「十五夜」の翌日は「十六夜」。今年の「十六夜」は明るい木星が月の左脇に寄り添い,とてもきれいでした。
  ・・・・・・
 君や来むわれや行かむのいさよひに
 真木の板戸もささず寝にけり
  ・
 あなたが来るだろうか 私の方から行こうか
 そうためらっているうちに十六夜の月が出て
 真木の板戸を閉ざさずに寝むってしまったよ
   「古今和歌集」690 詠み人知らず
  ・・・・・・
 「十六夜」の月の出は「十五夜」よりも遅く,それを,当時の人々は「十五夜」に遠慮してためらっているように思い,「いざよふ」といえば「ためらう」ことを表しているのです。

 「十六夜」というと「十六夜日記」を思い出します。「十六夜日記」は,藤原為家の側室・阿仏尼によって記された紀行文日記です。
 女性が京都から鎌倉への道中の紀行を書くといった,他の女流日記とは大きく趣きを異としているもので,鎌倉時代の所領紛争の実相を当事者の側から伝える資料としても貴重です。この日記が成立したころ,この日記に名前はついていなくて,単に「阿仏日記」とよばれていましたが,のち,日記が10月16日にはじまっていることを由来として後世「十六夜日記」と名づけられたもので,月見の「十六夜」とは関係がないようです。


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 このところ,どころかずっと天気が悪く,私は楽しくありません。晴れていなくてもいいから,突然の雨だけはご遠慮してもらいたいものです。散歩にも出かけけられません。梅雨明けとはいっても,おそらく,実は今も梅雨なのでしょう。
 梅雨明け宣言というのは猛暑になって熱中症などの被害が出ないようにということで出されるイメージのようなものということだそうで,数日前の突然の猛暑に役立ったから,それはそれで役目は終わったということでしょう。そしてその言い訳として,今は梅雨の戻りというそうです。
 梅雨入りだの梅雨明けだのといった,そもそも,文系的なきちんとした定義すらないことにこだわるのも,日本の「雅の世界」のひとつなのかもしれません。

 さて,そんな毎日も,先日行った信州では運よく晴れて星見もできたから,私はそれで満足しているのですが,それでも,多くの天体現象を見損ねているのが残念です。
 7月13日は午前3時38分に満月になりました。この満月は,月と地球の距離がもっとも近くなるという,いわゆる「スーパームーン」でした。しかし,7月12日の夜はずっと曇っていて,これもまただめかとあきらめていました。ところが,翌日,いつものように早く目覚めた私は,ひょっとしたら,と窓を開けて外を見ると,何と雲の間から月が明るく輝いていました。ということで写したものが,今日の1番目の写真です。
 今年,地球と月の距離がもっとも遠くなったのは1月17日で,このときの距離が40万1,000キロメートル,そして,最短となったこの日の距離は35万7,000キロメートルでした。このふたつの月の見かけの大きさを比べるために両日の写真を並べようと1月17日に考えていたので,早速,それを実行しました。それが2番目写真です。
 こうして,考えていたことが実行できたので,私はすっかり満足しました。

 さて,7月12日にアメリカ航空宇宙局(NASA)が,2021年12月25日に打ち上げたジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(James Webb Space Telescope=JWST)がはじめて撮影した5枚の画像を公開しました。それに先んじて,その前日にはバイデン大統領が5枚の中の1枚である約46億光年先にある銀河団「SMACS0723」の画像を公開し,世界の天文学ファンが歓喜していました。
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 ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は,ハッブル宇宙望遠鏡の後継機として,アメリカ航空宇宙局が中心となって開発を行った赤外線観測用宇宙望遠鏡です。
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 私は,公開された写真の中で,「ステファンの五つ子」(Stephan's Quintet)を写したものに最も興味を得ました。
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 「ステファンの五つ子」はフランスの天文学者エドゥアール・ステファン(Édouard Jean-Marie Stephan)によって1878年に発見された銀河の集団です。5個の渦巻銀河と楕円銀河から構成されているように見えるのですが,この中でNGC7320という渦巻銀河は見かけ上仲間のように見えても実際にはその距離は約3,900万光年で,互いに重力を及ぼし合ってコンパクトな銀河群を作っている残りの4個の銀河までの距離が約3億光年であるのとは大きく異なっているので,別のものです。
  ・・・・・・
 地球から約2億9000万光年離れたところにあるペガサス座の銀河群「ステファンの五つ子」は史上初めて発見された小規模な銀河群として注目されているものです。ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡で撮影された写真では,これまでに撮影されたハッブル宇宙望遠鏡の写真と比べて,その高い赤外線感度で,新たな研究対象が生まれたといいます。
  ・・
 「ステファンの五つ子」は14等星と暗いものです。
 近ごろのコアなアマチュア天体写真愛好家が写した多くの写真が公開されているので,私も簡単に写るのかな,と思ったのですが,私の持っているような非力な機材で写せるものではありませんでした。
 しかし,私が写した写真にも,今日の4番目の写真で〇で囲んだ部分にかろうじて存在していました。


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 2022年4月12日の午後6時30分ごろから午後7時40分ごろにかけて,月がしし座η(イータ)星の前を横切る,いわゆる「星食」(Star eclipse)がありました。
 星に興味のない人には,ただ,月が星の前を通るというだけのことなので,さほど興味もわかないことでしょう。また,星は,当然,星の数ほどあるので,月が星を横切ることなんていくらでもあるように思えますが,明るい星の前を通ることは意外と少ないものらしいのです。今回は,月が3.5等星の恒星を横切るのですが,3.5等星というのは,比較的明るい星の部類に入るそうです。
 明るい恒星による星食といえば,1等星の恒星は,しし座α(アルファ)星「レグルス」(Regulus),おうし座α星「アルデバラン」(Aldebaran),おとめ座のα星「スピカ」(Spica),さそり座のα星「アンタレス」(Antares)の4つしかないそうですが,今年はそのいずれも起きません。
 そこで,今年起きる明るい恒星による星食は,今回のもの以外には,2.3等星のさそり座δ(デルタ)星や2.8等星のおとめ座γ(ガンマ)星などがあります。

 星食の観測はどんな意義があるのでしょうか。
  ・・・・・・
 星食は,まず,恒星の位置を決定するために用いられます。
 恒星の位置は,これまで観測されたものをまとめた「FK5星表」が基準として用いられていました。FKというのはドイツ語のFundamental-Katalogからの略称です。その後,欧州宇宙機関が打ち上げた位置天文衛星「ヒッパルコス」(Hipparcos)によって精密な位置や固有運動が求められましたが,このふたつには系統的な誤差があって,その原因がわからず,このことを明らかにするためには,精度の高い星食観測が必要で,現在は,それを考慮した「FK6星表」が作られました。
 それ以外には,星食観測を継続することで,月の運動や地球の自転などの様々な経年変化をとらえることができます。さらに,月の形状を精度よく求めるために利用することができます。
 また,近年は,コンピュータの発達で,望遠鏡では分離できないほど接近した重星が月に隠されるとき,その光度差を精密に調べることができるようになったので,そうした重星のデータを得ることが可能になりました。
  ・・・・・・
 
 なるほど,という感じです。天文学もこうした地道な観測が大切なのだと納得しました。
 しかし,私は単に暇つぶしをしているだけなので,そのような精密な観測をする気もなければ,というより,できないので,単に,これまで見たこともない星食がどうやって見えるかな? という好奇心だけで見ようとしたのですが,こうしたことを試してみることで,精密な観測がどのように行われるのか,難しいのか,という理解を深めることができて,興味が深まりました。
 月が太陽の前を通るのが日食,惑星の前を横切るのが惑星食で,そうしたメジャーなものは,これまで何度も見たことがありますが,恒星食を見たことはありませんでした。そこで,私の持っている小さな望遠鏡でどれくらい写るのか試してみたわけです。
  ・・
 今日は,実際に写した写真を,「ステラナビゲータ」というソフトウェアで表示されたもの(2番目と3番目の写真)と並べて載せました。星が月に隠されるときは,日の入り直後で,まだ時間が早すぎて空が明るく,まったくわかりませんでした(4番目の写真)。しかし,星が月から出るときははっきりと確かめることができました(5番目の写真,それを拡大したのが1番目の写真)。
 しかし,私の持っているような小さな望遠鏡では分解能が低すぎて,恒星をクリアなイメージでとらえることができないことが残念でした。

 さて,偶然にも,その3日後の4月15日,早くも次のチャンスがやってきました。
 この晩は,午後11時20分ごろから2.8等星のおとめ座γ(ガンマ)星の星食が起きるということでした。月も満月に近く,こちらのほうがずっと条件がよいのです。ところが,ずっと空を見上げていても,天気予報に反して,雲が覆い月が見えません。それでも見ていたら,星食が起きる少し前に,奇跡的に雲の間から月が覗いたので,そのときに写真を写しました。
 そのときのものを「ステラナビゲータ」による予報とならべて載せます。それが,今日の最後の2枚のものです。機材が貧弱なのでなかなかうまくいきませんが,これはこれで,結構楽しいものでした。

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Pink Moon.

翌4月16日は満月でした。
4月の満月は「ピンクムーン」といいます。

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「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは

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☆☆☆☆☆☆
 11 月19日の夕方「ほぼ」皆既日食が見られました。
 月食とは,月の一部または全部が地球の影に隠されて見えなくなる現象です。月は鏡のように太陽の光が当たると輝いて見えます。そこで,太陽,地球,月が一直線となって,太陽の光が地球に妨げられて月に当たらなくなると暗くなり,月が欠けて見えるとき,月食となります。
 地球の影には本影とそのまわりの半影という薄暗い部分があります。月が地球の本影に入らず半影にのみ月全体あるいは部分が入る場合を「半影月食」,本影にすっぽりと入る場合が「皆既月食」,そして,一部だけが本影に入る場合が「部分月食」です。
 半影は薄い影なので「半影月食」では月が欠けているかどうかはっきりとはわからず,写真に撮るとどうにかわかる程度です。
 月全体が地球の本影に隠れる「皆既月食」では,太陽からの光のうち赤い光が地球の大気により屈折して月の表面に届くため,月は完全に見えなくなるのではなく,暗い赤色となります。

 11月19日の夕方に起きたのは地球の本影に月の97.8パーセントが入る部分月食でした。「部分月食」とはいっても「ほぼ月全体が隠れる皆既月食に近い」状態ということだったので,私はとても興味がわきました。日食の場合は100パーセント「皆既日食」でないと鮮やかな姿は見えませんが,月食はそのようなことはないはずです。
 「皆既月食」は珍しい現象でないのですが,逆に,「限りなく皆既に近い部分月食」はめずらしく,これは140年前の1881年12月6日以来のことだそうです。
  ・・
 思ったよりも雲が多い日でした。月が東の地平線から昇ってきたとき,月出帯食とよばれるすでに欠けた状態になっていたのですが,そのころはまだ東の空だけ雲があって,がっかりました。その後は,雲で月が見えたり見えなくなったりと不安定だったのですが,次第に雲が少なくなってきて, 食のはじまりからおよそ1時間45分後の午後6時3分,欠けた割合が最も大きくなる「食の最大」のころは食はよく見えました。
 「皆既月食」では月全体が赤くなるのですが,それと同じように全体的に赤みを帯びながらわずかな部分だけが白く光るように見えました。今回は薄曇りのためか,思ったよりも暗い状態でした。月が赤く見えるのは,太陽光が地球の大気中を通過する際に屈折してわずかながらに月を照らし,光の成分のうちで青い光は大気に散乱させられるので月まで届かず,赤い光は散乱されにくいので月まで届いて月面を照らすことによります。
 食は,「食の最大」の約1時間45分後まで続きました。
 今回,私は,この食が終わるころがとても興味深く思えました。それは,普通の月の満ち欠けとはちがって,影の部分が半円状になっていたからです。何事も体験してみないとわからないものです。

