ホテルにチェックインしてから,夕食をとるために国際線ターミナルまで歩いて行ってみました。ターミナルには多くのレストランがあるからです。徒歩で2~3分という距離でした。
国際線ターミナルではこの日の晩に日本に向かうANAのフライトのチェックインをしていました。ここで私は夜に日本に行くフライトがあることをはじめて知って,それならばあえてシドニーに1泊する必要もなかったなあと少し後悔しました。それはともかくとして,広い国際線ターミナルのチェックインカウンタを通り過ぎると,その向こうに多くのショップが軒を連ねていました。そのほとんどはブランド品の売り場で,ここは空港でなく銀座のような感じの場所でした。私は昨年の秋にニュージーランドからの帰路,シドニーでトランジットをしたのですが,そのときにはじめてここに来てその規模の大きさに驚きました。
私が目指すのはブランド品ではなくレストランです。
シドニーのターミナルは,このようにやたらと規模が大きくたくさんのショップがあるにもかかわらず,ラウンジが少ないのです。昨年,搭乗までの時間をつぶすためにラウンジを探したときにはアメックスのゴールドカードで入ることができる狭く混雑したところしかなく,仕方なくそこを利用しました。せっかくのプライオリティパスを持っていても使えるラウンジがないので,その代わりに,プライオリティパスは指定されたレストランで3,500円程度の金券として使えるのでした。しかし,そのレストランで聞いてみると搭乗券がないとダメということでした。この晩は明日のフライトのチェックインがまだできないので私は搭乗券がなく,プライオリティパスの利用を断念して,お金を払って軽く食事をしました。それだけではまだ夕食には足りなかったのですがこのくらいにして食事を終えてホテルに帰ろうと歩いていると,ターミナルビルの出口付近にマクドナルドがあるのを発見,そこで飲み物とサラダを購入しました。すでにストローは紙製になっていました。
このように,いろんな意味でオーストラリアというのは何かアンバランスで,そこがまた田舎じみていて洗練されていないというか,そこがオーストラリアのいいところなのでしょう。
さて,帰国の日。
昨日見たANAのチェックインカウンタはターミナルの一番奥の他社便と共有の急ごしらえのものだったのですが,JALのチェックインカウンタは1番手前の常設でした。さすがにJAL,というか,やはりJALとANAはこういうところで差があります。チェックインをしながら日本人スタッフと久しぶりに日本語で軽く雑談しました。搭乗券を手に入れたので,昨日行ったレストランに再び行きました。今度はプライオリティパスを利用して無料で朝食を食べることができました。毎回海外旅行ではこのプライオリティパスはとても重宝します。何はなくともプライオリティパスです。
やがて搭乗時間になったので,ゲートに行きました。
搭乗を待ちながら窓から外を見ていると,エミュレーツ航空のエアバスA380が見えました。この旅客機は昨年,ニュージーランドからシドニーまでのフライトで乗ったものと同じです。現在,JALやANAがA380を導入したと大きく宣伝をしていますが,私はもう乗ったことになります。しかし,このA380は大きすぎてあまり需要がなく,すでに製造中止になってしましました。
世界のトレンドはもう少し小さいA350です。このA350はデルタ航空やフィンランド航空でも導入をはじめていて,私が今後行く予定のロサンゼルスやヘルシンキへの便はともにこの新しいA350だそうです。
私はJALの国際線に乗るのは久しぶりでした。JALやANAは航空運賃も高く,乗客のほとんどが日本人なのであまり気乗りがしませんでした。しかし,今回乗ったフライトの乗客の多くは日本人ではなく,オーストラリアからの観光で日本に行くオーストラリア人でした。
機内では,日本食が出たりディスプレイでは「チコちゃんに叱られる」が見られるなど,日本の航空会社ならではでした。それにしても,JALの客室乗務員は始終やたらと忙しそうに動き回っていて落ち着きませんでした。仕事がないと通路の掃除までしていました。外国の飛行機に乗りなれた私にはちょっとやりすぎだなあと思うことが多く,座っていても気になります。機内のトイレには歯ブラシまで用意してありました。そもそも,日本人のやることなすことの90%はやらなくてもいいことばかりなのです。これが日本という国の労働者の姿なのです。こういうのを日本人は気配りだのおもてなしだのと勘違いをしているのです。
パプアニューギニアの上空を通るとき,窓からバタフライアイランドが見えました。帰国してから調べてみると,私の乗ったJAL便では,機内からこのバタフライアイランドが窓から見るというブログがたくさん見つかりました。私はそんなことも知らずに乗っていたのですが,見ることができて幸運でした。以前,冬に北極回りでパリに行ったとき,機内からオーロラを見たこともありますが,こういった思いがけない幸運はうれしいものです。
やがて,成田に着いて入国を済ませ,セントレアへのフライトに乗り換え,予定通り帰宅しました。
・・・・・・
こうして,今回の旅も終了しました。行きにケアンズでエアーズロックまでのフライトに乗り遅れたときはどうなるかと思いましたが,あとは予想以上にツイていて,登れると思ってもいなかったエアーズロックにも登頂できたし,満天の星空も見られたし,なかなかおもしろい旅になりました。
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特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ⑩
シドニー天文台の庭からは,シドニー湾が美しく見えました。天気もよく,すばらしい景観でした。ただし,オペラハウスは見えませんでした。私は大都会には興味がなく,シドニー観光をする予定もなく,唯一行きたかったシドニー天文台に行くことができたので,それで満足でした。ただし,あまりにも有名なシドニーのオペラハウスの外観だけは見たい,というよりも,どこにあるのかな,という好奇心がありました。
シドニーは今から36年前に一度訪れたことがあって,その時にオペラハウスも見たことがあります。そのオペラハウスがどこにあるのだろう,と思ったわけです。シドニー湾にあることは知っていたので,おそらく近くだろうと思って調べてみると,やはり徒歩圏内だということがわかったので,歩いて行ってみることにしました。
およそ15分くらい坂を下って歩いていくと,やがてオペラハウスが見えてきました。
この旅はこれまで人の少ないところばかりに行ったので,シドニーの都会,特にオペラハウスの近くにあまりに多くの観光客があふれていてびっくりしました。
シドニーのオペラハウス(Sydney Opera House)は20世紀を代表する近代建築物で,オペラ・オーストラリア,シドニー・シアター・カンパニー,シドニー交響楽団の本拠地です。設計者は建築家ヨーン・ウツソン(Jorn Utzon)というデンマーク人です。独創的な形状と構造設計の困難さなどで工事は大幅に遅れ,1959年に着工したものの竣工は1973年となりました。今は世界で最も建造年代が新しい世界遺産です。
それにしても,このオペラハウス,建物はあまりに有名ですが,このホールで演じられるオペラというのを私はほとんど知りません。それが,昨年私が行ったウィーンの国立歌劇場とは大きく異なる点です。そもそもシドニー交響楽団,というもの自体が無名です。というのは私の認識不足なのでしょうか…。
湾の向こうに美しいオペラハウスが見えて,その前を船が頻繁に行き来していました。そして,港にはたくさんのオープンカフェやレストランがありました。
話は飛びますが,アメリカのフィラデルフィアに,映画「ロッキー」で有名になったフィラデルフィア美術館があります。この美術館に至るロッキーステップとよばれる階段もまた観光地で多くの観光客であふれていますが,美術館に入る人はまれです。これとよく似た感じでしょうか?
オペラハウスを見終えて,私はすっかり満足しました。これで簡単なシドニー観光は終わり,ホテルに行くことにしました。この旅もこれで終わりです。この日の晩に宿泊するのはシドニー国際空港の国際線のターミナルからほど近い場所にあります。そこで,先にレンタカーを返して歩いてホテルに行くことにしていました。
まず,空港の近くのガソリンスタンドに行って給油をしました。そして,レンタカーを返却しました。レンタカーの返却はシドニー国際空港の国内線ターミナルにあるのですが,この空港は,国内線と国際線のターミナルがかなり離れているのです。何でも,以前はこの国際線と国内線のターミナル間の移動手段であるシャトルバスは有料!,しかもかなり高く不評だったそうです。今は無料ですが,私はこのこと自体が信じられず,これではターミナル間の移動が不便な成田空港や羽田空港のことを悪くいえないなあと思ったことでした。アメリカの空港に慣れた私には,ターミナル間の移動というのは無料の地下鉄があるのが常識だからです。
バスを探して乗り込んで国際線ターミナルに移動してバスを降りると,目の前にホテルがありました。確かに便利な場所にあるホテルでした。さっそくチェックインをしました。すばらしいホテルでした。ホテルのスタッフの女性はカナダ生まれで,日本に住んでいたことがあるということを言っていました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ⑨
この旅も最終章です。
朝クーナバラブランを発ってシドニーへ行き,シドニーで1泊して次の日の朝,JALで日本に戻ります。1泊しなくても夜シドニーから成田に行くANAのフライトがあったのですが,私はそれを知りませんでした。ここ3年で6回もオーストラリアに行ったのに,日本とオーストラリアを結ぶフライトは何が便利か,どの都市を結んでいるのか私にはよくわかりません。いずれにせよ,私が利用したくないのはセントレア発であれど香港乗り換えのキャセイパシフィック航空です。それは香港の空港が生理的に嫌いだからです。香港で乗り換えるくらいなら成田や羽田で乗り換えるほうがずっと楽です。
シドニーから成田までの帰国便をカンタス航空が運用していると思っていたのですが,探しても見つからず,結局,私にはめずらしくJALになりました。シドニーから日本に行くカンタス航空のフライトは成田空港着ではなく羽田空港着だったことをあとで思い出しました。昨年利用したばかりなのにうっかりしていました。しかし,そんなフライトを運用するくらいなら,成田だの羽田だのといわず,1便くらいはセントレアに飛ばせばいいのにと思ったことでした。名古屋からオーストラリアへ直行便がないのが本当に不便です。
クーナバラブランのモーテルで朝食をとり,チェックアウトをしてシドニーに向けて出発です。クーナバラブランからは5時間くらいでシドニーに到着するので,シドニーに着いたらホテルにチェックインする前に少しだけシドニーの観光をしようと思いました。私がシドニーで行きたかったのはシドニー天文台です。
私がシドニーで借りてクーナバラブランまで乗ってきた車は三菱のSUV,ピッカピカの新車でした。この車はiPhone を接続すると車のディスプレイに iPhone の画面が同期されて,iPhone の Google Map がそのままカーナビになりました。私はこれまで海外旅行では電話やインターネットでさんざん苦労していましたが,この2月にハワイに行ったときからは Glocalme という Wifi ルーターを使っています。このWifi ルーターは現地でスイッチを入れるだけで常時私の iPhone がインターネットに接続されるので,ものすごく便利です。こうするとIP電話も常に利用できるので,電話も困りません。このように,旅をするたびに便利になっていきます。
昨年2月にオーストラリアに来たときにもクーナバラブランまで来たのですが,そのときはクーナバラブランから2時間くらい北に行ったナラブライに宿泊しました。ナラブライで1泊してからバランディーンまで戻りそこで3泊してからブリスベン経由で帰国する予定だったのが,急用ができて急遽帰国することになってしまいました。そこで,ナラブライから深夜のオーストラリア大陸を7時間走って早朝にブリスベンに戻ったので,真っ暗な中を走っただけでほとんどオーストラリアの風景を見ることができませんでした。今回はお昼間に5時間かけてシドニーに戻るので,オーストラリアの風景を味わうことができる楽しみがありました。
途中,何度か小さな町で休憩をしながらのどかなオーストラリアを走り,やがてニューカッスルというオーストラリアの西海岸にある街に到着しました。ここから海岸に沿って南にハイウェイを走り,シドニーに向かいました。大都会シドニーに近づくにつれて車も多くなり,ついにシドニーの高速道路に入りました。
シドニーのダウンタウンに入りました。こうなると車を停めるのにひと苦労です。どの町もそうですが,旅行者にとっては特に都会で路上駐車をしたときパーキングメーターのシステムがよくわからないので困ります。私は面倒なので駐車場を探して停めることにしましたが,シドニーの民間駐車場の法外な値段には驚きました。わずか数時間で何千円もしたのです。
駐車場に車を停めて歩いて天文台に向かいました。
シドニー天文台はNHKBSで放送されている「コズミックフロント☆NEXT」という番組で知りましたが,その番組を見たときはシドニーに行く予定すらなく,「まさか」そこに来ることができるとは,そのときはまったく思いませんでした。エアーズロックもそうですが,この旅では,こんな「まさか」ばかりです。
