しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ: オセアニア

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  以前,オーストラリアの天文台を紹介したので,今日はニュージーランドにある天文台の紹介をしましょう。
 ニュージーランドの南島の中央マッケンジー盆地にテカポ湖という星空の美しい場所があります。テカポ湖は世界一星空が美しい場所という触れ込みで,通称・世界遺産ということになっていますが,実際は,そうした名目の世界遺産はありません。実際,とても魅力のあるところですが,観光地化されてしまい,観光客が多すぎです。

 そのテカポ湖のほとりのジョン山海抜1,031メートルの位置に所在するのがマウントジョン天文台(Mount John University Observatory=MJUO)です。
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 マウントジョン天文台には口径0.61メートル望遠鏡が2台,口径1.0メートル望遠鏡が1台,口径1.8メートル「MOA 望遠鏡」が1台,観光用の口径0.4メートル望遠鏡が設置されています。
 1960年,アメリカのペンシルベニア大学が南半球での天体観測を目的とする天文台の設置を決定し,1963年にカンタベリー大学と学術間協定を帰結し天文台の共同利用とニュージーランドでの研究拠点として,1965年開所しました。
 ペンシルベニア大学の研究者が定年退職を迎えたことによりアメリカとニュージーランドの共同研究は終わりを遂げ,1975年からはカンタベリー大学付属研究施設となりました。
 1982年にアメリカ空軍が設置した地上局は閉鎖され、建物はニュージーランド政府へ移譲されました。
 1996年,日本とニュージーランドの共同研究が開始され, 2005年には観光客用の望遠鏡も設置されました。
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 日本の名古屋大学の天文台もあるのですが,聞いてみると,この天文台を使用していた教授が定年で退職してしまったので… という話でした。

 私はテカポ湖には2016年と2018年の2度行って,南半球の星空を見ることができました。
 マウントジョン天文台は,テカポ湖を見下ろす山の上にあって,お昼間は誰でも山頂まで登ることができます。天文台自体は公開されていませんが,山頂にはアストロカフェという名のカフェがあって,コーヒーを飲みながらテカポ湖の姿を見ることができます。
 夜に登るには天体観望ツアーに参加する必要があって,個人で登って星見をすることはできません。 
 テカポ湖畔は夜になると観光客が集まってくるのでけっこう光があって,私は,そこから離れたいい場所がないかと探し回ったのですが,なかなか見つけることができませんでした。
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 現地の人が,どうしてこれだけの好条件なのに,多くの天文台が建設されないのか,といっていましたが,ここは観光地すぎることと,標高が低いので,専門的な高度な天体観測にはいまいちの場所です。そこで,天文台といっても,大学のいち研究者が設立したような設備しかなく,その研究者が退官してしまうと,どうやら,その後は,置き去りにされてしまったようです。
 南半球で本格的な研究をする施設をつくるとなると,標高の高い南アメリカのアンデス山脈がその場所となるのも当然の成り行きですが,一般の人が南半球の星空を一度でいいから眺めてみたい,というときは,テカポ湖畔はよい場所でしょう。

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 今思うと,こんなところにどうして行ったのか,という場所が少なからずあります。不思議な話です。今回はオーストラリア大陸のど真ん中に忽然と現れる町アリススプリングス(Alice Springs=The Alice)です。
 2019年春,私はオーストラリアのウルル・カタジュタ国立公園,いわゆるエアーズロックに行こうと,成田空港を飛び立ちました。予定ではケアンズ空港で乗り換えてダイレクトにエアーズロック空港まで行くことになっていました。ところが,ケアンズの到着が遅れ,次の飛行機に乗り遅れてしまったのです。次の便はなく,途方に暮れていたのですが,実は,ケアンズ空港からアリススプリングス空港行きがあって,そこでエアーズロック空港行きに接続できたのです。
 こんなこと,奇跡みたいなもので,これまでの数々の旅を思い出すと,知らなかったがゆえに何とかなっていた不思議なことが少なくありません。まあ,結局,何とかなるものです。
 そんなわけで,全く予期せず,アリススプリングスの地を踏んだのです。

 アリススプリングスは、オーストラリアのノーザンテリトリー(=北部準州)にある都市で,人口は2万5,000人ほど。これでもノーザンテリトリーでは首府のダーウィンに次ぎ2番目に人口が多い町です。アボリジニのアレント族(Arrente)は,この地をムバーントゥワ(Mparntwe)とよびます。
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 アリススプリングスは,当初はスチュアート(Stuart)と名づけられ,オーストラリア大陸の奥地における南北交通の拠点として建設されました。ロンドンからシドニーまでを繋ぐ遠大な電報網の重要な基地が設けられましたが,すぐ傍に湧き水が見られたことから,南オーストラリア州電信監督官であったチャールズ・トッド(Charles Todd)の妻アリス・トッド(Alice Todd)にちなんで,アリススプリングスと名づけられ,次第に町の名前となっていきました。
 1929年にアデレードからの鉄道がスチュアートに達し,駅が既存市街地の南部に設けられたため街自体も南側に移動した。この結果、電信中継所の周囲は公園として整備し、電信中継所の建物は博物館として保存したものの,市街地はアリススプリングス(湧き水)からは離れてしまったのですが,1933年には正式にスチュアートはアリススプリングスに名称変更されました。
 オーストラリア大陸のほぼ中央に位置するため,地理的に隔絶されています。マクドネル山地の東側に形成された町は,市街地をトッド川(Todd River)が貫流しています。
 アリススプリングスの主要産業は観光業で,アウトバック(Outback)とよばれるオーストラリアの内陸部に広がる砂漠を中心とする広大な人口希薄地帯に点々とある観光地を訪れる際の拠点として利用されるだけでなく,アリススプリングス自体にも多くの見所があります。また,アメリカとオーストラリアで保有しているパインギャップとよばれる軍事衛星の管理施設もあります。
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 ということですが,いくら多くの日本人がオーストラリアへ観光旅行に行っても,さすがに,アリススプリングスへ行ったという人はそうはいないことでしょう。これもまさに「塞翁が馬」で,飛行機が遅れなかったら絶対に見ることもない町であったに違いありません。
 しかし,空からこの町の周辺を見たとき,絶望的な気持ちになりました。レンタカーを借りてドライブするという気持ちにもなりません。いくら私がオーストラリア大陸の砂漠地帯を深夜6時間走った経験があるといっても,ここまで何もない砂漠ではありません。車が故障でもしたらどうなってしまうのでしょう。
 ですが,実は,それよりなにより,オーストラリアのアウトバックには隠された秘密があるのです。それは,コバエです。コバエとは字のごとく,小さなハエのことなのですが,これが異常に多く,かなり不快なのです。食べたくもないのに,口の中に一杯入ってきます。これを避けるには,頭から網を被るしか方法がありません。一見とてものどかなところに見えますが,ここを訪れる人は,日夜コバエと格闘する覚悟が必要なのです。

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 シドニーの都心THE ROCKSにあるシドニー天文台(Sydney Observatory)はオーストラリアで最も古い天文台で,1857年から1859年にかけて建てられました。
 シドニー湾に沿ったシドニーの中心部ハーバーブリッジの側の丘の上にあって,その近くには有名なオペラハウスもあります。
 天文台があるのは,1790年,最初の風車が作られたことで「風車の丘」(Windmill Hill)として知られていた場所で,1804年以降はフィリップ砦(Fort Phillip)が設けられていました。
 シドニー天文台はシドニーの砂岩を使いイタリア式の建築で作られています。シドニーの主要な建物でははじめてイタリアの盛期ルネサンス様式のパラッツォとイタリアの別荘のふたつの建築の流れを組み合わせたものです。

 作られた当時の天文台の最も重要な役割はタイムボールタワー( the time-ball tower)を通して時間を提供することで,毎日午後1時ちょうどに,塔の上のタイムボールが落ちて正しい時刻を知らせました。今でも屋根の上にその十字の棒と丸い玉を見ることができます。
  1901年にオーストラリア連邦が成立し,気象学は1908年から連邦政府の機能となり,天文台はより天文学的な役割をもつようになりました。また,シドニーの新聞に太陽、月、惑星の昇る時間と沈む時間を提供するなど,多くの情報を提供するようになりました。
 1970年代半ばになると,大気汚染と都市の光の問題で天文台での仕事が困難になったので,1982年,ニューサウスウェールズ州政府はシドニー天文台を天文学および関連分野の博物館に転換することを決定しました。

 現在は,オーストラリアで最も古い望遠鏡である1874年に建てられた40センチメートルのシュミットカセグレイン望遠鏡と29センチメートルの屈折望遠鏡が存在していて,一般に公開されています。
 天文台は,展示を見るだけなら無料ですが,有料のプラネタリウムや観望会もあります。日本でいう科学館みたいな場所です。
 私がこの天文台を知ったのは,NHKBSPで放送されている「コズミックフロント」で紹介されたことですが,ちょうどそのころにシドニーに行くことになったので,寄ってみました。シドニーは美しい街ですが,駐車場の料金が異常に高く,車を停めるのに苦労したのが一番の思い出です。あのド広いオーストラリアなのに,意外なことです。だから私は大都会はきらいです。
 シドニー天文台のプラネタリウムを見たいとも思いませんでしたし,観望会も,また,星が満足に見られないシドニーという大都会で星を見る気もなかったのですべてパスして,無料の展示だけを興味深々でたっぷり見学しました。


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 再び海外旅行ができるようになってきました。そこで,2020年2月の時点に戻って,再び,海外に出かけようと考えるのですが,この2年以上のブランクは,私にさまざまな気持ちの変化をもたらしているようで,以前のように,気軽に海外に出かける気持ちを失くしています。
 それにはふたつの外的な要因ととももに,内的な要因があります。
 外的な要因のひとつ目は,円安とアメリカ,ヨーロッパなどでの異常なインフレです。これでは,海外に出かけたときに,食事をするだけでも今までの何倍ものお金が必要です。以前行ったとき,物価が思った以上に高くハンバーガー1個食べて2,000円もして驚いたアイスランドだったのですが,今や,どこも同じような感じになってしまっているようです。
 外的な要因のふたつ目は,ロシアのウクライナ侵攻によって,日本からヨーロッパに飛ぶ旅客機がシベリア上空を飛行することができず,非常に時間がかかるようになったということです。これではヨーロッパは遠く行く気も失せてしまいます。
 内的な要因としては,絶対に行ってみたい,というところが思いつかない,ということがあります。それは,これまで行きたいと思っていた,そうしたところのほとんどにすでに行ってしまった,ということがあります。また行ってみたい,リピートしたいというところはあるにはあるのですが,だからといって,ぜひ,と思うほどの気持ちにならない,ということがあります。

 そんな状況ですが,ここで様々なことを書いているうちに,次第に,オセアニア,特に,オーストラリアやニュージーランドなら,という気持ちになりつつあります。とはいえ,オーストラリアやニュージーランドのどこに行きたいか,と言われれば,特にないのですが,それでも,オーストラリアの片田舎や小さな町のゆったり感や,ニュージーランドの美しさは忘れがたいものです。
 これまで何度か出かけていたのですが,南半球に出かけた目的のすべては南天の星空で,その折に,ついでに観光をしてきた,という感じでした。しかし,今日の写真のような景色を思い出すと,そうしたことを抜きにしても,懐かしさがこみ上げてくるようになりました。そこで 観光を主として,そのついでに美しい星空,というスタンスで南半球を旅をするのもいいかな,と考えるようになりました。とはいえ,やはり,星空から離れられないのは,性でしょうか。
 アクがある人,という表現があります。辞書によると,アクとは,独特のきつい感じ,しつこい感じがあってとっつきにくいさま。受け入れるのに努力を要するさま。人の性格や文体などについていうことが多い。とあります。その反対に,アクが感じられない人もいます。そうした人をいい人といいます。いい人は,ほめことばというよりも,その裏には,魅力に欠けるという意味もあります。
 私にとっては,オーストラリアはまさにその後者の方です。その逆が,アクがあるアメリカで,オーストラリアにはいまひとつ刺激がないのですが,それはそれとして,ゆったりとした旅が楽しめます。
 そこで,手はじめに,この先,旅を再開するにあたって,まずはオーストラリアに行ってみようか,と思いはじめたこのごろですが…。
 そうだ,パスポートが切れてしまったので,再交付してこなくちゃ。