 食の終了後,何事もなかったかのように,「ビーバームーン」(Beaver Moon)とよばれる11月の満月が輝いていました。

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☆☆☆☆☆☆
 このところ天気がさえません。 
 この時期は例年は五月晴れの日が続き,3月末から4月にかけての春霞やら黄砂から解放され,また,寒さからも遠のいて,夜は短いですが,星見には最適な季節となるのですが,今年はだめです。 
 さまざまな天文現象が報道されているのですが,果たして何人の人が実際に見るのだろうかと思うとかなり疑問を感じます。特に流星群のニュースなんて,晴れていても満足に星も見えないのに,何をいっているの,と私は白けてしまいます。
 そんななかで,天気さえよければ,都会でもまあ満足に見られるのが惑星と月の接近,そして,国際宇宙ステーションです。
 5月13日は月齢1.7の月が水星の下に,そして,5月14日は,月齢2.7の月が水星に追い越されて,西の空に見えました。また,午後8時30分ごろは,国際宇宙ステーションが天頂付近を通過しました。私は,いつものように,夕食後の散歩を兼ねて,西の空の開けたところにカメラと三脚を持ってでかけました。

 5月13日。月の下にはさらに金星があるはずなのですが,まだ日没からまもなく明るくてまったく見られませんでした。そのうち,次第に西の空には雲が深くなってきて,何も見えなくなってきました。しかし,それはそれでおもしろいものです。…などと思うようになったのも不思議な話です。
 しばらく見ていたら,雲の隙間から薄っぺらな月が見えました。そして,さらに待っていると,水星が見えました。月が見えるときは水星が雲に隠れ,その反対に,月が隠れると水星が見える,という状態だったのですが,やがて,ほんの一瞬,月と水星が見えました。そのときに写したのが,今日の1番目の写真です。
 翌日,5月14日。天気予報では晴れということだったので期待したのですが,空一面に薄雲があって,がっかりしました。月と水星だけでなく,さらに上空には火星もあって,35ミリほどの広角レンズなら,水星と月と火星が写せるはずだったのですが,薄雲の奥に月だけが見えました。薄雲の向こうの月というのも,それなりに幻想的なものでした。また,国際宇宙ステーションは,薄雲に負けることもなく,明るく輝いて通過するのを見ることができました。


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☆☆☆☆☆☆
 4月の満月を「ピンクムーン」といいます。ピンクに見えるからピンクムーンではないのですが,27日の月の出のころ,薄い雲に覆われた月が実際ピンクに輝いていて,とても幻想的でした。
 27日は曇るかも,ということと,実際の満月は今日のお昼12時過ぎだったということで,前日の26日にも写しました。26日の月の出は午後5時30分過ぎでしたが,その時間,太陽が西の空に輝き,雲ひとつない空は澄んでいて,それが災いとなって,なかなか月が見えてきません。やっと目を凝らすと東の空に月が見えはじめ,次第にはっきりと見えてきたころ,反対がわの西の空を見ると,沈みかけた夕日がきれいでした。

 毎月,満月には名前がついています。それは,月の満ち欠けとともに生活していたネイティブアメリカンがつけたものですが,近年は,日本でもこのよび名が定着してきたように思います。
 今日は,その名前を紹介します。
  ・・・・・・
●1月:ウルフムーン(Wolf Moon)
 真冬の狼の遠吠えから。
●2月:スノームーン(Snow Moon)
 雪の季節なので。
●3月:ワームムーン(Worm Moon)
 春になって地面から虫が這い出してくる時期です。
●4月:ピンクムーン(Pink Moon)
 春に咲くピンク色の「フロックス」(wild ground phlox)という花に由来。
●5月:フラワームーン(Flower Moon)
 花の季節だから。
●6月:ストロベリームーン(Strawberry Moon)
 野いちごの収穫の季節なので。
●7月:バックムーン(Buck Moon)
 雄鹿(バック)の角が生え変わる時期より。
●8月:スタージャンムーン(Sturgeon Moon)
 「スタージャン=チョウザメ」がたくさん捕れますようにとの願いを込めて。
●9月:ハーベストムーン(Harvest Moon)
 収穫の時期。
●10月:ハンターズムーン(Hunter’s Moon)
 鹿やキツネを狩る月だから。
●11月:ビーバームーン(Beaver Moon)
 ビーバーを捕獲する罠を仕掛ける時期。
●12月:コールドムーン(Cold Moon)
 寒さが本格的になる季節。
  ・・・・・・
 ちなみに,「ブルームーン」は「同じ月に2回の満月があるときの2回目の満月」のことです。
 「once in a blue moon=めったにない」という意味から「とてもめずらしい月」として使われています。
 また,月は地球の周りを楕円軌道で動いているので,地球との距離が変わります。1年のうちで地球の中心と月の中心が最も近い満月を「スーパームーン」,その反対に最も遠い満月を「ミニマムムーン」といいます。
  ・・
 今年2021年の「スーパームーン」は次の満月5月26日ですが,この日は皆既月食でもあります。


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  掩蔽(occultation)とは,観測している天体と観測者の間を他の天体が通過するために,観測している天体が隠される現象のことをいいます。通常は,観測者から見て近い方の天体の方が見かけの大きさが大きく,遠方にある天体を完全に隠す場合のことをいい,その反対に,遠方にある大きな天体と観測者の間を小さな天体が移動することによって遠方にある大きな天体を部分的に隠す現象を通過といいます。たとえば,太陽の前を水星や金星が通過するものを太陽面通過といいます。
 また,近いほうの天体が月の場合,つまり,月が星の前を通過する掩蔽を,特に星食(lunar occultation),また,恒星の前を通過する星食を恒星食といいます。
  ・・
 月の軌道は一定しておらずふらついているので,毎月同じ恒星が恒星食になるわけではありません。恒星はたくさんあるので,恒星食は絶えず起きているように思われがちですが,暗い恒星は月の明るさに消されて月の近くにあると見えなくなってしまうので,観測できる恒星はおよそ9等星より明るいものに限られてそれは約3,500個あまりです。
 しかし,1等星の恒星が隠される恒星食となると,可能性のあるのはしし座のレグルス,おとめ座のスピカ,さそり座のアンタレス,おうし座のアルデバランの4つしかありません。それも,まれにしか起きません。

 4月22日の夕方午後7時前,月齢10の上弦過ぎの月が3.5等星のしし座のη(エータ)星を隠す恒星食が起きました。 恒星が月の暗い縁に潜入して隠れるのは午後5時30分ごろでしたが,まだ日没前なので見えませんでした。月が恒星の前を通過している間に日が沈み,空が暗くなってきて,月の明るい縁から恒星が出現する時点では日の入りの直後となって,空はまだ明るいのですが,なんとか見られるかも,ということでした。
 今回月が隠したしし座η星は,月に隠されることがある恒星としては比較的明るい方ですが,日没後なので,当然,肉眼では見えません。望遠鏡なら見えそうです。そこで私は,写真でも写るだろうということで試してみました。恒星食の起きる時間は観測する場所によって異なります。私の住んでいるところでは,出現する時間は午後6時49分ごろでした。
 幸いこの日は天気がよかったのですが,月はほぼ天頂に近く,望遠鏡を向けるのに苦労しましたが,なんとか月を視野に入れることができました。いつも月を写すのと同じようにして設定をし,月の背後から星が出てくる少し前の午後6時48分から10秒刻みで写すことにしました。
 何枚も写し終えて,後で確認したら,幸運にも,写真のように,確かに恒星の姿を確認することができました。私は,これまで,恒星食など,興味もなかったし,写したこともありませんでしたが,それなりにおもしろいものでした。今回もまた,何事もやってみなければわからないと思ったことでした。
  ・・
 なお,天文年鑑2021には,この恒星食については詳しい説明がありませんでした。その理由として「暗縁への潜入が昼間,明縁からの出現が日没前後と条件が悪いため,予報には示していない」と書かれてありました。


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 ここ数日すごく寒く,冬に戻ったみたいです。でも,初春の最大の迷惑である黄砂も飛来していないようで,春にしては珍しく星空がきれいです。
 2日前に遠出してアトラス彗星(C/2020R4 ATLAS)の写真を写したので,連日遠出する予定もなく,しかし,あまりに空がきれいなので,早朝4時30分に起きて写真を写すことにしました。
 2日前に星見に遠征したときには月齢25.4の月と木星と土星が美しく輝いていました。その2日後のこの日は,月の出はどんどんと遅くなり,月齢27.4の月が日の出直前に昇ってきます。早起きして写真を写した理由は,この月齢27.4の月がはたして見えるかということに興味があったからです。

 午前4時40分ごろの東の空には木星と土星が美しく輝いていました。晴れているとこうして簡単に見られる惑星ですが,曇ってしまうと,それが夢だったように何も見えなくなります。これがまたおもしろいのです。それにしても,明け方,日の出前の空は,何度見ても本当に神々しいものです。
 やがて5時を過ぎるころになると空が白みはじめて,木星より暗い土星は肉眼で見るのが困難になってきました。こうなると,月が昇るのと土星が見えなくなるそのどちらが早いかの競争になります。
 東の空低く目を凝らすと,薄い月が地平線ぎりぎりに見えてきました。しかし,その一方で,土星は肉眼では見えなくなってしまいました。まだ,木星だけはなんとか見えました。しかし,写真なら,土星もまだ写ります。
 月と木星と土星はけっこう離れているので,画面に入れるには30ミリレンズより広角であることが必要ですが,写真に写すための適正な露出がわかりません。カメラの露出計などまったくあてにならず,手動では,露出をかけると空が白くなってしまうし,露出をかけないと月や土星が写りません。
 そこで,何枚も露出を変えて写真を撮りました。その後,ズームを望遠にして月の写真だけを写しました。家に帰って拡大して見たら,かろうじて月と木星と土星が写っていたので満足しました。

 私は以前,月齢1から月齢28までの月をすべて写したことがあるので,月の写真を写すことには,もう,執着心はないのですが,明け方の細い月は,何度見ても美しいものです。おそらく事前に位置を調べておいて大口径のレンズで狙えば,月齢27といわず,月齢28のような,もっと月齢が過ぎた薄い月であっても写るのでしょうが,今の私にはそこまでの情熱はありません。それは,このごろは,お金をかけてそんなことをするよりも,気軽に小さなカメラと三脚だけをもって,散歩を兼ねて田んぼのあぜ道で日の出とともに消えていく星々を眺めていることの方に楽しみを見出してしまったからです。でも,これはこれで私には十分に幸せなことなのです。


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☆☆☆☆☆☆
 このところ,ドクターイエローと国際宇宙ステーションの動画と写真ばかりを写しています。お金もかからず,近場で楽しめ,人と会わないので,最高です。しかも,奥が深いのです。
 ところで,私が「撮り鉄」が嫌いなのは,第一に群れること,第二に道徳心がないこと,それが理由です。ひとりで楽しめばいいのに,群れて行動しています。さらには,場所を占有したり,田んぼに入り込んだりと,傍若無人です。
 幸い,私の家のベランダから新幹線が見えるので,家から写しているときは平和なのですが,いざ,近くで写そうと架線に近づけば,ドクターイエローが走る日は,カメラと三脚をもった人たちが群れていて気がめいります。私は地元なので,それでも,人が近づかないところを知っているからよいのですが,これには参ります。だから,私は,間違っても「撮り鉄」にはならないのです。