シドニー天文台はシドニー湾に沿ったシドニーの中心部ハーバーブリッジの側の丘の上にあって,その近くには有名なオペラハウスもあります。この天文台はオーストラリアで最も古い天文台で,シドニーの砂岩を使いイタリア式の建築で作られています。
1858年に作られて,実際に天文台として使用されていましたが,都市の近代化で天文台としての役割を果たすことが難しくなって,1982年以降は博物館として運営されています。天文台として使用されていた当時は,天文台としての役割のほかに,19世紀から20世紀初頭にかけて世界の港湾で船舶に正確な時刻を知らせる目的で設置されていた「報時球」(Time ball)として,ここも重要な役割を担っていました。今でも屋根の上にその十字の棒と丸い玉を見ることができます。
天文台は,展示を見るだけなら無料ですが,有料のプラネタリウムや観望会もあります。日本でいう科学館みたいな場所です。私は,別ここでプラネタリウムを見たいとも思いませんでしたし,星が満足に見られないシドニーの都会で星を見る気もないので,無料の展示だけを興味深々でたっぷり見学しました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ⑧
大雑把に言って,オーストラリアには3つくらいのタイプの町があります。ひとつ目はシドニーとかブリスベンのような大都会です。ふたつ目はもう少し規模の小さな都会です。こうした都会,というか街は,中央に片側2車線から3車線ほどの道路が走っていて,そのまわりにレストランや商店があります。街の中央に教会や役所,そして公園があります。さらに,モールがあります。
そして,それより小さないわゆる町ですが,こうした町は,片側1車線ほどの道路の両端に商店が並んでいて,町の中央は大概スクランブル交差点となっています。道路の端は駐車帯です。町の端から端まで歩いてもさほどの距離があるわけでもなく,そうした町の商店には生きるのに必要なものが最低限あるだけです。
クーナバラブランもまた,そうした町のひとつです。
こうした町に生まれた人がどういう生活をしているのか,私にはイメージがわきません。お店の営業時間は午前9時から午後5時までとかで,休日はお休み。仕事をしていないとき,そうしたお店で働いている人は何を楽しみに生きているのでしょう。テレビ番組だって,おもしろそうなものがあるわけでないし,プロスポーツもそれほど盛んということもない。
逆に言えば,そういった,時間がゆったりと流れる世界で毎日をおくることこそが,人が生きるということであって,日本のように,早朝から深夜まで働いて,満員電車で通勤して,帰りに酒を飲む,などというのは異常なことなのでしょう。学生も,毎日課題やらテストに追われ,休日となれば「ブカツ」。だからといって,暇な時間があればゲームをするかアニメを見るかくらいで,本を読むわけでもなく,何かを作るでもなく,そうした日常からは「学歴」というメッキの「ブランド」を手に入れるだけで,実際は何もできず,何も知らず,人とコミュニケーションすら満足にできない…。
こうした場所に来ると,私は,生きるという根本的なことがわからなくなります。
お昼は,クーナバラブランの端にあるレストランにしました。ここは前回来たときにも入りました。というより,このお店しかない,というべきでしょうか。ここは気持ちの落ち着くいいお店です。
午後は,クーナバラブランから少しドライブしてバランディン(Barandine)というところまで行ってみました。バランディンなんて,ほんとうに小さな町だったのですが,そこにはなぜか無料の立派な博物館がありました。中に入ると,学芸員のような女性がいたので,話をしました。こんなところに来る日本人はいない,と言っていました。
クーナバラブランでも十分に時間を持て余すのに,この町に住んだら,いったいどうやって時間を費やすのでしょう? クーナバラブランに戻って,この日の夕食もモーテルのレストランにしました。
私のクーナバラブランでの日々はこうして過ぎました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ⑦
ワールンバングル国立公園の入口,とはいってもゲートがあるわけではないのですが,そこに進む道路を走っていくと,サイディングスプリング天文台の大きな案内板のある三叉路に出会います。その三叉路を案内標示に従って右折すると,やがて少し険しい山道になって,それがサイデンスプリング天文台に向かう道路です。
進んでいくと,この先,天文台のゲートがあるわけではなく,直接,一般見学用の駐車場まで行くことができます。このように,いろんな面でオーストラリアというのはゆるい国です。
サイデンスプリング天文台は昨年の3月にも来ましたが,こんな不便な場所にまさか1年後に再び来るとは思いませんでした。
私の手元に「天体写真NOW No.1」という本があります。この本は1978年(昭和53年)に発行されたものですから今からかれこれ40年も前のものですが,この本にサイデンスプリング天文台の主砲3.9メートルアングロサクソン望遠鏡が特集として載っています。この望遠鏡は1973年に完成したものです。馬蹄形の赤道儀架台は日本の三菱電機が作りました。また,大きな反射鏡を作ったのは岡山にある188センチメートルを作ったのと同じイギリスのグラブパーキンソン社です。その当時,南半球には大きな天体望遠鏡がありませんでした。オーストラリアは電波望遠鏡の分野で華々しい成果をあげていたので,新しく作られた光学望遠鏡の分野でも大いに期待されたものです。
この望遠鏡は今も現役です。ただし,現在,南半球の天体望遠鏡の多くは南アメリカのアンデス山脈に続々と設置されて大活躍をしていて,オーストラリアの影が薄いのはどうしてなのでしょう。いろんな事情があるのでしょうが,アメリカやヨーロッパからなら南アメリカは遠くないのですが,日本からだと南アメリカよりもオーストラリアのほうがずっと近いので,こうした場所に日本の天文台が作られててもよさそうに思います。ハワイは北半球なので,南半球に天文台を作るのも必要です。しかし,アンデス山脈は遠いし,オーストラリアなら天候も悪くなく,条件がよさそうに思うのですが……。標高が低いこと,そして,シドニーから車で5時間もかかるという点がネックなのでしょうか?
前回来たときは,開館している時間だったのにもかかわらず,なぜかビジターセンターが閉館していました。しかも何も表示がなく,閉館していた事情がさっぱりわかりませんでした。今回はちゃんと開館していたので,ビジターセンターにある展示を見ることができました。ここにはレストランもあるのですが,お昼には早かったので,残念ながら利用する機会はありませんでした。
展示を見てから,望遠鏡のドームに行きました。これは昨年も見たものです。階段とエレベータがあって,5階まで登ると見学ブースがあって,ガラス窓越しに巨大な望遠鏡を見ることができます。この望遠鏡は,現在世界中で作られているデジタル新時代の望遠鏡とは設計が本質的に異なっていて,古いのは否めません。
日々発展する科学技術は,巨額な費用を使ってこうした機器を作っても,技術の進化が早すぎてそれが十分に活躍できるのはわずか数十年にすぎません。なかなか大変な時代です。
おもしろいのは,こうした,山の中にあってしかも都会から決して近く施設なのに,けっこう多くの見学者が訪れていることです。日本では,わずか2~3時間で行くことができるこうした天文台のような施設でも,ほとんど見学者もいないし,ビジターセンターにも大した展示がない,ましてや,レストランどころか喫茶コーナーすらないことです。
このことは何も天文台に限りません。海外から有名な絵画が来たときだけ異常に混雑する美術館や,観光バスで大挙して訪れる正倉院展などには,日ごろは絵画や歴史にほとんど興味がないような人が押しかける反面,地方にある常設の博物館や美術館にはほとんど人がいません。日本人というのは,もともと知的好奇心がないのでしょう。そして自分というものがないものだから,宣伝に踊らされると大挙して同じ行動をとるのです。これが人と比べることと点数をとるだけが目的の,本当の文化を育んでいない教育の成果なのかもしれません。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ⑥
このモーテルには無料の朝食が用意されていました。このように,このモーテルは,部屋は広いしレストランは併設されているし朝食は無料だし……,というように,きわめて快適でした。朝,宿泊している人たちが三々五々この食堂に集まってきて食事を楽しみました。
日本で私がよく利用する「東横イン」には無料(というか宿泊代に含まれている)の朝食があるのですが,宿泊者の数の比べて食堂が決定的に狭すぎて長蛇の列になります。朝からこんなせわしいことはサービスでなく苦痛です。そんなサービスなら有料にして宿泊代を値下げすべきです。こういうのが日本の「おもてなし」の実態ですが,このオーストラリアのモーテルだけでなくアメリカのモーテルでも,混み合って食べるのが苦痛といった,そんな無料の朝食はありえません。
クーナバラブランに2泊する私は,この日が終日クーナバラプラン観光のできる1日となります。そこで,まず,昨年来たときには日帰りで行くことのできなかった,ワールンバングル国立公園に行くことにしました。
オーストラリアには国立公園が数々あれど,そのほどんどは岩山があったり展望が効いたりする程度で,アメリカのグランドキャニオンのようなものではありません。別の見方をすれば,こうした国立公園でキャンプをして,自然とともに過ごす,という楽しみをする場所なのです。日本にはそうした場所がないので,多くの日本人はこうした楽しみができません。2月に行ったハワイのマウイ島マケナビーチもそうですが,一日中海岸でのんびりすごすというような楽しみこそがバケーションなので,せわしなく名所旧跡を巡るというものではないのです。
この国立公園も,展望台から見た景色は山並みが続いているだけのものでした。しかし,その山並みは大昔の火山活動の跡であり,地質に興味がある人にはどれだけ見ていても見飽きる場所ではないのでしょう。
さらに進むとビジターセンターがありましたが,そのビジターセンターはできたばかりの新しい建物で,この国立公園ついての詳しい展示がありました。係の女性がいたので,いろんな説明を聞きました。
さらに進んでいくとキャンプ場がありました。
多くのキャンピングカーが停まっていて,ここで過ごしていました。夜にでもなれば満天の星空が見られるでしょう。日本にもオートキャンプ場はあるのですが,狭く混雑していて,しかも自動販売機があったりと,あれは単なるテーマパークなので,比べ物になりません。そもそも,生まれてからの環境が違いすぎるのです。日本に生まれたというのは別の惑星に生まれたようなものです。
このあたりには多くのカンガルーもいました。カンガルーたちは車の音がすると立ち止まります。道に飛び出てくることもなくはないので注意が必要ですが,大概は車を警戒していて,車が通りすぎるのを待って横断します。かわいいものです。
さらに行くと国立公園は終わり,今日の一番下の写真のように,一本の道が続くだけになりました。地図を見ると,この道を進んでいくと再びクーナバラブランに戻ってくるようでしたが,私はここで引き返すことにしました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ⑤
私はこの町に2泊します。
私はこのような町が大好きで,こうしたところに来るたびに泊ってみたいなあと思うのですが,この旅ではその夢が実現しました。オーストラリア,ニュージーランド,ハワイ,アメリカなどには似たような町がたくさんあります。ときどきそんな町の景色がふと浮かんではそれがどの国のどの町だったのか思い出せず混乱してきます。どの町も特に何があるというわけでもないのですが,そんな小さな町を訪れたとき,夕暮れどきに散策すると癒されます。こんな町に住んでみたいものです。
クーナバラブランは小さな町で,残念ながら夕食をとるレストランもほとんどありませんでした。そこで,この晩は宿泊したモーテルに併設されたレストランで食事をとることにしました。中に入ると,2組ほどのお客さんがいました。広い店内はとても落ち着きました。日本にはこうした落ち着くお店はありません。
この日もまたステーキを注文しました。贅沢にも毎晩のようにオージービーフを食べています。
前回書いたように,この町の郊外にはサイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory)という研究施設がありますが,そのほかにも,ミルロイ天文台(Milroy Observatory),ワールンバングル天文台(Warrumbungle Observatory)といった一般向けに公開されている民間の天文台があって,予約をすれば大きな望遠鏡で星を見せてくれます。また,サイデングスプリング天文台からさらに山奥に行くと,ワールンバングル国立公園(Warrumbungle National Park)もあります。
