しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国旅行記 > 旅行記・2017秋

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●「やればいいんだろう」という感じでは?●
☆1日目 11月28日(火)
 2016年の夏にアメリカ合衆国50州とメジャーリーグベースボール30球場を制覇し,2017年には南天と皆既日食,そして,オーロラをわずか2か月で見ることができて以来,スポーツ選手がが記録を達成して目標を失ったような感じになってしまった。しかし,それでもって旅をする情熱がなくなったわけはなく,新たに行きたいところがよりたくさんと出てきたけれど,興味の対象が以前とは移り,あれほどこだわっていたアメリカ本土がど~でもよくなった,ということだった。
 そこで,新たに行きたいところのなかでどの順番にそこに行くかというのが結構大きな問題になっているのだが,ともかく行けるところから行ってみようと思い,とりあえず11月の終わりにハワイ州カウアイ島からはじめることにした。
 私の行きたい多くの場所の中でハワイが最も手軽な場所であるから,これからも,気軽に無計画にハワイ島やらマウイ島,さらには,機会があればモロカイ島とかラナイ島に出かけて1週間くらいを何もせず過ごそうと考えているのだが,カウアイ島だけはそうはいかないのだ。それは,多くの友人がカウアイ島がいい,いい,と言っているのだが,カウアイ島はほかのハワイ諸島の島々とは違ってひとつだけ反対の方向にあるので,わざわざ行く気力があるうちでなければ行けないということが理由であった。

 しかし,いくらカウアイ島がいい,いいと言われても,私の望むハワイというのは星空の美しいところでなければならない。その点,ハワイ島とマウイ島は申し分ない。しかし,いろいろ調べても,カウアイ島で星空がきれいという話が出てこないのだ。その理由はおそらく天気がよくない,ということであろうと勝手に解釈したのだが,残念なことに,行ってみると,実際その通りであった。
 そんなわけで,まったくテンションも上がらなかったが,ともかく,みんながいいと言うカウアイ島がどういうところかという好奇心だけで,私は機内持ち込み用の小さなサムソナイトにわずかばかりの着替えを詰め込み,すっかすっかのカバンを持って,いつものようにセントレア・中部国際空港に向かった。

 出発もいつものように夜の9時30分。機内は空いているし,カバンを預けるわけでもないから空港には1時間ほど前に到着すれば大丈夫なのだ。しかし,私の家からセントレアまで何事もなければ50分ほどで行けるはずの名鉄は信用がなく,というか,知多半島を走る名鉄は踏切だらけで頻繁に事故やら故障やらで止まるから,もしそうなってもなんとかなるように3時間前くらいに到着するように家を出た。
 幸い何事もなく空港に着いてみると,いつもなら浮かれ気分のホノルル便がこの日はなぜかそういう雰囲気もなく,暗~い感じであった。やたらとセキュリティが厳しいのである。それはアメリカ当局からそういう指令があったらしいのだが,なにせ平和ボケの日本,そして,実質よりも形式的にやったふりを得意とする「おもてなし」のこの国は,係員の「慇懃無礼」な態度に,私は,ただでさえ低かったテンションをさらに下げてしまった。
 アメリカのセキュリティを何度も経験した私には,この空港でのセキュリティチェックのすべてがままごとにしか思えなかった。係員は不慣れで同じことを調べたり,あるいは忘れていたりと,やればいいんだろ,的な態度が見え見えであった。こんなことで本当に危険な人物を探し出せるのだろうか?
 学生のとき,学校の避難訓練を「やったことにしておこう」と言った教頭の言葉を思い出した。

 まあ,こんな調子ではじまった今回の旅であったが,機内は予想通りからがらであった。そこで私の座席はいつものようにデルタコンフォートにアップグレードされ,しかも,コンフォートの最前列で,そこはビジネスクラスのひとつ後ろの足を延ばしてもさらに余裕のあるやたらと広い席であった。しかも隣が空いていて,むちゃくちゃ居心地のよい席でもあった。その席で今回手に入れたノイズキャンセリングの優秀なBOZEのイヤホンで音楽聞きながら寝入ってしまった私が気づいたとき飛行機はすでにハワイの上空を飛んでいた。
 アメリカの入国には書類はいらない。キオスクという機械にパスポートを読み取らせ,指紋と顔写真を撮るだけなのだが,機内で客室乗務員が書類を配り,書いておけと言った。私が要らないだろうと言っても,書かなければいかん,というから書いたのだが,やはり不要であった。
 朝の到着で,空港は混雑していて入国に時間がかかったが,ともかくゲートを出て,ハワイアン航空のターミナルに向かった。これでホノルルの空港に来たのも3度目だったから,空港の中の配置もよくわかるようになった。ホノルルの空港は成田国際空港同様に古臭いところだが,成田のように3つのターミナルが離れていてわかりにくいよりはマシである。
 今回はホノルルで日帰り観光をする予定もなく,そのままカウアイ島までトランジットである。
 定刻カウアイ島行きに乗り換えた。飛行機はホノルルの町を眼下に離陸して,いつもとは違って西の方向に旋回して海の上に出て,いつものように配られたグアバジュースを飲んていると,眼下にカウアイ島が見えてきた。

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●カウアイ島も正真正銘観光地であった。●
 ついにカウアイ島にやってきた。観光地ハワイの中で最も素朴な島で,かつてのハワイの雰囲気が残るところだ聞いていたから,私は大いに期待した。
 おそらく,私がカウアイ島に来る前にオーストラリアの田舎やニュージーランドやアラスカに行っていなかったら,違う感想を持ったに違いない。しかし,そうした正真正銘素朴なところに比べたら,残念ながらカウアイ島は観光地であった。しかし,私がそのことを知るのはもっと先のことである。

 ひょうたん型のマウイ島とは異なり,カウアイ島はハワイ島のような,まあるい島である。たたし,ハワイ島とは違って島の北西は山が海岸まで迫っていて道路がなく,島を周回する道路はない。
 空港があるのは島の南東にあるリフエ(Lihue)という町である。空の上から見たカウアイ島は山と緑ばかりで,最も素朴な島,というイメージがさらに膨らんだが,天気はよさそうに思えなかった。
 空港の雰囲気はハワイ島のヒロ空港と似ていて,のどかな感じであったから私は好感をもった。

 空港から出るとレンタカーのオフィスが並んでいるのもヒロ空港と同じであった。しかし,ヒロ空港の場合はレンタカー会社のオフィスが機能していて,そこですぐに車を借りることができたのだが,カウアイ島ではレンタカー会社のオフィスは(おそらく)今では手狭になってしまい空き家と化していた。そして,レンタカー会社の建物の裏手の,かつてはレンタカーの駐車場であっただろう場所にレンタカー会社へ周回するシャトルバンの停留所があった。

 そこでしばらく待っていたが,私の予約したハーツのシャトルバンは運悪くなかなか来なかった。何台か別のレンタカー会社のシャトルバンを見送って,やっと来たバンに乗り込むと,空港の外にあるレンタカー会社のオフィスにすぐに到着した。オフィスの建物の外に掲示板があって,そこに私の名前と私の借りる車の停まっている駐車場の番号が表示されていた。
 ハーツのゴールドプラスリワーズ(Gold Plus Rewards)メンバーは,このようにカウンタを通さずとも即座に車を借りられることがウリなのだが,それが実際はなかなかどこでもそうはいかないのである。ここの空港はこうした掲示板があったからよかったものの,大概は駐車場の番号がメールで送られてくるというシステムになっていて,私のように外国から来た者にとって,空港に降りてすぐに現地のフリーWifiでメールを拾うのがたいへんだから,その情報が手に入らなかったりするのだ。さらに空港によってシステムがけっこうまちまちなので戸惑うことも多いわけで,これもまたいかにもアメリカらしいことではある。
 
 そうしたわけで,今回はとてもスムーズに車を借りることができた。さっそく車に乗り込み,ゲートで運転免許証を見せて駐車場から外に出た。なお,ハワイでは国際免許証は不要である。

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●「カウアイ・コーヒー・カンパニー」●
 2017年3月にマウイ島に行ったときは,夜に空港に到着したので,あらかじめ調べておいたはずなのに暗くてホテルまでの道順がわからず苦労したので,今回は事前に地図でもっと詳しくきちんと調べておいた「はず」であった。空港はリフレの町からすごし外れたところにあって,ともかく道路標示にしたがってまずリフレのダウンタウンに向かい,州道50を西に向かって走ればいいはずであった。今回は到着もお昼だったので明るく,問題なく走り出した。
 やがて調べてあった通り州道50に出たので,そのまま西に向かって予約してあったホテルのあるコロア(Koloa)に向けて走り出した。

 いつの場合もそうだが,はじめて行った場所は到着したときが最も大変である。土地勘がなく,距離感や地名がよくわならないものだから,迷ってしまうのだ。しかも,予約したホテルがどういう様子なのかもまた,定かでない。
 今回のホテルは,事前にネットで見たところ,ホテルというよりも古びたリゾートタウンのような感じであったが,インターネットの写真を見てもなかなか様子が把握できかねる状態だった。ともかく,この州道50を走っていってコロアの町に着いたら左折してポイプ(Poipu)という海岸まで行けばホテルは見つかるはずであった。

 しかし,このカウアイ島は私が思っていたよりもずっと狭い島であった。いつの間にか左折するはずの交差点を過ぎてしまい,今日の1番目の写真のような,とっくに住宅街を通り過ぎるとあたりは一面の大自然で道路しかないところを延々と走るようになった。これは通り過ぎたかな? と思ったので次に見つけた交差点を左折した。その道路は州道540という標示があったので車を停めて地図で確認するとコロアからえらく行き過ぎていて,そこはすでにハナペペ(Hanapepe)という次の町であった。
 しかし,州道540をそのまま進めば迂回するような形で再び州道50に戻れることがわかったので,そのままこの道を進むことにした。

 このときははじめての場所でよくわからなかったが,実はカウアイ島ではコロアよりも西のこのあたり一帯が最ものどかで素朴な,古きよきハワイの面影のある素敵なところだった。どうやら私は到着していきなり,カウアイ島で最高の場所に来てしまったというわけであった。
 通称「ハレウィリ・ロード」(Halewili Rd)と呼ばれる州道540を走っていくと,やがて「カウアイ・コーヒー・カンパニー」(Kauai Coffee Company)という場所に着いた。舗装されていない広い駐車場があって,結構な車が停まっていたので,私もそこに駐車して中に入っていった。

 豊かな火山土壌と豊富な雨,そして涼しい貿易風が吹くカウアイ島はコーヒを育てるには最適な場所である。「カウアイ・コーヒー・カンパニー」は1,255ヘクタールの農地に400万本のコーヒーの木を有するアメリカ合衆国の中でも最大のコーヒー生産会社ということであった。ここで,コーヒーの木を育てるところから,焙煎,パッケージングまで、すべての工程を行っている。
 カウアイ島のコーヒーは,1800年代はじめにハワイで最初のサトウキビ産業として「マクブライド・シュガー・カンパニー」として創業をはじめたが, 1878年に「カウアイ・コーヒー・カンパニー」へと生まれ変わった。1992年にカウアイ島を襲ったハリケーン「イニキ」によって多額の損害を被ったが復活を遂げ,1996年にはカウアイ島のコーヒーはハワイ島コナ地域全体のコーヒーを超える生産量を記録した。
 「カウアイ・コーヒー・カンパニー」のビジターセンターでは自由にコーヒーを味わうことができる。そこには売店も併設されていて,カウアイ島の中でもとりわけすばらしい場所であった。私がこの旅で到着してすぐに道に迷って,まずたどり着いたのがここだったというわけだ。

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●年代物のリゾートホテル●
 私が予約したのは「Castle Kiahuna Plantation & Beach Bungalows」というところであった。
 ハワイは泊まるところを探すのが結構大変なのである。アメリカ本土であれば,いわゆる「モーテル」を探せば,安価宿泊ができるのだが,観光地であるハワイはリゾートホテルが多く,わたしのようなひとり旅のものが手軽に宿泊できるようなモーテルがない。というか,なかなかみつからない。
 私はともかく寝られてシャワーさえあればいいのだからと,適当に値段の安いところを探すのだがそれがなかなか難しいのだ。なにしろどこも高い。

 そんなこんなでなんとか探し出して予約したのがここであった。
 結論をいうと,ここは少し古臭いリゾートホテルというかコンドミニアムであった。部屋で自炊もできた。それでもこのホテルは結構快適であったのだが,最大の欠点はテレビであった。 これもまた,すでに書いたように,アメリカのテレビの多くはケーブルテレビで,ケーブルテレビ用のチューナーがあったり,リモコンがふたつあったりして操作方法が今ひとつよくわからない。しかも,この部屋のテレビは同じ操作をしても電源が入ったり入らなかったりしたので,テレビを見るだけで大騒動であった。