 さて,今日の本題である国際宇宙ステーションです。
 3月は日が沈んで暗くなってきたころに,ちょうど月がいい位置にあって,連日,月の近くに見ることができます。しかし,毎回なんらかの条件がちがうので楽しいです。しかし,予習もできず,どのように見えるのか皆目見当がつかず,いつもぶっつけ本番なので大変です。
 3月17日は,なんと,月の欠けた部分の表面を通り,しかも,太陽と国際宇宙ステーションの位置関係で,月の表面に来るまではまったく見えず,月を通過するときだけ一瞬明るく見える,というとんでもないものでした。このときにどうにか写した写真はすでにこのブログに載せましたが,露出が不足だったので,国際宇宙ステーションが暗くしか写らず,悔いが残りました。
 国際宇宙ステーションの撮影には,長時間露出して動く軌跡を写したり,拡大して写したり,動画で写したりと,いろんなパターンがあります。長時間露出で写す場合は,空の明るいところでは,露出オーバーで白くなってしまい,暗い星が写りません。そこで,短い時間の露出を繰り返して,あとでコンピュータで合成するという方法をとることにになります。拡大して写す場合は,その位置を正確に把握しておく必要があります。また,動画で写す場合,私の持っているカメラでは,1コマあたりのシャッタースピードを30分の1秒より遅くできないので,ISOと絞りを工夫して,なるベく暗い天体まで写るようにしなけばなりません。
 さらに,今回の写真のように,月と一緒に写真に入れて写すには,月の模様が写る適性露出で,しかも,国際宇宙ステーションも写らなければならない,という条件になるので,結構きついです。

 3月19日。この日はもともとは写す気がなかったのですが,「きぼうを見よう」というサイトを検索していたら,私の住んでいるところで,国際宇宙ステーションが月の表面を通るというのを見つけて,急にやる気になりました。しかし,「ステラナビゲータ」で詳細に調べ直すと,どうやら私の住んでいるところでは,月の表面からは少しずれているようでした。そこで,さらにより詳しく調べてみると,今回,月の表面を通過するように見える場所は,北緯35度20分から北緯35度22分の帯状のところだとわかりました。
 これまで私は知らなかったのですが,月の表面を通るように見える場所というのは,これほど狭い場所に限るわけです。これには驚きました。そこで,その条件に適したところで写さなければなりません。Google Map を使って,緯度を特定して,しかも,なるべく空の暗いところをいくつか探しだして,下見までしてきました。そうして見つけたのが,家から車で30分行った河川敷のキャンプ場でした。
  今回は,動画と拡大写真を写すことにして,機材を用意しました。
 そして,現地に到着したのが18時39分。快晴でした。
 国際宇宙ステーションは,予報通り18時56分20秒過ぎに月をかすめ,さらに火星に接近して飛行していきました。とてもきれいでした。
 この日は,国際宇宙ステーションを動画で写すのに成功しました。中央右上の星が火星,左上端の星がアルデバランです。そして,同時に別のカメラで写真も写しました。私の持っているのは,安価で貧弱な機材でしたが,それでも,なんと国際宇宙ステーションの形も写りました!
 本当は長時間露出をした写真も写したかったのですが,さすがに一人三役は無理なのであきらめました。 また,月の上を通過している国際宇宙ステーションもも捉えたつもりだったのですが,家に帰って写真を調べてみても写っていなくて,それだけがショックでした。
 しかし,それはそれとして,今回はとても満足しました。大した機材もなく,お金も手間もかけないのに,結構いろいろと楽しめるものです。何事も机上の知識だけではなく経験が大切です。


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☆☆☆☆☆☆
 昨日の早朝,金星に接近した月とその下にある水星が並んだ写真を写して,ブログに載せました。その翌日11月14日の早朝は月が移動して,今度は水星に接近します。水星と月の接近,私はむしろこちらの方が魅力的だったのですが,それを見るのはお天気次第だと思っていました。早朝4時過ぎ,早起きして空を見ると,幸いなことに,雲ひとつない晴天だったので,気分をよくして,写しに出かけました。
 前日の経験でどのあたりに見られるか,何時ころから見られるかはわかっていたので,三脚を組み立ててカメラを設置して,そのときを待ちました。今日の1番目の画角で写すには300ミリレンズ,そして,2番目の画角で写すには50ミリレンズだということも調べておいたので,この2本を用意しました。
 午前5時過ぎ,思ったよりも早く月が見えはじめました。そして,その横に水星が見えました。
  ・・
 写ってしまえば大したことがないように思いますが,よほど天気がよくて,しかも,大気が澄んでいないと見えません。これまでも,見えるはずの水星が濁って灰色である空に埋もれて探せなかったことが何度あることか! そうするうちに,写真を写すことも忘れて,その美しさに手を止め,見とれてしまいました。これほど神々しい姿はそう見られるものではありません。

 子供のころ,地動説で有名なコペルニクス(Nicolaus Copernicus)でさえ死の床で「私は生涯,水星という天体を見ることがなかった」と嘆いたという話を知って,なんとか水星を見てみようと,家の屋根に上ったりしたことを思い出します。それは,水星は太陽系の中で一番内側を回る惑星で,地球から見た水星は太陽のそばをへばりつくように動いていて太陽の光が邪魔になってなかなかその姿を見ることができないからです。
 しかし,実際は結構簡単に見ることができるもので,この日のように,天気がよく空が澄んでいれば,西方最大離角(11月11日でした)前後なら,早朝,といっても午前6時ころ,東の空20度近くの高さに1等星で輝いています。
 明日は新月です。


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☆☆☆☆☆☆
 星のきれいな季節です。今は,春と違って,空が澄んでいて,しかも,夜が長いこともあり,また,それほど寒くないので,ずいぶん楽しめます。
 今年のこの時期,次のような見ものがあります。
  ・・・・・・
 11月中旬ごろ,未明から明け方の東南東の低空で,明けの明星の金星とおとめ座の1等星スピカが接近して見える。最接近は11月17日ごろで,4度未満まで近づく。
 また,左下のほうには水星も見える。また,13日には細い月も近づいてくる。
  ・・
 明け方の東南東の低空に見えている水星が,11月11日に太陽から最も離れて西方最大離角となる。日の出45分前の高度は約9度でかなり低いが,水星としては見やすいほうだ。
 やや離れているが,水星の右上のほうに明けの明星の金星も輝く。
  ・・
 11月13日の未明から明け方,東南東の空で月齢27の細い月と金星が接近して見える。地球照を伴った幻想的な細い月と金星の共演は,数ある月と惑星の接近の中でも随一の美しさだ。
 下のほうには金星と接近中のスピカが見える。さらに下には西方最大離角を過ぎたばかりの水星もあり,翌14日の明け方にはいっそう細くなった月と大接近して見える。
  ・・・・・・

 ということで,11月13日,ここに書かれた星々を写してみました。
 このような天体現象は,さほど珍しいモノではないのですが,晴れていて,地平線近くまで空が開けた場所でないと見ることができません。また,金星,水星,月などの位置関係が,毎回微妙に異なるので,何度見ても見飽きることはありません。
 早朝,このような美しい風景に出会うと,その日は何かいいことが起こりそうな気がします。
 それにしても,空ではこれほど美しい競演が行われているのに,それに気づかない人がなんと多いことか!


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無題月食sMoon_age 14.2 tlunar-eclipse-reason-mDSC_6572 (4)DSC_6500 (2)

 2020年は半影月食が4回あります。日本で見られるのはそのうちの3回です。1回目は1月11日で,2回目が6月6日,そして,3回目が11月30日です。
 日食は,皆既日食,金環日食,部分日食がありますが,月食には皆既月食,部分月食,半影月食があります。不勉強な私は今年1月11日の半影月食まで,月食は皆既月食と部分月食だけだと思っていたので,半影月食というものがあることを知りませんでした。
  ・・
 月食(lunar eclipse)は,地球が太陽と月の間に入り地球の影が月にかかることによって太陽の光が月に当たらなくなることで地球から見たときに月が欠けて見える現象のことです。
 日食とは違い,月が見える場所であれば地球上のどこからでも同時に観測・観察できるるので,日食より敷居が低いです。
 月のすべての部分が地球によって太陽が完全に隠された部分(=本影)に入る場合を皆既月食(a total eclipse),一部分だけが本影に入る場合を部分月食(a partial eclipse),月が地球が太陽の一部を隠している部分(=半影)に入った状態を半影月食(a penumbral eclipse)といいます。私が以前に写した皆既月食の写真が今日の3番目のものです。

 半影月食は半影に入った月面の部分の減光が注意深く観察しなければわからない程度なので,肉眼で見てもほとんどわかりません。
 1月11日早朝に起こった半影月食は薄雲ごしに見られました。肉眼ではほとんどわからないのですが,写真で比べると左下の部分が暗くなっていて,半影が判別できました。これが今日の2番目の写真です。
 6月6日早朝の半影月食が今回のものでした。半影が最大になるのが午前4時25分ということでした。この晩(6月5日から6日)は月食が起きるので当然満月ですが,6月の満月をストロベリームーンといいます。
 薄雲があって,あざやかな満月は見ることができなかったのですが,なんとか写真に収めることができました。明け方3時以降は天気が回復して晴れるという天気予報だったので期待しました。半影月食が起きている4時過ぎという時間は,6月はすでに空はけっこう白んでいるのですが晴れれば月は見えます。しかし,早朝空を見ると,一面雲が出ていてがっかりしました。月は南南西の地平線から30度あたりにあって,月のあるあたりだけ時折薄く鈍く輝くので,そこに月があることだけはわかりました。
 そんなひどい状況でしたが,なんとかおぼろげな月の写真を写して,作晩にうつした満月の写真と並べてみたのが,今日の1番目のものですが,半影月食などまったくわかりませんでした。

 さて,6月といえば梅雨ですが,私には梅雨入りまえのアジサイとホタルです。毎年,この時期のアジサイはとても美しく,こころが洗われます。特に今年は,例年行われるアジサイ祭りもないので,静かに鑑賞ができ,私にはむしろ好ましいものます。また,ホタルも各地のホタル観賞会が中止となっていて,これもまた,静かな環境でホタルの乱舞を眺めることができます。
 ホタルは星空同様,見ることができる場所が限られているのですが,その場所がなかなかわかりません。これもまた星空同様,一般の人が知ってしまうとその場所はもうだめです。さらに,ホタルが飛び交うのを見ることができる期間は短く,また,毎年違い,さらに,見られる状況が異なります。
 6月4日の夜,ホタルを見に出かけました。今年はこの時期,あいにく月が明るく条件はよくなかったのですが,なんとかホタルが舞う姿を見ることができました。
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 梅雨空で晴れないかもしれませんが,6月21日には部分日食でもあります。さらに,6月下旬からはいくつかの明るい彗星も地球に近づいてきて見ることができるようになるというように,空の上はイベントが続きます。また,場所によってはもう2週間ほど後にホタルが見られるところもあって,そのころは月の光もないので,それも楽しみです。
 タイトル戦初挑戦も加わって,対局目白押しの藤井聡太七段の将棋中継も楽しまなくてはならないし,私には楽しい6月になりそうです。

