しない・させない・させられない

Dans la vie on ne regrette que ce qu'on n'a pas fait.

USA50州・MLB30球場を制覇し,南天・皆既日食・オーロラの3大願望を達成した不良老人の日記

カテゴリ:アメリカ合衆国旅行LIVE > LIVE・2019夏

帰国の日。
モーテルを朝7時にチェックアウトしました。私が2泊したロサンゼルスのモーテルには朝食がついていたのですが,昨日はその用意ができる時間よりはやくモーテルを出発したので,利用できませんでした。この日の朝はちょうど用意ができた時間だったのですが,私はロサンゼルスの空港のラウンジで朝食をとるつもりでした。チェックアウトをするときにオーナーから朝食を進められたので,少しだけいただくことにしました。気持ちのよいモーテルで,昨年とはまったく違いました。
モーテルを出発して,インターステイツ105を西に,ロサンゼルス国際空港に向かって走りました。昨年は,レンタカーリターンの場所がわからず戸惑いましたが,さすがに2年目ともなると難なく見つけてレンタカーを返却しました。そして,レンタカー会社のシャトルバスに乗って,空港まで戻りました。
ロサンゼルス国際空港は現在改装中なので,ぐっちゃぐちゃです。何でも2028年にオリンピックを開催するのに間に合わせてのことで,2023年に完成だそうです。エッ? オリンピックなんて,まだロサンゼルスでやったばかりでないか,と思ったのですが,調べてみるとそれは1984年のことで,もう30年以上も昔なのでした。月日の経つのが早くてびっくりしました。

国際線ターミナルはターミナルBです。昨年,このターミナルBは古いと書きましたが,それは間違いで新しいのだそうです。国内線ターミナルのほうが古く,順に改装されている途中で,デルタ航空の古いターミナル2と3は狭く大混雑しています。ラウンジはターミナル2と3の搭乗ゲートのひとつ上の階にあります。
国際線のターミナルにはラウンジがなく,ターミナル2と3からターミナルBまではエアポートシャトルバスに乗る必要があります。また,レンタカー会社のシャトルバスが到着したターミナル3の地上階から搭乗ゲートとシャトルバスの発着する出発階までエレベータに乗る必要があるのですが,これがぼろく,2台のうち1台しか動いておらず,乗り場がえらく混んでいました。
ともかく,時間に余裕のある私は,まずターミナル3からターミナル2までエアポートシャトルバスに乗っていって,ターミナル2のラウンジに行って朝食をとりました。そして,搭乗時間が近づいたので,今度は国際線ターミナルBにエアポートシャトルバスで向かいました。
帰国便も行きと同じエアバスA350-900,行きと同じ機体 -行きに乗ったとき機内の壁のちょっとした傷を覚えておいたのです- でした。帰りもまたプレミアムエコノミーの最前列で,今度は窓際にしました。最前列は足元が広く,窓際でも通路に出るのに隣の席の人に気をつかう必要が全くないのです。
今回はじめて往復利用したプレミアムエコノミーは広くて快適でした。フルフラットにこそなりませんが,フットレストもあって,これなら特に眠る必要もない帰りは特にファーストクラスなんて利用する必要がありません。日本とアメリカ西海岸は時差が8時間あります。これは,行きは夜が8時間なくなり,帰りは昼が8時間増えるということです。そこで,行きに比べて帰りは楽で,あえて機内で寝なくても帰国後に十分睡眠がとれるのです。逆に,機内で寝てしまうと,帰国後に眠れないということになります。しかし,だからといって特にすることもないので,食事を終えると自然に眠くなってしまいます。

そうこう,いつものようにだらだらと機内で過ごしているうちに,やがて日本が近づき,定刻に羽田空港に着陸しました。帰りは名古屋まで国内線を利用ということで,羽田空港でセントレア・中部国際空港行きのANAに乗りかえて帰宅しました。国内線はいつものように事前にチェックインをしたので私の iPhone の Wallet にチケットが登録されてあるにもかかわらず,搭乗まで2枚も搭乗券とは別の書類をくれました。しかし,搭乗ゲートが変更になっていたにもかかわらず,そこに書かれた搭乗ゲートの記載が変更前のものだったので,こんなものならあえてくれる必要などまったくありません。帰国早々,毎度のばかげた意味のないことに情熱をもやす自称おもてなし,実はブラック日本を体験して,旅の夢から覚めました。
  ・・
今回は,やりたかったことをすべてかなえることができた旅になりました。意外なことに,もういいや,と思っていたアメリカ熱が再発して,これから何度でもアメリカに行きたくなってしまいました。
いい旅でした。

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ツアーは開始15分前に200インチ反射望遠鏡の入口に集まってほしいと言われていたので,20分くらい前に行ってみました。このツアーの参加者は10人以上いました。中には専門家のような人もいました。ツアーが終わったときに天文台にはずいぶん多くの見学者が来ていたので,おそらく,次のツアーの参加者は相当な人数であっただろうと思われます。
こんな不便なところに,それも,目新しい施設ならともかくも,これほど多くの人が来るというのは,アメリカに行くといつも感心するのですがすごいことです。これはフラグスタッフのローウェル天文台に行ったときも同様ですが,知的好奇心の高さは日本とは大違いです。他人との点数争い,順位争いが目的である日本との教育の違いでしょう。
ツアーではかなり高度な説明をしてくれたので,私には最高でした。インストラクターは何人もいて,わからないことがあれば親切に何でも答えてくれました。また,私が日本から来て,しかも昨年天文台が閉まっていたということを知っていて,特別にお土産をくれました。