 話を少しもどそう。
 カウアイ・コーヒー・カンパニーを出て,そのまま州道540を進み,再び州道50に戻ったとき,私はカウアイ島の地理をすでに把握していて,今度は間違えずラワイ(Lawai)で右折して州道530に入った。このまま進めばコロア(Koloa)というオールドタウンに行き,そこからポイプ・ロード(Poipu Rd)を進むとロータリーがあって,ロータリーで進路を左,つまり東に変えてさらにポイプ・ロードを進んでいくと左手にリゾートエリアが見えてきた。
 私が泊まるのは「Castle Kiahuna Plantation」なのだが,間違えてそのひとつ手前の「Grand Hyatt Kauai Resort」に入ってしまい,行き止まりで引き返して,次の入口を見つけた。

 「Castle Kiahuna Plantation」もまたやたらと広く,敷地のどこにビジターセンターがあるのかさっぱりわからなかったが(こういうところにほとんど標示がないのがアメリカだが),それでもなんとか見つけてチェックインをした。
 私の部屋は2階建ての建物の2階の一番右側であった。車を駐車場に停めて部屋に入った。写真のように私ひとりでは広すぎる部屋で,窓の外には遠くに海岸が見えて,まさにリゾートであった。
 ここはおそらく数十年前にはかなり高級なリゾートホテルであっただろうが,さすがに年代が経ってしまい,こうして私のような客を受け入れるようになったのだろう,と思われるところであった。

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●最もハワイらしいビーチ●
 私が,安ければいい泊れればいいということで予約をした「Kiahuna Plantation」は巨大なリゾート施設で,18ある建物から3室の建物までのバンガローが合計で42棟建てられているところであった。ある情報では,ここは「Outrigger Resort」と「Castle Resorts & Hotels」というふたつの会社で運営されているらしくて,受付が敷地の両端に別々に存在している。
 全てのバンガローが海に面しているわけではなくて,ビーチフロント,オーシャンビュー,パーシャルオーシャンビュー,ガーデンビューパラダイス,ガーデンビューデラックス,ガーデンビューと値段によって分けらている。私の泊まった最も安価なガーデンビューはベランダからきれいな芝生が広がっていたが,海を見るには遠い場所であった。

 ここは長期滞在型のファミリー向けの施設で,部屋にはキッチン,冷蔵庫,アイロン,ボディーボードまであったのだが,私にはすべてがまったく不要のものであった。
 海岸まではリゾートのなかを歩いていくことができて,プライベートビーチもあった。ビーチタオルの貸し出しもしてくれるのだが,私は泳ぐ気はなかったのでそれも無駄であった。ただし,ここのビーチは波が高く砂浜が狭い。しかし,ビーチにはたくさんのチェアーが用意されていたので,そこに座って海を眺めるのには最高の場所であったし,こんなことができるハワイのビーチを私は他に知らない。
 そんなわけで,このホテルは安価にリゾートを滞在する気分のまねごとができるところであった。ただし,気にいらなかったのは部屋のクリーニングサービスがなく,タオルも変えてくれないことであった。しかも,そのくせチェックインのときに宿泊代金以外に部屋のクリーニング代(結構高価)をさらに取られたことである。こんなことははじめてであった。

 この古びたリゾートホテルを気にいってリピーターとなっている日本の人もいるらしく,「ワイキキのホテルと比べるとほんとうにお得感があります」という書き込みがあったが,そもそも私はワイキキビーチとは無縁なので,これが正論なのかはよくわからない。ハワイでの過ごし方はひとそれぞれであるが,こんなホテルで満足していてはハワイ通とはいえないであろう。私にはハワイ島ヒロのアーロンコテッジのほうがずっといい。
 いずれにせよカウアイ島のよさというのは,ハワイ島やマウイ島にはない,こうしたのんひりとしたプライベートビーチを楽しむことができることであろう。その点ではオアフ島のワイキキビーチは問題外である。ニューヨークはアメリカでない,とか,東京は日本でない,という人がいるように,ワイキキビーチはハワイではない。
 このビーチこそがもっともハワイらしいビーチであるともいえる。そしてまた,ここはハワイ島のカイルアコナともまた違った魅力のあるところであった。

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●おいしくなかった「ポイプドッグ」●
 今回の旅は4泊6日であった。
 近頃,急にひとり旅をすることが寂しくなってきた。歳のせいであろう。そしてまた,旅は4泊6日くらいがいいと思うようになってもきた。そのくらいだとふらっと国内を旅行するのとそう違いはないし,持ち物が少なくていい。カバンも機内持ち込みくらいのほうが楽でいい。
 私はこれまでにいろんなところに出かけたが,結局,自然がいい。人間の作ったものはどうでもいい。さらにいえば,自然も地球よりも空のほうがいい。だから,星のきれいな,あるいはオーロラの見られる大自然のなかでゆっくりしたい。それが私の結論である。

 カウアイ島に到着したのが午後2時30分ごろで,それから道に迷ったあげく奇しくも「コーヒーカンパニー」に寄ることができて,その後でホテルに着いてチェックインを済ませた。あとは夕食をとるだけであった。
 4泊6日とはいえ,最終日は帰るだけだから,あすからわずか3日間の観光である。事前に調べたところでは狭いカウアイ島は3日もあれば十分である。
 どのようなところか知りたくて来てみたカウアイ島であったが,この島は星が美しい,と書いてあるものが皆無であった。それはおそらく天気があまりよくないことが理由なのであろう。
 あとでまた書くが,この島もまた狭いのにもかかわらず,ハワイ島と同じように,場所によって天気が非常に違い,コロコロと変わるのだ。

 夕食にはまだ時間があったので,ホテルの近場をドライブすることにした。とりあえず行きたかったのは「ツリー・トンネル」(Tree Tunnel)であった。
 「地球の歩き方」に「ポイプに宿を取り島の各地へ出かけるときのお楽しみ」と書かれてあったので,私はまずそこに行きたくなった。そこで,ポイプからコロアを経由して州道50を北上して,わざわさ行ってみることにしたのだった。
 まず,途中のコロアの町で車を停めて少し散策した。コロアは1830年代の昔からある歴史ある町なのだ。1980年代までの古い小さな建物が多いのだが,実は1982年にカウアイ島を襲ったハリケーン・イワによって被害を受けたことをきっかけにして,1950年代の古き良き時代の町並みを蘇らせて復興させたのが現在のオールド・コロア・タウンである。
 ここはその昔さとうきびプランテーションをハワイではじめて行い,一時代を築いたところである。当時は日本からの移民も多かったので,この町にも浄土寺というお寺があった。

 このときの私の目的はコロアの散策ではなくその先の「ツリー・トンネル」だったから,コロアの散策は適当に切り上げて再び車に乗って州道50を走っていった。
 ポイプを出たときは晴れていたのだが,州道50を走っていくうちに雨が降り出した。そして,その雨がかなり強くなってきた。「地球の歩き方」にも書いてあったように,カウワイ島では,天気が悪くてもポイプだけは晴れているのだという。まさにその通りであった。
 州道50の「ツリー・トンネル」付近は時速25マイル(40キロメートル)制限だと書かれていたが,実際はそうではなく,カーブをそのスピードで曲がれという標示であった。
 しかし,このときわざわざ「ツリー・トンネル」に行かなかくても,この滞在ではこの先毎日この道路を通ることになった。
 カウアイ島で私が最も不快だったのは,この島の天候の悪さとともに,車の運転であった。
 この島の道路は制限速度が異常に厳しくて,頻繁にそれが変わる。しかも,その指定速度というのが日本の道路のように,無理な遅さなのであった。これまでアメリカの多くの道路をドライブして私はそんなことを感じたことがなかった。そしてまた,日本の道路のように,ほとんどの車がそんな遅い制限速度を無視してかなりのスピードで走っていく。私がスピード制限を守ってチンタラ走っていても,さすがに日本にように後ろから煽られるということはなかったが,それでもずいぶんとストレスを感じた。つまり,この島はドライブをしていてもまったく楽しくないのだった。

 「ツリー・トンネル」を過ぎたところで満足して,ホテルに戻って夕食をとることにした。
 ホテルから道路を隔てたところに大きなモールがあって,そこにはレストランもあった。このモールには閉店したままのコーヒーショップもあって,栄えているとは言いがたかった。そのなかに一件ホットドッグショップがあったので,この日の夕食はそこで「ポイプドッグ」とやらを食べることにした。しかし,まったくおいしくなかった。

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●太平洋のグランド・キャニオン●
☆2日目 11月29日(水)
 実質3日間なので,今日は島の西側,明日と明後日は東側を観光することにした。幸いなことにこの日は絶好の天気であったが,実は,この旅で天気がよかったのはこの日だけであった。そして,このワンチャンスを十分に生かすことができたのは幸いであった。
 カウワイ島の東側で,というよりも,カウアイ島全体でも,もっとも魅力のある見どころが「ワイメア渓谷」である。ここは狭いカウアイ島とは思えないほどの雄大な景色が広がっているのだ。
 カウアイ島に来たからには,ともかくここに行く必要がある。

 「太平洋のグランド・キャニオン」。  
 1800年代を代表するアメリカの作家マーク・トウェインによってそう表現されたのが「ワイメア渓谷」(Waimea Canyon State Park)である。「ワイメア」というのはハワイ語で「赤い水」という意味をもつ。この深い渓谷は全長16キロメートル,奥行き1.6キロメートル,深さ1,000メートル以上で,太平洋で最大の規模を誇り,赤い土の混ざった水はゆっくりと渓谷を縫うように流れている。

 ハワイ諸島は何千フィートもの地底にある太平洋プレートの活動から起きた噴火によって誕生したが,その最古の島がカウアイ島である。約5万年前の溶岩流の流れでできたワイアレアレ山の頂からの水流と洪水が大地を浸食し,約400万年前には火山島の一部が崩壊した。その崩壊の一部に沿ってできあがったハワイ諸島最古で最大のこの渓谷である。
 途方もなく長い時間で何度も起きた噴火と洪水によって堆積した火山灰と溶岩流で,ワイメアの壮大な断層は作られた。緑に覆われた山がぱっくりと口を開けたように割れ,人類誕生以前から堆積された地層の重なりが赤茶けたさまざまな色合いを見せるむき出しになった断層なのである。
 
 「ワイメア渓谷」に行くには,昨日ホテルに向かうときに行き過ぎてしまった州道50のハナペペからさらに西に走ってワイメアという町で右折して山のほうへ向かっていくことになる。そこで私は昨日走った道路を今度は逆方向に,まずはハナペペに向かった。
 ホテルには朝食がないので,まずは朝食である。
 このカウアイ島にもマクドナルドが数店舗ある。安価に朝食をとるにはマクドナルドは最高であるから,私は事前にその場所を調べたら,ハナペペに存在したので,途中でそこに寄ることにした。この日は私のお気に入りのパンケーキにしたのだが,実は,ハワイのマクドドナルドでしか食べられないメニューがあることに気がついた。このことはまた後日書くことにする。

 朝食を済ませ,ワイメアの町でワイメア渓谷と書かれた道路標示にしたがって右折し,州道550というハワイに多くある片側1車線の美しい道路を走っていった。
 こうした観光地は道路も空いているし,ゴミもまったく捨てられていないし,しかも,武骨な看板やさび付いたガードレール,さらには,汚い道路やらはげたような通行線が引かれたまったく快適でない日本の道路とは違って,快適なドライブを楽しむことができる。

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●ダイヤモンドヘッドの比ではない●
 ワイメア渓谷に行くには,私が今走っているように,ワイメアの町からワイメア・キャニオン・ドライブ(Waimea Canyon Road)と呼ばれる州道550と,ワイメアよりさらに西に行ったケカハ(Kekaha)の町からコケエ・ロード(Kokee Road)を北上する方法があるが,このふたつの道路は途中で合流する。
 私は行きはワイメア・キャニオン・ドライブで登り,帰りにコケエ・ロードを降ったが,これが正解である。それは,ワイメア・キャニオン・ドライブは見晴らしがよく,コケエ・ロードは眼下にニイハウ島を眺めながら降りることができるからである。

 しばらく走って行くと,このふたつの道路の合流地点になった。この先,ワイメア渓谷までいくつかの展望台がある。
 まず,合流地点から4マイル(約6キロメートル)走ったところで右に折れる脇道があって,そこを少し走ったところに広い駐車場があった。ここが「ワイメア渓谷展望台」である。「ワイメア渓谷展望台」(Waimea Canyon Lookout)はワイメア州立公園の中に設置された展望台の中でもっとも低いところにあるから,走っていて最初に出会う展望台である。
 駐車場に車を停めて外に出ると,少しヒヤッとした。すでに標高は1,000メートルである。駐車場からはわずかな距離だがトレイルがあって,そこを登ると展望台に到着した。この渓谷に向かって張り出すように設置された展望台に立つと,そこはまるで渓谷の中で宙に浮いているような感覚をおぼえるが,ここから自然が造った壮大なアートであるワイメア渓谷の迫力と魅力を味わうことできたのだった。
 おそらくこの場所がワイメア渓谷を展望するのに最もふさわしい場所なのであろう。
 斜光によって岩肌が立体的に見える朝や夕方の景色が最も美しいと書かれていたので,私は朝食後急いで行ってみたのだが,まさにその通りであった。
 ハワイの火山活動はどんどんと東に向かって進んでいるので,ここの景観はもはや火山活動の面影をのこしていない。これがマウイ島やハワイ島との大きな違いである。
 ハワイへ行ってきたという友人がいたのなら,このワイメア渓谷に行ってきた? と聞いてあげましょう。ここはオアフ島のダイヤモンドヘッドの比ではないからである