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 オーストラリアの天文台の紹介をしています。私が行きたかったサイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory)とパークス天文台(Parkes Observatory)についてはすでに書きました。今日はポールワイルド電波天文台(Paul Wild Observatory)について書きます。

 オーストラリアの東側内陸部を南北に走るA39という番号の道路は,メルボルンとブリスベンを結ぶ道路で,天文台街道です。南から順に,パークス天文台,そして,クーナバラブランという町の郊外にサイデンスプリング天文台があります。さらに北に走るとナラブライ(Narrabr)という町があって,ポールワイルド電波天文台は,ナラブライの町から25分ほど行ったところにあります。
 道路案内にしたがって走ってナラブライの郊外に出ると,やがて天文台の入口があったのでそこを入って行くと,驚くことにカンガルーの群れがお迎えでした。
 脅かさないようにそっと車を走らせるのですが,その気配を感じて飛び跳ねて去って行くのですが,カンガルーにもおマヌケなヤツがいて,道道と車の前を横切って行ったりします。オーストラリアの道路にはよくカンガルーの死体があるのですが,おそらく,そんなおマヌケなカンガルーが惹かれるのでしょう。
 やがて,天文台の建物とパラボラアンテナが見えてきました。ポールワイルド電波天文台は,予想したよりずっと広くしかも巨大でした。

 ポールワイルド天文台は天文学者ポールワイルドにちなんで名づけられました。
 この天文台は,オーストラリアの科学機関であるCSIROによって運営されています。また,太陽観測所もあって,これはオーストラリア気象局の宇宙天気サービス部門によって運営されています。CSIRO(Commonwealth Scientific and Industrial Research Organisation)というのは,オーストラリア連邦科学産業研究機構のことで,オーストラリア政府の科学研究を担当する機関です。天文学に限る研究施設ではありません。
 ポールワイルド天文台の現在の施設は,1988年に運用を開始したオーストラリアコンパクト電波干渉計(Australia Telescope Compact Array = ATCA)です。これは,オーストラリア国立望遠鏡機構(Australia Telescope National Facility = ATNF)が運営を行う電波望遠鏡です。現在稼働中の電波干渉計としては唯一南半球に立地し,北半球の望遠鏡からでは観測することのできない南天の天体の観測に威力を発揮しています。
 ATCAは口径22メートルのパラボラアンテナ6基からなる電波干渉計で,6基のアンテナのうち5基は東西3キロメートル南北214メートルのT字型のレールの上に配置され,もう1基は東西レールの西の端からさらに西に3キロメートルのところに固定されています。5基のアンテナの位置を年に何度か変更することによって,様々な基線長での観測を可能にしています。名前に「コンパクト」と入っているのは,オーストラリア国内8基の電波望遠鏡を結合したVLBIシステムである長基線電波干渉計 (Long Baseline Array: LBA)と区別するためということです。また,2007年には,コンパクトアレイに長さ7ミリメートルの電波を受信できる受信機が装備され,NASAが宇宙船を追跡するのにも役立っているということです。
 天文台は一般に公開されていて,ビジターセンターでは,さまざまな情報ディスプレイや展示がありました。私の思い出に残っているのは,素朴なこの施設とともに,何といっても,先に書いたカンガルーたちでした。


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 星の美しいオーストラリアには,ブリスベンからシドニーまでの約1,000キロメートル,内陸を走るA39に沿って,ポールワイルド電波天文台(Paul Wild Observatory),サイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory),パークス天文台(Parkes Observatory)といった世界的に有名な天文台があります。それらの天文台を私は順に訪れました。
 今日は,パークス天文台について紹介します。
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 シドニーからクーナバラブラン(Coonabarabran)までは,直接行けば車で5時間ほどですが,クーナバラブランよりも南にあるパークスを経由するとパークスまで5時間,パークスからクーナバラブランまで2時間と,合計7時間ほどの距離になります。 シドニーの高速道路を通り,片側1車線でありながら制限速度110キロメートルのオーストラリアの典型的な郊外の道路を走っていくと,パークスの町が見えてきます。パークスは思ったよりも大きな,そして美しい町で,天文台は町から北に行ったところにありました。

 パークス天文台は,口径64メートルの電波望遠鏡(CSIRO Parks Radio Telescope)を核とする電波天文台です。南半球ではアメリカ航空宇宙局のディープスペースネットワーク・キャンベラ深宇宙通信施設の口径70メートルに次ぐものです。
 パークス天文台を有名にしたのは,アポロ11号の月面着陸の際にテレビ中継の映像を受信したことです。もともとはほかの追跡基地をバックアップするための場所だったのに,打ち上げ間際の変更によって,アメリカの正反対の国にあるこの電波望遠鏡が大仕事を仰せつかることになったのです。
 この出来事を元にして2000年に制作された映画が「月のひつじ」(The Dish)でした。
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 1969年7月,アポロ11号が人類初の月面着陸を目的に打ち上げられました。アメリカのNASAは世界にその様子を生中継すべく,カリフォルニア州ゴールドストーンの受信設備を当初用いようとしていました。
 しかし,打ち上げのスケジュールがずれ,月がアメリカの裏側にあって電波が届かない時間帯に月面着陸を行うことになってしまったのです。そこで白羽の矢が立ったのが,オーストラリアのニューサウスウェールズ州の田舎町パークス。羊の数のほうが人よりも多いといわれるところにあるパークス天文台のパラボラアンテナでした。
 かくして,世紀の一大イベントの中継成否がこの小さな町の天文台に託されたのです…。
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 オーストラリア連邦科学産業研究機構(Commonwealth Scientific and Industrial Research Organisation=CSIRO)によると,当初の計画では、カリフォルニア州のゴールドストーン基地が追跡基地となり,オーストラリアのキャンベラ近郊にあるハニーサックルクリーク(Honeysuckle Creek Tracking Station)にある基地は,司令船コロンビア号を追跡することになっていました。そして,パークス天文台の任務は月面歩行の間このふたつの追跡基地をバックアップすることだったのです。しかし,打ち上げの2か月前になって変更され,パークス天文台に白羽の矢が立てられたのです。
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 月面着陸当日オーストラリア時間午前6時17分,月に降りた宇宙飛行士たちは,予定よりはやく船外活動をすることになりました。そのため,パークス天文台で月からの信号を受信することは不可能かと思われましたが,準備に手間取り船外活動をはじめたために,パークス天文台からの受信が可能になりました。
 しかし,次のトラブルに見舞われます。
 そのころ,パークスの電波望遠鏡には時速110キロメートルの強風が吹きつけていたのです。大きな皿状の望遠鏡は風を受けて後ろに倒れそうになります。安全面での限界を超えていましたが任務は遂行されました。幸い、風は衰えを見せ,バズ・オールドリン(Buzz Aldrin)がテレビカメラを稼動させた時にはちょうどパークス天文台が信号を受信できる位置まで月が昇っていました。
 こうして,パークス天文台の電波望遠鏡が月からの信号を受信し歴史的瞬間の映像と音声が世界中に送られたのです。

 2019年,私はシドニーからパークス天文台へ行きました。
 駐車場に車を停めて,ビジターセンターに向かいました。電波天文台ではスマホなどは機内モードにしなければなりませんでした。予想以上に豪華なビジターセンターがありました。 電波望遠鏡も古びているのかな,と思っていたのですが,さにあらず,常に整備された様子が伺われるもので,とても美しく感動しました。これまで私は日本や海外の多くの天文台を見学しているのですが,どこも日本とは違って立派なビジターセンターがあります。 また,レストランも併設されていたので,私は,ここで昼食をとりました。
 パークス天文台の口径64メートルの電波望遠鏡は,内側の直径17メートルが高精度アルミパネル,その外側から直径45メートルまでは穴のあいたアルミパネル,その外側は鉄線のメッシュになっています。観測可能な周波数は400ミリヘルツから43ギガヘルツです。
 1961年に建てられたパークス天文台は,現在基本的な構造だけを残して最新の電波望遠鏡として機能するようアップグレードされています。特に,パルサーの観測に力を入れていて,世界中の他の電波望遠鏡によって発見されたパルサーの数を全部合わせてもパークス天文台で発見されたパルサーの数には敵わないそうです。また,NASAと提携してガリレオやカッシーニなど多くの惑星探査機の追跡や通信を担当しています。


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 サイデンスプリング天文台はゲートもなく,直接,一般見学用の駐車場まで行くことができます。サイデンスプリング天文台の主砲は3.9メートルアングロサクソン望遠鏡です。この望遠鏡は1973年に完成したもので,馬蹄形の赤道儀架台は日本の三菱電機が作りました。また,大きな反射鏡を作ったのは岡山にある188センチメートルを作ったのと同じイギリスのグラブパーキンソン社です。

 作られた当時,南半球には大きな天体望遠鏡がありませんでした。オーストラリアは電波望遠鏡の分野で華々しい成果をあげていたので,新しく作られた光学望遠鏡の分野でも大いに期待されたものです。
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 今となっては旧式ですが,この望遠鏡は今も現役です。望遠鏡はガラス越しに見学することができます。建物に入ると,階段とエレベータがあって,5階まで登ると見学ブースに出ます。そこでガラス窓越しに巨大な望遠鏡を見ることができます。
 この望遠鏡は,現在世界中で作られているデジタル新時代の望遠鏡とは設計が本質的に異なっていて,古いのは否めません。 日々発展する科学技術は,巨額な費用を使ってこうした機器を作っても,技術の進化が早すぎてそれが十分に活躍できるのはわずか数十年にすぎません。なかなか大変な時代です。
 この天文台にも立派なビジターセンターがあります。おもしろいのは,こうした,山の中にあってしかも都会から決して近く施設なのに,けっこう多くの見学者が訪れていることです。日本では,わずか2時間から3時間で行くことができるようなところにある天文台のような施設でも,ほとんど見学者もいないし,ビジターセンターにも大した展示がない,ましてや,レストランどころか喫茶コーナーすらないのですが, これは何も天文台に限りません。私は,こうしたところに行くたびに,日本人というは知的好奇心のない国民だとしみじみ思います。日本では,勉強というのは,学歴というブランドを手に入れるだけのものです。