200インチ反射望遠鏡のドームの入口に集合したツアーでは,まず外でこの天文台についての概要の説明からはじまって,いよいよ中に入って,1階,つまり舞台裏にある反射望遠鏡の鏡のアルミ蒸着装置やドームの仕組みも含む専門的な説明をしながら,次に階段で2階に登って待望の望遠鏡の見学へと進みました。
それにしても巨大な望遠鏡でした。この望遠鏡を見学したことのあるさほど天文に詳しくない人のブログも多々あるのですが,実際に望遠鏡を目の当たりにすると,そうしたブログに書かれたことではわからない感動がありました。なんでも本物を見ることはとても大切です。
この望遠鏡は今でも現役で,多くの貴重な発見に貢献しています。いくらロサンゼルスから200キロメートル以上も離れているとはいえ,作られたころに比べれは大都会の光の影響で空が明るくなって条件が悪くなっているのは事実ですが,それでも,日本では考えられないほどの山の中に作られているので,まだ十分に活用できるわけです。
残念だったのは,ここで見学できるのはこの望遠鏡だけで,私が関心をもっている,惑星探しをしている広視野の口径48インチ(122センチメートル)サムエルオシンシュミットカメラが公開されていないことでした。

見学を終えて,山を下りました。
パロマ天文台へ行く途中にパロマ山麓のレストランがあることは毎回通っていて知っていたのですが,今回はじめて開いているときにそこを通ったので,帰りに立ち寄って昼食をとりました。
結局,昨年パロマ天文台に行けなかったのが逆に功を奏して,今年,それも偶然週末に行ったことでツアーに参加して,ガラス越しではなくあこがれだった5メートル反射望遠鏡の見学が十分にできたし,さらに,フラグスタッフまで足をのばして,ローウェル天文台にもバリンジャー隕石孔にも行けたので,むしろ昨年パロマ天文台の見学ががお休みだったことがよかったと思いました。
  ・・
今回の旅の予定はすべて終了しました。私はこの旅で,こうして50年間ずっと思い焦がれていた様々な場所にすべていくことができたのでした。

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午前9時少し前,昨年来たときは決して開くことのなかったパロマ天文台の門は難なく開いていました。私はここに来るのが50年間の夢でした。そして,ここへ2年連続で訪れ,2年目にしてやっと門の中に入ることができたのです。
門を通り過ぎると,そこには広い駐車場がありました。そして,その右手にビジターセンターがありました。ビジターセンターに入ると,売店と展示がありました。この天文台にもレストランなどがあると思っていたのですが,一般の見学者用にあったのはこの建物だけでした。
パロマ天文台は平日でも一般の見学ができるとあったので,昨年,ちょうど今年と同じ日の6月29日金曜日に来てみたのですが,何度も書くように,駐車場の工事をしていて入ることができませんでした。そこでまさに1年後に再びやってきたのですが,今年は土曜日でした。わざわざ週末に来るように計画したのか,あるいは偶然そうなったのかは覚えがないのですが,後で書くように,私の見たかった口径200インチ(508センチメートル)の反射望遠鏡をガラス越しでなく間近に見るツアーが実施されるのは週末だけだったのです。私がそれを知ったのがこの日だったので,どうやら私が週末に来たのは偶然のことだったようです。

ツアーは週末の午前10時30分(10:30AM)からと午後0時30分(12:30PM)からと午後2時(2:00PM)からの3回ありました。
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Q.正午は午前12時?それとも、午後12時?
A.正午は「午後0時」か「午前12時」と表すことができます。これは「午前12時」が「午前11時」の1時間後,「午後0時」が「午後1時」の1時間前と考えるとどちらも正午を表すことは自然に理解することができると思います。しかし,例えば「午前12時30分」という言い方をしたときにこれを昼のことと考えるか夜中のことと考えるか,人によって見方が違ってしまう可能性がありますので「午前12時何分」という言い方はせずに、「午後0時」という言い方をしたほうが誤解は少なそうです。(国立天文台のホームページより)
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Q.12AMと12PM,どっちが正午になりますか?
A.12PMが正午(noon),12AMが深夜(midnight)です。(eigopedia のホームページより)
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チケットはビジターセンターの売店で購入できるとあったので,さっそく午前10時30分のツアーを購入しました。
そんなわけで,幸運にも今年は土曜日に来たことで,待望の200インチ反射望遠鏡をガラス越しでなく見ることができたのです。もし昨年パロマ天文台が工事中でなければ,来たのが金曜日だったからツアーは実施されておらず,ガラス越しに望遠鏡を見るだけだったのです。

ツアーまで時間があったので,まず,ビジターセンターの展示を見ました。その後,ツアーまで待つのが我慢できず,ガラス越しでいいからと,200インチ反射望遠鏡のドームに行ってみました。ドームに入ると,まず,ヘールさんの銅像がありました。
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ジョージ・エレリー・ヘール(George Ellery Hale)は1868年6月29日にシカゴで生まれ,1938年2月21日に亡くなった天文学者です。1897年,シカゴの実業家チャールス・ヤーキスの資金を得て口径40インチ(101センチメートル)屈折望遠鏡を備えるヤーキス天文台を建設,1904年にはカーネギー研究所の寄付を得て,その当時世界最大となった口径100インチ(257センチメートル)反射望遠鏡を備えるウィルソン山天文台を建設し初代台長になりました。ヘールさんは,さらに,ロックフェラー財団から寄付を受けて,パロマー天文台の建設に着手するのですが,その完成を見ることなく死去しました。
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奇しくもこの日はヘールさんの151回目の誕生日でした。階段を上っていくと他の多くの天文台同様,ガラス越しに望遠鏡を見ることができるブースがあって,そこから,巨大な望遠鏡の姿をはじめて見ることができました。ヘールさんが生前見ることができなかった望遠鏡が,今まさに私の目の前にありました。