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●太平洋で一番の絶景●
 「ワイメア渓谷展望台」の先には「プウ・カペレ展望台」(Pu’u Ka Pele Lookout)があった。この展望台からは角度を変えながらさまざまな表情を見せる渓谷が楽しめた。透明度がよければ,遠くには「ワイポオ滝」(Waipo’o Fall)を見ることもできるという。
 さらに進んで,次に「プウ・ヒナヒナ展望台」(Pu’u Hinahina Lookout)があった。ここからはニイハウ島が見えるというニイハウ・ビュー・ポイントがあったのだが,木々に遮断されて何もみえなかった。

 さらに登っていくとなんと,今度は打って変わって高原ムードになった。そこが「コケエ州立公園」(Kokee State Park)である。ここは帰りに寄ることにして,私は天気のよいうちに終点の「カララウ展望台」(Kalalau Lookout)に急ぐことにした。途中にアメリカ軍のレーダーの監視台があった。カウアイ島はアメリカ軍の重要な基地でもあるのだ。
 「カララウ展望台」に到着した。ここまで登ると標高は1,200メートルである。
 「カララウ展望台」からは北に「ナ・パリ・コースト」(Na Pali Coast)の美しい姿を見ることができた。これが今日の1番目の写真である。
 「ナ・パリ・コースト」はカウアイ島に残る秘境である。ここは車でアクセスすることができず,行こうとすればフル装備で2泊3日のトレッキングをするしか方法がない。
 また,ここには野鳥が保護された場所があって車で中に入れるのだが,私が行ったときはまだ時間が早く,閉まっていた。その点では先に「コケエ州立公園」へ寄って時間を潰してから来たほうがよかったのかもしれないが,そうしたら今度はこの美しい景観を見ることができたかどうかは不明である。
 雲さえも眼下に見下ろすこの高台の展望台から足下に広がる太古からの景色はまさに絶景であった。この場所はフラの儀式が行われたり,フラの祭典のあとでここを訪れてフラを奉納するフラ・ハラウがあるなど,フラ・プラクティショナーには神聖な場所でもある。
 私が到着したときにはすでに多くの観光客が来ていたが,この景色を見ずしてカウアイ島に来たとは言えないだろう。

 「地球の歩き方」によれば,この先は未舗装になるが,さらに1マイル(1.6キロメートル)行くと「プウ・オ・キラ展望台」(Puu O Killa Lookout)があって,ここから先はハイキングコースだと書かれてあった。しかし実際は未舗装でなく,ちゃんと舗装された道路が続いていた。
 ハワイの旅ではこの「地球の歩き方」にはずいぶんと助けられたが,オアフ島以外の部分を取り扱っている「ハワイⅡ」の記述には古いところが多くあるから注意が必要である。
 舗装されていたので,私は,さらに「プウ・オ・キラ展望台」へ車を進めた。カララウ展望台が最後の展望台だと思って引き返してしまう人がたくさんいるが,こちらが本当の最終展望台である。この「プウ・オ・キラ展望台」からの景色は太平洋で一番の絶景だとも称賛されている。また、この展望台はアラカイ・スワンプへと続く「ピヘア・トレイル」への入り口にもなっている。
 私はこの「プウ・オ・キラ展望台」の駐車場に車を停めて,トレイルをしばらく歩いて行った。アメリカの国立公園にはどこもこうしたトレイルがたくさんあるが,どこもゴミひとつなく無用の看板もなく,大変気持ちがよいものだ。このような場所を知ると,日本の山登りなど,まったくやる気もなくなるというものだ。
 私はハイキングをする気持ちはなかったので,少しだけ行って引き返すことにした。

◇◇◇
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●ニワトリだらけの「コケエ州立公園」●
 最終地点まで行ったので,満足して引き返すことにした。その途中にある「コケエ州立公園」(Koke'e State Park)で一旦車を停めることにした。
 この州立公園は車を走らせていくと道なりに現れてくる。ここは緑の芝生がきれいに整備された大きなグランドのような場所であった。車から外に出ると空気がひんやりとしていて,周囲の樹木の香りが混ざった気持ちのよい空気に自然と心身が開いていくのであった。周辺にはキャンプ場などもあり,学校の生徒やフラ・ハラウ(フラダンスの学校の生徒)が訪れてはカウアイ島の植生,鳥,動物についての自然を学んだり,歴史を学んだりする場所にもなっているという。カウアイ島を代表する花として知られるモキハナ,またカウアイ島特有の香り濃いマイレ・リイリイが見られる場所としても有名な公園である。

 また,ここは年に1度のフラの祭典「エマラニ・フェスティバル」の会場になる場所でもある。このフェスティバルは,1870年エマラニ女王が馬に乗って一行と共にワイメア渓谷にあるアラカイ・スワンプを通ってキロハナ・ルックアウトを目指した有名な旅にちなんだエマ女王に捧げる祭典であり,カウアイ島のフラ・ハラウはもちろん、カウアイ島以外のハワイの島々からも多くのフラ・ハラウが参加するローカル・イベントとして知られている。

 「コケエ博物館」(Koke’e Museum)はこのパークの片隅にある小さな博物館である。この博物館には,コケエ周辺で見られる植物,生物,また,過去にカウアイ島を襲った2大ハリケーンに関する資料などが展示されている。また,売店ではトレイル・マップ,コケエの鳥や生物を知るミニ図鑑や分布図が売られている。
 博物館は無料なのだが,入口に「Donation Box」,つまり寄付金箱があって,そこに集まった寄付金が博物館の運営などにあてられている。
 私も中に入ってしばし見学をした。しかし,この博物館の学芸員に質問をしようとしても,おしゃべりに夢中になっていて仕事をさぼっていたので,私は寄付金を出すのをありがたく辞退した。

 博物館のとなりに「コケエ・ロッジ」(Koke’e Lodge)というレストランが併設されていた。このレストランはワイメアの町を出て以降に出会う唯一の山のレストランである。
 レストランは9時から開いているので,ここで朝食をとることもできる。私はここで食事をしなかったが,山頂にぽつんとあるカントリー感がいっぱいのレストランながら味はなかなかの評判ということである。

 カウアイ島は別名「チキン・アイランド」と呼ばれるくらい野生のニワトリが多い。それは,1800年代の後半から1900年代の初頭にかけてサトウキビ畑で働く労働者が持ち込んだニワトリが徐々に増えたことに加えて,1992年にカウアイ島を襲ったハリケーン「イニキ」によって農場の小屋から逃げ出したニワトリが野生化することでさらに数が増えていったという話である。海岸からこの標高1,100メートル以上のワイメア・キャニオンまで,あらゆる場所にニワトリは進出していて,ここ「コケエ州立公園」もまた,ニワトリだらけであった。

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●「ポリハレ州立公園」はどこだ?●
 私は,車でワイメア渓谷から州道550を降り,途中の三叉路で右折して州道552を西に向かって下っていった。州道552を走っていると途中から太平洋が眼下に美しく見えるようになってきた。青い海の先に見える島影はニイハウ島であった。
 やがて,州道が海岸線まで降り切ってしまうと,そこはケカハ(Kekaha)という小さな町であった。ケカハで海にぶつかったのでそこを右折し,海岸線に沿ってさらに北上していくことにした。
 カウアイ島は海岸線を一周する道路はないが,この先どこまで行けるのかという好奇心であった。

 調べてみると,カウアイ島の北西の「果て」には「ポリハレ州立公園」(Polihale state Park)があると地図にあった。そこで私は,そこまで走って行こうと考えたのだが,実は,それが甘かった。
 まず,海沿いにあったのは巨大なアメリカ軍の軍事基地であった。実はここは軍の重要な拠点であって,先日も迎撃ミサイルの実験が行われた場所である。そこに続く道路はもちろん立ち入り禁止だから,その手前の交差点を右折してさら進んでいった。この先に目指す「ポリハレ州立公園」があるはずだった。
 しかし,そこは私の乗っているような一般車で,何の準備もなく近づくような場所ではなかった。「ポリハレ州立公園」の看板は見つけたが,その先,道路は未舗装になり,次第に狭くなっていった。私は危険を察して早々に引き上げることにしたのだがそれが正解であった。
 私は,はじめてのハワイでハワイ島へ行き,車でマウナケア山へ登ったころは怖いもの知らずであったが,それから2年が過ぎ,私も老いた,というよりは少しは賢くなって,ハワイというところの実態がわかってきた。ハワイは観光地を除けば「未開」の地であり,容易に観光客を寄せつけない。
 そこで,これから先に書くことは,私が行ってみたわけではないから,調べたことを転記することになる。

 カウアイ島の西部は「ポリハレ」と呼ばれていて,火の女神ペレの姉であるナーマカオカハイが住む聖なる場所とされている。またレイなどに使われる海草「パハパハ」が有名で,このレイはナーマカオカハイが伝えたものだといわれている。このポリハレにポリハレ・ビーチとバーキン・サンド・ビーチがあり,その端にある崖は「ハエレエレ」とよばれている。
 神々や先祖の霊はハワイのさまざまな場所からポリハレにやって来るとされる。そのため,この地域に住む人々は,東の方向から神々が家のなかに入ってきて人々を捕まえることのないようにと,東に面した方角には決して入口を造らなかった。
 また,ハエレエレは死者の魂が飛び降り黄泉の国「ポー」へ行く入口ともされている。
 ハワイの神々とは先祖の霊「アウマクア」でもあり,死者は黄泉の国を通って先祖と再会する。もし,死者を迎え入れる先祖の霊がいないと死者はこの一帯の岩に取りつき彷徨う霊となってしまうから,そのために,ポリハレの土地から石を持ち帰ることは強く戒められている。
 ポリハレ・ビーチの果てにはいまも黄泉の国の入口があると信じられている。また近くにはポーの神として知られる地下世界「ミル」を祀る「ポリハレ・ヘイアウ」(「闇=Po」の「家=hale」の意)がある。

 ポリハレ・ビーチの砂を踏むと犬の鳴き声のような音がするところがあり「バーキン・サンド・ビーチ」といわれている。
 ここが「ノヒリ」と呼ばれていた昔のことである。この地で世捨て人のように暮らす男がいた。彼は何匹かの犬と一緒に暮らしていて,近隣の人々は眉をしかめていた。ハワイの文化では犬は食用であったからである。ある日,男が漁へ出ようとすると,犬たちが一斉に吠えてそれを止めようとしたが,男はそれを振り切って船を出した。やがて大嵐が来てどちらが陸地なのかさえわからない状態になったとき,男の耳に犬の鳴き声が聞こえた。彼はその泣き声を頼りになんとか戻ることができた。しかし,そこに犬たちの姿はなかった。犬たちは嵐に巻き込まれて砂のなかに沈みこんでしまったのである。それでも主人の身を案じ砂の中から吠えて主人を助けたのだ。そのためここは「ノヒリの吠え砂」(Ke one kani o Nohili)とよばれるようになったという。

 このビーチまでたどり着くには,私が途中で引き揚げてたように,アクセスは最悪である。道が穴だらけ,普通車だと途中で動けなくなるから四駆で慎重にいく必要がある。しかも,たどり着いたビーチは遊泳禁止である。
 しかし,波は本当に白くて美しい。そこは,1日いても飽きない場所である。自然のまま残されている白砂のビーチと左奥にはナパリコーストのはじまりか終わりか…。 昼間は青く美しい海の色と白い砂浜がお互いにその美しさを引き立たせ,夕方になると遠くに望むニイハウ島が浮き上がるようなサンセットが見られるという。
 

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●不思議の島・ニイハウ島●
 私は今,カウアイ島の西の海岸線を南に向かって走っているが,右手には美しい海岸の向こうにニイハウ島が見えた。カウアイ島はハワイ諸島の中でも西側にあるから,そのさらに西にあるニイハウ島を見ることができる唯一の島なのだ。それが今日の写真である。
 私は昨年2017年3月にマウイ島に行ったときに参加したハレアカラ山の星空観察ツアーのツアーガイドである山内さんからこの島のことを聞いて興味をもった。ハワイ諸島は19島からなるが,そのうちの8つの島に人が住んでいる。この8つの島のうちで,オアフ島,マウイ島,カウアイ島,ハワイ島の4つの大きな島と,ラナイ島,モロカイ島の2つを加えた6つの島が観光地である。それ以外の2島,カホオラウェ島(Kaho‘olawe Island)は現在はNPOの数人住んでいて,アメリカ軍が演習を行ったころの残骸除去と植生の回復活動が行われているが,一般の人が渡航できる島ではない。そしてもうひとつがニイハウ島である。
 今日は,この島のことを書く。