民間の天文台で望遠鏡をのぞかせてもらうのももちろんおもしろいのですが,惑星などは何も南半球でなくても見ることができます。また,南半球の星空で見どころである星雲や星団はすでに見せてもらたことがあるので,今回わざわざ予約をして望遠鏡で星を見せてもらうことには興味がありませんでした。それよりも私は,クーナバラブランという星の美しい場所で満天の星空がどのようにみられるかを肉眼で確認してみたいと思っていました。
ただし,クーナバラブランの市街地は,小さな町とはいえ街灯があって,満足に星が見えません。オーストラリアであれば,どこでも星が見られると思うかもしれませんが,街中は街灯があるし,郊外に出かけても日本のような田んぼのあぜ道があるわけでもなく車道がずっと伸びているだけなので車を停めることも難しく,あてもなく出かけても星を見る場所を見つけるのは思ったほど簡単ではありません。
このクーナバラブランには小さな空港があります。というか,ありました。詳しいことは知りませんが,以前はこの空港に発着する定期便もあったようです。今は使われていないようですが,この空港は今も存在しています。そこが星見の絶好の場所だということは知っていました。そこで,夕食後,クーナバラブランから車で10分ほど走って空港に行ってみました。今日の写真からもわかるように,オーストラリアでは夕方まで結構雲があるのに日が沈むと快晴になることが多いのです。
道路標示に従って,一般道を右折して狭い道路を走っていくと高台になってきて,その先に広い滑走路が見えました。やがて待合室のような小さな建物がありました。もちろん滑走路には入ることができませんが,空港の駐車場はオープンスペースで利用することができたので,そこに車を停めました。空港のあたりは一面のどかな草原が広がっていて,日が沈み空が暗くなっていくと,やがて満天の星空になりました。
この時期,日没後の夜空には天の川が天頂に向かってまっすぐ伸びていて見栄えがします。ただし,天頂に向かって広がっているのは冬の星座です。北半球とは違ってオリオン座がひっくり返って見えて,天頂に輝くのはりゅうこつ座のカノーブスです。そのあたりの天の川は夏の天の川とは違って冬の天の川なのでとても薄く,南の空の南十字星のあるあたりの明るい天の川は天頂に向かって貧弱になっていきます。
数日前,エアーズロックで星空を見たときの写真をブログに載せましたが,そのときはこの晩よりもう少し時間が遅かったので,日周運動で天の川がもう少し斜めに傾いています。今日の写真のように縦に伸びているほうが見栄えがします。また,昨年の秋にニュージーランドのテカポ湖で写した星空の写真もプログに載せましたが,その写真はこの晩とは逆で,天頂に向かって夏の星座が広がっていたので天の川が天頂になるにつれて濃くなっていって,この時期の天の川よりずっと豪華に見えます。
いずれの季節であっても,南半球は,日本の濁った夜空とは違って暗く,しかも,水蒸気が少ないので澄んでいて,それだけでもすごいのに,天の南極あたりには多くの明るい星々や星雲・星団,そして変化に富む天の川の姿が見れるので,いつ見てもすばらしいものです。
◇◇◇
特別編・2018秋ニュージーランド旅行LIVE④
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ④
パークス天文台から2時間あまり北に走って,クーナバラブランに来ました。クーナバラブランは口径3.9メートルのアングロオーストラリアン望遠鏡で有名なサンディングスプリング天文台のあるところで,天文愛好家にとっては聖地のような場所です。
1986年ハレー彗星が地球に接近したときはあいにく地球と彗星の位置関係が悪く,肉眼ではほどんど見ることができませんでしたが,それに加えて北半球ではさらに条件が悪く,多くの天文ファンは少しでも条件のよいところへと南半球まで見にいきました。その頃の私は仕事が忙しく,かつ,旅慣れていなかったので,南半球は今よりずっと遠いところでした。行ってみようとはまったく思いませんでし思いもよらないことでしたが,もし今なら簡単に出かけていたことでしょう。
しかし,南半球に行ったところで,はじめて出かける人には南半球のどこに行けばいいのかわかりません。そこで雑誌にはいくつかの候補が挙げられていたのですが,そのひとつがクーナバラブランだったのです。当時の雑誌などを今読み返すと,クーナバラブランについてさまざまな記事が出てきます。そんなわけで,私はクーナバラブランという地名になじみがあり,一度は行ってみたいとずっと思っていました。
昨年の3月オーストラリアに来たとき,ブリスベンから車で8時間走って,念願のクーナバラブランとサンディングスプリング天文台に行くことができました。クーナバラブランは予想以上にすてきな町だったので愛着をもちましたが,日帰りだったので,天文台に行ったくらいでそれ以上のところに行くことはできませんでした。そこで今回,ブリスベンより少しだけ近いシドニーに行った機会に,再びクーナバラブランに行ってこの町に泊ってみようと思ったのです。
私が予約したのは,クーナバラブランでもっとも評判がいいと書かれてあったモーテルでした。
このモーテルは町から少し離れたところにあって,モーテルの庭から満天の星空が見られるものだと思っていました。そういうイメージでした。しかし,懐かしいクーナバラブランの町に到着して,予約したモーテルを探すと,前回私がこの町に来たときに最初に行った観光案内所のすぐ近くの,町の中央にあったので驚きました。
フロントに入るとたくさんの星の写真がかかっていました。とてもきれいなモーテルでした。チェックインをして入った部屋にまた驚きました。その部屋はものすごく広く,また,寝転がれるほどのバスタブがありました。モーテルにはレストランもありました。このモーテルは老夫婦がふたりで切り盛りしていました。
私はこんなすばらしいモーテルにはこれまで泊ったことがありません。ただし,いくら星のきれいなクーナバラブランとはいえ,ここは町の中央にあるので天の川すら確認できず,モーテルの庭から満天の星空が見られる,という夢だけはかないませんでした。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ③
今日は余談です。
1番目の写真はオーストラリアのほとんどすべての店で使われているクレジットカードでの会計用の器械です。ヨーロッパでも同様のものを見ます。この器械は有線または無線のWifiでつながれていて,下の口にクレジットカードを挿入して4桁のZipコードを入力すれば支払いが終わります。また,近ごろは Apple Pay のような非接触媒体も使えます。
アメリカではレストランでクレジットカードを使うとき店員がカードを持っていってしまうのでスキミングされる心配があります。実際,私は被害に遭いました。しかし,オーストラリアやヨーロッパではこの器械をテーブルまで持ってきてくれるので,クレジットカードを店員に渡すこともないのでそういった心配がありません。
日本は店によって使えるポイントカードやらプリペイドカードやらが違っていたり,それでも使えるならまだましで,田舎のお蕎麦屋さんではクレジットカードを使おうとしても使えるお店はほとんどありません。交通機関でもクレジットカードが使えるような自動販売機すらありません。また,多くの人が未だに現金を使っていますが,こんな遅れた国はほかに知りません。5年後にお札のデザインが変わるそうですが,日頃から現金をほとんど使わない私は興味がないし,そもそも日本のお札は大きすぎます。
最悪なのはケンタッキーフライドチキンで,信じられれないことに,ファーストフード店でありながらクレジットカードもプリペイドカードも使えません。よって私は行きたくありません。
2番目の写真はオーストラリアのスーパーマーケットでの会計です。
この形はヨーロッパもアメリカも同様です。一時,日本でもこういう形が出てきたのですが,不評だったらしく,あっという間になくなってしまいました。そこで,日本のマーケットはレジ係の人が買い物をかごからいちいち出してバーコードの値段を読ませて,再びかごにいれるという,ものすごい負担をしているのですが,客はそれを当然と思っています。まったくもって,不便であり非合理な国です。おまけに,客がわがままです。何か気に入らないことがあると苦情ばかりです。しかも支払い方法が多岐にわたり,さらにまた,その店だけで使えるようなプリペイドカードがあったりして,いろんな店で買い物をするときにたくさんのカードが必要なので面倒です。
やたらとクレジットカードを作らせようとするのに,一定期間使わないと勝手にそれを無効にするというように,おかしな話がたくさんあります。要するに,客の利便性などどうでもよく,店の都合だけなのです。囲い込みです。
このように,ここ数年,日本だけが世界標準からどんどんとかけ離れてしまって,その結果,モノを買うのにカードを使うのも不便だし,現金を持つのも面倒だし,店員のほうは支払い方法が複雑すぎて膨大な負担がかかっているのです。たかが1ポイント(1円)のサービスのためにいちいちポイントカードをお持ちですか,と聞いて,バーコードで読み取って,などというくだらないことをやっているのですから,救いようがありません。
3番目がオーストラリアのレストランでよく見かける「水」です。お水を注文すると持ってきてくれます。これ以外の方法では,レジで注文をしたあとで,お店のどこかに水が置かれていてそれを自分で注ぐという方法もあります。
水を注文したとき,「tap water」か「mineral water」かと聞かれることがあります。「tap water」というのはただの水(水道水)であり,「mineral water」は有料の水です。しかし,日本で10年英語の勉強をしていても,日本人は「tap water」ということばすら知りません。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ②
星の美しいオーストラリアには,ブリスベンからシドニーまでの約1,000キロメートル,内陸を走るA39に沿って,多くの天文台があります。この天文台を巡るために,昨年の3月,私はブリスベンから車でクーナバラブランに行ったことがあります。このときに書いたブログは次のようでした。
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今回の旅は,昨年の6月に来たバランディーン(Ballandean)にある天文台つきのゲストハウスに5泊して,今度は夏の南半球の星空を見にきたのが目的です。しかし星を見るにはまだ月が明るい(月齢が大きい)ので,5泊滞在する前に,ゲストハウスからさらに南に行って,そこで2泊追加して,いくつかの天文台を見て回ることにしました。
ブリスベン(Brisbane)からシドニー(Sydney)まで約1,000キロメートル,内陸を走る道路A39に沿ってポールワイルド電波天文台(Paul Wild Observatory),サイデンスプリング天文台(Siding Spring Observatory),パークス天文台(CSIRO Parks Radio Telescope)といった世界的に有名な天文台が次々とあるのです。さすがにパークス天文台は遠すぎるので断念して,残りのふたつを見ることにしました。いろいろと考えたあげく,ブリスベンから約600キロメートル先のポールワイルド電波天文台のあるナラブライという町で2泊して,その先のクーナバラブランにあるサイデンスプリング天文台へは2日目に日帰り旅行をしようということにしました。
・・・・・・
エアーズロックの帰り,せっかくシドニーに来たので,そのときに行くことができなかったパークス天文台に行って,さらに,そのときに気に入ったクーナバラブランに2泊しようと思いました。
朝,ホテルの近くにあったコンビニでヨーグルトと菓子パンを買ってきて簡単な朝食をとり,チェックアウトをして出発しました。
まず目指すのはパークス天文台です。
シドニーからクーナバラブランは直接行けば車で5時間ほどですが,クーナバラブランよりも南にあるパークスを経由するとパークスまで5時間,パークスからクーナバラブランまで2時間と,合計7時間ほどの距離になります。
シドニーの高速道路を通り,やがて,片側1車線でありながら制限速度110キロメートルのオーストラリアの典型的な郊外の道路を走っていくと,パークスの町が見えてきました。パークスは思ったよりも大きな,そして美しい町で,天文台は町から北に行ったところにありました。
パークス天文台(Parkes Observatory)は口径64メートルの電波望遠鏡を核とする電波天文台です。南半球ではキャンベラ深宇宙通信施設の口径70メートルに次ぐもので,現在知られているパルサーの半分以上がこの電波望遠鏡で発見されています。 また,NASAと提携してガリレオやカッシーニなど多くの惑星探査機の追跡や通信を担当していますが,アポロ11号の月面着陸の際にテレビ中継の映像を受信したことで有名です。
駐車場に車を停めて,ビジターセンターに向かいました。電波天文台ではスマホなどは機内モードにしなければなりません。予想以上に豪華なビジターセンターがありました。
電波望遠鏡も古びているのかな,と思っていたのですが,さにあらず,常に整備された様子が伺われるもので,とても美しく感動しました。これまで私は日本や海外の多くの天文台を見学しているのですが,どこも日本とは違って立派なビジターセンターがあります。こうしたものを見ても,日本の国力の衰退を実感します。