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5日目になりました。明日は帰国するだけなので実質上最終日です。
5泊7日というのは,海外旅行をするうえで極めて楽な日程です。持っていくものも少なく,機内に持ち込むだけの分量ですみます。しかも今回は密度が濃く,これまででやりたかったことのすべてを実行することができました。
さて,今日こそ,昨年来の懸案であったパロマ天文台の見学です。このために来たといっても過言ではありません。
パロマ天文台はロサンゼルスよりサンディエゴのほうがはるかに近く,そのために昨年はサンディエゴに宿泊したのですが,私が行った数日間だけ,パロマ天文台の駐車場が工事で閉鎖されていて,行くことがかないませんでした。このことは昨年のブログに書きました。そこで,昨年,私は何のためにサンディエゴまで行ったのかさえわからなくなってしまいました。結局,サンディエゴでMLBを見て,コアラもパンダもコモドドラゴンもいる大きなサンディエゴ動物園にも行けたので,無駄な旅ではなかったのですが…。

今年はあえてサンディエコまで行かなくても,ということで,ロサンゼルスから直接パロマ天文台を往復することにしましたが,宿泊しているモーテルから120マイル(約200キロメートル)あって,片道2時間以上かかります。パロマ天文台は9時に門が開きます。そこで,早朝6時すぎに,時間が惜しいので朝食抜きでモーテルを出発しました。
モーテルからは昨日ロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見に行ったときに通ったのと同じ国道91を走り,アナハイムを過ぎて,さらに東に進んでいってインターステイツ15に入りました。
インターステイツ15を南東に進んでいって,テメクラという町でインターステイツ15を降り,州道76に入りました。このあとはわずか36マイル(約60キロメートル)なのですが,州道76は一般道で山道なので,まだ1時間程度かかります。この日本の道のようなところを走っていくと,リンコンという町でロータリーに出会いました。このロータリーの角によろずやがあったので,車を停めて中に入って,菓子パンと冷たい飲み物を買いました。腹ごしらえと眠気覚ましです。
ここから先はサンディエゴから来た昨年走ったのと同じ道です。途中でシカの親子が横切りました。やがて,パロマ天文台の口径200インチ反射望遠鏡の巨大なドームが見えてきました。

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MLBロサンゼルス・エンジェルスのこの日のゲームの開始は午後7時7分でした。開場はその2時間前なので,私は午後4時過ぎにモーテルを出て,ロサンゼルス・エンジェルスの本拠地であるエンジェルスタジアムに向かいました。インターステイツ105からインターステイツ710,そして,国道91,国道55と進みます。
渋滞するロサンゼルスのハイウェイは昨年も走ったので慣れていたのですが,日本人がはじめてアメリカでレンタカーを借りて走るようなところではありません。やがて,駐車場に着きました。事前に駐車場のチケットは購入してあったので,係員の指示に従って車を停めました。ここに来たのは19年ぶりのことでした。
昨年ロサンゼルスに来たときは残念ながらエンゼルスは本拠地におらず,見ることができませんでした。そこで,ドジャースタジアムで2ゲームを見ました。先発はカーショー投手と前田健太投手でした。

私はこれまでMLBのすべてのチームのホームグランドに行ったことがあります。当時は熱狂的なMLBのファンでした。ところがどういうわけでしょう。私はこのMLBをはじめとして,大相撲を除くおおよそすべてのスポーツというものを見ることに興味がなくなってしまったのです。ロサンゼルスで宿泊するのは,明日,パロマ天文台に行くことが目的で,その前日,私が興味をなくしたMLBを見にここに来たのは,単に大谷翔平選手が見たい,大谷翔平選手の写真がとりたい,ということが目的でした。
開場にはまだ時間があったので,いつものように,ボールパークの周りを散策していると,ハネムーンやツアー客など多くの日本人がいました。ここは近くにディズニーランドもあって,日本人観光客が訪れるのには適したボールパークなのです。
私は,日本のプロ野球というものはまったく関心がないのでわからないのですが,MLBは見慣れているので,MLBのボールパークには目が肥えています。ロサンゼルスにはドジャースとエンジェルスというふたつのチームがあるのですが,どちらも本拠地のボールパークは古く,最新式のものとは差があります。昨年行ったサンディエゴのペトコパークなどに比べたらずいぶん貧弱です。とはいえ,これまでMLBを見たことのない日本人にとっては,貧弱とはいえその豪華さに驚くことでしょう。

幸い,この日,大谷翔平選手は3番指名打者で出場でした。ヒットを3本打ちました。私は大谷選手が出場するときだけゲームに集中して,それ以外の時間はどこで写真を写すといいかを探すためにボールパークを歩き回っていました。
ボールパークによっては銅像があったり博物館があったり名物の食べ物があったりと,見落としてはいけないスポットがあるものですが,このボールパークは特に見どころといってもほとんどありませんでした。エンジェルホットドッグというものを食べてみましたが普通のホットドッグでした。大谷バーガーもありませんでした。
MLBは,デーゲームはいいのですが,ナイトゲームは終了後に帰るのが大変です。なにせ,数千台,もしくは数万台の車が一斉に駐車場から出ていくのですからたまったものではありません。そこで,今回も,いつもの通り,ゲーム終了前に早々ボールパークを後にしました。
今回の旅は,大谷翔平選手を見ることが目的で来たのではなかったのですが,おまけとしてはかなり豪華な賞品となりました。