 ニイハウ島は(‘O Ni‘ihau)は,なんと個人所有の島で,カウアイ島の西約27キロメートルのところにある。
 2000年の統計では,人口は160人,内訳は男性75人,女性85人となっている。 このうちで15歳以下が56人,16歳から24歳が21人,25歳から44歳が50人,45歳から64歳が26人,65歳以上が7人である。人種としては,ネイティブハワイアンが107人で全体の66.9%を占め,他は白人2人,アジア人25人,ということだが,実際はどうなのであろう。諸説あって定かでない。ニイハウ島民は外部世界とまったく接触がないわけではなく,船でカウアイ島へ買い出しに行ったり,他の島に移住している親類宅を訪問しているなど,一般に喧伝されているよりも普通の日常生活を送っている… らしい。
 島の面積は179.9平方キロメートルで,153.3平方キロメートルの小豆島程度。 最高峰はパニアウ山(Mauna Pānīʻau )で標高は381メートルなので,高い山はない。島は490万年前に活動した楯状火山であったが,すでに火山は活動は終え,島の東側は大規模な地すべりで崩壊している。
 この島は「不思議の島」(Mistery Island)とよばれる。そういえば,同じ名のアメリカのドラマを見たことがある。
 1795年にカメハメハ1世によってハワイ王国が建国された後も,この島は首長カウムアリイ(Kaumualii)の統治下にあった。1810年にハワイ王国が遠征軍を派遣しカウムアリイは降伏,ハワイ王国の一部となった。しかし,1864年にスコットランド人のエリザベス・シンクレア(Elizabeth Sinclair)夫人がカメハメハ5世からピアノ1台と10,000ドルでニイハウ島を島民付きで買い取り,現在もシンクレア夫人の末裔であるロビンソン一家が所有している。島に出入りできるのは原則としてロビンソン一家とカウアイ郡の関係者だけで,一般人の出入りは難しいのだが,現在は島の一部を散策できるツアーがあってヘリコプターで上陸できるそうだ。ただし,島民への接触は招待された者以外は認められていない。…となると,行ってみたい,となるわけだ。

 ニイハウ島には,真珠湾攻撃のときに起きた「ニイハウ島事件」(Ni'ihau Zero Incident)という痛ましい過去がある。
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 1941年(昭和16年),真珠湾を攻撃した日本海軍の空母「飛龍」に所属した零戦のうちの1機がエンジントラブルを起こしニイハウ島に不時着した。この零戦のパイロットだった西開地重徳一飛曹は,一旦は日系アメリカ人2世の原田義男に救助され匿われたものの,住民に地図や拳銃を奪われ,取り戻すために戦ったあげく,西開地は殺害され原田は自殺した,というものである。
 この事件によって,「ニイハウ島の日本人住民が日本人のパイロットを助けたという事実はアメリカに忠誠を誓っていた日本人住民が日本を支援するかも知れない」という懸念になって,その後の日系アメリカ人の強制収容実施の計画に大きな影響を及ぼすことになった。
 現在,西開地の故郷である愛媛県の波止浜(現在の今治市)には,事件の物語と「彼の功績は永遠に続く」と刻まれた花崗岩の柱が建てられている。また,西開地の零戦の残骸は,真珠湾のフォード島のアメリカ海軍基地内にある「太平洋航空博物館」に展示されている。これもまた,現在ハワイを訪れる日本人観光客のほとんどが知らずまた興味のない歴史のひとつである。
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●「ケハカ」に住みたい,と思った。●
 ワイメア渓谷から州道552を降りたところにあったのがケハカ(Kekaha)という町であった。私はそこから海岸に沿って州道50を北上して「ポリハレ州立公園」を目指したのだが途中で断念したことはすでに書いた。
 私はそうして,再びケハカまで戻ってきた。
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 ケハカは「ケカハ・ビーチ」 (Kekaha Beach) に面した町である。ケカハの町は小さく店舗も少ないが,立派な小学校も保育園もあるし,車で5分の隣町ワイメアに行けばスーパーマーケットも病院もあるから,不便な町ではない。その逆に,とても充実した田舎町であり,昔からの住民ロコはもちろんのこと,ニイハウ島から一番近い場所なのでニイハウファミリーや親戚もたくさん住んでいるという。そのせいもああって,ハワイ語を母国語とする家族も今だにたくさん住んでいるし,ハワイ語のみの学校もある。さらには,実は,お金持ちの人が住む隠れ高級地としても密かに知られている。
 ここはカウアイ島の最西端であってのんびりしていて,周りはサトウキビやひまわりのフィールドがあったり,ビーチでクジラがジャンプしてるのを見ることもできるなど,たくさんの自然があり,心が洗われるところである。
 野生のニワトリや大きなカエルも元気に暮らしている地域で,冬にはクジラたちが海で大暴れしているのを肉眼でみることさえできる。

 ニイハウ島を臨むのが,東西に広がる白砂ビーチである。このビーチはもちろん徒歩距離であり,晴天率最高のお天気地域でもある。
 観光客がこのビーチを楽しみたいのなら,道路沿いに駐車をしてビーチに歩いて行けばいい。ここでは,海に沈む太陽が見られる夕暮れのころは特にロマンティックであろう。ただし,海流が強く波が高いので,遊泳には向かないが,釣りやボディボードなどを楽しむことができる。
 私は,こうした海岸を見ると,子供のころに行った家の近くのきっ~たない海水浴場のことを思い出したりするが,あんな汚れたゴミだらけの日本の海岸のその先に,こんなに美しい海岸があるなんて,そしてまた,これが同じ地球上のことなんて,本当に信じられないのである。

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●カウアイ島伝説の小人族「メネフネ」●
 ケカハの美しい海岸を右手に5分ほど走るとワイメアに着いた。カウアイ島西側最大の町がワイメアである。
 「古きよきハワイ」といったノスタルジックさと1900年代を思わせるレトロな雰囲気のある町である。町のほぼ中心に海を向いてキャプテン・クックの銅像があると書いてあったのだが,私は見つけられなかった。海岸に沿った道の向かいに「イシハラマーケット」(Ishihara Market)があった。

 この町は,昔,島でもっとも栄えていた歴史がある。
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 ヨーロッパの探検船がハワイに到着するさらに何百年も前,新しい安住の地を求めて南太平洋からやって来たポリネシア人たちの最初の着陸地だった。その指揮をとったのはクアルヌイキニアクア(Kualunuikiniakua)。ピイアリイ(Piialii)とともに彼が到着したのがワイメアの海岸であった。一行は海岸沿いと渓谷沿いに住み着いた。
 やがて時を経てクアルヌイキニアクアが他界したあと,息子のクアルヌイパウクモクモク(Kualunuipaukumokumoku)が賢明な統治をした。この時代からその存在が口承で伝えられているのがカウアイ島伝説の小人族「メネフネ」である。
 クアルヌイパウクモクモクの息子オラ(Ola)は現場作業をメネフネに委託することでヘイアウから養殖場,複雑な農業灌漑システムに至るまで多様な建築プロジェクトを請け負うことで成功した。
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 1778年,砂浜に2隻の船が停泊していた。びっくりした村人たちは大騒動になった。カフナ(聖職者)が言った「ロノ神がいらした!」という言葉で村人たちはこれをハワイの4大神のひとりであるロノの到来だと信じたが,これがキャプテン・ジェームス・クックが率いるイギリス船「レボリューション号」と「ディスカバリー号」であった。
 大歓迎を受けたクック一行であった。
 クック一行が到着した時の記録では当時のワイメアには60棟の建物,川の上流に40程のわらぶきの家が点在していたとされている。また,渓谷にはタロイモがたわわに実り,水田にはアウワイ(Auwai)と呼ばれる灌漑システムが使用されていて,その洗練度と完成度の高さに西洋人たちが注目したと記述されている。
  ・・
 このキャプテン・クック一行の上陸をきっかけとして西洋の物資や文化がハワイに入ってくるようになり,ワイメアはカウアイと世界を結ぶ貿易の玄関口として大いに栄えた。
 キャプテン・クックはその1年後,ハワイ島ケアラケクア湾で殺された。
 その後1793年にワイメアを再訪したのがキャプテン、ジョージ・バンクーバーであった。ここで彼はカウアイ王国最後の総督カムアイ(Kamualii)に会っている。
 1700年代末に最初のアメリカからの宣教師の何人かがワイメアに定住し,カムアリイの抵抗もむなしくハワイ王国への反乱が始まった。
 1930年代にはナウィリウィリ港とポートアレン港ができ,サトウキビ生産の中心としてコロアの町が栄え,ワイメアは徐々に衰退した。
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 私はワイメアで昼食をとろうと車を停めてめぼしいものを探した。いろいろあるにはあったがその気にならなかったので,中国人の経営する「日本食」の店で「ラーメン」を食べるはめになった。店員どもどもやる気があるとも思えなかったが味は悪くなかった。
 ハワイであろうとオーストラリアであろうと日本だろうと,世界中どこに行ってもこうした場末のラーメン屋があって,大概中国人の愛想のよくない店員が適当に客と応対しているが,それで十分商売が成り立っている。そうした中で,どう考えても日本でこうした店を構えるのがもっとも面倒くさそうに私は思える。それは「お客さま神様」で日本の客が最も横柄だからである。
 食事を終えて,私は「ナゾの用水路」なるものを見にいった。
 ワイメア川にかかる橋を渡るとワイメアの町は終わるが,ここにオラとメネフネの物語りを紡ぐ「ナゾに包まれた用水路」が今も残っている。ハワイ語で「オラの用水路」(Kiki a Ola)と呼ばれるこの石造りの用水路はワイメア・スウィンギング・ブリッジの側にあった。ここは古い時代,「神たちのユートピア」(Pali Uli)と呼ばれた美しいエリアであった。緻密にカットされた石が互いに完璧にフィットしていて,築かれた用水路には滑らかに水が流れていた。このような細かい作業を用いた建築物がハワイで見られるのはここだけだとされている。
 これはワイメア川上流部から中腹部にあるタロイモ畑に水を引くための灌漑用水路として造られたものだが,独特で完成度の高い建築構造物であることから,どうやって用水路が造られたかは考古学的には未だにナゾということである。

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●野生化したブタ●
 この日,当初の予定ではワイルア州立公園からウエストコーストを観光するだけのつもりであった。しかし予定していたコースをまわってきたのに,まだお昼であった。しかも今日は天気がいい。予報では明日からは天気が崩れるということだったので,予定を変更して,午後は明日行こうと思っていたノースコーストまで足を延ばすことにした。
 カウアイ島はものすごく狭い。面積はわずか1,430平方キロメートルで,これは東京24区くらいのものである。周囲は145キロメートルでしかないから,1周すると1日がかりのハワイ島とはわけが違い,どこにも簡単に行くことができるのである。

 そこで,私は州道50を海岸線にそって東に,まずは空港のある島の中心リフエまで走っていった。カウワイ島で一番大きい町であるリフエの観光は最終日にしようと思ったのでこの日は単に通過したが,ノースコーストに行く前に,リフエの近くに1箇所だけ立ち寄りたい場所があった。それがワイルア滝である。
 「地球の歩き方」に載っている地図にはこの「ワイルア滝」と「シダの洞窟」が隣同士に書かれているが,このふたつはアクセス方法がまるで違う。
「ワイルア滝」は車で簡単に行くことができるのに対して,「シダの洞窟」のほうは,これも後に行くことになるのだが,こちらはワイルアの町はずれにあるマリーナから遊覧船に乗る必要がある。

 「ワイルア滝」はリフエの町の北端にあってダイナミックさで知られるということだ。
 カパアの町から「クヒオ・ハイウエイ」(Kuhio Hwy)を車で西に向かって走り,「マアロ・ロード」(州道583)に折れた先にあると書かれてあったので,その交差点を曲がった。道は狭くなって,日本の山道のようなところを登っていくようになった。滝に近づくにつれて,80フィート(24メートル)の高さから一気に滝つぼへと落ちる水流がたてる水しぶきの音が聞こえてきた。
 世界最大の降雨量を誇るワイアレアレ山に降る雨がワイルア川へと流れ,この場所で2筋の水流となって美しい滝を作っているのだという。クヒオ・ハイウエイから少し奥まっていることもあって,周囲は樹木に囲まれた緑で静けさに満ちていて,滝があげる瀑布の音だけが周囲に響いていた。
 私が登っていくときにその前に1台の車がのんびりと走っていた。やがてその車とともに駐車場に着いた。駐車場から少し降りたところに目指す滝の展望台があった。前の車から降りた人は持ってきたカンパスを設置して滝の絵を描きはじめた。どうやら常連さんらしかった。駐車場には他には1台の車が停まっているだけだった。