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☆☆☆☆☆☆
 今,夕方の西の空に金星がきれいです。
 金星は大きさと質量が地球によく似た惑星です。公転周期は225日ですが,地球とは違って自転周期は243日と長く,しかも自転の方向が公転とは逆です。また,地球のように大気があるのですが,分厚く覆われているので地表の温度は約摂氏470度もあり,二酸化硫黄の雲から硫酸の雨が降っているといいます。
 金星は地球より内側を公転しているので月と同じように満ち欠けします。太陽の反対方向に見えることはないので,地球と金星と太陽の位置関係から,夕方の西の空(宵の明星)か明け方の東の空(明けの明星)にしか見えません。金星が太陽から東に最も離れて夕方の西の空に最も高く見えるときが「東方最大離角」で,反対に太陽から西に最も離れて明け方の東の空に最も高く見えるときが「西方最大離角」です。
 今年の金星は5月ごろまで夕方の西の空にひときわ明るく輝いていて,3月25日の東方最大離角をすぎると,次第に太陽に近づいていきます。4月28日には最大光度を迎えました。

 金星は,およそ1か月に1回くらいのペースで細い月と並んで見えます。ちょうど今月は25日から27日までがそうでした。3日間にわたって,次第に月が金星に接近するのを見ることができました。金星の輝きはそれだけでも美しいものですが,幻想的な細い月と金星が夕空に並ぶ光景は幻想的です。また,この時期の金星は望遠鏡で眺めると,月と同じように三日月状に見えます。
 この3日間は幸い天気に恵まれたので,写真に収めることができました。今日の2番目の写真の左側が4月25日,そして右側が4月26日です。4月26日は少し雲があったのですが,なんとか見ることができました。そして,最も近づいた4月27日が今日の1番目の写真です。この日はさらに,望遠鏡を使って,月と金星の拡大写真も写すことができました。
  ・・
 金星はプレアデス星団M45との大接近も起こります。今年は4月4日ころ,最もプレアデス星団に近づきましたが,そのときに写した写真が3番目のものです。
 この先の見ものは5月24日です。この1か月で金星は急速に高度を下げていくのですが,5月24日は夕方の西の低い空で水星と大接近し,そこに月齢1.7の細い月が並びます。今から楽しみです。晴れるといいなあ。

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☆☆☆☆☆☆
 パークス天文台(Parkes Observatory)はオーストラリア・ニューサウスウェールズ州パークスにある電波天文台です。口径64メートルの電波望遠鏡を核とする電波天文台で,アメリカ航空宇宙局のディープスペースネットワークキャンベラ深宇宙通信施設の口径70メートルに次いで南半球では第2位の口径をもつものです。
 内側の直径17メートルが高精度アルミパネル,その外側から直径45メートルまでは穴のあいたアルミパネル,その外側は鉄線のメッシュになっています。観測可能な周波数は400ミリヘルツから43ギガヘルツです。
 1961年に建てられたパークス天文台は,現在基本的な構造だけを残して最新の電波望遠鏡として機能するようアップグレードされています。特に,パルサーの観測に力を入れていて,世界中の他の電波望遠鏡によって発見されたパルサーの数を全部合わせてもパークス天文台で発見されたパルサーの数には敵わないそうです。
 今年2019年3月,私はシドニーから車で5時間かけてこのパークス天文台を訪れました。パークス天文台の電波望遠鏡こそ,50年前にアポロ11号が月から生中継をしたときの電波を受信したところです。
 もともとはほかの追跡基地をバックアップするための場所だったのに,打ち上げ間際の変更によって,アメリカの正反対の国にあるこの電波望遠鏡が大仕事を仰せつかることになったのです。

 この出来事を元にして2000年に制作された映画が「月のひつじ」(The Dish)でした。
  ・・・・・・
 1969年7月,アポロ11号が人類初の月面着陸を目的に打ち上げられた。アメリカのNASAは世界にその様子を生中継すべく,カリフォルニア州ゴールドストーンの受信設備を当初用いようとしていた。
 しかし、打ち上げのスケジュールがずれ,月がアメリカの裏側にあって電波が届かない時間帯に月面着陸を行うことになってしまった。そこで白羽の矢が立ったのが,オーストラリアのニューサウスウェールズ州の田舎町パークス。羊の数のほうが人よりも多いといわれるところにあるパークス天文台のパラボラアンテナであった。かくして,世紀の一大イベントの中継成否がこの小さな町の天文台に託されたのだった…。
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 オーストラリア連邦科学産業研究機構(Commonwealth Scientific and Industrial Research Organisation=CSIRO)によると,当初の計画では、カリフォルニア州のゴールドストーン基地が追跡基地となり,オーストラリアのキャンベラ近郊にあるハニーサックルクリークにある基地は司令船コロンビア号を追跡することになっていました。パークス天文台の任務は月面歩行の間このふたつの追跡基地をバックアップすることだったのです。しかし,打ち上げの2か月前になって変更され,パークス天文台に白羽の矢が立てられたのです。
 月面着陸当日オーストラリア時間午前6時17分,月に降りた宇宙飛行士たちは,予定よりはやく船外活動をすることになりました。そのため,パークス天文台で月からの信号を受信することは不可能かと思われましたが,準備に手間取り船外活動をはじめたために,パークス天文台からの受信が可能になりました。
 しかし,次のトラブルに見舞われます。
 そのころ,パークスの電波望遠鏡には時速110キロメートルの強風が吹きつけていたのです。大きな皿状の望遠鏡は風を受けて後ろに倒れそうになります。安全面での限界を超えていましたが任務は遂行されました。幸い、風は衰えを見せ,バズ・オールドリンがテレビカメラを稼動させた時にはちょうどパークス天文台が信号を受信できる位置まで月が昇っていました。
 こうして,パークス天文台の電波望遠鏡が月からの信号を受信し歴史的瞬間の映像と音声が世界中に送られたのです。

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 今日の1番目の写真は,アポロ計画で最後に月に着陸したアポロ17号の地球に帰還した司令船です。現在はフロリダ州のケネディ宇宙センターに展示されています。
 前回はアポロ計画のうち11号までのことを書きましたので,今回はその後のアポロ計画に関わる私の思い出話を書きます。

 ケネディ大統領が1960年代に人間を月に送ると演説して10年,それが実現しました。1970年には大阪で開催された万国博覧会で月の石が展示され,私はそれを2時間くらい並んで見ました。
 その後,アメリカに行くようになると,アメリカの博物館には月の石なんてごろごろあることを知って,これを見るために2時間も待ったことがあったのかと,当時が懐かしくなったりもしました。それは,来日したフェルメールの絵画を人だかりのなかで見るときのことを,現地に行ってだれもいない展示室でひとりフェルメールと対面しているときに思い出すのと同じです。

 ところで,実は,私はアポロ11号の月面からの中継を実際は生放送では見ていないのです。それは,ちょうどその日学校から泊りがけの林間学校に行っていたからです。
 今考えると大変おしいことをしたように思うのですが休むわけにもいかずどうしようもありませんでした。家に帰ってから再放送を見ました。
 それから4か月して,アポロ12号が打ち上げられました。はじめて月面からカラーで中継されるという触れ込みでした。今度こそ生中継を見るぞと意気込んで深夜にはじまった番組を見はじめました。ところが,宇宙飛行士が月に降りる,というちょうどそのとき,宇宙飛行士が誤ってテレビカメラを太陽に向けたために壊れてしまったのです。結局,音声だけの放送になって,それにはがっかりしました。
 そして,次のアポロ13号は月に向かう途中で事故を起こし着陸を断念,月からの中継をそのときもまた見ることができませんでした。私がアポロ13号の事故で覚えているのは,夕刊の1面の「月着陸を断念」という大きな見出しだけです。事故の詳細を知ったのは,その後,映画や書物で取り上げられたおかげです。

 アポロ14号からアポロ17号までは計画どおり月着陸に成功しましたが,日本では次第にテレビ中継も縮小されたり,行われなくなったりでとても残念でした。
 そうしたなかで,今でも覚えているのは,アポロ14号が月に向かう途中で司令船が月着陸船を3段目のロケットの上部からドッキングして引き出す作業を,ちょうど朝のワイドショーで中継したことがあったのです。しかし,それがそのときに限りうまくいかず,なんども失敗をくりかえしていたシーンです。かなり衝撃的なものでした。番組は時間になって途中で終わってしまいました。結局,ドッキングに成功したのはその1時間もあとだったということです。
 アポロ計画では,毎回,このような何がしかのトラブルが起きていました。

 そんなわけで,アポロ計画が行われていた時代に生きていたのに,実体験というのは,考えて見れば,それほどは多くなかったのです。しかし,そのことが,私をアメリカに向かわせることになった大きな理由であるのは否めないことで,今もアメリカに行くたびに,なにがしかの痕跡を求めて歩いているように思います。
 私は,アポロ計画のロケットの打ち上げシーンを生でみることはできませんでした。のちのスペースシャトルの打ち上げももまた,見ることができませんでした。私のまわりには,実際にスペースシャトルの打ち上げを見た,帰還するところを見たという人もいるのですが,うらやましい限りです。
 今日の2番目の写真は,ケネディ宇宙センターにあるロケット打ち上げを見る観覧席から見た発射台の様子です。打ち上げを見にいっても,実際はこんなに遠くからしか見ることができなかったわけで,もし,見ることができたとしても,白い煙を上げて鉛筆ほどのものが空に飛んでいく姿を眺めるだけだったのでしょう。それでも,はやり,生でみたかったものです。

 今年はアポロ11号の月着陸50年ということで,その計画がさまざまな困難の上に成功したと今さらながら話題になっています。しかし,調べてみると,その陰に隠れて,失敗したアポロ13号だけでなく,それ以外のアポロ12号からアポロ17号でも,大なり小なりいろんな問題は起きていて,それを様々な工夫で克服していたということがわかります。もっとも成功したといわれるアポロ15号であっても,やはり,いろんなトラブルが起きています。
 何か事を成すときに予期せぬトラブルは避けられないものです。それを想定外と片づけて責任をなすりつけてあげくの果ては致命的な結果に至ることがあります。しかし,大切なのは,計画どおりにいかなかったときに,いかに機敏に多くの人の英知を結集してそれを致命的なミスに至ることなく克服し回避するかということだと,私はこうしたことから実感するのです。


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 50年前の今日,「アポロ11号」が月に着陸しました。
 「アポロ11号」は,船長であったニール・アームストロング(Neil Alden Armstrong)とバズ・オルドリン(Buzz Aldrin),マイケル・コリンズ(Michael Collins)の3人の宇宙飛行士を乗せて,協定世界時(UTC=Coordinated Universal Time,日本時間はそれより9時間早い)で1969年7月16日13時32分(日本時間22時32分)に,アメリカのフロリダ州にあるケネディ宇宙センターから打ち上げられ,月軌道上を周る司令船にマイケル・コリンズ飛行士を残し分離した月着陸船に乗り込んだニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン飛行士が,7月20日20時17分(UTC)に月に着陸しました。
 それが今からちょうど50年前の今日,ということで,それを記念して,さまざまな雑誌やテレビ番組で取り上げられています。