 サイデンスプリング天文台には,もうひとつの主砲であるシュミット望遠鏡があります。しかし,サイデンスプリング天文台では,先に書いた最も大きい口径3.9メートルの反射望遠鏡は公開されているので見ることができますが,シュミット望遠鏡は一般には公開されていません。そこで,パロマ天文台と木曽観測所のシュミット望遠鏡は雑誌などで多くの写真が掲載されているので,子供のころから親しみがあるのですが,サイデンスプリング天文台のシュミット望遠鏡は私には謎でした。どういう形をしているのか,写真ですら見たことがありませんでした。
 その謎だったシュミット望遠鏡についても,ビジターセンターに詳しい説明がありました。
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 口径124センチメートルF2.5 のシュミット望遠鏡は「UKシュミット式望遠鏡」といいます。望遠鏡の外形はパロマ天文台の「サミュエル・オシン望遠鏡」に非常によく似ています。「UK」というのはイギリスのことですが,それはもともと,この望遠鏡は1973年にイギリスによって建設され運営されていたためです。1988年にオーストラリア天文台と合併され,2010年にイギリスが撤退したので,現在はオーストラリアが運営しています。南半球にあることから,南天の星空の調査に使われています。
 当初は,35センチメートル四方の正方形のガラス製の写真乾板に6度角四方の視野から像を結んだ写真を,宇宙望遠鏡科学研究所によってディジタルスキャンして, ハッブル宇宙望遠鏡のガイドスターカタログとデジタイズドスカイサーベイを作成するのに使われていましたが,この望遠鏡もまた,ほかのシュミット望遠鏡同様,1990年代後半に大規模な電子CCD検出器に置き換えられました。さらに,2000年以降は,シュミット望遠鏡の優れた光学系と広い視野を生かして,6度という広い視野をもつシステム(=6dFシステム)が構築されました。
 現在は,このシステムで,100個以上の天体のスペクトルを同時に取得できる「多物体光ファイバ分光装置」として活用されています。また,2001年から2005年にかけて「6dF Galaxy Survey」プロジェクトを実施し, 南天全体で120,000を超える銀河の赤方偏移を測定し,その中で最も明るい10,000の銀河についてより詳細な測定が行われました。また,2003年から2013年にかけては,銀河の約50万個の星について半径方向の速度と物理パラメーターを測定しました。さらにその後,この望遠鏡はリモート操作が行えるように改造され,新しい調査プロジェクトがはじまっているということです。


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 アメリカの天文台を見学するほかに,私は,オーストラリアでもいくつかの天文台を訪れる機会がありました。オーストラリアの天文台で私が行きたかったのは,サイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory)とパークス天文台(Parkes Observatory)でした。
 これまでに紹介したアメリカの天文台のうち,ハワイのマウナケアとハレアカラのような標高が3,000メートルを越える場所に建設された最新式の天文台以外は,今では旧世代のものです。オーストラリアは南半球にあるので,北半球では見ることができない南天の星空を観察できる貴重な場所ですが,南半球の天文台もまた,今ではチリとアルゼンチンの国境付近にある標高の高い場所に建設されるようになって,高い山のないオーストラリアに天文台を作る優位性がなくなってしまいました。

 物理学や天文学は,今では地球という天体の規模を越えるような観測機材がないと実験や観測ができなくなってしまったところまできています。それとともに,マウナケアの山頂に計画されているTMT(Thirty Meter Telescope)という超大口径の望遠鏡の建設が,住民の反対運動で進展していないようなことも起きています。また,コンピュータの発達で,処理するデータも膨大なものとなっています。
 科学の発達は,本来,人の幸福のために役立つものでなければならないのですが,どうやら,それ以上に,人の好奇心が勝ってしまうこともあるようです。なかなか難しい問題です。私は,人間の知的好奇心を満たす学問がこの先どうなってしまうのかといったほうが興味があります。
 それは,もし,TMTが建設されたとしても,そして,その機材で新たな発見がされたとしても,人はそれでは満足できず,また,それ以上に多くの謎が生まれ,さらに巨大な観測機材が欲しくなるからです。しかし,それも地球規模を越えるとなると,そろそろそれもまた,限界に近づいているような…。
 人類は,一体,何を求めているのでしょう。

 しかし,最新式の観測機材は,もはや,超巨大なコンピュータという感じで,昔のもののような機能美とか品格といった,いわば,伝統建設や芸術を見るような美しさがなくなってしまいました。そこで,私は,最新の学問よりも,使い古された,古きよき時代の天文台を古代遺跡を巡るように見ることのほうがずっとおもしろく興味があるのです。
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 少し話が逸れてしまったようです。
 ともあれ,次回から,私が見ることができたオーストラリアの天文台について順に紹介していくことにします。


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 「2リア3ランド」の想い。オーストラリアのことを書いていたのですが,「男はつらいよ」や「クリムト,エゴン・シーレとウィーン黄金時代」(Klimt & Schiele: Eros and Psyche)を見たことから,途中でオーストリア・ウィーンをとりあげていたのですが,まだ,オーストラリアについて書き足りないので,再びオーストラリアに戻ります。
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 私は,コロナ禍以前のここ数年,オーストラリアに毎年のように出かけていました。目的は星見だったので,常宿のあるバランディーン(Ballandean)へ行くための最寄りの空港で成田から直行便のあるブリスベン(Brisbane)に何度も降り立ちました。しかし,いつも直接レンタカーを借りて郊外まで行ってしまい,ブリスベンの市街地を観光したことがありませんでした。
 星見でオーストラリアに行くまで,ブリスベンという都市の存在自体,私はまったく知らず,オーストラリアで知っていたのは,遠い昔に行ったメルボルンとシドニーくらいのものでした。それにしても,今考えてみると,私がオーストラリアで星見ができたこと自体が奇跡的なことでした。何かのきっかけでバランディーンのゲストハウスを紹介されていなければ,行くことすらなかったのです。不思議なものです。そしてまた,ブリスベンという都会を知ることもなかったことでしょう。
 何度も行くうちに,一度,ゆっくりとブリスベンの市街地を巡ってみたいと思うようになって,2019年に決行しました。それがまあ,すばらしいところだったこと。旅で訪れてみたいところは数多くあれど,住んでみたいと思うところはそれほどありません。ブリスベンは,私が住んでみたいと思う都会のひとつです。

 今日の写真は,2019年に写したブリスベンですが,ブリスベンは,人口が百万人を超える,シドニー(Sydney),メルボルン(Melbourne)に次ぐオーストラリア第3の都市であり,また,2032年の夏季オリンピック開催都市です。
 この都市は非常に美しく,とても過ごしやすそうなところでした。 
 まず,中央に流れるブリスベン川が広々としていて,船から観光をすることができました。また,ブリスベン川のほとりはずっと公園になっていて,さまざまなレストランがあり,夕暮れに散歩をするとすばらしい景色が広がっているのです。少しだけ大阪に似ているかな。しかし,広々とした感じは,比べようがないほど,ブリスベンのほうがすてきです。また,ダウンタウンには,きれいなレストランやモールなどがあって,ゆっくりと散策することができます。カジノもあります。
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 オーストラリアとアメリカとの違いは,オーストラリアのゆったり感がなにより代えがたい魅力だということです。アメリカと違って,あまり刺激がある国ではないのですが,いつもなにがしか緊張していないと不安になるアメリカとは違って,オーストラリアではこころからのんびりと過ごすことができます。そんな魅力と英語圏であるということで,コロナ禍以前は,オーストラリアにワーキングホリデーで行く日本の人も少なくありませんでした。
 しかし,実際のところ,ワーキングホリデーの機会が終わったあとでそのままオーストラリアに定住することは容易ではありません。それは,日本に,技能実習生という名目で実際は労働力として雇われる外国人と同じようなものだからです。
 「親ガチャ」ということばがありますが,それよりも私はむしろ「国ガチャ」だと思うわけです。さまざななきれいごとを並べても,実際は,生まれた国によって,決定的な差があるのです。


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 オーストラリアやアメリカの悠久たる大地を走っていて,時折民家を見かけると,こういうところに住んでいる人は,いったいどんな生活をしているのだろう,と想像することがあります。
 日本でも「ポツンと一軒家」とかいう番組があって,ウェブページの番組の紹介には
  ・・・・・・
 日本各地の人里離れた場所に,なぜだかポツンと存在する一軒家。そこには,どんな人物が,どんな理由で暮らしているのか⁉ 衛星写真だけを手がかりに,その地へと赴き,地元の方々からの情報を元に,一軒家の実態を徹底調査しながら,人里離れた場所にいる人物の人生にも迫っていく。
  ・・・・・・
とあります。
 私は,外国を知らなかった若いころ,星が見える場所がないかな,とずいぶんとそういう場所を走りました。だから,日本の山の中は結構詳しいのですが,「ポツンと一軒家」に出てくるようなところがいかに不便なところであっても,たかが日本,知れています。車で1時間も走れば都会に行けます。唯一の問題といえば,車が通れないほどの道路しか通っていないことがままある,ということくらいでしょうか。
 それに対して,アメリカやオーストラリアの郊外は,本当にどうしようもないほどの場所です。都会に出るには半日ほどかかったりすることもあるし,周りにだれも住んでおらず,一体,何を楽しみに生きているのだろうか,と思ってしまいます。

 その反対に,日本の異常なほどの狭さ。たとえば東京。
 どこもかしこも人ばかり。しかし,東京に住んでいると,他には住めないという人がいるそうです。それは,欲しいものがあれば簡単に手に入るし,楽しみも多いからだそうです。しかし,考え方を変えると,欲しいものって何だろう,楽しみって何だろう,となるわけです。そんな考えが膨らむと,当然だと思っていた価値観すら揺らいできます。
 結局のところ,今の私には,若いころ当然だと思っていた価値観のどこが当然だったのかわからないのです。ともかく,人混みの嫌いな今の私は,大都市に住みたくありません。
  ・・
 今日の写真は,1番目がブリスベンを見下ろす丘から写したもの,2番目がオーストラリアによくある小さな地方都市,3番目と4番目が郊外の田園風景です。どこも日本にはない風景です。
 そして,私がオーストラリアでこれまでに最も思い出に残っているのが5番目の写真。
 これは,深夜のオーストラリア大陸を,急遽帰国するためにブリスベンまで5時間以上走ったときのものです。明かりひとつない大地をこうして走っていくと,見えるのは満天の星だけ。そして,何時間も走り続けていってやっと町の明かりを見つけたときのホッとした気持ち…。

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 「2リア(リアズ),3ランド(ランズ)」の想い。
 今回からは,ニュージーランドから空路3時間,オーストラリアです。
 ニュージーランドとオーストリアは隣同士のイメージですが,ずいぶんと離れています。日本とフィリピンくらいの距離です。
 オーストラリアは不思議な国です。シドニーやブリスベンという都会は日本のどの都会よりも美しく,かつ,近代的で,また,空港も非常に豪華ですが,その一方で,一旦,郊外に出ると,悠久な大地が広がっています。そのどちらも,日本では体験できないものです。

 オーストラリアの面積は7,692,000平方キロメートルで日本の約20倍もありますが,人口は約2,400万人と日本の6分の1。つまり,人口は,日本の120分の1ということになります。ちなみに,オーストラリアと面積で同程度のように思われる国であるカナダ,アメリカ,中国。広さはこの順ですが,いずれも約1,000,000平方キロメートル弱とオーストラリアよりは大きいのですが,人口はアメリカが約32,000万人とオーストラリアの10倍以上,カナダが3,500万人なのでオーストラリアと同程度,また,中国は140,000万人とオーストラリアの50倍もあります。
  ・・
 そこで,オーストラリアとカナダが同じような規模ということになるわけです。そこで,たとえば,ワーキングホリデーなどで候補にあがるのが,ともに英語であることと,治安もいいので,このふたつの国のうちどちらにしょうか? ということになるのです。
 私はどちらの国にも行ったことがあります。
 カナダの方がずっと風景は美しく,アメリカに近いからさまざまな刺激が強いように,私は思うのですが,年間の気候から考えると,冬の厳しいカナダに比べればオーストラリアのほうが過ごしやすいということになります。
 また,オーストラリアは日本と違って,地震もなく,これはお隣のニュージーランドと全くちがいます。そして,台風などの心配もないので,天災が少ない国です。しいていえば,雨が少なく,川も少ないので,水不足が懸念材料です。
 私はこれまでカナダを旅したことは2度ほどあるのですが,特にまた行きたいと思ったことがないのです。印象もよいのですが,その理由は自分でもよくわかりません。一方,オーストラリアに憧れるのは南半球の星空です。オーストラリアは素朴で,旅行をしていて楽しいのですが,星空の魅力がなければ,さほど行きたいとは思いません。これもまた,自分でも不思議なことです。