 古代ハワイではチーフや戦士であったカネ(男性)たちが自分の勇気と勇敢さを競い見せつけるためにこの滝の上から滝つぼに飛び込む儀式が行われたという口承逸話がある。高さが80フィート(24メートル)に対して水深が30フィート(9メートル)というから,確かに勇敢さが要りそうだ。ただし,現在はさらに滝つぼの水位が減っているために滝つぼへの飛び込みは禁止になっている。 
 駐車場のたもとに髭もじゃの老人がいた。挨拶をするとこれを見ろといって指を差した。その指の先にいたのは彼が飼っているブタであった。
 古くは先住人が持ち込んだ動物から開国後に世界中から持ち込まれた動物まで,ハワイ諸島には人の手によってさまざまな哺乳類が持ち込まれた。そのなかでも影響の大きなものがブタである。こうした動物は生きていくために欠かすことのできない食用であったが,今日のハワイでは野生化したブタが増え続け,ハワイ固有の植物を荒らしたり掘り起こした穴に水がたまるために蚊の発生を促すなどの問題があるという。環境保護団体は野生のブタを駆逐したいというのが本音であるが,先住ハワイ人の血を引く人たちの一部は伝統文化として放置しておくことを望んでいるのだそうだ。
 「ワイルア滝」は,そんなのどかな場所であった。

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●絶景のビーチと伝説のケーブ●
 ローカル色満載の「ワイルア滝」に行って,私は再び「クヒオ・ハイウエ」に戻ってきた。この後はカウアイ島のノースコーストを行けるところまで行ってみようと島の東海岸に沿って北上していった。
 ワイルアを越えて「クヒオハイウェイ」と呼ばれる州道56は海岸線をどんどん北上していく。海岸沿いはリゾートタウンになっていて,観光客も多く,ここがカウアイ島で最も栄えているところだと思った。しかし,私はこのあたりの観光は明日以降にまわしてすべて通過し,先を急いだ。
 やがて道路が左にカーブして,進路が北から西に変わった。この先にもまた見どころはたくさんあったが,それらもすべて後回しにして,ともかく道がなくなるところまで進んでいくことにした。

 道路はまだ続いていたが,州道56という名前はハナレイ(Hanalei)が終点であった。ハナレイは新しいリゾートタウンである。タロイモ畑が眼下に広がる「ハナレイ渓谷展望台」(Hanalei Lookout)も後回しにして,さらに道路を進んでいくと,州道は560と名前を変えて,急に道路が狭くなった。
 ハナレイの町を過ぎると道路は森の中の小路の様相を呈してきた。橋の幅は道幅よりもさらに狭く,マウイ島のハナに行ったときのような交互通行になった。ただし,マウイ島のときとは違ってこうした狭い道路も長くは続かない。なぜなら,まもなく道路は果てを迎えるからだ。
 狭い道路であったが,道路には一応センターラインがあった。ただし,はみ出さずに通行ができないほどであった。木々が道の両側に迫り,より見通しが悪くなったころに忽然と現れた絶景のビーチが「ハエナビーチ」(Ha’ena Beach)であった。

 「ハエナビーチ」には駐車場があって私は空いたスペースに車を停めて外に出た。
 「ハエナビーチ」にはまぶしい砂浜が広がり,夏でも波がそこそこある,いかにもハワイという感じのサーフスポットが広がっていた。
 ここの砂浜はやわらかく高さがあり,波打ち際まで波が崩れないのだそうだ。ここを東に,つまり,海を目の前にして右手の砂浜を延々と歩いていくと「マクアビーチ」(通称トンネルズビーチ)になる。そこは透明度が高く,ダイビングに最適なエリアである。「トンネルビーチ」と呼ばれる岩礁は海中にあってベストスキューバダイビングポイントのひとつとして紹介されている。こうした地元民のビーチこそがハワイであるといつも思う。ワイキキビーチなどくそくらえだ。

 「ハエナビーチ」で州道560は終わりかと思ったが,さらに道路は続いているらしく,多くの車がその先まで走っていくので,きっとまだこの先も行くことができるのだろうと私も判断して出発した。そして,この先に最終地点があるのだろう。
 州道560号沿いには多数のケーブがあった。ケーブというのは洞窟のことである。
 この「ハエナビーチ」の道の反対側にも大きなケーブがあった。これが「マニニホロ洞窟」(Manini Holo Dry Cave)である。「マニニホロ洞窟」は近くにある水を湛えた洞窟と区別するため「ドライケーブ」とも呼ばれている。このケーブは奥行きは長くなく,ケーブというよりも崖に開いたほら穴という感じであった。しかし,間口,奥行きともに数十メートルあって,私がこのあとで行くことになるカウアイ島の随一の観光地「シダの洞窟」より断然深く迫力満点であった。
 光の入り込まない一番奥は真っ暗で,天井は奥に行くほど低くなっている。1954年の津波の影響で大量の砂が洞窟を埋めてしまったが,今でも大きな口を開けている。ここはかつてこの地に住んでいた「メネフネ(伝説上の小人)」たちが作った洞窟とも言われ,魚を横取りした悪魔を閉じこめたところとされている。

  ・・・・・・ 
 あるとき,マニニホロがハエナ湾とその近くのリーフに魚採りに行きました。その日は大漁過ぎて彼らは魚を全部持ちかえることができなかったので,たくさんの魚をそのまま残して帰途につきました。ところが翌朝残りの魚を取りに来てみると,1匹も残っていません。マニニホロが調べたところ,峡谷に住む小鬼達がこっそり盗んでいったようです。彼らを懲らしめようにも小鬼が住んでいたのは深い峡谷で,そこに行くだけでも大変な場所でした。そこでマニニホロは一計を案じます。なんと山を貫くトンネルを掘り,小鬼の住む渓谷まで直結させようというのです。時間はかかったもののトンネルは完成し,彼らは小鬼を懲らしめることができたそうです。
 このとき掘った穴が「マニニホロ洞窟」だということです。
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 「マニニホロ洞窟」のすぐ近くには「ワイカナロア洞窟」(Waikanaloa Wet Cave)があった。「ワイカナロア洞窟」は「マニニホロ洞窟」とは対照的に洞窟内に水を湛えているので,「ウェットケーブ」とも呼ばれている。
 伝説によると,カウアイ島の火山がまだ活動していたころ,若く美しい娘になりすまし旅していた火の女神ペレは,地元のハンサムな首長ロヒアウと恋をし,この洞窟に住んでいたといわれている。また,この洞窟はカナロアが掘った洞窟(=Wai-a-Kanaloa)のひとつとも言われている。ハワイの四大神のひとり「カナロア」は兄弟の「カネ」と共にハワイの各島を旅する途中でたくさんの洞窟を掘ったとされている。しかし,実際にはこの洞窟は約4000年前に波の浸食によりできたもので,洞窟の水は溶岩から染み出す湧き水でとても冷たい。
 行き止まりとなる「ケエビーチ」まではここからあと1マイルであった。

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●最北の「ケエビーチ」●
 「ハエナビーチ」から更に1マイル(1.6キロメートル)進み,州道560の行き止まりに「ケエビーチ」(Kee Beach)があった。「ケエビーチ」は終点であるから駐車場や路上駐車の争奪戦が激しく,なかなか停める場所がないということであった。私も一度は駐車場に入っていったがどこも空いておらず,引き返して少し戻り,そこにあった公園の駐車場に車を停めて歩くことになった。
 
 ビーチに着くと,遠く,ビーチの向こう側を眺めると,その先には秘境「ナパリコースト」(Na Pali Coast)の山々が続いていた。「ケエビーチ」は「ナパリコースト」へと続くトレイルの起点となっていて,ここに車を停めてトレイルに向かう人も多い。
 カウアイ島は車で一周できない島で,この北の端で車道は終わる。「ナパリコースト」として知られる目を見張る独特な断崖絶壁は,ここから島の反対側である西の端まで連なっていて,交通を遮断している。

 車で行ける北の終点のビーチとして知られる「ケエビーチ」はまた,幅広く茂ったサンゴ礁が保護されているラグーンになっているので,カウアイ島の中でも数少ない遊泳が楽しめるビーチとして地元の家族連れや海遊びビギナーズにも人気が高い場所である。また,特にシュノーケリング愛好者には人気があって,透明度の高いブルーの海水の中で泳ぐ多種多様な魚たちのつくり出す幻想的な世界が楽しめるのだそうだ。また、たくさんのハワイアンホヌ(大型のハワイのウミガメ)が集まる場所でもある。

 このビーチは季節によって浜辺の砂の量など状態の変化が激しいのも特徴で,夏には大量の砂がラグーンに込んでプールを作る。また,波が穏やかな日にはリーフに囲まれたラグーンの外側に出ることも可能となるなど,何度来ても楽しめる場所なのだそうだ。
 カウアイ島を訪れるなら,ここまで来なければ意味がないと思った。

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●行き忘れた「リマフリガーデン」●
 車で行ける北の終点「ケエビーチまでいくことができたので,満足して私はハナレイまで戻ってきた。リゾートエリア「プリンスヴィル」の手前の坂道に「ハナレイ渓谷展望台」(Hanalei Lookout)があったので,まずは車を停めて展望台からの風景を楽しむことにした。
 ここはタロイモの水田が並ぶハナレイ渓谷と国定野生動物保護区の一部をみおろす展望台になっていて,水田の背後にはワイアレアレ,ナモロカマなどの山々が連なり,手側にはハナレイ川がゆったりと流れているのどかな風景を見ることができる,古代ハワイから続くハナレイの美しい景観を一望できるスポットであった。
 このハナレイのタロイモ畑で採られるタロイモを材料に作った「ハナレイ・ポイ」という食べ物はカウアイ島の主要なほとんどのスーパーで売られていて人気の高いポイ・ブランドのひとつでもある。

 この日,私が見落としたところが1箇所あった。それは「リマフリガーデン」(Limahuli Garden)という古代ハワイからのエネルギーに浸ることのできる植物園であった。ここでは,この庭園について書いておくことにする。
  ・・・・・・
 「リマフリガーデン」は州道560が間もなく終点のケエ・ビーチかなと思う手前で急峻な坂を左に上がったところにあったのだというが,私はそれを逸した。マカナ山を背後にひかえて谷間の低地に広がるこの庭園は,復元されて建っている古代のハレ(家)とあいまって,古きよきハワイにタイムスリップされるのだという。また,この場所は古代の住居システム「アフプアア」をいまも継続している自然保護区である。
 ここでは資源管理と自然資源を守るたくさんの試みも行われている。また,ヘイアウ(聖域)としてハワイの人々から敬まわれ大切にされている一帯でもある。
 この「リマフリ自然保護区」は約1,000エーカー(東京ドーム約86個分の面積)という広大な敷地に広がり,およそ250種のハワイ諸島固有の植物および鳥たちが人の手が入らない姿で保存されている。この中には50種におよぶ絶滅危惧種がふくまれ,この場所でしか見ることのできない品種もふくまれている。
 この庭園は,1967年ジュリエット・ライス・ウィックマンがこの土地を手に入れ,孫のチャールズ・チッパー・ウィックマンとハウオリ夫人の手によりリマフリ渓谷の復元作業を開始し,1976年に非営利団体 NTBG(National Tropical Botanical Garden)に寄贈されたものである。
 「リマフリガーデン」はトレイルになっていて,約1時間半ほどで周回できる。トレイル沿いには希少な植物などが自然な形で配置されていて,古代の住居システム「アフプアア」や航海カヌー,考古学的な遺跡,固有種の森の散策などのセクションを持ち,ハワイ文化の一端を学ぶ貴重なコースにもなっている。
 また,植物園内を流れるリマフリストリームは島に残された最後の手つかずの水路である。
  ・・・・・・
ということであった。

 こうして,この日,私は「リマフリガーデン」こそ見損ねたが,予定したウエストコーストに加えてノースコーストまで遠出することができた。この判断が幸運であったことが次の日にわかる。
 夕食はリフエにあったモールの中にあった「パンダエクスプレス」で中華料理を食べた。

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●魔物の吐く潮が見える穴●
☆3日目 11月30日(木)
 3日目となった。2日目にこの島の見どころはほとんど行ってしまったし,今日は天気も悪いので,まるでテンションの上がらない朝であった。
 しかし,旅はこのくらいであったほうがむしろいい。朝起きてやらなければならないことがないくらいのほうが新たなことが起きたときに楽しいものだからだ。

 私の宿泊しているホテルからラワイ・ロードを少し西に進んだところに「潮吹き穴」というものがあるという。この周辺は,カウアイ島で最後に火山が噴火した場所とされている場所で,冷えて固まった溶岩の穴に波が流れこんで,潮を噴き上げるのだ。
 この地は,ハワイの伝説では,潮を吹く音が魔物の叫び声で吹き出す粉末は魔物の吐く息だといわれている。…ということで,朝一番にそこまで車で行ってみた。
 海岸線を走っていくとそれはあって,ここでもニワトリだらけの駐車場があったので,車を停めた。駐車場を囲むような形で屋台がたくさんあった。ここに来る観光客をターゲットにしているらしかったが,まだ朝早かったので,どれも開いていなかったか,開店の準備をしていた。

 展望台には海岸に沿って手すりがあって,その向こうにその穴があった。一見小さな溶岩棚にしか見えなかったが,この岩に空いている空洞から波によって押し出された海水がときどき勢いよく潮を噴き上げるのが見えた。ゴォーという轟音とともに潮が高く吹き上がるのだが,毎回その大きさが異なっている。ひときわ高く上がった際には迫力があるから,次こそ,次こそ,という感じで,いつまでも見飽きるものではなかった。ただし,それだけのものでもあった。
 この潮吹き穴が,他にもある潮吹き穴と違うのは,勢いよく潮を吹き上げるだけではなく,その際に轟音を立てるということだという。人によって,その音は「ゴォー」とも「ブォー」とも「ヒュー」とも聞こえるそうだが,この轟音にはいくつかの伝説がある。