 私は,ちょうど多感なころ,最も科学技術に興味を抱いたころ,そして,学校で英語を習いはじめてアメリカに興味をもったころにそうした出来事があったことで,それが今でも私の原風景となっているのです。
 幸いなことに,それから何度もアメリカに行くことができて,アポロ計画にかかわりのあった場所や実際に使われた機器などをこの目で見ることができました。私がアメリカに行く目的の多くは,このアポロ計画が興味の根源であるといっても過言でありません。
 今年の6月に行ったバリンジャー隕石孔もまた,アポロ計画と多くのかかわりがあって,当地の博物館には当時の写真が今も展示されていましたし,数年前に行ったニューメキシコ州のホワイトサンズですら,アポロ計画実現のために多くの実験が行われた重要な場所でした。

 「アポロ11号」についての最も興味深い話「警報1202」は,すでに6年前の今日,このブログに書きました。そこで,今回は,私がずっと疑問に思っていた次のことを書くことにします。それは,「アポロ11号」が月に着陸した当時に出版されたどの本にも,アポロ計画で打ち上げられたミッションの記録には「アポロ4号」からしか載っていなかったということです。そこで「アポロ1号」から「アポロ3号」まではどうなっていたのだろうか,というのがずっと謎でした。
 話を整理します。
 正式に「アポロ1号」とよばれるものはあります。しかし,「アポロ1号」は打ち上げられたものではありません。
 アポロ計画では,まず,1966年に指定番号AS201から指定番号AS203の3基の無人ロケットが相次いで打ち上げられましたが,これらにはアポロ〇号という正式名称がありません。
 そして,1967年1月27日,発射台上での訓練中に司令船の火災事故が発生して3人の飛行士が命を失うという事故が起きたのですが,これが指定番号AS204というアポロ計画の4度目のミッションで,はじめての有人飛行となるはずのものでした。そして本来このミッションは「アポロ4号」とよばれる予定でした。おそらく,それまでに打ち上げられた3回の無人の実験飛行(指定番号AS201から指定番号AS203)が,のちに「アポロ1号」から「アポロ3号」とよばれる予定だったのでしょう。
 しかし,どういうわけか「アポロ4号」として打ち上げられるはずだった指定番号AS204ミッションの訓練中に亡くなった3人の飛行士が身につけていた標章にはすでに「アポロ1号」と記されていたといいます。事故後,この事故によって打ち上げられなかった悲劇のミッションAS204は,正式に「アポロ1号」と命名されました。

 このように,本来は「アポロ4号」となるはずだったものが「アポロ1号」とよばれるようになったために,事故以前に打ち上げられた3回のミッションの名前がおかしなことになってしまったわけです。
 3回のミッションのなかで1番目に打ち上げられたのが1966年2月26日に行われた弾道飛行ミッションAS201で,これが本来は「アポロ1号」とよばれるはずだったものです。そして,その次が1966年7月5日に打ち上げられはじめて地球周回飛行をしたミッションAS203で,これが現在,非公式ですが「アポロ2号」とよばれているものです。もとの計画ではミッションの指定番号AS203からわかるように「アポロ3号」とよばれるはずのものだったのでしょう。そして,3番目に打ち上げられたミッションAS202が1966年8月25日の弾道飛行ですが,現在,非公式にこれが「アポロ3号」とよばれています。もとの計画ではミッションの指定番号AS202からこれが「アポロ2号」とよばれるべきものだったのでしょう。
 こうして,事故を起こし打ち上げられなかったミッションAS204の正式名称を「アポロ1号」としたために,その1年前に打ち上げられた3回の無人のミッションは,1番目のものAS201は通称「アポロ1A号」となり,2番目のものAS203が通称「アポロ2号」,3番目のものAS202が通称「アポロ3号」となっているのです。
 これがアポロ計画のミッションで「アポロ4号」からしか記録がないという私の抱いた長年の謎の答えです。

 「アポロ1号」の痛ましい事故を乗り越えて,1967年11月7日,無人の「アポロ4号」の打ち上げで計画は再開されました。その次に,1968年1月22日はじめて月着陸船を載せた無人の「アポロ5号」が打ち上げられましたが,この時に使われたのが「アポロ1号」で飛ぶはずだったロケットでした。さらに,1968年4月4日に「アポロ6号」が打ち上げられ,1968年10月11日「アポロ7号」で3人の宇宙飛行士を乗せたはじめての有人アポロ宇宙船が地球を周回飛行しました。
 その後は,1968年12月21日,3人の宇宙飛行士を乗せた「アポロ8号」ではじめて月の周回飛行を成功させ,1969年3月3日,地球の周回軌道で,はじめて月着陸船を載せてその飛行テストを行った「アポロ9号」が打ち上げられ,さらに,1969年5月18日には,月着陸の予行演習として,はじめて月着陸船による月の周回飛行を行った「アポロ10号」の打ち上げと続くのです。
 このように,1960年代に月に人間を送るという計画の実現のために,1968年以降,急ピッチで計画が進められました。いずれにせよ,アポロ計画というのは,はじめて無人で弾道飛行をしたのが1966年で,それからわずか3年後の「アポロ11号」で人間を月に送り込んだということになります。
 今日の2番目と3番目の写真はワシントンDCのスミソニアン博物館で私が写した本物のアポロ11号の帰還した司令船ですが,現在,この司令船は2019年9月2日までシアトルの航空博物館で見ることができます。

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 人間を月に着陸させたアメリカのアポロ計画がはじめて映画化されたのは,月面に降り立ったアポロ11号ではなく,事故を起こし月面着陸を断念して帰還したアポロ13号のほうでした。2018年はアポロ11号が打ち上げられてから50年ということもあってか,そのアポロ11号に関する映画が作られました。私ははじめ,どうして今頃になって,と思いましたが,考えてみれば,アポロ11号の映画がなかったことが逆に不思議に思えました。
 もうあれから50年,ともなると,アポロ計画自体を知る人も少なくなっているでしょう。私はちょうど多感なころでもあり,はじめて英語を習ったころでもあり,宇宙に興味があったこともあり,ずいぶんとたくさんの本を読みました。1970年の大阪万国博覧会では月の石も見ました。その後,アメリカのヒューストンもフロリダのケネディスペースセンターにも行ったし,アメリカの宇宙開発史についてはかなり詳しいです。そんな私がこの映画を見ないわけがないのです。
 ということで,さっそく足を運びました。

 この映画の題名となっている「ファーストマン」(First Man)というのは,2005年に発行された ”First Man : The Life of Neil A. Armstrong” という本が原作です。アポロ11号の船長で人類ではじめて月に降り立ったニール・アームストロングさん(Neil Alden Armstrong)の自伝です。私はこの本を原書でよみました。
 1968年当時の私はあこがれていたアメリカを過剰に評価していたので,アメリカなら人間を月に送ることなんていともたやすいだろと思っていたのですが,今の知識で考えると,よくもまあ,あんな幼稚な科学技術でそんな大それたことをしようと思ったものだというのが実感です。だから,宇宙飛行士は命を張っていたわけで,そこにあったのは,人間の生への葛藤です。
 ニール・アームストロングという人も,当然,いかに優秀であろうと,月にはじめて降り立ったという偉業との引き換えに離婚をしたし,ひとりの人間として,幸せな人生だったかといえば,疑問を感じます。人の一生なんて,過ぎてしまえば,どんな偉業をなしたところで,それは教科書の1ページのようなもので,それが自分だったなんていうことは当事者であっても実感がないと思うのです。

 この映画に月に降り立った飛行士が星条旗を掲げるシーンがないという批判があるそうですが,この映画で描きたかったことは,そんなことではないことは映画を見ればわかります。そんなことを問題にするなら話のついでに書くと,アポロ11号が打ち上げられた1968年7月16日の月齢は20で,この映画で描かれている月とは違います。それだって,この映画で描きたかったことを考えれば大したことではありません。
 私はこの映画で,人が生きるというのはどんな人であれ孤独なことだということを改めて思い知りました。どんな偉業を成し遂げた人も,結局はみな孤独であり,しかし,何かをなそうと夢を抱いている人はみな高貴なのです。 

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偉大な飛躍-アポロ11号が月に着陸した日
「ドリーム」-アメリカらしい,いかにもアメリカらしい物語

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 この季節は夜明けが遅いので,朝6時ころに東の空を見上げると,とても幻想的で美しいです。今年はそんな明け空に,さらに,金星,木星,土星が毎日位置を変えていって,そこに月が月齢を変えながら惑星の間をかけぬけていくのが見られるので,さらに幻想的で,どれだけ見ていても飽きません。

 今日の1番目の写真は2月1日(金)のものです。この日は金星と月齢25.8の月が大接近しました。
 そして,2番目と3番目の写真はその翌日2月2日(土)です。月は月齢26.8。あっという間に金星から遠ざかりました。この3番目の写真には右手上方にさそり座が写っています。月のさらに下には土星があるのですが,残念ながら雲に隠れて見えませんでした。
 さらに,4番目と5番目の写真は2月3日(日)のものです。月齢は27.8。月の出はさらに遅くなって,土星が月より先に昇りました。月齢27.8の細い月は肉眼で見ることができるのかな,と思ったのですが,予想以上に明るく輝いていました。
 これらの惑星いる位置はさそり座からいて座にかけてなので,ひょっとしたら,もっと空の暗いところに出かければ,夏の銀河のなかに惑星が輝いているという美しい写真が写せたかもしれません。一度,遠出をして写してみたいものです。

 以前このブログに書きましたが,月はどの月齢まで写せるのでしょう?
 地球を回る月の軌道は楕円なので,月齢がいくつまであるかは毎回異なります。また,今回は月齢が25.8,26.8,27.8というようにコンマ8のまま毎朝1ずつ変化するので,この時期に26.5のようなコンマ5の月を見ることはできませんから,どの月齢まで見ることができるかを確かめるには長い年月がかかります。
 今回の周期では,月齢は29.3までで0.0,つまり新月になりました。月齢27.8の翌日2月4日(月)は28.8でしたが,月が昇ってわずか10分もすれば日の出なので,果たして月齢28.8の月が見れらるのかどうか。それを確かめてみたいと思って,月が昇ってくる場所を調べて翌日を楽しみに待ちましたが,残念ながら曇ってしまっていて確かめることができませんでした。

 これまでに私が写した中で,最も月齢が小さいのは0.9で,反対に最も月齢が大きかったのは28.4でした。ともに今から3年前に確かめてみたものですが,その月齢の月はどちらも肉眼でもはっきり見えたので,もう少し月齢の小ささものと大きなものも写せるような気がします。
 今は当時よりも機材を整備したので,もう少し月齢が小さいものと大きいものにチャレンジしてみたいと思ったことでした。

☆ミミミ
月の写真を撮る②-月齢29と月齢1は写せるのか?
月の写真を撮る③-ついに撮ったぞ! 月齢0.9
月の写真を撮る④-ついに撮ったぞ! 月齢28.4
月・火星・木星・土星-小さな望遠鏡で惑星を写すと…

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 2017年1月9日「アルデバラン食」(Moon occults Aldebaran)が起きました。私は星食など何がおもしろいのか,と興味もありませんでしたが,あまりに月が美しかったこともあり,一度くらいは見ておこうと,例によって,私の古く小さい望遠鏡で写真を撮ることにしました。