ここにはまた,レストランも併設されていたので,私は,ここで昼食をとりました。
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特別編・2018春オーストラリア旅行LIVE⑤
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVEⅡ①
オーストラリアの大都会シドニーに到着しました。これから今回のオーストラリア旅行の第二部のはじまりです。
ツアー旅行なら,シドニー観光,となるのでしょうが,私は日本も海外も大都会にはさほど興味はありません。その都会にしかない見どころ,以外には,今や,世界中どこも同じようなチェーン店があって,同じものが売られえているだけです。私が目指すのはシドニーから車で5時間ほど内陸部にいったクーナバラブランという町です。
まず,空港でレンタカーを借りました。エアーズロックでは走る距離が短いので小型車を借りたのですが,今度は長距離を走るのでSUVにしました。借りた車は三菱の,なんと正真正銘新車でした。新車の匂いがしました。
書き忘れていたことを今思い出したのですが,オーストラリアのレンタカーは州によってシステムが違っていて,エアーズロックのあるノーザンテリトリーでは,レンタカーで走ることのできる距離に制限がありますが,シドニーのあるニューサウスウェールズは無制限です。ただし,私はハーツのゴールドプラスリワードなので,ノーザンテリトリーでも無制限だと言われました。
明日の朝出発することにして,この日は空港の近くのホテルに1泊することにしました。
シドニー,私は38年ぶりです。ずいぶん変わったよ,と聞きましたが,38年も経てばまったく違った都会になっていることでしょう。実は,昨年の秋にもシドニーの空港には来ました。ブログにも書きましたが,ニュージーランドに行った帰りにトランジットでシドニーを経由しました。ニュージーランドから日本に帰るトランジットならシドニーよりもブリスベンのほうが便利だと思うのですが,私自身,どうしてシドニー経由で帰ったのか,自分でもよくわかりません。どこを経由するのかなんて気にせずにフライトを予約したら,行きはブリスベン経由だったのに帰りはシドニー経由でした。
いずれにしても,アメリカと違って,オーストラリアはいい意味でも悪い意味でも洗練されていないのです。たとえば日本からオーストラリアに行くときも,どこで乗ってどの空港で降りればいいか,あるいは乗り換えれば合理的か,ということが定かでないのです。だから,今回,エアーズロックに行ったときのように,別の航空会社に乗り換える必要があったりするわけです。
私はシドニーのような大きな空港よりもブリスベンのような小さな空港のほうが楽なので,あえてシドニーに行こうとも思わなかったのですが,今回,エアーズロックからの帰りのフライトはシドニー乗り換えが一番便利だったので,そうしたわけで,せっかくシドニーに行くのなら,ということで,トランジットをするだけでなく,シドニーで降りて,旅の第2弾として,クーナバラブランに寄ることにしたのです。
思った以上に立派なホテルは,エクスペディアのポイントが大量にあったので,宿泊代は0円でした。
このホテルは空港まで徒歩10分ほどの場所だったのですが,歩くとなると,歩道がうまくつながっていなくて少し迷います。どの国も車優先で,歩行者のことなど考えて道路が作られていないのです。
ホテルの1階にレストランがあったので,この晩はそこで夕食をとりました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑱
夕食を終えて部屋に戻りました。こちらに到着してから,雨こそ降らなかったものの,いつも曇っていて,満足な星空を見ることができませんでした。到着した日は満月で,もともと星空を見るつもりはなかったのですが,もしできればエアーズロックを入れた天の川の写真でも写せたのなら最高だなあ,と思っていたので,それだけが心残りでした。この晩も天気予報は芳しくありませんでした。しかし,部屋から出て空を見あげると晴れ上がっていました。エアーズロックはゲートがあって,夜8時過ぎに入ることはできないので,エアーズロックを入れた写真をうつすのはあきらめて,それでもせっかく来たのだから,エアーズロックリゾートから少しドライブして,街灯のないところまで行ってみることにしました。
このところ,何度も南半球の星空を見る機会があったので,すっかり見慣れた星空であっても,いつ見てもすばらしい南十字星やマゼラン雲を,ここでもまた見ることができました。
翌日,この日はエアーズロック空港から離陸してシドニーまで行きます。出発まで時間があったので,エアーズロックリゾートの中にある広場に行ってみました。この広場の中央部が高台になっていて,そこからはエアーズロックもオルガ岩群も見ることができました。昨晩そのことを知っていれば,ここで星空の写真を写したのにと,ちょっぴり後悔しました。
空港へ向かう途中でガソリンを入れました。レンタカーは満タン返しです。
ガソリンスタンドに巨大なトラックが停まっていました。ガソリンを運んできたものです。オーストラリアでは長距離トラックは2両連結になっていて,これをトレイントラックとよびます。これだけ広大な大地を走るのだから,運輸は大変です。アメリカとは人口が決定的に違うので無理もありません。飛行機から眺めたオーストラリアは,人も,当然車も,そして家の1軒もない大地が延々と続いていていただけです。こんな大地を走ってくるドライバーの人に思わず「すごいですね!」と声をあげてしまいました。
行きは,期せずしてアリススプリングスを経由することになってしまいましたが,そのために,アリススプリングスからエアーズロックに向かう途中で,今回の旅で行くことのできなかったキングス・キャノンを眼下に見ることができました。帰りはシドニーに向かうので,また違った景色が見られるのでしょうか。
エアーズロック空港には早く着きすぎて,しばらく待合所でぼっとしていました。とにかく何もない空港でした。
やがてチェックインの時間が来て,チケットを手に入れてセキュリティを通ると,中には軽食が食べられるフードコートと土産物店がありました。
やがて搭乗,3時間でシドニーです。
エアーズロックへの旅はこうして終わりました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑰
これで今回のエアーズロックの旅は終わりです。夕方まで休んで,明日は帰国するだけです。オーストラリアにはこのところ何度も来ているのですが,その目的は星を見ることだったので,まさかエアーズロックに来ることがあるなどとは夢にも思っていませんでした。そもそもエアーズロックがどこにあるのかさえ知りませんでした。それが,エアーズロックを見るだけでなく,登頂することもできたのですから,自分でも信じられない3日間でした。
夕方,特にすることもなかったので,再びエアーズロックが沈んでいく太陽に照らされて赤く輝く姿を見にいくことにしました。おとといの夕方,到着したばかりのときに見にいった場所に再び向かいました。この日もまたその時と同じように,多くの観光客が集まっていました。赤く輝くのは日没後だと知ったので,今回は余裕をもって行きました。
何事もはじめのときのときめきは2回目となるとまったく薄れてしまいます。そしてまた,はじめてのときの印象が強ければ強いほど,再び同じことを行ってもがっかりすることのほうが多いのです。この日もまた,エアーズロックの夕暮れの風景は,前回見たときに比べて期待外れでした。まったく赤く輝くこともありませんでした。そしてはじめて,前回見ることのできた赤く美しく輝いた姿を見ることができたのはかなり運がよかったということを知るのです。
エアーズロックリゾートに戻って,夕食をとることにしました。
今回は,到着した日の午後,食事をとろうと訪れて,ランチには遅くディナーには早すぎて食事をすることができなかったレストランに行きました。このレストランは,真ん中にビッフェ形式のサラダバーがあって,サラダと食後のデザートは食べ放題となっていて,メインディッシュのみを注文する形式でした。日本で「バイキング」という食べ放題形式は英語では「ビッフェ」というのですが,バイキングというのは日本のあるホテルが客寄せではじめたときに名付けた和製英語です。
私はTボーンステーキを注文しました。
オーストラリアは物価が高いという話がありますが,実際のところ,高くありません。というよりも,オーストラリアドルは変動が大きくて,現在は1オーストラリアドルは80円ほどとかなり安いので,30ドルの食事は2,400円ほどになります。さらに,オーストラリアではチップが不要なので,まったく高いというイメージはありません。
オーストラリアドルとかニュージーランドドルというのは日本円と交換するとかなりの手数料がかかるので,レートが1オーストラリアドル80円であっても88円ほどになります。しかし,クレジットカードで支払えば80円くらいのレートなので,現金で支払うのはかなり愚かなやり方です。何でも現金という日本人は海外旅行でもこうして大損をしていることになります。
レストランで食事をしていると,日本人団体ツアー客が添乗員に連れられて大勢入ってきました。私の年齢ほどの人たちがほとんどでした。彼らはレストランの一角に集められて食事をしていました。ちらりと見ると,食べ放題のサラダとデザートに加えて,メニューにはない特別の食事をしていました。それはハンバーグにポテトというものでした。
この御一行様とは明日のシドニーまでの飛行機でも一緒になりました。ネットで調べてみるとJTBの主催する「旅物語」という商品で,料金が約40万円でエアーズロックとシドニー観光をするというものでした。夫婦で参加すると,現地での買い物を含めて約100万円也ということになるのでしょう。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑯
「風の谷」という名前が宮崎アニメの「風の谷のナウシカ」と同じなので,このアニメの舞台では? という噂があるのだそうですが,それは単なる都市伝説だそうです。
この7キロメートルにも及ぶトレイルにはカル展望台とカリンガナ展望地があって,カル展望台の先にトレイルが分かれ,一周するようになっていて,右から半時計周りにしばらく歩くと次のカリンガナ展望地に到着します。このカリンガナ展望地までは駐車場から約3キロメートルです。
カリンガナ展望地は「地球の歩き方」に,
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両側にそびえる巨石の間を風が吹き向け,その向こうに広がる大地,そして遠くにもオルガ岩群の他の岩々が点在し,まるで地球の光景とは思えない景色に感動を覚える
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とあったので,大いに期待しました。
実際,この展望地から先にそうした光景が広がっていましたが,私は,先に書いたように,アメリカのアーチーズ国立公園に比べたらそれほどでもないなあ,と思ったというのが正直なところでした。おそらくそれは歳をとって感動がなくなったというのが一番の原因なのでしょう。困ったものです。
この展望地に着くと,3人組の若い女性が休憩をしていました。彼女たちは何度もここに来ているようでした。そして,この先あと半分だよ,と言って励ましてくれました。
この先は単にトレイルを歩くだけでそれほどの見どころのなさそうだったので,ここで引き換えずつもりだったのですが,そんなことを言われてしまうと,先に進むしかなくなりました。そこで,この先は,彼女たちに追われ追いつかれながら,最後までトレイルを歩くことになってしまいました。
トレイルは実際,この展望地からは大きく坂を下っていって,オルガ岩群の間を縫うようにして進みましたが,それほど展望がよい場所はありませんでした。
カリンガナ展望地からの光景とその先のトレイルの様子については,写真を掲載することは禁止されているということなので,このブログにも載せることができません。今日の写真は,カリンガナ展望地までのトレイルの様子で,カリンガナ展望地とその先の写真はありません。
3時間ほどでトレイルを一周して,宿泊先であるエアーズロックリゾートに戻りました。
この日のお昼は,泊まっていた部屋に近い場所にあったフードコートにしました。この場所は夜になるとバーベキュー会場となって,ここに宿泊する団体観光客の夕食会場として使われる場所のようでした。
午後は暑いので休憩することにしました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑮
昨晩は夕日に赤く輝くオルガ岩群を見ました。コバエには悩まされましたが,美しく赤く輝く岩群をみることができました。その翌日の朝,今度は朝日に輝くオルガ岩群を見に行きました。昨日同様にマーケットで買ったパンで簡単な朝食を済ませて部屋を出ました。
オルガ岩群の場合,夕日に輝く岩群を見る場所と朝日に輝く岩群を見る展望台のある場所はずいぶん離れていました。朝日を見る展望台は岩群からはかなり遠い場所にあって,エアーズロックリゾートから行くとこちらのほうがずいぶんと近い場所です。そこで,岩群は夕日に比べると遠くになって小さいのですが,この場所は大平原の真ん中にあるので,展望台からは遠くにエアーズロックも見ることができました。つまり,オルガ岩群とエアーズロックの両方をみることができる展望台でした。