 今日の写真は,シドニーの国際空港です。
 この空港,ものすごく巨大です。そして豪華です。おまけに,国際線と国内線のターミナルがずいぶん離れていて,利便性ということから考えると少し疑問です。
 アメリカなら国際線のターミナルと国内線のターミナルは鉄道などで結ばれているのですが,シドニーでは,バスで連絡しています。その連絡バスですが,現在は無料ですが,以前は有料で,それが不評だったそうです。それでも,成田空港のように,第1ターミナル,第2ターミナル,第3ターミナルはビルのデザインも違い,また,連絡しているのはバスで,しかも,途中に信号があるという,これもまた日本らしい無計画さであるというのとは比べものになりません。
 このように,オーストラリアは豪華であったり素朴であったりと,さまざな顔を持っているのですが,ともかく,とてもおおらかな国,それが私が抱くイメージです。


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 2018年,2度目のニュージーランドに行きました。
 今にして思うと贅沢な話ですが,そのころニュージーランドにそれほど行きたいと思っていたわけではないのです。その2年前,はじめて行ったテカポ湖で写した星空の写真にわずかばかりの雲がかかっていたことが満足できず,もう一度挑戦したいとは思っていたのですが,テカポ湖の付近は安価に宿泊できるところが少なく,半ばあきらめていました。安い宿があればまた行ってもいいなあ,となんとなく考えて,そうした宿泊場所があれば通知がくるようにと設定してあったところ,それが見つかったという通知がきたので,急遽行くことにしたのでした。
 そして,せっかく行くのなら,ということで,ミルフォードサウンドまで足をのばすことを考えました。しかし,ミルフォードサウンドは遠く,車で行くのは不可能に近かったので困ったのですが,幸い,クイーンズタウン発の現地ツアーを見つけました。テカポ湖からクイーンズタウンまでは車で行くこともできるのですが,このころはもう,それだけの長距離を運転する気がなくなっていたので,一旦クライストチャーチに引き返して,そこから飛行機を利用することにしました。クライストチャーチからクイーンズタウンまでは距離的には名古屋から山形,という感じだったでしょうか。

 そのときに利用したクライストチャーチの空港で,今でも不思議に思うことがありました。
  ・・
 クライストチャーチの空港は,それほど大きなものではないのですが,クライストチャーチからクイーンズタウンに向かう飛行機の乗り場は,ローカル線ということもあって,空港の一番奥まったところにありました。空港内をずっと歩いて行くと,広い待合室に出ましたが,その間に,セキュリティは確か,まったくありませんでした。つまり,だれもがそこまで行くことができるわけです。
 待合室には多くのイスが並んでいて,その向こうに,私が乗るプロペラ機が見えました。
 待合室で,隣にいた人と「ここまで来るのにセキュリティはなかったよね。この先にあるのかな?」みたいな話をした記憶がありますから,私の勘違いではないと思うんだけどなあ。
 で,搭乗時間になったという放送があったので,ゲートに行きました。
 それがまあ,飛行機に乗るまで,結局セキュリティがなかったらしいという記憶なのです。これには驚きました。というより,のどかなもんだなあ,と思いました。まるで村のバス乗り場と同じでした。昔は世界中どこもこんな感じでした。
 なのに,タラップに向かう通路から飛行機の写真を写そうとカメラを構えると,ここで写真は写していけません,と言われました。セキュリテイもないのに,飛行機の写真は撮影禁止とは,何かがおかしいので,とても不思議な気がしました。これもまた,他の空港では経験したことがありません。
  ・・
 クイーンズタウンからクライストチャーチへの帰路でのこと。クイーンズタウンの空港はこじんまりしていましたが,それでも,セキュリティはありました。
 ということで,一体,あれは,夢だったのか,幻だったのか,何かの間違いだったのか,私の勘違いだったのか…。
 今でも不思議だなあと思うことでした。
 なお,この旅では,幸いにして,テカポ湖で雲ひとつない星空の写真を写すことができました。今日載せたのはそのうちの1枚で,中央に南十字星が写っています。

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 ニュージーランドは大自然だけが美しいわけではありません。人が住んでいるところもまた,日本のように人口が多いわけでない,というのが理由かもしれませんが,きわめて美しいものです。
 私は南島しか行ったことはないのですが,2016年,ニュージーランドへ行ってはじめて降り立った都会であるクライストチャーチ(Christchurch)には広い公園もあり,快適でした。ただし,私が行ったときは,2011年に起きた大地震の跡がまだ多く残っていて,復興途中でした。そのころの私は,まだ,アメリカ以外にひとりで出かけたのがはじめてだったので,戸惑いだらけでしたが,その後,多くの都会に行くことができた今にして思うに,そのなかでも,すばらしい街のひとつです。

 さて,今日の写真は,クライストチャーチではなく,クイーンズタウン(Queenstown)です。ニュージーランド南島の内陸、ワカティプ湖(Lake Wakatipu)畔に面した町で,周囲の山々に囲まれたその美しさが「ヴィクトリア女王にふさわしい」(Fit for a Queen Victoria)として名づけられたことに由来するといいます。
 1862年,この地方で金脈が発見されて以来,町は急速に発展し,人口も数千人に増えましたが,金脈が尽きると人口は数百人に激減してしました。現在は避暑地のようなたたずまいでバラエティに富んだアクティビティの拠点になっています。

 クイーンズタウンから車で30分程度の距離にある簡素なアロータウン(Arrowtown)はゴールドラッシュ期に栄えた町で人気の観光地,ということなのですが,私は,そんなこととは知らず,偶然,ここに数泊したことがあります。
 私がアロータウンに滞在したのは,世界遺産のミルフォード・サウンドへ行くためでした。クイーンズタウンからミルフォード・サウンドへは車で4時間半もかかるのですが,それでも,最も近い都会なのです。
 これを書いていて,また行きたくなってきました。


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 かつて,次のように書いたことがあります。
 ・・・・・・
 アメリカ以外で私が何度でも行きたいのはオーストラリア(Australia),オーストリア(Austria),フィンランド(Finland)です。
 以前より私は「2リア(リアズ),3ランド(ランズ)」と言っていましたが,「2リア(リアズ)」というのはオーストラリアとオーストラリアのことであり,「3ランド(ランズ)」というのは,フィンランド,ニュージーランド(New Zealand),アイスランド(Iceland)のことです。
  ・・・・・・
 はじめのうちは,誰しもがそうであるように,行ってみたいなあ,という想いが募って出かけた海外も,行くたびに新たに行きたいところが生まれてきて,そしてまた,そこに出かけると別の興味が生まれて,…,を繰り返しながら,数年がすぎました。
 そして,しばらく行くことができなくなった今振り返ってみると,結局のところ,私の行きたい場所は上に書いたことに尽きるのです。が,このところ,やはり,ニュージーランドとアイスランドもいいなあ,と思うようになりました。しかし,まだまだ,行くことはままなりません。
 そんなわけで,そうした「2リア(リアズ),3ランド(ランズ)」の想いを行ったときに写した写真とともに振り返ろうというわけです。
 まずはニュージーランドです。

 ニュージーランドは面積が268,000キロメートルです。日本の面積は378,000キロメートルですが,そこから北海道と四国を除くと264,000キロメートルほどになって,ちょうど同じくらいです。人口はニュージーランドが460万人程度で,日本の12,500万人と比べるとなんと3パーセント(約30分の1)でしかありません。信じられないほど少ないのです。というより,日本の人口が異常に多いのです。でありながら日本は山ばかりなので,どうりでどんな場所に行っても人が住んでいるはずです。
 ちなみに,ニュージーランドとよく似た規模のフィンランドは,面積が338,000キロメートルなので日本から九州を除いたくらい,そして人口が550万人だから,ニュージーランドより少し多い程度です。
 そこで,これらの国は,都会を一歩出れば自然ばかり。しかもどこもとても美しいのです。
 …と書いているだけで行きたくなってきました。
  ・・
 さて,ニュージーランドです。
 私のまわりにもニュージーランドに憧れて住んだ人がいます。そのほかにもやはり,ニュージーランドに憧れて渡った人を知っています。しかし,なぜかみな帰ってきてしまうのです。想像するに,それは,することなくなって,あるいは,刺激がなくなって,飽きちゃうのではないかと思います。旅するのとは違って,ニュージーランドで生活するためには,大自然を味方にする楽しみが必要なのでしょう。人は贅沢なものです。


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 私は,2016年の秋,2018年の秋の2回,ニュージーランドのテカポ湖(Lake Tekapo)へ行きました。
  ・・・・・・
 テカポ湖はマッケンジー盆地(Mackenzie Basin)の北端に位置し,プカキ湖(Lake Pukaki)とオハウ湖(Lake Ōhau)と平行する湖です。マッケンジー盆地に位置する3つの湖の中で最大面積の湖で,面積は83平方キロメートルあり,海抜700メートルに位置しています。湖水は氷河が削った岩石の粉が溶け込んでいるために青緑色をしています。
 湖周辺は人気の高い観光保養地であり,湖の南に位置する人口300人程度のテカポ湖村には数軒のリゾートホテルや飲食店があります。長距離バスの停留所が設置され休憩地にもなっているため,外国人観光客も立ち寄る機会が多いところです。
  ・・・・・・
と,Wikipediaにはありますが,私の目当ては星空でした。

 ここは,本当にすばらしいところです。ただし,有名になりすぎたために観光客が異常に多かったこと,そこで,なかなかホテルが予約できなかったことが難点でした。コロナ禍の現在は,どうなっているのでしょう。また,日本人観光客相手の星空ツアーは存続しているのでしょうか?
  ・・
 私は,2度ともクライストチャーチ(Christchurch)から車で行ったので,テカポ湖からさらにマウントクック(Mount Cook)まで足をのばすことができました。
 ニュージーランドは日本と似ていて,地震災害が多く,また,天気もさほどよくありません。私が行ったときは,クライストチャーチの大地震の復興途中でした。幸い奇跡的に天気には恵まれて,目的の星空を見ることができました。

 今にして思うに,テカポ湖へ行く途中ののどかなカントリーロードや,小さな町がとても懐かしく思い出されます。いつか,そんな町でゆっくりしたいものだと…。でも,実現しそうにはありません。
 本当に,行っておいてよかったところです。
 それにしても,同じ島国なのに,どうして,日本には,どこへ行ってもこんな風景がないのでしょう。

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 エアーズロックに登ったのは2019年春のことでした。
 「エアーズロック」(Ayers Rock)という名称は,1873年,イギリスの探検家ウィリアム・ゴス(William Christie Gosse)が発見し,当時の南オーストラリア植民地の首相ヘンリー・エアーズ(Henry Ayers)にちなんで名づけたもので,オーストラリア先住民のアボリジニはピチャンチャチャラ語(Pitjantjatjara)で「ウルル」 (Uluru) といいます。
 エアーズロックはオーストラリアのほぼ中央に位置する世界で2番目に大きい1枚岩で,比高335メートル,標高868メートル,周囲は9.4キロメートルです。
 なお,世界で最も大きい1枚岩は,パース(Perth)から約1,000キロメートルの距離にある「マウント・オーガスタス」(Mount Augustus),アボリジニのワジャリ族 (wadjari) の人々からは「バリングラ」 (Burringurrah) とよばれているもので,エアーズロックの約2.5倍の大きさがあるそうです。