 月が天球を動くとき背後にある星の前を通るとその星を隠します。これを「食」(occultation)といいます。「オカルト」の語源のひとつです。太陽を隠せば「日食」,惑星を隠せば「惑星食」,恒星を隠せば「星食」です。 
 恒星は当然「星の数ほど」あるので多くの星で星食が起きるのですが,1等星の食となると意外と少なく -そもそも1等星は21個しかありません- おうし座(Taurus)のアルデバラン(Aldebaran=αTau),しし座(Leo)のレグルス(Regulus=αLeo),さそり座(Scorpius)のアンタレス(Antares=αSco),おとめ座(Virgo)のスピカ(Spica=αVir)でしか星食が起きません。なかでもアルデバランとレグルスの星食が頻繁に起きて,アルデバラン食は今年だけでも6回もあります。それほどめずらしくもない現象なのです。

 この日,夜の8時ころは月齢10.8の月とアルデバランはまだずいぶんと離れていたので,4時間後にこのふたつの天体が同じ位置にくるとは信じられなかったのでが,時間が経つにつれてどんどんと近づいていったので,見ていておもしろいものでした。
 星食が起きたときと終わったときに写したのが,今日の3枚の写真です。
 1番目の写真が1月9日23時57分22秒,2番目の写真が23時57分53秒,そして,3番目の写真が1月10日1時6分40秒のものです。
 1番目と2番目の写真の間で食が起きました。食が起きたとき,突然,変な表現ですが,パッと星が月の影に消えました。これは実際に見ていると実に感動的でした。星食が終わったときは薄雲が出ていて,そろそろ星が現れる時間だなあと思いつつも,そのときは何も見えませんでしたが,あとで写真で確認してアルデバランを見つけました。よいタイミングで写すことができたものです。

 月は約30日で天球を1周しますから1日では360度÷30=12度,1日は24時間なので12度÷24=0.5度,つまり1時間あたり約0.5度恒星よりも進みます。月の視直径も約0.5度なので,月が恒星を隠してから再び見えるようになるには約1時間かかるということになります。

 星食はかつては月の運動や地球自転速度の不整を調べたりするのに利用しました。現在でも恒星の座標系の誤差を調べるために重要な現象だそうです。アマチュアが天体観測で貢献しようとすれば,こうした地味な観測を正確にすることが必要でしょう。
 私にはそんな能力はないので,単に,面白いなあと野次馬気分で見ているだけですが,それでもやはり,本を読んで得るだけの知識よりも実際に体験することのほうがはるかに大切だと改めて思ったことでした。

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 何事も「やってみなくてはわからない」といつも書いていますが,今日の話題の「シンチレーション」というのも,まさに,この「やってみなくてはわからない」ことのひとつです。

 われわれは,地球上で星の光を大気を通過して見ています。
 大気は空気の層で,空気は,温度の違いや風が吹いたりすることによって密度の差が生じるので,星からの光が屈折したり揺らぎが積み重なるので,星がまたたいて見えるのです。この空気の揺らぎによる星のまたたきをシンチレーション(scintillation)といいます。
 シーイング(seeing)ということばもありますが,これは,望遠鏡などで天体を観たときに発生するシンチレーションの程度を表す尺度で5段階や10段階で評価します。数字が大きいほど揺らぎは少なくなります。
 このシンチレーションの原因は,大気の揺らぎなどに加え,望遠鏡内部の対流や人の体温による対流などがあります。これが,地上で望遠鏡を使って観測するときの精度の限界です。

 一般に次のようにいわれています。どんよりとした空は大気が安定しており、気流が穏やかなので揺らぎは少ないから,春霞や梅雨の時期は晴れさえすればシーイングがよく,反対に,透明度が高いと「雲がない=上空で強い風が吹いている」のでシーイングが悪くなるのです。だから,冬のよく晴れた日はきれいな空なのですが、シーイングは悪いのです。冬によく星が瞬くのはこのためです。
 つまり,夏場は良く,冬場は悪いのです。
 また,低空に見える天体は,天頂よりも多くの大気の中を通ってくるので大気の揺らぎの影響を受けやすく,さらにシーイングが悪くなります。
 時間としては,夜半から特に朝方はシーイングがよいそうです。

 と,本に書いてあるので一応は知っていましたが,これは単なる知識です。
 やはり,このこともまた,実際に星を見に行ってみると,本当に驚くことばかりです。
 これまでに,何度かカタリナ彗星を見たという話を書きましたが,これから書くのは,その中でも昨年2015年12月1日の早朝のことです。
 この日の目的はカタリナ彗星の写真を写すことだけだったので,それまでの時間,念を入れてピント合わせをしようと思いました。これも前に書いたことがありますが,望遠鏡のピントは,100分の1ミリも違うとピンボケになってしまい,しかも,温度によってピントの位置が違うので,おおよその位置が分かっていても,その場で正確に合わせ直す必要があるのです。

 月が見えていれば,模様が複雑な月でピントを合わせればよいように思いますが,月は明るすぎて,カメラの液晶をつかったライブビューではまぶしくて模様が見えずピントを合わせることができないのです。そこで,実際に月の写真をわずかに焦点をずらしながら何枚も写して,そのあとで撮影した画像を液晶画面に拡大して正確なピントの出た位置を探すしかないのですが,この晩の月は天頂近くにあったので,操作をするのが非常に困難なのでした。なお,月でピントを合わせるということ自体が特別で,普通,星の写真を写すときは月は出ていないのです。
 その代わり,木星が東の空の手ごろなところに輝いていたので,これを利用することにしました。
 木星の場合は,木星本体の模様でピントを合わせるのではなく,カメラの液晶画面に木星を拡大表示したときにガリレオ衛星が見えるので,それらが一番はっきりと見えるところを探していきます。ちょうど今日の1番目の写真のような感じでピントがあえばいいわけです。しかし,いつもそんな簡単なことではなくて,シンチレーションの影響で,ライブビューの液晶画面に表示される木星と衛星は陽炎のように揺れて大きくなったり小さくなったりして,ピントの山をつかむことが非常に難しいのです。
 ところが,驚いたことに,この日,木星はまったく揺らぎもなく,非常に安定した像を見せたのです。
 それにしても不思議なのは,ガリレオ衛星は5等星くらい,単なる5等星の恒星はライブビューでは見えないのですが,なぜかガリレオ衛星ははっきりと見えるのです。

 私は木星のこんな安定した像を見たのははじめてのことで,びっくりしました。こんなことってあるのか,と思いました。こんなに簡単にピントを合わせができるのか,とも思いました。そのようにしてピントを合わせた状態で,再び月に望遠鏡を向けて撮影した写真が2番目のものですが,私はこの写真を見て,再び,びっくりしました。ここまで写せるのですね。つまり,ピント合わせにはガリレオ衛星が最適なのです。
 比較するために,3番目に,以前写した写真を載せます。ピント自体が少し甘いのかもしれませんが,このふたつの写真の違いはそれだけではなく,シーイングの違いが大きいように思います。
 本当に,何事もやってみなくては分からないものです。
 私の望遠鏡の限界を探る実験は,これからも続きます。

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月の写真を撮る①-これが私の望遠鏡の限界なのか?

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 今月の月は,1月10日の午前10時31分に太陽を追い越します。その位置が重なっていれば日食となるわけですが,今月は少しずれているので日食にはなりません。今月のその時の月齢は29.6。つまり,今月は「29.6=0.0」となります。
 全ての月齢の月の写真を写そうとはじめたら,果たして新月すれすれの月はどのくらいまで見ることができるのだろうかという,おかしな方向に興味の対象が移ってしまいました。
 先月,月齢27.9は容易に写すことができたのですが,翌日の28.9は全く姿かたちも見えず失敗しました。新月を過ぎた後の月齢0.9は周到に準備をして,双眼鏡で辛うじて夕方の西空に発見,写真に収めることができました。
 そして,いよいよ月齢28の月2度目の挑戦です。
 今月は28.4なので,先月の28.9よりははるかに容易です。「29.6-28.4=1.2」,0.9が見えたのですから見ることができるはずです。
 しかし,問題は見ることができる場所なのでした。この日のために,地平線ぎりぎりまで見渡せる場所を探し回りました。

 ここで,また,いつものように話が少し脱線します。
 私は,何事も「必要かつ十分である」ということが大切だと思っているのですが,どうも,この国の人はそうではないようです。過剰にやればいいと思っている,それが私は嫌いです。
 例えば,自分の使う車は,自分が使う目的にかなう性能と大きさがあればそれで十分,それより高級なものは必要ありません。同じように,何かをするにも,必要かつ十分な手間暇をかければよいのです。生きている持ち時間には限りがあるのです。余分なことに費やすような時間はありません。
 英語の勉強をするのにも,不自由なく使えるようにするのが目的なら,ほとんど使いもしないような難しい文法まで覚えたり,単語を覚えるのに異常に多くの時間を割いたり…。そんなことは通勤するのにダンプカーで行くようなものです。そんな時間があるのなら,どんどん英語で本を読んだりメールを書いたりしたほうが,よほど英語が身につきます。
 よく,勉強時間などといいますが,机上の勉強時間なんて,短いほうがいいのです。できるだけ短くして効率的に学んで,それを活用すべきなのです。3時間で身につくのなら,同じことを身に付けるのに2時間ではできないか,と考えるのです。多ければいいというそういう風潮は間違っています。そのために,体験すべき多くのことを犠牲にしています。そのことが社会人となったあとで,残業ばかりの会社生活を呼び,ひいてはブラック企業をのさばらせます。
 勤務時間が8時間なら,8時間で仕事ができるようにするべきなのです。

 それと同様に,同じ写真が写せるのなら,できるだけ家から近いところでそれができればいいわけです。何時間もかけて暗い山の上まで行かなくてもいいのです。そんなわけで,私は,できるだけ近いところを探し回って,家から車で15分くらいの一級河川の堤防道路の脇に絶好の駐車帯を見つけました。ここなら,地平線まで見渡せるし,町の明かりも少しは気になりますが,惑星や月を写すには十分,それに,道路が凍結,ということもありません。
 ということで,やっと見つけたその場所に早朝出かけて,東の空の地平線すれすれにいる,月とちょうど大接近中の金星と土星の写真を写すことにしました。
 まず,2番目の写真は,はじめてその場所に行った日に,ここでどのくらい星が写るのか試し撮りをしたカタリナ彗星です。さすがに,淡い尾までは無理でしたが,思った以上に星も写せることが分かりました。きっと,画像処理を工夫すれば,結構いけるのではないかと思われます。

 そして,いよいよ1月9日になりました。
 この日は,金星と土星が0.47度,つまり,月の大きさよりも大接近,しかも月齢28.4。このふたつを写すことが目的でした。しかし,問題は天気でした。予報は雲。早朝4時,自宅で空を見上げると,雲がポコポコ浮いていました。しかし,星が見えないこともなかったので,出かけることにしました。
 現地に着いたら,幸い,北極星は見えたので,早速極軸を合わせました。次に,ピントを合わせるために,天頂付近に輝く木星を狙いました。また,そのいきさつは後ほど書こうと思っていますが,今年,私は,使っている望遠鏡でどのくらい惑星が写せるものか挑戦しようと,拡大撮影をすることにしたのです。それが3番目の写真です。拡大撮影の記念すべき1枚目になりました。わずか7.5センチの口径で木星の縞模様が写せました。