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4日目になりました。今日はフラッグスタッフからフェニックスまで戻って,フェニックスからロサンゼルスまで空路,そして,ロサンゼルスで再び車をレンタルして,夜,MLBロサンゼルス・エンジェルスのゲームを見るという予定でした。
フラッグスタッフからフェニックスまでは2時間もかからず戻れると思って旅の予定を立てたのですが,フェニックスの市街地が思った以上に渋滞するということと,それに加えてこの日は金曜日で朝の渋滞に巻き込まれる恐れがあるということで,来るまではフェニックスの出発時間が10時過ぎなのでゆっくりチェックアウトをすればいいやと思っていたのが甘い考えだと気づきました。そこで,朝5時起床。昨晩,マクドナルドで夕食を食べたときに次の朝に食べようとビックマックをテイクアウトして,それを部屋の冷蔵庫に入れてあったのをレンジで温めて朝食代わりにして,午前6時にはチェックアウトしました。さすがに3時間以上の余裕があればフェニックスに戻ることは大丈夫でしょう。
まだ夜が明けきらず,暗い中,インターステイツ17をフェニックスに向けて走りました。
来るときは途中の山道でコンボイが別のコンボイと衝突して横転,そのために1車線が閉鎖されていて渋滞に巻きこまれもしたのですが,今度はそういったこともなく,順調にフェニックスに近づいてきました。フェニックスに近づくと,あたりはサボテンだらけになります。そういえば,19年前,はじめてアリゾナ州に来たときに,アリゾナ州といえばサボテン,というこの景色を追い求めてあてもなく走ったことを思い出しました。
フェニックスの少し手前にブラックキャニオンシティという田舎町がありました。ちょうど夜明けだったので朝日を見ようと,ここで一旦インターステイツを降りました。こののどかな町でサボテンと朝日を眺めることができました。

予想通り,フェニックスの市街地は混んでいましたが,それほどの渋滞に巻き込まれることもなく,搭乗開始時間の1時間ほど前にフェニックスのレンタカーセンターに着きました。車を返して,シャトルバスに乗り込みました。
フェニックスの空港は他の大都市の空港に比べて空いていました。この空港はどこの航空会社のハブ空港でもないようで,デルタ航空のラウンジもなければ,プライオリティパスで入れるラウンジもなかったので,ゲートで搭乗時間を待ちましたが,空港は新しく,しかも人が少なかったので,問題はありませんでした。
やがて搭乗し,定刻に離陸しました。窓際の座席を選んであったので,晴れ渡る窓からはフェニックスの町がよく見えました。19年前に来たときに比べて,フェニックスの町はずいぶんと発展を遂げていました。
やがて,ロサンゼルスの広大な市街地が見えてきました。
ロサンゼルスの空港は昨年も来たので勝手がわかっていて,空港に降りて,レンタカー会社のシャトルバスに乗りました。バスに乗り合わせた男性が,これまで78か国に仕事で行ったと言っていました。もちろん日本も行ったことがあるそうでした。
レンタカー会社のゴールドエリアには多くの車が並んでいて,そのどれを選んでもいいのですが,昨年はその車のほとんどがカローラだったのに,今年は1台しかなく,私が物色している間にカローラはとられてしまいました。そこでニッサンのアルティナにしました。
レンタカーもこういったシステムにすると,まず売れ行きがいいのは故障のない日本車で,最後まで残ってしまうのは韓国車のヒュンダイです。

まず,空港からインターステイツ105を東に走って,今日から2泊するモーテルに行きました。
私は大都市のダウンタウンが嫌いです。なにせ車も人も多すぎです。治安もいいのか悪いのかよくわかりません。ロサンゼルスに来たのは,前回はスペースシャトルを見ることとウィルソン山天文台にいくことが目的でした。今回わざわざロサンゼルスに2泊することになったのは,昨年行くことができなかったパロマ山天文台に今年こそ行くことが目的だったので,モーテルは移動の楽なインターステイツに近い場所で,ともかく安全に眠ることができればいいのですが,昨年は少し節約しすぎて,散々なモーテルになってしまいました。そこで,今年は昨年よりは宿泊代の高いモーテルにしました。場所はリンウッドというところで,昨年宿泊したところとさほど離れていないのですが,到着してみて,昨年よりは断然雰囲気のよさそうな場所だと思いました。
予約してあったモーテルもきれいなところで,インド人のオーナーはとても親切そうな人でした。性格が几帳面なのがよくわかりました。
チェックインの時間は午後3時で,私が到着したのは午後2時でしたが,幸いチェックインをすることができました。
部屋で一休みをしてから,近くにあったカールズジュニアというバーガー店まで歩いていってそこで昼食をとりました。

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アンテロープキャニオンからフラッグスタッフまで戻ってきたのは午後3時過ぎでした。
この日,私はホースシューベンドとアンテロープキャニオンに行きましたが,もともとはフラッグスタッフを中心にオールドルート66沿いのいくつかの町を訪れることにしていました。日本の旧街道の宿場町のように,オールドルート66にも道路沿いに町が点在しています。そして,それらの中には,今も当時の面影を大切に保存してるところがあるのですが,それが,今回行ったフラグスタッフのあたりに多くあるのです。
まだ時間が早かったので,フラッグスタッフから西にこれらの町を訪ねることにしました。

フラッグスタッフのオールドルート66を西に走っていくと,道はインターステイツ40に吸収されてしまいました。無味乾燥のインターステイツ40を西に走っていくと,オールドルート66の道路標示がありました。ウィリアムズという町でした。そこでジャンクションを降りました。
ウィリアムズはけっこう大きな町でしたが,オールドルート66の面影に浸るには十分な町でした。私は,町の中心にあった無料の駐車場の車を停めて,しばらく町を歩きました。ダウンタウンはほどほど古臭く,また,きれいとはいえないところでしたが,それがまた,観光地として整備されていないようで,好感がもてました。結構多くの観光客がルート66の面影を求めて来ていました。