 若いころに1度行ったオーストラリアですが,特に何もなく,それ以来ずっと行くこともありませんでした。
 南半球の星空を見たいと2016年にニュージーランドに行ったときに,オーストラリアのほうが近いということで,その翌年に久しぶりにオーストラリアに行って以来,毎年のように出かけるようになったのですが,私の頭にはエアーズロックはまったくありませんでした。
 それが,友人がエアーズロックに行ってみたいということで,2019年に出かけることになったのですが,もし,そんなことがなければ,私ひとりではおそらく行くこともなかったことでしょう。
 そもそも,あの雄大なオーストラリアの,それもまた,ど真ん中によくもまあ,行ったものです。

 今にして,行っておいてよかったとしみじみ思うのは,これもまた,コロナ禍で,私にはそれまでは本当に近かったオーストラリアがものすごく遠いところになってしまったことに加えて,2019年10月26日以降,エアーズロックに登ることが禁止になってしまったということもありました。
 エアーズロックにまったく興味のなかった私は,エアーズロックに登ることができるということすら知りませんでした。現地に行く少し前に登れるということをはじめて知ったのですが,まさか,登るとは思いませんでした。
 実際,私たちが行ったときは,まだ,登頂は禁止になっていなかったのですが,それでも,いろんな条件で登ることができない日のほうが多いということでした。その条件というのは,雨が降ったり前日に降ったりしたときは岩が滑るから禁止,風が強いときは禁止,35度を越す暑いときは禁止,さらに,アボリジニの人たちの儀式がある日は禁止,というもので,ネットで調べたところでは,年間で登ることができるのはわずか60日程度ということでした。3月といえば,オーストラリアはまだ残暑厳しいころでシーズンオフでもありました。

 私は「モッテいる」人間です。自分でも恐ろしいくらい強運の持ち主です。
 ということで,今回もまた運に恵まれて,前日まで10日にわたって登頂ができなかったこのエアーズロックに,私が行ったちょうどその日,偶然,登頂することができたのでした。
  ・・
 私が行ったときはまだ暑く,観光客はあまりいなかったのですが,エアーズロックの登頂が禁止となる直前の2019年の8月ころは,オーストラリアは冬で暑くなく,この岩に登ろうと,世界中から大挙して人が押しかけたことは,言うまでもありません。それが今日の最後の写真です。

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 バスは,クイーンズタウン(Queenstown)から快調にワカティブ湖(Lake Wakative)の東湖畔を南下していきました。このあたりまで,あいにく天候がよくなくて,周りは霧,景色はほとんど見えませんでした。先に書いたように,まず無理だといわれていたのですが,私には行けるという確信がありました。それは,この日のミルフォードサウンド(Milford Sound)の天気予報が晴ということだったからです。
 行程の途中, ゲートがあって,このゲートが締まっているとミルフォードサウンドには行くことができず,そこで引き返すことになるということでした。ゲートに来ました。私は,祈る気持ちでいましたが,すんなりと通りすぎて,やった! と思いました。
 さらに進んでいくと,テ・アナウ湖(Lake Te Anau)を過ぎて,今度は険しい山岳地帯になりました。
 途中,氷河で浸食したU字谷の美しい景色が見られたり,「ケア」と鳴くからケア(Kea)と名づけらた鳥に遭遇したりと,ミルフォードサウンドに到着するまでにも,日本では見ることもできない絶景が次から次へと広がっていきました。ケアはマオリ語でのよび名で,ミヤマオウム(Nestor notabilis)のことです。
 こんな風景を見てしまうと,日本で「秘境」といわれる場所がすべてむなしくなってしまいます。
 やがて,最後の難関であるホーマー・トンネル(Homer Tunnel)に差しかかりました。
 ホーマー・トンネルはこの国道94最大の難所で,1935年から1953年まで実に18年を要して作られたそうです。狭いトンネルなので一方通行で,運が悪いとずいぶんと時間待ちをする必要があるのだそうですが,これもまた,運よくすんなりと抜けることができました。 国道94はホーマー・トンネルを抜けるとやがて下りはじめ,ついに,ミルフォードサウンド観光船の出るターミナルに到着しました。

 ミルフォードサウンドは晴れ渡っていました。ここは1年のうちで300日は雨で,年間降水量は6,000ミリメートル以上なのだそうで,こうして晴れていたのは奇跡的だということでした。 やがて観光船が来て,さっそく乗船しました。甲板の上に出ると,そこには写真などでよく見る風景が広がっていました。そのスケールはものすごいものでした。 ミルフォードサウンドは,ラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling)という作家が「世界で8番目の不思議」(Eighth Wonder of the World)とよんだ場所です。
 ミルフォードサウンドはフィヨルドランドとよばれる地域にあって,690ヘクタールに及びます。1ヘクタールは100メートル四方なので,690ヘクタールは26キロメートル四方ということになります。ちなみに,東京ドームは4.67ヘクタールです。ミルフォードサウンドは世界遺産ですが,日本にあるようなチンケな世界遺産とは全く違っていて,正真正銘,これぞ世界遺産とよべる場所です。 周辺の地層は古く,一部は4億5,000万年前のものだといいます。4億5,000万年前というのはオルドビス紀(Ordovician)といわれる時代で,地球上に魚類が出現したころになります。また,このあたりのフィヨルドの海は2層に分かれていて,上の部分は山から流れてきた淡水,それより下は海水で,それらは混ざり合うことなく層をなしているそうです。
 船は1時間ほどでタスマン海(Tasman Sea)まで出ました。この先にオーストラリアがあります。船はここでUターンをして再びミルフォードサウンドの波止場に戻ることになります。途中にレディ・ボーエンとスターリング(Lady Bowen and Stirling Falls)というふたつの滝がありました。また,岩の上にはオットセイを目撃することもできました。
 それにしても,何と雄大な景色だったことでしょう。ここを見ずしてニュージーランドを語ることはできないと強く感じました。それとともに,偶然,天気がよい日にこの地を訪れることができた幸運を感謝しました。
 これが,奇跡に奇跡が重なった私の2度目のニュージーランドの旅でした。

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 2020年の春までの2,3年の間に出かけたところのそのひとつでも実現していなかったとしたら,今ごろはずいぶんと後悔していただろうなあと考えると,それらのすべてが実現したのは本当に奇跡的なことに思えます。
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 私は2018年の秋に2度目のニュージーランドに行きましたが,それは,1度目に行ったニュージーランドの南島にあるテカポ湖で写した星の写真の一部に雲がかかっていて満足できず,快晴の星空の写真が写したいという一念で出かけたものでした。
 それにしても,あとで考えると,というか,かなりいい加減な話なのですが,2度目に出かけたら今度は快晴の星空が見られるなどという確信があったのもまったく保障のないことだったわけです。私はそのことを,なぜかうっかりしていました。
 しかしまあ,幸運なことに,2度目の旅では本当に奇跡的に晴れて,雲ひとつない星空の写真を撮りたいという夢は実現してしまったのです。

 さらに,このときの旅ではもうひとつぜひ行ってみたいと思っていた場所がありました。それは,南島のミルフォードサウンド(Milford Sound)でした。
 しかし,調べてみると,ミルフォードサウンドもまた,行くにはかなり困難なところだったのです。近くに町がなく,最寄りの町であるクイーンズタウン(Queenstown)からは車で行くには遠すぎました。
 探しに探して,なんとか現地ツアーを見つけ出すことができたので参加しましたが,前回書いたオーストリアのハルシュタット同様に,今思い出すと,現地ツアーを見つけ出したことも奇跡的な話で,行くことが実現できたのが夢のような話だったのです。それは,遠いだけでなく,ミルフォードサウンドはいつも天気が悪く,気象条件によっては道路が閉鎖されて,途中で引き返さなければならないことが少なくないということだったからです。私が行ったのは10月で,気候が日本とは反対のニュージーランドはまだ初春。観光シーズンは11月だったのです。事実,私が行った日も途中までは雪混じりの天気で,出発するときには,まず無理だといわれていたのです。そんな事情だったのにも関わらず,幸運にも道路は閉鎖されておらず,しかも,到着したらすっかり晴れていました。
 たとえ行くことができたとしても,ミルフォードサウンドが晴れる確率は1割もないということでした。これもまた,オーストラリアのエアーズロックに登ることができたことと同様,奇跡的なことでした。もし,行くことができていなかったら,今ごろ,ずいぶんと後悔していたことでしょう。

 ちなみに,サウンドというのはニュージーランドの英語で「入り江」のことです。
 最寄りの都会であるクィーンズタウンからミルフォードサウンドまでは直接距離は100キロメートルほどとそれほど遠くはないのですが,山また山で最短距離で行く道がなく,道路はクィーンズタウンからUの字に迂回していて,片道,有に4時間以上かかりました。そこで, ツアーは早朝7時出発で帰りは夜の7時到着ということでした。しかしそれでも,バスに乗っている時間が8割で現地の観光が2時間弱しかなかったのです。であっても,行く価値は十分ありました。

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 これまで,行くことができなかった幻のオーストラリア旅行記を書いてきました。
 帰国は2020年4月2日の予定でした。ブリスベンを午前9時35分に出発して,成田着が午後5時55分。当日は成田空港近くの東横インに宿泊して,その翌日,気ままに自宅に戻ることにしていました。
 この旅のキャンセルを決めたのは,2020年3月10日のことで,この時点ではオーストラリアではまだコロナ禍の実感もほとんどなく,バランディーンのゲストハウスのオーナーからは,どうしてキャンセルするのか,オーストラリアでは問題になっていないのに,というメールが来たのですが,その後まもなく事態は急転してしまいました。
 現在,オーストラリアは新型コロナウィルスの感染はほとんどないのですが,今でも入国ができません。
  ・・
 …ということで,ここで書いた旅行記は幻となってしまいました。
 出かけていたら,果たして,どんな新しい思い出ができていたのでしょうか。
 再び行くことができるようになっても,幻になった今回のような旅をするかどうかはわかりません。というより,もし,次にオーストラリアに行くことができるのなら,幻となった旅行とは違って,もっと時間をとって,パースもダーウィンも,そして,アデレードも,すべて行ってみたいものです。


◇◇◇
Strawberry Moon.