やがて日の出が近づくと,夕日のときとは違ってツアー客も含めて多くの観光客がバスでやってきたので,展望台は人でいっぱいになりました。日本から来た人も大勢いました。展望台は駐車場に車を停めてから少し歩いた高台を登ったところにありました。
私ははじめオルガ岩群を見ていました。しかし,さほど朝日に照らされても美しくならず,単に夜が白んでいくだけだったので,期待外れでがっかりしたのですが,右手に目を転じると遠くにポツンとエアーズロックが見えました。方角を調べてみると,ちょうどエアーズロックの見える場所が真東で,この時期は太陽が昇ってくるのもちょうど真東なので,ひょっとしたらエアーズロックと日の出がコラボ! つまり間近に見られるのかな,と期待しました。
やがて日の出。なんと,間近どころか,エアーズロックの後ろから太陽が昇ってくるではありませんか。それには驚きました。少し雲があって残念でしたが,それでも,エアーズロックのちょうど真後ろから太陽が昇るという偶然に感動しました。
そんなわけで,私はオルガ岩群の太陽に輝く姿などまったく眼中から消え去って,エアーズロックを凝視することになりました。実際,オルガ岩群のほうはまったくの期待外れでしたが,エアーズロックから立ち上る朝日の輝きはこの世のものとも思えない美しさでした。そしてまた,エアーズロックと同様,オルガ岩群も,赤く輝くのは朝日よりも夕日のほうがずっときれいでした。
そのあと,昨日行くことができなかった風の谷に行くことにしました。
風の谷は昨日行ったワルパ渓谷へ行く道の途中で左折して,さらに進んだところに駐車場があって,そこに車を停めて,トレイルを歩きます。
オルガ岩群はエアーズロックとは違って登ることはできませんが,オルガ岩群を縫うようにして7キロメートルもの道を歩くトレイルがあるのです。このトレイルは結構上り下りがあり,しかも,7キロメートルもの道のりなので,3時間ほどかかるようでした。
まず,はじめのみどころであるカル展望台を目指します。はじめのうちトレイルは整備されていて,このままこんな舗装された歩道が続いているのかな,と思ったのですが,それははじめさだけでした。その後は結構な登り坂で,かなり大変なのですが,それでも多くの人が歩いています。カル展望台は巨大な岩山向こうに広大な大地が続いているという絶景が見える場所なので,とりあえず,ほとんどの人はこの展望台をめざしているのです。エアーズロックとは違って,風の谷のトレイルには砂漠性の植物やらユーカリの木もありました。
カル展望台を過ぎると,トレイルは分かれ道になって,ここからが周遊道路です。どちらへ進んでも一周して同じ場所に戻ってきます。この先は条件が悪いと閉鎖されているという話だったので期待? したのですが,残念ながら? この日は閉鎖されておらず進むことができました。
私は半時計まわりに一周することにして先に進みました。このほうが,このトレイルで最も見どころといわれるカリンガ展望台が近かったからです。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑭
夕食を終えて,再びオルガ岩群に向かいました。野焼きで閉鎖されていた道路は開通していましたが,ほとんど通る車もなく,エアーズロックの夕日と違って,どれだけの人が見に来るのかなと思いました。
オーストラリアに来るまえから,エアーズロックはコバエだらけ,とは聞いていましたが,それほど実感はありませんでした。しかし,実際に来てみるとコバエは尋常な数ではありませんでした。私はこのころになってやっとその事態を悟り,ついにハエ除けネットを買うことにしました。ハエ除けネットは頭からかぶるもので,エアーズロックリゾートの売店にはどこでも売っていましたが,値段は1,000円以上もしました。日本でもホームセンターなどで虫よけとして売られていますが,これなくして夏のエアーズロック観光などできるものではありません。
コバエはどうやら黒い服にまとわりつくようで,本人は知らねど,黒い服を着た人の背中に大量に群がっています。そういうわけで,私を含めて,今日の写真にあるように,多くの人がこのバエ除けネットを被っているのですが,それを被っていてもあくまでコバエが顔にたからないというだけのことで,耳の周りにまとわりついてブンブンとうざったいということに変わりはありません。日本の蚊のように刺さないということだけが救いでしょうが,ネットを被っていないと口に入ってきます。
オルガ岩群が夕日に反射して赤く輝くポイントに向かう途中,太陽の光が雲の間から美しく見えました。この日は昨日以上に雲が多く,こんな状況で期待する真っ赤な岩が見られるかどうかかなり疑問に思いましたが,あyはり行ってみるくしかありません。
オルガ岩群が夕日に輝いて見えるという展望台は,お昼間に行ったワルバ渓谷に向かう途中にあります。到着するとまだわずか数台車が停まっているだけでした。私も車を停めて,一番よく岩群が見えそうな場所まで歩いていきました。もちろんコバエは常にまとわりついています。
やがて,日が暮れてくると,だんだんと人が増えてきましたが,それでもそれほど多くの人が集まってきたわけではありませんでした。
帰国してから調べてみると,エアーズロック観光は冬,つまり,日本の夏である8月が最適で,その時期ならコバエはおらず,しかも気温も高くありません。その時期に日本からの観光客を乗せた大型バスがこのオルガ岩群にも群れている様子がいろんなブログに載っています。
昨年の秋に行ったニュージーランドのミルフォードサウンドはシーズンが11月で,私が行ったのはそれより1か月早かったのでほとんど日本人観光客はいませんでしたが,そこもやはりシーズンは日本からの団体ツアーで群がるそうです。このように,昔より団体ツアーでの海外旅行は少なくなったとはいえ,まだまだ個人で行くことが不便なところには日本人の団体ツアー客がたくさん存在するようです。
やがて日没となりました。
エアーズロックのときも同じですが,赤く輝くのは日が沈んでからです。日没後,オルガ岩群も期待通り赤く輝きはじめました。雲が多かったので心配しましたが,なかなかいい風景でした。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑬
暑さとコバエの大群に参ってしまって,この日は風の谷に行くのをあきらめました。予定変更です。そもそもそんな暑い時期のお昼間に観光をしようとすること自体に無理があるのです。そんなこんなで,明日早朝にホテルを出て3時間ドライブしてキングスキャニオンに行くのをあきらめて,明日の早朝に風の谷に行くことにしました。
オルガ岩群にもまた,夕日と朝日を見る展望台があって,太陽に岩群が照らされて赤く輝く様は絶品のようでした。しかし,日没にはまだ何時間もあるので,一旦ホテルに戻って早めに夕食を済ませてから再びオルガ岩群に来ることにしました。
オルガ岩群からエアーズロックリゾートへ向かう道からはエアーズロックが見えていました。エアーズロックは太陽からの光を受けている側だけが黄色く輝いていて,光を受けていない側が黒く,動物のバクのような感じでとても奇妙でした。道路の向きが変わると,それにつれてエアーズロックの模様も変化していきます。エアーズロックにはまったく草木がなく,一枚の岩盤は太陽の光によってさまざまな色彩を放つのです。
惑星にむかう衛星が写した写真を見る機会がありますが,木星や土星の色というものもまた同じようなもので,暗黒の宇宙で実際どんな色をしているのかというのは本当のところわかりません。コンピュータグラフィックでそれらしい色をつけているだけです。それと同じようなものかもしれません。
それよりももっと驚いたのは,エアーズロック周辺の野焼きでした。この野焼きは飛行機の中からも見えました。私ははじめエアーズロックリゾートから出ているものだと思っていたのですが,そうではなく,エアーズロック周辺を野焼きしているのでした。それはアボリジニのアナング族の教えで,火事防止と草木の成長促進のためということらしいのですが,確かに,山火事があっては大変です。むしろ,家事を起こして人間がそれを制御してしまうほうが安全なのかもしれません。それにしてもその規模の広大なことといえばあたり一面が灰色になるくらいですし,夜になれば,煌々と明るくなります。
時にはそのために道路が閉鎖されることもあって,私がエアーズロックリゾートに戻るときには,オルガ岩群に向かう方は閉鎖されていて,困っている車を見かけました。
野焼きはほったらかしにしてあるわけではなく,それを監視したり消すためのトラックがいて,それを制御していました。風向きのためにエアーズロックリゾートに煙がくることはなかったのですが,いつも大丈夫なのかなと心配になりました。
エアーズロックリゾートにはいくつかのレストランがあって,せっかく来たのだから,順番に別のレストランに行くことにしました。昨日はまともな食事もできなかったので,この日はまだ早かったけれど,豪華な食事をすることにしてアンガスステーキを所望しました。オーストラリアといえばオージービーフです。
アメリカでもそうですが,いつもビーフを食べているかのように思う人もいるかもしれませんが,手っ取り早い食事はハンバーガーとかサンドウィッチです。こうしたものは日本人の思うマクドナルドハンバーガーのようなものとはまったく違っていて,量も多く野菜も豊富なので,ちゃんとした夕食となります。
それに対してステーキといいうのは贅沢品という位置づけです。アメリカに「いきなりステーキ」という日本のチェーン店が進出したのですが,苦戦しています。それは,アメリカ人にとってステーキというのはあのようなものではないということが最大の理由です。アメリカ人がアメリカで寿司チェーンをはじめて流行ったからといってそれを日本に上陸させても集客が望めないのと同じようなものでしょう。日本は今や世界標準から孤立したガラパゴズ国家となってしまっているのに,多くの日本人はそれを認識していないと,私は海外に出かけるたびに思います。
このレストランのウェイターさんがとても感じのよい人だったので,ひとつあった疑問を聞いてみました。それは,エアーズロックリゾートで働いている人たちはどこに住んでいるのかということでした。そもそも,エアーズロックから最も近い町がアリススプリングスなので,毎日通うことなどできません。途中に人が住んでいる場所もまったくありません。
答えは,エアーズロックリゾートの一角に従業員さんたちが暮らしている町があるということでした。約1,000人が暮らしているということです。そこで行ってみました。エアーズロックリゾートに警察署があって,その横の道を入っていくとありました。中には普通の住居やアパート,さらには学校も存在しました。
オーストラリアではエアーズロックというはかなり大きな観光資源なのだと思いました。ハワイのリゾートも同様ですが,ここもまた,アボリジニ文化との共存など,観光客にはわからない多くの複雑な問題を抱えている場所だと感じました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑫
オルガ岩群に向かいました。オルガ岩群はオルガ山(Mount Olga)とよばれる約22平方キロメートルに広がるいくつもの岩山(礫岩)で,高さは海抜1,066メートル,地表からの高さは546メートルです。アボリジニの人たちはカタジュタ(Kata Tjuta)とよんでいますが,これは「多くの頭」という意味です。オルガという名前はヨーロッパ探検家アーネスト・ジャイルズ(Ernest Giles)がキングス・キャニオンを登頂した際にそこからカタジュタを見つけ,ドイツのヴュルテンべルク王妃オルガにちなんで名づけたものです。
ここもまたアボリジニの聖地のひとつで,特に夜間に多くの儀式が行われます。この儀式は過去には罰を与える場であり,時には死に至るほどの重い罰が与えられることもあったといいます。オルガ山の頂上にはワナンビと呼ばれる蛇が住んでいて,乾期にのみ下山するという伝説があります。
車でオルガ岩群に向かうと,はじめは小さかったこの岩山がどんどん大きく迫ってきました。ここは登ることはできませんが,ふたつのトレイルがあります。そのひとつはワルパ渓谷(Waipa Gorge)で,もうひとつが風の谷(Valley of the Winds)とよばれるものです。このふたつをこの日の午後に歩こうというわけでした。
まず,2キロメートルと距離の短いワルパ渓谷からです。駐車場には車が数台停まっていて歩いている人がいました。マウントオルガに沿ってできた渓谷を歩いていきます。ここはエアーズロック以上にコバエが多く,歩いていても本当にいやになってきました。
トレイルの両側にそそり立つドーム形の巨石に圧倒されると「地球の歩き方」には書かれてありましたが,別段それほど大したこともありませんでした。私は歩いていて,こことよく似たところに行ったことがあると思いました。それはアメリカのユタ州にあるアーチーズ国立公園でした。どちらがと言われれば,圧倒的にアーチーズ国立公園のほうがすばらしいです。
暑いし,コバエは多いし,私が着いたときに先に歩いていた人たちが去ってからは,ほかにだれもいなくなりました。そもそも,こんな時期にお昼間に観光をしていること自体無理があります。さらに,早朝からエアーズロックを登頂して,さらに午後,また別のトレイルを歩くというのは無謀だと悟りました。