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その1
 この地域の海岸線を守っていた巨大なメスとかげ「モオ」のお話である。  
 「モオ」はこの辺りの海辺に釣りなどで訪れて来る人を餌食にしていた。ある時,釣りに来たリコという男が「モオ」の攻撃を受け,槍を投げたところ,その槍が「モオ」のノドに刺さり,怒り狂った「モオ」はリコを溶岩棚の中まで追いかけた。リコは運良くその中から出られたものの,空洞にはまった「モオ」は出られなくなったという。飢えと痛みによる「モオ」の泣き叫ぶ声が潮吹き穴から聞こえて来るのがこの轟音なのだ。
  ・・
その2
 タヒチからやってきた巨大なとかげ「モオ」には兄弟がいて,2匹の妹たちはニイハウ島に住み着き,兄レホはカウアイ島まで泳いできて,プヒ(,この地域をプヒと呼んでいた)という場所を気に入った。
 その周辺をウロウロしているうちに空洞にはまって抜けられなくなり,その叫び声が轟音として聞こえるという。
 あるいは,妹が死んだという話を聞いたレホが泣きながら歩き回って空洞にはまってしまい,その悲しい叫びが轟音となって,いまも聞こえるという。
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 この潮吹き穴は,以前はククイウラ・シープルームと呼ばれる別の空洞の隣でひっそりしていて,むしろ,ククイウラ・シープルームのほうが61メートルほどの高さの潮柱を噴き上げていて,周囲にあったサトウキビ畑を水浸しにしていた。1920年,迷惑をこうむっていたサトウキビ会社の従業員がその穴にダイナマイトを仕掛け,この穴を爆破した。そのときの穴は,現在の潮吹き穴の左側に位置し,いまも長方形の開口部が見えている。
 立ち入り禁止のサインを無視して溶岩棚まで降りていく人もいて,潮吹き穴に近づいて空洞に流し込まれてしまうという悲しい事故が後を絶たないという。

 潮吹き穴を見終わって,今日は,イーストコーストにある「シダの洞窟」に行こうと決めた。途中,リフエにあったマクドナルドで朝食をとった。ハワイのマクドナルドではご飯が食べられる。しかし,この朝食メニューは日本にあってもおそらく絶対に人気は出ないであろう。

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●昨晩の大雨で…●
 カウアイ島で最も有名な観光ポイントは「シダの洞窟であると「地球の歩き方」にあった。しかし,この「シダの洞窟」は車では行くことができず,ワイルア(Wailua)というリゾートタウンの南を流れるワイルア川の河口にあるマリーナから遊覧船が出ていて,それを利用するしか方法がないと書かれてあった。そこで,今日はまず,その「シダの洞窟」とやらに行ってみようと思った。ともかく,優先順位の高いものから片付けるのが私の旅の方法である。
 ワイルア滝を見たあと,州道56に戻って海岸線をそのまま走っていくとやがてハワイの他の島にもあるようなリゾートホテル群が見えてきた。それを目指して走っていくと,橋を渡りワイルア川を越えてしまった。ワイルア川の左岸を上流にむかっていく道路の先にマリーナがあるのだが,どうやら,その道路に入る交差点を過ぎてしまったようなのであった。橋を過ぎたところの道路の右側に海岸の景観を眺めることができる展望台を見つけたのでそこに入って車をUターンした。

 展望台で一度外に出てみると,海岸には大きな波が打ち寄せていて風もかなり強かった。天気もよくなかった。このあたりは,昨晩かなり雨が降ったらしい。
 元に戻り,今度はマリーナを目指して交差点を右にまがり,しばらく行くととマリーナが見つかった。マリーナに到着したのは8時30分ごろであった。遊覧船は一番早いのが9時30分ということであったが,遊覧船を待っているような観光客はひとりもおらず,本当に遊覧船がでるのか,それとも寂れてしまったのか疑問に思った。
 窓口があったので聞いてみると,昨晩の大雨で川が増水しているので,朝の便は欠航になるかもしれないが,それがわかるのは9時過ぎだと言われた。
 それがわかるにはまだ30分もあるが,待っている時間も無駄に思えたので,昨日行かなかったノースショアのいくつかの見どころに先に行ってから午後にまたここへ戻ってくることにした。

 マリーナを出て州道56に戻り,北に向かい,「23マイル」の道路標示を過ぎたところで右折して「キラウエアロード」(Kilauea Rd.)へ入った。このあたりがキラウエアという町である。
 キラウエアはかつてサトウキビプランテーションで栄えた町であり,また,1970年代にグアバがハワイに入ってきて以来,世界一の生産量を誇るグアバ畑で知られていたのだが,最近になって畑全体を含むこの一帯が個人によって買い取られてしまい,グアバ畑は姿を消したという。
 「キラウエアロード」(Kilauea Rd.)をそのまままっすぐ進むとキラウエア岬に着いた。この岬がカウアイ島の最北端,つまり,ハワイ諸島全体の最北端に位置するのだ。そして,この岬の先端に建つのが「ダニエル・K・イノウエ・キラウエア・ポイント灯台」である。
 この灯台はカウアイ島を象徴していて,多くの絵はがきやポストカードで紹介されている。灯台は1976年でその役目を終えているが,いまでもキラウエアの町のモニュメントとして,そしてまた,カウアイ島の代表的な風景のひとつとして大きな存在であり続けている。

 灯台を見終えて,再び州道56に戻り,さらに西にすすんで,プリンスヴィルというリゾートへ行ってみた。ここから先が昨日行ったノースショアの果て「ケエビーチ」であるが,この日は天候が悪いために通行止めで行くことができなかった。私はこのとき,昨日その場所に行った決断と幸運を感謝した。
 プリンスヴィルあたりでなにかお昼ご飯を食べようと思ってリゾートエリアに入っていった。しかし,ここは確かに「想像を絶する規模のリゾート」ではあったけれど,カウアイ島でなければ見られらないような特別な場所でもはなかった。というよりも,むしろ,私には,素朴なカウアイ島を台なしにするものとしか思えなかった。そしてまた,レストランも高いだけで大したものがなかったから,私はこのたりでノースコーストから引き返すことにした。

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●この町の楽しみ方がわからない。●
 「シダの洞窟」へ行く遊覧船乗り場に行く前に通るたびに気になっていたイーストコーストにあるの「オールド・カパア・タウン」(Old Kapaa Town)に立ち寄った。ここはもっともカウアイ島らしい雰囲気に出会える,まさにノスタルジック・タウン,こういう町こそがハワイなのである。
 カウアイ島では,一番にぎやかな町がカパアであり,その北の端っこにある一角が「オールド・カパア・タウン」と呼ばれる商店街で,ここには昔からの建物を利用した店が軒を並べ,古き良きハワイの町並みを楽しむことができる観光客にはまさにノスタルジックスポットとなっている。
 
 この町もまた,ほかのハワイのオールドタウンと同様に,道路沿いの駐車帯に車を停めて,歩いて道に沿って作られた多くの土産物屋やらレストランを散策することができるようになっていた。幸い,駐車スペースがけっこうあったので,私も車を停めて外に出た。
 では,この町の有名な店についていくつか書いておこう。
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 「ジャバ・カイ」(JAVAKAI),「ポノ・マーケット」(Pono Market)などは朝早くからオープンしていて,通勤前の人たちが朝食をピックアップする姿が多く見られる。また行列のできる店である「カントリー・キッチン」(Country Kitchen),「カフェ・ヘミングウエイ」(CAFE Hemingway)などもこの一画にある。
 町を一周すれば,カウアイ・テイストいっぱいの衣食住アイテムが売られている「ザ・ルーツ」(The Roots),「ワーク・イット・アウト」(Work It Out)などがある。また,若者に人気のブティックにはカウアイ・カジュアルがライン・アップされている。
 月に一度,第1土曜日には「オールド・カパア・アート・ウォーク」(Old Kapaa Town Art Walk)なるものが開催される。それはカウアイ島のローカル・アイテムが一堂に集う楽しいイベント・ナイトである。
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 カウワイ島のこのあたりは,マウイ島でいえばパイアのようなところであった。しかし,私は,パイアに行ったとき同様,残念ながら,こうした町を楽しむ術を知らない。
 なにせ,レストランに入ったところで食べたいものもないし,土産物屋に入ったところで欲しいものもない。さらには,この町だけでなくハワイにたくさんあるギャラリーではどんな絵を見たところで,そのよさが私にはわからないのだからどうにもならない。アクセサリーや水着などは女性でないからはじめから無縁の世界である。
 これでは,せっかくハワイに来たところで,そのよさの多くの部分がわからないということになってしまうであろう。
 ただし,私が唯一,こうした町で興味をもつのは,今日の4番目の写真の「オノ・ファミリー・レストラン」のような,日系人が経営していると思われる店名が多く目につくことである。

 そんなわけで,町を歩いているとその雰囲気は楽しいのだが,だからといって店に入るということにはならなかった。
 だから,私はそんな町の雑踏をはずれて,海岸に行ってみた。あいにくこの日はそれほど天気がよかったわけでなかったが,やはり,ここは太平洋のど真ん中である。海岸からの景色は最高だった。そんな海岸を歩いていて,私はひとりの男が木陰で居眠りをしている姿を見つけた。
 日本で生活をしていると,だれもがせせこましく行動をしていて「何もしない」という最高の幸福を知らないし,忘れている。あるいは,罪悪感をもつ。なにせ,幼児期のころから,時間に追われる生活をするように訓練されているのだから仕方がない。手帳をもたない大人 -いや学生のころからすでにそうだろう- を私は,私以外に知らない。
 しかし,こうして海外に出かけてみると,どうやら,そうした日本人の行動は,日本だけの異常なものであって,それは,本当に人間らしい行動であり,人間の本質なのだろうか? といつも疑問に思うのである。

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●伝説の地・オバエカア滝●
 カウアイ島一の見どころである「シダの洞窟」に行く朝9時30分の遊覧船に乗ろうと,私は朝一番に乗り場に行ったのだが,前日の晩に強く雨が降ったために川の水量が増して,しかも風が強く,遊覧船が運航されるかどうかわからないということだったので,一旦乗り場を出て,ノースコーストの観光に行ったということをすでに書いた。
 幸い天気も回復したので,おそらくは大丈夫だろうと,午後2時30分の遊覧船に乗るために,「シダの洞窟」に行く遊覧船の乗り場に再び戻ることにした。

 遊覧船の乗り場はワイルア川の南岸にあるが,川の北側の岸に沿ってはクアモアロード(Kuamoo Rd)が山のほうに向かって走っており,それを進むと「オパエカワ滝」(Opaeka'a Falls)に行くことができる。まだ遊覧船の時間には早かったので,その前に寄り道をして,「オパエカワ滝」に行ってみることにした。
 海岸線を走る州道56を右折してクアモオ・ロードをワイアレアレ山に向かって5分ほど走っていくと,右側に駐車場完備の展望台が見えてきたので車を停めた。車を降りてさらに1分ほど歩くと右前方に「オパエカア滝」(Opaekaa Falls)が見えてきた。この滝はワイポオ滝,ハナカピアイ滝,ワイルア滝,シークレット滝と並んでカウアイ島を代表する滝のひとつである。整備された道をさらに歩いていくと目の前に美しい滝が広がった。 
 滝の名前の「オパエカア」というのはローリング・シュリンプ(くるまエビ)という意味のハワイ語である。滝に注ぎ込む小川の水と滝つぼに豊富なエビがぎっしりだったことからつけられた名である。ワイアレアレ山を背景に美しく神々しい自然美を見せるこの滝はたくさんの映画やテレビ撮影などに使用されている。

 道の向こう側はワイルア川がゆったりと流れる風景を一望できる展望台となっていて,川沿いには古代ハワイの居住空間をレプリカした「カモキラ・ヴィレッジ」の一部も見えた。そこには,たおやかに流れるワイルア川,わらぶき屋根が並ぶ古代ハワイの村,それらを囲むどこまでも続く熱帯雨林の森が連なっているが,この「アリイ(王)の土地」といわれたワイルアの昔の風景はとりわけすばらしかった。