6月の満月はストローベリームーン。
実際に月がイチゴのような色に見えるわけではありません。
しかし,昇りたてのお月さまは本当にイチゴのように赤っぽい色に見えました。
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 それにしても,これまで行ったことのあるさまざなま場所の多くは,私がずっと憧れていたところ,というより,偶然行ったところであることに,今さらながら驚きます。
 私は本当に幸運でした。
 アメリカには憧れていましたが,それでも,アラスカとハワイに行くとは思いませんでした。また,旅の途中で多くの友人ができたおかげで行くことができたところも少なくありませんでした。
 さらには,アメリカ以外の国にも足をのばせたのは,自分でも信じられないことでした。

 オーストラリアに出かけたのは,そもそも,南天の星空が見たいと思っていたのがはじまりでした。とはいえ,今から5年ほど前には,異国の夜に,どこに行けば南天の星空が見られるのかも皆目見当がつきませんでした。そのころ,ニュージーランドに行ったという知人がいて,それでなんとなくニュージーランドに行ってみようと思うようになって,見つけ出したのがクライストチャーチへの旅。ホテル代と航空券込みで1週間わずか20万円弱というのに引き付けられ,クライストチャーチがどこにあるのかも知らずに出かけ,しかも,テカポ湖まで足をのばしてしまいました。
 そして,念願の南天の星空を堪能しました。
  ・・
 帰国後,当時行きつけだった望遠鏡ショップのオーナーにその話をしたら紹介されたのが,南天の星空を見るのに最適なオーストラリアのバランディーンにあるゲストハウスでした。オーストラリアのほうがニュージーランドより近いじゃないか,というだけの理由で行ってみたのがはじまりでした。
 そのときには,バランディーンはもちろんのこと,ブリスベンすら知りませんでした。
 出かけてみて,病みつきになりました。それからは常連となって,毎年のようにオーストラリアに行くことになりました。
 そして,オーストラリアは私にとっては東京に行くようなもので,かなり身近な国となりました。
 
 これまでで最も思い出に残るのは,オーストラリアにすっかり慣れて遠出をするようになったころ,天文台巡りをしようと内陸部のナラブライ(Narrabri)のモーテルに宿泊していたとき,深夜に突然,母親危篤の知らせが来て,ブリスベンまで深夜のオーストラリア大陸を車で7時間走ったことです。
 オーストラリア大陸を深夜にドライブするなんて,想像もつきませんでした。
  ・・
 実際走ってみると,今日の写真のような道路が延々と続いていました。日本とは違って道路にムダな表示もなく,街灯はまったくないけれど,車のヘッドランプでセンターラインとエンドラインが照らされてとても走りやすいものでした。2時間から3時間,こんな真っ暗な道路を走っていくと,ポツンと明かりが見えてくるのですが,それがわずか数件だけの町だったりしました。
 オーストラリアは町も美しいし,道路も整備されていました。
 こんな世界を知ってしまうと,ゴミだらけ,ラインも消えかかったり,舗装もでこぼこ,路肩にいたってはガードレールが壊れていたりなかったりと,そういった整備の行きとどいていない日本の道路を深夜に走ると,絶望的な気持ちになってしまいます。
 特筆すべきは,そんな深夜のドライブの途中で,休憩するために停車したドライブインで眺めた満天の星です。ろうそくの光ひとつない360度の星空。それは,この世のものとは思えない美しさでした。


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 バランディーンから南に30分ほど走るとテンターフィールド(Tenterfield)という町に到着します。
 ボールドロック国立公園(Bold Rock National Park)へのアクセス道路のある町がテンターフィールドです。
 テンターフィールドは私のお気に入りの町です。この町にはきれいな広い観光案内所があります。町にはおもしろい施設がいろいろあります。
 そのひとつが鉄道駅を利用した博物館です。鉄道は1989年,というから比較的最近まで運行されていました。今は使われていない駅舎を博物館として整備して,レールがそのまま残っているので,往年の列車などがそこに停車されていて展示されています。貨車の中に入ることもできます。
 また,大きな美術館もあって,訪れる人もまばらで,静かに鑑賞できますが,この美術館は学校もあり,また,レストランが併設されていて,ここでの昼食はおすすめです。私は何度も利用したことがあります。
 また,町から少し出たところには,民家を改造した博物館もあります。いわば,郷土資料館,といったものでしょうか。
 また,町を一望することができる山があって,そこにはマウントマッケンジー(Mt. Mackenzie)展望道路で登ることができます。この道路のあたりは,牛が放し飼いにされていたりして,かなりののどかさです。

 また,郊外にはボールズロック国立公園があります。
 はじめに行ったときは行くことができたのですが,2度目に行ったときは国立公園は閉鎖されていました。理由は知りません。
 駐車場に車を停めて,国立公園の山を登ります。
 曲線で迂回すると1時間30分ほどで山頂に到着する道があります。また,直線距離で山頂まで行こうとすると40分以上かなりの急坂を歩くことになります。不思議なことに手すりも何もないのに,ここの岩山は滑ったりしないのです。しかし,かなり大変です。
 エアーズロックを登るより大変だと聞いていたのですが,その時点ではエアーズロックに登ったことはなかったので,よくわかりませんでした。その後,正真正銘のエアーズロックを登ったのですが,やはり,エアーズロックのほうがはるかに大変です。
 それにしても,知らなかったこととはいえ,オーストラリアでこんな岩山をふたつも私は登ったことになります。わずか数年前だというのに,今,そんな岩山を登る気力はありません。
 しかし,山頂の景色が特に素晴らしい,というほどのこともありません。ただし,ここもまた,大きな石がおかしな形で存在していました。
 オーストラリアの国立公園はどこもこんな程度です。
  ・・
 またいつでも行くことができると思っていたのですが,この先,再び行く機会が訪れるのだろうかと思うと,なにか寂しさを感じます。また,テンターフィールドをさらにさらに南に走るとシドニーまで行けるのですが,私はテンターフィールドから先,この道を走ったことはまだありません。

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 今日は,宿泊するゲストハウスのあるバランディーンの町から,お昼間に日帰りで出かけることができるところを紹介します。
 これまで,ブリスベンからバランディーンに着くまでにあるウォリックとスタンソープについてはすでに書きましたので,バランディーンからさらに南にあるところをとりあげます。
  ・・
 アメリカの州については興味があったし,50州すべて行ったので,どうなっているかはよくわかるのですが,私は,オーストラリアの州はほとんど無知でした。はじめに行ったときは,ブリスベンがどの州に属しているかということすら認識がありませんでした。
 オーストラリアにあるのは,クイーンズランド州,ノーザンテリトリー,西オーストラリア州,南オーストラリア州,ニューサウスウェールズ州,ビクトリア州,タスマニア州,そして,首都のあるオーストラリア首都特別地域です。そして,私が行ったことがないのは,西オーストラリア州,南オーストラリア州,タスマニア州,オーストラリア首都特別地域です。
 ちなみに,ブリスベンも,その南のこれまで紹介してきたいくつかの町も,みな,クイーンズランド州です。そして,その先がニューサウスウェールズ州となるわけです。

 バランディーンから南には,まず,ギラウィーン国立公園(Girraween National Park)があります。車で20分くらいの距離です。
 ギラウィーン国立公園は奇妙な岩が点在しているのが売りです。広い駐車場に車をとめると,とめどもない川やら岩がころがるトレイルが延々と続いているのですが,ほとんど訪れる人もなく,トレイルといっても,まあ,一応整備されているだけで,どこをどう歩こうが自由なところです。オーストラリアの国立公園はアメリカの国立公園に比べたら未だ手つかずといった感じで観光地化されていません。アメリカのような入園料もありません。
 様々な形の大きな石やら岩が積み重なったものが見どころではあるのですが,だからといって,それだけのものです。とはいえ,その先にも別の何か巨石があるとなると,行きたくなるのが常で,それらを見るにはトレイルをずいぶんと歩く必要があるわけだから,けっこう運動にはなります。
 おそらく,ゲストハウスよりも,この国立公園で星空を見たり,岩をバックに写真を撮るほうがおもしろそうに思うのですが,お昼間にも人がいないこのような場所に深夜に行く勇気がさすがの私にもなくて,まだ達成していません。

 ギラウィーン国立公園への接続道路を過ぎてさらに南に進むと,右手にあった線路の橋が妙な形に壊れていて,これがかなり象徴的です。…といつも思いますが,通り過ぎるだけでなかなか写真を撮ることができませんでした。1度はと思って意を決してなんとか車を停めて写したのが今日載せた写真です。
 さらに進むと州の境クイーンズランド州からニューサウスウェールズ州に入ります。
 やがて町が見えてきます。この町がワランガラ(Wallangarra)なのですが,単に,家々がポツンポツンとあるだけのところです。
 気になるのは駅で,というか,この町唯一の見どころで,今は列車も来ないこの駅のホームは博物館となっていて,レストランもあります。こうしたところはとても落ち着く場所です。
 はじめに来たときには,ゲストハウスからここまで来るだけで,かなり遠出をしたように思えたのですが,5時間も6時間もオーストラリアの大平原を深夜にドライブしたり,エアーズロックに行った今となっては,それもまた,懐かしい思い出です。
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 ワランガラを過ぎると,続いてテンターフィールド(Tenterfield)という,これもまた,おそらく日本人の観光客には無縁のすてきな町があります。

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 スタンソープを過ぎると,あたりはワイナリーばかりとなります。主要道路を離れると,小さな町の中に入っていって,それもまたおもしろいのですが,だからといって,その町には何もありません。
 そうした小さな町を過ぎていくと,まもなく,目的地のバランディーンに到着します。ここにあるのが,日本人の経営するゲストハウスです。私は,ここを常宿として,毎年,南半球の星空を見にきていました。
 バランディーンは小さな町です。タバーンというレストランが1軒,コーヒーの飲めるお店が2軒くらい,ホテルも2軒から3軒,それに郵便局とよろず屋さんしかありません。
 私は,タバーンには1回行って昼食をとったことがあります。ハンバーガーを注文したのですが,出てきたのはとんでもないビッグサイズでした。それ以外のお店には行ったことがありません。

 町には小学校と広いグランドがあって,週末にはナイターでサッカーをやっているので,空が照らされて星を見にきた私にははなはだ迷惑な存在です。どうしてわざわざ星が美しいのに夜に電気をつけるのか意味がわからないと,私などは思ってしまいますが,ここに住んでいる人は星なんて見飽きた風景なのでしょう。とはいえ,夜も10時には電気も消され,暗くなります。
 しかし,道路は深夜もトラックが通るので,そのときだけライトで空が明るくなってしまうのが欠点です。オーストラリアのトラックはトレイントラックといって,列車のように後ろに荷物車が接続されたものです。
 ゲストハウスがもう少し道路から奥まっていればいいと思うのですが…。

 以前はこの町には鉄道が通っていて,バランディーンには線路と駅の跡があります。バランディーンから南に向かって道路沿いにずっと鉄道の線路がつながっているのですが,ワランガラを過ぎたあたりで鉄道のレールが乗った橋が崩れているので,私はてっきり鉄道はすでに廃線なのだと思っていました。ある日,バンディーンの駅に,蒸気機関車が4両の客車を引いて煙を吹いて駅に向かってきたのには驚きました。聞いてみると,観光用に月に1回ほどの割合で機関車が北のウォリックから南のワランガラの間だけを運行しているのだそうでした。ウォリックからワランガラまでは今でも現役のようです。
 また,バランディーンには個人が作ったという小さなピラミッドがあって,敷地は柵があるので入れないのですが,柵の外の道路脇に車を停めてそこで写真を写すことはできます。私も一度,夜にそこに出かけてピラミッドと星空の写真をとっていたのですが,ふと振り返ると,となりにカンガルーが座っていて度肝を抜かれたことがあります。
 いいところですが,ここに住んでいたら,いったい毎日何をするの? と私は行くたびに思ったことでした。


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 ウォリック(Warwick)を過ぎると,オーストラリアの大平原が続き,やがて,スタンソープ(Stanthorpe)という町に着きます。ハイウェイA15 はこの町を通らずバイパスとなっているのですが,あえて,町の中心を走ってみます。
 これまで,このあたりは何度も走ったことがあるので,今,これを書きながら,遠い国のこととは思えないのが不思議なことです。
 町は,メインロードが1本あって,その道路の両側にお店があるだけです。町の北の入口あたりにはスーパーマーケットがあります。また,南側の入口あたりには広く美しい公園があります。