 このように私が木星を写すのに熱中していたころ,東の空には一面の厚い雲が…。
 少し待っていたら,少しだけ地平線すれすれに雲が切れて,そこに金星が昇ってきたのが分かりました。そのわずか下には寄り添うように土星が恥ずかしそうにくっついていました。あわてて望遠鏡を向けて写真に収めたのが4番目の写真です。露出時間を多く取ったことと,地平線に近く大気の影響もあって,土星の環までは写せませんでしが,なんとかふたつ並んだ姿を捉えることができました。
 しかも,この日は雲が多く,この写真しか写せませんでした。
 ここからは後日談です…。
 翌日,つまり今日の早朝,少し金星と土星の位置は離れてしまいましたが,天気がよかったので自宅で再び写しました。これが5番目の写真です。土星が金星を追い越して,左下が金星,右上が土星です。たった1日でこれだけ変化するのですね。
 素人目には小さな点がふたつ写っているだけですが,露出を抑えたために,金星は内惑星なので月の満ち欠けと同様少し欠けていますし,土星には輪がクリアーに写っています。ぜひ拡大してご覧ください。

 次は月でした。
 昨日来た時に,月齢27.4の月(6番目の写真)がどの場所に昇ってくるのかはしっかりチェック済みだったので,月が昇る時間にその場所に双眼鏡を向けてみると…。そこには,雲の隙間に,鮮やかでかつ赤みを帯びた薄っぺらな月が! 意外なほどよくみえたので,本当にびっくりしました。地上の光と大気の影響で,月は赤く大気に揺らいで,震えたような姿でした。それが,今日の1番目の写真です。
 あまりに美しいので思わず見とれてしまいました。
 意外なほど簡単に見つけることができたことにも,また,びっくりしました。
 次第に高度が高くなって,月の見える場所だけは雲も切れて,大気の影響も少なくなってきたので,再び写したのが,7番目の写真です。
 やはり,ここでも「何事も実際にやってみないことには始まらない」ということを再認識しました。
  ・・
 それにしても,こんな美しい姿を,多くの人は知らずに生活しているなんて。そして,こういう姿をどんどんと手の届かないものにしているなんて。

☆ミミミ
月の写真を撮る③-ついに撮ったぞ! 月齢0.9

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☆☆☆☆☆☆
 12月11日午後7時頃の新月を過ぎ,12日の夕方の月は月齢0.9でした。天気予報ではあいにく曇りで,10日の早朝月齢28.2も11日の早朝月齢29.2も曇っていたので,今月の新月をはさんだ数日間の細い月を写す挑戦はあきらめていました。
 ところが,日が沈むころになって,突然,西空だけ雲が切れて美しい夕焼けを見ることができたので,月齢0.9の月をさがしてみることにしました。

 地球が停止していると考えると,月が地球の周りを1周する周期は平均「27日7時間43.193分」です(月の自転周期はそれと「完全に一致」しているので,地球から月の裏側は見えません)。 しかし,実際は地球が太陽の周りを回っているので,月が1周してもさらにもう少し回らないと,太陽との位置関係が同じにはならないのです。
 したがって,新月からその次の新月までを朔望月(synodic month)といいますが,この周期は平均「29日12時間44.048分」になるのです。厳密には月の複雑な軌道のために,周期は29.27日から29.83日と幅があるのですが,ここでは,わかりやすくするために,29.5としてみましょう。
 私は小学校のときにこれが不思議で,白い紙に図を描いて考えてみたことがあります。さらに,月は太陽の周りをどういう曲線で動いているのかも図を描いてみてすっごく納得した記憶があります。ちなみに,地球の軌道上を渦を巻いて動くのではありません!
 勉強を問題集をやることだと思いこまされている「ドリラー」である現代の子供たちは,そんなこと,考えもしないでしょう。
 簡単にいうと,新月から1日過ぎたときが月齢1.0になるのですが,朔望月の周期が先ほど書いたように約29.5なので,月齢29.5が月齢0.0,つまり新月となるわけです。だから,月齢1.0と月齢28.5の月というのは,上弦と下弦の違いがあるだけで,夕方の西の空と明け方の東の空にそれぞれ同じような細い月が見られるということになります。
 私が以前書いた「月齢1と月齢29は写せるのか」は,本当は「月齢1.0と月齢28.5は写せるのか」のほうが正しいわけです。

 さて,月齢0.9の月をさがしたお話に戻ります。
 午後5時30分過ぎ,太陽が遠くの山並みに沈もうとしていました。このときの太陽が沈む時間と方向を正確に記録して,そこから月が沈む時間と場所を割り出しておいて,それから40分後,月がほぼ同じ高さに来た時に双眼鏡で茜色の空を探しました。
 しばらく探していたら,私のイメージしていたよりはるかに大きな非常に細い月が確かにうっすらと浮かんでいるのが見えました。これを見つけたときには,本当に感動しました。残念ながら肉眼では見ることができませんでしたが,なんとか写したのが今日の写真です。写真を撮るのも,また,露出がわからず苦労しました。
 1番目の写真は沈むころに写したもので2本の鉄塔の間に横たわっています。そして,2番目はそれよりも少し時間の早い空が明るい時に写したもの,3番目は2番目の写真に,月の位置がわかるように黒い丸を付けたものです。黒い丸の中に月がありますが,おわかりになりますか? 実際に見てみると,本での知識やほかの人から聞いた話と違って,どういうものなのかがとてもよく納得できました。
 結局,疑心暗鬼だった「月齢1は写せる」ことがわかりました。

 12日の月齢0.9は,このように太陽が先に沈むので位置を特定しやすく見つけることができたのですが,これとは逆に,月齢28.6の月を探すのは,太陽という補助手段がないので月齢0.9に比べたら容易でないような気がします。いずれにせよ,こんなことは今時のコンピュータ制御の望遠鏡ならわけもないことなのかもしれません。しかし,これを手動でやるからこそおもしろさがあるのです。
 こんな,普通の人にはどうでもいいことかもしれないことにのめりこみはじめてしまったのですが,いったい,どこまでが限界なのでしょう? 疑問は深まるばかりです。以前,月齢27.8,つまり,上弦に換算して月齢1.7の月ははっきりくっきりと肉眼で見ることができましたから,どうやら,月齢28.0と月齢1.5くらいが肉眼で見える限界なのかなあ,と思います。では,写真だとどのくらいまでが写せるのでしょう? さらに興味がわいてきました。
 ところで,月齢0.0,つまり新月は簡単に見ることも写すこともできるのです。それは,皆既日食や金環日食のときの太陽を隠した姿なのです。 つまり,日食というのは,太陽の前を通過する月齢0.0の月を見ているわけです。

☆ミミミ
月の写真を撮る②-月齢29と月齢1は写せるのか?

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 前回書いたように,天気がよい日が続いているから,という理由だけではじめた月の連続撮影で,月齢5.5から月齢18.5までの月をすべて写すことができたことはすでに書きました。
 結局,その後,月齢19.5が曇りで見えず,写す時間が明け方になったので,月齢の小数が変わり,月齢20.8から月齢24.8までを写すことができましたが,月齢25.8と月齢26.8は曇りでだめでした。
 3日ぶりの月齢27.8は明け方の東の空に鮮やかに輝き,ものすごく美しい月でした。この月が地球照に輝いて夜明けの空に薄く溶け込んでいく姿は,まさに絶品でした。
 月の右隣にある小さな星はおとめ座の82番星(5等星)です。
  ・・
 翌日は月齢28.8。限りなく新月(月齢29.3から29.8)に近い月。私は,こんな月齢の月を見たことも,当然,写したこともありません。早朝,気合を入れて地平線を狙ったのですが,前日あれだけ見事に見えていた月は,快晴であったにもかかわらずそのかけらもなく,全く存在が確認できずに日の出になりました。なんだか,不思議な気がしました。そして翌日,ついに新月を迎えました。

 月齢が変わり,こんどは夕方のの空に月が見えるようになりました。月齢0.7は太陽が沈んだ西の空です。地平線あたりが薄く曇っていたこともありましたが,あまりに新月に近くて探しても見えず,翌日と翌々日,月齢1.7と月齢2.7も曇りでした。そして,やっと月齢3.7と月齢4.7の月を写すことができました。
 こうして,1巡しました。
 結局,30日で曇って写せなかったのが4日,そして,新月付近で写すことが可能かどうかわからない日が3日,という結果になりました。写すことのできた日の中にも,奇跡的にわずか10分だけ晴れたという日や,薄雲のなかでやっと見えた日もあって,満月以降は午前3時に起きたり,晴れる天気を予報を信じて雲が切れるのを待っていたりと大忙しでした。それでも今回曇って絶対写せなかった4日は,また,挑戦したいと思います。

 お恥ずかしいことですが,私は,これまで,月は,月明かりで星が見えなくなる邪魔な存在でしかありませんでした。
 しかし,写してみるとすっかりはまってしまいました。とにかくピントを合わせることと適正な露出を見つけるのが難しいのです。そして,新月付近の月がどこまで写すことができるのか,ということが大きな疑問として残りました。
 聞いた話では,お昼間に太陽付近を望遠鏡で探したほうが見つかるとか…。いずれにしても,見られるはずの位置をきちんと調べて,いつかぜひ写してみたいと思います。
 このように,やはり,何事もやってみなくてはわからないものです。「ドリラー」(ドリル学習をすることを勉強と思っている人)ではだめだ,ということを,ここでも再認識しました。さらに,下弦の月は,月の表面の輝いているほうにクレーターが少なく,おもしろみと美しさに欠けるということと,月齢22.8から23.8では,月明かりも急になくなって,夜空がば暗くなる,という現実を知ったことが新たな驚きでした。
 月の写真を写すことで,今回もまた,多くのすばらしい体験ができました。何事も行動しなければだめです。紙の上の知識なんて意味ありません。

 さて,次は星空の話です。
 この時期に見ることができる星雲や星団は,昨年すべて写してしまったので,私の興味の対象は,もっぱら10等星ほどの暗い彗星と,明け方の東空に見える惑星直列に移りました。特に11月7日は金星,火星,木星,月のそろい踏みだったので大いに期待をしたのですが,あいにく曇りでした。しかも,その日は,おうし座の流星群の極大期でもあったので,がっかりでした。
 11月15日はとてもよい天気だったので,10月25日以来の星見に出かけました。
 ねらいは,パンスターズ(PanSTARRS)という名のふたつの彗星でした。前回天頂にあったのに写せなかった「C/2013X1」はペルセウス座にあって10等星。この日はすぐに写せました。「C/2014S1」のほうは,すでにこれまでに何度も写しているのですが,予想より明るくてかわいい尾もあって毎回楽しませてくれます。現在はこぐま座にあって,写しやすいのですが,このあたりにあった雲が切れず,すこし苦労しました。写してみると,9等星のかわいい姿は今回も健在でした。
 また,流星が結構流れていて,寒くもなく,楽しい星見となりました。昨年の今頃は望遠鏡は夜露でべたべた,寒さに震えていたことを思い出しました。

 さて,いよいよ1週間もすると,今年一番の大型彗星カタリナ「C/2013US10」が東の空に昇ってきます。はじめに見られそうなのが,11月24日の早朝なので,この日に晴れるのを期待します。
 4等星という予報よりも暗そう,というのが気がかりですが,見ないことにはわかりません。
 残念ながら,その後は月が明るくなってしばらくはだめで,きれいに見られるようになるのは,満月のあと月齢が23を過ぎる12月4日ごろ,特に1月8日は月齢27の月と金星と彗星が明け方の東の空にそろい踏みします。

◇◇◇
星を見るのも大変だ-夜明けの空に水・金・地・火・木星
月の写真を撮る①-これが私の望遠鏡の限界なのか?