ウィリアムズを出て,さらに西にインターステイツ40を走りました。インターステイツ40に吸収されていたルート66は途中で昔の道路に分岐しているようでしたが,私はそのままインターステイツ40を走りました。そして到着したのがセリグマンという町でした。
私は19年前,役目を終え破壊されかかっていたルート66を保存する活動をしていたエンジェル・ディルカディオさんに会って,一緒に写真を写したことがあります。それがどの町のことであったか忘れていたのですが,セリグマンに着いて,それがこの町であることを思い出しました。この日,あいにくエンジェル・デルカディーロさんは所要で自分の経営する土産物屋が閉店していたのがとても残念でしたが,ともかく,この町に再び来たことにずいぶんと感動しました。そしてまた,19年前,こんな遠い町まで私が来たことにも驚きました。
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私は満足感の中,フラッグスタッフに戻ることにしました。帰りはセリグマンからウィリアムズの途中まで,今も残されたオールドルート66を走りました。

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次にアンテロープキャニオンに行きました。この旅の3日目にホースシューベンドとアンテロープキャニオンに行くことができたのはきわめて幸運でした。私は19年前と5年前にユタ州とアリゾナ州にまたがるゴールデンサークルとよばれる地域の主だった国立公園をすでに旅していて,うかつにもそのときにすべて行ったものだと思いこんでいたので,この機会がなければおそらく行くことはなかったのです。
やはりアメリカは魅力的な国です。特に,自然は雄大です。

アンテロープキャニオンはグレンキャニオンダムから車でわずか20分くらいのところに,その入口がありました。
いつものことながら私はいい加減で,アンテロープキャニオンもまた多くの国立公園同様,入口にゲートがあってそこで入園料を払ってあとは車で回れるものだと思い込んでいたのです。そこで,アンテロープキャニオンと書かれた道路標示に従って走っていったのですが,到着したのは単なる広場でした。そこに写真のような建物があって,アンテロープキャニオンへのツアーのチケットを売っていました。なんだかよくわからなかったのですが,そこでツアーの申し込みをすると,さっそく停まっていた荷台にイスを装備した改造トラックに乗り込んで出発となりました。ツアーの料金はかなり高いものでした。
次第にわかってきたのは,この国立公園はナバホ族の居留地にあって,ナバホ族が経営するツアーだけがアンテロープキャニオンを見学できる方法だということでした。また,渓谷内はせまく,空がのぞく隙間がわずかしかないので,谷底に光が届くのはお昼の数時間だけで,その時間にツアーに参加することが最もよいということ,そして,アンテロープキャニオンは大雨が降ったときだけ現れる川の鉄砲水が作った場所なので,雨でも降って一旦鉄砲水が流れてきたら危険な場所だということでした。

この日は快晴で雨が降る心配もまったくなく,しかも私が参加できたのは運よくちょうど谷底に光が差し込む時間でした。
トラックは水のない渇いた川底を2マイル(3.2キロメートル)ほど進んでいきました。ガタゴト道でかなり時間がかかりました。やっとアンテロープキャニオンの入口に到着しました。渓谷は多くのツアー客で一杯でした。ガイドについて歩いていくと,渓谷はどこで写真を写してもすばらしいものになるとガイドが言っていたように,幻想的な風景がずっといつまでも続いていました。

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旅の3日目です。この旅でフラッグスタッフに来た目的は昨日にすべて実現しました。そこで,今日は,フラグスタッフから北に,ホースシューベントとアンテロープキャニオンに行くことにしました。
19年前,私は知人に誘われて,ロサンゼルスから車でラスベガスを経由してグランドキャニオンとモニュメントバレーを旅しました。当時は今ほど知識がなく,とりあえず,このいわば国立公園の初心者コースを回ったわけですが,それでこのあたりの国立公園はすべて行った気になっていました。しかし,そのとき,行こうと思えば行けたはずのホースシューベントとアンテロープキャニオンを外していたのです。
今回,この旅にでかけるときには,うかつにも,19年前に通ったコースであるにもかかわらず,フラグスタッフからホースシューベントとアンテロープキャニオンは車で2時間足らずに行くことができることをすっかり忘れていました。昨日行った化石の森国立公園を調べていて,行くことが可能であることをやっと知ったというわけです。そこで,19年経ってやっとこのふたつの国立公園に立ち寄ることが可能となったのです。

ホースシューベントもアンテロープキャニオンも,よくテレビの旅番組に出てきます。なかでホースシューベントはその景観から,どんな場所にあるのか,とても興味がありました。
行きの機内で隣に座っていた女性から,どんな写真で見た姿とも実物は違う,と言われてさらに興味が増しました。
早朝宿泊先のモーテルを出発して国道89を北上しました。途中は森の中を進んでいきましたが,そのうち,ページという都会に出ました。こんなところに新しい街ができていたのにも驚きました。どうやら,グレンキャニオンダムができて,このあたりに観光客が集まるようになって,都会が出現したようです。私は,もっと何もない場所だと思っていただけに驚きました。
その先にホースシューベントの広い駐車場がありました。
車を停めて,小高い山のほうに向かって歩きました。15分くらい進むと,そのさきにホースシューベントがありました。到着するまでその姿は見ることができず,展望台に立ってはじめて目の前にその姿が現れました。
ホースシューベントはコロラド川が馬蹄形に急カーブを描く場所です。着いたときは,それでも落ち着いた雰囲気だったのですが,そのうち,中国人ツアー客が大挙して現れて,雰囲気が一変してしまったのが残念なことでした。

ホーシュシューベントを後にして,ページの街のマクドナルドで朝食を食べ,次にグレンキャニオンダムに行きました。ビジターセンターに入ると,巨大な窓からその絶景を眺めることができました。
1936年にコロラド川をせき止めて作られた下流のフーバーダムはレイクミードを作りましたが,コロラド川は予想以上の大量の土砂を運んできてレイクミードを埋める心配がでてきました。そこでさらに上流に作られたのがこのグレンキャニオンダムでした。このダムによってグレンキャニオンは姿を消し,そのかわりにレイクパウエルが出現しました。
それにしてもなんという巨大なダムでしょう。こういう姿はやはり本物を見ないと決してわかりませんが,アメリカという国はとんでもないものを作り上げるものだとその脅威を感じます。それとともに,こんなふうにして自然を破壊してしまっていいのか,という恐れを抱きました。