 興味深いのは,町のなかには信号機がないことです。そのかわり,町の中心にある交差点はラウンドアバウトとよばれるロータリーがあります。
 日本は,異常に信号機が多い国です。それに比べて,オーストラリアに限らず,私がはしったことがあるそれ以外のニュージーランドやアイスランドではロータリーがたくさんあります。アメリカには,さほどロータリーはありませんが,見かけないことはありません。
 日本でも,ロータリーを作ろうとしている場所があるのですが,なかなかうまくいきません。ロータリーは車が少ないと非常に便利ですが,車が多いとすぐに大渋滞を起すのです。
 これまで,私が驚いたのは,アイスランドで,2車線道路であるにもかかわらずロータリーになっていることです。さすがに,名古屋駅前のように,4車線も5車線もあるロータリーでは信号が必要です。

 ともあれ,スタンソープの町は,必要なものはすべて手に入る規模の便利な町ではありますが,きっと,こうした町の郊外に住んだとしたら,私はきっとものすごく退屈するだろうなあ,と思ってしまいます。


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 ブリスベンから南西に160キロメートルほど走ると,ウォリック(Warwick)という町に到着します。ウォリックはバランディーンに行く途中にある最も大きな町です。とはいえ,多くの日本人にはなじみがない町でもありますが,オーストラリアの町というのは,こうしたところのように思います。
 よく,ニューヨークはアメリカでない,とか,東京は日本でないといわれるように,およそどこの国も大都会というのはその国の典型とは思われず,このような中小都市こそが,その国を表しているようです。

 ウォリックはオーストラリアのクイーンズランド州にあって,人口は約15,000人ほどの中都市です。町の中心に教会があって,そのまわりに商業施設やらファーストフート店やら大きな病院やら公園などがあります。
 昨年大きなモールができたので,昔からあった商業施設は日本の中都市同様にずいぶんと痛手をうけているように感じます。また,有料駐車場ばかりのこの町も,モールの大きな駐車場は無料なので,便利というか,それまでに培われたこの町のルールのようなものが,このモールによって壊されてしまっているというか,いずれにしても,住民にすれば,便利になったと思われます。
 私はなぜかこの町を訪れると,日本の大垣市を思い出します。

 そのウォリックを走っていると,Queen Mary Falls という道路標示が見つかるので,町の近くにそうした名所があるのかな,とはじめてこの町を通ったときに思ったのですが,そうではありませんでした。
 2度目にウォリックに行ったとき,町の中心にある観光案内所で聞いてみたら,わかりやすい地図がもらえました。それは,ウォリックからさらに40キロメートルほど東に行ったキラーニー(Killarney)という小さな町からはじまるマクファーソン山脈(McPherson Range)の,その山並みに沿って整備された道路を上った先にクイーンメアリーフォールズはあるのでした。

 ウォリックからキラーニーまでは,オーストラリアとは思えない,むしろニュージーランドのような美しい景観がずっと続いていて,驚きました。どちらかというと,こうした青々とした景色はオーストラリアらしくなく,茶色の大地が多いのです。
 キラーニーはメインロードのまわりに数件のレストランや小さな宿泊施設があるだけの町ですが,キラーニーから山並みに沿って走っていくと,ブラウンズフォールズ(Browns Falls),ダックスフォールズ(Daggs Falls),クイーンメアリーフォールズと滝が続くのです。
 特に,クイーンメアリーフォールズは,滝へ至るトレイルの入口に駐車場があって,そこにはレストランもあり,なかなかいい感じの場所です。滝は駐車場から遊歩道を歩いて15分くらいのところにあります。
 ドライブウェイは滝の先もずっと続いていて,あたりは鉄条網すらない牧場が続いています。
 そこには,私の好きなオーストラリアの雄大な風景があります。


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 ブリスベン空港から高速道路を西に走っていくと,イプスウィッチ(Ipswich)という町に着きます。ここまでがブリスベンの市街地と考えればよく,この先はオーストラリアの広々とした大地を見ることができるようになります。
 私の行くバランディーンはここで南西に進路を変えるのですが,
イプスイッチを過ぎて進路をさらに西に行くと,トゥーンバ(Toowoomba),そして,おーストラリアが誇る天文台が転々とあって,さらに進むと,私の好きな町クーナバラブラン(Coonabarabran)に行くことができます。

 私は以前,この進路をとって天文台巡りもしたこともありますが,今回の,幻に終わったオーストラリア旅行は,寄り道をする予定もなかったので,バランディーン(Ballandean)に向かうことになっていました。
 イプスイッチから進路を南西に変えて,まずは,メインレンジ国立公園(Main Range National Park)を目指し,峠を越えることになります。
 イプスイッチを越えると,高原道路となり,すばらしい景色が広がります。こういった風景が極めてオーストラリアっぽいと私は行くたびに思います。道路の際には ユーカリの木もあるから,そこにコアラがいても不思議はないといつも思って期待するのですが,残念ながら見たことはありません。しかし,カンガルーはたくさんいて,道路には車にひかれれた姿をよく目撃します。

 オーストラリアの一般道は郊外は片側1車線で,制限速度は時速100キロメートルです。
 これはニュージーランドも同じなのですが,よくいわれるように,というか,私もそう感じるのですが,ニュージーランドの人たちの運転は日本と同じようにかなり乱暴で,オーストラリアの人たちの運転はおとなしいです。
 ということで,ニュージーランドでは時速100キロメートルなんて目じゃないほどスピードを出している車が多いです。私にはその塩梅がわからないから,アメリカでもオーストラリアでもニュージーランドでもいつも制限時速を守る安全運転をします。2車線以上あることがほとんどのアメリカはいうに及ばず,たとえ片側1車線であっても,ニュージーランドもオーストラリアも日本とは違って煽られることはありません。それは,数キロメートルごとに必ず追い越すために2車線道路が作られているからです。

 写真のような美しい景色の続く道路を走っていると,ときどき小さな町を通り過ぎます。今日の写真はそんな町のひとつアラトゥラ(Aratula)です。
 アラトゥラを過ぎると,次第に標高が高くなっていきます。いよいよ峠越えがはじまるのです。
 風景が雄大なのであまり感じないのですが,大型のトラックが走っていると苦しそうだから,かなりの勾配に違いないのでしょう。この峠のあたりがメインレンジ国立公園です。どこかに車を停めて,国立公園を散策したいなあといつも思いながら走っているのですが,この国立公園,展望台やトレイルがあるのかどうか,私にはわかりません。それは,何度走っても,それらしきものを見たことがないし,そういった道路標示もないからです。
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 峠を越えると,いよいよその先はウォリック(Warwick)という比較的大きな町です。


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 この旅では,アデレードからブリスベンに行き,ブリスベンで車を借りて約3時間走って,バランディーンの定宿で4泊することにしていましたが,実際は行くことができなかったので,これからは,これまでに行ったときの様子を書きます。
  ・・
 オーストラリアはどの空港もすばらしく,日本の成田国際空港とは比較にもならないほど豪華で立派ですが,シドニーの空港は私に広すぎます。その点,ブリスベンの空港は適当な大きさでとても快適なところです。
 ブリスペンでは空港ビルの一角にレンタカー会社のカウンタがあって,簡単に車を借りることができます。また,駐車場は空港ビルを出たところにあるので,長い距離を歩く必要もありません。
 オーストラリアは日本と同じで左側通行なので,日本で運転をしているのと同じです。

 空港を出て,道なりに進んでいくと高速道路に入ることができます。道路標示に従って走れば迷うこともないのですが,それが,空港を出てブリスベン市内に行くときとブリスベン市内から空港に戻るときとで,ともに道路標示に従って走ると,異なる道路を走ることになるのが不思議で,私は,何度走ってもどこを走っているのかが把握できません。さらに,あとで地図を見てもよくわからないのです。
 それに加えて,今でもよく理解ができないのが,オーストラリアの高速道路の料金の支払い方法です。日本のようにゲートがあるわけではなく,道路に設置されたカメラで自働に記録されるのですが,地元の人は,事前に車が登録されているので,そのまま料金が引き落とされるので問題がないのですが,レンタカーの場合,どういったシステムなのかがよくわならないのです。

 「地球の歩き方」にも,レンタカーとして事前に通行が登録をしてあるから,貸出し料金に含まれているとか,あるいは,個人で別にネットで支払わなければならないとか,さまざまなことがかかれていて,正解がわかりません。地元の人に聞いても,彼らは事前に登録してあるから,旅行者のことなど知らないといいますし,レンタカー会社のカウンタで聞いても,係によって違う対応をします。インターネット上にオーストラリアで日本人が経営しているレンタカー会社があって,そこにもいろいろ書かれてあるのですが,その説明もまた「地球の歩き方」とは違うことが書かれあります。
 こういうことがとてもオーストラリア的ないい加減さなのですが,私は,それが好きになれません。
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 散々調べた結果私がやっている方法は,料金を支払うためのアプリをインストールしておくという方法で,到着後,このアプリに借りた車の車両ナンバーを登録しておくと,通行したあとで,請求が来るので,ネットで支払うというものです。しかし,これもまた,いい加減というか,なんというか,請求が来たり,来なかったりするのです。
 また,レンタカーを返すときに,高速道路を走ったかと聞かれて,走ったと答えるのですが,で,そのあとなにかあるかというと何もないのです。レンタカーの領収書にも何も書かれてありません。ひょっとして,レンタカー会社と2重に支払っているのかもしれません。料金は日本と違って,数百円といったところなので,2重に支払ったところで大したことでもないのですが,問題は払わなかったときなのです。あとで巨額になった請求が来ても困ります。きちんとしたシステムを知りたいものです。
 また,それに輪をかけて,高速道路のどこが有料区間なのかもよくわからないのです。ずいぶん調べて,私は,どこが有料なのか書かれている地図を見つけたので,なるべくそこだけを避けて走るようにしているのですが,それもまた面倒な話です。
 私がオーストラリアで嫌いなのは,このことだけです。
 なお,有料の高速道路があるのは,ブリスベンとシドニーとメルボルンです。


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 行くことはできませんでしたが,予定では,2020年3月29日日曜日の午前10時にアドレードを出発して午前11時50分にブリスベン着,その後,レンタカーを借りて,いつものようにバランディーンまで3時間かけて行き,3月29日から4月1日まで4泊して,4月2日木曜日の午前9時35分ブリスベンを発って帰国することになっていました。
 アデレードは行ったことがなかったから経験に基づいて書くことができなかったので,調べたことだけを紹介しましたが,ここからは何度も行ったことのある行程です。そこで,この先はこれまでに行った経験から振り返りたいと思います。
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 この旅を計画するとき,3月に星を見るためにバランディーン(ballandean)に行こうと,常宿に問い合わせたら,3月29日までは日本からの別のグループが宿泊するということでした。星を見るには月明かりがない時期を選ばなけれならないから,新月のころはどうしてもほかのグループと一緒になってしまうのです。しかし,多くの人は仕事があるので,普通は週末を挟んで休みを取ってくるので,日曜日を過ぎれば帰国しまうから,日曜日の夜からがねらい目です。
 私は,若いころと違って,知らない人と会うことが煩わしくなってきました。特に,星見は孤独のほうがいいのです。単なる趣味の世界なのに,日本人は仕事のようにストイックな人が多く,私にはついていけません。だから,話も合いません。私は,趣味にお金をかける気もなければ,新しい技術を追い求める気力もありません。