このあと風の谷に行こうと考えていましたが,それは限界だと思いました。ということで,この日は風の谷に行くことはあきらめ,ホテルに戻ることにしました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑪
到着するまで大変だったのですが,到着してからはきわめて順調で,まだ1泊しただけだったのに,すでに夕暮れの赤く輝くエアーズロックを見ることもできたし,曲がりなりにも夜明けのエアーズロックも見たし,さらにエアーズロックに登頂することもできてしまいました。もう望みもかなったのでこれで帰国してもいいなあ,とさえ思いましたが,まだ,午前10時過ぎなのです。
エアーズロックの外周道路の入口のロータリーのあたりにカルチュラルセンター(Cultural Centre)がありました。アメリカの国立公園のビジターセンターのようなところでした。そこで駐車場に車を停めて中に入りました。ここにはアボリジニの人たちの生活様式や文化を紹介する展示がありましたが,館内の撮影は禁止でした。
こうして世界の様々なところを旅していると,いわゆる文明社会といわれる先進的な科学技術を手に入れ優位に立った民族が世界に乗り出して,従来住んでいた人たちを服従させたり侵略をした人間の愚かな歴史と直面することになります。先進的な科学技術は,人間を幸福にするために使われるのならいいのですが,その反対に人間を不幸にしていったわけです。そしてまた同時に自然も破壊していったわけです。およそどの国にもそうした歴史を抱えていて,日本も例外ではありません。そしてまた,外国に出かけても,そうした現実をまったく知らずに観光をしていることが少なくありません。私はなんとか少しでもそうしたことを知ろうと博物館などにも足を運ぶのですが,ではそれを知って何ができるのか,といわれると辛い限りです。
このカルチュラルセンターにはレストランもありました。エアーズロックリゾートにあるレストランは豪華なものばかりだったので,こうした一般向きのレストランは助かります。朝食セットがあったので,少し遅めの,かつ,少し早めの昼食を兼ねて食事をすることにしました。
もうこの時間は外の気温は35度を超えていたので,クーラーの利いた室内は快適でした。そしてまた,この高温はコバエにとって快適らしく,外に出るとブンブン飛び回るコバエの大群が顔にまとわりついてかなりうっとおしくいやになりました。
さて,このあとどうしようかと考えました。
エアーズロックリゾートには3泊するので,観光ができるのはこの日の午後と翌日,そして,最終日の午前です。日本で有名なのはエアーズロックだけですが,ここはウルル・カタジュタ国立公園といい,ウルル,つまり,エアーズロックとエアーズロックから40キロメートルほど離れたところにあるカタジュタ(Kata Tjuta),つまり,オルガ岩群(The Olgas)という巨石群が対になっています。それ以外に,さらに300キロメートルほど離れたところにあるワタルカ国立公園(Watarrka)にキングスキャニオン(Kings Canyon)という大渓谷があります。
今日の午後と最終日の午前にエアーズロックとオルガ岩群を観光して,明日の早朝にキングスキャニオンまで遠出する,ということもできそうでした。そこで,今日の午後はオルガ岩群へ出かけることにしました。
エアーズロックは登頂のほかに,ベースウォークという9キロメートルの外周トレイルがあって3時間程度で歩くことできるそうですが,このトレイルでの見どころはマラウォーク(Mala Walk)とクニヤウォーク(Kuniya Walk)のふたつで,これを見れば十分ということだったので,オルガ岩群へ行く前に,マラウォークとクニヤウォークを歩くことにしました。
マラウォークはエアーズロックの登頂口と同じ場所から出発します。正面にあるのが登頂口で左手に折れてトレイルを500メートルほど歩くのがマラウォークでした。団体ツアーバスが登頂口の駐車場に車を停めるのは,エアーズロックの登頂のためではなく,マラウォークを歩くためなのです。
歩きはじめるとまず洞窟がありました。洞窟内にはアボリジニの壁画が残っています。アボリジニの人たちはこうした洞窟に住んでいたということで,洞窟ごとにその役割が決まっていたそうです。その先に,雨が降ると滝になるという岩肌がありましたが,エアーズロックにも雨が降るということに驚きました。やがてカンジュ渓谷(Kantju Gorge)という池に着きました。
次に行ったのがクニヤウォークでした。ここは毒蛇男に甥を殺されたニシキヘビ女のクニヤがその復讐をした場所で,ここにマギースプリングス(Maggie Springs)という泉があって,ここに亡くなった甥が祀られているのだそうです。こんな場所に水をたたえた池があるのにびっくりしました。また,このあたりの岩肌には自然が作ったハート型の痕跡もありました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑩
頂上から見えるのは360度地平線で,ただ1か所,オルガ岩群だけがその風景に変化を与えます。そして,さらにはるか遠くにマウントコナーがちょっぴり浮かび上がっています。
さて,今度は下山です。
登るときにこの道を下るのはもっと大変だなあと思ったのですが,それほどでもありませんでした。私が山頂に着いたあとでもまだ登ってくる人がいました。おそらくツアーで来たと思われる日本人のふたり組の若い女性がいましたが,山頂まで行って引き返すだけの時間があるか微妙そうでした。そのうちにやがて暑さで登頂が禁止になったらしく,だれも登ってこなくなりました。
ということで,今日の写真は前回と同じように思えますが,前回は登るときに写した写真で,今日は下山をするときに写したものです。
エアーズロックを含む周辺はオーストラリアの先住民アボリジニ(Aborigine)の人たちの神聖な場所です。
アボリジニという言葉自体に差別的な響きがあるようで,近年ではアボリジナル,アボリジナル・ピープル,アボリジナル・オーストラリアンといったよび名が使われるようです。エアーズロックはウルル・カタジュダ国立公園(Uluru-Kata Tjuta National Park)にあって,1987年に国立公園に登録されると同時に世界自然遺産に認定されました。その後,古代のアボリジニの人たちの生活様式や儀式の痕跡が数多く残っていることから文化的側面が認められ,1994年に世界文化遺産へと拡大登録されました。
エアーズロックの本来の名称はウルル。これはアボリジニの人たちに伝わるピチャンチャチャラ語(Pitjantjatjara dialect)で,岩山を表す単なる固有名詞であって「特に意味はない」らしいのですが,防御とか長い眠りを意味するという説もあるようです。エアーズロックの名前は1873年にイギリスの探検家ウィリアム・ゴス(William Christie Gosse) がその存在を発見,当時の南オーストラリア植民地の首相であったヘンリー・エアーズ(Sir Henry Ayers)の名前にちなんでつけられたもので,エアーは「Air=空気」ではなく人の名の「Ayer」です。
数万年もの太古よりオーストラリア大陸で生活してきたアボリジニの人たちは,18世紀オーストラリアに到達したヨーロッパ人たちによって大量虐殺に遭いました。
1788年,初代総督アーサー・フィリップが率いる海兵隊が流刑者とともにオーストラリアに上陸し,アボリジニの存在を知ると「彼らはオーストラリアの定住者」ではないとし,自分たちの土地を不法に占拠していると迫害していきました。さらに,入植者たちのスポーツハンティングの対象とまでされたのです。
エアーズロックはアボリジニの人たちにとっては聖地であり,エアーズロックは特別な儀式以外では登ってはいけないことになっているので,観光客が気軽な気持ちで登ることに対しては抵抗があります。こうした背景から,アボリジニの祭事が行われる際には登山は禁止となり,宗教的な理由から写真撮影が禁止されている場所も多くあります。
1967年,アボリジニに市民権が認められるようになると権利が回復され,1993年にはもともとのアボリジニ居住地域の所有権が認められました。これによってエアーズロックはアボリジニによる団体が所有権をもつことになったのですが,このオーストラリアの重要な観光地を継続させるために,1985年から2084年までの間,一帯の土地はオーストラリア国立公園に貸し出す形となっています。
エアーズロックはひとつの巨大な一枚岩です。山に岩があるのではなくて山そのものが大きな石ころで,地上に顔を出しているのはほんの一部,もう一か所顔をだしているのがオルガ岩群なのです。エアーズロックは高さは約350メートルで東京タワーよりも高く,横幅は約3,400メートルもあります。
実はエアーズロックは世界で2番目に大きい一枚岩で1番ではありません。世界最大の一枚岩はオーストラリア大陸の西側にあるマウント・オーガスタスなにのです。マウント・オーガスタスの高さは858メートルでエアーズロックの約2.5倍もあり,麓から頂上まで登ると約6時間かかるそうです。マウントオーガスタに行こうとすればパースの北のカナーボンという町から自動車で4時間,デコボコの悪路を走ることになるそうです。エアーズロック以上にアクセスが大変です。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑨
エアーズロックに登ることができるということすら知らなかったのですが,数年前,将来エアーズロックに登ることができなくなるというニュースで,逆に登ることができるということを知りました。それでも,私はあんなところに登る気もなく,この旅を計画していたときにはすでに登るのは禁止されたものだとばかり思いこんでいました。
そんなわけで,私はエアーズロックを見にいこうとは思ってもまさか登るなどということは考えてもいなかったのです。それが旅に出かける数か月前に,登頂ができなくなるのは2019年10月26日からで,まだ登頂は禁止されていないということを知って,登れるんだと思いました。しかし,登頂が禁止されていないといっても,いろんな条件で登ることができない日のほうが多いということだったので,本当に登ることができるとは思えませんでした。
せっかく来たのだからと,ともかく登頂口に行ってみました。
聞いた話では,ここ10日くらいは条件が悪く登頂禁止だったそうです。その条件というのは,雨が降ったり前日に降ったりしたときは岩が滑るから禁止,風が強いときは禁止,35度を越す暑いときは禁止,さらに,アボリジニの人たちの儀式がある日は禁止,というもので,ネットで調べたところでは,年間で登ることができるのはわずか60日程度なのだそうです。
そんなエアーズロックの登頂なのですが,それでもぜひ登りたいという人向けのツアー旅行があるそうで,そのツアーでは登るチャンスが3回用意されていると書かれてありました。そんなツアーに参加して,それでも登頂できなかったらショックでしょうが,これでは登れない可能性のほうが高そうです。登れる確率はオーロラ以下です。
私は「モッテいる」人間なので,これまでも数多い幸運に恵まれて,オーロラは何度も見たし,皆既日食も2回見にいって2回とも見ることができたし,たまたまメジャーリーグを見にいっても偶然日本人投手が登板するということが少なくなかったのですが,さすがにこのエアーズロックには登れると思ってもいませんでした。
日の出を見終えて,そのままエアーズロックの登頂口に向かいました。
エアーズロックに登頂する道のある入口は一か所だけで,そこがどこなのかは昨日下見がしてありました。午前7時,まだ気温は30度程度でした。駐車場に着くと,すでにほぼ一杯の車が停まっていたので,ひょっとしたら登頂できるのでは? という希望が起きました。駐車スペースをやっとみつけて車を停め,登頂口を見ると,登っているではないですか! 本当にびっくりしました。こうなれば私も登るしかありません。
服装はそれほど大仰なものでなくてもいいのですが,忘れてならないのはとにかく水,そして日焼けしないように帽子や日焼け止めクリームです。コバエは地上付近にはたくさんいても,さすがにエアーズロックの上にはいません。
さあ,必要最小限の荷物を持って出発です。
オーストラリアの国立公園の多くは単なる岩山で,私は以前,別のよく似た岩山に登ったことがあるからそれと同じようなものだろうと思っていましたが,さにあらず,比べものにならない非常に険しいものでした。山頂までの距離のはじめの半分はかなりの急坂で,登頂コースには鎖がつながれていてこれを支えに登ります。手を離せば墜落します。これが非常に辛いものでした。途中で断念して下山するおばさんがいました。せっかく登ることができる日に来たというのにそれはそれで残念なことです。登山というのはあきらめるという決断も大切ですが,人にはそれが難しいのです。
ようやく鎖のある急坂を登りきると,それで距離にするとコースの半分,高さにすると3分の2が過ぎたのだそうです。その後は比較的なだらかで,白い破線が引かれたところに沿って歩きます。時折かなり急な場所があって,そこを過ぎるのに苦労しながら奮闘すること1時間,なんとか登頂することができました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑧