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USハイウェイ66,通称ルート66は1926年に誕生しました。シカゴからロサンゼルスを結び,北アメリカ大陸を斜行する,全長3,920キロメートルに及ぶ,もっとも距離が長く近代的なハイウェイでした。当時の人々は,この道を通って,仕事を探しに,農業の新天地を求めて,あるいは,戦場に赴くために,映画や音楽の夢をかなえようと,あるいは北上し,または西進していったのです。1972年にインターステイツが完成してその役割を終えたのですが,2000年には保存法が成立し,今は,古きよきアメリカを懐かしむ道路として,観光名所になっています。
私の宿泊しているフラグスタッフはダウンタウンにこのオールドルート66が通り,今も当時の面影を残す街として多くの人が訪れます。また,オールドルート66に平行してサンタフェ鉄道が走っていて,アメリカの高速鉄道「アムトラック」の停車する駅があります。

ローウェル天文台の見学を終え,私は,宿泊しているモーテルに戻る途中で,フラッグスタッフのダウンタウンに車を停めて,オールドルート66の面影の残る街を歩くことにしました。
フラッグスタッフもまたアメリカの多くの街同様,車を停めるのに苦労しますが,ここは駐車するスペースが多くあって,駐車したら近くにある料金を払う機械に車のナンバープレートを入力して料金を支払うというシステムになっていました。説明を読んでいると,月曜日から水曜日までは午後5時以降は無料ということでした。この日は幸運にも水曜日だったので,午後5時を待って,駐車場に車を停めました。近くを通ったおじさんに,無料だぞ! といわれました。
ダウンタウンは平日なので空いていましたが,すてきなレストランやカフェなどが立ち並んでいて,夕食を楽しむ人の姿がありました。また,駅に行くと,アムトラックが到着する時間に近く,乗客が時間待ちをしていました。

これまで私はニューメキシコ州のサンタフェあたりや,オクラホマ州からミズーリ州にかけてのオールドルート66を走り,また,オールドルート66が通る街を散策したことがあります。
日本では旧東海道や旧中山道のような旧街道がありますが,これは徒歩で歩く道です。それとは違って,ルート66は駅馬車の通った道なので,今も車で走ることができる幅があります。共通するのは,そのどちらも,昔のまま残ったところもあれば,現代の新しい道路に吸収されてしまった場所があるということです。また,日本でも旧街道の宿場町はプライドを持っているように,オールドルート66が通った多くの街は今もオールドルート66の看板を掲げ,当時の面影を残すように保存活動をしていることです。
私は66歳になったら,オールドルート66をシカゴからロサンゼルスまで走ってみたいものだという夢を持っていました。その夢も風化しつつあったのですが,今回改めてオールドルート66に触れてみて,その想いがまたよみがえってきたのでした。

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化石の森国立公園からフラッグスタッフに戻って,待望のローウェル天文台に行きました。
ローウェル天文台はフラッグスタッフを見下ろす高台にあって,オールドルート66を西に向かて走っていくと,天文台のドームは街中からもよく見えました。オールドルート66が南に左折する交差点をそのまま直進すると,ローウェル天文台に登る道になります。そのまま登っていくと展望台があって,そこの駐車スペースに車を停めて眼下を見れば,フラッグスタッフの街が一望できました。
道路はさらに進んでいって,ローウェル天文台の門を越えると,広い天文台の駐車場に到着しました。
私は,3月に行ったオーストラリア・シドニーにあるシドニー天文台のような博物館を予想していたのですが,ここはもっと大きくて,今でも現役。また,多くの人に天文を啓蒙する施設となっていました。
受付で入館料を払うと,ちょうど施設見学ツアーがはじまったところで,そのツアーに参加することができました。

1855年に生まれ1916年に死んだパーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell)はボストンの大富豪の息子として生まれ,ハーバード大学で物理や数学を学びました。ちょうど火星観測熱が当時高まっていたころのことで,私財を投じてこのローウェル天文台を建設し,火星の研究に打ち込みました。ローウェルはここローウェル天文台に眠っています。
このローウェル天文台で冥王星を発見したのがトンボ-です。1906年に生まれ1997年に亡くなったクライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh)は1930年冥王星を発見した業績で特に知られています。ローウェル天文台に勤務して,天王星や海王星の軌道に影響を与えていると考えられた未知の惑星の捜索に携わり,ローウェルが予測した周辺の星野を丹念に精査し続け,前月に撮影された写真と比べて動きがある天体があることに気づき,それが9番目の惑星であると確信したのです。
その時に使われた望遠鏡が整備されて,今もその姿を見ることができます。

天文台のツアーには,トンボ-が冥王星を発見した望遠鏡は含まれていませんでしたが,午後6時30分からこの望遠鏡のドームが公開されるということだったので,私は楽しみに待ちました。やがて時間になってドームのドアが開き,私は待望の望遠鏡を見ることができました。見学者は私だけで,ガイドの若者からいろんな説明を聞きながら,この歴史的望遠鏡の姿に感動しました。
このように,この望遠鏡は公開されていますが,見ることができる時間が限られていたので,それを見ることができたのは,いつもながら幸運なことでした。
もう少し時間が経って日が沈んで星が見えだすと,天文台の公開用の望遠鏡で木星を見ることができました。また,レクチャールームでは惑星の説明を聞くことができました。
こうした施設に行っていつも思うのは,平日だというのに多くの人が訪れて,熱心に難しい話を聞いている姿です。おそらく日本でこういうことをしてもほとんど人が集まらないでしょう。日本人は本質的に学問というのは生活とは無縁の存在なのです。勉強というのはテストで点を取って人と比べるだけのものだと幼少期からそう育つからです。