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 昔,ワイルアの山側に巨人がいて,彼が大きな足で歩くとその跡が真っ平らな平地になったという。その平地になった跡地に島人たちはバナナの木を植えた。あるいは,放浪の巨人がいて,彼の歩いた跡地がタロイモ畑になったという説もある。
 あるとき,島の尊長が島人たちにヘイアウを造るようにと指令を出した。島人たちは仕事で忙しかったものの,巨人が手伝うよと申し出てズンズンと歩いて平地を造ったため,たったの2週間で立派なヘイアウが完成したと伝えられる。巨人に感謝し喜んだ島人たちは宴を開いて祝いをし,その宴で食べ過ぎてしまった巨人が眠りに落ちそのまま起きてこなかったのだそうだ。
 それ以降,カウアイ島に侵略を試みる軍がいると聞くと,この巨人の背後にかがり火をたいてそのシルエットを夜空に浮かび上がらせた。巨人のシルエットを見た侵略軍はその大きさにひるんでカウアイ島への侵略を考え直すだろうという試みだった。その巨人の名は「ヌヌイ」と呼ばれていた。
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●昼間に行くところじゃなかった植物園●
 「シダの洞窟」に行く遊覧船の乗り場に着いて早々,午後2時30分の遊覧船の予約をした。午前とは違って,平常に運行しているようであった。しかし,まだずいぶんと時間があったから,私はその乗り場のさらに向こう(西側)にある植物園に行くことにした。植物園の中はきっとレストランくらいあるだろうから,そこで昼食でも,と思った。
 この植物園を「トロピカル・パラダイス」という。1940年代後半にシダの洞窟への観光ボートツアーをはじめたのがウォルター・スミス夫妻であるが,以来,スミス・ファミリーはワイルア川を拠点に4世代に渡ってカウアイ島で最も有名なこの観光を催行してきた。その観光の一環としてこの庭園も存在するのだが,この時間は営業中であるにもかかわらず,ほどんと客はいなかった。

 庭園は3エーカー(約12万平方メートル=野球場1個分)もあって,庭園内ではハワイ式エンターテイメントショーである「ガーデンルアウ」が行われる。ルアウとはハワイ伝統の宴会を意味し,そのハイライトは丸焼きにした豚を地中から取り出す「イム・セレモニー」である。カウアイ島では,この植物園で開催される「スミス・ファミリー・ガーデン・ルアウ」(Smith Family Garden Luau)が有名ということだ。
 ワイルア川流域はポリネシアからやってきた人々が安住の地とした歴史ある場所であり,川をさかのぼった先には王族だけが結婚式を挙げることができたという「シダの洞窟」があるのだが,この地をスミス一家は4世代にわたって管理していて,このルアウ・ショーやシダの洞窟へのボートツアーを催行しているわけだ。そのために,この場所で今も伝統的なルアウ・ショーを見ることができるのであった。 

 植物園の中に入ると,園内にはポリネシア村やフィリピン村,果実園,ハイビスカス園,日本庭園などがあった。しかし,ルアウでにぎわうのは夕暮れ以降のことなのである。要するに,ここはこんなお昼間に行くところでなかったということなのだ。私の希望に反して,この庭園の中には売店ひとつなかった。
 以下,調べたことを書く。当然私は体験していない。
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 夕暮れになると,イム・セレモニーがはじまる。厳かにほら貝の音が響き渡り,地中の蒸したブタを掘り起こす作業がはじまる。このブタはカルア・ピッグという伝統料理となってビュッフェに並ぶので参加者は全員味わうことができる。このほかには,タロイモをすり潰して発酵させたポイやマリネのようなロミロミ・サーモンなどローカルなメニューも豊富である。
 食後は屋外劇場のラグーン・ステージに移動する。松明の火がひとつ,ふたつと灯り,森に包まれたステージが幻想的なムードに変わっていく。ショーはタヒチ,サモア,ニュージーランドといったポリネシア各国のダンスだけでなく,中国や日本など広く太平洋の国々の歌やダンスも盛り込まれていているのだという。
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●ハワイの王族たちに想いを馳せる地●
 「シダの洞窟」(Fern Grotto)は,カウアイ島の観光地といえばここというくらいの定番有名スポットである。その名の通り,シダで覆い尽くされた洞窟へ遊覧船で見にいく人気のツアー,ということであったのだが,遊覧船の乗り場には出船の30分前になってもほとんど人がいなかった。
 植物園で昼食を食べられなかった私は,しかたがないので,この乗り場にあった売店でしょ~もないパンと飲み物を買って,飢えをしのいだ。そして,本当に船は出船するのだろうか? と心配しながら乗船時間が来るまでぼ~っとすごしていた。

 ところがどうであろう。遊覧船の乗船時間が近づいたら,どこにいたのかというくらいの観光客が現れたのだ。そのなかには,添乗員に連れられたカップルの日本人も2組ほどいた。現地ツアーにこの遊覧船観光が入っているようだった。
 船に乗り込むと,船内ではハワイアンの生演奏がはじまって,いやが上にもムードが盛り上がってきた。ハワイではレストランやモールなどでもこうしたハワイアンミュージックのナマ演奏を聴くことができるが,これが流れると,これぞハワイ,ハワイに来てよかった,とテンションが高くなるのである。

 船はポンポンポンと音を鳴らしながら,いかにものんびりとした雰囲気でマリーナから出港した。
 ワイルア川一帯の説明とともに,フラとハワイアン・ミュージックがライブで流れている。濃厚な緑で縁取られたワイルアの川とその周辺の景色の中をゆったりとしたスピードで遊覧船は進んでいき,なかなかいいムードであった。
 やがて船が船着き場に到着し,我々は次々に下船した。この船着き場から先は,短いトレッキング・ロードを歩いてシダの洞窟へ向かうのである。緑濃いトレッキング・ロードは軽い森林浴というよりも,ミニ・ジャングル浴といったところであった。
 5分ほど歩いて着いた先には観覧用のデッキが造られていた。そこからシダで覆われた洞窟を見ることができるのだが,単に緑で覆われた茂みにしか思えないところであった。

 洞窟を見ている間に,再びライブでハワイアン・ミュージックが演奏された。ゆるやかな音楽を耳にしながら,その昔,ここで結婚の儀式や宴を行ったハワイの王族たちに想いを馳せてみるという趣向になっているわけだ。乗客のひとりだった背の低い女性がしゃしゃり出てきて一緒に歌を歌ったのだが,それがまあすごく上手であった。これが演出なのかハプニングなのかはわからなかった。
 ちなみに,かつてシダの洞窟は身分の高い人だけが結婚の儀式やルアウ(ハワイアン・スタイルの宴)を開くことが出来たといわれ,今でこそカウアイを代表するウエディングスポットとして多くのウエディングカップルを送りだしているが,その昔は誰もが行ける場所ではなかったという。
 カップルで来た人は,ここで熱いキスを交わすのである。

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●「あと1分なんですが…」●
 「シダの洞窟」観光は予想以上に楽しかった。帰りの遊覧船もまたハワイアンミュージックのライブ演奏がすてきだった。そうこうするうちに,再び遊覧船は船着き場に戻ってきた。
 私はこの3か月前(わずか3か月前!)にアラスカ州のフェアバンクスで外輪船クルーズを楽しんだが,それと雰囲気が少し似ていたので -とはいっても外輪船クルーズのほうがずっと大きな船であったが- イメージがごちゃごちゃになりかかっていた。どうもこのごろ,ふと思い出す風景がどこのものだったのかがわからなくなりつつある。どうやらいろんなところに行き過ぎたようだ。
 この遊覧船ツアーは,アラスカのクルーズと比べたらずっとスケールは小さかったけれど,たいして観光施設のないカウアイ島では,まあ,一番の見どころには違いない。逆に言えば,カウアイ島はそれくらいなにもないところではある。

 ホテルに帰る前に,リフエの中心にある「カウアイ博物館」に寄ることにした。この博物館はリフエの官庁街にある。博物館のまわりには広い駐車場があったのだが,それは博物館だけの駐車場ではなく,そのあたりの官庁街に来る人共通のところであったので,どこに停めたらいいのかとてもわかりにくかった。というよりも,実際はどこに停めてもよいのであった。
 車を停めて博物館に入った。
 このときまで時間をあまり気にしていなかったのだが,結論をいうと,私がこの博物館に入ったのは閉館わずか1分前のことであった。
 受付で入館料を払おうとすると「閉館まであと1分ですが…」と恐縮して言われた。そして「明日来られた方が…」と付け加えらた。私はそのときはじめて時間を知ってびっくりして,明日来ることにして博物館を出た。

 駐車場に向かって歩いていくと,ちょうど博物館の裏のスタッフの出口から,先ほど応対してくれた係員が帰るのに出会った。
 私が感動したのはまさにこのことであった。博物館の職員もまた,閉館時間は勤務時間の終了をも意味していて,1分の残業もせず,こうして帰路に着くところだったのである。これは何とまあすてきなことではないか。それに比べて,日本の,あの,異常なブラックさはなんであろうか。私は,世界を旅するたびに,日本人のあまりのクレージーさに嫌気がさしてくるのである。日本はやはり変な国である。

 というわけで,博物館は明日また来ることにしてホテルに戻った。
 ホテルから道路を隔てた場所にあるいつものモールで食事をとろうと入っていくと,ちょうどハワイアンの生演奏が終わる寸前であった。慌てて写真を写したのでぶれぶれになってしまった。こんなところで生演奏をしているとは驚きであったし残念なことをした。こんなことなら博物館に寄らないでもう少し早くホテルに戻ればよかった,と後悔したのだった。
 この日の夕食はモールにあったレストランで,ちょっぴり贅沢してサラダとお寿司を食べた。

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●今日もマクドナルドで飯を食べる。●
☆4日目 12月1日(金)
 どんなところだろうと来てみただけの短期間のカウアイ島であったが,3日間の観光でおおよそどんなところかよくわかった。2日目を除いて天気がよくなかったのが残念だったが,この島はハワイではもっとも降水量が多いからいつもこうなのであろう。

 明日は帰国なので,今日が観光の最終日であった。午前中は昨日閉館間際で結局行くことができなかったリフエの「カウアイ博物館」に再び行くことにした。
 私の宿泊しているポイプからリフエまで行く間に少し遠まわりして,「カラパキビーチ」(kalapaki Beach)を通ることにした。ここにはアンカーコーブショッピングセンター(Anchor Cove Shopping Center)やハーバーモール(Harbor Mall)といったさまざまな商業施設がある繁華街である。
 「カラパキビーチ」のあるナウィリウィリ港はカウアイ島の玄関口であるリフエ空港から車で5分ほどの場所にあるから,私はリフエから宿泊していたホテルのあるポイプへ行くまでに何度もここを通過した。ここは豪華なクルーズ客船が出入りをする港であり,私の通ったときもたびたび停泊していたけれど,他のハワイの港と比べるととてものんびりとしたローカルな雰囲気が漂っていた。ナウィリウィリというのは地名である。

 また,このナウィリウィリ港の近くにはマリオットホテルがあって,ホテルの目の前がビーチとなっているから,そのビーチは一見マリオットホテルのプライベートビーチのように見えるのだが,ここは「カラパキビーチ」というパブリックビーチで,地元ハワイの人たちにはかなり人気のビーチとして知られている。
 ビーチの前には緑豊かな芝生が敷かれていて,たくさんのボートが置かれている。また,ホテルとビーチの間にはきれいな遊歩道が整備されていて,カラパキビーチ沿いを散歩するには楽しいところである。
 ビーチ自体はさほど透明度は高くはないが,遠浅すぎず波が高すぎるわけでもないので,ビーチアクティビティを楽しむのにはとても最適な環境であるという。
 また,カラパキビーチに到るカラパキベイは深い湾になっていて,サーファーが次々に海に入ってサーフィンを楽しんでいる姿を見ることもできる。

 私はここにあるショッピングセンターの駐車場に停めてあれこれ見て回ったが,さほどおもしろいものがあるわけでもなく,また,レストランもあるにはあったが,そこで何か特別なものが食べられるわけでもなかったので,結局,ここで朝食をとろうと思っていたが断念して,今日もまたリフエの町にあるマクドナルドで朝食をとることした。

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●「カウアイ博物館」●
 朝食をとったあと,昨日行くことができなかった「カウアイ博物館」に行った。昨日,博物館は9時30分には開いているよ,と言われたのだが,「地球の歩き方」には10時とあった。私は10時少し前に行ったのだが,すでに開いていた。
 リフエの町の中心にある「カウアイ博物館」,この建物はリフエの町を走るライス・ストリート沿いに建っている。
 この博物館は,溶岩とコンクリート,レンガからなる独特の建造物で,1979年ハワイ州立史跡のリストに追加されたアメリカ国立史跡である。

 もともとは1900年に牧師モーティマー・リーゲイト(John Mortimer Lydgate)によってリフエに設立された教会の一部であった。教会の設立後,しばらくはビジネスマンで政治家でもあったアルバルト・スペンサー・ウィルコックス(Albert Spencer Wilcox)の未亡人が資金調達のサポートをして,パブリック・ライブラリーとして開放していた。
 1924年,ウィルコックス未亡人の寄付金によって建築家ハート・ウッド(Hart Wood)設計のもとライスストリートに建造された新しいライブラリーはウィルコックスに敬意を表して「アルバート・スペンサー・ウィルコックス・メモリアル・ビルディング」と命名される。そして,全ての蔵書はこの新しい「アルバート・スペンサー・ウィルコックス・メモリアル・ビルディング」に移行されることとなった。
 その後,ジュリエット・ライス・ウィックマン(Juliet Rice Wichman)が筆頭となっての働きかけで,ライブラリー「ウィルコックス館」の隣にミュージアム「ライス館」を建立し,1960年12月3日に正式に博物館として一般公開された。そして,1969年にハワイ州政府が新しいライブラリーを建てたことで,1970年ライブラリーであったウィルコックス館とミュージアムのライス館をひとつの建物としてつなげて,現在の形の博物館になった。
 そこで,今でも旧館の入り口にはうっすらながら「アルバート・スペンサー・ウィルコックス・メモリアル・ビルディング」と彫られているのが見えるというわけだ。