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 今年の秋は,天気のよい日が続いているので,月の連続写真撮影をはじめました。といっても,はじめた日が月齢5.5だったので,あと5日はやく気づけばよかったと後悔したのですが,それでも,月齢18.5までは毎日月を見ることができたので,撮り続けました。
 残念なことに,一晩中雨が降って月齢19.5を写すことができませんでしたが,これからも可能な限り写して,これから数か月かけて,すべての月齢の月を撮影してみたいと思っています。

 今日の話題は,月の写真を写していて思った「望遠鏡の性能」のお話です。
 私の使っている望遠鏡は20年以上前に購入した口径75ミリメートル,焦点距離500ミリのものです。SDレンズでマルチコートなので,レンズはいまでもピカピカ,初期のころのフローライトレンズの望遠鏡が数年で曇ってしまって使い物にならないというのとは大違い,これを買ってよかったと思っています。
 趣味でやっているほかの人たちのような大型で高価なものではありません。
 当然お金を出せば,もっと性能のよいものが手に入るのですが,まだ十分に使えることと,大きいものを手に入れても,それを使いこなす場所がない(これが最大の理由)ので,これでどれだけ写せるものなのか,という好奇心で使い続けています。
 そしていつも思うのは,一体,これがこの望遠鏡の性能の限界なのか? それとも,私の腕が悪いだけのか? あるいは,湿気が多いとか気流が安定していないといった撮影をする環境が悪いのだろうか? ということなのです。
 腕が悪いというのはいわずもがな,なので,とりあえずそれを抜きにしても,他のものと比べたことがないので,この程度の望遠鏡はどのくらいの性能があるのだろうか,ということが,いつまでたってもよくわからなのです。
  ・・
 よく,様々な製品の評価がいろいろなサイトに載っていますが,それらを読んでいると,本当によくわかって書いている人もいれば,完全な誤解だと思えることもよくあります。そうした人に買われてしまった品物は,品物の立場に立ってみると気の毒な限りです。
 人間社会でも,能力があっても無能な上司のせいでそれが生かされていないということがよくあるのと同様です。

 さて,本題です。
 当然,デジタルカメラの時代以前に設計された望遠鏡なので,今のものとは違うということを前提にしてください。
 まず,私が撮り続けている写真をいくつかご覧ください。拡大して月の大きさを合わせてあります。
 ここに載せたものがこの望遠鏡の限界なのかどうか,私には判断できません。当然,カメラ(ニコンD5300)の性能も考慮する必要があるのでしょうが,星を写すならともかく,月を写す程度なら,カメラの性能による差はそれほどないと思います。
 
 この写真でおわかりだと思いますが,こうした写真を写すときの一番の問題は,ピントなのです。上から4番目の写真だけは今回の連続撮影で写したものではなく,少し前に写したもので,比較するために載せたのですが,明らかにピントが甘いです。
 では,他のものはこれでピントが合っているのでしょうか? それも私にはよくわからないのです。一番最後のものは,上から3番目の写真をさらに大きく拡大したものです。いろいろとやってみたのですが,今の私にはこれが限界です。そして,果たして,ピントが合っているとして,解像度はこれがこの望遠鏡の限界なのでしょうか。

 ここに載せたのは月ですが,星を写真を写すときも同様で,こうした写真を写すときに,もっとも大切でかつ難しいのはピントを合わせることなのです。しかし,カメラには,一番肝心な厳密にピントを合わせるための心配りがあまり感じられないのです。
 今のカメラはオートフォーカスで,対象にレンズを向ければ自動的にピントが合うので,何をいっているのか? と思う方もあるでしょうが,望遠鏡のように,マニュアルでピントを合わせる必要があるときに,カメラはあまりに無力なのです。
 アングルファインダーという,ファインダーの像を2倍に拡大してみることのできる装置があるのですが,2倍くらいではどうにもなりません。ライブビューといって,液晶の画面を拡大することもできるのですが,月の場合は明るすぎ,星の場合は暗すぎて,しかも,星の場合は気流で像がふらついたり大きくなったり小さくなったりしてしまい,これも困難です。WifiによってiPad上でファインダー上の画像を見ることができるのですが,これだと,なぜか拡大ができません。
 そこで,いまのところ,私がもっとも確実だと経験上思っているのは,木星の衛星です。木星をファインダーに入れて,ライブビューで拡大して木星の衛星が確実に見えるようにピントを合わせるのです。しかし,木星が見えない時に困ります。
 なにせデリケートで,気温によって焦点の位置は変わるし,焦点からたった0.1ミリメートルずれてもピンボケになるのですから,本当に大変なのです。

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マンガンカルシウムクラスターシアノバクテリアエディアカラ生物群セレノシステイン

 「多くの偶然」とはなんだったのでしょうか?
  ・・・・・・
●第4段階
 まず,「酸素の生成」を考えてみます。
 生成された酸素と関係のある元素のひとつとして鉄があります。地球上になくてならない鉄は,その多くが縞状鉄鉱層として存在します。縞状鉄鋼層とは,ロッキー山脈に横たわるグランドキャニオンとかモニュメントバレーのような縞状の地層帯のことです。
 これらは,19億年前までに作られたものです。
 では,縞状鉄鉱層はどのようにしてつくられたのでしょうか。そこには,地球上の生命の誕生がかかわっているのです。
  ・・
●第5段階
 地球上に生命が誕生したことは大きな謎なのですが,きっと地球上のさまざまな化学反応からその予兆が生まれたのでしょう。そして,生命誕生の最初の主役になったのは,超新星爆発で作られた元素のひとつ「マンガン」なのです。
 生命が誕生するために必要な地球上の酸素は光合成でつくられたものですが,光合成をおこなうタンパク質は,30億年前にマンガンから偶然作られた「マンガンカルシウムクラスター」がもとになっているのです。
 この「マンガンカルシウムクラスター」こそ,光合成をおこなうために非常な優秀な光合成細菌だったのです。これが偶然その1です。
 「マンガンカルシウムクラスター」が地球上に生命が誕生した奇跡を担っているのです。
  ・・
●第6段階
 そして,地球上ではじめて「マンガンカルシウムクラスター」を使いはじめた細菌が「シアノバクテリア」でした。
 「シアノバクテリア」が光合成を行うことで,海水中に酸素が作られました。こうして作られた酸素は,海水に溶け切れなくなって,地上に大気を作っていったのです。そして,地上にも生命が誕生しました。やがて,「シアノバクテリア」は,植物の中では葉緑体となっていったのです。これが偶然その2です。
 また,海水の酸素は,これも海水中にあった鉄と結びつきました。それらは,水に溶けない酸化鉄となって海底に落下し,堆積しました。それが現在の縞状鉄鉱層なのです。
  ・・
●第7段階
 酸素と関係する元素のふたつ目はリンです。 
 人類の体内に1パーセントを占め,重要な働きをするリンは,現在は,地中の鉱物に含まれていて,海水には含まれていないのです。
 6億年前,先カンブリア時代に,生命が大型化と多様化を起こしました。これらをもたらした原因は,リンの増加によるものなのです。それが偶然その3です。
 「シアノバクテリア」によって酸素が作られた結果,大気中の二酸化酸素とメタンが減少して,地球が気温低下を起こし,「全球凍結」を起こしました。そののち,火山活動などで,再び気温が上昇しました。そのときに,氷が地表をけずったことで地球の土砂に含まれたリンは海水中に流れ出して,それを海水中の生物が体内に取り込んだのです。
 そのころに現れた生物が「エディアカラ生物群」です。そして,やがてカンブリア紀になるとさらに多様な生物が生まれて,海水中のリンは生物の中に取り込まれてしまいました。
  ・・
●第8段階
 鉄より重い元素は,超新星爆発ではできません。では,どのように作られたのか? それは現在でもよくわかっていません。しかし,こうすればできるだろう,という仮説があって,それが「R₋プロセス」とよばれるものです。「R-プロセス」で作られたであろう元素の中で,生命の維持に大切な元素として,セレンやモリブデンがあります。
 生物の進化には,「セレノシステイン」というセレンを含むアミノ酸の一種が大きく関わっています。「セレノシステイン」は下等な生物には存在せず,哺乳類や鳥,魚などの高等な生物だけが体内で生成することができます。生命を維持するために大切な酸素は,強い毒性をもつ活性酸素に替わってしまうので,これから身を守るために,この「セレノシステイン」が必要なのです。これが偶然その4です。
 また,初期の生命はRNAを使って遺伝子情報を交換していましたが,このRNAの鎖をつなぐ部分は不安定なリボースからできていて,その不安定さを守る元素がモリブデンなのです。これが偶然その5です。
  ・・・・・・

 ざっとこれらのことを取り上げただけでも,地球上の生命が今日に至るまでには、これほどの多くの偶然が作用していることがおわかりになることでしょう。
 皆さんは,これを知って,地球上に存在する生命は多くの偶然の産物だから,他の星には存在しないと思われますか? それとも,地球だけに生命がいるなどという考えは,人類が昔から犯している過ち,すなわち「宇宙の中心は地球だ」と同じことで,本当は,生命の誕生も特別なことではないから,宇宙には生命の存在する惑星がほかにもあるのだと思われますか?

☆ミミミ
171年ぶりに閏9月13日がやってきました。きょうは,「後の十三夜」のお月見です。
残念ながら曇りでしたが,少しだけお月様が顔をのぞかせたときに写しました。とにかく,見られてよかったです。

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 きょうは171年ぶりの「後の十三夜」です。美しい月が見られることを期待して,今日は生命誕生の謎について考えてみましょう。

 人間の体内には実に78種類の元素がありますが,これらは100億年以上前に宇宙でつくられたものです。つまり,人間は星屑で作られたといえるのです。たとえは,体内にはリンが1パーセント含まれているのですが,これは,体内で作られたものではなく,受け継いだものなのです。人間の体内では元素を作り出すことはできません。
  ・・・・・・
●第1段階
 宇宙は138億年前のビッグバンではじまりました。このとき宇宙にあったのは水素とヘリウムだけでした。そして,水素とヘリウムから巨大な星「ファーストスター」が誕生したのです。これが第一世代の星です。だから,第一世代の星は惑星を持つことはできませんでした。
 「ファーストスター」は,自らの重力で収縮し核融合を繰り返すことで,原子核に陽子と中性子が集まり,星の内部に鉄までの元素ができました。そしてついに,自らの収縮に耐えきれなくなって,超新星爆発を起こしました。
  ・・
●第2段階
 100億年以上前,超新星爆発で飛び散った鉄までの元素は,超新星により作られたブラックホールが出すジェットによって,ちょうどコーヒーに入れたミルクがかきまぜられたように,宇宙全体にばらまかれました。そして,再び,こうして宇宙にばらまかれた元素が集まって作られたのが,第2世代の星とその周りにまわる惑星です。

 われらの太陽系もそうして作られたものです。だから,地球も宇宙にばらまかれた元素から作られたもので,その地球上に誕生した生命もまた,宇宙にばらまかれた元素から作られたものです。
  ・・
●第3段階
 地球上に生命が存在するためには,「多くの偶然」がありました。
 だから,天文学者は,宇宙に多くの地球に似た惑星があるのだから,生命もまた珍しいものではないと考えているのに対して,生物学者は,「多くの偶然」がこの生命の誕生をもたらしたから,地球以外にはそう簡単に生命はいないと考えているわけなのです。
  ・・・・・・

 では,「多くの偶然」とはなんだったのでしょうか? こんなことに思いを巡らしながら,月を眺めるのも素敵かもしれません。
 今日の写真は,後の十三夜の1日前のものです。

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