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今回の旅の目的はバリンジャー隕石孔とローウェル天文台で冥王星を発見した望遠鏡を見ることでしたが,そのためには遠いアリゾナ州のフラグスタッフまで行かねばならず,どうしようかと迷っていました。そこに昨年,偶然行ったときに閉鎖されていたパロマ天文台に行くことがあきらめきれず,やはり行ってみたいということになって,このふたつのことを実現するために旅が実現したわけです。
到着早々は時差ボケで,よく寝られないのが一番の心配なのですが,昨晩は思いのほかよく寝られたので安心しました。私の滞在する安モーテルに朝食はついていないので,バリンジャー隕石孔へ行く途中でガソリンを入れてそこでついでにサンドイッチを買って,食べながら運転しました。時間が惜しいのです。
なお,アメリカではガソリンは1ガロンあたり何ドルで表示されています。1ガロンは約3.8リットルなので,約30倍(1ドルが110円だと約29倍)すれば1リットル何円になります。今回の旅では表示が3ドルくらいだったので,換算すると1リットル90円程度でした。また,車にガソリンの燃費が1ガロンあたりのマイル(MPG)で表示されるのでわかりにくいのですが,これは0.42倍すれば1リットルあたりのキロメートルになります。

旅の2日目。
今日からいよいよ観光ですが,今日は早朝にバリンジャー隕石孔へ行って,その後,せっかくここまで来たので,さらに1時間くらい先にある化石の森国立公園まで足を伸ばし,午後,フラッグスタッフに戻って,待望のローウェル天文台に行くことにしました。今日1日で,パロマ天文台以外の今回の旅の目的のほとんどが達せられるわけです。
約40分走って隕石孔に着きました。朝7時30分でした。9時からのガイドツアーがあるということだったので,それまで博物館を見学したり,隕石孔の展望台へ行って写真を写したりしました。やはり実物はすごいものでした。場所はこの3月に行ったオーストラリアのエアーズロックみたいに周り一面平地で,かたや上に伸び,こちらはそこにえぐられているというように,対照的でした。このときの詳しい様子はまた後日旅行記で書きたいと思います。

十分堪能して,そのあと化石の森国立公園に向かいました。これまで,特に意識していたわけではないのですが「地球の歩き方」という本のアメリカ国立公園編に載っている国立公園で私が行ったことがなかった場所がこの化石の森国立公園を含めて3か所あったのですが,今回の旅でそのうちの2か所に行けるのもまたうれしい偶然です。
国立公園に着きました。まず,ビジターセンターにレストランがあったので昼食をとりました。
思いのほかものすごく広い公園で10か所程度の見どころを車で回って行くのです。化石の森というイメージとは違い奥深い森ではなく昔森だったところ,そして恐竜が闊歩していたところが風化して大平原となった場所です。この国立公園も自然の作り出した雄大な風景が堪能できるところでした。木の幹が水晶化した化石になっているのには驚かされました。

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乗り換えたのは小さいボンバルディア社の旅客機で,かなり古そうな機体でした。ロサンゼルスからフェニックスまでは1時間30分ほどのフライトです。乗り換える乗客がまだ来ないということで出発が30分ほど遅れました。
ロサンゼルスから私の目指すフラグスタッフは車で走ると7時間もかかるので,車での移動はあきらめてフェニックスまで往復国内線を利用することにしたのですが,フェニックスからフラグスタッフまではさらに2時間30分ほどもかかるのが想定外でした。もっと短いと思っていたのですが,フェニックスの街のインターステイツが混んでいて街を抜けるのにやたらと時間がかかるのでした。
国内線は国際線とは違って,ファーストクラスとはいえエコノミークラスとの違いは座席が広いことと飲み物の入れ物がガラスぐらいのことです。国内線でも3時間くらいのフライトだとファーストクラスだけ食事が出ることもありますが,今回はたった1時間30分なのでなにもありませんでした。しかし,フライトならたった1時間30分でも車で走れば大変です。

19年ぶりのフェニックスに到着しました。ロサンゼルスは予想に反して涼しかったのですが,フェニックスに着いたらさすがに暑くてこれまたびっくりしました。でもフロリダとは違って湿度が低いので汗をかきません。
この空港ではレンタカーセンターまでシャトルバスに乗っていくのですが,レンタカーセンターは空港からずいぶん遠いのが意外でした。そんなこんなでやっとレンタカーを借りるところまで来ました。車を手に入れれば旅がはじまります。
レンタカーはゴールドエリアにある好きな車を選んでいいということなので,カローラを借りました。日本車のいいのは操作ボタンなどの位置が慣れていることです。座席の調節をするだけでも,乗ったことのない車だとどこに装置があるのかなかなかわからないものなのです。
ところで,今回行ったアメリカのアリゾナやロサンゼルスで見かけた日本車のほとんどは,トヨタのカローラか日産のアルティナでした(日本のモデルとは違います)。プリウスはほとんど見なくなってしまいました。

さあ,いよいよ出発です。渋滞するフェニックスの市街地をやっと抜けてインターステイツ17を北上すること2時間30分,夕方にフラッグスタッフに到着しました。フラッグスタッフはアメリカのマザーロードであるルート66 で栄えた古きよき街です。
宿泊するモーテルはこのオールドルート66沿いにあるということで,東に向かって走っていきました。ダウンタウンを越えてさらに行くと左手に見つかったので車を停めてチェックインしました。今晩からここに3泊します。
到着が予定より遅くなったので,フラッグスタッフのダウンタウンを散策するのは明日にして,近くのスーパーマーケットでお寿司を買ってきて,簡単に夕食を済ませて寝ることにしました。スーパーマーケットでレジ待ちをしていたら前に並んでいたすごい量の買い物をしたたおじさんが列を譲ってくれたので,会計をする間しばし楽しく雑談をしました。