 「ウィルコックス館」には古代ハワイの暮らしと当時のカウアイの文化的遺産を展示しており,「ライス館」にはカウアイ島の歴史を知る展示がされている。また,この博物館は,ハワイ島の地層,歴史,古代ハワイ先住民の生活,アーティスト,彫刻家,職人のさまざまな作品を展示するギャラリーにもなっているが,特に,カウアイ島,ニイハウ島の職人の手によるすばらしい文化遺産コレクションは「本物」を見ることができる良い機会となっている。
 「カウアイの物語り」(The Story Of Kauai)という常設コーナーと並行して臨時の展示も頻繁に開催されるという話である。

 そもそも博物館というのは使われなくなったがらくた置き場なのだと思うが,こういうものをちゃんとリスペクトして,しかもバカ丁寧なガイド付きで鑑賞できるというのがアメリカの余裕である。ここは小さな博物館であったが,私はここに2時間も滞在してしまった。

IMG_4121IMG_4123IMG_4124●なぜか無視されるアミューズメントパーク●
 リフエからポイプに至る道路・州道50は通称「カウムアリイ・ハイウェイ」(Kaumualii Hwy.)というのだが,この道路がカウアイ島で最も問題なのである。
 リフエとポイプを結ぶルートはこれ以外に選択肢がない。しかし,リフエのダウンタウンを越えてポイプに向かうと車線が減ってしまうので,絶えず大渋滞を引き起こすのである。こんなことも知らず,私がはじめてここを通ったとき,事故か工事でもあったのかと思ったが,この渋滞は慢性的なものであった。
 私がカウアイ島へ行くのはもう御免だと思うのは,この道路がすべての理由である。したがって,カウアイ島に行ってポイプに泊まると,ポイプより西を観光するならばきわめて快適であるが,東にリフエを越えて行こうとすると,リフエからポイプに帰るときにいつもこの渋滞に巻き込まれることになるのだ。いつも…。

 さて,リフエからポイプに向かって走っているときに「カウムアリイ・ハイウェイ」が狭くなる少し前あたり,北側に何やら公園のようなところがあって私はずっと気になっていた。調べてみると,地図には「カウアイ・プランテーション・レイルウェイ」(Kauai Plantation Railway)と書かれていたので,はじめ私はカウアイ島に走る鉄道の駅でもあるのかしら,と思った。
 しかし,この場所のことは,あえて無視でもするかのように,ガイドブックには何も書かれていないのである。また,ネットで調べても,ほとんど情報がないのである。

 そんなわけで一度寄ってみることにしたのだった。敷地に入っていったら広い駐車場があったが,車が一杯でほとんど停めるところがなかった。やっとのことでスペースを見つけて車を停めて,ほかの観光客について建物に入っていくと,そこにはギャラリーやら土産物屋やらレストランがあった。
 今度は建物の外に出て森のようなところに入っていくと,食事ができるようなテント小屋があったし,客車を引いた機関車が停まっていた。これが「レイルウェイ」であるらしかった。どうやら「カウアイ・プランテーション・レイルウェイ」というのは,もともとプランテーションだったところをアミューズメント施設にしたもののようであった。

 ここは,機関車に乗るチケットを購入して場内を一周して,線路の周りに残るカウアイプランテーションを味わい,最後に食事をする,というような嗜好であるらしい。プランテーションには果樹園があったり,野生のブタやヤギ,羊の群れが草を食む様子などを見ることができて,食事の際には,ハワイアンミュージックを聞きながらフラの公演やら芝居を楽しむことができるというわけである。
 それにしても,このアミューズメントパークは,娯楽施設のほとんどないカウアイ島では随一のもののように思うのであるが,ガイドブックには紹介されていないし,この施設に関する詳しいブログすらないのが,私は未だに不思議なのである。

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●「ジュラシック・パーク」の撮影現場●
 今日もまた渋滞する州道50を抜けてツリートンネル通り,ポイプに戻ってきた。
 昨日の朝行った「潮吹き穴」の近くに「アラートン・ガーデン」(Allerton Garden)という庭園があったのだが,そのときは見過ごした。そこで,今日はホテルに戻る前に行ってみることにした。
 「潮吹き穴」の横の道路を通ると,早朝とは違って多くの人が見にきていて,観光地らしい風景であった。私も車から降りて再び見にいったが,潮が吹きあがるたびに歓声が上がっていた。
 「潮吹き穴」を過ぎてしばらく行くと,庭園に向かう入口があって,道路が通じていたので,その坂を上っていくと駐車場があった。
 車を停めて,庭園に入った。

 1964年に開園した「アラートン・ガーデン」はラーヴァイ(Lāwai)湾に面した美しい庭園というのが売りであるが,近年は,1993年に公開された映画「ジュラシック・パーク」(Jurassic Park)において,樹木の根元で恐竜の卵が見つかったシーンが撮影された現場としてよく知られている。この樹木はモートン・ベイ・フィグ(Moreton bay fig)というゴムの木の仲間である。
 「アラートン・ガーデン」はナショナル・トロピカル・ボタニカル・ガーデン(NTBG)の運営で,ほかにも,隣接する「マクブライド・ガーデン」(McBryde Garden)や北海岸にある「リマフリ・ガーデン」(Limahuli Garden),マウイ島ハナにある「カハヌ・ガーデン」(Kahanu Garden),フロリダの「カンポン・ガーデン」(The Kampong, National Tropical Botanical Garden)を運営している。
 「ナショナル」といっても「国立」ではなく,非営利団体として3つの条件を満たしたとき合衆国政府が認可を与える「準国立」の組織である。その3つとは,1.植物の研究と調査,2.絶滅危惧種の保護と繁殖,3.啓蒙である。

 隣接する「マクブライド・ガーデン」を合わせると1.5平方キロメートルもある巨大な敷地は,庭園であって植物園ではない。園内では多くの植物を見ることができるし絶滅が危惧されている数多くの植物の保存と繁殖にも力を入れているが,ここは眺めて楽しむ場所として開発されたところである。
 ラーヴァイ湾に面した広大な敷地は,その昔アフプアア(Ahupua'a=古代のハワイ諸島における土地支配概念のこと)として使われていた場所であった。その後,わずかな期間エマ女王(Queen Emma=カメハメハ4世の妻) が住んでいた。その当時の美しい建物が彼女が植えたカマニの木やタコノキ,ブーゲンビレアなどともに残されている。その隣にはこの庭園をつくったアラートン家の建物もある。

 アラートン・ガーデンの敷地は,建築を学んでいたジョン・グレッグ(John Gregg)と造園を学んでいたロバート・アラートン(Robert Allerton)が1938年に買い取って整備し,1964年からはNTBGが運営している。現在のようにツアーが催行されるようになったのは1997年からのことで,ツアーは広大な庭園からはじまり,最後にナウパカの咲くラーヴァイ・カイの砂浜に至るということだ。砂浜ではアオウミガメが産卵しているところが見られるかもしれない。
 このツアーは10歳以下の子どもは参加できないという手段を取るほど静けさを大切にし,大人がゆっくりと自然と人が作りだした造詣を心ゆくまで楽しめるようになっているということだが,参加費がとても高価だったので,私は歩いて庭園内をしばらくぶらぶらした。
 私は,星空とは違って,植物にはお金を払って見るほどの興味がない。

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●サーフィンは難しいものだ。●
 ホテルに戻り,私はホテルのプライベートビーチでのんびりと過ごすことにした。おそらく,これこそがカウワイ島一番の魅力であろうと思ったからである。ハワイで最も贅沢な過ごし方というのはこれに尽きるのであろうが,こうして何の気兼ねもなく海を見ることができる場所というのは,ハワイでもさほど多くはない。
 プライベートビーチには多くのイスが並べてあって,私はそこに寝転んで海を眺めていた。不思議なもので,波の音を聴いているだけで何時間でも退屈しない。日本ではこんな贅沢をしたことはない。あるいは,日本の海水浴場でこんなことをしていたらストーカーと間違えられるかもしれない。
 私のとなりにいた若い夫婦が連れていた子供がかわいかった。

 「カウアイ島を代表する黄金海岸」というのは,ここポイプのビーチなのである。ポイプは19世紀に砂糖キビのプランテーションとして開発された土地や海岸線に沿って地主などの家が建ち,その後,リゾートとして発展した。金色の砂がまばゆい海岸が続くビーチ,だからこそ「黄金海岸」なのだが,そこに海水浴,シュノーケリング,サーフィンをする人々が集まってくる。周辺には,シェラトンやハイアットなどの高級ホテルや洒落たコンドミニアムが点在していて,かなり贅沢な場所なのだ。

 ぼんやり海を眺めていたら,サーフィンをはじめたばかりの青年がいたが,なかなかうまくいかないのだった。うまく波に乗ってサーフボードに立つのは,簡単そうでむずかしいものだ,と思ったことだった。
 サーフィン(surfing)というのはご存知のとおり,ウォータースポーツのひとつである。サーフボードの上に立ち,波が形成する斜面を滑走する。西暦400年ごろからサーフィンの原形のようなものが存在していたと考えられている。航海術に優れた古代ポリネシア人が漁業の帰りにボートを用いて波に乗る術「サーフィング」を知り,そこから木製の板に乗る様になったというのが最も有力な説とされている。
 ヨーロッパ人で初めてサーフィンを目撃したのはイギリス人探検家・ジェームス・クック船長だといわれている。クック船長はタヒチとハワイでサーフィンを目撃し,そのことを航海日誌に書き残している。

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●アメリカ人は意外とおせっかいなのだ。●
 太平洋戦争のころに青春を過ごした私の母親は,晩年は食べることしか楽しみがなかったからずいぶんと食にこだわったが,同時にかなりの偏食であった。
 私が一緒に食事に行ってもっともいやなのは偏食家である。あれがいやだこれは食べられない,というのは座がしらけるものだ。私は,いつも書いているようにまったくグルメでなく,こだわりもない。そして,ほとんど何でも食べられる。とは言っても,いきなりカバのステーキとかが出てきても困るけれど…。

 ひとりで旅行をしていてもっとも大変なのが食事である。ひとりというシチュエーションで一流レストランに入ってもまったく楽しくないのは当然だが,普通のファミリーレストランに入っても値段だけ高くて大したものがないからだ。
 私は食事の値段を考えると1ドルは80円が現在の相場だと思うのだが,日本国内では105円でも円高だと騒いでいる。要するに,日本の製品は110円というレートであれば海外では割安に写るから売れているというだけのことで,決して優れているからではないのだろう。同じように,海外から多くの観光客が押し寄せるのは物価が安いからであって,日本に魅力があるからではないだろう。
 おまけに,アメリカではレストランに入るとさらにチップが必要であるというのも問題なのだ。食事という点では,ニュージーランドやオーストラリアへ行くほうが,チップもいらないし,食事もおいしいからずいぶんと楽である。

 この晩は旅の最終日ということで,少し豪華な夕食をとることにした。場所はホテルの近くのポイプショッピングビレッジにある「ケオキーズ・パラダイス」(Keoki’s Paradise)であった。
 この日の前日,レストランの前でメニューを見ていたら食事を終えて出てきたおじさんが「ここはお勧めだ,5時30分前に来てシェフお勧めを食べるといいい」と力説したので,そのとおりにすることにした。
 これまでも,旅先ではこういうことがあった。テキサスのフォートワースでステーキ店の前で入ろうかどうか躊躇していたら,食べ終えて店内から出てきた客に薦められ,しかも,その客が店員に交渉までしてくれたことがあった。アメリカ人というのは意外とおせっかいやきなのだ。
 5時30分までに入ると注文できるスペシャルメニューが26ドルだったのでそれを注文した。食事をとっていると,やがて5時30分になって,ステージで音楽がはじまった。幸運にも私の席はステージの真ん前であった。何曲か終わったら,音楽に合わせてフラダンスもはじまった。
 「ケオキーズ・パラダイス」はポリネシア風の建物が特徴のレストランで,庭園に面しているオープンエアのダイニングがユニークであった。バーも併設されていて,アルコールを楽しこむこともできるのは,ハワイでは多くのレストランと同じパターンである。シーフードを専門としているレストランであるが,プライムリブ,プライムステーキ,ロブスターなどのモダンなメニューもあった。
 滝の音と豊かな緑がこのオープンエアのレストランを印象的にしていて,私にはかなりの贅沢感があった。天気もあまりよくなくて,道路も渋滞し,大した見どころもなかったカウアイ島での私の思い出を救ってくれたのが,この晩のレストランであった。ハワイはこうでなくっちゃね。

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