到着2日目,旅の3日目の朝になりました。
1日目の夜は機内泊でした。オーストラリアは日付変更線を越えないので,1日目の夜に日本を出発するとオーストラリアの到着が翌日になります。日付変更線を越えるアメリカだと同じ日に到着することになります。蛇足ですが,通常,帰りはオーストラリアを朝出発してその日のうちに日本に帰るので,アメリカへ行くときのように「4泊6日」という感じになります。ただし,帰りにオーストラリアを夜出発すると日本の到着が翌日になって,その場合は,たとえば「4泊7日」で残りの2泊は機内,ということもあり得ます。
さて,今日は朝日に反射するエアーズロックを見て,そのあとでエアーズロックに登ろうと考えていました。しかし,エアーズロック,本当に登れるのでしょうか? 下から見てもあんな高いところに登れるとは思えません。そもそも私は登山などの趣味もないし,運動もまったくしていないし,日ごろからトレーニングすらしたことがないのです。おおげさでなく,今日で人生が終わるのかな,とふと思いました。
それはともかく,ゆっくり朝食を食べる時間もなく,朝は5時前に起きて簡単にサンドウィッチを食べてすぐにホテルを出発しました。
朝日に反射してエアーズロックが赤く輝くのを見ることができる展望台は夕日のときとは別の場所です。したがって,エアーズロックの形も違います。夕日をみる展望台に比べて観光客が多いのに驚きました。というより,夕日を見る展望台は一般の車と観光バスの駐車場と展望台が別の場所なのでツアー客とは合流しなかっただけのことです。
しかしまあ,日本人の多いのに驚きました。私がさらに驚いたのは,ほとんどの日本人は南半球で見ることができる星空が日本とは違うということすら知らないということですが,そもそも,日本で満足に星空を見たこともないのでしょう。それどころか,日本では大自然,などというものすら見たことがないわけで,気の毒な限りです。
ちょうどこの日は満月で,日の出前は天の川どろろか星すらほとんど見えないのですが,それでも南十字星は見えました。また,満月とその横に金星が輝いていました。
この日の朝日によるエアーズロックの輝きはいまいちで,夕日に比べて,まったくさえませんでした。何かの本によれば,日の出のころのエアーズロックが最も美しいと書かれてあるので,私の見たこの日の条件がよくなかったのかもしれませんが,これまでいろんな場所で日の出を見てきた私の経験からいえば,日の出よりも日が沈むときのほうがずっと美しいです。
こうして私は,昨晩の夕日に赤く輝く美しいエアーズロックと曲がりなりにも朝日に輝くエアーズロックの両方を見ることができました。到着したばかりだというのに忙しいことです。さて,これからエアーズロック登山に挑戦です。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑦
チェックインを終えて,軽く食事をすることにしました。チェックインしたときに聞いたレストランに行くと,ランチには遅くディナーには早いという中途半端な時間で食事ができず,別のレストランを教えてもらいました。改めてそのレストランに行って,ブランチならぬおやつとしてサンドウィッチを食べてから,エアーズロックの夕日を見にいくことにしました。
この旅の過酷なのは,エアーズロックの見どころというのが夕暮れと夜明けの風景,さらに日没後の星空,そして,早朝まだ暑くなる前のエアーズロック登山というように,朝食と夕食を食べる時間がない,ということなのです。この到着した晩もまた,夕暮れを見にいくのはいいけれど,ではいつ食事をするのか,ということが問題でした。いつでも食事ができるようなファミリーレストランやファーストフード店があるのならともかくも,エアーズロックリゾートにあるのは数件の,それも決して安価でないレストランと,ただ1軒のスーパーマーケットだけでした。そこで,この晩はレストランで食事をとるのはあきらめて,スーパーマーケットでなにか適当なものを買って,それを夕食にすることにしました。
とはいっても,スーパーマーケットに日本のそれのようなお弁当を売っているわけでもなし,やっと見つけたサンドウィッチを買い込みました。
さて,エアーズロックの夕暮れです。
エアーズロックには夕日を見るのに適した展望台と朝日を見るのに適した展望台がそれぞれあって,ともに広い駐車場がありましたが,どのぐらい混雑するのかは予測不能でした。
それにしても,私はこの時まで勘違いをしていました。エアーズロックで夕日を見るというのは,エアーズロックと夕日を同時に見ることではないのです。エアーズロックの反対側の地平線に沈んでいく太陽の光がエアーズロックを赤く照らすのを見るのです。しかし,この日,空を見上げても結構雲があって,これで太陽がエアーズロックを照らすのかしら,というような天気でした。
オーストラリアのど真ん中の砂漠地帯なんていつも晴れ渡っているような気がしていたのですが,どうもそうでもないようです。天気予報を見ると,あいにく私の滞在する数日は天気がよくなくて,しかもお昼間は40度を越すほど暑く,1週間もすると毎日快晴で気温も30度を下回るようでした。それでも,せっかく来た以上可能性に賭けるしかありません。
日没1時間ほど前に夕日に照らされるエアーズロックを見る展望台に到着しました。もうすでに数台の車が停まっていました。SUVに乗ってきた人たちは屋根の上に登ってエアーズロックを見る準備をしていました。以前行ったアイスランドでもそのような装備をした車がたくさんあって,そこに登って星を見ようとする人が大勢いました。レンタカーを借りるときに,屋根には登らないように言われて,変なことを言うものだと思ったのですが,その理由がわかりました。
次第に人が増えてきて,いよいよ日没になりました。
エアーズロックは少しは色が変わってきましたが,それほど感動するようなものではありませんでした。やがて日が沈み,期待外れだったなあとホテルに戻ることにしたころ,にわかにエアーズロックが真っ赤になりました。
以前,バーモント州のシャンプレーン湖の夕日クルーズに乗船したとき,日が沈むころ,というか,沈んだあとに太陽とは別の方向の地平線が赤くなったのを思い出しました。夕焼けというのは快晴ではだめで,適当に雲があって,その雲に乗って沈んだばかりの太陽の光が拡散すると赤くなるのです。その意味では,この日は絶好の条件だったのです。また,後で知ったことには,こうしてエアーズロックが赤く輝くのはそれほど多いことではないらしく,私はずいぶんと運がよかったのです。
という次第で,到着早々,絶景を見ることができて,気持ちよくホテルに戻って,わびしい食事をしたのでした。
明日は,日の出を見にいって,そのあとエアーズロックに登れるのなら登ることにしました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑥
到着早々,地図を見ながらエアーズロックを車で一周してみました。ほとんどすれ違う車もなく,この有名な観光地がこれほど閑散としていることに驚きましたが,それは,このお昼間に40度を越す季節の最も暑い時間に観光をしている人がいなかったということでした。
エアーズロックの一周は思ったよりも距離がありました。場所によってエアーズロックはまったく違った形に見えました。車が走る道路の内側に,歩いて一周するトレイルや,エアーズロックの壁面が洞窟になっていたり滝があったりする見どころだけを周るようなトレイルがあるようでした。そして,エアーズロックに登ることができる登山コースの入口に最も興味があったので,あすからの観光に備えてそれらを順にチェックしていきました。
私はこの旅を計画するまで,まさかエアーズロックに登ることになろうとはまったく思ってもみませんでした。というより,エアーズロックは登れるということも知りませんでした。それどころか,オーストラリアで最も有名な観光地であっても,どうやって行くのかすらわからなかったほど手の届かない場所に思っていました。
そんな,エアーズロックに来るということすら想像できなかったのに,それを間近にして,自分でも今更ながらこの現実に驚いていました。
一周し終えて,今日から3泊するホテルに行ってチェックインをすることにしました。
すでに書いたように,エアーズロックを観光するには,このエアーズロックリゾートに宿泊する以外に選択肢がないのです。このリゾートを逃すと,最も近い町が偶然トランジットをする羽目になったアリススプリングスなのです。リゾートなどというからには,ひとりで行って宿泊するに高価すぎるだろうという先入観があったのもまた,私がエアーズロックに行こうとも思わなかった理由でした。
実際は,エアーズロックリゾートには数件のタイプの異なるホテルがあって,それぞれ,非常に豪華なものから私が泊まったようなコテッジタイプのものまで松・竹・梅さまざまだったので,ひとりで行ってもなんとかなります。さらに,キャンピングカーのようなもので来ても,キャンプ場もありましたから,そこは,シーズン -シーズンは現地の冬,つまり,日本の夏で,私がいったこのころは暑すぎました- にでもなれば,多くのキャンピングカーで一杯になるのかもしれません。
コテッジは長屋のような建物がいくつかあるもので,その入り口に管理棟があって,そこでチェックインをするようになっていました。係の人は片言の日本語を話しました。おそらく多くの日本人が団体ツアーで来るのでしょう。
チェックインを終え,部屋に行きました。部屋の中はクーラーが効いて快適でした。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE⑤
アリススプリングスで乗り換えて,いよいよエアーズロック空港に向かう機内です。はじめからいろんなことがありましたが,どうにか到着することができるようでホッとしました。もうあとは到着を待つだけです。
私の座っていたのは進行方向左側の窓際でした。窓から外を見ていると,しばらくはオーストラリアの原野が広がっていただけでしたが,そのうちに運よくちょうど私の座っている側の窓からエアーズロックとオルガ岩群が見えてきました。オーストラリアの中央部には高い山がなく,そこにこぶのようにふたつのモニュメントだけがあって思ったよりも小さく見えました。しかし,これこそが正真正銘本物だと思うとずいぶん興奮しました。
やがて着陸です。空港とはいっても滑走路が1本とターミナルの小さな建物があるだけです。タラップを降りて通路を歩いてターミナルの中に入るとバゲジクレイムの短いベルトがありました。そして,レンタカー会社のカウンタがいくつか並んでいました。カバンが出てくるのを待ってレンタカー会社のカウンタで,あらかじめ予約をしてあった車をチェックアウトして車を借りました。空港の外に駐車場があって,借りた車はすぐに見つかりました。ほとんどの乗客はツアー客で,ここで送迎バスが待っていました。見どころといってもエアーズロックとオルガ岩群くらいのもので,そのふたつの観光地と三角形をなすように宿泊先であるエアーズロックリゾートがあります。リゾートからエアーズロックまでは距離は20分ほど,オルガ岩群は50分ほど,車はこの間を走るだけですなので,小さな車で十分でした。
空港からリゾートは10分ほどで着きましたが,とりあえず,リゾートを越えてエアーズロックまで行くことにしました。エアーズロックのある一角にはゲートがあって,3日間有効の入園料を人数分払うとバーコードのついた入場券をくれてこれを読み取らせるとゲートが開くのです。
ホテルのチェックインをする前に様子見にエアーズロックを一周することにしました。来たばかりで勝手も距離感もわからなかったのでこうしたのですが,それがこのあと役に立ちました。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE④
予定していた便には乗り遅れたものの,どうにかアリススプリングス経由でエアーズロックに行くことができました。こうした方法があるのなら日本の出発時にそう話してくれればいいものの,日本の「おもてなし」やらはどうでもいいことだけは親切でも肝心なところがいつも抜けています。
ケアンズからはカンタスリンクで,機内の雰囲気もジェットスターとは大違いでした。食事も出て,やっとまともな飛行機に乗った気がしました。そもそも,私はまだ数週間前にデルタ航空のファーストクラスでハワイに大名旅行をしてきたばかりなので,飲み物すら有料のジェットスターとの落差に戸惑いを感じました。
それはそれとして,ケアンズからアリススプリングスまで座席は窓際で,オーストラリア大陸がずっと見えていました。オーストラリアはアメリカと面積はほとんど同じであっても人口が決定的に違うので,この大きな国土を持て余しているようにすら感じます。赤茶けた大地だけがずっと続いているのを見ていると,絶望的にすらなりました。そのうちに家が見えはじめました。アリススプリングに到着したようです。それにしても,オーストラリアのど真ん中にこうした町ができて,そこに人が住んでるという現実が不思議でなりません。