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はじめて利用したプレミアムエコノミーは快適でした。座席は広いし食事はおいしいし。以前からファーストクラスとエコノミーの中間のレベルがあればと思っていたのが実現した感じです。
着陸1時間前になってやっと朝食が出てきました。朝食が出てくるのがあまりに遅く,配り終えたらすぐ着陸態勢に入り片付けはじめてしまって,ゆっくり食後のコーヒーを飲む間もない状態でした。これもまあアメリカらしいというか。

ロサンゼルスに到着しました。空港はどこもいろいろシステムが違うので緊張します。今回はフェニックスまでのトランジットでしたが,ネットで次のフライトのチェックインが済ませてあったので楽でした。空港のチェックインカウンターにはすごい行列ができていました。
空港が混雑するアメリカでは,事前にチェックインを済ませておくことと荷物はキャリーオンにして預けないのがスムーズに旅行するコツです。デルタ航空は手荷物の重量制限がカンタス航空の7キログラムとかフィンランド航空の9キログラムのように厳しくないので,大きさ(合計115センチメートル)さえクリアできればまず大丈夫です。
ロサンゼルスの空港は広く,デルタ航空の国内線はターミナル3ということでしたが,入国後,国内線ターミナルへ行く方法がわからず,案内所で聞いてなんとか歩いて到着できました。昨年来たときも工事中でしたが1年後もまだ工事をしていて,場所が変わってわかりにくさが倍増していました。
セキュリティチェックはプライオリティだろうとそうでなかろうと同じラインで,何が特権なのかサッパリわかりませんでしたが,それほど混雑してもおらずすんなりと終わりました。

次のフライトまで3時間の待ちです。順調だとこのくらいの待ち時間になるのですが,3月にオーストラリアに行ったときのように1時間しか余裕がないと,到着が遅れたとき乗れないこともあるので,3時間程度の待ち時間は仕方がありません。ごった返すターミナルを抜けてあとはデルタスカイクラブのラウンジで時間つぶしです。
日本との時差が8時間ですが,これは夜9時の次が午前5時になったということで,夜が丸々なくなってしまうのです。これが時差ボケを引き起こすのです。今回は機内で結構眠れたので大丈夫でしたが,それでも,食事に関しては午後6時に夕食を食べた6時間後の深夜0時に朝食を食べたようなものなのです。そこで今日の昼食をどうしようかと思案することになるのです。
調子に乗ってまた,ロサンゼルスのラウンジで食事をしてしまえば食べ過ぎだし,食べなければ食べないで夜まで食事抜きだし,次のフライトで何が出るかもわからないし,困ったものです…。とかいいながら思わずラウンジでサンドイッチに手が出てしまうのでした。

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5泊7日のアメリカ旅行です。パスポートを見てはじめて知ったのですが,昨年も全く同じ日にアメリカに向けて出発していました。あれからもう1年,月日の流れは早いです。昨年も羽田空港からロサンゼルスでしたが,羽田空港までは国内線を使いました。その後,ニュージーランドからの帰国でトランジットしたシドニーから羽田に降りたので,それ以来の羽田空港ということになります。
昨年ははじめて羽田空港を利用したのでよくわかららず,戸惑うことも多々あったのですが,いくらいい加減な私でも多少は学習能力があります。そこで,今回は名古屋から新幹線こだまのグリーン車で品川まで来て,品川駅を出た所の吉野家でお昼を食べてから京急線に乗りました。
すでにフライトはオンラインチェックインを済ませてあったので長い行列を横目にプライオリティカウンタでパスポートチェックを済ませ,さっそく出国手続きを終えました。
羽田空港最大の欠点はデルタスカイラウンジがないことですが,アメックスで入れるラウンジがあるので,搭乗開始時間までそこで過ごすことができます。昨年はそれを知らずに待ち時間を潰すのに苦労しました。

今回はデルタの機体が新しくなってエアバスA350でした。JALに同じ機体が導入されたとかで盛んに宣伝をしていますが,デルタにもそして8月に利用するフィンランド航空にもすでに導入されていて,珍しいものでもありません。しかし,フィンランド航空はいいとして,アメリカの航空会社がボーイング買わなくてトランプ大統領にしかられないのでしょうか?
それはともかく,マイレッジが山ほどあるので,今年の2月にハワイに行ったときは往復ファーストクラスに乗りましたが,今回はそこまでせずともということと新しく導入されたお試しで,マイレッジでアップグレードしてプレミアムエコノミーというのにしました。

今回の旅行の目的は昨年行けなかったパロマ天文台に加えて,アリゾナ州フラッグスタッフにあるトンボーが冥王星を発見したというローウェル天文台の見学,そして,ずっと行きたかったバリンジャー隕石孔です。それ以外にはロサンゼルス・エンジェルスのゲームで大谷翔平選手を見ることです。全部かなったら最高です。
まず,羽田とロサンゼルス間の航空券だけを購入しました。その後,旅の予定を立てていたとき,フラグスタッフまでロサンゼルスからよほど車で走ろうかとも思ったのですが,片道7時間,歳のせいかそんな長距離を走るのが面倒になって,後日,ロサンゼルスとフェニックス間の往復国内線を購入しました。こちらはエコノミーだったのですが毎度のことでアップグレードされてファーストクラスになりました。
このところ関東地方で地震が多く心配だったのですが出発の日は何事もなく,また,今年は梅雨の季節なのに天気もよく台風も来ずといったそんな日の旅立ちとなりました。


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