 バランディーンはブリスベンからオーストラリアの内陸部に向かって3時間ほど走っていった先にある小さな町です。途中に峠があって,それを越えると,のどかで雄大なオーストラリアが待っています。しかし,特に見どころもそれほどないから,私は,数回行って,バランディーン付近の観光施設はすべて制覇してしまいました。だから,今回もまた,星を見る以外に何をするの? という感じではありました。
 今こうして書いていて,もし次の機会があれば,バランディーンにこだわらず,オーストラリアの別の場所に出かけたほうがいいかな,と思います。
 さて,こうしてバランディーンの付近の観光地はすべて行ったのですが,なぜか,ブリスベン市内だけは観光をしたことがありませんでした。そこで,2019年の春に行ったときに,はじめてブリスベン市内のホテルに宿泊して観光をすることにしました。
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 おそらく,オーストラリアといっても,多くの日本人になじみがあるのはシドニーだと思います。2019年は2度オーストラリアに行ったのですが,1度目に行ったときにはシドニーにも行きました。シドニーもまたいい都会でしたが,ちょっと人が多すぎて,アメリカの大都会のようでした。
 それに比べれば,ブリスベンは日本から直行便があるのですが,それでも,日本人にはあまりなじみのある都会ではないと思います。実際に行ってみて,ブリスベン市内は思った以上に美しくすてきなところでした。
 また,ブリスベンから南に走るとゴールドコーストがあるのですが,ゴールドコーストの高級住宅街を歩いていたとき,ここなら住みたいなあと,こころから思ったことを覚えています。私が住みたいなあと思った町は,これがはじめてのことでした。


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 この旅の前半の予定は,2020年3月26日の午前10時25分にアデレードの到着して,3月29日の午前10時アデレード発午前11時50分ブリスベン着というものでした。そこで,アデレードに3泊,そのうち,3月26日と3月27日の2日間がアデレードの市内観光で,3月28日はカンガルー島への現地ツアーが予約してありました。
 しかし,行くことができなくなったので,航空券とホテルは無料でキャンセルできたのですが,現地ツアーについてはキャンセルができなくて,結局,お金を損してしまうことになりました。そもそも,今回の事態など完全に想定外だったので,まったく考慮していなかったわけです。

 カンガルー島は,南オーストラリア州の沖合い13キロメートルにあって,アデレードから飛行機で30分の場所にあります。カンガルー島にはオーストラリアの固有動物が数多く生息していて,グルメや壮大な岩層が楽しめるという場所です。
 カンガルー・アイランド・シーリンク(Kangaroo Island Sealink)へは南オーストラリア州本土からカンガルー島の主要な街のひとつであるペネショーまでフェリーが毎日運航されていて,フェリーの出発地はアデレードから車で南に90分のケープ・ジャービス(Cape Jervis)ということなので,ツアーに頼らずとも自力でもなんとかなりそうなのですが,調べるのもめんどうになって,ツアーを予約したというわけです。
 これまで私は,アイスランドで1日ツアーを予約したり,ニュージーランドのミルフォードサウンドでもツアーに参加したし,オーストリアでもシェーンブルン宮殿へのツアーと,ハルシュタットへの日帰りツアーに参加したことがあります。これらはなかなかよかったもので,やはり自分だけでは行くことが困難な場所でも,何とかなるものです。
 ということで,かなり期待をしていたので,残念でした。
 では,私が行くことのできなかったカンガルー島について調べたことを以下に書いておきます。

  ・・・・・・
 カンガルー島は,長さ155キロメートル,幅55キロメートルということなので,けっこう広く,ガイド同行のツアーやフェリーを利用して車で島を移動するか,島に到着してからレンタカーを借りるかとう手段をとることになるようです。
 カンガルー島の南海岸にあるシール・ベイ自然保護公園(Seal Bay Conservation Park)には,南オーストラリア州と西オーストラリア州にしか生息していない絶滅危惧種のオーストラリア・アシカが暮らしていて,コロニーの中を歩くことができる世界で唯一の場所ということです。
 また,安全な海水浴スポット が北海岸のキングスコート近くのエミュー・ベイ(Emu Bay),ストークス・ベイ(Stokes Bay)もあります。
 さらに,カンガルー・アイランド・ブルワリー(Kangaroo Island Brewery)でクラフトビールを飲んだり,ペンショー近郊のダドリー・ワイン(Dudley Wines),キングスコート近郊のベイ・オブ・ショールズ・ワインズ(Bay of Shoals Wines)などでセラードアを備えたワイナリーでワインを楽しんだり,カンガルー・アイランド・スピリッツ(Kangaroo Island Spirits)でオーストラリアのクラフトジン,ウォッカ,リキュールなどを試飲することもできるそうです。そして,アメリカン・リバーにあるオイスター・ファーム・ショップ(Oyster Farm Shop)で旬の牡蠣やアワビ,ダイオウギスなどが味わえるランチを楽しむことも可能です。また,島の真ん中に立地するマロン・カフェ(Marron Café)では淡水マロンとよばれるオーストラリアの淡水イセエビを試してみることもできます。
 カンガルー島には,オーストラリア固有の野生動物が数多く生息しています。
 島中いたるところで短いビードのハリモグラと大きなゴアナを見かけることができるし,アメリカン・リバー周辺の入り江には黒鳥が群れをなしています。キングスコートの波止場では,毎日午後5時になると何十羽ものペリカンが集うということです。
 カンガルー・アイランド・オデッセイ(Kangaroo Island Odysseys)のガイドのツアーに参加すれば,コアラ,カンガルー,ワラビーを,カンガルー・アイランド・オーシャン・サファリ(Kangaroo Island Ocean Safari)のボートクルーズで海へ出ればアザラシやクジラ,海岸沿いで遊ぶバンドウイルカを眺めることもできるということです。
 さらに,カンガルー島の西側にあるフリンダース・チェイス国立公園(Flinders Chase National Park)は,希少なタマーワラビーやめったに見ることがないカモノハシのような多種多様なオーストラリア固有の動物が生息する大きな自然保護区で,リマーカブル・ロックス(Remarkable Rocks)という,オレンジ色の地衣類に覆われ独特の形になった花崗岩の巨石が海辺に連なっていたり,アドミラルズ・アーチ(Admirals Arch)という,浸食された鍾乳石の橋に波が打ち寄せる光景は壮観ということです。
 カンガルーとタマーワラビーは,フリンダース・チェイス国立公園(Flinders Chase National Park)内のブラック・スワンプ(Black Swamp)やラタミ保護公園(Lathami Conservation Park)などの島内の保護区で簡単に見ることができるし,カンガルー島にのみに生息する絶滅危惧種のテリクロオウムなどの珍しい鳥を見つけることもできます。
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 さて,この旅は,2020年3月25日水曜日の午後2時30分セントレア・中部国際空港発のANAで成田空港に向かい,成田空港では午後7時20分発,翌日午前7時55分メルボン着,そして,メルボルンから午前9時35分発,午前10時25分アデレード着のカンタス航空のチケットが予約してありました。また,アデレードでは,すでに,市内のホテルが予約してあって,ホテルまでは,レンタカーを借りる予定はなかったので,公共交通機関を利用することにしていました。
 アデレード。私はこの町のことを1年前までまったく知りませんでした。
 この旅の1年前にオーストラリアのエアーズロックに行ったとき,帰りにシドニーからの飛行機に乗ったとき,隣に座った女性がアデレードからの帰りだと言ったのが,私がアデレードを知ったきっかけでした。さらに,帰国後,アデレードに行ったことがあるという人の話を聞いて,興味をもちました。
  ・・
 という次第だったのですが,結局,行くことができなかった今,ぜひ行きたかったなあ! 残念だったなあ,何とかしていきたいなあ,という気はほとんどありません。つまり,まったく想い入れがないのです。しかし,もし,このとき実際に行っていたら,また,違った気持ちになっているかもしれませんが。

  ・・・・・・
 アデレード(Adelaide)は南オーストラリア州の州都です。オーストラリアの南部に位置し,南極海に面しています。都市の名前は19世紀のイギリス国王ウィリアム4世の王妃アデレードにちなんで名づけられていて,人口は約100万人,文化と芸術の都として知られています。
 この町に行って「必ずやっておきたいこと」がいくつかあるそうです。
 その第一は,アデレード中央市場(Adelaide Central Market)でショッピングをすることだそうです。
 その次に,ノース・テラス地区を散歩することだそうです。ノース・テラス地区はアデレードの重要な文化施設が集まる場所で,最も美しい建物のひとつである南オーストラリア美術館(Art Gallery of South Australia),隣接した南オーストラリア博物館(South Australian Museum),そこから20分の散策で植物園(Botanic Gardens),アデレード動物園(Adelaide Zoo)は必見だそうです。アデレード動物園では,コアラ,オーストラリアオットセイ,カンガルーなどのオーストラリアの固有動物に出会えるということです。
 また,アデレード・オーバル(Adelaide Oval)では,クリケットのガイドツアーに参加できます。さらに,ビーチへ行けば,白い砂浜が広がり,散歩道を歩いたり,フィッシュ&チップスを食べたり,海のプールで泳ぐことができまるそうです。
 さらに,足をのばして郊外に行くと,ワイナリーが広がっています。オーストラリア随一の冷涼性気候ワインの産地,アデレード・ヒルズ(Adelaide Hills)では,ブラウフレンキッシュ,グリューナー・ヴェルトリーナー,ツヴァイゲルト,サンクト・ラウレントなど,オーストリア種ブドウ栽培のパイオニア,ハーンドルフ・ヒル(Hahndorf Hill)や,受賞歴を誇るシラーズで有名なバード・イン・ハンド(Bird in Hand)など,60ものワイナリーがある地域です。
  ・・・・・・
 ということなのですが,ブリスベン郊外やシドニー郊外,さらに,アメリカのこのような地域を知る私は,どんなところか行かなくても想像がつきますし,特に,だから何があるの? と思うと,何もわざわざアデレードまで出かけるほどの魅力はあまり感じません。おそらく,こうした観光よりも,アデレードは何をするでもなく,のんびり過ごすところなのでしょう。


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 世界は広いのか狭いのか,いずれにしても,生きている間にすべてのところに行くことはできません。海外旅行も,はじめのうちは有名な場所に一度は行ってみたいという動機ではじまるのでしょうが,そのうちに,自分が何をしたいかということを自分に問いかけることになります。そして,そういった段階になると,さまざまな工夫が必要になってきます。
 私が痛切に感じるのは,母国語が日本語であるというハンディです。もし,母国語が英語であれば,もっと地球を狭く感じるでしょう。そして,気軽に世界に飛びだすことができることでしょう。さらに,ヨーロッパに行くようになると,もうひとつ,ドイツ語かフランス語ができたらどれだけ楽しいかということを感じるようになってきました。

 また,私の住む愛知県から海外旅行をしようとすると,セントレア・中部国際空港の不便さを感じざるを得ません。これまで何度も書いているように,アメリカは,とにかく,デトロイトへの直行便などいらないから,シアトルかロサンゼルスのような西海岸への直行便があればどんなに便利かなあ,と思います。そこで羽田空港でトランジットをすることになってしまいます。これはオーストラリアも同様です。シドニーでもメルボルンでもブリスベンでも,というか,ブリスベンがもっともいいのですが,そこまでの直行便があれば,どれほど便利でしょう。
 それに比べたら,フィンランドのヘルシンキまでの直行便のあるヨーロッパははるかに便利です。
 セントレアからは,ヨーロッパとハワイだけが,私には便利で,かつ,気楽に行くことができる外国です。が,空港までのアクセスもまた,延着やら不通になることが少なくない名鉄,また,車だと混雑する高速道路など,せっかくのインフラがこれではなあ,といつも考えてしまいます。


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