アリススプリングス(Alice Springs)は単に「The Alice」ともよばれる人口3万人程度の町です。古くからこの地に居住するアボリジニのアレント (Arrente) 族は,ムバーントゥワ (Mparntwe) とよんでいるそうです。もともとはスチュアート (Stuart) と名づけられ,アウトバックの南北交通の拠点として建設されました。湧き水があり,当時の南オーストラリア州郵政局長チャールズ・トッド(Charles Todd) の妻アリス・トッド(Alice Todd) にちなんでアリススプリングスと名づけら,次第にスチュアートよりもアリススプリングスが一般的な呼称となって,1933年に正式にスチュアートはアリススプリングスに名称変更されました。アデレードからアリススプリングスを通ってダーウィンにいたる道路は現在もスチュアート・ハイウェイとよばれています。アリススプリングスの主要産業は観光業です。
のどかな空港のタラップを降りて歩いてターミナルに行くと,建物のなかにはイカしたカフェがあったので,そこで次のエアーズロック便を待ちました。この時点ではあまり気にならかなったのですが,小さなハエのような虫がうっとおしく飛び回っていて,しかも気温も高く,建物の外にもベンチがあったのですが,出るのをためらいました。
そこで,これもまた,後で調べてみました。
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オーストラリアでええ加減にせいと思うほど生息するコバエは「bush fly」というものだそうです。ハエを追い払う仕草がAustralian Salute(オーストラリア式敬礼)といわれるほどにオーストラリアでの暮らしの中で避けることができないものだそうです。夏がハエの季節です。
このブッシュフライはオーストラリア国内にいる2,000万頭もの牛の糞を繁殖場にし大量発生します。ブッシュフライは冬の間は暖かい西オーストラリア州北東部の大規模な畜産農場で死に絶えることなく冬を越し,9月10月に気温が上昇し始めると活発になり急速に繁殖し急増するのだそうです。そして,毎年10月上旬に風に乗って南西のほうに運ばれて来るのです。オーストラリアの夏12月にはピークに達し,その後は夏の暑さで牛の糞が乾燥してくるため繁殖率が低下していくそうですが,私の行った3月はまだ異常な状況でした。オーストラリアは夏(日本の冬)に行くところではないようです。
戸外でバーベキューの肉などに群がるのは卵を産むのにタンパク質を必要としている小さいメスのハエで,人の汗や唾液を目当てにしつこくまとわりつき,特に口をねらってくるので私は何匹食べてしまったことか! そしてオスがメスに群がるのは人間だけでなくハエも同様です。
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特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE③
格安航空なんて一度国内線で乗っただけなのでシステムもよくわかりませんでした。噂では食事も出ないとか。あわてて数日前にネットで座席と食事を予約したからまだよかったものの,あまりのサービスの悪さに愕然としました。預け入れ荷物も重量によって非常に高額な料金が必要で,こうしていろいろなオプションを加算していくと,まったく格安ではありませんでした。単品は安くてもトッピングをすると急に高くなる牛丼みたいなものです。さらに,今回出発が1時間遅れということなので,ケアンズでの乗り換えができるのかどうかをカウンタで聞いても,現地で聞いてくれと言われて全く対応なしでした。搭乗まで時間があったので,第2ターミナルまで行ってカンタス航空のカウンタで聞いてみても,はじめに乗る航空会社の責任だからわからないと言われました。
出発前から散々です。いくら安かろうともう二度と私はジェットスターは使いたくありません。こんな旅ではまったく楽しくありません。乗り換えができなかったらどうなるのだろうかと思うと旅行気分も吹き飛びました。そもそも,乗り換えをするのに別の航空会社というのが問題なのです。
ということだったのですが,ここで先におさらいをしておきましょう。後で調べてみたところ,次のようなことがわかりました。
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エアーズロック空港に乗り入れているのはカンタスリンク,バージンオーストラリア,ジェットスターの3社で1日合計5便でした。まず8時40分着でカンタスリンクがケアンズから(これが私が乗る予定のものです),次が8時45分着でジェットスターがブリスベンから,3番目が12時着でバージンオーストラリアがシドニーから,4番目が12時30分着でジェットスターがシドニーから,そして,最後に13時55分着でカンタスリンクがアリススプリングスからです。
そこで,日本からエアーズロックに行くには,まずはケアンズ,ブリスベン,シドニーのいずれかに到着する必要があるのですが,ケアンズに直行便で就航しているのがジェットスターのみ(私が今回乗るものです),ブリスベンにはカンタス航空,そしてシドニーにはJALとカンタス航空が直行便を運航しているというように,どの空港からも同じ航空会社で乗り継ぐのは大変なのです。つまり,私が今回利用したように,成田からジェットスターでケアンズまで行ってケアンズからカンタスリンクを利用してエアーズロックまで行くことになってしまうのです。
このように,同じ航空会社でエアーズロックにスムーズにいくのはすごく大変なのです。というより無理なのです。
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さて話を戻して,少し余分にお金を出して予約したコンフォート席だったけれど少しも楽しくなかった機内で8時間を過ごし,やがて1時間遅れてブリスベンに到着しました。1時間しか乗り換え時間がありませんでしたが,入国に時間がかかり,さらに預けたカバンはなかなか出てこないし,おまけに国際線ターミナルから国内線ターミナルが遠いこと! 結局,エアーズロック行きのゲートに到着したときには,事前にネットでチェックインを済ませてあったのにも関わらずカンタスリンクは待っていてくれず,無残にもすでにゲートは閉じられていました。こうして,ケアンズで乗り換えに失敗して途方にくれることになったのです。このあたりのことは余裕などなかったので写真がないのが申し訳ないのですが…。
先を急ぎます。乗り遅れた私は国内線のターミナルでカンタス航空の職員を探しました。見つけた職員に事情を話すと,チェックインが済ませてあったおかげでことはスムースに運び,カンタス航空のカウンタに連れて行ってくれました。エアーズロックへの便は1日1便しかないと私は思っていたのですが,先に書いたように,ケアンズからはこのあとアリススプリングス行きがあって,アリススプリングスで乗り換えれば,予定よりおよそ4時間遅れですが同じ日にエアーズロックに到着できるという話でした。こうしてどうにか当日到着できることになってホッとしました。
同じ目にあった日本人はほかにも数人いたようですが,みな団体ツアー客だったので旅行会社にどうにかしてもらえたようでした。このように,個人旅行というのはリスクがつきものですが,こんなことはこれまでもいくらでも経験していたのでこのようになんとかなりました。それよりも,今回はアリススプリングスという行く予定もなかった町を見る機会ができて,それはそれでよかったと思ったことでした。
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE②
出発の日は雨の朝になりました。いつものようにセントレア・中部国際空港まで名鉄電車ですが,名鉄電車の最寄りの駅まではバスなので雨が降るとバス停までが面倒です。雨もやみそうでやまず,カサが必要となりました。それ以外は今回も順調で駅に早く着いたので,すでに購入してあった座席指定を変更して1本早い電車に乗ってセントレアに行きました。
3月21日の休日ともなると,春休みを楽しむ人たちで空港は非常に混雑していました。この空港は空港のくせに,そもそも飛行機利用客以外のイベントがいろいろとあって,混雑すると食事をする場所もなくなります。セキュリティが第一で飛行機利用客の利便性を優先すべき場所がアミューズメントパークと化すのが,相変わらず何かを根本的に勘違いしている日本の姿を表しています。穴場は1階の着陸フロアにある中華料理店です。空港の従業員御用達です。
昼食を終えてしばしラウンジで時間をつぶしました。今回は成田まで行くので,まずは国内線なので,国際線のラウンジは使えません。やがて搭乗時間となってANAに乗り込みました。離陸したところまではよかったのですが,成田空港が強風のため着陸許可が出ないという機内放送がかかりました。引き返えされたら困るなあと思っていたら,結局1時間遅れで何とか成田空港に降りることができました。
私の周りに名古屋市立の高校の1年生が大勢乗っていました。聞いてみると,春休みを利用して9日間ほどロサンゼルスでホームステイ体験をするのだとか。アメリカの何を見て何を体験するか? が問題です。いずれにしろここでもまた参加者のほとんどが女性でした。本当に日本の男は何をしているんでしょうねえ。
私はこのあとの乗り換え時間が十分あったので1時間程度の遅れは問題なかったように思ったのですが,実はそれはとんでもない勘違いでした。
今回の行程は成田からオーストラリアのケアンズまでジェットスターで行って,そこからエアーズロック空港へカンタスリンクの直行便です。エアーズロックにはケアンズからカンタスリンクに乗るかシドニーからジェットスターに乗るかなのですが,行きにスムーズにエアーズロックに到着するには私のような行程しか選択肢がないようです。
ジェットスター,この格安航空は以前に一度九州に行くときに利用しましたが,搭乗後にキャンセルになって降ろされた経験があります。
成田空港の格安航空会社のための第3ターミナルができてからはじめて利用しました。それがまあ,あまりにもひどいターミナルでした。これが日本の首都の空港かと思うと情けなくなりました。まるでプレハブ住宅です。また第2ターミナルからの通路は学校の渡り廊下のようでした。ジェットスターのカウンタはチェックイン客で溢れかえっていて,それだけでもイヤになりました。さらに,成田空港の強風はここでも影響があって,離陸が1時間遅れるとのこと。
今回の旅はケアンズでの乗り換え時間が2時間しかなく,1時間も遅れては乗り換えができないではないですか。行く前から絶望的な気持ちになりました。数日前の往復ファーストクラスの優雅なハワイ旅行にあとにこんな過酷な旅行が控えていたとは!
特別編・2019春オーストラリア旅行LIVE①
オーストラリアに行きます。
予想以上に涼しかったハワイでしたが,南半球のオーストラリアは日本の9月。噂では「猛暑」。ハワイと同じような服装でいいと思っているのですが,よくわかりません。果たして…。今回の目的地はウルル,つまり,エアーズロックです。
オーストラリアといっても,見どころというものはさほど多くありません。だだっ広いだけです。と私は思っていますが,おそらくそれは認識不足なのでしょう。私にとってのオーストラリアは何といっても満天の星空なのです。そのために,ここ数年,もう何度オーストラリアに行ったことでしょうか。
しかし,誰しもが知っているオーストラリアの一番の見どころはウルル,つまりエアーズロックです。エアーズロックはオーストラリアのど真ん中にあって,これまで私には手の届かないところでした。一生行くこともあるまい,と思っていました。ところが,友人が行きたいというので具体化し,計らずもその夢が現実に近づきました。
そこで,エアーズロックにはどうやって行くのだろうと調べはじめましたが,それがかなりの難物だったのです。シドニーやブリスベンから車で行くには遠すぎます。どこか近くに町がないのかと調べると,アリススプリングスという名前が出てきました。しかし,そこからもかなりの距離です。行く方法がわからずわけがわからなくなって,ツアー旅行などする気もないのに HIS を訪ねました。
「エアーズロックに行きたいのですが,オーストラリアのどの都市から行けばいいでしょうか?」
「いくつか現地ツアーがありますが,現地のツアーに参加するとなるとオーストラリアまで自力で行かなくてはいけませんよ。」
ということだったのですが,私が個人でオーストラリアにいくことなんて朝飯前だということは HIS の窓口の女性は当然ご存知ありません。そこで私が知ったのは,
①エアーズロック空港というのがあってそこまで行くことができる
②エアーズロックにはリゾートがあってそこに宿泊することができる
③エアーズロック空港でレンタカーをかりられる
でした。
そんなわけで,家に帰った私は①から③を順にネットで探して予約することにしました。この方が絶対安いからです。
まず飛行機です。フライトは簡単に見つかりましたが,日本からオーストラリアの都市に行くよりも,その都市からエアーズロック空港までのほうが運賃が高い! というのには驚きましたが,ともかく予約をしました。行きは成田からケアンズまではジェットスターしか便がなく,ケアンズでトランジットしてエアーズロックまでは航空会社を変えてカンタスリンクで行きます。成田までは今回はセントレアからANAで行くことにしました。いつも書いているのですが,セントレアから,せめてオーストラリアのブリスベンまでとアメリカのシアトルまでの直行便を出してもらえないでしょうか。不便で仕方ありません。
次がホテルでしたが,これも難なく予約できました。そして,レンタカーも予約しました。
ということで,エアーズロックへ本当に行くことになったのです。