######
とある事件をきっかけとして,新興宗教が関心を集めています。しかし,新興宗教に限らず,人は何かに洗脳されてしまうと,熱病に侵されたかのように,理性を失ったり,財産を失くすのです。
恋愛も同じでしょう。恋は盲目といいます。ときにはストーカーになって,相手を不幸にします。
組織における出世願望も同様です。だれしも,周囲にやたらと偉くなりたい病の人がいることでしょう。概して,偉くなりたい病というのは,自分の身の丈を越えた高級車に乗りたい人やブランドのカバンを持ちたい人と同様に,劣等感の裏返しであることが少なくありません。
そのことは,権力という熱病に侵された政治家もまた同じです。しかし,政治家がより危険なのは,自己満足を越えて,他人を巻き添えにして世界を恐怖に陥れることがあるからです。歴史的にみても,カリスマ的な指導者は,多くの人を洗脳して,世界を地獄に落としてしまいます。
・・
そう考えてみると,物質欲を煽る広告もまた,それを見ることで,欲しくもなかったモノを手に入れたくなる熱病に侵されるということでは,それと同類です。しかし,これこそが資本主義社会の原理なのです。
景気がいいとか悪いとかということが常に話題となりますし,やたたと成長率ということばが飛び交います。しかし,景気がいいというのは,本来は,必要でもないモノを広告によって買ったり買わせたりすることから生まれるのです。そう考えれば,これもまた,洗脳のひとつです。そうした広告は,以前なら,テレビで流れるコマーシャルであったり,新聞や雑誌の広告でした。あるいは,しつこいほどの電話による勧誘,さらには,訪問販売,そして,睡眠商法でした。
それが今では,SNSにとって代わりました。
依然として,テレビのコマーシャルや新聞や雑誌の広告もあるのですが,そうした広告は,若返り化粧品とか医療品ばかりとなりました。それは,そのような媒体を今でも必要としている人が,SNSについていかれない老人ばかりとなってしまったからです。これもまた,ひとつ間違えば,老人に対する洗脳となります。
もともと私は,必要のないものは買わないし,必要なものですら,自分に過分な性能があるものは買いません。そうなると,うざったくて仕方がないのが,SNSで時をかまわず出没する広告です。
まず,最もうざったいのが「FaceBook」で大量に表示される広告です。いくら拒否しても出没します。SNSが人工知能を駆使しているのなら,私がそうした広告に拒否感をもっていることなど容易にわかるはずなのに。そんな広告をいくら表示したところで反感をいだくだけだから逆効果以外の何ものでもないと私は思うのですが。
「YouTube」の広告もまた,反感を買う以外に何の効果ももたらしません。そもそも,玉石混交の「YouTube」のコンテンツです。そして,その8割以上は「玉」ではなく「石」ですが,その程度のコンテンツなのにさらに広告が流れると,それがダメ押しとなって,その広告に反感が募ります。ただし,今では,知る人ぞ知る「Brave」というブラウザを使えば,広告のすべてを非表示とすることができるので,きわめて快適となりました。
「Twitter」にも広告が表示されますが,これは,必要のないものは簡単に削除できるし,広告として表示されるものよりも,自分からツイートしたアカウント自体が広告の役割を果たしているから,今はそれほど害ではありません。とはいえ「Twitter」はイーロン・マスク(Elon Reeve Musk)がかき混ぜはじめたから,今後はどうなるか不明です。
最後に「Instagram」ですが,これは,タレントがグラビアを展示している意義しかないようなものだと私は思っていて,ほとんど情報価値がありません。また,見るときも,モバイルのアプリでなく,PCからウェブを使えば広告が表示されないので,私はもっぱらそれを愛用しています。
このように,SNSの多くは,うまくつき合わないと,有益なコンテンツというよりも,わずらわしいだけのものとなりつつあります。本当に手に入れたい情報であるならば,オプトアウトではなく,オプトインで,自分から探してでも手に入れようとするわけで,押しつけられるものではないのです。
私がこれまで若気の至りで広告の影響で押しつけられて購入したもので,買ってよかったと思うものはひとつもありません。
◇◇◇
Thank you for coming 390,000+ blog visitors.
◆◆◆
「しない・させない・させられない」とは
「Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.」とは